大菩薩峠
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:中里介山 

         一

 今、お雪は、自分の身を、藍色(あいいろ)をした夕暮の空の下、涯(はて)しを知らぬ大きな湖の傍で見出しました。
 はて、このところは――と、右を見たり、左を見たりしたが、ちょっとの思案にはのぼって来ない光景であります。
 白骨谷(しらほねだに)が急に陥没して、こんな大きな湖になろうとは思われないし、木梨平の鐙小屋(あぶみごや)の下の無名沼(ななしぬま)が、一夜のうちに拡大して、こんな大きな池になろうとも考えられない。そうか知らん――いつぞや、白衣結束(びゃくえけっそく)で、白馬の嶺(いただき)に登って、お花畑に遊んだような覚えがある。ああ、そうそう、あの時に白馬の上で、盛んなる天地の堂々めぐりを見せられて帰ることを忘れたが、では、あれからいつのまに、白馬の裏山を越えて、ここへ来てしまったのかしら。
 白馬の裏を越路(こしじ)の方へ出ると、大きな沼や、池が、いくつもあると聞いたが、多分そうなんでしょう。でなければ、越中の剣岳(つるぎだけ)をめざしていたもんだから、ついついあちらの方から飛騨(ひだ)方面に迷いこんでしまって、ここへ来(きた)り着いたのか知らん。
 涯しを知らない大きな湖だと思って、あきれているその額の上を見ると、雪をかぶった高い山岳が、あちらこちらから、湖面をのぞいているというよりは、わたしの姿を見かけて何か呼びかけたがっているようにも見られます。
「やっぱり周囲(まわり)は山でしたね、同じところにいるんじゃないか知ら」
 この夕暮を、急に真夏の日ざかりの午睡からさめたもののように、お雪ちゃんは、なさかがわからないで、暫く、ぼんやりとして立っていましたが、さて、自分の身はと顧みると、髪はたばねて後ろへ垂らし、白羽二重の小袖を着て、笈摺(おいずる)をかけて、足はかいがいしく草鞋(わらじ)で結んでいることに気がつき、そうして白羽二重の小袖の襟には深山竜胆(みやまりんどう)がさしてあることを、気がつくと、ああ、なるほど、なるほど、間違いはありません、白馬からの下り道に違いはありません。
 ただ四辺(あたり)の光景が、こんなふうに変ってしまったのは、下り道を間違えたせいでしょう。それにしても、ちょっとも疲れていない自分の身を不思議だと思いました。
 どうも、なんだか、この白い小袖が、鶴の羽のようにふわりと空中に浮いて、白馬の頂(いただき)からここまで、自分の眼は眠っている間に、誰かが、からだをそっと持って来て置いてくれたもののようにも思われ、やっぱりすがすがしい心のうちに、なんとなく暖かな気持で、お雪ちゃんは岩の上に腰をかけて、涯(はて)しも知らぬ大きな湖の面の薄暗がりを、うっとりと眺めつくして、それ以上には、まだ何事をも思い浮べることも、思いめぐらすこともしようとはしません。
 その時鐘が一つ鳴りました。その鐘の音が、お雪ちゃんのうっとりした心を、よびさますと、あたりの薄暗がりが気になってきました時、湖の汀(みぎわ)の一方から、タドタドと人の歩んで来る姿を朧(おぼ)ろに認めたお雪ちゃんは、じっとその方を一心に見つめていましたが、夕もやを破って、その人影がようやく近づいた時、
「あ、弥兵衛さんだ、弥兵衛さんが来る」
とお雪ちゃんが叫びました。
 朧ろながら、それと見えるようになった人の姿は、背に何物かを背負うて、杖をついて、かるさんのようなものを穿(は)いた一人の老人に紛(まぎ)れもありません。
 その老人は、湖畔をめぐって、お雪ちゃんの休んでいる方へと、杖をつき立ててやって来ましたが、いよいよ程近いところまで来ると、お雪ちゃんがまず言葉をかけました、
「弥兵衛さんですか」
「はい、弥兵衛でござんすよ」
 こちらが弥兵衛さんと呼び、あちらも弥兵衛さんと答えるのだから、これは弥兵衛さんに間違いはありますまい。

         二

 してみれば、お雪ちゃんは、とうにこの弥兵衛さんを知っていて、弥兵衛さんもまた、お雪ちゃんに頼まれるかなにかしていた間柄とみなければなりません。
 しかしながら、白骨へ来て以来の、お雪ちゃんの知合いには、曾(かつ)て弥兵衛さんという人は一人も無いから、これは、このたびの山道に、臨時にやとった山の案内者か、強力(ごうりき)かなにかであろうと思われます。
「わたしは弥兵衛さんだとばっかり思ったら、やっぱり弥兵衛さんでしたわ」
「はい、その弥兵衛でございますよ」
と言って、至りついた老人は、お雪ちゃんの前へ来ると、腰をのばして、反(そ)りを打ち、そこへ突立ってしまいました。
「まあ弥兵衛さん、どうしてこんなところへおいでなすったの」
「はい、わたしは、ここからあんまり遠くないところに住んでいるのでございますよ」
「そうですか、ちっとも知らなかったわ」
「はい、はい」
 お雪は突立っている弥兵衛老人の頭から爪先まで、今更のように極めて興味深く見上げたり、見下ろしたりしていました。
「ほんとうにそっくりよ」
「何でございます」
「弥兵衛さんに、そっくりよ」
「何をおっしゃります」
 どうも、ばつの合わないところがあります。弥兵衛さんが、弥兵衛さんにそっくりだということは、別段、念を押すには及ばないことだろうと思われるのに、お雪には、これは容易ならぬ興味の的であるようです。
 それにもかかわらず老人は、極めて無表情に突立って、背に負うたものを、さも重そうにしていました。
 この空気を見ると、お雪ちゃんと、弥兵衛さんとは全く他人です。曾(かつ)て知合いになっていたのでもなければ、この際頼んだ人でもない、単に呼び名だけが暗合したようなもので、そのほかには、なんらの共通した感情も、理解も、漂うては来ないらしい。
 そこで、お雪ちゃんは、極めて手持無沙汰に、それでも、充分なる興味の眼は弥兵衛老人からはなすことではなく、無言に見詰めていますと、この老人は、さながらお雪ちゃんに興味を以て見つめられているために、ここに現れて来たもののように、どこからでも存分に御覧下さいと言わぬばかりに、いつまでもじっと立ちつくしているのです。そうしているうちに、弥兵衛さんの輪郭が、最もハッキリしてきました。
 何のことだ――これは弥兵衛は弥兵衛だが、只の弥兵衛ではない、平家の侍大将、弥兵衛兵衛宗清(やへえびょうえむねきよ)ではないか。
 弥兵衛兵衛宗清の本物を、お雪ちゃんが、いつ見知っていた? それは申すまでもなく、弥兵衛宗清は弥兵衛宗清だが、それは生(しょう)のままの平家の侍大将ではなく、お雪ちゃんが江戸見物に行った時分に見た、小団次だったか、松助だったか知らないが、その頃の名人役者のした弥兵衛宗清が、義経公のために、「弥兵衛兵衛宗清、暫く待て」と呼びとめられて、ギクッと胸にこたえながら、しらを切る弥兵衛さん――最初から、それに違いないと気がついたから、さてこそ弥兵衛さんと、旧知の思いをもって呼びかけてみたら、それが全く的中してしまったまでのことです。
 今、弥兵衛さんの重そうに背負っているもの、それが、やっぱりお誂(あつら)え通りの鎧櫃(よろいびつ)と見えました。それを卸しもやらずに、立ちつくしている老人を気の毒だと思いましたから、親切なお雪ちゃんが、
「弥兵衛さん、重いでしょう、それをここへ卸して、少しお休みなさいな」
「はい、有難うございます、ではお言葉に従いまして」
と言って、弥兵衛は、これは制札ではない杖を置き、砂の上へ鎧櫃(よろいびつ)をどさり落した途端に、腰が砕けてまた立て直すところの呼吸なんぞ、ちい高の舞台でする調子そっくりでしたから、お雪ちゃんはわけのわからないながら、ほほえまずにはいられません。

         三

 老人が、やっと重い鎧櫃を下に置いて、ホッと息をつき、お雪ちゃんの横の方に腰を卸して煙草をのみはじめたものですから、自然お雪ちゃんは、親しく話しかけないわけにはゆきません。
「お爺(じい)さん、あなたは平家の落武者なんでしょう」
「へ、へ、へ」
 弥兵衛老人は人相よく笑って、
「山奥へ行きますてえと、どこへ行っても、平家の落武者はいますねえ」
「でも、お前さんこそ、本当の落武者なのでしょう」
「やっぱり、先祖はね、そんな言いつたえもあります、珍しい遺物も、残っているにはいますがねえ」
「どこなんですか、お住居(すまい)は」
「あの山の裏の谷です」
「え」
「そら、あの真白い、おごそかな山が、北の方に高く聳(そび)えておりましょう、御存じですかね、あれが加賀の白山(はくさん)でございますよ」
「まあ、あれが加賀の白山でしたか」
 お雪はいま改めて、群山四囲のうち、北の方に当って、最も高く雪をかぶって、そそり立つ山を惚々(ほれぼれ)と見ました。
「はい、あの白山の山の南の谷のところに、わしらは一族と共に、六百年以来住んでおりますでな」
「きまってますよ、平家の落人(おちうど)にきまってますよ、白川郷っていうんでしょう」
「はい、その白川郷の……」
「白川郷は、いいところですってね」
「え、いいところにも、悪いところにも、先祖以来、わしどもは、その白川郷から足を踏み出したことがございませんから、比較するにも、比較すべきものを持ちませんでな」
「自分が住んでいて、いいか、悪いか、わからないくらいのところが、本当にいいところなんでしょう。全く悪いところはお話になりませんが、ああいいところだと思えば、きっとドコかに悪い影がさすものです。永年住んでいて、いいところか、悪いところか、わからないくらいのところは、本当にいいところにきまっていますねえ」
「そんなものかも知れませんが、まあいいところとしておきましょう」
「実はねえ、お爺(じい)さん、わたしもその白川郷というところへ行って、一生を暮らしてしまいたいと思っているのよ」
「そうですか」
「平家の公達(きんだち)も、そこに落ちて、居ついているくらいですから、わたしなんぞも、住めないはずはないと思います」
「それは住めば都と申しましてな、お天道様の照らすところ、草木の生えるところで、人間が住んで住めないという土地はございませんけれど、お嬢さん、買いかぶってはいけませんよ、平家の公達だって、白川郷が住みよいからそこへ来たわけではありません、それは花の都に栄耀(えいよう)栄華を極めているに越したことはございますまいけれど、居るには居られず、住むには住まわれないから、よんどころなく、こんな山奥の奥へ落ちて来たものでしょう、それを夢の里か、絵の国でもあるように、憧(あこが)れて、わざわざ住みにおいでなさろうなんぞというのは、お若いというものです。平家の公達は命がけでございました、ほかの世界には生きられないから、この白川郷へ来たものでござんすよ」
「それはわかっててよ、わたしたちだって、同じ心持ですわ、どこへ行っても安心して住めるところがないから、一生をその白川郷へ埋めてしまいたい、という真剣な心持がお爺さんにはわからないの?」
「ははあ、お若いに、どうして、そうまで突きつめておいでですね」
「何でもいいから、わたしたちは、誰もさまたげることのない世界へ住みたいのです、ほかに希望(のぞみ)もなにもありゃしません。白骨谷だって、人が来てあぶなくってなりませんもの。どうしても白川郷へ行きますよ、単にあこがれや、物好きの沙汰(さた)ではありません。お爺さん、後生ですから白川郷へ行く道を教えて下さいな」

         四

「それは教えて上げない限りもございませんが、白川郷へ行く道は、並大抵の道ではありませんよ、まあ、あの白山をごらんなさい」
「はい」
「富士の雪は消える時がありましても、白山の雪は消えることがございません、あの高い峻(けわ)しいところを、ずっとなぞいに左の方をごらんなさい、滝が見えましょう」
「え、え」
 お雪ちゃんは瞳(ひとみ)をこらして、老人の指さすところを見ると、なるほど、山の腰のあたり、山巒重畳(さんらんちょうじょう)するところに、一条の滝がかかってあるのを明らかに認めます。ここで見てあのくらいだから、傍へよったらどのくらいの大きさの滝だかわからないと思いました。
「あれが、加賀の白山の白水(はくすい)の滝でございます、有名な……」
「まあ、そうですか」
「その白山の白水の滝が落ちて流れて、この白川の流れになるのでございます」
「ずいぶん大きな滝ですこと、ここで見てさえあのくらいですから」
「高さが三百六十間ありまして……」
「まあ……」
「滝より上が白水谷(はくすいだに)、滝より下が大白川(おおしらかわ)、白山の神が白米をとぐために、水があんなに白くなると言われます。その上下を通じて白川の山々谷々の間にあるのが、俗にいう白川郷でして、一口に白川郷とは言いますが、あれで四十三カ村でございますよ」
 そこで、お雪はそのうちの、どの村へという当てはないのでした。老人も、それをたしかめようとはしないが、
「で、あの白水の滝のあるところまでは、これからどのくらいありますか、あそこまで行ってみたいと思います」
「それはいけません」
「どうしてですか、道がないのですか」
「道はあります、道はありますけれども、女は行ってならないことになっておりますのでございますよ」
「それは、またどうしてでしょうか」
「あそこに千代(ちよ)ヶ坂(さか)というのがありましてな、八石平(はっこくだいら)からあちらは、女は忌(い)んで、通ってはならぬことになっているのを、千代という若い女の方が強(し)いて通りましたところ、翌日になると、その坂の木の枝に、女の五体がバラバラになって、かけられておりましたということで、それから、あれを千代ヶ坂と名附け、あの辺は決して女の方は近寄れないことになっております」
「まあ、それは本当ですか」
「それは古来の言い伝えでございますけれども、わしらが覚えてからも一つございました、ある坊さんが、あの温泉で眼を癒(なお)そうとしまして、尼さんを一人つれて参りましたが、そのせいでしたかどうでしたか、急に雨風が烈しくなって、とうとうその尼さんの行方(ゆくえ)がわからなくなりました」
「え、それでは、あの滝の下あたりに、やはり眼によい温泉があるのですか」
「ありますとも、白山三湯(はくさんさんとう)と言いまして、そのうちにも楢本(ならもと)の湯というのは、眼病、そこひのたぐいには神様のようだそうです」
「そのお湯へも、女は行ってはいけないのですか」
「え、あれから先は只今申し上げた通りです、行って行けないことはございませんが、行けば必ず祟(たた)りがあると言われていますから、おいでにならない方がよろしうございましょう」
「お爺さん、わたしは、どうも、そういうことは嘘だと思います――男だって、女だって、同じ人間ではありませんか、女は罪が多いと言いますけれども、男にだって罪の少ない者ばかりはありません、たまに女が災難に逢うと眼に立ち易(やす)いから、それ見ろと笑いものにしますけれど、男だって盗賊に逢って、林の中で斬られた人も幾人もありましょう、雨風のために行方知れずになったものも、ずいぶんありましょうと思います。ですから、わたしは、行って行けないことはないと思いますが、それはそれとして、お爺さん、いやな名前ですけれども、この白川郷のうちに、畜生谷というところがあるそうですね」
 そう言った時に、老人の面(かお)に、何とも言えぬようないやな色が現われたので、お雪ちゃんがハッとしました。

         五

 その何とも言えない、いやな色を見て、お雪ちゃんは急に、言わでものことを言ってしまったと、自分ながら気の毒と、それから一種の羞恥心(しゅうちしん)というようなものに駆(か)られ、我知らず面を赧(あか)らめて、だまってしまいました。
 畜生谷と言われて、何とも名状し難い嫌な色を、面に現わした老人は、暫くうつむいていましたが、
「人は、いろんなことを言いますねえ。それは、広い世界とはかけ離れたこの谷々の間のことですから、風俗も、それぞれ変ったことがございましょうよ」
「でも、畜生谷なんて、いやな名前ですねえ、ほんとに」
と、お雪は慰めのような気分で、老人に向って言いかけたことほど、老人の不快な色を気の毒に思ったからです。気の毒に思ったといううちには、もしかして、この老人が、その世間の人の悪口に言われる畜生谷の部落の中の一人ではなかったか、ということに気が廻ったことほど、胸を打たれたものがありましたからです。
 そこで、お雪は、もう再びこの老人の前で、そんな言葉を口にすまいという気になりました。その老人の前だけではなく、どんなところでも、人前でうっかり、畜生谷なんていう言葉を出すものではない、ついついそれに言葉がわたった自分というものの嗜(たしな)みの浅いことを、一方(ひとかた)ならず慙(は)じもし、悔いもする心に責められました。
 そこで、半ばはその思いをまぎらわすようにお雪は、
「それはそれとしまして、ねえおじいさん、わたしは今、誰が何と言いましても、その白川郷の中へ、落着きたい心持でいっぱいなのよ。人が世間並みに生きて行きたいというのは、義理人情にせまられるか、そうでなければ利慾心にからまれて、どうしても、そうしなければ生きて行かれないからなんでしょう、わたしは、そんなことはあきらめてしまいました、といっても、死ぬのはいやなのです、生きて行きたいのです、静かに生きて行きたいのです。そんなら、わたしを静かに生きて行かせないのは何者でしょう。それはわかりません、誰もわたしを縛っているのではないけれども、わたし自身が縛られているような気持で、あの静かな白骨谷でさえが、わたしを落着かせてはくれないのです。白川郷ならば、全く浮世のつまらない心づかいから離れて、生きられるように生き、何をしようとも、他人様(ひとさま)にさえ手を触れなければ、思いのままに生きて行ける世界――他人様もまた、それぞれ、思うままのことをしながら、自分たちも生き、わたしたちをも、生かせて行ってくれる世界――それが欲しいのです。白川郷には、その世界が、立派にあるそうです。なんでもかんでも、許してもくれ、許しもする世の中、それで人間が、気兼ねなしに生きて行かなければならないはずじゃありませんか」
「それは人間の世界じゃなく、それこそ畜生道というものじゃありませんかねえ、お嬢さん」
と言って、老人が反問したので、
「え」
とお雪が驚かされました。
「人間の生きて行く道よりは、畜生のいきて行く道の方が、気兼ね苦労というものが、かえって少ないのじゃありますまいか、ねえお嬢さん」
「何ですって、おじいさん――もし人間の生きて行く道が、つまらない気兼ね苦労ばかりいっぱいで、畜生の道が素直で、安心ならば、わたしはいっそ……」
「何をおっしゃります、お嬢さん、それが、あなた方のお若いところです……あの白山へ登るよりは、この白水谷を下る方がずっと楽には楽なんですがね」
と言って老人は立ち上り、砂上に置き据えた鎧櫃(よろいびつ)に手をかけた時、お雪が急に、そわそわとして、
「おじいさん――まあ待って下さい、急に気がかりなことがありますから、その鎧櫃の中を、ちょっとでいいからわたしに見せて下さいな、今になって気がつくなんて、ほんとに、わたしはどうかしています」

         六

 お安い御用と言わぬばかりに、弥兵衛老人が鎧櫃の蓋(ふた)を取って見せると、井戸の底をでも深くのぞき込むように、お雪は傍へ寄って、
「わたしが頼んでおきましたのに、今まで忘れていました、さぞ、御窮屈なことでしたろうにねえ」
 鎧櫃の中には、人の姿がありありと見えているのであります。
「先生、ずいぶん御窮屈でございましたでしょうねえ」
 人の姿は見えているけれども、返事はありません。
「先生」
 やはり手ごたえはない。
「おや!」
 お雪は一方ならずあわてました。
「先生、お休みでございますか」
 でも、やっぱり何ともいらえがない。
「ほんとうに……眠っておいでなさるんでしょうか、先生」
 お雪は狼狽(ろうばい)の上に、不安の心をうかべて、井戸側深くのぞき込むようにすると、人の姿はいよいよ、ありありと見えるけれども、一向にうけこたえのないことが、またいよいよ明瞭であります。
 本来、鎧櫃の中というものは、一匹一人の人間を容れるには足りないものであります。せいぜい十代の少年ならばとにかく、普通の大人一人が、鎧櫃の中にいることは至難の業であります。ましてその中で酣睡(かんすい)を貪(むさぼ)るなどということは、あり得べきことではありません。
 それだのに、ありありと見える中の人は、立派な一人の成人であって、それは身体骨柄(しんたいこつがら)痩(や)せてこそいるけれども、月代(さかやき)はのびてこそいるけれども、押しも押されもせぬ中年の男性が、身にはお雪と同じような白羽二重に、九曜の紋のついているのを着て、鎧櫃の一方の隅に背をもたせかけて、胡坐(あぐら)をくみ、そうして、蝋鞘(ろうざや)の長い刀を、肩から膝のところへ抱くようにかいこみ、小刀は腰にさしたままで、うつむき加減に目をつぶっているのであります。さばかり、窮屈な鎧櫃の中に、かなりゆったりと座を構えて崩さないところを見れば、眠っているものに違いあるまいが、眠っていたとすれば、こうまで呼びかけられて、さめないはずはありますまい。
 お雪が、狼狽し、且つ不安に堪えぬ色をあらわしたのは、あまり深い眠りに驚かされたのみならず、その眠っている人の面(かお)の色の白いこと、さながら透きとおるほどに見えたからなのでしょう。
「先生、どうぞお目ざめ下さいまし、わたしが冗談(じょうだん)におすすめ申して、この鎧櫃の中へ、あなたがお入りになれば、わたしがおぶって上げて、白川郷までまいりますと申し上げたのを、いつのまにか、あなたは本当にこの中へお入りになりました。わたしは、まさか、あなたがこの鎧櫃の中へお入りになろうとは、思いませんでした。どなたにしても一人前の大人が、この中へ納まりきれるものではないと安心しておりましたのに、もしやと気がついて、あけて見ると、この有様です。ほんとうに御窮屈なことでしたろう、ささ、どうぞ、お目をお醒(さ)まし下さいまし」
と、のぞき込んだ顔を、押しつけるようにして呼びましたが、その人は、ガラス箱の中に置かれた人形のように、姿こそは、ありありとその人だが、返答がなく、表情がなく、微動だもありません。そのくせ、蝋のような面(かお)の色が、みるみる白くなってゆくものですから、お雪は、自分の身体そのものが、ずんずん冷たくなってゆくような心地がして、
「先生、焦(じ)らさないように願います、わたし、心配でたまりません、後生(ごしょう)ですから、お目ざめくださいまし。それとも、もしや、あなたは……生きておいでなのでしょうね、もしや……もしや、もしや」
 お雪は、ついに鎧櫃にしがみついて見ると、これは透かし物のような鎧櫃の前立(まえだて)の文字に、ありありと、
「俗名机竜之助霊位」
「おや――」
 ――お雪はついに声をあげて叫びました。

         七

「どうしたのです、お雪ちゃん」
 事はまさに反対で、声の限り人を呼びさまし、呼びさますことに絶望の揚句、絶叫したその声を聞いて、かえって呼びさまされたのは、当のお雪ちゃんで、呼びさましたその人が、鎧櫃(よろいびつ)の中にあって、返答もなく、表情もなく、微動もなく、蝋(ろう)のように面(かお)の色の白かった人。
 しかも、ところは窮屈な鎧櫃の中ではなく、飛騨の国の平湯の温泉の一間、せんだって宇津木兵馬もこの室に宿り、仏頂寺、丸山の徒もここに来(きた)り、その時の鎧櫃、物の具の体(てい)、あの時と、ちっとも変らない一室の中でありました。
 夜具の中からこちらに寝返りを打った竜之助は、ぼんやりとした有明の燈の光に、自分の面を射させて、そうして、二つ並べた蒲団(ふとん)の一方に、夢にうなされているお雪を、こちらから呼んでみたところです。
「まあ、怖(こわ)かった」
 あたりを見廻したお雪は、狼狽と、不安との上に、茫漠とした安心の色を少し加えて、ホッと息をついたが、寝汗というもので、しとどと腋(わき)の下がうるおうていたのを快くは思いません。
「また、夢を見たね」
「夢なら夢でいいのですけれど、どうもこのごろは、夢と本当のこととがぼかされてしまって、つぎ目がハッキリしませんから、覚めても、やっぱり夢でよかったという気にはなれないから、いやになっちまいますね、まるで夢にからかわれているようなんですもの」
「夢がいいねえ、いつぞや、お雪ちゃんから聞かされた、白馬へ登った夢なんぞはよかったよ。拙者は今まで、ロクな夢という夢を見たことはないが、白馬へ登った夢だけは格別だ。あの時、あのままで、二人が白馬の上から白雲の上まで登って、永久に降りて来なければ、一層よかったろうに――あれから、また降りて来たばっかりに、畜生谷というところまで落されてしまうのか知らん」
「いやなことを、おっしゃいますな」
 お雪は、そこで、またちょっと不快な気持になっていると、その際に、ずっと以前から外で呼び続けられてはいたのだけれども、お雪ちゃんの耳に、はじめて入るけたたましい人の声を聞きました。
「駒さんよ――」
「聞えたかえ、もう一ぺん戻って下さいよう、聞えたかえ、駒さんよう」
「早く戻らさんせよう」
「早く帰らさんせよう」
 極めて単調の声で、野卑な哀音が夜をこめて、やや遠いところから、絶えず呼びつづけられていたらしいが、急に目ざめたお雪には、今となってはじめて聞えて来たものです。
「何でしょうね、先生、あの声は」
「あれはね、この近所の家で人が死んだのだそうだ、人が死ぬと、この土地の習いで、ああして三日三晩の間とか、その名を呼びつづけているのだということを、さいぜん、女中が来て話して行った、ぬけ出した魂魄(こんぱく)を呼び戻そうというのだろう」
「いやな習わしですね」
「うん、気にして聞いていると、自分が地獄から呼び戻されてでもいるようだ」
「でも、よろしうござんした、こちらは首尾よく呼び戻してしまいましたから。ねえ、先生、ここに鎧櫃がございますね、ここへ休まれる前に、あなたに向って、わたしが冗談を言いましたが、先生、あなた、この鎧櫃へお入りなされば、わたしが白川へでも、白山へでも、おぶって行ってあげると言いながら、二人が眠ってしまいましたのね。ところがどうでしょう、あなたが、ちゃあんと、この鎧櫃へはいっていらっしゃるじゃありませんか。それだけならいいけれど、鎧櫃の中のあなたのお姿といったら、いやいや、思い出してもいやですわ、どう見たってこの世の人じゃございませんでしたもの。わたしは一生懸命、あなたの魂を呼び戻そうとして、叫びましたが、呼び戻しているわたしが、かえってあなたのために呼びさまされて、こうして汗をかいているわけじゃありませんか。夢でよかったというには、あんまり気持が悪過ぎる夢でした。でも、こうして醒(さ)めてみると、安心しました」

         八

 そこで、暫く静かである間、例の、
「早く戻らんせやい」
「早く帰ってござらせ」
という叫び声を、うるさく小耳にしないわけにはゆきません。
 半ば習慣的に繰返される野卑なる哀音も、竜之助の耳に、「帰るに如(し)かず」と囁(ささや)くようです。お雪が言いました、
「ほんとうに耳ざわりですね、先生、いくら呼んだって、叫んだって、死んで行く人を呼び戻すことなんか、できやしませんね」
「そうさなあ」
「でも魂魄この世にとどまりて……ということもありますから、ほんとうに人間の魂は、死んでも四十九日の間、屋の棟に留まっているものでしょうか」
「いないとも言えないね」
「そんなら、あのイヤなおばさんなんて、まだ魂魄が、白骨谷か、無名沼(ななしぬま)あたりにとまっているでしょう、怖いことね」
「左様、あのおばさんの魂魄は、もう白骨谷には留まっていまいよ」
「どうしてそれがわかります」
「飛騨の高山が家だというから、いまごろは、高山の方の屋の棟にかじりついているかも知れない、それとも途中、この温泉場が賑(にぎ)やかだから、今晩あたり、この宿の棟のあたりに宿っているかも知れない」
「イヤですね、先生、そんなことをおっしゃってはイヤですよ」
「でも、お雪ちゃん、お前はだいぶあのイヤなおばさんに、なついていたようだ」
「それは、あのおばさん、イヤなおばさんにはイヤなおばさんでしたけれど、それでも憎めないところがあって、イヤだイヤだと思いながら、どこか好きになれそうなおばさんでした、本来は悪い人じゃないのでしょう」
「は、は、は、あぶないこと、お前も二代目浅公にされるところだったね、あんなのに好かれると、骨までしゃぶられるものだ」
「全く、浅吉さんていう人は、なんてかわいそうな人なんでしょう、おばさんの方は自業自得(じごうじとく)かも知れないが、浅吉さんこそ浮びきれますまいねえ」
「だらしのない奴等だ」
と言いながら、竜之助は不意に起き上ったのは、厠(かわや)へ行きたくなったのでしょう。それを察したお雪は、自分も起き上って、かいがいしくしごきを締め直して案内に立ち上ります。いつもならば竜之助は、そんなことを辞退するか、お雪が知らない間に寝床を抜け出して、ついぞ手数をかけたことはないのですが、ここははじめての宿ですから、勝手が悪いと思ったのでしょう、お雪ちゃんのする通りに竜之助は導かれて、縁の外へ出ると、その間、お雪は肌の寒さをこらえて障子の外に立って待っていました。そうして、見るともなく夜の空を見ると、ここも山国とはいえ、白骨よりは、はるかに天地の広いことを感ぜずにはおられません。
 白骨は壺中(こちゅう)の天地でありましたけれど、ここは山間の部落であります。溶けて流れない沈静が、ここへ来ると、なんとなく陽気に動いていることを感じます。
 お雪は、白骨に残して置いた同行の久助さんのことを考えました。
 わたしたちは一足先に平湯へ行っているから、荷物をとりまとめ、強力(ごうりき)を頼んで、二日や三日は遅れてもかまわないから、あとから来て下さいと言って置いて、白骨を抜け出すには抜け出したが、お雪ちゃんの本心を言うと、この辺で久助さんをまいてしまいたいのです。
 これは大きな冒険でもあり、謀叛(むほん)でもあるけれど、この場合、そうするよりほかはないと考えています。あの人は決して邪魔になる人ではないが、忠実過ぎるほど忠実であることが、大きな邪魔のように思われてなりません。
 どうしたものだろう、ほんとうに……それを今も思案しているところへ、竜之助が廊下を渡って出てきました。それを見るとお雪ちゃんは、素直に柄杓(ひしゃく)を取って、竜之助の手に水をかけてやりました。
 その時に一番鶏が啼(な)きました。

         九

 かくて三日を過している間に、白骨から久助が、委細をとりまとめて、抜からぬ面(かお)でやって参りました。
 噂(うわさ)を聞くと、白骨に籠(こも)っているあの一種異様な人たちが、根っからこの冬を動こうともしないらしく、ことにまだお雪ちゃんとその連れである不思議な病者が、ここを去ったということをも気がつかないで、
「お雪ちゃん、またこのごろ雲隠れ、お嫁さんにでも行ったのか」
なんぞと噂をしているとのことです。久助はそれとなく、平湯から高山へ行って、また戻るようなそぶりで、なにげなく荷物をまとめて出て来たとのことです。
 お雪ちゃんは、久助が万事よくしてくれたことを表面は喜びましたが、内実は、また一当惑と思います。
 この久助さんを、ズッと白骨に残して置けるものならば残して置きたかったし、なおできるならば、国へ先に帰してしまいたいと思うけれども、それはどうしても、できないことだし、そんならばいっそ久助さんをもまき添えに、白川郷まで引張りこんでしまおうかしら。
 それはいけない、久助さんは国へ帰ることだとばっかり思っている、わたしたちが白川郷へ行こうなんぞという気持が、全く理解のできる人ではない。こうなった以上は、途中でまいてしまうよりほかはないとも考えました。
 だが、ここで、私たちにまかれた後の久助さんはどうなるのだろう。そうでなくてさえ忠実すぎるほど忠実なあの人が、この遠国の旅路で、わたしたちをはぐらかしたとしたら、その心配と、狼狽(ろうばい)が思いやられる。ところが、いくら心配しても、狼狽しても、わたしの行方が絶望となった日には、あの人のしおれ方が思いやられるばかりでなく、おそらく、ひとりで無事に故郷へ帰る気にはなるまい。
 お雪はこのことの思案だけで、かなり頭が疲れ、旅の仕度も手につきませんでしたが、久助さんはいい気なもので、明日の出立の日和(ひより)を見たり、これから飛騨の高山から、美濃の岐阜へ出て東海道を下るか、そうでなければ木曾路へ出て、ゆるゆると故郷の上野原方面へ帰ることを、若い時、伊勢参りの思い出から、子供のように喜んで、お雪に語り聞かせているのです。その間に地の理を見定め聞き覚えたお雪は、これはどうしても、久助さんのいう通りに、明日にもここを出立して、飛騨の高山までは、どうにもこうにも同行をまぬがれないものと思いました。
 万事は高山で――と決心の臍(ほぞ)を固めました。
 高山へ行けば、あれを後ろに廻って、船津(ふなづ)から越中へ出る街道がある。南へ折れれば南信濃か、岐阜方面へ出るが、真直ぐに行くと白川街道だと教えられる。
 どのみち、こうなった上は、高山まではありきたりの路を踏まねばならぬ。そこまでは約八里、そんなに遠いほどの道ではないのに、途中、平湯峠というところが少々難所だけで、あとは坦々(たんたん)たる道、馬も駕籠(かご)も自由に通るとのことだから、やっぱり、万事は高山まで。高山へ着いてから、久助さんをまいてしまわなければならぬ。それは気の毒なことではあるが、それよりほかに道はない。
 白川郷へ、白川郷へというお雪ちゃんの空想がさせる大胆な冒険は、もう心のうちで翻(ひるがえ)す由もありません。
 それとは知らぬ従者役の久助は、宵のうちに馬と駕籠とを頼み、お雪は荷物と共に馬に乗り、竜之助は駕籠に乗せ、自分は、その傍らに徒歩(かち)でつきそって、平湯の湯を立ち出でることになりました。
 平湯峠の上、峠といっても、この辺では最も容易(たやす)い峠のうちで、乗物ですれば知らぬ間に過ぎてしまうほどの峠――それでも峠の上の地蔵堂らしいところの前で、ちょっと馬を休ませ、駕籠の息杖を休ませました。馬上で、平湯の方をふり返ったお雪は、なんとなく名残(なご)りの残るものがあるように覚えました。
 万事をいたわる久助を――かりそめながら犠牲にあげるという心持に打たれて、見るに忍びない気にもなりました。

         十

 平湯峠の上で一行が暫く休んでいる時に、後ろから、つまり自分たちがいま出て来たところの平湯の方から、息せき切って上って来る数多(あまた)の人々を認めました。
 まもなく、その一行は、ここまで登りつめてしまった。非常に急いでいた旅ではあるらしいが、さすがにここに来ると、一息入れないわけにはゆかないから、その一行も、お雪ちゃんの馬の程遠からぬところへ荷物を置いて、ちょっと挨拶(あいさつ)のようなことを言いながら休みました。
 都合七八人の人が、いずれも弓張提灯(ゆみはりぢょうちん)を絞って、つき添っているのは、夜通しの旅であったことを想わせ、その人たちが、真中にして担(かつ)いで来たものが釣台であり、戸板であるのに、蒲団(ふとん)を厚くのせていることによって、これは急病人だと思わせられます。
 その急病人の上には、形ばかり蒲団をかけてあるが、その上に白布(しらぬの)をいっぱいにかぶせてある体(てい)を、馬上にいたお雪ちゃんが、最もめざとく見て、そうして、はて、これは急病人ではない、もう縡切(ことき)れている人だ、お気の毒な、急病の途中、高山までよいお医者の許へとつれ出してみたが、もうイケないのだ、気の毒な――とお雪は、よそながら同情してしまいました。
 久助さんも、同じように見たとみえて、その人たちに向って、
「御病人でございますか」
「はい――どうも、いけませんでな」
 一行の肝煎(きもいり)が、はえない返事。
「お気の毒でございます、こんな山方(やまかた)で、急病の時はさだめてお困りのことでござんしょう」
「はい、どうもなんにしても、こんな山坂の間でござんすから」
「どちらからおいでになりました」
「白骨から参りました」
「え、白骨から、左様でございますか、いつ白骨からおいでになりました」
「昨晩、夜どおしで参りました」
「それは、それは」
 久助さんも改めて、その釣台を見直すのでありました。
 それというのも、自分も昨日、白骨を立ったのであるが、こんな人には行逢わなかった。多くもあらぬ白骨谷に籠(こも)る面々には、みんな近づきになっているはずだのに、あの中には、いずれも一癖ありそうな人ばかりで、急にこんなになって運ばれねばならぬ人は、一人も見かけなかったのに、はて、不思議のこともあればあるものと見直したのですが、お雪ちゃんも同じ思いです。
「そうして、なんでございますか、御病人は、白骨で病み出しておいでになりましたか」
「はい、どうもとんだ災難でしてね」
「どちらのお方でございますか」
「高山の者なんですが、ついつい、あんなところに長居をしたばっかりに、こんなことになってしまいました、ホンとによせばよかったのですがね」
「ははあ」
 久助も、お雪ちゃんも、ほとんど烟(けむ)にまかれてしまいました。
 白骨は、つい今まで自分たちの隅々隈々(すみずみくまぐま)までも知っていたわが家同様のところ、どう考えても、急にこんなになりそうな人は思い出せないから、二人は面(かお)を見合わせたっきりでいると、
「さあ、それでは皆さん、もう一息御苦労」
「はいはい」
 釣台をかつぎ上げた時に、揺れた調子か、山風にあおられてか、面のあたりにかぶさっていた白い布の一端が、パッとはね上ると、その下に現われたのは、久助は傍見(わきみ)をしていたが、馬上のお雪ちゃんは、ハッキリとそれを認めて、
「あっ!」
 あたりの誰人をも驚かした声をあげたが、それよりも当人のお雪ちゃんが、土のようになってふるえたのは、覆われた白布のうちから見せた死人の面は、例のイヤなおばさんに相違なく、まだつやつやしい髪の毛がたっぷりと――あの脂(あぶら)ぎった面の色が、長いあいだ無名沼(ななしぬま)の冷たい水の中につかっていたせいか、真白くなって眠っているのを、たしかに見届けました。

         十一

 それは、お雪ちゃんが気のついた瞬間に、釣台をかついだ人夫が、あわてて覆いをしたものですから、ほかの誰も気のついたものはありません。
 一息入れて釣台の一行は、こうしてお雪ちゃんの一行に後(おく)れて来たが、先立ってしまいました。
 そのあとから、おもむろに手綱(たづな)をとりだした馬子が、
「お客さん、これが平湯峠の名物、笹の魚というのでがんすよ、おみやげにお持ちなさいましな」
 それは笹の葉が魚の形に巻き上ったもの。
「これが渓河(たにがわ)へ落ちると岩魚(いわな)という魚になるんでがんす」
 笹の葉化して岩魚となるという、名物のいわれ面白く、手折(たお)ってくれた好意も有難いが、お雪は上(うわ)の空で受けて、やがて馬は平湯峠を下りにかかる時、
「平湯峠が海ならよかろ、いとし殿御と船で越そ――という唄がござんしてな」
 馬子が、そういって教えたのも、いつものお雪ちゃんならば、「それをひとつ唄って下さいな、ぜひ」とせがむにきまっているが、今はその元気さえありません。
 たったいま、見た物(もの)の怪(け)を、誰ぞに話してよいものか、悪いものか、それにさえ惑いきっているのであります。久助さんが見なかったことがかえって幸い、見ずにいれば見ないで済んだものを、ここでいやなことを言い出したら、みんなの気を悪くするにきまっている、自分ひとりの胸に納めて言わないで済ましてしまうのが本当だと、お雪ちゃんはひとり心に思い定めてしまいました。
 心には、思い定めたけれども、胸はいよいよ不思議でいっぱいです――あの、夏以来、温泉場の座持であったイヤなおばさん、あの人の最期(さいご)を考えてみると、何から何まで合点(がてん)のゆかないことばかりです。
 浅吉さんが死んでまもなく、あの無名沼にイヤなおばさんの死体が浮いていたということ、たしかそれを引き上げて、宿でお通夜があったとか聞いていたが、その時、自分はとても、傍へ寄って、あのおばさんの死面(しにがお)を見る勇気はなく、それに、あんなものは出世前の人は見ないがよいなんて、北原さんあたりも言うたものだから、自分は逃げてしまったが、それからどうなったのか聞きもしないし、聞かせてくれた人もありません。
 多分、もう、疾(と)うの昔に人が来て、その死体を引取ってしまったこととばっかり思っていたのに、今日このごろになって、あの死体に行当ろうとは、どう考えても腑に落ちないことばかりです。
 人違い――となれば万事は解決するが、一目見ただけのお雪ちゃんの印象で、どうしてもあの人が、イヤなおばさん以外の人であるとは思い直すわけにはゆかないのです。けれども、もし本人であるとすれば、時間に於て著しい錯誤がある。それともすべてが物の怪で、前の晩に、魂魄(こんぱく)がこの土に留まるとか、留まらないとか言って、先生が今晩あたり、この賑やかな平湯の温泉宿の屋の棟あたりにかじりついているのかもしれないと、冗談(じょうだん)を言われたのが、祟(たた)りとなって、イヤなおばさんの魂魄が、自分たちのあとを追いかけて来たのではないか。そうだとすれば早く浮んで下さい。
 だが、こればっかりは、争われぬ眼前の事実で、夢だとも、幽霊だとも、思直しようがありません――お雪ちゃんの、はっきりした頭では、もしやと、こんなふうにも想像してみました――
 あの時、無名沼の面(おもて)に、おばさんの死体が浮いたことは本当だろうが、それを引き上げようとする間に、水の底へかくれてしまって、そうして今日になって、はじめて探して引き上げることになった。あの冷たい沼の底に、長い間氷詰めのようにされていたから、それであの通り形も崩れずに、そっくり病人の体(てい)で運ばれて行くことになったのかも知れない。ああ多分そうなんでしょう。いずれにしても、あのイヤなおばさんの魂魄だけではない、その肉体とまで前後して、自分たちは行くところまで行かねばならないのか――お雪ちゃんは飛騨(ひだ)の高山を怖れました。

         十二

 これに先立つこと幾日、宇津木兵馬は同じ道を、すでに飛騨の高山の町に入って、一の町二丁目の高札場(こうさつば)の前に立っておりました。
 大きな柳の枯枝に、なぶられている立札を見ると、「御廻状写(うつし)の事」というものがある。本文を読んでみると、
「近来浪人共、水戸殿浪人或は新徴組抔(など)と唱へ、所々身元宜者共へ攘夷之儀を口実に無心申懸け、其余公事出入等に、彼是申威(まうしおど)し金子為差出(さしださせ)候類有之候処(これありさふらふところ)、追々増長におよび、猥(みだり)に勅命抔と申触(まうしふら)し在々農民を党類に引入候類も有之哉(これあるや)に相聞き、今般御上洛被仰出折柄難捨置(おほせいださるるをりからすておきがたく)、依之已来(いらい)御料私領村々申合せ置き、帯刀いたし居候とも、浪人体(てい)にて恠敷(あやしく)見受候分は無用捨(ようしやなく)召捕り、手向いたし候はば切殺候とも打殺候とも可致旨被仰出候間、其旨可存候
右之通り万石以上以下不洩様に相触れ、且右之趣板札に認め、御料私領の宿村高札場或者(あるひは)村役人宅前抔に当分掛置候様可被相達候
  亥十二月」
 これは、新しいものではない、今に始まった警告ではない。
 つまり、近来、浪人と称するものが、或いは水戸家の浪人とか、新徴組とかいって、相当の資産ありそうな家へ無心に押しかけて、迷惑をかけ、追々増長して、或いは勅命だとかなんとかいって、横行するのにてこずった揚句、左様な者に対して斬捨御免を表示したものである。
 左様、飛騨の高山は、やはり幕府の直轄地であって、諸侯の城下ではないために、勤王を標榜(ひょうぼう)するやからよりは、水戸とか、新徴組とかいって入り込む方が今のところ、便宜がよろしいものと見える。
 兵馬は、いたる所でこんな高札を見かけることを珍しいとはしなかったけれど、これほど明瞭に保存されているのは少ないと思いました。立てるとまもなく汚したり、壊したりして、みじめな有様になっているところも多いのに、ここは相当年月を経ながら、かなり完全に保存されて、明瞭に読み得られることに、物珍しさを感じたくらいです。
 しかし、顧みてみると、自分もこれで年少ながら、浪人の端くれとしての形を備えているようだ。怪しいと睨(にら)まれれば、怪しいと睨まれても仕方がないのだ。咎(とが)め立てをされれば、一応は弁解をしなければならない身だし、万一その弁解ぶりに疑点をさしはさまれて、土地の人気にでも触れようものなら、相当に冒険が無いとは言えない身の上だが、甲府城下では、あんなことになったのは是非もないが、その他のところでは、まずどこへ行っても、挙動不審と見られたことのないのは、一つは少年のせいでもあろうが、一方から言うと、こんな高札を立てたこと、そのことがすでに幕府の警察力の薄弱を充分に暴露したもので、怪しいと見た奴は容赦なく召捕れとか、手向い致さばきり殺すとも、打ち殺すとも勝手次第と触れてみたところで、お上(かみ)役人そのもののもてあます浪人を、進んで咎(とが)めたり、からめたりしようという向う見ずは、人民の中にそうたくさんありそうな理窟はない、有名無実な高札だとして、さのみ心に留めてはいませんでした。仏頂寺、丸山の徒ならば、横目で睨んで冷笑を浴びせて通るべく、南条、五十嵐あたりならば、墨を塗って走り去るかも知れません。
 ともかくこの高札が、数年前に掲げられたまま無事であるということが、この地が何というてもまだ直轄の有難さであり、それだけ山間の平和を示しているものと見られないでもない。だが、兵馬は、この高札場へ立寄ったのは、これを読まんがためではなく、何かの道しるべを見たかったからです。
 仏頂寺、丸山が教えることには、飛騨の高山はあれで幕府の代官地だ、ことに先年やって来た旗本の小野朝右衛門の倅(せがれ)鉄太郎は、今は山岡姓を冒(おか)しているが、この地に於て剣術の手ほどきをしたものだ、ここで井上清虎に就いて剣を学びはじめたのが、そもそもあの男の剣術の振出しだというようなことを言ったから、兵馬はそれに好奇を感じ、一つにはその鉄太郎の修行の名残(なご)りをたずねよう心構えをしていたのです。

         十三

 先年、飛騨の郡代として来任した小野朝右衛門高福(たかよし)の次男に鉄太郎というものがあって、それが後に山岡姓をついで、当時江戸の講武所で名うての剣道者となっている。
 この飛騨高山が、その人の発祥地とはなつかしいようだ。左様の人物を育てたくらいの所だから、今も相当にその道の達人がいるかも知れない。第一その鉄太郎が、最初に師として学んだという井上清虎という人は、今もこの地にいるかどうか、必ずや、相当の達人に相違あるまい。健在でおられたら、ぜひとも見参(げんざん)して行きたい。
 兵馬は件(くだん)の高札場のところから、この市中のしかるべき武術家の門に向って、まずその辺をたしかめてみようと足を進めました。
 しかるべき武術家といったところで、誰と目星をつけて来たわけではない。右の小野鉄太郎と、井上清虎の名をふりかざしてたずねてみたが、要領ある返事をしてくれるものは極めて稀れです。
 でも、ある人が、こんなことを教えてくれました、
「剣術のことでしたら、お代官屋敷へおいでなさいまし。新お代官が、ばかに剣術がお好きで、毎晩毎晩、お盛んな稽古をやらせていらっしゃいます。先のお代官は、剣術の方も名人でいらっしゃいまして、御自身で誰にも剣術を教えていらっしゃいましたけれども、新お代官は、御自身ではどうでいらっしゃいますか知れませんが、お好きにはお好きでいらっしゃいまして、お屋敷の道場をお開き申して、誰にでも自由に剣術を習わせるようにしていらっしゃいます――」
 いらっしゃいます、という言葉を、ふんだんに使って紹介してくれたから、ついこちらでも左様でいらっしゃいますか、それは結構でいらっしゃいます、と返事をしてやりたいくらいに滑稽にも感じたけれど、なんにしても耳よりな話には違いない。
 お代官といえば、この飛騨の郡代のことであろう。徳川幕府より遣(つか)わされたるこの国の支配者で、この国ではなかなか軽からぬ地位である。その新お代官なるものが、道場を開放して、四民の間に剣術を習うことを許すというのは、今時(いまどき)、世間の物騒なのにつれて備うることの必要を感じたのか知れないが、人民に対して、威張り腐ることの代名詞になっているような代官その人が、進んで武術開放及び奨励とは感心なことである。
 兵馬は、それを聞くと早速に、教えられた通り代官屋敷の道場を叩いてみると、その時に、もはや戞々(かつかつ)として竹刀(しない)打ちの最中でありました。
 その音を聞くと勇みをなして、兵馬は玄関から正当に案内を申し入れ、型のごとく出て来た取次の用人に向って、自分が武者修行の旅行中のもので、御英名を慕いて推参したということ、兼ねて「英名録」や、その他旗本の要路の紹介免許状等が口をきいて、一議もなく、快き諒解(りょうかい)の下に、
「暫くお控え下さい」
 次の案内を、兵馬が玄関先で暫く控えて待っている間、この代官屋敷の奥の一方で、しきりに三味線の音と陽気な唄の声が立上(たちのぼ)るのを聞き、兵馬は一種異様の感を起さないわけにはゆきません。
 庭前では、道場を開放して四民の間に武術を奨励するかと見れば、奥の間ではしきりに三味線の三下(さんさが)り、それも、聞いていれば、今時のはやり唄、
紺のぶっさき
丸八(まるはち)かけて
長州征伐おきのどく
イヨ、ないしょ、ないしょ
もり(毛利)ももりじゃが
あいつ(会津)もあいつ
かか(加賀)のいうこときけばよい
イヨ、ないしょ、ないしょ
の調子で、荒らかに三味線をひっかき廻し、興がっている。
 それを聞いて兵馬が興ざめ顔になったのも無理がありません。

         十四

 庭前では尚武の風を鼓吹し、奥の間では鄭衛(ていえい)の調べを弄(ろう)している。
 それを甚(はなは)だ解(げ)せない空気に感じながら、用人の案内で道場へ通されて見ると、なるほど、盛んは盛んなものでした。
 もう数十人の稽古者が集まって、入りかわり立ちかわり、師範か代稽古か知らないが、大兵(だいひょう)の男を中心にぶっつかっている。他の隅々には、それぞれドングリ連が申合いの試合をしている。その景気を見て兵馬も一時は感心に打たれましたが、そうかといって、その盛んさがどうも雑然として締りがない。やっている連中を見ると、だらしなく参るのや、勢いこんで猛牛の如く荒(あば)れ廻るのや、先後の順も、上下の区別も血迷ってしまっているのが多い。そうして、なお、後から後から繰込んで来る面(かお)ぶれを見ると、百姓や、町人風はまだいいとして、ドテラを引っかけた博徒、馬方の類(たぐい)としか見えないのが、懐ろ手で乗込んで来るのを見ては、唖然(あぜん)として口のふさがらない次第です。
 これらの連中、ともかく、一応の礼儀をする、次に道具のつけ方を見ていると、正式に結ぶのもあるが、股引(ももひき)の上へじかに胴をくっつけるのもあり、ドテラの上へ直ちに道具をつけるのもあって、それらが申合いをすると、見ている者がドッと笑います。
 やがて代稽古らしい大兵の人が、稽古をやめ、道具を取って兵馬の方へ来て挨拶をしました、
「どうか、これらの連中に、一本稽古をつけてやっていただきたい」
とのことです。兵馬はかえって、それを面白いことに思いました。
「おやすい御用です」
 士分連も相当にいたのですけれども、それらは、少年兵馬を見るに異様な眼を以てして、進んで稽古をこおうとはしませんから、兵馬は、それにかまわず、借受けた道具をつけて道場の一方に立ち上ると、代稽古の紹介を待たず、勢いこんで躍(おど)り出したのは、猛牛のような一人。
 少年兵馬の物々しさを侮って、いきなり、
「お面!」
と打ちこんで来ました。
 それを兵馬が、ちょっとかわして、肩のところを竹刀(しない)で押えると、地響きを立てて横に倒れました。その、鮮かな初太刀が、集まっているすべての竹刀を休ませて、兵馬一人を見つめて、仰天の態(てい)です。
 出鼻をぶっ倒された猛牛は、起き上るが早いか、覚えたかといわぬばかりに滅多打ちに打ちかかって来るのを、兵馬は軽くあしらい、軽く外(はず)し、あんまりくっついて来る時は、また軽い突きで二三間刎(は)ね飛ばすと、猛牛が忽(たちま)ちヘトヘトになってしまいました。
 猛牛が難なく退治せられたと見ると、道場内の空気が忽ち一変します。
 しかし、やや怖れをなしたのは、多少心得ある者だけで、猛牛に次ぐに野牛、野あらし、野犬、まき割り、向う脛(ずね)の連中が、得たり賢しと自分たちの稽古をやめて、我勝ちにと兵馬の周囲(まわり)に集まって来たことです。
 でも、最初のように、いきなり、ぶっつかることはなく、一応は礼儀をして、一本お稽古を願う態度を示したはいいが、その後のぶっつかり方は、相変らず乱暴極まるもので、頭から力ずくで、このこざかしい若武者をやっつけろ、という意気組み丸出しでかかって来るから、兵馬はおかしくもあり、それが一層こなし易(やす)くもあり、猛牛も、野牛も、野犬も、野あらしも、薪割りも、見る間にヘトヘトにしてしまい、入りかわり立ちかわり、瞬く間に三十人ばかりをこなしたが、こなす兵馬が疲れないで、入りかわり立ちかわり連がかえって、道具をつける時間を失い、あわてて兵馬に暫時の休戦を乞うの有様でしたから、兵馬は居合腰になって竹刀を立てたまま、暫く休息していました。
 士分連も今は侮り難く、謹んで兵馬に稽古をつけてもらうことになったのはそれからです。

         十五

 誰が復命したものか、この、素晴しい少年の道場荒しが乗込んで来たという報告が、いつのまにか、主人の耳に伝えられたと見えて、奥の間から、現われて来たその人は、いわゆる「新お代官」という人なのでしょう。肥った、色のドス黒いところに赤味を帯びた、それで背はあんまり高くはない男が、小姓に刀を持たせて、よい機嫌で、そこへ現われて来て、家来を相手の兵馬の稽古ぶりを、無遠慮にながめながら、ニタニタ笑っているのを見ました。
 御機嫌はいいに違いないが、それは一杯機嫌であることもたしかです。
 稽古が済んでから、兵馬は、この「新お代官」に引合わせられる。「新お代官」は兵馬の腕の見事なのをほめた上に、どうかできるだけ長く留まって、指導してもらいたいということ、自分はこれから出かけるが、今晩は、ゆっくり君と話したい――というようなことを言うて出て行きました。
 その夜、兵馬は改めて、この「新お代官」に招かれて、御馳走になりつつ話をしたが、わかったようでわからないのは、この「新お代官様」だと思いました。
 水戸の生れだということだが、そうだとすれば、どうして直轄地の代官になれたかということが判然しない。当然、士分の生れの者でなければならぬことはわかっているが、その口調や態度が、ややもすれば、どうしても前身が、バクチ打か何かであったろうとしか思われないものが飛び出す――それだけまた、お役人としては、風変りの苦労人であり、相当に分ったところもあるようです。御主人の出身は、まだよく判然しないが、その口から小野鉄太郎のことは、かなり明瞭に聞くことを得ました。
 その語るところによると、鉄太郎はこの土地で育ったが、生れはやっぱり江戸だ、本所の大川端の四軒屋敷で生れたのだ、祖父の朝右衛門がここの郡代になるについて、当地へやって来たのが十歳(とお)ぐらいの時でもあったろう、おふくろも一緒に来たよ、おふくろといっても、鉄はああ見えてもあれで妾腹(めかけばら)でな、と言わでものことまで言う。剣術の方かい、ここで手ほどきをしたというわけではない、江戸で近藤弥之助やなんぞについて、その以前にやったのだが、引続いて、この地で学問剣術をやった。鉄に剣術を教えた井上清虎てのは、まだこの地にいるかって? 今はいないよ。よっぽど出来る先生かって、左様、よくは知らんがな、土佐の人だとかいったよ、真影(しんかげ)だ、それと甲州流の軍学を心得ていたということだ。そのほか、この土地の先生に就いて学問もやれば、習字もやったが、なんにしても飛騨の山の中では本当の修行はできやせん、まもなく江戸へ上って、鍛えたから、まあ当今あれだけになったものさ。ははあ、そんなに強いかね。天性力はあったね。鬼鉄(おにてつ)、なるほど、そうかも知れぬ。だが、感心に若い時分から信心家でな、八つぐらいの歳から観音様を信仰していたものだとさ。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:160 KB

担当:undef