大菩薩峠
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著者名:中里介山 

         一

 大和(やまと)の国、三輪(みわ)の町の大鳥居の向って右の方の、日の光を嫌(きら)って蔭をのみ選(よ)って歩いた一人の女が、それから一町ほど行って「薬屋」という看板をかけた大きな宿屋の路地口(ろじぐち)を、物に追われたように駈けこんで姿をかくします。
 よくはわからなかったが、年はたしか二十三から七までの間、あまり目立たないつくりで、伏目に歩みを運ぶ面(かお)には、やつれが見えて何となしに痛わしいが、それでも、すれ違ったものを一たびは振返らせる。鳥居の両側にはいずれにも茶屋がある、茶店のないところには宿屋があって――女の姿をいちばんさきに見つけたのは、陸尺(ろくしゃく)や巡礼などの休みたがる、構えの大きいわりに、燻(くす)ぶった、軒には菱形(ひしがた)の煙草の看板がつるされ、一枚立てきられた腰高障子には大きな蝋燭(ろうそく)の絵がある茶店の中に、将棋(しょうぎ)を差していた閑人(ひまじん)どもであります。
「あれかよ、あれかよ」
「あれだ、あれだ」
 碁将棋を打つ閑人以上の閑人は、それを見物しているやつであります。岡眼(おかめ)をしていた閑人以上の閑人が、今ふと薬屋の路地を入って行った女の姿を認めた時は、一局の勝負がついた時であったから、こんな場合には髷(まげ)の刷毛先(はけさき)の曲ったのまでが問題になる。
「噂(うわさ)には聞いたが、姿を拝んだのは今日が初めてだ、なるほど」
「惜しいものだね――」
 藍玉屋(あいだまや)の息子で金蔵という不良少年は、締りのない口元から、惜しいものだね――と、ね――に余音(よいん)を持たせて、女の入って行ったあとを飽かずに見ていたが、
「全く、あのままこの山の中に埋めておくは惜しいものでございますなあ」
 図抜(ずぬ)けて大きな眼鏡をかけた材木屋の隠居も、どうやら残り惜しい顔をしている。
「全く罪ですな、およそ世の中にあのくらい罪なものはございませんな」
 ちょっと覗(のぞ)きに来たつもりで、うかうかと立見(たちみ)をしてしまった隣の宿屋の番頭も、つり込まれて慷慨(こうがい)の体(てい)。
「左様(さよう)、全く罪なことでござるよ、あんなのはいっそ助けない方がようござるな、添うに添われず、生きるに生きられず、現世(このよ)で叶(かな)わぬ恋を未来で遂げようというのじゃ、それを一方を殺し一方を助けるなんぞ冥利(みょうり)に尽きたわけさ」
 眼鏡の隠居は慨歎する。
「でもね――女に廃(すた)りものはないからねえ」
 藍玉屋の息子のねむそうな声が一座を笑わせる。
 ここに問題となった女は、机竜之助が鈴鹿峠(すずかとうげ)の麓、伊勢の国関(せき)の宿(しゅく)で会い、それから近江の国大津へ来て、竜之助の隣の室で心中の相談をきめ、その夜のうちに琵琶湖へ身を投げて死んだはずのお豊――すなわちお浜に似た女であります。
 一人は死に、一人は残る。そうしていま女は親戚(しんせき)に当るこの三輪の町の薬屋(薬屋といっても売薬屋ではない、旅籠屋(はたごや)である)源太郎の家へ預けられている。

         二

 助けて慈悲にならぬのは心中の片割(かたわ)れであります。
 一方を無事に死なしておいて、一方を助けて生かしておくのは、蛇の生殺(なまごろ)しより、もっと酷(むご)いことである。
 不幸にして、お豊はあれから息を吹き返した、真三郎は永久に帰らない、死んだ真三郎は本望(ほんもう)を遂げたが、生きたお豊は、その魂(たましい)の置き場を失うた。
 これを以て見れば、大津の宿で机竜之助が、生命(いのち)を粗末にする男女の者に、蔭ながら冷(ひや)やかな引導(いんどう)を渡して、「死にたいやつは勝手に死ね」と空嘯(そらうそぶ)いていたのが大きな道理になる。
 息を吹き返して、伯父に当るこの三輪の町の薬屋源太郎の許(もと)へ預けられた後のお豊は、ほんとうに日蔭の花です。誰が何というとなく、お豊の身の上の噂は、広くもあらぬ三輪の町いっぱいに拡がった。
 お豊は離座敷(はなれ)に籠(こも)ったまま滅多(めった)に出て歩かないのに、月に三度は明神へ参詣します。今日は参詣の当日で、かの閑人(ひまじん)どもに姿を見咎(みとが)められて、口の端(は)に上ったのもそれがためでありました。
 女というものは、どこへ隠れても人の眼と耳を引き寄せる。お豊が来て二三日たたないうちに、夜な夜な薬屋の裏手の竹垣には大きな穴がいくつもあいた。ここへ来てから、もう七十五日は過ぎたのに、お豊の噂(うわさ)だけは容易になくなりません。
 かの藍玉屋の金蔵の如きは、執心(しゅうしん)の第一で、何かの時に愁(うれ)いを帯びたお豊の姿を一目見て、それ以来、無性(むしょう)に上(のぼ)りつめてしまったものです。
 事にかこつけては薬屋へ行って、夫婦の御機嫌(ごきげん)をとり、折もあらば女と親しく口を利(き)いてみたいと、いろいろに浮身(うきみ)をやつしているので、今ほかの連中はまた一局に夢中になる頃にも、金蔵のみは女の消え去った路地口を、じーっと見つめたまま立っています。
 時は夏五月、日盛りは過ぎたが、葭簾(よしず)の蔭で、地はそんなに焼けてもいなかったのに打水(うちみず)が充分に沁(し)みて、お山から吹き下ろす神風が懷(ふところ)に入る時は春先とも思うほどの心地(ここち)がします。
「少々ものを尋ねとうござるが……」
 一方は将棋に夢中で、一方は路地口に有頂天(うちょうてん)である。
「植田丹後守(たんごのかみ)殿の御陣屋は……」
「ナニ、植田様の御陣屋――」
 金蔵はやっと、店先に立ってものをたずねている旅の人に眼をうつした。この暑いのにまだ袷(あわせ)を着ている。手には竹の杖。
 女を見て総立ちになった閑人どもは、このたびは一人として見向きもしない。
 問いかけられた当の金蔵すらも、直ぐに眼をそらして、
「植田様は、これを真直ぐに左」
 鼻であしらう。
 旅人は、教えられた通りにすっくと歩んで行く。これはこれ、昨夜を長谷(はせ)の籠堂(こもりどう)で明かしたはずの机竜之助でありました。

         三

 長谷から三輪へ来たのでは後戻(あともど)りになる。
 関東へ帰るつもりならば、長谷の町の半ばに「けわい坂」というのがあって、それを登ると宇陀郡(うだごおり)萩原の宿へ出る、それが伊勢路へかかって東海道へ出る道であるから、当然それを取らねばならぬ。竜之助が、この三輪まで逆戻りをして来たからには、関東へ帰る心を抛(なげう)ったのであろう。また京都へ帰る気になったのかも知れぬ。いや、そうでもない、彼は今や西へも東へも行詰まっている。立往生(たちおうじょう)をする代りに、籠堂へ坐り込んで一夜を明かした、が、百八煩悩(ぼんのう)を払うというなる初瀬(はつせ)の寺の夜もすがらの鐘の音も、竜之助が尽きせぬ業障(ごうしょう)の闇に届かなかった。迷いを持って籠堂に入り、迷いをもって籠堂を出た竜之助は、長谷の町に来て、ふとよいことを聞いた。
 これから程遠からぬ三輪の町に植田丹後守という社家(しゃけ)がある――武術を好んでことのほか旅の人を愛する、そこへ行ってごらんなさいと、長谷の町の町はずれで、井戸の水を無心しながら、このあたりに武術家はないかと、それとなく竜之助が尋ねた時に煙草を刻(きざ)んでいた百姓が教えてくれた。竜之助は、ともかくもその植田丹後守なる三輪大明神の社家を訪ねてみる気になって、ここまでやって来たものです。
 教えられた通りに来て見ると、これは思ったより宏大(こうだい)な構えである。小さな大名、少なくとも三千石以上の暮らし向きに見える。竜之助は入り兼ねていささか躊躇(ちゅうちょ)した。
 というのは、自分のこの姿が、いまさらに気恥かしくなったからです。このなりで玄関へかかったところで、誰が武術修行者として受取ってくれるものか、きわめて情け深い人で、いくらかの草鞋銭(わらじせん)を持たして体(てい)よく追っ払うが関の山、まかり間違えば、浮浪人として突き出される。
 いったん竜之助は通り過ごして若宮の方へ行き、また引返したが、別に妙案とてあるべきはずがない。
「頼む――」
 思いきって、そのまま玄関からおとなう。
「どーれ」
 十八九の青年が現われて来て、竜之助を見る、その物腰(ものごし)が武術家仕込みらしく、竜之助の風采(ふうさい)に多少の怪しみの色はあっても侮(あなど)りの気色(けしき)が乏しいから、
「御主人は御在宅か。拙者は仔細(しさい)あって姓名はここに申し難(がた)けれど、京都をのがれて、旅に悩む者。御高名をお慕い申して……」
「心得てござる、暫時(ざんじ)これにお控え下さい」
 青年の呑込(のみこ)みぶりは頼もしい。竜之助はしばらく待っていると青年は再び現われて、
「いざ、お通り下され、ただいま洗足(せんそく)を差上げるでござりましょう」
 案ずるより産(う)むが安い。さすがの竜之助もその心置きなき主人の気質がしのばれて、この時ばかりは涙のこぼれるほど嬉(うれ)しかった。

         四

 植田丹後守には子というものがない、ことし五十幾つの老夫婦のほかに、郡山(こおりやま)の親戚から養子を一人迎えて、あとは男女十余人の召使のみで賑(にぎや)かなような寂しい暮しをしております。
 子というものを持たぬ丹後守は、客を愛すること一通りでない、いかなる客であっても、訪ねて来る者に一宿一飯を断わったことがない――それらの客と会って話をするというよりは、その話を聞くことが楽しみなのである。
 客の口から、国々の風土人情、一芸一能の話に耳を傾けて、時々会心(かいしん)の笑(えみ)を洩(も)らす丹後守の面(かお)には聖人のような貴(とうと)さを見ることもあります。けれども、ただ客を延(ひ)いては話を聞くだけで、丹後守自身には何もこれと自慢めいた話はない。
 人の言うところには、丹後守は、弓馬刀槍(きゅうばとうそう)の武芸に精通し、和漢内外の書物を読みつくし、その上、近頃は阿蘭陀(オランダ)の学問を調べていると。なるほど、丹後守は幼少からこの邸を離れたことがなく、ほとんど終日、書斎に籠りがちで、祖先以来伝えられた和漢の書物と、自分が買い入れた書物とは、蔵(くら)にも室にも山をなしているのであるから、一日に五冊を読むとしても、仮りに五十年と見積れば十万冊は読んでいる勘定になります。
 武芸に至っては、どうも怪しい。家には先祖から道場があって、これも幼少の頃から、宝蔵院の槍(やり)、柳生流の太刀筋(たちすじ)をことに精出して学んだとはいうが、誰も丹後守と試合をした者もなし、表立って手腕を表(あら)わした機会もないから、事実どのくらい出来るやを知っているものはないのです。
 ただ一度、どこかの藩の権者(きけもの)が、この三輪明神の境内(けいだい)へ逸(はや)り切った馬を乗入れようとした時に、通り合せた丹後守がその轡(くつわ)づらを取り、馬の首を逆に廻したことがある――馬上の武士は怒って、鞭(むち)を振り上げて丹後守を打とうとした時に、何のはずみか真逆(まっさか)さまに鞍壺(くらつぼ)から転(ころ)げ落ちて、馬は棹立(さおだ)ちになった。
 なにげなき体(てい)でそのまま行き過ぎる丹後守の後ろ姿を見て、落馬の武士も、附添の者も、これを追いかける勢いがなかった、それを町の者が見て舌を捲(ま)いたことがある。それ以来、「御陣屋の大先生」の武芸を疑うものがなくなった。
 机竜之助は、この人にはじめて会って見ると、父なる弾正の面影(おもかげ)を偲(しの)ばずにはいられなかった。なんとなく威光のある、そうして懐(なつか)しい人柄(ひとがら)だと、荒(すさ)びきった机竜之助の心にも情けの露が宿る。
「これは仕合(しあわ)せなことじゃ、どうか暫らくこの道場を預かっていただきたい」
 丹後守は、道場へ出て竜之助の試合ぶりを見てこう言うた――この道場にはべつだん誰といって師範者はないけれど、丹後守の邸には、召使のほかに、いつも五人十人の食客(しょっかく)がいる。多くは浪人者で、そのほか、国々や近在から、武芸修行者が絶えず集まって参ります。

         五

 見も知らぬ浮浪人を、快く家に通すさえあるに、その技倆を信じて、己(おの)が道場を任せて疑わぬ丹後守の度量には、机竜之助ほどの僻(ねじ)けた男も、そぞろ有難涙(ありがたなみだ)に暮れるのであります。竜之助は再びここで竹刀(しない)をとって、人を教える身となります。何から言うても、よくもとの身の上に似ている、丹後守を父として見る時に、竜之助には更に強く強く親の慈悲というものがわかってくるのであります。いかに物事に不自由がなくても、子のない人には、消して消せない寂しさがあります。
 われ一人を子に持って、三年越しの病の床から、勘当を言い渡さねばならなかった父弾正の胸の中はどんなであったろう――一徹(いってつ)の頑固(がんこ)な父とのみ見ていた自分の眼は若かった。このごろでは竜之助も、東に向いて別に改まって手を合わすようなことはせぬけれど、ひそかに襟(えり)を正して、父の上安かれと祈ることもたびたびであります。
 彼は、このしおらしき心根(こころね)から、おのずと丹後守に仕える心も振舞(ふるまい)も神妙になる――もともと竜之助は卑(いや)しく教育された身ではない、どこかには人に捨てられぬところが残っているのであろう、丹後守夫婦は竜之助を愛してなにくれと世話をします。ここへ来てから三日目の夕べ、竜之助は三輪明神の境内を散歩して、うかうかと、かの薬屋源太郎の裏道の方へ出てしまいました。
 竹の垣根があって、かなりに広い庭の植込から、泉水のひびきなども洩(も)れて聞えます。庭の方は大きな構えで、燈火(あかり)が盛んにかがやいて客や女中の声がやかましいのに、この裏庭は、垣根一重を境にして、一間ほどの田圃道(たんぼみち)につづいては、威勢よく今年の稲が夕風に戦(そよ)いで、その間に鳴く蛙(かわず)が、足音を聞いては、はたはたと小川に飛び込むくらいの静かさです。
 竜之助は、この田圃道を通って見ると、その垣根のところに黒い人影がある――夏の夕ぐれはよく百姓たちが田の水を切ったり、または漁具を伏せて置いて鰻(うなぎ)や鰌(どじょう)などを捕るのであるから、大方そんなものだろうと思うと、その人影は、垣根の隙(すき)から庭の中を一心に覗(のぞ)いていたが、どう思ったか、人丈(ひとたけ)ほどな垣根を乗り越えて、たしかに中へ忍び入ろうとします。しかも穏(おだや)かでないことは、あまり目立たない色の手拭か風呂敷を首に捲いて面をつつんでいることであります。
 竜之助は近寄って、何の雑作(ぞうさ)もなく、いま中へ飛び込もうとする足をグッと持って引っぱると、たあいもなく下へ落ちました。
 落っこちた男は、
「この野郎」
 いきなりに竜之助に武者振りついて来たのを、竜之助は無雑作に取って、田の中へ投げつけた。
 投げつけられても、稲の茂った水田(みずた)の中ですから別に大した怪我(けが)はなく、暫らくもぐもぐとやって、泥だらけになって起き返ると、
「覚えてやがれ」
 田の中を逃げて行きます。
 小盗人(こぬすっと)!
 もとより歯牙(しが)にかくるに足らず、竜之助は邸へ帰った時分には、そんなことは人にも話さなかったくらいですから道で忘れてしまったものと見えます。けれどもこれ以来、忘れられぬ恨(うら)みを懐(いだ)いたのは投げられた方の人であります。
 泥まみれになって自分の家の井戸側へ馳(は)せつけたのは、かの藍玉屋(あいだまや)の金蔵で、ハッハッと息をつきながら、
「口惜(くや)しい! 覚えてやがれ、御陣屋の浪人者!」
 吊(つ)り上げては無性(むしょう)に頭から水を浴びて泥を洗い落して、
「金蔵ではないか、何だ、ざぶざぶと水を被(かぶ)って」
 親爺(おやじ)が不審がるのを返事もせずに居間へ飛び込んで、
「早く着替(きがえ)を出せ、寝巻でよいわ、エエ、床を展(の)べろ、早く」
 さんざんに下女を叱(しか)り飛ばして、寝床へもぐって寝込んでしまいました。
 この藍玉屋は相当の資産家であるから、その一人息子である金蔵が、まさか盗みをするために人の垣根を攀(よ)じたわけでないことはわかっています。竜之助のために蛙を叩きつけられたような目に会い、幸い泥田であったとはいえ、手練(しゅれん)の人に如法(にょほう)に投げられたのですから体(たい)の当りが手強(てごわ)い。
 痛みと、怒りと、口惜しさで、その夜中から金蔵は歯噛(はが)みをなして唸(うな)り立てます。
「覚えてやがれ、このごろ来た御陣屋の痩浪人(やせろうにん)に違いない」
 金蔵の親爺の金六と女房のお民とは非常な子煩悩(こぼんのう)でありました。一人子の病み出したのを気にして枕許(まくらもと)につききり、医者よ薬よと騒いでいましたが、今ようやく寝静まった我が子の面(かお)を、三つ児の寝息でも窺(うかが)うように覗(のぞ)きながら、
「ねえ、あなた、今ではこの子も自暴(やけ)になっているのでございますよ」
「そうだ、そうに違いない。それにしても、あの薬屋の奴は情を知らぬ奴だ」
「ほんとにそうでございますよ、あんな心中の片割れ者なんぞ、誰が見向きもするものか、この子が好いたらしいというからこそ、人を頼んだり、直接(じか)にかけ合ったり、下手(したで)に出ればいい気になって勿体(もったい)をつけてさ、それがためにこの子が焦(じ)れ出して、こんな病気になるのもほんとに無理がありませんよ」
「困ったものだ――」
 子に甘い親二人は、わが子には少しも非難の言葉を出さず、なにか、やっぱり人を怨(うら)んでいるようである。
 これはたあいもないことです。金蔵はお豊を見染めて、それを嫁に貰ってくれねば生きてはいないと、親たちに拗(す)ねて見せる――そうして親をさんざんに骨を折らせたが、思うようにいかない。今夜も、そっと垣根を越えて、お豊のいる離れ座敷まで忍んで行こうとしたところを、竜之助に引き落されて投げられた。
 まことにばかげた話であるけれど、世に怖(おそ)るべきは賢明な人の優良な計画だけではない、執念(しゅうねん)の一つは賢愚不肖(けんぐふしょう)となく、こじれると悪い業(わざ)をします。

         六

 お豊は、月のうち三度は三輪の神杉(かみすぎ)を拝みに行く。
 三輪の大明神には、鳥居と楼門と拝殿だけあって本社というものがない。古典学者に言わせると、万葉集には「神社」と書いて「モリ」と読ませる。建築術のなかった昔にも神道はあった、樹を植えて神を祀(まつ)ったのがすなわち神社である――この故に三輪の神杉には神霊が宿る云々(うんぬん)。
 三諸山(みもろやま)から吹いて来る朝風の涼しさに、勅使殿や切掛杉(きりかけすぎ)にたかっていた鳩(はと)は、濡(しめ)っぽい羽ばたきの音をして、悠々と日当りのよい拝殿の庭へ下りて来て、庭に遊んでいた鶏の群に交(まじ)る。
「お早うございます」
 豆を売る婆(ばあ)さんは、もう店を出して、お豊の来たのに向うから挨拶(あいさつ)をします。
「お早うございます」
 お豊も返事をして、いつもの通り、豆を買って鳩に蒔(ま)いてやります。鳩が豆皿を持ったお豊の手首や肩先に飛び上って、友達気取りに振舞(ふるま)うのも可愛らしい。鶏が遠くから居候(いそうろう)ぶりに出て来て豆を拾う姿も罪がない。
 お豊の面(かお)に、いささかの頬笑(ほおえ)みの影が浮ぶのであります。
 拝殿の前から三輪の御山を拝む。
 御山は春日(かすが)の三笠山と同じような山一つ、樹木がこんもりとして、朝の巒気(らんき)が神々(こうごう)しく立ちこめております。
 若い女の人で三輪大明神を拝みに来る人は、たいてい帰りに、楼門の右の脇(わき)の「門杉(かどすぎ)」に願(がん)をかけて行く。
 三輪の七杉(ななすぎ)のなかの「門杉」の故事は、ここにいえば長い。
我が庵(いほ)は三輪の山もと恋しくば
 ともなひ来ませ杉立てる門(かど)
の歌がそれです。
 お豊は、その門杉には別に願いをかけることもなく、楼門の石段を下りても、その方へは別に足を向けないで、宝永三年、大風のためにその一本を吹き折られた名ばかりの二本杉の方へ参ります。
 一人は死に一人は助かる運命が、ちょうどこの二本杉のようだと思われるお豊には、三輪の七つの神杉のうち、この二本杉ばかりを拝みたい。一つには、この杉に願いをかければ、いったん夫婦の契(ちぎ)りを結んで一方の欠けた人々には、この上なき冥福(めいふく)があるという――かの門杉は縁を結ぶの杉で、この二本杉は縁の切れた杉である。
 一(いつ)は青春の子女に愛せられ、一は寡独(かどく)の人に慕われる。
 吹き折られた杉の傷のあとは、まだ癒(い)えない。そこから辛(かろ)うじて吹き出した芽生えを見ているお豊の面には痛々しい色があります。

         七

 机竜之助も、ふとこの朝、植田の邸を出て、爽(さわ)やかな夏の朝の巒気(らんき)を充分に吸いながら、長者屋敷の方を廻って、何の気もなくこの二本杉のところまで来かかったのでありました。お豊はその足音に気がついて、人目を避けたい身の上ですから、隠れるようにそこを立去ろうとしたが、杉から右の方、二間ばかりのところに、じっと立ち止まって、こちらを見ていた竜之助の面を一目見たが、我知らずまた見直すのでありました。
 二人の面と面とが、まともに向き合わせられた時に、お豊は、
「あの、あなた様は……」
 何かに圧(おさ)えられたように、こう言ってしまいました。
「あ、関の宿(しゅく)でお見受け申した……」
 竜之助は、お豊の姿からちっとも眼をはなさずに、ずっと近寄って来ます。
「はい、あの節は難儀をお助け下さいまして」
「ああ、そうであったか、実はどこぞでお見かけ申したようじゃと、さいぜんからここで考えておりました」
「存じませぬこと故、甚だ失礼致しました」
「いや、拙者こそ……」
 竜之助は、いつもの通り感情の動かない顔で、
「しかし、そなた様をこの世でお見かけ申そうとは思わなかった」
「え……」
「あの若い、おつれの方(かた)はどうしました」
 お豊は露出(むきだし)にこう言いかけられて面が真紅(まっか)になります。わが隠し事を腸(はらわた)まで見透かされた狼狽(ろうばい)から、俯向(うつむ)いてしまってにわかには言葉も出ない、足も立ちすくんでしまった様子であります。
「まことに、お恥かしゅうございます。それではあなた様には、何もかも」
「いや、何もいっこう知りませぬが、そなた様だけはこの世にない人と思っておりました」
「生きて生(い)き甲斐(がい)のない身でございます、お察し下さいませ」
 お豊は、ハラハラと涙をこぼして言葉もつまってしまったのであります。
 それを気の毒と見たか、哀れと思ったか竜之助は、
「縁あらば詳(くわ)しいお身の上を聞きもし語りもしましょう。して、そなた様は今どこにおられます」
「はい、この土地の薬屋と申す旅籠屋(はたごや)が伯父に当りまして」
「はあ、薬屋……拙者はこの植田丹後守の邸におります」
 そのまま竜之助はサッサと楼門の方をさして通り過ぎてしまいました。
 お豊は思いがけぬところで、思いがけない人に会い、思いがけない言葉を浴びせられて、しばらくなんだか夢中になってしまいました。
 何という素気(そっけ)ない人であろう! 気がついて見ると竜之助は、第二の石段をカタリカタリと下駄の音をさせながら、わき目もふらず祓殿(はらいでん)の方へと下りて行きます。

         八

 関の宿で悪い駕籠屋(かごや)に苦しめられたのを見兼ねて追い払ってくれた旅の武士(さむらい)はあの人であった。あれだけの縁であると思ったらば、ここでめぐりあったあの武士が何もかもいちいち自分の身の上を知っているようである。
 関の地蔵に近い宿屋に、真三郎と一夜を泣き明かして、さて亀山の実家へは帰れず、京都へ行くつもりで、鈴鹿峠を越えて、大津の宿屋まで来ると、もう行詰まって二人は死ぬ気になった。遺書(かきおき)を書いて、二人の身を、三井寺に近い琵琶湖の淵(ふち)へ投げたが、倉屋敷の船頭に見出されて――男をひとり常久(とわ)の闇に送って自分だけ霊魂を呼び返される。今となっては、死ぬにも死ねず、この生きたぬけがらを、昔の人に遇わせることが、あまりといえば浅ましい。お豊は、しばらく立去り兼ねて涙を押えていましたが、
「お豊さん、お豊さん」
 二本杉の後ろに声がある。
「はい――」
 お豊は驚いて涙をかくすと、藍玉屋(あいだまや)の金蔵が、いつ隠れていたか杉の蔭からそこへ出ています。
「何か御用でございますか」
「あの、お豊さん、この間わたしが上げた手紙を御覧なすったか」
「いいえ」
「見ない? 御覧なさらない?」
 金蔵の様子が、なんともいえず気味が悪いので、
「あの、今日は急ぎますから」
「まあ、お待ちなさい」
 金蔵は、お豊の袖を抑(おさ)えて、
「その前の手紙は……」
「存じませぬ」
「その前のは……」
「どうぞ、お放し下さい」
「では、あれほどわたしから上げた文(ふみ)を、あなたは一度もごらんなさらないか」
「はい、どうぞ御免下さい」
 袂(たもと)を振り切って行こうとする時に、金蔵の面(かお)が凄(すご)いほど険(けわ)しくなっていたのに、お豊はぞっとして声を立てようとしたくらいでしたが、
「わたしは、日蔭者の身でございますから、御冗談(ごじょうだん)をあそばしてはいけませぬ」
 お豊は、丁寧に詫(わ)びをして放してもらおうとすると、金蔵は蛇がからみつくように、
「お豊さん、お前は、今ここで何をしていた、あの武士(さむらい)は御陣屋の居候(いそうろう)じゃ、それとお前は、ここで出会うて不義をしていたな」
「まあ――何を」
「そうじゃ、そうじゃ、それに違いない、お前は浪人者と不義をして神杉を汚(けが)したと、わたしはこれから触れて歩く」
 金蔵はわざと大きな声で呼び立てます。お豊は力いっぱい振り切って逃げ出すと、追いかけもしないで金蔵は、
「覚えていろ」

         九

「お豊や」
 伯父に当る薬屋源太郎は、お豊を自分の前へ呼び寄せて、
「困ったことが出来たで。お前も承知だろう、あの藍玉屋の金蔵という遊蕩息子(どうらくむすこ)じゃ」
「はい」
 金蔵に弱らせられているのは、お豊ばかりではなく、伯父夫婦も、あの執念深(しゅうねんぶか)い馬鹿息子には困り切っているのであります。
「このごろは、まるで気狂いの沙汰じゃ、なんでもひどくわしを恨んで、ここの家へ火をつけるとか言うているそうじゃ」
「まあ、火をつける――どうも伯父様、わたしゆえに重ね重ね御心配をかけまして、なんとも申し上げようがござりませぬ」
「ナニ、心配することはない、たかの知れた馬鹿息子の言い草じゃ。しかし、ああいうやつが逆上(のぼせあが)ると、どういうことをしでかすまいものでもない、まあ用心に如(し)くはなしと思うて、わしはよいことを考えた」
「はい」
「それはな、しばらくお前をここの家から離しておくのじゃ。というて滅多(めった)なところへは預けられないから、わしもいろいろ考えた上に、とうとう考え当てたよ」
「伯父様、わたしは、もうこのうえ他所(よそ)へ行きとうござりませぬ、わたしのようなものはいっそ、ここで死んでしまった方が、身のためでございます、皆様のおためでございます」
 お豊が死にたいというのは口先ばかりではないのです。死ねば、親にも親戚にも、この上の恥と迷惑をかけねばならぬことを思えばこそ味気(あじき)なく生きながらえているので、ほんとうに自分も死んだ方がよし、人のためにもなるであろうと、いつでも覚悟は出来ているくらいなのですが、伯父は、そんなには見ていないので、
「いや、お前などは、まだこれからが花じゃ。ナニ、お前の前だが、若いうちの失敗(しくじり)は誰もあることじゃ、そのうちには自分も忘れ、世間も忘れる、その頃合(ころあ)いを見計らって、わしはお前をつれて亀山へ行き、詫(わ)び言(ごと)をして、めでたく元へ納めるつもりだ、暫らくの辛抱だよ」
 伯父はひとりで力を入れて嬉しがっているようでしたが、
「その、お前を暫らく預けておこうとわしが考え当てたのは、なんの、手もないこと、ついこの先のお陣屋じゃ。植田丹後守様とて受領(ずりょう)まである歴々の御社家、あの御主人はなかなか豪(えら)いお方で、奥様も親切なお方、あのお邸へお願い申しておけば大盤石(だいばんじゃく)。それでわしは今、御陣屋へお願いに上ったところ、御先生も奥様も早速(さっそく)御承知じゃ。御陣屋の後立(うしろだ)て、丹後守様のお眼の光るところには、この界隈(かいわい)で草木も靡(なび)く、あんな馬鹿息子の指さしもなることではない」
 お豊はこれを聞いて、かの二本杉であった机竜之助が、同じくその植田丹後守の邸にいるということを思い出して、その面影(おもかげ)がここに浮んで来ました。

         十

 今宵(こよい)は三輪大明神に「一夜酒(ひとよざけ)の祭」というのがあります。
 丹後守の家では二三の人が残ったきりで、あとは皆、昼からの引続いての神楽(かぐら)と、今年は蛍(ほたる)を集めて来て階段の下から放つという催しを見に行ってしまっています。
 その残ったなかの男の一人は、机竜之助で、もう一人は久助という年古く仕えた下男であります。
 竜之助は縁端(えんばな)へ出て、久助がさきほど焚(た)きつけてくれた蚊遣火(かやりび)の煙を見ながら、これも先刻、久助が持って来てくれた三輪の酒を、チビリチビリと飲んでいました。
 いつでも寝られるようにと、久助は蚊帳の一端を吊(つ)りっぱなしにしておいて、蒲団(ふとん)なども出しておきました。籠行燈(かごあんどん)の光がぼんやりとしているところで、竜之助は盃をあげながら、
「なるほど、この酒は飲める、処柄(ところがら)だけに味が上品である」
と独言(ひとりごと)を言います。
 三輪の酒は人皇(にんのう)以前からの名物である。ここにまた古典学者の言うところを聞くと、
「ミワ」は、もと酒を盛る器(うつわ)の名であった、太古、三輪の神霊はことに酒を好んで、その醸造の秘術をこの土地の人に授けたという。また一説には「ミワ」は「水曲(みわ)」である、初瀬川の水がここで迂廻(うかい)するところから、この山にミワの山と名をつけた、それが社の名となり、社を祭る酒の器の名となった、土地の名になったのはその後であると――かの万葉に謡(うた)われし、
うま酒を三輪の祝(はふり)のいはふ杉
 てふりし罪か君にあひがたき
とある――また古事記の祭神の子が活玉依姫(いくたまよりひめ)に通(かよ)ったとある――甘美にして古雅な味が古くから湛(たた)えられているということは、三輪のうま酒の誇りであった。
 竜之助は、そんな考えで飲んでいるのではない、舌ざわりの、とろりとして、含んでいるうちに珠玉(たま)の溶けてゆくような気持を喜んで、一杯、一杯と傾けている――蚊遣火(かやりび)の烟(けむり)が前栽(せんざい)から横に靡(なび)き、縦に上るのを、じっと見ている様子は、なんのことはない、蚊遣火を肴(さかな)にしているようなものです。
「誰か湯に入っているな、お早どのかな」
 湯殿で湯の音がする。廊下をずっと突き当ると、鍵(かぎ)の手(て)に廻ったところに物置と背中合せに湯殿がある、それは女たちの入る湯殿である。いつも、こんな時には留守居役の老女中、お早婆さんが、居睡(いねむ)り半分、仕舞湯(しまいゆ)に浸(つか)っているはずである。
「ウム、太鼓の音がするな、里神楽(さとかぐら)の太鼓――子供の時には、あの音にどのくらい心を躍(おど)らせたことであろう」
 笛と太鼓の音は、すぐ前の竹藪(たけやぶ)にひびいて遠音(とおね)ながら手にとるようです。竜之助は、それから沈吟して、盃をふくんでいると、庭先を向うの椿(つばき)の大樹の下から、白地の浴衣(ゆかた)がけで、ちらと姿を見せたものがあります。
「婆さんか」
 竜之助は見咎(みとが)めて呼んでみますと、
「いいえ、わたくしでございます」
「ああ、あの、お豊どのか」
「はい」
 お豊は、この家に預けられています。竜之助はそのことを知っていた。お互いに同じ家に来(きた)り合せたことをその時から知ってはいたが、今日で五日ほど、人の手前を憚(はばか)ってまだ親しくは面(かお)も合せず口も利かずにいた。
「そなた様もお留守居でござったか、まあ、ここへお掛けなされ」
 竜之助は、自分の持っていた団扇(うちわ)で縁の一端を押えます。
「有難う存じます、こんな失礼な容姿(なり)で……」
 いま湯の音を立てていたのは、この女であった。湯あがりに、ちょっと身じまいをして、寛(くつろ)いだ浴衣がけの姿に気を置いて、少し落着かぬように、まだ縁へは腰を下ろさないで、団扇を片手で綾(あや)なしながら、ちょっと蚊遣火の方に眼をそむけた横顔を、竜之助はちらと見て、むらむらと過ぎにし恋の古傷に痛みを覚えるのでありましたが、すぐにいつもの通り蒼白(あおじろ)い色を行燈(あんどん)の光にそむけます。
「あなた様も、お留守居でございましたか。先日はどうも……」
「あれから、なんとなく、まだ話し残しがあるような。ほかに御用向がなければ……暫(しば)しそれへおかけなさい」
「はい、有難う存じます。こちら様へ上りましてから、まだ御挨拶も申し上げませぬ、済みませぬと思いましても、つい人目がありますので……」
 お豊は、竜之助に向って何か言ってみたいようでもあるし、言い淀(よど)んでいるようでもあります。
「実は拙者も……」
 竜之助は取ってつけたように、こう言って、またお豊の横顔を見ながらしばらく黙っていましたが、
「拙者には兄弟はないが、どうやら死んだ家内にでも会うような……そなた様を見てから、そんな気分も致すのじゃ――これはあまり無躾(ぶしつけ)ながら、不思議なめぐり会いが、ただごとでないように思う」
「何かの御縁でございましょう。あの、あなた様にはそのうち関東の方へお立ちと聞きましたが、それはほんとうでございますか」
「うむ、拙者の身の上も……いろいろに変るので。どうやらこのごろでは、この土地に居つきたい心地(ここち)もする、当家の御主人があまりに徳人(とくじん)で、父に会うたように慕わしくも思われるから。しかし、そのうち立たねばなりませぬ」
「さだめし、お国では奥様やお子供様がお待ち兼ねでございましょう」
「いや、拙者に女房はない、もとはあったが今はない、子供は一人ある――父親も一人」
 カラカラと冴(さ)えた神楽太鼓(かぐらだいこ)の音が、この時、竜之助の腸(はらわた)に沁(し)みて、団扇(うちわ)を取り上げた手がブルブルとしびれるように感じます。
 どうかすると、世間には竜之助のような男を死ぬほど好く女があります――好かれる方も気がつかず、好く方もどこがよいかわからないうちに、ふいと離れられないものになってしまう。
「女房はない、もとはあったが今はない、子供は一人ある――父親も一人」
と言って俯向(うつむ)いた竜之助の姿を、お豊はなんともいえぬほど物哀れに感じたのであります。さてはこの人も自分と同じく、つれなき世上の波に揉(も)まれ行く身であるよ。
「それはまあ、おかわいそうに。そのお子さんはさぞ会いたくていらっしゃるでしょうに」
「左様、年のゆかない子供の身の上というものは、どこにいても思いやられるでな」
「左様でございますとも。せめてお母さんでもおありなさることならば、いくらか御心配も薄うございましょうが、お一人だけでは……」
「ナニ、親はなくとも子は育つというから、まあ深くは心配せぬけれども、道を歩いても、その年ぐらいの子供を見かけると、ついどうも思い出される、ハハ」
 竜之助は淋しく笑う。
「ほんとに御心配でございましょう。そのお子さんはおいくつ……男のお子さんでございますか」
「数え年で四つ、左様、男の子じゃ」
「お母さんもさだめて、草葉(くさば)の蔭とやらで、お心残りでございましょう。御病気でおなくなりになったのでございますか」
「病気ではない、自分の我儘(わがまま)から死んだのじゃ」
「我儘から……」
 お豊は竜之助の荒切(あらぎ)りにして投げ出すような返答で、取りつき場のないように、言いかけた言葉を噤(つぐ)んでいると、
「いや、そんな愚痴(ぐち)は聞いても話しても由(よし)ないことじゃ」
 竜之助は、団扇をとってその墨絵をじっと見つめている。
 曾(かつ)て、島原の角屋(すみや)で、お松が竜之助の傍に引きつけられているうちに、その身辺からものすごい雲がむらむらと湧き立つように見えて、ゾクゾクと居ても立ってもいられないほど怖(こわ)くなったことがあります。今、幽霊も遊びに出ようとする夏の夕べを背景に、蒼白い沈んだ面の竜之助を、お豊がこちらから見る時に、この人の身のまわりには、やはり何かついて廻っているものがある。
 大気がにわかに蒸してきた。さっきから飲んでいた三輪のうま酒の酔いがこの時に発したのか、竜之助は、ふいと面を上げると、蒼白い面の眼のふちだけに、ホンノリと桜が浮いている。
「お豊どの、そなたは酒を上らぬか、三輪の酒はよい酒じゃ」
「いいえ、わたしはいけませぬが、お酌(しゃく)ならば……」
 お豊も自ら怪しむほどに言葉が砕けてきた。
 蒸してきた空気のために、太鼓の音も泥をかき廻すようで、竜之助もお豊も何かの力で強く押されているようです。
 そうは言ったけれど、竜之助は再び酒杯(さかずき)を手に取ろうとはせず。
 お豊は、こころもち膝をこちらに向けるようにして、二人は、やはり蒸し暑い空気に抑(おさ)えられてだまっていると、蚊遣火の煙は、その間に立ち迷うて見えます。
「お豊どの、そなたも遠からず伊勢へ帰られるそうな」
「どうなりますことやら」
「さてさて世間には、身の始末に困った人が多いことじゃ」
 竜之助は、このとき少しく笑う。
「生きている間は故郷へは帰るまいと思います、帰られた義理ではありませぬ」
「なるほど……」
「伯父は遠からず連れて帰ると申しますけれど、わたしは帰らぬつもりでございます」
「して、永くこの地に留まるお考えか」
「いいえ」
「では、どこへ」
「あの、私はいっそ、生きているならばお江戸へ行って暮らしたいと思いまする」
「江戸へ――」
「はい、江戸には叔母に当る人もあるのでございますから、それを頼(たよ)って、あちらで暮らしてみたいと思っておりまする」
「うむ、江戸で暮らす――それもまた思いつきじゃ」
「それにつきまして、あなた様には……関東へお立ちの時に……」
 お豊は、ここまで来て言い淀(よど)んだようでしたが、思い切った風情(ふぜい)で、
「突然にこんなことを申し上げてはさだめし鉄面(あつかま)しいやつとおさげすみでもござりましょうが、あなた様が関東へお下りの節……できますことならば」
「…………」
「あの、御一緒にお伴(とも)をさせていただきとう存じます」
「一緒につれて行けと申されるか」
 お豊を失望させるほど冷やかに、竜之助は呑込んだともつかず、いやとも言い出さず、やがて、
「それもよかろう、強(し)いてお止めは致さぬ」
 やっとこう言い出して、少し間(ま)を置き、
「が、そなたが江戸へ行くことは、伯父上は勿論(もちろん)のこと、ここの先生も、またそなたの御実家もみな不同意でござろうな」
「それはそうでございますけれど……もし故郷へ送り返されるようなことになりますれば、生きてはおられませぬ」
「ふむ――」
 竜之助は団扇(うちわ)を下に置いて腕を組んでみましたが、よく生命(いのち)を粗末にしたがる女よと言わぬばかりの態度にも見えましたが、また極めて真剣に何か考えているようにも見えます。
 そうして、しばらくつぶっていた眼をパッと開いて、
「よろしい、生命がけの覚悟ならば……」
 この時、表の方で人の足音がやかましい。祭りに行っていた家の連中が帰って来たものと思われる。

         十一

 その翌朝のこと、藍玉屋(あいだまや)の金蔵は朝飯も食わずフラリと自分の家を飛び出しました。
「金さん、金蔵さん」
 長者屋敷のところで、横合いから、火縄銃(ひなわづつ)を担(かつ)いで犬をつれた猟師体(てい)の男が名を呼びかけたのをも気がつかず通り過ぎようとすると、猟師は近寄って来て、金蔵の肩に後ろから手をかけ、
「どうした、金蔵さん」
「やあ、惣太(そうた)さん」
「何だい、えらく悄気(しょげ)てるな」
「ああ、少し病気だよ」
「大事にしなくちゃいけねえよ」
「だから保養に、ここらを歩いているのだ、どうも頭の具合が面白くないからね」
「それでは金蔵さん、今日は一日、俺と高円山(たかまどやま)の方へ行かねえか、山をかけ廻ると気の保養になるぜ」
「そんな元気があるくらいなら、こうしてぶらぶらしてはいないよ、ああつまらない」
「困るな。では俺が近いうち、猪(しし)の肉を切って行くから、一杯飲んで気晴らしをしよう」
「うん」
「まあ、大事にするがいい」
 この猟師は惣太といって、岩坂というところに住み、兎、鹿、猿、狐などの獣を捕っては生業(なりわい)を立てている。ことに猪を追い出すのが上手(じょうず)で評判をとっている。女房もあって子供も三人ほどあるのに、酒が好きで、女房子を食うや食わずに置いては、自分は獲物の売上げで酒を飲んで帰ってくる。金蔵とは飲み友達で、金蔵はよくこの男に奢(おご)ってやったり、狐の皮なんぞを売りつけられたりしていました。今、二三間行き過ぎた惣太は、何事をか思い出したように引返して来て、
「金蔵さん、金蔵さん」
「何だえ」
「ホントに済まないがねえ」
「うん」
「二分ばかり貸してもらいてえ。高円山へ追い込んだ猪が明日の朝までには物になるんだ、そうすれば直ぐだ、直ぐ返すから」
「またかい」
「ナニ、今度はたしかだよ。どうも金蔵さん、女房が干物(ひもの)になる騒ぎだからな」
「貸して上げてもいいがね」
「そうして下さいよ、拝みまさあ。お前さんなんぞは何不自由のない一人息子だから、二分ぐらいは何でもあるまいが、こちとらの身にとると、その二分が親子五人の命(いのち)の種(たね)になるんだから」
「では、二分」
 金蔵は懐ろから財布(さいふ)を取り出して二分の金をつまみ、惣太の出した大きな掌(てのひら)に載せてやりました。
「有難え、ありがてえ」
 惣太はおしいただいて、また少し行くと、今度はその後ろ影を見ていた金蔵が何か思い出したように、
「惣太さん――」
「何だい」
「お前、鉄砲を持ってるね」
「猟師に鉄砲を持ってるねと念を押すのもおかしなものだね、この通り持ってるよ」
「その鉄砲というやつは、素人(しろうと)にも撃てるものかい」
「そりゃ、撃てねえという限りはねえが」
「どのくらい稽古したら覘(ねら)いがつくんだい」

 何を考えたものか金蔵は、それから毎日のように岩坂の惣太が家へ鉄砲の稽古に出かけます。
 惣太の鉄砲を借りては的(まと)を立てて、しきりにやっているので、少しずつは物になります。今日は三発とも的に当てたので、得意になって、四発目に裏山の樅(もみ)の枝にたかっていた鴉(からす)に覘いを定めて切って放つと見事に失敗(しくじ)って、鴉は唖々(ああ)とも言わず枝をはなれてしまったから、
「駄目駄目」
 惣太は傍から、ニヤリニヤリと笑い、
「生き物は、まだ早い」
「それでも鴉ぐらい」
 金蔵は口惜(くや)しそうです。
「鴉ぐらいがいけない、鴉ほど打ちにくい鳥はないのだ、鴉が打てたら、鉄砲は玄人(くろうと)だよ」
「そうかなあ。いったい、鳥では何が打ちよいのじゃ」
「そうさ、お前さんの打ちよいのはそこにいる」
「ばかにしている、あれは鶏じゃないか、雉子(きじ)か山鳩あたりをひとつ、やってみたいな」
「雉子(きじ)をひとつ、やってごらんなさい、二三日うちに山へつれて行って上げます」
「雉子が打てれば占めたものだ、それから兎、狸、狐、猪、熊――」
「そうなると、こちとらが飯の食い上げだ。しかしこの間、曾爾(そに)の山奥では、猪と間違えて人を打った奴があるそうだ。金さん、お前もそんなことになるといけねえから、わしの見ぬところで煙硝(えんしょう)いじりは御免だよ」
「猪と間違えて人を撃つのは勘平(かんぺい)みたようなものだが、惣太さん、人を撃つのはよっぽどむつかしいものかい」
「俺も永年、猟師をやっているが、まだ人間を撃ったことはねえ……」

         十二

 夜も四ツに近い頃、三輪明神の境内には、もはや涼みの人もまれになった時分、「おだまき杉」の下に、一つの黒い人影があります。
 手に持っていた小さい徳利(とくり)を下に置いて、鑿(のみ)のようなもので、しきりに杉の根方(ねかた)を突っついていました。いいかげんに突っついてみてから、その徳利を穴へあてがってみて、また突っつき直します。杉の根方は、盤屈(ばんくつ)して或いは蛇のように走り、或いは蟇(がま)のような穴になっている、その間を程よくとり拡げて、徳利を納めるために他目(わきめ)もふらず突っついていましたが、ふいと、また一つの物影が、地蔵堂の方からゆっくりと歩んで来て、この「おだまき杉」近くまでやって来たのにも気がつかないようです。このゆっくりと歩んで来たというのは、誰であるか直ぐにわかる。それは、寝る前に必ずひとたびは、明神の境内をめぐって歩く植田丹後守であります。
 丹後守は、いま「おだまき杉」の近くへ来て、ふと、根方を突っついている忍びの人影を見つけたので歩みを止めて、何者が何をするかと、しばらく闇の中から、立って見ていました。
 丹後守の歩き方は、まことに静かで、草履(ぞうり)をふんで歩く時は、歩く時も、止まる時も、さして変りのないほどでしたから、根方の人は少しも気がつきません。
 しばらく見ていたが、つかつかと丹後守は近寄って、
「金蔵ではないか」
「はい――」
 物影は非常なる驚きで、バネのように飛び上ったのでしたが、わなわなと慄(ふる)えて逃げる気力もないもののように見えます。
「何をしている」
 丹後守は、押して穏かに問う。
「へえ……へえ」
「それは何じゃ」
 人影が藍玉屋の金蔵であることは申すまでもありません。
 丹後守に指さされたのは金蔵が、幾度も穴へ入れたり出したりしてみた、かの徳利でありました。
「へえ……これは……」
「これへ出して見せろ」
「へえ、これでございますか……これは」
 金蔵はおそるおそる徳利を取って、丹後守の前へ捧げます。丹後守は、手に取り上げて見ると徳利のように見えても徳利ではありません。長さおよそ一尺ぐらい、酒ならば一升五合も入るべき黒塗り革製の弾薬入れであります。
「金蔵、これはお前のか」
「はい……」
「お前は、鉄砲を持っているか」
「いえ……人から借りました」
「借りた――飛び道具は危ないものだぞ、これはわしが預かる」
「へえ……」
「もう、あるまいな、まだこんな物が家にあるか」
「もう、ありませぬ」
「よし」
 丹後守は弾薬入れを取り上げて、小言(こごと)も何も言わずに行ってしまいます。
 この附近では丹後守に会っては、「左様でございます」というか、「左様ではございませぬ」というか、二つの返事のほかは、あまり物を言えないことになっています。丹後守が少しも強圧を用いるわけではないが、自然そんな具合になっていました。
 ああ、悪い人に悪い物を見つかった。
 さすがの金蔵も、慄(ふる)え上って、身を支えることもできないで、松の幹へしがみついてしまいました。
 金蔵は猟師の惣太の手から、旧式の種子(たね)ヶ島(しま)を一挺(ちょう)、手に入れて、その弾薬は滅多(めった)な家へは置けないから、ここへ隠しに来たものです。町人が鉄砲を持つことは禁制であります。これが表向きに現われる時は、打首(うちくび)か追放か、我が身はおろか、一家中にまで……こんなところへ弾薬を隠しに来るほどの考えなしでも、その罪科の容易ならぬことは弁(わきま)えているものと見えます。
 証拠物件は押収(おうしゅう)されてしまった――
「ああ、首を斬られる! 今夜にも俺は縛られて打首になるのだ!」
 金蔵は恐怖極(きわ)まって地団太(じだんだ)を踏んでみました。
 いつぞや、あの初瀬河原(はつせがわら)で盗人が斬られて曝(さら)されたことがある。俺は面白半分に見て来てたが、斬られたあとの首から、ドクドクと血が湧き返るのを見てから当分飯がまずかった、俺も明日はあんなになるのだ――ああどうしよう、どうしよう。
 無知な者は、罪を犯(おか)す時まではそんなに大それたことと思わないでいて、犯した時に至って初めて、その罪の大きかったのに仰天(ぎょうてん)する。金蔵は、いちずに何をか怨(うら)み恨(うら)んで鉄砲を習い出したが、今が今、その企(くわだ)ての怖(おそ)ろしさに我と慄えてしまったのです。
「どうしよう、どうしよう」
 そこで一人で踊り廻っているのでしたが、こういう人間は、いいかげん怖れてしまうと、あとは自暴(やけ)になります。
「どうなるものか、お豊を隠したのは、あの丹後守だ、おれの鉄砲を知っているのも、あの丹後守だ、みんなやっつけちまえ、どのみち、おれの命はないものだ」
 金蔵は横飛びに飛んで自分の家へ馳(は)せ帰りましたが、その晩のうちに親爺(おやじ)の金を一風呂敷と、自分が秘蔵の鉄砲を一挺持って、どことも知れず逃げ出してしまいました。
 翌朝になって、金六夫婦の驚きは一方(ひとかた)でない、近所組合の人も総出で騒いだが、結局、金蔵の行方は更にわかりません。
 丹後守はかの弾薬のことについては、何も言わず。ホッと胸を撫(な)で下ろしたのは薬屋源太郎はじめ、お豊らでありましたが、あんな奴だからまた何をしでかすまいものでもない――安心したような、まだ心配が残っているような……それでも金蔵がいなくなったので、ひとまず胸を撫で下ろしました。

 金蔵がいなくなってみれば、お豊が植田の邸に預けられる必要はなくなった。
 お豊が再び薬屋へ帰った時には、暗い心に薄い光がさしていた。
 竜之助は、ものの五町とは離れぬところへお豊が帰ったその晩は、どうも寝られない淋しさを感じた。
 さて、お豊は薬屋へ帰っていくらもたたないうちに、伯父の源太郎に向って、亀山へ帰りたいからと言い出しました。
 今まで死んでも帰らぬと言い張った故郷へ、今日は我から帰りたいと言い出したことを、伯父は思いがけなく驚いたくらいでしたけれど、当人にその心の起ったことは非常な喜びで、
「それでは、わしが送って行って詫(わ)びをして上げる」
 大急ぎで旅立ちの用意をはじめました。これとほとんど時を同じゅうして机竜之助は、植田丹後守にいろいろと高恩の礼を述べて、これも関東へ発足の日取りをきめました。
 出立の前の日、薬屋源太郎が丹後守へ挨拶に出て、
「あれも、お蔭をもちまして、明日、故郷へ送り返すことに致しましたから……」
 一通りの暇乞いの話を聞いた植田丹後守が、
「わしがところにおる吉田竜太郎と申される御仁(ごじん)が、これも近いうち関東へ立つ、次第によりて同行を願うてみたら――」

         十三

 式上郡から宇陀郡へ越ゆるところを西峠という。西峠の北は赤瀬の大和富士(やまとふじ)まで蓬々(ぼうぼう)たる野原で、古歌に謡(うた)われた「小野の榛原(はいばら)」はここであります。
 西峠は一名を「墨坂」という、「墨坂」の名は古代史に著(あら)わる。「鳥立(とだち)たづぬる宇陀(うだ)の御狩場(みかりば)」というのは宇陀の松山からかけて榛原より西峠、山辺郡に至るあたりを言うたものらしい。
 古(いにし)えの「禁野(きんや)」、推古の朝(ちょう)の薬狩(くすりがり)のところ、そこを伊勢路へかかって東海道へ出る道と、長瀬越えをして伊賀へ行く路とが貫いて通っております。
 日中は暑さを厭(いと)い、今朝の暗いうちに馬を仕立てて、三輪を立った薬屋源太郎とお豊とは少し先に、竜之助は二人の馬から十間ほど離れて、これもやはり馬で、この西峠を越したのでありましたが、小野の榛原には、青すすきが多く、大きな松や樅(もみ)が並木をなして生えています。
 仰いで見ると四方に山が重なって、遠くして高きは真白な雲をかぶり、近くして嶮(けわ)しきは行手に立ちはだかって、人を襲うもののように見られます。
 峠の上には雲雀(ひばり)が舞い、木立の中では鶯(うぐいす)が、気味の悪いほど長い息で鳴いている。そして木の下萌(したもえ)は露に重く、馬の草鞋(わらじ)はびっしょりと濡れる。
 竜之助は、またも旅人(りょじん)の心になりました。
 三輪で暮らした一月半は、再びは得らるまじき平和なものでありました。竜之助の生涯に、人の情けをしみじみと感じたのは、おそらく前にも後にもこの時ばかりでありましょう。
 大和の国には神(かん)ながらの空気が漂うている、天に向うて立つ山には建国の気象があり、地を潤(うる)おして流れる川には泰平の響きがある。
 竜之助は、西峠の上に立った時は遥かに三輪の里を顧みて、
「さらばよ」
と声を呑んだのでありましたが、今、さきに行くお豊の馬上の姿を見ると、そこに縹渺(ひょうびょう)として、また人の香(にお)いのときめくを感ずるのであります。

 ちょうど西峠と榛原の間まで来た時に、向うからただ一人、旅の者がこちらを向いて足早に歩いて来ます。
 細い道でしたから、並木の方へ寄って、源太郎とお豊の馬をも避けたように、竜之助の馬をも避けて、通りすがりに旅の人は、ふと笠の中から竜之助を見て、棒のように立ってしまいました。

 この時、林の茂みと小土手の間に二人の猟師が身を隠して、何か獲物(えもの)を覘(ねら)っているような様子を誰も気がつきませんでした。この一人は誰とも知れず、ギョッとするほど人相の悪い男で、ほかの一人は金蔵であります。
 人相の悪い方は、
「金蔵、慄(ふる)えてるな」
「ナニ、大丈夫だ」
 大丈夫だと言ってみたが争われぬ、金蔵は五体がブルブル慄えて物を言うと歯の根が合いません。
「度胸(どきょう)定(さだ)めに、それ、あっちから旅人が来る、あいつをひとつやっつけてみろ」
 人相の悪いのが、ふと木の葉の繁みから街道の遠くを見ると、ただ一人、この小野の榛原(はいばら)を東から歩み来る旅人があります。
「ドレドレ」
「それ、覘(ねら)いをつけてみろ」
「うむ」
 金蔵は鉄砲を取り直して構えてみたが、支え切れないと見えて、小土手へ銃身を置いて、目当(めあて)と巣口(すぐち)を真直ぐに、向うから来る旅人に向けてみましたが、
「やあ、速い、速い、恐ろしく足の早い奴だよ」
 なるほど、向うから来る旅人の足の速力は驚くべきものです。土手へ鉄砲を置いた時に弥次郎兵衛ほどに小さかった姿が、巣口を向けた時は五月人形ほどになり、速い、速いと驚いた時は、もう眼の前へ人間並みの姿で現われています。
「まるで、飛んで来るようだ、こりゃ天狗(てんぐ)だ、魔物だ」
 さすがの二人が呆気(あっけ)にとられているうちに、眼の前を過ぎ去って、並木の彼方(かなた)へ見えなくなってしまいます。
「驚いたなあ! 足の早い奴もあればあるものだ」
 人相の悪いのが苦笑(にがわら)いをする。
 しばらく無言で、二人は旅人が過ぎ去った方の路を、やはり木の葉の繁みから一心に見つめていたが、
「それ、来たぞ!」
「やあ、やあ」
 金蔵は声と共に胴震(どうぶる)いをはじめました。人相の悪いのは平気なもので、
「いいかい、金蔵、よく度胸を落着けろ、それ、前の奴が親爺(おやじ)で、後のが女だ、オヤオヤ、武士(さむらい)の見えぬのはおかしいぞ、とにかく、前の親爺をドンと一つ、いいか、あとはおれが引受ける」
 申すまでもなく、二人が覘(ねら)う当(とう)の的先(まとさき)を通りかかる前のは薬屋源太郎で、後のはお豊であります。
 机竜之助は、どうしたか、まだ姿を見せない。そうだ、さっき通りかかった、あの足の早い旅人と行違いになって、何か間違いでも出来はしないか。

 まるきり執念(しゅうねん)のない者と、どこまでも執念の深い者は、どちらも始末に困ります。
 金蔵の執念は、とうとうここまで来てしまった。慄えながら鉄砲の覘いをつけているところを見ればおかしくもあるが、面(かお)の色を真蒼(まっさお)にして命がけの念力を現わしているところを見れば、すさまじくもあります。
「モット落着いて……馬の腹を覘え、馬の腹と人の太股(ふともも)を打ち貫(ぬ)く気組みで……まだまだ、ズット近くへ来た時でいい」
 傍で力をつけている人相の悪い猟師は、最初に金蔵に鉄砲を教えた惣太とは違います。
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