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著者名:竹久夢二 

 時
ある春の晴れた朝
 所
花咲ける丘
 人物
少年   (十三歳位)
少女   (十一二歳)
先生   (小学教師)
猟人   (若き遊猟家)
兎    (十二三歳少女扮装)

 舞台は、桜の花など咲いた野外が好ましいが、室内で装置する場合には、緑色の布を額縁として画(くぎ)り、地は、春の土を思わせるような、黄土色の布か、緋毛氈(ひもうせん)を敷きつめる。背景は、神経質な電気の反射を避けるため、空も山も花も草も、それぞれの色の布を貼(は)りつけたものを用う。すべて舞台の装置も、演出も、神経的でなく、子供の本能と情操とが想像した、愛らしい朗(ほがら)かな春そのものの創造であること。
 扮装(ふんそう)は、少年少女は平常着(ふだんぎ)のままでも好(よ)い、その他(ほか)は子供の空想の産物で好いが、先生は威厳を損じない程度にのどかな人物であること、猟人(かりうど)はずんぐりしていて意気なあわてもの、兎(うさぎ)はフランネルのマスクを被(かぶ)る。
[#改ページ]

    第一景

 幕があくと、舞台裏から左(さ)の唱歌が、だんだん近づき、舞台下手から少年少女が歌いながら登場。
さくら  さくら
やよいの そらは
みわたす かぎり
かすみか くもか
 少年少女が登場すると、舞台裏でもその唱歌を少し遅らせて、山彦(やまびこ)の心持で歌う。
少女「おや! 兄さん、誰(だれ)か山の向うでも歌っていてよ」少年「うそだよ、きっと夏(なっ)ちゃんの空耳だろう」少年歌いつづける。少女耳をすます。
においぞ  いずる
いざや  いざや
みに   ゆかん
少女「いいえ兄さん、よく聞いて御覧なさい……ほらね」少年「ああ、ほんとだ、誰(だれ)だろう」少女「ね、兄さんもっと何か言って御覧なさい」さくら   さくら
やよいの  そらは
少年歌いながら首を傾(かたむ)、舞台裏でも歌を真似(まね)る。
少年「誰だ!」山彦「誰だ!」少女おどおどと少年に寄添う。
少年「真似をするのは誰だい」山彦「真似をするのは誰だい」少女「兄さん、あたし怖くなったわ」少年「怖かあないよ。誰かきっと悪戯(いたずら)をしているんだ」少年勇敢に力みながら
少年「人の真似をするのは失敬だぞ!」山彦「人の真似をするのは失敬だぞ!」少女「大丈夫兄さん?」少年「大丈夫だよ」山に向い「馬鹿(ばか)野郎」山彦「馬鹿野郎」少女「兄さん。向うの人きっと怒ったのよ」少年「そうかなあ」少年も怖気(おじけ)づき、妹をかばう。
上手より吉野(よしの)先生登場。
少女「あら先生よ」少年「あ、吉野先生、こんちは」先生「今日は」少年「先生、先生は先刻(さっき)、山の方で唱歌をお歌いになりましたか」先生「いや、歌いませんぞ」少年「でも、先生、ぼくたちが唱歌を歌っていたら向うの山でも唱歌を歌いましたよ」先生「なるほど」少女「それからねえ先生、あんまり真似(まね)をするからお兄さんが誰(だれ)だって仰言(おっしゃ)ると、向うでも誰だって言いましてよ」先生「なるほどね」少年「あれは山の婆(ばばあ)が歌ったんですか」先生「ははは、それはね山のお婆(ばあ)さんでも神様でもない。山彦(やまびこ)というものじゃ」少年「山彦がものを言うんですか」先生「そうじゃ、こちらの声が向うの山へ響くと、向うの山がそれを返してくるのじゃ、だからこちらの言う通りに向うでも答えるのだ」少年「だから僕が馬鹿(ばか)野郎って言ったら向うでも馬鹿野郎って言いましたよ」先生「そうだろう。だからこちらで何かやさしい事を言ってやれば、向うでもやさしい事を返してくるのじゃ」少年「おもしろいなあ」少女「兄さん、何かやさしい事を言って御覧なさい」少年(山に向い)「こんちは、ごきげんはいかがですか」山彦「こんちは、ごきげんはいかがですか」少年少女顔を見合せて笑う。
少年少女「あなたは好(い)い方ですね」山彦「あなたは好い方ですね」先生「どうだね、山彦は正直だろう。どれ私は行こう、仲よく遊んでおいで」少年「先生、さよなら」少年少女「さようなら」先生下手へ去る。
[#改ページ]

    第二景

 舞台は前景のまま、少年は木の枝など振りて歩きまわる。
少女摘草などする。
 この時舞台裏から左(さ)の歌が聞える。
ころ ころ 小山の 小兎(こうさぎ)は
なぜに ころ ころ お泣きだえ
お母さんがないか
実がないか
お母さんは そばに いなさるし
木の実は お山に あるけれど
九十九人の猟人(かりうど)が
九十九谷をとりまいて
母子(おやこ)もろとも打つわいな。
少年「山彦(やまびこ)がまた歌い出したよ」少女「そうね」(耳をすます)歌が終ると、下手から一匹の兎が呼吸(いき)をきらしながら走って出る。
兎「助けて下さい。怖い猟人がわたしを撃ちにくるんです」少年「その猟人はどこにいるの」兎「あれあの坂をいま上ってます。もうじきここへ来るでしょう。どうぞわたしを助けて下さい。」少女「まあ、可哀(かあい)そうね。兄さんどうしたら好(い)いでしょう」少年「よし、きっとぼくが助けてあげるよ」兎「ほんとに、坊ちゃんありがとう」猟人撃方の構えに銃を持って、下手より急ぎ登場。
少女「あら兄さん」少年「あ、来たな」鋭く少女に「はやく、かくして、かくして」猟人「坊ちゃん、兎(うさぎ)を知りませんか」少年「なんですか」猟人「兎を知りませんか」少年「知っていますよ、おじさん」この対話の間に、少女は兎をほどよき叢(くさむら)にかくす。
猟人「たしかこの辺へ逃込んだがなあ」(独語(ひとりごと)をしながら四辺(あたり)を見廻(みまわ)す)少年(猟人(かりうど)の注意を自分の方へ向けるようにあせりながら)「おじさん兎の毛は白いんでしょう」猟人「ああ、その白兎、白兎」少年「耳が長いでしょう、おじさん」猟人「そうそう耳が長いね」猟人、銃を杖(つえ)にして話し出す。
少年「ね、おじさん、兎の尻尾(しっぽ)は短いでしょう」猟人「短いとも、これんばかりさ」少年「それから、前脚が短くて、後脚が長いでしょう」猟人「短くって、長くって」猟人は、自分が何をしているかを思出(おもいだ)して、「坊ちゃん、ぼくはその兎を探しているのだよ」少年「おじさん、その兎はやっぱり赤い眼(め)を持っているでしょう」猟人「ぼくは、坊ちゃんの博物の復習(おさらい)をしているんじゃないよ。一体その兎は……」少年「白兎ですね。おじさん」猟人「白兎ですよ。何遍それを言えば好(い)いんだ。そんなこと言っているうちに、気の利いた兎は、穴の中へもぐって昼寝をするだろう」独語のように「この子は、よっぽど呑込(のみこみ)のわるい子だな」少年「なあんだ、おじさんは、その白兎(しろうさぎ)を撃ちにきたの」猟人「そうさ」少年「だっておじさんは、いきなり兎を知らないかって言うんだもの、だからぼく、学校の復習(おさらい)をしちゃったのさ」猟人「眼(め)をぱちくりやっている」少年「ああ、その兎なの」猟人「そうさ」少年「その兎なら、もうよっぽど遠くへ逃げました。あの道の先の、ほら左側に赤松があるでしょう」猟人「あるある」少女は猟人(かりうど)の方を見て笑っている。兎も出て来て見ている。
少年「あすこを左へ曲って、桜の木が見えるでしょう」猟人「ああ、見えるね」少年「あの木から、一本、二本、三本、四本、五本、六本、十三本目の桜の下へかくれましたよ」猟人「いや、どうもありがとう」猟人はあたふたと、上手へ走ってゆく。
少年「おじさん、早く走らないと、また兎が逃げますよ」少年兎に近づきながら、「万歳、万歳。兎さんもう出ても好(い)いよ」少女「ずいぶん心配したわ」兎「やれやれ、ほんとに危(あぶな)い所を助かりました。どうもありがとうございます。」少女「よかったわね」少年「うまくいったね」少年を上手に、兎をまん中に、三人手をつなぎ舞台の前へ進み。

    兎の挨拶

 御見物のお嬢様坊ちゃまがた、わたしはまあ何と言って皆様にお礼を申して好(い)いやら、あんまり嬉(うれ)しくて、申上げる言葉も知りません。
 これはみんな、この賢いお坊ちゃまの勇気と、親切なお嬢さまのお蔭(かげ)です。けれどあの草むらの蔭にかくれている時、皆様はほんとうにうまくわたしをかばって下さいました。もしも皆様のうちの誰(だれ)かが「兎(うさぎ)はあそこにかくれているよ」とでも仰言(おっしゃ)ろうものなら、わたしはまあどうなっていたのでしょう。お蔭様でわたしはこれから懐しい親や兄たちの許(とこ)へ帰ってまいります。皆様もどうか御機嫌よろしく、ではさようなら。
かすみか くもか
はたゆきか…………舞台裏の賑(にぎ)やかな合唱だんだん細りゆきながら
(幕)



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