愛と認識との出発
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著者名:倉田百三 

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  この書を後れて来たる青年に贈る
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兄弟よ、われなんじらに新しき誡を書き贈るにあらず。すなわち始めよりなんじらのもてる旧き誡なり。この旧き誡は始めよりなんじらが聞きしところの道なり。されどわれがなんじらに書き贈るところはまた新しき誡なり。
        ――ヨハネ第一書第二章より――
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 版を改むるに際して

 この書は発行以来あまねく、人生と真理とを愛する青年層の人々に読まれて、数多くの版を重ね、今もなおあわただしい世相の動きにも、自己本然の真実の姿を失うまいとする、心深く、清き若き人々の間に読まれつづけている。
 私はその生命の春に目ざめて、人生の探究に出発したる首途にある青年たちにはこの書がまさしく、示唆(しさ)に富める手引きとなり得るであろうことを今も信じている。私が恃(たの)みを持つのは思想的内容そのものよりも人生に対する態度である。いかなる態度をもって生きゆくべきか、その誠と力とラディカルな自由性とは今の青年たちに感染してけっして間違いないであろう。この書はたとい思想的に未熟と誤謬とを含んでいる場合にも、純一ならぬ軽雑な何ものをもインフェクトせぬであろう。私は反語とか諷刺(ふうし)とかの片鱗をもって論述を味わいつける、大家にも普通なレトリックさえけっして用いなかったのである。徹頭徹尾純一にして無雑な態度を守り得たことはこの書が若き人々に広く読まれるに際しての私のひとつの安心である。小さく賢く、浅く鋭く、ほどよく世事なれる今日の悪弊から青年たちを防ぐのに役立つでもあろう。
 この書にはいわゆる唯物論的な思想は無い。一般的にいって、社会性に対する考察が不足している。しかし生命に目ざめたる者はまず自己の享(う)けたるいのちの宇宙的意義に驚くことから始めねばならぬ。認識と愛と共存者への連関とはそこに源を発するときにのみ不落の根基を持ち得るのである。社会共同態の観念もわれと汝と彼とをひとつの全体として、生を与うる絶対に帰一せしむる基礎なくしては支えがたい。社会科学の前に生命の形而上学がなくてはならぬ。
 この書を出版してよりすでに十五年を経ている。私の思想はその間に成長、推移し、生の歩みは深まり、人生の体験は多様となった。したがって今日この書に盛られているとおりの思想を持ってはいない。しかし私の人間と思想とのエレメントは依然として変わりない。そして「たましいの発展」を重視する私は永久に青年たちがそこを通って来ることの是非必要なところの感じ方、考え方の経路を残しておきたいのである。けだし思想は生命が成長するために脱ぎ捨ててこなければならぬ殻皮である。しかしその殻皮を通らずに飛躍することは何人にもあたわぬ。青春時代には青春の被覆をまとうていねばならぬ。生命と認識と恋と善とに驚き、求め悩むのは青春の特質でなくてはならぬ。社会性と処世との配慮はやや後(おく)れてくるべきものであり、それが青春の夢を食い尽くすことは惜しむべきである。世に属(つ)くことと天につくこととの間には聖書のしるすごとく越えがたい溝がある。まず天と生命とに関する思想と感情とにみちみちてその青春を生きよ。私が私の青春を回顧して悔いが無いのはそのためである。やがて世はその乾燥と平凡と猥雑との塵労をもって、求めずとも諸君に押し寄せるであろうからである。
「常に大思想をもって生き、瑣末(さまつ)の事柄を軽視する慣わしを持て」とカルル・ヒルティはいった。今の知識青年の社会的環境についての同情すべき諸条件をけっして私は知らぬのではない。しかも私が依然としてこの語を推すのは瑣末な処世の配慮が結局青春を蝕(むしば)み、気魄を奪い、しかも物的にも、それらの軽視したよりもなんらよきものをもたらさぬであろうことを知るからである。今日の世に処して、物的欠乏の中に偉大なる精神を保つ覚悟無くしては、精神的仕事にも、社会革命にも従事することはできない。物乏しければこそ物にかかずらうのはつまらない。大燈の「肩あって着ずということなし」といい、耶蘇(ヤソ)の「これらのものは汝に加えられん」という、その覚悟をもって、その青春を天といのちと認識と愛と倫理との、本質的に永遠なる思想、感情に没頭せよ。諸君の将来を偉大ならしむる源泉は依然としてここにあるのである。
 今日世間の塵労の中に大乗の信を得て生き、国民運動の社会的実践に従いつつある私は、それにもかかわらず、諸君の青春に悔いなからしめんためにこのアドヴァイスを呈するものである。
 青春は短い。宝石のごとくにしてそれを惜しめ。俗卑と凡雑と低吝とのいやしくもこれに入り込むことを拒み、その想いを偉(おお)いならしめ、その夢を清からしめよ。夢見ることをやめたとき、その青春は終わるのである。
(一九三六・一二・一〇)[#改ページ]

 序文

 この書に収むるところは自分が今日までに書いた感想および論文のほとんど全部である。この書の出版は自分にとって二つの意味を持っている。一は自分の青春の記念碑としてであり、二は後(おく)れて来たる青春の心たちへの贈り物としてである。自分は今自分の青年期を終わらんとしつつある。しこうして今や青春の「若さ」を葬って、年齢にかかわりなき「永遠の若さ」をもって生きゆかんことを今後の自分の志向となしている。自分は自分の青春と別れを告げんと欲するに臨んで、じつに無量の感慨に浸らずにはいられない。自分は自分の青春に対してかぎりなき愛惜を感じる。そして労(ねぎら)う心地をさえ抑えることができない。自分の青春はじつに真面目(まじめ)で純熱でかつ勇敢であった。そして苦悩と試練とにみちていた。そして自分は顧みてそれらの苦悩と試練との中から正しく生きゆく道を切り開いて、人間の霊魂のまさに赴くべき方向に進みつつあることを感じる。そして自分は自分がその青春の、そのようにも烈しかった動乱の中にあって、自己の影を見失わないで、本道からはずれないでくることができたことを心から何者かの恵みと感じないではいられないのである。自分はいま自分の青春を埋葬して合掌(がっしょう)し焼香したい敬虔(けいけん)な心持ちでいる。そして自分が青春を終わるまでに自分が触れ合ってきた、自分を育てるに役立ってくれた――多少とも自分が傷つけているところの――人々に謝しその幸福を祈らないではいられない気がする。自分の青春はまたじつに多くの過失に富んでいたのである。自分は自分に後れて来たる青年が、自分のごとく真摯(しんし)に、純熱に、勇敢に、若々しく、しかしながら自分のごとく過失をつくることなく、したがって自分および他人の運命を傷つけることなく、賢明にその青春を過ごさんことを心から祈らないではいられない。それらの過失はじつに純なる「若さ」に伴うものではあるが、しかしそれは一生の運命の決定的契機をつくるほど重大なるものであり、その過失の結果はじつに永くして怖ろしいからである。現に自分はその過失の報いから今なお癒やさるることを得ずして、不幸な境遇の中に生きている。ただ自分はその境遇の中に祝福を見いだす道の暗示を――それは自分の青春そのものが示唆したのであるが――かすかながらも掴(つか)み得ているために、今後の生活の希望を保つことができるのである。自分はそこに自分の過失を償(つぐな)い、生かし、いなむしろその過失によっていっそう完きものに近づく知恵を獲得することができたと思っている。この書はその過程の記録である。自分はこの書が後れて来たる青年に対して有益であることを信じないではいられない。それは自分の青春がすぐれて美しく、完全であるからではなく、かえって多くの過失を具(そな)えているからである。そしてその過失が償われて――少なくとも償う本道の上に立って進みつつあるからである。自分はこの書を後れて来たる青年に対して、今の自分が贈り得る最上の贈り物であることを信じる。人がもし心を空(むな)しくしてこの書を初めより終わりまで読むならば、きっと何ものかを得るであろう。そこには一個の若き霊魂が初めて目醒め、驚き、自己の前に置かれたるあらゆる生活の与件に対(む)かって、まっすぐに、公けに、熱誠に働きかけ、憧(あこが)れ、疑い、悩み、また悦(よろこ)び、さまざまの体験を経て、後に初めて愛と認識との指し示す本道に出でて進みゆき、ついにそれらの与件を支配する法則およびその法則の創造者に対する承認および信順の意識の暗示に達するまでの、生の歩みの歴史がある。この集に収むる文章はその思索の成績において必ずしも非常にすぐれているとは言わないが、その文章の書かれた動機は、いずれの一つもその表出の理由と衝動とにみちていないものはない。そして一つのものから次のものへと推移する過程には必然的な体験の連結がある。その意味において真に霊魂の成長の記録である。人は初めのものより、終わりのものへと進むに従って、しだいにその思索と体験とが深められ、その考え方は多様にかつ質実となり、初めには裁いたものをも赦(ゆる)し、斥(しりぞ)けたものをも摂(と)り、曖昧(あいまい)なる内容は明確となり、しだいに深く、大きく、かつ高くなり、その終わりに近きものは、もはや「恵み」の意識の影の隠見するところにまで達せんとしつつあるのを見いだすであろう。その意味においては、人はむしろ自分をあまりに早く老いすぎるとなすかもしれないほどである。実際自分には壮年期と老年期と同時に来たような気がしている。それは必ずしも自分が緻密なる思索に堪え得ざる頭脳の粗笨(そほん)と溌剌たる体験を支え得ざる身体の病弱とのためではなく、じつに自分のごとき運命を享けたる者、早き死を予感せるものが、彼岸(ひがん)と調和との思慕に急ぐのは必然かつ当然なることである。その意味において自分は「恋を失うた者の歩む道」より以後のものは、壮年期以後の人に対しても読まるることを適当でないとは思わない。もとよりこの書には、ことにその初めの頃のものは稚(おさな)く、かつ若さに伴う衒気(げんき)と感傷とをかなりな程度まで含んでいる。しかしながら自分は自分の青春の思い出を保存するためにかなりの羞恥(しゅうち)を忍んでそれをそのままに残しておいた。それらの衒気と感傷とはそれが真摯にして本質的なる稟性(ひんせい)に裏付けられているときには青春の一つの愛すべき特色をつくるものである。実際自分はそれらのものを全く欠ける青年を、青年として愛することは困難を感ずる。またかなりに目障(めざわ)りな外国語の使用等も学生(シューレル)としての気分を保存するためにあえてそのままにしておいた。「生命の認識的努力」は幼稚であり、学術的には認識論の入門にすぎないけれども、その頃の自分にとってはじつに重要なものであり、この文章を書いた頃の尊い思い出を愛惜するためにどうしても割愛する気になれなかった。かつこの文章には一般の青年がその一生を哲学的思索に捧げない人といえども、必ず知っておかなければならない程度の、認識論の最も本質的に重要なる部分をことごとく含んでいるからである。そして自分が常に抱いている、中学の課程において、自然科学を教うる際に、認識論ことに唯心論的な認識論の入門をあわせて教えなければならないという意見の実施の代用として役立つことを信じるからである。実際自分は中学の誤まれる教授法によって授けられたる自然科学の知識の、実在の説明としての不当の――その正しき限界と範囲以上の――要求から解放せらるるまでに、どんなに不必要な、しかもじつに惨憺(さんたん)たる苦悩を経験したことだろう。自分はそのために青春の精力の半ば以上を費(ついや)したといってもいい。この事たる、ただ中学において、自然科学の教師が、その知識が実在の説明として、ある一つの考え方であって、唯一のものではなく、他に多くのそしてその中にはたとえば唯心論のごとく、全然反対の考え方もあることを付加するだけの用意を持っていさえしたならば、免るる、少なくとも半減することができたのである。そしておそらく私のみでなく、ほとんどすべての青年が同じ苦悩を経験するであろうと思わないではいられない。その意味において自分のこの稚き一文はかなりな効果ある役目を果たすであろうと思っている。またこの書にはかなりしばしば同一思想の反復あるいは前後矛盾せる文章を含んでいる。これはすなわち自分が同一の問題を繰り返し、くりかえし種々の立場より眺め、考え、究めんとせるためおよび思索と体験の進むに従って、前には否定したものをも摂(と)り容(い)れ、あるいは前に肯定したものをも、否定するに至ったためである。思想が必然的連絡を保って成長してゆく過程を痕(あと)づけるものとして、かかる反復と矛盾とは、避くべからざるものであるのみならずまたその思索と体験の真摯なることを証するものであると思う。
 この書は青年としてまさに考うべき重要なる問題をことごとく含んでいるといってもいい。すなわち「善とは何ぞや」、「真理とは何ぞや」、「友情とは何ぞや」、「恋愛とは何ぞや」、「性欲とは何ぞや」、「信仰とは何ぞや」等の問題を、たといけっして解決し得てはいないまでも、これらに関する最も本質的な考え方(デンケンスアルト)を示している。しこうして考え方はある意味において解決よりも重要なのである。一般に自分はこの書の学術的部分には恃みを持っていない。ことに「隣人としての愛」より後は自分の興味はしだいに哲学より離れ、したがって表現法も意識的に学術的用語を避けて、直接に「こころ」に訴えるごときものを選ぶに至った。自分がこの書において最も恃みをおいている点は、人間がまさに人間として考うべき種々の重要なる問題を提出しそれについての最も本質的なる考え方を示し、かつ人間の「こころ」の種々なるムードについて、深く、遠く、かつ懐しく語り得ていると信じる点にある。それらの心情(ゲミュートチ)の優しさ(エルリッヒカイト)において、種々の尊き「徳」について語り得ていると信じる点にある。自分はこの書が読む人の心を善良に、素直に、誠実にかつ潤いに富めるものとならしむるに少しでも役立つことを祈るものである。一個の人間がいかに生きているかは、善悪ともに、他の共に生けるものの指針となる。その意味においてこの書は、その青春の危険多き航路を終わりたる水夫が、後れて来たる友船へ示す合図である。自分は彼らの舟行の安らかならんことを心より願う。しこうして自分もまた愛と認識との指す方向に航路を定め、長き舟行の後ついに彼岸に達せんことを念願するものである。がそれは恵みの導きなくしては遂げらるるとは思えない。願わくば造りたるものの恵み、自分とおよび、自分とともに造られたるものの上にゆたかならんことを。
(一九二一・一・一八朝)[#改ページ]

 憧憬
    ――三之助の手紙――

 哲学者は淋しい甲蟲(かぶとむし)である。
 故ゼームス博士はこうおっしゃった。心憎くもいじらしき言葉ではないか。思えば博士は昨年の夏、チョコルアの別荘で忽然として長逝せられたのであった。博士の歩みたまいし寂しき路を辿(たど)り行かんとするわが友よ、私はこの一句を口吟(くちずさ)むとき、髯(ひげ)の疎(まば)らな目の穏やかな博士の顔がまざまざと見え、たとえば明るい――といっても月の光で微(ほの)白い園で、色を秘した黒い花の幽(かす)かなる香を嗅(か)ぎながら、無量の哀調を聞くごとくそぞろに涙ぐまるるのである。しこうしてこうして哀愁に包まれたとき私が常になすがごとくに今日も君に書く気になったのだ。
 その後生活状態には何の異なりも無い。ただ心だけは常に浮動している。なんのことはない運動中枢を失った蛙のごとき有様だ。人生の愛着者(あいちゃくしゃ)にはなりたくてたまらぬのだが、それには欠くべからざる根本信念がこの幾年目を皿のごとくにして探し回ってるのにまだ捕捉できない。といって冷たい人生の傍観者になんでなれよう。この境に彷徨(ほうこう)する私の胸にはやるせのない不安と寂愁とが絶えず襲うてくる。前者は白幕に映ずる幻燈絵の消えやすきに感ずるおぼつかなさであり、後者は痲痺(まひ)せし掌の握れど握れど手応(てごた)え無きに覚ゆる淋しさである。ときどきこんな声が大なる権威を帯びて響きくることがある。

「はかない人知で何を解こうとしてるのだ。幾年かかれば解けるのだ。それを解決してからがおまえの意義ある生活ならばそれは危いものだ。初めから意義ある生活を打算してかからぬ方がましかもしれぬよ。疑惑の雲の中へ頭を突き込んでやがては雲の一部分に消え化してしまうのであろう」

 一度は恐れ戦(おのの)いてこの声にひれ伏した。が倨傲(きょごう)な心はぬっと頭を擡(もた)げる。
「いくら苦しくても、意義が不明でも、雲の中へ消え込んでも、その原因は私の意志どおりをやってきたからだ。世の中に思いどおりをやるほど好いことがあるものか。それに私はある女(真理)に恋慕してるのだ。なるほど対手(あいて)の顔はまだ見ない。しかし彼女はきっと美しい崇(とうと)い顔を持ってるに違いない。まだ見ぬ恋の楽しさを君は知るまい。私の恋が片思いに終わるとは断言できまい。今に彼女は必ず私に靡(なび)くよ。白い雲の上で私を呼んでいる彼女の優しい上品な声が聞こえるような気がする。考えてもみたまえ。互いに胸を打ち明けてからもおもしろかろうが、打ち明けぬうちも捨てがたいではないか。私はいかにしても思い切る気はない」

 君、僕はこんなことを考えて沮喪する心を励ましているのだよ。いつもの話だがどうもわが校には話せる奴(やつ)がいない。O市の天地において僕は孤独の地位に立ってる。から騒ぎ騒ぐ野次馬、安価なる信仰家、単純なる心の尊敬すべき凡骨、神経の鋭敏と官能のデリカシイとに鼻蠢(うごめ)かす歯の浮くような文芸家はいるが、人生に対する透徹なる批判と、纏綿(てんめん)たる執着と、真摯(しんし)なる態度とを持して真剣に人生の愛着者たらんと欲する人は無い。例の瘰癧(るいれき)のO君とはただ文学上において話せるのみだ。彼は根本的思索には心が向かっていない。彼は考えずしてただ味わおうとのみ努(つと)めている。彼の唯一の根底は生の刺激すなわち歓楽である。歓楽からただちに人生に入った彼の内的生活の過程を私は納得することができない。絹糸のごとき繊細なる感受性は持ちながら、知識は荒繩のごとく粗笨な一部の文芸家によって、哲学者の神聖なる努力と豊富なる功績とがいたずらに人生の傍観者なる悪名の裡(うち)に葬り去られんとするのは憤慨すべき事実である。われら哲学の学徒より見れば、いまだかつて哲学者ほど人生に対して親切、熱烈、誠実なる者を知らぬのである。彼はライフを熱愛するのあまり、これを抽象して常に眼前にぶら下げている。あたかも芸術家が自己の作品に対するごとき態度をもって哲学者は自己のライフに面している。かのロダンの大理石塊を前にしてまさに鑿(のみ)を揮(ふる)わんとして息を屏(と)め目を凝らすがごとくに、ベルグソンは与えられたる「人性」を最高の傑作たらしめんがためにじっとライフを見つめているのである。われらは彼の蒼白き頬と広き額と結べる唇とに纏綿たる執着と、深奥なる知性と、強烈なる意欲の影の漂えるのを看過してはならない。フィロソファーとは愛知者という語義だという。しかし私は愛生者をこそ哲学者と呼びたい。
 それから君はややもすれば単純なる心の持主、いわゆる善人をば軽蔑せんとする傾向があるがそれは悪いよ。考えてもみたまえ。もともとわれらは真正の善人――哲学的善人たらんがために哲学に志したのではないか。われらが冷たい思索の世界に、こうして凡俗の知らぬ苦労を嘗(な)めているのは「真」のためでなく、「美」のためでなく、じつに「善」のためである。「実在」に対する懐疑よりもはるかに疾(はや)く、はるかに切実に「善」に対する懐疑に陥ったのであった。迷い惑うるわれわれの前にいかに荘麗に、崇高に、厳然として哲学の門は聳(そび)えたりしよ。われらは血眼(ちまなこ)になって傍目も振らず、まっしぐらに突入したのだ。
 だからわが友よ、われらは彼ら善人を愛し、彼らの持てる純なる情と勇ましき力とをもって守るに価する真の善の宝玉を発見せねばならぬ。われら神聖なる哲学の徒は彼らの抱ける善の玉のいかに不純不透明にして雑駁(ざっぱく)なる混淆物(こんこうぶつ)を含みおるかを示して、雨に濡れたる艶消玉(つやけしだま)の月に輝く美しさを探ることを教えねばならない。濁水滔々(とうとう)たる黄河の流れを貪り汲まんとする彼らをして、ローマの街にありという清洌なる噴泉を掬(く)んで渇を潤すことを知らしめねばならない。
 思えば今を距(さ)る二千六百年の昔、「わが」哲学がミレートスの揺籃を出(い)でてから、浮世の嵐は常にこの尊き学問につれなかった。しこうして今日もまたつれないのである。故国を追われて旅の空に眼鏡を磨きつつ思索に耽ったスピノーザの敬虔なる心の尊さ、フィロソフィック・クールネスの床(ゆか)しさ! 僕らはあくまでも尊き哲学者になろうではないか。私はH氏のものものしき惑溺(わくでき)呼(よば)わりに憎悪を抱き、K氏の耽美主義に反感を起こし、M博士の遊びの気分に溜息を洩(も)らす。M博士は私の離れじとばかり握った袂(たもと)を振り切って去っておしまいなすった。私はかの即興詩人時代の情趣濃(こまや)かなM博士がなつかしい。かのハルトマンの哲学を抱いて帰朝なすった頃の博士が慕わしい。思えば独歩の夭折(ようせつ)は私らにとって大きな損失であった。
 底冷たい秋の日影がぱっと障子に染めたかと思うとじきとまた暗くなる。鋭い、断(き)れ断(ぎ)れな百舌鳥(もず)の声が背戸口で喧(かしま)しい。しみじみと秋の気がする。ああ可憐なる君よ、(可憐という字を許せ)淋しき思索の路を二人肩を並べて勇ましく辿(たど)ろうではないか。行方(ゆくえ)も知れぬ遠い旅路に泣き出しそうになったらゼームス博士を思い出そう。哲学者は淋しい甲蟲である! お互いに真面目に考えようね。

 お手紙拝見。お互いに青春二十一歳になったわけだね。でも苦労したせいか僕の方が兄のような気がしてならない。昨年の正月の艶々しい恋物語を知ってるだけに、冷たい、暗い、汚い寮で侘(わび)しく新年を迎えた君がいっそうのこといとしい。君は私と違って花やかな家庭に育ったんだからね。T君が君をロマンチックだって冷笑したって。かまうものか。彼の刹那主義こそ危いものだ。なぜというに、彼の思想には中心点が無いからだ。彼の「灰色生活」は虚偽である。みたまえ。彼の荒(すさ)んだ生活には、ああした生活に必然伴うべきはずの深刻沈痛の調子は毫も出ていないではないか。さて僕だ。例によって帰省したものの、ご存じのとおりの家庭ゆえあまりおもしろくない。でもさすがに正月だ。門松しめ飾り、松の内の八百屋町をぱったり人通りが杜絶(とだ)えて、牡丹雪(ぼたんゆき)が音も立てずに降っている。
 昨日丸山さんが手紙をよこした。つつましい筆使いだがちょっと人を惹きつける。私は三年前の夏の一夜を思いだす。水のような月の光が畳の上までさし込んで、庭の八手(やつで)の疎(まば)らな葉影は淡(あわ)く縁端にくずれた。蚯蚓(みみず)の声も幽(かす)かに聞こえていた。螢籠(ほたるかご)を檐(のき)に吊して丸山さんと私とは縁端に並んで坐った。この夜ほど二人がしんみりと語ったことはなかった。淑(しと)やかに団扇(うちわ)を使いながら、どうかすると心持ち髷(まげ)を傾けて寂しくほほ笑む。と螢が一匹隣りの庭から飛んで来た。丸山さんは庭に下りて団扇を揮うて螢を打った。浴衣(ゆかた)の袖がさっと翻る。八手の青葉がちらちら揺らぐ。螢は危く泉水の面に落ちようとしてやがて垣を掠(かす)めてついと飛んで行った。素足に庭下駄を穿(は)いて飛石の上に立った丈(たけ)の高い女の姿が妙にその夜の私の心に沁みた。寡婦にして子供無き丸山さんは三之助さん、三之助さんと言って私を弟のごとく愛してくれたのだが、今では岐阜で女学校の先生を勤めてるそうだ。
 私は休暇の初め、岡山で私の趣味に照らして最も美しいと思う花簪(はなかんざし)を妹に土産(みやげ)に買って帰ってやったら、あの質素な女学校ではこんな派手(はで)なものは插(さ)されませぬと言っていたがそれでも嬉しそうな顔はした。君も重子さんに本でも慰めに送ってやりたまえ。妹というものは可愛いもんだからね。明後日出発する。しっかり勉強したまえ。

 O市の春はようやく深し。今日の日曜を野径(のみち)に逍遙(しょうよう)して春を探り歩きたり。藍色(あいいろ)を漂わす大空にはまだ消えやらぬ薄靄(うすもや)のちぎれちぎれにたなびきて、晴れやかなる朝の光はあらゆるものに流るるなり。操山の腹に聳(そび)ゆる羅漢寺(らかんじ)は半(なか)ば樹立に抱かれて、その白壁は紫に染み、南の山の端には白雲の顔を覗(のぞ)けるを見る。向こうの松林には日光豊かに洩(も)れ込みて、代赭色(たいしゃいろ)の幹の上に斑紋を画き、白き鳥一羽その間に息(いこ)えるも長閑(のどか)なり。藍色の空に白き煙草(たばこ)の煙吹かせつつわれは小川に沿いて歩みたり。土橋を潜る水は温(ぬる)みて夢ばかりなる水蒸気は白く顫(ふる)え、岸を蔽えるクローバーは柔らかに足裏の触覚を擽(くすぐ)りて、いかにわれをして試みんとする春の旅の楽しきを思わしめしよ。わが友よ、御身と逢うの日は近く迫り来れり。わが心は常に哲学を思い、御身を慕えり。じつにわれらの間の友情はかの熱愛せる男女の恋にも勝(まさ)りていかに纏綿として離れがたく、純乎として清きよ。夜半夢破れて枕に通う春雨の音に東都の春の濃(こま)やかなるを忍ぶとき、御身恋しの心は滲(にじ)むがごとくに湧き出ずるなり。今宵月白し。花紅き籬(まがき)のほとり、行人の声いと懐し。

 大船で訣(わか)れるとき、訣れの言葉をも交さず、またお互いに訣れるのだということも知らないで訣れるのなら好いと思った。しかし君と僕とはきまりの悪い、辛そうな顔して訣れた。汽車がゆるゆる動き出す。君が窓に肱杖突いてこちらを見てる。僕がときどき後を振り向く。そのたびごとに君の姿が遠く小さくなる。そのうち君と僕とは全く訣れてしまったのである。手持無沙汰に、あの麦藁帽子を被って、あのマントとあの袋とを携えて、プラットホームの一隅に四十分もつくねんとしていた僕の姿をば、三日前の夕暮れには共に暢々(のびのび)して眺めた風景にこのたびは君一人で面接しながら察してくれたであろう。
 とにかく再び汽車に乗った。君と別れて取り放されたように淋しく疲れた私の胸はまたもややるせない倦怠に襲われねばならなかった。
 明くれば五日黎明、しとしとと降る京の雨の間を走る電車に乗せられて私はS君の宿を訪るる身であった。朝飯をすまして私とS君とは春雨に烟った東山に面する一室に障子を閉め切って火鉢を隔て向き合う。私が鎌倉、逗子、東京の近況、君やH子さんのことなど話して聞かす。しかし楽しく暖かく君と遊んできた私には、その後は淋しくもあり、悲しくもありしてならなかった。S君と私との間にはかなりぼんやりしてる一枚の帷(とばり)が下がってる。S君は気のおける人だ。うち解けてくれない。どうしたらS君と心おきなく楽しく話せるのだろうかと思わざるを得なかった。君の言葉を借りて言えば、S君の感情はルードである。どうかするとS君のこの傾向が鋭く感じられたので京都においてはただ自然美に恵まるるのみであった。夕暮れ、私ら二人は知恩院を訪うた。雨晴れの夕暮れの空に古色蒼然たる山門は聳えていた。ああこれぞ知恩院である。山門であると思いながら、私共はそれを潜った。春雨を豊かに吸うた境内の土、処々に侘しく残った潦(にわたずみ)、古めかしい香いのする本堂、鬱然(うつぜん)として厳しく立ち並んだ老木の間には一筋の爪先き上りの段道がある。その側には申し訳のような谷川がある。私共は肩をならべて登った。
 もともと君でも僕でも真心より尊き美に憧るる者である。一個の生を享(う)けてその生の骨子たらしめんとするのは「尊きもの」である。一枚の紙のみ張ってある組子の無い障子はこの間まで春風を心地よく受けてふわりふわりとしていた。秋風の寒さが吹いて来たときこれでは堪(たま)らない。何か確然としたものはないかしらと気がついた。君でも僕でもこの確乎したものは「尊きもの」でなくてはならなかった。それからというものは、お互いに血眼になって「尊きもの」を探してる。だから当然内容の如何(いかん)を問わず、ある尊きものに面接したときハッとして立ち止まる。このとき言い知れぬ懐しさを感ずるのだ。君と僕とが鎌倉で無名の社に詣でたときこれを経験したではないか。さて私はS君と滑らかな林道を辿った。私の心には懐しき尊さが訪れて僕はそれと応接すべくS君とは口を利(き)かなかった。S君の趣味があまりに低級にして、感情がいかにも粗笨に思われたからである。やがて二人は祇園(ぎおん)桜に出た。群衆は競(きそ)うてその側に集まる。紅提燈(べにぢょうちん)に灯がともる。空は灰色からだんだん暗黒になってゆく。それから都踊りを見た。私は踊りに関しては門外漢だから論じられぬが、美(うる)わしき舞子が、美わしく装うて、美わしき背景の前に、美わしく舞うたのはさすがに美わしかった。そのとき音楽ということが稲妻のごとく私の頭に光明を与えてまた行ってしまった。上野の森の夕闇の逍遙に、君が音楽の価値を論じて私共が音楽の世界にストレンジャーであるのを嘆いたが、いま花やかなる踊り場の中にあって、調子の整った三味の音、鼓、大鼓、笛の響きを聞いたとき、ほんとにそうだとつくづく思った。居合わすものはS君と君とD君とK君、お互いに舞子の顔の批評ばかりし合ってる。
 翌日嵐山、金閣寺を見物して、クラシックの匂いを慕って奈良に回ったが綺羅粉黛(きらふんたい)人跡繁くして駄目であった。ただ大仏に対して何だか色のない尊い恋というようなものを感じた。それからずうッとO市に帰ったのである。
 今日は八日、花曇りの空は重々しく垂れかかってる。こうして机に倚(よ)りかかってぼんやりしてると、過ぎにし旅行のことが影絵のごとく、おぼろに思い浮かべられて、淡い淡い悲哀を覚ゆるのである。恋しき友よ、君はなんという私にとって無くてはならない友であろう。私の覚ゆる悲哀は一には君のために覚ゆる悲哀である。春雨に濡るる若草のごとくに甘い、懐かしい、潤うた悲哀である。君無くば乾(ひ)からびた味の無い砂地のごとき悲哀になっちまう。
 お互いに自重しようね。耽溺、刹那主義、pleasure-hunter なんという嫌な響きであろう。思索だ! 思索だ! 永遠にして崇高なものをぐっと握り締めるまでは、私共のなすべきすべてのことはただ思索あるのみである。

 今日は朝っぱらから心細いことのみに出っくわす。例の瘰癧(るいれき)の男と学校で会って僕が彼に思索せぬことを詰(なじ)ったら彼は次のごとく答えた。
「私は十年経てば死ぬと医者から宣告せられてるのだぜ。過去は暗黒だ。未来は謎だ。短い命を誰がくだらぬ思索なんかに費すものか。私にはそんな余裕はない。私には『生きる』ということが仕事の全部だ。なるほど生きているなと思うには強い、濃(こ)い刺激が要る。それには歓楽に如(し)く者は無い。鼓の響き、肉の香、白い腕、紫の帯、これらは私の欠くべからざる生活品だ。これらが無くては寂しくて堪(たま)らぬ。私の頸からは切っても切っても汚い、黄色な膿(うみ)がどぶどぶ出る。君らは鏡に向かって自分の強く美しき肉体を賛美することは知ってても、肺病患者が人知れず痰(たん)を吐いて、混血の少ないのにほっと息を吐くときの苦心は知るまい。私は死に面接してる。君らは死を弄んでる。死は私には事実だが君らには空想だ。『自然』に反抗するとき死は恐怖だが、降参してしまえば慰安だ。君らは早叶(かな)わじと覚悟して、獅子の腕の下るのを待ってる小羊の心がぞんがい安静なのを知らないのだ」ざっとこんな意味のことを嘲るように、投げ出すように言った。私はなんだか私らの思索の前途がおぼつかなくなった。帰宅すると机の上に君の手紙が置いてある。それを読むとまたいっそうのこと心細くなった。君のは瘰癧のとは形式は異なるが、やっぱり「自己存在の確認」を訴えてるからだ。君がオブスキュアな生活が味気なく、ポピュラリチーを欲求するのはあえて無理とはいわない。ことに君は花やかな境遇ばかり経てきたのだからなおさらだ。しかし群衆の反応の中に自己の影像を発見しようと努めることとフィロソフィック・クールネスとははたして両立し得るであろうか。身オブスキュリチーに隠るるとも自己の性格と仕事との価値をみずから認識してみずから満足しなくては、とても寂しい思索生活は永続しはしない。君の言のごとく自己の記念碑を設立せんと欲するのは万人の常ではあるが、君、どうかそこをいま少し深刻に、真面目に考えてくれたまえ。君は他人より古い、小さい、弱いと思っては満足できぬ人間なのだから、エミネンシイに対する欲求も無理とはいわない、がそこを忍耐しなくては豪(えら)い哲学者にはなれない。君が目下の急務はフィロソフィック・クールネスの修養だ。何事も至尊至重のライフのためだ。後生だからエミネンシイとポピュラリチーとの欲求を抑制してくれたまえ。君はあくまでも尊い哲学者になりたまえ。私は熱心に研究してる。この頃くだらぬ朋友と皮一重の談笑するのが嫌でならない。独歩や藤村等のしみじみした小説、大西博士、ショウペンハウエル、ヴントを読んでる。

 今日はじつにいい天気だ。空は藍色を敷き詰め、爽やかな春風を満面に孕(はら)んだ椎(しい)の樹の梢を掠(かす)めて、白い雲がふわふわと揺らぐ。朝から熱心に心理を読んでいた私は、たまらなく暢(の)んびりした心地になって、羽織を脱ぎ捨てて飛び出した。O市西郊の畷道(あぜみち)、測量師の一隊が赤、白の旗を立てて距離を測ってるのが妙に長閑(のどか)である。このとき僕はふと明林寺を想い出した。大西博士の眠りたまえる寺である。墓参しようと決心した。しばらく経って私は明林寺の鬱然たる境内、危そうな象形文字を印したる凸凹道を物思いがちに辿(たど)っていた。墓地に着くやいなや、癩(らい)病らしい、鎌を手にした少年が陰険な目付きでじろじろ睨んで通った。冷やりとした。数多き墓の中、かれこれと探って、ついに博士の墓を発見した。大きな松ののさばりかかった上品な墓だ。頭の上ではほろろと鳥が啼き名も知れぬ白い、小さな草花があたりに簇(むらが)り咲いていた。尊き哲学者を想うこころは、私をしてその墓の前に半時間あまりも蹲(うずくま)らしめて深い物想いに沈ましめた。豪い哲学者もこうして忘れられてゆくのだと思ったときオブスキュリチーに慄(ふる)える君を思い出して痛ましく思わずにはいられなかった。いつしか迫ってくる夕闇に、墓場を辞して火燈(ひとも)し頃のO市に帰った。帰宅するまえ例のカフェに寄った。例の娘に「おまえ、大西博士を知ってるの」と聞いたら黙って頭を振った。天に輝く星を眺めておお涼しいこととでも思ってるのであろう。博士はとうとう美しき彼女には知られぬであろう。

 暗い暗い、気味悪く冷たい、吐く気息も切ない、混沌迷瞑(こんとんめいめい)、漠として極むべからざる雰囲気の中において、あるとき、ある処に、光明を包んだ、艶(つや)消しの黄金色の紅が湧然(ゆうぜん)として輝いた。その刹那、顫(ふる)い戦(おのの)く二つの魂と魂は、しっかと相抱いて声高く叫んだ。その二つの声は幽谷に咽(むせ)び泣く木精(こだま)と木精とのごとく響いた。
 君と僕との離れがたき友情の定めは、このとき深く根ざされたのであった。思えば去年私が深刻悲痛なる煩悶に陥って、ミゼラブルな不安と懊悩(おうのう)とに襲われなければならなかったとき、苦しまぎれに、寂しまぎれに狂うがごとき手紙をば幾回君に送ったことであろう。親類を怒らせ、父母を泣かせて君が決然として哲学の門に邁進(まいしん)したとき、私の心は勇ましく躍り立った。月日の立つのは早いものだ。君が向陵(こうりょう)の人となってから、小一年になるではないか。思えば私らはこの一年間、何を求め得、何を味わい得たのであろう。奥底に燃ゆるがごとき熱誠と、犯すべからざる真面目とを常に手放さなかった私らは、目を皿のごとくにして美わしい尊いものを探し回ったのに、また機敏なる態度を持してかりそめにも遁(のが)すまいと注意したのに、握り得たものは何であろう。味わい得たものは何であろう。私らは顧みて快くほほ笑み、過去一年の追憶を美わしき絵巻物を手繰(たぐ)るがごとく思い浮かべることができるであろうか。この長き月日を冷たい、暗い喧騒な寮に燻(くすぶ)って浮世の花やかさに、憧れたりしわが友よ、僕は君を哀れに思う。かくのごとくして歓楽に□□(しょうけい)する君は歓楽から継子(ままこ)扱いにされねばならなかったのだ。
 かの公園に渦のごとく縺(もつ)るる紅、紫、緑の洋傘の尖端に一本ずつ糸を結び付け、一纏めにして天空に舞い上らしめたらどうであろう。しばしあっけにとられた後はわれに帰るであろう。清く崇き鐘の音をして花に浮き立つ群衆を散らしめよ。人無き後の公園は一種名状すべからざる神秘的寂寥を極むるであろう。清い柔らかな風がいま一度吹き渡る。天はますます青く澄み、緑草は気息を吹き返す。私はこの寂しき公園の青草の上に天を仰いで転(ころ)びたい。そしてあのいい色の青空を視力の続くかぎり視(み)つめたい。その視線が太く短くなってやがてはたと切れたときそれなりに瞑目したらなお嬉しい。
 今年の私のこの心持ちはいっそうにエルヘーヴェンされたのである。私は所詮神秘と崇厳とを愛憬する若者であった。
 私は去年、花やかさにも湿(うるお)いにも乏しきO市の片隅の下宿において、冷たい、暗い、乾ききった空気の中に住むことをいかほど辛く味気なく思ったことであろう。しかし今年の私は君の濃き温かき友情に包まれることができる。H子さんが私を知っての上の熱き真情もある。加うるに真生命に対する努力と希望とがある。O市における燻った生活、淋しき周囲の状態はこれらの前には首を低うして、ひれ伏さねばならぬであろう。僕は君に喜んでもらわなくてはならない。
 それにしても君、今年の春は早(はや)逝(ゆ)かんとするではないか。隣家の黒板塀からのさばり出た桃の枝は敗残の姿痛ましげに、今日も夕闇の空に輪郭をぼかしている。私は行く春の面影を傷手を負うたような心地で、偲(しの)ばぬわけにはゆかぬのである。私は惜しくて惜しくてならない。地だんだ踏んでもいま一度今年の春を呼び返し、君とともに味わったかの清楽と、花やかなしかし見識のある歓楽が味わいたい。しこうして崇高の感に打たれたい。こう思うとき心の扉はぴりぴりと振うではないか。

 この間の長い手紙丁寧に読んだ。じつを言うとあの手紙は私にとってあまり嬉しい感じを与えてくれなかった。苦心して探し回って、ついにどうか、こうか快楽という一事を捕えたまではよかったが、その「快楽」を捕えたときは、君はすくなからず蕭殺(しょうさつ)たる色相とデスペレートな気分とを帯びてるごとく見えたからである。快楽主義は君にとっては今や一つの尊き信念になった。しかし君はあの手紙を書いて以来、柔らかな、優しい、湿(うるお)うた、心地で日を送ってるかい。おそらくは荒(すさ)んだ、すてばちな気持ちであろう。君の結論は私はこう断定した。「人間の本性は快楽を欲求する意志である。ゆえに最もよき生を得んには意志の対象たる快楽の存するところに赴くべし」と。私だって快楽にインディフェレントなほどに冷淡な男では万々ない。私らがある信念を得てそれに順応してゆくところ、必然になんらかの快楽が生ずることは今から信じている。しかし人間の行為の根本義は快楽であろうか。快楽だから欲求するのであろうか。経験の発達した私らには快楽だから欲求することはずいぶんある。しかし発生的、心理的に考えてみたまえ。欲求を満足せしむるとき初めて快楽を生ずるので、欲求する当初には快楽は無かったに違いない。約言すれば快楽は欲求を予想している。元来快楽主義は脳力の発達した動物にのみあり得べき主義である。それに人間には朧(おぼ)ろながら理想というものがある。なんとなれば欲求に高下の差別はあり得ぬにしても、われらはある欲求は制してある欲求は展(の)ばしているが、この説明者は理想でなければならぬからである。私は自己運動の満足説を奉じたい。もっとも自己の満足するところ快楽ありとすれば、客観的には快楽だから欲求したのだともいえようが、しかしそれは客観的、経験的の立言で主観的ではない。それにまた人間がこの世の中にポッと生まれ出て、快楽のために快楽を味おうて、またポッと消えてしまうとはあまりにあっけないではないか。ただそれだけでは私らの形而上学的欲求が許してくれない。快楽主義の奥に何か欲しいではないか。少なくとも巌(いわお)のごとき安心の地盤に立って堂々と快楽が味わいたいではないか。姑息(こそく)な快楽だけで満足できるようだったら、私らは初めから哲学に向かわなかったであろう。享楽主義の文芸家と私らとの分岐点はじつにこのところに存する。彼らよりも私らが人生に対していっそう親切に、忍耐に富み、真摯なりと高言し得るのはじつにこのところに存する。君の性格は享楽主義の誘惑に対してすこぶる危い。人生の真の愛着者たらんとする君ならばそこを一歩勇ましく踏み止まらなくてはならない。君の享楽主義は荒涼たる色調を帯びている。君はいま泣き泣き快楽を追わんとしているのだ。まことに荒(すさ)んでいる。君の吐く息は悽愴(せいそう)の気に充ちている。君の手紙のなかには「ああ私は生に執着する」とあった。しかし私にはこの言葉がいかにももの凄く響いたのである。君の態度は君の手紙のなかにあったごとく、平将門(たいらのまさかど)が比叡山(ひえいざん)から美しい京都の町を眺めて、「ええッあの中にあばれ込んでできるだけしつこく楽しんでやりたい」といったようにしか思えなかったからである。愛着の影さえ荒んで見えたのである。私は君がみずから緑草芳しき柔らかな春の褥(しとね)に背を向けて、明けやすき夏の夜の電燈輝く大広間の酒戦乱座のただなかに狂笑しに赴くような気がしてならない。四畳半に遠来の友と相対して湿やかに物語るの趣は君を惹かなくなって、某々会議員の宴会の夜の花やかさのみが君の心をそそるようになるようにも思われる。君はいま利己的快楽主義の鉾(ほこ)をまっこうに振(ふ)り翳(かざ)して世の中を荒れ回らんとしている。快楽の執着、欲求の解放、力の拡充、財の獲得! ああ君の行方には暗澹たる黒雲が待っている。恐ろしい破滅が控えている。僕はこれを涙なくしてどうして見過ごすことができよう。これらもみな今までの君のライフが充実していなかったがためである。しみじみと統一的に生き得なかったためである。そう思えばますますいとしくなる。揃いも揃って美しい七人の姉妹の間に、父母の溺愛にちやほやされて、荒い風に揉まれず育った君は素直な、柔らかな稚松(わかまつ)であった。思えば六年前僕らが初めて中学に入校した当時、荒い黄羽二重の大名縞の筒袖に短い袴(はかま)をつけて、褐色の鞄を右肩から左脇に懸けて、赤い靴足袋を穿(は)いた君の初々(ういうい)しい姿は私の目に妙に懐しく映ったのであった。どうかすると君はぱっと顔を赤くする癖があった。その愛らしい坊ちゃん坊ちゃんした君を知ってるだけに、今の荒んだ、歪んだ君がいっそうのこといとしい。いなそればかりではない。君の認識論はほとんど唯我論に帰着して、自他を峻別して自己に絶対の権威を置くの結果、三之助なる者の君の内的生活において占有する地位は淡い、小さい影にすぎなくなった。僕と君とのフロインドシャフトは今や灰色を帯びてきた。君の手紙のなかには「君と別れてもいい」といったような気分が漂うてるなと私は感じた。ああしかし僕は君を離したくない、君が僕を離れんとすればするほど君を僕の側に止めておきたい。そしてできるだけ私の暖かな気息(いぶき)を吹きかけてじんわりと君の胸のあたりを包んであげたい。君よ、たとい僕と離るるとも、もし君が傷ついたならまた僕の所へ帰ってきたまえ。濡(うるお)える眸と柔らかな掌とは君を迎えるべく吝(やぶさか)ではないであろう。
 ああ、今やわれら二人の間を画(かく)して、無辺際の空より切り落とされたる暗澹たる灰色の冷たい幕。われらの魂はこの幕を隔てて対手の微かな溜息を聞き、涙を含む眸と眸とを見合わせながら、しかも相抱くことができぬのである。ああ僕はどうすれば好いのだろう。

 私は哀れな、哀れな虫けらである。野良犬のごとくうろうろとして一定の安住所が無い。寂寞(せきばく)と悲哀と悶愁と欲望とをこんがらかして身一つに収めた私はときどき天下真にわれ独りなりと嘆ずることがある。今や私には気味悪い厭世思想が心の底に萌している。この思想は蕭殺たる形を成して意識の上に現われては私を威嚇したり揶揄(やゆ)したりする。
 そこでM町を去ってF村へ鞍替えをしたがここもできたことはない。無限に続く倦怠は執念深きこと蛇のごとくここでも私に付き纏う。孤独の寂し味のなかに包まれて、なんのことはない、餅の上に生えた黴(かび)のようなライフを味おうている。
 M町から帰った夜、兄と一つコップの酒を飲んでいろいろ語った。蚊帳(かや)のなかに蟠(わだかま)る闇の裡に私らのさざめきは聞こえた。黙契の裡に談話を廃して後しばらくして、「蛙が鳴くなあ」兄の声はしめやかであった。
「独歩がいったごとくに宇宙の事象に驚けるといいなあ」と兄がいった。私は腹のなかで頷(うなず)いてる。そして、
「現象の裡には始終物自爾(みずから)がくっついてるのだから驚いた次の刹那にはその方へ回って、その驚きを埋め合わせるほどの静けさが味わいたい」と私がいった。
「それは理知の快味だ。驚いた刹那は争うべからざる驚きの意識で占領された刹那じゃないか。その意識こそ尊い意識だ」
「森鬱(しんうつ)として、巨人のごとき大きな山が現前したとき、吾人は慄然(りつぜん)として恐愕の念に打たれ、その底にはああ大なる力あるものよとの弱々しい声がある。しかしその声に応じて縋(すが)りつくものが欲しいではありませぬか」
「縋りたいという意識の生じ得ない刹那がいっそう高い。とにかく人間の現象のなかでは驚きということがいちばん高いなあ」
 私は口を緘してじっと考えた。明け放した障子の間から吹き込む夜風はまたしても蚊帳の裾(すそ)を翻した。突然柱時計が鳴り始めた。重い、鈍い音である。数は三つであった。
 今宵は形而上学的な友である。ランプの黄ばんだ光は室をぼんやり照らしている。本箱には金文字の背を揃えた哲学書が行儀正しく並んでいる。ガラス瓶に插(さ)した睡蓮の花はその繊(ほそ)い、長い茎の上に首を傾けて上品に薫っている。その直後にデカルトの石膏像が立ってる。この哲人はもっともらしい顔をして今にも Cogito ergo sum といい出しそうである。
 私は読むともなしに卒業前後の日記を読んだ。そしてしばらくの間過去の淡い、甘い悲哀の内を彷徨(ほうこう)していた。うっちゃるごとく日記を閉じて目をそらしたとき、ああ君が恋しいとつくづく思った。そして発作のごとく筆を執った。しかしこの頃のやや荒廃した心で何が書けよう。ただただ君が恋しい。これ以外には書くべき文字がみつからない。私は近頃たびたびトリンケンに行く。蒼白い、悲哀が女の黒髪の直後に蟠(わだかま)る無限の暗のなかに迷い入るとき、皮一重はアルコールでほてっても、腹の底は冷たい、冷たい。
 ああ初秋の気がひしひしと迫る。今宵私の心は著しく繊細になっている。せめて今宵一夜は空虚の寂寞を脱し、酒の力を藉(か)りて能うだけ感傷的になって、蜜蜂が蜜を啜(すす)るほど微かな悲哀の快感が味わいたい。
 風の疾(はや)い、星の凄いこの頃の夜半、試みに水銀を手の腹に盛ってみたまえ、底冷たさは伝わってわれらの魂はぶるぶると慓える[#「慓える」はママ]であろう。このとき何者かの力はわれらに思索を迫るであろう。かくてわれらは容(かたち)を改め、襟(えり)を正しくして厳かに、静かに瞑想の領に入らねばならぬ。霜凍る夜寒の床に冷たい夢の破れたとき、私は蒲団(ふとん)の襟を立ててじっと耳を傾ける。窓越しに仰ぐ青空は恐ろしいまでに澄み切って、無数の星を露出している。嵐は樹に吼(ほ)え、窓に鳴って惨(すさま)じく荒れ狂うている。世界は自然力の跳梁(ちょうりょう)に任せて人の子一人声を挙げない。このとき私は胸の底深くわが魂のさめざめと泣くのを聞く。人は歓楽の市に花やかな車を軋(きし)らせて、短き玉の緒の絶えやすきを忘れている。しかし、死は日々われらのために墓穴を掘ってるではないか。瞼が重だるく閉じて、線香の匂いが蒼ざめた頬に啜(すす)りなくとき、この私は、私の自我はどこをどう彷徨してるだろう。これが暗い暗い謎である。肉爛(ただ)れては腐り、腐りして、露出した骨の荒くれ男の足に蹈まるるとき、ああ私の影はどこに存在してるだろう。かの微妙な旋律に共鳴した私の情調、かの蒼く顫える星に翔(かけ)り行く私の詩興、これらすべては杳(よう)として空に帰すのであろうか。そればかりではない。われらを載す地球も、われらを照らす太陽も、星も、月も、ありとあらゆる者はついに破滅するというではないか。バルフォアは世界大破滅の荒涼たる光景を描いてほぼ次のごとく述べている。

 The energies of our system will decay, the glory of the sun will be dimmed, and the earth, tideless and innert, will no longer tolerate the race which has for a moment disturbed its solitude. Man will go down into the pit, and all his thoughts will perish. Matter will know itself no longer.‘Imperishable monument’and‘Immortal deeds’death itself, and love stronger than death will be as if they had not been. Nothing, absolutely nothing remains. Without an echo, without a memory, without an influence. Dead and gone are they, gone utterly from the very sphere of being.

 かくのごときは唯物論の到達すべき必然の論理的帰結である。けれども、私は物質の器械力に無限の信仰を払うにはあまりに宗教的であり、芸術的である。いわんや、この恐るべきバルフォアの自殺的真理をばいかにして奉ずることができよう。ヘッケルに身慄いして逃げ回った私のどきどきと波打つ胸をじっと抱えて、私の耳に口を触れんばかりにしてゼームス博士は、Is the matter by which Mr. Spencer's process of cosmic conclusion is carried on any such principles of never ending perfection as this? No, Indeed it is not! と力ある声で囁かれたのである。じつに私の内的生活に消ゆべくもない唯心的傾向を注入したのはゼームス博士の A world of pure experience とショウペンハウエルの Die Welt als Wille und Vorstellung とであった。Die Welt ist meine Vorstellung. Alles, was irgend zur Welt geh□rt ist nur f□r das Subjekt da. というショウペンハウエルの一句は私にとって無量の福音であったのである。しかし私は今この暗い深い死後の生活に関して盲目の手探りをなす前に、さらにいっそう痛切なる問題に接触する。それはわれらの現世の「生」をばいかに過ごすべきかという平凡なしかし厳粛な問題である。「生きたい」ということは万物の大きな欲求である。これと同時に統一、充実して生きたいということは意識が明瞭になればなるほど悲痛な欲求の叫びである。ああ私は生きたい、心ゆくばかり徹底充実して生きたい。燃ゆるがごとき愛をもって生に執着したい。されどされど退いて自己の内面生活を顧みるとき、徘(さまよ)いて周辺の事情を見回すとき、内面生活のいかに貧弱に外情のいかに喧騒なるよ。前者の奥には爛(らん)として輝く美わしき色彩が潜んでいるらしいけれど、いかんせん灰色の霧の閉じ籠(こ)めて探る手先きの心もとない、後者の裏には心喜び顫える懐しきものの匿(かく)れていて、私の探りあてるのを待っているらしいけれど、種々の障害と迷暗とに逢瀬のほどもおぼつかない。けれど私は生を願うものである。たとい充実せぬはかない気分で冷たい境地をうろついていても、たとえば浮き草の葉ばかり揺らいで根の無いごとく、吹けば消え散る心の靄、こんな生活をして、果ては恐ろしい倦怠のみが訪れても私は死にたくない。かかる生が続けば続くほど、ますます運命を開拓して心の隈々まで沁み込むような生が得たい。私はあくまで生きたい。しかし恐ろしい力を持つ自然は倨然として死を迫る。こんな悲惨なことがどこにあろう。これじつに人生の大なる矛盾不調和でなくてはならない。かくのごとく強烈に生に執着するわれらにとっては死の本能を説くメチニコフの人生観はなんの慰安にもならぬのである。かくのごとくしてわれらは自然の大きな力の前に詮方(せんかた)なく蹲いて行く。われらの「ウォルレン」の反抗を嘲笑して、自然は生死に関しては「ザイン」そのままを傲然として主張するのだ。またわれらの生も一面から見れば一つの「ザイン」である。刹那主義の立脚地はここにあるかもしれない。混沌の境に彷徨する私はともすればこうした生活に引きさらわれやすいけれど、涙無くしてみすみす引きさらわれてゆくことがどうしてできよう。生死の問題は今のところいかんともすることはできない。ただ発作的恐怖に戦慄するのみである。しかし深く考えてみれば要するに生きんがための死ではあるまいか。死に対する恐怖の本能よりも、よく生きんとする欲求的衝動の方が強烈である。人生の中核はいかにしてもよく生きんとする意志あるいは衝動、さらに言を逞(たくま)しくすれば一種の自然力であるらしい。私はショウペンハウエルと共にこの真理を信仰し、謳歌し、主張したい。倦怠の裡には寂愁があり、勝利の裏には悲哀がある。一つは生を欲するための死に対する恐怖であり、他は生の充実を感じたための死に対する思慕ではあるまいか。
 われらは人間の有する性情を「何所(いずこ)より」「何処(いずこ)へ」「何のために」「かくあるべし」と詮索するよりも「何である」と内省することこそ緊要である。自己の真の奥底より湧き起こる声に傾聴して、自己の真の性情に立脚するところ、そこに充実せる生は開拓さるるであろう。ただ遁(のが)れがたきは個性の差異である。個性こそは自我の自我たる所以(ゆえん)の尊き本質である。普汎的自我の白帛を特殊的自我の色彩をもって染めねばならない。この個性に対して忠実に働き、個性の眼鏡を透して、そのままを認識し、情感し、意欲する心的態度をしも真面目と呼びたい。
 自然主義は一つの過渡期の思想であったし、現にある。私はけっしてこれに満足することはできないがまた多くを学び得たのである。われらがまさに到らんとする幻滅とともに、眠れる自覚を唆(そそ)り起こして、われらを偉大なる自然の前に引きいだし、実生活に対する自然の権威、自然に対する主観の地位等を痛感せしめた。しかしわれらは自然の器械力の前にひれ伏して現実そのままの生活に執着して大なる価値を掘りいださんには適しなかった。自然の足下に恐縮して心を形の質とせんには謙虚でなかった。ただ神経の鋭敏と官能の豊富とに微かな気息を洩らして、感情生活の侵蝕に甘んずるにはあまりに真率であった。現実生活をしていっそうよきものたらしめんがために自然力の偉大を悟り、生の悲痛を感じ、神経のデリカシイと官能のあでやかさとを獲得したのである。私はこの意味において自然主義存在の理由と価値とを認容する。自然主義を眺めた私の心の目はショウペンハウエルの観念主義の色調を帯びて、ここに一種の特殊な見方に陥ったのである。「世界は吾人の観念にほかならない。主観を離れて客観は無い。自然は主観の制約の下にある」といった命題はいかに私に心強く響いたであろう。しかしまた裏へ回って「見ゆる世界の本体は意欲である。世界は意志の鏡であり、またその争闘場裡である」と聞いたとき慄然として戦(おのの)いたのである。しかしまた本体界の意志を無差別、渾一体のものとして認めた彼はなんとなく私の心の動揺を静めるようにも思われた。かくて最後に残った者は自然を前にしてよく生きたいという一事であった。
 享楽主義者たるをも、イリュウジョンに没頭し得るロマンチシストたるをも得なかった私には、いかにせばよき生が得らるるかが緊要な問題であり、また日々の空疎なる実生活がやるせなき苦悶であらねばならなかったし、現にあるのである。私は考えた。悶えた。しこうしてどうしても人間の根本性情の発露にあらずんばよき生は得られないと思った。人性の曇らさるるところ、そこに憂鬱があり、倦怠がある。その発露の障害さるるところ、そこに悲哀があり、寂愁がある。人性の燦(さん)として輝くところ、そこに幸福があり、悦楽がある。人性の光輝を発揚せしめんとするところ、そこに努力があり、希望がある。人性の内底に鏗鏘(こうそう)の音を傾聴するところ、そこに漲(みなぎ)る歓喜の声と共に詩は生まれ、芸術は育つ。かるがゆえにわれらは内面生活の貧弱と主観の空疎とを恐れねばならない。外界に対する感受性の麻痺を厭わねばならない。われらはいたずらに自然の前にひれ伏して恐れ縮んではならない。深き主観の奥底より、暖かき息を吐き出して自然を柔かに包まねばならない。とはいうものの顧みればわれらの主観のいかに空疎に外界のいかに雑駁なるよ。この中に処して蛆虫(うじむし)のごとく喘ぎも掻(が)くのがわれらである。これをしも悲痛と言おう。されどされど悲痛という言葉の底には顫えるような喜びが萌(きざ)してるではないか。悲痛に感じ得るものは充実せる生を開拓する大なる可能性を蔵してるということは今の私には天堂の福音のごとく響くよ。私はまだまだライフに絶望しない。冷たい傍観者ではあり得ない。
 この夏休暇以来、君と僕との友情がイズムの相異のために荒涼の相を呈せざるを得なくなるにつれて、私の頭のなかには「孤独」という文字が意味ありげに蟠っていた。私は種々の方面からこれを覗いてみた。ああ、しかし孤独という者はとうてい虚無に等しかったのである。私が一度認識という事実に想到するとき絶対的の孤独なるものは所詮成立しなかったからである。われらは認識する。表象はわれらの意識の根本事実である。表象を外にして世の中に何の確実なる者があろう。「表象無くんば自我意識無し」元良(もとら)博士(はくし)のこの一句のなかには深遠な造蓄が含まれている。認識には当然ある種の情緒と意欲とを伴う。これらの者の統合がすなわち自我ではないか。
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