大菩薩峠
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著者名:中里介山 

         一

 とめどもなく走る馬のあとを追うて、宇治山田の米友は、野と、山と、村と、森と、田の中を、かなり向う見ずに走りました。
 しかし、相手は何をいうにも馬のことです。さしもの米友も、追いあぐねるのが当然でしたが、そうかといって、そのまま引返す米友ではありません。ことに右の放たれたる馬には、長浜で買入れた家財雑具はいうに足らないとしても、たったいま両替したばっかりの何千というお金が、確実に背負わせられている。金額の多少を論ずるわけではないが、ことにあのお嬢様が、この米友を見込んで用心棒を依頼してある、その責任感から言っても、追及するところまでは追及せずにはおられないでしょう。
 それはそうとして、米友もまた心得たところもある。奔馬(ほんば)というものは、前から捉えるに易(やす)くして、後ろから追うにはこの通り骨(ほね)だが、そうかといって馬というやつは、蝶々トンボの類(たぐい)と違って、どう間違っても空中へ向けて逸走することはない。天馬空(くう)を往くという例外もあるにはあるが、通例としてはせいぜい地上を走るだけのものである。ああしてせいぜい地上を走っているそのうちには前途から誰か心得のある奴が出て来て取捕まえてくれるか、そうでなければ馬め自身が行詰るところまで行って、立往生するか、顛落(てんらく)するかよりほかはないものだ――ただ、往来雑沓(ざっとう)の町中ででもあるというと、他の人畜に危害を与えるおそれもあるが、その点に於てこういう野中では安心なものだ――という腹が米友にあるから、焦(あせ)りつつも、いくらかの余裕をもって走ることができるのです。
 ところが、案に相違して、なかなか前途から、心得のありそうな奴が飛び出して取抑えてくれそうもなし、何かこの奔馬をして、行きつまらせるところの障碍物といったようなものも容易にないのであります。
 ついに一つのやや大きな川原中へ飛び出してしまいました。
「川へ来やがった」
 川原道を、ついにこの馬がガムシャラに走るのです――その川原の幾筋もの流れをむやみに乗切って、ずんずん飛んで行く馬は、まだ石田村の門前でひっぱたかれた逆上(のぼせ)が下りないで、お先まっくらがさせる業なのでしょう。
 やむことを得ず、米友もつづいて川原の中へ飛び下りました。
 逆上し切ってお先真暗なことに於て、奔(あば)れ馬(うま)ばかりを笑われませんでした。幾分の余裕を存して追いかけて来たつもりの米友自身すらも、この時分はかなり目先がもうげんじていました。
「わーっ」
という喚声が、行手の川の向う岸から揚って、そうしてバラバラと礫(つぶて)の雨が降って来た時は、米友が、屹(きっ)となって向う岸を見込むと、その鼻先へ、今の今までまっしぐらという文字通りに走って来た放れ馬の奴が、不意に乗返して来たものですから、その当座の米友は土用波の返しを喰ったように驚いたが、その辺はまた心得たもので、
「よし来た!」
 何がよし来た! だかわからないけれども、今まで追いかけても追いかけても追いかけ足りなかった目的物が、今度は頼みもしないのに、自分で折返し畳み返して来たのですから、勿怪(もっけ)の幸いと言えば言うものの、この際、米友でなければ、たしかに引返し馬のために乗りつぶされてしまったことは疑うべくもありません。
 そこを、心得たりと身を沈めて、轡(くつわ)づらをしっかと取った米友、
「どう、どう、どう――しっかりしやがれやあい」
 米友ほどの人格者に握られた轡ですから、何のことはありませんでした、その途端に、馬の逆上がすっかり引下ったと見えて、大きな目もパッカリと見えるようになってみると、疲労そのものが一時に露出したらしく、馬相応の、嵐のような息をついて立ちすくみの体(てい)です――ここで米友は完全に奔馬を取捕まえることの目的を達しました。
 その目的だけは完全に達したけれども、前後左右の分別までがハッキリと手に取れているわけでもなく、頭にうつっているわけでもないのです。
 第一、今までガムシャラに走り続けていたこの馬のやつが、今ここへ来てどうして不意に折返して来たか、前途に心得ある人が出て来たわけでもなし、広い河原で、これぞといって障碍物もありはしないのに――こいつがここで不意にあと戻りをやり出した理由と原因とは、よくわかっていないのです。しかし、その理由と、原因をわざわざと探し求めるまでもなく、米友の身の周囲(まわり)に降りそそぐ石礫(いしつぶて)が、とりあえずこの不穏を報告する。

         二

 片手で馬の轡を取りながら、そうして、石の飛んで来る前岸を見込むと、さても夥(おびただ)しい人出。
 向う岸の土手の全部が、ほとんど人を以て埋っている光景を、米友がはじめて見ました。
「やあ、大変な人だな、蟻町(ありまち)のようだ」
 石の礫は、その夥しい人類の中から降って湧いて来ていることに相違ないが、この夥しい人類が、いつのまに、何のためにここへ現われたのだか、それはひとまず米友の思案に余りました。
 なるほど、荒れ馬の飛んで来るのは危ない。それ故に村の人が警戒を試むるのもよろしい。だが一頭の家畜のために、これだけの人数が繰出して来るとは――第一、馬がこの川原へ来るか来ないうちに、その危険をおもんぱかって、これだけの人数をかり集め得たとすれば、その人寄せは人間業ではない。
 しかしまた、他に目的あってここに待構えているんなら、何かその目的物がありそうなものだが、あいつらの面(つら)という面、目という目は、みんなこっちばっかりを見合せていやがる――だから、この一匹の馬のためにあの人数が繰出されたと見るよりほかはねえ、大仰(おおぎょう)なこった。
 おやおや、竹槍を持ってるぜ、竹槍を林の如くあの通り揃えて持っている。こいつは驚いたな、タカが一匹の放れ馬のために、危ねえ!
 クルクル眼を廻して、驚いてながめているうちにも、礫の雨が絶えず降って来て、同時に向う岸で口々に、おれたちに向って何かを罵(ののし)りかけているようだが、ガヤガヤして何のことだか聞きとれねえ。
 米友としては、奔馬追及の目的は完全に達せられたことだし、たとい、彼等が無理無体に礫の雨を降らしたところで、ここでなにも、好んで、宇治山田の網受けの芸当をしてお目にかける必要のないところですから、その飛んで来る石の雨は片時も早く避けた方が賢いと思慮したものですから、おもむろに馬の口をとってこちらの岸へ戻って来ると、「発止(はっし)!」これはまた、どうしたことでしょう、今度は戻って来る方の岸から、礫の雨が飛んで来ました。
「こいつは驚いた」
 米友は馬の口をひかえて、戻り来る岸の上を見ると、そこにも土手の上いっぱい、芋(いも)の子を盛ったような人出です。それが口々に罵っている、竹槍を持っている、米友と馬とをのぞんで石の雨を降らしかける、それは前岸の光景と全く同じことです。
 自分ながら落着いたつもりが、まだ血迷っていた。向きをかえたつもりだが、実はもう一ぺん廻り過ごして同じ方向に向いちまったか。あわて者が馬へ逆さに乗って尻尾(しっぽ)を見て、「おやこの馬には頭がねえ」と言ったが、乗り直して頭を見て、「尻尾もねえ」と言ったという笑い噺(ばなし)がある。そうでなければ大きな鏡仕掛で、あちらの幻像を、こちらへがんどう返しにうつし取ったものと見なければならないが、事実上、米友がどちらを向いて見ても、両岸が同じ光景だものですから、一時、どうしても、そこに馬の口を取りながら、立ちすくみの姿勢をとらざるを得ませんでした。
「わからねえ。わからねえ奴等だ」
 それは、馬が駈けて行く方が用心するのは当然であるとしても、その用心か惰力(だりょく)かなにかで文句を言い、石の一つも投げてみようという手ずさみは、まあわかっているが、もうこの通り、馬も取鎮めてしまって、そうして穏かに曳(ひ)いて帰ろうてえのに、その引返した方の奴が、悪口を言ってこっちへ石を投げかけるてえのは、わからねえ理窟じゃねえか。
 こういう人気の土地か知らねえが――こんなことは初めてだ、一匹の馬のために、まあ、見るがいい、後から後からとあの人出は、村方総出だ。
 おやおや、竹槍を持ったのが、バラバラこっちへやって来るぜ。
 また、向う岸からも竹槍を持った奴が、バラバラとこっちへやって来るぜ。いったいどうしようてえんだ、このおいらと、馬とを、両方から挟み討ちにして、あの竹槍で突っつき殺さずにゃ置かねえという了見(りょうけん)か――それはいよいよわからねえ。第一、この馬とおいらが、何を悪いことをしたのだえ。
 馬はやみくもに駈けたばっかりだ、おいらはそれを追っかけて来たばっかりなんだ、老人(としより)子供(こども)の一人にだって、怪我あさせたわけじゃあねえんだ。村を騒がせて済まなかったといえば済まなかったに違えねえんだから、その点はおいらだって詫(わ)びをしろと言えばしねえとは言わねえよ。なにもこっちも好きこのんで、馬を飛ばしたわけじゃねえんだ、馬が何かに驚いて飛び出したんだ、何に驚いたんだか、そんなことはまだ原因をたしかめる暇もなく、おいらはこうして追いかけて来たんだが――なんにしてもこっちに責任のある馬には馬なんだから、詫びろと言えば詫びらあな、あやまれと言えばあやまってやらあ――それをお前、何もこっちに一言も言わさねえで、両岸から挟みうちにして竹槍で突っつき殺そうたあ酷過(ひどす)ぎる!
 タカが一頭の馬の畜生のことじゃねえか――まるで、これじゃ戦(いくさ)だ――まさかこの馬が千両からの金を積んでいることを知っていて、それを取りてえから、ああして人数を集めたわけじゃあるめえ。そうだとすれば、村中が心を合せて切取り強盗を商売にしているようなわけのものだが、今時そういう商売の村というのはあるめえ。第一、この馬が千両からの銭金(ぜにかね)をつけているかいねえか、それまで見きわめちゃいめえがな。
 おやおや、来るよ来るよ、本当にやって来るぜ、あの通り若い奴が、竹槍を持って、こっちの岸からも御同様。さあ、もう仕方がねえ、こうなったからはこっちも了見をしなくちゃならねえ。
 米友は川原の真中でじだんだを踏みました。同時に、両方の岸から、すさまじい鬨(とき)の声が起りました。
 竹槍をしごいた両岸の先陣五六名ずつが、その声に煽(あお)られて、奔馬(ほんば)のような勢いで、米友をめがけて――事実、米友としては、そう見るよりほかに見ようがない――両方から殺到し来(きた)るのです。
 こうなると米友は、もはや、じだんだだけでは許されない。
 もういやです。米友としてもこんなところでまたしても武勇伝は現わしたくはないのですが、実際、身に降りかかる火の粉は払わなければならない。払って置いて相当の弁明が聞かれなければ、もうそれまで――そういう覚悟をきめることには未練のない男です。
 そこで、足場を見計らってお手のものの杖槍を二三度、素振(すぶ)りをしてみてからに、懐中へ手を入れると、久しく試みなかった菱(ひし)の実のような穂先を取り出して、しっかとその先を食いこませたものです。
 その時また、わあっ! と両岸で山の崩れるような鬨の声。

         三

 全く理不尽千万な、乱暴至極な、前後から一応の弁明もさせずに、竹槍の槍ぶすまを作って、米友一人と、駄馬一頭とをめがけて襲い来(きた)る暴挙。これは甲州街道の雲助でさえもあえてしなかったところの兇暴です。しかし、事ここに至っては、いかにことを好まない米友であるにしてからが、勢い決死的に応戦の覚悟をきめること以外には、正当防衛の手段は無いのです。
 躍(おど)り立った米友は、その応戦の準備をしている途端に、なんだか急に、風向きが変って、予想の当てが外(はず)れたようにも受取れる――それは、自分と馬とにばっかり向って来るものと思いきっていた両岸の竹槍の槍ぶすまが、決して引返したというわけではないが、ある地点へ来ると、明らかにその槍先の当てが違っている、向きがそれているということを米友が認めました。
 当てが違っており、向きがそれているとしてからが、河原を真中にして、川原の両岸の土手から同じように進んで来ることは少しも変化はないのですが、その槍先が――つまり、米友と駄馬との焦点に向ってのみ集中し来(きた)るものとばっかり信じていたのが、途中にして、そうでなかったということが明らかにわかったのです。
 ある地点で、米友の的(まと)を外してしまったそれからは、中に何も置かず、川と川原だけで、そうして、両岸の竹槍と竹槍とが、対陣の形によって、おのおの両方から取詰めて行っていることを米友が明らかに認めました。
「なあーんだ」
と、それを知った瞬間に、米友が思わず力負けがして息を抜いたのは、べつだん事柄を軽んじたわけでもなければ、案外なばかばかしさから、噛(か)んで吐き出したというわけでもない。
 つまり、この火の粉は、自分の身にのみ降りかかるものと信じきって構えていたのが、実はわが身に降りかかるのではない、ということを知って、個人的に一安心したということに止まり、事件そのものの性質の危険性が、それで解消したというわけでは決してないことを認めると共に、一旦「なあーんだ」と言って、ばかばかしそうに力を抜いた米友が、再び別な用心を以て構えを立て直さないわけにはゆかなかったのです。それというのは、被(かぶ)る人が誰であろうとも、火の粉は火の粉です。火の粉が自分の身の上へ落ちて来るのじゃなかった、ということを認めて安心したのはいいが、それが人の身の上なら落ちかかって来てもいい、という理窟にはならないのです。
 充分の危険性あるものは、危険性あるものとしてなお存在し、それが自分の頭を外れたとは言いながら、他人の頭へなら落ちてもかまわない、という論法にはならないのであります。
 両岸の竹槍の槍ぶすまは、米友を焦点とすることから明らかにそれ出したけれども、その相手が消滅に帰(き)したというのではなく、手取早く言えば、今度は米友とその馬とを抜きにして、ひたひたと竹槍同士の対抗の形となって、ジリジリ押しをはじめている。
「なあーんだ、ここでも戦(いくさ)ごっこがはじまってやがる」
と米友が冷笑しました。道庵先生が関ヶ原で演じた模擬戦を、ここでも誰かが模倣している。
 面白くもねえ――と米友がさげすみました。本来、米友は、道庵がするような芝居気たっぷりがあまり好きではないのです。紙幟(かみのぼり)を押立て、模造大御所で納まり返って、あたら金銭と時間をつぶし、いい年をした奴が、戦争ごっこをしてみたところで、何が面白れえ――
 子供じゃあるめえし――と言って、米友がさげすむのも無理はないのです。道庵先生は、本来ああいうことが好きに出来てるんだ。つまり病なんだ。病では死ぬ者さえあるんだから、どうも、あの先生に限って、仕方がねえと諦(あきら)めてるんだが、病でもなんでもねえ、いい年をした奴等が、こう大勢寄り集まって、あっちでもこっちでも戦争ごっこをするたあ、呆(あき)れ返ったものじゃねえか。
 稼業(かぎょう)を休んでさ――年に一度か二度のお祭なら仕方がねえが、見たところ、これは決してお祭じゃねえんだ。
 ちぇッ――
 米友は、冷笑しながらそれを見ていると、事の体(てい)そのものは全く冗談(じょうだん)でもなければ、いたずらでもない、好きでやっているわけでも、病で狂っているわけでもない、まして、お祭騒ぎでなんぞあるべき余裕や賑(にぎ)わいはちっとも見えないのみならず、明らかに殺気そのものが紛々濛々(ふんぷんもうもう)と湧いているのです。

         四

 今や、最初に米友をめざして突き進んで来た両岸の十数名は、それは先陣でありました。
 先陣は勇者中の勇者のすることです。米友を的としての槍先はこのとき全くそれたが、槍と槍とが川原の真中で出逢ったところですなわち白兵戦が演ぜられるのかと思うとそうでなく、ある地点へ行くと、また急角度に槍先が変って、今度は両方の先陣とも、川をさしはさんで並行線になって、まっしぐらに駈け登って行くところを見ると、そこに水門口があります。
 一方は井堰(いぜき)。
 ちょうど、山崎の合戦で、羽柴軍と明智軍とが天王山を争うたように、この両箇の先陣が、その水門口をめがけて我先にと競(きそ)いかかる有様が、米友にハッキリと読めました。
「ははア――水門だな」
 今や明らかに両軍争奪の的が、米友及びその馬であることは消滅すると共に、新たなる目的物の存在がわかりました。
 目的はあの「水門口」の奪い合いだということは、馬鹿でない米友の頭にかっきりとわからないはずはありません。
「よくあることだ!」
 それは芝居気たっぷりな模擬戦でもなければ、見得(みえ)や慰みでやるお祭でもない。好きと病で、稼業を休んで、ああしているわけではない。全くの戦争だ、いや、戦争以上の生活の戦いだ。
 水争いである――よくあることだ、ひでりの年には。
 水を取ると取らないとは、二つの村の収穫に関係するのである。一年の収穫は、百姓の生活の全部に匹敵するのである。彼等両岸の村々の者が、その収穫のために水を得ようとするのは、その生活のために生命(いのち)を守ろうとするのと同じことだ。
 必要だ――道庵流の模擬戦とは事が違って、現実に即した生死の争いだ、笑いごとや、冗談ごとじゃねえぞ!
 米友がそうさとってくると、おのずからまた力瘤(ちからこぶ)が満ちて、じだんだが川原の砂地へ喰い入りました。ここで今、生活の白兵戦が始まるのだ、さあ後陣(ごじん)が続く続く。
 なだれを打って、後ろから人数が繰出して来たぞ。
 やあ、こいつは――川原いっぱいが死人(しびと)の山になるのだ、気の毒だなあ――
 どっちにも理窟はあるだろう、どっちも生死の境だからこうなったには違(ちげ)えねえが、何とか捌(さば)きはつかねえものか、両方ともに生きたいがために水が欲しいんだ、それだのに、両方は死人(しびと)の山を築いたんでは何にもならねえではないか、意地を張るというやつは、得てしてこんなもんだが、さあ、こいつはいけねえ。
 おいら一人を目の敵(かたき)にやって来たなら、まだ始末はいいが――この多勢で入乱れて混戦となったら手はつけられねえ。
 困ったなあ、弱ったなあ、ちぇっ!
 米友は歯噛みをして、じりじりして、眼をクリクリさせて、じだんだを幾つも踏んでみましたけれど、足がいよいよじりじりと砂地の中に喰い入るばかりで、全く手のつけようも、足ののばしようもないことを覚(さと)らずにはおられません。
 今や双方の先陣が、水門口の天王山を双方から取詰めて、竹槍の先が火花を散らして、両岸に血の雨の洪水を切って落そうとする――瞬間に、いつ、どこから、いつのまに身を現わしたのか、その天王山の中央の水門の上へ、すっくと身を現わした一つの人影を米友が認めました。
 それは、米友が認めたばかりではありません、万人ひとしく注意の焦点でありましたから、誰ひとりとして、その一個の人影を認めないものはなかったろうと思われます。それのみならず、認めるには、ちょうど都合のいいように、地の利もよかったし、第一、その人影そのものの風采(ふうさい)が、かっきり、あたり近所を劃しておりました。
 というのは、その一つの物形だけが竹槍蓆旗(ちくそうせっき)の両岸の人民たちと違って、鮮かにさむらいのいでたちの、しかも寛濶な着流しで、二本の大小を落し差しにしている風采そのものが示します。
 不意に現われたこの一個の人影が、さしもにいきり立った竹槍組の先陣の気勢をも大いに緩和したのか、妨害したのか、とにかく、決死的に勢い込んだ先陣の槍先が鈍(にぶ)ったことは確かであります。
 米友も、眼を拭ってそれをながめました。米友の立っている地点からは、かなり離れていることですから、さながら人形芝居を遠見している如く、影絵の拡大を日中見せられている如く見えるのですが、気のせいか米友の眼で――遠目にどうもそこへ現われたさむらいが、見たことのある――と言っても古い昔のことではない、最近に、そうそう、長浜の湖辺で、釣を垂れていたあの浪人者――あれに似ているように思われてなりません。どうも物言い、恰好(かっこう)、それだ。それだとすれば、いつ、どうしてあすこへ駈けつけて来たのだろう、こっちの岸から駈けて行ったとも見えないし、あっちの岸から走りついたとも気がつかなかったが――さては隠れていたな、あの水門の蔭あたりに、ぴったりと身をひそめていたのだな。うむ、そうだ、こういうことが起るだろうとかねて心配していたものだから、その時の用心にと、あの水門の蔭あたりに隠れていて、それから双方の仲裁にかかろうという段取りだ。なるほど、そうありそうなこった。
 この仲裁ぶりが見ものだなあ――米友はじりじりしながら、固唾(かたず)を呑みました。

         五

 しかし、仲裁ぶりを見るといったところで、ここは遥かに隔たっているから、言語はむろん聞えず、ただ遠距離から活動写真を見ていると同様で、彼等の動作だけがわかるのみであります。しかし、動作だけにしてからが、銀幕の上に持廻りのすれからし物を見せられると違って、白日の下(もと)に、カッキリと実演によって見せられるのだから、要領を得ることは手にとると同様です。
 双方から勢い込んだ竹槍の先陣が、この水門口のところで浪人姿のさむらいに支えられました。浪人姿のさむらいは、手ぶり、身まねを以て彼等に懇々と理解を説いているらしい、その動作を見ると、言葉はむろん聞えないけれど、かなり歯ぎれのよい弁舌家であるらしい。
 或いは叱り、或いは教え、或いはなだめ、或いは口説(くど)いている様子は、活動俳優そのものと違った真剣味がありますから、自然、米友も身を入れて見ていることができるのであります。まして当面、その理解を聞き、身ぶりを受けている人数にとっては、なお一層身に沁(し)みる程度が深いと見えて、さしも意気ごんだ竹槍の先陣たちも、おのずから、いくらかずつ意気込みが緩和されて行く気分も、米友の方へ打って響くようにうつります。
 そのうちに、双方から続々と後陣が詰めかけて来る。先陣の気勢によって、それもみな幾分か殺気が緩和されて来(きた)りつつあるもののようです。
 で、竹槍、鍬(くわ)、鋤(すき)の類をはじめとしての得物(えもの)は、それぞれ柳の木に立てかけられたり、土手の上に転がされたりして、双方が素手(すで)で無事に入り交って、といっても中心に絶えずその理解を説いている浪人姿のさむらいを置いて、おのおのの主張を口舌で取交しはじめていることも、ハッキリわかりました。
 つまり、要領はこうなんです、右の浪人姿のさむらいが現われて、
「君たち、そう一途(いちず)に得物を持って殺気をたててはいかんじゃないか、水が切れたからと言って、血の雨を降らすなんぞは愚かな儀じゃ。じゃによって、一応双方から委員を選んで、評議をこらしてみちゃどうだね。本来、責任は天にあるのじゃ、天が雨を降らせてくれないのだから、恨みがあれば天へ持って行くべき筋じゃ。喧嘩をするとすれば、天を相手に喧嘩をしなければならないものを、それを人間同士がなすり合って、血の雨を降らそうということはいかん。そこでじゃ、この水門の水を、穏かに、相談ずくで、適度に分配することにしちゃどうだ――たとえば、朝の何時までは甲の村で使用し、夕方の何時からは乙の村へ放流するというようなことにでも、相談ずくでやってみちゃどうだ――いくら君たちが竹槍蓆旗(ちくそうせっき)で騒いでみたところで、この水量が一滴でも増加すべき筋合いのものではない。そこで双方委員を選んで、おたがいに歩み合いをいたし、相当限度まで辛抱すべきところは辛抱するという手段を執るのが賢い。そうして、その余力を以て、両方の村々が仲よく相一致して、雨乞踊(あまごいおど)りでも催して、天に祈り、人を喜ばしてみちゃどうだ、そのうちには何か効験がないということもあるまい」
 右のような理解を説いて聞かせているとする、そうすると両岸のいきり立った、逸(はや)り男(お)もそれに感化されて、
「なるほど、旦那のおっしゃることは尤(もっと)もだ、お天道様が雨をふらせて下さらねえからといって、人間が血を流すのは、よくねえことだ、なんとか総代を選んで談合がぶてるものなら、そりゃはあ、談合をぶつに越したこたあねえ」
 というような空気に傾いたらしい。そこを右のさむらいが、
「では、ともかく総代は君たちの方でおのおの五人なり十人なり、適当に選挙し給え、仲裁役は不肖ながら拙者に任せてもらえまいか」
という段取りになって、異議なし異議なしでそれから浪人姿のさむらいが、堤上をこなたの岸に向ってそろそろ歩み出す。それを囲んで、双方の委員候補者たちと見えるのが、ゾロゾロとついて来る。後ろにつづく後陣の大勢も、こうなってみると殺気は解けたが、そうかと言って、このまますんなりと解散する気にはなれない。簡単に追いかえすわけにはなおさらゆかない。そこで、さむらいを中心に、立てた委員総代候補者連のあとをくっついて、この大多数がゾロゾロと行くところまでは行こうという形勢になりました。
 その形勢で見ると、今までは火花を散らそうとした二つの勢力が一つに合流はしたけれども、さてまた、この合流した勢いのきわまるところが問題でなければなりません。一時の合流は見たけれど、それがために大雨がにわかに到ったというわけでもなし、双方を納得(なっとく)せしむべき解決条件が見出されたというわけでもないらしいから。
 これからこの浪人に率いられて、どこかへ行くのだ。どこぞへ行って、改めて熟議を凝(こら)すものに相違ないが、どこへ行くつもりだろう――そんなことまで、米友が想いやっているうちに、早くも右のさむらいを先頭にして、この群衆の姿は全部村の中に隠れてしまいました。
 そこで、川原の中に止まる者は、はや宇治山田の米友と、両替の駄賃馬ばかり――それも、いつまでこうしていなければならぬはずのものではない、ともかく、市(いち)が栄えてみると、自分たちは、自分たちとしての引込みをつけなければならない。
 かくて、米友は、おもむろに馬を曳(ひ)いて、川原の中から、こちらの堤の上へのぼって、仮橋のある柳の大木のあるところまでやって来たのであります。が、そこで米友が、まず目についたのは、その柳の木の下に一つの立札があって、これに筆太く記された字面(じづら)を読んでみると、
「姉川古戦場」
 ははあ、なるほど、この川が昔の合戦で有名な姉川か。
 更にその立札に曰(いわ)く、
「元亀元年織田右府公浅井朝倉退治の時神祖御着陣の処」
 ははあ、そうか、太閤記の講釈で聞いているところだ。さすがの織田信長も、この時の戦(いくさ)は難儀だったのだ、徳川家康の加勢で敗勢を転じて大勝利を得たということは知っている。朝倉の家来真柄(まがら)十郎左衛門が、途方もない大太刀を振り廻したなんどという戦場がここだ。
 米友がこの立札によって、自分の歴史的知識を呼び起し、その心持でまた川原を見直すと、どうもなんだか、今まで両岸に騒いでいた甲の村が織田徳川で、乙の村が浅井朝倉ででもあったような感じがする。ただ山川として見るのと、歴史的知識を加えて見るのとでは、米友としても何かしら観念が一変するらしい。
 だが、自分としてはわざわざ古戦場見物に来たのではない、胆吹山(いぶきやま)の京極御殿へ帰らなければならないのだ。これから胆吹へ行くには、なにも必ずしもさいぜんのところまで引返すがものはあるまい、引返してみたところで、また悪気流の中へ飛び戻るようなものだから、この橋でこの川を渡ってつっきって行きさえすれば、胆吹へ出られるだろう。そこで米友はもう一応、馬のつけ荷を改めて、腹帯、草鞋(わらじ)を締めくくり、それにしても誰かに道案内を聞きてえものだと思案して立つことしばし、その背後からポカポカとのどかな音を立てて、御同様駄馬が数頭やって来るようです。
 よし、あいつに聞いてやろう――果して、ポカポカとやって来たのは、五六頭だての駄賃馬でありました。
 先頭に紙幟(かみのぼり)を押立て、一頭に二つずつ、大きな樽(たる)をくっつけて都合六駄ばかり――それを馬子と附添がついて米友の前へ通りかかりましたのを見かけて、米友が、
「胆吹山の京極御殿の方へ行くには、この橋を渡って行っても行けるだろうねえ」
 米友がたずねても、この不思議な駄賃馬の一行は、つんとすまして返答もせずに――気取り込んですまして行く。
 へんな奴だな、唖(おし)の行列じゃあるめえか。米友が不審がって、過ぎ行く駄馬の一行を後から見送ると、真先に立った駄賃馬の背に立てられた紙幟の文字が明らかに読めるようになりました。
「書きおろし、大根(だいこ)おろし
十三樽――
らっきょう一樽――
きゃあぞう親分へ」
 こうも読まれるが、何のことだか米友にはわからない。

         六

 飛騨(ひだ)の高山の芸妓(げいしゃ)、和泉屋の福松は、宇津木兵馬の両刀を、しっかりと両袖で抱えこんで、泣きながらこう言いました、
「いや、いや、いやでございます、あなたばっかりは逃げようとなすっても逃がすことではありません、少しは、わたしの身にもなって考えてごらん下さいましな」
 兵馬は長火鉢のこちらで、いかんとも致しようがなく、福松の振舞をながめているばかりです。
「わかっておりますよ、あなたもこの高山の土地を離れようという思召(おぼしめ)しで、それとなく御挨拶においでになったのでしょう、思召しは有難うございますけれど、わたしの身にもなって……ごらん……下さいましな」
 斯様(かよう)な手は、斯様な女にはよくありがちの手でありますけれども、ありがちの手にしてからが、今日のは、この女の用い方に、少し当りが違い過ぎ、薬が強過ぎるようなところがあります。
 涙を惜しげもなく、ほろほろとこぼして泣きわめきながら、武士の腰のもの二つを鋸(のこ)で引いても放さないような意気込みで、しっかりと抱え込んで、
「ほんとうに……わたしの……わたしの身にもなってごらん下さいましな」
と、ここで、また繰返言(くりかえしごと)を言うて泣きじゃくりながら、
「新お代官の御前(ごぜん)があんなことになったのは、わたしから見れば、自業自得ですわ、大きな声じゃ言われませんけれど、いい気味ですわ、あんな奴、ああなるのがいい見せしめで、内心、溜飲(りゅういん)が下るように思ったのは、わたしばかりじゃございますまい――ですけれども、あの飛ばっちりを浴びたものの身になってごらんなさいまし、やりきれたものじゃありません、その中でもこのわたしなんぞは……」
 ここでまた泣落し。それは、ちょっと文字ではうつし難い。歔欷流涕(きょきりゅうてい)という文字だけでも名状し難いすすり泣きと昂奮とで、
「お役所へお呼出しを食ったり、お茶屋さんでお取調べを受けたり――何か、わたし風情(ふぜい)が、あの一件に黒ん坊でもつとめているかなんぞのように、痛くない腹を探られるので、全くやりきれません――それはお代官の御前の有難い思召しを承るには承りましたけれども、あんまり有難過ぎますから、御免蒙(こうむ)っちまったばっかりなんでしょう――あの一件についちゃあ何も知らないわ。全く知らないものを、朝から晩まで根掘り葉掘りお取調べをうけて、まだ、なかなか御用済みにならないばっかりじゃなく、かんじんの、わたしよりも一件に近い人はみんな姿を隠してしまったものですから、わたしだけが、人身御供(ひとみごくう)のようになって動きが取れないじゃありませんか。そんなわけで――そんなわけですからお客様も、けんのんがって、お座敷もめっきり減ってしまいました。それは災難と思って諦(あきら)めましょうけれど……」
 ここで、福松が思い迫って、おいおいと手ばなしで泣きました。無論、両袖でしっかりと宇津木兵馬の双刀を抱え込んでいる以上は、手ばなしでなければ泣けないわけなんですが、それにしても、あんまりあけすけな泣き方で、かえって興がさめるほどです。興がさめるほど露骨に泣いているのですから、それだけまた、思わせぶりのたっぷりな、手れん手くだというようなものが少ない。つまり、その泣き方は、芸者や遊女としての泣き方ではなく、子供の駄々をこねる泣きっぷりと同じようなものでした。色気のない泣き方であるだけ、それだけ、兵馬をしていよいよ迷惑がらせていると、
「あなたまでが、わたしを袖にして、寄りついても下さらないことが悲しうございます、寄りついて下さらないばっかりか、あなたまでがわたしを置去りにして逃げてしまおうとなさる、あんまり薄情な、あんまり御卑怯な、あんまり情けなくて、わたしは……」
と福松が、また、わあっわあっとばかりに泣き落しました。兵馬も全くあしらい兼ねているものの、いつまでも黙ってもいられないので、
「そういうわけではない、なにも拙者が君を捨てて、この地を立とうというわけもなし、また君にしてからが、拙者に捨てられたからといって、左様に泣き悲しむ筋もあるまい――拙者には君の感情の昂(たか)ぶっている理由がわからないのだ」
「そりゃ、おわかりにならないでしょう、あなた様なんぞは、立派な男一匹でいらっしゃるから、今日は信濃の有明、あすは飛騨の高山、どこへなり思い立ったところへ、思い立った時にいらっしゃる分には、誰に御遠慮もございますまいけれども、わたしなんぞは……わたしなんかは……そうは参りません……」
「拙者とて酔興で他国を流浪しているわけではない、行くも、とどまるも、それはおのおの生れついた身の運不運、如何(いかん)とも致し難い」
「如何とも致し難いですましていらっしゃられるのが羨(うらや)ましうございますわ、少しはわたしたちの身にもなってごらん下さいましな」
 福松はここでまた、さめざめと泣きました。
 兵馬は挨拶をつづくべき言葉を見出すに苦しんでいると、
「胡見沢(くるみざわ)の御前(ごぜん)があんなにおなりになると、お蘭さんという人はどうでしょう――足もとの明るいうちに真先に逃げてしまいました。抜け目はありません、恐れ入ったものですね、全くあの人には――あの人なんぞこそ、うんと責めてお調べになれば、きっと何かしら立派な種があがるに違いありませんわ。なにもあのお蘭さんが、糸を引いてあんな大事を持上げたとは言いませんが、あの人を除いてはこの事件の手がかりはつきませんね」
「うむ」
「わたしは、お蘭さんに泥を吐かしてみさえすれば、今度のことだって、あらましの筋はわかるにきまっていると思われてよ。ところがどうでしょう、悧口(りこう)じゃありませんか、どのみち、事面倒と見たから、あの方は、その晩のうちにこの土地をすっぽかしてしまいました。天性悧口な人は、どこまでも悧口に出来ていますのねえ。抜け目のない人は、一から十まで抜け目がありませんのね。それに比べると、わたしなんぞは、わたしなんぞは全く、この世の馬鹿の骨頂でございますよ」
と言って、芸者の福松は泣きじゃくりながら、ちょっと見得(みえ)をきるように面(かお)を上げて、兵馬を斜めに見ました。
「ふーむ」
「ふんぎりもつかず、引っこみもつかずにうろうろしているもんですから、何のことはないお蘭さんの投げた株を引受けて、追敷きを食わされ通し……全くいい面(つら)の皮(かわ)ですわ」
「それを繰返すのは愚痴だ、自分でいま言っている通り、災難と諦(あきら)めて、何もこっちに疚(やま)しいことさえなければ、素直(すなお)に、幾度でもお呼出しを受けるがよい、訊(たず)ねられたらば、知っている通りを洗いざらい返答してしまい、知らないことは知らないと正直に通せばいいのだ」
「そうおっしゃられると、それまででございますけれどもね、これでも人間の端くれでございますから、苦しいと思うこともあれば、癪(しゃく)にさわることもありますのさ。わたしもお蘭さんのように、自由が利(き)く身でありさえすれば、こんなところに、こうしてばかばかしい祟(たた)り目の問屋を引受けてなんぞいるものですか――どうにもこうにも動きの取れないわたしという者の身の上を、少しはお察し下さいましな」
「それは、人の運不運で、やむを得ないことだと言っているのに」
「運不運なんて言いますけれど、それはたいてい意気地なしの言うことですね――しっかりした人は、自分で自分の運を切り開いてしまいますからね。不運のものも運のいいように取返してしまいますからね。早い話がお蘭さん――」
 この女はよくよくお蘭さんの身の上が羨ましいものと見える。そうでなければ、よくよく憎らしいものと見えて、一口上げにお蘭さんが引合いに出て来る。
「お蘭さんなんかも、運不運だなんておとなしくあきらめて、この土地にぶらついていてごらんなさい――今頃はどんなことになっているかわかったものじゃありません、それを知っているから、ああして抜け目なく逃げてしまいました。残されたわたしたちこそ全くいい面の皮、お蘭さんの分まですっかり被(かぶ)って申しわけをしなければなりません。お蘭さんさえおいでなされば、わたしなんぞこのたびの事件についちゃ物の数には入らないのですが――お蘭さんの分をわたしが被ってしまって、日日毎日(ひにちまいにち)……ほんとうにお蘭さんという人は、今頃は誰とどうして、どういう了見で、どこの土地を遊び歩いておいでなさることやら、憎らしい!」
 福松は歯がみをして、後(おく)れ毛をキリリと噛(か)みきりました。これは当面の兵馬に向けて怨(うら)み言(ごと)を言い立てているのだか、自分よりこの事件に一層直接な当人でありながら、逸早(いちはや)くこの土地を身抜けをして、その飛ばっちりを、すっかり自分に背負わせて行ってしまったところのお蘭さんなる者に向けて、恨みを述べているのだかわからない。
「ほんとに憎らしいのは、あの人よ、お代官の生きている間には、腕によりをかけてさんざんたらしこんでさ、災難の時は自分だけいい子になってあと白浪――わたしなんぞは商売人のくせに、腕もないし、知恵もないし、それにまた憎いのは、あのがんりきという兄さんよ――なあに、兄さんなことがあるものか、あのおっちょこちょいのキザな野郎、あいつも憎らしいったらありゃしない……」
 今度はまた、全く別な方角へ飛び火がして来たらしいが、兵馬は、いかんともその火の手の烈しさに手がつけられない。

         七

 和泉屋の福松は、がんりきと言い出してまた躍起となり、
「ほんとに、いやな奴たらありゃしない、三千世界の色男の元締はこちらでございってな面(かお)をして、手んぼうのくせに見るもの聞くものにちょっかいを出したがるんだから、始末が悪いことこの上なし、そうして、御当人のおのろけによると、そのちょっかいというちょっかいが、十のものが十までものになるんだそうだから、やりきれない、キザな奴、イヤな奴――」
 福松どのは、がんりきのことを、噛んで吐き出すように言いだしたけれども、相手が宇津木兵馬だから、あんまり手答えがないのです。
 兵馬でなかろうものなら、ははあ、そうかね、そういった色男の本家がこの辺へお出ましになったものと見えますな、ところでその、御当家には、格別の御被害もございませんでしたかね、そのちょっかいとやらの味はいかがなものでございましたか、なんて揶揄(からか)ってみたいところだろうけれども、相手が兵馬だから、そんな軽薄な口を叩くわけにはゆかないのです。手答えが無いだけ張合いも無いと言えば言えるかも知れないが、相手がまたおとなしいだけに、こちらもまた思う存分言ってのけられる自由があると見えて、福松どのはかさにかかりました。
「ほんとにイヤな奴、キザな奴、あのくらいイヤな奴も無いものですけれども、でもわりあいに度胸があるんですよ、お宝の切れっぱなれもいい方でしてね、やっぱり男はね……」
 おやおや、また風向きが変って来たぞ。兵馬が黙って聞いていると、
「色男てものには、お金と力は無いものと昔から相場がきまっているのに、あのイヤな奴、妙に色男ぶるくせに、あれで度胸があって、切れっぱなれがよくって、で、口前がなかなかうまいものだから――口惜(くや)しいわ。わたし、どうも、とうからお蘭さんと出来てるんだと睨(にら)んでいるのよ。相手がお蘭さんだからたまりませんわね、あの男前と……口前じゃたまりませんよ――」
 福松どのの悲泣がいつしか憤激となって、最初は口でけなしていたがんりきなるやくざ野郎を、結局、度胸があって、お金の切れっぱなれがよくって、口前がいい、色男の正味を肯定するような口ぶりになってしまうと、今度は鉾先(ほこさき)がお蘭さんなるものの方に向って、しきりにそのお蘭さんをくやしがるものですから、兵馬は自然、過ぐる夜のことを思い起さないわけにはゆきません。
 つぶし島田に赤い手絡(てがら)の、こってりした作りで、あの女から夜中に襲われた生々しい体験を持つ宇津木兵馬は、その時のことを思い出すと、ゾッとしてしまいました。あの時、「ねえ、宇津木様、うちの親玉にもたいてい呆(あき)れるじゃありませんか、きのう市場でもって、ちょっと渋皮のむけた木地師(きじし)の娘かなんかを掘出してしまったんですとさ、そうして、今晩から母屋(おもや)の方で一生懸命、口説(くど)き落しにかかっているんだそうですよ。ですからこっちなんぞは当分の間、御用なしさ、見限られたものですね」
 それから、自分の枕許(まくらもと)に、だらしのない姿で立膝をしながら、若いのは若いの同士がいいか、また若いの同士では、食い足りないから、油ぎった大年増を食べてみる気になったりするのじゃないか、穀屋(こくや)のイヤなおばさんがどうの、男妾の浅公がどうのと、口説(くど)きたてたあの厚かましさ。
 ところでその前の晩、戸惑いをして自分の寝間へ紛れこんだ怪しい奴がある。あれが、どうも、このいけ図々しい大年増を覘(ねら)って来て、戸惑いをしたものとしか受取れない。
「いかにも、そのがんりきとやらいうならず者が怪しい」
「怪しいにもなんにも……」
 福松はいっそう声を立てて、
「ほんとうに、あのお蘭のあまとがんりきの奴、今頃は、もう疾(と)うに国越しをしてしまって、とまりとまりの旅籠屋(はたごや)で、いいかげんうだりながら――鶏(とり)がなくあずまの方へ行ったか、奈良のはたごや三輪の茶屋なんかと洒落(しゃれ)のめしているか、わたしゃそんなところまでは知らないけれど、残されたこっちこそ、いい面の皮さ」
 この女相当の八ツ当りを、兵馬にまともに向けるから、それは上(うわ)の空(そら)に聞き流して、自分は自分としての、このごろの身辺雑事をあれかこれかと空想に耽(ふけ)っている時、外で夜廻りの音を聞きました。
 夜廻りの拍子木の音を聞くと、兵馬は膝を立て直し、
「それはそうと、もう時刻も遅い、お暇(いとま)します、冗談はさて置いてそれをお返し下さい」
 真剣そのもので、福松がさいぜんから後生大事に抱え込んでいる両刀を指して促すと、福松どのは、一層深く抱え込んで、頭(かぶり)を振り、
「いけません」
「冗談もいいかげんにしなさい」
「冗談ではございません――わたしは真剣に申し上げているんでございますよ」
「では、どうしようと言うんだ」
「今晩はあなたをお帰し申しません」
「帰さないというて、ここは拙者の泊るところではない」
「はい、あなた方のお泊りになるところではございません、あなた様にはほんとうにお羨ましいお宅がおありでいらっしゃいます、でもたまにはよろしいじゃございませんか、今晩はおいやでもこちらへお泊りあそばせな」
「何を言ってるのだ」
「あなたもずいぶん罪なお方ねえ」
「たわごとを言わず、穏かに言っている間に、返すものをお返しなさい」
「ねえ、宇津木様、わたし今晩は大へんしつっこいでしょう、わたしだって張店(はりみせ)のおばさんみたように、こんなしつっこい真似(まね)はしたくはないんですけれど、そうして上げなければあなたのおためにはならないわけがあるんですから、こうしてあげるのよ、今晩は泊っていらっしゃい」
「滅相な」
「あなたはそんなきまじめなお面で、うぶな御様子をなさいますけれど、本当のところは、どうしてずいぶんな罪作り――残らずこっちには種があがっていますから、それを白状なさらなければかえして上げません」
「何か、拙者が後暗いことでもしていると申されるのか」
「ええ、そうでございますとも、あなたという人こそ本当に見かけによらない、イヤな人です、憎らしいお方、もうすっかり種が上っていますから隠したってだめよ」
「そちらに種が上っているのなら、なにも改めて拙者にたずねるには及ぶまい――どれ」
 兵馬は苛立(いらだ)って、もう、こうなる上は、手ごめにしても刀を奪い取って差して帰るまでのことだ――と立ちかけた時、
「ア、痛ッ!」
と不覚の叫びを立てたのは、相手の女ではなくてかえって自分でした。
「憎らしい!」
 女は今まで両の袂で後生大事に抱きかかえこんでいた兵馬の両刀を、左の片袖だけで抑え換えて、そうして、右の片手をのべると、いきなり、苛立って立ちかけていた兵馬の左の股(もも)のところを――イヤというほど――つねりました。武術鍛錬の兵馬が、もろくもこの不意打ちを食って、「ア、痛ッ!」「憎らしい!」
 今晩のこの女は、憎らしい! と、口惜(くや)しい! との連発です。
 思うさま不意打ちを食わして、兵馬を痛がらせた福松は、ここで、やや勝ち誇った気位を取り返し、
「それ、ごらんなさい」
 何がそれごらんなさいだか、兵馬には一向わからないのを、福松どのは畳みかけて、
「痛かったでしょう――わが身をつねって人の痛さというのがそれなんですから、よく覚えていらっしゃい。あなたという人も、このごろは相応院の離れ座敷で、お安くない世話場を見せていらっしゃるんですってね、相手はお雪ちゃんといって――知っていますよ、知っていますよ。いいえ、お隠しになっても、もう駄目です、そのお雪ちゃんという可愛ゆい子を、あの助平のお代官の手から、助けたり、助けられたりがもとで、お二人が水入らず、近いうちに御両人がまた手に手をとって道行という筋書まで、ちゃんとわたしには読めておりますのよ――憎らしい! 口惜しい! 覚えていらっしゃい」
 また刀を一方の袖だけに持たせて、右の手をさしのべて――それは以前よりもいっそう手強く兵馬の股を抓(つま)み上げてやる気で出した手を、今度は兵馬も容易(たやす)くそうはさせません。
「何をなさる」
と言って、その手をぐっと抑えたが、思いの外に軟らかな手ざわりなのに、抑えた兵馬の方がかえってギョッとしました。

         八

 きまじめな宇津木兵馬は、そこで福松のために、自分とお雪ちゃんとの間が、決してそんなわけのものでないことを説明しました。
 それから、お雪ちゃんの立場の気の毒であることをよく話して聞かせ、しかもこのお雪ちゃんも、つい数日前に自分には何とも告げずに行方不明になってしまったことによって、自分の心配がいっそう加わっていることなどを、細かに話して聞かせると、最初から妬(や)け気味で聞いていた福松が、だんだん釣り込まれて、お雪ちゃんのために同情を表すると共に、兵馬にとって好意を持ち――はじめから悪意なんぞは持っていなかったのですが、少なくともその不真面目な、からかい気分を投げ捨ててしまいました。
 そこで、質に取った両刀も無事に返してもらい、この遅くなって帰るという兵馬をも引止めないで、素直に送り出してくれたのです。
 かくて兵馬は無事に相応院へと帰って来ました。そこで燈火をかかげて、冷えたお茶漬をさらさらと掻込(かきこ)んでしまったが、そのまま床をのべて休む気にもならないで、何やら取りつかれたもののように、膳を前にしてぼんやりと考え込んでいるのです。
 お雪ちゃんに行かれた物淋しさ――のみではありません、今晩はなんとなく、何かを取落して来たような気持がしてなりません。
 ホッと息をついて、眼の前の松の金屏風(きんびょうぶ)をじっと眺めていましたが、鶏が鳴く声に驚かされて、さてと立ち上って、寝具をのべて――それは以前、机竜之助が隠れていて、かわいそうに貸本屋の政公を手ごめにした一間なのです。
 そこで手早く衣類を改めて枕について、まだ眠りもやらでいる時分のことでした、外で、
「モシ」
 これには兵馬も聞き耳を立てないわけにはゆきません。
 いったん枕へつけた頭もろともに、半身を持上げていると、
「モシ」
 戸外(そと)でするは女の声。
 もし兵馬が竜之助であったならば、これは当然、政公が甦(よみがえ)って恨みに来たものと聞いたでしょう。或いはまた兵馬が神尾主膳であるならば、藤原の幸内が迷って出たと思うよりほかはないような突然の声でしたけれど、物の怨霊(おんりょう)の恨みを受ける覚えのない兵馬は、その現実の声に耳をすますと、
「宇津木様、ここ、あけて頂戴な」
 やはりお雪ちゃんではなかったのです。
「福松ではないか」
「はい――早くさ、早くあけて頂戴よ」
 兵馬は全く機先を制せられてしまい、あけるもあけないもなく、もう起き上ってしまって、やえんに手がかかると、雨戸がからりとあきました。
「何しに来たのだ」
「御免なさいね、宇津木さん」
 女というものは、どうして、どれもこれもこう図々しいものだろう、もう座敷へ上ってしまいました。
「どうしたのです」
「わかってるじゃありませんか、逃げて来たんだわ」
「どうして」
「どうしてでもありゃしません、あなたのおあとを慕って参りましたのよ」
「ちぇッ、軽はずみのことをしたもんだな」
「軽はずみなことがあるものですか――わたしは、あなたを頼るのが一番たしかだと、つくづく思案を重ねた上の覚悟なんですから」
 ここでまた、宵のこととは異った場面で、二人は相対坐しなければならなくなりました。
「もう致し方がございません、もしあなた様が御迷惑とおっしゃるなら、わたしは死ぬばかりでございます、こうしてこのままこの土地にいつかれるものかどうか、少しはわたしの身にもなってごらんなさいましな。それは何も悪いことさえしていなければ、いくらお取調べを受けても何ともないはずとおっしゃいますけれど、人気商売のわたしたちは、もうこれだけで、商売は上ったりなんです。それだけならまだようござんすけれど、本当の罪人が出なければ、渡り者のわたしなんぞが、差しむき一番いい人身御供(ひとみごくう)なんでしょう、ですから、お役人のお手心によって、いつ、どういう目に逢わされるかわからないじゃありませんか。それは、そういう無茶なことはない、むじつ者を捕えて罪に落すなんぞということは、いくらお役目とはいえ、そう滅多にやれることではないとおっしゃるかも知れませんが、それは、世間の明るい時節なら知らぬこと、この飛騨の国の奥で――お代官のお政道向きの評判のよくないところで通用する筋道ではございません。あなたのようなお方が、まだお一人でもこの土地に残っておいでのうちは宜しうござんすけど、そうでなければ、わたしなんぞはいいようにさいなまれてしまいます。ですから、同じことなら、お蘭さんのようにはしっこくは参りませんけれど、足許の明るいうちに逃げてみようという気になったのが無理でございましょうか」
「そんなら、これから、どこへどう逃げようというのだ」
「それだけは、わたし、もうこの頃中から考えて置きました、表通りはいけません、お蘭さんのように、要領よくやってしまえば格別ですが、今となっては、表から美濃や尾張へ逃げ出そうとするのは、網にひっかかりに行くようなものでございますから、これから北国へ逃げるのが一番ですわ。それには白山行者の真似(まね)をして、加賀の白山へ逃げるつもりなのよ、それが一番かしこい仕方だと思ってよ。そうして、わたし、ちゃあんとその道筋を、自分で絵図にかいてこの通り持っておりますのよ」
と言って、女は懐中から、一枚の絵図を取り出して臆面もなく兵馬の前にひろげました。
 なるほど、この女自身が、人に秘めて、手がけたものと見えて、絵もなっていないし、文字のまずいこと、一目でわかるけれども、この際、恥かしがったり、恥かしがられたりする場合ではないと見え、兵馬は燈を引寄せて、光をその図面の上に落しました。そうすると女が言う、
「加賀の白山様へはわたくしも、生(しょう)のあるうちに一度は御参詣をして置きたいと思いました、御一緒に参りましょうよ」
 危険区域を脱出したい心境が、早くも白山参詣の心願とごっちゃになってしまっている。
 兵馬は何とも答えないで、その女の描いた不器用な絵図と、まずい字面(じづら)を、じっとながめている――そうしてかなりながい時間の間、兵馬が沈黙しているものですから、
「あなた、何を考えていらっしゃるのよう」
と言って、女が嫣然(にっこり)笑って、兵馬の膝をグリグリと突きました。
 さきほどつねられた時よりも痛くはないが、兵馬はまたぞっとして、それを振り払おうとした手先が女の手に触れると、そのさわり心が以前の時よりも軟らかさを感じました。図々しい女は、兵馬の膝に置いた手を引こうともしないのみか、兵馬の手を握り返しながら、
「よう、あなた、何を考えていらっしゃるの――物事は成るようにしか成りゃしませんから、クヨクヨなさらないように……いったい、あなたが薄情で、そうして小胆でいらっしゃることは、中房のお湯で、ようくわかり過ぎるほどわかっているのよ。けれど、それがまた、あなたはおいやでも、こうして飛騨の奥山で、退引(のっぴき)ならずお目にかからなければならないようになったのも浅からぬ御縁というものじゃなくって――浅間の温泉では、ずいぶん失礼しちゃいましたわね。でも、どうも、あの時から、あなたとわたしとは、離れられない御縁――というわけじゃなかったのか知ら。ですから、あとになり、先になり、おたがいにこうして、よれつもつれつして行くのが乙じゃなくって、考えてみるとおたがいは、前世でいい仲を裂かれた許婚同士(いいなずけどうし)かなにかの生れかわりじゃないか知ら。ですから、あなたがおいやでも、わたしが好きの嫌いのなんのという心持でないにしても、二人は、行くところまで行かなけりゃ納まらないように出来ているのかも知れませんのねえ、行きましょうよ。お蘭さんとがんりきの奴は、いい気で美濃路へ出てしまいましたし、お雪ちゃんという方は、お化けのようなお坊さんと、これも表の方へ出て行ったというじゃありませんか。あんな人たちへの意地としてもわたしたちは、同じ道をとりますまい――白山へ行きましょうよ、加賀の白山へ――白山はいいところですってね、あなたも、いい御縁ですから、ぜひ一度、参詣していらっしゃい。ですけれども、今度は途中で振捨てて、あの仏頂寺なんて仏頂面のさむらいにさらわせてしまってはいやよ――ねえ、あなた行きましょうよ、北国筋へ。旅は嬉しいものじゃなくって?」
 女は引きつづき兵馬の膝をグリグリと突きました。

         九

 それから、三日市から二本木の間の小鳥峠というところの振分けで、ホッと一息ついた二人の旅人を見たのは青天白日の真昼時のことでありました。
「この辺で、ゆっくり一休みしてまいりましょうよ、ねえ、宇津木さん」
 後からのたりついた女の旅姿が、甘ったるい声で呼びながら、ハッハと息をきりますと、前に立ってゆっくりと歩みを運んでいた若い武士(さむらい)の旅姿が、頷(うなず)いたまま無言でそこに立って待っています。
「ああ、せつない、負けない気で一生懸命に歩いても、やっぱりあなたにはかなわないわ」
と言って、女は秋草の老いた峠路の草原の中に、どうと腰をおろしてしまいますと、先に立って待っていた若ざむらいは、無言で、その老いたる秋草の中に立つ一基のいしぶみの面(おもて)に向って、瞳を凝(こら)したままです。
「何を見詰めていらっしゃるの」
「いや――このいしぶみに何か文字がある、それを……」
「何と書いてございますか」
「左様――淋(さび)しさや何が啼(な)いても閑古鳥(かんこどり)」
「ほんとに、淋しい道でございますね、誰も人が通りませんわねえ」
「そうです、この道は、加賀へ抜ける本道ではあるけれど、表通りの信濃、美濃方面へ出る道と違って、淋しいです」
「淋しいのがようござんすよ、いっそ加賀の白山まで、二人っきり人目にかからない旅がしてみたいわ」
「そうもゆくまいよ」
「なんだか、あたし、後から追手(おって)がかかるようにばっかり思われてなりませんの。大丈夫でございましょうね、宇津木さん」
「大丈夫だ――その点は心配しなさるな」
「でもなんだか――あなた、中房の時のことが思い出されてならないわ、あなたあの時のことをお忘れじゃないこと」
「忘れやせぬ」
「あの時の、あなたのまあ、冷淡なこと、なんてつれない道づれでしょう、わたしまだ、恨み足りないことよ」
「うむ」
「仏頂寺なんかという、あんなおさむらいにわたしをさらわせて、あなたは狸をきめていらっしゃる、あなたこそいい厄介ばらいをして清々(せいせい)したでしょうが、あれからわたしの身が、どういうふうに取扱われたか御存じ?」
「知らない――ただ、君とまたしても高山で対面したことが、不思議な御縁と思っているばかりだ」
「御縁のはじまりはもう少し前に遡(さかのぼ)るのね、そもそもあの松本の浅間のお祭礼(まつり)の晩――あの時こそ、ほんとうに失礼しちゃいましたわ」
「うむ」
「でも、あなたという方は、本性(ほんしょう)はやっぱり親切なお方なのね、中房のお湯屋のお蒲団(ふとん)のお城の中に囲(かく)まわれているわたしを、わざわざ探し当てて下さいました」

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