大菩薩峠
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著者名:中里介山 

         一

 八幡村(やわたむら)の小泉の家に隠れていた机竜之助は、ひとりで仰向けに寝ころんで雨の音を聞いていました。雨の音を聞きながらお銀様の帰るのを待っていました。お銀様は昨日、そっと忍んで勝沼の親戚まで行くと言って出て行きました。今宵はいやでも帰らねばならぬはずなのに、まだ帰って来ないのであります。
 お銀様は、竜之助を連れて江戸へ逃げることのために苦心していました。勝沼へ行くと言ったのも、おそらくは親戚の家を訪(と)わんがためではなくて、いかにして江戸へ逃げようかという準備のためであったかも知れません。
 こうして心ならずも小泉の家の世話になっているうちに、月を踰(こ)えて梅雨(つゆ)に打込むの時となりました。昨日も今日も雨であります。明けても暮れても雨であります。ただでさえ陰鬱(いんうつ)きわまるこの隠れ家のうちに、腐るような雨の音を聞いて竜之助は、仰向けに寝ころんでいるのであります。
 雨もこう降っては、夜の雨という風流なものにはなりません。竜之助はただ雨の音ばかりを聞いているのだが、一歩外へ出ると、そのあたりの沢も小流れも水が溢(あふ)れて、田にも畑にも、いま自分の寝ている縁の下までも水が廻っていることは知らないのであります。
 梅雨(つゆ)になるまでには、花も咲きました、木の葉も青葉の時となったことがありました、野にも山にも鳥のうたう時節もあったのだけれど、それも見ずに雨の時節になって、その音だけが耳に入るのであります。
 竜之助とお銀様との間は、なんだか無茶苦茶な間でありました。それは濃烈な恋であったかも知れないし、自暴(やけ)と自暴との怖ろしい打着(ぶっつ)かり合いであるようでもあるし、血の出るような、膿(うみ)の出るような、熱苦しい物凄(ものすさま)じい心持がここまでつづいて、おたがいにどろどろに溶け合って、のたりついて来たようなものであります。おたがいに光明もなければ、前途もあるのではありません。
 今、お銀様に離るることしばし、こうして雨を聞いていると、竜之助の心もまた淋(さび)しくなります。この人の心が淋しくなった時は、世の常の人のように道心が萌(きざ)す時ではありません。むらむらとして枕許に投げ出してあった刀を引き寄せて、ガバと身を起しました。例によって蒼白(あおじろ)い面(かお)であります。竜之助が引き寄せた刀は、神尾主膳の下屋敷にいる時分に貰った手柄山正繁(てがらやままさしげ)の刀であります。それをまた燈火に引き寄せてはみたけれど、さてどうしようというのではなし、茫然として坐り直して、刀を膝へ置いたばかりであります。
 その時に家の外で、急に人の声が噪(さわ)がしくなりました。
「危ねえ、土手が危ねえ」
という声。
「旦那様、笛吹川の土手も危ないそうでございます、山水(やまみず)も剣呑(けんのん)でございます、水車小屋は浮き出しそうでございます、あらくの材木はあらかたツン流されてしまいました、今にも山水がドーッと出たら大変なことになりそうでございます、誰も今夜は、寝るものは一人もございません」
 小泉の主人にこう言って注進に来たのは、小前(こまえ)の百姓らしくあります。洪水(おおみず)の出る時としてはまだ早い、と竜之助は思ったけれども、この降りではどうなるか知らんとも思いました。
 笛吹川はこれよりやや程遠いけれど、それへ落つる沢や小流れの水が、決して侮り難いものであることは、竜之助も推量しないわけではありません。
 ことに山国の出水(でみず)は、耳を蔽(おお)い難きほどの疾風迅雷の勢いで出て来ることをも聞いていないではありません。不幸にして山国とだけは心得ていても、この辺の地形についてまるきり観測の余地のない竜之助は、果して出水がどの辺に当って起り、どの辺に向って来るんだか、充分に呑込めていないのでありました。白刃の来(きた)ることと、天災の来ることとはあらかじめ測ることができません。いま出水の危険を外に聞いた竜之助が、それと共に自分の立場を考え出したことは、そうあるべきことであります。しかし、それはただ立場を考えただけに過ぎません。盲目的に考えてみただけに過ぎません。ここに引き寄せた手柄山正繁の刀が、それに向って何の役に立つものでないことはよくわかっているはずであります。この時に外で殷々(いんいん)と半鐘を撞き鳴らす音がしました。人の騒ぎ罵る声は、いよいよ喧しくなりました。思うに蓑笠(みのかさ)を着けた幾多の百姓連が、得物(えもの)を携えて出水出水の警戒に当るらしくあります。村の中心ともいうべきこの小泉家へ、それらの百姓がみんないったん集まって、それぞれ部署につくもののようであります。この家では一人残らず起きて、それらの百姓たちの差図や焚出(たきだ)しなどをはじめて上を下へと騒いでいるのが、竜之助には手に取るようにわかりますけれど、誰も竜之助のところへは面(かお)を出すものがありません。手を貸せと言って来る者もなければ、御心配なさいますなと言って見舞うものもありません。この二人のことは、もうこのごろでは小泉家の誰にも、この急に当って思い出されないほどに、交渉が少ないかかり人でありました。
「この水で、お銀は道を留められた、それで帰られないのじゃ、してみれば……」
と竜之助は、はじめてお銀様のことを思いやりました。
 外の騒ぎはますます大きくなって、気のせいか、轟々(ごうごう)として水の鳴り動く音さえ聞えて来るのであります。竜之助は刀をそこへ置いて立ち、障子をあけて縁側へ出て、雨戸を少しばかりあけて外を見ました。外を見たところで、この人の眼には内と同じことに、真暗な闇のほかに何も見えるのではありません。
 しかしながら、外はドードーと雨が降っています。風はあまりないようでありましたけれど、どこかの山奥で、海嘯(つなみ)のような音が聞えないではありません。その近いあたりは、なんでも一面の大湖のように水が張りきってしまったらしく、その間を高張提灯(たかはりぢょうちん)や炬火(たいまつ)が右往左往に飛んでいるのは、さながら戦場のような光景でありました。その戦場のような光景はながめることはできないながら、その罵り合う声は、明瞭に竜之助の耳まで響いて来るのであります。
 その騒がしい声と、穏かならぬ光景とを聞いたり想像したりしてみても、空(むな)しく気を揉(も)むばかりであります。
 竜之助は雨戸を立て切って、また前のところへ帰りました。この出水も気になるし、お銀の帰りも気になるけれど、なんとも詮術(せんすべ)はありません。竜之助は一人で蒲団(ふとん)を取り出して、荒々しくそれを展(の)べて横になりました。外では半鐘の声がしきりなしに聞えるのに、内では、これもまだ早かろうのに一二匹の蚊が出て、ぶーんと耳許で唸(うな)りました。それを掌で発止(はっし)とハタいて打ち落し、うつらうつらと枕に親しみかけました。
 けれども、外はその通りに騒がしいのに、今や全村の犬も鶏も声を揚げてなきだしました。人畜ともに寝ることのできない晩に、竜之助とても安々と眠るわけにはゆきません。ただ横になったというだけで、外の騒ぎを聞き流していようというのであります。
 この東山梨というところは、言わば全体が笛吹川の谷であることは竜之助もよく知っていました。三面から翻倒(ほんとう)して来る水が、この谷に溢れ返る時の怖ろしさも、相当に峡東(こうとう)の地理の心得のある竜之助にとっては、理解ができないでもありません。
 しかし、この時分になっては竜之助は、天災の来ることを怖れるよりは寧(むし)ろ、山が大きな口をあいて裂け、我も、人も、家も、獣も、ことごとくブン流されてみたら面白いだろうという空想に駆られて、かえって外の騒ぎを痛快に思うような心持でいました。外の騒ぎもようやく耳に慣れた時分に、竜之助は眠りに落ちました。
「もし、お客様」
 竜之助が眠った時分になって、誰やら家の外から叫びました。
「もし、お客様」
 見舞に来るならば、もっと早く、まだ眠らない時分に来てくれたらよかりそうなものを、いくら食客(いそうろう)だからといって、今まで一人で抛(ほう)って置いて、ようやく眠りに就いたのを起しに来るとは、大人げないと思えば思えないでもありませんでした。
「あ、誰だ」
と、眠りかけていた竜之助は、その声で直ぐに呼び醒まされました。
「御用心なされませ、今夜はお危のうございます」
「危ないとは?」
「こんなに水が出て参りました、山水がドッと押し出すとお危のうございますから、本家の方へおいでなさいまし、お待ち申しておりまする」
「それは御苦労」
「どうか直ぐにおいで下さいまし」
と言い捨ててその者は行ってしまいました。よほどあわてていると見えて、家の外からこれだけの言葉をかけて、その返事もろくろく聞かないで取って返してしまいました。
 竜之助はあえてその言葉に従って、本家の方へ避難をしようという気は起しませんでした。寧(むし)ろ起き直ってみることさえも億劫(おっくう)がって、せっかく破られた夢を再び結び直すのに長い暇を要することなく、村のあらゆる人々の恟々(きょうきょう)たる一夜を、ともかく熟睡に落ちていた竜之助の安楽も長くはつづきませんでした。
 不意に夥(おびただ)しい叫喚が耳に近いところで起り、つづいて雷の落つるような音がして、家も畳も一時に震動すると気がついて、手を伸ばして枕許の刀と脇差とを探った時に、手に触れたものはヒヤリとして、しかも手答えの乏しいもの。
「水だ!」
 畳の上を水が這(は)っています。
 刀と脇差とを抱えて立ち上った時に、水は戸も障子も襖(ふすま)も一時に押破って、この寝室へ滝の如くに乱入しました。
 あっという間もなくその水に押し倒された竜之助の姿を見ることができません。
 山水の勢いは迅雷の勢いと同じことであります。あっという間に耳を蔽うの隙もありません。
 裏の山からこの水を真面(まとも)に受けたこの家の一部を、メリメリと外から裂いているうちに余の水は、もう軒を浸してしまいました。水が軒を浸す時分には、家の全体が浮き出さない限りはありません。この水は漫々と遠寄せに来る水ではなく、一時にドッと押し寄せた水ですから、土台の腰もまた一時に砕けて、砕けたところを只押(ひたお)しに押したものだから、家はユラユラと動いて流れ出しました。
 四辺(あたり)は滔々(とうとう)たる濁流であります。高い所には高張(たかはり)や炬火(たいまつ)が星のように散って、人の怒号が耳を貫きます。
「助けて!」
という悲鳴が起ると、
「おーい」
と答える声はあるけれど、どこで助けを呼んでどこで答えるのだか更にわかりません。
 避難すべき人は宵のうちから避難し尽したはずであるのに、なお逃げおくれた者があると見えて、彼処(かしこ)の屋根の上や此処(ここ)の木の枝で、悲鳴の声が連続して起ります。多くの家や小屋が、みるみる動き出して徐(おもむ)ろに流れて行きます。
 そのなかの一つの屋根の羽目(はめ)がこのとき中から押破られて、そこに姿を現わしたのは、いったん水に呑まれた机竜之助でありました。破風(はふ)を押破った竜之助は、屋根の上へのたり出でたもののようです。それでも刀と脇差だけは、下げ緒で帯へしかと結んでいたものらしくあります。屋根へ出ると菖蒲(あやめ)の生えていた棟へとりつきました。そこでホッと息をついて、自分の面(かお)を撫でてみました。頬のあたりから血が流れている、何かのはずみに怪我をしたものらしい。手足も身体中もしきりに痛むけれども、今どこにドレだけの怪我したものかわからないのであります。
 とにもかくにも屋根の棟へとりついた竜之助は、そこでホッと息をついて面を撫でてみたが、その創(きず)の大したものでないことを知り、水に浸ったわが身を身ぶるいしたのみであります。四辺(あたり)の光景がどうであるかということは一向にわかりません。またいずこに向って助けを呼ぼうとするものとも見えません。ただ自分を載せているこの家が、徐々として動いていることがわかります。出水の勢いは急であったけれど、家の流される勢いはそれと同じではありません。
 続け打ちに打つ半鐘の音は、相変らずけたたましく聞えるけれども、さきほどまで遠近(あちこち)に聞えた助けを求むる声と、それに応(こた)うる声とはこの時分は、もうあまり聞えなくなりました。面憎(つらにく)いことは、この時分になって雨の歇(や)んだ空の一角が破れて、幾日(いくか)の月か知らないけれども月の光がそこから洩れて、強盗提灯(がんどうぢょうちん)ほどに水の面(おもて)を照らしていることであります。
 その月の光に照らされたところによって見れば机竜之助は、屋根の棟にとりついたまま、さも心地よさそうに眠っていました。月の光に照らされた蒼白い面(かお)の色を見れば、眠っているのではない、ここまでやっとのたり着いて、ここで息が絶えてしまったのかも知れません。屋根はそのままで流れてはとまり、とまっては流れて、笛吹の本流の方へと漂うて行くのであります。
 屋根は洪水(おおみず)の中を漂って行くけれど、それはほかの家につっかかり、大木の幹に遮られ、山の裾に堰(せ)き留められて、或いは暗くなり、或いは明るくなり、或る時は全く見えなくなったりして、極めて緩慢に流れて行くのであります。

         二

 一夜のうちに笛吹川の沿岸は海になってしまいました。家も流れる、大木も流れる、材木や家財道具までも濁流の中に漂うて流れて行くうちに、夜が明けました。
 人畜にどのくらいの被害があったかはまだわかりません。救助や焚出しで両岸の村々は、ひきつづいて戦場のような有様であります。
 恵林寺の慢心和尚は、法衣(ころも)の袖を高く絡(から)げて自身真先に出馬して、大小の雲水を指揮して、百姓や見舞人やを叱り飛ばして、丸い頭から湯気を立てています。
 雲水どもは土地の百姓たちと力を併せて、濁流の岸へ沈枠(しずめわく)を入れたり、川倉(かわくら)を築いたり、火の出るような働きです。ここの手を切られると、水は忽ち日下部(くさかべ)や塩山(えんざん)一帯に溢れ出す。ここの手だけは死力を尽しても防がなければならない。すでに日頃から堅固な堤防があって、昨夜来の不眠の警戒でしたけれども、水の破壊力は、人間の抵抗力を愚弄するもののようでありました。枠を沈めると浮き出し、木牛(まくら)を入れると泳ぎ出し、築いた川倉が見る間に流されて行き、あとからあとから土俵を運んだり石を転がしたり、無用にひとしい労力を昨夜から寝ずにつづけているのでありました。和尚が雲水を叱りとばしているその傍には、珍らしやムク犬がその侍者でもあるかのように神妙に控えています。
 この時のムク犬は、もはやお寺へ逃げ込んだ時のように、痩(や)せて険(けわ)しいムク犬ではありません。火水(ひみず)になって働く大勢の働きぶりと、漲(みなぎ)り返る笛吹川の洪水とを見比べては、自ら勇みをなして尾を振り立てながら、時々何をか促すように慢心和尚の面を仰ぎ見るのであります。
「和尚様、何か御用があったら及ばずながら私をお使い下さいまし」ムク犬は和尚に、自分の為すべきことの命令を待っているかのようでありました。
 そのうちに何を認めたかこの犬は、岸に立って流れの或る処にじっと目を据(す)えました。
 堤防の普請にかかっていた慢心和尚をはじめ雲水や百姓たちが、
「あ、あの犬はどうした、この水の中へ泳ぎ出したわい」
 さすがに働いていた者共も一時(いっとき)手を休めて舌を捲いてながめると、滔々(とうとう)たる濁流の真中へ向って矢を射るように泳いで行く一頭の黒犬。申すまでもなくそれはムク犬であります。
 ムクがこの場合、なんでこんな冒険をやり出したのだか、それは誰にも合点(がてん)のゆかないことです。その濁流の中を泳いで行くめあては、今しも中流を流れ行く一軒の破家(あばらや)の屋根のあたりであるらしく見えます。
 草屋根の流れて行く方向へ斜めに、或る時は濁流の中にほとんど上半身を現わして、尾を振り立てて乗り切って行くのが見えました。或る時は全身が隠れて、首だけが水の上に見えました。また或る時は身体も首もことごとく水に溺れたかと思うと、またスックと大きな面(かお)を水面に擡(もた)げて、やはり全速力を以てその屋根を追いかけて行くのであります。やがて流れて行く屋根に追いついた時分は、ここに堤防を守っていた人々とは相距(あいさ)ることがよほど遠くなって、屋根の蔭に隠れてしまったムク犬の姿は、見ることができませんでした。しかし、屋根だけは相変らず浮きつ沈みつして、下流へ押流されて、これもようやく眼界から離れるほどに遠くなってしまいました。無論、屋根のところへ泳ぎついて、屋根の蔭にかくれてしまってから後のムク犬の姿は、その首でさえも再び水面へは現われませんでした。
 ながめていた沿岸の人たちは、犬のことを中心にしてさまざまな評議です。あの犬は人を助けに行ったのだろうと言う者もありました。水を見て興を抑えることができないで、自ら飛び込んだものであろうという人もありました。いずれにしてもこの水の中へ飛び込むとは思慮のないこと、それが畜生の浅ましさ、あたら一匹の犬を殺してしまったというような話でありました。慢心和尚はその評判を聞きながら、こんなことを言いました。
「昔、淡路国(あわじのくに)岩屋の浦の八幡宮の別当(べっとう)に一匹の猛犬があった、別当が泉州の堺に行く時は、いつもその犬をつれて行ったものじゃ、その犬が行くと、土地の犬どもが怖れ縮んで動くことができなかったということじゃ。さてその猛犬は、単独(ひとり)で海を渡って堺へ行くことがある、犬の身でどうして単独で海を渡るかというに、まず海岸へ出て木を流してみるのじゃ、その木が堺の方へ流れて行くのを見て、犬はよい潮時じゃと心得て、己(おの)れが乗れるほどな板を引き出して来てそれに乗る、そうすると潮の勢いがグングンと淡路の瀬戸を越えて、泉州の堺まで犬を載せて一息に板を持って行ってしまう、そこで板から下りて身ぶるいをして、泉州の堺へ上陸するという段取りじゃ。その潮の流れ条(すじ)というのは、それほど急な流れで至って勢いが強い、この潮へ引き込まれた船は帆を張っても力が及ばないで、ずんずんと一方へ引かれて行くのじゃ。それほどの潮条(しおすじ)があることを、犬はちゃんと心得て、まず木を流して潮時を見ておいて、それから筏(いかだ)をこしらえて載るというのが感心ではないか、それ以来、この潮時を別当汐(べっとうじお)と名づけるようになったという話がある」
 お前たちより犬の方が思慮もあり、勇気もあるから、心配するなというようにも聞えました。

         三

 それから三日目の朝のこと、笛吹川の洪水(おおみず)も大部分は引いてしまった荒れあとの岸を、彷徨(さまよ)っている一人の女がありました。
 面(おもて)は固く頭巾(ずきん)で包んだ上に、笠を深くかぶっていましたから、何者とも知ることができません。
 岸を彷徨(さまよ)うて何かをしきりに求めている様子であり、或る時はまだ濁っている川の流れをながめて、そこから何か漂い着くものはないかと見ているようであり、或る時はまた岸の石ころや、砂地の間を仔細に見て、そこに埋もれている何物かを探すようにも見えました。
 岸を上ってみたり、下ってみたりするこの女の挙動は、外目(よそめ)に見れば、物狂わしいもののようにも見えます。
 差出(さしで)の磯の亀甲橋(きっこうばし)も水に流されて、橋杭(はしぐい)だけが、まだ水に堰(せ)かれているところへ来て、女はふと何物をか認めたらしく、あたりにあった竹の小片(こぎれ)を取り上げて、岸の水をこちらへと掻き寄せました。掻き寄せたものを手に取って見ると、それは白木の位牌(いはい)であります。位牌の文字をながめると意外にも、
「悪女大姉(あくじょだいし)」
 悸(ぎょっ)としたお銀様は――この女はお銀様であります――やがて紙を取り出して、この位牌を包んで懐中(ふところ)へ入れましたが、
「こんなものは要(い)らない、わたしはこんなものを探しに来たのではない」
と言って、いったん懐ろへ入れた悪女大姉の位牌を、荒々しく懐中から取り出してそれを振り上げました。
「こんなものは要らない!」
 お銀様は水の面(おもて)を睨(にら)んで突立っていると、そこへ不意に物の足音がしましたから、お銀様はあわてて、
「おや?」
 驚いて振返ったお銀様は、
「見たような犬だ」
 見たような犬も道理。いつのまにかお銀様の背後(うしろ)に近づいていたのは、自分の実家、有野村の藤原家へ雇われていた召使の女、お君の愛するムク犬であることは、その家のお嬢様であったお銀様が見れば、見違えるはずはないことであります。恵林寺から程遠からぬこの辺に、ムク犬が現われることは不思議はないが、三日前のあの大水の中で溺れることなく、こうして健在でいることが不思議であります。
 お銀様はあの時、お君について駒井家に赴くべくわが家を去って以来、ムク犬の身の上は知りませんでした。
 今ここに偶然めぐり会ってみると、不思議に堪えないながらも、さすがに懐しい心持が湧いて来ないでもありません。
「おや、お前はムクではないか」
と言った時に、ムクの後ろから少し離れた土手の上に、人の影が一つ見えることに、はじめて気がつきました。
 お銀様にとってはついぞ見たことのない人、しかもそれは年増盛(としまざか)りの水気の多い女の人、この辺ではあまり見かけない肌合の、小またの切れ上った女の人が余念なく自分の方を見ていたから、お銀様もまぶしそうにその年増の女を見返していると、向うから丁寧に腰をかがめて笑顔を見せました。お銀様もそれに返しのお辞儀をしました。
「ムクや、ムクや」
 その年増の女の人が、やさしい声をして犬を呼びました。果してこの犬の名をムクという。ムクの名を知っている上は、お君に縁ある人に違いない、と思っているうちに、その年増の女は土手を下って、お銀様に近い川の岸の蛇籠(じゃかご)の傍へやって来ました。
 この年増の女、お銀様にはまだ知己(ちかづき)のない人でしたけれども、これはお君のもとの太夫元、女軽業の親方のお角(かく)であります。ここでムク犬が、お銀様とお角とを引合せる役目をつとめました。
「ちょうど一昨日(おととい)の夕方でありました、うちの男衆がこの出水(でみず)で雑魚(ざこ)を捕ると申しまして、四手(よつで)を下ろしておりますと、そこへこの犬が流れついたのでございます、吃驚(びっくり)してよく見ると、この犬が人間の着物をくわえてそこまで泳いで来ていたものでございますから、驚いて人を呼んで、その人をお助け申して家へお連れ申しましたけれど、どこのお方やら一向にわかりませんので……幸いに呼吸(いき)は吹き返しましてただいま、宿に休んでおいでなさるのでございますが、まだお口をおききなさるようにはなりません。そうするとこの犬がまた、わたしを引張り出すようにして外へ連れ出しましたから、もしやとそのあとをついて来てみると恵林寺様へ入りました。恵林寺様へ入りますとあすこでは、ソレ黒が来た。黒が来たと大勢してこの犬を迎えて、皆さんがお悦びになりました。やがてまたこの犬がわたくしを、川の方へ川の方へと連れて参りますから、もしや、これはもとこの犬の主人であった女の子が、川へ陥(はま)って死んでいるところへ、わたくしを連れて行くのではないかと胸騒ぎがしながら、あとをついて行ってみますと、お君ではなくて、あなた様にお目にかかることができました」
 ムク犬が洪水(おおみず)の中から救い出して来たという人、それが竜之助であったということがわかって狂喜したのは、やや話が進んだ後のことであります。

         四

 宇津木兵馬はどうしても、神尾主膳が机竜之助を隠しているとしか思われません。
 神尾の屋敷は種々雑多な人が集まるそうだから、そのなかに机竜之助も隠れているに相違ないと信じていました。
 けれども、甲府における兵馬は、破牢の人であります。罪のあるとないとに拘らず、うかとはその町の中へ足の踏み込めない人になっているから、長禅寺を足がかりにして、僧の姿をして夜な夜な神尾の本邸と別宅との両方に心を配って、つけ覘(ねら)っていました。
 まず見つけ次第に神尾主膳を取って押えて、直接(じか)に詰問してみよう、神尾を討って捨てても構わないと思いました。彼、神尾は、自分にとって恩義のある駒井能登守を陥(おとしい)れた小人であって、敵の片割れと言えば言えないこともない。その非常手段を取ろうとまで覚悟をきめて様子をうかがうと、このごろ神尾は、病気になって寝ているということを聞き込みました。その病気というのは、犬に噛みつかれた創(きず)がもとだということまでも聞き込むことができました。
 よし、その医者をひとつ当ってみよう。兵馬は例の表(うわべ)だけの僧形(そうぎょう)で、神尾の屋敷の前まで来かかると、門前に人集(ひとだか)りがあります。穏かでないのは、これが城下の人ではなく、蓑笠(みのかさ)をつけ得物(えもの)を取った、百姓一揆(いっき)とも見れば見られぬこともない人々であります。
「お願いでございます、神尾の殿様」
「お願いでございます」
と彼等は口々に罵(ののし)っておる。
「退(さが)れ退れ、退れと申すに。殿はただいま御病気じゃ、追って穏便(おんびん)の沙汰(さた)を致すから、今日はこのまま引取れと申すに」
 門番はこう言って叱りつけると、
「どうか、殿様にお目にかかりてえんでございます、殿様にお目にかかって、その申しわけがお聞き申してえんでございます」
「聞分けのない者共だ、強(し)いて左様なことを申すと為めにならん」
「そんなことをおっしゃらずに、殿様に取次いでおくんなさいまし、その御返事を聞かなければ帰れねえのでございます、御病気でも、お口くらいはお利(き)きになるでごぜえましょう、どうか、神尾の殿様にお願い申して、長吉と長太とを返していただきてえんでございます、それがために仲間のものが、こうして揃って参(めえ)りましたんでございます」
「そのような者は御主人は御存じがない、ほかを探してみるがよい」
「駄目でございます、ほかを探したって、ほかにいるはずのもんでごぜえません、こちらの殿様にお頼まれ申して参りましたのが、今日で二十日になるけれども、まだ帰って参らねえのでございます」
「左様なことはこちらの知ったことではない、それしきのことに、斯様(かよう)に仰々(ぎょうぎょう)しく多勢が打連れて参るのは、上(かみ)を怖れぬ振舞、表沙汰に致すとその分では済ませられぬ、今のうちに帰れ、帰れ」
「こちら様の方では、それしきのことでございましょうが、私共の方にはなかなかの大事でごぜえます、長吉にも長太にも、女房もあれば子供もあるでごぜえます、亭主を亡くなした女房子供が、泣いているのでございます」
「くどいやつらじゃ、左様なことは当屋敷の知ったことではないと申すに」
「お前様にはわからねえでごぜえます、殿様でなければわからねえでごぜえます、殿様にお目にかかって、長吉の野郎と長太の野郎が、生きているのか死んでしまったのか、そこんところをお伺い申してえんでございます」
「黙れ、穢多(えた)非人(ひにん)の分際(ぶんざい)で」
「黙らねえでございます、穢多非人で結構でございます、穢多非人だからといって、そう人の命を取っていいわけのものではごぜえますめえ、長吉、長太は犬を殺すのが商売でございます、それで頼まれて来たもんでございます、殿様に殺されに来たもんではねえのでございます」
「御主人に対して無礼なことを申すと、奉行に引渡すぞ」
「引渡されて結構でごぜえます、眼のあいたお奉行様にお願(ねげ)え申して、長吉、長太の野郎をかえしていただきましょう、長吉、長太をかえして下されば、わしらは、牢屋へブチ込まれてもかまわねえんでごぜえます」
「よし、一人残らず引括(ひっくく)るからそう思え」
「おい、みんな、一人残らず引括りなさるとよ、ずいぶん引括っておもらい申すべえじゃねえか」
「そうだ、そうだ、引括られるもんなら、みんな一度に引括っておもらい申してえもんだ」
「引括られるとしても、薪(まき)ざっぽうや麦藁(むぎわら)とは違うのだから、ただで引括られても詰らねえじゃねえか、ちっとばかり手足をバタバタさせ、それから引括られた方がよかんべえ」
「その方がいい、そうしているうちには殿様が出て来て、長吉、長太を返しておくんなさらねえものでもあるめえ。さあ、みんな、一度に引括られてみようではねえか」
「こいつら、人外(にんがい)の分際で、武士に対して無礼を致すか」
 門の中から、数多(あまた)の侍足軽の連中が飛び出しました。
 その時代において、人間の部類から除外されていた種族の人に、四民のいちばん上へ立つように教えられていた武士たる者が、こんなにしてその門前で騒がれることは、あるまじきことであります。非常を過ぎた非常であります。兵馬はそれを見て、よくよくのことでなければならないと思いました。この部類の人々をかくまでに怒らせるに至った神尾の仕事に、たしかに、大きな乱暴があるものだと想像しないわけにはゆきません。
 見物のなかの噂によると、事実はこうだそうです。すなわち神尾主膳がこの部落のうちで皮剥(かわはぎ)の上手を二人雇うて、犬の皮を剥がせようとしたところが、やり損じて犬を逃がしてしまった。それを神尾主膳が怒って、無惨にも二人ともに槍で突き殺してしまった。それがついにこの部落の者を怒らして、再三かけ合ったが埒(らち)があかず、ついに今夜は手詰めの談判をするために、こうして大挙してやって来たのであると。
 穢多非人の分際として、苟(いやし)くも士人の門前にかかる振舞をすることは、大抵ならば同情が寄せられないはずでありますけれども、見物の大部は、ややもすれば、
「あれでは、ここの殿様が無理だ、穢多が怒るのが道理だ」
というように聞えるのであります。聞いていた兵馬も、なるほどそう言えばそうだ、たかが犬一疋のために、二人の人間を殺すとは心なき仕業(しわざ)であると、ここでも神尾の乱暴を憎む心になりました。
 そのうちにバラバラと石が降りはじめました。メリメリと長屋塀の一部や、門の扉が打壊されはじめたようであります。
「始まったな――」
 固唾(かたず)を呑んでながめている見物の中にも、石を拾って投げはじめる者もあります。
 そのうちに、穢多(えた)どもがわーっと鬨(とき)の声を揚げて、いよいよ屋敷へ乗り込んだかと思うと、そうでなく、雪崩(なだれ)を打って逃げ出すと、その煽(あお)りを喰って見物が雪崩を打って逃げ惑いました。見れば神尾の門内から多くの侍が、白刃を抜いて切先(きっさき)を揃えて打って出でたところで、その勢いに怖れて穢多非人どもが、一度にドッと逃げ出したもののようでありました。白刃の切先を揃えて切って出でたのは、神尾の家来ばかりではあるまい、この近いところに住んでいる勤番のうちから、加勢が盛んに来たものと見えます。
 穢多のうちには、切られたものも二人や三人ではないらしい。さすがに白刃を見ると彼等は胆(きも)を奪われ、パッと逃げ散ってしまったが、切って出でた侍たちは長追いをせずに、そのまま門の中へ引込んでしまいました。一旦逃げ散った穢多どもは、また一団(ひとかたまり)になったけれども、今度は別に文句も言わずに、門前に斬り倒された数名の手負(ておい)を引担いで、そのままいずこともなく引上げて行く模様であります。
 ともかく、この場の騒動はこれだけで一段落を告げましたけれど、彼等の恨みがこれだけで鎮まるべしとも思えず、神尾の方でもまた、いわゆる穢多非人風情(ふぜい)から斯様(かよう)な無礼を加えられて、その分に済ましておくべしとも思われないのであります。
 その翌日、聞いてみると、果して昨夜の納まりは容易ならぬことでありました。なんでも、いったん神尾の門前を引上げた彼等の群れは荒川の岸に集まって、手負(ておい)を介抱したり、善後策を講じたりしているところへ、不意に与力同心が押寄せて、片っぱしからピシピシ縄にかけたということであります。縄にかけられないものは、命からがらいずれへか逃げ散ってしまったということであります。
 それだけの評判が長禅寺の境内までも聞えたから兵馬は、また急いで例の姿をして町の中へ立ち出でました。
 右の風聞のなお一層くわしきことを知ろうとして町へ出てみると、町では三人寄ればこの話であります。それを聞き纏(まと)めてみると、長禅寺で聞いたよりはいっそう惨酷(さんこく)なものでありました。
 神尾の門前を引上げた彼等が集まっていたのは、下飯田村の八幡社のあたりと言うことであったということで、そこへ踏み込まれて、ピシピシと縄をかけられた数は二十人という者もあるし、三十人というものもあり、或いは百人にも余るなんぞと話している者もありました。
 その縄をかけられた者共の処分について、ずいぶん烈しい噂(うわさ)が立っていました。一人残らずその場で弄殺(なぶりごろ)しになってしまったというのが事実に近いように聞きなされます。ともかくも、牢内へ繋いでおいて相当の処分をするという手段を取らずに、その場で首をもぎ、手足を斬り、さんざんの弄殺しを試みて、四肢五体を荒川の流れへ投げ込んでしまったということが言い囃(はや)されるのであります。兵馬はありそうなことだと思いつつ、どのみち神尾の身の上にも何か変事があるだろうと予期しながら、その晩は塩山の恵林寺へ帰って泊り、翌日、早朝に立って、また甲府へ帰って見ると昨夜――というよりは今暁に近い時、神尾主膳の邸が何者かによって焼き払われたということであります。兵馬はその委(くわ)しきを知るべく、わざと僧形を避けて徽典館(きてんかん)へ通う勤番の子弟に見えるような意匠を加えて、ひとり長禅寺を立ち出でました。
 兵馬が何心なく通りかかったのは、例の折助どもを得意とする酒場の前であります。この夜もまた、恋の勝利者だの、賭博の勝利者だのが集まって、太平楽(たいへいらく)を並べている。兵馬がその前を通り過ぎた時分に、酒場の縄暖簾(なわのれん)を分けて、ゲープという酒の息を吐きながら、くわえ楊子(ようじ)で出かけた男がありました。それは縞(しま)の着物を着て、縮緬(ちりめん)の三尺帯かなにかを、ちょっと気取って尻のあたりへ締めて、兵馬の前を千鳥足で歩きながら鼻唄をうたい出しました。
 それを後ろから兵馬が見ると、なんとなく見たことのあるような男だ、鼻唄の声までが聞いたことのあるように思われてならぬ。
「はッ、はッ、はッ、何が幸(せえわ)いになるものだかわからねえ、また何が間違えになるものだかわからねえ、人間万事塞翁(さいおう)が馬よ、馬には乗ってみろ、人には添ってみろだ」
 その途端に、兵馬はようやく感づきました。これはいつぞや竜王へ行く時、畑の中の木の上で、犬に逐(お)いかけられて狼狽(ろうばい)していた男。
 その男の名前も金助と呼ぶことまで兵馬は覚えていました。この男を捉まえてみると面白かろう。
「金助どの」
「おや、どなたでございます」
 振返って金助は、怪しい眼を闇の中に光らせました。
「拙者(わし)じゃ」
 兵馬が、わざと名乗らないでなれなれしく傍へ寄ると、
「ああ、鈴木様の御次男様でございましたね、徽典館へおいでになるのでございますか、たいそう御勉強でございますね、お若いうちは御勉強をなさらなくてはいけません」
 金助は心得面(こころえがお)にこんなことを言って、委細自分で呑込んでしまったものらしく、兵馬はかえってそれがいいと思ったから、自分も鈴木様の御次男様とやらになりすまして、
「金助どの、昨夜の火事は驚いたでござろうな」
「驚きましたにもなんにも、あんなところへ赤い風が吹いて来ようとは思いませんからな」
「お前の家には、別に怪我もなかったか」
「へえ、有難うございます、私の家なんぞには怪我なんぞはございません、よし怪我があってみたところで、私なんぞは知ったことじゃあございません」
「それは何しろよかった」
「鈴木様の御次男様、いや辰一郎様でございましたね。なんでございますか、あの徽典館は昨夜の火事で、屋根へ飛火があってお家が大層いたんでおいでなさるそうでございますが、それでも今晩、学問がおありなさるのでございますか」
「大した損処(そんしょ)もないから、今晩も集まるつもりだ」
「それは結構でございます、お若いうちは御勉強をなさらなくてはなりません、私共みたようになっては追付きませんからな。ただいま何を御勉強でございます、論語でございますか、孟子でいらっしゃいますか、子曰(しのたま)わく君子は器ならずというんでございましょう、子曰わくは結構でございますね、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わずとありましたな、あなた様はちょうどその志学のお年頃でございましょう、ところが私なんぞは三十にして立たず、四十にして腰が抜けというところなんでございます、どうもいけません。しかし辰一郎様、人間は学問ばかりしたからといってそれでいいというわけではありませんね、青表紙をたくさん読んで、活字引(いきじびき)になってみたところで一向つまりませんな、活字引はまだいいけれども、腐れ儒者となった日には手もつけられません、学問は実地に活用しなければつまらねえんでございます。いかがでございます、時々は狂歌、都々逸(どどいつ)、柳樽(やなぎだる)の類(たぐい)をおやりになっては。ああいったものをやりますと、自然に人間が砕けて参りますな、人間にそれだけユトリが出来て参りますな、人間は朝から晩まで子曰わくではやりきれません、風流ということは大切なものでございますよ、ちと、その方を御指南致しましょうかね、は、は、は」
「金助どの」
「はい」
「お前は、これからどこへ行く」
「私でございますか、私はこれから少しばかり淋しいところへ行くのでございます、淋しいところと言ったからとて、別に幽霊やお化けの出るところではございません、古城(ふるじろ)の方へ参るのでございます、古城は、躑躅(つつじ)ケ崎(さき)は神尾主膳様のお下屋敷まで、これからお見舞に上ろうというんでございます」
「左様か」
 金助は言わでものことまで言ってしまいました。兵馬は計らず都合のよいことを聞いてしまいました。
「ねえ鈴木様の御次男様、昨夕(ゆうべ)の火事は、お驚きなすったでございましょうね」
 金助は同じようなことを繰返しました。
「驚いたとも」
「私も驚きましたよ、まさか、あすこへ、あれほど思い切って赤い風が吹こうとは思いませんからね」
「金助どの、あれは一体、放火(つけび)か、それともそそう火か」
「放火……いや御冗談をおっしゃっちゃいけません、この御城下の、しかも当時飛ぶ鳥を落すほどの神尾主膳様のお邸へ、どこの奴が放火をするもんですか、そそう火にきまってますよ、誰が何と言ったって、そそう火でございます、放火だなんという奴があったら、ここへ連れておいでなさいまし」
「それはそうであろう。して、神尾殿や御一族はいずれに避難をしていらっしゃる」
「神尾様のお立退き先でございますか、それはわかりませんね、よしわかっていても、そればっかりは申し上げられませんね、それを知っているのは大方、この金助ぐれえのもので……おっと危ねえ、そりゃ嘘でございます、神尾の殿様は躑躅ケ崎のお下屋敷へお立退きでございますよ、ええええ、御無事でいらっしゃいますとも、お怪我なんどはちっともおありなさりゃしません、もしお怪我があるという者があったら、ここへ連れておいでなさいまし」
「拙者(わし)も、その神尾殿に会ってお見舞を申し上げたいと思うのだが、どちらにお立退きだかわからない」
「それはそうでございましょう、躑躅ケ崎においでになることはおいでになるに違いないのでございますがね、当分はどなたにも決してお目にかかることはございません。それは御病気なんですよ、前から御病気でもって休んでおいでになったのでございます、この御病気がお癒(なお)りなさるまでは決して、それは御支配様にだってお目にかかることではございません」
「金助どの、それをお前がどうして知っている」
「どうして知っているとおっしゃったって、そこはこの金助でなければわからないのでございます、そこが金助の価値(ねうち)なんでございます」
 酔っているとは言いながら、この金助の言うことは何か心得面でありました。だから兵馬はいよいよ好い獲物(えもの)と思って、
「ところで金助どの、お前に折入って頼みたいのだが、特別に拙者だけを神尾殿に引合せてくれまいか、内々で、ぜひともお話を申し上げねばならぬことがあるのじゃ」
「へえ、それはまた、どういうことでございましょう。しかし、それはせっかくでございますが、どうもそのお頼みばかりは駄目でございますよ、エエ、そりゃもう」
「左様なことを言わずに会わしてくれ」
「会わしてくれとおっしゃったところで、いねえ者はお会わせ申すことはできねえではございませんか」
「ナニ、神尾殿はおらぬと? では、躑躅ケ崎においでになるというのは嘘か」
「エエ、なんでございます」
「今、お前は、神尾殿は躑躅ケ崎の下屋敷に立退いておいでになると言ったではないか」
「そう申しましたよ」
「そんならば、拙者は会いたいのじゃ、会って直々(じきじき)にお話し申したいことがあるから、それをお前に頼むのじゃ」
「なるほど」
「さあ、お前が躑躅ケ崎へ行くというなら、拙者も徽典館(きてんかん)へ行くことをやめて、お前と一緒に躑躅ケ崎へ行く、案内してくれ」
「そいつは困りましたな、そんな駄々をこねて下すっては困ります、お帰りなさいまし、ここからお帰りなすっておくんなさいまし」
「金助!」
 兵馬は金助の手首を取って、グッと引き寄せました。
 兵馬に強く手首を取られたものだから、金助は狼狽(うろた)えました。
「ナナ、何をなさるんで」
「拙者を躑躅ケ崎まで連れて行ってくれ」
「そりゃいけません」
「なぜいかんのだ」
「そりゃいけません」
「神尾主膳殿に会いたいのだ」
 こう言って引き寄せた兵馬の言葉が、あまりに鋭かったから金助もやや激昂(げっこう)して、
「おやおや、お前様は、私をどうしようと言うんで。おや、お前様は鈴木様の御次男様ではねえのだな」
「金助、ほかに見覚えはないか」
「知らねえ」
「よく考えてみろ」
「何だか知らねえけれど、放しておくんなせえ、放さねえと為めになりませんぜ、それこそお怪我をなさいますぜ」
 金助が振り切ろうとするのを兵馬は、地上へ難なく取って押えました。
「金助」
「ア痛い、この野郎、ふざけやがって、餓鬼(がき)のくせに」
「金助、痛いか」
「痛ッ!」
「いつぞや、竜王へ行く途中、貴様が犬に追われて、木の上へ登っていたのを助けてやったその時のことを忘れたか」
「エ、エ!」
「その時のが拙者じゃ、鈴木の次男とやらでもなんでもない」
「ア、左様でございましたか、その時は、どうも飛んだお世話さまになりました、そういうこととは存じませんものでございますから失礼を致しました、どうかお放しなすって下さいまし、痛くてたまらねえんでございますから」
「金助、お前は神尾家の様子をよく知っているようじゃ、拙者はそれをよく聞きたいのじゃ、包まず話してくれ」
「へえ、知っているだけのことはお話し申しますから、ここを放していただきてえんでございます」
「こうしているうちに話せ、神尾主膳殿は躑躅(つつじ)ケ崎(さき)におられるかおられぬか、まずそれを申せ」
「へえ、それは……躑躅ケ崎においでのはずでございますが……」
「いるならば、これから直ぐに拙者を案内致せ」
「どうも、そういうわけには参りませんで……」
「いやいや、貴様の口ぶりによれば、神尾家の内状をよく知っているらしい、隠し立てをすればこうじゃ」
 兵馬は上にのしかかって、金助をギュウギュウ言わせます。
「ア、痛ッ、面(かお)の皮が摺剥(すりむ)けてしまいます、どうか御勘弁なすって下さいまし」
「早く言ってしまえば、無事に放してやる、言わなければ命を取る」
「あ、申し上げます、実はその神尾の殿様は、躑躅ケ崎においでなさるんではねえのでございます」
「それではどこにおられるのじゃ」
「それがその……」
「真直ぐに言ってしまえ」
「ア、痛ッ、ではお前様に限って申し上げてしまいます、神尾の殿様は生捕(いけど)られておしまいなすったのでございます、あの晩、放火(つけび)に来たやつらが神尾の殿様を生捕って、どこへか連れて行ってしまったのでございます」
「それは本当か」
「本当でございますとも。けれども神尾の殿様ともあるべきお方が、穢多(えた)のために生捕りにされたとあっては、御一統のお名前にも障(さわ)りますから、それで、ああして病気お引籠りということになっているんでございます。それも生捕られたのは殿様ばかりではございません、あの御別宅においでになるお絹様というお方も、やっぱり穢多に生捕られてしまったんでございます。その行先でございますか、それはわかりません、いずれ山また山の奥の方へ連れて行かれたんでございましょう」
 金助の白状は嘘(うそ)か真実(まこと)か知らないが、神尾主膳が恨みの者の手によって生捕られたことは、信じ得べき根拠があるようです。
 けれども、それは兵馬が強(し)いて突き留めたいことではありません。神尾が果して机竜之助を隠匿(かくま)っているかいないかということを知りたいのが、兵馬の唯一の望みであります。しかし、不幸にしてそれは金助が全く知らないことでした。兵馬の失望したのは、全く竜之助は神尾の屋敷にいなかったと見るよりほかは仕方がないからであります。少なくともあの火事の晩に避難した者の中には、机竜之助があったと想像することはできませんでした。
「そういうわけでございますからね、私共は実は金(かね)の蔓(つる)を失ったわけなんでございますよ、神尾の殿様を種無しにしたんじゃ、これから先が案じられるのでございましてね、山ん中へ探しに行こうかとこう思ってるんでございます」
 金助はようやく起してもらって、こんな愚痴を言いました。
「お前は今、どこに奉公しているのだ」
「私でございますか、私は今はどこといって奉公をしているわけではねえのでございます、神尾の殿様のお出入りで、どうやらこうして気儘(きまま)に飲食(のみくい)ができて、ブラブラ遊んでいるのでございますよ、当分は、躑躅ケ崎のお下屋敷の片(かた)っ端(ぱし)をお借り申して、あすこに住んでいるのでございます」
「どうだ、その躑躅ケ崎の屋敷とやらへ、拙者を案内してくれないか」
「そりゃよろしうございますけれど、お前様はいったいどちらのお方で、何のためにそんなに神尾様のことをお聞きになるんでございます」
「そんなことは尋ねなくともよい、今晩は拙者をその躑躅ケ崎へ案内して、お前の寝るところへ泊めてもらいたい」
「そりゃ差支えはございませんがね、なんだか気味が悪いようでございますね」
 兵馬はこうして金助を嚇(おどか)しながら先に立てて、躑躅ケ崎の下屋敷へ案内させました。それから屋敷のうちを、やはり金助を嚇して案内をさせて調べてみたけれど、神尾の家来が数人詰めているだけで、別に主人らしい者もありとは見られず、また自分のめざしている人が隠れているらしくも思われませんでした。この上は詮(せん)ないことと思って兵馬は、もはや金助と一緒に泊ってみる必要もないから、なお金助を嚇しておいて、一人だけで引上げました。
 してみれば机竜之助は、すでにこの甲府の土地にはいないらしい。眼の不自由な彼が、それほど敏捷にところを変え得るはずがない。と言って神尾が隠匿(かくま)わなければそのほかに、竜之助を世話をする者があるとは思われないことであります。甲府にいないとすればどこへ行ったろう、誰が介抱してどこへ連れて行ったかということを考え来(きた)ると、兵馬は例のお絹という女のことを思わないわけにはゆかないのであります。
「あ! あの女が世話をして、また江戸へ落してやったのだろう」
 それに違いない。ハタと膝を打ったけれども、そのお絹という女も主膳と一緒に、穢多の仲間に浚(さら)われてしまったとしてみれば、また捉(つか)まえどころがなくなってしまうのであります。
 兵馬は茫々然としてその夜は長禅寺へ帰ったけれど、こうなってみると、ここにも安閑(あんかん)としてはいられないのであります。

 表面は病気で引籠(ひきこも)っているという神尾主膳。内実は穢多に浚われたという神尾主膳。その内々の取沙汰には、甲州や相州の山奥には山窩(さんか)というものの一種があって、その仲間に引渡された時は、生涯世間へ出ることはできないということ、主膳もお絹もその山窩の者共の手に捉えられているのだろうという説もあります。
 そのうちに、神尾主膳は病気保養お暇というようなことで、江戸へ帰るという噂(うわさ)がありました。その前後に神尾に召使われたものは散々(ちりぢり)になって、いつか知らぬうちに神尾家は全く甲府から没落してしまい、躑躅(つつじ)ケ崎(さき)の古屋敷も売り物に出てしまいました。駒井能登守が甲府を落ちた時は、ともかくも明確に甲府を立退いたけれど、神尾の家が甲府から消えたのは行燈(あんどん)の立消えしたようなものであります。
 駒井能登守の屋敷あとには草がいや高く生え、神尾主膳の焼け跡ではまだ煙が燻(くすぶ)っている時分、甲府の町へ入り込んだ二人の旅人が、神尾の焼け跡を暫く立って見ていたが、
「神尾の屋敷もああしたものだろうよ」
 若い方が言いました。
「ああしたものだろう」
 やや年とった方が答えました。
「駒井能登守の方は、滝の川でともかくも落着きを確めたが、神尾主膳はどうしてるんだ」
「病気でお暇を願って、江戸へ帰ったということだ」
「そいつは表面(うわべ)のことなんだ、内実は穢多(えた)のために生捕られたという評判よ」
「それも裏の裏で、おれが思うには、まだ裏があると思うんだ」
「してみると神尾は江戸へも帰らず、穢多にも捉まらずに、無事にどこかに隠れているとでも言うのか」
「そうよ、あいつはどう見ても、穢多に取捉(とっつか)まるような男でねえ、あの奴等にしたからっても、なんぼ何でもお組頭のお邸へ火をつけて、大将を浚(さら)って行くなんて、それほどの度胸があろうとは思われねえじゃねえか」
「なるほど、そういえばそんなものだが、それにしちゃあ狂言の書き方が拙(まず)いな、拙くねえまでもあんまり綺麗(きれい)じゃねえ」
「どのみち、あの大将も破れかぶれだから、トテも上品な狂言を択(えら)んじゃあいられねえ、そこで病気を種につかってみたり、穢多を玉にしてみたり、どうやらこれで一時を切り抜いたものらしいよ」
「ふむ、そうすると病気も穢多も、みんな狂言の種かい」
「あの火事までが狂言だとこう睨(にら)んでるんだが、どんなものだ。あの大将、いよいよ尻が割れかかって、どうにもこうにも始末がつかねえから、それで奴等にかこつけて、自分で屋敷へ火をつけたんだ」
「なるほど」
「火をつけて罪は奴等へなすりつけておいて、帳尻の合わねえところは焼いてしまった……おいおい、向うから役人みたようなのが来るぜ、気をつけなくっちゃあいけねえ」
 道を外(そ)らして行く二人の旅人、その若い方はがんりきらしく、やや年とった方は七兵衛らしくあります。
 この二人は何のために、また甲府までやって来たのだろう。ここには駒井能登守もいないし、神尾主膳もいなくなったし、宇津木兵馬も、机竜之助も、お松も、お君も、米友も、ムク犬も去ってしまったのに、なお何かの執着があって来たものと見なければなりません。
 いつぞや持ち出した安綱の刀、それをどこぞへ隠しておいたのを、取り出しに来たものかと思えば、そうでもなく、二人はその足で直ぐに甲府を西へ突き抜けてしまいました。
 それから例の早い足で瞬く間に甲信の国境まで来てしまい、山口のお関所というのは、別に手形いらずに通ることができて、信州の諏訪郡(すわごおり)へ入りました。諏訪へ着いたら止まるかと思うと、そこでも止まりません。いったい、どこへ行くつもりだろうということは、その日のうちにもわからず、その翌日もわからず、三日目になって、ようやく二人の姿を見出すことができました。三日目に二人の姿を見出したところは、もう甲州や信州ではなく、それかといって碓氷峠(うすいとうげ)からまた江戸の方へ廻り直したものでもなく、京都の町の真中へ現われたことは、やや飛び離れております。
 いつ、どうして木曾を通ったか、不破(ふわ)や逢坂(おうさか)の関を越えたのはいつごろであったか、そんなことは目にも留まらないうちに、早や二人は京都の真中の六角堂あたりへ身ぶるいして到着しました。この二人が何の目的あって京都まで伸(の)したものかは一向わかりません。上方(かみがた)の風雲は以前に見えた時よりも、この時分は一層険悪なものになっていました。例の近藤勇の新撰組は、この時分がその得意の絶頂の時代でありました。十四代の将軍は、長州再征のために京都へ上っていました。その中へがんりきと七兵衛が面(かお)を出したということは、かなり物騒なことのようだけれども、その物騒は天下の風雲に関するような物騒ではありません。
 この二人が徳川へ加担(かたん)したからと言って、長州へ味方をしたからと言って、天下の大勢にはいくらの影響もあるものでないことは、二人ともよく知っているはずであります。二人もまた、決して尊王愛国のために京都へ面を出したのではありますまい。思うに、甲州から関東へかけては二人の世界がようやく狭くなってくるし、ちょうど幸いに、公方様(くぼうさま)は上方へおいでになっているし、江戸はお留守で上方が本場のような時勢になっているから、一番、こっちで、またいたずらを始めようという出来心に過ぎますまい。
「兄貴、上方には美(い)い女がいるなあ、随分美い女がいるけれど、歯ごたえのある女はいねえようだ、口へ入れると溶けそうな女ばかりで、食って旨(うま)そうな奴は見当らねえや」
 まだ宿へ着かない先に、町の中でがんりきがこんなことを言いながら、町を通る京女の姿を見廻しました。
「この野郎、よくよく食意地(くいいじ)が張っていやがる」
 七兵衛は、こう言って苦笑(にがわら)いをしました。

         五

 この二人が京都へ入り込んだのと前後して、甲州から江戸へ下るらしい宇津木兵馬の旅装を見ることになりました。
 恵林寺へも暇乞(いとまご)いをして、勝沼の富永屋へ着いた兵馬は、別に一人の伴(とも)をつれていました。その伴というのは、この間まで躑躅(つつじ)ケ崎(さき)の神尾の古屋敷にいた金助です。してみれば、金助も頼む神尾の殿様なるものはいなくなるし、あの古屋敷も売り物に出るというわけで、甲府住居(ずまい)も覚束(おぼつか)なくなっていたところへ、兵馬に説かれたものか、兵馬を説きつけたものか、この人の伴となって江戸へ脱け出そうとするものらしくあります。
 この俄(にわか)ごしらえの主従が富永屋へ草鞋(わらじ)を脱いだ時分に、富永屋には例のお角もいませんでした。机竜之助もいませんでした。お銀様も、ムク犬もまた姿は見えません。
 兵馬は翌朝、宿を出て笹子峠へかかると、金助が、
「これから私も心を入れ替えてずいぶん忠義を尽しますよ、お前様もこれからズンズン御出世をなさいまし。まあ、私が考えるのに、これからは学問でなくちゃいけませんな、お前様は腕前はお出来になって結構でございます、学問の方も御如才はございますまいが、学問も、どうやら今までの四角な学問よりも、横の方へ読んで行く毛唐(けとう)のやつの方が、これから流行(はや)りそうでございますぜ、今、鉄砲にしてみたところが、どうもあっちのやつの方が素敵でございますからね。お前様もこれから学問をおやりになるならば、毛唐のやつの方を精出しておやりなさいませ、あれが当世でございますぜ」
 金助は、よくこんな巧者な話をしたがります。そうして高慢面(こうまんがお)に、忠告めいたことを言って納まりたがる人間であります。
「私なんぞは、もう駄目でございます、これでも小さい時分から学問は好きには好きでございました、けれどもほかの道楽も好きには好きでございました、親譲りの財産(しんだい)がこれでも相当にあるにはあったんでございますがね、みんなくだらなく遣(つか)ってしまいましたよ、これと言って取留まりがなく遣ってしまいましたよ、なあに、いま考えても惜しいともなんとも思いませんがね、かなりこれでも遊んだものでございますよ、だから江戸を食いつめて甲州まで渡り歩いているんでございます、江戸へ帰ったら、また病が出るだろうと思ってそれが心配でございますよ、でもまあ、昔と違って今は、まるっきり融通というものが利きませんからね、これで融通が利き出すとずいぶん危ねえものでございます。危ねえと言ったって、こうなれば、疱瘡(ほうそう)も麻疹(はしか)も済んだようなものでございますから、生命(いのち)にかかわるような真似は致しません。何しろ、まあ、これを御縁に江戸へ帰ったら落着きましょうよ、末長くあなた様の御家来になって忠義を尽して往生すれば、それが本望でございますよ、お江戸の土を踏んで、畳の上で往生ができればそれで思い残すことはありませんな。
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