大菩薩峠
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著者名:中里介山 

         一

 白根(しらね)入りをした宇津木兵馬は例の奈良田の湯本まで来て、そこへ泊ってその翌日、奈良王の宮の址(あと)と言われる辻で物凄い物を見ました。兵馬が歩みを留めたところに、人間の生首(なまくび)が二つ、竹の台に載せられてあったから驚かないわけにはゆきません。捨札(すてふだ)も無く、竹を組んだ三脚の上へ無雑作(むぞうさ)に置捨てられてあるが、百姓や樵夫(きこり)の首ではなくて、ともかくも武士の首でありました。
「これは何者の首で、いかなる罪があって斯様(かよう)なことになったものでござるな」
 通りかかった人に尋ねると、
「これは悪い奴でございます、甲府の御勤番衆(ごきんばんしゅう)の名を騙(かた)って、ここの望月様という旧家へ強請(ゆすり)に来たのでございます。望月様は古金銀がたくさんあると聞き込んで、それを嚇(おど)して捲き上げようとして来ましたが、悪いことはできないもので、ちょうどこの温泉に泊っていたお武士(さむらい)に見現わされて、こんな目に会ってしまいました。あんまり図々(ずうずう)しいから首はこうして晒(さら)して置けとそのお武士がおっしゃる、望月様もあんまり酷(ひど)い目に会わせられましたから、口惜しがって、その武士のお言付(いいつけ)通り、ここにこうして見せしめにして置くのでございます。今日で三日目でございます」
「して、その望月というのはいずれの家」
「あの森蔭から大きな冠木門(かぶきもん)が見えましょう、あれが望月様でございます、たいへんに大きなお家でございます。もしこの悪者の余類が押しかけて来ないものでもないと、このごろは用心が厳重で、若い者を集めて夜昼(よるひる)剣術の稽古をやったり鉄砲などを備えて置きますから、あなた様にもその心持でおいでにならないと危のうございますぞ」
 こんなことを話してくれましたから、兵馬は教えられた通りその望月家の門前へ走(は)せつけました。
 兵馬は望月家の門前へ立って案内を乞うと、なるほど広庭でもって若い者が大勢、剣術の稽古をして喚(おめ)き叫んでいました。
 胴ばかり着けて莚(むしろ)の上で勝負をながめていた若い者の頭分(かしらぶん)らしいのが出て来て、
「何の御用でござりまする」
「あの宮の辻と申すところに出ている梟首(さらしくび)のことに就いてお尋ね致しとうござるが」
「あ、あの梟首のことに就いて……そうでございますか、まあどうかこれへお掛けなすって」
 若い者の頭分は、そのことに就いて語ることを得意とするらしく、喜んで兵馬を母屋(おもや)の縁側へひくと、村の剣客連はその周囲へ集まって来ました。
「今からちょうど五日ほど前のことでございました。当家の望月様へ甲府の御勤番と言って立派な衣裳(なり)をしたお武士(さむらい)が二人、槍を立て家来を連れて乗込んで来ましたから、不意のことで当家でも驚きました。ちょうどそれにおめでたいことのある最中でございましたから、なおさら驚きました。けれども疎略には致すことができませんから、叮重(ていちょう)にお扱い申して御用の筋を伺うと、いよいよ驚いて慄(ふる)え上ってしまいました。その勤番のお侍衆の言うことには、当家には公儀へ内密に夥(おびただ)しい金銀が隠してあるということを承わってその検分に来た、さあ隠さずそれを出して了(しま)えば内済(ないさい)ですましてやるが、さもない時には重罪に行うという申渡しなんでございます。あんまり突然(だしぬけ)に無法な御検分でございますから、当家の老主人も若主人も、親類も組合も土地の口利(くちきき)もみんな呆気(あっけ)に取られてしまいました。尤(もっと)も当家には金銀が無いわけではございませぬ、金銀があるにはあるのでございます、他に類のない金銀が当家には蔵(しま)ってあるには違いございませんけれども、その蔵ってあるのはあるだけの由緒(いわれ)があって蔵ってあるので、決して公儀へ内密だとか、隠し立てを致すとか、そんなわけなのじゃございません、先祖代々金銀を貯えて置いてよろしいわけがあるんでございますから、まあそれからお聴き下さいまし……御存じでもございましょうが甲州は金の出るところなんでございます。金の出るのは国が上国(じょうこく)だからでございます。その金の出ますうちにもこの辺では雨畑山(あまはたやま)、保村山(ほむらやま)、鳥葛山(つづらやま)なんというのが昔から有名なのでございます。いまでも入ってごらんになれば、昔掘った金の坑(あな)の跡が、蛙の腸(はらわた)を拡げたように山の中へ幾筋も喰い込んでいまして、私共なんぞも雨降り揚句なんぞにそこへ行ってみると、奥の方から押し流された砂金を見つけ出して拾って来ることが度々ありまして、なにしろ金のことでございますから、それを取って貯めておくと一代のうちには畑の二枚や三枚は買えるのでございます。けれどもそれでは済まないと思って、拾った金はみんな当家へ持って来てお預けしておくのでございます。そうしますと当家では、年に幾度とお役人の検分がありまするたびにその金を献上し奉ると、お上(かみ)からいくらかずつのお金が下るという仕組みになっているのでございますよ。まあ話の順でございますからお聞き下さいまし、文武(もんむ)天皇即位の五年、対馬国(つしまのくに)より金を貢す、よって年号を大宝(たいほう)と改むということを国史略を読んだから私共は知っています。なにしろ金は天下の宝でございますから、私共が私しては済みませんので、今いう通り拾ったものまでみんな当家へ預けてお上へ差上げるようにしておりますくらいですから、当家でそれをクスネて置くなんていうことができるものではございません。当家にありまする金銀と申しますのは御先祖から伝わる由緒(ゆいしょ)ある古金銀で、山から出るのとは別なんでございます。その当家の御先祖というのは……当家の御先祖は権現様(ごんげんさま)よりずっと古いのでございます。このあたりから金を盛んに掘り出しましたのは武田信玄公の時代でございます。もっともその前に掘り出したものも少しはございましょうけれど、信玄公の時が一番盛んで甲州金というのはその時から名に出たものでございます。権現様の世になってからもずいぶん掘ったものでございますが、その金を掘る人足はみんなこの望月様におことわりを言わないと土地に入れなかったもので、信玄公時代からの古い書付に、金掘りの頭を申付け候間、何方(いずかた)より金掘り罷(まか)り越し候とも当家へ申しことわり掘り申すべく、この旨(むね)をそむく者あるにおいてはクセ事なるべきものなりとあるんでございます。そのくらいの旧家でございますから、代々積み貯えた金銀がちっとやそっと有ったところで不思議はございますまい、古金の大判から甲州丸形の松木の印金(いんきん)、古金の一両判、山下の一両金、露(ろ)一両、古金二分、延金(のべがね)、慶長金、十匁、三朱、太鼓判(たいこばん)、竹流(たけなが)しなんといって、甲州金の見本が一通り当家の土蔵には納めてあるのでございます。それはなにも隠して置くんでもなんでもなく、お役人が後学のために見ておきたいとか、学者たちが参考のために調べたいとかいう時には、いつでも主人が出して見せているのでございます。ところが今度来たお役人は、大枚三千両とか五千両とかの金銀を隠して置くに相違あるまい、それを出さなければ重罪に行うと言うのでございましょう、飛んでもないことでございます、当家の主人がそんな金銀を隠して置くような人でないことは、私共はじめ村の者がみんな保証を致しまする。そんなことはございませんと言いわけをしますと、どうでございましょう、若主人を引きつれてあの宿屋へ行って拷問(ごうもん)にかけているのでございます。さあ三千両の金を出せば内済(ないさい)にしてやる、それを出さなければ甲府へ連れて行って磔刑(はりつけ)に行うと、こう言って夜通し責めているのでございますから、ちょうど婚礼最中の当家は上を下への大騒ぎで、村の大寄合いが始まってその相談の上、年寄たちが土産物を持って御機嫌伺いに行って、お願い下げにして来るということになりましたが、何の事に直ぐ追い帰されてしまって取附く島がございません。私共若い者たちは血の気が多うございますから、そんな没分暁(わからずや)の非義非道な役人は夜討ちをかけてやっつけてしまえと、勢揃(せいぞろ)いまでしてみましたが、年寄たちがまあまあと留めるものですから我慢をしていました、そうすると、いいあんばいにそこに立会ってきまりをつけてくれたのが一人のお武士(さむらい)でございます。そのお武士は御病身と見えまして、その前からこの温泉で湯治をなすっていたのでございます、身体も悪いようでございましたが眼が潰(つぶ)れておいでになりました」
「ナニ、目が潰れていた?」
 前口上はどうでもよろしいが、これだけは聞き洩らすまじきことです。この男の口から語られた机竜之助の挙動はこうでありました――
 擬(まが)い者(もの)の神尾主膳であった折助の権六を一槍(いっそう)の下(もと)に床柱へ縫いつけた時、主膳の同僚木村は怒り心頭より発して、刀を抜き放って竜之助に斬ってかかったが、脆(もろ)くもその刀を奪い取られて、あっというまに首を打ち落されてしまったから、一座は慄(ふる)え上ってしまいました。
 役人に附いて来た下人(げにん)どもは、もう手出しをする勇気もありませんでしたが、今まで役人どものなすところを歯咬(はが)みをして口惜しがっていた望月方の者でさえも、これには青くなってしまいました。口を利(き)いてくれることは有難いけれども、これではあんまりである、こんなにまでしてくれなくともよかったものを、後難が怖ろしいと、誰も役人の殺されたことを痛快に思うものはなくて、かえって竜之助の挙動(ふるまい)の惨酷(さんこく)なのに恨みを抱くくらいでした。
「飛んでもないことが出来た、仮りにもお役人をこんなことにして、さあこれからの難儀の程が怖ろしい」
 蒼くなって口を利く者もなく、手を出す者もなかったのを竜之助が察して、
「心配することはない、これはほんものの甲府勤番の神尾主膳ではない、偽(いつわ)り者である、その証拠には自分がほんものの神尾主膳への紹介状を持っているし、自分の友達はその神尾をよく知っている、これは近ごろ流行の浮浪の武士が、こんな狂言をして乗込んで金を盗(と)ろうとして来た者だ、それだから二人とも殺してしまった、以後の見せしめにこの首を梟(さら)し物(もの)にしてやるがよい、後難は更に憂(うれ)うるところはない、この二人が乗って来た乗物の中へ自分が乗って甲府へ行って、この責(せめ)は引受ける、村の人たちにはかかり合いはさせぬ」
と言って竜之助は、二人の偽役人(にせやくにん)が乗って来た乗物にお伴(とも)の連中をそのままにして乗り込んでしまいました。お伴の連中が狐を馬に乗せたような面(かお)をして竜之助を荷(にな)ってここを立って行ったのは昨日の朝。
 若い者の頭分は、それをいろいろな仕方話(しかたばなし)で竹刀(しない)で型をして見せたりなんかして、だいぶ芝居がかりで話しました。ことに竜之助が槍で突いた時の呼吸や、一刀の下に首を打放(ぶっぱな)した時の仕草(しぐさ)などを見て来たようにやって見せて、
「なにしろ強い人でございます、滅法界(めっぽうかい)もなく強い人でございます。あれから当家へおいでなすった時に、こうして私共が剣術をしているのを見て……ではない、その様子を聞いていまして、さあこうして拙者(わし)が立っているから打ち込んでごらんと、竹刀を片手にそこへ突立っておいでなさるところを、大勢して覘(ねら)って打ち込んでみましたけれども、どうしても身体へ触(さわ)ることができませんでした。眼が見えないであのくらいですから、眼が見えたらどのくらい強いんだかわかりません」
「その盲目(めくら)の武士(さむらい)という者こそ、永年拙者が尋ねている人」
 兵馬は一礼して、この家の門を出て行きました。

 望月の家を走(は)せ出した兵馬が、この村をあとにしてもと来た道。そこへちょうど通りかかったのは、空馬(からうま)を引いた、背に男の子を負(お)うた女。
「その馬はこれからどちらへ行きます」
「これから三里村を通って七面山(しちめんざん)の方へ参るのでござんす」
「はて、それでは少し方角が違うけれど、拙者はちと急ぎの用があって甲府まで帰らねばならぬ者、お見受け申すに、馬は空荷(からに)の様子、せめてあの丸山峠を越すまでその馬をお貸し下さらぬか」
 兵馬はその女の人に頼んでみました。
「お急ぎの御用とあらば……わたくしどもには少し廻りでござんすけれど、お貸し申してもよろしうございます、お乗りなさいませ」
 兵馬は、この婦人が快く承知をしてくれたのを嬉しく思いました。
 しかし、馬に乗りながら見るとこの婦人が、眼に涙を持っているのが不思議であります。

         二

 こうして宇津木兵馬は、またも甲府まで戻って来てみましたところが、机竜之助の乗物が神尾主膳の邸内へ入り込んだことは確かに突き止めたけれども、それから先どこへ行ったか、それともこの邸内に留まっているものだか、そこの見当が一向つきませんから、ぜひなく非常手段に出でて、夜分ひそかに神尾の邸内へ忍び込んでみようと思いました。
 三日目の晩は雨が降って風も少し吹いていたから、兵馬はそれを幸いに、城内の神尾が屋敷あたりまで密(ひそ)かに入り込んで夜の更(ふ)くるのを待ち、追手濠(おうてぼり)の櫓下(やぐらした)へ来て濠端の木蔭に身をひそませている時分に、思いがけなく、濠の中からムックと怪しい者が現われて来ました。片手には金箱(かねばこ)のようなものを抱え、覆面して脇差を一本差し、怪しいと兵馬が思う間に、その男は金箱を濠の端に置いて櫓の方へ、また取って返しました。
 まもなく櫓(やぐら)の下から、また一人の男、今度は金箱のようなものを背中に確(しか)と結びつけて、ムックリと出て来ました。それと同時に前に取って返した男、それもまたムックリと出て来て、濠の中へ引っぱった細引の縄を手繰(たぐ)り寄せ、その一端を前に置き放した金箱に結びつけて背中へ引背負(ひきしょ)って、二人は煙の如く消えてしまいました。
 そこには二重の怪しみがある。これはてっきり曲者(くせもの)と思うた怪しみと、もう一つは、その曲者二人とも見覚えのあるような形。先に出て来たのが背と言い恰好(かっこう)と言い七兵衛そっくり、あとから来たのは片腕が無いようであった。してみれば徳間(とくま)の山の中から拾って来たあのがんりきという男でもあろうか。
 兵馬は実に不審に堪えませんでした。だいそれた甲府城内の御金蔵破り、いま眼(ま)のあたり見れば、それはドチラも自分の知った人、のみならず自分が世話になった人、つい幾日前まで同じ宿にいた人。あまりの不審に兵馬はあとを追いかけてみました。しかし、もうどこへ行ったか姿が見えません。
 これを二人の方にしてからが解(げ)せぬことであります。百蔵も江戸へ出て小商(こあきな)いでもして堅気になると言い、七兵衛もそれを賛成したのに、まだこの辺に滞(とどこお)っていて、ついにこんなだいそれたことをやり出すようになったのか、さりとは測りがたないなりゆきと言わねばならぬ。
 兵馬はそのことから、七兵衛なる者に対する疑点が深くなりました。もしも彼は表面あんなことにしていて、内実はこんな悪事を働いている人間ではなかったか知ら。そうだと知れば、少なくともその世話になったことのある自分にとっては一大事だ。人は見かけによらぬもの、恃(たの)みがたないものであるわいと、兵馬も茫然(ぼうぜん)として我を忘れていました。
 その時に、追手(おうて)の橋の方で提灯の光あまた。
「櫓下の御金蔵破り! 出合え、出合え」
 兵馬は気がつけば、危ないこと、自分も疑われるには充分な立場にいる。さてどちらへ避けたものと思って見廻したが、どちらにも提灯。はて迷惑なことが出来たわいと思いました。
 兵馬はぜひなく覆面を外(はず)して追手通りの方へ引返しました。無論のこと、そこには警固の侍、足軽がたくさんいる、その網にひっかかるは覚悟の上で、ひっかかった時は尋常に言いわけをしようと心をきめてやって来たが、果して、
「待て!」
 バラバラと兵馬を取捲いて来た警固の者。
「神妙に致せ」
 そこで兵馬は調べられてしまいました。
「今時分、何しにここへ来られた」
「ちと用事あって」
「何用があって」
「神尾主膳殿まで罷(まか)り越(こ)したく」
「神尾主膳殿方へ? して貴殿は何者」
「拙者は江戸麹町番町、旗本片柳伴次郎家中、宇津木兵馬と申す者」
「神尾殿とは御昵懇(ごじっこん)の間柄か」
「まだ御面会は致しませぬ」
「面識もないものが、この真夜中に人を訪ねるとは心得難し」
「大切の用向あるにより」
「大切の用向とは?」
「それは、御城内勤番衆二三の方にも知合いがあるにより、事情を述べれば委細明白のこと」
「その言いわけは暗い。他国の者、夜中(やちゅう)このあたりを徘徊(はいかい)致すは不審の至り、尋常に縄にかからっしゃい」
「縄に?」
「温和(おとな)しくお縄を頂戴致せ」
「縄にかかるような覚えはない」
「手向いさっしゃるか」
「なかなか。縄をいただくべき覚えなきにより、手向い致す心もござらぬ」
「言い逃れを致さんとするか、不敵者」
「これは理不尽(りふじん)な」
 兵馬の言いわけは聞き入れられませんでした。それで兵馬に縄をかけようと群(むら)がって来た時に、その中から分別ありげな武士(さむらい)が一人出て来ました。
「お見受け申すところ、お年若のようでもあるし、両刀の身分、且(かつ)は番町片柳殿の家中と申されるからには拙者にも多少の思い当りがござる、人違いして滅多なことがあってはよろしくあるまい。しかしながら、今宵の大変に出会いなされたが貴殿にとっての不仕合せ故、ともかくも尋常に奉行まで御同行下さるよう。委細の申し開きは奉行に逢ってなさるがよろしかろうと存ずる」
 こう穏(おだや)かに言われて、兵馬は大勢に囲(かこ)まれて勘定奉行(かんじょうぶぎょう)の役宅の方へ引かれて行ってしまいました。
 兵馬は勘定奉行の役宅へ預けられて、ほとんど牢屋同様のところでその夜を明かしました。夜は明けたけれども、兵馬の身の明(あか)りは立たなくなりました。
 盗賊の行方(ゆくえ)は一向わからない上に、彼らが忍び出でた痕跡(こんせき)のある濠端は、ちょうど兵馬が通りかかったと同じ方向でした。その上に、兵馬は神尾主膳を尋ねると言ったけれども、神尾は兵馬なるものをいっこう知らないと言うし、それはとにかく、兵馬が何故に夜分あんなところへ来合せたかということが、誰にとっても解けぬ不審でありました。すべてが兵馬に不利になってゆくから、気の毒にも兵馬は、獄に下されるよりほかに仕方のない羽目(はめ)に陥りました。

         三

 さるほどに道庵先生がまた飛び出して来ました。どこへ飛び出したかと言えば、貧窮組(ひんきゅうぐみ)の中へ飛び出して来ました。
 この貧窮組というものが、前に申すように、山崎町の太郎稲荷(たろういなり)から始まるには始まったが、このくらい不得要領な組合もなかったものです。幾百人の男女が市中を押廻って、町の角や辻々へ大釜を据(す)えて、町内の物持から米やお菜(かず)を貰って来て粥(かゆ)を炊(た)いて食い、食ってしまうと鬨(とき)の声を挙げて、また次の町内へ繰込んで貰って炊いて食い歩くのです。その仲間に入らないと受けが悪いから、相当の家の者共がみんないっぱしの貧窮人らしい面(つら)をして粥を食い歩く。食って歩くだけで別に乱暴するではない。大塩平八郎が出て来るでもなければ、トロツキーが指図をするわけでもない。ただわーっと騒いで歩くだけのことだから、道庵先生が出現するには恰好(かっこう)の舞台です。
 長者町の先生の家へ、町内の遊び人がやって来て、
「今日はわっしどもの町内でも、いよいよ貧窮組をこしらえますから、こちら様でもお仲間入りをして下さるか、そうでなければ、いくらか奉納を致してもらいてえんでございます。それができなければ、こっちにも覚悟があるんでございます」
と出ました。
 それを聞いたから道庵先生が、飛び上って喜びました。
「しめた」
 草履を逆さにして、遊び人をそっちのけにして駈け出してしまったわけです。
「ばかにしてやがら、貧窮組ならこっちが先達(せんだつ)だ、おれに断(ことわ)りなしに拵(こしら)えたのが不足なぐらいなもんだ、押しも押されもしねえ十八文だ、十八文の道庵は俺だ」
 ちょうど米友が柳原河岸へ行ってしまった時分に、道庵先生は昌平橋で大勢の貧窮組が粥を食っているところへ駈けつけました。
「さあ道庵が来たぞ、十八文の道庵は俺だ、見渡したところ、貧窮組の先達で俺の右へ出る奴はあるめえ」
 自分から名乗りを上げてしまいました。元より道庵先生はこの近所で人気があるのです。人気がある上に、ちょうどこういう舞台へ乗り出すにはうってつけの役者でしたから、一同がその名乗りを聞くと、やんやと言って喝采(かっさい)しました。道庵先生の得意想(おも)うべしで、嬉し紛れに米俵を引いて来た大八車の上へ突立って演説をはじめてしまいました。
「さあ、皆の衆、俺は御存じの通り長者町の十八文だ、今度、皆の衆が貧窮[#「貧窮」は底本では「貧弱」]組をこしらえたというのは近頃よい心がけで俺も感心した、俺に沙汰無しで拵えたことがちっとばかり不足といえば不足だが、それは感心と差引いて埋合せておく。いったい物持というやつが癪にさわる、歩(ふ)が成金(なりきん)になったような面(つら)をしやがって、我々共が食うに困る時に、高い金を出して羅紗(らしゃ)なんぞを買い込みやがる。そこで皆の衆が物持から米や沢庵を持って来てウント喰い倒してやるというのは、天道様(てんとうさま)の思召(おぼしめ)しだ、実にいい心がけである、賛成!」
 煽(あお)ってしまったからたまらない。
「やんや」
「やんや」
 四方から喝采が起る。道庵先生、いかめしい咳払(せきばら)いをして、
「これから俺が先達になってやるから安心しろ。しかし俺は大塩平八郎ではねえから、危なくなれば逃げるよ。俺に逃げられたくねえと思ったら乱暴をするな、人の物を取るな、女をいじめるな、役人が来たら俺も逃げるからみんなも逃げろ」
「やんや」
「やんや」
「相対(あいたい)で物を貰って喰うには差支えねえ、人の物を盗(と)ったり乱暴をしたりすると、捉(つか)まって首を斬られる、首を斬られるのは俺もいやだがお前たちもいやだろう、だから乱暴をしてはいけねえ」
 この不得要領な貧窮組は、その夜は昌平橋際へ夜営をしてしまいました。このくらいの騒ぎだから役人の方へも聞えないはずはありません。けれども幕末の悲しさ、これを押えんために捕方(とりかた)が向って来る模様も見えませんでした。そうなってみると貧窮組の組織は、決してこの一カ所にとどまらないことです。
 江戸市中、至るところにこの貧窮組が出来てしまいました。道庵先生の如きは興味を以てこの貧窮組に賛成をしたけれども、貧窮組に馳せ参ずるもののすべてが、道庵先生の如き無邪気な煽動者(せんどうしゃ)ばかりではありません。と言って幸いなことに、大塩もトロツキーも出て来なかったから、それを天下国家の問題にまで持ち上げる豪傑は入って来ないで、小無頼漢のうちの抜目のないのがこれを利用することになりました。
 困ったのは道庵先生で、本業の医者をそっちのけにして貧窮組の太鼓を叩いて歩いています。因果なことに先生には、こんなことが飯よりも好きなので、ただ嬉しくてたまらないのです。嬉しまぎれに、一種の煽動者となってしまったけれど、時々穏健な説を唱えて、たいした乱暴を働かせまいと苦心しているのは感心なものです。
 この貧窮組が昌平橋に夜営している時分に、これより程遠からぬところに住居(すまい)している金貸しの忠作は、お絹と夕飯を食いながら、呟(つぶや)いて言うには、
「悪いことが流行(はや)り出した、ここは表通りではないけれど、そのうちには何か集めに来るだろう、その時は手厳(てきび)しく断わってやる」
 お絹はそれに対して、
「そんなことをして悪(にく)まれるといけないから、少しぐらい出してやった方がよいだろう」
「いけません、癖になるからいけません、あんな性質(たち)の悪い組合をお上が取締らないというのが手緩(てぬる)い」
 忠作は子供のくせに、このごろではもう前髪を落して、肩揚(かたあげ)の取れた着物を着て、いっぱしの大人ぶっています。
「でも、大勢に悪(にく)まれてはつまらない」
 お絹は気のない面(かお)をしていたが、忠作はいっこう撓(ひる)まずに、
「貧乏な奴は日頃の心がけが悪いんだ、有る時は有るに任せて使ってしまい、無くなると有る奴を嫉(そね)んで、あんな騒ぎを持ち上げる、あんなのを増長させた日には、真面目(まじめ)に稼(かせ)いでいる者が災難だ、わしは鐚一文(びたいちもん)もあんなのに出すのは御免だ」
「そんな一国(いっこく)なことを言って、大勢の威勢で打壊(ぶちこわ)しにでも会った日には、ちっとやそっとの金では埋合せがつかない」
「たとえ打壊しに逢ったからと言って、あんな筋の違ったやつらに物を出してやることはできません。あんなのが出来たために日済(ひなし)の寄りの悪いこと。いったい役人が何をぐずぐずしているんだろう、いちいち括(くく)り上げて牢へぶち込むなり、首を斬るなりしてしまえばいいのだ」
 こんなことを言っている時に、表の戸がガラリとあいて、
「へえ、御免下さいまし、町内でもいよいよ貧窮組をこしらえますから、お宅様でもどうか応分の御助力を願いたいもので」
 ドヤドヤ入って来たものがあります。
「それ、やって来た」
 忠作は苦い面(かお)をして玄関へ出て見ると、威勢のよい遊び人風をしたのが二三人先へ立って、あとは雑多の貧窮組。
「へえ、御存じの通り町内でも貧窮組をこしらえましたから、こちら様でも、どなたかおいで下さるように。もしお手少なでございましたら、幾分か費用の寄進についていただきたいものでございます」
 それを聞いた忠作は、
「せっかくでございますが、私共は無人(ぶにん)でございますから」
「それではどうか、思召しの寄進をお願い申します、この通り町内様でみんな賛成をしていただいたんでございますから」
 帳面を繰りひろげて、鰻屋(うなぎや)では米幾俵、薪炭屋(すみや)では店の品幾駄(いくだ)というように、それぞれ寄進の金高と品物の数が記されたのを見せると、
「宅(うち)なんぞはこの通り裏の方へ引込んでおりまして、とても表通りのお歴々と同じようなお附合いは致し兼ねまする、どうかそれは御免なすって下さいまし」
「それでは、誰か貧窮組へ出ておくんなさるか」
「宅は女と子供ばかりで」
「やい、ふざけやがるな、貧窮組を何だと思ってるんだ、ぐずぐず吐(ぬか)すとこっちにも了簡(りょうけん)があるぞ」
「皆さんの方に了簡がおあんなさるなら、了簡通りになさいまし、宅では貧窮組なんぞへ入る人間は一人もございませんし、そんなところへ出すお金なんぞ鐚一文もございません」
「何だと、この若造! やい、みんな聞いたか、今のこの野郎の言草(いいぐさ)を聞いたか」
 威勢のいい兄(あに)いが片肌を脱いでしまいました。それに続いた面々がみな眼を三角にする。
「貧窮組なんぞへ入る人間は一人もねえんだとよ、そんなところへ出す銭は鐚一文(びたいちもん)もねえんだとよ、みなさん方に了簡がおありなさるなら了簡通りになさいましと吐(ぬか)したぜ。べらぼうめ、了簡通りにしなくってどうするものか、貧窮組を何だと思ってやがるんだ、憚(はばか)りながら貧窮組は貧乏人だ」
「ここの宅(うち)は、これで金貸しをしてやがるんだ、貧乏人泣かせの親玉はここの宅なんだ、いまのあのこましゃくれた若造が、あれで鬼みたような奴なんだ、主人はお妾上りだということだ、金持を欺(だま)して絞り上げたその金で、高利を貸して、今度は貧乏人の生血(いきち)を絞ろうというやつらなんだ、だから貧窮組が嫌いなんだろう、誰も貧乏の好きな者はねえけれども、時世時節(ときよじせつ)だから仕方がねえや、ばかにするない」
「貧乏人がどうしたと言うんだい、そりゃ銭金(ぜにかね)ずくでは敵(かな)わねえけれど頭数(あたまかず)で来い、憚りながらこの通り、メダカのお日待(ひまち)のように貧乏人がウヨウヨいるんだ、これがみんなピーピーしているからそれで貧乏人なんだ、金があるといってあんまり大きな面(つら)をするない、これだけの頭数はみんな貧乏人なんだ、逆さに振(ふる)ったって血も出ねえんだ、その貧乏人が組み合ったから貧窮組というんだ、貧乏でキュウキュウ言ってるからそれで貧窮組よ、ばかにするない」
 大勢の貧窮組が口々に悪態(あくたい)をつき出したけれど、忠作は意地っ張りで、
「何とおっしゃっても私共は、皆さんが貸せとおっしゃるから貸して上げるだけの商売でございます、なにも皆さんに筋の立たない金を差上げる由がございませんから」
 こう言い切って、玄関の戸をバタリと締めてしまって、中へ引込んだから納まらない。
「それ、打壊してしまえ」
 ついに貧窮組がこの家の打壊しをはじめました。
 貧窮組の一手は、ついに忠作の家をこわし始めました。火をつけると近所が危ないから火はつけないで、門、塀、家財道具を滅茶滅茶に叩き壊します。忠作は素早く奥の間に駈け込んで、証文や在金(ありがね)の類を詰め込んで用心していた葛籠(つづら)の始末にかかると、いつのまに入って来たか覆面(ふくめん)の大の男が二人、突立っていました。
 この大の男は、貧窮組とは非常に趣を異にして、その骨格の逞(たくま)しいところに、小倉(こくら)の袴に朱鞘(しゅざや)を横たえた風采が、不得要領の貧窮組に見らるべき人体(にんてい)ではありません。忠作が始末をしている葛籠のところへ来て、黙って忠作の細腕をムズと掴んで捻(ね)じ倒すと同時に、一人の男はその葛籠を軽々と背負って立ち上ります。
「どろぼう!」
 忠作が武者振(むしゃぶ)りつくのを一堪(ひとたま)りもなく蹴倒(けたお)す、蹴られて忠作は悶絶(もんぜつ)する、大の男二人は悠々(ゆうゆう)としてその葛籠を背負って裏手から姿を消す。
 貧窮組は表から盛んに叩きこわしていたが、いいかげん叩きこわしてしまうと、鬨(とき)の声を揚げて引上げました。
 もとより宿意あっての貧窮組ではないから二度まで盛り返して来ず、昌平橋へ行ってお粥(かゆ)を食っています。貧窮組はこのくらい、無邪気といえば無邪気なものだけれど、合点のゆかないのは朱鞘(しゅざや)を横たえた小倉袴の覆面の大の男。表で無邪気な貧窮組を騒がしておいて、金目の物を引浚(ひっさら)って裏から消えてしまうというのは、武士にあるまじき行いであります。
 この勢いで貧窮組は江戸の市中へ蔓延(まんえん)して、ついには貧窮組へ入らなければ人間でないようになってしまいました。男ばかりではない、女も入らなければならないようになりました。職人は職人同士、芸人は芸人同士で貧窮組を作らなければならない義務が出来て、まんいち貧窮組に加入していないことが知れようものなら、人間の仲間を外されて非人の仲間へ組入れられなければならなくなりました。そうして貧窮組はついに江戸市中を風靡(ふうび)してしまったけれど、その不得要領なことはいつまでたっても不得要領で、お粥を食って歩くこと、せいぜい忠作の家を叩き壊すくらいのところであったが、解(げ)せぬのはその貧窮組が騒いで行ったあとで、必ず貧窮組らしくない仕業(しわざ)が二つ三つは必ず残されていることです。この手段は前の忠作の家を荒した時と同じような手段で、表で貧窮組が騒いでいる時、裏で、前に見る通り、朱鞘を差した堂々たる武士が仕事をするのであります。
 その強奪(ごうだつ)の仕方があまりに大胆で大袈裟(おおげさ)で、しかも遮(さえぎ)る人があっても人命を殺(あや)めるようなことはなく、衣類や小道具などには眼もくれず、纏(まと)まった金だけを引浚(ひっさら)って悠々として出て行く。
 不得要領でどこまでも拡がってゆく貧窮組。それと脈絡があってこの強盗武士に要領を得さするものとすれば、貧窮組も決して不得要領ではないけれど、貧窮組にそんなアクドい根のないことは、その成立の動機が煙みたようなのでわかるし、そのなりゆきがお粥以上に出でないのでわかります。しからばその貧窮組を表にして、それとは全く没交渉(ぼっこうしょう)でありながら、巧(たく)みにそれをダシに使って大金を奪い歩く武士体(さむらいてい)の強盗は果して何者。そうしてその盗った金を何事に使用するのだろう。市中の大商人で、この朱鞘の武士の強奪に会ったものは無数であったけれども、後の祟(たた)りを怖れてそれを表立って申し出でない。申し出でても当時の幕府の威勢では、それを充分に取締るの力さえなかったものです。

         四

 徳川幕府の影が薄くなって、そのお膝元(ひざもと)でさえこの始末。
 貧窮組がこうして不得要領の騒ぎを続け、浪士と覚(おぼ)しき強盗が蔭へ廻って悪事を働き、なお火事場泥棒式の悪漢が出没するけれども、それを取締る捕方(とりかた)は出て来るという評判だけで、ちっとも出て来ません。
 人形町の唐物屋(とうぶつや)を貧窮組が叩き壊した時は、朝の十時頃から始めて家から土蔵まで粉のように叩き壊してしまいました。いくら多勢の力だからと言って、これは人間業とは思われませんでした。表の店の鉄の棒が、飴を捻(ねじ)るように捻切ってありました。それを捻切ったのは十五六の子供であったということ、それは天狗の子に相違ないということ、天狗の子供が先に立って、大勢の指図をして歩くのだというようなことが言い触らされました。
「天誅(てんちゅう)」の文字が江戸の市中にも流行(はや)り出して来て、市民を戦慄(せんりつ)させたのはそれから幾らもたたない時でありました。この「天誅」の文字は大和の「天誅組」から筋を引いたものかどうかわからないが、武士と武士との間に行わるるのみではなく、町人にまで及びます。ひそかに人の首を斬って、橋の上や辻々へ捨札(すてふだ)と共に掛けて置きます。市民の財産の危険はようやく生命の危険に脅(おびや)かされてきました。
 さても本所の鐘撞堂(かねつきどう)の相模屋(さがみや)という夜鷹宿(よたかやど)へ、やっと落着いた米友は、お君から何かの便りがあるかと思って、前に両国の見世物を追い出された晩、お君と二人で宿を取った木賃宿へ行って様子を聞いて、まだ何も消息がないと聞いて失望して、帰りがけに、両国橋を渡りかかると、多くの人が橋の上に立っていますから、米友もなにげなく覗(のぞ)いて見ました。米友ではとても人の上から覗き込むことはできないから、人の腰の下から潜(もぐ)るようにして見ると、橋の欄干(らんかん)へ板札が結び付けてあります。米友は学者(お君に言わせれば)ですから直ぐにその板の文句を読むことができました。
「本所相生町二丁目箱屋惣兵衛、右の者商人の身ながら元来賄金(まひなひきん)を請ひ、府下の模様を内通致し、剰(あまつさ)へ婦人を貪り候段、不届至極につき、一夜天誅を加へ両国橋上に梟(さら)し候所、何者の仕業に候哉(や)、取片附け候段、不届且(かつ)不心得につき、必ず吟味を遂げ同罪に行ふべき者也。
    月  日報国有志此高札三日の内、取片附け候者有之(これあら)ば、役人たりとも探索の上、必ず天誅すべきもの也」
 米友はその文句を読んでしまったが、腑(ふ)に落ちないことがありました。
「この札はこりゃ誰が立てたんだ」
 米友は独言(ひとりごと)のように聞いてみましたけれど、誰も返事をするものがありません。
「この高札三日の内、取片附け候者あらば、役人たりとも探索の上、必ず天誅すべきもの也てえのは穏かでねえ」
 米友が仔細(しさい)らしくこんなことを言い出したから、集まっていた人は、それを聞いて滑稽に思うよりは怖ろしく感じました。そうして何者がそんなことを言うかと思って、声の出たところをよく見ると、人の股(また)の間にモゴモゴしている米友でしたから、みんなプッと吹き出しました。
 米友にとっては笑われる自分よりも、笑うやつらの方がおかしい。単純な米友は、理由なきに冷笑されたことを不本意として、ムッとしてきました。
「何がおかしいんだい、俺(おい)らの言うことが何がおかしいんだい」
「若い衆、そう怒るもんじゃねえよ」
 米友がムキになったのをなだめたのは老人。
「こりゃ天誅組というやつなんだから、お役人でも始末にいかねえんだ」
「天誅組というのは何でございます、お爺さん」
 米友は老人の面(かお)を見上げる。
「天誅組というのは、このごろ流行(はや)り出した悪い貼紙(はりがみ)で、疱瘡神(ほうそうがみ)よりもっと剣呑(けんのん)な流行神(はやりがみ)だ」
「そんな剣呑な流行神を平気で眺めている奴の気が知れねえ」
 見物はまたドッと笑い出して、
「うむ、全く気が知れねえ、若い衆、お前なんとかひとつ、その流行神を始末してみねえな、人助けになるぜ」
「ばかにするない」
 米友が眼をクルクルして群集を見廻した、その面(かお)つきと身体(からだ)を見て群集はやはり笑わずにはいられません。高札(こうさつ)よりもこの方がよほど見栄(みば)えがあると思って、
「豪(えら)い!」
 拍手喝采してこの奇妙な小男の、本気になって憤慨するのを弥次(やじ)り立てて楽しもうとすると、米友はかえってそれらを相手にはしないで、欄干に結びつけてあった高札の縄目を解きにかかったから、
「おやおや」
 弥次連の面(かお)の色が変ります。
「おい、若い衆、小せえの、何をするんだい」
 慌(あわ)てて留めたのは老人。
「冗談(じょうだん)じゃねえ、煽(おだ)てに乗るも大概がいい、その高札へお前、指でも差そうものなら、大変なことになるぜ、引込んでいなせえ、いなせえ」
「ナニ、かまわねえ」
「三日の内、取片附け候者あらば、役人たりとも探索の上、必ず天誅すべきものなり――この字がお前にも読めたんだろう、天誅というのは首が飛ぶことなんだ、いいかい、この高札を動かそうものなら、お前の首がなくなるんだ、お前が遠からず首を斬られてしまうんだぜ」
「誰が俺らの首を斬りに来るんだ」
「天誅だよ、天誅だよ」
「天誅が首を斬りに来るのか。天誅というのは何だ、俺らはまだ天誅に首を斬られるような悪いことをした覚えはねえ」
 米友は留めてくれる老人の手を振り払って苦もなく高札の縄を解いてしまい、その高札を振り上げて橋の上から川の中へポンと投げ込んでしまいました。
「無茶なことをする奴だ」
 さすがの弥次馬(やじうま)も舌を振(ふる)ってしまいました。

 これが不思議な縁で米友は、その翌日から本所の相生町(あいおいちょう)の箱屋惣兵衛一家の留守番になってしまいました。それで鐘撞堂(かねつきどう)の相模屋から気軽くそこへ移ってしまいました。
 この縁は昨日の高札の一件からであります。米友が高札を川へ抛(ほう)り込んだために、町内からこの家の留守番を押(おっ)つけられたものです。
 米友もまた押つけられたことをかえって幸いにして箱惣(はこそう)の留守番を欣(よろこ)んで引受けてしまいました。
 米友が留守番を押つけられた箱惣の家は大きな家でした。けれども誰も一人も住んではいないのです、ガラあきです。ただの空家(あきや)と違って誰も留守居をし手のない空家なのです。昨日、米友が投げ込んだ札の文句にも、「本所相生町二丁目箱屋惣兵衛、右の者商人の身ながら元来賄金を請ひ、府下の模様を内通致し、剰へ婦人を貪り候段……」とある通り、浪士たちに悪(にく)まれてツイこの間の晩、首を斬られて、両国橋へ梟(さら)し物にかけられた惣兵衛の家です。その首が誰がどうしたか直ぐに片附けられてしまうと、その後へ立てられた高札がすなわち米友の川へ投げ込んだものであります。その後難(こうなん)の人身御供(ひとみごくう)の意味で留守居を押附けられ、米友は、主人の居間であった贅沢(ぜいたく)な一間でゴロリと横になっている。その傍には例によって槍が一本あります。
 何者が来るか知らないが、仕返しに来たらこの槍で挨拶をしてやる。もとの主人には何か恨むところがあるかも知れないが、自分は疚(やま)しいところがないと、ひとりで力(りき)んでいたけれど、二晩三晩というものは、サッパリ何も手答えがないから、米友も力瘤(ちからこぶ)が弛(ゆる)んできました。四晩目の晩、雨が降って鬱陶(うっとう)しいものだから、行灯(あんどん)の下で、やはり寝ころんで絵草紙を見ていました。
「今晩は――今晩は」
 二声目で初めて気がついた米友は、外で呼ぶのが女の声で、表の大戸を軽く叩いているようでしたから、
「今晩は」
 返事をして次の文句を待っていましたが、不思議なことにそれッきり。
「おかしいな、人を呼びっ放しにして引込むなんて」
「今晩は」
「返事をしているじゃねえか、何か用があるのかい」
「あの、仕出し屋でございますが……」
 ナンダ、いつも弁当を運んでくれる仕出し屋か、弁当ならば、もう食べてしまったから入用(いりよう)はないと思って、
「弁当箱を取りに来たのかい」
「そうではございません、若い衆さんに一口上げてくれと町内から頼まれまして」
「ナニ、俺(おい)らに一口上げてくれって? そんな人はいねえはずだが」
「どうかここをおあけなすって下さいまし」
「どうもおかしいな」
 米友はおかしいと思いながら戸をあけると、いつも来る仕出し屋の女が、丸に山を書いた番傘(ばんがさ)を被(かぶ)って岡持(おかもち)を提げて立っています。
「俺らに御馳走してくれるというのは誰だろう」
「町内の衆でございます」
「町内の誰だろう」
「ただ町内から届けたと、そういえばわかると申しました」
「俺らの方ではよくわからねえ」
 米友は一合の酒と鰻(うなぎ)の丼(どんぶり)を受取りました。仕出し屋の女は帰ってしまいます。米友は、またもとのところへ帰って、鰻の丼と一合の酒を前に置いて、しきりにそれをながめていました。一合の酒も飲んでみたくないことはない、鰻の丼も食慾を刺戟しないこともない、けれども町内の誰がよこしたんだか、それがわからないのが不足である。うっかり御馳走になっていいものだかどうだか……米友は一合の酒と鰻の丼を後生大事(ごしょうだいじ)に睨(にら)めていました。
 一合の酒と鰻の丼を睨めている米友。
「飲んでしまおうか、それとも飲まずにいた方がいいか、この鰻の丼も食ってしまえばそれまでだが、食わずに置いてみたところでそれまでだ」
 米友はいろいろに考えてみたが結局、この無名の贈り主から贈られた酒は一滴も飲まず、丼は一箸(ひとはし)も附けずにほっておく方がよろしいと覚悟をして、床の間の方へ持って行って飾って置きました。飾って置いてそれをやや遠くからまた暫らくながめていたが、
「こうして俺らに酒を飲ましておいて、酔ったところを見計らって計略にかけるつもりだとすると、そんな計略にひっかかっても詰らねえ」
 誰も米友を毒殺しようというほどの物好きもなかろうけれど、米友の方でとうとう一合の酒と鰻の丼を敬遠してしまって、それからまた本を見だしていると、
「今晩は」
 またも表で人の声、前と同じように女の声。
「誰だ」
「仕出し屋でございます」
「ちェッ、また仕出し屋か」
「まことに相済みませんが、先程のお丼と御酒(ごしゅ)は間違いました」
「ナニ、間違えたって?」
「御近所へ持って上るのを、つい間違えまして申しわけがございません」
「そんなことだろうと思った、俺らに御馳走してくれる奴はないはずなんだから」
 米友は跛足(びっこ)を引きながら、いま床の間へ飾って置いた一合の酒と丼、果して手を附けなかったことの幸いを感じて、それをそっくり持って来てやりました。仕出し屋の女中の方では、食われてしまってもこちらの粗忽(そこつ)だから文句のないところへ、米友が手を附けずに返してくれたのだから大へん喜びました。
「気をつけなくっちゃいけねえ、俺らだから手を附けなかったが、ほかの者なら食ってしまうんだ、俺らも実は食ってしまおうかどうしようかといろいろ考えたんだ」
「どうも相済みません」
 仕出し屋の女はきまりの悪い面(かお)をして、一合の酒と鰻の丼を持って急いで敷居を跨(また)いで外へ出ました。米友は一合の酒と鰻の丼の香(におい)ばかりで妙な面をして見送っていたが、表を二三間も歩いたと思われる仕出し屋の女中が、
「あれ――」
 ガチャン、ピシーンという音。それによって見ると、女中はその辺で転んで倒れて泥濘(ぬかるみ)の中へ、せっかくの一合の酒も鰻の丼もみんなブチまけてしまったようですから、米友は舌打ちをして、
「だから言わねえことじゃあねえや、そそっかしい女だなあ」
 潜(くぐ)り戸(ど)から面(かお)を出して、雨の降る暗いところで転んだ女中をたしなめようとする途端(とたん)、
「静かにしろ」
 その潜り戸から跳(おど)り込んだ二人、小倉の袴に朱鞘に覆面、背恰好(せいかっこう)とも、忠作の家で金目の葛籠(つづら)を奪って裏口から悠々と逃げた強盗武士そのままの男であります。
「さあ来やがった」
 覚悟の上。米友は不自由な足ながら傘(からかさ)のお化(ば)けのように後ろへ飛んで返って、以前の一間に置いてあった槍を手に取りました。
「待ってたんだ、両国橋の立札を川ん中へ抛り込んだのは俺らの仕業(しわざ)に違えねえ、さあ何とでもしてみろ、宇治山田の米友の槍を一本くらわせてやる」
 米友の槍は、これを侮(あなど)っても侮らなくても防ぐことはむずかしいものです。
「呀(あ)ッ」
 内へ転げないで外へ転げた覆面の浪士は、米友の一槍で太股(ふともも)のあたりをズブリと刺されたらしい。

         五

 せっかく金貸しを始めた忠作、あの夜の一騒ぎから滅茶滅茶になってしまって、お絹はどこへ行ったか行き方が知れないし、金目の物はことごとく奪われてしまいました。
「癪(しゃく)にさわる、あの貧窮組というやつが癪にさわる。それにあの浪人者。浪人者というやつがあっちにもこっちにもウロウロして事あれかしと覘(ねら)っていやがる。貧窮組というやつはワイワイ騒ぐだけだが、浪人者というやつは大ビラで強盗(ぬすっと)をして歩くようなものだ。こうして歩いているうちにはどこかで出会(でくわ)すだろう、出会したら後をつけて手証(てしょう)を押えて町奉行へ訴え出るんだ。こっちも意地だ、キット尻尾(しっぽ)を捉まえて見せる、おれの家から取って行ったものだけは、取り返さなくっておくものか」
 忠作は歯噛みをしながら、このごろでは毎夜、蕎麦屋(そばや)の荷物を担(かつ)いで、蕎麦は売ったり売らなかったりして、夜遅くまで市中を歩いて佐久間町の裏長屋へ帰ります。今宵は浅草方面から売り歩いて両国橋手前まで来ると、
「駕籠屋」
 闇の中から人の声。それに呼ばれて朦朧(もうろう)の辻駕籠(つじかご)が、
「へえ」
と言って振返った。とある家の用水桶の蔭に真黒な二人、両方とも長い刀を差しています。そこで駕籠屋を不意に呼びかけたから駕籠屋も驚いたようであったし、通りかかった忠作も少し驚きました。
「駕籠をこれへ持って参れ」
「どうもお気の毒さま、これから蔵前(くらまえ)のお得意まで行くんでございますから」
「黙れ! 黙って駕籠を持って来い」
 嚇(おどか)しておいて、長いのをスラリと引抜くのではなく、懐中から投げ出したのは若干の酒料(さかて)らしい。
 用水桶の蔭に隠れていた浪人体(てい)の怪しの者は、背に引きかけていた一人を労(いたわ)って駕籠の中へ入れると、
「旦那、どこまで行くんでございます」
「黙って拙者の行くところまで行けばよい」
 駕籠側(わき)に一人が附添うて無暗(むやみ)に走り出しました。
 それを見ていた忠作は、何と思ったか蕎麦屋の荷物を抛り出して、一目散(いちもくさん)に駕籠の跡を追いかけました。
 神田へ出て、日本橋を通って、丸の内へ入って、芝へ出て、愛宕下(あたごした)の通りをまだ真直ぐにどこまでともなく飛ばせる。ついに駕籠は芝の山内(さんない)へ入る。丸山の五重の塔、その五重の塔の姿が丸山の上に浮き立っているのを横目に睨(にら)んで、土塀だの、板塀の物見だの、長屋だの、いくつも廻って駕籠が飛んで行く。左右を見廻すと、やっぱり丸山の五重の塔。はてそれでは、あの塔のまわりをグルグル廻っているのかな。
 そう思っているうちに、大きな土塀つづきで、右の五重の塔と向き合ったところに堂々たる黒塗の大門がある。その堂々たる大門のなかへ駕籠はスッスッと入って行きました。
 何者の邸であろうか知らないが、入って行った者も武士の姿こそしているが、その仕業(しわざ)は武士ではない。この家から出てそういうことをさせるはずもなかろうし、外からそういうことをした者を内へ黙って入れるはずもなかろうと、忠作が思っていると、門番がいるのかいないのか知らないが、無事にスーッとその駕籠は門内へ納まってしまいました。
 あの駕籠が通れるくらいなら自分も通れるだろうと忠作も、続いて入り込もうとすると、
「コラ、誰かッ」
 雷(いかずち)のような一喝(いっかつ)。
「今のあのお乗物の……お乗物の」
「乗物がどうした」
「あれは当家の御家中のお侍でございますか」
「馬鹿!」
 頭から一喝した仁王のような門番が取って食いそうな権幕(けんまく)ですから、忠作は怖ろしくなって飛び出しながら、黒塗の堂々たる大門を見上げると、正面三カ所に轡(くつわ)の紋があります。
 この門をよく見直すと、左右に門番があって、屋根は銅葺(どうぶき)の破風造(はふづく)り、鬼瓦(おにがわら)の代りに撞木(しゅもく)のようなものが置いてあります。
 土塀を一周り廻った忠作が通りの町家で聞いてみると、これは薩州鹿児島の島津家の門だと知れました。
 鹿児島の島津家といえば九州第一の大大名。その門と邸の結構の堂々たることはさもあるべきことだが、わからないのはそこから強盗が出て町家を荒して歩くということです。あの二人の者はたしかに自分の家へ入った浪人体(てい)の強盗。その一人はどうやら手傷を負うたらしい一味の者。
 それを無事に門内へ入れたところを見ると、これは疑うべくもなきこの邸内の人、そうしてみれば薩州の家来には、強盗を内職にしている者があるはずである。いかに乱世とは言いながら、大名の家来が強盗を内職にしているというのは、あるべきことではありません。
 その晩はそれで帰って翌日、忠作は神田佐久間町の裏長屋を引払って、この薩州の屋敷の傍へうつることにしました。幸い、三田の越後屋という蕎麦屋(そばや)に雇人の口があったから、すぐそこへ雇われました。忠作がこの蕎麦屋へ奉公して見ると、この界隈(かいわい)の物騒なことは、神田や本所のそれ以上でありました。越後屋は大きな蕎麦屋で、奥座敷などがいくつもあるが、その奥座敷はしばしば一癖ありげな侍に借り切られることがあります。忠作は算勘(さんかん)が利(き)いて才気があったから、出前持をせずに帳場へ坐らせられることになって三日目の晩、店へ現われた田舎者体の男と計らず面(かお)を見合わせて、
「おや、お前さんは……」
「お前さんは……」
 これは甲州の、徳間入(とくまいり)の川の中以来の会見であって、田舎者らしい男は七兵衛であります。

 七兵衛は奥座敷を一つ借り切って、そこで一人で飲んでいると、暫らくして忠作がやって来て一別以来の話になりました。
 お絹のことや、がんりきのことが出て、七兵衛はかなり忠作をからかっていたが、
「私の姪(めい)がこの蜂須賀(はちすか)様に御奉公をしているんで、それでこうしてやって来ましたよ」

         六

 七兵衛がここで姪と言うたのはお松のことであります。お松はこの時分、徳島藩の中屋敷へ奉公をしておりました。徳島藩の中屋敷は薩州の邸とは塀一つを隔てたところにあって、お松はそこに奉公してから日もまだ浅いけれども、目上にも朋輩(ほうばい)にも信用され可愛がられて、前に神尾の邸にいた時のような危ないことは更になし、まことに無事に暮しておりました。
 この際お松は、今までにない一つの縁談をほのめかされました。この話は至極(しごく)実直に持ちかけられ、そうして自分の身を落着けるには、決してためにならないところではないし、自分もまた身を落着けてから、見込んで世話した人の鑑識(めがね)を裏切るようなことはないつもりだと、自信はしているけれども、お松はどうしてもそれを承諾する気にはなれませんでした。
 断わるならば何と言って断わろうか知ら、それが一つの難題で、せっかくああ言ってくれる親切を無下(むげ)に断わってしまえば、おたがいに気まずくなって、また自分はこのお邸を出なければならないことになるかも知れぬ、そうなるとまた落着くところに迷うかも知れぬ。お松はその晩、散々(さんざん)にこのことを考えてしまいました。
 無事に暮らしていたけれども、兵馬のことを考えないわけにはゆきません。兵馬のことは忘れたことはないのに、幾度もそれを考え直さねばならなくなりました。
 深いようで浅い二人の縁、浅いようで深い二人の間、お松にはそれをどうしてよいのかわからない。兄妹のようにして永らく一緒にいたけれど、どうも物足りない。兵馬その人に不足はないけれど、自分よりは仇討の方をだいじがる兵馬が、お松にはどうしても物足りないのでした。
 と言って兵馬さんは、わたしを可愛がらないのではない、わたしをいちばん可愛がっているし、わたしもまた兵馬さんがいちばん可愛ゆいけれども、それだけでは頼りがない。わたしがここでほかへお嫁に行ってしまっても、兵馬さんは口惜しいとも悲しいとも思いはしないで、かえって祝って下さるでしょう、それでは詰らない。お嫁に行ってしまったのを、喜んでくれるような可愛がり方ではそれでは詰らない、とお松はそれを物足りなく思いました。駿河(するが)の清水港で別れてから、船と共に江戸へ着いたお松。船頭が徳島藩の出入りでここへ世話をされて来てから、兵馬の便りは一度、甲府からあっただけでした。七兵衛は二度ばかり訪ねてくれたけれども、いつも風のように来て風のように帰ってしまう。
 その度毎に手紙を書いて置いて、それを兵馬の手許(てもと)に届けてもらうことをお松は何よりの楽しみにしていました。近いうちまた七兵衛が来るはず、お松はこのごろ、部屋にさがると毎夜のように手紙を書くことばかり。今もいろいろと思い悩まされた揚句(あげく)が、その思いだけを紙にうつすことによって、その憂(うさ)を晴らそうとしました。
 お松は自分の今の生活が至極(しごく)平穏無事であること、御殿でも皆の人に可愛がられて昔のような心配は更にないこと、朝夕朋輩衆(ほうばいしゅう)と笑いながら働いていることなどを細々(こまごま)と書きました。自分の身はそんなに無事幸福であるけれども、江戸市中は日に増し物騒になって行って、兇器(きょうき)を抜いた浪人者が横行したり、貧窮組が出来たり、この末世はどうなって行くことかと市民が心配していること、それゆえ滅多(めった)に外出はできないこと、附近に薩州を初め内藤家、久留米(くるめ)藩などの大きな屋敷があって、ことに隣りの薩州家などは浪人者がたくさんに出入りして、朝夕戦場のように見えることもあるけれど、こちらのお屋敷は静かであることなどを書きました。そうして幾度か読み直したりした上で、封をしてしまいました。
 それを枕元に置いてお松は床に就きましたが、兵馬のことを夢に見ました。夢に見た兵馬は嬉しい人であったが、やっぱり物足りない人でありました。
 翌朝起きて見ると、昨夜書いて机の上に載せて置いた自分の手紙の上に、それとは全く別の人の書いた一封の手紙が載せてあります。
「誰が置いて行ったのでしょう」
 お松はその手紙を取り上げて見ると、七兵衛の手蹟(しゅせき)でありました。
 封を切って読むと、
「兵馬様の身の上に変事が出来たから急に相談したい、少しばかり暇を願って、越後屋まで来るように」
とのことであります。
 お松は胸が潰(つぶ)れる思いがして、すぐさま朋輩に頼んで少しばかりの暇をこしらえて、越後屋の奥座敷へ訪ねてみますと、七兵衛が待っていました。
「突然にああ言ってやったから驚いたろう。困ったことが出来たというのは、兵馬さんが縛られて、甲府の牢へ入れられてしまったことだ」
「ええ、あの方が縛られて牢へ? それはいったい、どうしたわけでございます」
「そのわけにはなかなか入り組んだ仔細(しさい)があるのだが、人違いなのだ、人違いで捉まって、甲府の牢へ入れられている。運は悪く、悪いところへ通りかかったのが兵馬さんの因果、身の明りの立つまでは、ああして甲府の牢内に窮命(きゅうめい)しておいでなさらなくてはならねえ」
「どうしてそんな悪いところへ通りかかったのでございます」
「盗賊(どろぼう)だ、盗賊のかかり合いだ」
「盗賊! そんなことはありますまい、なんと間違って兵馬さんが盗賊なんぞと……そんな間違いのあるはずがございませんもの。伯父さん、早く心配して、兵馬さんの身の明りが立つようにして上げてください」

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