大菩薩峠
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著者名:中里介山 

         一

 駒井甚三郎は清澄の茂太郎の天才を、科学的に導いてやろうとの意図は持っていませんけれど、その教育法は、おのずからそうなって行くのです。
 駒井は研究の傍ら、茂太郎を引きつけて置いて、これに数の観念を与えようとします。
 天文を見る時は、暗記的に、星座や緯度を教え、航海術に及ぶ時は、星を標準としての方位を教え込もうとするのを常とします。
 茂太郎は教えられたところをよく覚えることは覚えますけれども、駒井の期するところのように、その頭が、数と、理で練りきれないのは、不思議と思うばかりでした。
 たとえば、星座を数える方便として、支那の二十八宿だの、西洋のオリオンだの、アンドロメダスだのというのを、形状と、歴史を以て指し示すと、その位置よりは、伝説としての空想の方に、頭を取られてしまいます。
 駒井に教え込まれて、茂太郎の星を見る想像力が、グッと別なものになりました。
 彼はすでに、古人によって定められた星座の形に満足しないで、なおなおさまざまのものを見るようです。星と星との距離と、連絡をたどって、古人が定めた以外の、さまざまの現象を描いてみることを覚えました。
 そうして、科学的に教えられた星座のほかに、自分の頭で、それぞれの星座を組み立て、それに命名をまで試みているようです。
 その命名も、たとえば、拍子木座と言い、団扇座(うちわざ)と言い、人形座と言い、大福帳と言い、両国橋と言い――そうして、毎夜毎夜、その独特の頭を以て、星座を眺めては、即興的に出鱈目(でたらめ)の歌をうたうことは少しも改まりませんから、駒井が呆(あき)れてしまいました。
 せっかくこの即興的の出鱈目を、科学的に矯正(きょうせい)してやろうとしているあとから、教えられた知識を土台にして、また空想の翼を伸ばすのだからやりきれません。
 しまいには、ただ、自分が天体を観察している時、望遠鏡にさわることを恐れて、近くで足踏みをすることだけを禁じて、出鱈目の歌には干渉をやめました。
 今や、茂太郎は、星を一層深く見ることを覚え、そうして眺めた星の一つ一つを点画(てんかく)として、自分としての空想を描き出すことで、毎夜の尽くることなき楽しみを覚えました。
 つまり、今まで、禽獣虫魚を友としていたと同じ心で、日月星辰を友とする気になってしまいました。おのおのの星が、これでみんな異った色と光を持ち、異った大きさと距離をもって、おのおの個性的にかがやきつつ、それをながめている自分を招いていることを見ると、嬉しくてたまりません。
 彼は星を見るのでなく、星と遊ぶ心です。
 従って、星の中の一つ、月というものを見る見方も全く変りました。今までは、月というものは、星の中の最も大きなものと見ていたのが、今は、星の中の、いちばん近いものだと見るようになりました。
 手をさし延べれば届くのが、あの月だ。星の中で、いちばん近いから、いちばん大きく見えるので、いちばん大きいから、それで星の王というわけではない。
 悪獣毒蛇でも、馴染(なじ)めばなじめるのだから、日月星辰にも、近寄ろうとすれば近寄れない限りはないと想いつつあります。
 太陽はあの通り赫々(かくかく)たるものだから、狎(な)れるわけにはゆかないが、月はあの通り涼しいではないか、星はあの通りクルクルと舞っているではないか、毎夜毎夜、人間と遊びたがって、大空にやさしく出て来るではないか。
 茂太郎は、今は、天空を仰いで、星のまたたきと、月のさやけさとをながめて、戯れ遊ぶことだけでは我慢ができなくなりました。
 手を取って遊ばなければならぬ、星があの通り招いているのだから、こっちも行ってやらないのは嘘だ! と、こんな空想から、その星の中の最も近くして最も明るい、あの月に乗って、それから星に遊ぶ――こんな空想のために、月が出ると矢も楯もたまらず、月をめがけてまっしぐらに馳(は)せ出すのを常とします。

         二

 茂太郎は、月に乗り得ないとは信じていない。こうして、走りかかれば、早晩、月に抱きつくことができると信じきっているが――いくら走っても、月の方へ走ると海になってしまう。海は深くして広いことを知っている。
 月には至り得ることを信ずるけれども、海は越えられないということを知っている。
 そうして、月をめがけて一散に走って、海に至るとはじめて、茂太郎が呆然(ぼうぜん)として自失してしまいます――今宵もまた、海に妨げられて、月に至ることを得ずして浜辺を帰る清澄の茂太郎は、
遼東九月、蘆葉(ろえふ)断つ
遼東の小児、蘆管を採る
可憐(あはれむべし)新管、清にして且つ悲なること
一曲、風翻りて海頭に満つ
海樹簫索(せうさく)、天霜(しも)を降らす
管声寥亮(れうりやう)、月蒼々(さうさう)
白狼河北、秋恨(しうこん)に堪へ
玄兎城南、皆(みな)断腸――
 この詩を、高らかに吟じはじめました。
 これは出鱈目(でたらめ)でもなく、即興の反芻(はんすう)でもなく、岑参(しんしん)の詩を、淡窓(たんそう)の調べもて、正格に吟じ出でたものであります。そうして、この詩句と吟調とが、田山白雲によって、茂太郎に教えられているというよりは、白雲が興に乗じて吟じ出でたのを、茂太郎が、その音楽的天才の脳盤の中に、早くも取込んでしまったそのレコードが、偶然、このところに於て、廻転し出したと見ればよいのです。
 ですから、この詩と、吟とには、批点の打ちようがありません。もし間違っているとすれば、それはレコードの誤りで、茂太郎には何の罪もないことでした。
 彼はこの唐詩を高らかに吟じつつ、海岸を走り戻りましたが、詩が尽きて、道は尽きず、次にうたうべきものが、未(いま)だ唇頭に上らざるが故に、その間(かん)、沈黙にして走ること約二丁にして、たちまち、その病が潮の如くこみ上げて来ました。
皆さん――
元来、私は
エロイカの名称によって
知られている
ベートーベンの
第三シムフォニーが
大好きであります……
と、海の方へ真向きに向って、半ばは独語の如く、半ばは演説の如く叫び出したのが、尋常の声ではありません。
 無論、誰も聞く人はない、また聞かせようと思って、呼びかけたものではないのです。
第八シムフォニーよりも
第五シムフォニーよりも
いわんや非音楽的な
あの第九シムフォニーよりも
この第三と第七とが
最も好きであります
そこで、私は
幾度となく、
この曲を聴いたり
或いはその解剖を
している間に
昔からエロイカに就(つい)て
論ぜられて来た
このシムフォニー特有の
神秘――換言すれば
謎に対して
人並みに気になり出して
来た次第であります……
 出鱈目(でたらめ)であるが、その声がすみ、おのずから調子がととのい、それに海の波の至って静かな夕べでしたから、出鱈目の散文が、やはり詩のようになって聞えました。
 出鱈目とはいえ、即興とは申せ、これはまた途方もない。しかし、この少年は、いつか一度耳に触れたことは、脳によって消化されても、されなくっても、時に随って、必ず反芻的(はんすうてき)に流れ出して、咽喉(のど)を伝わって空気に触れしめねばやまない特有の天才を備えているのですから、いつ、何を言い出すか、それは全く予測を許されないのですけれども、いかに天才といえども、無から有を歌い出すことはできますまい。

         三

 清澄の茂太郎はこうして竜燈の松のそばまで来た時、突如として脱兎(だっと)の如く走り出しました。
 いつもならば、馴染(なじみ)の竜燈の松に腰うちかけて、即興詩の一つもあるべきところを、今宵はその松の木の前を脱兎の如く、全速力で、眼をつぶって走り去るのは、何か怖ろしいものを感じたからでしょう。怖ろしいものといっても、この子は、すでに世間並みが怖れるところの猛獣毒蛇をさえ怖れないし、日月星辰をも友達扱いにしようとするほどのイカモノですから、特にそんなに怖れるものは無いはずだが――さては、いつぞやお杉の女(あま)ッ児(こ)をおびやかした海竜でも、本当に出現したのかな。
 ところが、その海竜は、この子には恐怖の対象ではなくして、風説の製造元であったのだから、海竜もまた親類であるべきはず。
 では、何を怖れたか。つまり、この子の怖れるものは人間のほかにはないのです。人間につかまえられて、人気者に供される以上の恐怖は、この子には無い。
 甲州の上野原でも、こんなように無邪気になっているところを、不意にがんりきの百蔵なるならず者につかまって、いやおうなしに江戸へ拉(らっ)し去られてしまったではないか。幸い、江戸に於て田山白雲を見出して、その背に負われて、この房州へ連れられて来たが、怖れるところのものは、右様の人間のほかには、この少年の前にはありません。
 多分、そんなような、胡散(うさん)な者を、たった今眼前に於て、感得したればこそ、彼はかくも一目散(いちもくさん)に走り過ぎたものと思われる。
 そうして、夢中に、ものの二町ほども走ったが、幸いに、何物も後を追い来(きた)る気色(けしき)がありませんから、そこで、安全圏内に入ったつもりで、歩調をゆるめてしまいました。ここへ来ると、行手に遠見の番所の火影(ほかげ)がボンヤリと見えている。万一の場合、大きな声を出しさえすれば、誰か番所から駈けつけてくれる。それでも間に合わない時は、殿様のお部屋に鉄砲がある――そんなような安心で、茂太郎はまた歌の人となりました。
チーカロンドン、ツアン
パッカロンドン、ツアン
と、口拍子を歩調に合わせて、
姐在房中(ツウザイワンチョン)
繍※繍花鞋※(シウリアンシウファヤイヤア)[#「口+下」、25-3][#「口+下」、25-3]
忽聴門外(フラテンメンワイ)
算命先生(サンミンスヘンスエン)
叫了一声(キャウリャウイシン)
叫了一声(キャウリャウイシン)
と勢いよく唱え出して、
トデヤウ、パンテン
スヘンスエン
ニイツインゾオヤア
ヌネン、バズウ
ゴテ、スヘンスエン
ニイ、ツエテンジヤ
ニイ、ツエテンジヤ
 茂太郎としては出鱈目(でたらめ)ですけれども、これは立派に支那の端唄(はうた)になっていました。
 こんな出鱈目を器量いっぱいに歌いつづけた時に、茂太郎は行手の右の方の、こんもりと小高い丘の上に真黒に盛り上った森の中から、ポーッと火の手の上るのを見ました。
 それは、狼煙(のろし)のように――風が無いものですから、思うさま高く伸びきって、のんのんと紅い色を天に向って流し出したのです。
「あれ、天神山で火が燃えた」
 時ならぬ火である。一時は火事かと思ったが、火事ではない。お祭礼(まつり)でもないはずなのに、誰が、何の必要あって、あんなに火を燃やし出した?
 茂太郎は、思いがけなく火の燃え出したのを、非常時として見るよりは、その火の色が特別に赤い色をしていることに、美しさを感じて、一時は見とれたように立ち尽しました。
 火は、いよいよ盛んになって、やがてパチパチと竹のハネル音まで聞え出した時、茂太郎の唇の色が変って、
「あ、そうだ、マドロス君が焼き殺されてるんだぜ、あの火は……」

         四

 そこで、茂太郎は、声も、身体(からだ)も、震え上ってしまいました。
「マドロスが、焼かれているのかも知れない、たしかにそうだ、そんなような気がしてならない、そうだとすれば大変だ!」
 ほとんど為(な)さん術(すべ)を知らないほどに動顛(どうてん)したらしい。
 そこで、すっかり、空想も、幻想も、打ちこわされて、失神に近いほどの戦慄(せんりつ)と、恐怖を、如何(いかん)ともすることができないらしい。
 というのは、今、あのマドロスが、村民の無頼漢の手に捕われている、そうして天神山へ連れて行かれて、今日明日のうちに焼き殺してしまうが、どうだいという、かけ合いがあったとか、なかったとか聞いていたが、それが本当であったか。
 昨今、駒井の殿様を中心とする、この海辺の世界では、造船は着々と進行する、動力の研究までが目鼻がついてくる、働く人はみな殿様に心服している、やがて船が完成すれば、それに乗って行くべき人の人選も、ようやく定まりつつあるの時に、その周囲から、ようやく圧迫が出て来たことの形勢が、うすうすこの茂太郎にもわかっているのでした。
 最初は、充分の好意と、好奇とを持って、駒井の新事業に便宜を計ってくれた附近の人が、このごろになって、険(けわ)しい見方をするようになったのは、たしかに黒幕があるのだ、と駒井の殿様も言った、それをお嬢さんが、またよく註釈して言って聞かせた、
「茂ちゃん、もう、昼間でも、うっかり外へ出るのをおよしよ、あぶないから。この近所の人は、漁師や、お百姓さんで、何も知らないけれど、うしろに黒幕があって、殿様の仕事を邪魔してやろうという空気が濃くなってきましたから、どうも今までのように安心しちゃいられないのよ。黒幕が、ばくち打を使ったり、ならず者をけしかけたりして、殿様の仕事を妨害するんですからね」
「黒幕というのは何です、お嬢さん」
「それは土地の代官だとか、神主、坊さん、儒者といったような人たちだろうと思うんです」
「それが、ナゼ妨害するんだろう」
「つまり、この殿様のなさることが、わからないんですね。どうも、あれは、毛唐(けとう)の廻し者で、毛唐が黒船で日本を攻めて来る時に、こっちから裏切りをするために、ああして、軍艦や大砲をこしらえているんだ……なんて、けしかけているんですとさ」
「黒船がかエ」
「ええ、そこへもってきて、あのマドロスの奴が、だらしがないんでしょう、言葉がわからないし、あの面構(つらがま)えで、鶏を盗んだりなんかするもんだから、あれは切支丹(きりしたん)の、魔法使いの毛唐だと言ってるんですとさ」
「マドロス君もよくない!」
「よくはないけれども、そんな根強い悪人でもなんでもないのよ、たあいない男なのよ。それを憎んで、あいつを取捕(とっつか)まえて焼き殺してやれ、メリケンの国では、黒人(くろんぼ)を取捕まえると焼き殺してしまうんだから、日本でも毛唐を取捕まえて焼き殺したってかまわねえ……なんて、この頃中からマドロスを、土地のバクチ打や、ならず者が狙っていたんですとさ」
 こんな話を、茂太郎は、兵部の娘から聞かされたのは、ここへ飛び出して来る、少し前のことでした。
 マドロスがこの娘に対して暴行を働き、行方不明になっていたこと、それが一旦捕まって、村民のためにまたさらわれて行ったこと、それはもう少し以前のことでしたが、茂太郎も、マドロスにはもう多少の憎悪をさえ感じていたのだから、あんまり心配もしてやらないでいたのに、ここへ来て天神山の火を見ると、紅色をした鮮かな火焔の色と、スッテン童子の髪の毛とを思い出しました。
 マドロス君も、いけないにはいけないが、焼き殺すというのはヒドい。焼き殺されるのは、全くかわいそうだ……

         五

 お嬢さんに対して働いた暴行は、憎いには憎いが、そうかといって、焼き殺さねばならぬほどに憎いとは思えない。
 現に、再三、その暴行を蒙(こうむ)ったお嬢様自身すらが、それを許しているではないか。
 駒井の殿様がああして、物置へマドロス君を抛(ほう)り込んで置いたのは、焼き殺しておしまいなさるつもりではない。再三のことで、あまりといえば許しておけないから、当座の懲(こら)しめのために相違ないのを、大勢がやって来て、担ぎ出し、それを天神山で焼き殺すということになっている。
 村民たちに、そんな刑罰を行う権利が与えられているのか。タカが、マドロス君が飢(う)えに迫って、お櫃(ひつ)をかっぱらったとか、鶏を盗んだとかいう程度が、村民の蒙っていたすべての被害ではないか。それに向って私刑を加える――十や十五の叩き放しならまだしも、焼き殺してしまうというのは、それはあんまり酷(ひど)いや――
 いやいや、マドロス君を村民が焼き殺してしまおうという理由はほかにある。それは、マドロス君が毛唐であるからだ。
 毛唐というものは、つまり日本の国を取りに来るものだ。それだから、当代、二本差している憂国の志士はみな毛唐を斬りたがる。毛唐を一人でも斬れば斬るほど幅が利(き)く、まして毛唐に向って、戦(いくさ)をしかければしかけるほど、その大名の威勢があがる。
 相州の生麦(なまむぎ)というところで、薩摩の侍が毛唐を斬って、それから、薩州様と毛唐とが戦争をした。長州でも負けない気になって、下関で毛唐と戦(いくさ)をした。これらの大名連は、毛唐と戦をするだけの勇気があるが、将軍様にはそれが無い――と言って、多くの人たちが歯噛(はが)みをしている。
 だから、毛唐は殺すべきものだ。毛唐を殺せば殺すほど、侍としては勇者であり、国としては名誉である。そこで、この浦辺の漁民たちまでが、その気になっているのか。それでも、あたしには、それがわからないのですね。
 あたしがつきあっているマドロス君は、眼の色こそ変っている、言葉こそ違っているが、やっぱり日本人と同じことの人情を備えている。人情の長所も備えているし、短所も備えている。この人は、あんまりエライ人ではない、ドコの国にもある、あたりまえの労働者だ。酒を呑みたがるのも無理はないし、飲めばむやみに女が好きになるところなんぞも、毛唐だから特別という廉(かど)はない。日本人だって大抵そんなものではないか。
 毛唐は日本の国を取りに来た者だとは言うけれど、マドロス君一人では、日本の国が取れやしない、よし取ってみたって、一人じゃ背負(しょ)い切れまい。
 毛唐だからとて憎まねばならぬという理窟は、どうも茂太郎にはわからない。
 それならば、毛唐のうちのメリケン人は、黒人と見れば取捕(とっつか)まえて焼き殺すから、おれたちもメリケンを取捕まえて焼くのだ、というのも理窟にはならない。
 いったい、人間同士というものは、そんなに憎み合わないでもいいじゃないの。そんなにおたがいにこわがらないでもいいじゃないか。人間はどうも物を怖がり過ぎていけない。獣や、虫なんぞでも、こちらが害心さえ無ければ、向うも大抵お友達気取りで来るものを、人間が彼等を怖れ過ぎるから、彼等もまた人間を怖れ過ぎる。
 本来、この辺の浦人(うらびと)なんぞは、そんな惨酷なことをする人間ではなく、最初から、我々には好意を持っていてくれたものが、急にこんなになったのは、お嬢さんの言う通り、黒幕という奴がさせるのだろう。
 黒幕が悪いのだ。
 と、茂太郎はようやく黒幕へ持っていって、責任の帰するところを求めようとしました。
 そんなら黒幕を外(はず)してしまいさえすれば、いいじゃないか。

         六

 黒幕を外してしまえ。
 それは田山先生がいいだろう、田山先生は強いから、きっとその幕を外せるだろう。黒幕というのは一体、どこにどう張ってあるか知れないが、さがせばわかるに違いない。
 それはそれとして、今眼前、焼き殺されようとするマドロス君がかわいそうだ――
 茂太郎は、今になって、全くマドロスに同情してしまいました。立ちのぼる紅(くれない)の炎に、無限の恨みを寄せています。
 その時に、左の一方は海ですから、絶えずザブリザブリと、寄せては返す仇波(あだなみ)が、月の色を砕いて、おきまりの金波銀波を漂わせつつ、極めて長閑(のどか)に打たせていたのですが、陸なる紅の炎を見ることに、心の全部を吸い取られた茂太郎は、今し、全く閑却していたその海の方を、あわただしく向き直りました。
 それは彼の俊敏な五官の一つに響いて来たものの音、やや遠く近く、櫓拍子(ろびょうし)の音が、この海から聞え出したからです。
 そこで、くるりと海の方へと向き直った茂太郎は、直ちに、程遠くもあらぬところに、一艘(いっそう)の小舟が櫓を押して通り過ぐるのを認めました。どうも、今時、この海を、岸づたいとは言いながら、あの小舟で乗りきることに、少々の意外さを感じながら、きっと闇を通して見たのは、その舟の中です。
 茂太郎の眼は、たしかに異常です。異常なのは眼だけではありませんが、その眼は特別によく働く機能を授けられている。それにこのごろは、天文を見ること、星を数えることに、毎夜の如く慣らされているから、その感覚が一層精練されて来ているようです。
 それですから、暗夜でも物を見るのは、さして苦としないのを、今夜は形(かた)の如き月夜ですから、眼の前を通る舟の中を見定めてしまうことは、なんでもありません。
「あ!」
 そうして、ここでもまた、あっ! と驚かねばならないものを発見しました。
 今、現に、櫓(ろ)を押しているその人は……それこそ、自分が現に極度の同情を寄せていたマドロス君その人ではないか。
 そうしてまた一方、舳(みよし)の方に、もう一人いる。それとても別人ではない、昨今、遠方からここへお客に来ている七兵衛というおじさんではないか。
 さしもの茂太郎が、そこで途方に暮れてしまいました。
 あの天神山で焼き殺されているマドロス君がマドロス君であるならば、今、ここを小舟で通り過ぎているマドロス君がマドロス君であり得るはずがない!
 どうしたのだろう?
 そこで思い乱れた茂太郎は、前後の思慮もなく、大声をあげてしまいました、
「マドロスさあーん」
 舟の櫓拍子は相変らず聞えるけれども、返事はありません。
 では、あの過ぎ行く舟の中の人はマドロスさんではないのか――いや、たしかに、あれがマドロス君でなければ、ほかにマドロス君があろうはずはない。
 もしかして、自分の眼に誤りがあったのかと、ちょっと眼をそらして天の方を見ると、いつも見るカシオペヤも、オリオンも、月光に薄れながらはっきりと見える。海の波も、陸の色も変りはない。ひとり、この眼でマドロス君だけを見誤るはずがない。そこで、茂太郎は二度(ふたたび)、大きな声で呼んでみました、
「そこへ行くのはマドロスさんじゃないかエ、マドロスさん!」
 けれども、いっこう手答えがなく、舟はそのままグングンと力限りに漕(こ)がれて行ってしまう。しかし、漕がれて行く先は、遠く外洋へ出でようというのではない、近く岸に沿うて、そうして、遠見の番所、造船所の下の方へと、筋を引いて行ってしまうのです。

         七

 唖然(あぜん)として、岩角に隠れた舟を見送っていた茂太郎が、またも思い返して天神森の方を見ると、さきほどの火は大分に薄れてゆきましたが、この時、ちょうど、蜘蛛(くも)の子を散らしたように、柿の実をバラ蒔(ま)いたように、その真黒な天神森から、点々として、多くの火影が飛び出したのを認めました。
 提灯(ちょうちん)か、松明(たいまつ)か知らないが、おのおの小さな火の子を手にして、多くの人数が、崩れ出したことはたしかです。
 そうして、見ているうちに、右の火の子が、四方へ散り乱れたけれども、やがてそれがほぼ一つになって、長蛇のような形で、こちらへ向いて来ることもたしかです。
 茂太郎は、今それを怖れ出しました。
 とにかく、一目散に、番所まで逃げ込むことが急務だと考えたものですから、また、息せき切って砂の海岸を真一文字に、遠見の番所まで走(は)せ戻ったものです。
 番所まで一目散に走りつくと共に茂太郎は、まずこのことを、誰に向って語ろうかと案じわずらいました。
 駒井の殿様に申し上げるのが本当だろうけれども、殿様はまだ、マドロス君を許しておられないのだ。田山先生はいない、金椎君(キンツイくん)は話したって無益、どっちみち、お嬢様に話してみてからの上……そのお嬢様という人は、いま眠っているに違いないから、それを起すのも気の毒だ。
 そこで、茂太郎はまず、小使部屋へ飛び込んだ。見ると、そこの炉辺に、思いがけない人が一人いるのを認めました。
 キャンドルを入れた行燈(あんどん)が明るく、炉中の火も賑やかに燃え、大鉄瓶の湯もチンチンと沸(わ)いて、いずれも気持よく室中の気分が熟している中に、炉を前にして、お膳を置き、傾けつくしたと見える徳利を一本飾りこみ、悠然として、お茶漬を掻(か)きこんでいるところの一人を発見したものですから、茂太郎が、
「おや、おじさん、いつ帰ったの?」
「はい、もうちっと先に帰りましたよ」
「そう……」
 茂太郎はなんとも解(げ)せない面(かお)で、この悠々とお茶漬を掻込んでいる中老人の面を、しげしげと見やりました。
 それは、このごろ、ここへお客に来た、武州の田舎(いなか)の七兵衛というお爺さんだからです。
 そのお客さんだから、特に解せないというわけではない。お客さんに来ても、帰らない以上は、ここに泊っているのはあたりまえだし、泊っている以上は、お茶漬を食べることも不思議ではないが、茂太郎がどうしても不思議でたまらないので、しげしげと、この空(から)にした徳利を一本前へ飾りつけて、お茶漬を食べているお客様をながめたまま、引込みがつかないでいるのは、この人こそ、ついたった今、小舟の中で見た人だからです。
 マドロス君が櫓(ろ)を押して、このおじさんが舳(みよし)の方に坐って、そうして、こちらが呼べども知らん面に、造船所の方へ行ってしまったその舟の中で、たしかに見たこのおじさんがあのおじさんです。果して、このおじさんがあのおじさんであるとすれば、どこへあの舟をつけて、いつここまで来たのだろう。たとえば、あの時に、造船所の前へ舟を着けたとしても、それからこの番所までは相当の距離がある。走って来たとしても、相当息切れがしていなければならないのに、もう徳利を一本空にして、悠々とお茶漬を食べている。
 もし、舟の中のあのおじさんが、このおじさんでないとしたならば、ここにいるこのおじさんは誰だ?
 マドロス君と言い、この七兵衛と称するおじさんと言い、今日は実に、解しきれない変幻出没――さすがの茂太郎が当惑しきって、
「おじさん、いつここへ戻って来たの」
「たった今……」
「だって、お茶漬を食べているじゃないか」
「お腹がすいたから、いただいたのさ」
「だって……」
 この時、屋外が騒がしくなりました。

         八

 そっと窓を押して、二人が外を見ると、すぐ眼の下なる浜辺は、白昼の如くかがやいているのを認めました。
 それは、地上では盛んに焚火(たきび)をして、上には高張提灯を掲げ、何十人もの村民が、竹槍、蓆旗(むしろばた)の勢いで、そこに群がり、しきりに言い罵(ののし)って、この番所を睨(にら)み合っているのを見ます。
 さすがに、ひたひたと押寄せては来ないが、この番所に向っての示威運動であることは確かであります。
 そのうちに、大きな藁人形(わらにんぎょう)が二つ、群集の中に、こちらへ向けて、高く押立てられました。さながら弥次郎兵衛のように竹の大串にさして、突立てたのを、下に薪を積みはじめたところを見ると、この藁人形に火焙(ひあぶ)りの刑を施さんとするものらしい。
 その挙動によって察すると、彼等はマドロスを捕えて焼き殺すことに、何か失敗があったその腹癒(はらい)せか、そうでなければ、首尾よくマドロスに私刑を加え終って後、こうして駒井の番所近く、第二の示威として藁人形を焼き立てようとするものらしい。
 二人で、じっと見ていると、彼等は皆相当に昂奮しきっているようです。その昂奮に油をそそぐように、立廻っているのは、幾多のバクチ打と、ならず者の類(たぐい)と見える。
 やがて、藁人形の下に積み重ねた薪に火をつけると、火は勢いよく燃え上る。それと同時に、ドッと喚声が湧き上りました。
 この騒ぎでは多分、駒井甚三郎も目をさましたでしょう。兵部の娘のベッドの枕も、動かされたに相違ない。
 こちらの番所の中の人は、挙げてみんな、窓越しに、じっとこれを眺めているに相違ない。そこが、群集のつけめで、第一の藁人形にこうして火をつけると、第二の藁人形に火をつけて置いて、以前にも増した喚声を上げる。
 その火の色と、喚声とを聞きつけて、この場へ駈けつけるものは、一揆(いっき)の暴徒らしいやからのみでなく、浦の女子供も群がって来ること、爆竹(どんど)の祝いみたようなものです。
 こちらの番所では、ただ、静まり返って見ているだけですが、あちらでは、必死になっての示威運動です。
 口々に罵り騒ぐのを聞いていると、切支丹だとか、毛唐だとか、太え奴だ、国を取りに来やがった――とか、黒ん坊同様に一人残らず焼き殺せとか、番所も、船も、ブチ壊せとか、口を極めて、物騒千万な威嚇(いかく)を試みているが、威嚇しながらも、自分たちに相当の警戒があって、二の足を踏んでいるようでもあり、ついには、奮激の虚勢も、悪罵の言いぶりも、やや種切れの気味で、その時分に、鎮守(ちんじゅ)の社から下げて来たらしい太鼓が届くと、それを打鳴らし、やがて、この群集がおどり出しました。
 それは示威運動だか、お祭り騒ぎだか、わからなくなってしまっているうちに、押立てた高張提灯の一つに、どうしたハズミか、火がついてバッと燃え上ると、それを揉み消そうとして混乱が起ると、それのハズミで何か物争いが起ったようです。
 喧々として物争いをはじめたのは、仲間同士でした。
 それは、なんの原因だか分らないが、ホンの足を踏んだとか、踏まれたとか、手がさわったとか、さわらなかったとかいういきはりなんでしょう。やがて、すさまじい仲間同士の物争いになったのです。
 そこで取組み合いがはじまる、仲裁が出る、というおきまりで、こちらへ対するの示威はフッ飛んでしまい、仲間喧嘩に花が咲いて、その騒々しさ言うべくもない。
 こちらの番所で見ている者は、ここに至ると笑止千万(しょうしせんばん)に堪えられないでしょう。
 無論、駒井甚三郎も研究室のカーテンを掲げて、最初からこの形勢を見ていましたが、今し、仲間喧嘩が酣(たけな)わになったのを見て、カーテンを下ろしてしまい、またキャンドルを消してしまいました。

         九

 しばらくすると、扉をハタハタと叩くものがありますから、駒井が、
「お入りなさい」
と言いました。
「御免下さいまし」
と、いんぎんに現われたのは七兵衛です。
 七兵衛は、主人のほかに客用のものがある椅子へは、すすめても腰を下ろさないで、敷物の上へかしこまるのを例とします。ただ、手に一本の矢を持っていることが、いつもと違います。
「おお、七兵衛殿」
「只今は、随分お驚きになりましたでございましょう」
「少々、驚いたね」
「でも、あのくらいで納まってよろしうございました、どうやら、仲間喧嘩でもしでかした様子でございました」
「いや、本来、あの連中のやることは、根があってするわけではないのだから、たあいがない」
「でございますが、たしかにおだてる奴があるものですから、御油断はなりませぬ」
と言って七兵衛は、右の手に持っていたその矢を、駒井の方へ差出して、
「只今、小使部屋と、お廊下との間へ、こんなものを射込んだものがございました」
「ははあ、矢文(やぶみ)だな」
 駒井は、七兵衛の手渡す矢を受取って見ると、そこに結び封が結えつけてある。それを外(はず)して、くりひろげながら読んでいる。その読む時間を遠慮して、七兵衛は差出ることをしないでいたが、駒井は、さほど長くもあらぬ矢文をスラスラと読んでしまっても、別段、変った色なく、さっと、机の上へ投げ出したのをきっかけに、七兵衛が、
「おだてる奴があるものでございますから、御油断はなりません、万一のために、明日はひとつ、お船の方から人を呼んで、この御番所のまわりに、厳重な柵をお作りになってはいかがかと存じます、わたくしもお手伝いをいたしますから」
「用心にしくはないが、まあ、そうするまでには及ぶまい」
「しかし、うまくおだてられているんでございますから、調子によっては、何をしでかさないものでもございません。実は只今もああして、押しかけて来て、なんでも一気にこの御番所へ荒(あば)れこんで、火をつけてしまえ、ということだったそうでございますが、なかに、この御番所には大筒(おおづつ)がある、大筒をブッ放されてはたまらない、ということを言う者がございまして、そこで、あんな面当(つらあ)てだけにとどめたということでございますから、今後、また度々(たびたび)いたずらをするにきまっております、そうしますと、時のハズミで、ワーッとこれへ乱入して来ない限りはございません。そこで、塀なり、柵なりをかけて置けば、そこで必ず多少の遠慮をするにきまっておりまする――そうしているうちに、鉄砲の音の一つもさせてやれば、怖れてもう寄りつきは致しますまい、こちらから征伐も大人げのうございますが、籠城の用心だけはしておきませんと……それには、搦手(からめて)は大丈夫でございますが、海に向いた生田(いくた)の森が手薄でございます、早速、明日にも、あれへ柵をおかけになっておいた方が、安心でござります」
 七兵衛は、いんぎんにこう言って、駒井に進言をしてみましたが、駒井はそれを聞いて、頷(うなず)くだけで、
「たとえ黒幕があるにしても、おだてる奴があるにしてもだ、人気がこうなってはモウいかんな、斯様(かよう)な人気の中で、我々は安心して仕事をするわけにはゆかん。我々の仕事は、鉄条網を一方につくって、人民を敵視しながら、研究を続けて行かねばならん、という性質のものではないのだ。彼等はおだやかにあしらっても、威力を以てあしらってみても、どのみち、我々に対して、ああいう根本的の誤解が人気になった以上は、それを釈明するのは容易のことじゃない。不可能のことじゃないにしても、それを納得させる努力を、ほかで用いた方がよろしいから、結局――この地は、我々の方より一応退散した方が勝ちだ」

         十

 駒井甚三郎は、その時に矢文(やぶみ)の紙片を取って、七兵衛に読み聞かせました――
「ソノ方事、江戸ヲ追放サレテ、当地ニ来タル仔細ハ、毛唐ニ渡リヲツケテ謀叛(むほん)ノ志アルコト分明ナリ、ヒソカニ軍艦ヲ製造シ大砲ヲ鋳造シテ毛唐ノ侵入ヲ待チ、事ヲ挙ゲテ、ワガ神国ヲ禽獣(きんじう)ノ徒ニ向ツテ奴隷トナサンコトヲ企ツ、言語道断ノ次第ナリ、シカノミナラズ、毛唐ノ無頼漢ヲ雇ヒテ、善良ナル村人ノ財物ヲ剽掠(へうりやく)セシメ、婦女ヲ犯サシメ、切支丹ヲ流行シ、禽獣ノ行ヒヲススメテ改メシメザルハ、一ニソノ方ノ責ナリ、ヨツテ近日中、汝トソノ一味ノ者ニ向ツテ天誅ヲ加ヘ、世ノミセシメトナスベシ、覚悟セヨ」
 こういう文句が、かなり達筆に認められてあるのを、駒井は読み且つ見せて、七兵衛に向って言いました、
「ごらんなさい、文章は体をなさないものだが、文字は、なかなかよく書いてあります、この辺の浦の漁師たちなどに書ける文字ではないのです」
「神主様かなにか、お書きになったのでございますか」
「神主様と限ったものではあるまいが、こういう思想を煽(あお)って、無智の人民をけしかける者が志士といって、今の世には到るところに充満している」
「怪(け)しからんことじゃありませんか、そんな奴をひとつ、御退治なすっちゃあ、いかがでございますか」
「しかし、それがまあ、今の世の一般の空気になっているのだから、逆(さか)らわないがよかろうと思う」
「でも、そんなわからず屋のおどかしに怖れてばかりいては、つけ上るようなことはございますまいか、一つ、御威光を見せておやりなすっちゃいかがですか」
 七兵衛は、駒井の言うことを歯痒(はがゆ)いように思います。
 こういう場合にこそ、空(から)でもなんでもいいから、大筒の一発もブッ放して見せてやれ、彼等のコケおどしは、一たまりもあるまいと思われるのに、目を驚かすばかりの精鋭な、船も、武器も持っておりながら、みすみすこんな威嚇に屈服して争わない駒井の殿様の態度を、七兵衛も歯痒いように思いました。
 ところが駒井甚三郎は、内心に於ても激昂している様子はなく、かえって、七兵衛をなだめるような語気で、
「わしが、ここへ籠(こも)ったのは、江戸からも遠からず、周囲も静かで、何かと便宜があるからここを選んだまでのことだ、周囲がうるさくなった後、それと抗争したり、釈明したりしてまで、この地に執着しておらねばならぬ理由は少しも無いのだ。それに仕事の方も、ほぼ完成した。船は燃料の問題だけで、動かそうとすれば、今にも動くまでになっている。ホンの自衛の印(しるし)にこしらえた大砲も据えつけが終っている。今は船中生活の器具類と、食料品とを積みこめば、出帆に差支えないのだ。この上は乗組の人員と、目的地の針路だが、乗組員の方はほぼ予定がついている。この際、田山君が戻って来ないのは残念だが、香取鹿島までの旅だから、今日明日に戻って来るだろうと思う。あのマドロスは仕方のない奴だが、鍛え直せば役には立つのだ、お前の骨折りで、あのマドロスを暴徒の手から取戻してくれたのはいいことであった。そういうわけだから、この際、思い切って、船卸しをやってしまい、我々はこの地をできるだけ早く立去りたいのだが、それについて七兵衛殿、お前も希望(のぞみ)通り、この船に乗りますか」
とたずねられて七兵衛が、
「それは、願ってもない仕合せでございますが、私よりも、沢井にござる登様と、お松とを、ぜひお連れ下さいませ、それが叶いますならば、これから私が沢井へ走(は)せ戻って、登様をお連れ申してまいります」
「うむ」
「では、これから一ッ走り、登様のお迎えに行って参りましょう、そうして登様と、お松と、この七兵衛めをまで、このお船の中へお連れ下されば、こんな有難いことはござりませぬ。だが御当地をお立ちになって、どちらへ船をお廻しになりますのでございます」

         十一

「この船は、いかなる大洋をも乗りきれるつもりだから、ひとたび出帆した以上は、どこへ行こうとも勝手だが、それには燃料と、食物の関係もあるから、今のところはそう遠くまでは行けない、わしの考えでは、当分、近くのしかるべきところへ落着けて、なお修理と改良を加えたいのだ……その候補地が二つある。一つは駿河(するが)の国の清水港で、一つは陸前の石巻(いしのまき)の港だが、清水港はよいところだが、今のところ、目に立ち易(やす)い心配がある、その点では陸前の石巻がよかろうと思う。そこで、昨晩いろいろ考えて、それにきめてしまったようなものだ」
と駒井甚三郎が、行く先を説明して聞かせた上に、かの地には、曾(かつ)て、高島門下で自分と同窓の、木野徳助というものがあって、土地で有数な船乗りであり、よく自分を諒解していてくれる、それに土地も辺鄙(へんぴ)だから、この辺よりはなお一層人目に立つことが少ない、もしもの場合には、一同が船中生活をしていて、外へさえ出なければ危険のありそうなはずがない、万一危険がありとすれば、帆をかけて海に避けるまでのことだ……ということを駒井が、七兵衛の得心のゆくまで説いて聞かせました。
 駒井としては、その辺に十分の自信を持っていて、帆前の用意まで怠(おこた)りはないのだが、それにしても心にかかるのは燃料のことで、遠洋の航海をするのに、その燃料の貯蔵と、補給とには、念に念を入れねばならぬと考えているのです。
 しかし、それは石巻へ着いてからの研究でも間に合う。それと、もう一つは、結局の目的地のこと……これはきまったような、きまらないような現在ではあるが、きめて置いて、かえって失望するようなことはないか。きめないで置いて、かえって理想に近い新陸地を発見し、そこに水入らずの一王国か、或いは民主国か知れないが、そういうものの種を蒔(ま)いてみることは、また男児の快心事ではないか。
 この点に於て、駒井の近況は、必ずしも冷静な科学者でも、緻密(ちみつ)な建造家でもなく、一種のロビンソン的空想家となっていないではない。そこでかなり正確な数理と、着実とを以て、諄々(じゅんじゅん)と話しつつあるにかかわらず、七兵衛の頭におのずから熱を伝え、実際的に信頼のできる根拠があるだけに、七兵衛のロマン味をも刺戟すること一方ではないと見え、老巧な七兵衛が、海を説かれて、少年のような興味を植えつけられて、勇みをなした有様が、瞭々としてわかります。
 この話がきまると七兵衛は、早速旅装をととのえて洲崎を出発しましたが、その馬力のかかった足許の躍(おど)り方までが、いつもより違った若やかさを感ずるのは、不思議と思われるばかりです。
 今までの七兵衛は、千里を突破する早い足を持っていたのには相違ないが、そのゆくては、いつでも真暗でした。こうして乗りかけるところは結局、三尺高い木の上に過ぎない。いかに早く走ったからとて、いつかは、自分はそこまで追いつめられて、いやおうなしに、その台の上へ、この首をのっけてしまわねばならぬ。
 いつ出でても、ゆくては夕暮である。
 どんなキラキラした天日も、七兵衛が走りながら仰ぐと暗くなって見え、自分はそれを観念しつつ、幼少より今日に至るまで、明るい世界を全く暗く歩み、生涯、この暗黒から救われる由なき運命のほどを、自ら哀れみもし、自らあきらめもしていたのが――時として、旅の半ばに、前後をのぞみ見て、□然(げんぜん)として流るる涙を払ったこともないではなかったのです。
 子供の時分、名主様に舌を捲かせ、貴様は日吉丸になるか、石川五右衛門になるかと呆(あき)れさせたことのある自分も、よく通れば、日吉丸ほどでなくとも、五右衛門の出来そこないにはならなかったに相違ない……それがかくして今、こうして暗く歩んでいる。
 それを考えて、七兵衛のいただく天地に、かつて明るいことがなかったのですが、今日は、全く別な世界を歩みはじめた気持です。
 この世界には、この足を必要としないで歩み得る世界がある。それは海だ!
 そこは、自分の特長は全く無用視されるが、自分の身に安心が予約されるではないか。
 船というものは全く別の世界になり得る!

         十二

 田山白雲が勿来(なこそ)の関(せき)に着いたのは、黄昏時(たそがれどき)でありました。
 勿来の関を見てから、小名浜(おなはま)で泊るつもりで、平潟(ひらかた)の町を出て、九面(ここつら)から僅かの登りをのぼって、古関(こせき)のあとへ立って見ると、白雲は旅情おさえがたきものがあります。
 音に聞く、勿来の関の古関の址。
 誰が書いて、いつ立てたか、「勿来古関之址」と、風雨に曝(さら)された木柱の文字。それを囲んで巨大なる松の木が五六本、おのずからなる離合の配置おもしろく生い立っている。
 桜はと眼をつけて見たが、あちらに半ば枯れた大木と、あとから植えたものらしい若木が十本ばかり、半ば紅葉して見えただけのもの。さて、東には海を見晴らし、西には常磐(じょうばん)の連山。海は遠く、山は近く、低い雲に圧(お)され気味な、その日の、その時刻。
 古関の木柱の前に立ちつくして、雲霧と海山とをながめ渡して、白雲はホッと息をつきました。
 これは疲労を感じたから、ホッと息をついたのではない。夕暮の雲煙が、いとど自分の旅情を圧迫して、やはり、旅情というものを、いよいよおさえ難きものにしたからでしょう。
「遠くも来つるものかな」
 彼はこういう表情をして、勿来(なこそ)の古関の上に、往を感じ、来を懐(おも)うて、いわゆる□徊顧望(ていかいこぼう)の念に堪えやらぬもののようです。
 実際、遠く来てしまったな――という感じは、その旅中の気分の中に充ち満ちているだけに、古来の「勿来」の文字が、大手をひろげて、なにか彼に向って、前路の暗示を与えてもいるもののようです。
「遠くも来つるものかな」
 暗雲低く垂れて、呼べば答えんとするもののほかに、その感懐を訴うべき、人煙は無い。
吹く風ならぬ白雪に
勿来の関は埋もれて
萩のうら葉もうら淋(さび)し
 白雲はこういって、微吟しながら、その豪快なる胸臆のうちに、無限の哀愁を吸引し来(きた)ることにたえないらしい。
 それにしても、「勿来」の関は、王朝以前の勿来の関で、近代の勿来の関ではないはずです。
 たとえ、田山白雲ほどの男でも、王朝以前の時に当って、はるばる都を出でて、東路(あずまじ)の道の果てなる常陸帯(ひたちおび)をたぐりつくして、さてこれより北は胡沙(こさ)吹くところ、瘴癘(しょうれい)の気あって人を傷(いた)ましめるが故に来る勿(なか)れの標示を見て、我ながら「遠くも来つるものかな」と傷心の感懐を洩らすのは、無理とは言えないだろうが、黒船の海を行く今日の世では、もはや「勿来」は名残(なご)りだけのものです。
 江戸が天下の政治の中心地となってしまい、常陸にはその宗藩が置かれ、その常陸を僅か一歩抜け出したところの「勿来」の関。これから奥にはまだ、黄金(こがね)花咲くといわれるところに、伊達(だて)を誇る都もあるし、蝦夷松前(えぞまつまえ)といっても、名もなき漁船商船でさえが、常路の如く往来をしているこの際に、白雲ほどの豪傑が、ホッと息をついて、「遠くも来つるものかな」は女々(めめ)しいではないか。
吹く風ならぬ白雪に
勿来の関は埋もれて
萩のうら葉もうら淋し
 但し、ここで白雲の口頭に上った微吟の歌には、なんらの意義がない。さし当り口を突いて出て来た調子のままに、口あたりよき雅言が、詠歎的に歌調をなしたまでのことで、つまり多少とも、清澄の茂太郎にかぶれたものと見ておけばよい。
 立ち尽して、白雲はただ蒼茫(そうぼう)たる行手の方のみを、暫く見つめていました。
「遠くも来つるものかな」
 やはりその旅情を、如何(いかん)ともすることができないらしい。

         十三

 西に眼を転じて、自分は、安房(あわ)の国、洲崎浜の駒井甚三郎の食客となっている身で、それに相当の暇(いとま)を告げて、立ち出でて来た旅中の旅路であることを憶(おも)いました。
 駒井に暇を告げる時は、香取鹿島から、水郷にしばしの放浪を試み、数日にして帰るべきを約して出て来た身なのです。それが、鹿島の浦で興をそそられて、奥州松島を志し、「勿来」の関まで来てしまったことが、我ながら「遠くも来つるものかな」の自省を促さざるを得ないものとなったのでしょう。
 更に東へ眼を転ずると、そこは涯(かぎ)りのない海です。
 海はいつも同じようなことを教える。渺(びょう)たる滄海(そうかい)の一粟(いちぞく)、わが生の須臾(しゅゆ)なるを悲しみ、と古人は歌うが、わが生を悲しましむることに於ては、海よりも山だと白雲は想う。海は無限を教えて及びなきことを囁(ささや)く。人間の生涯を海洋へ持って行って比べることは、比較級が空漠に過ぎるようだ。
 左に磐城(いわき)の連山が並ぶ、その上に断雲が低く迷う――多くの場合、人間は海よりも山を見て、人生を悲しみたくなる。それは特に山に没入する時よりは、山を遠くながめる時に於て、山というものの悠久性が、海というようなものの空漠性よりは、遥かに人間の比較級に親しみが深いからでしょう。海を見ても泣けない時に、かえって山を見て泣かねばならぬことがあります。
頭(こうべ)をあげて山川(さんせん)を見
頭を低(た)れて故郷を思う
 このたびの旅行に於て、海は白雲のために友であり、師であって、絶えずこれと共に歌い、これに励まされ来(きた)ったようですが、山がかえってこの男を、人間の悲哀に向って誘い込むらしい。
 磐城の連山の雲霧の彼方(かなた)に、安達ヶ原がある、陸奥(みちのく)のしのぶもじずりがある、白河の関がある、北海の波に近く念珠(ねず)ヶ関(せき)もなければならぬ。
 それを西北に廻れば、当然、那須、塩原、二荒(ふたら)の山々でなければならぬ。そうして、やがて上州の山河……
「遠くも来つるものかな」と感傷のため息をついたのは、白雲もまだ人間並みに故郷というものを思い出でたからでしょう。おれにも、これで妻子というものがあったのだ、その妻子にも、幾年月の苦労をさせたものだな、という人間感が、犇(ひし)と胸に迫ったから、それが、白雲の面(かお)に、見るに忍びぬ、一脈の傷心の現われを隠すことができなかったものに相違ない。
 事実、この男には妻子があったのです。その妻子を故郷に預けて来ていることを、「勿来」まで来て、はじめて、思い出すのはいいが、思い出される妻子というものの身になっても辛かろう。
 斯様(かよう)な人間に附属せしめられた妻子というものこそは、全く気の毒の至りです。その気の毒な運命のほどは、嘗(な)めさせられている当の妻子たちは無論のことだが、嘗めさせつつ我を忘れている当人も、他所目(よそめ)ほどには楽でもあるまい、妻子には済むまい――
 自己の豪興半ばにして、白雲は、ふいとこの気分のために、心を傷(いた)めぬということはないのです。
 旅に出ても、若干の収入さえありさえすれば、自分は食わなくとも、それを妻子に仕送る心がけだけは忘れなかったものだ。幸いにして、この頃中は、あの山かんな女興行師につかまって、あの女のために思わぬ大金を恵まれた。それをそっくり故郷の妻子に届けてあるから、あれで当分の生活にはこと欠くまい――という安心が、一つは白雲を駆ってそれからそれと、陸奥の旅までも突進させたのですが、もう一つの動力は、まさに「狩野永徳」のさせる業でなければならぬ。
 陸前の松島の観瀾亭(かんらんてい)に、伊達正宗が太閤から貰って、もたらして来た永徳の大作があるという噂(うわさ)を聞いたことが、一気にそこまで白雲を突進させようとして、ここ勿来の古関のあとに立たしめた本当の道筋でありました。

         十四

 こうして、鹿島洋(かしまなだ)で得た豪興が、一気に田山白雲を、ここまで突進させてしまったけれどここへ来てみると右様の始末で、「勿来」の文字が、帰るに如(し)かずを教えることしきりです。
 駒井殿も心配しているだろう、妻子にも逢いたくなった――ガラにもなく、この帰心のために田山白雲の心が傷みました。
 松島には狩野永徳が待っている――扶桑(ふそう)第一とうたわれた、その松島の風景的地位というものも見定めておきたいし、黄金花さくという陸奥の風物は一として、わが画嚢(がのう)に従来なかった土産物(みやげもの)を以て充たしめざるはないに相違ない――が、前途、路は遥かだ。
「帰るに如かず」の心が、白雲の逸(はや)る心を乗越え乗越えして、堪え難いものとするとともにここまで来て……引返すということの意気地のなさを、自分ながら後ろめたいものにもする。そこで、結局、行くべきものか、帰るべきものか、白雲ほどの男が、□徊(ていかい)顧望して、全く踏切(ふんぎ)りがつかない始末です。
 そこへ、峠の彼方から――峠というほどではないが、関の彼方から、うたをうたって来るものがある。その歌は、何だか知らないが、うら若い娘の声で、人の無いのを見て、ひとり興に乗ってうたう、この辺ありきたりの鄙唄(ひなうた)であるらしい。
「姉さん、おい姉さん」
 松の間から見えた、里の乙女と言いつべき若い娘。ぽちゃぽちゃした面(かお)の、手拭をかぶって背には籠(かご)を背負っていたのが、峠というほどでないにしても、上下一里はある山路の中を、いい気になって、鄙唄をうたいながら来たのを、こちらから呼び止めたのは、雲をつく田山白雲でしたから、
「え!」
 その当座、右の姉さんは、ぴったりと唄をやめて、棒立ちになり、同時にワナワナとふるえ出したもののようです。
「姉さん――」
 娘は動きません。白雲はこちらで手招きをする。
 娘は動かない。
 白雲は、なお手招きをする。
 娘はジリジリと足ずりをする。しかも、前へは摺(す)らないで、うしろへ摺る。
 白雲は、莞爾(にっこ)として、娘を迎えようとする。
 しかも娘は蒼(あお)くなる。
 白雲は、怖いものじゃないよ、という表情をして見せて、再び小手招きをする。
 娘は、また足摺りをする。やはり、後ろへ向って、こっそり足摺りをしていたのが、やや小刻みに、二足ほど引く。それでも、姿勢は棒立ちになった心持。
 松の立木と、萩の下もえとを間にして、その間約半丁――
 いかに白雲が、好意を示し、小手招きをしても、娘は近寄らない。この間(かん)、しばし。
 やがて、三足、四足と、急速に踵(くびす)を返すと、まっしぐらに、身をねじ向けた娘、そのまま真一文字に、もと来た道へ馳(は)せ下ってしまいます。その、処女(おとめ)にして同時に脱兎の如き文字通りの退却ぶりを見て、白雲はあいた口がふさがらないのです。
 だが、その心持と、進退のほどはよくわかる。申すまでもない、恐怖がさせた業で、彼女の恐怖の的となっているのは自分――男性でさえ、この御面相ではかなり避けて通すことになっているこのおれというものに、この時節、こんなところで、不意に呼びかけられて、あの態度を取ることは、先方の身になってみれば、ちっとも不思議ではない。
 しかし、気の毒な思いをさせた。こちらは、不意に出逢わせてはかえって虫を起すだろう、ワザと遠くから予備意識を与えて、この自分というものが、見かけほどに怖ろしい男ではない、という諒解(りょうかい)を与えておこうとした好意が、かえって仇(あだ)となって、娘を逃がしてしまった、気の毒なことをしたよ――と苦笑しながら、その逃げ去ったあとを見つめると、何か落しものをしている。

         十五

 傍へよって落したものを見ると、それは金唐革(きんからかわ)の香箱でした。
「やれやれ、かわいそうなことをしたわい」
 白雲が大事に拾い上げて見ると、箱の中には、鼈甲(べっこう)の櫛笄(くしこうがい)だの、珊瑚樹の五分玉の根がけだのというものが入っている。
 あの娘が、後生大事に抱えて来たものだ。
 風呂敷へも、籠へも入れず、こうして持って歩いたのは、途中も嬉しいことがあって、時々、取り出してはながめ、取り出してはながめずにはおられない理由というほどのものがあって、自然に下へは置けなかったのだろう。
 あちらの町から買って、こちらの村へ戻るの途中というよりは、あちらのおばさんなり、姉さんなりというものがあって、それが、今まで秘蔵していたこの品を、仔細あって、あの娘に譲ってくれたものではないか。それは、かねての長々の約束であったか、或いは一時の話のはずみから出来たのかも知れないが、今日という日に、この品が確実にあの娘の手に落ちたので、それを持ち帰る途中、嬉しくって、幾度も幾度も取り出してはながめ、とり出してはながめ、ここへ来ては、その嬉しさが鼻唄となって、宙にかかえ込んで来たところへ、雲突くばかりの男が出て行手をさえぎった! それまでの光景が、白雲の眼に、手にとる如く映って来たので、いよいよ罪なことをしたものだと思いました。
 白雲といえども、こういうたぐいの品が、どのくらい、若い娘の心を躍(おど)らせるということを想像しないほどのぼんくらではない。
 若い娘でなくとも、こういうものに愛着を感ずる女の心は、たしかに実験を味わっている。よし、自分は嫁(かたづ)いて納まり込んでしまったにしてからが、なかなか手放せないものだ。それを甘んじて、この若い娘さんのために割愛した伯母(おば)さんなり、姉さんなりの心意気も、嬉しいものではないか。ことによると、あの娘が、最近しかるべきところへお目出たい話がまとまった、そのお祝いとして、この品を、あの娘に譲ったというような次第ではないか――そうしてみると、その二つを、ムザムザと自分というものが出現したために、無にしてしまっている。
 返す返すも、気の毒なことだ、罪なことをしてしまったわい、という詫(わ)び心が、ムラムラと白雲の頭に起る。
 そこでまた、それというのも一つは、白雲が、自分というもののために、自分の女房と名のついた女が、さんざんの苦労をしつくし、最後に、その髪の飾りの物まで、惜しげもなく手放してくれた苦い経験を、思い出さないわけにはゆかなかったと見えます。
 ほんとうに惜しげもなく――貧乏ということの犠牲のために、女が身の皮を剥いで尽してくれるその惜しげもない心づくしというものが、白雲だって、今までかなり身にこたえていないというはずはないのです。
 そこで白雲は、浦島太郎がするように、その小箱を小腋(こわき)にかい込んで――苦笑しながら娘の逃げて行った方面を見送っていましたが、それは、もう一つの理由からしても、あの娘の跡を追いかけて、手渡してやらなければならぬ、という義務に責められているようなわけでした。
 つまり、あの娘の、この品に対する愛着と、失望を救う目的のみならず、自分の良心と、名誉のためにかけても……それは、あの娘が、里へ命からがら逃げついたとする、彼女の目には、雲突くばかりの追剥が、行手にわだかまっていたから、と言うよりほかの報告はないにきまっている、そうなると、村人は黙ってはいまい、捨てては置けまい、在郷軍人や、青年団が総出になって、出動するような形勢になることはわかりきっている。
 瘠(や)せても枯れても田山白雲が、追剥泥棒の嫌疑を、無関心ではおられない。
 その証明のためにも、こちらから進んで行かねばならない――これらの事情がついに、白雲をして、不知不識(しらずしらず)、「勿来(なこそ)」の関の関門を、前に向って突破させてしまいました。

         十六

 関をくだって、関北の村へ出ると、果して白雲の予想した通りでした。

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