大菩薩峠
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著者名:中里介山 

         一

 これよりさき、竜王の鼻から宇津木兵馬に助けられたお君は、兵馬恋しさの思いで物につかれたように、病み上りの身さえ忘れて、兵馬の後を追うて行きました。
 よし、その言い置いた通り白根(しらね)の山ふところに入ったにしろ、そこでお君が兵馬に会えようとは思われず、いわんや、その道は、険山峨々(がが)として鳥も通わぬところがある。何の用意も計画もなくて分け入ろうとするお君は無分別であります。
 ムク犬は悄々(しおしお)として跟(つ)いて行きました。そのさま、恰(あたか)も主人の物狂わしい挙動を歎くかのようであります。
 丸山の難所にかかった時分に日が暮れると共に、張りつめたお君の気がドッと折れました。
「ムクや、もう疲れてしまって歩けない」
 杉の木の下へ倒れると、ムクもその傍に足を折って身を横たえました。
 ムク犬が烈しく吠(ほ)え出したのはその暁方(あけがた)のことでありました。お君はそのムク犬の烈しい吠え声にさえ破られないほどに昏睡状態(こんすいじょうたい)の夢を結んでいたのであります。
 ムクの吠える声は、快(こころよ)く眠っているお君の耳には入りませんでしたけれど、幸いにそこを通り合せた馬商人(うまあきんど)の耳に入りました。
 まだ若い丈夫そうな馬商人は、小馬を三頭ひっぱって、奈良田の方からここへ来かかりましたが、この暁方、この人足(ひとあし)の絶えたところで、犬のしきりに吠えるのが気になります。
「おやおや、この娘さんが危ない、こりゃ病気上りで無理な旅をしたものだ」
 この若い馬商人は心得てお君の身体を揉(も)み、懐中から薬などを出してお君に含ませ、
「おい姉さん、しっかりしなさいよ、眠るといかんよ、眠らんで眼を大きくあいておらなくてはいかんよ、わしはこれから有野村の馬大尽(うまだいじん)へ行くのだが……」
 ほどなくお君はこの馬商人(うまあきんど)に助けられ馬に乗せられて、有野村の馬大尽というのまで連れて来られました。
 馬大尽の家の前まで来て見るとお君は、その家屋敷の宏大なのに驚かないわけにはゆきません。
 甲州一番の百姓は米村(よねむら)八右衛門というので、それが四千五百石持ちということであります。和泉作(いずみさく)というのは東郡内で千石の田畑を持っているということであります。この馬大尽はもっと昔からの大尽でありました。
 甲州の上古は馬の名産地であります。聖徳太子の愛馬が出たというところから黒駒(くろこま)の名がある。その他、鳳凰山(ほうおうざん)、駒ヶ岳あたりも馬の産地から起った名であります。御勅使川(みてしがわ)の北の方には駒場村というのがあります。この有野村は、もと「馬相野(うまあいの)」と言ったものだそうです。お君が来て見た時、屋敷の近いところにある広い原ッぱや、眼に触れたところの厩(うまや)を見てもちょっとには数えきれないほどの馬がいました。なるほどこれは馬大尽に違いないと思いました。
 それのみか、門を入ってからまるで森の中へ入って行くように、何千年何百年というような立木であります。
「一品式部卿(いっぽんしきぶきょう)葛原親王様(かつらはらしんのうさま)の時分からの馬大尽だ」
と馬商人がお君に言って聞かせただけのものはあります。
 屋敷の中を流れる小流に架(か)けた橋を渡ってしまった時分に、木の蔭から現われた女の人が、
「幸内(こうない)、幸内」
と呼びました。若い馬商人は、
「はい」
と言って女の人を見てあわてたようでありました。
 馬上のお君もまた、その声を聞いてその人を一眼見るとゾッとしてしまいました。妙齢の面(かお)という面は残らず焼け爛(ただ)れているのに、白い眼がピンと上へひきつって、口は裂いたように強く結ばせているから、世の常の醜女に見るような間の抜けた醜さではなくて、断えず一種の怒気を含んでいる物凄(ものすご)い形相(ぎょうそう)です。いっそう惨酷(さんこく)なのは、この妙齢の女の呪(のろ)われたのが、ただその顔面だけにとどまるということです。着(つ)けている衣裳は大名の姫君にも似るべきほどの結構なものでありました。罪の深い悪病のいたずらか、その髪の毛だけを天性のままに残しておいて漆(うるし)の垂れるように黒く、それを見事な高島田に結い上げてありました。姿、形、作り、気品、その顔だけを除いて、もし後向(うしろむ)きにしてこれをながめた時には、誰でも恍(うっと)りとしてながめるほどの美人です。
 馬に乗っていたお君は、それを突然(だしぬけ)に前から見てしまいましたから、ゾッとして慄(ふる)え上りました。
「幸内、お前、いま山から帰ったの」
 その呪われた妙齢の人は、椿(つばき)の花の一枝を持っていました。そうして若い馬商人(うまあきんど)を幸内、幸内と呼びかけては、こっちへ静かに近寄って来るのであります。
「これはお嬢様、お早うございまする」
 幸内と呼ばれた若い馬商人は小腰を屈(かが)めました。
「幸内、それはどこのお方」
と言って、呪われた女の人は、そのひきつれた眼を銀の針のように光らせて馬上のお君を見ました。
 その時に、お君は身の毛が立って馬の上にも居堪(いたたま)らないような気がしました。
 無論、この時までもムク犬は黙々として馬と人とに従って跟(つ)いて来ていたものですが、ここに至ってその鷹揚(おうよう)な頭を振上げて、呪われた妙齢の女の人の面(かお)をじっと見つめました。
「これは、丸山の下で、難儀をしておいでなさるところを助けて上げたのでございます。まだ身体が弱っておいでなさるようでございますから、女中部屋まで連れて行って休ませて上げたいと思います」
「そう、早くそうしておやり、お薬が要(い)るならわたしのところまで取りにおいで」
「はい、有難うございます」
 お君は馬上で聞いて、このお嬢様と呼ばれる人が、面付(かおつき)の怖ろしいのに似もやらず、情け深い人のように思われたのでホッと一安心です。
「それから幸内や、その馬を厩(うまや)へ廻してしまったら、父様のところへ行く前に、わたしのところへ、ちょっとおいで」
「はい」
「嘘(うそ)を言ってはなりませんよ」
 お嬢様はこう言って、椿の花の枝を持ったままであちらへ行ってしまいました。嘘を言ってはなりませんよ、の一言(ひとこと)に、針が含まれているようにお君の耳には聞きなされます。しかしながら、お君の胸は、「おかわいそうに……」という同情が無暗に湧いて来て、その呪われたお嬢様のために、ほとんど泣きたくなってしまいました。

         二

 お君は若い馬商人の幸内に引合わされて、女中の取締りをしているお婆さんに会いました。このお婆さんは幸内から委細の物語を聞いた上で、
「まずい物を食べてみんなの女中と同じように働いてもらいさえすれば、いつまでいても悪いとは申しません」
 さしあたり、こう言われたことはお君にとって仕合せでありました。女中はみんなで十五人ほどいました。その女中のうちにもおのずから甲乙があって、本人の柄によって奥向のと下働きのと二つに分れています。
「わたしは、骨の折れるような力業(ちからわざ)はできませんけれど、どうかお台所の方へ廻していただきとうございます」
とお君は、かえって下働きを志願しました。
 お君が好んで下働きを志願したのはムクがいるからであります。もし奥向を働くようになって、ムクと離れる機会が多くなると、ムクの世話を人手にかけるのが気にかかる。少しは骨が折れても、朝夕ムクと同じところにいることがどのくらい力になるか知れません。お君の仕事といっては、普通の台所の仕事のほかには、馬にやる豆を煮たり鶏の餌をこしらえてやったりする手伝いで、大して骨の折れるようなことはありません。初めのうちは自分が厄介(やっかい)になる上に犬までつれてと気兼ねをしていましたけれど、これほどの大家(たいけ)で犬一匹が問題にもならず、心安く思っているうちに、ムクは早くも他の女中たちに可愛がられてしまいました。女中取締りのお婆さんもまたムクを、男らしい犬だと言って大へん可愛がるようになりました。
 従来この家にいた幾多の犬も、ムクの姿を見た最初は吠(ほ)えたり睨(にら)んだりしてみましたけれど、二三日たつうちに不思議に懐(なつ)いてしまい、ムクが立つと、群犬がその周囲におのずから列を作るようになりました。ムクが牧場(まきば)をめがけて歩を運び出すと、群犬がそれに従って足並みを揃えて繰出すようになりました。
 広々とした牧場、その中に逞(たくま)しい馬や、愛らしい小馬の臥たり起きたり鬣(たてがみ)を振ったりしている中を、ムクが群犬の一隊をひきつれて一周する光景は勇ましいものでありました。お君は手拭をかぶって小流れの岸で、ほかの女中たちと一緒に野菜を洗いながら、ムクの勇ましいのを見て自分ながら嬉しくてたまりませんでした。
「こんな威勢のいいところを友さんに見せてやれば、どのくらい喜ぶか知れない、友さんもあんなところに燻(くすぶ)っているよりは、こんなお家へ奉公してお馬の番人にでもなればいいに」
とお君はムクの勇ましさから、米友の身の上を考えました。
 それを考え出すと、いったいここの旦那様という方が、どんなお方であろうかということをも考え及ぼさないわけにはゆきません。朋輩(ほうばい)の女中に向って、
「お藤さん、御当家の旦那様はどちらにいらっしゃるのでございます」
「旦那様御夫婦のおいでなさるところは向うの屋根の大きなお家さ、その向うに破風(はふ)のところだけ見えるのが三郎様のおいでなさるところで、ここでは見えないけれど、あの欅(けやき)の木のこんもりとした中にお嬢様のお家があるのですよ」
「お嬢様の……」
 お君にはここで前の日に小橋のほとりで会った、かの呪われた妙齢の女の姿がいちずに迫って来ました。
「お君さん、お前はお嬢様に会いましたか、まだですか」
「いいえ……」
とお君は首を横に振ってしまいました。
「そうですか」
と言ったきりで、お藤は気の抜けたような面(かお)をしてお君を見ました。お君はこの場合、お嬢様の身の上のことを尋ねるのだが、なんだかそれは忍びない心持がしたから、取って附けたように、
「まだ、私は旦那様にもお目にかかりません」
「旦那様は、滅多に外へおいでになりませんけれど、どうかするとこの牧場(まきば)へお伴(とも)を連れて出ておいでなさることがありますよ」
「お年はお幾つぐらいでございます」
「もう、いいお年でしょうよ、あの三郎様や、お嬢様の親御さんですから」
「三郎様とおっしゃるのは?」
「こちらの総領のお方、この馬大尽のおあとを取る方なのよ」
「それから奥様は?」
「奥様には、わたしまだお目にかかったことがありません」
と女中のお藤が言いました。
 その家の女中でいて奥様を知らないということは、お君の耳には奇異に聞えました。
「わたしが奥様のお面(かお)を知らないばかりでなく、うちの女中で、誰でもまだ奥様にお目にかかった者は無いのですよ。取締りのお婆さんだって、奥様を知っているか知っていないか、あのお婆さんだけは、知っているには知っているでしょうけれど、それも知らないような面をしていますよ」
「それはどういうわけなのでございます、奥様は御別宅の方にでもいらっしゃるのですか」
「どういうわけだか、ほんとに、そう申してはなんですけれど変なお屋敷でございますよ。奥様はこちらにおいでなさるとも言い、また御別宅の方においでなさるともいうのですが、その辺が永年御奉公をしていて、わたしたちにはさっぱりわかりませんの。けれども今の奥様が二度目の奥様で、旦那様よりズットお若い方だなんて、女中たちの中では噂をしているものもあります。なんでも二度目か三度目の奥様に違いないので、あの三郎様やお嬢様の産(う)みのお母さんではないのですね。なんだか変に、こんがらがっていて、とても、こんな大家の財産(しんしょう)と内幕は、わたしたちの頭では算段が附きません。ただおかわいそうなのはあのお嬢様でございますね、あのお方はほんとうにおかわいそうなお方でございますよ」
「お嬢様が……」
 どうしても話は、例のお嬢様のところへ落ちて行かねばならなくなりました。
 お君が知らないと思って、この女中は、お嬢様のことについてはかなりくわしくお君に話して聞かせました。お嬢様の名はお銀様ということ。それはそれは怖ろしいお面(かお)、と言う時にお藤自身もゾッとして四辺(あたり)を見廻し、お君もあの時の面が眼の前に現われて身の毛が竦(よだ)ちました。なおこの女の語るところによれば、お嬢様のあんなお面になったのは、ただに疱瘡(ほうそう)のためばかりではない、それより前に大きな火傷(やけど)をしたのがああなったのだということでありました。誰かお嬢様にあんな火傷をさせた者があるのだというような口ぶりでありました。
 してみれば、天然の病気と人間の手とふたりがかりで、あのお嬢様という人の面を蹂躙(じゅうりん)してしまったことになる。なんという惨(むご)たらしい報いであろうと、お君は、どうしてもそのお嬢様のために心から同情しないわけにはゆきませんでした。
「これほどのお大尽でも、あればかりはどうすることもできませんね。それだからお君さんのような容貌(きりょう)よしに生れついた者は、お金で買えない幸福(しあわせ)を持っているわけですから、大切にしなくてはいけませんよ」
とお藤はお君に向ってこう言いました。野菜類を洗ってしまってから、お君はムクに食物をやろうとしました。
 ところが、いつもその時刻には来ているムクが見えませんから、お君は牧場へ出て、遠く眼の届く限りを見渡しました。しかしそこにもムクの姿が見られません。思うに群犬を率いて興に乗じて、あの山の後ろの方まで遠征して行ったものだろうと、お君は強(し)いては心配しませんでした。
 この機会に少し牧場の状態でも見ておこうかと、お君はムクを尋ねながらに牧場の方へと歩んで行きました。
 今、お君の頭の中では、ムクのことよりも一層、あのお嬢様のことが考えられてたまりませんでした。お君は自分ほど不幸なものはこの世にないと思っていた一人でした。ほとんど幸福というものを持たずに生れて、不幸という浪の中にのみ揉(も)まれて来たのが自分のこれまでの生涯だと思いました。それを今、あのお嬢様と比べて見れば、自分の方が確かに幸福者(しあわせもの)であると言われて、なるほどそうかと思わねばならないことほど無惨(むざん)に感じたのであります。
 病気をしたことのない者には、壮健(たっしゃ)で無事でいることの有難味がわからない。ともかくも、人並に生れついたということの有難味が、この時お君にわかってきて、自分ほど不幸な者はこの世にないと思っていた心は、僻(ひが)みであったり我儘(わがまま)であったりしたのではないかとさえ思われました。百万長者の娘に生れたことが、この時にはお君にとって少しも羨望(せんぼう)ではありませんでした。そうしてこの気の毒なお嬢様の身の上に心の中で同情をしながら牧場を歩いて行くうちに、ついつい、お嬢様のお家のあるところだという欅(けやき)の林に近いところまで来てしまいました。もう冬と言ってもよいくらいですから欅の紅葉は、ほとんど八(やつ)ヶ岳颪(たけおろし)で吹き払われていました。木の下には黒くなった落葉が堆(うずたか)く落ちていました。そこへ来てお君は、ここがあのお嬢様のお家であると思って、そっと大きな欅の蔭から垣根の中をのぞいて見ました。
 そこにまた庭があって、池や泉水や築山(つきやま)があるのが見えました。そうして縁のところに一人の男の人が腰をかけている様子であります。
「幸内、幸内」
と座敷で呼ぶのは、あのお嬢様の声。呼ばれて、縁に腰をかけているのは、自分を助けて来てくれた若い馬商人。お嬢様の方の姿は座敷の中にいて見えませんけれど、幸内の姿は垣根越しによく見ることができました。
「幸内や、お前に貸して上げるには上げるけれど、お父様に話してはいけません」
「どう致しまして、旦那様のお耳に入りますれば、お嬢様よりは、わたしがどんなに叱られるか知れません」
「では大事に持っておいで。そうして三日たったらきっと返してくれるだろうね」
「それはもう間違いはございません」
「刀や脇差は幾本も幾本もあるのだけれど、この一腰(ひとこし)はお父様が、わけても大事にしておいでなのだから」
「それは、もうよく存じておりまする、三日たてば間違いなくお返し申しまする」
 幸内の前へお銀様は、手ずから長い桐の箱をさしおきました。
「これはどうも有難う存じます、お嬢様のおかげで日頃の望みが叶いまして、こんな嬉しいことはござりませぬ」
 幸内は箱の上へお辞儀をしました。
「幸内」
「はい」
「お前がこの間つれて来た、あの娘(こ)はどうしています」
「へい、あれはおばさんに願ってお屋敷へ御奉公を致すようになりました」
「あれはお前、お前が前から知っていた子ではないの」
「いいえ、そんなことはございませぬ」
「では、あの山で初めて会ったのかい」
「左様でござります」
「その後、お前はあの娘と口を利きましたか」
「いいえ、あれからまだ会いませんでございます」
「あの娘は容貌(きりょう)がよい子でしたね」
「どうでございましたか」
「あんなことを言っている、あの娘は綺麗(きれい)な子であったわいな」
「面(かお)つきは、そんなでございましたか知ら。何しろ行倒れのような姿でございましたから、見る影はありませんでした」
「姿はやつれていたけれど、ほんとに容貌美(きりょうよ)し、よく作ってやりたい」
「一寸見(ちょっとみ)はよく見えても、作ってみると駄目なんでございましょう」
「いいえ、かまわないでおいてあのくらいだから、お作りをしたら、どのくらいよくなるか知れない、わたしは着物を持っている、髪の飾りも持っている、貸してやりたい」
「お嬢様のそのお言葉をお聞かせ申したら、さだめて有難く思うことでございましょう、あの娘はほんの着のみ着のままで道に倒れていたのでございますから」
「わたしの物をそっくり遣(や)ってしまいたい、わたしなんぞこそ着のみ着のままでいいのだから」
「お嬢様、何をおっしゃいます」
「ほほほ、わたしとしたことが、また我儘なことを言ってしまいました。幸内や、それでよいからお前は早くそれを持っておいで、誰かに見られると悪いから。見られてもかまわないけれど……」
「それではお嬢様、お借り申して参りまする、三日目には必ず持って参りますでございます」
 幸内は頭を下げて、その長い桐の箱を風呂敷に包んで暇乞(いとまご)いをしました。
「お前、帰りがけに、あの娘のところへ行って、あの娘に、わたしのところへ遊びに来るように、と言っておくれ」
「はい、畏(かしこ)まりました」
 そう言って幸内は、長い桐の箱を小脇にして縁側を離れました。その桐の箱の中にはこのお嬢様の父なる人の、秘蔵の刀が入っているということが話の模様で推察されます。
 お君が女中部屋へ帰って針仕事をしている時分に、ポツリポツリと雨が降り出してきました。
「こんにちは」
 内にいたお君は、それが幸内の声であることを直ぐに覚(さと)りました。実はもう少し早く幸内がお嬢様の言伝(ことづて)を持って来るだろうと、心待ちにしていないわけでもありませんでした。
「どなた」
 それと知りつつもお君は障子をあけると、
「私」
「これは幸内さん、よくおいでなさいました」
 見ると幸内は、こざっぱりした袷(あわせ)に小紋の羽織を引っかけて傘をさして、小脇には例の風呂敷包の長い箱をかかえて、他行(よそゆき)のなりをしていました。
「さあ、どうぞお入りなさいまし」
 お君は愛想よく迎えました。
「わしはこれから、ちと他(よそ)へ行かねばなりませぬ。あの、お君さん、お嬢様がお前さんに会いたいから、手がすいたら遊びに来るようにとお言伝(ことづて)でござんすよ」
「お嬢様から?」
「あい」
「畏まりました、有難うございます」
 お君は幸内のお使御苦労にお礼を言いましたが、幸内はそれだけの言伝をしておいてここを出かけて行きました。
 お君は暫らく幸内の行くあとを見送っていますと、
「お君さん」
 朋輩女中のお藤が後ろから呼びかけました。
「お藤さん」
 お君はそれを振返ると、お藤は、
「まあよかったことね、お君さん、お嬢様から招(よ)ばれてよかったことね」
「でも、わたし何かお叱りを受けるのじゃないか知ら」
「そんなことがありますものか、お嬢様はよくよくのお気に入りでないと、こっちから何か申し上げてもお返事もなさらないの、それをお嬢様の方からお招(よ)び出しがあるのだから、お君さん、お前はきっとお嬢様のお気に召したことがあるんだよ」
「そうだとよいけれど、わたしは何かお叱りを受けるんじゃないかと思って」
「そんなことはありませんよ、わたしたちはこうして永いこと御奉公をしているけれど、まだお嬢様から、遊びにおいでとお迎えを受けた者は一人もありませんよ、それだのにお前さんばかり、そんなお沙汰があったのだから、ほんとうに羨(うらや)ましいこと」
「あの、お嬢様はお気むずかしい方ではありませんか」
「いいえ、あれでなかなか察しがあって、よく行届くお方ですけれど、好きと嫌いが大変お強くていらっしゃる、このお屋敷でも、幸内さんのほかにはお嬢様のお気に入りといってはないのですよ」
「幸内さんは、そんなにお嬢様のお気に入りなんですか」
「ええ、幸内さんの言うことなら、お嬢様は大抵のことはお聞きなさいます、だから人が幸内さんとお嬢様とおかしいなんぞと蔭口を利きますけれど、まさかそんなことはありゃしませんよ」
 まだあけていた障子の間から外を見ると、笠をかぶって包みをかかえた幸内が、ちょうど、いつぞや入って来た時に、お嬢様と会った小橋の上を渡って行く後ろ影が見えました。

         三

 お君はお銀様の居間へ上りました。
「お前のお国はどこ」
「伊勢の国でございます」
「伊勢の国はどこ」
「古市でございます」
「古市と言やるは、あの大神宮のおありなさるところ?」
「左様でございます、大神宮様のお膝元(ひざもと)でございます」
「そこで何をしていました」
「あの……」
 お君がちょっと返事に困ったところへ、不意に庭先へ真黒な動物が現われました。それはムクでありました。
「ムクや、こんなところへ来てはいけません、ここはお前の来るところではありません」
と言ってお君は、お銀様の手前、ムクの無躾(ぶしつけ)なのを叱りました。
「これはお前の犬なの」
「はい、わたくしの犬なのでございます」
「まあ大きい犬」
「わたしのあとを少しも離れないので力になることもありますが、困ってしまうこともあるのでございます。さあ、早くあっちへ行っておいで」
「そんなに言わなくてもよい、主人のあとを追うのはあたりまえだからそうしてお置き」
「それでも、こんなところへ、失礼でございます」
「そうしてお置き」
 ムクは許されたともないのに庭先へ坐ってしまいました。
「温和(おとな)しくしておいで」
 お君もぜひなく、そのうえ追い立てることをしませんでした。
「このお菓子を食べさせておやり」
「こんな結構なお菓子を、勿体(もったい)のうございます」
 お君はそれを辞退しました。お銀様は別段に強(し)いるでもありません。
「今日は雨が降って淋しいから、お前、その伊勢の国の話をしてごらん、わたしはどこへも出ることがいやだから、他(よそ)の国のことは少しも知らない」
「お嬢様なぞは、お出ましになってごらんあそばさずとも、御本や何かで御承知でございましょうから」
「名所図絵やなにかで、わたしも御参宮のことを知らないではないけれど」
「大神宮様あっての伊勢でございますから、あの通りはたいそう賑やかでございます、その賑やかなところで、わたしは暮らしておりました」
「そこで何を商売に?」
「それはあの……」
 かわいそうにお君は、また行詰ってしまいました。
 その時、温和(おとな)しく軒下に坐っていたムクは、何に気がついたのか頭を上げて外を見ました。築山の向うの方を暫らく見込んでいたのが、やがて立ち上ってのそのそと雨の中を歩いて行きました。それが様子ありげでしたから、お君もお銀様も共に犬の行く方をながめました。その時に、
「姉様」
と言って庭の方からこの場を覗(のぞ)いたものがあります。
「三郎さん、ここに来てはいけません」
とお銀様は叱るように言いました。
「それでも……」
「お帰りなさい、それにまあ、雨の中を傘もささないで」
 お銀様は呆(あき)れて見ていました。お君はやはり呆れたけれど、これはただ見ているわけにはゆきません。そこへ来たのは十歳ばかりの男の子であります。中剃(なかぞり)を入れないで髪をがっそうにしていました。和(やわら)かい着物に和かい袖無羽織(そでなしばおり)を着て、さきに姉様と呼んだことから見ても、またお銀様が三郎さんと呼んだことから見ても、これはお銀様の弟の三郎様に違いないと思いました。それであるのに誰も附人(つきびと)なしに、一人で雨の中を笠も被(かぶ)らないで大人の下駄を穿いてそこへ、
「姉様」
と言って入って来たから、お君は呆れながらも黙って見ておられませんから、
「坊(ぼっ)ちゃま」
と立って抱いてお上げ申そうとするのを、お銀様が抑えて、
「いいえ、そうしてお置きなさい。三郎さん、お前はここへ来てはいけないというのに、ナゼ帰りません」
「だって……」
 三郎さんは、やはり雨の中に立ってお銀様の面(かお)をじっと見ていました。お君はどうしていいのかわかりませんでした。雨の中に傘なしで立った三郎さんの面(かお)を見ると、色の白い品の良いお子さんで、この大家の血統として申し分のないお子さんに見えましたが、ただその頬のあたりが子供にしては肉が落ち過ぎて、それがために、もともと人並より大きい眼が、なお一倍大きく見えるのであります。大きいけれども強い光はなく懶(ものう)いような色で満ちているから、品はよいけれども、どうも賢い子には見えません。
「ここへ来るとお母様に叱られますよ」
「でも……」
 三郎さんは大きな眼をキョロリとして、お銀様の方を見ていて立って動こうともしません。雨が降りかかって頭から面に雫(しずく)がたらたらと流れ、和(やわら)かい着物がビッショリと濡れてしまっても、少しも気にかけないのであります。それをまたお銀様は見ていながら、ただお帰りお帰りと言うだけで、立って世話をしてやるでもなければ、お君が立ちかけたのをさえ抑えてしまった心持が、どうしてもお君にはわかりません。
「早くお帰りというに」
 お銀様の権幕(けんまく)は凄(すご)くなりました。その釣り上った眼の中から憎悪(ぞうお)の光が迸(ほとばし)るように見えました。ただ姉が弟を叱るだけの態度ではなくて、眼の前にあることを一刻も許すまじき嫌悪(けんお)の念から来るもののようでしたから、お君はいよいよわからなくなって、ほとほと立場に苦しむのでありました。
「姉様、お菓子頂戴」
 それでも三郎さんは帰ろうとしないでこう言いました。そのくせ、姉の傍へは寄って来ないで遠くから、いじけるように姉の気色を伺って、やはり雨の中に立っているのでありました。キョロリとした大きい眼の瞳孔(どうこう)が明けっぱなしになってしまっているのを見るにつけ、このお子さんは人並のお子さんではないということを思うて、お君はお気の毒の感に堪えられません。
「いけません」
 お銀様はキッパリと断わってしまいました。
 見るに見兼ねたから、お君はお銀様の抑えるのも聞かずに立って下へ降りて来て、三郎さんの傍へ寄り、
「坊(ぼっ)ちゃま、雨がこんなに降っておりますから帰りましょう、お召物がこんなに濡れてしまいました」
「打捨(うっちゃ)ってお置きなさい」
 お銀様は相変らず怖(こわ)い面(かお)をしています。
「ね、わたしに背負(おんぶ)をなさいまし、あちらのお家へ帰りましょう」
 お君は自分のさして来た傘を廻して、それを片手に持ち三郎様へ背を向けました。
 お君がせっかく親切に背を向けたにかかわらず、三郎様はその時クルリと向き返って、スタスタともと来た方へ歩き出しました。お君はそのあとから傘を差しかけて追って行こうとするのをお銀様が、
「そっちへ行ってはなりません、そっちのお邸へ行ってはなりません」
 命令するような強い声で呼び止めましたから、お君は立ち竦(すく)みました。
 三郎様は大きな下駄を引きずって雨の中を笠も被(かぶ)らずに、悠々とあちらへ行ってしまいます。
「お前は、まだ知るまいけれど、此家(ここ)ではお互いの屋敷へは、滅多に往来(ゆきき)をしないようになっています。あの子はそれを申し聞かされているはずなのに、こんなところへ来たからそれで叱りました」
「はい」
「さあ、お前はお上り。あの犬はどうしました、犬が母屋(おもや)の方へ行って悪戯(いたずら)をするようなことはあるまいね」
「あの犬は悪いことは致しませぬ」
 お君は再びもとの座に帰りましたけれど、このことからなんとなくそのあたりが白(しら)け渡ったようであります。
 お銀様はせっかくお君を相手に、名所の話などをして興を催されようとしていた時に、三郎様が来てその御機嫌を、すっかり損(そこ)ねてしまったようであります。いかに大家とは言いながら、一つ屋敷のうちの親子兄弟別々に家を持っているさえあるに、弟は姉の住居(すまい)へ行っては悪い、姉は弟を送って行くことを止めるとは何ということだろうと、お君は何事もわからないで、ただ悲しい心になって気が深々と滅入(めい)るようでしたから、これではならないと思いました。
 そうして、なんとかして不快になったお銀様の心を慰めて上げたいものだと思いました。けれども何といって慰めてよいか取附き場に苦しんでいましたが、そのうちにお君は、床の間に飾ってあった琴を見て、音曲の話を引き出しました。それはこの場合、お君にとってもお銀様にとってもよい見つけものでありました。
「まあ、お前、三味線がやれるの。それはよかった、わたしがお琴を調べるから、それをお前三味線で合せてごらん」
 お銀様は大へんに喜びました。それで今の不快な感じが消えてしまった様子を、お君は初めて嬉しく思います。
 その雨の日は、夜になっても二人の合奏の興が続きます。

         四

 神尾主膳はその後しばらく、病気と称して引籠(ひきこも)っておりました。引籠っている間も、分部とか山口とかいうその同意の組頭や勤番が始終(しょっちゅう)出入りしていました。今日はかねて前から企(くわだ)てをしておいたところによって、多くの人が朝から神尾の屋敷へ集まって来ました。
 これは神尾の邸の裏の広場で試し物がある約束でありました。試し物はすなわち試し斬りであります。朝から神尾邸へ詰めかけて来た連中は、いずれも秘蔵の刀や自慢の脇差を持って集まりました。
 あらかじめ罪人の屍骸(しがい)を貰って来てあって、斬り手の役は小林という剣道の師範役、それに勤番のうちの志願者も手を下して、利鈍(りどん)を試みるということであります。
 たとえ罪人の屍骸とは言いながら、人間の身体(からだ)を試し物に使用するということはよほど変ったことであります。しかし、この変ったことを日本の古来においては立派なる一つの儀式としてありました。江戸の幕府では腰物奉行(こしものぶぎょう)から町奉行の手を経て、例の山田朝右衛門がやること。その時は物々しい検視場、そこへ腰物奉行だの、本阿弥(ほんあみ)だの、徒目付(かちめつけ)だの、石出帯刀(いわでたてわき)だのという連中が来てズラリと並び、斬り手の朝右衛門は手代(てがわ)り弟子らと共に麻裃(あさがみしも)でやって来て、土壇(どだん)の上や試しの方式にはなかなかの故実を踏んでやることを、ここに集まった勤番連中は、或る者は小林に試してもらったり、或る者は自分で試したりしてみることになり、見事に斬ったのもありました。斬り損じて笑い物になるのもありました。その度毎に刀の利鈍の評判が出ました。腕の巧拙の評判も出ました。或いは刀は良いけれども腕が怪しいと言われてしょげるもあり、刀はさほどでないが腕の冴えが天晴(あっぱ)れと言って賞(ほ)められるものもありました。
 そのなかでも師範役の小林は、さすがに剣道の達者だけあって、斬り方がいちばん上手(じょうず)でありました。今までに試し物を幾度(いくたび)もやった経験や、盗賊を斬って捨てた経験を話して、一座を賑わせましたが、一通り試し物も済んでの上、弟子を連れて辞して帰ろうとする時分に、神尾主膳がそれを呼び留めました。
「小林氏、お待ち下さい、今日は貴殿に見ていただきたいものがある、貴殿の鑑定並びに並々方(なみなみがた)の御意見を聞いておきたい物がある、お暇は取らせぬによって、暫時(ざんじ)お待ち下されたい」
「してその拝見を仰付(おおせつ)けられる品は?」
「ただいま持参致させる、いや、もう来そうなものじゃ、かねて約束しておいたこと故、間違いはないけれどまだ見えぬ、おっつけ見えるでござろう、いま暫らく」
と言って神尾は人待ち顔に見えます。小林師範も神尾が何物を見せてくれるだろうと、坐り込んで待つことになりました。その他一座の連中も多少の好奇心に誘われます。
「神尾殿、我々に見せたい品とおっしゃるその品は?」
「まず、お待ち下され、到着しての上で御披露する」
 神尾の言いぶりが事実を明かさないでおいて、あっと言わせようという趣向のように見えます。
 そこへ用人が出て来て、
「幸内が参りました、有野村の幸内が推参致しました」
「あ、幸内が来たか、待ち兼ねていた、急いでこれへ」
 その席へ呼ばれて来たのは、有野の馬大尽(うまだいじん)の雇人の幸内であります。
 幸内は前にお君のところへお銀様の言伝(ことづて)を言った足でこちらへ来たものと見えます。そうして昨晩はどこか甲府の城下へ宿を取っていたものでしょう。
「これは皆様」
と言って幸内は遥(はる)かの下座(しもざ)から平伏しました。ここに集まっている連中は、みんな両刀の者であるのに、幸内ばかりが無腰(むこし)の平民、しかも雇人の身分でありましたから、遠慮に遠慮をして暫らく頭を上げません。幸内の平伏している傍にはその持って来た長い箱が萌黄(もえぎ)の風呂敷に包んで置かれてあります。
「おお、幸内、よく見えた、御列席の方々も其方(そのほう)の来るのを待兼ねじゃ」
「遅れましてなんとも申しわけがござりませぬ」
「遠慮致さず、これへ出るがよい」
「左様ならば御免下されませ」
 幸内は恐る恐る出て来ました。
「おのおの方」
と言って、神尾主膳は一同の方に向き直りながら、
「ここに見えたのは、これはおのおの方も御存じのことと思わるるが、有野村の伊太夫の家の雇人じゃ、あの馬大尽の雇人であるが、民家の雇人に似合わず感心なもので、剣術がなかなか達者である、村方でも稽古をし、この城下の町道場へもおりおり通う、いたって手筋がよろしい、お見知り置き下されたい」
と言って紹介しました。幸内は、こんなお歴々の方の中へ剣術が達者だの手筋がよいのと吹聴(ふいちょう)されたから、さすがに面を赭(あか)くしてしまって、
「恐れ入りましてござりまする」
 平伏してやっぱり頭が上りません。
「そのように恐れ入らんでもよい、実は今日は其方(そのほう)を上客にしたいくらい。いつもは伊太夫の雇人であるが、今日は位がついて来たのじゃ。例の品は持って参ったことであろうな」
「へへ、恐れ入りまする。せっかくの殿様のお言葉でござりまする故、主人から借受けて参りましてござりまする」
「それは大儀大儀、よく借受けて来た。伊太夫は変人のことでもあり、ことにあの品は滅多に人に見せぬ品であるそうな。其方の働きで、ここまで持参して来たのは何よりのこと」
「これがその品でござりまする」
 幸内は、やはり恐る恐る萌黄包(もえぎづつみ)の長い箱を差出しました。
 この箱は、前の日、幸内がお銀様から三日の約束で借受けて来た箱であります。この席へ持って出るために幸内は、この箱をお嬢様から借受けたのだということがわかります。
「おお、それそれ」
と言って神尾主膳は、その箱を受取りながら、
「おのおの方に、この品をお目にかけたい。その前に申し上げておきたいことは、この品はあの有野の馬大尽の家に先祖より伝わる秘宝、御列席のうちにも名のみ聞いて実を見んと思わるる向きが少なからぬことと推察致す。門外不出とも言うべきこの品を、この席に限りて一見致すことは仕合せ、充分の御鑑定を承りたいものでござる」
 神尾主膳は風呂敷の結び目を解きかけてこう言いましたから、列席の者がなるほどと感心しました。葛原親王(かつらはらしんのう)以来と言われる有野の馬大尽の家には無数の秘宝があるということだが、そのうちにも一本の名刀がある。それは非常な名刀であるという評判だけを聞いていたが、まだ見た者がありません。見ようとしても主人の伊太夫が頑固で容易に見せないとのことでありました。そのうちの名刀を今この席で一見することができるというのは、一座の好奇心の期待に反(そむ)かないことであります。
「それは、それは」
と言って列席がどよみ渡りました。さすがに神尾殿は苦労人だけあって、人を待たしおいて、アッと言わせる趣向がうまいと感じたものもありました。
 何か趣向をしておいて、アッと言わせるということは、似非(えせ)茶人や似非通人のよくやりたがることであります。神尾は人を招いた時は、いつでも何かこんなことをしたがるのでありました。そうして、さすがの御趣向だと言われることを以て大得意になる癖がありましたのです。
 しかしながら、列席の者のうちには、アッと言ったものばかりはありませんでした。例のいやみな神尾の癖がと、苦々(にがにが)しい面(かお)をして控えているのもありました。その苦々しい面をして控えている者も、神尾のやり方のいやみなのに苦々しい面をしたので、その名刀を見たいという熱望は決して苦々しいものではありません。辞(ことば)を厚うし、身を謙下(へりくだ)っても後学のために見ておきたいと思っていたところでありましたが、神尾があんまり我物顔(わがものがお)に思わせぶりをするものだから、
「いかにも、あの有野の伊太夫が家に名刀があるとはかねて噂(うわさ)に聞いていた。噂に聞いたところによれば、源氏の髭切膝丸(ひげきりひざまる)、平家の小烏丸(こがらすまる)にも匹敵するほどの名剣であるそうな。しかし誰が行っても見せたことはない、見た者もないという。それ故、あの名刀は評判倒れ、実はそれほどでもない剣(つるぎ)を、あんまり評判が高くなった故に、人に見られるのがきまりが悪く、それ故秘して置くという蔭口もござる。今日はそれらの疑いが残らず晴れることでござろう、喜ばしいことでござる」
 やや皮肉まじりに言い出でたのは、鉄砲方の平野老人でありました。
「まことこの品が噂通りの名剣であるか、或いはさほどのものではないか、御一見の上でおのおの方の腹蔵なき御意見を承わりたい。拙者とても今日はじめて見る品」
 神尾は平野老人の言い方が少し癪(しゃく)にさわったようでありました。しかしこの老人はこの席の中での刀の目利(めきき)でありましたから、多少は警戒しました。万々が一、この刀が評判ほどのものでないとすれば、真先にこの老人から槍が出ると思いましたから、少しは気味が悪いと見えます。それだから自分はまだこの刀を見ていないのだという予防線を張って用心をしておきました。そう言っておけば万々が一、この刀がそれほどのものでなかったにしろ、幾分は責任が逃(のが)れるし、もし評判通り非常な名剣であった時には、思い入りこの老人からとっちめてやろうという腹なのでしょう。
 それですから老人の方でも、また多少の意気張りが出て、眼鏡を拭いて掛け直しました。平野老人につづいては師範役の小林が名を得ていました。この両人のほかの者といえども、刀についてはみな相当の眼を持っていないものはありません。或いは平野や小林以上に、眼の肥えていて名の聞えないものが一座の中にいないとは限りません。
 一応アッと言わせたけれども、あけて口惜しき玉手箱ではせっかくの趣向がなんにもならぬ。こんなことならば、一応自分が見ておいてから、この席へ出した方がよかったと神尾は、多少自分の軽率を悔ゆるようになりつつ、ようやく包みを解いてしまって、箱を開くと古錦襴(こきんらん)の袋の中には問題の太刀が一振(ふり)。それから神尾が袋を払って、その白鞘(しらさや)の刀に手をかけて鄭重(ていちょう)に抜いて見ました。
 刀身の長さは二尺四寸。神尾主膳がそれを抜いてつくづくと見ると、例の平野老人は眼鏡の面(かお)をそれに摺(す)りつけるようにして横の方から見ました。小林文吾もまたそれを前の方からながめていました。一座の連中は、或いは近いところから、或いは遠いところから、しきりに覗(のぞ)いたり眺めたりしていました。主膳はつくづくと見て、
「うむ」
と考え込んでいましたが、そのままなんらの意見も述べないで平野老人の手へと渡してやりました。平野老人はそれを恭(うやうや)しく受けて改めて法式通り熟覧しました。平野老人は打返して二度まで見ました。
「うむ」
 これも唸(うな)るように、うむと力を入れて言ったままで、次なる師範役の小林文吾の手へと渡してやりました。小林師範がそれを受けてしきりにながめましたけれども、これも一言も意見を述べませんでした。そうして、やはり無言のままで次へ渡してしまいました。同じようにしてその刀が列座の人々の手から手に渡されて、いずれも考えを凝(こ)らしてながめていましたが、誰とて、それについて極(きわ)めをつけてみようというものはなく、こうもあろうかという意見をさえ述べるものはありません。そうして無言のままに受取られて刀は席を一巡し、ようやく神尾主膳の手に戻りました。
「さて、いかがでござるな、おのおの方」
 その刀を鞘へ納めながら神尾主膳は一座を見廻しました。けれども、誰もまだウンともスンとも言いませんでした。相州物であろうとか、いいや備前とお見受け申すとか、おおよその見当さえ附ける人がありませんでした。おおよその見当を附けてさえ笑われることを恐れるほどに、わからないのがこの刀でありました。
「区(まち)よりいったいに板目肌(いためはだ)が現われているようでござるな」
 平野老人がようやくこれだけのことを言いました。相州物とも大和物とも言わないで、肌のことから言い出したのは、大綱(たいこう)を述べないで細論にかかったようなものでありました。この老人も多少てこずったものと見えます。
 ともかくも平野老人が、これだけの口を開いてみると、次には小林師範役がなんとか言わなければならない立場になりました。
「模様を一見したところでは、肌が立って地鉄(じがね)が弱いようにも見受けられる……が」
 最後のがというところへ、最も多くの余地を残しておきました。
「左様」
 平野老人は呑込んだように頷(うなず)きました。しかし何が左様だか列座の人には、あんまり呑込めないようであります。そこで老人は、
「その地鉄がなあ」
と附け足したけれども、地鉄がどうしたのだか、いよいよ呑込めなくなりました。これだけ言いかけたら、あとは小林師範役か誰かがバツを合せてくれるだろうと思っていたところが、小林はそれからなんとも言いませんでした。一座の者も黙っていましたから、老人は自身の言葉尻を持扱っていると列座の中から、
「則重(のりしげ)……則重……則重ではないか」
と吃(ども)りながらこう言った者がありました。これはそそっかしいので通った市川という御蔵(おくら)の係りでありました。まだ誰も剣呑(けんのん)がって国も言わなければ年代にも触(さわ)ってみないうちに、早くもその銘を言ってしまったところはなるほど、そそっかし屋であり正直者であることがわかります。
「以てのほか」
 平野老人は首を振って肯(うけが)いませんでした。市川の言ったことを刎(は)ねつけることによって、自分がもてあました言葉尻が立て直りました。
「則重ではござらぬ」
 平野老人は首(かぶり)を振ったから、そそっかし屋の市川は一時(いっとき)、面を赤くしましたけれど、老人があんまり手厳(てきび)しく刎(は)ねつけたものですから、反抗の気味となって、
「そ、そ、そんならば、そんならば、老人のおめききは……」
と言って反問しました。焦(せ)き込むと吃(ども)る癖があるから、いつもならばおかしいのであるけれど、誰も笑いませんで、かえって市川に同情するような心持で、老人の返答を相待っているような者さえあります。それは則重と見たものがこの市川一人ではなく、だいぶ同意見の者があるらしいのです。市川と同意見であるけれども、まだそうも言い出し兼ねている時に市川が皮切りをしたから、わが意を得たりと言わぬばかりに、内心で市川に同情しているらしい者もあります。
「なるほど、則重と言いたいところである、一応はそう言ってみたいところで、市川氏のおっしゃるのも御無理はない、大湾(おおのた)れに錵(にえ)が優(すぐ)れて多く匂いの深いところ、則重の名作と誰も言ってみたいが、それよりはずんと高尚で且つ古いものじゃ」
 平野老人はこう言いました。
「そ、そんならば老人のお目利(めきき)は?」
 市川は再び老人に返答を促(うなが)したけれども老人は、頓(とみ)に返事ができないで困(くる)しんでいる様子を小林師範が傍(かたわら)から見て、
「これは近頃の好題目、口に出して言うては皆々遠慮がある故に、入札(いれふだ)としてみたらいかがでござるな、各自の見るところを少しの忌憚(きたん)なく紙へ書いて、名前を記さずにこれへ集めてみようではござらぬか」
 小林がこう言い出したのは、老人にも救いであり一座もみな同意しました。言い出したいけれども恥を掻くといけないと思って遠慮していたものが多いのを、それが無記名投票になれば恥はかき捨てになり、当れば名誉になるのですから、忽(たちま)ちに多数の同意を得て筆と紙との用意が出来ました。おのおの筆を取って紙片に思う所を書いて捻って盆に載せ、二十余人の者が残らず投票をしてしまった後に開票のことになりました。
 開票して見ると、その鑑定に大胆を極めたのもあり、小心翼々と疑問を存したのもあったが、いずれもそれを古刀と見ることには異議はありません、新刀と書いたものは一人もありませんでした。備中(びっちゅう)の青江(あおえ)であろうと書いたり、備前の成宗(なりむね)と極(きわ)めをつけたのもあり、大和物の上作と書いたのもあり、或いは、飛び離れて天座神息(あまくらしんそく)などと記したものもありました。その観(み)るところの区々であるだけ、それだけ捉まえどころが少ないものと見えましたが、さすがに則重と書いたものが六枚ありました。二枚三枚と適合したのはほかにもあったけれど、六枚揃うたのは則重だけでありました。
「どうもわからぬ」
 開票してみて、いよいよ刀のえたいが不思議になってしまいました。則重もまた正宗(まさむね)門下の傑物だが、今ここに評判に上っているような宝物としては物足りないのであります。
「それでは、いよいよ則重かな」
 一同の面(かお)の色にありありと失望の色が見えまして、それがやや軽侮(けいぶ)の表情に変って行くのを見ていた馬大尽の雇人幸内は、たまらなくなりましたから、
「申し上げまする、これは則重ではござりませぬ、数年前、本阿弥(ほんあみ)様が主人の家へお立寄りになりました時分の御鑑定によりますれば……」
 さてこそ本阿弥が引合いに出されて来ましたから、一同は言い合わせたように幸内の面を見ました。本阿弥という名前は、とにもかくにもこの場合、重きをなすのであります。
「本阿弥家の折紙があるならば、あるように最初から言っておくがよい」
と平野老人が呟(つぶや)きました。
「いいえ、折紙があるのではござりませぬ」
と幸内は言いわけをしました。
「どうしたのじゃ」
「本阿弥様は折紙を附けませぬ、手前共の主人も折紙を附けていただくことは嫌いなのでござりまする」
「して、本阿弥がなんと言った」
「本阿弥様が申しまするには、この刀は伯耆(ほうき)の安綱(やすつな)であろうとのことでござりまする」
「ナニ、伯耆の安綱?」
「はい」
「ははあ、伯耆の安綱か」
と言って、いったん鞘(さや)に納められた太刀(たち)が再び鞘から抜け出しました。
「なるほど」
「なるほど」
 彼等は手から手に渡してつくづくとながめました。
「それだから言わぬことではない、一見しては地鉄(じがね)が弱いようだけれど、よく見ていると板目が立ち、見れば見るほど刃の中に波が立ち、後世の肌物(はだもの)とはまるで違う」
 平野老人は得意になりました。さながら本阿弥を自分の味方に引きつけたように、鼻高々と一座を見廻すと、小林師範役は、
「なるほど、そう言われて仔細に見ると、地鉄に潤(うるお)いがあって、弱いようなところに深い強味がある、全く拙者共の目の届かぬも道理」
と言って服してしまいました。
「伯耆の安綱というのはこれか、名にのみ聞いて、拝見するは今日が初め」
 一座は幾度も幾度もその刀を見ました、見れば見るほど感心の体(てい)でありました。主人役の神尾主膳も得意になってしまい、則重といった人々さえ、自説の破れたことは悔いないで、その刀に見惚(みと)れてしまっていました。自然、幸内の肩身も広くなり、
「本阿弥様も、しかと安綱とは仰せになりませんで、もし伯耆の安綱でなければ、それと同じような、またそれよりも上の作であろうと御鑑定になりましたそうでございます」
「なるほど」
「斯様(かよう)な刀には我々共が極めをつけるは恐れ多いと本阿弥様が御謙遜(ごけんそん)になり、主人もまた、極めをつけていただくことが嫌いなのでございまして、ただ宝刀として蔵(しま)って置きましたのでござりまする」
「なるほど」
 ここの一座には、安綱を見たものはいずれも初めてでありました。
 伯耆の安綱は大同年間の名人、その時代は一千年以上を隔てたものです。よし安綱であってもなくても、それと同格或いは同格以上のものであらば、それは宝物とするのに充分であります。
 見直しているうちに、一座は誰とてそれに不服を唱えるものはありませんでした。
「摂州多田院の宝物に童子切(どうじぎり)というのがあるそうじゃ、これは源頼光(みなもとのらいこう)が大江山で酒呑童子(しゅてんどうじ)を斬った名刀、その刀がすなわち伯耆の安綱作ということだが、拙者まだ拝見を致さぬ。その他、大名のうちに、稀には安綱があるとも承ったけれど、いずれもその名を聞くばかり」
と言って平野老人は、再び手許に戻って来た名刀を貪(むさぼ)り見ると、神尾主膳もまた老人と額(ひたい)を突き合せるようにして刀ばかりを見ていました。

         五

 その席はそれで済みました。主人も客も、始めあり終りある会合を満足して退散しました。
 ただここで変なことが一つ起りました。それは幸内の行方であります。幸内はあれから御馳走になって神尾家を辞したのは夕方のことでありました。もちろんその帰る時も小腋(こわき)には、伯耆の安綱の箱を抱えて帰ったのでありましたが、それが有野村へは帰らずに、途中でどこへ行ったか姿が見えなくなってしまいました。
 有野村の馬大尽の家では誰も、幸内がこの会合の席まで来たということを知ったものはありません。一日や二日帰らないからと言って、それはいつもあることだから誰も不思議とは思いませんでした。ただ一人、心配なのはお銀様ばかりです。今日で約束した三日の期限が切れるのに、幸内がまだ帰って来てくれないことをお銀様は心配していました。三日の期限が切れたから、直ぐにお父様に咎(とが)められるというわけではないけれど、あの刀は秘蔵の刀である故に、心配になります。
 それでも、幸内を信じたお銀様は、やがて幸内が持って帰ることと信じていました。
 けれどもその三日も過ぎてしまったその夜も、ついに幸内が帰りませんでした。夜が明けてお銀様は、やや強くそのことを心配しはじめた時分にこの屋敷へ、馬に乗って若党をつれた立派な武士が、不意におとずれて来ました。
 その武士が来て案内を乞うと、有野家の執事(しつじ)といったような老人がまず騒ぎはじめました。
「御支配様がおいでになった」
 その騒ぎがお銀様の部屋までも聞えると、
「御支配様がお見えになったそうな」
と、お附のようになっているお君を顧みてお銀様が言いました。
「御支配様とはどんなお方でございますか」
とお君が尋ねました。
「それはこの甲府のお城を預かって、勤番のお侍をお差図(さしず)なさるお方」
とお銀様が説明しました。
「それではあの、甲府のお城の殿様でございますね」
とお君が受取りました。
「この甲府には大名はないけれど、あの御支配様が同じお勤めをなさいます」
「こちら様へはたびたび、その御支配様がおいでになるのでございますか」
「いいえ、滅多にそんなことはありませぬ、もしそんなことのある時は、前以てお沙汰があるのに、今日はどうしてまあ、こんなに不意においでになったのでしょう」
 不意にこの馬大尽(うまだいじん)へ訪ねて来たのは駒井能登守でありました。
 新任の勤番支配が何用あって、先触(さきぶれ)もなく自身出向いて来られたかということは、この家の執事を少なからず狼狽(ろうばい)させました。
「馬を見せてもらいたいと思って、遠乗りの道すがらお立寄り致した次第、このまま厩(うまや)へ御案内を願いたいもの」
 こう言われたので執事は安心しました。
 こうして駒井能登守は、有野村の馬大尽の伊太夫に案内されてその厩と牧場(まきば)を見廻っています。能登守には若党と馬丁とが附いていました。伊太夫には執事の老人と若い手代とが附いていました。伊太夫は六十ぐらいの年輩でありました。馬を見ながら、あるところは能登守の説を謹んで聞き、あるところは能登守に教えるようなことがあります。
「名馬というものは滅多に出て参るものではござりませぬな、こうして数ばかりはいくらか揃えてござりますれど、いずれを見ても山家(やまが)育ちで……せめてこのなかから一頭なりともお見出しにあずかりますれば、馬の名誉(ほまれ)でござりまする、また拙者共の名誉でござりまする」
 こう言って厩を見て行ったが、一つの馬の前へ来ると能登守が、しばらく足を留めていました。伊太夫その他の者もまた同じくその馬の前でとまりました。
「この馬は強い馬らしい」
 能登守が立って見ている馬は、今まで見て来た馬のうちでいちばん強そうな栗毛(くりげ)の馬でありました。
「よくそれにお目がとまりました、その辺がここでは逸物(いちもつ)でございましょうな、牧場の方へ参ると駒で一頭、ややこれに似た悍(かん)の奴がござりまするが」
「これで丈(たけ)は?」
 手代が主人に代って、
「四寸でござりまする」
「なるほど」
 能登守は、まだいろいろとその馬をながめていました。
「お気に召しましたらば、一責(ひとせ)め責めて御覧遊ばしませ」
 伊太夫は傍から勧めました。
「どうも、拙者には、ちと強過ぎるようじゃ、馬はまことに良い馬だけれど」
「左様なことはございますまい」
「昔、楠正成卿は三寸以上のを好まれなかったとやら。四寸の強馬(つようま)は分に過ぎたものに違いないが、しかし乗って面白いのは、やはり少々分に過ぎたものを乗りこなすところにあるようじゃ」
「左様でございますとも、そのお心がけさえおありなされば、どのようなお馬にお召しなされてもお怪我はあるまいと存じまする。それに私共にては、見所(みどころ)のありそうな馬には、昔の掟(おきて)通り白轡(しろくつわ)五十日、差縄(さしなわ)五十日、直鞍(すぐら)五十日を馬鹿正直に守って仕込ませました故に、拍子(ひょうし)もわりあいによく出来ているつもりでござりまする」
 伊太夫はこんなことを能登守に向って語りました。能登守はこの栗毛の馬に乗ってみようという心を起しました。
 ほどなく能登守が馬に乗って勇ましく馬場を駈けさせる姿を、伊太夫はじめこちらから見ていました。
 それとは少し異(ちが)ったところで、
「お君や、あのお方が御支配様でありましょう」
と言って、椿の木の下でお君を招いたのはお銀様であります。
「まだお若い方でございますね」
 お君も木の蔭に隠れるようにして、やや遠く能登守の馬上姿を見ていました。
「ほんとに、まだお若い方」
とお銀様が言いました。お君が気がつくと、お銀様が馬上の御支配様を見ている眼の熱心さが尋常でないことを知りました。
 お銀様も、やはりお若いお嬢様である。お若い殿方を見るのはいやなお気持もなさらないものかと、お君はそぞろに気の毒になってきました。それで自分もその御支配様が、馬に召して、だんだんに近いところへ打たせておいでになる姿を、お銀様と同じようにながめていますと、
「お幾つぐらいでしょうね」

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