大菩薩峠
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著者名:中里介山 

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この小説「大菩薩峠」全篇の主意とする処は、人間界の諸相を曲尽(きょくじん)して、大乗遊戯(だいじょうゆげ)の境に参入するカルマ曼陀羅(まんだら)の面影を大凡下(だいぼんげ)の筆にうつし見んとするにあり。この着想前古に無きものなれば、その画面絶後の輪郭を要すること是非無かるべきなり。読者、一染(いっせん)の好憎に執し給うこと勿れ。至嘱(ししょく)。著者謹言

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         一

 大菩薩峠(だいぼさつとうげ)は江戸を西に距(さ)る三十里、甲州裏街道が甲斐国(かいのくに)東山梨郡萩原(はぎわら)村に入って、その最も高く最も険(けわ)しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。
 標高六千四百尺、昔、貴き聖(ひじり)が、この嶺(みね)の頂(いただき)に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋(う)めて置いた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹(ふえふき)川となり、いずれも流れの末永く人を湿(うる)おし田を実(みの)らすと申し伝えられてあります。
 江戸を出て、武州八王子の宿(しゅく)から小仏、笹子の険を越えて甲府へ出る、それがいわゆる甲州街道で、一方に新宿の追分(おいわけ)を右にとって往(ゆ)くこと十三里、武州青梅(おうめ)の宿へ出て、それから山の中を甲斐の石和(いさわ)へ出る、これがいわゆる甲州裏街道(一名は青梅街道)であります。
 青梅から十六里、その甲州裏街道第一の難所たる大菩薩峠は、記録によれば、古代に日本武尊(やまとたけるのみこと)、中世に日蓮上人の遊跡(ゆうせき)があり、降(くだ)って慶応の頃、海老蔵(えびぞう)、小団次(こだんじ)などの役者が甲府へ乗り込む時、本街道の郡内(ぐんない)あたりは人気が悪く、ゆすられることを怖(おそ)れてワザワザこの峠へ廻ったということです。人気の険悪は山道の険悪よりなお悪いと見える。それで人の上(のぼ)り煩(わずら)う所は春もまた上り煩うと見え、峠の上はいま新緑の中に桜の花が真盛りです。
「上野原(うえのはら)へ、盗人(ぬすっと)が入りましたそうでがす」
「ヘエ、上野原へ盗人が……」
「それがはや、お陣屋へ入ったというでがすから驚くでがす」
「驚いたなあ、お陣屋へ盗賊が……どうしてまあ、このごろのように盗賊が流行(はや)ることやら」
 妙見(みょうけん)の社(やしろ)の縁に腰をかけて話し込んでいるのは老人と若い男です。この両人は別に怪しいものではない、このあたりの山里に住んで、木も伐れば焼畑(やきばた)も作るという人たちであります。
 これらの人は、この妙見の社を市場として一種の奇妙なる物々交換を行う。
 萩原から米を持って来て、妙見の社へ置いて帰ると、数日を経て小菅(こすげ)から炭を持って来て、そこに置き、さきに置いてあった萩原の米を持って帰る。萩原は甲斐を代表し、小菅は武蔵を代表する。小菅が海を代表して魚塩(ぎょえん)を運ぶことがあっても、萩原はいつでも山のものです。もしもそれらの荷物を置きばなしにして冬を越すことがあっても、なくなる気づかいはない――大菩薩峠は甲斐と武蔵の事実上の国境であります。
 右の両人は、この近まわりに盗賊のはやることを話し合っていたが、結局、
「どろぼうが怖(こわ)いのは物持(ものもち)の衆(しゅう)のことよ、こちとらが家はどろぼうの方で怖(おそ)れて逃げるわ」
ということに落ちて、笑って立とうとする時に、峠の道の武州路(ぶしゅうじ)の方から青葉の茂みをわけて登り来る人影(ひとかげ)があります。
「あ、人が来る、お武家様みたようだ」
 二人は少しあわて気味で、炭俵や糸革袋(いとかわぶくろ)が結びつけられた背負梯子(しょいばしご)へ両手を突っ込んで、いま登り来るという武家の眼をのがれるもののように、社(やしろ)の裏路を黄金沢(こがねざわ)の方へ切れてしまいます。

         二

 ほどなく武州路の方からここへ登って来たのは、彼等両人が認めた通り、ひとりの武士(さむらい)でありました。黒の着流しで、定紋(じょうもん)は放(はな)れ駒(ごま)、博多(はかた)の帯を締めて、朱微塵(しゅみじん)、海老鞘(えびざや)の刀脇差(わきざし)をさし、羽織(はおり)はつけず、脚絆草鞋(きゃはんわらじ)もつけず、この険しい道を、素足に下駄穿きでサッサッと登りつめて、いま頂上の見晴らしのよいところへ来て、深い編笠(あみがさ)をかたげて、甲州路の方(かた)を見廻しました。
 歳は三十の前後、細面(ほそおもて)で色は白く、身は痩(や)せているが骨格は冴(さ)えています。この若い武士が峠の上に立つと、ゴーッと、青嵐(あおあらし)が崩(くず)れる。谷から峰へ吹き上げるうら葉が、海の浪がしらを見るようにさわ立つ。そこへ何か知らん、寄せ来る波で岸へ打ち上げられたように飛び出して来た小動物があります。
 妙見の社の上にかぶさった栗の大木の上にかたまって、武士の方を見つめては時々白い歯を剥(む)いてキャッキャッと啼(な)く。その数、十匹ほど、ここの名物の猿であります。
 柳沢峠が開けてから後の大菩薩峠というものは、全く廃道同様になってしまいましたけれど、今日でも通れば通れないことはないのです。そこを通って猿に出くわすことは珍(めず)らしいことではないが、それを珍らしがって悪戯(いたずら)でもしかけようものなら、かえって飛んだ仕返しを食うことがあります。人の弱味(よわみ)を見るに上手(じょうず)なこの群集動物は、相手を見くびると脅迫(きょうはく)する、敵(かな)わない時は味方(みかた)を呼ぶ、味方はこの山々谷々から呼応して来るのですから、初めて通る人は全くおどかされてしまいます。が、旅に慣(な)れた人は、その虚勢を知って自(おのずか)らそれに処するの道があるのであります。
 右の武士は、慣れた人と見えて、一目(ひとめ)猿を睨(にら)みつけると、猿は怖れをなして、なお高い所から、しきりに擬勢(ぎせい)を示すのを、取合わず峠の前後を見廻して人待ち顔です。
 さりとて容易に人の来るべき路ではないのに、誰を待つのであろう、こうして小半時(こはんとき)もたつと、木の葉の繁みを洩(も)れて、かすかに人の声がします。その声を聞きつけると、武士はズカズカと萩原街道の方へ進んで、松の木立から身を斜めにして見おろすと、羊腸(ようちょう)たる坂路のうねりを今しも登って来る人影は、たしかに巡礼の二人づれであります。
「お爺(じい)さん――」
 よく澄んだ子供の声がします。見れば一人は年寄(としより)で半町ほど先に、それと後(おく)れて十二三ぐらいの女の子――今「お爺さん」と呼んだのは、この女の子の声でありました。
 右の二人づれの巡礼の姿を認めると、何と思うてか武士は、つと妙見堂のうしろに身をかくします。木の上では従前の猿が眼を円くする。
「やれやれ頂上へ着いたわい、おお、ここにお堂がござる」
 年寄の方の巡礼は社の前へ進んで笠の紐を解いて跪(かしこ)まると、
「お爺さん、ここが頂上かい」
 面立(おもだち)の愛らしい、元気もなかなかよい子でありました。
「これからは下り一方で、日の暮までに河内泊(かわちどま)りは楽なものだ、それから三日目の今頃は、三年ぶりでお江戸の土が踏める――さあお弁当をたべましょう」
 老爺(ろうや)は行李(こうり)を開いて竹の皮包を取り出すと、女の子は、
「お爺さん、その瓢箪(ひょうたん)をお貸しなさい、さっきこの下で水音がしましたから、それを汲(く)んでまいりましょう」
「おおそうだ、途中で飲んでしまったげな。お爺さんが汲んで来ましょう、お前はここで休んでおいで」
 腰なる瓢箪を抜き取ると、
「いいのよ、お爺さん、あたしが汲んで来るから」
 女の子は、老人の手から瓢(ふくべ)を取って、ついこの下の沢に流るる清水を汲もうとて山路(やまじ)をかけ下ります。
 老人は空(むな)しくそのあとを見送って、ぼんやりしていると、不意に背後(うしろ)から人の足音が起ります。
「老爺(おやじ)」
 それはさいぜんの武士でありました。
「はい」
 老爺は、あわただしく居ずまいを直して挨拶(あいさつ)をしようとする時、かの武士は前後を見廻して、
「ここへ出ろ」
 編笠も取らず、用事をも言わず、小手招(こてまね)きするので、巡礼の老爺は怖る怖る、
「はい、何ぞ御用でござりまするか」
 小腰(こごし)をかがめて進み寄ると、
「あっちへ向け」
 この声もろともに、パッと血煙が立つと見れば、なんという無残(むざん)なことでしょう、あっという間もなく、胴体(どうたい)全く二つになって青草の上にのめってしまいました。

         三

「お爺(じい)さん、水を汲んで来てよ」
 瓢箪を捧げた少女は、いそいそとかけて来たが、老人の姿の見えぬのを少しばかり不思議がって、
「お爺さんはどこへ行ったろう」
 お堂の裏の方へでも行ったのかしらと、来て見ると、
「あれ――」
 瓢(ふくべ)を投げ出して縋(すが)りついたのは老人の亡骸(なきがら)でした。
「お爺さん、誰に殺されたの――」
 亡骸をかき抱いて泣きくずれます。
 ここにこの不慮の椿事(ちんじ)を平気で高見(たかみ)の見物(けんぶつ)をしていたものがあります。さいぜんの武士の一挙一動から、老人の切られて少女の泣き叫ぶ有様を目も放さずながめていたのは、かの栗(くり)の木の上の猿です。
 猿どもは、今や木の上からゾロゾロと下りて来ました。老少二人の伏し倒れた周囲を遠くからとりまいて、だんだんに近寄ると、小さな奴(やつ)がいきなり飛び出して、少女の頭髪(かみ)にさしてあった小さな簪(かんざし)をちょっとツマんで引き抜き、したり顔(がお)に仲間のものに見せびらかすような身振(みぶり)をする。それを見た、も一つの小猿は負けない気で、少女の頭髪から櫛(くし)を抜き取って振りかざす。その間に大猿どもは、さきに老爺が開きかけた竹の皮包の握飯(にぎりめし)を引き出して口々に頬(ほお)ばってしまうと、今度は落ち散っていた手頃の木の枝を拾って、何をするかと思えば、刀を差すようなふうに腰のところへあてがい、少女の背後へ廻って抜打ちに――つまりさいぜんの武士のやった通りに――その木の枝で少女の背中をなぐりつけました。
 我を忘れて泣き伏していた少女は、この不意の一撃で、
「あれ――」
と飛びのいたが、気丈(きじょう)な子でした、すぐにあり合わす木の枝を拾い取って振り上げると、猿どもは眼を剥(む)き出し白い歯を突き出してキャッキャッと叫びながら、少女に飛びかかろうとして、物凄(ものすご)い光景になりましたが、折よくそこへ通りかかった旅の人があります。
 年配は四十ぐらいで、菅笠(すげがさ)をかぶって竪縞(たてじま)の風合羽(かざがっぱ)を着、道中差(どうちゅうざし)を一本さしておりましたが、手に持っていた松明(たいまつ)の火を振り廻すと、今まで驕(おご)っていた猿どもが、急に飛び散らかって、我れ勝ちにもとの栗の大木へと馳(は)せ上ります。
 旅に慣れた証拠は、この旅人の持っている松明でわかります。大菩薩を通るものは獣類を逐(お)うべく、松の木のヒデというところでこしらえた松明を用意します。獣類のなかでも猿はことに火を怖(おそ)れるものであります。右の旅人はその松明を消しもせず、
「姉(ねえ)さん、怪我(けが)はなかったかね」
 近く寄って見て、
「おやおや、人が斬られている!」
 少女を掻き分け死骸(しがい)へ手をかけ、その斬口(きりくち)を検(しら)べて見て、
「よく斬ったなあ、これだけの腕前をもってる奴(やつ)が、またなんだってこんな年寄を手にかけたろう」
 旅人は歎息して何をか暫らく思案していたが、やがて少女を慰め励まして、ハキハキと老爺の屍骸を押片づけ、少女を自分の背に負うて、七ツ下(さが)りの陽(ひ)を後ろにし、大菩薩峠をずんずんと武州路の方へ下りて行きます。

         四

 大菩薩峠を下りて東へ十二三里、武州の御岳山(みたけさん)と多摩川を隔てて向き合ったところに、柚(ゆず)のよく実る沢井という村があります。この村へ入ると誰の眼にもつくのは、山を負うて、冠木門(かぶきもん)の左右に長蛇(ちょうだ)の如く走る白壁に黒い腰をつけた塀(へい)と、それを越した入母屋風(いりもやふう)の大屋根であって、これが机竜之助(つくえりゅうのすけ)の邸宅であります。
 机の家は相馬(そうま)の系統を引き、名に聞えた家柄であるが、それよりもいま世間に知られているのは、門を入ると左手に、九歩と五歩とに建てられた道場であります。いつでもこの道場に武者修行の五人や十人ゴロゴロしていないことはないのでありましたが、今日はまた話がやかましい。
「お聞きなされましたか、昨日とやら大菩薩に辻斬(つじぎり)があったそうにござります」
「ナニ、大菩薩に辻斬が……」
「年とった巡礼が一人、生胴(いきどう)をものの見事にやられたと甲州から来た人の専(もっぱ)らの噂(うわさ)でござりまする」
「やれやれ年寄の巡礼が、無残(むざん)なことじゃ」
「近頃の盗人沙汰(ぬすびとざた)と言い、またしても辻斬、物騒千万(ぶっそうせんばん)なことでございますな」
「左様(さよう)、なにしろこの街道筋(かいどうすじ)は申すに及ばず、秩父(ちちぶ)、熊谷(くまがや)から上州、野州へかけて毎日のように盗人沙汰、それでやり口がみな同じようなやり口ということでございます」
「いかにも。それほどの盗賊に罪人は一人もあがらぬとは、八州の腹切(はらきり)ものだ」
「それにしても、この沢井村界隈(かいわい)に限って、盗賊もなければ辻斬もない、これというも、つまり沢井道場の余徳でありますな」
 沢井道場で門弟食客連がこんな噂をしているのは、前段大菩薩峠の殺人の翌々日のことでありました。
「さて、道具無しの一本」
「心得たり、若先生の型(かた)を」
 門弟二人が左右に分れると、
「沢井道場名代(なだい)の音無(おとな)しの勝負」
 口上(こうじょう)まがいで叫ぶ者がある。
 沢井道場音無しの勝負というのは、ここの若先生、すなわち机竜之助が一流の剣術ぶりを、そのころ剣客仲間の呼慣(なら)わしで、竹刀(しない)にあれ木剣にあれ、一足一刀の青眼に構えたまま、我が刀に相手の刀をちっとも触(さわ)らせず、二寸三寸と離れて、敵の出る頭(かしら)、出る頭を、或いは打ち、或いは突く、自流他流と敵の強弱に拘(かかわ)らず、机竜之助が相手に向う筆法はいつでもこれで、一試合のうち一度も竹刀の音を立てさせないで終ることもあります。机竜之助の音無しの太刀先(たちさき)に向っては、いずれの剣客も手古摺(てこず)らぬはない、竜之助はこれによって負けたことは一度もないのであります。
 その型をいま二人は熱心にやっていると、おりから道場の入口とは斜めに向った玄関のところで、
「頼む」
 中では返事がない。
「頼みましょう」
 まだ誰も返答をするものがない。そのうちに、こちらの立合(たちあい)は、一方が焦(じ)れて小手(こて)を打ちに来るのを、得たりと一方が竹刀を頭にのせて勝負です。
「お頼み申します」
 勝負が終えて気がついた門弟連が、こちらから無遠慮(ぶえんりょ)に首を突き出して見ると、お供の男を一人つれて、見事に装(よそお)うた若い婦人の影が植込の間からちらりと見えました。
「拙者(せっしゃ)が応対して参ろう」
 いま立合をして負けた方のが、道場から母屋(おもや)へつづいた廊下をスタスタと稽古着(けいこぎ)に袴(はかま)のままで出てゆくと、
「安藤さん、若い女子(おなご)のお客と見たら臆面(おくめん)なしに応対にお出かけなすった」
 皆々笑っていると、
「ドーレ」
 安藤の太い声。ややあって女の優(やさ)しい声で、
「あの、手前は和田の宇津木文之丞(うつきぶんのじょう)が妹にござりまする、竜之助様にお目通りを願いとう存じまして」
「ハハ左様(さよう)でござるか」
 姿は見えないけれども、安藤がしゃちほこばった様子が手に取るようです。
「その若先生はな」
 いよいよ安藤は四角ばって、
「ただいま御不在でござるが」
「竜之助様はお留守(るす)……」
 女はハタと当惑したらしく、
「左様ならば、いつごろお帰りでございましょうか」
「さればさ、うちの若先生のことでござるから、いつ帰るとお請合(うけあ)いも致し兼ぬるで……」
「遅くとも今宵(こよい)はお帰りでございましょう」
「それがその、今申す通り、いつ帰るとお請合いを致し兼ぬるが、次第によりては拙者ども御用向を承り置きまして」
 安藤と来客の若い婦人との問答を道場の連中は面白がって洩(も)れ聞いておりましたが、
「若先生に直談判(じかだんぱん)というて美しい女子(おなご)が乗り込んで来た、前代未聞(ぜんだいみもん)の道場荒し」
「見届けて参りましょうか」
 自(みずか)ら薦(すす)めて斥候(ものみ)の役を承ろうとする者がある。
「賛成賛成、裏口から廻って見て参られい」
 ますます御苦労さまな話で、まもなくあたふたと走(は)せ戻(もど)って、
「見届けて参りました、確(たし)かに見届けて参りました」
 息を切っての御注進(ごちゅうしん)です。
「どのような女子じゃ」
「あれは和田の宇津木文之丞様の奥様でござりまする、しかも評判の美人で……」
「ナニ、和田の宇津木の細君(さいくん)か、さいぜん妹だというたではないか」
「いいえ、お妹御ではございませぬ、まだ内縁でございまして甲州の八幡(やわた)村からついこの間お越しのお方、発明で、美人で、お里がお金持で評判もの、私は、八幡におりました時分から、篤(とく)とお見かけ申しました」
「文之丞の細君が何故に妹と名乗って当家の若先生を訪ねて来たか、それが解(げ)せぬ」
「あ、若先生のお帰り」
 無駄口がパタリとやんで、見れば門をサッサッと歩み入る人は、思いきや、一昨日、大菩薩の上で巡礼を斬った武士――しかも、なりもふりもその時のままで。

         五

 竜之助の前には、宇津木の妹という、島田に振袖(ふりそで)を着て、緋縮緬(ひぢりめん)の間着(あいぎ)、鶸色繻子(ひわいろじゅす)の帯、引締まった着こなしで、年は十八九の、やや才気ばしった美人が、しおらしげに坐っています。
「お浜どのとやら、御用の筋(すじ)は?」
 竜之助の問いかけたのを待って、
「今日、兄を差置き折入ってお願いに上りましたは」
 歳にはませた口上(こうじょう)ぶりで、
「ほかでもござりませぬ、五日の日の御岳山(みたけさん)の大試合のことにつきまして……」
 竜之助もいま帰って、その組状を見たばかりのところでした。そうして机の上に置かれた長い奉書の紙に眼を落すと、女は言葉を継(つ)いで、
「その儀につきまして、兄はことごとく心を痛め、食ものどへは通らず、夜も眠られぬ有様でござりまする故、妹として見るに忍びませぬ」
「大事の試合なれば、そのお心づかいも御尤(ごもっと)もに存じ申す、我等とても油断なく」
 素気(すげ)なき答え方。女は少し焦(せ)き込んで、
「いえいえ、兄は到底(とうてい)あなた様の敵ではござりませぬ、同じ逸見(へんみ)の道場で腕を磨いたとは申せ、竜之助殿と我等とは段違いと、つねづね兄も申しておりまする。人もあろうに、そのあなた様に晴れのお相手とは何たること、兄の身が不憫(ふびん)でなりませぬ」
「これは早まったお言葉、逸見先生の道場にて我等如きは破門同様の身の上なれど、文之丞殿は師の覚えめでたく、甲源一刀流(こうげんいっとうりゅう)の正統はこの人に伝わるべしとさえ望みをかけらるるに」
「人がなんと申しましょうとも、兄はあなた様の太刀先(たちさき)に刃向(はむか)う腕はないと、このように申し切っておりまする」
「それは御謙遜(ごけんそん)でござろう」
 竜之助は木彫(きぼり)の像を置いたようにキチンと坐って、面(かお)の筋(すじ)一つ動かさず、色は例の通り蒼白(あおじろ)いくらいで、一言(ひとこと)ものを言っては直ぐに唇を固く結んでしまいます。女はようやく躍起(やっき)となるような調子で、頬にも紅(べに)がさし、眼も少しかがやいてきたが、
「もしもこのたびの試合に恥辱を取りますれば、兄の身はもとより、宇津木一家の破滅でござりまする。ここを汲み分けて、今年限り、兄が身をお立て下さるよう、あなた様のお情けにすがりたく、これまで推参(すいさん)致しました、なにとぞ兄の身をお立て下されまして」
 女は涙をはらりと落して、竜之助の前にがっくりと結立(ゆいた)ての髪を揺(ゆる)がしての歎願です。
 竜之助は眼を落して、しばらく女の姿をみつめておりましたが、
「これはまた大仰(おおぎょう)な。試合は真剣の争いにあらず、勝負は時の運なれば、勝ったりとて負けたりとて、恥(はじ)でも誉(ほまれ)でもござるまい、まして一家の破滅などとは合点(がてん)なり難(がた)き」
 冷(ひや)やかな返事です。
 女が再び面をあげた時、涙に輝いた眼と、情に熱した頬とは、一方(ひとかた)ならぬ色香(いろか)を添えつ、
「何もかも打明けて申し上げますれば、兄はこのたびの試合済み次第に、さる諸侯へ指南役に召抱(めしかか)えらるる約束定まり、なおその時には婚礼の儀も兼ねて披露(ひろう)を致す心組みでおりましたところ……」
「それは重ねがさね慶(めで)たきこと、左様ならばなお以て試合に充分の腕をお示しあらば、出世のためにも縁談にも、この上なき誉を添ゆるものではござらぬか」
「それが折悪(おりあ)しく……いや時も時とてあなた様のお相手に割当てられ、勝ちたいにもその望みはなく、逃げましてはなお以て面目立ちませぬ。ただ願うところはあなた様のお慈悲、武士の情けにて勝負をお預かり置き下さらば生々(しょうじょう)の御恩に存じまする。兄のため、宇津木一家のために、差出(さしで)がましくも折入ってのお願いでござりまする」
 この女の言うことがまことならば、いじらしいところがあります。兄のため、家のためを思うて、女の一心でこれまで説きに来たものとあれば、その心根(こころね)に対しても、武士道の情けとやらで、花を持たして帰すべきはずの竜之助の立場でありましょう。ところが、蒼白(あおじろ)い面(かお)がいよいよ蒼白く見えるばかりで、
「お浜どのとやら、そなた様を文之丞殿お妹御と知るは今日(こんにち)が初めながら、兄を思い家を思う御心底、感じ入りました。されど、武道の試合はまた格別」
 格別! と言い切って、口をまた固く結んだその余音(よいん)が何物を以ても動かせない強さに響きましたので、いまさらに女は狼狽(ろうばい)して、
「左様(さよう)ならば、あの、お聞入れは……」
 声もはずむのを、竜之助は物の数ともせぬらしく、
「剣を取って向う時は、親もなく子もなく、弟子も師匠もない、入魂(じっこん)の友達とても、試合とあれば不倶戴天(ふぐたいてん)の敵と心得て立合う、それがこの竜之助の武道の覚悟でござる」
 竜之助はこういう一刻(いっこく)なことを平気で言ってのける、これは今日に限ったことではない、常々この覚悟で稽古もし試合もしているのですから、竜之助にとっては、あたりまえの言葉をあたりまえに言い出したに過ぎないが、女は戦慄(みぶるい)するほどに怖れたので、
「それはあまりお強い、人情知らずと申すもの……」
 涙をたたえた怨(うら)みの眼に、じっとお浜は竜之助の面(おもて)を見やります。
 竜之助の細くて底に白い光のある眼にぶつかった時に、蒼白かった竜之助の顔にパッと一抹(いちまつ)の血が通うと見えましたが、それも束(つか)の間(ま)で、もとの通り蒼白い色に戻ると、膝を少し進めて、
「これお浜どの、人情知らずとは近ごろ意外の御一言、物に譬(たと)うれば我等が武術の道は女の操(みさお)と同じこと、たとえ親兄弟のためなりとて操を破るは女の道でござるまい。いかなる人の頼みを受くるとも、勝負を譲るは武術の道に欠けたること」
「それとても親兄弟の生命(いのち)にかかわる時は……」
「その時には女の操を破ってよいか」

         六

 宇津木の妹を送り出したのは夕陽(ゆうひ)が御岳山の裏に落ちた時分です。しばらくして竜之助の姿を、万年橋の下、多摩川の岸の水車小屋の前で見ることができました。
「与八! 与八!」
 夜は水車が廻りません、中はひっそりとして鼠の逃げる音、微(かす)かな燈火(ともしび)の光。
「誰だい」
 まだるい返事。
「竜之助だ、ここをあけろ」
「へえ、今……」
 やや狼狽の体(てい)。やがて中からガラリと戸が開かれると、面(かお)は子供のようで、形は牛のように肥(ふと)った若者です。
「与八、お前に少し頼みがあって、お前の力を借りに来た」
「へえ」
 この若者は、竜之助を見ると竦(すく)んでしまうのが癖(くせ)です。
「与八、お前は力があるな、もっとこっちへ寄れ」
 耳に口をつけて何をか囁(ささや)くと、与八は慄(ふる)え上って返事ができない。
「いやか」
「だって若先生」
「いやか――」
 竜之助から圧迫されて、
「だって若先生」
 与八は歯の根が合わない。
「俺(おれ)をお斬りなさる気かえ」
「いやか――」
「行きます」
「行くか」
「行きます」
「よし、ここに縄もある、手拭もある、しっかりやれ、やりそこなうな」

         七

 竜之助の父弾正(だんじょう)が江戸から帰る時に、青梅近くの山林の中で子供の泣き声がするから、伴(とも)の者に拾わせて見ると丸々と肥った当歳児であった、それを抱き帰って養い育てたのがすなわち今日の与八であります。与八という名もその時につけられたのですが、物心(ものごころ)を覚えた頃になって、村の子供に「拾いっ子、拾いっ子」と言って苛(いじ)められるのを辛(つら)がって、この水車小屋へばかり遊びに来ました。その時分、水車番には老人が一人いた、与八はその老人が死んだ時はたしか十二三で、そのあとを嗣(つ)いで水車番になったのです。
 与八の取柄(とりえ)といっては馬鹿正直と馬鹿力です。与八の力は十二三からようやく現われてきて、十五になった時は大人の三人前の力をやすやすと出します。十八になった今日では与八の力は底が知れないといわれている。荷車が道路へメリ込んだ時、筏(いかだ)が岩と岩との間へはさまった時、そういう時が与八の天下で、すぐさま人が飛んで来ます。
「与八、米の飯を食わせるから手を貸してくれやい」
「うん」
 そして、大八車でも杉の大筏でも、ひとたび与八が手をかければ、苦もなく解放される。お礼心に銭(ぜに)などを出しても与八は有難(ありがた)がらない、米の飯を食わせれば限りなく悦(よろこ)ぶ、それに鮭(さけ)の切身でもつけてやろうものなら一かたげに三升ぐらいはペロリと平(たいら)げてしまいます。米の飯を食わせなくても、与八がそんなに不平を言わないのは、小屋へ帰れば麦の飯と焼餅とを腹いっぱい食い得る自信を持っているからであるが、ずるい奴が、米の飯を食わせる食わせるといってさんざん与八の力を借りた上、米の飯を食わせずに済(す)まそうとする、二度三度重(かさ)なると与八は怒って、もう頼みに行っても出て来ない、その時は前祝いに米の飯を食わせると、前のことは忘れてよく力を貸します。
 与八が村へ出るのをいやがるのは、前申す通り子供らがヨッパだの拾いっ子だの言って、与八が通るのを見かけていじめるからです。それで水車小屋の中にのみ引込んでいるが、感心なことには、毎朝欠かさず主人弾正の御機嫌伺(ごきげんうかが)いに行きます。
「大先生(おおせんせい)の御機嫌はいいのかい」
 女中や雇男(やといおとこ)が、
「ああ好いよ」
と答えると、にっこりして帰ってしまう。竜之助の父弾正は老年の上、中気(ちゅうき)をわずらって永らく床に就いています。

 竜之助から脅迫(きょうはく)されて与八が出て行くと、まもなく万年橋の上から提灯(ちょうちん)が一つ、巴(ともえ)のように舞って谷底に落ちてゆく。暫(しばら)くして与八は、一人の女を荒々しく横抱きにして、ハッハッと大息を吐いて、竜之助の前に立っています。与八に抱(かか)えられている女は、さっき兄のためと言って竜之助を説きに来た宇津木のお浜であります。

 それからまた程経(ほどへ)て、河沿いの間道(かんどう)を、たった一人で竜之助が帰る時分に月が出ました。

 竜之助が万年橋の詰(つめ)のところまで来かかると、ふと摺違(すれちが)ったのが六郷下(ろくごうくだ)りの筏師(いかだし)とも見える、旅の装(よそお)いをした男で、振分けの荷を肩に、何か鼻歌をうたいながらやって来ましたが、竜之助の姿を見て、ちょっと驚いたふうで、やがて丁寧(ていねい)に頭を下げて、
「静かな晩景(ばんげ)でござりやす」
 竜之助はやり過ごした旅人を見送っていたが、
「少し待て」
「へい」
「お前はどこから来た」
「へい、氷川(ひかわ)の方から」
「氷川? 氷川の何というものだ、名は……」
「へい、七兵衛と申します筏師で」
「待て、待てと申すに」
「何ぞ御用で……」
 立ち止まるかと思うとかの男は身を飜(ひるがえ)して逃げようとするのを、竜之助は脇差(わきざし)に手をかけて手練(しゅれん)の抜打ち。
 侮(あなど)り切って刀へは手をかけず、脇差の抜打ちで払った刃先(はさき)をどう潜(くぐ)ったか、旅の男は飛鳥(ひちょう)の如く逃げて行きます。竜之助は自分の腕を信じ過ぎた形になって、切り損じた瞬間に呆然(ぼうぜん)と、逃げ行く人影をみつめて立っている。
 早いこと、早いこと、飛鳥といおうか、弾丸といおうか、四十八間ある万年橋の上を一足に飛び越えたか、その男の身体(からだ)はまるで宙にあるので、竜之助はその迅(はや)さにもまた気を抜かれて、追いかけることをも忘れてしまったほどでした。
 脇差の切先(きっさき)を調べて見ると肉には触れている、橋の上をよくよく見ると血の滴(したた)りが小指で捺(お)したほどずつ筋(すじ)を引いてこぼれております。竜之助は右の男を斬り殺そうとまでは思わなかったが、斬ろうと思うた程度よりも斬り得なかったことが、よほど心外であるらしく、歯咬(はが)みをして我家の方(かた)をさして行くと、邸のあたりが非常に混雑して提灯(ちょうちん)が右往左往(うおうさおう)に飛びます。
「あ、若先生、大変でござります、賊が入りました」
「賊が?」
 邸の中へ入って調べて見ると、この時の盗難が金子(きんす)三百両と秘蔵の藤四郎(とうしろう)一口(ふり)。
「届けるには及ばぬ、このことを世間へ披露(ひろう)するな」
 なにゆえか竜之助は家の者に口留めをします。

         八

 宇津木文之丞が妹と称して沢井の道場へ出向いたお浜は、実は妹ではなく、甲州八幡(やわた)村のさる家柄の娘で、文之丞が内縁の妻であることは道場の人々があらかじめ察しの通りであります。
 お浜は才気の勝った女で、八幡村にある時は、家のことは自分が切って廻し、村のことにも口を出し、お嬢様お嬢様と立てられていたその癖があって、宇津木へ縁づいてまだ表向きでないうちから、モウこんな策略を以て良人(おっと)の急を救わんと試みたわけです。
 宇津木の家は代々の千人同心で、山林田畑(でんぱた)の産も相当あって、その上に、川を隔てて沢井の道場と双(なら)び立つほどの剣術の道場を開いております。
 竜之助の剣術ぶりは、形(かた)の如く悪辣(あくらつ)で、文之丞が門弟への扱いぶりは柔(やわら)かい、その世間体(せけんてい)の評判は、竜之助よりずっとよろしい。お浜もそれやこれやの評判に聞き惚れたのが、ここへ来た最も有力なる縁の一つであったが、実際の腕は文之丞がとうてい竜之助の敵でないことを玄人(くろうと)のなかの評判に聞いて、お浜の気象(きしょう)では納まり切れずにいたところを、このたび御岳山上の試合の組合せとなってみると、文之丞の悲観歎息ははたの見る目も歯痒(はがゆ)いのであります。お浜は焦(じ)れてたまりませんでしたが、それでも良人の危急を見過ごしができないで、われから狂言を組んで机竜之助に妥協の申入れに行ったのが前申す如き順序であります。

 その晩、お浜は口惜(くや)しくて口惜しくて、寝ても寝つかれません。
 憎い憎い竜之助、歯痒(はがゆ)い歯痒い我が夫、この二つが一緒になって、頭の中は無茶苦茶に乱れます。竜之助と文之丞とは、お浜の頭の中で卍(まんじ)となり巴(ともえ)となって入り乱れておりますが、ここでもやはり勝目(かちめ)は竜之助にあって、憎い憎いと思いつつも、その憎さは勝ち誇った男らしい憎さで、その憎さが強くなるほど我が夫の意気地のなさが浮いて出て、お浜のような気の勝った女にはたまらない業腹(ごうはら)です。
 縁を結ぶ前には、門弟は千人からあって、腕前は甲源一刀流の第一で、どうしてこうしてと、それが何のざま、さんざん腹を立てても、やっぱり帰するところは我が夫の意気地のないということに帰着して、どうしても夫をさげすむ心が起ってきます。夫をさげすむと、どうしてもまた憎いものの竜之助の男ぶりが上ってきます。妻として夫を侮(あなど)る心の起ったほど不幸なことはない。
 もしも自分が強い方の人であったならば、どのくらい気強く、肩身も広かろう。武術の勝負と女の操。竜之助のかけた謎(なぞ)が頑(がん)として今も耳の端で鳴りはためくのです。
 邸で会った竜之助と、水車小屋の竜之助。その水車小屋では、穀物をはかる斗桶(とおけ)に腰をかけていた竜之助。神棚の上には蜘蛛(くも)の巣に糠(ぬか)のくっついた間からお燈明(とうみょう)がボンヤリ光っていた、気がついた時は自分は縛られていた、上からじっと見据(みす)えた竜之助。
 冷やかな面(かお)の色、白い光の眼、人の苦しむのを見て心地(ここち)よさそうに、
「試合の勝負と女の操」
と言って板の間を踏み鳴らした。
 それから、その時の竜之助の姿が眼の前にちらついて、憎い憎い念(おもい)が、いつしか色が変って妙なものになり行くのです。
「お山の太鼓が朝風に響く時までにこの謎を解けよ」
という一言。それを思い出すごとにお浜の胸の中で早鐘(はやがね)が鳴ります。
 その夜、竜之助は己(おの)が室に夜(よ)更(ふ)くるまで黙然(もくねん)として、腕を胸に組んで身動きもせずに坐り込んでいます。
 人を斬ろうとして斬り損じたこと、秘蔵の藤四郎を盗まれたこと、そのほかに、考えても考えても、わけのわからぬものが一つあるのです。与八をそそのかして、宇津木のお浜を縄(なわ)にまでかけて引捕(ひっとら)えさしたのは何のためであろう。お浜が邸を出るまでは、そんな考えはなかったが、女が門を出てから、どうしてもこの女をただ帰せないという考えが勃然(ぼつねん)として起ったので――竜之助の心には石よりも頑固(がんこ)なところと、理窟も筋道も通り越した直情径行(ちょくじょうけいこう)のところと、この二つがあって、その時もまた、初めは理を説(と)いて説き伏せたところが、あとはまるで形(かた)なしのことをやり出した。
 それでやはり女のことを考えてみています。

         九

 机の家に盗難のあったその翌朝のことです。沢井から三里離れた青梅の町の裏宿(うらじゅく)の尋常の百姓家の中で、
「おじさん、昨夜(ゆうべ)はどこへ行ったの」
 炉の火を火箸(ひばし)で掻(か)きながら、真黒な鍋で何か煮ていた女の子、これは先日、大菩薩峠で救われた巡礼の少女でありましたが、おじさんと呼ばれた人はまだ寝床の中に横たわっていたが、ひょいと首をもたげて、
「ナニ、どこへも行きはしないよ」
 その面(かお)を見れば、これはかの峠で火を焚(た)いて猿を逐(お)い、この巡礼の少女を助けた旅の人でありました。
「でも夜中に目がさめると、おじさんの姿が見えなかったものを」
 こう言われて主人は横を向いて、
「ああそれは、雨が降ると困るので裏の山から薪(たきぎ)を運んでおいたのだ」
「そう」
と言って少女は得心(とくしん)したが、
「おじさん、それでは今日お江戸へつれて行って下さるの」
 たずねてみたが、直ぐに返事がないので、せがんでは悪かろうと思うたのか、そのままにして仏壇の方にふいと目がつくと、
「お線香をモ一本上げましょう」
 たったいま上げた線香が長く煙を引いているのに、また新しい線香に火をつけて、口の中で念仏を唱(とな)え、
「お爺(じい)さん、わたしが大きくなったらば、きっと仇(かたき)を討ちますからね」
 独言(ひとりごと)を言っている間に眼が曇ってくる。寝床の中で一ぷくつけていた主人はそれを見とがめて、
「お松坊、ちょっとここへおいで」
 女の子は横を向いて、そっと眼の縁(ふち)を払い、
「はい」
 主人の前に跪(かしこ)まると、
「おまえは口癖に敵々(かたきかたき)というが、それはいけないよ、敵討(かたきうち)ということは侍(さむらい)の子のすることで、お前なんぞは念仏をしてお爺さんの後生(ごしょう)を願っておればよいのだ」
「でもおじさん、あんまり口惜(くや)しいもの」
 また横を向いて、溢(あふ)るる涙を払います。
「口惜しい口惜しいがお爺さんの後生の障(さわ)りになるといけない。あ、それはそうと、お前を今日はお江戸へつれて行くはずであったが、私は少し怪我(けが)をしてな」
「エッ、怪我を!」
「ナニ、大した事じゃねえ、昨夜(ゆうべ)それ、薪を運ぶとって転(ころ)んで腰を木の根にぶっつけたのだよ、二日もしたら癒(なお)るだろう、江戸行きはもう少し延ばしておくれ」
「お江戸なんぞはいつでもようござんす、早くその怪我を癒して下さい」
「そ言ってくれると有難い。それでな、お松坊、お前に預けておきてえものが一つある」
 主人は蒲団(ふとん)の下を探って取り出したのが、錦(にしき)の袋に入れた短刀ようのもの。
「おじさん、これは何」
「何でもよい、これから大事に懐中へ入れて持っておいで、決して人に見せてはいけないよ」
「これは短刀ではないの」
「うむ、そうだ、用心に肌身(はだみ)をはなさず持っておいで、そのうちにはわかることがあるからな」
 少女は何だか合点(がてん)がゆきません。ようよう寝床を這(は)い出したこの家の主人はかなりの怪我と覚しく、跛足(びっこ)を引き引き炉の傍までやって来て少女と二人で朝飯を食べていると、
「七兵衛さん、七兵衛さん」
 表口で呼ぶ。ここの主人の名は七兵衛というのであるらしい。
「これは嘉右衛門(かえもん)さん、朝っぱらからどちらへ」
「なに、ちっと見舞に行こうかと思って」
「お見舞に? どこへ」
「まだお聞きなさらねえか、材木屋の藤三郎さんが今朝早く上げられなすって」
「材木屋のあの藤三郎さんが?」
「そうだよ、お役所へ上げられてお調べの最中(さいちゅう)だよ」
「それはまあ、どうしたわけで」
「何だかわしもよくは知らねえが、盗賊のかかわり合いだということでがす」
「盗賊のかかり合い?」
 七兵衛は思わず小首を傾けながら、
「あの正直な人が盗賊のかかり合いとは、おかしいことですね」
「この間、甲州の上野原のお陣屋へ盗賊が入ったそうで」
「ナニ、上野原のお陣屋へ?」
「そうですよ、お陣屋へ入るとはずいぶん度胸のいい泥棒ですね。ところが泊り合せたお武家に見つけられて、その泥棒が逃げ出したが、その時に泥棒が書付(かきつけ)を一本お座敷へ落したそうで、そいつを拾われちまった」
「書付を拾われた?」
 七兵衛は思わず自分のふところを撫(な)でてみる。
「それからね、どうしたものやらその書付が藤三郎さんところの材木売渡しの受取証文で、ちゃんと印形(いんぎょう)まで据(す)わっている」
「それはとんだ災難、私もお見舞に上らなくては済みませんが、昨晩少しばかり怪我をしたものだから、お前さんからよろしく申しておいておくんなさい」
「怪我をなすった?」
「なあに、大したことはありません、山でころんで腰をちっとばかり強く打っただけのことで」
「そりゃいけねえ、まあ大切にした方がいい、それじゃ行って来ますから」
 嘉右衛門が立去ったあとで、七兵衛はなんと考え直したか、
「お松坊、今から江戸へ行こうや」
「でも、おじさんお怪我は?」
「なあに、馬も駕籠(かご)もあらあな」
「嬉(うれ)しいこと」
 お松は大欣(おおよろこ)びで食事もそこそこ、はや手の廻りの用意をします。

         十

 今日は五月の五日、御岳山上へ関八州(かんはっしゅう)の武術者が集まって奉納試合を為すべき日であります。
 机竜之助はこの朝、縁側(えんがわ)に立って山を見上げると、真黒な杉が満山の緑の中に天を刺して立っているところに、一むらの雲がかかって、八州の平野に響き渡れよとばかり山上で打ち鳴らす大太鼓の音は、その雲間より洩れて落ちます。
「ああよい天気」
 白い雲の山にかかる時は、かえって五月晴(さつきば)れの空の色を鮮(あざ)やかにします。
「奉納日和(ほうのうびより)でござりまするな」
 門弟連ははや準備をととのえてそこへやって来ました。
 竜之助も身仕度をして、いつぞや大菩薩峠の上で生胴(いきどう)を試(ため)してその切味(きれあじ)に覚えのある武蔵太郎安国の鍛(きた)えた業物(わざもの)を横たえて、門弟下男ら都合(つごう)三人を引きつれて、いざ出立(しゅったつ)の間際(まぎわ)へ、思いがけなく駈け込んで来たのは水車番の与八でありました。
「若先生、今この手紙をお前様に渡してくれと頼まれた」
 与八の手には一封の手紙、受取って見ると意外にも女文字(おんなもじ)。
「お山の太鼓が鳴り渡る朝までに解け」と脅(おど)したあの謎(なぞ)の、これが心か。
 竜之助は忙(せわ)しいうちに、くりかえしてこの手紙を読みました。

         十一

 この日、宇津木文之丞もまた夙(つと)に起きて衣服を改め、武運を神に祈りて後、妻のお浜を己(おの)が居間に招いて、
「浜、誰もおらぬか」
 人を嫌った気色(けしき)は別段に改まって、愁(うれ)いと決心とが現われている。
「誰も見えませぬ」
「ちと改まってそなたに申し置くことがあるぞ」
「それは何でござりましょう」
「今日の門出(かどで)に、これをそなたに遣(つか)わします」
 机の上なるまだ墨の香の新しい一封の書状、お浜は不審顔(ふしんがお)に手に取って見ますと、意外にもこれは離縁状、俗にいう三行半(みくだりはん)でありましたから、
「これは私に下さる離縁状、どうしてまあ」
 呆気(あっけ)に取られて夫の面(おもて)をみつめていましたが、開き直って、
「お戯(たわむ)れも過ぎましょう。何の咎(とが)で私が去状(さりじょう)いただきまする」
「問わず語らず、黙って別るるがお互いのためであろう」
「まあ、何がどうしたことやら、仔細(しさい)も聞かずに去状もらいましたと親許(おやもと)へ戻る女がありましょうか、お戯れにも程がありまする」
「浜、この文之丞が為すことがそちには戯れと見えるか、そなたの胸に思い当ることはないか」
「思い当ることとおっしゃるは……」
「言うまいと思えど言わでは事が済まず。そなたは過ぐる夜、机竜之助が手込(てごめ)に遭(あ)って帰ったな」
「エッ、竜之助殿に手込?」
「隠すより現わるる。下男の久作が行方(ゆくえ)と言い、その夜のそなたが素振(そぶり)、訝(いぶか)しい限りと思うていたが、人の噂(うわさ)で思い当った」
「人の噂? 人がなんと申しました」
 お浜は嚇(かっ)となり、
「あられもない噂を言いがかりに私を逐(お)い出しなさる御所存か。さほどお邪魔ならば……」
「おお邪魔である、家名にも武名にも邪魔者であればこそ、この去状を遣(つか)わします」
「口惜(くや)しいッ」
 お浜は、どうするつもりか夫の脇差(わきざし)を奪い取ろうとするのを、文之丞はとんと突き返したから、殆んど仰向(あおむ)けにそこに倒れました。それを見向きもせず、文之丞は奥の間へ立ってしまいます。夫にこう仕向けられて今更お浜が口惜しがるわけはないはずです、文之丞がもしも一倍肯(き)かぬ気象(きしょう)であったなら、お浜の首を打ち落して竜之助の家に切り込むほどの騒ぎも起し兼ねまじきものをです。少し気が鎮(しず)まってから、お浜がよくよく考え直したら、ここで離縁を取ったのが結局自分の解放を喜ぶことになるのかも知れない、しかし問題はここを去ってどこへ行くかです、甲州へは帰れもすまい、どこへ落着いて誰を頼る――お浜の頭はまだそこまで行っていないので、ただ無暗(むやみ)に口惜しい口惜しいで伏(ふ)しつ転(まろ)びつ憤(いきどお)り泣いているのです。
 宇津木文之丞はその間に、すっかり仕度をととのえて、用意の駕籠(かご)に乗り、たった一人で、これはワザと門弟衆へも告げずに、こっそりと御岳山をさして急がせます。
 和田村から山の麓までは三里。文之丞は禊橋(みそぎばし)の滝茶屋で駕籠を捨て、小腋(こわき)には袋に入れた木剣をかかえ、編笠越しに人目を避けるようにして上って行きます。上って二十四丁目の黒門、ここへ来ると鼻の先に本山の頂(いただき)が円く肥(こ)えて、一帯に真黒な大杉を被(かぶ)り、その間から青葉若葉が威勢よく盛(も)り上って、その下蔭では鶯(うぐいす)の鳴く音が聞えます。振返れば山々の打重なった尾根(おね)と谷間の外(はず)れには、関八州の平野の一角が見えて、その先は茫々(ぼうぼう)と雲に霞(かす)んでいる。文之丞はしばしここに彳(たたず)んでいると、黒門側(わき)の掛茶屋(かけぢゃや)で、
「お早い御参拝でござります、お掛けなすっていらっしゃい」
 女の呼び声に応じて茶屋に入り、腰掛で茶を呑(の)みながら、ふと傍(かたえ)を見ると、茶屋から崖(がけ)の方へ架(か)け出した妙に捻(ひね)った庵室まがいの小屋に、髯(ひげ)の真白なひとりの老人が、じっとこちらを見ています。老人の前には机があって、算木筮竹(さんぎぜいちく)が置いてある。
「易(えき)を立てて進(しん)ぜましょうかな、奉納試合の御運勢を見て進ぜましょうかな」
 老人はこう申しますのを、文之丞は首を振って見せた、老人は再び勧(すす)めようともしません。
 おりから坂の下より上って来たのは、かの机竜之助の一行で、同じくこの茶屋の前で立ち止まりました。
「お早い御参拝でござります、お掛けなすっていらっしゃい」
「休んで行こうかな」
 竜之助が先に立って、一行を引きつれて、この黒門の茶屋へ入ります。宇津木文之丞は何気(なにげ)なく入って来た人を見ると、それは自分の当の相手、机竜之助でありましたから、ハッと気色(けしき)ばんだが、幸いに編笠(あみがさ)を被って隅の方にいたので、先方ではそれと気がつかぬ様子。
 先刻の老人はまた首を突き出して竜之助の方に向い、
「易を立てて進ぜましょうかな、奉納試合の御運勢を見て進ぜましょうかな」
 竜之助は老人の面を見て頼むとばかり頷(うなず)くと、老人は筮竹(ぜいちく)を取り上げて、
「そもそも愚老の易断(えきだん)は、下世話(げせわ)に申す当るも八卦(はっけ)当らぬも八卦の看板通り、世間の八卦見のようにきっと当ると保証も致さぬ代り、きっと外(はず)れると請合(うけあ)いも致さぬ。愚老は卦面(けめん)に現われたところによりて、聖人の道を人間にお伝え申すのが務め、当ると当らぬとは愚老の咎(とが)ではござらぬでな……」
 仔細(しさい)らしく筮竹を捧げて、じっと精神(こころ)を鎮めるこなしよろしくあって、老人は筮竹を二つに分けて一本を左の小指に、数えては算木をほどよくあしらって、首を傾けることしばらく、
「さて卦面(けめん)に現われたるは、かくの通り『風天小畜(ふうてんしょうちく)』とござる、卦辞(かじ)には『密雲雨ふらず我れ西郊(さいこう)よりす』とある、これは陽気なお盛んなれども、小陰に妨(さまた)げられて雨となって地に下るの功未だ成らざるの象(かたち)じゃ」
 老人は白髯(はくぜん)を左右に振分けて易の講釈をつづけます。
「されども、西郊と申して陰の方(かた)より、陰雲盛んに起るの形あれば、やがて雨となって地に下る、それだによって、このたびの試合はよほどの難場(なんば)じゃ、用心せんければならん。が、しかし、結局は雨となって地に下る、つまり目的を遂(と)げてお前様の勝ちとなる、まずめでたい」
 それから老人は易経(えききょう)を二三枚ひっくり返して、
「めでたいにはめでたいが、また一つの難儀があるで、よいか、よく聞いておきなされ。象辞(しょうじ)にこういう文句がござる、『夫妻反目、室を正しゅうする能(あた)わざるなり』と。ここじゃ、それ、前にも陽気盛んなれども小陰に妨げらるるとあったじゃ、ここにも夫妻反目とあって、どうもこの卦面には女子(おなご)がちらついている」
 門弟連はまた興に乗って、妙な面(かお)をして老人の講釈を聞いていると、
「細君に用心さっしゃれ、お前様の奥様がよろしくないで、どうもお前様の邪魔をしたがる象(かたち)じゃ。夫妻反目は妻たるものの不貞不敬は勿論(もちろん)なれども、その夫たるものにも罪がないとは申し難い。で、細君をギュッと締めつけておかぬとな、二本棒ではいけない……」
 これを聞いて門弟の安藤がムキになって怒り出しました。
「たわけたことを申すな、二本棒とは何じゃ、先生にはまだ奥様も細君もないのだ。若先生、こんなイカサマ売卜(うらない)を聞いているは暇つぶし、さあ頂上に一走り致しましょう」
 これに応じて、若干の茶代と見料(けんりょう)とを置いて一行はこの茶屋を立ち去ります。
 あとで宇津木文之丞は静かにこの茶屋を出ました。
 これから頂上までは僅かの道のりで、二人の行く前後に諸国の武芸者が肩臂(かたひじ)を怒らして続々と登って参ります。

         十二

 東国の中でも武蔵の国は武道に因(ちなみ)の多い国柄であります。
 武蔵という国号からが、そもそも武張(ぶば)った歴史を持ったもので、日本武尊(やまとたけるのみこと)が秩父の山に武具を蔵(おさ)めたのがその起源と古くより伝えられていますが、御岳山の人に言わせると、それは秩父ではない、この御岳山の奥の宮すなわち「男具那峰(おぐなのみね)」がそれだとあって、これを俗に甲籠山(こうろうざん)とも申します。御岳神社に納められたる、いま国宝の一つに数えられている紫裾濃(むらさきすそご)の甲冑(かっちゅう)は、これも在来は日本武尊の御鎧(おんよろい)と伝えられたもので、実は後宇多天皇の弘安四年に蒙古退治の御祈願に添えて奉納されたものだそうです。
 さればこの山の神社に四年目毎に行わるる奉納の試合は関東武芸者の血を沸かすこと並々(なみなみ)ならぬものがあります。八州の全部にわたり、なお信州、伊豆、甲州等の近国からも名ある剣客は続々と詰めかけ、武道熱心のものは奥州或いは西国から、わざわざ出て来るものもあるくらいで、いずれの剣士もみな免許以上のもの、一流一派を開くほどの人、その数ほとんど五百人に及び、既に数日前から山上三十六軒の御師(おし)の家に陣取って、手ぐすね引いて今日の日を待ち構えている有様です。
 以上五百人のうち、試合の場に上るのは百二十人ほどで、拝殿の前の広庭には幔幕(まんまく)を張りめぐらし、席を左右に取って、早朝、宮司の式が厳(おごそ)かに済まされると、それより試合は始まります。
 さても宇津木文之丞は、程なく山へ登って来て、いったん知合いの御師の家に立寄って、それから案内されて神前の広庭に出向き、西の詰(つめ)から幔幕を潜(くぐ)って場へ出て見ると、もはやいずれの席もギッシリ剣士が詰め切って、衣紋(えもん)の折目を正し、口を結び目を据(す)えて物厳(ものおごそ)かに控えております。自分はそっと甲源一刀流の席の後ろにつこうとすると、首座(しゅざ)の方に見ていた同流の高足(こうそく)広沢某(なにがし)が招きますから、会釈(えしゃく)して延(ひ)かるる座につき、木刀を広沢に預けて、さて机竜之助はいずれにありやと場内を見廻したが、姿が見えません。
 組の順によって試合が行われます。いずれも力のはいる見物(みもの)で、三十余組の勝負に時はようやく移って正午に一息つき、日のようやく傾く頃、武州高槻(たかつき)の柳剛流(りゅうごうりゅう)師範雨(あま)ヶ瀬(せ)某と、相州小田原の田宮流師範大野某との老練な型比(かたくら)べがあって後、
「甲源一刀流の師範、宇津木文之丞藤原光次(ふじわらみつつぐ)」
 審判が呼び上げる。この声を聞くと、少しだれかかった場内が引締まって黒ずんできます。
 宇津木文之丞は生年二十七、下(さが)り藤(ふじ)の定紋(じょうもん)ついた小袖に、襷(たすき)を綾(あや)どり茶宇(ちゃう)の袴、三尺一寸の赤樫(あかがし)の木刀に牛皮の鍔(つば)打ったるを携えて、雪のような白足袋に山気(さんき)を含んだ軟らかな広場の土を踏む。少しの間隔(あわい)を置いて審判が、
「元甲源一刀流、机竜之助相馬宗芳(そうまむねよし)」
と呼び上げます。
 机竜之助と宇津木文之丞、この勝負が今日の見物であるのは、それは机竜之助が剣客中の最も不思議なる注意人物であったからで、この中にも竜之助の「音無しの構え」に会うて、どうにもこうにも兜(かぶと)を脱いだ先生が少なくないのです。
 今日はこの晴れの場所で、如何様(いかよう)の手並(てなみ)を彼が現わすかということが玄人(くろうと)仲間の研究物(けんきゅうもの)であったということと、もう一つは、机竜之助は甲源一刀流から出でて別に一派を開かんとする野心がある、甲源一刀流から言えば危険なる謀叛人(むほんにん)で、それが同流の最も手筋(てすじ)よき宇津木文之丞と組み合ったのだから、他流試合よりももっと皮肉な組合せで、故意か偶然か世話人の役割を不審がるものが多かったくらいだから、ああこれは遺恨試合にならねばよいがと老人たちは心配しているものもあったのです。
 呼び上げられて東の詰(つめ)から、幔幕をかき上げて姿を現わした机竜之助は、黒羽二重(くろはぶたえ)に九曜(くよう)の定紋ついた小袖に、鞣皮(なめしがわ)の襷、仙台平(せんだいひら)の袴を穿(は)いて、寸尺も文之丞と同じことなる木刀を携えて進み出る。両人首座の方へ挨拶(あいさつ)して神前に一礼すると、この時の審判すなわち行司役は中村一心斎という老人です。
 この老人は富士浅間(せんげん)流という一派を開いた人で、試合の見分(けんぶん)には熟練家の誉れを得ている人でありました。
 一心斎は麻の裃(かみしも)に鉄扇(てっせん)を持って首座の少し前のところへ歩み出る。
 首座のあたりには各流の老将が威儀をただして控えている中に、甲源一刀流の本家、武州秩父の逸見利恭(へんみとしやす)の姿が目に立って、このたびの試合の勧進元(かんじんもと)の格に見える。
 宇津木文之丞と机竜之助は左右にわかれて両膝を八文字に、太刀下三尺ずつの間合(まあい)をとって、木刀を前に、礼を交わして、お互いの眼と眼が合う。
 山上の空気がにわかに重くなって大地を圧すかと思われる。たがいの合図で同時に二人が立ち上る。竜之助は例の一流、青眼音無しの構えです。その面(おもて)は白く沈み切っているから、心の中の動静は更にわからず、呼吸の具合は平常の通りで、木刀の先が浮いて見えます。
 竜之助にこの構えをとられると、文之丞はいやでも相青眼(あいせいがん)。これは肉づきのよい面にポッと紅(べに)を潮(さ)して、澄み渡った眼に、竜之助の白く光る眼を真向(まっこう)に見合せて、これも甲源一刀流名(な)うての人、相立って両人の間にさほどの相違が認められません。
 しかし、この勝負は実に厄介(やっかい)なる勝負です。かの「音無しの構え」、こうして相青眼をとっているうちに出れば、必ず打たれます。向うは決して出て来ない。向うを引き出すにはこっちで業(わざ)をしなければならんのだから、音無しの構えに久しく立つ者は大抵は焦(じ)れてきます。
 こんな立合に、審判をつとめる一心斎老人もまた、なかなかの骨折りであります。
 一心斎老人は隙間(すきま)なく二人の位を見ているが、どちらからも仕かけない、これから先どのくらい長く睨(にら)み合いが続くか知れたものでない、これは両方を散らさぬ先に引き分けるが上分別(じょうふんべつ)とは思い浮んだけれども、あまりによく気合が満ちているので、行司の自分も釣り込まれそうで、なんと合図の挟(はさ)みようもないくらいです。
 そのうちに少しずつ文之丞の呼吸が荒くなります。竜之助の色が蒼白(あおじろ)さを増します。両の小鬢(こびん)のあたりは汗がボトボトと落ちます。今こそ分けの合図をと思う矢先に、今まで静かであった文之丞の木刀の先が鶺鴒(せきれい)の尾のように動き出してきました。
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