二つの庭
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著者名:宮本百合子 

        一

 隣の家の篠竹が根をはって、こちらの通路へほそい筍(たけのこ)を生やしている。そこの竹垣について曲ると、いつになく正面の車庫の戸があけはなされていた。自動車の掃除最中らしいのに、人の姿はなくて、トタン張りの壁に裸電燈が一つ、陰気にぼんやり灯っている。
 伸子はけげんそうな顔で内玄関へ通じるその石敷道を歩いて行った。すると、ゆずり葉の枝のさし出た内庭の垣の角から、ひょっこり江田が姿をあらわした。おさがりの細かい格子のハンティングをかぶって、ゴム長をはき、シャツの腕をまくり上げた手に大きいなめし革の艶出し雑巾をにぎっている。江田は、伸子を見ると、
「や、いらっしゃいまし」
 ハンティングをぬいで頭を下げた。
「こんにちは。――手入れ?」
 伸子はきいた。
「はあ。お留守のうちにすこし念入りにやって置こうと思いまして……」
「きょうは、事務所じゃないの?」
「ゆうべの急行で山形へお立ちになりました」
「あら! そうなの――」
 伸子は、がっかりした声を出した。
「きょうは、お父様のお誕生日だったのよ、だからと思って来たのに――」
 江田は、
「それゃ知りませんでしたな」
 律気者らしく伸子の失望した顔を見た。
「奥様はおいでですよ――お客様のようですが……」
「どなた?」
「さア……越智さんだと思いますが――」
 駒沢の奥からここまで来たことが一層つまらなく思われた。ハトロンに包んだ花を下げたまま、伸子はしばらくそこに立って江田が小型ビインの手入れをするのを見ていた。しばらくすると、江田が、
「伸子さま、ともかくお上りんなったらいかがです、そのうちにはお客さまもすむでしょうから」
といった。
「和一郎さんたちはいるのかしら」
「保さんがおいでです」
 伸子は、まわり道までして買って来たバラの花を飾る場所を失った心持で内玄関から上った。左手のドアがきっちりしまっている。そこは客室であった。いつもは華やかなよく響く調子で客と応待する母の声が、きょうはひとつも外へ洩れて来ない。不自然な気分で、伸子は廊下一つへだてた食堂の一方だけあいているドアから入った。
 寂びた赤うるしで秋の柿の実を、鉄やいぶした錫(すず)で面白く朽ち葉をあらわした火鉢に鉄瓶がかかっていた。炭がきれいにいかったまま白くたっている。部屋の気配は、ここにもう長い間坐っているひとがなかったことを感じさせた。
 女中が出て来て、
「いらっしゃいまし」
 よそのお客へするとおりのお辞儀をして、お茶をいれた。
「お父様山形なんだって?」
「さあ……」
 伸子が名もはっきり知らないその女中は、主人のゆくさきを知らないのは自分の責任ではないという風に、からだをよじった。
「ゆうべ、お立ちになったことはなったんでしょう」
「はあ……」
「まあ、いいわ、ありがとう」
 畳の上に絨毯(じゅうたん)をしき、坐って使う大テーブルを中央に据えてあるその部屋は、半分が洋風で片隅に深紅色のタイルをはった煖炉がきってあった。その煖炉の左右は、佐々ごのみで、イギリス流の長椅子になっている。その上に、どてらが袖だたみのままおいてあった。それは父のどてらであった。
 伸子は、ハトロン包みの花をもって風呂場へ行った。洗面器へ水をはって、ハトロン紙につつまれているままのバラの花をそこへつけた。それから壁にとりつけてある鏡に向って、髪をかきつけた。
 単純なその動作を終ると、伸子はたちまち次には何をしていいのかわからないような、とりつき場のない当惑にとらわれた。越智が来ている客間へは、どうにも入っていけないものがある。保のための家庭教師、高等学校へ入る試験準備の間、指導してもらった若い教育者である越智圭一は、はじめのうちは佐々の家庭にとって、みんなに一様の越智さんであった。勉強するときのほか、越智は食堂で雑談したし、客間で画集を見たりしている越智のまわりに、保も稚いつや子も出入りしていた。
 保が東京高校へ入学したのは前年の春であった。その夏、若い越智夫婦が田舎にある佐々の家に暮し、伸子はあとからそのときの写真をみせられたことがあった。大柄の浴衣をきて、なめらかな髪を真中からわけて結び、やせがたで憂鬱な情熱っぽい純子という夫人が、白服できちんと立っている越智と並んでうつっていた。夫人のからだにあらわれている、しめっぽくて、はげしそうな表情も、越智の白い夏服の立襟をきちんとしめて、とりすましたような工合も伸子の気質の肌に合わなかった。普通にいえばよく似合っている縁無し眼鏡も、寸法どおりにきまって、ゆとりと味わいのない越智の顔の上にかかっていると、伸子は本能的に自分が感じている彼の人がらの、しんの冷たさや流動性の乏しさを照りかえしているように思うのだった。
 そのスナップ写真を伸子と顔をよせあうようにしてしげしげ眺めながら、多計代が、
「伸ちゃん、お前、純子さんてひとを、どう思うかい?」
ときいた。伸子は、そのとき、母の唐突な質問に困った。
「だって、わたし、このかたにまだ一遍も会っていもしないのに……」
「そりゃそうだけれども、この写真をみてさ。伸ちゃんは、どう感じるかって、いうのさ」
 伸子は、そういう多計代の詮索を、苦しく感じた。伸子は、恋愛の思いを知っていた。結婚した夫婦生活の明暗もある程度はわかっている。いまは女友達とひとり暮しをしているけれども、伸子は母のききかたに、女としての感情の底流れを感じ、それは成長した娘としての伸子の心に苦しいのであった。
「旦那さまが好きらしいし、ある意味で美人だし……問題はないじゃないの」
「問題になんかしているんじゃないけれど……」
 多計代は、ふっさりとして大きい、独特に古風な美しさのあるひさし髪を傾けて、なお写真をみていたが、
「純子さんて人は、おかしな人だねえ。時々ひどいヒステリーをおこすんだってさ。越智さんが出かけようとすると、出すまいとして玄関にはだしでとび下りて、格子に鍵をかけてしまったりするんだそうだよ。まるで気違いみたいになるときがあるんだって」
 誰から、どんな風に多計代はそういう話をきかされるのだろう。それを思うと、伸子は夫婦の間のそんな話や、越智と多計代とが純子についてそういう話をする情景そのものにいとわしさを感じた。
「自分の細君のことをそんな話しかたで話すなんて――お母様の趣味? そんなこと――」
 伸子は、肩でぶつかってゆくようにいった。多計代は黙った。そして、とりあげて見ていた写真を、テーブルの下にある手箱の中へしまいはじめた。
 一月ばかり前に伸子が来たとき、多計代は黒い瞳を機嫌よい亢奮でかがやかせながら、
「――越智さんは純粋な人だねえ」
といったことがあった。
「そうお?――どうして?」
 うたがわしそうな伸子のききかえしにこだわらず、多計代は、
「僕が、もし純子と結婚していなかったら、きっと奥さんに求婚したでしょう、だって――」
 そういう多計代のこだわりのない満足らしさが、伸子をおどろかした。
「だって――」
 じゃ、お父様はどうなるの? 伸子の心に声高くその反問が響いた。
「ありえないじゃないの……そんなこと!」
 まばたきがとまったような表情になった娘をちらりと見て多計代は、
「だからさ」
といい添えた。
「ただ、そうだったろう、というだけの話なのさ」
 けれども、越智のある厚かましさが伸子の胸に鋭く深くきり込まれた。多計代はそう感じていないらしいけれども、そんな越智の言葉は、母をほめているようで、ほんとは母も父も侮辱しているところがある。そういう、越智に対する伸子の否定的な感情は、越智にも反映していた。母娘の間で意見が合わないようなことがあるとき、多計代は、自分の感情に重ね合わした憎々しさで云った。
「越智さんだってこの間云っていたよ。伸子さんという人は、破壊のために破壊をする人だって――」
 そんなとき、伸子は唇のふちが白くなってゆくのが自分でわかったほど激しい嫌悪にとらわれた。
 客間のドアは、ぴったりしめられている。越智に対する伸子の批評に向ってしめられている。伸子は、そのハンドルにかける手をもっていない自分を感じるのであった。
 心のおき場がなくて、伸子は保の勉強部屋へあがって行った。
 二階の日あたりのよい畳廊下で赤いメリンスしぼりの蒲団をかけ、小さいつや子が、お志保さんに本をよんで貰っていた。背中をかがめて膝の上に支えた手の本をよんでいるお志保さんのうしろに伸子が現れると、
「ああ、お姉ちゃまが来たア」
 つや子が、いかにも、その変化をよろこぶように声をあげた。
 伸子は、つや子が病気だとは知らなかった。
「どうしたの? 又ゼーゼー?」
 末子のつや子には、喘息の持病があった。
「二三日前雨がふりましたでしょう? あのとき学校から、ぬれておかえりになったもんですから」
「なに読んでるの?」
「アラビアン・ナイトでございます」
 つや子は、左右にたらした短い編下げの頭をふるようにして、
「お姉ちゃまア」
と伸子を見あげた。
「ここへ坐って! あったかよ」
 伸子は、ふとんと同じメリンスしぼりのねまきを着ているつや子を半分自分の膝によりかからせた。
「つや子ちゃん、唐辛子、ぬいだんでしょう? だからゼーゼーになったんでしょう?」
 よわいつや子は冬から春にかけて、いつも赤い毛糸でこしらえた下着をきせられていた。つや子ちゃんの唐辛子は佐々の名物で、小学三年になったつや子はそれをきまりわるがった。
「僕、もう唐辛子きないでいいのよ、ずっと前ぬいだんですもの」
 兄たちばかりのなかに育って、つや子は僕、僕、といった。蒲団のまわりに、南京玉の箱や色紙がちらばっている。賑やかな日向の色どりの中につや子の稚い顔は蒼ぐろく小さかった。
「大きいお兄さまは? お留守?」
「うん」
「おかえりになりますでしょう。飯倉へ御電話かけましたから」
 お志保さんは、飯倉という響を何となし特別にいった。その伯父の家には冬子と小枝という従妹たちがいて、和一郎はよく泊りがけで行っているのであった。
「保ちゃんは? 御勉強?」
 つや子は、
「うん」
 自分が学校をやすんでいるつや子は声よりもよけいつよく合点して、首をすくめるようにした。
「ちょいと保ちゃん見て来るわ、そしたらまた遊びましょう、ね」
 同じ二階の北側に長四畳があり、そこが保の勉強部屋になっていた。襖をあけようとして、伸子は鴨居にはられている細長い紙に目をひかれた。鴨居の幅きっちりに切った白い紙にフランス風の線の細い書体をのばして Meditation と書かれている。伸子は、はっきりしないおどろきに心の全面をうたれて、その一つ一つの綴りを辿った。メディテーション。――瞑想――。こういう字が、保の部屋の入口にはられている。保が自分で書いてはって、その内にこもって勉強している。どういう意味なのだろう。不自然なこだわるもののある感じがした。高校の学生たちの生活、ものの考えかた、そして仲間同士の暮しかた。それは、保の貼紙の気分とはちがったものに想像されていた。活気と若々しい野望と意慾とがむら立って想像されていた。京大で社会科学研究会の学生が三十余名検挙されたりしている頃であった。伸子はそういう事件の意味はわからなかった、伸子の生活からも文学からもはなれたところにおこっていて、その意味のわからなさと激しさとで、伸子をいくらかおじさせていることなのであった。保の生活がそういう学生の動きとはちがっている。伸子はそれにたいして批評をもたなかった。けれども貼紙の文字は伸子の本性に抵抗を感じさせ気にかかるのであった。
「保さん、いる? あけてもいい?」
 伸子は、唐紙のひきてに手をかけてきいた。
「ああ、姉さん? いらっしゃい」
 保は、勉強机に向ってかけ、ひろげた帳面にフランス語の何かを書きうつしていた。北側の腰高窓があけはなされていて、樹木の茂った隣の奥ふかい庭が見おろせた。梢をひいらせている銀杏(いちょう)の若葉が、楓の芽立ちの柔らかさとまじりあって美しく眺められる。
「いつ来たの、僕ちっとも知らなかった」
 保のまぶたはぽってりとしていて、もみ上げや鼻の下に初々しい和毛(にこげ)のかげがある。
「さっき来たばっかり」
 伸子は、ちょっと黙っていて、
「お客なの知っているの?」
ときいた。
「ああ」
「おりて行けばいいのに……」
「――僕はこの間家へ行って会ったばかりだから別に話もない」
 保は、おだやかにいって絣(かすり)の袷(あわせ)を着た大きい膝を椅子の上でゆすりながら隣の庭を眺めおろしていたが、
「姉さん、きょう泊って行くんでしょう」
ときいた。
「そう思って来たんだけれど……」
 伸子のこころもちは、やがてどうきまるにしろ、今はとりつくはしを失っているのであった。
「じゃあ僕、これだけしてしまってもいい?」
 保の勉強机の上には、学校での時間割のほかに、細かく一週間を区分した自分の勉強表がおいてあった。
「どうぞ……じゃあとでね」
 自分のうしろに保の部屋の襖をしめてその部屋を出ながら、伸子は、広い佐々の家のなかに、自分が落ちつく場所というものは一つもなくなっていることを痛感した。

        二

 心と体の居場所がなくて、あちこちをふらついていた伸子は、漂いよったように古風な客間に入って来た。榧(かや)や楓、車輪梅などの植えこまれた庭は古びていて、あたりは市内と思われない閑寂さだった。竹垣のそとで、江田がホースを使っている水の音がきこえた。
 くつぬぎ石、苔のついた飛石。その石と石との間に羊歯(しだ)の若葉がひろがっている。煤竹(すすたけ)の濡縁の前に、朴訥(ぼくとつ)な丸石の手洗鉢があり、美男かつらがからんで、そこにも艶々した新しい葉がふいている。茶室づくりの土庇を斜にかすめて黄櫨(はじ)の樹が屋根の方へ高くのびている。
 庭下駄の上へ、白足袋の爪先を並べてのせて、伸子はやや荒れている客間の庭を眺めていた。
 庭に一人向ってじっとしていると、伸子には、佐々の家も、この数年に、随分変って来たことがしみじみ感じられた。
 変りかたは、眺めている客間の庭の様子にも反映していた。伸子が幼なかった頃の佐々の家は、家全体が茶室づくりに按配されていた。門からの入口も、台所へまわる細い道も、風雅につつましかった。それが、近頃自動車をおくようになってから、門からの細道は石だたみとなり、車庫の位置によって、台所への道がひろげられた。そのために、客間の庭の奥ゆきが何尺か削られた。もとは石燈籠と楓、松などの植えごみの裏に、人一人とおれるほどの砂利じきのゆとりがあって、ゆきとどいた庭のつくりであった。それは自動車の道のためにこわされた。植木屋がそれにつれて石燈籠を前の方へもち出してすえ直した。松の枝かげを失い、楓の下枝からむき出された燈籠に、納りをつけようと、無造作に青木が植えこまれていた。燈籠は、我からその位置を悲しむように、庭の真中へとび出て立っている。
 伸子の父は、建築設計家であった。それだのに、どうして、こんな有様にしてしまって、みんながそれに無頓着で平気なのだろう。それは、この地味な八畳の土庇のついた室やそこの庭が、佐々夫婦のこの頃の生活気分から重要さと愛着とを失われていることを意味していると伸子は思った。
 伸子が二十歳ごろ、まだこの家に娘として暮していた時分から、客室は次第に腰かける方がつかわれるようになった。水色と白の縞の壁紙がはられ、イギリス好みの出窓、その下につくりつけられた木の腰かけ。いかにも明治四十年代の初期に、その年代とおない年の日本の建築家であった父が、使える金のささやかな範囲で、自分の空想を実現したという工合の洋風客間は、柱も節のある質素なものであった。若葉の季節になると、出窓のビードロ玉のようなガラスが海の底にでもいるように新緑の色を映すので、伸子の少女の心はその美しさに奪われた。
 パンヤ入りのクッションがところどころに置かれていたその室の調度は年とともに、いつしか変った。この節は佐々の陶器の蒐集棚が立ち、メディチの紋が象嵌(ぞうがん)してあるエックス・レッグスの椅子などが置かれている。第一次欧州大戦の後、日本の経済は膨脹して、全国に種々様々の大建築が行われた。丸の内の広場に面する左右の角に、東京で最初の鉄筋コンクリート高層建築が出来た。佐々と今津博士との協同で経営されていた設計事務所でそれらの設計はつくられ、完成した。
 伸子が二十歳だったとき、父につれられてニューヨークへ行った。そのことには大きい背景として、そういう当時の日本の経済のふくらがりと、建築家として父の活動場面の拡大とがあったのであった。二十の伸子は、それらの複雑な関係について何も理解していなかった。自分としては、親の指図や干渉からはなれた暮しの中で、人間として育ちたい気持が一杯なだけであった。ニューヨークで、佃という東洋語を専攻していた人と結婚した。唐突だったその結婚も、伸子とすれば一人立ちになりたいという一貫したその希望からであった。伸子は、主としては母親が計画している「よいお似合い」の社交的結婚を心から恐怖した。伸子が真面目に思っている文学の仕事は、そういう結婚生活からは生れない。そのことは、女である伸子には本能的にわかった。同時に結婚しなければいつまでつづくかわからない「大きいお嬢様」の生活の苦痛ときまりわるさとは、十八歳からの二年間で、伸子は知りつくした。
 伸子は一昨年から女友達の吉見素子と暮しはじめた。佃との結婚はこわれた。いますんでいるのは駒沢だけれども、結婚していた五年間、おそろしいもがきのつづいていた間、伸子が佃とすんでいた家から逃げ出して何日か、或は何ヵ月かを過したところは、育った佐々の家の中ばかりではなかった。佃とわかれ、作品をかき出してから、伸子が第一に自分の机をおいたのは、老松町の路地の奥にある、あるお裁縫やさんの二階であった。白い実のついた南天の根もとには、いつも小さい紙屑が散っているような小庭のかなたに、寺の松の枝が見えていた。毎朝早くから共同水道の水の音が響く界隈であった。そして、夜更けて帰る人の下駄の音が、どぶ板に響いた。伸子は、そこの茶の間で、よく、細君がやいてくれる土佐の目ざしをたべた。奥の八畳にお裁縫に通って来ている娘たちが五六人並んで針を運び、小声でおしゃべりしている。その二階で、伸子はほんとの生涯がこれから始まるこころもちで小説を書きつづけた。くたびれると、小夜着をかけて、火鉢のそばに横になった。そんなとき伸子のからだの下にしかれるメリンスのきれいな大座蒲団は、素子がくれたものであった。その二階へ、佃のところから伸子のもっていた本が送りこまれた。伸子は小説を書く収入で、素子はある団体の雑誌編輯をしてとる月給で、二人は共同の暮しをはじめたのであった。
 この二三年の伸子の生活のうつりかわりは、外からもわかりやすい変化であった。ひとこま、ひとこま、生活の情景ははっきり推移した。その間佐々の家も、思えばずいぶん変ったものだ。しかし、その変化は、大きい屋台の中で、いつとなし、あれやこれやの細目が変って行って、気がついてみれば、全体が元とちがってしまっていることにおどろかれる、そういう変りかたなのであった。
 佐々は健康で生活力の旺盛な、働きずきの男らしい恬淡(てんたん)さをもっていた。メディチの紋章のついた椅子も、珍重していながら、大切になでさすって、眺めるような味わいかたはしていなかった。伸子も来あわせてみんながその室でしゃべっているようなとき、泰造はちょっとその十五六世紀頃の椅子にかけてみたりした。
「昔の人間はよくこんな工合のわるい椅子で辛抱していたもんだね。これをみても進歩ということは大切ですよ」
 そういいながら、どういう細工によってか、ひじかけの先の円くなっている手前にくるくるとまわるようにはめられている繊細な輪細工を、乾いた軽い音をたててまわして遊んだ。ときによると、
「お父様のハムレットを見せて上げよう、アーヴィングの直伝だよ」
 どてらをぬいで片方の肩からななめにかけ、そのエックス・レッグスにかけて沈痛に片肱をつき額を抑えた。そして誰でも知っている“To be or not to be”というせりふをいった。丸まっちいからだの、禿げている頭の丸いハムレットが、紺の毛足袋の短い足を組みあわせ、血色のよい、髭のそりあとの見える東北人らしい顔を傾けて、To be or not to be と煩悶するのは、なんと滑稽なみものだったろう。伸子は手をうって笑った。
「オフェリアはいつ出て来るの? お父様、オフェリアを出してよ、わたし出るわよ」
と、ふざけた。
「あいにくだが、ここまでおそわったらアーヴィングのところへお客様が来ましたよ。オフェリアは出ずじまいさ」
「お父様ったら! でたらめばっかり!」
 多計代が長椅子にかけて、おかしそうに更にそれよりもいら立たしそうに白い足袋の爪先を細かく動かしながら非難した。
「お父様ったら、なんでもかんでも茶化しておしまいになる」
 悲壮な重々しい情熱を好む多計代には、ハムレットをそうやって遊ぶ泰造の気分や、それをよろこぶ娘の伸子の気分が、人生へのまじめな感情にそむいたものと感じられるのであった。
 関東の大震災の後、復興のために自動車の輸入税が一時廃止された。
「買うならこういう機会だね」
 遊びに行っていた伸子も、両親や弟たちに交って、いろいろの自動車会社から出されたカタログを見た。
「多計代のハイヤー代だけでも相当だし、俺はどんなに能率があがるかわからない……しかし、贅沢な車は駄目だよ。第一、門が入りゃしない」
 伸子の知らない幾晩かの相談の末、イギリスのビインが買われた。小型の黒い地味なビインにふさわしく、小柄で律気な機械工出の運転手の江田が通いで雇われた。江田は一風ある男で、はじめて来たとき、お仕着せは絶対にことわった。佐々のお古を頂きたい、と約束した。そして、お下りのハンティングをかぶって、毎朝八時というと、小柄の体をひどく悠然と運んで通って来るのであった。
 いま、竹垣のそとにホースをつかっている江田の姿を目にうかべ、伸子は、思わず一人笑いをした。父をなつかしむ笑いをもらした。泰造は米沢に生れて、イとエの発音がさかさになることがあった。字でかけばちゃんと書いたが、発音では逆になった。江田が運転手になったとき、佐々は伸子に、
「運転手が、いい男でよかった。イダっていうんだよ」
と教えた。伸子は井田というのだと思って、そうよんでいた。
 そしたら、あるとき、
「これを井田におやり」
と伸子にわたした祝儀袋の上に江田殿と書いてあるのを発見した。
「あら! お父様、エダじゃないの」
「そうですよ、イダだよ」
「――……」
 伸子は笑いくずれるように父の肩ごしに祝儀袋を見せた。
「これ、何ておよみになるの、お父様は……」
「イダさ」
 これはしばらく佐々の家の一つ話になった。とんちんかんなことがおこると、
「ホラ、イダだ」
と笑った。
 一つの家庭の歴史にとって、自動車が出来るということは、生活全体に深い影響があることだった。日本のように、どの家庭でも便利のためにフォード一台もっているのが普通というのでない国では、一台の自動車は、それがどんなに見栄えのしない小型のビインであろうとも、自家用車をもっていることであり、そのことは便利以上の何ごとかを、この社会で表現することなのであった。
 江田をイダ君と呼び、どっさり車の集っている場所で、江田がききわけやすいようにと特別のサイレン風の小さい呼子をふきながら、佐々は朝から夜までの活動の環をますますひろげて行った。
 毎朝佐々を事務所へ送りとどけてから、その車をうちまでかえしてよこして、それから多計代が外出した。外出さきから多計代を家まで送りとどけて、又その車は事務所へ戻った。自動車は珍しがられて、その一台が毎日多計代によっても使われていた。きょうは、今ごろの時間に、江田がのんびり車体の手入れをしている。江田にとっても、たまにはほしいのどかな午後の気分であろう。
 ひとりぼっち、客間の庭に不様(ぶざま)にされて忘られかけている石燈籠を眺めていると、この家の生活感情の推移が伸子の心にしみた。江田は律気な運転手の、古風な見栄のようなものをもっていた。あるとき長男の和一郎のことを、江田が若様といって伸子に話した。伸子は、自分の耳を信じかねた。この家に若様と呼ばれるようなものがいたのだろうか。伸子は、悲しそうに、江田さん、どうか和一郎さんと呼んでやって頂戴、あんまりみっともないからね、といった。そして、多計代にそのことを注意した。
「おや……そうだったかしら……」
 多計代はいくらかばつのわるい顔つきになって、まつ毛の美しい眼をしばたたいた。しかしそれぎりであった。江田のその呼びかたは続けられている。伸子はそれを知っている。
 その半面、生活の営みには、自動的なような刻薄なようなものが流れはじめていた。
 そういう家庭の推移のなかで、多計代の感情は越智に向って異常に傾きかかっているのである。
 沈んだ眼差しで、伸子が、杉苔の上にある西日の色を見ていると、もう戸のしまった車庫の角をまわって御用ききの自転車が通って行った。女中部屋の格子窓のところで下りて、小声で何かいっている若い男の声がした。すると、いきなり湧くようにイャーともキャーともきこえる女たちの嬌声がおこった。若衆は大人っぽいのど声で笑い、更に何かいって女たちを笑わした。笑い声は、自分たちだけの大っぴらな声であり、主婦なんぞは念頭にない声であり、呼ばれない限り無関心でいることがあたり前になっている生活の声であった。伸子は一層執拗に、杉苔の上へ目をすえた。

        三

 やがて豆腐屋のラッパが聞えはじめ、台所の出入りがしげくなった。父の祝いのためと思って買って来た黄色と白のバラの花を、伸子ははりあいの失われた気持でカット・グラスの花瓶にさし、それを父のどてらが置いてある煖炉前の小卓の上に飾った。
 保が二階から降りて来た。そして、立ったまま、伸子が一人だけいるその辺を見まわした。
「なあに? おなかがすいた?」
「そうでもないけど……」
 電燈の灯かげがそのガラスにきらめいてはいるが、午後じゅうぴたりとしまったままでいる客室のドアを、こっちの室の中から保が見ている。伸子は保の気持がわかるようでせつない思いがした。
「――もうすむでしょう」
 保は黙って視線をそらせ、煖炉前のバラの花を見た。いつもの保であったら、すぐよって行って、その花の品種だの咲きかたのよしあしを話すのに、今夜は遠くから立ったまま眺め、ただ、
「姉さんがもって来たの?」
ときいた。
「きょう、ほんとはお父様のお誕生日だったのよ。知っている?」
「うん」
 保はしばらく立ったままでいたが、また二階へあがって行った。
 食卓の準備がはじまった。それを見ている伸子の唇から思わずほとばしるような質問があった。
「二人だけ別? どうして? お母さまは?」
「奥様はお客様とあちらであがりますそうです」
「…………」
 やっと自分を抑えた声で伸子は女中に命じた。
「きょうは、お父様のお誕生日で駒沢から来たんだから、御一緒にたべられるまでお待ちしています、って。そう申上げて来て」
 狭い中廊下をこして、ドアをノックし、女中がはいって行った。そして、お辞儀をして出て来た。
「お待ちにならずに、とおっしゃいました」
 伸子は、涙がつき上げて来そうになった。
「すまないけれど、もう一ぺん行って頂戴。待っていますからって――」
 元気に階段を降りて来た保が、敷居ぎわで立ち止まった。大食卓の上に、向い合いに淋しく二人だけおかれている食器を見下しながら、歩調をかえて、のろい足どりで入って来て席についた。
「お母様と一緒にたべましょうよ、保さん」
 伸子はつよく訴えるように弟にいった。
「その方がいいわ」
「僕、どっちでもいい」
 保はこういう生れつきなのであった。
 女中が母の分を盆にのせて運んで来た。
「いらっしゃるって?」
「はい」
 おつゆが段々冷えていった。そのときになってやっと客室のドアがあいた。同時に、
「おや、こっちは冷えること……」
 ひとりごとのようにいう多計代の声がした。
 小紋の羽織の袖口を、胸の前でうち合わせるような様子で入って来た多計代を見て、伸子は圧倒される自分を感じた。皮膚の滑らかな多計代の顔は、ふっさりした庇髪の下に上気して匂うような艶をたたえている。いつもより、しばたたかれるまつ毛はひとしおこまやかで、多計代の大柄な全身から、においのいい熱気がかげろい立っているようにさえも見える。溢れるつややかさと乱れのまま多計代は娘と息子とが待っている食卓に来て坐った。
「お待ちどおさまだったね」
 そういったきりで、たべはじめた。さっさと、味わおうとせずにたべはじめた。自分がどんなに咲きいでているか、それを知らず、また、かくすことも知らず大輪の花のように咲き乱れている母。多計代の右手の指に泰造からおくられて愛用しているダイアモンドがきらめいていた。それは多計代の全体によく似合った。食卓は煌々(こうこう)と灯に照らされていて、多計代の手がこまかく動くごとに蒼く紫っぽく焔のような宝石のひらめきが走った。
 ほとんどくちをきかずに三人の食事が終った。越智のところから下げられた膳が廊下を台所へ運ばれて行った。
 多計代は、そこに保も伸子もいないような遠い目つきで、正面のドアの方を見ながら茶をのみかけていたが、急にそのまま湯呑みを食卓の上へおいて、洗面所の方へ立って行った。そのあとの空気の中になお熱っぽさと微かないい匂いとがのこった。その匂いをかぎしめるようにしていた保が、和毛のかげのある青年の顔を、伸子の方へゆるやかに向けて、
「お母様、なぜだろうね」
といった。
「越智さんが来るときっと洗面所へ行って白粉(おしろい)をつけるの」
 本当にいぶかしそうに、全く子供のようにそういった。伸子は瞬間何といっていいのかわからなくなった。母は知っているだろうか。彼女の秘蔵の保の、こんなこころを知っているのだろうか。
「保さんの部屋へゆきましょう、ね、いいでしょう」
 伸子は、母と保と二人へのいじらしさ、せつなさ、越智への嫌悪で、熱でも出る前のような悪寒を感じた。
 保が机に向ってかけ、伸子は、小さな折畳椅子をのばして机の横にかけた。保らしく、注意ぶかく電燈の位置が按配されていて、小さい紙が眼への直射をさえぎるように下げられている。見ると、机の上に自分だけの日課表があるだけでなく、うしろの本箱の上の鴨居に細長く紙がはってあって、それが、日課の進行表になっていた。青と赤との鉛筆で、それぞれ違った長さの横線がひかれている。
「保さん、どうしてこんなにキューキューやるの?」
 伸子は、少しあっけにとられてその表を見た。
「みんなこんなことしてやしないでしょう? この前来たときは無かったわね」
 丁寧に鉛筆のしんを削りながら保が、
「僕、この頃時間を無駄にするのは下らないことだとつくづく思ったんだもの」
といった。
「それはそうだけれど……」
 伸子には保がこの家の生活の中にあって日々夜々感じているにちがいない複雑な心持、それに対する青年らしい批評のきびしさがわかるように思えた。保は、自分の暮しで、この家の中に、いいと思える暮しかたを作り出そうとしているらしかった。保の室の入口に書きつけられている Meditation という文句が、新しい意味で伸子のこころにせまった。教科書と園芸の本ばかりが詰っていた本箱に、今みれば「出家とその弟子」という戯曲がまじって背を見せている。Meditation ――伸子は、一層そのモットウに警戒を覚えた。
「あの本、どこにあった? 古い本だわ、わたしが昔よんだんだもの」
 その時分も評判ではあったが、感傷的な戯曲としてもまた有名であった。
「面白いと思う?」
「さあ――でも、僕わかるような気がするな。あの戯曲のいっているように、何ごとも許す心持って尊いと思う」
「ね、保さん」
 伸子は、つき動かされたように保の絣の筒袖に手を置いた。
「あなた、もっとお友達とどしどしおつき合いなさいよ。あなたのようなひとは問題をどっさりもっているにきまっているんだし、ここの家は問題をもっている家なんだもの――それでいいのよ。だからどんどん話して、議論して解決していらっしゃいよ。それでなくちゃいけないわ」
「うん……でも僕、あんまり何でもしゃべる奴きらいなんだ」
 伸子は、身をとがめられるような内省的な眼差しになった。伸子が佃と結婚したのは、保が麹町の方にあるフランス人経営の中学校へ入学する前後のことであった。それから、離婚するまでの数年間、佐々の家は「伸子の問題」を中心に議論の絶え間がなかった。少年の保のいるのを忘れて、母と娘は互いに涙をこぼしながらいい争ったことがあった。おとなしい灰水色の制服のカラーに金糸でオリーヴの葉飾りをぬいとりした服をつけた保が、
「姉ちゃん、どうして結婚なんて、したの?」
 結婚という言葉を、旅行とか病気とかいう事柄と同じような感じでいって、歎息したことがあった。もしかしたら、保は、多計代と伸子との一致点の見出せないいい合いに食傷して、何につけ議論したりすることの嫌いな若ものになったのではないだろうか。伸子は、保が、姉の生活態度のすべてに同意しているのではないことも改めて考えた。伸子が家を出てから佃が入院していたことがあった。そのとき、保が、一人で自分が咲かせた花をもって幾度か佃の見舞に行っていた。ずっとあとから、多計代からそのことをきかされた。
「わたしは保さんのような生れつきでないし、一緒にすんでいるのでもないから、心配したって保さんの役には立たないのかもしれないわ。でもね、……保さん、あなた本当に何でも話し合える友達、あるんでしょう?」
「沖本なんか、今でも時々会っているし、いろいろ話す」
「ああいう人じゃなくさ!」
 伸子は、もどかしげに力をこめて、大柄だがなで肩で、筋肉のやわらかい保の温和な顔を見た。沖本は中学時代の友人で、地方に病院長をしている父親は上京するごとに、保を招いて息子と帝国ホテルのグリルで御馳走をした。佐々夫婦と自分たち夫婦とが二人の息子を挾んで会食したりした。そういう雰囲気の交際であった。
「高等学校って、わたしがよけいそう思うのかもしれないけれど、一生つき合うようなしっかりした親友が出来る時代なんじゃないの」
「…………」
 保は、こまかいふきでものが少しある生え際を、まともに電燈に照らされながら、大きい絣の膝をゆすっていたが、やがて、
「僕のまわりにいる連中って、どうしてあんなに議論のための議論みたいなことばかりやっているのか、僕全く不思議だ」
 述懐するようにいった。
「だって――それゃそうなるわよ。一つの問題が片づかないうちにまた次々と問題はおこるんですもの……」
「そうじゃあないよ」
 独特のあどけない口調で否定した。
「ただ自分がものしりだっていうことや、沢山本をよんでいることを自慢するためにだけ議論するんだもの、皆をびっくりさせてやれ、というように、むずかしいことをいうだけなんだもの……」
「そうかしら……そういう人もあるだろうけれど……」
 伸子は椅子の背にもたれ、少しやぶにらみになったような視線で保をじっと見守っていた。そして、思い出した。それは、保が赤い毛糸の房のついた帽子をかぶって小学校へ通いはじめた、二年生ぐらいのことであった。多計代が、おどろいたように、崇拝するように、
「保ちゃんて、大した子だ」
 そういって伸子に話した。保が通っていた小学校は師範の附属で、春日町から大塚へ上る長い坂を通った。その坂は、本郷台から下って来て、またすぐ登りかかる箇所であったから、電車はひどくのろく坂をのぼった。ある朝、保がそういうギーギーのぼるのろくさ電車に乗っていると、それを見つけた同級生たちが、面白がって電車とかけっこをはじめた。ほとんど同じくらいに学校についた。ハア、ハア息をはずませながら男の子たちは先生! 先生! 僕たち電車とかけっこして来たんですよ、と叫んだ。そしたら先生が偉い、偉い、とほめた。「でもお母様、僕、ほめるなんて変だと思うなア。そうでしょう? 人間より早いにきまっているから電車を発明したんでしょう。心臓わるくしちゃうだけだと思う、ね、そうじゃない?」子供の保はそう考えたのであった。
 伸子は、今保と話していて、幼かったころの電車の一つ話をまざまざと思いだした。電車と男の子たちとのかけっこについて保の示した判断は、子供として珍しい考えかたに相違なかった。けれども、今、机の前にゆったりと掛けている青年の保が、同級生たちを批評している、その批評と同じように、本当のところもあるにはあるが、どこかでもっと大切なピントがはずれているように思えるのであった。
 伸子には、自然と越智という人物と保との関係が思われた。保は越智を衒学(げんがく)的と思っていないのだろうか。議論のための議論をしない人と感じているのだろうか。師弟関係がなくてむしろ若い女の感覚で越智をうけとっている伸子は、彼を衒学的な上にきざな男と思っていた。多計代が伸子に、
「伸ちゃん、お前シュタイン夫人て知っているかい」
 そうたずねたことがあった。伸子は、
「シュタイン夫人て――」
 見当のつきかねる表情をした。
「調馬師の夫人ていうシュタイン夫人のこと?」
 ゲーテとエッケルマンの対話が訳されて間もない頃で、一部にゲーテ熱がはやっていた。多計代がゲーテと情人関係のあった宮廷調馬師の細君に、なんのかかわりをもっているのであろう。多計代は、素朴に、
「大変きれいな人だったんだってね」
といった。伸子は笑い出した。
「ゲーテをアポロっていうような人たちは、ゲーテのまわりの女のひとを、みんな女神みたいに思うのかもしれないわ」
「そういう皮肉をいう」
「――でも、どうして? シュタイン夫人がどうかしたの?」
「いいえねえ、越智さんが、ゲーテとシュタイン夫人のようなつき合いが理想的だっていったからさ」
 伸子は、多計代の素朴さを悲しくきいた。父と母とは、宮廷附の調馬師夫婦で、越智はゲーテの立場というのだろうか。
 多計代にとって意味のはっきりつかめない越智の衒学や議論は、情熱的な亢奮や文学趣味を好む多計代に対して肉感的な魅力とすりかえられている。だが、青年の保に対して、越智はどう作用しているのだろう。伸子は、その疑いをつきつめてゆくと、せっぱつめられる苦しい気がした。越智という人物が保の家庭教師に選ばれたことは、一つの間違いであったように思えた。越智のアカデミックによそおわれた深刻ぶりは、保の生れつきを青年期の憂悶から解放し、引き出さないで、かえって青年同士のてらいと覇気と成長力とがまじりあった旺盛な議論を、議論のための議論として保にきらわせるような妙な逆の形で観念の道へ引きこんでしまったのでないだろうか。
 伸子は保に対する心痛と自分の非力さを思って、涙ぐんだ。伸子も伸子なりに、力の限り生き、育たなければならなかった。保のために選ばれる家庭教師について考えてやるゆとりはなかった。佃との生活がもってゆけない苦闘で、あぶられるような日々を送っていたとき、中学四年生の保の家庭教師について考えてやれなかった。越智圭一は、大学の助手で、佐々と同郷のある博士の研究室から、佐々の家庭に推薦されたのであった。
 伸子は、保のからだを自分のこころの力でおすような思いでいった。
「保さん、和一郎さんとあなたとは、まるで性格がちがうんだし、私だってずいぶんちがうわ。うちの中だけでは私たち育ちきれないのよ。フレームから出なければ、駄目なのよ。土の新しいのがいるのよ。だから、本当に友達を見つけなさい、ね。越智さんが、こんなに永年つき合いながら、そういうことをあなたのような人にいって上げないなんて、あんまりだわ」
「越智さんは、越智さんとして、いろいろいい話をしてくれる」
「だって」
 なお、はげしくいいかけたところへ、
「ごめん下さい」
 襖の外から女中が声をかけた。
「奥様がおよびでございます」
「…………」
「だれに?」
 保がききかえした。
「伸子さまに……」
「――すぐ行きます、からって……」
 そろそろ伸子が立ちかけると、保もそれにつれて立上った。
「僕も一緒に行っていい?」
「もちろんよ」
 前後してその長四畳を出るとき、うしろから、保が彼よりも背のひくい伸子の頸すじに、
「お母様はね、僕が姉さんと話していると、あとできっと、なにを話していたのかってきくの」
と低い声でいった。

        四

 翌日の朝のうち、伸子は、沈んだ気持で郊外の家へかえって来た。門をはいると、台所ぐちの方で、
「それゃあ、あんまりですよ奥さん! みて下さい、このピンピンですぜ。河岸だって、この位のものを仕入れる者ア、ざらにゃいねえんだからね」
といっている魚屋の若いものの声がした。
 素子がひやかしながら魚を買っている様子だった。素子は自分であれこれと選んで、気に入った魚を買うのが好きだった。
 伸子は、玄関からあがって茶の間をぬけ、台所の板の間へ顔を出した。
「ただいま」
「ああおかえり」
 素子のもっている吸いかけの煙草から、ひとすじの煙がゆるく立ちのぼって、それがかすかな風で日向に流れている。
 伸子は玄関わきの六畳へ行って着がえをはじめた。そこへ素子が入って来た。
「動坂、どうでした?」
 佐々の家を、伸子たちはその家のある町の名でよんでいるのであった。衣桁(いこう)にほどいた帯をかけながら、伸子はあいまいに、
「そうねえ」
といった。
「相変らず、か……」
 いくらか皮肉に素子がそういって軽く笑った。多計代と素子とは、互にまるで派があわない性格の二人の女であったし、動坂の家の気風も、伸子たちの生活気分と根本からちがった。動坂の家に一泊して来ると、伸子の心にはいつもずっしりと重い幾つもの感銘と、とけない不安とがのこされた。しかし、それは素子に一つ一つは話されなかった。特に、多計代の感情の状態と、それについて、自分の感じることごとには口をつぐんだ。素子の専攻は外国文学であったけれども、現実の周囲で錯綜する男女の間のいきさつにたいして、素子はいつも一種辛辣な幻想のない態度をもっていた。素子のその皮肉や辛辣さが、伸子にとっては、佃との生活の沼からぬけ出る手がかりとなったのであった。しかし、娘として伸子は、多計代のこころもちには、素子のその調子で立ち入って欲しくない気持があった。伸子は、多計代の激情的な傾きに同感していないし、それを苦痛に感じているが、それかといって素子が聞いたらひとくちに冷笑するであろう、そういう風なものとしてだけ母の感情の波を見ているのでもないのであった。
「ぶこちゃん」
 素子はれんじ窓のところへ腰かけて伸子をもじった愛称で呼びながら、注意ぶかく伸子を見た。
「動坂へゆくと、いつも暗い顔で帰るね」
「そうお」
「――まあ、どこでも親のうちなんてそんなもんだがね」
 関西の古い都会の女学校を出ると、素子は女子大学に入学して、それ以来ずっと自分だけ東京暮しをつづけていた。魚問屋であり、資産家である吉見の主人は、素子とその兄妹とを生んで亡くなった妻の妹を、現在妻として暮していた。そのひとを、素子はおさわさんという名で呼んだ。ときによると、おさわと呼びもした。そのひとと父との間に生れた弟や妹たちに対して、素子はちっとも偏見を抱かなかったし、父のことを話すとき、眼に涙をさしぐますこともあった。しかし、素子は、父の家に対する生きた抗議としての自分の存在を、決してかえようとしていないのであった。
「お父さん、花をおよろこびになったろう?」
「それが、がっかりよ、出張なの」
「へーえ」
 素子は、すぐ、ひらめく何かがあるという眼つきをした。けれども、伸子が真面目に沈んでいるのを見て、そのまま黙った。素子のいいたいことは、伸子に同じはやさでわかった。「出張」は市内でも出来る、というわけである。もう三年ほど一緒に暮したこの頃、伸子はそういう頭の働きかたをむしろ素子のマンネリズムと思っているのであった。
「おとよさん、おとよさん」
 庭に面した座敷へ行った素子が呼んだ。
「きのう貰った五家宝(ごかぼう)切っておいで、お茶も願いますよ」
 やっとわが家でくつろげるという風に、伸子は子供らしい顔つきになって好物の五家宝をたべた。
「妙なものが好物なんだなあ」
 素子は、新しくたばこに火をつけ煙に目を細めるようにしていたが、
「ああ、おつまはんから手紙が来ているよ」
 その室の角に置いてある洋風の大テーブルから、しゃれた手すきの封筒をもって来た。
「みてごらんよ」
 伸子は、それを手にとらず、
「何だって?」
ときいた。
「近いうちに東京へ来るんだってさ。少しゆっくり滞在するから、是非遊びによらせて頂くとさ」
「ここへ泊るのかしら」
 伸子は、困ったようにきいた。おつまはん、というのは祗園のある家の女将であった。ずっと前から素子とはかなり立ち入った友達つき合いで、前の年の早春二人がゆっくり関西旅行をしたとき、素子はこのおつまはんの斡旋で高台寺の粋な家を宿にした。その宿へは素子の従弟に当る縮緬(ちりめん)問屋の若主人だの、里栄、桃龍だのという賑やかな人たちが毎日出入りした。伸子は、相変らずの学生っぽい白襟のなりで、自分一人だけの東京弁を居心地わるく感じながら、はにかんで、色彩の入り乱れたその仲間に坐っていた。素子は、小説を書こうという人間が、何さ! と、屋台の寿司を食べたことのなかった伸子を、そういうなかに引き入れるのであった。伸子は、それを口ぐせに自分が育てられた道徳論を肯定していなかった。女にあてはめられる生活の常識にも本能的に抵抗していた。そうではあるが、素子が格別疑問もなく習慣としているおつまさん仲間との饒舌な、馬鹿笑いの多い遊びづき合いにも、とけこめなかった。すぐ飽きて倦怠した。
「おつまさん、ここへ泊めなけれゃいけないのかしら」
 気がかりそうに伸子は、くりかえし質問した。
「泊るのはどうせよそだろう、あのひとのことだもの。一人で来るんでもあるまいし、……だけれど、来たら放っちゃおけないよ」
 この家へ、おつまさんが京都からもって来るある空気が吹きとおるのだろうか。高台寺で、素子が酔った晩、桃龍たちがよってたかって素子に、里栄の派手な青竹色の縞お召の着物をきせ、紅塩瀬に金泥で竹を描いた帯をしめさせた。浅黒い棗形(なつめがた)の素子の白粉気のない顔は、酔ってあか黒く脂が浮いて見え、藍地に白でぽってり乱菊を刺繍した桃龍の半襟の濃艶な美しさは、素子の表情のにぶくなった顔を、ひときわ醜くした。素子は、なんえ、これ! かわいそうなめにあわさんといてくれ、頼むぜ、といいながら、その青竹色の着物の褄をとってはしごをよろめき下り、せまいその家じゅうをぞよめきまわった。「黒んぼの花嫁! 黒んぼの花嫁!」そう叫んでさわいでいる桃龍たちの声を二階でききながら、伸子は、とりちらされた広間の床の間のかまちにぽつねんと一人腰かけていた。まともな誰のめにも醜く見える素子を、ああやって囃(はや)し、その様子に笑いこけている人たち。それを不愉快に感じるのは、野暮だというこういう世界のしきたり。伸子は、暗いこころで痛烈にその雰囲気を嫌悪した。
「おつまさんが来たら聰太郎さんにたのんで、どっかよそでもてなしましょうよ」
 従弟の聰太郎は、東京の支店づめで日本橋のそばの店に来ていた。
「うちでなく……」
「遊びに来たいっていうのに、ことわれないよ」
「ただ遊びに来るだけはいいけれども」
 素子は、しばらく伸子の顔を見ていたが、
「そうか」
といった。
「――東京じゃ、自然聰さんがとりもち役になるさ」
 おつまさんからの手紙をもって、素子は自分の机の方へ立って行った。

        五

 素子の大きい勉強机の上に、厚ぼったい洋書が、終りから三分の一ぐらいの頁をひらいてのせられていた。頁の上には、鉛筆でところどころにアンダ・ラインがひかれてい、書きこみがつけられ、本の角は少しめくれかかっている。松屋の半ペラ原稿用紙の書きかけが並べておいてある。
 となりの六畳の、洋風机の根っこの畳に坐って、伸子は新聞をひろげていた。芝生の庭の真中に、先住の人の子供たちがこしらえた土俵の跡があり、そこだけまるく芝がはげている。門と庭との境には、いかにも郊外分譲地の家らしく垣根がなくて、樫だの柘榴(ざくろ)の樹だのが、門から玄関へ来る道の仕切りとなっている。伸子が新聞をひろげているとこからは、丁度その柘榴のあたりから、庭の端の萩のしげみが見えるのであった。動坂の家のように、すぐ荒らびや生活の推移が見えるつくられた庭より、あっさりとしていて、雑草も季節の賑わいになるような借家の庭が、伸子に気やすい感じだった。去年、夜行で京都から帰って来た朝、伸子は二階のはしごの上から下まで滑りおちて、階段下の板をへし折るほどからだをうった。その時住んでいたのは、老松町でも、お裁縫やの二階ではなくて、アメリカの宣教師たちが住む古くから有名な洋館の近くであった。その家のせまいはしご段を、伸子はスリッパをはいたまま降りかけて、スリッパの踵が滑ったとたん、はっと思う間もなく下までおっこちた。その時から伸子の左の耳に耳鳴りがはじまった。小さいモータアが鳴るような音がしはじめた。素子が、二階のない、もっと閑静なところへ住むことを提案して、門のわきに栗の木の生えているここへ引越して来たのであった。
 その朝の「朝日」には、一頁をそっくりとって「福助足袋の生い立ち」という岡本一平の漫画広告が出ていた。様々の工程を経て、足袋の頭をした福助が買い手の前にまかり出るまでの道ゆきが、のんびり漫画でかかれている。南縁からの陽のぬくもりで新聞のインクの匂いがいくらかつよくにおう。ひろげた新聞の上に、伸子がかがんでいると、歩いて来たままの調子でたたきへ下駄をぬぎすてるようにして、素子が外から帰って来た。そして、
「――ばかにしてら!」
 手にもっていたがまぐちを伸子の机の上に放り出した。
「かからなかったの?」
 この辺に電話をかりるところがなかった。素子は電車の停留場のそばまで行って、聰太郎のところへ電話して来たのであった。
「かかりましたがね、おつまは来ないんだってさ」
「――……」
 伸子には、それを残念という風なあいづちはうてなかった。
「都合がわるくなったのかしら……」
「さあ、どうしたんだか。痴話喧嘩でもして気がかわったんだろう」
 ふところでをして、縁柱にもたれ、素子はまた、
「ひとをばかにしてる!」
といった。そして、むっとした口もとをした。
「いいじゃないの、私は書くものがあるんだし、あなたの翻訳だって、もう一息のところなんだもの……」
「ぶこちゃんは、ああいう連中に偏見をもってるから、そう思うだろうさ。だけれど、ばかにしてるじゃないか。ああやって手紙よこせば、私がそれに対して放っておける人間かどうか、おつまは百も知りぬいているくせに……聰さんのところへ電報よこすなら、当然、こっちへだってよこすべきさ」
「聰太郎さんのところへは電報が来たの?」
「そうだとさ。きのう来たそうだ。――おつまみたいな女でさえ、そういうやりかたする、だからいやさ」
 永年のつき合いのおつまが、素子の実意を軽くあしらい、そんなことでもおのずから男の聰太郎と女の素子との間の取扱いに差別をつける。その点を素子は立腹しているのであった。素子には、対人関係で、傷つきやすい性格があり、
「動坂のお母さんみたいに、情熱なんて、私は真平(まっぴら)ごめんだ。こまやかさがなくて、人間、どこにいいところがあるんだ」
 毎日の生活の中にも、伸子がこれまでの暮しでは知らなかった、細かい素子の感情があるのであった。
 しばらく柱によりかかっていた素子は、やがて隣の部屋へゆき、きれいな、えんじ色にすきとおったパイプにたばこをつけ、それをくゆらしながら自分の机に向った。原稿の綴じたのをよみ直す気配がした。
「ぶこちゃん――いるかい?」
「いてよ」
「この、手紙の終りにいつもついてる、誰それにお辞儀して下さい、って文句ね、直訳だとそうしかいいようがないんだが、何だかしっくりしない」
 チェホフは病気で、晩年はヤルタにばかり暮していた。芸術座の主役女優であった若い妻のオリガは演劇のシーズンの間はモスコウに暮した。チェホフはその妻に、実に親切に俳優勉強のための忠言を与え、良人としての励ましを与える手紙をかいた。チェホフらしく、感情に誇張のないユーモアと、父親のような愛と、芸術家の気骨の湛えられているそれらの書簡は、素子の気に入って、すでに一年近く翻訳にかかっているのであった。
「日本流にいえば、よろしくってわけだろうが……」
「でもただ、よろしくじゃ口のさきだけのようね。お辞儀するっていうロシアの人らしい動作の面白さがうつらないわね」
 伸子は、一月頃築地小劇場ではじめて見たゴーゴリの「検察官」の舞台のおもしろさを思いおこした。あの舞台はなんと明暗がこくて、新鮮で、印象深かったろう。
「――よわったな……」
 こちらの部屋で伸子も机につき、最近書き終った長篇小説の綴じ合わせをよみはじめた。佃の家を出て、二階借りの生活から、駒沢のこの家へ来た二年目の冬まで、伸子はその小説を書きつづけた。それは、少女の心をぬけきらなかった伸子がニューヨークで生活しはじめ、佃と結婚しそれが破壊されたいきさつを追った作品であった。五年の間苦しみながら自分として生き甲斐のある生存を求めて来た道を、そうやってたどり直して見るしか伸子には新しい一歩の踏み出しようがなかった。動坂のうちにとって、伸子が、はっきり外にいる娘の立場に立つようになったのも、その小説とつながりがあった。多計代は娘の書く小説を一行一行よんだ。そして女主人公の母親として登場する人物を、現実の自分とてらし合わせ、感情を害するたびに、伸子を動坂へよびよせた。呼ばれるごとに、伸子はせつない表情をして多計代の腹立ちをきいた。お前は冷酷だ。そういわれた。エゴイストは、自分だけ満足ならそれでいいのだろう。そう罵られた。越智との交渉が深まってから、多計代の心持は、伸子にたいする越智の批評を柱として、なお複雑となり固定した。調和的な天性の佐々は母娘の争いにくたびれて、
「伸子、もっと空想の、美しい小説を書きなさい、え? お前は書ける人だ、あの素晴らしい色彩で、さ」
といった。伸子は、そういわれると、目に涙をため、父親の分厚い、節に毛の生えている温いなつかしい手を自分のほてる掌でおしつけた。佐々が、無邪気にほめて美しい色彩という作文は、伸子が十五六の頃、小学校の同窓会雑誌に書いた、幻想的な作文のことなのであった。伸子は二十九歳になっていた。どうして、十五の少女のこころにかえることが出来たろう。伸子は、煙にむせて窒息しかけながら、そのトンネルはぬけきることを決心した者のように、小説を書きとおした。小説は、ある先輩の婦人作家のところで、偶然素子と知り合うところで終り、佃との破局的な情景が最後に描かれていた。
 片手を机の上へ頬杖につき、右手で雑誌から切りとったその小説の綴じあわせをめくりながら、伸子の面には、徐々に、しかしまぎらすことの出来ない力で迫って来る沈思の色が濃くなった。
 その小説をかき終って、伸子は一つのまじめな事実を学んだ。それは、佃も、女主人公の母も、女主人公そのものも、一人として悪人というような者はその関係の中にいなかった、ということである。佃にしろ、時と場所とをへだてて一人物として見ればむしろ正直な人であったことがわかった。多計代が、どういう男を好む性質かというような効果を捉えて行動したり、伸子への感情の表現を、多計代の気にもかなうように粉飾したりすることを、佃は知らなかった。越智の存在とその多計代への影響のありかたを見くらべると、今伸子には佃のぎごちない、光のとぼしい正直さが理解された。佃が正直であったということについて、伸子は、女としてもっとも機微にふれた発見をしていた。二十を越したばかりであった伸子は、ほとんど倍ほど年長の佃と結婚しようと決心したとき、母になることを恐怖した。子供をもつということが、本能的に警戒された。佃は伸子のその不安について約束したことを、一緒に暮した最後の場合まで守った。離れようとしてまたひきもどされる夫婦の、暗い激情の瞬間に、佃がそのときを利用しようとすれば利用出来たいくつかの機会があったことが思われた。しかし、佃は苦しい蛾のように伸子のまわりに羽ばたきながら、約束は破らなかった。伸子を自分の子の女親とすることで、自分にしばりつけようとはしなかった。
 伸子が佃の家を出て半年ばかりたったとき、伸子にたいして憤慨した佃の友人たちが、佃を最も幸福にしてやれると思われた一人の婦人を紹介して、佃はその人と結婚した。今度は、どうしても子供をもつことだ、と決めたということを、伸子は、どこからともなく吹きまわして来た話として聞いた。
「それもよかろうさ」
 素子はその話が出たとき佃の凡庸さにふさわしい、という風に短く笑った。伸子は、黙って、庭の竹の葉が風にそよぐのを眺めていた。

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