幕末維新懐古談
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著者名:高村光雲 

 さて、差し当っての責任として、私が主として師匠東雲師の葬送のことを取り計らわねばならぬ次第となったのであります。というのは、師匠の息子は、丑歳(うしどし)の時に出来た子供であって、それが当年十四、五になっているが、これはまだ当面に立つことは出来ぬ。政吉は一種の変人で、何か人と応対などすべきことでもあると、隠れていなくなるというような妙な気風の人。後(あと)に私の弟弟子が二人あっても、これは私にたよるばかり、奥は女の人たちばかり、どうしても私が以前からの行き掛かり上、全責任を負って立たなければならぬことになった。また私も師匠のためにはそう致すが当然とも思いました。
 ところで、相談相手としては亀岡の番頭さん、それに高橋定次郎氏は私よりも二つも年長で師匠とは生前深い関係のあった人。この三人でまずやることになったが、無論、亀岡氏は翌朝早々見えられ、自分の言の適中したことを大いに悲しみ、懇(ねんごろ)に仏の前に礼拝をされて後、私を他へ招(よ)んで申すには、
「幸吉さん、今日の場合、何事も遠慮をしてはいかんよ。それでは物が運ばん。この際は充分にお前自身の思う通りやってもらわんければ埒(らち)が明かん。それで、奥の人たちにも私が念のためにそのことを断わって置いたから、遠慮は無用にして、ドシドシこの際のことは片附けて下さい。これは私が特に師匠の知己としてお前にお願いする」
 そう亀岡氏はキッパリいわれました。
 そして金銭(かね)を五十円私に渡し、
「これは、葬式費用万事の事に滞りないようにと思って私が立て代えて置くのであるから、これで思うようにやって下さい。一々奥と金銭のことで相談も入るまいから」
との事であった。そこで私は右の五十円を亀岡氏の番頭さんに渡し会計を頼んで金銭の入用の時はそれから支出してもらうことにして、その他金銭(かね)の出入りはこの人に一任しました。万事は高橋氏と番頭さん私と三人で相談して決めました。
 今日から考えて当時のことを思うと、まことに私に取っては大役でありました。かくてまず別に落ち度もなく、師匠の葬式は後嗣(あとつ)ぎがまだ子供の仮葬ではありましたが、生前名ある彫刻師として、まず恥ずかしからぬだけのとむらいを出したのでありました。
 それから、初七日、三十五日、四十九日の後(あと)のことなども私が主となってまず滞りなく万事を致したことでありました。




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