霜凍る宵
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:近松秋江 

     一

 それからまた懊悩(おうのう)と失望とに毎日欝(ふさ)ぎ込みながらなすこともなく日を過していたが、もし京都の地にもう女がいないとすれば、去年の春以来帰らぬ東京に一度帰ってみようかなどと思いながら、それもならず日を送るうち一月の中旬を過ぎたある日のことであった。陰気に曇った冷たい空(から)っ風(かぜ)の吹いている日の午前、内にばかり閉じ籠(こも)っていると気が欝いで堪えられないので、また外に出て何の当てもなく街を歩いていたが、やっぱり例の、女のもといたあたりに何となく心が惹(ひ)かれるのでそちらへ廻って行って、横町を歩いていると、向うの建仁寺(けんにんじ)の裏門のところを、母親が、こんな寒い朝早くからどこへ行ったのか深い襟巻(えりまき)をしてこちらへ歩いて来るのが、遠くから眼についた。私はそれを一目見ると、心にうなずいて、
「この機会をいつから待っていたか知れぬ」と、心の中に小躍(こおど)りしながら、そこの廻り角のところでどっちに行くであろうかと、ほかに人通りのない寂しい裏町なのでこちらの板塀(いたべい)の蔭(かげ)にそっと身を忍ばせて、待っていると、母親はそれとは気がつかぬらしく、その廻り角のところに来て、左に折れた。……そこを左に折れると、先々月の末に探しあてて行った例の路次裏の方へ行く道順である。私は、母親をやり過しておいて、七、八間も後(おく)れながら忍び忍び蹤(つ)いてゆくと、幾つもある廻り角を曲ってだんだんこの間の家の方へ近づいて行く。そして、とうとう、やっぱりその路次を入っていった。母親の姿が路次の曲り角を廻って見えなくなると、私は小走りに急いで後を追うてゆくと、母親は、やっぱり過日(いつか)の三軒並んだ中央(まんなか)の家の潜戸(くぐり)を開けて入ってゆくところであった。そして入ったあとをぱたりと閉めてしまった。
 私はこちらの路次の入口のところに佇立(たちど)まって「ははあ」とばかりその様子を見ながら、心の中で、「今まで言っていたことは何もかも皆な□(うそ)ばかりであった。やっぱり女もこの家にいるにちがいない」と独(ひと)りでうなずいて、
「もうこうして居処(いどころ)を突き留めた以上は大丈夫である。これから一と思いに踏み込んでやろうか」と思ったが、いやいや長い間の気の縺(もつ)れに今は精神が疲労しきっている。今すぐ、あの戸を叩(たた)いては、また仕損じることがあってはいけない。あの家(うち)の中に女が潜んでいると知ったら安心である。あえて急ぐには及ばぬ。ゆっくり心を落ち着けて、精神の疲労を回復した上で話に取りかかっても遅しとせぬ。そう思案をして、そのままそっと路次を引き返して表の通りの方へ出て来た。そして早く一応宿へ帰って、積日の辛苦を寛(くつろ)げようと思って電車の方に歩いてくると、去年の十二月の初めから、空漠(くうばく)とした女の居処を探すためにひょっとしたら懊悩の極、喪失して病死しはせぬだろうかと自分で思っていた、その居処を突き留めた悦(よろこ)びやら悲しみやらが一緒に込み上げて来て、熱い玉のような涙がはらはらと両頬(りょうほお)に流れ落ちた。そして神経がむやみに昂(たかぶ)って、胸の動悸(どうき)が早鐘を撞(つ)くようにひびく。寒い外気に触れて頬のまわりに乾きつく涙を、道を行く人に憚(はばか)るようにしてそっと拭(ふ)きながら、私は心の中で、
「やっぱり初めからあすこにいたのだ。それを、あの母親の言うことにうまうまと騙(だま)されて、ありもせぬ遠くの方ばかし探していた。今のところに変って来る前先(せん)の時もあの路次にはもういないというから、そうかと思っていると、やっぱりあすこにいたのであった。今度もまたそうであった。一度ならず二度までも軽々と、あの母親のいうことを真実(ま)に受けて、この貴重な脳神経を、どんなに無駄(むだ)に浪費したか知れぬ」と、口惜(くや)しさと憤(いきどお)りとがかっとなるようであった。
 それから二、三日の間はつとめて心をほかのことに外(そ)らして気を慰め、神経を休めてから今度はよほどの強い決心をしてまたその路次に入って行った。そして入口の潜戸のところに立って引っ張ってみたが、やっぱり昼間でも中から錠を下ろしていると思われて開(あ)かない。
「ご免なさい」
と、声をかけてみた。すると、入口の脇(わき)の□子窓(れんじまど)をそっと開けて、母親が顔を出した。
「おかあはん、やっぱりここにいるんじゃありませんか」と、私は、どこまでも好きな女の母親に物をいうように優しい調子でいうと、母親は、それでもまだ剛情を張って、
「ここは私の家(うち)と違います。先から、そういうてるやおへんか」と、あくまでも白ばくれようとする。
 私も心でむっとしながら、
「いや、もう、そんなに隠さない方がいいです。あなた方は初めからここにいたのは分っているんだ。お園さんはどうしています?」
 そういうと、母親もさすがに包みかねて、声を柔らげながら、
「今まだ病気が本当にようありまへんさかい。ようなったら、あんたはんにも会わせますいうてるやおへんか、どうぞ今度また会うてやっとくれやす」
と調子のいいことをいう。
「そこにいるんなら、今会ったっていいじゃありませんか」
「今ちょっと留守どすさかい。また加減がようなったら、私の方から、あんたはんにお知らせします。もうしばらくの間待ってとくれやす」
 窓の内と外とで立ちながら、そんな話をしたが、母親は入口を開けて私を家の中へ入れようとせぬ。そしてしまいには、呆(あき)れて応答も出来ないような野卑な口をきいて毒づくのである。そもそも女に逢(あ)い初(そ)めた時分、それからつい去年の五月のころ、女の家に逗留(とうりゅう)していた時分に見て思っていた母親とは、まるで打って変った悪婆らしい本性を露出して来た。
 それにつけても、まだ女の家にいたころ、女が私と二人ばかりの時、
「内のお母はん、ちょっと欲の深い人どすさかい」と一と口いったことのあったのを、ふと思い起した。それを質樸(しつぼく)な婆さんと見たのがこちらの誤りであったか……そんなことを思った。
 私の心の中を正直に思ってみれば、もう、女の顔を見たいが一心である。ともかくも一度どうかして本人の顔が見たい。振(ふ)り顧(かえ)ってみると、母親にこそ近ごろたびたび会っているが、本人の顔を見たのは、もう、去年の七月の初め彼女のところから山の方に立っていった、あの時見たきり七、八カ月というもの見ないのである。流行感冒から精神に異状を来たして長い間患(わずら)っていたというから、どんな容姿(すがた)をしているか、さぞ病み細っているであろう。どうかして一度顔を見たいものである。そして出来ることなら母親に内証で、こちらの胸をそっと向うに通ずる術(すべ)もないものかと、いろいろに心を砕いたが、好い方法も考えつかぬ。毎日そこの路次口にいって立っていたなら、風呂に行く時にでも会われはせぬかと思ってみたが、一月から二月にかけて寒い最中のこととて、あまり無分別なことをして病気にでもなったら、この上になおつまらぬ目に会わねばならぬと思うと、そんなことも出来ぬ。そして時々路次に入っていって入口のところに立って家の中の様子に耳を澄ましてみるが、人がいるのか、いないのか、ことりという音もせねば話し声も洩(も)れぬ。そっと音のせぬように潜戸(くぐり)を引っ張ってみても、相変らず閉めきっていて動かない。入口の左手が一間の□子窓(れんじまど)になっていて、自由に手の入るだけの荒い出格子(でごうし)の奥に硝子戸(ガラスど)が立っていて、下の方だけ擦(す)り硝子(ガラス)をはめてある。そこから、手を□(さ)し入れて、試みにそっとその硝子戸を押してみると五、六寸何のこともなくずうっと開きかけたが、ふっとそれから先戸が動かなくなったのが、どうやら誰か内側からそれを押えているらしく思われたので、こんどは二枚立っている硝子戸の左手の方を反対に右手に引こうとすると、それもまた抑(おさ)えたらしく開かない。どうしようかと思ってちょっと考えたが、一旦(いったん)押す手を止めておいて、その出窓が一尺ほどの幅になっているので、こんどは隣りの家の入口の方に廻って、その横手の方から、一と押しに力を入れて、ぐっと押すと、こちらの力が勝って、硝子戸は一尺ほどすっと開いた。そして内側をふっと見ると、向うの窓の下のところに、嬉(うれ)しや、彼女が繊細(かぼそ)い手でまだ硝子戸に指を押しあてたまま私の方を見て、黙ってにっこりとしている。その顔は病人らしく蒼白(あおじろ)いが、思ったよりも肥えて頬などが円々(まるまる)としている。近いころ髪を洗ったと思われて、ぱさぱさした髪を束ねて櫛巻(くしまき)にしている。小綺麗(こぎれい)なメリンスの掛蒲団(かけぶとん)をかけて置炬燵(おきごたつ)にあたりながら気慰みに絽刺(ろさ)しをしていたところと見えて、右手にそれを持っている。私は窓の横から窺(のぞ)きながら、
「お園さん」と低い調子で深い心の籠った声をかけた。
 と、そこへ、その物音を聴(き)きつけて、次の間から母親が襖(ふすま)をあけて出て来て、
「なんで、そない端のところに出ているのや、早うこっちお入りんか。そなところにいるからや」と、ひそひそ小言をいいながら、力なげに起(た)ち上った彼女の背後(うしろ)に手を添えて奥の間の方へ推し隠してしまった。そして硝子戸を今度はぴっしゃり閉めてしまった。せっかく好いあんばいに顔を見ることが出来たのに、一と口も口を利(き)く間もなかった。
 けれども、長い間恋い焦(こが)れて、たった一と目でもいいから見たい見たいと思っていた女の顔を見ることができたので、ちょうど、長い間冬威(とうい)にうら枯れていた灰色の草原に緑の春草が芽ぐんだように一点の潤いが私の胸に蘇(よみがえ)ってきた。病後の血色こそ好くないが、腫(むく)んだように円々と肥って、にっとこちらを見て笑っていた容姿(すがた)には、決して心から私という者を厭(いと)うてはいないらしい毒気のないところが表われていた。ああして小綺麗なメリンス友禅の掛蒲団の置炬燵にあたりながら絽刺しをしていた容姿(すがた)が、明瞭(はっきり)と眼の底にこびりついて、いつまでも離れない。それにしても、あれは、何人が、ああさしておくのであろう? よもや背後(うしろ)に誰もついていないで、気楽そうにああしていられるはずがない。
 そんなことを思うと、身を煎(い)られるような悩ましさに胸の動悸が躍って、ほとんどいても起(た)ってもいられないほど女のことが思われる。
 そして、もう悪性の流行感冒に罹(かか)っても構わない、もし、そんなことにでもなったら、かえって身を棄(す)て鉢(ばち)に思いきったことが出来る、生半(なまなか)に身を厭えばこそ心が後れるのだ、誰か男が背後(うしろ)についているにちがいないとすれば大抵夜の八時九時時分には女の家に来ているであろうと、そのころを見計らって、ほとんど毎夜のように上京(かみぎょう)の方から遠い道を電車に乗って出て来ては路次の中に忍んで、女の□子(れんじ)の窓の下にそっと立っていた。そして、家の中から男の話し声が洩れはせぬか、その男の声が聴きたい、どんなことを話しているであろう? と冷たい黒闇(くらやみ)の夜気の中にしばらくじっと佇(たたず)んでいても、家(うち)の中からは、ことりの音もせぬ。そっと例の硝子戸に触(さわ)ってみるけれど、重い硝子戸は容易に動かない。誰もいない留守なのかと思っていると、いるにはいると思われて、畳の上を人の歩く足音がする。それが母親であったら勝手が悪いと思ったが、試みに、誰とも分らないほどに低い声で、
「今晩は今晩は。……ご免なさいご免なさい」
と声をかけてみると、すっと内から硝子戸が一尺ばかり開いてそっと、白い顔を出したのは、中の電燈を後に背負って、闇(くら)がりではあるが、たしかに彼女である。そして、眼で外の闇の中を探るようにしている。
「お園さん」
と、私は思わず□子窓に寄り添うようにして力の籠った低声(こごえ)で呼びかけながら手に物を言わせて、おいでおいでをして見せると、彼女は、声の正体が分ったので、そのまま黙って、急いで硝子戸を閉めてしまった。どうすることも出来ない私はちょうど猿(さる)が樹から落ちたような心持になった。向うで幾らかその気があるなら、何とか合図くらいのことはしてくれそうなものであるのに、少しもそんな様子のなかったのは、すっかり心が離れてしまっているからである。そう思うともう心に勢いが脱(ぬ)けて、その上つづけて寒い闇の中に佇んでいる力がなくなり、落胆と悲憤とに呼吸(いき)も絶え絶えになりそうな胸をそっと掻(か)き抱(いだ)きながら空(むな)しく引き返して戻(もど)ってくるのであった。
 それ以来硝子戸を固く釘付(くぎづ)けにでもしたと思われて、夜の闇にまぎれて幾ら押してみても引いてみても開かなくなってしまった。相変らず出かけていって窓の下に佇んで家の中の物音に身体(からだ)中の神経を集めて耳を澄ましても母子(おやこ)の者の話す声さえせぬ。何とか家の中を窺いて見る方法はないかと思って、硝子戸を仰いで見ると、下の方は磨(みが)き硝子になっているが上の方は普通の硝子になっているので、路次の中に闇にまぎれて、人の通るのを恐る恐るそこらに足を踏み掛けてそっと□子格子に取りついて身を伸び上って内を窺くと、表の四畳半と中の茶の間と両用の小さい電燈を茶の間の方に引っ張っていって、その下の長火鉢によりかかりながら彼女が独りきりでいつかの絽刺しをしているのが見える。そして身体が三分の一ばかり手前の襖に隠れているので、その蔭に母親もいるのか分らない。とにかく静かで、ただ絽刺しの針を運ぶ指先が動いているだけである。こちらが窓に伸び上っている物音でも聞えたら、ついと振り向きそうであるが、それも聞えぬのか、まるで石像のように静かにしている。ついでに内の中の様子を見ると、この間は気がつかなかったが、すぐ取付きの表の間には壁の隅(すみ)に二枚折りの銀屏風(ぎんびょうぶ)を立て、上り口に向いたところにはまた金地の衝立(ついたて)などを置いてある。
「あんな、いろんな家具などを買い込んでいる」と、それに何となく嫉妬(しっと)を感じながら、心急(せ)き急(せ)きなおよく見ると、内は三間と思われて茶の間のも一つ奥が一枚襖を開いたところから、そちらは明るく見えている。そしてそこに寝床を敷いてあるのが半分ほど見えている。私は神経が凝結したようになってそちらを、なおじっと見ると、木賊色(とくさいろ)の木綿ではあるが、ふかふかと綿の入った敷蒲団を二、三枚も重ねて敷き、そのうえに襟のところに真白い布を当てた同じ色の厚い掛蒲団を二枚重ねて、それをまん中からはね返して、もう寝さえすればよいようにしてある。そちらの座敷が明るいので、よく見える。私はもう身体中の血が沸き返るようである。
「旦那(だんな)が来ているのだろうか?」と、小頸(こくび)を傾けてみた。
旦那らしい者があると思って見るさえ、何とも言えない不快な気持がするが、いかに欲目でそんなものはないと思おうとしても家(うち)の中の様子では、それがあることは確かである。はたして自分の他にまだそんな者があって、今その世話でこうなっているとすれば、どう、自分の身びいきという立場を離れて考えても不埒(ふらち)である。たとい売女(ばいた)にしても、容易にそんなことが出来るわけのものではない。しかしそれは彼女の自分の意思でそうなったものか? 本人の心底をよく訊(き)いてみなければならぬが、二、三日前の夜ちょっと顔を覗(のぞ)けた時、すげなく硝子戸を閉めたことと言い、そののちこうして硝子戸を開かなくしたことなどを思い合わしても女には私のことにぷっつり気がなくなってしまったのではなかろうか? 何とかしてこちらの懊悩(やきやき)している胸の中を立ち割ったようにして見せたいものだ。母親の言った詐(つく)りごとを真に受けて、あの十二月の初め寒い日に、山科(やましな)の在所(ざいしょ)という在所を、一日重い土産物(みやげもの)などを両手にさげて探し廻ったこと、それから去年の暮のしかも二十九日に押し迫って、それも母親のいう通りを信じて、わざわざ汽車に乗って、南山城(みなみやましろ)の山の中に入って行こうとしたこと、また京都中を探し歩いたこと、そんな心労を数え立てていう段になったら幾らいっても尽きない。……女は硝子戸一枚隔てたすぐ眼の前にいながら、この心の中を通ずる術(すべ)もない。
 私は□子格子からやっと手を放して地におり立ちながら、「旦那が来ているので、ああして寝床までちゃんと用意してあるのだろうか。それとも自分の寝床かしらん?」
 そんな者が来ているなら、ああして自分独り黙って絽刺しをさしているはずもない、すると、あれは、これから自分の寝る床であろうか。どうかして旦那が来ているところを突き留めたい。それが、どんな人間であっても自分はそれに遠慮して手を引くのではない。自分より以上深い関係の人間がほかにあろうとは思えない。……
 そうして心の中は瞋恚(しんい)の焔(ほのお)に燃えたり、また堪えがたい失望のどん底に沈んでしまったような心持になったりしながらもまたふと思い返してみると、女は長い間の苦界(くがい)から今ようやく脱け出(い)でて、ああして静かに落ち着こうとしているところである。それを無惨に突き崩(くず)そうとするのはみじめのようでもある。そうかと思うと、また自分という者を振り返ってみると、どうであろう。この真冬の夜半に寒風に身を曝(さら)して女の家の窓の下に佇みながら家へ入って行くこともならぬ。しかもこちらは彼女のために、長い間ほとんど自分のすべての欲求を犠牲にして出来る限りのことを仕尽して来ているのではないか。ああして温々(ぬくぬく)とした寝床などをしているのに、自分はどうかといえば、これから宿に帰って冷たい夜具の中に入って寂しく寝なければならぬのである。すると、またどう考えても道理に合わない母子(おやこ)の勝手至極を憤らずにはいられない。
「よし。どうあっても、これはこのままには棄てておかないぞ」と思ったが、あまりに心が疲労しているので、その晩はそのまま悄然(しょうぜん)として宿に戻った。

     二

 でも、どうかして女だけにこちらの心を通じたい。乱暴なことをして、女の心が、もし、自分から離れていなかったとしたならば、そのためにかえって、自分を遠ざかってゆくようなことがあってはならぬと思い、胸はいろんな思いで一杯になりながらやっぱり思いきったことをし得ないでいたが、もうそうしているのにたまらなくなって、二、三日過ぎた晩同じように窓の下に立ってみたが、相変らず静寂(しん)としている。男が来ているかいないか分らないが、来ていれば、こうすれば聞くであろう。その女には、こんな者がついているぞと思わせようと思って、潜戸(くぐり)のところに寄って、臆(おく)せず、二つ三つ、
「今晩は!」と高い声をかけた。
 すると、
「どなたはんどす?」といいながら、母親が硝子戸を開けて顔を出した。
「今晩は。私です」
「ああ、あんたはんどすか。あんたはんには、もう用はない」と、いって、そのままぴしゃりと硝子戸を閉めてしまった。
 そうなると、もう、耐(こら)えにこらえぬいている憤怒がかっと込み上げて抑えることが出来ない。私は、わざと夜遅く近処合壁(がっぺき)に聞えるように、潜戸をどんどん打ち叩いて、
「今晩は今晩は今晩は今晩は」とやけに呼んだ。
 すると、家(うち)の中でも黙っているわけにゆかず母親はまた硝子戸を開けて顔を出して、少し先(せん)よりも低い声で、
「何か用どすか」という。
「何か用どすかもないもんだ。用があるから呼んでいるのです。話があるからここを開けて下さい」
「開けられまへん。ここは私の家と違います」
「ああ、もう、そんないつまでも白ばくれたことをいいなさんな。幾ら口から出まかせをいって、人を騙(だま)そうとしても、こちらが正直なもんだから、一応は騙されているが、騙されたと知っただけよけい腹が立つ。私を一体何と思っているんだ。お前さんたちに、いつまでもいいようにされている子供じゃないんだぞ。東京でもうさんざっぱら塩を嘗(な)めて来ている私だ。今までここの女に焦(こが)れていればこそ馬鹿にされ放題馬鹿になっていたが、こう見えても丹波や丹後の山の中から出て来た人間とは人が違うんだ」私は、自分ながら少し下品だと思ったが真暗な夜のことではあり、人の往来もない、深く入り込んだ路次の中とて、母子(おやこ)に聴かすよりも、もし男でも来ていたら、それに聴かすつもりで、そんなことを癇(かん)高い調子でいい続けた。そしてもし、男が来合わせているならそこへ顔を出せばちょうどいいと思った。
 すると、母親は、いつもに似ず私の剣幕が凄(すさ)まじいのと、近処隣りへ気を兼ねるので、いつもの不貞腐(ふてくさ)れをいい得ないで、私をそっと宥(なだ)めるように、
「まあ、あんたはんもそんな大きい声をせんとおいとくれやす。あんたはんも身分のある方やおへんか。あんたはんの心は私にもようわかってますよって、あの娘(こ)が病気が好うなったらまた会わせます」
「病気が好くなったら会わせますって、もう好くなっているじゃありませんか」私も少し声を低くした。「私が、どんなに、あなた方二人の身のことを長い間思って上げているか、――決して恩に被(き)せるのではないが――そのことを少し思ってみたなら、たとい今までのような商売をしていた者でも、私に□が吐(つ)かれるはずがない。……いや山科のお百姓の家(うち)に出養生をさしているの、いや南山城の親類が引き取ったのといって、みんな真赤な□じゃありませんか。あなたはよく金神様(こんじんさま)を信心しているが、何を信心しているのです」私の言葉はだんだん優しい怨(うら)み言(ごと)になって来た。
 母親がそれについて何かいおうとするのを、押(お)っ被(かぶ)せるようにして言い捲(まく)った。
「ええ、ようわかってますよって、今夜はもう遅うおすさかい、また出直して来ておくれやす。あんたはんの気の済むようにお話しますよって」
「ああ、そうですか。それじゃまた近いうちに来ますからこんど、また、もう話すことはないなどと言っては承知しませんよ」そういって、私は、おとなしく振り返って帰ろうとすると、母親は、そういった口の下から、すぐ、
「勝手にせい。今度来たら寄せつけへん」と、棄てぜりふを、私の背後(うしろ)に浴びせかけながら、ぴしゃりと硝子戸を閉めた。
 私は、「そらまた、あのとおりの悪たれ婆(ばばあ)だから始末にいけない」と心の中で慨歎(がいたん)しながら、後戻りをして、も一度戸を叩いて、近所へ恥かしい思いをさしてやろうかと思ったが、いつものとおり失望と悲憤との余り息切れがするまで精神が消耗しているので、そっと胸の動悸を抑えるようにしてそのまま路次を出て来た。
 しかし、もう、そうなると、今までのように、女の気を測りかねて、差し控えてばかりいられなくなった。何とかして家(うち)の中へはいり込んでゆく方法はないものかとさまざまに心を砕きながら、好い機(おり)の来るのを待っていた。すると、いつもの通り夜九時ごろになって□子窓の下に立って聞くと、めずらしい人が来ていると思われて男の話し声がする。はっと、私は胸を躍らしながら、じっと耳を澄ますと、来ているのは一人だけでないと思われて女の話し声も交っている。どんなことを話すかとなお聞いていると、
「ほんならもう帰りましょうか」と四、五十ばかりの女の声がして、
「ああ帰りましょう」と、それに応ずる男の声がする。その晩は家(うち)の中も明るい。それで急いでまたそっと格子に取りついて伸び上がって、ちらと家(や)の内を窺(うかが)うと、一番奥の、たしか六畳の座敷に、二、三人の客がちょうど今立ち上がって帰ろうとするところである。私は急いで格子を滑(すべ)り下りて、すぐ左手の隣りの家(うち)ではまだ潜戸(くぐり)を閉めずにあったので、それを幸いと、そこの入口に身を忍ばせて上(あが)り框(かまち)に腰を掛けながら、女の家から人の出てゆくのをやり過していると、
「えらい御馳走(ごちそう)さんどした」と口々に礼をいって、何か彼か陽気な調子で話しながら、ぞろぞろ出て来た。こちらは堅くなって息を詰め、両方の家の中から幽(かす)かに洩(も)れてくる灯(ひ)の明りに、路次の敷石をからから踏み鳴らしながら帰ってゆく人影を見張っていると、闇(くら)がりでよく分らぬが、女はお茶屋のおかみらしく、中央(まんなか)に行くのが男で、背が高い。はてな、旦那ならばこうして一緒に帰ってゆくはずもなかろうと思っていると、一番後(あと)の女と並んで、何かひそひそと話しながらゆくのは母親である。私は、
「ああ、母親のやつめ、出てゆく。そこの路次の出口まで客を送り出すのであろう。きっと、すぐ帰ってくるので、潜戸を開けたままにしているかも知れぬ」
と、早速気がついて、それらが闇がりに路次の角を曲ったのを見済ましておいて、入口のところに来てみると、はたして潜戸を開け放しにしている。
 私は、うまくしてやったりと心にうなずきながら、つっと内へ入りながら、中から潜戸を閉めておいて狭い通り庭をずっと奥へ進むと、茶の間と表の間との境になっている薄暗い中戸のところに、そこまで客を送り出したものと見えて女がひとりで立っている。
 そして出し抜けに私がはいって来たのを見て、
「ああ!」と慴(おび)えたように中声を発して、そのままそこに立ち竦(すく)んだ。
 私は、いい気味だというように強(し)いて笑いながら、
「お園さん、一遍あんたに会いたいと思っていたのだ」と、つとめて優しくいいつつ、私はそのまま茶の間へ上がって、火鉢の手前にどっかと坐ってしまった。
 女はそこらをかたづけていたらしかったが、もう、おずおずしながらしかたなく自分も上にあがって、向うの方に膝(ひざ)を突きながら、
「あんたはんが今ここへ来ておくれやしたんでは、私、どない言うてええかわかりまへん」と悄然(しおしお)としてふるえ声にいう。その眼は何ともいえない悲痛な色をして私を見ている。
 私は、気味がいいやら、可愛いやらである。
 そこへ、がらがらと表の潜戸の開く音がして、母親が戻って来た。

     三

 私は、入って来た時、よっぽど、あの潜戸の猿を落して、母親に閉め出しを食わしてやろうかと思ったが、それも、あんまり意地が悪いようで、それまでにはし得なかった。それというのも、そうまでになっても、私の心の内は、やっぱり何とかして、母子(おやこ)の心が、自分の方へ向いてくるように優しく仕向けたいからであった。
 母親は通り庭から中の茶の間の前に入ってくると、思いがけなく、火鉢の向うに私が来て坐っているのを見ると、びっくりしてたちまち狂気のようになって怒り出した。
「あんたはん、何でここの家(うち)へ入っておいでやした。ここは私の家(うち)とちがいます」と、いいながら上(あが)り框(かまち)をあがって、娘に向って、
「お前もどうしてるのや、よう気いおつけんか。あんたが入れたんやろ」と、小言をいう。娘はじっとそこに坐ったまま、
「わたし、そんなことをしいしまへん。この方が自分で入っておいでやした」と尋常な調子でいっている。
 私はじっと両腕を組んで、その場の光景を見ながら、母親から何といわれても、ふてぶてしく黙り込んで、身動きもせずに坐っていた。すると、母親は、さすがに手出しはし得なかったが、今にも打ちかかって来そうな気勢(けはい)で、まるで病犬が吠(ほ)えつくような状態(ありさま)で、すこし離れたところから、がみがみいっている。
「あんたはん、何の権利があってここの家(うち)へ黙って入っておいでやした。ここの家は私の家と違いまっせ」と、いいつつ肱(ひじ)を突っ張ってだんだん私の傍(そば)に横から擦(す)り寄って来て、
「黙ってよその家(うち)へ入り込んで来て、盗人(ぬすっと)……盗人!」と、隣り合壁に聞えるような、大きな声を出してがなりつづけた。
「警察へ往(い)てそう言うてくる。警察、警察。さあ警察へうせい。警察へ連れて往く」と、母親は一人ではしたなくいきり立ったが、私が微塵(みじん)も騒ごうとせぬので、どう手出しのしようもない。本人の娘はむすめで、これもどうしていいか当惑したまま、そこに坐って口も利(き)かずに母親の騒ぐのをただ傍見しているばかりである。私は小気味のよさそうに、あくまでも泰然としていた。すると母親は、急を呼ぶように声を揚げて、
「兄さん! にいさん!」と、左手の隣家(となり)の主人を呼んだ。その隣家は、去年の十一月の末、はじめてその路次の中へ女の家を探(たず)ねて入っていった時から折々顔を見て口をきき合っていたのであったが、先(せん)だって中(じゅう)からまたたびたび私が出かけていって、母親と大きな声でいい諍(あらそ)ったりするのを見かねて、もう七十余りにもなる主人の母親というのが双方の仲に入って、ちょっと口を利きかけていたのであった。旅館や貸席などの多いその一郭を華客先(とくいさ)きにして、そこの家では小綺麗な仕出し料理を営んでいたが、兄さんと呼ばれた主人はまだ三十五、六の背の高い男で、その主人とは私はまだ顔を見ただけで一度も口を利いていなかった。母親がそういって大きな声で呼んだので、越前屋(えちぜんや)という仕出し屋の若い主人は印の入った襟のかかった厚子(あつし)の鯉口(こいぐち)を着て三尺を下の方で前結びにしたままのっそりと入って来た。
 そうして吟々いっている母親と私とのまん中に突っ立ったまま、「まあまあ、どちらも静かにおしやす」と、両方の掌(て)で抑える形をして、
「ちょうど好いとこどした。此間(こないだ)から私も見て知らん顔はしていましたけど、一遍お話を聴いてみたいと思うてたのどす」といって、そこに腰を下ろすと、母親は隣りの主人が入ってきたので気が強くなって、一層がみがみ言い募った。主人はそれを宥(なだ)めて、
「お母はん。まあそういわんと、話はもっと静かにしててもわかりますよって」といって、こんどは私の方に向い、
「兄さん、えらい済んまへんがちょっとあんたはん私のとこへ往(い)とっておくれやす。……いえ、私も及ばぬながらこうして仲に入りましたからにはこのままには致しまへんよって」と、いう。
 けれども私は、今までもう幾度か、いろんな人間が仲に入ったにもかかわらず、それらは皆母親に味方して、邪魔にこそなれ、こちらの要求するとおり、一度だって、肝腎(かんじん)の本人に差向いに会わしてくれて納得のゆく話をさする取計らいをしてくれようとはしなかった、それを思うて、私は幾度か腹の内で男泣きに泣いて、人の無情をどんなに憤ったか知れなかった。これまでは、自分の熱愛する女がそうせよというなら、もう一生京都に住んで京の土になっても厭いはせぬとまで懐(なつ)かしく思っていたその京都を、それ以来私はいかに憎悪(ぞうお)して呪(のろ)ったであろう。出来ることなら、薄情な京都の人間の住んでいるこの土地を人ぐるみ焦土となるまで焼き尽してやりたいとまで思っているのである。他人はことごとく無情である、自分のこの切なる心を到底察してくれない。そんな他人に同情してもらったり、憫(あわ)れんでもらったりしようとはかけても思わぬ。自分の大切な大切な魂の問題である。そのためによし病(わずら)って死んだって、また恥ずべき名が世間に立とうとも自分ひとりのことである。何人にもどうしてくれといいたくない。それゆえにこそ、実に一口に言おうとて言えないくらい、さまざまに胸の摧(くじ)ける思いをして、やっと今晩という今晩、またと得られない機会を捉(とら)えてこうして女の家に入り込んだのである。今までの母親の仕打ちからいったならば、この機会を逸したが最後二度と再びこんな好い都合なことはないのである。私は隣家(となり)の主人に向っていった。
「有難うございますが、今までちょいちょい御覧のとおりの次第で大抵私の恥かしい事情はお察しであろうと思いますが、今晩はどうあっても、この本人の意向を、私自身で訊(き)きたいと思っているのですから」
と、私は、傍でさっきから口の絶え間もなく狂犬のように猛(たけ)っている母親には脇眼もくれず、向うに静かにして坐っている女を指しながら堅い決意を表わした。そうして久しぶりに見れば見るほど女が好くってたまらない。
 すると主人は、
「そやから、このままにはしまへんというています。姉さんには私が必ず後で逢わせますよって、ちょっと私の家へ往とっておくれやす」と万事飲み込んだようにいう。
 それで私も物わかりよく素直に、
「それではあなたにおまかせしておきます」と、きっとした調子でいって、起(た)ち上がりかけると、彼女はどう思案したものか、静かに坐ったまま、やっと口を切って、「あんたはん、ほんなら、これから松井さんへ往て話しとくれやす」と、きっぱりした調子でいう。
 それで、私は一旦起ちかけた腰をまた下ろしながら、
「うむ、それもよかろう。松井さんへ往けというなら、あそこへ往って、あそこの主人に話を聴いてもらうのもわるくはないが、あんたも私と一緒に往くか」
 そういって訊くと、女はそれきりまた黙ってしまって返事をしない。
「お前が一緒に往くなら私も往く。さあ、どうする」
 傍にいる越前屋の主人は、その時口を入れて、
「それがよろしいやろ。ほんならそうおしやす。私も何や、途中から入って、前の委(くわ)しいことはちょっとも知らんのどすさかい。お隣りにいて、黙って見てもいられまへんよって、何とかお話をしてみようと思うたのどすけど、松井さんやったら、よう、今までのことも知ってはりますやろから」
「わたし後で往きますよって、あんたはん先き往とくれやす」と、やっぱり落ち着いた調子でいう。
 私は頭振(かぶ)りをふって、
「それじゃいけない。私を先きに出しやっておいて、ここからまた閉め出そうとするのだろう。今晩はもうその手は喰わないんだから」
「そんなことしいしまへん。あんたはん一足先きいてとくれやす。わたしちょっと遅れて往きます」
「ああそうか、たしかに来るね?」
「ええ往きます」
 隣家(となり)の主人も、長い間の入りわけを知っている、以前(まえ)の主人のところに往って話を聴いてもらうのが一等よかろうと言ってすすめるので、私はその気になって起って庭に下りようとすると、さっきからまるで狂気になって、何か彼かひとり語(ごと)をくどくどと繰り返して饒舌(しゃべ)りつづけていた母親は、私が立って上り框から庭に下りようとするのを見て、
「貴様ひとりで、勝手にさっさっとうせえ。内の娘(こ)はそんなところへ出て往く用はない」といって、またいつもの悪態を吐(つ)く。
 それを聞くと、私は、とても箸(はし)にも棒にもかからぬわからずやだとは、承知しているので、もう、なるべく母親とは、何をいわれても、口を利かぬ、相手にもせぬようにしておろうと堪(こら)えていても、やっぱり堪えきれなくなって、私は、上り框に下りかけたまま、
「何をいう」と、そっちを振り顧(かえ)って、「きっと、そんなことだろうと思っているのだ。よし、そんならもういい。もうどんなことがあってもここを立ち退(の)かないのだから、いつまでもここに居据(いすわ)っていましょう。……お隣りの親方、御免なさいよ」と、いって、私はまたもとの座に戻って坐った。
 すると越前屋の親方は、
「まあ、ほんなら、兄さんちょっと私のところへ往てとくれやす。私が引き受けて一応お話をしてみますよって。お母はんも、もう、ちょっと静かにしてとくれやす。隣家(となり)が近うおすよって。そのことは私が、後でよう聴かしてもらいます」
と、いって、双方を宥(なだ)めようとする。
 それで私はまた物わかりのよい子供のように素直に、隣家の主人のいうことを聴いて、
「それではちょっとお宅へ往ってお邪魔をしていますから、どうぞよろしく頼みます」といって出てゆこうとしながら、じっと女の方をなおよく見ると、平常(ふだん)から大きい美しい眼は、今にも、ちょっと物でも触(さわ)れば、すぐ泣き出しそうに、一層大きくこちらを見張って、露が一ぱい溜(たま)っている。私はその眼に心を残しながら、合壁(あいかべ)の隣家へ入っていった。

     四

 そこの家(うち)も、女の家と同じ造りで三間(みま)の家であったが、もうこの間から、そのことで、ちょいちょい顔を見合わして、口も利(き)いている七十余りの老婆は酒が好きと思われて中の茶の間の火鉢の前に坐って、手酌(てじゃく)でちびりちびり酒を飲んでいた。もう大分上機嫌(じょうきげん)になっていたが、見るから一と癖も二た癖もありそうな、癇癪(かんしゃく)の強いぎょろりとした大きな出眼の、額から顳□(こめかみ)のあたりが太い筋や皺(しわ)でひきつったようになって、気むずかしいのは、言わずと知れている。
 そこには、その老婆のほかに主人の若い女房がいて庭に立ち働いていたり、主人の妹らしい三十くらいと二十(はたち)余りの女が来合わしていたりして、広くもない座に多勢の人間がいるのが、私には自分の年配を考えて、面伏せであったり遠慮であったりした。そして、近づきのない京都三界に来て、そうしたわけでそんな家(うち)の厄介(やっかい)になったりするのが何ともいえず欝屈(うっくつ)であったが、それも思いつめた女ゆえと諦(あきら)めていた。私は悄然としながら、案内せられるままにそちらに通ると、座蒲団(ざぶとん)を持って来てすすめたり、手焙(てあぶ)りに火を取り分けて出したりしながら、
「どうぞそないに遠慮せんと、寒うおすよって、ずっと大きな火鉢の方に寄っとおくれやす」と皆なしていってくれる。
 これも何だか半分気狂いではないかと思われそうなそこの婆さんは酔狂の癖があると思われて、ひどく興奮してしまって、こちらから辞を卑(ひく)うして挨拶(あいさつ)をしてもそれに応答しようともせず、変に、自分ほど偉い者はないといった、頭(ず)の高い調子で、いつまでも、ちびりちびり飲んでいる。いつか聞くところによると、婆さんは、西郷隆盛(さいごうたかもり)などが維新の志士として東三本樹(ひがしさんぼんぎ)あたりの妓楼(ぎろう)で盛んに遊んでいたころ舞妓(まいこ)に出ていて、隆盛が碁盤の上に立たして、片手でぐっと差し上げたことなどあった。婆さんはそれを一つばなしに今でも折々人に話して聴かすのであった。私は、何のことはない、ちょうど、毛剃九右衛門(けぞりくえもん)の前に引き出された小町屋宗七(こまちやそうしち)といったような恰好(かっこう)で、その婆さんの前に手を突いて、
「いろいろとんだ御厄介をかけます。全体あなたに昨日(きのう)一応話をおねがいしておいたのですから、その返事を待っていればよかったのですが、今晩自分が勝手に隣の家へ入り込んで来て、こんなことになったものですから」
 何によらず対手(あいて)の仕向けが少し気に入らないと、すぐ皮肉に横へ外(そ)れて出ようとする風の老婆と見たので、昨日の朝も、向うから、及ばずながら、仲に入って話してみましょうといってくれたのを幸いにちょっと頼んでおいたゆきがかりがあったから、そういって一言いいわけをすると、婆さんはぎょっと顔中を顰(しか)めたように意地の悪そうな眼をむいて、
「いいや、こんなことに年寄りの出るところやおへん」と一克(いっこく)そうに、わざと仰山(ぎょうさん)に頭振(かぶ)りをふったかと思うと、
「内の伜(せがれ)は年はまだ若うおすけどな、こんなことには私がよう仕込んでますよって、おためにならんようには取り計らいまへんやろ」とどこまでも偉い者のようにいう。
 しかし私は、女さえ自分の物になるならば、どこまで阿呆(あほう)になっていても辛抱できるだけ辛抱する気で、婆さんが、どんなに偉そうなことをいったり、凄まじい気焔(きえん)を吐いても、ただ「へいへい」して、じっと小さくなってそこに坐っていた。そして、今のこのざまが、見も知らぬ人間の前でなかったならば、自分にはとても、こうして我慢していられないであろうと思うと、それが東京と遠く離れた京都の土地であるのが、せめてもの幸いであった。婆さんはむずかしそうな顔をして膳(ぜん)の上の肴(さかな)をつつきながら、ぶつぶつひとり言をいうように、
「まだどこのどなたとも一向お名前も承わりまへんけど、出ている者に金を取られるということは、世間に何ぼもあるならいどすよって、……茶屋の行燈(あんどん)には何と書いておす、え、金を取ると書いておす。こうお見受けしたところ、あんたはんも、まんざら物の出来(でけ)んお方でもおへんやろ。向うは人を騙(だま)さにゃ商売が成り立ちまへん。それを知って騙されるのはこちらの不覚。それをまた騙されんようでは、遊びに往ても面白うない。出ていた者が引いた後まで、馴染(なじ)みのお客やからいうて、一々義理を立てていては、今日その身が立ちまへん。……どこのどなたはんかまだお名前も知りまへんが、こりゃあ、わるい御量見や」婆さんは一語一語にもっともらしゅう力を籠めて説諭するようにいう。
 私は、まだ名前を承わらぬと、厭味(いやみ)をいわれたので、それにはいささか当惑しながら、
「それは、まったく私の不行届きでした。ついこんどのことに心を取り乱して申し忘れていました。私はなにがしと申す者でございまして、生国はどこですが、もう長く東京に住んでおります」そういって初めて本名を語ると、婆さんはどこまでも皮肉らしく、
「いや、それを承わっても私どもには御用のないお方でございますやろけど」と、酒盃を口にあてながらわざと切り口上に言って、
「さだめしあんたはんにも親御たちがござりますやろ。わたくしのところにも、役には立ちまへんが、あのとおりまだ若い伜が一人ごわります。もうこの間から、あんたはんのおいでやすとこを見るにつけ、私はほかのことは思いまへん。これがわたしのところの伜であったら、わたしはどないな気がするやろと思うと、この胸が痛うなります」婆さんは、そういいながら、さもさも胸の痛みに触るように皺だらけの筋張った顔を一層顰(しか)めて、そっと胸に手を当てる形をした。「あんたはんはそりゃ、御自分の好きな女子(おなご)のために勝手に自分の身を苦しめておいでやすのやろさかい、ちっとも私、構いまへんで。そやけど親御の身になったら、どないに思うか。わたしは、あんたはんの顔を見るのが辛い。もう、わたし、あんたはんがここの路次へ入って来るのを見るのが厭どす。見とうない、見せておくれやすな」
 婆さんは一人で、きかぬ気らしく頭振(かぶ)りを振りながら言い続けるのである。私は、揉手(もみで)をせんばかりに、はいはいして、
「あなたのおっしゃることは、一々御もっともです。けれども私にとってはまた一と口に申すことの出来ない深いわけがあるのですから……」
「ああいや、もう、そのわけがようない。それは聴かいでもわかってます。まあ、伜が何んとか埒(らち)のつく話をしていますやろ。どうぞ遠慮せんと待っといでやす」いくらか気を鎮(しず)めてそういっているかと思うと、婆さんは、しきりに酒気を吐きながら、肴の皿(さら)を箸で舐(な)めまわして、
「当年、これで七十一になります。年は取ってますが、伜で話がわからなんだら、わたしが出て話します。私がこうというたら後に寄りまへん」婆さんは、皺だらけの腕を捲(まく)ってみせて、「まだまだ若いものではしょうむない。毎日私か小言のいい続けどす」まるで何を言っているのか、拘攣(こうれん)したように変なところに力を籠めて空談(くだ)を巻いている。
 合壁一つ隔てた女の家(うち)では、いつまでも母親ががみがみがなる声ばかりが聞えていた。すると、やがて、越前屋の主人はどうしたのか、その母親を宥めすかしながら連れて戻って来た。そして優しい言葉で、
「お母さん、どうぞこちらへ。長うお手間は取らしまへんよって、ちょっとここでお待ちやしてとくれやす」といって、主人は自分で手まめに次の間から座蒲団などを取って来て、母親にすすめた。
 私は、母親の入って来たのを見ると、まるで敵(かたき)同士なので、ぷいと立ってそこを外(はず)そうとすると、主人は、
「ああ、兄さんもどうぞそこにいてとくれやしたらよろしい。構(かま)しまへんがな。さあ、どなたはんも寒うおすさかい、遠慮せんと、ずっと火鉢の傍に寄って当ってとくれやす。……お母はんも、どうぞ私のところではもう何もいわんとおいとくれやす。お話はまた後でゆっくり聴きますよって」といって、私の方に向い、「兄さんも、どうぞそのおつもりで」と、顔に多く物を言わして、主人は再び隣りへ引き返していった。
 主人がそういうのにつれて、ほかの者も狭い茶の間の一つところに母親や私を坐らした。見ると母親はさっきの激昂(げっこう)した様子は幾らか和らいで、越前屋の者に対しては笑顔(えがお)をしながら、それでもまだ愚痴っぽく「えらい遅うから兄さんもおいそがしいところ皆様にお世話かけてほんまに済まんことどす。……あんたはん、昨日こちらのお婆さんにお頼みやしたやおへんか。その返事もまだ聴かんうちから、よその家(うち)へ黙って入ってきやして、警察へ訴えて出たら、あんたはん罪人やおへんか。あの家は私の家とちがいます。旦那はんが今日は来ていやはらんからいいけど、もし旦那はんでも来といやしたら、どないおしやす」母親はまださっきの驚きと激怒の余熱(ほとぼり)の残っているように、くどくどと一つことを繰り返していっている。私は、もう母親を対手(あいて)に物をいいかけると、こちらまでが自分でも愛想の尽きるほど下劣な人間になり果てるような気がしてくるので、もう、どんな気に障(さわ)るようなことをいい出されても、じいっと腹に溜(た)めておろうとしても、「旦那はんが来ていたら……」などといわれたので、また、頭がかっとなるほど癪に障ったので、
「旦那が何です。私のほかにそんな者があろうはずがない。そんな男がもし来てでもいたら黙って引っ込んでいる私じゃない。そんな者があるなら、今晩それが来合わしていればよかったと思っているんだ。いつでも対手をしてやる」
 私は堪(こら)えかねて、母親の方に向き直って言うと、生酔(なまえ)いに酔っぱらった越前屋の婆さんは、眼と眼との間に顔中の皺を寄せて、さもさも気色(きしょく)の悪そう、
「ああもう、うるさい。喧嘩(けんか)をするなら、私の家の中でせんと、どうぞ戸外(そと)に出てしてもらいまひょう。今伜があれほどいうて往(い)きよったのに、伜の顔を潰(つぶ)さんようにしてとくれやす」
 そんな調子で私と母親とで睨(にら)み合っているところへ越前屋の主人はまた戻って来て、
「おかあはん、えらいお待ち遠さんどした。さあ、もう済みましたよって、どうぞ帰っとくれやす。ほんまにえらい済まんことどした」主人は撫(な)でるように優しくいうと、母親は内の人たちに繰り返しくりかえし礼をいいつつ、やがて自分の家へ帰っていった。

     五

 そして母親が出て帰ったあとの入口を、主人は何度も気にして振り顧って見ながら、その時まだ庭に立ち働いていた女房が、
「もうお帰りやした」といったので、安心したように、私の方を見て、
「さあ兄さん、えらいお待たせして済みまへん。どうぞ、もっとずっと火鉢(ひばち)の傍にお寄りやす。夜が闌(ふ)けてきつう寒うおす」と、いって自分も火鉢の向うに座を占めながら、
「あのお母はんが傍についていると、喧(やかま)しゅうて話が出来しまへんよって、それでちょっとこちらへ来てもろうてました」主人は落ち着いていった。
 その顔をよく見ると、主人の眼は泣いたように赤く潤(うる)んでいる。そして火鉢の正座(しょうざ)に坐っている老母と、横から手を翳(かざ)して凭(よ)っている私との顔を等分に見ながら、低い声に力を入れて、
「お婆さん、わたし、今姉さんから話を聴いて呆(あき)れた。……」越前屋の主人は、あとの句も続かぬように湿っぽい調子になっている。
「なんでや?」
「なさぬ仲やの。……」と、声を秘(ひそ)めていって、「私、今はじめて聴かされた。そんなことがないか知らん思うとったんや。やっぱりそうやった」と主人は、ひどく人情につまされている。
 婆さんは、それを聴くと、これはまた傷(いた)ましさに耐えられないように仰山に顔を顰(しか)めて、
「可哀そうに……」と、呆れた口を大きく開いて一句一句力をこめていって、うなずきながら、「そうか。それで皆読めた。……生(な)さぬ仲やと……」二度も三度も思い入ったように、それを繰り返して、もっともだというように、「……いえ、そうでもござりますやろ。……それでは話がまた一層ややこしゅうござります」
と、ようやく我に返った調子で、ひとり語(ごと)のようにいって沈吟している。
 私はしばらく口を噤(つぐ)んで二人の話をじっと聴きながら最初は自分の耳を疑って訊き返してみた。主人は「ええ、真実の子やないのやそうにおす」と、私に答えておいて、「姉さんそれで今えろう泣いてた。私も一緒に泣かされた」
 婆さんは深い歎息まじりに、しんみりとした調子で、
「いや、世の中は広うおす。世の中は広うおすわい。……実の子やったら、あの商売はさせられまへん。本当の親にそれがさせられよったら、鬼どす。鬼でのうて真実のわが子にそれがさせられるものやおへん」と、つくづく感じたようにいっている。
 私は、心の中で、それを、いろいろに疑ってみた。はたして血を分けた母子(おやこ)の仲でないとすると、自分に対する考えも彼女と母親との腹は一つでないかも知れぬ。
「それを彼女(あれ)が自分で、こうだというのですか」
「ええ、姉さんそうおいいやした。……今のお母はんには何度も子供が生まれても、みんな死んでしもうて、大けうなるまで育たんので、自分はまだ三つか四つかの時分に今の親に貰われて来たのどすて。それで生みの親はどこかにあるちゅうことだけ聴いてはいるが、どこにどないしているかわからんのやそうや。それやよって、二人の間がいつも気が合わんので年中喧嘩ばかりしているけど、何でも自分の心を屈(ま)げて親のいうことに従うておらんならんいうて、姉さん今えろう泣いてはりました。私もほんまに貰(もら)い泣きをしました」
 越前屋の主人はそういって、屈強な男の眼に真実涙を潤(うる)ませている。そしてなお言葉を継いで、私の方を見ながら、
「それぐらいやよって、こんどのことも少しも姉さんは自分の本心でそうしているのやない言うてはります」
 しばらくじっと聴いていた婆さんはまた口を□(はさ)んで、
「それが真実(ほんと)でござりますやろ」という。
「そうでしょうかなあ」私も小頸を傾けながら、「そうだとすると、事訳(ことわけ)が大分わかるのですが。……」といって、まだずっと以前初めて女に案内せられて、祇園町(ぎおんまち)の、とある路次裏に母親に会いに往った時の最初の印象を思い浮べてみた。その時すでに妙に似ていない母子だなと思ったのであった。その後も、去年の夏の初めのころ、彼女たち母子の傍に、一カ月あまりも寝泊りしている時にも、時々ふっと二人の顔容(かおかたち)から態度などを見比べて、どうも似ていない、娘には自分もこれほど心から深く愛着していながら、これがその母親かと思うと、さすがに思い込んだ恋も、幾らか興が醒(さ)めるような気がするのであった。そして心の中で、どうか、これが真実の母子でなくってくれたら好い、何かしかるべき人が内証の落胤(らくいん)とでもいうのであったならば……というような空想を描いたことも事実であった。が、そう思うたびにいつでもそれを、そうでないと、語っているかのごとく、私に考えさするのは二人の耳の形であった。それは、二人とも酷(ひど)く似た殺(そ)ぎ耳であって、その耳の形が明らかに彼らの身の薄命を予言しているかのごとく思われていた。
 そして今、越前屋の主人が女から聞いて来たとおりに真実なさぬ仲であるならば、これまでに幾倍してひとしお可愛さも募る思いがするとともに、今人手に取られたようになっている女を自分の手に取り返す見込みも十分あるのであるが、主人の聞いて来た話によって、私はやや失望の奈落(ならく)から救い上げられそうな気持になりかけながら、そうなるとまた一層不安な思いに襲われて何だかあの耳一つが気にかかってくる。
「そうですかなあ……なるほどそういえば、顔容(かおかたち)にどこといって一つ似たところはないのですが」と、いって私は心に思っている耳の話をして、「始終親子でいい諍(あらそ)いすることのあるのは、私もよく見て知っていますが、その口喧嘩のしぶりから見ると、どうも真実の母子でなかったら、ああではあるまいかと思われることもあります」
 私は、彼女の家に逗留していた時分の二人のしばしば物の言い合いをしていた様子を、つとめて思い起すようにしてみた。そして、その真偽いかんに彼女自身のいうことの真偽いかんが係っていると思った。越前屋の主人は、
「さあ、そんな以前のことは、私も、どや、よう知りまへんけど、姉さんは今自分でそういうてはりました。……うたがや、どっちでも疑えますけど、姉さんが泣き泣きいうのをみると、やっぱり貰われたのが本間(ほんま)どすやろ。しかし酷(ひど)いことをする親もあるもんどすなあ……そんなの芸子にはめずらしいこともおへんけど、あの商売にそんな酷いことをする親はまあたんとはおへんなあ」主人は肝腎(かんじん)の話を忘れてしきりに思い入ったようにいう。
「わたし聞きまへん。この年になるけど初めてや」と、強く頭振(かぶ)りをふって呆れている。
 主人はさらに涙に湿った声をひそめながら、
「もう此間(こないだ)から何かこれには深いわけがあるにちがいないから、母親のおらんところで、とっくり姉さんの腹を一遍訊いてみたいと思うてたら、私の想像したとおりやった」と、分らなかった謎(なぞ)がやっと解けた時のような気持でいって、また私の方に顔を向けながら、
「ほて、姉さんはこういうてはります。……わたしは、あんたはん――あのお方のことは一日も忘れてはおらん、毎日毎日心の中ではあの人は今時分はどこにどないしておいやすやろ思うて気にかかっていたのやいうてはります。こんどのことには一口にいえん深い事情があって、自分のとうからこうしようと思うていたこととは、ちょうど反対したことになってしまったいうて、きつう泣いてはりました」といって、主人はしんみりとした調子で話した。
 私は、主人がさっきから何度も繰り返していう、姉さんがきつうそれで泣いてはりますというのを聞かされるたびに、その女の泣いてくれる涙で、長い間の自分の怨(うら)みも憤りも悲しみもすべて洗い浄(きよ)められて、深い暗い失望のどん底から、すっと軽い、好い心地で高く持ち上げられているような気がしてきた。そして今までじっと耐(こら)えていた胸がどうかして一とところ緩(ゆる)んだようになるとともに、何ともいえない感謝するような涙が清い泉のように身体中から温(あたた)かく湧(わ)いてくるのが感じられた。私は、その涙を両方の指先に払いながら、
「ああそうですか。それで今ほかの人間の世話になっているというのですか」私は早く先きが訊きたくて心がむやみと急いだ。
 主人はうなずいて、「それを姉さんいうてはりました。今世話になってる人というのは、一緒になるというような見込みのある人とちがう。おかみさんもあるし、子供も二人とか三人とかある人で、これまでにもう何度も引かしてやろう言うてたことはあったけど、姉さん自身ではもうあんたはんのところに行くことに、心は定めていたんやそうにおす。そこへ去年の秋のあの風邪(かぜ)が原因(もと)でえらい病気して自分は正気がないようになっているところを付け込んで、お母はんは目先の欲の深い人やよって、今の人がお母はんに金を五百円とかやって姉さんの身を引き受けよう、ほんなら、どうぞおまかせしますということに、自分の知らぬ間に二人で約束してしもうて、医者から何からみんなその人がしてくれて、お陰で病気も追い追い良うなったのやし、今となって向うの人にも深い義理がかかってあのお方の方ばかりへ義理を立てるわけにもゆかんようになった。それで今急にどうするということも出来んさかい、ここ半歳(はんとし)か一年待っていてもらいたい。その間に好い機(おり)があったらまたこちらから手紙を出すか、話をするかするさかい……」
「それで半歳か一年待ってくれというのですか」
「まあ、そういうてはるのどす。今急にあんたはんのところへ行けんことになったよって、それを私からあんたはんによう断りいうてくれるように、姉さんからくれぐれも頼んではりました。……そんなわけどすよって、あんたはんももう好い時節の来るまであまり気を急(せ)かんとおきやす。この話急(せ)いたらあきまへん。私も御縁でこして及ばずながら仲に入って口をききました以上は決して悪い話には致しませんつもりどすよって」と、頼もしそうに私を慰めてくれて、
「それにしてもあの母親は、姉さんも、お母はんという人目先の欲の深い人どすいうてはったが、ひどいことをする婆さんどすなあ。ただ一時(いっとき)金貰うたかて見込みのない人やったらしかたがないやおへんか」繰り返してそれを呆れている。
「いろいろお骨折り有難うぞんじます」
と、私は主人の前に頭を下げて心から礼をいったが、そうしてむざむざ人の楽しみにさしておくのを承知しながら、今すぐにも自分の方へ取り戻すことの出来ぬのが堪えがたい不満であり、今までの長い間の、とてもいうに言えない自分の、その女のために忍んで来た惨憺(さんたん)たる胸中を考えれば考えるほど、そんな破滅になってしまったのがあまりに理不尽であるように思えてどうしたらこの耐えがたい胸を鎮めることが出来るかと思った。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:96 KB

担当:undef