医師高間房一氏
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著者名:田畑修一郎 

   第一章

     一

 この物語の主人公である高間房一の生ひ育つた河原町は非常に風土的色彩の強い町であつた。海抜にしてたかだか千米位の山脈が蜿蜒としてつらなり入り乱れてゐる奥地から、一条の狭いしかし水量の豊富な渓流が曲り曲つたあげく突如として平地に出る。そこで河は始めて空を映して白く広い水面となり、ゆつたりと息づきながら流れるやうに見える。その辺は平地と云つても、直径にして一里足らずの小盆地で、奥地から平凡になだらかに低まつて来た山々は一面の雑木山で、盆地の端に立つと向ふ側の山も殆ど手の届くやうな感じに近く見える。さういふ平地を河は大きくうねつて、玉砂利の磧(かはら)がたいへん白く広く見える。芝草の生えた高い土堤がつゞいて、土堤の外側は水害を避けるための低地であるが、しかし不断は畑地になつてゐて、その又向ふに土堤よりは一段と高く思ひ思ひの様子で築かれた石垣があり、そこに河原町の家々が裏手の土蔵の塀やあるひは小部屋などを見せてゐるのである。そして、古びてはゐるが大きい材木を使つた此の家々は一様に外面を白壁でかこんでゐる。それは新しくて真白なのもあるが概して風雨にたゝかれたためうす黒い陰影がついて、その適度に古びた白さが、遠くから見る町並の中に点々と浮き上つて、此の河原町を一種親しみ深い快い様子に見せてゐる。又、町の裏手の山腹に一所、ちよつと見は大きい土くづれと思はれるやうな赤土の露出してゐる箇所があつて、その色があまり鮮かなので、白壁の多い町といゝ対照をつくつて、それが又この町を特別美しいものにしてゐる。これは銅山の廃坑であつた。
 この廃坑は旧幕時代の末頃まではまだ採掘されてゐて、これあるがために河原町は当時幕府直轄の天領となつてゐた。そして、上流にある城下町の藩主が参勤の途上この河を利用して下る時、天領との間に何か紛争の糸口のつくのを憚(はゞか)つて、河原町の傍を通る間は舟に幕をはり、乗組の者は傍見をして下つたと云ふ。それほどであつたから、この領内の民は他領との縁組を嫌ひ、他領から移り住む者を許さなかつたし、狩猟とか交通とかその他様々な点で非常な横暴と特権とを許されてゐたものだつた。
 銅山が廃坑となり、時代が移ると共に、他所の町村が発展するのに河原町だけは産業的に衰微し、とりのこされたが、以前の天領気分は今でもなほこの町を中心とする一廓に残つてゐた。それは近くの村々から「河原風」と呼ばれてゐた。今でこそ「無暗と気位ばかり高くて能なし」の意味であつたが、当の河原町の人々は、それがどんな意味に使はれてゐても、腹の中では漠然とした自己尊敬の念を感ずるのであつた。
 田舎町の習慣として、婚礼とか祭礼とか、葬式、法要などが盛んで、狭い町中がお互ひの家の奥向きの様子など手にとる如く知り合つてゐるほど交際が密であつたから、家ごとに何かあるといつも同じやうな顔ぶれ、つまり殆ど町中の人が時期と場所を変へただけで寄り集ることが多かつた。そして、その人達の座席の順序が家の格式財産にしたがつてきちんと決まつてゐて、上座に坐る人はどの家へ行つてもあたり前のやうに臆する所なく上座に坐るし、下座の人も唯々(ゐゝ)としてその席につき、決してその順序を乱すやうなことは起きなかつた。他村からこの町に移り住んで、町の商店区域で手堅く商売をやり、だんだん基礎もでき、町の交際範囲に入られるやうになつた者でも、席順はずつと下座であつた。若し誰か気骨のある男があつて、これを破らうとすると、彼は後々の場合あらゆる方面からの圧迫をうけて遂には折角築き上げた商売上の地位でさへ見すてなければならなかつた。それほど此の「河原風」といふものは根強く牢固たるものであつた。
 河原町の対岸に俗称河場と云ふ地名の部落があつた。そこは現在では河原町の区域に入つてゐるが、昔は他領であつた。純粋な農家、主として自作農ばかりの集りで、対岸の町から眺めると、藁葺の低い屋根が樹木の間に背をこゞめてゐるやうに見えて、そこに住んでゐる人達は、河原町の人々が、田舎に似ず一種洗練された身なりや顔つきなのにくらべると、明らかに泥臭い、鈍重な身ぶりであつた。その農家の中で一軒だけ瓦葺きの、構へも他の家より稍大きな家があつて、これが此の物語の主人公である房一の生家、高間家であつた。
 高間家の先祖はもと、川上の小藩のお抱医であつたが、明治初年の廃藩と同時に医をやめて、此の河原町に移住した。高間家に残つてゐる古ぼけた一葉の写真によると、それは老後の殆ど死の一年前位の肖像ださうであるが、一人の容貌魁偉な、真白な髪をたらした、眼の柔和な老人が見える。これが医から農に転じた人であるが、何故彼が永年家の業であつた医をやめて鋤鍬を手にするやうになつたか審(つまびら)かでない。はげしい時代の変遷の中で様々な人間の浮沈を見て過したことが彼にそのやうな心境に達せしめたのか、それとも他のやむを得ない事情があつたのか、あるひは何よりも平凡を愛する性癖が強かつたのであるか、一切不明である。だが、はじめは乞はれるまゝに近所の人達の脈はとつたこともあると云はれてゐるし、又、対岸の河原町にこれも古くからの医家があつて、そこからの圧迫が随分はげしく、遂には誰に頼まれても脈はとらなくなつた、ともつたへられてゐる。
 その長男、つまり房一の父にあたる人は、幼い時から百姓の子として育てられたわけで、風貌こそまるで一介の農夫であるが、単純で大まかな一種長者の風があつて、その住んでゐる地域、つまり対岸の町を除く河場中の尊敬を一身に集めてゐた。老いと共に彼も先代の容貌に甚だ酷似して来たが、彼には先代のやうな底の逞ましさの感じがなくて、先代よりも凡々としてゐた。彼の妻はやはり士族の出で、上流の城下町から娶(めと)つたのであるが、三男二女を生んで死んだ。子供は大きくなつてゐたが、やはりその城下町から不幸な大工の娘を無造作に後妻に貰ひうけて、この女は肥つた人の好い気質の働き者であつたが、彼は家事一切を彼女に任せて何事もなく和した。
 かういふ彼であつたが、河原町の人々は彼に対して一種の親味と同時に、河場者、他所者といふ一瞥を決して忘れなかつた。彼の席順はやはり低かつた。それでも彼は一度も不満の色を浮べなかつた。
 房一は彼の三男であつた。いつも泥と垢で真黒な顔や手足をしてゐたが、薄汚い皮膚の下には温い血の色が漲つてゐて時々水いたづら、それは河や溝川で小鮒を追ひかけることであつたが、その後では両手首から先だけの垢が自然にとれて、小さく頑固な指々が紅く燃えてゐるやうであつた。むつちりと肉のついた肩、粗暴でゐながら間断なく閃めいてゐる眼、小柄な身体をゆすぶり立てて歩いたが、彼は対岸の河原町のしつけのよい子供達を憎んでゐた。町の子供で、彼よりも歳上の子供が一度よつてたかつて彼を打ちのめしたことがある。物蔭からわつと出られ、見るまにまはりを囲こまれた瞬間、彼は鋭い獣のやうな身構をした。皆は一時ひるんだが、彼の方でも逃げ場はなかつた。一同が迫つて、次にどつと襲ひかゝられると、房一はさつと地上に身を伏して両手で頭を抱へ足をちゞめ、亀の子のやうに円くなつた。埃にまみれ、擦傷や打たれて青く腫れた横頬のまゝ、彼は家へ帰つたが一口もそれについて語らなかつた、それ以後彼の粗暴さは以前よりももつと本能的な動物的な狡猾さを具へて来た。彼は自分をふくろ叩きにした者の顔を一つ一つ覚えてゐた。彼はその一人一人に復讐をはじめた。そのやり方はかうだ――彼は殆ど一二町手前から敵の顔を見わける。そして、何事もなかつたやうな又何事もないやうな顔で、その汚い垢だらけの顔面から小さい眼だけをきらつかせ傍見(わきみ)をして近づいて行く。相手が彼に気づき警戒する様子を見せると、彼はますます鈍重な呆(ぼ)うとした面つきになる。一二歩の間に近づいて、相手が彼を見て、彼に何の敵意もないと見てとると、急に嘲弄したり、又は機嫌買ひの微笑をする。それでもきよとんとして相手を眺める。しかし、その瞬間彼は一心に胸を張りつめて相手の隙を狙つてゐるのだ。隙がみつかるや否や、彼は突然躍り上るやうにして相手にとびかゝる。そして必らず上背のある相手の顎を狙ふ。むつちりした弾力のある真黒な拳固を突きやつて、その次の瞬間にはもう一二間向ふの方へ走つて逃げてゐる。走りながら一撃を喰はしてゐるのだし、走力が拳固に力を加へてゐるわけだつた。そして相手があつと声を上げて立ち悚(すく)むか、あるひは身構をしたときには房一はもうはるか彼方を点のやうに小さく一散に走つてゐるのだつた。
 彼のかういふ復讐が完全に成功した後、又町側の子供等からの復讐が企まれた。それは夏の頃で、河では水泳ぎがはじまつてゐた。子供達の仲間々々によつて河もその泳ぎ場所がきめられてゐた。町場の者は稍上手(かみて)の大きい岩のある淵のあたりで、房一たちの組はその下手(しもて)の淵からゆるやかに流れ出た水が、次第に急に流れはじめる一帯の、やはり岸には大きな岩があつて、流れの中央に僅かに水面から滑めらかな背を露はしてゐる岩があつた。そこでは水は泡こそたてなかつたがよく見ると縞のやうな流線を造つて速く流れてゐた。房一たちはその岩の背に匍(は)ひ上つては水の中に滑り滑りしてゐた。上流では町場の者等が泳いでゐたが、彼等は諜(しめ)し合はせていつのまにか流を泳いで下り房一たちの場所に襲つて来た。意味のない叫声や、水沫や、それらが入り混じつてゐるうち、彼等は房一の足を水中に引き、頭を押へつけにかゝつた。他の者はいつか岸辺に匍ひ上つて、遠くから房一の追ひまはされるのを心配さうに眺めてゐた。およそ日焼けした小さな裸体の群の中でも房一の身体がよく目立つた。岩に匍ひ上り、水に跳びこみする彼の黒い皮膚が水に濡れて日を浴びきらめいて見えた。そのうち彼は姿を消した。やがて、岸にゐる者の眼には、彼がはるか下流の水面にぽつくりと頭をもたげたのが認められた。彼等はそのとき始めて歓声を上げた。そして、思ひついたやうに石を拾つて河の中の敵に投げはじめた。房一はそのとき対岸に上つてゐた。岸に立つて首をたれ、ぶるぶるつと身体を顫(ふる)はしたかと思ふと、水を吐いた。それから、上手に新しくはじまつた合戦を一瞥すると、それはまるで他人事(ひとごと)のやうに自分の衣物をひつかゝへて、さつさと家の方へ一人で立ち去つてしまつた。
 家の中でも彼は「悪たれ」であつた。一番上の兄は身体こそまだ大人ではなかつたが、一人前の野良仕事ができた。この兄は非常に無口で働き者であつた。次の兄も学校はすんでゐたが、非常な好人物で、終日何を言はれても笑つてゐた。彼も野良を手つだつた。房一はけつして手つだひをしなかつた。どんなに叱られてもいつの間にか家を抜け出して、時には野良からそのまゝ近所の山へ木の実とりや河遊びに逃げ出した。たゞ彼が神妙に野良に出て、用事がなくとも畔(くろ)に腰かけて立去らずにゐる時は、きまつて馬がゐるのだつた。
 彼はこの「黒」と呼ぶ馬を非常に愛した。彼の家の裏に、大きな納屋があつて、納屋の隅が馬小屋風に床板を張り羽目板を張つてあつた。彼はひまさへあれば馬小屋に出かけた。次兄が馬の世話をする役であつたが、房一はその傍に煩(うるさ)くつきまとつて離れなかつた。次兄は馬の世話をするのはそれほど好んではゐなかつたが、あまり房一がつきまとふので、一種の矜持(きようぢ)を感じて来て、房一には少しも手出しをさせなかつた。それで、房一は次兄の眼をぬすんで、馬に水をやつたり手から草を喰べさせたりした。馬が草をむしるやうにして喰べる、その度に房一の手に快い動きがつたはつて、彼は身ぶるひのつくほどうれしかつた。夏の夕方、馬に水浴をさせる、それが彼には何より楽しみであつた。次兄が彼を馬の背に抱へ上げてくれる。彼は小さい身体を弾(はず)ませて、鬣(たてがみ)を指の間でしつかりと捉む。次兄が彼の背後にのつて、彼等は蒼然と暮れかゝる家の前の路に出る。日は大分前に落ちてゐるが、空はまだすつきりと明(あかる)い。路の傍の青田の上にうす青い影のやうなものが一面に漂つて、どこからか煙の匂ひがする。土堤から河辺に下りる路は狭く急だ。馬ががくりとその路に足を踏み下すと同時に、背上では房一と次兄が大きく前のめりになりさうだ。危く左右に揺れて岸辺に出る。水面は黒く青く、遠く白く光つてゐる。腹まで水に漬(つか)る場所に来て、馬は鼻面でちよつと水にふれ、首をふる。房一の足にもう少しで水がとゞきさうだ。瀬の音が急に下手から水面を匍ひ上つて聞える。房一はわざと鬣から手をはなしてみる。落ちはしない。彼はふりかへつて兄の顔を見て微笑する。彼は自分一人で馬に水浴びさせたいと思ふのだつた。
 一度房一は家中の眼をぬすんで一人で馬を引き出したことがある。彼は馬小屋の壁の横木によぢ登つてそこから馬に乗らうとしたが届かなかつた。考へた末に木箱を幾つか探して集めてそれを段々に積み重ね、その上から馬の背に渡らうと試みた。それはうまく成功した。馬は彼にとびつかれて始めは驚いて二三度首を振つたが、彼が次兄の日頃やる通りの真似をして落ちついて、短い足で何度か蹴ると、馬は思ひ出したやうに足を踏み出した。
 後で馬がゐないと云ふので騒ぎだつた。
「房一の仕わざではないか」と云ふことになつて、一同が手分けをして近所を探した。すると、老父が河へ下りる路の手前で馬に跨つてゐる房一を見つけた。馬は此方へ向いてゆつくりと歩いてゐた。房一は父を見ると、彼の方から大声に父の名をよんで、馬上に得々としてゐた。後で皆が訊くと、馬は河へ下りる路の所までは楽に行つたが、そこからはどうしても下りなかつた、そして、彼が腹を蹴りつづけると、馬はくるりと向きを変へて家の方へ勝手に歩いて来たのだ、と云ふ。一同は大笑ひをしたが房一は小ましやくれた生まじめな顔で、まだ酔つたやうな眼をきらつかせてゐた。
 それから間もなく、馬の世話は房一の手に委(ゆだ)ねられることになつた。彼は一心に手入をした。彼よりも馬の方が身綺麗であると思はれる位に馬は毛並みも艶々として来た。河土堤の上の長い路で彼は馬を疾駆させるのが常であつた。裸馬の背から腹にかけて一本の木綿帯をくゝりつけ彼は足の親指をその帯にはさんだだけで、小さな逞しい肩を前こごみに手綱をゆるめるために両腕を前に曲げひろげ、鼻の穴をひろげて、馬を走らせた。それは町とは河をへだてた反対側の土堤で、路ははるか上手の殆ど山に突きあたる地点まで伸びてゐた。彼が馬を奔(はし)らせるにしたがつて、河苔(かはごけ)の匂ひや山の草木の香などがぱあつと彼をも馬をも包み打つて来る風の中でした。未だ様々な思念や野心などの形づくる場所のない彼の小さな頑丈な肉体の中で、彼の魂は何を欲し何を求めてゐたのか、裸馬の背でたえず路の前方の或る一点を見つめ、はげしい動揺に身を任かせてゐる彼の眼には、一種大胆不敵な歓喜の情が燃え閃めいてゐた。河向ふの磧(かはら)で遊んでゐる町の子達は、蹄(ひづめ)の音で房一の姿を認めた。あたりの物静かな、音といへば河の瀬の低い単調な音ばかりでけだるいよどんだ空気の中に突然としてはげしい蹄の音が起る。それは河を越し、町の裏の山腹に反響して、何ごとかあたりをかき乱すやうに物々しく聞える。はじめは房一の姿は見えない。馬だけが、首を張り出し尾をなびかせ、荒々しく何ものか掻きこむやうな形に前脚を速く閃めくさまに繰り出して奔(はし)るのが見える。そして、その首すぢにつかまつて馬と同じやうに前屈みに身体を張り出した小粒のやうなもの、房一の形が眼に入るのであつた。呼んでも聞えはしない。また、聞えても彼はふりむきもしない。そのまゝはるか上手の方に小さく認めがたくなる。と思ふと、しばらくして又前と同じやうな蹄の音がして、それはしだいに迫つて来て、今度は房一の顔が待ちかまへてゐる子供達にもはつきり認められるやうに思はれる、だが、彼は往きと同じに得体のしれない荒々しい一塊の悪魔の子のやうに、子供達の呆然と眼を瞠(みは)り立つてゐる対岸を尻眼にかけて疾駆し去るのであつた。
「芋の子」といふのが房一につけられた前からの綽名(あだな)であつた。それは小さく円く肥つた彼の身体の感じをよく現はしてゐたが、今ではそれを口にする人々の間に、或る納得しがたい性質、種族の異つた感じ、さういふ意味をいつとなく感じさせて来た。
 この「芋の子」は小学校を卒業するとすぐ畑へ追ひやられる筈であつたが、成績がよかつたのと彼の願ひによつて高等科に上ることになつた。その二年の間に彼は身体も心もめつきりと成長した。年齢の若さから来る皮膚の艶や筋肉の柔かさは争へなかつたが、骨格は骨太でがつちりしてゐた。彼の粗暴さが今はすつかり姿を消して反対に或る素直で従順な所が出て来てゐたので、彼の骨格の逞ましさが何となく滑稽な愛嬌のあるものにさへ見えた。しかし彼の額には年に似合はない一本の深い皺が出来てゐた。それは時々非常に深く黒く見えることがあつた。それを見ると、人は彼の中に案外な考へ深さのあるのを認めて驚くのであつた。
 高等科がすむと、彼は突然、法律を勉強しに東京へ出たいと申出て、父を驚かせた。家中の者の反対にもかゝはらず彼は頑として自分の希望を捨てなかつた。するうち、彼の姿が突然見えなくなつた。二三日して、彼は又帰つて来たので一同は安心したが、その間に彼は上流の城下町にある彼の死母の実家へ行つたのであつた。そこの伯父はその町で瓦焼工場を経営してゐた。頭の鋭い狷介(けんかい)な老人で、非常な毒舌家であつた。しかしこの老人は毒舌を一種の愛嬌と他人からは思はれるやうな独特な人柄を持つてゐて、悪口を言ひながら世話を見てくれる、と人から評判されてゐた。房一もやはりこの老人に手ひどく罵倒された。百姓はやはり百姓をしろ、と云はれて、房一はすつかり悄気(しよげ)て、その晩はそこで泊めて貰つたが、翌朝になると、一通の手紙を示して、これを持つて町の弁護士の所へ行つてみろ、と云つた。弁護士は手紙を読んで、親切に色々なことを話してくれた。彼もやはり苦学して弁護士の資格をとつた男であつた。その晩、伯父は、苦しくもやる気か、と訊いて、それから外(そ)つぽを向いて、やる気なら餞別に少しばかりの金なら出してやるがその前にもう一度家から承諾を得て来い、と云つた。
 さういふことで、彼は先づ一段の希望をかなへることができた。彼は二年間東京で法律書生として苦学したが、中途で方針をかへて医学をやることにした。これには例の伯父の意見が大分加はつてゐた。しかしこれも中途で兵役にとられたため、一寸一頓挫を来たした。彼は看護卒を志願した。二年の後彼は又東京へ出て来た。そこで様々な生活を経験した末、又もや医学をやる決心をかためた。その前後が彼としては一番危険な時期であつた。株式店につとめてみたり保険の外交員を志したり、それは自分の望みがいたる所で達しがたいと思はれる時の不安定な、投げやりにしてみたりとび立つやうな焦燥の念に駆られたりする、そして、様々な名誉や成功やが赭々(あか/\)と輝いて見える此の世間といふものの裏、物には必らず裏があるといふ事実をはじめて覚つて、そのために自分が素晴らしく大人になつたやうな気持にならされ、自分には世の中の裏を見抜く眼があるのだと過信する時期の、非常に不従順な暗い数々の失錯や不始末をやつた。その頃の彼は一体どんな職業に従事してゐるか解らないやうな風貌と服装をしてゐて、仲間のほかには誰も彼をあたり前な眼つきでは見なかつたし、彼の方でもそれを太々しく白眼視して過した。だが、仲間の一人が或る詐欺行為で警察に引つぱられて、彼も危ふくその連累を蒙るところであつたが辛うじて免かれた、その時以来彼はそんな生活に見切りをつけた。様々な関係から足を洗ふために、彼は一度故郷に帰つた。短い滞在であつたが、久しぶりに見る近親の温かさや故郷の山河が何年かの放浪生活のうちで疲れ汚がされ眠らされた彼の魂、成功の野心と正しい生活への慾望とをよびさました。
 再度上京して前ゐたことのある病院に書生として住みこんだ房一は、まつしぐらに一つの目的に突進した。その最初にあんなに不安定な時期があつたにもかゝはらず、三年後には前期と後期の二試験をつゞけさまにパスして、医師としての資格を得た。その間に彼を鼓舞したものは実にはじめ伯父を訪れたときにその家の書架から発見した「西国立志篇」だつた。その本はもう何度となく読みかへされたので、頁がぼろぼろになつた。それから何年間か代診としてその病院に勤めた。その間に開業の資金を貯蓄したい考へだつたが、なかなかうまくはいかなかつた。かへつて少しの放蕩の結果、芸者に子供を産ませたりして、その方は曲りなりにも片づいたが、貯へは費ひ果してしまつた。しかし、開業の資金は故郷の伯父が工面してくれることになつたので一安心だつたが、その代りに河原町に帰つて開業すること、と云ふ条件がついてゐた。
 一人前の医者になるといふことは、何等の学歴もなく又資(もとで)もなかつた房一にとつては困難をきはめた仕事であり、それだけに心の全部を惹きつけてゐたものだつたが、今その峠に達してみると、更に前方に見えて来たいくつかの峠が彼の新しい野心を惹きはじめてゐた。その野心の目的といふものも、彼が東京の市内で散見することのあつた大病院の院長とか、或ひは病理学研究の名声赫々たる博士とか、さういふ粗雑なものにすぎなかつたが、それは名声が彼にとつて魅力があり、院長の威厳が彼に好もしく思はれたのではなく何かしら内部に溢れる野気が単にさういふ粗雑な形の中にその吐け口を見つけようとしたのであつた。
 房一はこれまでにも河原町に帰つて一医者としての生涯を始めようと考へないでもなかつたが、老父の道平をはじめ伯父や身内の者すべてがさう希望してゐると知つたときに、唯々(ゐゝ)としてその云ふところにしたがふ気になつた。
 房一はその一見粗雑な性情にかゝはらず、現実の直視力のごときものを持つてゐた。彼を導いてその運命をつくらせたのもその力だつたが、今自分が他の誰のでもない彼自身の足の上にしつかりと立つてゐる自信を持つたときに、ふりかへつて自分がそこから出て来た場所、老父の道平やその身の上に降りて来た運命のまゝに依然として百姓仕事に甘んじてゐる兄弟達のことを考へた。単に好人物といふより他はないその手の皺の間に土の浸みこんだ日焼けのした兄弟達は、誰から云ひ聞かされたわけでもないのに自分に与へられた運命の限度を知つて日々を落ちついて暮してゐるあの楽天的な人達であつた。彼等は今房一の成功を恐らく当人以上に悦んでゐた。彼等にとつては房一はその唯一の代表者であつた。誰でも世間的な野心は持つてゐるものである。そのないやうに見える人達にあつても、それは眠らされて見えがたくなつてゐるか又は何らかの形に変形されてゐるものである。そして、この世間的な野心といふものも、実は生の根源力にほかならない。彼等のあきらめてゐたもの、若しくは自然にあきらめたと同じ結果になつたこの野心を房一の中に見た。それは房一のものでもあるが、同時に彼等のものだつた。今彼等は彼等自身の全部の希望をこめて、懸命に控目に房一を支持しようとしてゐた。その単純な幸福さうな輝きが房一の心を捕へた。
 例の伯父はもう大分前から房一の気を引いてみてはゐたのだが、遠縁にあたる退職官吏の娘で盛子といふのを房一の妻として撰んで待ち設けてゐた。
 かうして、房一の帰郷開業はその生涯を劃する大きな変化でもあつたが、同時にあの古風な河原町の人達にとつても眼を瞠(みは)るやうな事件であつた。房一はめつたにない成功者として目された。地方の新聞には彼の苦学力行を賞讃する大きな記事が出た。

     二

 川沿ひに細長く続いてゐる河原町の通りは、地勢のせゐでゆるい下り勾配をなしてゐた。所々で屋並みが切れて、そこには茶畑があつたり、空樽が乾してあつたりするかと思ふと、次の空地にはどこの家で使つてゐるのか判らないやうな大きな井戸がその円く肥つた腹のやうな焼物の縁をたゞあつけらかんと日に照されてゐたりした。
 その空地の隣りに低い築地塀(ついぢべい)をめぐらした家がある。築地はもう何十年かあるひはもつと前に造つたものらしく、所々の壊れた荒壁を後から後から塗りなほした箇所がそれぞれ違つた土の色をして、それさへ剥(は)がれかゝつてゐる。だがその築地の内側にある家はこれも外まはりに劣らず古い低い平家で、外から見ると、築地の上にそのだゝつぴろい大きな屋根がまるで、伏せをした恰好に見えるきりだ。そんな風にかこまれてゐるので、外部から覗かれる家の有様と云つたら、ちやうどそこだけ築地が中に向つて露地のやうな様子で切れこんでゐる家正面の入口だけだつた。それも、今ではよほど田舎へでも行かないと見られないやうな、広い黒ずんだ欅板(けやきいた)の式台と、玄関の障子の両側には黒塗りの横桟の入つた脇戸までがついた、恐しく奥まつた、人間で云ふと極端に内気な独身の四十男のやうな様子をしてゐた。
 この家は上手にある鍵屋といふ旧家の分家だつたが、或る事情でこの一年ばかりの間空家になつてゐた。こんな家を何も空家にして置かなくてもよかりさうなものだが、そして最初二三ヶ月の間は本家の鍵屋から留守番に人が来てゐたのだが、間もなく手がかゝるためか閉めてしまつた。それと云ふのも鍵屋でさへだゝつ広く黴臭い自分の家を持てあましてゐたからである。鍵屋にかぎらず、維新前から明治大正にかけてひきつゞいた田舎の旧家はかなりの地主にちがひなかつたが、それは形だけは鬱蒼としてゐるが幹が空洞になつた大樹のやうなものだつた。鍵屋はもとは名代の酒造りだつたが、当主の神原文太耶になつていつの間にか止めてしまつた。その代りでもあるまいが、神原はその当時この附近では珍しかつた法学士といふ肩書のためか、次第に政治に身を入れるやうになつて、今では歴年県会議長をつとめてゐた。家にはめつたに居ない。それで、昔のまゝに格子造りの鍵屋の表口はいつも半ば閉めたやうにひつそりしてゐた。その母屋(おもや)の横手から裏にかけてはもう何の役にも立たない古い倉庫が無暗みと大きな屋根と、あの風雨にたゝかれて黒ずんだ汚点(しみ)のついた白壁とを突立ててゐるきりだつた。
 そんな具合だから空室になつた分家の方も閉めて置くより他はなかつた。鍵屋の方はまだしも湿めつぽい匂ひがあるが、この分家は人気(ひとけ)が去るのといつしよに家そのものの気さへ抜けてしまつて、乾いて、たゞ昔の恰好のまゝで立つてゐるだけであつた。まさか、よそから流れこんで来た八百屋や指物師などに貸すわけにはいかない。ところが、全く打つてつけの借り手ができた。それは「医師高間房一」だつた。医者に貸すのだつたら、別に家の品を落すことはないわけだ。

 その外から見れば屋根と築地塀だけのやうな家の前で、三人の男が立つてしきりと話してゐた。
 築地には四五本の木材が立てかけられて、玄関に通じる石畳の上には鉋屑が一杯に散らばつてゐた。その白いのや紅味がかつた真新しい木の色はふしぎな生気をこの家に与へてゐた。あの低い大きな屋根がぐつと身を起したやうにさへ見える。
「さうだね。まさか医者の家に古障子の玄関といふわけにもいくまいね」
 房一は白シャツを着た小柄な大工と並んで立ちながら、玄関を眺めて云つた。
 やうやく三十に手が届いたばかりだが、苦労したのとその無骨な外貌のために年齢よりは四つ五つ老けて見える。がつしりと人並外れて幅広い肩はむくれ上るやうに肉が盛り上つて、何だか猪首のやうな印象を与へた。
「うむ、何かあ」
 と、横合から老父の道平が房一に寄り添つて来た。
「玄関の手入れをどうしようかと云ふのですよ」
 房一はいくらかつんぼの道平の耳に口を寄せて、大声で云つた。
「うむ、さうか。玄関のことか」
 いかにも得心した風に深くうなづいた道平はそれで又ゆつくりと脇きへどいて、さつきからやつてゐた通りの見物人にもどつた。彼はいつもの癖である尻はしよりの恰好で、真黒に日焼けした両脚を突き出したまゝ立つてゐた。今朝彼は河向ふの自分の家から息子の医者の家ができ上る様子を見に来たのだ。そのまゝ尻はしよりを下さないのである。老年の柔和さの現れたうるみのある眼をはつきりと開けて、別に口出しするわけでもない、たゞ房一の傍にゐてその云ふことを聞き、することを眺めてゐた。その小ぢんまりとした体躯からは傍に立つてゐる房一を想像させるものは見られなかつたが、足の短い、肩の張つた房一の身体の特長から道平の方に目をやると、ふしぎと何かしら似てゐた。それはたゞ小さくて、皺が寄つてゐるだけだつた。
「どうでせう。いつそあの障子も脇戸もとり払つて、曇り硝子に高間医院といふ字を抜きましてね、厚い二枚戸でも入れたら――」
「うん」
 と生返事をしながら、大工の口にした高間医院といふ名前が耳新しく響いたので、房一は思はず微笑した。
「よし。――さうしとかう」
 云ふなり又思ひ出したやうに玄関へ上つて行つた。

 彼はもう何度も家の内外を行つたり来たりして、「高間医院」のでき上り工合を綿密に眺め歩いてゐた。新開業の胸のふくらむやうな思ひが、とりとめもない快感が次々と起きて片時もぢつとして居れない風だつた。
 最初、房一の頭の中にはペンキ塗りの清潔な外観を持つた医院が描かれてゐた。だが、この長たらしい築地にかこまれた家を一見するに及んで、その考へは棄てざるを得なかつた。今の大工の一言できまるまでに、何度玄関を外から眺めたことだらう。
 家の内部でも、房一はしよつちゆう歩きまはつて何度も道具を置き換へてゐた。古風な玄関の広間はそつくり待合室になつた。つゞく二室は板敷にして薬局と診察室ができ上つた。壁ぎはに立てた大きな薬戸棚、油布張りの固い患者用の寝椅子、青いビロードのふつくり盛り上つた廻転椅子、縁枠を白く塗つた医療器具棚の中には真新しいメスや鋏、鉗子(かんし)などがぴかぴか光つて、大事さうに並べてあつた。
 房一は廻転椅子にそつと腰を下して、もう朝から何度眺めたかしれない診察室の中を見まはした。間もなくその不恰好な体躯がぢつと動かなくなつた。彼が身動きするたびに現れてゐた一種晴れがましい表情の代りに漠とした思案の線がその顔に現れてゐた。――この河原町に帰つて開業しようと決心したときにどこからとなくやつて来た考へがある。それは彼が河原町を出てゐる間にいつとなく薄れてゐたものだが、思ひ出すたびに徐々に形がはつきりして来た。あの河原町に奥深く流れてゐて彼を何かしら圧迫してゐたもの、それは何故か彼に跳ねかへさせたい心持を抱かせ、同時に身体が熱くなるほどの一種盲目な力を駆り立たせるのが常だつた、それらの捲き旋回する目に見えない風のやうなもの。それは幼時からずつと房一の底から動かし、支配してゐるものだつた。
 今彼が得て帰つた「医師高間房一」としての地位は、河原町に対する彼の野気を示すに恰好なものであつた。帰郷以来彼を迎へた河原町の人達の眼に、房一はその証拠を見た。だが同時に、彼が押して得た一歩か二歩を隙さへあれば押しもどさうとするやうな色も見分けた。若し彼が何かの意味で失敗すれば、彼等はすぐに嘲笑に転じ、又あの鈍い圧迫の下敷にして彼の気力を根こそぎにしてしまふだらう。
 その時、道平がのつこりと診察室に上つて来た。やはり尻はしよりの下から真黒い両脚を円出(まるだ)しにしたまゝで。房一が考へこんでゐるのを見ると邪魔をしてはいけないとでも思つたらしく、そのまゝゆつくり診察室の中を見まはして、何か口のあたりをもぐもぐさせた。それから、医療器具棚に近づくと、そのうるんだはつきりした眼で熱心に中をのぞきこんだ。そして又、口のあたりをもぐもぐさせた。それはこんな風に云つてゐるやうであつた。
「ほう、この家鴨(あひる)の嘴みたやうな金具は、こりや何かな。ほう、こりやよく光る小刀だな。こんなに何本も何に使ふのかな」
 その子供染みた好奇心に輝いてゐる横顔は、この老人の胸の奥から恐らくその年齢と調子を合せてゆつくりと流れて来る悦びのためもあつたらう。その悦びの源泉はもとより房一にあつた。
「おぢいさん、そんなに立つてばかりゐないで腰をかけなさいよ」
 房一が声をかけて回転椅子を押しやると、
「うむ、わしか」
 と、道平は云はれた通りに腰を下さうとして、椅子の円々とふくらんだ真新しい天鵞絨(びろうど)の輝きに目をとめると、しばらくまじまじと眺めてゐたが、もう腰をかけるのは止めてしまつた。やはりゆつくりした様子で立つてゐる。
「それぢや、向ふの座敷へ行つて少し休みませうか」
 房一は先に立つて行つた。居間も座敷も畳が入れかへてあつた。だが、家具らしいものの何一つないこの大きな部屋には何かちぐはぐな乾いた空洞のやうな空気があつた。部屋の向ふには裏手の築地で四角に仕切られた庭があつた。そこにも目につくやうなものは何もなかつた。土の上に新しく削りとつた雑草の痕跡が一杯にのこつてゐた。その急に日向(ひなた)に出され、人の足に踏まれて顔をしかめたやうな土のひろがりの向ふには、低い築地とその際にたつた一本だけかなりに大きな無花果(いちじゆく)の樹がぼつさりと茂つてゐた。その葉裏にかすかに色づいた円つこい果の色だけがふしぎと生ま生ましい。
 右手の台所の方ではしきりと物音がしてゐた。道平より先に朝早くから手つだひに来てゐる房一の義母と、まだ結婚して間もない盛子とが土間を掃いたり戸棚を拭いたりしてゐるのだつた。
「これはどこに置きますかね、この漬物桶は。――はい、はい。どつこいしよ、と」
 人に話しかけるときにも半分はきまつて独り言のやうになつてしまふ義母はどうもつれ合ひの道平の癖が丸うつりになつたものらしい。だが、道平の声音(こわね)はあまり響かないぽつりぽつり石ころを並べるやうな調子だつたのにひきかへ、この義母のは突拍子もなく起つて又駆足で空の向ふに消えてゆくやうな大声だつた。
「ね、お母あさん。これ、こんなに汚いでせう。もう少し……たいんですけど。……でせうねえ」
 時々、澄んだ甘い柔味のある、痩せたすんなりした身体つきを想像させるやうな盛子の声が、はじめは稍張りのある調子で起つて、途中で何かしらはにかんだやうに細く聞えがたくなり、又時々ピツと語尾が跳ね上るやうになつて響いて来た。それは身体の動きとは別に、声そのものが絶えずどこかに柔かくくつついたり離れたり、又そこらを歩きまはつたりしてゐるやうであつた。
 その二人の働いてゐる所にはまだ形こそはつきりとはしてゐないが、内部ではもうこゝだけに見られる家庭生活の気分といふものが生れて居て、その特殊な雰囲気がひつきりなしに流れて、徐々にこの空洞のやうな乾いた家の中にその匂ひを浸みこませて行くやうに感じられた。
 道平は房一の後についてこの何もない座敷に入つて来たが、やはりあの子供じみたもの珍しさの色は消えなかつた。房一のすゝめるまゝに今度も腰を下さうとして、ちよつと尻はしよりに手をかけたが、そのまゝ止めて、ごく目立たない仕草で真新しい畳の上を避けながら、彼には坐り心地のいゝと見えた縁側で胡坐(あぐら)をかいた。
 だが、このはてしのない遠慮深さは気持の悪いものではなかつた。
 それは言葉にするとこんな風なものであつた。
「おれと息子とはちがふ。息子は自分の力でこんな風に立派になつた。おれはうれしくて仕方がないが、まあおれは自分の坐り慣れたところにこのまゝ坐つてゐる方が気楽だ。医者の父親なんてものより、元のまゝの老百姓で結構だ」
 胡坐をかいた道平は今膝小僧までまる出しにしてゐた。それも日に焦げてゐる。
「おい、お茶を入れてくれ」
 と、房一が台所に声をかけた。
 黒光りのする戸棚の蔭からびつくりしたやうな義母の円つこい眼がのぞくと、
「おや、いつのまにそこに来てなさつたかね。お茶ですか、上げますとも」
 体が、と云ふより声が引つこむと、代りにそこに姿を現したのは盛子だつた。すると、うす暗い台所の板敷の上に眩しいやうな、うすい葉洩れ日のやうな気配(けはい)が立つた。
 茶器を持つてこちらへ近づきながら、盛子自身も何となく眩しいやうな目つきをしてゐた。それは彼女に溢れてゐる若さだつた。その声で想像させたやうな細身ではなく、むしろ中肉だつたが、背が高いので一種の優しみが現れてゐた。
 控へ目に坐つて、注いだ茶碗を盆の上に揃へると、
「はい」
 と云ふ、思ひがけないほどはつきりした声で差し出した。そして、又淡泊なさつさとした足どりで台所の方へ去つた。
「開業日はいつかの」
 道平はゆつくりと首を動かして訊いた。
「別に何日からでもないんです。今日からでも――」
「挨拶みたやうなことはもうしたかの」
「まあ、葉書でざつと町内に出しときましたがね」
「ふうん」
 道平は納得したやうにうなづいたが、又ゆつくり身体を坐りなほすのと一緒に、
「それは、まあ、都会風でいけばそれでいゝわけだが」
 房一は目を上げて注意深く道平を見た。
「あれですかね、やつぱり自分で歩かなくちやいけませんかね」
「いかんと云ふわけもあるまいさ」
 道平はまるで大きな輪がゆつくり廻つてゐて、その一点の結び目が眼の前に現はれたときにやつと口を開くかのやうであつた。
「まあ、――上の町の大石さんとこ位は行つとくのもよからうが」
「なるほどね」
 又とぎれた。
「なにしろこんな狭い田舎ぢやから、何事もねつうやる。それをやらんと後がうるさい。自然評判を落すといふことも起るかな」

 道平はそのまゝ夕食を招(よ)ばれて、ゆつくり腰を落ちつけてゐたが、夜ふけ近い頃になつて、ひよつこり
「さあて、帰るかな」
 と云つた。
 義母は明日も片づけ仕事が残つてゐるので泊つて行くことになつた。
「もう遅いんですよ、おぢいさん。泊つてつたらどうです」
 しきりにすゝめられたが、道平は縁側に出て、いつのまにか下してゐた着物の裾を又尻からげにかゝつてゐた。頑固といふほどではないが、その様子には円味のある手ごはさと云つた風なものが感じられた。
 房一が道平を送つて行くことになつた。
 二人は夜ふけの戸外に出て下手の渡船場の方へ路をとつた。月はなかつたが空は一面の星で外は案外に明かつた。房一は先に立つて河沿ひの土堤の上を歩いてゐた。夏の間に生ひ茂つた雑草が路が見えない位になつて、その葉先がうるさく彼等の足をこすつた。房一の手にしてゐる自転車用の電燈の明りは雑草の頭を、時には横に外れて、うす暗い中にほの白く浮き上つて見える広い河原の上にたよりない光を投げた。房一は時々うしろをふりかへつて見た。老父は尻をはしよつて、黙つてうつむき加減に歩いてゐた。それは恐く小さい、又何となくかつちりしたものだつた。房一はあの日に焼けた真黒い膝小僧までがはつきり見えたやうな気がした。そして、そんなに小さい者としての感覚がありながら、同時に房一は子供の時分父親につれられてこんな夜路を歩いてゐたときの、父親が非常に巨(おほ)きな身体をしてゐて、力もこの周囲をとりまいてゐる夜の深い脅(おびやか)すやうな印象をふせぐには十分だと云ふあの子供つぽい切ないやうな信頼の感じ、それをまざまざと思ひ出してゐた。何かしら温い、何かしら幸福な感覚が深くまつすぐに房一の胸を走つた。この感覚は渡船場で針金についてゐる綱をひつぱつて船をたぐり寄せたときにも、老父が船の後部に腰を下して、房一が慣れた手つきで綱をたぐりながら、黒い温かさうな水の上を渡つてゐるときにも、房一の胸の中につゞいてゐた。実家について、老父や起き出た家の者に二言三言挨拶して、やがて房一一人でもとの路をかへつて来る頃、彼は又日頃の心の状態にかへつてゐた。そして、「医師高間房一」が彼の中で目覚めて来た。渡船場の黒い温かさうな水の色はさつきと同じやうに彼の眼の前で光つてゐた。たぐりよせる綱のさやさやと引擦り会ふ音はさつきと同じやうにあつた。彼はそれらに注意深く耳を傾け、眺めた。瀬の音が河下の方から鈍く匍(は)ひ上つて来た。それにつれてかすかな震動があたりに響いてゐるやうに思はれた。何を考へるともなく深い沈思の蔭で蔽はれてゐた彼の浅黒い顔に突然或る明い微笑が現はれた。彼はしつかりと足をふみしめるやうにして、土堤の上の路を、雑草の中を帰つて行つた。

 老父に注意されるまでもなく、房一は河原町で医師として立つて行く上の先々の困難は十分心得てゐるつもりだつた。どんなに房一が成功者と目されたところで、一方では彼が河場の一介の百姓息子にすぎなかつたことを河原町の人達は忘れてゐはしなかつた。その上、河原町には古くから根を張つた大石医院といふものがあつた。
 こゝの当主はもう七十近い老人だが、まだ郡制のあつた先年まで郡の医師会長だつた人で、この地方での一二と云はれる有力者でもあつた。それに相当な地主だ。その政治上の勢力や小作人関係などからきてゐる彼の家と患者との関係は一朝一夕になつたものではない。今では老医師の正文は半ば隠居役で、息子の練吉といふ若医師が診察の方はひきうけてゐるのだが、中には「老先生の患者」といふ者もある位だ。
 だから、房一にしてみればわざわざ小面倒なところへ乗りこんで行つたやうなものである。それだけに房一は事前に大体の目算をつけてゐた。彼の計算によれば、彼の生家のある河場一帯はむろん彼の地盤に入るとして、河原町の川向ふは今まで何かにつけて町側に押されてゐたから自然その半ばは自分に着くと思はれた。その他の所、町場と近在については、この地域での大石医院の勢力は抜くべからざるものだし、又若しこれを強ひて侵さうとしたらそれはかへつて自分の身の破滅を来すやうなものだとは彼にも一目瞭然であつた。ただ近在だけは時日が経つうちには彼の腕次第で少なからぬ患者をひきつけることができさうに思はれた。だが、急(せ)いてはいけない。それに、彼が社会的にも医師としても大石医院の後進であることは紛れもないことだつた。よし、こつちからうんと頭を下げて行つてやらう、仕事はそれからだ、と房一は強く胸の中で呟(つぶや)いた。
 だが、どうせ頭を下げるのなら大石医院だけでなく目星(めぼ)しいところをあらかた廻つてやらう、叮寧にやつたところでどつちみち損はないわけだと、この打算力に富んだ若い医師は考へついた。さう決心すると、幼時から彼に巣喰つてゐて、今では彼の中に強靱な支柱のごときものになつてゐる闘争心のおかげで、房一には自分が頭を下げて歩く姿よりは、河原町の家々を虱(しらみ)つぶしに一つ宛身体をぶつつけて歩く姿の方が眼に浮かんだ位だつた。
 房一は礼装をして朝早くから出かけた。手はじめに家のある河原町の下手の区域を歩いた。このあたりは大石医院のある上手の区域にくらべると、ずつと場末臭い町並みであつた。その一等端は桑畑になつて、そこいらまではどこか町中の通りらしく平坦な道路は、急に幅も狭(せ)ばまり、石ころが路面に露(あら)はれてゐた。もう家はないと思はれる桑畑の先きに一軒の駄菓子屋があつて、その隣りには一寸した空地をへだててこのあたりには不似合なほどの大きな塀をめぐちした家があつた。それは河原町の旧家に多い築地塀を真似たものだつたが、様式は京都や大阪にありさうな塗壁の塀であつた。その家はびつくりさせるやうな大きさにもかゝはらず、昔風な家ばかりを見慣れた房一にはつい一月前に建てたやうに見えた。だが、もう四五年は経つてゐるのである。紺屋といふ屋号で知られてゐるこの家は河原町では一番新しい地主だつた。又、恐らく一番の物持ちだらうと云はれた。その真新しい家の印象とは反対に主人の堂本は恐しく引込思案の男だつた。彼はその財力には珍しくどんな町内の出来事にも関係するのを避けてゐた。それどころか、彼は何もしなかつた。たゞ夏近くなると始まる鮎釣りの季節にだけ、堂本は仕事着めいたシャツに古股引、大きい麦藁笠といつた姿で川岸に現はれるのだつたが、それさへなるべく人目にかゝりさうな場所をはなれて、上の方から釣手が下つて来るとだんだん下流の方へ、時には一里位下に遠ざかつてしまふのであつた。さういふ堂本にしてみれば、住居を新築したことだけが唯一の人目につく仕事だつたらう。それも、入口に立つてみると、ひどく用心堅固な感じの、こんなに周囲が畑ばかりで覗きこむ人だつてある筈がないのに、絶えず閉め切つた太格子の二枚戸が見えるだけで、内側の様子は皆目判らないやうに出来てゐた。
 房一はその玄関土間に足を踏み入れて、
「ごめん下さい」
 と、声をかけたが、返事がなかつた。間を置いて、今度は高い声を出すと、しばらくたつて、横手の襖(ふすま)が殆ど音を立てない位にそつと開いて、半白の頭を円坊主にした、痩せて黄ばんだ皮膚の五十がらみの男が、きよろりと驚いた眼をして、口を半ば開けたまゝのぞくやうに現はれて来た。
 それが堂本だつた。
「えゝ、このたびこちらへ戻りまして、仲通りに開業しました高間房一ですが、つきましては一寸御挨拶に――」
 房一はすかさずさう口にすると、低く鹿爪(しかつめ)らしいお辞儀をした。どうも、これでは少し固苦しいかな、と自分の声を自分で聞きながら。彼はいくらか汗ばんでゐるやうな気がした。慌(あわ)てないで、さう自分に云つた。
 だが、房一よりも堂本の方がもつと慌ててゐた。彼はいきなりそこに痩せた身体をしやちこ張らせてかしこまると、
「へえ、いえ」
 と、何か文句にならないことを口の中で云つて、もう一度低いお辞儀をかへした。
 その様子が房一に余裕を持たせた。彼は東京の代診時代に覚えた世間慣れた快げな微笑を浮かべることさへできた。
「お忘れかもしれませんが、高間道平の息子でございます。――今度、医者としてこの町へ戻りました者で――」
「へえ、――どうもごていねいなことで――」
 まだぎこちなく坐つて伏目に固くなつてゐる堂本の様子から、自分が誰かといふことは判つてはゐるのだなと思つた房一は、
「や、それでは――」
 と手早く切り上げて、堂本の家を出た。
 そこから元来た路を引き返した房一は、行きがけには通りすぎた千光寺の山門を潜つた。広い人気のない寺庭には九月の日が明く冴えて、横手の庫裡(くり)に近い物干竿では真白な足袋が二足ほど乾いてぶら下つてゐた。そのしんとした庭の中をまつすぐに庫裡の方へ横切つてゆくと、いきなり
「やあ」
 と云ふ疳高(かんだか)い大きな声があたりに響きわたつて房一を面喰せた。
 本堂と庫裡とをつなぐ板敷の間で、ずば抜けて背のひよろ長い、顔も劣らずに馬面(うまづら)の、真白な反(そ)つ歯(ぱ)のすぐ目につく男が突立つてゐた。
「なんですか、御挨拶まはりですかね、それはどうも御苦労さまですなあ。――まあ、お上り下さい」
 又立てつゞけに、一人でのみこんで、殆ど房一に口を開く隙を与へないこの男は、セルの単衣(ひとへ)を着て、その上に太い白帯をぐるぐる巻きにしてゐた。角張つた頭骨の形がむき出しになつた円頂と、この白帯とがなかつたら、僧侶といふよりは砲兵帰りの電気技師にでも見えたかも知れない。彼は小学校の頃房一より四五級上だつた。その頃から彼はひよろ長い背丈の、時々くりくり坊主にされて、その青光る頭を振り立てて町場の腕白仲間の先頭に立つてのし歩いてゐた。さういふ目立ち易い恰好が相手には又とない悪口の種を与へたものだつた。小憎らしかつたその慓悍(へうかん)さが、今その倍増しになつた背丈と同じやうに彼の中に育つて、ちつとも坊主臭くない筒抜けな、からりとした性格に発展したやうであつた。高間医院の造作中に、彼は前を二三度通りかゝつて、「あんたは高間さんぢやないですか」と呼びかけた。
「えらい評判ですなあ。けつこうですよ。ぜひ話しに来て下さい。わたしはこんなにいつもひまですからな」
 さう云ひすてて、大きな音を立てて下駄をひきずりながら立去つたのだ。
「さあ。どうぞ、どうぞ」
 彼は背だけでなく、腕と云ひ胴体と云ひ、又その両脚と云ひどの部分もすべていやに長かつた。その手を差しのべて、房一を座蒲団の上に招じると、自分も対(むか)ひ合つて座を占めた。すると、又もや長い両膝が蒲団の上からはみ出して、房一の方に向いてにゆつと二つ並んだ。
「よく来てくれましたな。けふはゆつくりしてもかまはんのでせう。あんたは碁を打ちますか。――さうですか、御存知ないですか。それはちよつと。まア、しかし、こんなものは覚えん方がいゝかもしれませんなあ」
 さう云ひながら一寸横目で自分の膝のわきに据ゑたずつしりと厚味のある榧(かや)の碁盤を眺めた。
「今日はほんの御挨拶に上つたので、いづれ又ゆつくり――」
 この分では永くなりさうだと思つて、房一が腰を浮かし気味にすると、
「まあ、いゝでせう。せつかくぢやありませんか」――
「あ、さうだ。お茶、お茶。おい、お茶を出してくれ」
 と、相手は慌ててその筒抜けな声を庫裡の居間に向けて放つた。
「いや、どうぞ構はんで下さい」
「どういたしまして。お茶位さし上げんと」
 いきなり忙(せ)はしなく立上ると庫裡へ走つて行つて、間も無く茶器を揃へた盆を自分で持ち運んで来た。長い胴を折り曲げるやうな危つかしい調子で房一の前に置くと、
「さあ、どうぞ。仇(かたき)の家へ行つても朝茶はのめ、と云ふことがありますよ。お茶ぐらゐはのんでもらはんと――」
「いやあ、全く」
 房一は苦笑した。
 間もなく千光寺の山門を出た房一は、殆ど人通りと云つてはない一本町の本通りを更に上手へと歩いて行つた。両側には軒の低い、一体どんな商売で暮しを立ててゐるのか判らないやうな、古障子を閉めきつた家が並んでゐた。その間々にちつぽけな、素人(しろうと)くさい塗り方をしたニス枠の飾窓に、すぐに数へられる位にばらつと安物の時計を並べた家や、埃の一杯かゝつてゐる雑穀屋の店さきなどがはさまれてゐた。まつ昼間だと云ふのに、通りには殆ど人の気配がなかつた。或る家の前の土間では、犬が一匹、その犬は捲の尻つぽをくるりとさせたまゝ、腹を地につけて坐りこみ、いかにも興味がなささうな、誰か通るから見てやるんだぞ、と云ふやうな様子で房一を眺めてゐた。その少し先きの家の縁側では女の子が二人、くたくたに古くなつて、紅いつけ色の滲んだ布ぐるみの人形をいぢつてゐた。口を利かなかつた。たゞ肩さきを擦りつけて手さきを動かしてゐるだけだ。それで、寝かされたり、起されたり、とれかかつた手をぶらんとさせたりする人形よりも、黙りこくつてそれをいぢつてゐる女の子達の方が、この薄ぼんやりした通りに似合つて、もつと人形染みてゐた。
 しばらく行くと、ちやうど河原町の中ほどにあたる所で家並みがかなり長い間途切れてゐた。まはりは田圃(たんぼ)だけの、そこで今までまつすぐに来た道路は斜めに屈折して、二つの直線をなす上の町と下の町との喰ひちがひをつないでゐた。上の町のとつつきはやはりはつきり曲つてゐるので、その端にある雑貨店の前面が殆ど突きあたりに見えた。それは横手の壁が白く快げに厚く塗られて、その上に青黒い漆喰(しつくひ)で屋号を浮き出させた、かなり大きな裕福さうな家だつた。房一がその方に向つて歩きながら何気なく見ると、一人の男がその家の前に立つてゐるのが目に入つた。たつた今何となく家の中から出て来たらしくいかにも用がなげにあたりを見まはしてゐたその男は、近づいて来る房一の姿に気づくと大袈裟に手を額にかざして日をよけながらぢろぢろと眺めはじめた。それはまるで、この道路が彼の私有物で、そこを案内もなしに闖入(ちんにふ)して来る見ず知らずの男を咎めにかゝつてでもゐるかのやうであつた。
 年は五十過ぎ位、見るからに小柄な貧弱きはまる痩せつぽちだが、何となく自分の身体を大きく見せようと絶えず心を配つてゐるらしい足の踏ん張り方をしてゐた。手足も、顔の皮膚もうすく日焼けがし、乾いて、骨にくつついてゐた。が、頭髪はそれとは反対に驚くほど真黒で、きちんと櫛目を入れて分けられ、鼻下にはやはり念入りに短く刈りこんだ漆黒の髭をはやしてゐた。それは何かちぐはぐな印象で、中農の地主にも見え、町役場の収入役のやうでもあり、又どこかに馬喰(ばくらう)臭いところもあつた。だが、一貫して現はれてゐるのは、小柄の者がさうである場合特に目立つ、そして見る者の咽喉のあたりを痒(かゆ)くさせるやうな、あの横柄(わうへい)さであつた。
 房一には間もなくそれが雑貨店の主人である庄谷だと判つた。だが、庄谷の方では房一が二三間の所に近づいてもまだぢろぢろ眺めてゐた。
「やあ、しばらくで」
 と、房一は帽子を手にやつた。
「はン」
 庄谷はほんのしるしだけにちよつと頭を動かしたが、やつと相手が誰だか思ひ出したらしく、その細い眼が急に徴笑した。
 その筈だつた。庄谷と房一の家とはかなり前まで遠い縁つゞきであつた。房一の死んだ母親と庄谷のやはり亡くなつた妻とは又従妹か何かにあたつてゐた。だが、さういふ程度の関係は知らぬ顔をすれば他人で通る位の間柄である。生前にも別につき合ひはしてゐなかつた。まして、二人ともこの世の者ではなくなつた今では、思ひ出せばさういふこともあつた、位の関係でしかない。
「誰かと思つたよ」
 庄谷の細い眼が又微笑した。だが、その瞬間に現はれたほんの少しの人なつこさ、古い記憶のほのめきは、すぐ又大急ぎでどこかへ隠れこんで行くやうに見えた。
「いつたい、今日は何ごとかの」
 庄谷は自分よりは高い相手から見下されるのを避けるやうに少し遠のくと、房一の改まつた服装を胸から下にかけてぢろぢろと見た。
「いや、挨拶まはりですよ。どうぞよろしく」
「はあ――ふむ、うちへもかね」
 冷笑するやうな「それは御苦労」と云ふ色が庄谷の眼に現はれたきりで、後は何とも云はない。恐らくそれが彼のふだんの表情であると思はれる、さつき手を額にかざして房一を眺めてゐたときと同じやうな、横柄な、何か固い糊づけしたやうなものが庄谷の顔にあつた。それは面を被つたみたいに庄谷の顔をくるんでゐて、いや顔だけではない、庄谷そのものもすつかりその固いものの背後にかくれてしまつたやうに見えた。
「うちへもかね」と訊いて置きながら、その自家(うち)へ寄つて行けとも云はない。房一はふと庄谷の眼尻が人並より下つて、そこが特長のある皺になつてゐるのを認めた。その皺の奥から時々庄谷の眼がこちらの顔を撫でるやうに見てゐた。さつきから何度も微笑したやうに見えたのは、この皺のせゐかもしれない。
 今度帰郷してから庄谷に会ふのは今日が始めてだが、房一のことは庄谷も知り抜いてゐる筈なので、彼の方から祝ひの言葉の一つ位はかけてくれさうな気がしてゐたのに、房一はあてが外れたやうに感じて、少なからず手持無沙汰だつた。だが、庄谷は知らないどころではなかつた。たゞ彼には房一が医者になつたことが何となく気に喰はないのである。庄谷の眼からすれば、以前からさう手軽るに親類顔をしてもらひたくないと思つてゐた家の薄汚い息子でしかない房一が、今突然医者として現はれて来たつて、それを認める気にはなれなかつた。この善良で小柄な、小柄なくせに横柄な男は、頭のてつぺんから足のさきまで河原町の者だつた。彼はこの町に生れて、家業である雑貨店を継いだ。それからもう何十年、店の入口の障子は硝子戸に変り、商品もランプの代りに電球を置くやうになつた。だが、いつたいそれがどういふ変化だと云ふのだらう。何もかも大事なことは変つてはゐなかつた。もう十年来どこの家でも戸数割の納め高は同じであつた。彼の家の前を通る大抵の人は彼より少い戸数割を納めてゐた。だから、彼はそこで会ふ大抵の人に、「あン」と云つて一寸頭を動かせばよかつた。無遠慮にぢろぢろ通りがかりの人を眺める癖を改めなくともよかつた。それは彼のこれまでの生涯をつゞいた。これからだつて同じことだとしか思はれない。何もかもちやんと決まつてゐて、疑ふこともなければ、案ずることもない。だから、それに当てはまらないことが目の前に現れても、それは初めから無いに等しい。彼を支へてゐる考へがあるとすれば、ざつとかういふ考へだつた。
 ――だが、作者がこんな説明をしてゐる間ぢう、房一はそこで愚図々々と立つてゐたわけではなかつた。何かしらあての外れたやうな気がすると同時に、房一は漠然と庄谷の気持を見抜いた。彼はそんなことで悄気(しよげ)るやうな性質でもなかつたので、ほんの路傍の挨拶だけで別れると、さつさと上手に歩いて行つた。

 それから一二時間たつた頃には、上の町の予定した家をあらかた廻つて、房一はそれが今日の挨拶まはりの一番の目的だつた大石医院の手前にさしかゝつてゐた。家を出た最初から、路々彼はそのことばかり考へてゐた。老医師の正文の方は、四五年かあるひはもつと前に、自転車に乗つて往診に出かける姿を見かけたことがある。息子の練吉には、彼が夏休みか何かに医専の学生服を着てゐるのに路上で会つたことがあるから、多分それはずつと前だつたにちがひない、それも擦れちがつただけで、練吉の方では房一を気にとめもしなかつた。房一には老医師の方は今もこの前と変りのない姿を想像することができたが、練吉の方はどんな風になつてゐるか見当がつかなかつた。彼等はどんな様子でこの自分を迎へるだらう、それから自分はどんな風に話を切り出したものだらう。「はじめまして」もをかしい、二人とも全然知らぬ間ではないのだからな、「しばらくで御座いました」と云ふかな、これもどうも変だな、――それからまだ言葉にはならない、いろんな言葉を頭の中で云つてみた。相手が頭を下げる、こつちもお辞儀をする、そんな恰好がひとりでに頭の中を横切つたり、消えたりした。房一は漠然と興奮してゐた。
 だが、当の大石医院へ行くまでに何軒かの家に寄り、何人かの男に会つて口を利いてゐる間に、房一は或る気持の変化を感じはじめてゐた。それはかうだつた――彼は自分の生れたこの土地については、一から十まで知つてゐるつもりでゐた。河原町といふものが、そこに住んでゐる人達が漠然と一かたまりになつて、云はば机の抽出に蔵ひこんである手帖のやうに、すぐその所在を確められるものとして感じられてゐたのだが、今日はじめてその一人一人にあたつてみると、今まで考へてゐたものとは可成りにちがふ何かしら別のものが思ひがけない感じで房一の顔を打つた。云つて見れば、彼は河原町の住民になつたのを感じた。これにくらべれば、彼が今まで感じてゐた河原町そのものは単にその外形であり、彼はこの町の住民ではなかつたとさへ思はれるのであつた。

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