不如帰 小説
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著者名:徳冨蘆花 

不如帰(ほととぎす) 小説徳冨蘆花   第百版不如帰の巻首に 不如帰(ふじょき)が百版になるので、校正かたがた久しぶりに読んで見た。お坊っちゃん小説である。単純な説話で置いたらまだしも、無理に場面をにぎわすためかき集めた千々石(ちぢわ)山木(やまき)の安っぽい芝居(しばい)がかりやら、小川(おがわ)某女の蛇足(だそく)やら、あらをいったら限りがない。百版という呼び声に対してももっとどうにかしたい気もする。しかし今さら書き直すのも面倒だし、とうとうほンの校正だけにした。 十年ぶりに読んでいるうちに端(はし)なく思い起こした事がある。それはこの小説の胚胎(はいたい)せられた一夕(せき)の事。もう十二年前(ぜん)である、相州(そうしゅう)逗子(ずし)の柳屋という家(うち)の間(ま)を借りて住んでいたころ、病後の保養に童男(こども)一人(ひとり)連れて来られた婦人があった。夏の真盛りで、宿という宿は皆ふさがって、途方に暮れておられるのを見兼ねて、妻(さい)と相談の上自分らが借りていた八畳二室(ふたま)のその一つを御用立てることにした。夏のことでなかの仕切りは形(かた)ばかりの小簾(おす)一重(ひとえ)、風も通せば話も通う。一月(ひとつき)ばかりの間に大分(だいぶ)懇意になった。三十四五の苦労をした人で、(不如帰の小川某女ではない)大層情の深い話上手(じょうず)の方(かた)だった。夏も末方のちと曇ってしめやかな晩方の事、童男(こども)は遊びに出てしまう、婦人と自分と妻と雑談しているうちに、ふと婦人がさる悲酸の事実譚(だん)を話し出された。もうそのころは知る人は知っていたが自分にはまだ初耳の「浪子(なみこ)」の話である。「浪さん」が肺結核で離縁された事、「武男(たけお)君」は悲しんだ事、片岡(かたおか)中将が怒って女(むすめ)を引き取った事、病女のために静養室を建てた事、一生の名残(なごり)に「浪さん」を連れて京阪(けいはん)の遊(ゆう)をした事、川島家(かわしまけ)からよこした葬式の生花(しょうか)を突っ返した事、単にこれだけが話のなかの事実であった。婦人は鼻をつまらせつつしみじみ話す。自分は床柱(とこばしら)にもたれてぼんやりきいている。妻(さい)は頭(かしら)をたれている。日はいつか暮れてしもうた。古びた田舎家(いなかや)の間内(まうち)が薄ぐらくなって、話す人の浴衣(ゆかた)ばかり白く見える。臨終のあわれを話して「そうお言いだったそうですってね――もうもう二度と女なんかに生まれはしない」――言いかけて婦人はとうとう嘘唏(きょき)して話をきってしもうた。自分の脊髄(せきずい)をあるものが電(いなずま)のごとく走った。 婦人は間もなく健康になって、かの一夕(せき)の談(はなし)を置(お)き土産(みやげ)に都に帰られた。逗子の秋は寂しくなる。話の印象はいつまでも消えない。朝な夕な波は哀音を送って、蕭瑟(しょうしつ)たる秋光の浜に立てば影なき人の姿がつい眼前(めさき)に現われる。かあいそうは過ぎて苦痛になった。どうにかしなければならなくなった。そこで話の骨に勝手な肉をつけて一編未熟の小説を起草して国民新聞に掲げ、後一冊として民友社から出版したのがこの小説不如帰である。 で、不如帰のまずいのは自分が不才のいたすところ、それにも関せず読者の感を惹(ひ)く節(ふし)があるなら、それは逗子の夏の一夕にある婦人の口に藉(か)って訴えた「浪子」が自ら読者諸君に語るのである。要するに自分は電話の「線(はりがね)」になったまでのこと。  明治四十二年二月二日  昔の武蔵野今は東京府下[#この行はポイントを下げ、「昔の武蔵野今は東京府下」は地より11字上げ]  北多摩郡千歳村粕谷の里にて[#この行はポイントを下げ、は地より7字上げ]  徳冨健次郎識[#この行はポイントを上げ、は地より3字上げ][#改丁]不如帰(ほととぎす)[#改頁]上 編     一の一 上州(じょうしゅう)伊香保千明(いかほちぎら)の三階の障子(しょうじ)開きて、夕景色(ゆうげしき)をながむる婦人。年は十八九。品よき丸髷(まげ)に結いて、草色の紐(ひも)つけし小紋縮緬(こもんちりめん)の被布(ひふ)を着たり。 色白の細面(ほそおもて)、眉(まゆ)の間(あわい)ややせまりて、頬(ほお)のあたりの肉寒げなるが、疵(きず)といわば疵なれど、瘠形(やさがた)のすらりとしおらしき人品(ひとがら)。これや北風(ほくふう)に一輪勁(つよ)きを誇る梅花にあらず、また霞(かすみ)の春に蝴蝶(こちょう)と化けて飛ぶ桜の花にもあらで、夏の夕やみにほのかににおう月見草、と品定めもしつべき婦人。 春の日脚(ひあし)の西に傾(かたぶ)きて、遠くは日光、足尾(あしお)、越後境(えちござかい)の山々、近くは、小野子(おのこ)、子持(こもち)、赤城(あかぎ)の峰々、入り日を浴びて花やかに夕ばえすれば、つい下の榎(えのき)離れて唖々(ああ)と飛び行く烏(からす)の声までも金色(こんじき)に聞こゆる時、雲二片(ふたつ)蓬々然(ふらふら)と赤城の背(うしろ)より浮かび出(い)でたり。三階の婦人は、そぞろにその行方(ゆくえ)をうちまもりぬ。 両手優(ゆた)かにかき抱(いだ)きつべきふっくりとかあいげなる雲は、おもむろに赤城の巓(いただき)を離れて、さえぎる物もなき大空を相並んで金の蝶のごとくひらめきつつ、優々として足尾の方(かた)へ流れしが、やがて日落ちて黄昏(たそがれ)寒き風の立つままに、二片(ふたつ)の雲今は薔薇色(ばらいろ)に褪(うつろ)いつつ、上下(うえした)に吹き離され、しだいに暮るる夕空を別れ別れにたどると見しもしばし、下なるはいよいよ細りていつしか影も残らず消ゆれば、残れる一片(ひとつ)はさらに灰色に褪(うつろ)いて朦乎(ぼいやり)と空にさまよいしが、 果ては山も空もただ一色(ひといろ)に暮れて、三階に立つ婦人の顔のみぞ夕やみに白かりける。     一の二 「お嬢――おやどういたしましょう、また口がすべって、おほほほほ。あの、奥様、ただいま帰りましてございます。おや、まっくら。奥様エ、どこにおいで遊ばすのでございます?」 「ほほほほ、ここにいるよ」 「おや、ま、そちらに。早くおはいり遊ばせ。お風邪(かぜ)を召しますよ。旦那(だんな)様はまだお帰り遊ばしませんでございますか?」 「どう遊ばしたんだろうね?」と障子をあけて内(うち)に入りながら「何(なん)なら帳場(した)へそう言って、お迎人(むかい)をね」 「さようでございますよ」言いつつ手さぐりにマッチをすりてランプを点(つ)くるは、五十あまりの老女。 おりから階段(はしご)の音して、宿の女中(おんな)は上り来つ。 「おや、恐れ入ります。旦那様は大層ごゆっくりでいらっしゃいます。……はい、あのいましがた若い者をお迎えに差し上げましてございます。もうお帰りでございましょう。――お手紙が――」 「おや、お父(とう)さまのお手紙――早くお帰りなさればいいに!」と丸髷(まるまげ)の婦人はさもなつかしげに表書(うわがき)を打ちかえし見る。 「あの、殿様の御状で――。早く伺いたいものでございますね。おほほほほ、きっとまたおもしろいことをおっしゃってでございましょう」 女中(おんな)は戸を立て、火鉢(ひばち)の炭をついで去れば、老女は風呂敷包(ふろしきづつ)みを戸棚(とだな)にしまい、立ってこなたに来たり、 「本当に冷えますこと! 東京(あちら)とはよほど違いますでございますねエ」 「五月に桜が咲いているくらいだからねエ。ばあや、もっとこちらへお寄りな」 「ありがとうございます」言いつつ老女はつくづく顔打ちながめ「うそのようでございますねエ。こんなにお丸髷(まげ)にお結い遊ばして、ちゃんとすわっておいで遊ばすのを見ますと、ばあやがお育て申し上げたお方様とは思えませんでございますよ。先奥様(せんおくさま)がお亡(な)くなり遊ばした時、ばあやに負(おぶ)されて、母(かあ)様母様ッてお泣き遊ばしたのは、昨日(きのう)のようでございますがねエ」はらはらと落涙し「お輿入(こしいれ)の時も、ばあやはねエあなた、あの立派なごようすを先奥様がごらん遊ばしたら、どんなにおうれしかったろうと思いましてねエ」と襦袢(じゅばん)の袖(そで)引き出して目をぬぐう。 こなたも引き入れられるるようにうつぶきつ、火鉢にかざせし左手(ゆんで)の指環(ゆびわ)のみ燦然(さんぜん)と照り渡る。 ややありて姥(うば)は面(おもて)を上げつ。「御免遊ばせ、またこんな事を。おほほほ年が寄ると愚痴っぽくなりましてねエ。おほほほほ、お嬢――奥様もこれまではいろいろ御苦労も遊ばしましたねエ。本当によく御辛抱遊ばしましたよ。もうもうこれからはおめでたい事ばかりでございますよ、旦那様はあの通りおやさしいお方様――」 「お帰り遊ばしましてございます」 と女中(おんな)の声階段(はしご)の口に響きぬ。     一の三 「やあ、くたびれた、くたびれた」 足袋(たび)草鞋(わらじ)脱(ぬ)ぎすてて、出迎う二人(ふたり)にちょっと会釈しながら、廊下に上りて来し二十三四の洋服の男、提燈(ちょうちん)持ちし若い者を見返りて、 「いや、御苦労、御苦労。その花は、面倒だが、湯につけて置いてもらおうか」 「まあ、きれい!」 「本当にま、きれいな躑躅(つつじ)でございますこと! 旦那様、どちらでお採り遊ばしました?」 「きれいだろう。そら、黄色いやつもある。葉が石楠(しゃくなげ)に似とるだろう。明朝(あす)浪(なみ)さんに活(い)けてもらおうと思って、折って来たんだ。……どれ、すぐ湯に入って来ようか」       * 「本当に旦那様はお活発でいらっしゃいますこと! どうしても軍人のお方様はお違い遊ばしますねエ、奥様」 奥様は丁寧に畳(たた)みし外套(がいとう)をそっと接吻(せっぷん)して衣桁(いこう)にかけつつ、ただほほえみて無言なり。 階段(はしご)も轟(とどろ)と上る足音障子の外に絶えて、「ああいい心地(きもち)!」と入り来る先刻の壮夫(わかもの)。 「おや、旦那様もうお上がり遊ばして?」 「男だもの。あはははは」と快く笑いながら、妻がきまりわるげに被(はお)る大縞(おおじま)の褞袍(どてら)引きかけて、「失敬」と座ぶとんの上にあぐらをかき、両手に頬(ほお)をなでぬ。栗虫(くりむし)のように肥えし五分刈り頭の、日にやけし顔はさながら熟せる桃のごとく、眉(まゆ)濃く目いきいきと、鼻下にうっすり毛虫ほどの髭(ひげ)は見えながら、まだどこやらに幼な顔の残りて、ほほえまるべき男なり。 「あなた、お手紙が」 「あ、乃舅(おとっさん)だな」 壮夫(わかもの)はちょいといずまいを直して、封を切り、なかを出(いだ)せば落つる別封。 「これは浪さんのだ――ふむ、お変わりもないと見える……はははは滑稽(こっけい)をおっしゃるな……お話を聞くようだ」笑(えみ)を含んで読み終えし手紙を巻いてそばに置く。 「おまえにもよろしく。場所が変わるから、持病の起こらぬように用心おしっておっしゃってよ」と「浪さん」は饌(ぜん)を運べる老女を顧みつ。 「まあ、さようでございますか、ありがとう存じます」 「さあ、飯だ、飯だ、今日(きょう)は握り飯二つで終日(いちんち)歩きずめだったから、腹が減ったこったらおびただしい。……ははは。こらあ何ちゅう魚(さかな)だな、鮎(あゆ)でもなしと……」 「山女(やまめ)とか申しましたっけ――ねエばあや」 「そう? うまい、なかなかうまい、それお代わりだ」 「ほほほ、旦那様のお早うございますこと」 「そのはずさ。今日は榛名(はるな)から相馬(そうま)が嶽(たけ)に上って、それから二(ふた)ツ嶽(だけ)に上って、屏風岩(びょうぶいわ)の下まで来ると迎えの者に会ったんだ」 「そんなにお歩き遊ばしたの?」 「しかし相馬が嶽のながめはよかったよ。浪さんに見せたいくらいだ。一方は茫々(ぼうぼう)たる平原さ、利根(とね)がはるかに流れてね。一方はいわゆる山また山さ、その上から富士がちょっぽりのぞいてるなんぞはすこぶる妙だ。歌でも詠(よ)めたら、ひとつ人麿(ひとまろ)と腕っ比べをしてやるところだった。あはははは。そらもひとつお代わりだ」 「そんなに景色(けしき)がようございますの。行って見とうございましたこと!」 「ふふふふ。浪さんが上れたら、金鵄(きんし)勲章をあげるよ。そらあ急嶮(ひど)い山だ、鉄鎖(かなぐさり)が十本もさがってるのを、つたって上るのだからね。僕なんざ江田島(えたじま)で鍛い上げたからだで、今でもすわというとマストでも綱(リギング)でもぶら下がる男だから、何でもないがね、浪さんなんざ東京の土踏んだ事もあるまい」 「まあ、あんな事を」にっこり顔をあからめ「これでも学校では体操もいたしましたし――」 「ふふふふ。華族女学校の体操じゃ仕方がない。そうそう、いつだっけ、参観に行ったら、琴だか何だかコロンコロン鳴ってて、一方で『地球の上に国という国(くうに)は』何とか歌うと、女生(みんな)が扇を持って起(た)ったりしゃがんだりぐるり回ったりしとるから、踊りの温習(さらい)かと思ったら、あれが体操さ! あはははは」 「まあ、お口がお悪い!」 「そうそう。あの時山木の女(むすめ)と並んで、垂髪(おさげ)に結(い)って、ありあ何とか言ったっけ、葡萄色(ぶどういろ)の袴(はかま)はいて澄ましておどってたのは、たしか浪さんだっけ」 「ほほほほ、あんな言(こと)を! あの山木さんをご存じでいらっしゃいますの?」 「山木はね、うちの亡父(おや)が世話したんで、今に出入りしとるのさ。はははは、浪さんが敗北したもんだから黙ってしまったね」 「あんな言(こと)!」 「おほほほほ。そんなに御夫婦げんかを遊ばしちゃいけません。さ、さ、お仲直りのお茶でございますよ。ほほほほ」     二 前回かりに壮夫(わかもの)といえるは、海軍少尉男爵(だんしゃく)川島武男(かわしまたけお)と呼ばれ、このたび良媒ありて陸軍中将子爵片岡毅(かたおかき)とて名は海内(かいだい)に震える将軍の長女浪子(なみこ)とめでたく合※(ごうきん)の式を挙(あ)げしは、つい先月の事にて、ここしばしの暇を得たれば、新婦とその実家よりつけられし老女の幾(いく)を連れて四五日前(ぜん)伊香保(いかほ)に来たりしなり。 浪子は八歳(やっつ)の年実母(はは)に別れぬ。八歳(やっつ)の昔なれば、母の姿貌(すがたかたち)ははっきりと覚えねど、始終笑(えみ)を含みていられしことと、臨終のその前にわれを臥床(ふしど)に呼びて、やせ細りし手にわが小さき掌(たなぞこ)を握りしめ「浪や、母(かあ)さんは遠(とおー)いとこに行くからね、おとなしくして、おとうさまを大事にして、駒(こう)ちゃんをかあいがってやらなければなりませんよ。もう五六年……」と言いさしてはらはらと涙を流し「母さんがいなくなっても母さんをおぼえているかい」と今は肩過ぎしわが黒髪のそのころはまだふっさりと額ぎわまで剪(き)り下げしをかいなでかいなでしたまいし事も記憶の底深く彫(え)りて思い出ぬ日はあらざりき。 一年ほど過ぎて、今の母は来つ。それより後は何もかも変わり果てたることになりぬ。先の母はれっきとしたる士(さむらい)の家より来しなれば、よろず折り目正しき風(ふう)なりしが、それにてもあのように仲よき御夫婦は珍しと婢(おんな)の言えるをきけることもありし。今の母はやはりれっきとした士(さむらい)の家から来たりしなれど、早くより英国に留学して、男まさりの上に西洋風の染(し)みしなれば、何事も先とは打って変わりて、すべて先の母の名残(なごり)と覚ゆるをばさながら打ち消すように片端より改めぬ。父に対しても事ごとに遠慮もなく語らい論ずるを、父は笑いて聞き流し「よしよし、おいが負けじゃ、負けじゃ」と言わるるが常なれど、ある時ごく気に入りの副官、難波(なんば)といえるを相手の晩酌に、母も来たりて座に居しが、父はじろりと母を見てからからと笑いながら「なあ難波君、学問の出来(でく)る細君(おくさん)は持つもんじゃごわはん、いやさんざんな目にあわされますぞ、あはははは」と言われしとか。さすがの難波も母の手前、何と挨拶(あいさつ)もし兼ねて手持ちぶさたに杯(さかずき)を上げ下げして居しが、その後(のち)おのが細君にくれぐれも女児(むすめ)どもには書物を読み過ごさせな、高等小学卒業で沢山と言い含められしとか。 浪子は幼きよりいたって人なつこく、しかも怜悧(りこう)に、香炉峰(こうろほう)の雪に簾(すだれ)を巻くほどならずとも、三つのころより姥(うば)に抱かれて見送る玄関にわれから帽をとって阿爺(ちち)の頭(かしら)に載すほどの気はききたり。伸びん伸びんとする幼心(おさなごころ)は、たとえば春の若菜のごとし。よしやひとたび雪に降られしとて、ふみにじりだにせられずば、おのずから雪融(と)けて青々とのぶるなり。慈母(はは)に別れし浪子の哀(かな)しみは子供には似ず深かりしも、後(あと)の日だに照りたらば苦もなく育つはずなりき。束髪に結いて、そばへ寄れば香水の香の立ち迷う、目少し釣りて口大きなる今の母を初めて見し時は、さすがに少したじろぎつるも、人なつこき浪子はこの母君にだに慕い寄るべかりしに、継母はわれからさしはさむ一念にかあゆき児(こ)をば押し隔てつ。世なれぬわがまま者の、学問の誇り、邪推、嫉妬(しっと)さえ手伝いて、まだ八つ九つの可愛児(かあいこ)を心ある大人(おとな)なんどのように相手にするより、こなたは取りつく島もなく、寒ささびしさは心にしみぬ。ああ愛されぬは不幸なり、愛いすることのできぬはなおさらに不幸なり。浪子は母あれども愛するを得ず、妹(いもと)あれども愛するを得ず、ただ父と姥(うば)の幾(いく)と実母の姉なる伯母(おば)はあれど、何を言いても伯母はよその人、幾は召使いの身、それすら母の目常に注ぎてあれば、少しよくしても、してもらいても、互いにひいきの引き倒し、かえってためにならず。ただ父こそは、父こそは渾身(こんしん)愛に満ちたれど、その父中将すらもさすがに母の前をばかねらるる、それも思えば慈愛の一つなり。されば母の前では余儀なくしかりて、陰へ回れば言葉少なく情深くいたわる父の人知らぬ苦心、怜悧(さと)き浪子は十分に酌(く)んで、ああうれしいかたじけない、どうぞ身を粉(こ)にしても父上のおためにと心に思いはあふるれど、気がつくほどにすれば、母は自分の領分に踏み込まれたるように気をわるくするがつらく、光を※(つつ)みて言(ことば)寡(すくな)に気もつかぬ体(てい)に控え目にしていれば、かえって意地わるのやれ鈍物のと思われ言わるるも情けなし。ある時はいささかの間違いより、流るるごとき長州弁に英国仕込みの論理法もて滔々(とうとう)と言いまくられ、おのれのみかは亡(な)き母の上までもおぼろげならずあてこすられて、さすがにくやしくかんだ唇(くちびる)開かんとしては縁側にちらりと父の影見ゆるに口をつぐみ、あるいはまたあまり無理なる邪推されては「母(おっか)さまもあんまりな」と窓かけの陰に泣いたることもありき。父ありというや。父はあり。愛する父はあり。さりながら家(うち)が世界の女の兒(こ)には、五人の父より一人(ひとり)の母なり。その母が、その母がこの通りでは、十年の間には癖もつくべく、艶(つや)も失(う)すべし。「本当に彼女(あのこ)はちっともさっぱりした所がない、いやに執念(しゅうねい)な人だよ」と夫人は常にののしりぬ。ああ土鉢(どばち)に植えても、高麗交趾(こうらいこうち)の鉢に植えても、花は花なり、いずれか日の光を待たざるべき。浪子は実に日陰の花なりけり。 さればこのたび川島家と縁談整いて、輿入(こしいれ)済みし時は、浪子も息をつき、父中将も、継母も、伯母も、幾(いく)も、皆それぞれに息をつきぬ。 「奥様(浪子の継母)は御自分は華手(はで)がお好きなくせに、お嬢様にはいやアな、じみなものばかり、買っておあげなさる」とつねにつぶやきし姥(うば)の幾が、嫁入りじたくの薄きを気にして、先奥様(せんおくさま)がおいでになったらとかき口説(くど)いて泣きたりしも、浪子はいそいそとしてわが家(や)の門(かど)を出(い)でぬ。今まで知らぬ自由と楽しさのこのさきに待つとし思えば、父に別るる哀(かな)しさもいささか慰めらるる心地(ここち)して、いそいそとして行きたるなり。     三の一 伊香保より水沢(みさわ)の観音(かんのん)まで一里あまりの間は、一条(ひとすじ)の道、蛇(へび)のごとく禿山(はげやま)の中腹に沿うてうねり、ただ二か所ばかりの山の裂け目の谷をなせるに陥りてまた這(は)い上がれるほかは、目をねむりても行かるべき道なり。下は赤城(あかぎ)より上毛(じょうもう)の平原を見晴らしつ。ここらあたりは一面の草原なれば、春のころは野焼きのあとの黒める土より、さまざまの草萱(かや)萩(はぎ)桔梗(ききょう)女郎花(おみなえし)の若芽など、生(は)え出(い)でて毛氈(もうせん)を敷けるがごとく、美しき草花その間に咲き乱れ、綿帽子着た銭巻(ぜんまい)、ひょろりとした蕨(わらび)、ここもそこもたちて、ひとたびここにおり立たば春の日の永(なが)きも忘るべき所なり。 武男(たけお)夫婦は、今日(きょう)の晴れを蕨狩(わらびが)りすとて、姥(うば)の幾(いく)と宿の女中を一人(ひとり)つれて、午食後(ひるご)よりここに来つ。はやひとしきり採りあるきて、少しくたびれが来しと見え、女中に持たせし毛布(けっと)を草のやわらかなるところに敷かせて、武男は靴(くつ)ばきのままごろりと横になり、浪子(なみこ)は麻裏草履(あさうら)を脱ぎ桃紅色(ときいろ)のハンケチにて二つ三つ膝(ひざ)のあたりをはらいながらふわりとすわりて、 「おおやわらか! もったいないようでございますね」 「ほほほお嬢――あらまた、御免遊ばせ、お奥様のいいお顔色(いろ)におなり遊ばしましたこと! そしてあんなにお唱歌なんぞお歌い遊ばしましたのは、本当にお久しぶりでございますねエ」と幾はうれしげに浪子の横顔をのぞく。 「あんまり歌ってなんだか渇(かわ)いて来たよ」 「お茶を持ってまいりませんで」と女中は風呂敷(ふろしき)解きて夏蜜柑(なつみかん)、袋入りの乾菓子(ひがし)、折り詰めの巻鮓(まきずし)など取り出す。 「何、これがあれば茶はいらんさ」と武男はポッケットよりナイフ取り出して蜜柑をむきながら「どうだい浪さん、僕の手ぎわには驚いたろう」 「あんな言(こと)をおっしゃるわ」 「旦那(だんな)様のおとり遊ばしたのには、杪※(へご)がどっさりまじっておりましてございますよ」と、女中が口を出す。 「ばかを言うな。負け惜しみをするね。ははは。今日は実に愉快だ。いい天気じゃないか」 「きれいな空ですこと、碧々(あおあお)して、本当に小袖(こそで)にしたいようでございますね」 「水兵の服にはなおよかろう」 「おおいい香(かおり)! 草花の香でしょうか、あ、雲雀(ひばり)が鳴いてますよ」 「さあ、お鮓(すし)をいただいてお腹(なか)ができたから、もうひとかせぎして来ましょうか、ねエ女中さん」と姥(うば)の幾は宿の女を促し立てて、また蕨採りにかかりぬ。 「すこし残しといてくれんとならんぞ――健(まめ)な姥(ばあ)じゃないか、ねエ浪さん」 「本当に健(まめ)でございますよ」 「浪さん、くたびれはしないか」 「いいえ、ちっとも今日は疲れませんの、わたくしこんなに楽しいことは始めて!」 「遠洋航海なぞすると随分いい景色(けしき)を見るが、しかしこんな高い山の見晴らしはまた別だね。実にせいせいするよ。そらそこの左の方に白い壁が閃々(ちらちら)するだろう。あれが来がけに浪さんと昼飯を食った渋川(しぶかわ)さ。それからもっとこっちの碧(あお)いリボンのようなものが利根川(とねがわ)さ。あれが坂東太郎(ばんどうたろう)た見えないだろう。それからあの、赤城(あかぎ)の、こうずうと夷(たれ)とる、それそれ煙が見えとるだろう、あの下の方に何だかうじゃうじゃしてるね、あれが前橋(まえばし)さ。何? ずっと向こうの銀の針(びん)のようなの? そうそう、あれはやっぱり利根の流れだ。ああもう先はかすんで見えない。両眼鏡を持って来るところだったねエ、浪さん。しかし霞(かすみ)がかけて、先がはっきりしないのもかえっておもしろいかもしれん」 浪子はそっと武男の膝(ひざ)に手を投げて溜息(といき)つき 「いつまでもこうしていとうございますこと!」 「黄色の蝶二つ浪子の袖をかすめてひらひらと飛び行きしあとより、さわさわと草踏む音して、帽子かぶりし影法師だしぬけに夫婦の眼前(めさき)に落ち来たりぬ。 「武男君」 「やあ! 千々岩(ちぢわ)君か。どうしてここに?」     三の二 新来の客は二十六七にや。陸軍中尉の服を着たり。軍人には珍しき色白の好男子。惜しきことには、口のあたりどことなく鄙(いや)しげなるところありて、黒水晶のごとき目の光鋭く、見つめらるる人に不快の感を起こさすが、疵(きず)なるべし。こは武男が従兄(いとこ)に当たる千々岩安彦(ちぢわやすひこ)とて、当時参謀本部の下僚におれど、腕ききの聞こえある男なり。 「だしぬけで、びっくりだろう。実は昨日(きのう)用があって高崎(たかさき)に泊まって、今朝(けさ)渋川まで来たんだが、伊香保はひと足と聞いたから、ちょっと遊びに来たのさ。それから宿に行ったら、君たちは蕨(わらび)採りの御遊(ぎょゆう)だと聞いたから、路(みち)を教(おそ)わってやって来たんだ。なに、明日(あす)は帰らなけりゃならん。邪魔に来たようだな。はッはッ」 「ばかな。――君それから宅(うち)に行ってくれたかね」 「昨朝(きのう)ちょっと寄って来た。叔母様(おばさん)も元気でいなさる。が、もう君たちが帰りそうなものだってしきりとこぼしていなすッたッけ。――赤坂(あかさか)の方でもお変わりもありませんです」と例の黒水晶の目はぎらりと浪子の顔に注ぐ。 さっきからあからめし顔はひとしお紅(あこ)うなりて浪子は下向きぬ。 「さあ、援兵が来たからもう負けないぞ。陸海軍一致したら、娘子(じょうし)軍百万ありといえども恐るるに足らずだ。――なにさ、さっきからこの御婦人方がわが輩一人(ひとり)をいじめて、やれ蕨の取り方が少ないの、採ったが蕨じゃないだの、悪口(あっこう)して困ったンだ」と武男は顋(あご)もて今来し姥(うば)と女中をさす。 「おや、千々岩様――どうしていらッしゃいまして?」と姥(うば)はびっくりした様子にて少し小鼻にしわを寄せつ。 「おれがさっき電報かけて加勢に呼んだンだ」 「おほほほ、あんな言(こと)をおしゃるよ――ああそうで、へえ、明日(あす)はお帰り遊ばすンで。へえ、帰ると申しますと、ね、奥様、お夕飯(ゆう)のしたくもございますから、わたくしどもはお先に帰りますでございますよ」 「うん、それがいい、それがいい。千々岩君も来たから、どっさりごちそうするンだ。そのつもりで腹を減らして来るぞ。ははははは。なに、浪さんも帰る? まあいるがいいじゃないか。味方がなくなるから逃げるンだな。大丈夫さ、決していじめはしないよ。あはははは」 引きとめられて浪子は居残れば、幾は女中(おんな)と荷物になるべき毛布(ケット)蕨などとりおさめて帰り行きぬ。 あとに三人(みたり)はひとしきり蕨を採りて、それよりまだ日も高ければとて水沢(みさわ)の観音に詣(もう)で、さきに蕨を採りし所まで帰りてしばらく休み、そろそろ帰途に上りぬ。 夕日は物聞山(ものききやま)の肩より花やかにさして、道の左右の草原は萌黄(もえぎ)の色燃えんとするに、そこここに立つ孤松(ひとつまつ)の影長々と横たわりつ。目をあぐれば、遠き山々静かに夕日を浴び、麓(ふもと)の方は夕煙諸処に立ち上る。はるか向こうを行く草負い牛の、しかられてもうと鳴く声空に満ちぬ。 武男は千々岩と並びて話しながら行くあとより浪子は従いて行く。三人(みたり)は徐(しず)かに歩みて、今しも壑(たに)を渉(わた)り終わり、坂を上りてまばゆき夕日の道に出(い)でつ。 武男はたちまち足をとどめぬ。 「やあ、しまった。ステッキを忘れた。なに、さっき休んだところだ。待っててくれたまえ、ひと走り取って来るから――なに、浪さんは待ってればいいじゃないか。すぐそこだ。全速力で駆けて来る」 と武男はしいて浪子を押しとめ、ハンケチ包みの蕨を草の上にさし置き、急ぎ足に坂を下りて見えずなりぬ。     三の三 武男が去りしあとに、浪子は千々岩(ちぢわ)と一間ばかり離れて無言に立ちたり。やがて谷を渉(わた)りてかなたの坂を上り果てし武男の姿小さく見えたりしが、またたちまちかなたに向かいて消えぬ。 「浪子さん」 かなたを望みいし浪子は、耳もと近き声に呼びかけられて思わず身を震わしたり。 「浪子さん」 一歩近寄りぬ。 浪子は二三歩引き下がりて、余儀なく顔をあげたりしが、例の黒水晶の目にひたとみつめられて、わき向きたり。 「おめでとう」 こなたは無言、耳までさっと紅(くれない)になりぬ。 「おめでとう。イヤ、おめでとう。しかしめでたくないやつもどこかにいるですがね。へへへへ」 浪子はうつむきて、杖(つえ)にしたる海老色(えびいろ)の洋傘(パラソル)のさきもてしきりに草の根をほじりつ。 「浪子さん」 蛇(へび)にまつわらるる栗鼠(りす)の今は是非なく顔を上げたり。 「何でございます?」 「男爵に金、はやっぱりいいものですよ。へへへへへ、いやおめでとう」 「何をおっしゃるのです?」 「へへへへへ、華族で、金があれば、ばかでも嫁に行く、金がなけりゃどんなに慕っても唾(つばき)もひッかけん、ね、これが当今(いま)の姫御前(ひめごぜ)です。へへへへ、浪子さんなンざそんな事はないですがね」 浪子もさすがに血相変えてきっと千々岩をにらみたり。 「何をおっしゃるンです。失敬な。も一度武男の目前(まえ)で言ってごらんなさい。失敬な。男らしく父に相談もせずに、無礼千万な艶書(ふみ)を吾(ひと)にやったりなンぞ……もうこれから決して容赦はしませぬ」 「何ですと?」千々岩の額はまっ暗くなり来たり、唇(くちびる)をかんで、一歩二歩寄らんとす。 だしぬけにいななく声足下(あしもと)に起こりて、馬上の半身坂より上に見え来たりぬ。 「ハイハイハイッ。お邪魔でがあすよ。ハイハイハイッ」と馬上なる六十あまりの老爺(おやじ)、頬被(ほおかぶ)りをとりながら、怪しげに二人(ふたり)のようすを見かえり見かえり行き過ぎたり。 千々岩は立ちたるままに、動かず。額の条(すじ)はややのびて、結びたる唇のほとりに冷笑のみぞ浮かびたる。 「へへへへ、御迷惑ならお返しなさい」 「何をですか?」 「何が何をですか、おきらいなものを!」 「ありません」 「なぜないのです」 「汚らわしいものは焼きすててしまいました」 「いよいよですな。別に見た者はきっとないですか」 「ありません」 「いよいよですか」 「失敬な」 浪子は忿然(ふんぜん)として放ちたる眼光の、彼がまっ黒き目のすさまじきに見返されて、不快に得堪(えた)えずぞっと震いつつ、はるかに目をそらしぬ。あたかもその時谷を隔てしかなたの坂の口に武男の姿見え来たりぬ。顔一点棗(なつめ)のごとくあかく夕日にひらめきつ。 浪子はほっと息つきたり。 「浪子さん」 千々岩は懲りずまにあちこち逸(そ)らす浪子の目を追いつつ「浪子さん、一言(ひとこと)いって置くが、秘密、何事(なに)も秘密に、な、武男君にも、御両親にも。で、なけりゃ――後悔しますぞ」 電(いなずま)のごとき眼光を浪子の面(おもて)に射つつ、千々岩は身を転じて、俛(ふ)してそこらの草花を摘み集めぬ。 靴音(くつおと)高く、ステッキ打ち振りつつ坂を上り来し武男「失敬、失敬。あ苦しい、走りずめだッたから。しかしあったよ、ステッキは。――う、浪さんどうかしたかい、ひどく顔色(いろ)が悪いぞ」 千々岩は今摘みし菫(すみれ)の花を胸の飾紐(ひも)にさしながら、 「なに、浪子さんはね、君があまりひま取ったもンだから、おおかた迷子(まいご)になったンだろうッて、ひどく心配しなすッたンさ。はッはははは」 「あはははは。そうか。さあ、そろそろ帰ろうじゃないか」 三人(みたり)の影法師は相並んで道べの草に曳(ひ)きつつ伊香保の片(かた)に行きぬ。     四の一 午後三時高崎発上り列車の中等室のかたすみに、人なきを幸い、靴ばきのまま腰掛けの上に足さしのばして、巻莨(まきたばこ)をふかしつつ、新聞を読みおるは千々岩安彦なり。 手荒く新聞を投げやり、 「ばか!」 歯の間よりもの言う拍子に落ちし巻莨を腹立たしげに踏み消し、窓の外に唾(つば)はきしまましばらくたたずみていたるが、やがて舌打ち鳴らして、室の全長(ながさ)を二三度(ど)往来(ゆきき)して、また腰掛けに戻りつ。手をこまぬきて、目を閉じぬ。まっ黒き眉(まゆ)は一文字にぞ寄りたる。       * 千々岩安彦は孤(みなしご)なりき。父は鹿児島(かごしま)の藩士にて、維新の戦争に討死(うちじに)し、母は安彦が六歳の夏そのころ霍乱(かくらん)と言いけるコレラに斃(たお)れ、六歳の孤児は叔母(おば)――父の妹の手に引き取られぬ。父の妹はすなわち川島武男の母なりき。 叔母はさすがに少しは安彦をあわれみたれども、叔父(おじ)はこれを厄介者に思いぬ。武男が仙台平(せんだいひら)の袴(はかま)はきて儀式の座につく時、小倉袴(こくらばかま)の萎(な)えたるを着て下座にすくまされし千々岩は、身は武男のごとく親、財産、地位などのあり余る者ならずして、全くわが拳(こぶし)とわが知恵に世を渡るべき者なるを早く悟り得て、武男を悪(にく)み、叔父をうらめり。 彼は世渡りの道に裏と表の二条(ふたすじ)あるを見ぬきて、いかなる場合にも捷径(しょうけい)をとりて進まんことを誓いぬ。されば叔父の陰によりて陸軍士官学校にありける間も、同窓の者は試験の、点数のと騒ぐ間(ま)に、千々岩は郷党の先輩にも出入り油断なく、いやしくも交わるに身の便宜(たより)になるべき者を選み、他の者どもが卒業証書握りてほっと息つく間(ま)に、早くも手づるつとうて陸軍の主脳なる参謀本部の囲い内(うち)に乗り込み、ほかの同窓生(なかま)はあちこちの中隊付きとなりてそれ練兵やれ行軍と追いつかわるるに引きかえて、千々岩は参謀本部の階下に煙吹かして戯談(じょうだん)の間に軍国の大事もあるいは耳に入るうらやましき地位に巣くいたり。 この上は結婚なり。猿猴(えんこう)のよく水に下るはつなげる手あるがため、人の立身するはよき縁あるがためと、早くも知れる彼は、戸籍吏ならねども、某男爵は某侯爵の婿、某学士兼高等官は某伯の婿、某富豪は某伯の子息の養父にて、某侯の子息の妻(さい)も某富豪の女(むすめ)と暗に指を折りつつ、早くもそこここと配れる眼(まなこ)は片岡(かたおか)陸軍中将の家に注ぎぬ。片岡中将としいえば、当時予備にこそおれ、驍名(ぎょうめい)天下に隠れなく、畏(かしこ)きあたりの御覚(おんおぼ)えもいとめでたく、度量濶大(かつだい)にして、誠に国家の干城と言いつべき将軍なり。千々岩は早くこの将軍の隠然として天下に重き勢力を見ぬきたれば、いささかの便(たより)を求めて次第に近寄り、如才なく奥にも取り入りつ。目は直ちに第一の令嬢浪子をにらみぬ。一には父中将の愛おのずからもっとも深く浪子の上に注ぐをいち早く看(み)て取りしゆえ、二には今の奥様はおのずから浪子を疎(うと)みてどこにもあれ縁あらば早く片づけたき様子を見たるため、三にはまた浪子のつつしみ深く気高(けだか)きを好ましと思う念もまじりて、すなわちその人を目がけしなり。かくて様子を見るに中将はいわゆる喜怒容易に色にあらわれぬ太腹の人なれば、何と思わるるかはちと測り難けれど、奥様の気には確かに入りたり。二番目の令嬢の名はお駒(こま)とて少し跳(は)ねたる三五の少女(おとめ)はことにわれと仲よしなり。その下には今の奥様の腹にて、二人(ふたり)の子供あれど、こは問題のほかとしてここに老女の幾(いく)とて先の奥様の時より勤め、今の奥様の輿入(こしいれ)後奥台所の大更迭を行われし時も中将の声がかりにて一人(ひとり)居残りし女、これが終始浪子のそばにつきてわれに好意の乏しきが邪魔なれど、なあに、本人の浪子さえ攻め落とさばと、千々岩はやがて一年ばかり機会をうかがいしが、今は待ちあぐみてある日宴会帰りの酔(え)いまぎれ、大胆にも一通の艶書(えんしょ)二重(ふたえ)封(ふう)にして表書きを女文字(もじ)に、ことさらに郵便をかりて浪子に送りつ。 その日命ありてにわかに遠方に出張し、三月あまりにして帰れば、わが留守に浪子は貴族院議員加藤(かとう)某(なにがし)の媒酌(ばいしゃく)にて、人もあるべきにわが従弟(いとこ)川島武男と結婚の式すでに済みてあらんとは! 思わぬ不覚をとりし千々岩は、腹立ちまぎれに、色よき返事このようにと心に祝いて土産(みやげ)に京都より買(こ)うて来し友染縮緬(ゆうぜんちりめん)ずたずたに引き裂きて屑籠(くずかご)に投げ込みぬ。 さりながら千々岩はいかなる場合にも全くわれを忘れおわる男にあらざれば、たちまちにして敗余の兵を収めつ。ただ心外なるはこの上かの艶書(ふみ)の一条もし浪子より中将に武男に漏れなば大事の便宜(たより)を失う恐れあり。持ち込みよき浪子の事なれば、まさかと思えどまたおぼつかなく、高崎に用ありて行きしを幸い、それとなく伊香保に滞留する武男夫妻を訪(と)うて、やがて探りを入れたるなり。 いまいましきは武男――       * 「武男、武男」と耳近にたれやら呼びし心地(ここち)して、愕(がく)と目を開きし千々岩、窓よりのぞけば、列車はまさに上尾(あげお)の停車場(ステーション)にあり。駅夫が、「上尾上尾」と呼びて過ぎたるなり。 「ばかなッ!」 ひとり自らののしりて、千々岩は起(た)ちて二三度車室を往(ゆ)き戻りつ。心にまとう或(あ)るものを振り落とさんとするように身震いして、座にかえりぬ。冷笑の影、目にも唇(くちびる)にも浮かびたり。 列車はまたも上尾を出(い)でて、疾風のごとく馳(は)せつつ、幾駅か過ぎて、王子(おうじ)に着きける時、プラットフォムの砂利踏みにじりて、五六人ドヤドヤと中等室に入り込みぬ。なかに五十あまりの男の、一楽(いちらく)の上下(にまい)ぞろい白縮緬(しろちりめん)の兵児帯(へこおび)に岩丈な金鎖をきらめかせ、右手(めて)の指に分厚(ぶあつ)な金の指環(ゆびわ)をさし、あから顔の目じり著しくたれて、左の目下にしたたかなる赤黒子(あかぼくろ)あるが、腰かくる拍子にフット目を見合わせつ。 「やあ、千々岩さん」 「やあ、これは……」 「どちらへおいででしたか」言いつつ赤黒子は立って千々岩がそばに腰かけつ。 「はあ、高崎まで」 「高崎のお帰途(かえり)ですか」ちょっと千々岩の顔をながめ、少し声を低めて「時にお急ぎですか。でなけりゃ夜食でもごいっしょにやりましょう」 千々岩はうなずきたり。     四の二 橋場の渡しのほとりなるとある水荘の門に山木兵造(やまきひょうぞう)別邸とあるを見ずば、某(なにがし)の待合(まちあい)かと思わるべき家作(やづく)りの、しかも音締(ねじ)めの響(おと)しめやかに婀娜(あだ)めきたる島田の障子(しょうじ)に映るか、さもなくば紅(くれない)の毛氈(もうせん)敷かれて花牌(はなふだ)など落ち散るにふさわしかるべき二階の一室(ひとま)に、わざと電燈の野暮(やぼ)を避けて例の和洋行燈(あんどうらんぷ)を据え、取り散らしたる杯盤の間に、あぐらをかけるは千々岩と今一人(ひとり)の赤黒子は問うまでもなき当家の主人山木兵造なるべし。 遠ざけにしや、そばに侍(はんべ)る女もあらず。赤黒子の前には小形の手帳を広げたり、鉛筆を添えて。番地官名など細かに肩書きして姓名数多(あまた)記(しる)せる上に、鉛筆にてさまざまの符号(しるし)つけたり。丸。四角。三角。イの字。ハの字。五六七などの数字。あるいはローマ数字。点かけたるもあり。ひとたび消してイキルとしたるもあり。 「それじゃ千々岩さん。その方はそれと決めて置いて、いよいよ定(き)まったらすぐ知らしてくれたまえ。――大丈夫間違はあるまいね」 「大丈夫さ、もう大臣の手もとまで出ているのだから。しかし何しろ競争者(あいて)がしょっちゅう運動しとるのだから例のも思い切って撒(ま)かんといけない。これだがね、こいつなかなか食えないやつだ。しッかり轡(くつわ)をかませんといけないぜ」と千々岩は手帳の上の一(いつ)の名をさしぬ。 「こらあどうだね?」 「そいつは話せないやつだ。僕はよくしらないが、ひどく頑固(がんこ)なやつだそうだ。まあ正面から平身低頭でゆくのだな。悪くするとしくじるよ」 「いや陸軍にも、わかった人もあるが、実に話のできン男もいるね。去年だった、師団に服を納めるンで、例の筆法でまあ大概は無事に通ったのはよかッたが。あら何とか言ッたッけ、赤髯(あかひげ)の大佐だったがな、そいつが何のかの難癖つけて困るから、番頭をやって例の菓子箱を出すと、ばかめ、賄賂(わいろ)なんぞ取るものか、軍人の体面に関するなんて威張って、とどのつまりあ菓子箱を蹴(け)飛ばしたと思いなさい。例の上層(うえ)が干菓子で、下が銀貨(しろいの)だから、たまらないさ。紅葉(もみじ)が散る雪が降る、座敷じゅう――の雨だろう。するとそいつめいよいよ腹あ立てやがッて、汚らわしいの、やれ告発するのなんのぬかしやがるさ。やっと結局(まとめ)をつけはつけたが、大骨折らしアがッたね。こんな先生がいるからばかばかしく事が面倒になる。いや面倒というと武男さんなぞがやっぱりこの流で、実に話せないに困る。こないだも――」 「しかし武男なんざ親父(おやじ)が何万という身代をこしらえて置いたのだから、頑固だッて正直だッて好きなまねしていけるのだがね。吾輩(ぼく)のごときは腕一本――」 「いやすっかり忘れていた」と赤黒子はちょいと千々岩の顔を見て、懐中より十円紙幣(さつ)五枚取り出(いだ)し「いずれ何はあとからとして、まあ車代に」 「遠慮なく頂戴(ちょうだい)します」手早くかき集めて内(うち)ポケットにしまいながら「しかし山木さん」 「?」 「なにさ、播(ま)かぬ種は生(は)えんからな!」 山木は苦笑(にがわら)いしつ。千々岩が肩ぽんとたたいて「食えン男だ、惜しい事だな、せめて経理局長ぐらいに!」 「はははは。山木さん、清正(きよまさ)の短刀は子供の三尺三寸よりか切れるぜ」 「うまく言ったな――しかし君、蠣殻町(かきがらちょう)だけは用心したまえ、素人(しろうと)じゃどうしてもしくじるぜ」 「なあに、端金(はしたがね)だからね――」 「じゃいずれ近日、様子がわかり次第――なに、車は出てから乗った方が大丈夫です」 「それじゃ――家内も御挨拶(ごあいさつ)に出るのだが、娘が手離されんでね」 「お豊(とよ)さんが? 病気ですか」 「実はその、何です。この一月ばかり病気をやってな、それで家内が連れて此家(ここ)へ来ているですて。いや千々岩さん、妻(かか)だの子だの滅多に持つもんじゃないね。金もうけは独身に限るよ。はッははは」 主人(あるじ)と女中(おんな)に玄関まで見送られて、千々岩は山木の別邸を出(い)で行きたり。     四の三 千々岩を送り終わりて、山木が奥へ帰り入る時、かなたの襖(ふすま)すうと開きて、色白きただし髪薄くしてしかも前歯二本不行儀に反(そ)りたる四十あまりの女入り来たりて山木のそばに座を占めたり。 「千々岩さんはもうお帰り?」 「今追っぱらったとこだ。どうだい、豊(とよ)は?」 反歯(そっぱ)の女はいとど顔を長くして「ほんまに良人(あんた)。彼女(あれ)にも困り切りますがな。――兼(かね)、御身(おまえ)はあち往(い)っておいで。今日(きょう)もなあんた、ちいと何かが気に食わんたらいうて、お茶碗(ちゃわん)を投げたり、着物を裂いたりして、しようがありまへんやった。ほんまに十八という年をして――」 「いよいよもって巣鴨(すがも)だね。困ったやつだ」 「あんた、そないな戯談(じょうだん)どころじゃございませんがな。――でもかあいそうや、ほんまにかあいそうや、今日もな、あんた、竹(たけ)にそういいましたてね。ほんまに憎らしい武男はんや、ひどいひどいひどいひどい人や、去年のお正月には靴下(くつした)を編んであげたし、それからハンケチの縁を縫ってあげたし、それからまだ毛糸の手袋だの、腕ぬきだの、それどころか今年の御年始には赤い毛糸でシャツまで編んであげたに、皆(みいな)自腹ア切ッて編んであげたのに、何(なアん)の沙汰(さた)なしであの不器量な意地(いじ)わるの威張った浪子はんをお嫁にもらったり、ほんまにひどい人だわ、ひどいわひどいわひどいわひどいわ、あたしも山木の女(むすめ)やさかい、浪子はんなんかに負けるものか、ほんまにひどいひどいひどいひどいッてな、あんた、こないに言って泣いてな。そないに思い込んでいますに、あああ、どうにかしてやりたいがな、あんた」 「ばかを言いなさい。勇将の下(もと)に弱卒なし。御身(おまえ)はさすがに豊が母(おっか)さんだよ。そらア川島だッて新華族にしちゃよっぽど財産もあるし、武男さんも万更(まんざら)ばかでもないから、おれもよほどお豊を入れ込もうと骨折って見たじゃないか。しかしだめで、もうちゃんと婚礼が済んで見れば、何もかも御破算さ。お浪さんが死んでしまうか、離縁にでもならなきゃア仕方がないじゃないか。それよりもばかな事はいい加減に思い切ッてさ、ほかに嫁(かたづ)く分別が肝心じゃないか、ばかめ」 「何が阿呆(あほう)かいな? はい、あんた見たいに利口やおまへんさかいな。好年配(えいとし)をして、彼女(あれ)や此女(これ)や足袋(たび)とりかえるような――」 「そう雄弁滔々(とうとう)まくしかけられちゃア困るて。御身(おまえ)は本当に馬(ば)――だ。すぐむきになりよる。なにさ、おれだッて、お豊は子だもの、かあいがらずにどうするものか、だからさ、そんなくだらぬ繰り言ばっかり言ってるよりも、別にな、立派なとこに、な、生涯楽をさせようと思ってるのだ。さ、おすみ、来なさい、二人(ふたり)でちっと説諭でもして見ようじゃないか」 と夫婦打ち連れ、廊下伝いに娘お豊の棲(す)める離室(はなれ)におもむきたり。 山木兵造というはいずこの人なりけるにや、出所定かならねど、今は世に知られたる紳商とやらの一人(にん)なり。出世の初め、今は故人となりし武男が父の世話を受けしこと少なからざれば、今も川島家に出入りすという。それも川島家が新華族中にての財産家なるがゆえなりという者あれど、そはあまりに酷なる評なるべし。本宅を芝桜川町(しばさくらがわちょう)に構えて、別荘を橋場の渡しのほとりに持ち、昔は高利も貸しけるが、今はもっぱら陸軍その他官省の請負を業とし、嫡男を米国ボストンの商業学校に入れて、女(むすめ)お豊はつい先ごろまで華族女学校に通わしつ。妻はいついかにして持ちにけるや、ただ京都者というばかり、すこぶる醜きを、よくかの山木は辛抱するぞという人もありしが、実は意気婀娜(あだ)など形容詞のつくべき女諸処に家居(いえい)して、輪番(かわるがわる)行く山木を待ちける由は妻もおぼろげならずさとりしなり。     四の四 床には琴、月琴、ガラス箱入りの大人形などを置きたり。すみには美しき女机あり、こなたには姿見鏡(すがたみ)あり。いかなる高貴の姫君や住みたもうらんと見てあれば、八畳のまんなかに絹ぶとん敷かせて、玉蜀黍(とうもろこし)の毛を束(つか)ねて結ったようなる島田を大童(おおわらわ)に振り乱し、ごろりと横に臥(ふ)したる十七八の娘、色白の下豊(しもぶくれ)といえばかあいげなれど、その下豊(しもぶくれ)が少し過ぎて頬(ほお)のあたりの肉今や落ちんかと危ぶまるるに、ちょっぽりとあいた口は閉ずるも面倒といい貌(がお)に始終洞門(どうもん)を形づくり、うっすりとあるかなきかの眉(まゆ)の下にありあまる肉をかろうじて二三分(ぶ)上下(うえした)に押し分けつつ開きし目のうちいかにも春がすみのかけたるごとく、前の世からの長き眠りがとんと今もってさめぬようなり。 今何かいいつけられて笑いを忍んで立って行く女の背(せな)に、「ばか」と一つ後ろ矢を射つけながら、女(むすめ)はじれったげに掻巻(かいまき)踏みぬぎ、床の間にありし大形の――袴(はかま)はきたる女生徒の多くうつれる写真をとりて、糸のごとき目にまばたきもせず見つめしが、やがてその一人(ひとり)の顔と覚しきあたりをしきりに爪弾(つまはじ)きしつ。なおそれにも飽き足らでや、爪(つめ)もてその顔の上に縦横に疵(きず)をつけぬ。 襖(ふすま)の開く音。 「たれ? 竹かい」 「うん竹だ、頭の禿(は)げた竹だ」 笑いながら枕(まくら)べにすわるは、父の山木と母なり。娘はさすがにあわてて写真を押し隠し、起きもされず寝もされずといわんがごとく横になりおる。 「どうだ、お豊、気分は? ちっとはいいか? 今隠したのは何だい。ちょっと見せな、まあ見せな。これさ見せなといえば。――なんだ、こりア、浪子さんの顔じゃないか、ひどく爪かたをつけたじゃないか。こんな事するよりか丑(うし)の時参りでもした方がよっぽど気がきいてるぜ!」 「あんたまたそないな事を!」 「どうだ、お豊、御身(おまえ)も山木兵造の娘じゃないか。ちっと気を大きくして山気(やまき)を出せ、山気を出せ、あんなけちけちした男に心中立て――それもさこっちばかりでお相手なしの心中立てするよりか、こら、お豊、三井(みつい)か三菱(みつびし)、でなけりゃア大将か総理大臣の息子(むすこ)、いやそれよりか外国の皇族でも引っかける分別をしろ。そんな肝ッ玉の小せエ事でどうするものか。どうだい、お豊」 母の前では縦横に駄々(だだ)をこねたまえど、お豊姫もさすがに父の前をば憚(はばか)りたもうなり。突っ伏して答えなし。 「どうだ、お豊、やっぱり武男さんが恋しいか。いや困った小浪(こなみ)御寮(ごりょう)だ。小浪といえば、ねエお豊、ちっと気晴らしに京都にでも行って見んか。そらアおもしろいぞ。祇園(ぎおん)清水(きよみず)知恩院(ちおんいん)、金閣寺(きんかくじ)拝見がいやなら西陣(にしじん)へ行って、帯か三枚襲(まいがさね)でも見立てるさ。どうだ、あいた口に牡丹餅(ぼたもち)よりうまい話だろう。御身(おまえ)も久しぶりだ、お豊を連れて道行きと出かけなさい、なあおすみ」 「あんたもいっしょに行きなはるのかいな」 「おれ? ばかを言いなさい、この忙(せわ)しいなかに!」 「それならわたしもまあ見合わせやな」 「なぜ? 飛んだ義理立てさするじゃないか。なぜだい?」 「おほ」 「なぜだい?」 「おほほほほほ」 「気味の悪(わり)い笑い方をするじゃないか。なぜだい?」 「あんた一人(ひとり)の留守が心配やさかい」 「ばかをいうぜ。お豊の前でそんな事いうやつがあるものか。お豊、母(おっか)さんの言ってる事(こた)ア皆うそだぜ、真(ま)に受けるなよ」 「おほほほ。どないに口で言わはってもあかんさかいなア」 「ばかをいうな。それよりか――なお豊、気を広く持て、広く。待てば甘露じゃ。今におもしれエ事が出て来るぜ」     五の一 赤坂氷川町(ひかわまち)なる片岡中将の邸内に栗(くり)の花咲く六月半ばのある土曜の午後(ひるすぎ)、主人子爵片岡中将はネルの単衣(ひとえ)に鼠縮緬(ねずみちりめん)の兵児帯(へこおび)して、どっかりと書斎の椅子(いす)に倚(よ)りぬ。 五十に間はなかるべし。額のあたり少し禿(は)げ、両鬢(りょうびん)霜ようやく繁(しげ)からんとす。体量は二十二貫、アラビア種(だね)の逸物(いちもつ)も将軍の座下に汗すという。両の肩怒りて頸(くび)を没し、二重(ふたえ)の顋(あぎと)直ちに胸につづき、安禄山(あんろくざん)風の腹便々として、牛にも似たる太腿(ふともも)は行くに相擦(あいす)れつべし。顔色(いろ)は思い切って赭黒(あかぐろ)く、鼻太く、唇(くちびる)厚く、鬚(ひげ)薄く、眉(まゆ)も薄し。ただこのからだに似げなき両眼細うして光り和らかに、さながら象の目に似たると、今にも笑(え)まんずる気(け)はいの断えず口もとにさまよえるとは、いうべからざる愛嬌(あいきょう)と滑稽(こっけい)の嗜味(しみ)をば著しく描き出(いだ)しぬ。 ある年の秋の事とか、中将微服して山里に猟(か)り暮らし、姥(ばば)ひとり住む山小屋に渋茶一碗(わん)所望しけるに、姥(ばば)つくづくと中将の様子を見て、 「でけえ体格(からだ)だのう。兎(うさぎ)のひとつもとれたんべいか?」 中将莞爾(かんじ)として「ちっともとれない」 「そねエな殺生(せっしょう)したあて、あにが商売になるもんかよ。その体格(からだ)で日傭(ひよう)取りでもして見ろよ、五十両は大丈夫だあよ」 「月にかい?」 「あに! 年によ。悪(わり)いこたあいわねえだから、日傭取るだあよ。いつだあておらが世話あしてやる」 「おう、それはありがたい。また頼みに来るかもしれん」 「そうしろよ、そうしろよ。そのでけえ体格(からだ)で殺生は惜しいこんだ」 こは中将の知己の間に一つ話として時々出(い)づる佳話なりとか。知らぬ目よりはさこそ見ゆらめ。知れる目よりはこの大山(たいさん)巌々(がんがん)として物に動ぜぬ大器量の将軍をば、まさかの時の鉄壁とたのみて、その二十二貫小山のごとき体格と常に怡然(いぜん)たる神色とは洶々(きょうきょう)たる三軍の心をも安からしむべし。 肱近(ひじちか)のテーブルには青地交趾(せいじこうち)の鉢(はち)に植えたる武者立(むしゃだち)の細竹(さいちく)を置けり。頭上には高く両陛下の御影(ぎょえい)を掲げつ。下りてかなたの一面には「成仁(じんをなす)」の額あり。落款は南洲(なんしゅう)なり。架上に書あり。暖炉縁(マンテルピース)の上、すみなる三角棚(だな)の上には、内外人の写真七八枚、軍服あり、平装のもあり。 草色のカーテンを絞りて、東南二方の窓は六つとも朗らかに明け放ちたり。東の方(かた)は眼下に人うごめき家かさなれる谷町を見越して、青々としたる霊南台の上より、愛宕塔(あたごとう)の尖(さき)、尺ばかりあらわれたるを望む。鳶(とび)ありてその上をめぐりつ。南は栗(くり)の花咲きこぼれたる庭なり。その絶え間より氷川社(ひかわやしろ)の銀杏(いちょう)の梢(こずえ)青鉾(あおほこ)をたてしように見ゆ。 窓より見晴らす初夏の空あおあおと浅黄繻子(あさぎじゅす)なんどのように光りつ。見る目清々(すがすが)しき緑葉(あおば)のそこここに、卵白色(たまごいろ)の栗の花ふさふさと満樹(いっぱい)に咲きて、画(えが)けるごとく空の碧(みどり)に映りたり。窓近くさし出(い)でたる一枝は、枝の武骨なるに似ず、日光(ひ)のさすままに緑玉、碧玉(へきぎょく)、琥珀(こはく)さまざまの色に透きつ幽(かす)めるその葉の間々(あいあい)に、肩総(エポレット)そのままの花ゆらゆらと枝もたわわに咲けるが、吹くとはなくて大気のふるうごとに香(か)は忍びやかに書斎に音ずれ、薄紫の影は窓の閾(しきみ)より主人が左手(ゆんで)に持てる「西比利亜(サイベリア)鉄道の現況」のページの上にちらちらおどりぬ。 主人はしばしその細き目を閉じて、太息(といき)つきしが、またおもむろに開きたる目を冊子の上に注ぎつ。 いずくにか、車井(くるまい)の響(おと)からからと珠(たま)をまろばすように聞こえしが、またやみぬ。 午後の静寂(しずけさ)は一邸に満ちたり。 たちまち虚(すき)をねらう二人(ふたり)の曲者(くせもの)あり。尺ばかり透きし扉(とびら)よりそっと頭(かしら)をさし入れて、また引き込めつ。忍び笑いの声は戸の外に渦まきぬ。一人(ひとり)の曲者は八つばかりの男児(おのこ)なり。膝(ひざ)ぎりの水兵の服を着て、編み上げ靴をはきたり。一人の曲者は五つか、六つなるべし、紫矢絣(やがすり)の単衣(ひとえ)に紅(くれない)の帯して、髪ははらりと目の上まで散らせり。 二人の曲者はしばし戸の外にたゆたいしが、今はこらえ兼ねたるように四つの手ひとしく扉をおしひらきて、一斉に突貫し、室のなかほどに横たわりし新聞綴込(とじこみ)の堡塁(ほうるい)を難なく乗り越え、真一文字に中将の椅子(いす)に攻め寄せて、水兵は右、振り分け髪は左、小山のごとき中将の膝を生けどり、 「おとうさま!」     五の二 「おう、帰ったか」 いかにもゆったりとその便々たる腹の底より押しあげたようなる乙音(ベース)を発しつつ、中将はにっこりと笑(え)みて、その重やかなる手して右に水兵の肩をたたき、左に振り分け髪のその前髪をかいなでつ。 「どうだ、小試験は? でけたか?」 「僕アね、僕アね、おとうさま、僕ア算術は甲」 「あたしね、おとうさま、今日(きょう)は縫い取りがよくできたッて先生おほめなすッてよ」 と振り分け髪はふところより幼稚園の製作物(こしらえもの)を取り出(いだ)して中将の膝の上に置く。 「おう、こら立派にでけたぞ」 「それからね、習字に読書が乙で、あとはみんな丙なの、とうと水上(みなかみ)に負けちゃッた。僕アくやしくッて仕方がないの」 「勉強するさ――今日は修身の話は何じゃッたか?」 水兵は快然と笑(え)みつつ、「今日はね、おとうさま、楠正行(くすのきまさつら)の話よ。僕正行ア大好き。正行とナポレオンはどっちがエライの?」 「どっちもエライさ」 「僕アね、おとうさま、正行ア大好きだけど、海軍がなお好きよ。おとうさまが陸軍だから、僕ア海軍になるンだ」 「はははは。川島の兄君(にいさん)の弟子(でし)になるのか?」 「だッて、川島の兄君(にいさん)なんか少尉だもの。僕ア中将になるンだ」 「なぜ大将にやならンか?」 「だッて、おとうさまも中将だからさ。中将は少尉よかエライんだね、おとうさま」 「少尉でも、中将でも、勉強する者がエライじゃ」 「あたしね、おとうさま、おとうさまてばヨウおとうさま」と振り分け髪はつかまりたる中将の膝を頡頏台(はねだい)にしてからだを上下(うえした)に揺すりながら、「今日はね、おもしろいお話を聞いてよ、あの兎(うさぎ)と亀(かめ)のお話を聞いてよ、言って見ましょうか、――ある所に一ぴきの兎と亀がおりました――あらおかあさまいらッしてよ」 柱時計の午後二点(にじ)をうつ拍子に、入り来たりしは三十八九の丈(たけ)高き婦人なり。束髪の前髪をきりて、ちぢらしたるを、隆(たか)き額の上にて二つに分けたり。やや大きなる目少しく釣りて、どこやらちと険なる所あり。地色の黒きにうっすり刷(は)きて、唇(くちびる)をまれに漏るる歯はまばゆきまで皓(しろ)くみがきぬ。パッとしたお召の単衣(ひとえ)に黒繻子(くろじゅす)の丸帯、左右の指に宝石(たま)入りの金環価(あたえ)高かるべきをさしたり。
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