重右衛門の最後
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著者名:田山花袋 

     一

 五六人集つたある席上で、何(ど)ういふ拍子か、ふと、魯西亜(ロシヤ)の小説家イ、エス、ツルゲネーフの作品に話が移つて、ルウヂンの末路や、バザロフの性格などに、いろ/\興味の多い批評が出た事があつたが、其時なにがしといふ男が急に席を進めて、「ツルゲネーフで思ひ出したが、僕は一度猟夫手記(れふふしゆき)の中にでもありさうな人物に田舎(ゐなか)で邂逅(でつくは)して、非常に心を動かした事があつた。それは本当に、我々がツルゲネーフの作品に見る魯西亜の農夫そのまゝで、自然の力と自然の姿とをあの位明かに見たことは、僕の貧しい経験には殆(ほとん)ど絶無と言つて好い。よく観察すれば、日本にも随分アントニイ、コルソフや、ニチルトッフ、ハーノブのやうな人間はあるのだ」と言つて話し出した。

     二

 まアずつと初めから話さう。自分が十六の時始めて東京に遊学に来た頃の事だから、もう余程古い話だが、其頃麹町(かうぢまち)の中六番町に速成学館といふ小さな私立学校があつた。英学、独逸(ドイツ)学、数学、漢学、国学、何でも御座れの荒物屋で、重(おも)に陸軍士官学校、幼年学校の試験応募者の為めに必須の課目を授くるといふ、今でも好く神田、本郷辺(へん)の中通(なかどほり)に見るまことにつまらぬ学校で、自分等が知つてから二年ばかり経(た)つて、其学校は潰(つぶ)れて了(しま)ひ、跡には大審院の判事か何かが、その家を大修繕して、裕(ゆた)かに生活して居るのを見た。けれど其古風な門は依然たる昔の儘(まゝ)で、自分は小倉(こくら)の古袴(ふるばかま)の短いのを着、肩を怒(いから)して、得々(とく/\)として其門に入つて行つたと思ふと、言ふに言はれぬ懐(なつ)かしい心地がして、其時分のことが簇々(むら/\)と思ひ出されるのが例(つね)だ。で、何(ど)うして自分が其学校に通ふ事に為(な)つたかと言ふと、夫(それ)は自分が陸軍志願であつたからで自分の兄は非常な不平家の処から、規則正しい学校などに入つて、二年も三年も懸(かゝ)つて修業するのなら誰にでも出来る、貴様は少くともそんな意気地の無い真似を為(し)てはならぬ。何でも早く勉強して、来年にも幼年学校に入るやうにしなければ、一体男児(をとこ)の本分が立(たゝ)ぬではないか。と言つた風に油を懸(か)けられたので、それで当時規則正しい、陸軍志願の学生には唯一の良校と言はれた市谷の成城学校にも入らずに、態々(わざ/\)速成といふ名に惚(ほ)れて、そのつまらぬ学校の生徒と為(な)つたのであつた。今から思ふと、随分愚かな話ではあるが、自分はいくらか兄の東洋豪傑流の不平に感化されて居つたから、それを好い事と深く信じ、来年は必ず幼年学校に入らなければならぬと頻(しき)りに学問を励んで居た。
 忘れもせぬ、自分の其学校に行つて、頬に痣(あざ)のある数学の教師に代数の初歩を学び始めて、まだ幾日(いくか)も経(へ)ぬ頃に、新に入学して来た二人の学生があつた。一人は髪の毛の長い、色の白い、薄痘痕(うすあばた)のある、背の高い男で、風采は何所(どこ)となく田舎臭(ゐなかくさ)いところがあるが、其の柔和な眼色(めつき)の中(うち)には何所(どこ)となく人を引付ける不思議の力が籠(こも)つて居て、一見して、僕は少なからず気に入つた。一人はそれとは正反対に、背の低い、色の浅黒い痩(やせ)こけた体格で、其顔には極(ご)く単純な思想が顕(あら)はれて居るばかり、低頭勝(うつむきがち)なる眼には如何(いか)なる空想の影をも宿して居るやうには受取れなかつた。二人とも綿(めん)の交つた黒の毛糸の無意気(ぶいき)な襟巻(えりまき)を首に巻付けて、旧(ふる)い旧い流行後れの黒の中高帽を冠つて(学生で中高帽などを冠つて居るものは今でも少い)それで、傍(そば)で聞いては、何とも了解(わか)らぬやうな太甚(はなはだ)しい田舎訛(ゐなかなまり)で、互に何事をか声高く語り合ふので、他の学生等はいづれも腹を抱へて笑はぬものは無い。
「イット、エズ、エ、デック」
 とナショナルの読本(リードル)の発音が何うしても満足に出来ぬので、二人はしたゝか苦しんで居たが、ある日、教師から指名されて、「ズー、ケット、ラン」と読方を初めると……、生徒は一同どつと笑つた。
 漢学の素読(そどく)の仕方がまた非常に可笑(をか)しかつた、文章軌範の韓退之(かんたいし)の宰相(さいしやう)に上(たてまつ)るの書を其時分我々は読んで居つたが、それを一種可笑(をか)しい、調子を附けずには何うしても読めぬので、それが始まるといつも教場を賑(にぎ)はすの種(たね)とならぬ事は無かつたのである。
 ある日、自分が課業を終つて、あたふたとその学校の門を出て行くと、自分より先にその田舎の二人が丸で兄弟でもあるかの様に、肩と肩とを摩合(すりあは)せて、頻(しき)りに何事をか話しながら歩いて行く。
 声を懸けようと思つたけれど、黙つて自分は先へ行つて了(しま)つた。
 次の日も二人睦(むつま)しさうに並んで行く。
 矢張声を懸けなかつた。
 次の日も……
 又其次の日も矢張同じやうに肩を摩り合せて、同じやうにさも睦しさうに話し合つて行くので、彼等は一体何所(どこ)に行くのか知らん、自分等の帰る方角に帰つて行くのか知らんと思ひながら、ふと、
「君達は何処(どこ)です」
 と突然尋ねた。
 急に答は為(せ)ずに丁寧に会釈(ゑしやく)してから、
「私等(わしらあ)ですか、私等は四谷(よつや)の塩町(しほちやう)に居るんでがすア」
 と背の高い方がおづ/\答へた。
「僕も四谷の方に行くんだ!」
 と自分も言つた。其頃自分は牛込の富久町(とみひさちやう)に住んで居たので、其処に帰るには是非四谷の塩町は通らなければならぬ。否、四谷の大通には夜などよく散歩に出懸(でかく)る事がある身の、塩町附近の光景には一方(ひとかた)ならず熟して居る。玩弄屋(おもちやや)の隣に可愛い娘の居る砂糖屋、その向ふに松風亭といふ菓子屋、鍛冶屋(かぢや)、酒屋、其前に新築の立派な郵便電信局……。
 二三歩歩いてから、
「塩町つて、……僕はよく知つてるが、塩町の何処です、君達の居る家は……」
「塩町の……湯屋の二階に来て居るんでさア」
「湯屋つて言へば、あの角に柳のある?」
「左様でがさア」
「それぢや僕も入つた事がある湯屋だ。彼処(あすこ)には背の低い、にこ/\した妻君が居る筈(はず)だ」
「好く知つて居やすナア」
 と驚いた様子。
「それぢや、いつでも僕が帰る道だから、これから一所に帰らうぢやありませんか」
「さう願へりや、はア結構だす……」
 と背の低い方が答へた。
 又二三歩黙つて歩いた。
「それで君達の国は一体何処です?」
「私等の国ですか、私等の国は信州でがすが……」
「信州の何処(どこ)?」
「信州は長野の在でがすア」
「何時(いつ)東京(こつち)に来たのです」
「去年の十二月、来たんですが、山中(やまんなか)から、はア出て来たもんだで、為体(えてい)が分らないでえら困りやした」
「塩町の湯屋は親類ですか」
「親類ぢやありやしねえが、村の者で、昔村で貧乏した時分、私等の親が大層世話をした事がある男でさア。十年前に国元ア夜逃げする様にして逃げて来たゞが、今ぢやえら身代(しんだい)のう拵(こしら)へて、彼地処(あすこ)でア、まア好い方だつて言ふたが、人の運て言ふものは解らねえものだす」
 自分はこの時からこの二人に親しく為(な)つたので、段々話を為(し)て見ると、言ふに言はれぬ性質の好い処があつて、背の高い方は田舎者に似合はぬ才をも有(も)つて居るし、又背の低い方は自分と同じく漢詩を作る事を知つて居るので、一月もその同じ道を伴立(つれだ)つて帰る中(うち)には、十年も交つた親友のやうに親しくなつて、互の将来の思想も語り合へば、互の将来の目的も語り合つて、時間の都合で一所に帰られぬ時は非常に寂(さび)しく感ずるといふ程の交情になつて了つた。自分は四谷御門の塵埃(ほこり)の間を歩きながら、幾度二人に向つて、陸軍志願を勧めたであらうか。幾度二人に漢学の修養の必要を説いたであらうか。自分は其頃兄に教はつて居た白文(はくぶん)の八家文(はつかぶん)の難解の処を読み下し、又は即席に七絶(ぜつ)を賦(ふ)して、大いに二人を驚かした。ことに背の低い山県行三郎(やまがたかうざぶらう)といふのは、自分の漢詩に巧(たくみ)であることを知つて、喜んでその自作の漢詩を示し、好くその故郷(ふるさと)の雪の景色を説明して自分に聞かせた。自分の若い空想に富んだ心は何(ど)んなにその二人の故郷の雪景色なるものを想像したであらうか。二人は言ふのである。自分の故郷は長野から五里、山又山の奥で其の景色の美しさは、とても都会の人の想像などでは解りこは無(ね)えだアと。否、そればかりではない、背の低い山県は学問の時間の間に、その古い手帳をひろげて、其処に描かれたる拙(つたな)い一枚の写生図を示し、これが私の家、これが杉山君の家、こゝにこんもりと茂つて居るのは村の鎮守、それから少し右に寄つて同じ木立(こだち)のあるのは安養寺といふ村の寺、私等の逃げて来たのは(かれ等は親の許さぬのに、青雲(せいうん)の志(こゝろざし)に堪へかねて脱走して来たのである)十二月の十三日の夜で、地上には雪が四五尺も積つて、それの堅く氷つてる上に、月が寒く美しく照り渡つて、何とも言へない光景だつた。私は杉山君と昼間約束して置いたから、鎮守の向ふに行つて待つて居ると、やがて杉山君は遣(や)つて来る。二人連れ立つて歩み出す。追手のかゝらぬやうに為(す)るには何でも夜の中に長野に行つて、明日の一番の汽車に乗らなければならぬ。と言ふので、一生懸命に歩いたが、村が見えなくなつた時は流石(さすが)に胸が少し迫つて、親達は嘸(さぞ)驚く事であらう。こんな無理な事を為(し)ないでも、打明けて頼んだなら、公然東京に出して呉れるであらうと思つた……などといふ事を自分に話した。自分はいよ/\空想を逞(たくまし)うして、其村、その静かな山の中の村に一度は是非行つて見度いと、其頃から自分の胸はその山中の一村落に向つて波打(なみうち)つゝあつたので……。猶(なほ)詳しく聞くと、その村には尾谷川(をたにがは)といふ清い渓流(けいりう)もあるといふ。その岸には水車が幾個となく懸つて居て、春は躑躅(つゝじ)、夏は卯(う)の花、秋は薄(すゝき)とその風情(ふぜい)に富んで居ることは画にも見ぬところである相(さう)な。又その村の山の畠には一面雪ならぬ蕎麦(そば)の花が咲き揃(そろ)つて、秋風のさびしく其上を吹き渡る具合など君でも行つたなら、何んなに立派な詩が出来るか知れぬとの事。あゝ本当にその仙境はどんな処であらうか。山と山とが重り合つて、其処に清い水が流れて、朴訥(ぼくとつ)な人間が鋤(すき)を荷(にな)つて夕日の影にてく/\と家路をさして帰つてゆく光景。それを想像すると、空想は空想に枝葉を添へて、何だか自分の眼の前には西洋の読本(リーダー)の中の仙女(フエリー)の故郷がちらついて何うも為(な)らぬ。

     三

 二人の寄寓して居る塩町の湯屋の二階、其処に間もなく自分は行くやうになつた、二階は十二畳敷二間(ふたま)で、階段(はしご)を上つたところの一間の右の一隅(かたすみ)には、欅(けやき)の眩々(てら/\)した長火鉢が据ゑられてあつて、鉄の五徳に南部の錆(さ)びた鉄瓶(てつびん)が二箇(ふたつ)懸(かゝ)つて、その後にしつかりした錠前(ぢやうまへ)の附いた総桐(そうぎり)の箪笥(たんす)がさも物々しく置かれてある。総じて室(へや)の一体の装飾(かざり)が、極(ご)く野暮な商人(あきうど)らしい好みで、その火鉢の前にはいつもでつぷりと肥つた、大きい頭の、痘痕面(あばたづら)の、大縞(おほしま)の褞袍(どてら)を着た五十ばかりの中老漢(ちゆうおやぢ)が趺坐(あぐら)をかいて坐つて居るので、それが又自分が訪(たづ)ねると、いつも笑ひながら丁寧に会釈(ゑしやく)を為(す)るのが常であつた。この主人公が即(すなは)ち二人の山の中から出身した昔の無頼漢(ぶらいかん)なるもので、二十年前には村の中にも其五尺の身を置く事が出来なかつたのであるが、人間の運といふものは解らぬ者で、二十九歳の時に夜逃を為(し)て、この東京に遣(や)つて来て、蕎麦屋の坦夫(かつぎ)、質屋の手伝、湯屋の三助とそれからそれへと辛抱して、今では兎(と)に角(かく)一軒の湯屋の主人と成り済(すま)して、財産の二三千も出来たといふ、まア感心すべき部類に入れても差支ない人間であつた。であるから自分の村の者と言へば、随分一肌抜いで、力にもなつて遣るので、その山の中から来た失意の人間は、多くはこれを便(たよ)つて来て、三助から段々湯屋の主人に立身しようとして居る人間も随分あるといふ事だ。全体信濃(しなの)のその二人の故郷といふのは、越後(ゑちご)の方に其境を接して居るから、出稼(でかせぎ)といふ一種の冒険心には此上もなく富んで居るので、また現在その冒険に成功して、錦を故郷に飾つた例(ためし)はいくらも眼の前に転(ころが)つて居るから、志を故郷に得ぬものや、貧窶(ひんる)の境(きやう)に沈淪(ちんりん)して何(ど)うにも彼(か)うにもならぬ者や、自暴自棄に陥つた者や、乃至(ないし)は青雲の志の烈しいものなどは、恰(あたか)も渓流の大海(だいかい)に向つて流れ出づるが如く、日夜都会に向つて身を投ずるのを躊躇(ちうちよ)しないのであつた。あゝこの山中の民の冒険心。
 で、自分は愈(いよ/\)その山中の二人の青年と親しくなつて、果ては殆(ほとん)ど毎日のやうにその二階を訪問した。春はやゝ過ぎて、夕の散歩の好時節になると、自分はよく四谷の大通を散歩して、帰りには必ずその柳のある湯屋に寄つてみる。すると、二階の上から田舎の太神楽(だいかぐら)に合せる横笛の声がれろれろ、ひーひやらりと面白く聞えて、月がその物干台の上に水の如く照り渡つて、その背の低い山県の姿が、明かな夜の色の中に黒くくつきりと際立(きはだ)つて見える。
「おい、山県君!」
 と下から声を懸ける。
 と……笛の音(ね)がばつたり止む。
「誰だか」
 と続いて田舎訛(ゐなかなまり)の声。
「僕、僕、富山(とみやま)!」
「富山君か、上(あが)んなはれ」
 その物干台! その月の照り渡つた物干台の上で、自分等は何んなにその美しい夜を語り合つたであらうか。今頃は私等の故郷でもあの月が三峯(みつみね)の上に出て、鎮守の社(やしろ)の広場には、若い男や若い女がその光を浴びながら何の彼(か)のと言つて遊び戯れて居るであらう。斑尾山(まだらをさん)の影が黒くなつて、村の家々より漏るゝ微かな燈火(ともしび)の光! あゝ帰りたい、帰りたいと山県は懐郷の情に堪へないやうに幾度もいふ。自分も何んなにその静かな山中の村を想像したであらうか。
 半年程立つた頃、自分は又その同じ村の青年の脱走者を二人から紹介された。顔の丸い、髪の前額(ひたひ)を蔽(おほ)つた二十一二の青年で、これは村でも有数の富豪の息子であるといふ事であつた。けれど自分は杉山からその新脱走者の家の経歴を聞いたばかり、別段二人ほど懇意にはならなかつた。杉山の言ふ所によると、その根本(ねもと)(青年の名は根本行輔(かうすけ)と言ふので)の家柄は村では左程重きを置かれて居ないので、今でこそ村第一の富豪(かねもち)などと威張つて居るが、親父の代までは人が碌々(ろく/\)交際も為(し)ない程の貧しい身分で、その親父は現に村の鎮守の賽銭(さいせん)を盗んだ事があつて、その二十七八の頃には三之助(親父の名)は村の為めに不利な事ばかり企らんでならぬ故いつそ筵(こも)に巻いて千曲川(ちくまがは)に流して了はうではないかと故老の間に相談されたほどの悪漢であつたといふ事である。それがある時、其頃の村の俄分限(にはかぶんげん)の山田といふ老人に、貴様も好い年齢(とし)をして、いつまで村の衆に厄介を懸けて居るといふ事もあるまい。もう貴様も到底(たうてい)村では一旗挙げる事は難しい身分だから、一つ奮発して、江戸へ行つて皆の衆を見返つて遣らうといふ気は無いか。私(わし)などを見なされ、一度は随分村の衆に馬鹿にされて、口惜しい/\と思つたが、今では何うやらかういふ身になつて、人にも立てられる様になつた。三之助、貴様は本当に一つ奮発して見る気は無いか。と懇々説諭されて、鬼の眼に涙を拭き/\、餞別(せんべつ)に貰つた金を路銀(ろぎん)にして、それで江戸へ出て来たが、二十年の間に、何う転んで、何う起きたか、五千といふ金を攫(つか)んで帰つて来て、田地を買ふ、養蚕(やうさん)を為る、金貸を始める、瞬(またゝ)く間に一万の富豪(しんだい)! だから、村では根本の家をあまり好くは言はぬので、その賽銭箱の切取つた処には今でも根本三之助窃盗と小さく書いてあつて、金を二百円出すから、何うかそれを造り更(か)へて呉れろと頼んでも、村の故老は断乎(だんこ)としてそれに応じようともせぬとの事である。その長男がまた新しい青雲を望んで、ひそかに国を脱走するといふのは……何と面白い話では無いか。
 けれど自分がこの三人と交際したのは纔(わづ)か二年に過ぎなかつた。山県は家が余り富んで居ない為め、学資が続かないで失望して帰つて了ふし、根本は家から迎ひの者が来て無理往生に連れて行つて了ふし、唯一人杉山ばかり自分と一緒に其志を固く執(と)つて、翌年の四月陸軍幼年学校の試験に応じたが自分は体格で不合格、杉山は亦(また)学科で失敗して、それからといふものは自分等の間にもいつか交通が疎(うと)くなり、遂(つひ)には全く手紙の交際になつて了つた。杉山は猶(なほ)暫く東京に滞(とゞま)つて居た様子であつたが、耳にするその近状はいづれも面白からぬ事ばかりで、やれ吉原通(よしはらがよひ)を始めたの、筆屋の娘を何うかしたの、日本授産館の山師に騙(だま)されて財産を半分程失(な)くしたのと全く自暴自棄に陥つたやうな話であつた。それから一年程経つて失敗に失敗を重ねて、茫然(ぼんやり)田舎に帰つて行つた相だが、間もなく徴兵の鬮(くじ)が当つて高崎の兵営に入つたといふ噂(うはさ)を聞いた。

     四

 五年は夢の如く過ぎ去つた。
 其の五年目の夏のある静かな日の事であつた。自分は小山から小山の間へと縫ふやうに通じて居る路を喘(あへ)ぎ/\伝つて行くので、前には僧侶の趺坐(ふざ)したやうな山が藍(あゐ)を溶(とか)したやうな空に巍然(ぎぜん)として聳(そび)えて居て、小山を開墾した畑には蕎麦(そば)の花がもうそろ/\その白い美しい光景を呈し始めようとして居た。空気は此上も無く澄んで、四面の山の涼しい風が何処から吹いて来るとも無く、自分の汗になつた肌を折々襲つて行くその心地好さ! これは山でなければ得られぬ賜(たまもの)と、自分はそれを真袖(まそで)に受けて、思ふさま山の清い※気(けいき)[#「冫+影」、333-上-9]を吸つた。十年都会の塵にまみれて、些(いさゝか)の清い空気をだに得ることの出来なかつた自分は、長野の先の牟礼(むれ)の停車場で下りた時、その下を流るゝ鳥居川の清渓と四辺(あたり)を囲む青山の姿とに、既に一方(ひとかた)ならず心を奪はれて、世にもかゝる自然の風景もあることかと坐(そゞ)ろに心を動かしたのであるが、渓橋を渡り、山嶺(さんれい)をめぐり、進めば進むほど、行けば行くだけ、自然の大景は丁度(ちやうど)尽きざる絵巻物を広げるが如く、自分の眼前に現はれて来るので、自分は益々興を感じて、成程これでは友が誇つたのも無理ではないと心(しん)から思つた。
 小山と小山との間に一道の渓流(けいりう)、それを渡り終つて、猶其前に聳えて居る小さい嶺(みね)を登つて行くと、段々四面(あたり)の眺望(てうばう)がひろくなつて、今迄越えて来た山と山との間の路が地図でも見るやうに分明(はつきり)指点せらるゝと共に、この小嶺(せうれい)に塞(ふさ)がれて見得なかつた前面の風景も、俄(には)かにパノラマにでも向つたやうにはつと自分の眼前に広げられた。
 上州境の連山が丁度(ちやうど)屏風(びやうぶ)を立廻したやうに一帯に連(つらな)り渡つて、それが藍(あゐ)でも無ければ紫でも無い一種の色に彩(いろど)られて、ふは/\とした羊の毛のやうな白い雲が其絶巓(ぜつてん)からいくらも離れぬあたりに極めて美しく靡(なび)いて居る工合、何とも言ヘぬ。そして自分のすぐ前の山の、又その向ふの山を越えて、遙(はる)かに帯を曳(ひ)いたやうな銀(しろがね)の色のきらめき、あれは恐らく千曲(ちくま)の流れで、その又向ふに続々と黒い人家の見えるのは、大方中野の町であらう。と思つて、ふと少し右に眼を移すと、千曲川の沿岸とも覚しきあたりに、絶大なる奇山の姿!
 何と言ふ山か知らん……と自分は少時(しばらく)その好景に見惚(みと)れて居た。
 ふと背負籠(しよひかご)を負つた中老漢(ちゆうおやぢ)が向ふから上(のぼ)つて来たので、
「あの山は?」
 と指(ゆびさ)して尋ねた。
「あれでがすか、あれははア、飯山(いひやま)の向ふの高社山(かうしやざん)と申しやすだア」
 あれが高社山! よく友の口から聞いたと思ふと、其時の事が簇々(むら/\)と思ひ出されて今更其頃が懐(なつ)かしい。其頃は其仙境を何時(いつ)尋ねて行かれるであらうか、或は一生尋ねて行く事が出来ぬかも知れぬなどと思つて居たが、五年後の今日かうして尋ねて行くとは、如何に縁の深い事であらう。
「塩山村(しほやまむら)へはまだ余程あるかね」
「塩山へかね」と背負籠(しよひかご)を傍(かたはら)の石の上に下して、腰を伸しながら、「塩山へは此処からまだ二里と言ひやすだ。あの向ふの大(でか)い山の下に小(こまか)い山が幾箇(いくつ)となく御座らつせう。その山中(やまんなか)だアに……」
「塩山に根本といふ家はあるかね」
 と自分は更に尋ねた。
「根本………御座らしやるとも、根本ていのア、塩山では一等の丸持大尽(まるもちだいじん)でごわすア」と答へて、更に、「で貴郎(あんた)ア、根本さア処(とけ)の御客様(おきやくさん)かね」
「其処に行輔(かうすけ)といふ子息(むすこ)が有るだらう?」
「御座らつしやる」と言つて吸ひ懸けた烟草(たばこ)の烟(けむり)を不細工な獅子鼻からすうと出し、「大尽どこの子息に似合ねえ堅い子息でごわすア、何でも東京へ行かしつた時にア、それでも四五百も遣つたといふ噂だが、それから堅くなつて、今ぢや村でも評判ものでごわす」
「一体汝(おまへ)は何処だね? 塩山かね」
「いんにや、塩山ではごへん、その一つ前の村の倉沢でごわす」
「もう根本は女房(かみさん)を持つたらう」
「嚊(かゝ)さまでごわすか、持ちましたとも、……えいと……あれは確か三年前で、芋子村(いもこむら)の大尽の娘さアだ」
「子供は?」
「まだごわしねえ、もう出来さうな者だつて此間(こねえだ)も父様(とつさま)えらく心配(しんぺい)のう為(し)で御座らしやつたけ」
「それでは山県といふのも知つてるだらう」
「山県――はア学校の先生様(さん)だア、私等が餓児(がき)も先生様の御蔭にはえらくなつてるだア。好(え)い優しい人で、はア」
「それでは杉山は何うしてるね」
「えらく、貴郎ア、塩山の人の名前知つて御座らつしやるだア。貴郎ア、若い者等が東京に出た時懇意に為(な)すつて居た先生だかね……」
 言懸けてじろ/\と自分の顔を見て、
「……杉山の子息……あれア、今は徴集されて戦争(いくさ)(日清戦争)に行つてるだ。あの山師にや、村ではもう懲々(こり/″\)して居るだア。長野に興業館といふ東京の山師の出店(でだな)見ていなものを押立(おつた)てて、薬材(くすり)で染物のう御始(おつぱじ)めるつて言つて、何も知らねえ村の者を騙(だま)くらかして、何でもはア五六千円も集めただア。それを皆な妾(めかけ)を置いたり、芸妓(げいしや)を家に引摺込(ひきずりこ)んだり、遊廓に毎晩のやうに行つたり、二月ばかりの中に滅茶/\にして仕舞つたゞア。……恐ろしい虚言家(うそつき)でナ、私等も既(すんで)の事欺騙(だまくら)かされる処でごわした」
「家は今何うしてるね」
「家でごすか、余程あれの為めに金のう打遣(ぶつつか)つたでがすが爺様(とつさま)まだ確乎(しつかり)して御座らつしやるし、廿年前までは村一番の大尽だつたで、まだえらく落魄(おちぶれ)ねえで暮して御座るだ」
 と言つたが、ふと思出した様に、
「塩山つていふ村は、昔からえらく変り者を出す所でナア、それが為めに身代(しんだい)を拵(こしら)へる者は無(ね)えではねいだが、困つた人間も随分出るだア」
「今でも困つた人間が居るかね」
 中老漢(ちゆうおやぢ)は岩の上に卸した背負籠を担(にな)つて、其儘(そのまゝ)歩き出さうとして居たが、自分に尋ねられて、
「つい、今もそれで大騒ぎをして居るだア」
 と言つた。
 そして、その大騒の何を意味して居るかを語らずに、其儘急いで向ふへと下りて行つて了つた。自分は猶少時(しばらく)其処に立つて、六年前の友が何んな生活を為(し)て居るであらうかといふ事、其妻は如何(いか)なる人で、其家は如何なる家で、その家庭は何んな具合であるかといふ事などを思ふと、種々(いろ/\)なる感想が自分の胸に潮(うしほ)のやうに集つて来て、其山中の村が何だか自分と深い宿縁を有(も)つて居るやうな気が為(し)て、何うも為(な)らぬ。
 一時間後には、自分はもう其懐かしい村近く歩いて居た。成程山又山と友の言つたのも理(ことわり)と思はるゝばかりで、渓流はその重り合つた山の根を根気よく曲り曲つて流れて居るが、或ところには風情ある柴の組橋(くみはし)、或るところには竜(たつ)の住みさうな深い青淵(あをふち)、或は激湍(げきたん)沫(あわ)を吹いて盛夏猶(なほ)寒しといふ白玉(はくぎよく)の渓(たにがは)、或は白簾(はくれん)虹(にじ)を掛けて全山皆動くがごとき飛瀑(ひばく)の響、自分は幾度足を留めて、幾度激賞の声を挙げたか知れぬ。で、その曲り曲つた渓流に添つて、涼しい水の調(しらべ)に耳を洗ひながら、猶三十分程も進んで行くと、前面(むかふ)が思ひも懸(か)けず俄(には)かに開けて、小山の丘陵のごとく起伏して居る間に、黄稲(くわうたう)の実れる田、蕎麦の花の白き畑、欝蒼(こんもり)と茂れる鎮守の森、ところどころに碁石を並べたやうに、散在して居る茅茸(かやぶき)の人家。
 手帳の画がすぐ思出された。
 あゝこの静かな村! この村に向つて、自分の空想勝なる胸は何んなに烈しく波打つたであらうか。六年間、思ひに思つて、さて今のこの一瞥(いちべつ)。
 殊に、自分は世の塵の深きに泥(まみ)れ、久しく自然の美しさに焦(こが)れた身、それが今思ふさまその自然の美を占める事が出来る身となつたではないか。この静かな村には世に疲れた自分をやさしく慰めて呉れる友二人まであるではないか。
 顧ると、夕日は既に低くなつて、後の山の影は速くその鎮守の森に及んで居る。壁はいよ/\深碧(ふかみどり)の色を加へて、野中の大杉の影はくつきりと線を引いたやうに、その午後の晴やかな空に聳(そび)えて居る。山県の家は何でもその大杉の陰と聞いて居たので、自分は眼を放つてじつと其方(そなた)を打見やつた。
 静かな村!

     五

 と思つた途端、ふと自分の眼に入つたものがある。大杉の陰に簇々(むら/\)と十軒ばかりの人家が黒く連(つらな)つて居て、その向ふの一段高い処に小学校らしい大きな建物があるが、その広場とも覚しきあたりから、二道の白い水が、碧(みどり)なる大空に向つて、丁度大きな噴水器を仕掛たごとく、盛(さかん)に真直に迸出(へいしゆつ)して居る。
 そしてその末が美しく夕日の光にかゞやき渡つて見える。
「あれは何だね」
 折から子供を背負つた十歳(とを)ばかりの洟垂(はなたら)しの頑童(わんぱく)が傍(そば)に来たので、怪んで自分は尋ねた。
「あれア、喞筒(ポンプ)だい」
 と言つたが、見知らぬ自分の姿に其儘走つて行つて了つた。
 成程喞筒(ポンプ)に相違ない。けれどこの静かな山中の村にあのやうな喞筒! 火事などは何十年有らうとも思はれぬこの山中に、あのやうな喞筒の練習! 自分は何だか不思議なやうな気が為(し)て仕方が無かつたが、これは只(たゞ)何の意味も無い練習に止(とゞ)まるのであらうと解釈して、其儘其村へと入つて行つた。先(まづ)最初に小さい風情(ふぜい)ある渓橋、その畔(ほとり)に終日動いて居る水車、婆様(ばあさん)の繰車(いとぐるま)を回しながら片手間に商売をして居る駄菓子屋、養蚕(やうさん)の板籠を山のごとく積み重ねた間口の広い家、娘の唄(うた)を歌ひながら一心に機(はた)を織(おつ)て居る小屋など、一つ/\顕(あら)はれるのを段々先へ先へと歩いて行くと、高低定(さだま)らざる石の多い路の凹処(くぼみ)には、水が丸で洪水(こうずゐ)の退(ひ)いた跡でもあるかのやうに満ち渡つて、家々の屋根は雨あがりの後のごとく全く湿(うるほ)ひ尽して居る。
 否、そればかりではない、それから大凡(およそ)十間ばかり離れたところには、新しい一箇(ひとつ)の赤塗の大きな喞筒(ポンプ)が据(す)ゑられてあつて、それから出て居る一箇のヅックの管(くだ)は後の尾谷(をたに)の渓流に通じ、二箇(ふたつ)の径五寸ばかりの管は大空に向つて烈しい音を立てながら、盛んに迸出(へいしゆつ)して居るのを認めた。
 其周囲(まはり)には村の若者が頬かぶりに尻はしよりといふ体(てい)で、その数大凡(およそ)三十人許(ばか)り、全く一群(ひとむれ)に為(な)つて、頻(しき)りにそれを練習して居る様子である。喞筒(ポンプ)の水を汲み上げるもの、ヅックの管を荷(にな)ふもの、管の尖(さき)を持つて頻りに度合を計つて居るもの、やれ今少し力を入れろの、やれ管が少し横に曲るの、やれ洩るの、やれ冷いのと、それは一方(ひとかた)ならぬ大騒で、世話人らしい印半纏(しるしばんてん)を着た五十格好(かつかう)の中老漢(ちゆうおやぢ)が頻りにそれを指図して居るにも拘(かゝ)はらず、一同はまだ好く喞筒の遣(つか)ひ方に慣(な)れぬと覚しく、管から迸出する水を思ふ所に遣らうとするには、まだ余程困難らしい有様が明かに見える。一同は今水を学校の屋根に濺(そゝ)がうとして居るので、頻(しき)りに二箇の管を其方向に向けつゝあるが、一度(ひとたび)はそれが屋根の上を越えて、遠く向ふに落ち、一度は見当違ひに一軒先の茅葺(かやぶき)屋根を荒し、三度目には学校の下の雨戸へしたゝか打ち付けた。
「やあ!」
 と後で喝采(かつさい)した。
 見ると、路の傍、家の窓、屋根の上、樹(き)の梢(こずゑ)などに老若男女殆(ほとん)ど全村の人を尽したかと思はるゝばかりの人数が、この山中に珍らしい喞筒(ポンプ)の練習を見物する為めに驚くばかり集つて居るので、旨(うま)く行つたとては、喝采し、拙(まづ)く行つたとては、喝采し、やれ管が何(ど)うしたの、やれ誰さんがずぶ濡(ぬ)れになつたのと頻りに批評を加へるのであつた。
 余り面白いので、自分は思はず立留つてそれを見た。この多い若者の中(うち)に自分の友が交つて居はせぬかとも思はぬではなかつたが、さりとて別段それを気にも留めずに、只(たゞ)余念なく見惚(みと)れて居た。自分の前には川に浸(つ)けてある方の管が蛇ののたくつたやうに蟠(わだかま)つて、其中を今しも水が烈しい力で通つて行くと覚しく、針のやうな隙間から、しう/\と音して烈しく余流が迸出(へいしゆつ)して居る。で、一同はやつとの思ひで、其目的の学校の屋根に涼しい一雨を降らせたが、ふと其群の一人――古い手拭を被(かぶ)つて縞(しま)の単衣(ひとへ)を裾短かに端折つた――が何か用が出来たと見えて、急いで自分の方へ下りて来た……と……思ふと、二人は顔を見合せた。
「おや、君ぢや無いか」
 と自分は言つた。
「やア富山……さん!」
 と根本行輔は驚いて叫んだ。
 丸きり六年逢(あ)はぬのだが、その風貌(ふうばう)といひ、その態度といひ、更に昔に変らぬので、これを見ても、山中の平和が、直ぐ自分の脳に浮んだ。
 渠(かれ)は限りなき喜悦(よろこび)の色を其穏かな顔に呈して、頻りに自分の顔を見て居たが、不図(ふと)傍(かたはら)に立つて居る其家の家童(かどう)らしい十四五の少年を呼び近づけて、それに、この御客様を丁寧に家に案内せよといふ事を命じ、さて自分に向つては、
「失礼だすが、村の若い者でこんな事を遣り懸けて居ますだで……一足先に家に行つて休んで居て下され。もうすぐ済むだで、跡から直きに参じますだに」
 自分は小童に導かれて、其儘(そのまゝ)根本行輔の家へと行つた。一方稲の穂の豊年らしく垂れてゐる田、一方甜瓜(まくはうり)の旨(うま)さうに熟して居る畠の間の細い路を爪先上りにだら/\とのぼつて行くと、丘と丘との重り合つた処の、やゝ低く凹(くぼ)んだ一帯の地に、一棟(むね)の茅葺(かやぶき)屋根と一つの小さい白壁造の土蔵とがあつて、其後には欅(けやき)の十年ほど経(た)つた疎(まば)らな林、その周囲には、蕎麦(そば)や、胡瓜(きうり)や唐瓜(たうなす)や、玉蜀黍(たうもろこし)などを植ゑた畠、猶(なほ)近づくと、路の傍に田舎(ゐなか)には何処にも見懸ける不潔な肥料溜(こやしだめ)があつて、それから薪(まき)を積み重ねた小屋、雑草の井桁(ゐげた)の間に満遍なく生えて居る古い井(ゐど)、高く夕日の影に懸つて見える桔※(はねつるべ)[#「槹」の「白」に代えて「自」、337-下-13]、猶その前に、鍬(くは)や鋤(すき)を洗ふ為めに一間四方ばかり水溜が穿(うが)たれてあるが、これはこの地方に特有で、この地方ではこれを田池(たねけ)と称(とな)へて、その深さは殆ど人の肩を没するばかり、鯉(こひ)、鮒(ふな)の魚類をも其中に養つて、時には四五尺の大きさまで育てる事もあるといふ話。周囲には萱(かや)やら、薄(すゝき)やらの雑草が次第もなく生ひ茂つて水際には河骨(かうほね)、撫子(なでしこ)などが、やゝ濁つた水にあたらその美しい影をうつして、居るといふ光景であつた。山県の話に、自分が十五六の悪戯盛(いたづらざかり)には相棒の杉山とよくこの田池(たねけ)の鯉を荒して、一夜に何十尾といふ数を盗んで、殆ど仕末に困つた事があつたとの事を聞いて居つたが、その所謂(いはゆる)田池がこんな小さな汚穢(きたな)い者とは夢にも思つて居らなかつた。否、其友の家――村一番の大尽の家をもこんな低い小さいものとは?
 ふと見ると、その田池に臨んで、白い手拭を被つた一人の女が、頻(しき)りに草刈鎌を磨いで居る。
「神(かみ)さまア、旦那様(だんなさア)に吩咐(いひつ)かつて、東京の御客様ア伴(つ)れて来たゞア」
 と小童は突如(だしぬけ)に怒鳴つた。
 女は驚いて顔を上げた。何処と言つて非難すべきところは無いが、色の黒い、感覚の乏しい、黒々と鉄漿(おはぐろ)を附けた、割合に老(ふ)けた顔で、これが友の妻とすぐ感附いた自分は、友の姿の小さく若々しいのに比べて、いかにこの妻の丈高く、体格の大きいかといふ事に思ひ及んだ。これは大方東京で余り「老いたる夫と若い妻」との一行を見馴れた故(せゐ)であらう。
 自分はその妻の手に由(よ)つて、直ちに友の父なる人に紹介された。父なる人は折しも鋸(のこぎり)や、鎌や、唐瓜(たうなす)や、糸屑などの無茶苦茶に散(ちら)ばつて居る縁側に後向に坐つて、頻りに野菜の種を選分(えりわ)けて居るが、自分を見るや、兼ねて子息(むすこ)から噂(うはさ)に聞いて居つた身の、さも馴々しく、
「これは/\東京の先生――好(よ)う、まア、この山中(やまんなか)に」
 といふ調子で挨拶(あいさつ)された。
 流石(さすが)は若い頃江戸に出て苦労したといふ程あつて、その人を外(そら)さぬ話し振、その莞爾(にこ/\)と満面に笑(ゑみ)を含んだ顔色(かほつき)など、一見して自分はその尋常ならざる性質を知つた。輪廓の丸い、眼の鋭い、鼻の尖(とが)つた顔のつくりで、体格は丸で相撲取でもあるかのやうに、でつぷりと肥つて、体重は二十貫目以上もあらうかと思はれるばかりであつた。これが当年の無頼漢(ぶらいかん)、当年の空想家、当年の冒険家で、一度はこの平和な村の人々に持余されて、菰(こも)に包んで千曲川に投込まれようとまで相談された人かと思ふと、自分は悠遠(いうゑん)なる人生の不可思議を胸に覚えずには居られぬので。
 此時、奴僕(どぼく)らしい三十前後の顔の汚い男が駆けて遣つて来て、
「大旦那さア、がいに暑いんで、馬が疲れて、寝そべつて、起きねえが、はア何(ど)う為(す)べい」
 と叫んだ。
「また寝そべつたか、困るだなア、汝(われ)、余り劇(ひど)く虐使(こきつか)ふでねえか」
「虐使ふどころか、此間(こねえだ)も寝反(ねそべ)つただから、四俵つけるところを三俵にして来ただアが」
「何処(どけ)へ寝反つてるだ」
「孫右衛門どんの垣(かきね)の処の阪で、寝反つたまゝ何うしても起きねえだ。己(おら)あ何うかして起すべい思つて、孫右衛門さん許(とこ)へ頼みに行つただが、少(ちひせ)い娘(あま)つ子(こ)ばかりで、何うする事も為得(しえ)ねえだ」
「仕方の無(ね)え奴等だ」
 と罵倒(ばたう)したが、傍(そば)に立つて居る子息(むすこ)の妻に向つて、
「ぢや御客様にはえらい失礼だが、私(わし)あ馬を起しに行つて来るだあから、お前は御客様を奥に通して、行輔が帰つて来る迄(まで)、緩(ゆつく)り御休ませ申して置け」
 自分に向つては、
「それぢや、先生様失礼しやす!」
 自分の挨拶をも聞かず、
「一所に歩(あゆ)べ……おい、作公、何を愚図/\してやがるんだ?」
 と怒鳴りながら走つて行つた。
 同時に自分は奥の一室へと案内される。奥の一室――成程此処は少しは整頓して居る。床の間には何(ど)んな素人(しろうと)が見ても贋(にせ)と解り切つた文晁(ぶんてう)の山水(さんすゐ)が懸(かゝ)つて居て、長押(なげし)には孰(いづ)れ飯山あたりの零落(おちぶれ)士族から買つたと思はれる槍が二本、さも不遇を嘆じたやうに黒く燻(くすぶ)つて懸つて居る。けれど都とは違つて、造作は確乎(しつかり)として居るし、天井は高く造られてあるから風の流通もおのづから好く、只(たゞ)、馬小屋の蝿さへ此処まで押寄せて来なければ、中々居心の好い静かな室(へや)であるのだが……
 やがて妻君は茶器を運んで来たが、おづ/\と自分の前に坐つて、そして古くなつた九谷焼の急須(きふす)から、三十目くらゐの茶を汲んで出した。
「田舎は静かで好いですナア」
 と自分はそれとなく言ふと、
「いゝえ、静かどころでは、……此頃は、はア、えらく物騒で……」
「何うしてゞす」
 と自分は怪んで尋ねた。
「此頃は、はア、えらく火事があるんで、夜もゆつくり寝ては居られないで、はア」
「何うしてゞす?」
「何うしてといふ訳(わけ)も無(ね)えだすが……」
 と躊躇(ためら)ふのを、
「放火(つけび)なのですか」
「はア」
「誰か悪い者でもあるんですか」
「はア、悪い者があつて、どうも困り切りますだア」
 暫時(しばらく)沈黙(だんまり)。
「はア」と自分は緩(ぬる)い茶を一杯啜(すゝ)つてから、「それでですナア、今喞筒(ポンプ)を稽古して居るのは?」
「貴郎(あんた)さアも見て御座らしやつたゞか、火事が、はア、毎晩のやうにあつて、物騒で、仕方が無(ね)えものだで、村で、割前で金のう集めて、漸(やうや)く東京から昨日喞筒が出来て来ただア」
「東京から喞筒?」
「はア、昨日出来て来たばかしで……村にやもう何十年と火事なんぞは無いだで、喞筒なんぞは有りませんだつたが、今度は、はア仕方が無(ね)えのでごわす。そして、今夜にも火事が打始(ぶつぱじま)らねえ者でも無(ね)えといふので、若い者が午(ひる)から学校へ寄り集(あ)つて、喞筒の稽古を為(し)て居るんでごわす。……」と少時(しばし)途絶えて、「でも、……大方水は撒(ま)いたやうだで、もう直(ぢ)き帰つて来るでごわしやう」
 と言つたが、更に気を更(か)へて、
「まア、御疲れだせうに、緩(ゆつ)くり横にでも成つて休まつしやれ。牟礼(むれ)には三里には遠いだすから」
 と古い黒塗の枕を出して、そして挨拶して次の室(ま)へ下つた。
 見ると、中々好い眺望(てうばう)である。地位が高いので、村の全景がすつかり手に取るやうに見えて、尾谷川の閃々(きら/\)と夕日にかゞやく激湍(げきたん)や、三ツ峯の牛の臥(ね)たやうに低く長く連(つらな)つて居る翠微(すゐび)や、猶(なほ)少し遠く上州境の山が深紫の色になつて連(つらな)り亘(わた)つて居る有様や、ことに、高社山(かうしやざん)の卓(すぐ)れた姿が、此処から見ると、一層魁偉(くわいゐ)の趣(おもむき)を呈して居るので、その雲煙の変化が少なからず、自分の心を動かしたのであつた。あゝこの平和な村! あゝこの美しい自然! と思ふとすると、今言つた妻君の言葉がゆくりなく簇々(むら/\)と自分の胸に思ひ出された。この平和な村に喞筒(ポンプ)! この美しい村に放火! 殊に何十年とそんな例(ためし)が無かつたといふこの村に! これは何か意味が無くてはならぬ。これは必ず不自然な事があつたに相違ないと自分は思つた。空想勝なる自分の胸は今しもこの山中にも猶絶えない人生の巴渦(うづまき)の烈しきを想像して転(うた)た一種の感に撲(うた)れたのであつた。

     六

「放火(つけび)が流行(はや)るツて言ふが、一体何(ど)うしたんです?」
 かう言つて自分は友に訊(たづ)ねた。これは一時間程前、友はその喞筒(ポンプ)の稽古から帰つて来て、いろ/\昔の事や、よくこんな山中(やまんなか)に来て呉れたといふ事や、余り突然なので吃驚(びつくり)したといふ事や、六年ぶりの何や彼(か)やを殆(ほとん)ど語り尽した後で、自分の前には地酒の不味(まづい)のながら、二三本の徳利が既に全く倒されてあつて、名物の蕎麦(そば)が、椀に山盛に盛られてある。妻君は、田舎(ゐなか)流儀の馳走振に、日光塗の盆を控へて、隙(すき)が有つたなら、切込まうと立構へて居るので、既に数回の太刀打(たちうち)に一方(ひとかた)ならず参つて居る自分は、太(いた)くそれを恐れて居るのであつた。友も稍(やゝ)酔つた様子で、漸(やうや)く戸外(おもて)の闇(くら)くなつて行くのを見送つて居たが、不意に、かう訊(たづ)ねられて、われに返つたといふ風で、
「本当に因つて了(しま)ふですア、夜も碌々(ろく/\)寝られないのですから」
「それで、一体、犯罪者が解らんのかね?」
「それア、もう彼奴(きやつ)と極(きま)つて、居るんだが……」
「何故(なぜ)、捕縛しないのだね?」
「それが田舎ですア‥…」と友は言葉を意味あり気に長く曳いて、「駐在所に巡査ア、一人来て居る事は居るんだすが、田舎の巡査なんていふ者は、暢気(のんき)な者だで、嫌疑(けんぎ)が懸つたばかりでは、捕縛する事ア出来ん。現行犯でなければ……とかう言つて済まして居りやすだア。一体、巡査先生の方がびく/\して居るんで御座(ごわ)すア、だもんだで、彼奴(きやつ)ア、好い気に為(な)つて、始めからでは、もう十五六軒もツン燃やしましたぜ」
「十五六軒!」
「この小さい村、皆な合せても百戸位しか無(ね)いこの小さい村に、十五六軒ですだで、村開闢(かいびやく)以来の珍事として、大騒を遣つて居りますだア」
「それは左様(さう)だらう」
 少時(しばらく)経(た)つてから、
「で、一体、その悪漢(わるもの)は何者だね、村の者かね」
「はア、村の者でさア」
「村の者で、それでそんな大胆な事を為(す)るといふのは、其処に何か理由がある事だらうが……」
「何アに、はア御話にも何にもなりやしやせん。放蕩者(どらもの)で、性質(たち)が悪くつて、五六年も前から、もう村の者ア、相手に仕なかつたんでごすから」
「まだ若いのかね」
「いや、もう四十二三‥…」
「それぢや分別盛(ふんべつざかり)だのに……」
 と自分は深く考へた。
「御口にア、合ひますめいけど、何にもがアせんだに、せめて、蕎麦なと上つてお呉れんし」
 と妻君は盆を出した。
 自分はもう十分であるといふ事を述べて、そして蕎麦の椀を保護すべく後に遺つた。それでは御酒(ごしゆ)でもと妻君は徳利を取上げたので、それをも辞義してはと、前のを飲干して一杯受けた。
「それにしても……」と自分は口を開いて、
「十何回も放火を為(す)るのに、一度位実行して居るところを見付けさうな者ですがナア」
「それが、彼奴(きやつ)が実行するのなら、無論見付けない事は無いだすが、彼奴の手下に娘(あま)つ子(こ)が一人居やして、そいつが馬鹿に敏捷(すばしつこ)くつて、丸で電光(いなづま)か何ぞのやうで、とても村の者の手には乗らねえだ」
「それは奴の本当の娘なんですか」
「否(いや)、今年の春頃から、嚊(かゝあ)代(がは)りに連れて来たんだといふ話で、何でも、はア、芋沢(いもさは)あたりの者だつて言ふ事だす。此奴が仕末におへねえ娘(あま)つ子(こ)で、稚(ちひさ)い頃から、親も兄弟もなく、野原で育つた、丸で獣(けだもの)といくらも変らねえと云ふ話で、何でも重右衛門(嫌疑者の名)が飯綱原(いひつなはら)で始めて春情(いゝこと)を教へたとか言(いふ)んで、それからは、村へ来て、嚊の代りを勤めて居るが、これが実に手におへねえだ。重右衛門が自身手を下すのでなく、この獣のやうな娘(むすめ)つ子(こ)に吩附(いひつ)けて火を放(つ)けさせるのだから、重右衛門と言ふ事が解つて居ても、それを捕縛するといふ事は出来ず、さればと言つて、娘つ子は敏捷(すばしこく)つて、捕へる事は猶々(なほ/\)出来ず、殆ど困つて仕舞つたでがすア」
「年齢(とし)は何歳(いくつ)位?」
「まだ漸(や)つと十七位のもんだせう」
「それが捕へる事が出来ないとは! 高が娘(むすめ)つ子(こ)一人」
「知らない人はさう思ふのは無理は無いだす。高が娘(あま)つ子(こ)一人、それを捕へる事が出来ぬとは、余り馬鹿/\しくつて話にも何にも為(な)らない様だが、それを知つて御覧なされ、それは実に驚いたもので、今其処に居たかと思ふと、もう一里も前に行つて居るといふ有様、若い者などがよく村の中央(まんなか)で邂逅(でつくは)して、石などを投(はふ)りつけて遣(や)る事が幾度(いくたび)もある相だすが、中々一人や二人では敵(かな)はない。反対(あべこべ)に眉間(みけん)に石を叩(たゝ)き付けられて、傷を負つた者は幾人(いくたり)もある。それで此方(こつち)が五人六人、十人と数が多くなると、屋根でも、樹でも、する/\と攀上(よぢのぼ)つて、丸で猫ででもあるかのやうに、森と言はず、田と言はず、川と言はず、直ちに遁(に)げて身を隠して了ふ。それは実に驚くべき者ですア」
 此時、ふと、
「やあ!」
 と言つて庭から入つて来た者があつた。見ると、それは懐(なつか)しい山県行三郎君で、自分が来たといふ事を今少し前に知らせて遣つたものだから、万事を差措(さしお)いて急いで遣つて来たのであつた。夏の夕は既に暮れて、夕暮の海の様に晴れ渡つた大空には、星が降るやうに閃(きら)めいて居るが、十六日の月は稍(やゝ)遅く、今しも高社山(かうしやざん)の真黒な姿の間から、其の最初の光を放たうとして、その先鋒(せんぽう)とも称すべき一帯の余光を既に夜露の深い野に山に漲(みなぎ)らして居た。四辺(あたり)はしんとして、しつとりとして、折々何とも形容の出来ない涼しい好い風が、がさ/\と前の玉蜀黍(たうもろこし)の大きな葉を動かすばかり、いつも聞えるといふ虫の声さへ今宵(こよひ)は何(ど)うしてか音を絶つた。でも、黙つて、静かに耳を欹(そばだ)てると、遠くでさら/\と流れて居る尾谷川の渓流の響が、何だか他界から来るある微妙な音楽でも聞くかのやうに、極めて微かに聞えて居る。
 疎(まば)らな鎮守の森を透(とほ)して、閃々(きら/\)する燈火の影が二つ三つ見え出した頃には、月が已(すで)にその美しい姿を高社山の黒い偉大なる姿の上に顕(あら)はして居て、その流るゝやうな涼しい光は先(まづ)第一に三峯(みつみね)の絶巓(いたゞき)とも覚しきあたりの樹立(こだち)の上を掠(かす)めて、それから山の陰に偏(かたよ)つて流るゝ尾谷の渓流には及ばずに直ちに丘の麓(ふもと)の村を照し、それから鎮守の森の一端を明かに染めて、漸(やうや)く自分等の前の蕎麦の畑に及んで居る。洋燈(ランプ)をさへ点(つ)けなければ、其光は我等の清宴の座に充(み)ちて居るに相違ないのである。
 山県が来たので、一座の話に花が咲いて、東京の話、学校の話、英語の話、詩の話、文学の話、それからそれへと更にその興は尽きようともせぬ。果ては、自分は興(きよう)に堪へかねて、常々暗誦(あんしよう)して居る長恨歌(ちやうごんか)を極めて声低く吟(ぎん)じ始めた。
「この良夜を如何(いか)んですナア」
 と山県はしみ/″\感じたやうに言つた。
 此時鎮守の森の陰あたりから、夜を戒(いまし)める柝木(ひやうしぎ)の音がかち/\と聞えて、それが段々向ふヘ/\と遠(とほざ)かつて行く。
「今夜の柝木番は誰だえ、君ぢや無かつたか」
 と根本は山県に訊(たづ)ねた。
「私(わし)だつたけれど、……富山君が来たと謂(い)ふから、松本君に頼んで、代つて貰つたんです。その代り今夜十時から二時間ばかり忍びの方を勤めさせられるのだ」
「僕も二時から起される訳になつて居るんだが」と言つて、急に言葉を変へて、「それから、先程(さつき)聞くと、昼間あの娘つ子が喞筒(ポンプ)の稽古を見て居たと言ふが、それア、本当かね」
「本当とも……総左衛門どんの家の角の処で、莞爾(にこ/\)笑ひながら見てけつかるだ。余り小癪(こしやく)に触るつて言ふんで、何でも五六人許(ばかり)で、撲(なぐ)りに懸つた風なもんだが、巧にその下を潜(くゞ)つて狐のやうに、ひよん/\遁(に)げて行つて了つたさうだ。……それから重右衛門も来て見物して居たぢやないか」
「重右衛門も?」
「あの野郎、何処まで太いんだか、見物しながら、駐在所の山田に喧嘩見たやうな事を吹懸(ふつか)けて居たつけ。何んだ、この藤田重右衛門が駐在所の巡査なんか恐れやしねえ、何んだ村の奴等ア、喞筒(ポンプ)なんて、騒ぎやがつて、それよりア、この重右衛門に、お酒(みき)でも上げた方が余程効能(きゝめ)があるんだ。ツて、大きな声で呶(ぬか)して居やがつたつけ。何でも酒を余程飲んで居た風だつた」
「誰が酒を飲ましたのか知らん」
「誰がツて……野郎、又威嚇(おどし)文句で、又兵衛(酒屋の主人)の許(とこ)へ行つて、酒の五合も喰(くら)つて来たんだ」
「困り者だナア」
 と根本は心(しん)から独語(つぶや)いた。
「それから、言ふのを忘れたが、……先程(さつき)此処に来る時、あの森の傍で、がさ/\音が為(す)るから、何かと思つて、よく見ると、あの娘つ子め、何かまご/\捜して居る。此奴(こいつ)怪しいと思つたから、何を為(し)てるんだ! と態(わざ)と大(でか)い声を懸(か)けて遣つた。すると、猫のやうな眼で、ぎよろツと僕を見て、そしてがさ/\と奥の方に身を隠して了つた。丸で獣に些(ちつ)とも違はない……それから、私は、会議所に行つて、これ/\だから注意して呉れと言つて来た」
 自分は二人の会話を聞きながら、山中の平和といふ事と、人生の巴渦(うづまき)といふ事を取留(とりとめ)もなく考へて居た。月は段々高くなつて、水の如き光は既に夜の空に名残(なごり)なく充ち渡つて、地上に置き余つた露は煌々(きら/\)とさも美しく閃(きら)めいて居る。さらぬだに寂寞(せきばく)たる山中の村はいよ/\しんとして了つて、虫の音と、風の声と、水の流るゝ調べの外には更に何の物音も為(せ)ぬ。
 一時間程経つた。
 すると、不意に、この音も無くしんとした天地を破つて、銅鑼(どら)を叩いたなら、かういふ厭(いや)な音が為(す)るであらうと思はれる間の抜けたしかも急な鐘の乱打の響!
 二人は愕然(ぎよつ)とした。
「又遣付(やつつ)けた!」
 と忌々(いま/\)しさうに叫んで、根本の父は一散に駆けて行つた。
「粂(くめ)さんの家(とこ)だア、粂さんの家だア」
 と、誰か向ふの畔(あぜ)を走りながら、叫ぶ者がある。山県はちらと見たが、「あ、僕の家らしい!」と叫んで、そして跣足(はだし)の儘(まゝ)、慌(あわ)てて飛出した。
 根本も続いて飛出した。
 見ると、月の光に黒く出て居る鎮守の森の陰から、やゝ白けた一通の烟(けむり)が蜃気楼(しんきろう)のやうに勢よく立のぼつて、其中から紅(あか)い火が長い舌を吐いて、家の燃える音がぱち/\と凄(すさま)じく聞える。山際の寺の鐘も続いて烈しく鳴り始めた。
 一散に自分も駆け出した。

     七

 田の畔(くろ)を越えて、丘の上を抜けて、谷川の流を横(よこぎ)つて、前から、後から、右から、左から、其方向に向つて走り行く人の群、それが丁度大海に集るごとく、鎮守の森の陰の路へと進んで来るので、平生(いつも)ならば人も滅多に来ない鎮守の森の裏山は全く人の影を以て填(うづ)められて了つた。自分は駆出す事は駆出したが、今日来たばかりで道の案内も好く知らぬ身の、余り飛出し過ぎて思ひも懸けぬ災難に逢(あ)つては為(な)らぬと思つたから、其儘少し離れた、小高いところに身を寄せて、無念ながら、手を束(つか)ねて、友の家の焼けるのをじつと見て居た。
 眼前に広げられた一場の光景! 今燃えて居るのは丁度鎮守の森の東表に向つた、大きな家で、火は既にその屋(やね)に及んで居るけれど、まだすつかり燃え出したといふ程ではなく、半分燃え懸けた窓からは、燻(くすぶ)つた黒い色の烟(けむり)がもく/\と凄(すさま)じく迸(ほとばし)り出でて、それがすつかり火に為つたならば、下の二三軒の家屋は勿論(もちろん)、前の白壁の土蔵も危くはありはせぬかと思はれるばかりであつた。けれど消防組はまだ一向見えぬ様子で、昼間盛んに稽古して居たその新調の喞筒(ポンプ)も、まだ其現場に駆け付けては居らなかつた。暫時(しばらく)すると、燻(くすぶ)つて居た火は恐ろしく凄じい勢でぱつと屋根の上に燃え上る……と……四辺(あたり)が急に真昼のやうに明くなつて、其処等に立つて居る人の影、辛(から)うじて運び出した二三の家具、其他いろ/\の悲惨な光景が、極めて明かに顕(あら)はれて見える。火は既に全屋に及んで、その火の子の高く騰(あが)るさまの凄じさと言つたら、無い。幸ひに風が無いので、火勢は左程(さほど)四方には蔓延(まんえん)せぬけれど、下の家の危さは、見て居ても、殆ど冷汗が出るばかりである。
「喞筒(ポンプ)!」
 と叫ぶ声。
「おい、喞筒は何を為(し)て居るだアーい」
 と長く曳いて叫ぶ声。
 けれど、本当に何うしたのか、喞筒はまだ遣つて来るやうな様子も見えぬ。屋根の焼落つる度(たび)に、美しく火花を散した火の子が高く上つて、やゝ風を得た火勢は、今度は今迄と違つて士蔵の方へと片靡(かたなび)きがして来た。土蔵の上には五六人ばかり人が上つて頻(しき)りに拒(ふせ)いで居た様子だつたが、これに面喰(めんくら)つてか、一人/\下りて、今は一つの黒い影を止めなくなつて了つた。
「熱つくて堪らねえ」
「まご/\して居ると、焼死んで了ふア」
「何うしやがつたんだ。一体、喞筒(ポンプ)は? 気が利(き)かねえ奴等でねえか」
 と土蔵から下りて来た人の会話らしい声がすぐ自分の脚下(あしもと)に聞える。
 と、思ふと、向ふの低い窪地(くぼち)に簇々(むら/\)と十五六人許(ばかり)の人数が顕(あら)はれて、其処に辛うじて運んで来たらしいのは昼間見たその新調の喞筒である。
 やがて火光に向つて一道の水が烈しく迸出(へいしゆつ)したのを自分は認めた。
「喞筒(ポンプ)確(しつ)かり頼むぞい!」
「確かり遣れ」
「喞筒!」
 と彼方(あつち)此方(こつち)から声が懸る。
 で、その喞筒(ポンプ)の水の方向は或は右に、或は左に、多くは正鵠(せいこく)を得なかつたにも拘(かゝは)らず、兎(と)に角(かく)、多量の水がその方面に向つて灑(そゝ)がれたのと、幸ひ風があまり無かつたのとで、下なる低い家屋にも、前なる高い土蔵にもその火を移す事なしに、首尾よく鎮火したのである。
 それが丁度十時二十分。
 疲れたから、帰つて、寝ようかとも思つたが、火事の後の空はいよ/\澄んで、山中の月の光の美しさは、此の世のものとは思はれぬばかりであるから、少し渓流の畔(ほとり)でも歩いて見ようと、其儘(そのまゝ)焼跡をくるりと廻つて、柴の垣の続いて居る細い道を静かに村の方へと出た。
 村へ出て見ると、一軒として大騒を遣つて居らぬ家は無く、鎮火と聞いて孰(いづれ)も胸を安めたやうなものの、かう毎晩の様に火事があつては、とても安閑として生活して居られぬといふそは/\した不安の情が村一体に満ち渡つて、家々の角には、婦(をんな)やら、老人(としより)やらが、寄つて、集(たか)つて、いろ/\喧(かしま)しく語り合つて居る。
「本当にかう毎晩のやうに火事があつては、緩(ゆつ)くり寝ても居られねえだ。本当に早く何(ど)うか為(し)て貰はねえでは……」
「駐在所ぢや、一体(いつてい)何を為て居るんだか、はア、困つた事だ」
 前の老人らしい声で、

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