幕末維新懐古談
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著者名:高村光雲 

 さて、当日になりました。
 午前中に準備に取り掛かる。
 濤川惣助氏の無線七宝の花瓶というのは、高サ二尺、胴の差し渡し一尺位で金属の肌(はだ)の上に卵色の無線の七宝が施されたもので、形は壺形(つぼがた)をしている。その鮮麗さは目も覚(さ)めるばかりです。
 そうして、私の矮鶏(ちゃぼ)はその右側に置かれました。
 大きな硝子箱の中に古代裂(ぎれ)の上に据えた七宝と、白絹の布片(きれ)の上に置かれた鶏とはちょうど格好な対照であった。自分ながら幹部の人々の趣向の旨(うま)いのに感心した位であった。

 いよいよ、聖上行幸に相成りましたので、幹部の人たちは御迎えを致し、御巡覧の間我々平(ひら)の審査員は休憩室の方へ追い出され、静粛にしておりました。
 すると、やや暫くして、会場の方に当って、塩田真(しおだまこと)氏が擦(す)り足であっちこっちを駆けているのがこっちから見えました。その容子は何か俄(にわか)に探し求めている風……どうしたのだろうなど他の人もいって不思議な顔をしている処へ、塩田氏が駆けて来た。
 そうして、私の顔を見附けるなり手招きする容子がいかにもあわただしい。
 私が側に行くと、
「君、あの矮鶏はおよそ幾日位で出来ますか」
と、いきなり変な質問、幾日で出来るといって貴下(あなた)もこれは御存じのことでしょう。二年越し掛かったのです。と、いうと、
「あれは、もう一つ同じのが出来ますまいか」
と塩田氏は重ねていう。私は、何をこの人はこの際こんなことを自分に訊(き)くのかと思った。
「もう一つ同じものは出来ません。丸一年も精根をからしてやったものです。もう一度同じようなものを気息(いき)をくさくしてやる気はありません」
「どうも始末が悪いな。困ったな。……実は君のチャボが聖上のお目にとまったのだ」
といったなり、塩田氏はばたばたと駆けて行ってしまった。

 やがて、聖上には御還御に相成りました。
 で、私は会場に参り、前約通り、もはや用済みのこと故、自作を持って帰るつもりで行くと、会頭初め幹部の人々が立っていて、
「ちょっと、俟(ま)って下さい」という。松尾儀助氏が私に向い、
「先ほど、塩田氏がちょっとお話した事でしょうが、あなたのチャボが聖上のお目に留まり、御用品に遊ばさる旨仰せ出されたにつき、当会の光栄この上もないこととお受けを致しました。それでこの件はこの松尾がすべての責任を引き受け、若井とあなたとの間のことは充分な解決を附けますから、どうかそのおつもりに願う。何しろ、本会無上の光栄で、あなたに取っても名誉この上ないことである」
という話で、まるで煙(けむ)に捲(ま)かれた形。私も若井氏の思惑を心配したがこうなってはどうすることも出来ませんでした。

 そうして、自作は、宮内省御買い上げという下げ札が附いて開会期中そのまま陳列することにして公衆の展覧に供した。これはお伴(とも)の方(かた)が直ぐお持ち帰りになろうというのを、本会の光栄を一般奨励のため公衆に見せたいからと御願いしてお許しを受けたのであるということでした。而(しか)して、この作と、濤川氏七宝の花瓶と並んで金賞となりました。




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