滝口入道
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著者名:高山樗牛 

瀧口入道高山樗牛   第一 やがて來(こ)む壽永(じゆえい)の秋の哀れ、治承(ぢしよう)の春の樂みに知る由もなく、六歳(むとせ)の後に昔の夢を辿(たど)りて、直衣(なほし)の袖を絞りし人々には、今宵(こよひ)の歡曾も中々に忘られぬ思寢(おもひね)の涙なるべし。 驕(おご)る平家(へいけ)を盛りの櫻に比(くら)べてか、散りての後の哀れは思はず、入道相國(にふだうしやうこく)が花見の宴とて、六十餘州の春を一夕(いつせき)の臺(うてな)に集めて都(みやこ)西八條の邸宅。君ならでは人にして人に非ずと唱(うた)はれし一門の公達(きんだち)、宗徒(むねと)の人々は言ふも更(さら)なり、華冑攝※(くわちゆうせつろく)の子弟(してい)の、苟も武門の蔭を覆ひに當世の榮華に誇らんずる輩(やから)は、今日(けふ)を晴(はれ)にと裝飾(よそほ)ひて綺羅星(きらほし)の如く連(つらな)りたる有樣、燦然(さんぜん)として眩(まばゆ)き許(ばか)り、さしも善美を盡せる虹梁鴛瓦(こうりやうゑんぐわ)の砌(いしだゝみ)も影薄(かげうす)げにぞ見えし。あはれ此程(このほど)までは殿上(てんじやう)の交(まじはり)をだに嫌はれし人の子、家の族(やから)、今は紫緋紋綾(しひもんりよう)に禁色(きんじき)を猥(みだり)にして、をさ/\傍若無人の振舞(ふるまひ)あるを見ても、眉を顰(ひそ)むる人だに絶えてなく、夫れさへあるに衣袍(いはう)の紋色(もんしよく)、烏帽子のため樣(やう)まで萬六波羅樣(よろづろくはらやう)をまねびて時知り顏なる、世は愈々平家の世と覺えたり。 見渡せば正面に唐錦(からにしき)の茵(しとね)を敷ける上に、沈香(ぢんかう)の脇息(けふそく)に身を持たせ、解脱同相(げだつどうさう)の三衣(さんえ)の下(した)に天魔波旬(てんまはじゆん)の慾情を去りやらず、一門の榮華を三世の命(いのち)とせる入道清盛、さても鷹揚(おうやう)に坐せる其の傍には、嫡子(ちやくし)小松の内大臣重盛卿、次男中納言宗盛、三位中將知盛(とももり)を初めとして、同族の公卿十餘人、殿上三十餘人、其他、衞府諸司數十人、平家の一族を擧げて世には又人なくぞ見られける。時の帝(みかど)の中宮(ちゆうぐう)、後に建禮門院と申せしは、入道が第四の女(むすめ)なりしかば、此夜の盛宴に漏れ給はず、册(かしづ)ける女房曹司(にようばうざうし)は皆々晴の衣裳に奇羅を競ひ、六宮(りくきゆう)の粉黛(ふんたい)何れ劣らず粧(よそほひ)を凝(こ)らして、花にはあらで得ならぬ匂ひ、そよ吹く風毎(かぜごと)に素袍(すはう)の袖を掠(かす)むれば、末座に竝(な)み居る若侍等(わかざむらひたち)の亂れもせぬ衣髮をつくろふも可笑(をか)し。時は是れ陽春三月の暮、青海(せいかい)の簾高く捲き上げて、前に廣庭を眺むる大弘間、咲きも殘らず散りも初(はじ)めず、欄干(おばしま)近く雲かと紛(まが)ふ滿朶の櫻、今を盛りに匂ふ樣(さま)に、月さへ懸(かゝ)りて夢の如き圓(まどか)なる影、朧に照り渡りて、滿庭の風色(ふうしよく)碧紗に包まれたらん如く、一刻千金も啻ならず。内には遠侍(とほざむらひ)のあなたより、遙か對屋(たいや)に沿うて樓上樓下を照せる銀燭の光、錦繍の戸帳(とちやう)、龍鬢の板疊に輝きて、さしも廣大なる西八條の館(やかた)に光(ひかり)到らぬ隈(くま)もなし。あはれ昔にありきてふ、金谷園裏(きんこくゑんり)の春の夕(ゆふべ)も、よも是には過ぎじとぞ思はれける。 饗宴の盛大善美を盡せることは言ふも愚(おろか)なり、庭前には錦の幔幕を張りて舞臺を設け、管絃鼓箏の響は興を助けて短き春の夜の闌(ふ)くるを知らず、豫(かね)て召し置かれたる白拍子(しらびやうし)の舞もはや終りし頃ほひ、さと帛(きぬ)を裂くが如き四絃一撥の琴の音に連(つ)れて、繁絃急管のしらべ洋々として響き亙れば、堂上堂下俄(にはか)に動搖(どよ)めきて、『あれこそは隱れもなき四位の少將殿よ』、『して此方(こなた)なる壯年(わかうど)は』、『あれこそは小松殿の御内(みうち)に花と歌はれし重景殿よ』など、女房共の罵り合ふ聲々に、人々等(ひと)しく樂屋(がくや)の方を振向けば、右の方より薄紅(うすくれなゐ)の素袍(すほう)に右の袖を肩脱(かたぬ)ぎ、螺鈿(らでん)の細太刀(ほそだち)に紺地の水の紋の平緒(ひらを)を下げ、白綾(しらあや)の水干(すゐかん)、櫻萌黄(さくらもえぎ)の衣(ぞ)に山吹色の下襲(したがさね)、背には胡※(やなぐひ)を解(と)きて老掛(おいかけ)を懸け、露のまゝなる櫻かざして立たれたる四位の少將維盛(これもり)卿。御年辛(やうや)く二十二、青絲(せいし)の髮(みぐし)、紅玉(こうぎよく)の膚(はだへ)、平門(へいもん)第一の美男(びなん)とて、かざす櫻も色失(いろう)せて、何れを花、何れを人と分たざりけり。左の方よりは足助(あすけ)の二郎重景とて、小松殿恩顧の侍(さむらひ)なるが、維盛卿より弱(わか)きこと二歳にて、今年方(まさ)に二十(はたち)の壯年(わかもの)、上下同じ素絹(そけん)の水干の下に燃ゆるが如き緋の下袍(したぎ)を見せ、厚塗(あつぬり)の立烏帽子に平塵(ひらぢり)の細鞘なるを佩(は)き、袂豐(たもとゆたか)に舞ひ出でたる有樣、宛然(さながら)一幅の畫圖とも見るべかりけり。二人共に何れ劣らぬ優美の姿、適怨清和、曲(きよく)に隨つて一絲も亂れぬ歩武の節、首尾能く青海波(せいがいは)をぞ舞ひ納めける。滿座の人々感に堪へざるはなく、中宮(ちゆうぐう)よりは殊に女房を使に纏頭(ひきでもの)の御衣(おんぞ)を懸けられければ、二人は面目(めんもく)身に餘りて退(まか)り出でぬ。跡にて口善惡(くちさが)なき女房共は、少將殿こそ深山木(みやまぎ)の中の楊梅、足助殿(あすけどの)こそ枯野(かれの)の小松(こまつ)、何れ花も實(み)も有る武士(ものゝふ)よなどと言い合へりける。知るも知らぬも羨まぬはなきに、父なる卿の眼前に此(これ)を見て如何許(いかばか)り嬉しく思い給ふらんと、人々上座の方を打ち見やれば、入道相國の然(さ)も喜ばしげなる笑顏(ゑがほ)に引換(ひきか)へて、小松殿は差し俯(うつぶ)きて人に面(おもて)を見らるゝを懶(ものう)げに見え給ふぞ訝(いぶか)しき。   第二 西八條殿(にしはちでうでん)の搖(ゆら)ぐ計りの喝采を跡にして、維盛・重景の退(まか)り出でし後に一個の少女(をとめ)こそ顯はれたれ。是ぞ此夜の舞の納めと聞えければ、人々眸(ひとみ)を凝らして之を見れば、年齒(とし)は十六七、精好(せいがう)の緋の袴ふみしだき、柳裏(やなぎ)の五衣(いつゝぎぬ)打ち重ね、丈(たけ)にも餘る緑の黒髮後(うしろ)にゆりかけたる樣は、舞子白拍子の媚態(しな)あるには似で、閑雅(しとやか)に※長(らふた)たけて見えにける。一曲(いつきよく)舞ひ納む春鶯囀(しゆんあうてん)、細きは珊瑚を碎く一雨の曲、風に靡けるさゝがにの絲輕く、太きは瀧津瀬(たきつせ)の鳴り渡る千萬の聲、落葉(おちば)の蔭(かげ)に村雨(むらさめ)の響(ひゞき)重(おも)し。綾羅(りようら)の袂ゆたかに飜(ひるがへ)るは花に休める女蝶(めてふ)の翼か、蓮歩(れんぽ)の節(ふし)急(きふ)なるは蜻蛉(かげろふ)の水に點ずるに似たり。折らば落ちん萩の露、拾(ひろ)はば消えん玉篠(たまざゝ)の、あはれにも亦婉(あで)やかなる其の姿。見る人※然(ぼうぜん)として醉へるが如く、布衣(ほい)に立烏帽子せる若殿原(わかとのばら)は、あはれ何處(いづこ)の誰(た)が女子(むすめ)ぞ、花薫(はなかほ)り月霞む宵の手枕(たまくら)に、君が夢路(ゆめぢ)に入らん人こそ世にも果報なる人なれなど、袖褄(そでつま)引合ひてののしり合へるぞ笑止(せうし)なる。 榮華の夢に昔を忘れ、細太刀の輕さに風雅の銘を打ちたる六波羅武士の腸をば一指の舞に溶(とろか)したる彼の少女の、滿座の秋波(しうは)に送られて退(まか)り出でしを此夜の宴の終(はて)として、人々思ひ思ひに退出し、中宮もやがて還御(くわんぎよ)あり。跡には春の夜の朧月、殘り惜げに欄干(おばしま)の邊(ほとり)に蛉※(さすら)ふも長閑(のど)けしや。 此夜、三條大路(さんでうおほぢ)を左に、御所(ごしよ)の裏手の御溝端(みかはばた)を辿り行く骨格逞(たくま)しき一個の武士あり。月を負ひて其の顏は定かならねども、立烏帽子に綾長(そばたか)の布衣(ほい)を着け、蛭卷(ひるまき)の太刀の柄太(つかふと)きを横(よこた)へたる夜目(よめ)にも爽(さはや)かなる出立(いでたち)は、何れ六波羅わたりの内人(うちびと)と知られたり。御溝を挾(はさ)んで今を盛りたる櫻の色の見て欲(ほ)しげなるに目もかけず、物思はしげに小手叉(こまぬ)きて、少しくうなだれたる頭の重げに見ゆるは、太息(といき)吐く爲にやあらん。扨ても春の夜の月花(つきはな)に換へて何の哀れぞ。西八條の御宴より歸り途(みち)なる侍(さむらひ)の一群二群(ひとむれふたむれ)、舞の評など樂げに誰憚(たれはゞか)らず罵り合ひて、果は高笑ひして打ち興ずるを、件の侍は折々耳側(そばだ)て、時に冷(ひや)やかに打笑(うちゑ)む樣(さま)、仔細ありげなり。中宮の御所をはや過ぎて、垣越(かきごし)の松影(まつかげ)月を漏らさで墨の如く暗き邊(ほとり)に至りて、不圖(ふと)首を擧げて暫し四邊(あたり)を眺めしが、俄に心付きし如く早足に元來(もとき)し道に戻りける。西八條より還御せられたる中宮の御輿(おんこし)、今しも宮門を入りしを見、最(い)と本意なげに跡見送りて門前に佇立(たゝず)みける。後(おく)れ馳せの老女訝(いぶか)しげに己れが容子(ようす)を打ち※(みまも)り居るに心付き、急ぎ立去らんとせしが、何思ひけん、つと振向(ふりむき)て、件の老女を呼止めぬ。 何の御用と問はれて稍々、躊躇(ためら)ひしが、『今宵(こよひ)の御宴の終(はて)に春鶯囀を舞はれし女子(をなご)は、何れ中宮の御内(みうち)ならんと見受けしが、名は何と言はるゝや』。老女は男の容姿を暫し眺め居たりしが微笑(ほゝゑ)みながら、『扨も笑止の事も有るものかな、西八條を出づる時、色清(いろきよ)げなる人の妾を捉へて同じ事を問はれしが、あれは横笛(よこぶえ)とて近き頃御室(おむろ)の郷(さと)より曹司(そうし)しに見えし者なれば、知る人なきも理(ことわり)にこそ、御身(おんみ)は名を聞いて何にし給ふ』。男はハツと顏赤らめて、『勝(すぐ)れて舞の上手(じやうず)なれば』。答ふる言葉聞きも了らで、老女はホヽと意味ありげなる笑(ゑみ)を殘して門内に走り入りぬ。『横笛、横笛』、件の武士は幾度か獨語(ひとりご)ちながら、徐(おもむろ)に元來し方に歸り行きぬ。霞の底に響く法性寺(ほふしやうじ)の鐘の聲、初更(しやかう)を告ぐる頃にやあらん。御溝の那方(あなた)に長く曳ける我影に駭(おどろ)きて、傾く月を見返る男、眉太(まゆふと)く鼻隆(はなたか)く、一見凜々(りゝ)しき勇士の相貌、月に笑めるか、花に咲(わら)ふか、あはれ瞼(まぶた)の邊(あたり)に一掬の微笑を帶びぬ。   第三 當時小松殿の侍に齋藤瀧口(さいとうのたきぐち)時頼と云ふ武士ありけり。父は左衞門茂頼(もちより)とて、齡古稀(よはひこき)に餘れる老武者(おいむしや)にて、壯年の頃より數ケ所の戰場にて類稀(たぐひまれ)なる手柄(てがら)を顯はししが、今は年老たれば其子の行末を頼りに殘年を樂みける。小松殿は其功を賞(め)で給ひ、時頼を瀧口の侍に取立て、數多(あまた)の侍の中に殊に恩顧を給はりける。 時頼是(こ)の時年二十三、性(せい)濶達にして身の丈(たけ)六尺に近く、筋骨飽くまで逞(たくま)しく、早く母に別れ、武骨一邊の父の膝下(ひざもと)に養はれしかば、朝夕耳(みゝ)にせしものは名ある武士が先陣拔懸(ぬけが)けの譽(ほまれ)れある功名談(こうみやうばなし)にあらざれば、弓箭甲冑の故實(こじつ)、髻垂(もとどりた)れし幼時より劒(つるぎ)の光、弦(ゆづる)の響の裡に人と爲りて、浮きたる世の雜事(ざれごと)は刀の柄(つか)の塵程も知らず、美田(みた)の源次が堀川(ほりかは)の功名に現(うつゝ)を拔(ぬ)かして赤樫(あかがし)の木太刀を振り舞はせし十二三の昔より、空肱撫(からひぢな)でて長劒の輕きを喞(かこ)つ二十三年の春の今日(けふ)まで、世に畏ろしきものを見ず、出入(いでい)る息を除(のぞ)きては、六尺の體(からだ)、何處を膽と分つべくも見えず、實に保平(ほうへい)の昔を其儘の六波羅武士の模型なりけり。然(さ)れば小松殿も時頼を末頼母(すゑたのも)しきものに思ひ、行末には御子維盛卿の附人(つきびと)になさばやと常々目を懸けられ、左衞門が伺候(しこう)の折々に『茂頼、其方(そち)は善き悴(せがれ)を持ちて仕合者(しあはせもの)ぞ』と仰せらるゝを、七十の老父、曲(まが)りし背も反(そ)らん計りにぞ嬉しがりける。 時は治承(ぢしよう)の春、世は平家の盛、そも天喜(てんぎ)、康平(かうへい)以來九十年の春秋(はるあき)、都も鄙(ひな)も打ち靡きし源氏の白旗(しらはた)も、保元(ほうげん)、平治(へいぢ)の二度の戰(いくさ)を都の名殘に、脆くも武門の哀れを東海の隅に留めしより、六十餘州に到らぬ隈(くま)なき平家の權勢、驕(おご)るもの久しからずとは驕れるもの如何で知るべき。養和(やうわ)の秋、富士河の水禽(みづとり)も、まだ一年(ひととせ)の來(こ)ぬ夢なれば、一門の公卿殿上人(こうけいてんじやうびと)は言はずもあれ、上下の武士何時(いつ)しか文弱(ぶんじやく)の流(ながれ)に染(そ)みて、嘗て丈夫(ますらを)の譽に見せし向ふ疵も、いつの間にか水鬢(みづびん)の陰(かげ)に掩(おほ)はれて、重(おも)きを誇りし圓打(まるうち)の野太刀(のだち)も、何時しか銀造(しろがねづくり)の細鞘に反(そり)を打たせ、清らなる布衣(ほい)の下に練貫(ねりぬき)の袖さへ見ゆるに、弓矢持つべき手に管絃の調(しらべ)とは、言ふもうたてき事なりけり。 時頼世(よ)の有樣を觀て熟々(つら/\)思ふ樣(やう)、扨も心得ぬ六波羅武士が擧動(ふるまひ)かな、父なる人、祖父なる人は、昔知らぬ若殿原に行末短き榮耀(ええう)の夢を貪らせんとて其の膏血はよも濺(そゝ)がじ。萬一事有(ことあ)るの曉には絲竹(いとたけ)に鍛へし腕(かひな)、白金造(しろがねづくり)の打物(うちもの)は何程の用にか立つべき。射向(いむけ)の袖を却て覆ひに捨鞭(すてむち)のみ烈しく打ちて、笑ひを敵に殘すは眼(ま)のあたり見るが如し。君の御馬前に天晴(あつぱれ)勇士の名を昭(あらは)して討死(うちじに)すべき武士(ものゝふ)が、何處に二つの命ありて、歌舞優樂の遊に荒(すさ)める所存の程こそ知られね。――弓矢の外には武士の住むべき世ありとも思はぬ一徹の時頼には、兎角慨(なげか)はしく、苦々(にが/\)しき事のみ耳目に觸れて、平和の世の中(なか)面白からず、あはれ何處にても一戰(ひといくさ)の起れかし、いでや二十餘年の風雨に鍛へし我が技倆を顯はして、日頃我れを武骨物(ぶこつもの)と嘲りし優長武士に一泡(ひとあわ)吹かせんずと思ひけり。衆人醉へる中に獨り醒むる者は容(い)れられず、斯かる氣質なれば時頼は自(おのづ)から儕輩(ひと/″\)に疎(うとん)ぜられ、瀧口時頼とは武骨者の異名(いみやう)よなど嘲り合ひて、時流外(なみはづ)れに粗大なる布衣を着て鐵卷(くろがねまき)の丸鞘を鴎尻(かもめじり)に横(よこた)へし後姿(うしろすがた)を、蔭にて指(ゆびさ)し笑ふ者も少からざりし。            *        *       *        * 西八條の花見の宴に時頼も連(つらな)りけり。其夜更闌(かうた)けて家に歸り、其の翌朝は常に似ず朝日影窓(まど)に差込む頃やうやく臥床(ふしど)を出でしが、顏の色少しく蒼味(あをみ)を帶びたり、終夜(よもすがら)眠らでありしにや。 此夜、御所の溝端に人跡絶えしころ、中宮の御殿の前に月を負ひて歩むは、紛(まが)ふ方なく先の夜に老女を捉へて横笛が名を尋ねし武士なり。物思はしげに御門の邊を行きつ戻りつ、月の光に振向ける顏見れば、まさしく齋藤瀧口時頼なりけり。   第四 物の哀れも是れよりぞ知る、戀ほど世に怪しきものはあらじ。稽古の窓に向つて三諦止觀(さんたいしくわん)の月を樂める身も、一朝(てう)折りかへす花染(はなぞめ)の香(か)に幾年(いくとせ)の行業(かうげふ)を捨てし人、百夜(もゝよ)の榻(しぢ)の端書(はしがき)につれなき君を怨みわびて、亂れ苦(くるし)き忍草(しのぶぐさ)の露と消えにし人、さては相見ての後のたゞちの短きに、戀ひ悲みし永の月日を恨みて三衣(え)一鉢(ぱつ)に空(あだ)なる情(なさけ)を觀ぜし人、惟(おも)へば孰(いづ)れか戀の奴(やつこ)に非ざるべき。戀や、秋萩(あきはぎ)の葉末(はずゑ)に置ける露のごと、空(あだ)なれども、中に寫せる月影は圓(まどか)なる望とも見られぬべく、今の憂身(うきみ)をつらしと喞(かこ)てども、戀せぬ前の越方(こしかた)は何を樂みに暮らしけんと思へば、涙は此身の命なりけり。夕旦(ゆふべあした)の鐘の聲も餘所(よそ)ならぬ哀れに響く今日(けふ)は、過ぎし春秋(はるあき)の今更(いまさら)心なきに驚かれ、鳥の聲、蟲の音(ね)にも心何(なに)となう動きて、我にもあらで情(なさけ)の外に行末もなし。戀せる今を迷(まよひ)と觀れば、悟れる昔の慕ふべくも思はれず、悟れる今を戀と觀れば、昔の迷こそ中々に樂しけれ。戀ほど世に訝(いぶか)しきものはあらじ。そも人、何を望み何を目的(めあて)に渡りぐるしき戀路(こひぢ)を辿るぞ。我も自ら知らず、只々朧げながら夢と現(うつゝ)の境を歩む身に、ましてや何れを戀の始終と思ひ分たんや。そも戀てふもの、何(いづ)こより來り何こをさして去る、人の心の隈は映(うつ)すべき鏡なければ何れ思案の外なんめり。 いかなれば齋藤瀧口、今更(いまさら)武骨者の銘打つたる鐵卷(くろがね)をよそにし、負ふにやさしき横笛の名に笑(ゑ)める。いかなれば時頼、常にもあらで夜を冒(をか)して中宮の御所(ごしよ)には忍べる。吁々いつしか戀の淵に落ちけるなり。 西八條の花見の席に、中宮の曹司横笛を一目見て時頼は、世には斯かる氣高(けだか)き美しき女子(をなご)も有るもの哉と心竊(ひそか)に駭きしが、雲を遏(とゞ)め雲を※(めぐら)す妙(たへ)なる舞の手振(てぶり)を見もて行くうち、胸怪(むねあや)しう轟き、心何となく安からざる如く、二十三年の今まで絶えて覺(おぼえ)なき異樣の感情雲(くも)の如く湧き出でて、例へば渚(なぎさ)を閉ぢし池の氷の春風(はるかぜ)に溶(と)けたらんが如く、若しくは滿身の力をはりつめし手足(てあし)の節々(ふし/″\)一時に緩(ゆる)みしが如く、茫然として行衞も知らぬ通路(かよひぢ)を我ながら踏み迷へる思して、果は舞(まひ)終り樂(がく)收まりしにも心付かず、軈て席を退(まか)り出でて何處ともなく出で行きしが、あはれ横笛とは時頼其夜初めて覺えし女子の名なりけり。 日來(ひごろ)快濶にして物に鬱する事などの夢にもなかりし時頼の氣風何時(いつ)しか變りて、憂(うれ)はしげに思ひ煩(わづら)ふ朝夕の樣唯(ただ)ならず、紅色(あかみ)を帶びしつや/\しき頬の色少しく蒼ざめて、常にも似で物言ふ事も稀になり、太息(といき)の數のみぞ唯ゝ増さりける。果は濡羽(ぬれは)の厚鬢(あつびん)に水櫛當(みづぐしあて)て、筈長(はずなが)の大束(おほたぶさ)に今樣の大紋(だいもん)の布衣(ほい)は平生の氣象に似もやらずと、時頼を知れる人、訝しく思はぬはなかりけり。   第五 打つて變りし瀧口が今日此頃(けふこのごろ)の有樣に、あれ見よ、當世嫌ひの武骨者(ぶこつもの)も一度は折らねばならぬ我慢なるに、笑止や日頃(ひごろ)吾等を尻目に懸けて輕薄武士と言はぬ計りの顏、今更何處(どこ)に下げて吾等に對(むか)ひ得るなど、後指(うしろゆび)さして嘲り笑ふものあれども、瀧口少しも意に介せざるが如く、應對等は常の如く振舞ひけり。されど自慢の頬鬢掻撫(かいな)づる隙(ひま)もなく、青黛の跡絶えず鮮かにして、萌黄(もえぎ)の狩衣(かりぎぬ)に摺皮(すりかは)の藺草履(ゐざうり)など、よろづ派手やかなる出立(いでたち)は人目に夫(それ)と紛(まが)うべくもあらず。顏容(かほかたち)さへ稍々窶(やつ)れて、起居(たちゐ)も懶(ものう)きがごとく見ゆれども、人に向つて氣色(きしよく)の勝(すぐ)れざるを喞ちし事もなく、偶々(たま/\)病などなきやと問ふ人あれば、却つて意外の面地(おももち)して、常にも増して健かなりと答へけり。 皆是れ戀の業(わざ)なりとは、哀れや時頼未だ夢にも心づかず、我ともなく人ともあらで只々思ひ煩へるのみ。思ひ煩へる事さへも心自ら知らず、例へば夢の中に伏床(ふしど)を拔け出でて終夜出(よもすがらやま)の巓(いたゞき)、水の涯(ほとり)を迷ひつくしたらん人こそ、さながら瀧口が今の有樣に似たりとも見るべけれ。 人にも我にも行衞知れざる戀の夢路をば、瀧口何處のはてまで辿りけん、夕とも言はず、曉とも言はず、屋敷を出でて行先は己れならで知る人もなく、只々門出(かどで)の勢ひに引きかへて、戻足(もどりあし)の打ち蕭(しお)れたる樣、さすがに遠路の勞(つかれ)とも思はれず。一月餘(ひとつきあまり)も過ぎて其年の春も暮れ、青葉の影に時鳥(ほとゝぎす)の初聲聞く夏の初めとなりたれども、かゝる有樣の悛(あらた)まる色だに見えず、はては十幾年の間、朝夕樂みし弓馬の稽古さえ自(おのづか)ら怠り勝になりて、胴丸(どうまる)に積もる埃(ほこり)の堆(うづたか)きに目もかけず、名に負へる鐵卷(くろがねまき)は高く長押(なげし)に掛けられて、螺鈿の櫻を散らせる黒鞘に摺鮫(すりざめ)の鞘卷(さやまき)指(さ)し添ヘたる立姿(たちすがた)は、若(も)し我ならざりせば一月前(ひとつきまへ)の時頼、唾も吐きかねざる華奢(きやしや)の風俗なりし。 されば變り果てし容姿に慣れて、笑ひ譏(そし)る人も漸く少くなりし頃、蝉聲(せみ)喧(かまびす)しき夏の暮にもなりけん。瀧口が顏愈々やつれ、頬肉は目立つまでに落ちて眉のみ秀で、凄きほど色蒼白(あを)みて濃(こまや)かなる雙の鬢のみぞ、愈々其の澤(つや)を増しける。氣向(きむ)かねばとて、病と稱して小松殿が熊野參寵の伴(とも)にも立たず、動(やゝ)もすれば、己が室に閉籠りて、夜更くるまで寢もやらず、日頃は絶えて用なき机に向ひ、一穗(すゐ)の燈(ともしび)挑(かゝ)げて怪しげなる薄色の折紙(をりがみ)延べ擴げ、命毛(いのちげ)の細々と認むる小筆の運び絶間なく、卷いてはかへす思案の胸に、果は太息(といき)と共に封じ納むる文の數々(かず/\)、燈の光に宛名を見れば、薄墨の色の哀れを籠めて、何時の間に習ひけん、貫之流(つらゆきりう)の流れ文字に『横笛さま』。 世に艷(なまめ)かしき文てふものを初めて我が思ふ人に送りし時は、心のみを頼みに安からぬ日を覺束なくも暮らせしが、籬に觸るゝ夕風のそよとの頼(たより)だになし。前もなき只の一度に人の誠のいかで知らるべきと、更に心を籠めて寄する言の葉も亦仇(あだ)し矢の返す響もなし。心せはしき三度(みたび)五度(いつたび)、答なきほど迷ひは愈々深み、氣は愈々狂ひ、十度、二十度、哀れ六尺の丈夫(ますらを)が二つなき魂をこめし千束(ちづか)なす文は、底なき谷に投げたらん礫(つぶて)の如く、只の一度の返り言(ごと)もなく、天(あま)の戸(と)渡(わた)る梶の葉に思ふこと書く頃も過ぎ、何時(いつ)しか秋風の哀れを送る夕まぐれ、露を命の蟲の音の葉末にすだく聲悲し。   第六 思へば我しらで戀路(こひぢ)の闇に迷ひし瀧口こそ哀れなれ。鳥部野(とりべの)の煙絶ゆる時なく、仇し野の露置くにひまなき、まゝならぬ世の習はしに漏るゝ我とは思はねども、相見ての刹那に百年(もゝとせ)の契をこむる頼もしき例(ためし)なきにもあらぬ世の中に、いかなれば我のみは、天の羽衣(はごろも)撫で盡(つく)すらんほど永き悲しみに、只々一時(ひととき)の望みだに得協(えかな)はざる。思へば無情(つれな)の横笛や、過ぎにし春のこのかた、書き連(つら)ねたる百千(もゝち)の文に、今は我には言殘せる誠もなし、良(よ)しあればとて此上短き言の葉に、胸にさへ餘る長き思を寄せん術(すべ)やある。情(つれ)なの横笛や、よしや送りし文は拙くとも、變らぬ赤心(まこと)は此の春秋の永きにても知れ。一夜の松風に夢さめて、思寂(おもひさび)しき衾(ふすま)の中に、我(わが)ありし事、薄(すゝき)が末の露程も思ひ出ださんには、など一言(ひとこと)の哀れを返さぬ事やあるべき。思へば/\心なの横笛や。 然(さ)はさりながら、他(あだ)し人の心、我が誠もて規(はか)るべきに非ず。路傍(みちのべ)の柳は折る人の心に任(まか)せ、野路(のぢ)の花は摘む主(ぬし)常ならず、數多き女房曹司の中に、いはば萍(うきくさ)の浮世の風に任する一女子の身、今日は何れの汀に留まりて、明日(あす)は何處の岸に吹かれやせん。千束(ちづか)なす我が文は讀みも了らで捨てやられ、さそふ秋風に桐一葉の哀れを殘さざらんも知れず。況(まし)てや、あでやかなる彼れが顏(かんばせ)は、浮きたる色を愛(め)づる世の中に、そも幾その人を惱しけん。かの宵にすら、かの老女を捉へて色清げなる人の、嫉ましや、早や彼が名を尋ねしとさへ言へば、思ひを寄するもの我のみにてはなかりけり。よしや他(ひと)にはあらぬ赤心(まこと)を寄するとも、風や何處と聞き流さん。浮きたる都の艷女(たをやめ)に二つなき心盡しのかず/\は我身ながら恥かしや、アヽ心なき人に心して我のみ迷いし愚さよ。 待てしばし、然(さ)るにても立波荒(たつなみあら)き大海(わたつみ)の下にも、人知らぬ眞珠(またま)の光あり、外(よそ)には見えぬ木影(こかげ)にも、情(なさけ)の露の宿する例(ためし)。まゝならぬ世の習はしは、善きにつけ、惡しきにつけ、人毎(ひとごと)に他(ひと)には測られぬ憂(うき)はあるものぞかし。あはれ後とも言はず今日の今、我が此思ひを其儘に、いづれいかなる由ありて、我が思ふ人の悲しみ居らざる事を誰か知るや。想へば、那(か)の氣高(けだか)き※(らふ)たけたる横笛を萍(うきくさ)の浮きたる艷女(たをやめ)とは僻(ひが)める我が心の誤ならんも知れず。さなり、我が心の誤ならんも知れず。鳴く蝉よりも鳴かぬ螢の身を焦すもあるに、聲なき哀れの深さに較(くら)ぶれば、仇浪(あだなみ)立てる此胸の淺瀬は物の數(かず)ならず。そもや心なき草も春に遇へば笑ひ、情(じやう)なき蟲も秋に感ずれば鳴く。血にこそ染まね、千束なす紅葉重(もみぢがさね)の燃ゆる計りの我が思ひに、薄墨の跡だに得還(えかへ)さぬ人の心の有耶無耶(ありやなしや)は、誰か測り、誰か知る。然(さ)なり、情(つれ)なしと見、心なしと思ひしは、僻める我身の誤なりけり。然るにても―― 瀧口の胸は麻の如く亂れ、とつおいつ、或は恨み、或は疑ひ、或は惑ひ、或は慰め、去りては來り、往きては還り、念々不斷の妄想、流は千々に異(かは)れども、落行く末はいづれ同じ戀慕の淵。迷の羈絆(きづな)目に見えねば、勇士の刃も切らんに術(すべ)なく、あはれや、鬼も挫(ひし)がんず六波羅一の剛(がう)の者(もの)、何時(いつ)の間(ま)にか戀の奴(やつこ)となりすましぬ。 一夜時頼(ときより)、更闌(かうた)けて尚ほ眠りもせず、意中の幻影(まぼろし)を追ひながら、爲す事もなく茫然として机に憑(よ)り居しが、越し方、行末の事、端(はし)なく胸に浮び、今の我身の有樣に引き比(くら)べて、思はず深々(ふかぶか)と太息(といき)つきしが、何思ひけん、一聲高く胸を叩いて躍り上(あが)り、『嗚呼過(あやま)てり/\』。   第七 歌物語(うたものがたり)に何の癡言(たはこと)と聞き流せし戀てふ魔に、さては吾れ疾(とく)より魅(み)せられしかと、初めて悟りし今の刹那に、瀧口が心は如何(いか)なりしぞ。『嗚呼過てり』とは何より先に口を衝いて覺えず出でし意料無限の一語、襟元に雪水を浴びし如く、六尺の總身ぶる/\と震ひ上りて、胸轟き、息(いき)せはしく、『むゝ』とばかりに暫時(しばし)は空を睨んで無言の體(てい)。やがて眼(め)を閉ぢてつくづく過越方(すぎこしかた)を想ひ返せば、哀れにもつらかりし思ひの數々(かず/\)、さながら世を隔てたらん如く、今更明(あ)かし暮らせし朝夕の如何にしてと驚かれぬる計り。夢かと思へば、現(うつ)せ身の陽炎(かげろふ)の影とも消えやらず、現(うつゝ)かと見れば、夢よりも尚ほ淡き此の春秋の經過、例へば永の病に本性を失ひし人の、やうやく我に還りしが如く、瀧口は只々恍惚として呆るゝばかりなり。『嗚呼過てり/\、弓矢(ゆみや)の家に生(う)まれし身の、天晴(あつぱれ)功名手柄して、勇士の譽を後世に殘すこそ此世に於ける本懷なれ。何事ぞ、眞の武士の唇頭(くちびる)に上(の)ぼすも忌(いま)はしき一女子の色に迷うて、可惜(あたら)月日(つきひ)を夢現(ゆめうつゝ)の境に過(すご)さんとは。あはれ南無八幡大菩薩も照覽あれ、瀧口時頼が武士の魂の曇なき證據、眞(まつ)此の通り』と、床(とこ)なる一刀スラリと拔きて、青燈の光に差し付くれば、爛々たる氷の刃に水も滴(したゝ)らんず無反(むそり)の切先(きつさき)、鍔を銜(ふく)んで紫雲の如く立上(たちのぼ)る燒刃(やきば)の匂(にほ)ひ目も覺(さ)むるばかり。打ち見やりて時頼莞爾(につこ)と打ち笑(ゑ)み、二振三振(ふたふりみふり)、不圖(ふと)平見(ひらみ)に映る我が顏見れば、こはいかに、内落ち色蒼白(あをじろ)く、ありし昔に似もつかぬ悲慘の容貌。打ち駭きて、ためつ、すがめつ、見れば見るほど變り果てし面影(おもかげ)は我ならで外になし。扨も窶れたるかな、愧(はづか)しや我を知れる人は斯かる容(すがた)を何とか見けん――、そも斯くまで骨身をいためし哀れを思へば、深さは我ながら程知らず、是も誰(た)が爲め、思へば無情(つれな)の人心(ひとごゝろ)かな。 碎けよと握り詰めたる柄(つか)も氣も何時(いつ)しか緩(ゆる)みて、臥蠶(ぐわさん)の太眉(ふとまゆ)閃々と動きて、覺えず『あゝ』と太息(といき)つけば、霞む刀に心も曇り、映(うつ)るは我面(わがかほ)ならで、烟の如き横笛が舞姿。是はとばかり眼を閉ぢ、氣を取り直し、鍔音高く刃(やいば)を鞘に納むれば、跡には燈の影ほの暗く、障子に映る影さびし。 嗚呼々々、六尺の體(み)に人竝みの膽は有りながら、さりとは腑甲斐なき我身かな。影も形もなき妄念(まうねん)に惱まされて、しらで過ぎし日はまだしもなれ、迷ひの夢の醒め果てし今はの際(きは)に、めめしき未練は、あはれ武士ぞと言ひ得べきか。輕しと喞(かこ)ちし三尺二寸、双腕(もろうで)かけて疊みしはそも何の爲の極意(ごくい)なりしぞ。祖先の苦勞を忘れて風流三昧に現(うつゝ)を拔かす當世武士を尻目にかけし、半歳前の我は今何處(いづく)にあるぞ。武骨者と人の笑ふを心に誇りし齋藤時頼に、あはれ今無念の涙は一滴も殘らずや。そもや瀧口が此身は空蝉(うつせみ)のもぬけの殼(から)にて、腐れしまでも昔の膽の一片も殘らぬか。 世に畏るべき敵に遇はざりし瀧口も、戀てふ魔神には引く弓もなきに呆れはてぬ。無念と思へば心愈々亂れ、心愈々亂るゝに隨(つ)れて、亂脈打てる胸の中に迷ひの雲は愈々擴がり、果は狂氣の如くいらちて、時ならぬ鳴弦の響、劍撃の聲に胸中の渾沌を清(すま)さんと務むれども、心茲にあらざれば見れども見えず、聞けども聞えず、命の蔭に蹲踞(うづくま)る一念の戀は、玉の緒ならで斷たん術もなし。 誠や、戀に迷へる者は猶ほ底なき泥中に陷れるが如し。一寸上(うへ)に浮ばんとするは、一寸下(した)に沈むなり、一尺岸(きし)に上(のぼ)らんとするは、一尺底(そこ)に下(くだ)るなり、所詮自ら掘れる墳墓に埋るゝ運命は、悶え苦みて些の益もなし。されば悟れるとは己れが迷を知ることにして、そを脱(だつ)せるの謂(いひ)にはあらず。哀れ、戀の鴆毒(ちんどく)を渣(かす)も殘さず飮み干(ほ)せる瀧口は、只々坐して致命の時を待つの外なからん。   第八 消えわびん露の命を、何にかけてや繋(つな)ぐらんと思ひきや、四五日經(へ)て瀧口が顏に憂の色漸く去りて、今までの如く物につけ事に觸れ、思ひ煩ふ樣(さま)も見えず、胸の嵐はしらねども、表面(うはべ)は槇(まき)の梢のさらとも鳴らさず、何者か失意の戀にかへて其心を慰むるものあればならん。 一日(あるひ)、瀧口は父なる左衞門に向ひ、『父上に事改(ことあらた)めて御願ひ致し度き一義あり』。左衞門『何事ぞ』と問へば、『斯かる事、我口より申すは如何(いかゞ)なものなれども、二十を越えてはや三歳にもなりたれば、家に洒掃の妻なくては萬(よろづ)に事缺(ことか)けて快(こゝろよ)からず、幸ひ時頼見定(みさだ)め置きし女子(をなご)有れば、父上より改めて婚禮を御取計らひ下されたく、願ひと言ふは此事に候』。人傳(ひとづ)てに名を聞きてさへ愧(はぢ)らふべき初妻(うひづま)が事、顏赤らめもせず、落付き拂ひし語(ことば)の言ひ樣、仔細ありげなり。左衞門笑ひながら、『これは異(い)な願ひを聞くものかな、晩(おそ)かれ早かれ、いづれ持たねばならぬ妻なれば、相應(ふさ)はしき縁もあらばと、老父(われ)も疾くより心懸け居りしぞ。シテ其方(そなた)が見定め置きし女子とは、何れの御内(みうち)か、但しは御一門にてもあるや、どうぢや』。『小子(それがし)が申せし女子は、然(さ)る門地ある者ならず』。『然(さ)らばいかなる身分(みぶん)の者ぞ、衞府附(ゑふづき)の侍(さむらひ)にてもあるか』。『否(いや)、さるものには候はず、御所の曹司に横笛と申すもの、聞けば御室(おむろ)わたりの郷家の娘なりとの事』。 瀧口が顏は少しく青ざめて、思ひ定めし眼の色徒(たゞ)ならず。父は暫(しば)し語(ことば)なく俯(うつむ)ける我子の顏を凝視(みつ)め居しが、『時頼、そは正氣(しやうき)の言葉か』。『小子(それがし)が一生の願ひ、神以(しんもつ)て詐(いつわ)りならず』。左衞門は兩手を膝に置き直して聲勵まし、『やよ時頼、言ふまでもなき事なれど、婚姻は一生の大事と言ふこと、其方(そち)知らぬ事はあるまじ。世にも人にも知られたる然(しか)るべき人の娘を嫁子(よめご)にもなし、其方(そち)が出世をも心安うせんと、日頃より心を用ゆる父を其方は何と見つるぞ。よしなき者に心を懸けて、家の譽をも顧みぬほど、無分別の其方(そち)にてはなかりしに、扨は豫(かね)てより人の噂に違はず、横笛とやらの色に迷ひしよな』。『否、小子(それがし)こと色に迷はず、香(か)にも醉はず、神以(しんもつ)て戀でもなく浮氣でもなし、只々少しく心に誓ひし仔細の候へば』。 左衞門は少しく色を起し、『默れ時頼、父の耳目を欺かん其の語(ことば)、先頃其方が儕輩の足助(あすけ)の二郎殿、年若きにも似ず、其方が横笛に想ひを懸け居ること、後の爲ならずと懇(ねんごろ)に潛かに我に告げ呉れしが、其方(そち)に限りて浮きたる事のあるべきとも思はれねば、心も措かで過ぎ來りしが、思へば父が庇蔭目(ひいきめ)の過(あやま)ちなりし。神以て戀にあらずとは何處(どこ)まで此父を袖になさんずる心ぞ、不埒者め。話にも聞きつらん、祖先兵衞(ひやうゑ)直頼殿、餘五將軍(よごしやうぐん)に仕(つか)へて拔群(ばつくん)の譽を顯はせしこのかた、弓矢(ゆみや)の前には後(おく)れを取らぬ齋藤の血統(ちすぢ)に、女色(によしよく)に魂を奪はれし未練者は其方が初めぞ。それにても武門の恥と心付かぬか、弓矢の手前に面目なしとは思はずか。同じくば名ある武士の末にてもあらばいざしらず、素性(すじやう)もなき土民郷家の娘に、茂頼斯くて在らん内は、齋藤の門をくゞらせん事思ひも寄らず』。 老(おい)の一徹短慮に息卷(いきま)き荒(あら)く罵れば、時頼は默然として只々差俯(さしうつむ)けるのみ。やゝありて、左衞門は少しく面(おもて)を和(やは)らげて、『いかに時頼、人若(ひとわか)き間は皆過(あやま)ちはあるものぞ、萌え出(い)づる時の美(うる)はしさに、霜枯(しもがれ)の哀れは見えねども、何(いづ)れか秋に遭(あ)はで果(は)つべき。花の盛りは僅に三日にして、跡の青葉(あをば)は何(いづ)れも色同じ、あでやかなる女子の色も十年はよも續かぬものぞ、老いての後に顧れば、色めづる若き時の心の我ながら解(わか)らぬほど癡(たは)けたるものなるぞ。過ちは改むるに憚る勿れとは古哲の金言、父が言葉腑(ふ)に落ちたるか、横笛が事思ひ切りたるか。時頼、返事のなきは不承知か』。 今まで眼を閉ぢて默然(もくねん)たりし瀧口は、やうやく首(かうべ)を擡(もた)げて父が顏を見上げしが、兩眼は潤(うるほ)ひて無限の情を湛(たゝ)へ、滿面に顯せる悲哀の裡(うち)に搖(ゆる)がぬ決心を示し、徐(おもむ)ろに兩手をつきて、『一一道理ある御仰(おんおほせ)、横笛が事、只今限り刀にかけて思ひ切つて候、其の代りに時頼が又の願ひ、御聞屆(おんきゝとゞけくだ)下さるべきや』。左衞門は然(さ)さもありなんと打點頭(うちうなづ)き、『それでこそ茂頼が悴(せがれ)、早速の分別、父も安堵したるぞ、此上の願とは何事ぞ』。『今日より永のおん暇(いとま)を給はりたし』。言ひ終るや、堰止(せきと)めかねし溜涙(ためなみだ)、はら/\と流しぬ。   第九 天にも地にも意外の一言に、左衞門呆れて口も開かず、只々其子の顏色打ち※(まも)れば、瀧ロは徐ろに涙を拂ひ、『思ひの外なる御驚(おんおどろき)きに定めて浮(うわ)の空(そら)とも思(おぼ)されんが、此願ひこそは時頼が此座の出來心(できごゝろ)にては露候(つゆさふら)はず、斯かる曉にはと豫(かね)てより思決(おもひさだ)めし事に候。事の仔細を申さば、只々御心に違(たが)ふのみなるべけれども、申さざれば猶ほ以て亂心の沙汰とも思召(おぼしめ)されん。申すも思はゆげなる横笛が事、まこと言ひ交(かは)せし事だになけれども、我のみの哀れは中々に深さの程こそ知れね、つれなき人の心に猶更(なほさ)ら狂ふ心の駒を繋がむ手綱(たづな)もなく、此の春秋(はるあき)は我身ながら辛(つら)かりし。神かけて戀に非ず、迷に非ずと我は思へども、人には浮氣とや見えもしけん。唯々劒(つるぎ)に切らん影もなく、弓もて射ん的(まと)もなき心の敵に向ひて、そも幾(いく)その苦戰をなせしやは、父上、此の顏容(かほかたち)のやつれたるにて御推量下されたし。時頼が六尺の體によくも擔(にな)ひしと自らすら駭く計りなる積り/\し憂事(うきこと)の數、我ならで外に知る人もなく、只々戀の奴よ、心弱き者よと世上(せじやう)の人に歌はれん殘念さ、誰れに向つて推量あれとも言はん人なきこそ、返す返すも口惜しけれ。此儘の身にては、どの顏下(さ)げて武士よと人に呼ばるべき、腐れし心を抱(いだ)きて、外見ばかりの伊達(だて)に指さん事、兩刀の曇なき手前に心とがめて我から忍びず、只々此上は横笛に表向き婚姻を申入るゝ外なし、されどつれなき人心、今更靡かん樣もなく、且や素性(すじやう)賤(いや)しき女子なれば、物堅き父上の御容(おんゆる)しなき事元(もと)より覺悟候ひしが、只々最後の思出(おもひで)にお耳を汚したるまでなりき。所詮天魔に魅入(みい)られし我身の定業(ぢやうごふ)と思へば、心を煩はすもの更になし。今は小子(それがし)が胸には横笛がつれなき心も殘らず、月日と共に積りし哀れも宿さず、人の恨みも我が愛(いつく)しみも洗ひし如く痕なけれども、殘るは只々此世の無常にして頼み少きこと、秋風の身にしみ/″\と感じて有漏(うろ)の身の換へ難き恨み、今更骨身(ほねみ)に徹(こた)へ候。惟(おもんみ)れば誰が保ちけん東父西母が命(いのち)、誰が嘗(な)めたりし不老不死の藥、電光の裏に假の生を寄せて、妄念の間に露の命を苦しむ、愚(おろか)なりし我身なりけり。横笛が事、御容しなきこと小子(それがし)に取りては此上もなき善知識。今日(けふ)を限りに世を厭ひて誠の道に入り、墨染の衣(ころも)に一生を送りたき小子(それがし)が決心。二十餘年の御恩の程は申すも愚(おろか)なれども、何れ遁(のが)れ得ぬ因果の道と御諦(おんあきらめ)ありて、永(なが)の御暇(おんいとま)を給はらんこと、時頼が今生(こんじやう)の願に候』。胸一杯の悲しみに語(ことば)さへ震へ、語り了ると其儘、齒根(はぐき)喰ひ絞(しば)りて、詰(き)と耐ゆる斷腸の思ひ、勇士の愁歎、流石(さすが)にめゝしからず。 過ぎ越(こ)せし六十餘年の春秋、武門の外を人の住むべき世とも思はず、涙は無念の時出づるものぞと思ひし左衞門が耳に、哀れに優しき瀧口が述懷の、何として解(と)かるべき。歌詠(うたよ)む人の方便とのみ思ひ居し戀に惱みしと言ふさへあるに、木の端(はし)とのみ嘲りし世捨人(よすてびと)が現在我子の願ならんとは、左衞門如何(いか)でか驚かざるを得べき。夢かとばかり、一度は呆れ、一度は怒り、老の兩眼に溢るゝばかりの涙を浮べ、『やよ悴(せがれ)、今言ひしは慥に齋藤時頼が眞の言葉か、幼少より筋骨(きんこつ)人に勝れて逞しく、膽力さへ座(すわ)りたる其方、行末の出世の程も頼母しく、我が白髮首(しらがくび)の生甲斐(いきがひ)あらん日をば、指折りながら待侘(まちわ)び居たるには引換へて、今と言ふ今、老の眼に思ひも寄らぬ恥辱を見るものかな。奇怪とや言はん、不思議とや言はん。慈悲深き小松殿が、左衞門は善き子を持たれし、と我を見給ふ度毎(たびごと)のお言葉を常々人に誇りし我れ、今更乞食坊主の悴を持ちて、いづこに人に合(あは)する二つの顏ありと思うてか。やよ、時頼、ヨツク聞け、他は言はず、先祖代々よりの齋藤一家が被りし平家の御恩はそも幾何なりと思へるぞ。殊に弱年の其方を那程(あれほど)に目をかけ給ふ小松殿の御恩に對しても、よし如何に堪へ難き理由(わけ)あればとて、斯かる方外の事、言はれ得る義理か。弓矢の上にこそ武士の譽はあれ、兩刀捨てて世を捨てて、悟り顏なる悴を左衞門は持たざるぞ。上氣(じやうき)の沙汰ならば容赦(ようしや)もせん、性根(しやうね)を据ゑて、不所存のほど過(あやま)つたと言はぬかツ』。兩の拳を握りて、怒りの眼は鋭けれども、恩愛の涙は忍ばれず、雙頬傳うてはふり落つるを拭ひもやらず、一息つよく、『どうぢや、時頼、返答せぬかッ』。   第十 深く思ひ決(さだ)めし瀧口が一念は、石にあらねば轉(まろ)ばすべくもあらざれども、忠と孝との二道(ふたみち)に恩義をからみし父の言葉。思ひ設けし事ながら、今更に腸(はらわた)も千切(ちぎ)るゝばかり、聲も涙に曇りて、見上ぐる父の顏も定かならず、『仰せらるゝ事、時頼いかで理(ことわり)と承らざるべき。小松殿の御事は云ふも更なり、年寄り給ひたる父上に、斯かる嘆(なげき)を見參らする小子(それがし)が胸の苦しさは喩ふるに物もなけれども、所詮浮世と觀じては、一切の望に離れし我心、今は返さん術(すべ)もなし、忠孝の道、君父の恩、時頼何として疎(おろそ)かに存じ候べき。然(さ)りながら、一度人身を失へば萬劫還らずとかや、世を換へ生を移しても、生死妄念を離れざる身を思へば、悟(さとり)の日の晩(おそ)かりしに心急(せ)かれて、世は是れ迄とこそ思はれ候へ。只々是れまで思ひ決めしまで重ね/″\し幾重の思案をば、御知りなき父上には、定めて若氣(わかげ)の短慮とも、當座の上氣(じやうき)とも聞かれつらんこそ口惜しけれ、言はば一生の浮沈に關(かゝは)る大事、時頼不肖ながらいかでか等閑(なほざり)に思ひ候べき。詮ずるに自他の悲しみを此胸一つに收め置いて、亡(なか)らん後の世まで知る人もなき身の果敢(はか)なさ、今更(いまさら)是非もなし。父上、願ふは此世の縁を是限(これかぎ)りに、時頼が身は二十三年の秋を一期に病の爲に敢(あへ)なくなりしとも御諦(おんあきら)め下されかし。不孝の悲しみは胸一つには堪へざれども、御詫(おんわび)申さんに辭(ことば)もなし、只々御赦(おんゆる)しを乞ふ計りに候』。 濺(そゝ)ぐ涙に哀れを籠(こ)めても、飽くまで世を背に見たる我子の決心、左衞門今(いま)は夢とも上氣とも思はれず、愛(いと)しと思ふほど彌増(いやま)す憎(にく)さ。慈悲と恩愛に燃ゆる怒の焔(ほのほ)に滿面朱(しゆ)を濺げるが如く、張り裂く計りの胸の思ひに言葉さへ絶え/″\に、『イ言はして置けば父をさし置きて我れ面白(おもしろ)の勝手(かつて)の理窟、左衞門聞く耳持たぬぞ。無常困果と、世にも癡(たは)けたる乞食坊主のえせ假聲(こわいろ)、武士がどの口もて言ひ得る語(ことば)ぞ。弓矢とる身に何の無常、何の困果。――時頼、善く聞け、畜類の狗(いぬ)さへ、一日の飼養に三年の恩を知ると云ふに非ずや。匐(は)へば立て、立てば歩めと、我が年の積(つも)るをも思はで育て上げし二十三年の親の辛苦、さては重代相恩(ぢゆうだいさうおん)の主君にも見換へんもの、世に有りと思ふ其方は、犬にも劣りしとは知らざるか。不忠とも、不孝とも、亂心とも、狂氣とも、言はん樣なき不所存者、左衞門が眼には、我子の容(かたち)に化(ば)けし惡魔とより外は見えざるぞ、それにても見事其處に居直りて、齋藤左衞門茂頼が一子ぞと言ひ得るか、ならば御先祖の御名立派に申して見よ。其方より暇乞ふ迄もなし、人の數にも入らぬ木の端(はし)は、勿論親でもなく、子でもなし。其一念の直らぬ間は、時頼、シヽ七生までの義絶ぞ』。言ひ捨てて、襖立切(ふすまたてき)り、疊觸(たゝみざは)りはも荒々(あら/\)しく、ツと奧に入りし左衞門。跡見送らんともせず、時頼は兩手をはたとつきて、兩眼の涙さながら雨の如し。 外には鳥の聲うら悲しく、枯れもせぬに散る青葉二つ三つ、無情の嵐に搖落(ゆりおと)されて窓打つ音さへ恨めしげなる。――あはれ、世は汝のみの浮世かは。   第十一 一門の采邑、六十餘州の半(なかば)を越え、公卿・殿上人三十餘人、諸司衞府を合せて門下郎黨の大官榮職を恣(ほしいまゝ)にするもの其の數を知らず、げに平家の世は今を盛りとぞ見えにける。新大納言が隱謀脆(もろ)くも敗れて、身は西海の隅(はて)に死し、丹波の少將成經(なりつね)、平判官康頼(やすより)、法勝寺の執事俊寛等(しゆんくわんら)、徒黨の面々、波路(なみぢ)遙かに名も恐ろしき鬼界が島に流されしより、世は愈々平家の勢ひに麟伏し、道路目を側(そばだ)つれども背後に指(ゆびさ)す人だになし。一國の生殺與奪の權は、入道が眉目の間に在りて、衞府判官は其の爪牙たるに過ぎず。苟も身一門の末葉に連(つらな)れば、公卿華胄の公達(きんだち)も敢えて肩を竝ぶる者なく、前代未聞(ぜんだいみもん)の榮華は、天下の耳目を驚かせり。されば日に増し募る入道が無道の行爲(ふるまひ)、一朝の怒に其の身を忘れ、小松内府の諫(いさめ)をも用ひず、恐れ多くも後白河法皇を鳥羽(とば)の北殿に押籠め奉り、卿相雲客の或は累代の官職を褫(はが)れ、或は遠島に流人(るにん)となるもの四十餘人。鄙(ひな)も都も怨嗟の聲に充(み)ち、天下の望み既に離れて、衰亡の兆漸く現はれんとすれども、今日(けふ)の歡(よろこ)びに明日(あす)の哀れを想ふ人もなし。盛者必衰の理(ことわり)とは謂ひながら、權門の末路、中々に言葉にも盡(つく)されね。父入道が非道の擧動(ふるまひ)は一次再三の苦諫にも及ばれず、君父の間に立ちて忠孝二道に一身の兩全を期し難く、驕る平家の行末を浮べる雲と頼みなく、思ひ積りて熟々(つら/\)世の無常を感じたる小松の内大臣(ないふ)重盛卿、先頃(さきごろ)思ふ旨ありて、熊野參籠の事ありしが、歸洛の後は一室に閉籠りて、猥りに人に面(おもて)を合はせ給はず、外には所勞と披露ありて出仕(しゆつし)もなし。然(さ)れば平生徳に懷(なつ)き恩に浴せる者は言ふも更なり、知るも知らぬも潛かに憂ひ傷(いた)まざるはなかりけり。            *        *       *        * 短き秋の日影もやゝ西に傾きて、風の音さへ澄み渡るはづき半(なかば)の夕暮の空、前には閑庭を控へて左右は廻廊[#「廻」は底本のまま]を繞(めぐ)らし、青海の簾(みす)長く垂れこめて、微月の銀鈎空しく懸れる一室は、小松殿が居間(ゐま)なり。内には寂然として人なきが如く、只々簾を漏れて心細くも立迷ふ香煙一縷、をりをりかすかに聞ゆる戞々の音は、念珠を爪繰(つまぐ)る響にや、主が消息を齎らして、いと奧床し。 やゝありて『誰かある』と呼ぶ聲す、那方(あなた)なる廊下の妻戸(つまど)を開(あ)けて徐ろに出で來りたる立烏帽子に布衣着たる侍は齋藤瀧口なり。『時頼參りて候』と申上ぐれば、やがて一間(ひとま)を出で立ち給ふ小松殿、身には山藍色(やまあゐいろ)の形木(かたぎ)を摺りたる白布の服を纏ひ、手には水晶の珠數を掛け、ありしにも似ず窶れ給ひし御顏に笑(ゑみ)を含み、『珍らしや瀧口、此程より病氣(いたつき)の由にて予が熊野參籠の折より見えざりしが、僅の間に痛く痩せ衰へし其方が顏容(かほかたち)、日頃鬼とも組まんず勇士も身内の敵には勝たれぬよな、病は癒えしか』。瀧口はやゝしばし、詰(きつ)と御顏を見上げ居たりしが、『久しく御前に遠(とほざか)りたれば、餘りの御懷(おんなつかし)しさに病餘の身をも顧みず、先刻遠侍(とほざむらひ)に伺候致せしが、幸にして御拜顏の折を得て、時頼身にとりて恐悦の至りに候』。言ふと其儘御前に打ち伏し、濡羽(ぬれは)の鬢に小波を打たせて悲愁の樣子、徒(たゞ)ならず見えけり。 哀れや瀧口、世を捨てん身にも今を限りの名殘には一切の諸縁何れか煩惱ならぬはなし。比世の思ひ出に、夫(それ)とはなしに餘所ながらの告別(いとまごひ)とは神ならぬ身の知り給はぬ小松殿、瀧口が平生の快濶なるに似もやらで、打ち萎れたる容姿を、訝(いぶか)しげに見やり給ふぞ理(ことわり)なる。 四方山(よもやま)の物語に時移り、入日(いりひ)の影も何時(いつ)しか消えて、冴え渡る空に星影寒く、階下の叢(くさむら)に蟲の鳴く聲露ほしげなり。燭を運び來りし水干に緋の袴着けたる童(わらべ)の後影(うしろかげ)見送りて、小松殿は聲を忍ばせ、『時頼、近う寄れ、得難き折なれば、予が改めて其方(そち)に頼み置く事あり』。   第十二 一穗(すゐ)の燈(ともしび)を狹みて相對(あひたい)せる小松殿と時頼、物語の樣、最(い)と肅(しめ)やかなり。『こは思ひも寄らぬ御言葉を承はり候ものかな、御世は盛りとこそ思はれつるに、など然(さ)る忌(い)まはしき事を仰せらるゝにや。憚り多き事ながら、殿(との)こそは御一門の柱石(ちゆうせき)、天下萬民の望みの集まる所、吾れ人諸共(もろとも)に御運(ごうん)の程の久しかれと祈らぬ者はあらざるに、何事にて御在(おは)するぞ、聊かの御不例に忌まはしき御身の後を仰せ置かるゝとは。殊更(ことさら)少將殿の御事、不肖弱年の時頼、如何(いか)でか御託命の重きに堪へ申すべき。御言葉のゆゑよし、時頼つや/\合點(がてん)參らず』。『時頼、さては其方(そち)が眼にも世は盛りと見えつるよな。盛りに見ゆればこそ、衰へん末の事の一入(ひとしほ)深く思ひ遣(や)らるゝなれ。弓矢の上に天下を與奪(よだつ)するは武門の慣習(ならひ)。遠き故事を引くにも及ばず、近き例(ためし)は源氏の末路(まつろ)。仁平(にんぺい)、久壽(きうじゆ)の盛りの頃には、六條判官殿、如何(いか)でか其の一族の今日(こんにち)あるを思はれんや。治(ち)に居て亂(らん)を忘れざるは長久の道、榮華の中に沒落を思ふも、徒(たゞ)に重盛が杞憂のみにあらじ』。『然(さ)るにても幾千代重ねん殿が御代(みよ)なるに、など然ることの候はんや』。『否(いな)とよ時頼、朝(あした)の露よりも猶ほ空(あだ)なる人の身の、何時(いつ)消えんも測り難し。我れ斯くてだに在らんにはと思ふ間(ひま)さへ中々に定かならざるに、いかで年月の後の事を思ひ料(はか)らんや。我もし兎も角もならん跡には、心に懸かるは只々少將が身の上、元來孱弱の性質、加ふるに幼(をさなき)より詩歌(しいか)數寄の道に心を寄せ、管絃舞樂の娯(たの)しみの外には、弓矢の譽あるを知らず。其方も見つらん、去(さん)ぬる春の花見の宴に、一門の面目と稱(たゝ)へられて、舞妓(まひこ)、白拍子(しらびやうし)にも比すべからん己(おの)が優技(わざ)をば、さも誇り顏に見えしは、親の身の中々に恥(はづ)かしかりし。一旦事あらば、妻子の愛、浮世の望みに惹(ひ)かされて、如何なる未練の最期(さいご)を遂ぐるやも測られず。世の盛衰は是非もなし、平家の嫡流として卑怯の擧動(ふるまひ)などあらんには、祖先累代の恥辱この上あるべからず。維盛が行末守り呉れよ、時頼、之ぞ小松が一期(いちご)の頼みなるぞ』。『そは時頼の分(ぶん)に過ぎたる仰せにて候ぞや。現在足助(あすけ)二郎重景など屈竟(くつきやう)の人々、少將殿の扈從(こしよう)には候はずや。若年未熟(じやくねんみじゆく)の時頼、人に勝(まさ)りし何の能(のう)ありて斯かる大任を御受け申すべき』。『否々左にあらず。いかに時頼、六波羅上下の武士が此頃の有樣を何とか見つる。一時の太平に狎(な)れて衣紋裝束(えもんしやうぞく)に外見(みえ)を飾れども、誠(まこと)武士の魂あるもの幾何かあるべき。華奢風流に荒(すさ)める重景が如き、物の用に立つべくもあらず。只々彼が父なる與三左衞門景安は平治の激亂の時、二條堀河の邊りにて、我に代りて惡源太が爲に討たれし者ゆゑ、其の遺功を思うて我名の一字を與へ、少將が扈從(こしよう)となせしのみ。繰言(くりごと)ながら維盛が事頼むは其方一人。少將事(こと)あるの日、未練の最期を遂ぐるやうのことあらんには、時頼、予は草葉の蔭より其方を恨むぞよ』。 思ひ入りたる小松殿の御氣色(みけしき)、物の哀れを含めたる、心ありげの語(ことば)の端々(はし/″\)も、餘りの忝なさに思ひ紛れて只々感涙に咽(むせ)ぶのみ。風にあらで小忌(をみ)の衣(ころも)に漣立(さゞなみた)ち、持ち給へる珠數震ひ搖(ゆら)ぎてさら/\と音するに瀧口首(かうべ)を擡(もた)げて、小松殿の御樣見上ぐれば、燈の光に半面を背(そむ)けて、御袖の唐草(からくさ)に徒(たゞ)ならぬ露を忍ばせ給ふ、御心の程は知らねども、痛はしさは一入(ひとしほ)深し。夜も更(ふ)け行きて、何時(いつ)しか簾(みす)を漏れて青月の光凄く、澄み渡る風に落葉ひゞきて、主が心問ひたげなり。 蟲の音(ね)亙(わた)りて月高く、いづれも哀れは秋の夕、憂(う)しとても逃(のが)れん術(すべ)なき己(おの)が影を踏みながら、腕叉(うでこまぬ)きて小松殿の門(かど)を立ち出でし瀧口時頼。露にそぼちてか、布衣(ほい)の袖重げに見え、足の運(はこび)さながら醉へるが如し。今更(いまさら)思ひ決(さだ)めし一念を吹きかへす世に秋風はなけれども、積り積りし浮世の義理に迫られ、胸は涙に塞(ふさが)りて、月の光も朧(おぼろ)なり。武士の名殘も今宵(こよひ)を限り、餘所(よそ)ながらの告別とは知り給はで、亡からん後まで頼み置かれし小松殿。御仰(おんおほせ)の忝(かたじけな)さと、是非もなき身の不忠を想ひやれば、御言葉の節々(ふし/″\)は骨を刻(きざ)むより猶つらかりし。哀れ心の灰に冷え果てて浮世に立てん烟もなき今の我、あゝ何事も因果なれや。 月は照れども心の闇に夢とも現(うつゝ)とも覺えず、行衞もしらず歩み來りしが、ふと頭を擧ぐれば、こはいかに身は何時(いつ)の間にか御所の裏手、中宮の御殿の邊(ほとり)にぞ立てりける。此春より來慣れたる道なればにや、思はぬ方に迷ひ來しものかなと、無情(つれな)かりし人に通ひたる昔忍ばれて、築垣(ついがき)の下(もと)に我知らず彳(たゝず)みける。折柄傍らなる小門の蔭にて『横笛』と言ふ聲するに心付き、思はず振向けば、立烏帽子に狩衣(かりぎぬ)着たる一個の侍(さむらひ)の此方に背を向けたるが、年の頃五十計りなる老女と額を合せて囁(さゝや)けるなり。   第十三 月より外に立聞ける人ありとも知らで、件の侍は聲潛(ひそ)ませて、『いかに冷泉(れいぜい)、折重(をりかさ)ねし薄樣(うすやう)は薄くとも、こめし哀れは此秋よりも深しと覺ゆるに、彼の君の氣色(けしき)は如何なりしぞ。夜毎の月も數へ盡して、圓(まどか)なる影は二度まで見たるに、身の願の滿たん日は何れの頃にや。頼み甲斐なき懸橋(かけはし)よ』。 怨みの言葉を言はせも敢へず、老女は疎(まば)らなる齒莖(はぐき)を顯はしてホヽと打笑(うちゑ)み、『然(さ)りとは戀する御身にも似合はぬ事を。此の冷泉に如才(じよさい)は露なけれども、まだ都慣れぬ彼の君なれば、御身が事可愛(いと)しとは思ひながら、返す言葉のはしたなしと思はれんなど思ひ煩うてお在(は)すにこそ、咲かぬ中(うち)こそ莟ならずや』。言ひつゝツと男の傍に立寄りて耳に口よせ、何事か暫し囁(さゝや)きしが、一言毎(ひとことごと)に點頭(うなづ)きて冷(ひやゝ)かに打笑める男の肩を輕く叩きて、『お解(わか)りになりしや、其時こそは此の老婆(ばゞ)にも、秋にはなき梶の葉なれば、渡しの料(しろ)は忘れ給ふな、世にも憎きほど羨ましき二郎ぬしよ』。男は打笑ふ老女の袂を引きて、『そは誠か、時頼めはいよ/\思ひ切りしとか』。 己れが名を聞きて、松影に潛める瀧口は愈々耳を澄しぬ。老女『此春より引きも切らぬ文の、此の二十日計りはそよとだに音なきは、言はでも著(し)るき、空(あだ)なる戀と思ひ絶えしにあんなれ。何事も此の老婆(ばゞ)に任せ給へ、又しても心元(こゝろもと)なげに見え給ふことの恨めしや、今こそ枯技(かれえだ)に雪のみ積れども、鶯鳴かせし昔もありし老婆、萬(よろづ)に拔目(ぬけめ)のあるべきや』。袖もて口を覆(おほ)ひ、さなきだに繁き額の皺を集めて、ホヽと打笑ふ樣、見苦しき事言はん方なし。 後の日を約して小走りに歸り行く男の影をつく/″\見送りて、瀧口は枯木の如く立ちすくみ、何處ともなく見詰むる眼の光徒(たゞ)ならず。『二郎、二郎とは何人(なんびと)ならん』。獨りごちつゝ首傾けて暫し思案の樣(さま)なりしが、忽ち眉揚(まゆあが)り眼鋭(まなこするど)く『さては』とばかり、面色(めんしよく)見る/\變りて握り詰めし拳ぶる/\と震ひぬ。何に驚きてか、垣根の蟲、礑(はた)と泣き止みて、空に時雨(しぐ)るゝ落葉散(ち)る響だにせず。良(やゝ)ありて瀧口、顏色和(やは)らぎて握りし拳も自(おのづか)ら緩み、只々太息(といき)のみ深し。『何事も今の身には還らぬ夢の、恨みもなし。友を賣り人を詐る末の世と思へば、我が爲に善知識ぞや、誠なき人を戀ひしも浮世の習と思へば少しも腹立たず』。
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