最初の悲哀
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:竹久夢二 

 街子(まちこ)の父親は、貧しい町絵師でありました。五月幟(ごがつのぼり)の下絵や、稲荷(いなり)様の行燈(あんどん)や、ビラ絵を描(か)いて、生活をしているのでありました。しかし、街子はたいそう幸福でした。というのは、父親は街子を、このうえもなく愛していたし、街子もまた父親を世の中で一番えらくて好(い)い人だと思っていました。母親が早くなくなったので、街子は小学校を卒業すると、家(うち)にいて、父親のため朝夕の食べものをつくったり、洗濯をしたり、夜おそく父親が仕事をするときに、熱いお茶を入れたりしました。家の外を風が吹くように、貧しいことなどは、ちっとも苦労ではありませんでした。
 父親も街子も、ほんとに幸福(しあわせ)そうでありました。
 何よりも好(よ)いことに、街子は父親の仕事を好きなばかりでなく、父親の技倆(ぎりょう)を尊敬さえしていたことです。
 ところが街子にとって、容易ならぬ悲(かなし)みが一つ出来たのであります。それは稲荷様の祭の日のことでありました。毎年の習(ならい)で、ことしも稲荷(いなり)様の境内から町内の掛行燈(かけあんどん)の絵は、みんな街子(まちこ)の父親が描(か)いたのです。地口行燈と言って、おどけた絵に川柳など添えてかいてあるもので、通る人は一つずつそれをよんで見て喜んでいました。仕立おろしのセルをすらりときた若い奥様に、「どうだ、愉快だね。こんな風な絵は国宝だよ」そう言って見てゆく旦那(だんな)様もありました。
 街子はそれをきいてこのうえもなく幸福(しあわせ)で、「それはあたしの父さんが描いたんですよ」そう言いたいほどでした。
 ところが街子とおんなじ年に小学校を出て、いまは女学校へ上(あが)っているお友達が三人、やはり地口行燈のまえに立っていました。街子はなつかしくて傍(そば)へよってゆきました。するとその時、三人はどっと笑い出しました。
「なんて古くさい絵でしょう」
「馬鹿(ばか)にしてるわ」
「この眼(め)はどうでしょう」
 そんなことを言いながらまたころげるように笑っていました。
 それを聞いた哀れな街子は、人の影へかくれるようにしながら、家(うち)の方へ駈(か)け出しました。それが街子の最初の悲(かなし)みでありました。




ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:1964 Bytes

担当:undef