諏訪湖畔冬の生活
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著者名:島木赤彦 

 富士火山脈が信濃に入つて、八ヶ岳となり、蓼科山(たてしなやま)となり、霧ヶ峰となり、その末端が大小の丘陵となつて諏訪湖へ落ちる。その傾斜の最も低い所に私の村落がある。傾斜地であるから、家々石垣を築き、僅かに地を平(な)らして宅地とする。最高所の家は丘陵の上にあり、最底所の家は湖水に沿ひ、其の間の勾配に、百戸足らずの民家が散在してゐるのである。家は茅葺か板葺である。日用品小売店が今年まで二戸あつたが、最近三戸に殖えた。その他は皆純粋の農家である。
 山から丘陵、丘陵から村落へとつづく木立が、多くは落葉樹であるから、冬に入ると、傾斜の全面が皆露はになつて、湖水から反射する夕日の光が、この村落を明く寒くする。寒さが追々に加はつて、十二月の末になると、湖水が全く結氷するのである。
 湖水といふても、海面から二千五百尺の高所にあるのであるから、そろそろ筑波山あたりの高さに届くであらう。湖水よりも猶(なお)高い丘上の村落は厳冬の寒さが非常である。朝、戸外に出れば、鬚(ひげ)の凍るのは勿論(もちろん)であるが、時によると、上下睫毛(まつげ)の凍著を覚えることすらある。斯様(かよう)な時は、顔の皮膚面に響き且つ裂くるが如き寒さを感ずる。
 信濃南部の松本地方、諏訪地方、伊那木曾地方は、冬に入つて多く快晴がつづく。雪が少く、空気が乾いて、空に透明に過ぎるほどの碧さを湛(たた)へる。皮膚に響くが如き寒さを感ずるのは、空気が乾いてゐるためである。殊に、諏訪地方は、信濃の他の諸地方に比して更に高所にあるから、寒さの響き方がひどいのである。寒さを形容するに響くといふ如き詞を用ひ得るは、空気の乾燥する高地に限るであらう。南信濃、殊に私の住んでゐる諏訪地方などには、この詞が尤(もつと)もよく当て嵌(は)まるのである。
 この頃になると、湖水の氷は、一尺から二尺近くの厚さに達することがある。それ程の寒さにあつても、人々は家の内に蟄して、炬燵(こたつ)に臀(しり)を暖めてゐることを許されない。昼は氷上に出て漁猟をする人々があり、夜は氷を截(き)つて氷庫に運ぶ人々がある。氷庫といふのは、程近い町に建てられてある湖氷貯蔵の倉庫である。
 この頃、私の村では、毎朝未明から、かあんかあんといふ響が湖水の方から聞えて来る。これは、人々が氷の上へ出て、「たたき」といふ漁をするのである。長柄の木槌で氷を叩きながら、十数人の男が一列横隊をつくつて向うへ進む。槌の響きで、湖底の魚が前方へ逃げるのを段々追ひつめて予(あらかじ)め張つてある網にかからせるのが「たたき」の漁法である。私の家は、村の最高所にある。庭下の坂が直ぐ湖氷に落ちてゐるのであるから、一列の人々を見るには、可なり俯(ふ)し目(め)にならねばならぬ。俯し目になつた視線が、氷上の人まで達する距離は可なりあるのであるが、氷上の人の槌を揮(ふる)ふ手つきまで明瞭に見える。氷を打つ槌先が視覚に達する時、槌の音はまだ聴覚に達しない。次の槌を振り上げるころに漸(ようや)く槌音が聞こえる。それで、槌の運動と音とが交錯して目と耳へ来るのである。目に来るものも、耳に来るものも微に徹して明瞭である。単に夫(そ)ればかりではない。一列の人々の話までも手に取るやうに聞えるのである。空気が澄んでゐる上に、村が極めて閑静であるからである。
 村の人々は、又、氷の上へ出て「やつか」といふ漁猟をする。諏訪湖の底は浅くて藻草が多い。人々は、夏の土用中に、沢山の小石を舟に積んで行つて、この藻草へ投げ入れて置く。土用の日光に当てた石は、寒中の水にあつても、おのづから暖みが保たれると信ぜられてゐるのであつて、実際、凍氷の頃になると、魚族は多くこの積み石の間に潜むのである。それを捕へるのが「やつか」の漁法である。その積み石をも「やつか」といひ、「やつか」の魚を漁(と)ることをも「やつか」と言ひ做(な)らしてゐるのである。「やつか」の所在は、「やつか」を置いた漁人にあつて何時でも明瞭である。氷の上に立つて、湖水の四周から、嘗(か)つて記憶に止め置いた四個の目標地点を求れば足るのである。二個づつ相対する地点を連れぬる二直線は、必ずこの「やつか」の上で交叉することを知つてゐるからである。交叉の地点を中心として、半径四五尺の円を劃して氷を切り取れば、その下に必ず「やつか」の石群(いしむれ)があるのである。円の面が定まれば、その円周に沿うて竹簀が下ろされる。魚の逃げ去るのを防ぐのである。斯様にしてから、湖底に積まれた石は、「まんのんが」(万能鍬?)と称する柄の長い四つ歯の鍬によつて、一つづつ氷の上へ掬(すく)ひ出されるのである。掬ひ出された石は、濡れるといふよりも凍つてゐるといふ方が適当である。水面を離れる石が氷上に置かれる頃は、もうからからに凍つてゐるからである。凍つた石が、終りに黒山を成して氷の上に積み上げられる頃は、「やつか」の底には青藻と共に揺れ動いてゐる魚族がある。日が射せば水底に簇(むらが)り光る魚の腹が見える。魚族は逃げ場を失つて竹簀に突き当る。竹簀には、所々、魚を捕へるための牢屋(うけともいふ)といふものが備え付けられてある。これは、一旦これに入つた魚の二度と外へ出られぬやうに備へられた竹籠であつて、魚族は終りに、多くこの牢屋の中へ入つてしまふのである。朝早くから氷上に立つて、牢屋の中へ魚が納るまでには、短い冬の日が一ぱいに用ひられるのであつて、竹簀をあげて魚を魚籃(びく)の中へ捕り入れる頃は、日はもう湖の向ひの山へ傾いてゐるのである。湖面を吹く風は、障るものなき氷上を一押しに押して来る。「まんのんが」を持つ手は時々感覚を失はんとするまでに凍える。その時には、携へた火鍋(ひなべ)(鍋の手を長くして附けたものである)の中で、用意の榾木(ほたぎ)を焚くのである。或は又、氷の上で直接に藁火を焚くことがある。氷の上で焚火をして、その氷が解けてしまぬ程に、氷が厚いのである。大凡(おおよそ)周囲四里半の氷上にあつて、漁人の生活は、全く世の中との交渉を杜絶する。只日に一度、弁当を提げて漁場へ運んで来る妻女の姿が氷上に現れる。氷を滑り鴨を追つて遊ぶ子どもの群れが、漁猟の多寡(たか)を見るために、ここの「やつか」へ立ち寄ることもある。さういふことが、単調な漁人の生活に僅少の色彩を与へる。「たたき」で捕つた魚も、「やつか」で捕つた漁も、所謂(いわゆる)氷魚(ひお)であつて、膏(あぶら)が乗り肉が締まつて甚だ佳味である。併(しか)し、その佳味は、これら漁人の口に上ることは稀であつて、多く、隣の町へ運ばれて、多少の金と換へられるのである。
 氷切りの作業は、快晴の夜を択んで行はれる。温度が低下して氷の硬度が増すからである。これは若者でなくては到底堪へられぬ労作である。若者は、宵の口から、藁製の雪沓(ゆきぐつ)を穿(は)き、その下にかつちき(□(かんじき)の義)を著けて湖上へ出かける。綿入を何枚も重ねた上に厚い袢纏(はんてん)を纏ふのであるから、体は所謂着ぶくれになる。横も竪も同じに見えるといふ姿である。斯様な扮装をした若者が氷の上に一列に並んで、氷を鋸引きに引きはじめるのである。氷を引く手元は、初め暗くて後に明るい。氷に眼が馴れるのである。三尺四方程の大さに引き離される氷の各片が、切り離されると共に水中に陥る。それが氷鋏と称する大きな鋏で挟み上げられる。挟みあげられたあとの水には星が映つて揺(ゆす)れてゐる。大凡一望平坦の氷原にあつて、空は手の届くやうな低さを感ずる。星が降る如く光り満ちてゐるのである。星の光は、水にあつて水の明りとなり、氷にあつて氷の明りとなり、その明りに全く馴れるに及んで、相隣する人の顔まで明瞭に見えるやうになるのである。夜が漸く更けて、寒さが益々加はると、氷原の所々に亀裂の音が起る。寒さのために氷が収縮(膨張?)するのである。亀裂の音は、所謂氷を裂くの音であつて、氷原を越えて四周の陸地山地まで響きわたる。その響きの中に立つて鋸を引いてゐる若者の背中には汗が流れてゐるのである。暫く立つて休息してゐると、その汗が背に凍りつくを覚える。さういふ時は、鋸の手を休めないやうにするのが、唯一防寒の手段になるのである。それ故、若者は只せつせと切る。腕が疲れると唄も出ない。只時々睡気ざましに大きな声を張り上げるものもあるが、それも永く続かない。あまり疲れて寒くなれば、氷の上で例の焚火をして一時の暖を取ることもある。斯様にして夜が白んで来ると、氷の上に積まれた氷板が山の如く累(かさな)つてゐるのである。夜明けからそれを運んで湖岸の田圃に積み上げる。田圃には、連夜切りあげられた氷板が、長い距離に亘つて正しく積み並べられて、恰(あたか)も氷の塁壁を築いた如き観を呈する。積まれた氷には多く筵類(むしろるい)を引被せておくのであるが、覆(おお)ひの筵がなくとも、白昼の日光で氷の溶けるといふやうなことはないのである。海抜二千五百尺の地の如何に寒いかといふことは、是で想像し得るであらう。若者は氷を積んでから、疲れた体を各(おのおの)の家に運ぶ。朝飯を食べてから初めて暖い床に入つて、ぐつすりと寝入るのである。斯様にして得た金を、来春耕作の肥料に用意せらるるのは、経済の上乗にある家である。
 私の村は、又、夜になると、所々の家から藁を打つ槌の響が聞える。氷切り等に行かぬ人々が、草鞋や雪沓をつくるのである。ひつそりとした夜の村に響く槌の音は、重くて鈍くて底のない響であり、聞いて居れば居るほど物遠い感じがするのである。氷叩きの槌の音は、遠くて近く聞える、藁をうつ音は近くて遠い感じがする。
 私の村では、又、日中所々の家に機(はた)を織る音が聞える。町に行つて買う布よりも、糸を仕入れて、染めて織る方が安価で丈夫な布が得られるといふのである。縫ひ物をする女は炬燵に居る、機を織る女はそれが出来ない。それで機台は皆南向きの日当たりのよい室に据ゑ付けられるのである。冬枯の木立に終日ひびく機の音は、寒いけれども私の村を賑やかにする。どの家の機は今日で何日目であるとか、どの家の機は何日かかつて織り上がつたといふやうなことを、女たちは音を聞いて皆知つてゐるのである。閑寂な村にあつて、隣保相依る心は、機の音までが同情の交流になるのである。
 寒地である諏訪は、天然物が豊かでない上に、旧藩時代には誅求が可なり酷かつた。そのため、昔より人民に勤勉と質素と忍耐の習慣を造りあげた。信濃人は勤勉であると言はれてゐるが、その中で、諏訪人は殊に秀でて勤勉である。この習慣が今の生糸や寒心太(かんてん)の産業を生み且つ発達させた。私の住んでゐる寒村の人々が、厳冬の湖上に於て、昼夜となく働いてゐるといふことは、その諏訪人の気風の片鱗である。




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