大菩薩峠
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著者名:中里介山 

         一

 田山白雲は北上川の渡頭(わたしば)に立って、渡し舟の出るのを待兼ねている。
 舟の出発を待侘(まちわ)びるものは田山白雲一人ではなく、士農工商が一人二人と渡頭へ集まってひっかかる。こちらの岸もそうだから、向うの岸も同様に、土農工商がせき留められて、舟を待つ人の数は増すばかりです。
 田山白雲は焦(じれ)ったがりながら、渡頭に近い高さ三メートルばかりの小丘の上で、遠眼鏡を眼窩(がんか)の上から離さず、マドロスの逃げ込んだ追波(おっぱ)の本流の方をしきりに注視していましたが、そのうちに、向う岸の渡頭に集まって舟を待侘びる士農工商の群れが、急に動揺をはじめたような模様が見えます。同時にその舟待ちの群れの中から、転がり出したように躍(おど)り出して来た一個の人物があることを認めて、興味の遠眼鏡をその方に転じました。
 その人物は、すでに人混みの背後(うしろ)で身仕度をととのえたと見えて、身体(からだ)は裸で、頭の上へ物を載せ、人を押分けて前へ進んだと見ると、いきなりざんぶと川の中へ飛び込んで泳ぎはじめたものですから、
「奥州にも気の短い奴がいる!」
と、田山白雲が思わずこちらで舌を捲きました。
「奥州にも気の短い奴がいる!」と田山白雲が思わず舌を捲いたのは、奥州人はすべて気の長いものと前提をきめてかかったわけではなく、ここで渡し舟の徹底的スロモぶりに呆(あき)れ返った反動から、ツイそう呼んでみたまでのことで、実際、いま川の中へ飛び込んだ眼前その人物の挙動を見ると、その気配だけで、たしかに気の短い男であるべき証跡は歴々たるものであります。かくばかり悠々閑々たる渡し舟の船頭のスロモぶりに堪忍(かんにん)がなり難く、堪忍がなり難いと共に、その爆発した癇癖(かんぺき)を、直線的に決行するだけの盲動力を持った男であるということだけは、白雲の眼と頭で、ハッキリと受取ることができました。
 この大菩薩峠作中の人物では、宇治山田の米友という人物が、やはり同様の堪忍なり難い癇癖を持っていて、直接行動をやることに馴れている――それは田山白雲とも一面の識はあるのだが、あの男が今この場へ飛び出して来ようはずはない。
 右の裸男は、最初のうちは、こちらを当面(まとも)に川を横に泳いで来るのですから、よくわかりませんでしたけれど、やや深いところへ来ると、身を斜めにして抜手を切り出したものですから、その時はじめてわかったのは、頭の上に自分の着ていた衣類をまるめて帯で顎(あご)まで縛りつけたのはいいが、その頭にのせた衣類の真中を貫いて横に一本、長くてそうして黒いものが線を引いている。
「ははあ、差しているな」
と、田山白雲が再び遠眼鏡を取り上げました。
 差しているな! と言ったのは、一本か二本差しているという意味ですが、一本差すことは、旅の百姓町人といえども、道中を限り許されていることであり、それにも長さに限度がある。あの裸者の頭へ載せたのは、普通平民に向っては制限以上に長いから、少なくも士分に属するものだろうと思われるのだが、その一本の刀の長さが長過ぎるのに比例して、他の一本の脇差の所在がわからない。あの頭上の衣類の中に隠されてでもいるのか、そうでなければ、これは一本だけ特に長いのを伊達(だて)に差す遊侠無頼(ゆうきょうぶらい)のともがらででもあるのか。

         二

 田山白雲が、まだその辺に疑問を持ちながら、多大の好奇心を以てながめていると、右の男の泳ぎっぷりが痛快で、たしかにこのごろはやる水府流を行っているようだ。深いところはあんなにして抜手を切り、中辺のところは乳あたりまで浸して悠々と横行し、浅瀬はしゃんしゃんと飛沫(ひまつ)を切り、かくて河を三分の一あたりまで突破して来た時に、後ろから、かなりの狼狽(ろうばい)と怒罵(どば)とを含んだ叫び声が起りました。
「おーい、どこ行くでア、戻って来もせやい、てんことない、渡場(わたし)を素通りしてはいけねえでば、川破りの罪になるべちゃあ、川破りの罪はお関所破りの罪と同じだべや、戻って来もせやあい」
 右の通りハッキリ聞えるわけではないが、向う岸で声をからしての怒罵号叫は、渡場を守るところの船頭共がこうも言ってさわいでいることに間違いはないのです。
 つまり、この裸男の直接行動は、渡場というものの掟(おきて)と、船頭というものの職業とその存在とを、無視してかかった御法破りに類しているから、その反逆者を反省さすべく、船頭殿がその職権の上から、声をからして呼び戻しているに相違ないのですが、川原の中の短気者は、今さらそれに取合うくらいなら、最初から、こういう行動には出なかったでしょう。そこで、一旦は踏み留まって振返って見たけれども、忽(たちま)ちクルリと背を向けて、北上川の川破りの続演をつづけました。
 そこで当然、警告を無視された向う岸の船頭が、怒号と共に地団駄(じだんだ)を踏み出したのは無理もないが、同時に、こちら側の岸に立っている船頭共も黙ってはいないのが当然であります。
「やれそれと、のぶとい奴じゃ、渡場(わたし)をかち渡りするは御法度(ごはっと)なんでア、何たるワザワグこったべえ、只じゃ済まねえべ、お関所破りと同罪なんでア、早うでんぐり返(けえ)りな、素直にでんぐり返(けえ)って舟へ乗って渡って来てかんせ! 無茶あしねえものだべなア」
 そこで、この川原の中の裸男は、両岸から船頭の怒号の機関銃を浴びせかけられたような立場になりましたが、いっこう立ちすくみもしないで、予定の行動をとっているのです。
 こうなってみると田山白雲も、なるほど、あの短気者の挙動は、一応痛快には似ているけれども、理由としては、船頭の方に充分の根拠が無いではない。
 緩慢は緩慢として、スロモはスロモとして、それは責めてよろしいが、緩慢であるが故に、スロモであるが故に、渡し船の存在しているところを、身を以て直接行動をとってよろしいという理由にはなるまい。
「ここは一応、船頭の言い分を立てて、立戻った方がよかろう、そうして置いて、彼等の怠慢ぶりをとっちめてやる時には、我等も相当の義憤を以て応援する」というような気持にまで田山白雲も緩和されているけれども、当面の裸男は一向ひるむ様子も見えず、大手を振って堂堂と川渡りを決行して来る挙動が、かなり大胆不敵なものであって、見る人に、好奇以上の恐怖と、警戒とを与えずには置きませんでした。
 ああして白昼堂々と川破りを決行するからには、捨身でかかっているのだ、だから何をしでかすかわかったものではない――という恐怖心が、すべての人の頭を襲いました。
 そうしているうちに、あちらの岸の渡頭から、法螺(ほら)の貝の音が高らかに響き出しましたのです。

         三

 この際、法螺の貝の音には田山白雲も、多少おどかされざるを得ませんでした。
 相当喧噪(けんそう)な人間の雑音は、こういう際だからやむを得ないにしても、この中へ、非常時用の器楽が一つ加わろうとまでは思い及ばなかったことでした。
 向う岸で法螺(ほら)の貝を吹き出すと、やがてこちらでも、いつのまにか、田山白雲のつい足許(あしもと)から同じ貝の音がすさまじく響き出しました。
 法螺の貝の音が聞え出すと共に、あちらの畑や、こちらの木蔭や、川にもやっていた舟の底なんぞから、一人、二人、三人、四人、続々と人間が首を出して来て、いずれもかなり不穏な面(かお)つきをしながら、おのおの両岸の法螺の鳴っている根拠を目指して集まり寄るのは、非常召集の合図を聞いた屯田兵(とんでんへい)のようです。
「これは存外、事が重大になりそうだわい」
 田山白雲は、自分の身の上に何か相当の危難が降りかかりでもするかのように、川の中の強情者の行動を改めて篤(とく)と見据えて見たが、事態がしかく物々しくなりつつあるに拘らず、事実はかえって簡単明瞭なものに過ぎないということを直覚して、かえって安心した気持になります。
 不安の目的物たる存在が、現在、眼の前にいるのですから、問題としては、複雑した事情というものは更に無いのです。万一、これが夜分であるとか、あれがまた川を縦に走り出した日には、川上へ行っても、川下へ下っても際限が無いのですけれども、川を横切って、そうしてこちらを向いて、白昼たった一人でやって来るのですから、その取扱いは極めて簡単明瞭といわなければなりません。言葉を換えて言ってみると、向うから追い落した獲物(えもの)を、こちらに網を張って待っていると、獲物それ自身が、その網にかかりに来るような方向を取って進んで来るのですから、進退の節(ふし)は極めて明らかなもので、かえって両岸の狼狽ぶりがおかしいほどのものです。
 かくして右の裸の人物は、無事にこちらの岸に到着してしまいました。法螺の貝の下(もと)に集まった連中は、直ちに川原へ駆けつけて、怖々(こわごわ)とそれを遠巻きにして取詰めて行くあんばいで、頓(とみ)には取押えようとはしません。
「寒いことざえ、凍(こご)えてうっ死(ち)んじあうべ――この寒い水ん中をなあ」
 時は初秋とはいえ、北地は寒い。ああして一途(いちず)に水へは飛び込んで来たものの、ようやく岸へ辿(たど)り着いた時分には、ここで一番焚火でもして身を温めてやらぬことには慄(ふる)え上ってものの用には立つまい――と内々藁火(わらび)の用意まで心がけて待構えていると、岸へ上った右の裸男は、そこで頭上の衣類を取卸すと共に、その中から手拭ようのものを引張り出して、ゴシゴシと身体を拭い出した様子を見ると、別段、慄えても凍えてもいないようです。
 それから衣類を解きにかかって一着に及びました。帯も極めて無雑作(むぞうさ)に引締めて、その次に袴(はかま)を穿(は)きにかかりました。袴を穿き出した時に、取詰めに行った法螺の貝の手勢が、また少しばかり動揺して、
「あ、裃(かみしも)を着ていやがるぞ!」
 裃ではない、袴だけです。その袴とても、彼等が見てこそ裃だが、田山白雲あたりが見たのでは、あんまり感心した袴ではないのです。縞目(しまめ)のところは更にわからない、地質の点も不明なのですが、一見してわかるのは、その桁丈(ゆきたけ)の極めて短いということだけです。
 さて、この短い袴をつけてから、次に長い刀を取り上げて腰に差しました。

         四

 その刀の長いこと――袴が短かかっただけに、特に刀の長いのが目立つのでもあろうが、刀そのものを独立させて見ても、たしかに世の常のものよりは長い。それがこの場合、ことさらに長く見えるのは、短い袴が引立て役をつとめているばかりではない、今まで人品骨柄のことは言わなかったが、本来この男の人の身の丈が、普通人よりはずっと低くして小さかったのです。すなわち短躯矮小(たんくわいしょう)の人物でありました。
 田山白雲は、曾(かつ)て何かの時の戯れに、「一寸丹心」と書くべきを、「一寸短身三尺剣」という戯画を描いて、極めて矮躯短身の壮士に、図抜けて長い刀を差させた一枚絵を描いて、平山行蔵に見せたことがある。
 その一枚絵を思い出して、思わず微笑しないわけにはゆきませんでした。本来は、突然こういう微笑だけでは済まされない、まず取敢(とりあ)えず吹き出してしまったかも知れないのですが、今日のは、最初の出が緊張していた上に、鳴物入りの凄味(すごみ)まで加わってここへ来ているのですから、ただ若干の失笑を余儀なくされただけで、なお一心に事のなりゆきを見守っておりました。
 長い刀は差し終ったが、脇差に至っては、その以前に手早く差し込んでしまったのか、或いはまだ差していないのか、その辺がわからないうちに、右の人物は鉄扇様のものを手に持って、太鼻緒の下駄を足に突っかけて、河原の石をガランゴロンと踏み分け、両肩を聳(そび)やかして、さっさと、逃げ隠れもわるびれもせずに、こちらへ向って闊歩(かっぽ)して来るのであります。
 白雲は、もはやこの男の人品骨柄から、衣類持ちものまでも見るのに遠眼鏡を要しません。頭こそ元服はしているが、年齢はまだ若い――おそらく十七八歳を出でまいと見られる若者でした。袴を穿き、鉄扇を持っている。長い刀、それは最初遠目に見たところと更に違いはないが、問題の脇差はついに見当らないということに結着しました。
 つまりこの男の腰には、長い刀の一本だけ横たわっていて、そうして他の差添えというものは何もないことを知ってみると、どうも変則な武装だと思わずにはおられません。
 脇差はどうしたのだ。
 差し忘れたのか、本来差して来なかったのか、それとも、只今の乗切りで川の中へ取落しでもしたのか。
 田山白雲がよけいな心配までしてやっている時分に、法螺(ほら)の貝の手勢が、真黒くなって早くも右の小兵(こひょう)の長刀の男を取囲んでしまいました。本来、小さい身体なのですから、雑然たる多勢に取囲まれては、忽(たちま)ち姿を呑まれてしまうのは是非もないことで、多勢の中に呑まれてしまうと、田山白雲としては、もはや遠眼鏡を以てしても、肉眼を以てしても、その男の姿を認めることはできなくなって、ただすさまじい喧々囂々(けんけんごうごう)だけを耳にするばかりです。
「あぎゃん、こぎゃん、てんこちない、たんぼらめ!」
「渡し場には渡し場の掟ちうもんがあるのを知らねますか?」
「そぎゃん川破りをお達し申せば、お関所破りと同罪ぎゃん!」
「棹(さお)を出し申すまで待たれん間じゃござんめえ、とっべつもない!」
「けそけそしてござらあ。いってえ、こんたあ、どこからござって、どっちゃ行く!」
「わや、わや、わや」
 思いきって土音雑音を発揮するらしいが、別段、手出しには及ばないようです。

         五

 取巻く土地の人々が、思い切って土音を発揮する上に、取巻かれている当の男が、またその男特有の地方音をもってあしらっているのだから、白雲の耳に、そのまま移すことができないのは道理だが、しかし最初からの事情は篤(とく)と見ているし、土音方言がわからないにしても、日本人の言語であって、おたがいの怒罵喧噪(どばけんそう)の性質も、表現も、呑込んでいるのですから、要領を得ることはさのみ困難ではありません。
 渡場守(わたしもり)とその加勢の人数の方は、主張するのに渡頭(わたしば)の規則を以てし、その規則破りを責めるのに相違なく、渡って来た方は、しかするのやむを得ざるに出でた理由を抗弁しているのに相違ないのです。
「わしは道を急ぐから、川あ越して来たまでのこんじゃ、それがどうした。いったい、貴様たち、人を責める前に、なぜ自ら顧みることをせんのだ、かように両岸に人が溢(あふ)れて舟を待って焦(じ)れおるのに、貴様たち一向舟を出すことなさん、緩怠至極じゃ。おのれらの緩怠を棚にあげて置いて、人を責むるのが不届きじゃ、人を責むるならば責むるように、己(おの)れの怠慢から見てせい」
「わや、わや、わや」
 川破りが抗弁すると、それを取巻いた渡頭守(わたしもり)の味方が土音方言をもって、わや、わや、わやとまぜ返すのです。
 田山白雲は、ともかくその現場へ行って見るために、その小高いところを下りながら川の手を見ると、矢を射るように――と言いたいが、川の流れを横切るのだからそうもいかないが、かなり勢いこんで彼方(かなた)の岸から早舟が飛んで来るのを認めました。続いて通常の渡し船が、スロモの腰を上げて、こちらへ向ってやって来るのを認めました。
 そこでまた踏みとどまって、遠眼鏡を取り直して、まず早舟の方を見ますと、中には相当の士分が、同心と、村役人のようなのとに附添われて乗込んでいるのを認めて、何か役向の出張だなと感づきました。
 同時に、役向とすれば、いずれの藩の役人か。自分はすべて仙台領とばかり信じて、ここまで来ているのだが、川一つ向うは、もう南部領にでもなっているのではないか。仙台領と南部領とは、かなり入組んでいると聞いたが、領分が違ってくると、これで自分の旅をする気分も相当に変えねばならないことがあるものだ。
 漂浪を生活としている自分は、習い性となって、これでおのずから、郷(ごう)に入(い)っては郷に従うのコツを覚え込んでいる。仙台領へ来ては、仙台領の人となりきったつもりでいるが、まだ南部領の人となった心構えは出来ていない。今ああやって、早舟でやって来る役人が、仙台領の人であるならば仔細はないが、南部領の人であってみると、そこに相当の気分を転換してかからねばなるまい。よしよし、ここに駒井甚三郎から借りて来た最新式の遠眼鏡というものがある、この地点へ、この視官の飛道具を押据えてからに、あの早舟がいかなる性質の人を乗せて来て、こちらのわやわやをどう捌(さば)くか、これを見定めての上で、おもむろに天王山を下るも遅くはあるまい。
 田山白雲は、こんなような考えを起して、いったん下りかけた小丘を、また頂上まで上りつめて、そうして、遠眼鏡を取り直した時分に、早舟は早くも岸へ着きました。

         六

 今まで、船頭共だけであしらい兼ねていた問題の川破りの男が、やがてこの早舟で来た役人たちの取調べに引渡されてしまい、そこで役人たちが川破りを受取って、実地取調べにかかる段取りになってみると、白雲もここに超然とは落着ききれないものがあると見え、どうしても一歩一歩と高きを下らざるを得なくなって、ついに人垣の後ろへ立って、いちぶしじゅうを見届けることになりました。
 臨時予審廷といったようなものが、渡頭の上の茶店の内から外へ溢(あふ)れて行われているのですが、ちょうど今、ようやく訊問がはじまろうとする時でした。役人が家の中の床几(しょうぎ)に腰をかけて、川破りの男がその前の土間に突立っている。
「君はドコから来た」
 役人は、土地の船頭共のように甚(はなはだ)しい土音は用いないで、まず通常の標準語で問いかけると、川破りもまたこれに準じた言葉で、
「南部から来申した」
「南部のどこから来た」
「恐山(おそれざん)から」
「恐山? 恐山に住んでいたのか」
「八戸(はちのへ)の生れだが、恐山に修行していた」
「何の修行を?」
「何ということなく、あの山で修行をしていた」
「八戸に生家がござるのか」
「ござる」
「身分は――」
「父はお山改めだ」
「そうして君は?」
「その二男だ、上には兄貴があって、下には妹がある」
「ふーむ、それが、この地方へ何しに来たのだ」
「江戸へ行こうと思ってやって来たのだ」
「江戸へ、何の目的で?」
「何の目的ということはないが、江戸は天下の膝元ということだから、そこで修行をしたい」
「君は最初から修行修行と言うが、修行にもいろいろある」
「もちろん、修行にもいろいろあるが、まず一匹一人の修行をして、男になりたいと思っているだけだ」
「一匹一人の修行というのも変なものだが、とにかく、道中の手形は持っているだろうな」
「それは持っている」
「見せてもらいたい」
「この通り」
 川破りは、懐中袋から相当のものを取り出して役人に示しました。それでも感心に、御法通りのものは持っているらしい。
「八戸城下小中野(こなかの)――柳田平治というのだな、君の名は」
「左様」
 役人はそれを見て、一応は納得したようでしたが、続いてその訊問が、眼前に掟(おきて)を破った川破りのことには触れないで、ジロジロとその長い刀を見ながら、
「君、君の刀は大へんに長い」
「長いです」
 男は役人の面(かお)を見上げた。長かろうと、短かかろうと、よけいなお世話だと言わぬばかりに、
「三尺五寸あります」
「素敵に長い――抜けるかね」
「抜けない刀は差さん」
「ひとつ、抜いて見せてくれないか」
「見せ物にするために差した刀ではござらぬ」
「とにかく抜いて見せ給え」
「見せるために抜くべきものではござらぬ」
「それを見たいのだ」
 今まではかなり温顔にあしらっていた役人が、はじめて多少の威権を示しての言葉でしたから、見物の者をヒヤリとさせました。

         七

 一方のは刀は見せ物ではないというのです。抜いて見せろと言っても、抜くべき理由と事情が無い限り、抜けないというのが一方の主張で、それをやや高圧的に、是でも非でも抜いて見せろ――とカサにかかり出したのが役人側の態度でした。
 こうなると、一方が威権に屈従しない限り、職権の発動とならなければならない。その雲行きを見て、附添って来た村役人の老巧らしいのが、白髪頭(しらがあたま)を振り立てて川破りの小男に向って来て、なだめるように次のような理解を試みたのを、白雲は、村役の白髪頭と共に耳にうつしとって、目附の役人が高圧的な要求も必ずしも無理ではないと思いました。
 というのは、南部の盛岡の城下で、つい数日前、人を斬って逃げた者がある。斬ったのは何者かわからないが、斬られたのは家中でもかなり身分の重いものであるらしい。その犯人の行方(ゆくえ)を探し求むるがために、それとなく御出張になったもので――ともかく、目星をつけた人に、一応刀を抜いて見せてもらうことが、これまでの例になっている。人を斬った以上は、血のりを拭い去ろうとも去るまいとも、その当座は膏(あぶら)が浮いている、というのが有力なる証拠の一つということです。ですから、嫌疑のあると無いとに拘らず、一応は礼を以て、刀の中身を見せてもらうということが役目の手前ということになっているし、要求された方も、身に後暗いものが無い限り、快くその要求に応じてくれるのが例となっている。それを同様に、ここで繰返して要求するまでだということです。
 右のように説明されてみると、あながち役人が権柄(けんぺい)のためや、物好きに抜かせてみようというわけではなく、当然のお役目のために要求するのだ。そこで、この一人の川破りのために、物々しく貝を吹き鳴らしたのも、必ずしも川破りを咎(とが)めようとするのが目的でなく、ちょうど来合わせていた右の目附の一行が、それ! と見て、怪しいと心得て警戒を命じ、自分たちはあとからおっとり刀で早舟を飛ばせたという段取りになっていることがわかりました。
 立聞きをしていた田山白雲も、これはまず役向の要求として無難なことであるとは思いました。
 その理由を、むずかしい面(かお)をして聴いていた川破りの小男――もうすでに本名が柳田平治とわかっているから、その名を用いることにする――柳田平治が少し気色(けしき)ばんで、
「では、抜いてお目にかけよう」
と言いました。
「どうぞ」
「しかし、抜くには抜くが、一度限りでござるぞよ」
と柳田が念を押しました。
「もちろん、一度限りでよろしい」
 役人も頷(うなず)きました。
「身共は恐山の林崎明神のお堂でちっとばかり居合の稽古を致したにより、流儀によって抜いてごらんに入れようと存じ申す」
「それは一段のこと」
「流儀によって、一度だけは抜いてごらんに入れ申すが、二度は相成りませぬぞ」
「念を押すまでもないことじゃ」
「では、抜いてお目にかける」
 柳田平治は、少し前の方へ進んで身構えをしました。
 どうして、あの小男が、あの長剣を抜くか、長井兵助や、松井源水を見つけないこの地方の人々には、少なからぬ驚異でありましたが、田山白雲もまた固唾(かたず)を呑み、思いがけない見物をすると共に、この小男のかなり強情なのに呆(あき)れました。

         八

 刀の中身を見たいと言うので、刀の抜きっぷりを見せてくれと言ったわけではないから、こう物々しく前へ出て身構えをし直さなくともよかりそうなものだと思われないこともない。素直に、「いざ、存分にごらん下さりましょう」とかなんとか言って、鞘(さや)ぐるみ差出した方が神妙でよかりそうな場合ですけれども、柳田平治はそうはしないで、すっくと二三歩あるき出して、そこで長剣をゆり上げて身構えをしました。
 その時、田山白雲が見ると、柳田の目つきが尋常でないと思いました。血走っているというわけでも、殺気が迸(ほとばし)るというわけでもないが、なんとなく一道の凄味(すごみ)が流れ出しました。つまりこの男は、真剣に刀を抜く気だな、ただ抜いて見せるだけでなく、居合の呼吸で抜いて見せるつもりだな、と考えざるを得ないのです。
 田山白雲も、少々居合の心得が無いではない。「こいつ相当にやるな!」と思ってこの男の人相を見直すと、頭のところの月代(さかやき)の中に、大小いくつもの禿(はげ)が隠れつ見えつしている。その禿というのは、天性、毛髪が不足しているというわけではなく、相当の期間以前に生傷(なまきず)であったものが癒着(ゆちゃく)して、この部分だけ毛髪がなくなっているのだとしか見られないのです。これだけによって推想してみても、子供時代から、手にも足にも負えなかった持余しもので、その負傷の中には、柿の木から転び落ちて打った傷もあろうし、隣村の悪太郎からこば石をぶっつけられた合戦の名残(なご)りと見られるものもあろうし、時とすると、真剣で浅く一殴りやられたものではないかと思われるほどの三日月形のも見えるのです。
 そこで、改まって茶店の前で身構えをした時には、役人をはじめ、見ている者が、なんとなく穏かでない気分に襲われました。
 やがて、腰のところへ手をあてがって、いわゆる居合腰になったかと見ると、スラリと水の出るように三尺五寸の長い刀を抜き出して、そうして、それを役人の目の前へ持って来て、ピカピカ二三べん閃(ひら)めかしたと思うと、スラリとまた鞘(さや)の中へ叩き込んで、多少の鍔音(つばおと)もさせませんでした。
「ごらん下されたか」
「うむ――」
「いかがでござりましたか」
「うむ――」
 役人は、もう一ぺん改めて抜いて見せろとも言わず、こちらへよこせ、自分で抜いて見届けて遣(つか)わすとも言いませんでした。柳田の挙動に気を呑まれたというわけではなかろうが、最初の約束に、一度限り見せて進ぜる、いかにも一度限り、苦しくない――という誓言(せいごん)が物を言って、そこでそれ以上の註文は出せないらしい。
 見物の中には、わき見をしていたために、この男が長い剣を抜いた抜きっぷりを見なかったのみならず、中身はもちろん、それを鞘に納めたのまで見損ったものもありました。まだ抜かないのだな、まだ抜いて見せないのだな、これからが勝負だとばかり思っているうちに、市(いち)が栄えてしまったという次第です。
 それですべてが落着して、さしもやかましかった川破りも、刀調べの結果も、何のお構いも、お咎(とが)めもないということになると、柳田平治は肩で風を切って、さっさと前途に向って出立してしまいました。前途というのは、仙台方面へ向けて、つまり江戸へ行くという目的の方向なのであります。

         九

 呆気(あっけ)にとられた多数と共に、その後ろ姿を見送っている田山白雲は、その去り行く柳田平治の恰好(かっこう)を、おかしいものだと思わずにはおられません。
 長剣短身は変らないが、その歩きっぷりというのが、さいぜん河原の中で見た挙動とは、また打って変った趣きがある。
 それは小男としては大股に歩くのですが、足には太い鼻緒の高下駄で、そうして肩で風を切るというけれども、その風の切りっぷりが鮮か過ぎるので、少々身をうつむきかげんにして、右の肩が先に出る時には、それと共に右の足が著しく進出して、後ろの肩が思い切って後退する。左の肩が出る時は、左の足がそれに準じて大股になると共に、右の肩が思い切って後ろへ開かれる。その早足の調子と相待って、ぎくしゃくとした形、どうしてもおかしからざるを得ないのです。
 けれども、その渡頭(わたしば)に呆然(ぼうぜん)として群がっている者が誰ひとり、笑って見送るものはありませんでした。どうもこれだけでは、笑って済まされない何かが残されてあるような気勢がしているからです。
 さて役人の方は、これだけの査問が終ると、少々テレ気味で引揚げ、以前の早舟に飛び乗ると、さっさと舟を向う岸へ戻させてしまいました。その最後に当って、通常の旅客を満載した定期の渡し船が、向うの岸からこちらの岸へ到着しました。
 それと入り代りに、こちらに待兼ねた士農工商が、いま到着した渡し船に、普通ならば我先に乗込むのですが、今日は二の足を踏む者が多いのです。
 それというのは、向うから着いた旅客に向って、この際、向う岸の動静を聞いて置きたいという心持と、あちらから乗込んで来た一行も、何か事の仔細を、新たに向うへ渡ろうとする旅客に話しかけようとする気分が動いていたからで、そういうことに頓着ない老人子供などは、先へ乗込んだけれども、なかには、まだ一舟遅らせても新来の客と話し込んでみたいという者もありました。それがカチ合って、茶店の中での問答に興が乗ってきました。
 今度は、物騒な川破り男もいないし、役人も行ってしまったから、心置きなく乗合衆の世間話に興が湧き上って来る。
 田山白雲としても、この際、ちょっと立てなくなりました。只今さっさと風を切って立去ったところの、あの長剣短身の男の行方もどうやら気になる。そうかといって、この場へ齎(もたら)されて花が咲こうとしている向う河岸(がし)から新来の旅客の世間話が、どうしてもこの際、聞きのがせないものの一つとなっているようだ。
「えらいことじゃ、南部の御家老様のお嬢様をそそのかして、連れて逃げた奴がござる、その追手じゃな――それと前後してからに、南部の御城下で、お歴々の首を斬って立退いた奴があるとのことじゃ、それでお目つけがああしてお調べにおいでじゃわい」
と、向う岸から来た乗客のうちの年配なのが、土間の炉端の床几(しょうぎ)へ腰をかける匆々(そうそう)、こう口走ったのを、他の人数と同様、白雲も、更にその詳しい説明をここで聞いて置きたい気持になりました。
 よし、事のついでだ、ここで一番、川魚でもあぶらせて、腹をこしらえてやろう。こっちもこれから前途相当に多事である。なんにしても腹をこしらえてのことだ。
 白雲は、どっこいしょと腰を据え直し、持参の割籠(わりご)を開きにかかりました。

         十

 割籠を開いて、川魚をあぶらせ、腹をこしらえながら田山白雲は、向う岸から新来の乗合客のゴシップを聞いていると、最初に齎されたところのもの以上には詳しいことを知ることはできなかったけれども、要するに、南部の家老の非常に美しいので有名なお嬢様を、そそのかして連れ出した悪い若侍がある。悪い奴だけれども美しい男で、それに腕が利(き)いているのだということ。もう一つ別に盛岡の城下で、身分の軽からぬものを斬って立退いたものがある、その探索をも兼ねてあの役人が出張したということ。
 右のうち斬捨てられた軽からぬ身分の者というのが、どのくらいの程度のものであるかよくわからないが、どうも前後の話を取合わせると、右の悪い若侍がそそのかして連れ出した娘の父であるという家老ではないか、家老であるところの父を斬って、その子であるところのお嬢様というのをそそのかして連れ出したのではないか、というように想像されてならないが、話の筋道は全く事件と性質を異にしたものになっている。
 事件と性質とを異にしていても、いなくても、前者の事件には、今の長剣短身の男は絶対にかかわりがないと見なければならない。美しいお嬢様なり、姫君なりを連れての道行(みちゆき)ではなかったし、あの男自身も、美男で色悪(いろあく)な若侍とは言えまい。
 だが――第二の事件、別に盛岡の城下で、身分の軽からぬものを斬って捨て、行方をくらましたというのへ当てはめてみると、あの男に相当ピタリと来るものがないとは言えないのだ。あの男ならば、意趣や遺恨は別として、単に出逢頭(であいがしら)の話の行違いだけでも、ずいぶん抜く手を見せ兼ねない。嫌疑としても容疑としても、その点は相当のものなのだ。刀の調べられっぷりでも、あれでは結局役人をばかにしたようなものだ。ばかにされたようなものだと知りつつ役人が黙過したのは、二本目を抜かせまいがためだ。二本目を抜かせると、何をやり出すか知れない!
 その危険性は白雲もまた、充分に見て取っているのだ。ああいう際には、暫く不問に附してみることも、役人として卑怯なりとは言えない。だが、あの当座だけ大目に見られた御当人が、これから先、あの調子で、江戸まで往来が為(な)され得ると考えたら大間違い。恐山から来たと言ったが、本当の山出しで、まだ世間を知らない。立ちどころに行詰まって、立腹(たちばら)でも切らなければ納まらなくなるのが眼に見えるようだと、白雲はそれを思いやり、笑止千万に感じながら、でも、なかなか痛快な若者ではある、自分が帰りがけでもあれば、同行して面倒を見てやってもいいが、今はそうしてもおられない。
 いや、飯も食い終った、乗合も散った、さあ出かけよう、と田山白雲が若干の茶代を置いて、この渡頭の茶店を立ち出でると、出逢頭に、のこのことこの場へやって来たものがありました。
 見ると、それが今の思出し男、恐山から来た柳田平治に相違ありませんから、白雲も思わず、たじたじとしたことです。何をどうしたのか、先刻あれほど肩で風を切って出かけて行った男が、なんとなく浮かぬ面(かお)で、すごすごとまたここまで舞い戻って来たということが、白雲をして面食(めんくら)わせることほど、意外千万な引合せであったからです。

         十一

「どうしたのだね、君」
 あまりのことに、田山白雲が身近く寄って来たところのこの男に向って、かく呼びかけざるを得ませんでした。
「忘れ物をしました」
「忘れ物、何を忘れたのです」
「手形を忘れました、旅行券を」
「なるほど――」
 その手形というのは、さいぜん、現にここで、この男が懐中からさぐり出して役人に提示して見せたのを、現に田山白雲も見届けておりました。
 あの際、紛失したのか、或いはここを出て暫く行く間に取落しでもしたものか、いずれにしても、粗忽千万(そこつせんばん)の咎(とが)は免れない。隙のないようでも、若い者の手はどこか漏れるところがある。これから先、山河幾百里の関柵(かんさく)をあけて通る鍵だ。その唯一の旅行免状を取落して何になる。これではさすがの強情者も、浮かぬ面をして取って返さざるを得ない出来事だと、白雲も思いやりました。
 しかし、事実はここで役人に提示したのだから、これよりあとへ飛んで戻るはずはない。柳田平治はまず店先よりはじめて、その辺を隈(くま)なく探し求めましたけれども、ついにそれらしい何物もありません。
 柳田はついにその長剣を背中へ廻して、低い縁の根太(ねだ)の下まで探してみたけれども見出せないのです。白雲も同情して、そこらあたりを漁(あさ)って見てやったけれども、発見することができません。
 さしもの豪傑も、ここに至っていたく銷沈気味でした。
 茶店の老爺(おやじ)も気の毒がって、炉辺のござまでめくって見せたけれども、附木(つけぎ)っ葉(ぱ)と、ごみと、耳白(みみじろ)が三つばかりあるほかは何物もありませんでした。もしやと、少し下りて船頭小屋から渡し場のあたりまで調べてみたけれども、ついにそれらしい何物もありませんでした。
「もうやむを得ん」
と言って柳田平治は、腕組みをしたまま突立って、川原の彼方(かなた)を無念そうにながめました。
 居合にかかろうとする瞬間である。問題はそこだ。そこでいったん懐中へ蔵(しま)い直したはずの手形が紛失したのだ。
「どうも見えないね、君」
 白雲は慰め顔にこう言うと、腕を拱(こまね)いていた柳田平治が、
「是非に及ばんです、いや、僕が悪いのです、こちらに隙があったからです、修行が足りないからなんだ」
「過(あやま)ちというものは誰にもあるものだ、そう気を落さんで、もう一度、念入りに探し給え、拙者もたしかに、ここで君が役人に見せたのを見届けているのだから」
 再び白雲が言うと、
「いや、過ちではないです、僕のぬかりなのです、あの時、刀を抜く方に気を取られて内懐ろに隙が出来た、それが未熟の致すところなのです。あの時に取落したんじゃない、あの時に抜き取られたのです。しかも抜き取った奴の面までちゃんと僕は覚えているんですが、今となってはどうにも行かんです」
 じっと、向う岸を睨(にら)んだ眼の中には、存外、自制もあれば、分別もあることを、田山白雲は認めました。果して落したものでない、抜き取られたものであるとすれば、抜き取った奴は何者か。何のためにしたことだ。居合を見事に抜かれたその仕返しに、こちらは懐中物を抜いてやったというのは、いたずらにしても細工があり過ぎているではないか。

         十二

 向う岸を睨みながら、柳田平治が、なおひとり言のように言いました、
「役人の傍に変な奴が一人いたのです、今となってわかるのです。なぜわかるかと言えば、あの、僕がこれを抜こうとした瞬間に、誰の心もみんな僕に向って集中するのはあたりまえなんで、みんなの心が集中するから、こちらも精神の統一が出来て、わざがやりよいのです。しかるにあの時、役人の傍に一人だけ変な奴がいて、何か僕の周囲(まわり)で、別な心持を持ってちょこまかしていたのが、いま思い当るのです、そいつが僕の手形を抜き取ったのです」
「人の手形を抜き取って何にするつもりだろう」
「何にするつもりか、それはわからんですが、単なる悪戯(いたずら)でもないでしょう。しかしです、もうそれと知った以上、詮議しても無駄ですから、僕は諦(あきら)めます」
「あきらめると言ったところで君、これから旅行免状なしに、どこへ行こうとするのだ」
「手形は無くても、道路があり、足がある以上は、行って行けないはずはないでしょう」
「そりゃあ理窟というものだ、君はまだ旅というものを知らない」
と、改めて田山白雲は、この青年に教訓してやる心持になりました。
 この青年は旅を知らないが、自分は知り過ぎている。旅というものは、足だけでできるものではない、行路の難というものは、山にあらず、川にあらず、ということを、一席聴かせてやることが、この際、後進に対する重大な教育だと感じないわけにはゆかないのです。
 そこで田山白雲が、この青年をとらえて、旅というものの教訓を始めようとする時に、この茶屋の前がまたにわかに物騒がしくなりました。
 それは、往還の要衝たる渡頭のことですから、相当賑(にぎ)やかなのは当然のことですが、賑やかと物騒とは調子が違います。只ならぬ人間の犇(ひし)めきが、今度はこちらの岸から起り始めたかのようです。白雲が、話題の鼻を折られていると、その前へ繰込んで来たのは、たしかに物騒な一行で、抜身の槍、突棒(つくぼう)、刺叉(さすまた)というようなものを押立てた同勢が、その中へ高手小手に縛(いまし)めた一人の者を取押えながら、引き立てて来たのであります。
 二人は、押黙って、その光景を見ないわけにはゆきませんでした。
 まず、真中に取りおさえられ、引き立てられている当人を見ると、それは、黒の羽二重(はぶたえ)の紋附を着て、髪は五分月代(さかやき)程度に生えて、色の白い、中肉中背の二十歳(はたち)を幾つも出まいと思われる美男でした。それが着物は引裂け、朱鞘(しゅざや)の大小をだらしなく差したまま、顔面にも、身体にも、多少の負傷をしながら、高手小手にいましめられて、引き立てられて来るのです。
 そうして、この茶屋の前を素通りしてグングンと引き立てられ、渡頭の方へと引かれて行くのは、舟で向う岸へ運ばれて行くものと見える。
 思いがけない兇状持ち、それを無言で見送った途端、田山白雲の頭に閃(ひらめ)いたのは、さいぜんの乗合者の話――南部の家老の娘をそそのかして連れ出したという、美男の、色魔の、若侍の物語でありました。今ああして縛られて行ったのが、どうしてもその当人と思われてならぬ。あれが捕われたのだ、それがもはや疑う余地のないほどピタリと白雲の頭に来ました。

         十三

 上来の事件とほぼ時間を同じうして、距離に於ては向う岸の渡頭から南へ一里余を隔てた、追波川(おっぱがわ)が湾入して、大きな沼池をなしているところの荒れ果てた石小屋の中の、一方へ空俵を重ねて、その上へ毛布を敷きこんで、寝そべっている若い女の子がありました。
 島田に結った髪がほつれてはいるけれども、花模様の着物の着こなしも、朱珍の帯のしめっぷりもきちんとはしている。だがまた、いやに艶めかしいところもあって、寝そべって、細くて白い、そのくせ痩(や)せてはいないで、少し蒼味を持った肉附のいい両腕を、双方から、ぼんのくぼあたりへあてがって、そうして甘えるような、また自暴(やけ)のような声で、
「つまんない」
と言いました。
 そうすると、つい、その戸じまり一重(ひとえ)次になった臨時お台所で、
「ツマンナイコト無イデス」
と言う、がんまりした、その上、多分の寸伸びを持った応対。
 見ると、そこに、不器用な手つきで、焜炉(こんろ)を煽(あお)って何物をか煎じつつあるその男は、これはずいぶん変っていました。まず眼の色、毛の色が変っているのみか、その体格が図抜けて大きいのが何より先に眼につきます。これは、月ノ浦に泊っている駒井甚三郎の無名丸から脱走して来たマドロスに相違ありません。してみると、無論、この一方に寝そべって、「つまんない」と投げ出した、妙にじだらくな若い女の子は、右のマドロスにそそのかされて、共に駒井甚三郎の無名丸を脱走して来た兵部の娘に相違ないでしょう。いや、マドロスに誘拐されたのか、マドロスをそそのかしたのか、そのことはよくわからないが、こうして一方が不貞腐(ふてくさ)れの体(てい)で寝そべっているのに、一方が庖厨(ほうちゅう)にいて神妙に勝手方をつとめているところを見れば――位取りの差はおのずから明らかであって、つまり、女が天下で、男が従なのです。女が比較的にヒリリとして、男が多分に甘い。
「ああ、つまんない、つまんない」
 女の方がいよいよ自暴(やけ)になって、ほつれた髪の毛を動かすと、大男が、
「アア、ツマンナイコト、チットモナイデス」
「マドロスさん、お前の言ったことはみんな出鱈目(でたらめ)ね」
「デタラメデナイデス、本当デス」
「一つとして本当のことは無いじゃないか、この海を一つ乗りきりさえすれば、外には直(じ)きに大きな黒船が待っていて、わたしたちが着けば、その大きな黒船の上から梯子(はしご)を投げかけてくれる、それに捉まって上ってしまいさえすれば、もう占めたもので、あの黒船の中は、またとても外から見たよりも一層大きくて、美しくて、その中にはキャビンというものがあって、室内いっぱいの大きな鏡があって、下には花のような絨氈(じゅうたん)が敷いてあって、御馳走は、朝から晩まで給仕さんが、世界中の有りとあらゆるおいしいものを、注文さえすればいつでも持って来てくれる、それから夜は、中へ入るとふわりと身体が包まって、どこへ隠れたかわからないベットというやわらかなやわらかな蒲団(ふとん)の上に寝かせてくれる、そうしてその大船が、千里でも二千里でも畳の上を行くように辷(すべ)って行って、そうしてやがて、異国の陸(おか)に着いてからがまた大したもので、どこを見ても、御殿のようなお家ばっかり、孔雀(くじゃく)や錦鶏鳥(きんけいちょう)が、雀や鶏のようにいっぱい遊んでいるのなんの言っていながら、黒船なんぞ、どこにも見えやしないじゃないか――」

         十四

 娘がずけずけと不平を並べるのを、男はハイハイと頭を下げて、
「モ少シノ辛抱デス、オ嬢サン、ココデ仕度ヲシテ、ソレカラ海ヘ出ルデス、海ヘ出ルト黒船ガ待ッテイルデス」
「当てにならないね、マドロスさんの言うことは」
「当テニナルデス、今ココヲ逃ゲ出スト、人ニ見ラレルデス、人ニ見ラレルト、黒船ニ乗込ム前ニ捕マッテシマウデス、モ少シノ辛抱カンジンデス」
「もう、わたし、辛抱がしきれない、誰かに見つけ出してもらいたいわ」
「見ツケラレルト怖(こわ)イデス、捕マルデス、縛ラレルデス、ソウシテ船ヘ送リ返サレルト、ブタレルデス」
「怖かないわ、駒井の殿様は、そんなにきつく叱りはしませんよ」
「船ドサンタチガコワイデス、ワタシ袋叩キニサレマス、間違エバ簀巻(すまき)ニシテ海ノ中ヘ投ゲ込マレテシマウデス」
「そんなこと、ありゃしませんよ。もしかして船頭さんたちが、そんな乱暴をした時は、駒井の殿様が差止めて下さるわよ。それから、金椎(キンツイ)さんは神様を信じているから、わたしたちがこんな間違いをしたって許してくれる。それから茂ちゃん――あの子は何をするものですか。ああ、わたし、無名丸へ帰りたくなってしまった、誰か迎えに来てくれるといい」
「ソンナコト、イマサラ言エタ義理デハナイデス」
「ではマドロスさん、早く黒船へ乗せて頂戴な、黒船をここまで呼んで来て頂戴」
「ソレ無理デス、黒船大キイ、コンナ川ヘ入ラナイ」
「でも、この川もずいぶん大きいじゃないの」
「サ、オ餅、焼ケマシタ、オアガリナサイ」
と言って、一方の火にかけた鉄桿の上から、マドロスが真黒いものを一つ取って、娘の枕元へ差出すと、娘はちょっと横を向いて、ちらとその黒いものを見やり、
「何なのそりゃ、マドロスさん、いやに真黒なもの、何なの」
「焼餅デス、サッキ渡シ場ノ船頭サンカラ、貰ッテ来タデス、色ハ黒イケレド、ナカナカオイシイデス」
「わたしには気味が悪くて食べられない」
「食ベナイト、オナカスクデス、オナカスクト身体弱ッテ、コレカラ黒船マデ行ケナイデス」
「だって、食べたくない」
「オアガリナサイ、無理ニ食ベテ元気ヲオ出シナサイ」
「食べられません」
と言って、娘はこちらを向いてしまいました。この黒い焼餅こそは、先刻、このマドロスが生命(いのち)がけで渡頭の船頭小屋へ闖入(ちんにゅう)して、そこから掠奪して来たものです。そうして逃げ出すところを、船頭父子に追いつめられて、命からがら逃げのびて来た、その光景を向う河岸の小高いところに据えつけていた遠眼鏡を取って、いちいち田山白雲に認められてしまった、あれなのです。
 そういう思いをして得て来た生命がけの糧(かて)を見ること、この娘さんは土芥(どかい)にひとしい。
「ああ、もう日が暮れるじゃないの、また今晩もこんなところで――ああ、わたし、いや、いや、誰か迎えに来て下さい、茂ちゃん――七兵衛おやじだといいけれど、あの人はいないし、田山先生だとなおいいけれど、あの先生も旅に出てしまった、誰か探しに来て下さい」

         十五

 自暴(やけ)をまる出しに、娘の調子が少しずつ声高(こわだか)になって行くのに狼狽したマドロスは、
「オ嬢サン、大キナ声ヲシテハイケナイデス」
「だって――今晩もまたこんなところで夜を明かさなけりゃならないとすれば、わたし、もうたまらない」
「モウ少シノ辛抱デス、日本ノ唄(うた)ニモ、オ前トナラバドコマデモ……トイウ唄アルデス」
「いやよ、マドロスさん、わたしはお前さんと苦労をするために、無名丸から逃げ出したのじゃなくってよ、お前さんが、あの大きな黒船に乗せて、御殿のようなキャビンの中で、王様のように扱われて、そうして異国の土地へ着けば、町々はみんな御殿のようで、金銀は有り余り、珍しい器械道具が揃(そろ)っていて、人間はみんな親切で、何から何まで結構ずくめの外国へ連れて行ってあげるなんて言うから、ついその気になってしまったの。それなのに、この御殿はどうです、まあ、この空俵の上へ毛布(けっと)一枚――ずいぶん結構なベットね。一晩は辛抱したけれど、もうできない、わたしは駒井の殿様のお船の方が、黒船に乗るよりよっぽどいい、逃げ出すんじゃなかった、駒井の殿様のお船に、おとなしくしていればよかった」
「オ嬢サン、ソンナ愚痴イケマセン、少シノ辛抱デス。デハ、ワタシ、アナタノタメニ唄ヲウタッテ上ゲル、コノ手風琴デ、世界ノ国々ノ、港々ノ唄ヲウタッテアナタヲ慰メテ上ゲルデス。今晩一晩ダケデス、明日コノ川下ルト海ニ出マス、海ニ出ルトソノ黒船ガ待ッテイルデス。サ、ワタシ、オ嬢様ノタメニ、世界ノ国々ノ、港々ノ唄ヲ何デモウタッテ上ゲルデス、オ望ミナサイ、外国ノ唄オイヤナラ日本ノ唄、ワタシタイテイデキルデス、八重山、越後獅子、コンピラ船々、追分、黒髪、何デモオ望ミナサイ」
と言ってマドロスは、立って一方の隅から手風琴を提げて来ました。これは無名丸備えつけの品を、行きがけの駄賃にかっぱらって来たものでしょう。
「いや、いや、唄なんか聞きたくありません、唄どころじゃないわ」
「船カラオ茶少シ持出シテ来マシタ、オアガリナサイ」
「何も欲しくありません。ああ、いやだ、だんだん外が暗くなる。帰りましょうよ、マドロスさん、ね、お詫(わ)びをして、駒井の殿様のところまで帰りましょうよ、直ぐにね、日の暮れないうちに、さ、いま直ぐに」
「イケマセン、イケマセン、モウ少シ落着クコトヨロシイ」
「いいえ、わたし、もう思い立ったら意地も我慢もないのよ、マドロスさん、お前、戻るのがいやなら、わたしは一人で出かけます」
「イケマセン、私、一生懸命ニ止メルデス」
 だらしなかった娘が、バネのようにはね起きると、ばったが飛びついたように駈け寄って抑えたマドロスの眼つきは、今までのウスノロではなく、燃えるような執着を現わしていました。
「放して頂戴」
「イケマセン」
「馬鹿!」
「イヤ、馬鹿デナイデス、オ嬢サン、アナタ考エ無シデス」
「お前がわたしを騙(だま)したんだわ、ああ、いやな奴。誰か迎えに来て下さるといいねえ、こういう時は田山先生に限るのよ、田山先生でなければ、このウスノロをどうにもできやしない!」
と言って、娘は力を極めてマドロスを突き飛ばしました。

         十六

 突き飛ばしたつもりだけれども、相手は飛ばないのです。
「オ嬢サン、アナタ、モウ、ワタシノモノアリマス、逃ゲラレマセン」
「ばかにおしでないよ、お前さんなんて、ウスノロのくせに」
「アナタ、モウ、ワタシニ許シタデス、ワタシモウ、アナタ離サナイデス」
「しつこい奴ね」
「アナタ、ワタシノモノデス」
「あ、畜生!」
 いかに争っても、これは問題にならない、というより、もう問題は過ぎているのです。娘は全くマドロスに抱きすくめられて、身動きすることもできない。そうすると、急に娘の言葉が甘ったるくなって、
「ねえ、マドロスさん」
「エ」
「そんなに苛(いじ)めなくてもいいことよ」
「ワタシ、チットモ、アナタイジメルコトアリマセン、アナタ可愛クテタマラナイデス」
「可愛がって頂戴。可愛がって下さるのはいいけれど、それほど可愛いものなら、わたしを大切にして頂戴、ね、ね」
「大切ニシテ上ゲルデストモ、ワタシ、命ガケデアナタヲ可愛ガルヨロシイ」
「では、わたしも、もう我儘(わがまま)を言わないから、無理なことしないで頂戴、ね」
「無理ナコトシタリ、言ッタリ、ソリャ、オジョサン、アナタノコトデアルデス」
「仲直りしましょうよ」
「ワタシ、仲直リスルホド、仲悪クアリマセン」
「ですけれど、マドロスさん、今晩はまた寒いのね、この毛布一枚じゃ、どうにもなりゃしない」
「火ヲ焚クデス、夜通シ火ヲ焚イテ暖メテ上ゲルデス」
「では、焚火をして頂戴」
「ヨロシイデス」
 マドロスは、唯々(いい)として命令に服従し、今夜の寒気を防ぐべく火を焚く前に、臨時のストーブの築造にかからねばならないことを知りました。しかし、この女を暖めるためには、そのくらいの労力や才覚は何でもない、つとめて保温を完全にして、今夜一晩の、この娘の歓心を買うことにつとめなければならない。それには、どうしても、いま現に利用しつつあるところのこの半壊の囲炉裡(いろり)を修理して、これに格子か、或いは櫓(やぐら)を載せて、そうして炬燵(こたつ)の形式にすることが最も簡単で、そうして効果のあることだと思い当ったらしく、無論もうその時はぐんにゃりとなった、抱きすくめた女の身体を放してやり、それから炉べりに向って新しい煖炉の仕かけのために、一心に工夫を凝(こ)らしはじめました。
 逃げるなら、この隙(すき)に――といったところで、どうにもなるものではありません。叫べば口を抑えられてしまい、動けば抱きすくめられてしまい、走れば追い越されてしまう。どうにもこうにも仕様はあるべくもないことを、娘は百も合点(がてん)して、そうしてなお一層、甘ったるく持ちかけるようです。
「ねえ、マドロスさん、お炬燵(こた)が出来たらば、手風琴を弾いて唄を聴かせて頂戴、何でもいいわ、あなたのお得意(はこ)のものをね。淋しいから陽気なものがいいでしょう、思い切って陽気な、賑やかな唄を聴かせて頂戴な。でも、淋しいのでもかまわない」
 こう言われて、マドロスが全く相好(そうごう)を崩し切って、六尺の身体が涎(よだれ)で流れ出しました。

         十七

 相好を崩し、涎で身体をただよわせながら、マドロスが言いました、
「デハオ嬢サン、スペインノ歌ヲ一ツ聞カセテアゲルコトアリマス、スペインハ日本人イスパニヤ言イマス、イスパニヤハ果物タイヘンオイシイデス、唄モナカナカ面白イデス、オ婆サンモ、若イ娘サンモ、ヨク唄ウアリマス」
 手風琴を取り直すと、ブーカブーカをはじめて、何かわけのわからぬ唄をうたい出しました。それを聞いていると、なんだか長く尾を引いた高調子の唄ではあるが、賑やかな音楽と言ったのに、妙に物哀しい音色を包んでいる。そこで、女がこう言ってたずねました――
「マドロスさん、今の唄、何という唄なの、なんだか琵琶を聞くような、悲しいところがあるわね」
「コレハフラメンコイウ唄デス、次ハタランテラ唄イマショ、ナポリイウトコロデ唄イマス」
とマドロスは前置きをして、また一種異様な音楽をはじめ出しました。
 この甘ったるいマドロスが、フラメンコだの、タランテラだの名題を並べては、わけのわからぬものをやり出すのですが、女には、もとより何が何だかわからないし、また得意でやり出している御当人のマドロスにも、その音楽の本質がわかってやるのだかどうだか、それも甚(はなは)だ怪しいものなのです。
 怪しいものには相違ないけれども、いいかげんの出鱈目(でたらめ)に奏(かな)でているものとは思われません。
 本来、このウスノロのマドロスの生国は何国の者だかわかっていないのです。御当人自身にも、自分の国籍は判断し兼ねるのですが、ともかくラテン系のどこかの場末で生れ、そうして物心つくと共に、労働と漂泊に身を委(ゆだ)ねてしまったものですから、国籍は海の上にあって、戸籍は船の中にあるものと心得ているらしい。従って、教育もなければ、教養もない。しかし、官能だけはどうやら人間並みに発達していて、特に音楽は好きでした。
 好きといったところで、高尚な音楽を味わうほどの教養はなし、また特に教養以上に超出する天才でもなし、ただ、横好きというだけで、見よう見まねに音楽をやることが、まずこの男の唯一の趣味でもあり、生活の慰安でもあったでしょう。
 ところが、地球上の津々浦々を家とするマドロスの境涯に、一つの恵まれた役得というのは、その国々に行われるところの異種異様の音楽なり、舞踏なりを、その国ぶり直接にひたることができるという特権でありました。
 ですから、この唄にしても、日頃やる怪しげな舞踏にしても、巧(うま)いとか拙(まず)いとかいうことは別として、ともかくも、みんな直接本場仕込みであることだけは疑いがないのです。本場仕込みと言ったところで、おのおのその国の一流の芸事に触れて来たというわけではないが、気分にだけは相当にひたって来ているのですから、今、スペインのフラメンコをやり出そうとも、ナポリのタランテラを振廻そうとも、それが物になっていようとも、いなかろうとも、ともかく、自分みずからその境地に身を浸して拾い取って来たのですから、一概にごまかしと軽蔑してしまうわけにゆかないのです。
 そこで、兵部の娘が、このマドロスの人品の下等なことと、その音楽の怪しげなことを忘れて、その怪しげな音楽を通じての、遥(はる)かの異郷の人類共通の声というものに、多少とも動かされざるを得なかったのでしょう。

         十八

 このマドロスのような下等な毛唐(けとう)めに、たとえ何であろうとも唆(そそのか)されて、共に道行なんということは、日本人としては、聞くだに腹の立つことのようであり、兵部の娘としても、たとえ常識は逸していても、官能はあるだろうから、好きと、嫌いと、けがらわしいのと、けがらわしくないのとは相当鋭敏でなければならないはずだが、それはさいぜん会話の時のように黒船の誘惑と、異国情調の煽動に乗せられた点もあるかも知れないが、他の大きな原因は、お松という同乗の朋輩(ほうばい)に対する反抗心と、それから駒井甚三郎に面当てをしてやりたいという心とが、そもそもの出発点ではあったけれども、もう一つ御当人の気のつかないのは、この音楽というものの魅力でした。
 この、野卑で、下等で、且つ眼色毛色まで変っている毛唐めの口車に乗ったのは、いつか知らず自分が、この毛唐の持つ音楽的魅力に捉えられてしまっていたのだということを、まだ当人は気がついていないのです。
 マドロスそのものはいやな奴、身ぶるいしたいほど嫌なウスノロではあるけれども、こいつに音楽をやり出されると、どうしても誘惑を蒙(こうむ)らざるを得ないのです。誘惑も深く進めば感激となり、やがては身心ともに陶酔、というところまで持込まれない限りはない。

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