幕末維新懐古談
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著者名:高村光雲 

 されば追っかけて、また一つ外国人からの注文がありました。
 今度は、ドイツ公使館へ来た或る外国人からの注文で、同じく洋燈(ラムプ)台であったが、趣は以前と違っておった。これは前述のアーレンス商会からの注文の製作をその人が見て注文することになったか、そこまではよく分りませんが、アーレンスとは何んの関係はないのであった。
 注文の大体は、今度は純日本式の童男童女の並んで立っている処をたのむというのであった。まず一尺位の雛形(ひながた)をこしらえてもらって、それを本国に持ち行き、先方にて話の上にて、さらに大作の方をもたのむ計劃であるが、差し当ってはその雛形を念入りに彫ってもらいたい。これは雛形と思わずに、本物同様充分気を附けてやって欲しいというのであった。

 今度もまた私がすべて製作することに師匠からの話がありましたので、私はそれに取り掛かりました。今度は以前のように下絵などの面倒なこともありませんので、師匠の差図(さしず)と自分の考案で、童女の方は十か十一位、桃割(ももわれ)に結って三枚襲(がさ)ね。帯を立矢に結び、鹿(か)の子(こ)の帯上げをしているといういわゆる日本むすめの風俗で、極めて艶麗(えんれい)なもの。童男の方は、頭をチョン髷(まげ)にした坊ちゃんの顔。五つ紋の羽織の着流しという風俗であった。
 これは彩色なしではあるが、木地(きじ)のままでも、その物質そのままを感じ、また色彩をも感ずるように非常に苦心をして彫(や)ったのであった。たとえば、帯は緞子(どんす)の帯ならば、その滑(なめ)らかな地質がその物の如く現われ、また緋鹿(ひが)の子(こ)の帯上げならば、鹿の子に絞り染めた技巧がよく会得されるように精巧に試みました。また、衣物(きもの)の縮緬(ちりめん)、裾(すそ)模様の模様などにも苦心し、男の子の着流しの衣紋(えもん)なども随分工夫を凝らしてやったのでありました。私が精巧緻密(ちみつ)な製作をまず充分に試みたと思うたのは、その当時ではこの作が初めであったと覚えます。これもなかなか修業となりました。
 出来上がると、師匠も、なかなかな出来栄(ばえ)だとほめてくれられ、公使館の人が検分に来た時は大変な気に入りで、よろこんで持って帰りました。これは本国へ送り、さらに大作を注文するということではあったが、いかなる都合であったか、大きい方はそのままになってしまいました。とにかく、こういう風な西洋人の仕事が段々と殖(ふ)えて来まして、その都度(つど)私が関係したのであった。
 師匠はまず大体において、私の仕事を監督しておられたので、実際には手は下すことはなかったのでした。




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