幽霊塔
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著者名:黒岩涙香 

    第一回 ドエライ宝

「有名な幽霊塔が売り物に出たぜ、新聞広告にも見えて居る」
 未だ多くの人が噂せぬ中に、直ちに買い取る気を起したのは、検事総長を辞して閑散に世を送って居る叔父丸部朝夫(まるべあさお)である。「アノ様な恐ろしい、アノ様な荒れ果てた屋敷を何故買うか」など人に怪しまれるが夏蝿(うるさ)いとて、誰にも話さず直ぐに余を呼び附けて一切買い受けの任を引き受けろと云われた。余は早速家屋会社へ掛け合い夫々(それぞれ)の運びを附けた。
 素より叔父が買い度いと云うのは不思議で無い、幽霊塔の元来の持主は叔父の同姓の家筋で有る。昔から其の近辺では丸部の幽霊塔と称する程で有った。夫が其の家の零落から人手に渡り、今度再び売り物に出たのだから、叔父は兎も角も同姓の旧情を忘れ兼ね、自分の住居として子孫代々に伝えると云う気に成ったのだ。
 買い受けの相談、値段の打ち合せも略(ほ)ぼ済んでから余は単身で其の家の下検査に出掛けた、土地は都から四十里を隔てた山と川との間で、可なり風景には富んで居るが、何しろ一方(ひとかた)ならぬ荒れ様だ、大きな建物の中で目ぼしいのは其の玄関に立って居る古塔で有る。此の塔が英国で時計台の元祖だと云う事で、塔の半腹(なかほど)、地から八十尺も上の辺に奇妙な大時計が嵌(はま)って居て、元は此の時計が村中の人へ時間を知らせたものだ。塔は時計から上に猶七十尺も高く聳えて居る。夜などに此の塔を見ると、大きな化物の立った様に見え、爾(そう)して其の時計が丁度「一つ目」の様に輝いて居る。昼見ても随分物凄い有様だ。而し此の塔が幽霊塔と名の有るのは外部の物凄い為で無くて、内部に様々の幽霊が出ると言い伝えられて居る為で有る。
 管々(くだくだ)しけれど雑と此の話に関係の有る点だけを塔の履歴として述べて置こう。昔此の屋敷は国王から丸部家の先祖へ賜わった者だが、初代の丸部主人が、何か大いなる秘密を隠して置く為に此の時計台を建てたと云う事で有る。大いなる秘密とは世間を驚動する程のドエライ宝物で、夫(それ)を盗まれるが恐ろしいから深く隠して置く為に、十数年も智慧を絞って工夫を廻らせヤッと思い附いて此の時計台を建てたと云うのだ、所が出来上ると間も無く主人が行方知れずに成った、イヤ行方知れずでは無い、塔の底の秘密室へ(多分宝物を数える為に)降りて行ったが、余り中の仕組が旨く出来過ぎた為に、自分で出て来る事が出来ず、去(さ)ればとて外の人は何うして塔の中へ這入るか分らず、何でも時計の有る所まで行かれるけれど其の所限りで後は厚い壁に成って一歩も先へ進めぬから、救いに行く事も出来ぬ、其の当座幾日の間は、夜になると塔の中で助けて呉れ、助けて呉れと主人の泣く声が聞こえる様に思われたけれど、家内中唯悲しんで其の声を聞く許りで如何とも仕方が無い、塔を取り頽すと云う評議も仕たが、国中に内乱の起った場合で取り頽(くず)す人夫も無く其のまま主人を見殺し、イヤ聞き殺しにした、けれど真逆(まさか)に爾(そう)とも発表が出来ぬから、主人は内乱に紛れて行方知れずに成ったと云う事に噂を伏せて仕舞ったそうだ。
 其の後は此の主人が幽霊に成って出ると云う事で元は時計塔と云ったのが幽霊塔と云う綽名で通る事と為り、其の後の時計塔は諸所(しょじょ)に出来た者だから、単に時計塔とばかりでは分らず公(おおやけ)の書類にまで幽霊塔と書く事に成った、勿論ドエライ宝が有ると云う言い伝えの為にも其の後此の塔を頽そうかと目論(もくろ)む者が有ったけれど、別に証拠の無い事ゆえ頽(くず)した後で若し宝が出ねば詰まらぬとて、今以て幽霊塔は無事で居る。
 余が下検査の為此の土地へ着いたのは夏の末の日暮頃で有ったが、先ず塔の前へ立って見上げると如何にも化物然たる形で、扨は夜に入るとアノ時計が、目の玉の様に見えるのかと、此の様に思ううち、不思議や其の時計の長短二本の針がグルグルと自然に廻った。時計の針は廻るのが当り前とは云え、数年来住む人も無く永く留まって居る時計だのに、其の針が幾度も盤の面を廻るとは余り奇妙では無いか、元来此の時計は塔其の物と同じく秘密の仕組で、何(ど)うして捲き何うして針を動かすかは、代々此の家の主人の外に知る者無く、爾して主人は死に絶えた為に恐らくこの針を動かし得る人は此の世に無い筈だ、余の叔父さえも、数日来色々の旧記を取り調べて此の時計の捲き方を研究して居た、余は若(も)しや川から反射する夕日の作用で余の眼が欺されて居るのかと思い猶能く見るに、全く剣が唯独りで動いて居るのだ。真逆幽霊が時計を捲く訳でも有るまい。

    第二回 幽霊の正体

 誰が何(どう)して戸を捲くかを知らぬ錆附いた時計の針が、塔の上で独りで動き始めるとは唯事で無い、併し余は是しきの事には恐れぬ、必ず仔細が有ろうから夫を見出して呉れようと思い、直ちに進んで塔の中へ這入った。
 勿論番人も無い、入口の戸も数年前に外した儘で、今以て鎖して無い、荒(あば)ら屋中の荒ら屋だ、頓(やが)て塔へ上る階段の許まで行くと、四辺が薄暗くて黴臭く芥(ごみ)臭く、如何にも幽霊の出そうな所だから、余は此の屋敷に就いての一番新しい幽霊話を思い出した、思うまいと思っても独り心へ浮んで来る。其の話たるや後々の関係も有るから茲に記して置くが、此の屋敷を本来の持主たる丸部家から買い取ったのは、其の家に奉公して居た輪田お紺と云う老女だ、何でも濠洲へ出稼ぎして居る自分の弟が死んで遺身(かたみ)として大金を送って来たと云う事で、其の金を以て主人の屋敷を買い取り、此の塔の時計室の直下(すぐした)に在る座敷を自分の居間にして、其の中で寝て居たが、或る夜自分の養女に殺されて仕舞った、夫(それ)は今より僅かに六年前の事で、其の時から今まで此の屋敷はガラ空になって居るが、其の老女の亡魂も矢張り幽霊に成って其の殺された室へ今以て現れると云う事だ、其の室は丁度余が立って居る所の頭の上だ、斯う思うと何だか頭の上を幽霊が歩いて居る様な気もする。
 爾して其の殺した方の養女と云うは直ぐに捕まり裁判に附せられたが、丁度余の叔父が検事をして居る頃で、叔父は我が為に本家とも云う可き同姓の元の住家へ又も不吉な椿事を起させた奴と睨み、多少は感情に動かされたが、厳重に死刑論を唱えて目的を達した。勿論其の女は決して自分が殺したので無いと甚(ひど)く言い張ったけれども何よりの証拠は左の手先の肉を、骨へまで死人に噛み取られて居て、死人の口に在る肉片と其の手の傷と同じ者で有った上幾多の似寄った証拠が有った為言い開きは立たず、死刑とは極ったが唯丁年(ていねん)未満で有った為一等を減じて終身の禁錮(きんこ)になり、四年ほど牢の中に苦しんで終に病死した、其の女の名は確かお夏――爾だ輪田お夏と云った。
 余は此の忌わしい話を思い出し、少し気が怯(ひるん)だけれど、素より幽霊などの此の世に在る事を信せず、殊には腕力も常人には勝れ、今まで力自慢で友人などにも褒められて来た程だから「ナアニ平気な者サ」と故(わざ)と口で平気を唱え、階段を登り始めた。
 登り登りて四階まで行くと、茲が即ち老女輪田お紺の殺された室だ。伝説に由ると室の一方に寝台が有って、其の上からお紺が口に人の肉を咬え顋(あご)へ血を垂らしてソロソロ降りて来ると云う事だ、何分にも薄暗いから、先ず窓の盲戸を推開(おしあ)けたが、錆附いて居て好くは開かぬ。夫に最も夕刻だから大した明りは射さぬ。何処に其の寝台が有るか、此の上の時計の裏へは何して登られるかと、静かに透す様にして室の中を見て居ると、一方の隅で、人の着物を引き摺る様な音がする、其の中に眼も幾分か暗さに慣れたか、其の音の方に当り薄々と寝台の様な物も見える。
 すると其の寝台の上に、何だか人の姿が有って起き直る有様が殆ど伝説の通りで在る、此の様な時には暗いのが何より不利益(幽霊にとっては利益かも知らぬが)だから余は窓の方へ寄り、最(もう)一度盲戸(めくらど)を今度は力一杯に推して見た、未だ盲戸は仲々開かぬに、怪しい姿はソロソロと寝台を下り、余の傍へ寄って来るが併し足音のする所を見ると幽霊では無さ相だ、けれど幽霊よりも却って薄気味が悪い。余は猶も力を込めて戸を推したが、メリメリと蝶番(ちょうつがい)が毀れて戸は下の屋根へ落ち、室の中が一時に明るく成った、とは云え夕明りで有るから昼間ほどには行かぬが幽霊の正体を見届けるには充分で有る。
「能く其の戸が脱(はず)れましたよ、私しも開け度いと思い、推して見ましたけれど女の力には合いませんでしたが」
 之が幽霊の発した初めての声で音楽の様に麗しい、余は荒々しく問い詰める積りで居たが、声の麗しさに、聊(いささ)か気抜けがして柔(やさ)しくなり、「今し方、大時計の針を動したのは貴女でしたか」
 と、問いつつ熟々(つくづく)其の姿を見ると、顔は声よりも猶麗しい、姿も婀娜(なよなよ)として貴婦人の様子が有る、若し厳重に批評すれば其の美しさは舞楽に用ゆる天女の仮面と云う様な塩梅(あんばい)で、生きた人間の顔としては余り規則が正し過ぎる。三十二相極めて行儀好く揃って居る。若しや此の女は何か護謨(ごむ)ででも拵え屈伸自在な仮面を被(かぶ)って居るのでは無かろうか、併し其の様な巧みな仮面は未だ発明されたと云う事を聞かぬ。愈々之が仮面で無くて本統の素顔とすれば絶世の美人である、余は自分の女房にと叔父や当人から推し附けられ、断り兼ねて居る女は有るけれど、断然其の女を捨てて此の女に取り替えねばならぬ、と殆ど是ほどまでに思った。真逆(まさか)に此の天女の様な美人が今まで主人無しに居る筈も無く、縦(よ)しや居たとてそう容易(たやす)く余に靡(なび)く筈は無く、思えば余の心は余り軽率過ぎたなれど、此の時は全く此の様にまで思った、夫だから此の美人の顔が仮面で有るか素顔で有るか、物を云う時には看(み)破らんと、熱心に目を光らせて待って居ると、美人は少し余の様子を頓狂に思ったか笑みを浮べて、
「ハイ今し方、此の時計を捲いたのは私ですよ」
 仮面で無い、仮面で無い、本統の素顔、素顔。

    第三回 左の手

 此の美人は何者だろう、第一、此の荒れ果てた塔の中に、而も輪田お紺の幽霊が出ると云われる室の中に、丁度其のお紺の寝たと云う寝台の上に、唯一人で居たのが怪しい、第二には此の世に知った人の無い秘密、即ち時計の捲き方を知って居るのが怪しい、第三に、故(わざ)々其の時計を捲いたのが怪しい、余は初めに其の顔の美しさに感心し、外の事は心にも浮かばずに居たが、追々斯様な怪しさが浮かんで来た、猶此の外に怪しい箇条が有るかも知れぬ、怪しんで暫し茫然として居ると、塔の時計が鳴った、数えると七時である、自分の時計を出して眺めると如何にも七時だ、美人は余の怪訝な顔を見て、可笑しいのか「ホ、ホ」と笑み「塔の時計の合って居るのが不思議ですか」と余を揶揄(からか)う様に云った、其の笑顔の美しさ、全体此の様な辺鄙な土地へ是ほどの美人が来て居るのさえ怪しいと云う可しだ。
「貴女は全体何者です」と余は問い度(た)くて成らぬが、美人の優れた顔と姿とを見ては其の様な無躾な問いは出ぬ、咽喉の中で消えて仕舞う、総(すべ)ての様子総ての振舞が何と無く世の常の女より立ち勝り、世に云う水際が離れて居るから、余は我にもあらで躊躇して、唯纔(わずか)に「貴女は何故に塔の時計をお捲き成されました」と問うた、美人「ハイ多分斯うすれば捲けるだろうと思い、自分の工風を実地に試験して見たのです」余「何の為に其の様な試験などを成さるのです」美人「誰も此の時計の捲き方を知った者が無いと云いますから試して置いて、爾(そう)して相当の人に教えて上げ度いと思いました」余「ですが全体貴女は何うして其の捲き方を考えました」美人「ホヽ夫(それ)は云う可き事柄で有りません」
 益(ます)々怪しいけれど、兎に角此の世に、此の時計の捲き方を知る人の有るは、調べ倦(あぐ)んで居た余の叔父に取っては非常の好都合に違い無い、余「では、私に教えて下さる訳には――」と言い掛けると美人は少し真面目になり「イヤ貴方は相当の人で有りますまい、此の捲き方は一つの秘密で、塔の主人より外へは知らせて成らぬと昔から云い伝えられて居る相ですから、私も塔の持主より外へ知らせる事は出来ません」余「近々、私の叔父が此の塔を買い取るのです」美人「夫では貴方の叔父さんへお伝え申しましょう、併し夫もお目に掛って直々(じきじき)にで無くては」余「イヤ叔父は定めし喜びましょう、私が屹(き)っと叔父を貴女へお目に掛らせる事に計らいますから、何(ど)うぞ其の節は」美人は少しも迷惑そうで無く、却って何だか満足の様子で「ハイお教え申しましょう」余「ですが貴女は此の塔に」美人「イイエ、私は此の塔に少しも関係は無い者です」余「けれど時計の捲き方まで心にお掛け成さるとは」美人「其の様に諄(くど)くお問いなさると私は怒りますよ、塔に少しも関係の無い者と申せば夫で好いでは有りませんか」柔しい中に犯し難い口調を罩(こ)めて言い切った、色々問い度い事ばかりだけれど此の後は問う訳に行かぬ、其の中に分る時が有るだろうと断念(あきら)めて口を噤んだ、スルト今度は美人から反対(あべこべ)に「貴方は此の塔の中を色々検査成さるお積りでしょうね」と問い掛けた、勿論其の積りでは有るけれど、最と能く美人の素性を見極め度いと思い「ハイ斯う日が暮れては検査も出来ませんから、明日の事として、是から貴女をお宿まで送りましょう」随分無躾な言い方では有るが美人は別に怒りもせず「イエ猶(ま)だ私は少し見度い所が有りますから」と答え、早や余に背を向けて塔の下へ降りて行く、余は急いで後に尾き、共々に階段を降ったが、美人は玄関の方へは出ず、裏庭の方へ出た、此の時既に七時を過ぎ、暮色蒼茫と云う時刻だ、美人は衣服の襞(ひだ)を探って地図の様な者を取り出し、独りで庭の方々を見廻す様子ゆえ、余は首を差し延べ、其の地図を窺いたが、能くは見えねど此の屋敷の略図らしい、一方には河が有り堀が有り、爾して庭の小径など記して有る、併し地図よりも猶目に付いたは、美人の身姿(なり)だ、着物は高価な物では無い、不断着には違い無いが、肩から裳まで薄い灰色の無地だ、灰色は鼠色の一種で日影色とも云い、縁喜の能く無い色だと信じられて居て、殊に年の若い婦人などは之を厭がる、其の厭がるのを何故に着けて居るだろうと是も怪しさの一つに成ったが、頓て其の手を見ると、着物の怪しさを忘れて仕舞った、左右とも手袋を被(はめ)ては居るが左の手には異様な飾りが附いて居る、細かな金の鎖を網に編み、所々へ真珠を繋いで有って、夫(それ)が袖口の奥の方から出て来て、爾して手袋へ続いて居る、余は此の様な手袋は見た事が無い、飾り気の少しも無い総体の身姿にも不似合だ、何か此の手袋で隠して居るのでは無かろうかと此の様な気がして成らぬ、併し問い試ねる訳にも行かぬ。
 其のうちに美人は堀の土堤を、庭の奥の方へ歩み初め、一丁余も行って終に堤下に降りた、茲に大きな榎木が五六本聳えて居る、其の一本の下に余り古く無い石碑が立って居る、土の盛り方や石の色では昨年頃誰かを葬った者でも有ろうか、屋敷の中に墓の有るのも不思議、誰も住んで居ぬ空屋敷へ新墓の出来るも不思議、余は益々異様に思い、口の中で、思わずも「怪美人」と呟いた、実に怪美人だ、此の美人の身に就いての事は皆な「怪」だ言葉も振舞も着物も飾り物も、爾して妙に此の屋敷の秘密を知って居る事も地図などを持って居る事も、一の怪ならざるは無しだ、頓て美人は新墓の前に跪づいて、拝み初めたが、何だか非常に口惜しいと云う様子が見え、次には憫(あわれ)みを帯び来って両眼に涙を湛えるかと思われた、懐かしい情人の墓か、嫉ましい恋の敵の墓か、何しろ余ほど深く心を動かす様な事柄が有ると見える、余は美人の拝み終るを待ち兼ねて「誰の墓ですか」と云ってズウズウしく降りて行き、石碑の文字を読んだが、少し驚いた。「輪田夏子之墓」と有る。「明治二十九年七月十一日死、享年廿二歳」と左右に記して有る、輪田夏子とは誰、読者は前回の記事を記憶して居るだろう、此の家の主婦輪田お紺の養女で、お紺を殺し終身刑に処せられて牢の中で死んだ殺人者だ、養母殺しの罪人だ、成るほど考えて見ると其のお夏の死骸を、弁護士権田時介と云う者が、前年自分が弁護した由縁(ゆかり)で引き取って此の屋敷へ埋めたと云う事を其の頃の新聞で読んだ事が有る、其の様な汚らわしい者の墓へ此の美人が参詣とは是も怪だ。

    第四回 誰の悪戯

 養母殺しの大罪人の墓へ参詣するなどは余り興の醒めた振舞ゆえ余は容赦なく「貴女は此の女の親類か友達ですか」と問うた、怪美人は「イイエ、親類でも知人でも有りません」と答えた。益々不思議だ、是が貞女烈女の墓とか賢人君子の墓とか云えば、知らぬ人でも肖(あや)かり度いと思って或いは参るかも知れぬが、人を殺して牢死した者の墓へ、親戚でも知人でも無い者が参るとは、全く有られも無い事だ、余「夫では何の為にお詣り成さる」怪美人は真面目に顔を上げ、
「其の様にお問いなさらずとも、分る時が来れば自然に分りますよ」と云い、其のまま今度は玄関の方を指し徐々(そろそろ)歩み始めたが、何だか意味の有り相(そう)な言葉だ。
 余は最(も)そっと深く此の美人の事が知り度く此のまま分れるは如何にも残念だから、猶此の後に附いて歩みながら、横手へ首を突き出して「貴女は先刻、私の叔父へ、時計の捲き方を教えて下さる様に仰有りましたが、何うかお名前などを伺い度く思います」美人は何事をか考え込んで、今までより無愛想に「私は姓名を知らぬ方に自分の姓名は申しません」成るほど余は未だ此の美人に姓名を告げなんだ、「イヤ、私は丸部道九郎と云う者です、叔父は丸部朝夫と申します」美人は少し柔かに「アア兼ねて聞いて居るお名前です、私は松谷秀子と申します」余「お住居は」美人「今夜は此の先の田舎ホテルと云う宿屋に泊ります」田舎ホテルとは余が茲へ来る時に、荷物を預けて来た宿屋で、余も今夜其所に泊る積りである。
「イヤ夫は不思議です、私も其の宿屋へ行くのです、御一緒に参りましょう」
 美人は宿屋まで送られるのを有難く思う様子も見えぬ、単に「爾ですか」と答えたが、併し別に拒まぬ所を見れば同意したも同じ事だ、此の時は既に夜に入り、道も充分には見えぬから、余は親切に「私の腕へお縋り成さっては如何です」美人「イイエ、夜道には慣れて居ます」食い切る様な言い方で、余は取り附く島も無い、詮方なく唯並んで無言の儘で歩いて居たが其の中にも色々と考えて見るに、松谷秀子と云うも本名か偽名か分らぬ、全体何の目的でアノ幽霊塔へ入り込んだ者であろう、真逆に時計を捲き試して相当の人へ教え度いと云う許りではあるまい、何にしても余ほど秘密の目的が有って、爾して其の身の上にも深い秘密が有るに違い無い、果して「分る時には自然に分る」だろうか、其の「分る時」が来るだろうか。
 此の様に思って歩むうち、忽ち横手の道から馬車の音が聞こえて、燈光がパッと余の顔を照らすかと思ったが、夫は少しの間で其の馬車は早や余等を追い越して仕舞った、併し余は其の少しの間に馬車の中の人を見て、思わず「アレ叔父が来ましたよ」と叫んだ、確かに馬車の中に余の叔父が乗って居る、尤も馬車の中から余の顔を見たと見え馬車は十間ほど先へ行って停り、其の窓から首を出して「アレ道さん、道さん」と余を呼ぶ者が有る。
「道さん」などと馴々(なれなれ)しく而も幼名(おさなな)を以て余を呼ぶ者は外に無い、幼い時から叔父の家で余と一緒に育てられた乳母の連れ子で、お浦と云う美人で有る、世間の人は確かに美人と褒め、当人も余ほど美人の積りでは居るけれど、余の目には爾は見えぬ、併し悲しい事には此の女が余の妻と云う約束に成って居る。何で其の様な約束が出来たか知らぬが、本来其の乳母と云うのが仲々剛い女で、叔父の家を切って廻して居たが、死ぬ前に叔父を説き附け、余が学校へ這入って居る留守中に余の未来の妻と云う約束を極めた相で、尤も余の叔父は人が願えば何事でも諾(うん)、諾と答える極めて人好しゆえ此の様な約束にも同意したのであろう、余は大恩ある叔父の言葉に背く訳にも行かず又今まで外に見初(そ)めた女も無かったから其の約束に従い、何時でも余の定める日を以て婚礼すると云う事に成って居るが、余は余り進まぬから生涯其の日を定めずに居ようかと思って居る、美人でも何でも乳母の娘では、余り感心が出来ぬ、併しお浦は既に丸部夫人と云う気位で交際社会からも持て囃されるし、通例世間一般の女房たる者が酷く所天(おっと)を圧制する通りに余を圧制しようと試みる、余の為す事には何でも口を出す、愈々婚礼でも仕た後は余ほど蒼蝿(うるさ)い事だろうと覚悟して居る、併し閑話(あだしごと)は扨置いて、余は呼ばるる儘に急いで馬車の傍へ行こうとしたが、暫し怪美人に振り向いて「丁度叔父が来ましたから何うか今夜食事の後で時計の捲き方をお教え下さい、私が叔父へ話し、貴女へ面会を願わせますから」斯う云って怪美人に分れ、馬車の許へ駆けて行くと、叔父は怪訝な顔で「怪我は何うした、怪我は何うした」と畳み掛けて問わる。余「エ、怪我とは誰の」叔父「お前のよ」余「エ、私が怪我したなどとは夫は何かの間違いでしょう、此の通り無事ですが」叔父「無事なら何より結構だが、ハテな、誰の悪戯だろう、先ず此の電信を見よ」と云って一通の電信を差し出した、馬車の燈火に照して読むと「ドウクロウ、オオケガ、スグキタレ、イナカホテルヘ」と有り「叔父さん誰かが貴方を欺いて誘き寄せたのですよ、跡方も無い事です、併し此の様な悪戯者が有っては不安心です、貴方は直ぐに宿屋へお出なさい、私は直ぐに電信局へ行き、何の様な奴が此の電信を依頼したか聞いてから帰ります」叔父「四十里を通し汽車で、二時間半で此の先の停車場へ着いたが、己は疲れたから其の言葉に従おう」お浦は余が一言も掛けぬに少し不興の様子で「おや道さん四十里も故々(わざわざ)介抱に来た私には御挨拶も無いのですか、今一緒に歩んで居た美人にでも此の様に余所々々しいのですか」と、叔父の顔を顰(しか)めるにも構わず呶(ど)鳴った、余は単に「イヤ挨拶などの場合で無い」と言い捨てて電信局を指して走ったが、何うも変だ、何だか幽霊屋敷の近辺には合点の行かぬ事が満ちて居る様だ、併し今までの事は此の後の事に比ぶれば何でも無い。

    第五回 神聖な密旨

 何者が何の為嘘の電報など作って余の叔父を呼び寄せたのだろう、余は電信局で篤(とく)と聞いて見たけれど分らぬ、唯十四五の穢い小僧が、頼信紙に認めたのを持って来たのだと云う、扨は発信人が自分で持って来ずに、路傍の小僧に金でも与えて頼んだ者と見える、更に其の頼信紙を見せて貰うと、鉛筆の走り書きではあるが文字は至って拙(つた)ない、露見を防ぐ為故と拙なく書いたのかも知らぬが、余の鑑定では自分の筆蹟を変えて書く程の力さえ無い人らしい、而も何だか女の筆らしい。
 是だけで肝腎の誰が発したかは分らぬ故、余は此の地の田舎新聞社に行き広告を依頼した、其の文句は「何月幾日の何時頃人に頼まれて此の土地の電信局へ行き、倫敦(ろんどん)のAMへ宛てた電信を差し出した小供は当田舎新聞社へまで申し来たれ、充分の褒美を与えん」と云う意味で、爾して新聞社へは充分の手数料を払い、若し其の小供が来たら、直ぐに倫敦の余の住居へ寄越して呉れと頼んで置いた。
 何も是ほどまで気に掛けるには及ばぬ事柄かは知らぬが斯う落も無く取り計ろうが余の流儀で、何事にも盡(つく)す丈の手を盡さねば気が済まぬから仕方が無い。
 是で宿へ帰り、是だけの事を叔父に話し、爾して更に、彼の時計の捲き方を知って居る人の有る事を話した、叔父は非常に喜び、若し其の人に逢う事が出来るなら贋電報に欺されて此の地へ来たのが却って幸いだと云い、是非とも晩餐を共にする様に計って呉れと云うから、余は彼(か)の怪美人を捜す為に室を出て帳場の方へ行くと丁度廊下で怪美人に行き合った、是々と叔父の請(こい)を伝えると怪美人は少し迷惑気に「私だけなら喜んでお招きに応じますが、実は外に一人の連れが有りますので」余「結構です、其のお連れとお二人」美人「ですが其の連れに附き物が有りますよ」附き物とは何であろう、余「エエ附き物」美人「ハイ、一匹、狐猿と云う動物を連れて居まして、何処へ行くにも離しませんから、人様の前などへは余り無躾で出られません」狐猿とは狐と猿に似た印度の野猫で、木へも登り、地をも馳け、鳥をも蛇をも捕って食う動物だが何うかすると人に懐(なつ)いて家の中へ飼って置かれると、兼ねて聞いた事はある、余「ナニ貴女、人の前へ飼犬を抱いて出る貴婦人も此の節は沢山あります、狐猿を連れて居たとて晩餐の招きに応ぜられぬ筈は有りません」美人は渋々に、「ではお招きに応じましょう、貴方の叔父様の様な名高い方には予てお目に掛り度いと思って居ますから」と約束は一決した。
 余は喜んで叔父の室へ帰ろうとすると、美人は何か思い出した様に追っ掛けて来て呼び留め「愈々叔父様が幽霊塔を買い取れば貴方もアノ屋敷へ棲む事になりますか」余「ハイ」美人「では必ず、今日私のお目に掛ったアノ室を貴方のお居間と為し、夜もあの室でお寝み成さい」実に不思議な忠告だ、余「エあの、お紺婆の殺されて、幽霊の出るという室ですか」美人「大丈夫です、幽霊などは出や致しません、私は先刻もお紺婆の寝たと云う寝台へ長い間寝て見ましたが何事も有りません」成るほど此の美人はあの寝台から幽霊の様に起きて来たので有った。併し余り不思議な註文ゆえ「ですが貴女は何故其の様な事をお望みなさる」美人「分る時には分りますよ」と、先刻も余に云った同じ言葉を繰り返し、更に続けて「貴方が若し此の事を承知為さらずば、私は貴方の叔父御にお目に掛りません」余「ト仰有っても幽霊の出る室、イヤ出ると言い伝えられて居る室を、私の居間にするとは其の訳を聞いた上で無ければ私もお約束は出来ません」美人「イヤ私は自分では神聖と思う程の或る密旨(みっし)を持って居るのですから、其の密旨を達した上で無ければ何事も貴方へ説明する事は出来ませんが――」密旨、密旨、今時に密旨などとは余り聞いた事も無い。併し此の美人のする事を見れば、如何にも密旨でも帯びて居そうだ、密旨、密命に使われて居るので無ければ、人の殺された寝台に寝たり、養母殺しの墓へ参詣したり其の様な振舞はせぬ筈だ、余「其の密旨とは人から頼まれたのですか」美人「イイエ、自分から心に誓い、何うしても果さねば成らぬ者と決して居るのです、是だけ打ち明けるさえ実は打ち明け過ぎるのですけれど、貴方は正直な方と見えますから打ち明けるのです」余「夫だけの打ち明け方では未だ足りません、約束は出来ません」美人「イエ、何も貴方の身に害になる事では無く、あの室を居間にさえ為されば必ず私に謝する時が有りますよ」外の人の言葉なら余は決して応ずる所で無いが、此の美人の言葉には、イヤ言葉のみで無い目にも顔にも何となく抵抗し難い所が有る、此の異様な請に応ずれば、其の中には此の美人の密旨の性質も分る時が来よう、幽霊の出る室へ寝るも亦一興と、多寡(たか)を括って「では約束します、あの室を居室と仕ましょう」美人「爾成されば、昔から那の家に伝って居る咒文が手に入りますから、其の咒文を暗誦して、能く其の意味をお考え成さい、必ず貴方に幸福が湧いて来ますよ」密使の上に咒文などとは、文明の世には聞いた事も無い言葉だ、余「其の咒文を暗誦すれば妖術を使う事でも出来ますか」美人「妖術よりも勝った力が出て来ます」余「其の様な力が今の世に有りましょうか」美人「有るか無いか、夫も分る時には分ります」
 何所までも人を蠱惑(こわく)する様な言い方では有るが、余は兎も角も其の言葉に従って怪美人の密旨をまで見究めようと思ったから、言いなりに成って夫から叔父の所へ帰り美人が一人の連れと共に晩餐の招きに応ずる旨を述べた、尤も此の美人の素性は語らず、単に余の知人で松谷秀子と云うのだと是だけを叔父には告げて置いた、叔父は直ちに別室を借り、之へ食事の用意を為さしめ、用意の整うと共に給使を遣って松谷秀子を招かせた、叔父は例の通り陰気に物静かだが、余の許嫁(いいなずけ)お浦は益々不機嫌だ、日頃の鋭い神経で、余の心が他の女に移る緒口(いとぐち)だと見たのでも有ろう、唯機嫌の好いのは余一人だ、三人三色の心持で、卓子(ていぶる)に附いて居ると、松谷秀子は、真に美人で無くては歩み得ぬ娜々(なよなよ)とした歩み振りで遣って来た、後に随いて来る其の連れは、余り貴婦人らしく無い下品な顔附きの女で年は四十八九だろう、成るほど非常に能く育った大きな狐猿を引き連れて居る、美人は第一に余に会釈し後に居る下品な女を目で指して、「是は私の連れです、虎井夫人と申します」と引き合わせた、苗字からして下品では無いか、併し其の様な批評は後にし、余は直ぐ様叔父に向い、美人を指して「是が松谷令嬢です」と引き合わせたが、叔父は立ち上って美人の顔を見るよりも、何の故か甚く打ち驚き、見る見る顔色を変えて仕舞ったが、頓(やが)て心まで顛倒したか、気絶の体で椅子の傍辺へ打ち仆(たお)れた。

    第六回 異様な飾りの附いた手袋

 幾等驚いたにもせよ、余の叔父が男の癖に気絶するとは余り意気地の無い話だ、併し叔父の事情を知る者は無理と思わぬ、叔父は仲々不幸の身の上で近年甚く神経が昂ぶって居る、其の抑(そもそ)もの元はと云えば今より二十余年前に、双方少しの誤解から細君と不和を起し、嵩じ/\た果が細君は生まれて間も無い一人娘を抱いたまま家を出て米国へ出奔した、叔父は驚いて追い駆けて行ったが彼地へ着くと悲しや火事の為其の細君の居る宿屋が焼け細君も娘も焼け死んで、他の焼死人の骨と共に早や共同墓地へ葬られた後で有った、是は有名な事件で新聞紙などは焼死人一同の供養の為に義捐まで募った程で有ったが、叔父は共同墓地を発(ひら)き混雑した骨の中の幾片を拾い、此の国へ持ち帰って改めて埋葬したけれど、其の当座は宛で狂人の様で有ったと云う事だ、其のとき既に辞職を思い立ったけれど間も無く検事総長に成れると極って居る身ゆえ、同僚に忠告され辞職は思い留ったけれど、其の時から自分が罪人に直接すると云う事はせず唯書類に拠って他の検事に差図する丈で有った、是より後は兎角神経が鎮らず、偶には女の様に気絶する事も有り愈々昨年に至り斯う神経の穏かならぬ身では迚(とて)も此の職は務らぬとて官職を辞したのだ。
 此の様な人だから今夜も気絶したのだろう、兎に角余は驚いて抱き起こした、卓子の上の皿なども一二枚は落ちた、余は抱き起しつつ「水を、水を」と叫んだが、一番機転の利くのは怪美人で、直ぐに卓子の上の水瓶を取り硝盃(こっぷ)に注いで差し出した、夫と見てお浦は遮り、一つは嫉妬の為かとも思うが声荒く怪美人を叱り「貴女は叔父の身体に触る事は成りません、気絶させたのも貴女です」と云って更に余に向い「道さん、此の女に立ち去ってお貰いなさい」と甚い見幕だ、余は「道さん」では無い、道九郎(どうくろう)だ、「道さん」とは唯幼い頃に呼ばれたに過ぎぬのに、何故かお浦は兎角他人の前でも猶更余を「道さん」と呼びたがる、エラク度胸の据った女だから此の様な際にも、余を自分の手の中の物で有ると怪美人へ見せ附けて居るらしい。
 怪美人は余ほど立腹するかと思いの外、真実叔父を気の毒と思う様子で「イヤお騒がせ申して誠に済みません、敦(いず)れお詫びには出ますから」と云うて立ち去ろうとする、余「イヤ少しも貴女が騒がせたのでは有りません」とて引き留めようとする中に叔父は聊か正気に復った、併し猶半ばは夢中の様で手を差し延べ、何か確かな物に縋って身を起そうとする、此の時其の手が丁度怪美人の左の手に障った、読者が御存知の通り左の手は異様な飾りの附いた手袋で隠して居る、怪美人は少し遽(あわ)てた様で急いで左の手を引きこめ右の手で扶(たす)けた、お浦の鋭い目は直ぐに異様な手袋に目が附き、開き掛けた叔父の目も此の手袋に注いだ様子だ、けれど怪美人は再び左の手を使わず、右の手に取った叔父の手を、無言の儘お浦に渡し、一礼して立ち去り掛ける、叔父は全く我に復り一方ならず残り惜げに「イヤお立ち去りには及びません、何うぞ、何うぞ、お約束通り食事の終るまで」と叫んだ、其の声は宛で哀訴嘆願の様に聞こえた。
 美人も負(そむ)きかねた様子で「でも私の姿を見て貴方がアノ様にお驚き成されましては――」叔父「ハイ貴女のお姿に驚いたには相違ありませんが、ナニ近年神経が衰えて居ますので時々斯様なお恥かしい事を致します、でも驚きは一時の事で最う気が確かに成りました、全く常の通りです、実は貴女の御様子が、昔知って居た或人に余り能く似て居ますから、其の人が来たのかと思いました、ナニ最う一昔以前の事ですから、少し考えさえすれば其の人が貴女の様に、若く美しくて居る筈は有りませんが、夫でも貴女にお目に掛って初対面の心地はせず、全く久しい旧友にでも逢った様にお懐しゅう思います」ハテな、此の美人、叔父の知って居る何人に肖(に)て居るのだろう、叔父が斯うまで云うからには余ほど酷く肖て居るに違いない、何人に、何人に、と余は何故か深く此の事が気に掛った、併し叔父は其の事を説き明かさなんだ。
 叔父の其の言葉に美人も留まる気に成って、政治家の言葉で言えば茲に秩序が回復した、斯うなるとお浦を宥(なだ)めて機嫌好くせねば、折角の晩餐小会も角突き合いで、極めて不味く終る恐れが有るから、余は外交的手腕を振い、お浦に向って、「貴女が今夜の此の席の主婦人では有りませんか、何うか然る可く差し図して下さい」と、少し花を持せると、お浦は漸う機嫌も直り直ぐに鈴を鳴らして給仕を呼んだ、給仕は遣って来て皿の一二枚割って居るのを見て少し呆れた様子だが、誰も何と説明して好いかを知らぬ、互いに顔を見合わす様を、今まで無言で居た虎井夫人が引き受けて、半分は独言、半分は給仕に向っての様に「何うも此の節は婦人服の裳の広いのが流行る為に時々粗□(そう)が有りまして」と云いつつ一寸下を見て自分の裳を引き上げた、旨い、旨い、斯う云うと宛で裳が何かへ引っ掛って夫で皿が割れた様にも聞こえ、今の騒ぎはスッカリ此の夫人の裳の蔭へ隠れて仕舞う、裳の広いも仲々重宝だよ、だが併し余は見て取った、此の夫人、何うして一通りや二通りの女でない、嘘を吐く事が大名人で、何の様な場合でも場合相当の計略を回らせて、爾して自分の目的を達する質だ、恐らくは怪美人も或いは此の夫人に制御されるのでは有るまいか、怪美人が極めて美しく極めて優しいだけ此の夫人は隠険で、悪が勝って居る、斯う思うと怪美人と此の美人とを引き離して遣る方が怪美人の為かも知れぬ事に依るとアノ贋電報まで、怪美人が出た後で此の夫人が仕組んだ業では無いか知らん、何か怪美人を余の叔父に逢わせて一狂言書く積りでは無いのか知らんと、余は是ほどまでに疑ったが愈々晩餐には取り掛った。

    第七回 全く真剣

 食事の間も叔父の目は絶えず怪美人の顔に注いで居る、余ほど怪美人に心を奪われた者と見える、斯うなると余も益々不審に思う、叔父が怪美人をば昔の知人に似て居ると云うたのは誰にだろう、叔父の心を奪うほども全体何人に似て居るだろう、是も怪美人の言い草では無いが分る時には自から分るか知らん。
 且食い且語る、其のうちに話は自然と幽霊塔の事に移った、叔父は怪美人を見て「貴女が塔の時計の捲き方を御存知とは不思議です、屡々アノ塔へ上った事がお有りですか」怪美人「ハイ以前は時々登りました、何しろ昔から名高い屋敷ですから、年々に荒れ果てるのを惜く、茲を斯う修復すればとか彼処を何う手入れすればとか、自分の物の様に種々考えた事なども有りました」叔父は熱心に「夫は此の上も無い幸いですよ、実は私が那の屋敷を買い取る事になりましたから、必ず貴女の御意見を伺って其の通りに手入れを致しましょう」怪美人「イエ実は先頃も甥御から事に由ると貴方がお買い取り成さるかも知れぬ様に伺いましたから、一度はお目に掛り私の知った事や思う事なども申し上げ度いと思いました」此の通り話の持てるは甚くお浦の癪は障ると見える、お浦は機さえ有れば此の話を遮り叔父と怪美人の間を引き割こうと待って居る有様で、眼の光り具合も常とは違う、叔父「孰れにしても此の後、屡々貴女へお逢い申し、又場合に依れば逗留の積りで塔へお出をも願い度いと思いますが、貴女のお住居は何ちらでしょう」怪美人は少し当惑の様で、「イエ住居は定らぬと申すより外は有りません、なれど是から大抵の宴会には招きに応ずる積りですから、貴方が交際社会へお出掛けにさえなれば、一週間とお目に掛らぬ事は有りますまい」叔父「イヤ私は更に左様な招きには応ぜぬ事にし、今まで宅に閉じ籠ってのみ居ましたが貴女にお目に掛れるとならば此の後は欠さず宴会には出席しましょう」此の丁寧な挨拶を傍から聞いて、お浦は耐え兼ね「叔父さん、其の様な勿体を附けて住居さえ明らかに云わぬ方の後を、何も追い掛るには及ばぬでは有りませんか」叔父は赫っと立腹したが直ぐに心を取り直して美人に謝し、「誠に我儘者で致し方が有りません、何うか此の女の云う事はお気に留めぬ様に」といい更に余に向ってお浦を取り鎮めよと云わぬ許りの目配(めくばせ)した、怪美人は謙遜し「イエ何に、あの様仰有るが当り前です、今の所私は少し住居を申し上げ兼ねる訳が有りまして、知らぬ方からは総て幾等か疑われます」叔父「貴女を疑うなどとは飛んでも無い、何うか何事もお気に留めず、幽霊塔に就いての貴女の設計や、時計の捲き方など充分にお知らせを願います」怪美人「ハイ夫は初めから申し上げる積りですから、必ず申し上げますが、夫にしても此の様な所では、イヤ貴方の外に何方も居ぬ時に申し上げましょう、甥御にもそうお断り申して置きました」お浦は前よりも声荒く「叔父さん、私は黙って居度いと思っても、黙っては居られません、今の其の方のお言葉は確かに私と道さんとを邪魔にするのです、晩餐に招かれて爾して主人の方の人々を邪魔にする様な無礼は、此の節余り流行りません、ハイ私はそう邪魔にされ慣れては居ませんから、此の座に耐えて居る事は出来ません、サア道さん私と一緒に退きましょう、此のお客様が我々とは列席して下されませぬよ」と全くの悪態と為った、叔父は何れほどか腹が立ったろうけれど、日頃の気質で充分に叱りは得せぬ、只管(ひたすら)怪美人に謝まろうと努めたが、怪美人も斯うまで云われては謙遜もして居られぬと見え、突と立って虎井夫人に目配せをし、其の様な言い掛りは受けませぬ、と言わぬ有様で静々と立ち去った、折角の晩餐も滅茶滅茶に終ったが、併し其の立ち去る風は実に何とも云い様の無い気高い様である、女王の瞋(いか)るのも此の様な者で有ろうか、夫に引き替えお浦の仕様は何うであろう、余は両女の氏と育ちとに確かに雲泥の相違が有るのを認めた。怪美人は決して乳婆などの連れ子ではない。
 叔父も非常な不機嫌で、余がお浦に成り代ってお詫びする間も無いうちに室へ退いて仕舞った、後に余はお浦に向い、荒々しく叱った位では迚も追い附かぬから、無言の儘目を見張って睨み附けた、此の時の余の呼吸はお浦の顔を焼くほどに熱かったに違い無い、本統に火焔を吐くほど腹が立ったのだ、お浦は少しも驚かぬ「貴方の其の大きな眼は何の為に光って居ます、貴方は叔父さんが何れほど深くあの何所の馬の骨とも知れぬ女を見初めたかを知りませんか、貴方は本統に明き盲目です、此のまま置けばアノ女に釣り込まれて叔父さんは二度目の婚礼までするに極って居ます、爾なれば叔父さんの身代を相続する為に待って居るお互いの身は何なります」エ、益々忌わしい根性を晒け出すワ余は決して叔父の身代に目を附ける様な男で無い、相続する為に待って居るお互いなどは余り汚らわしい言い様だ、幾ら乳婆の連れ子にもせよ斯くまで心が穢かろうとは知らなんだ、若し知ったなら決して今まで一つ屋根の下には住まわれぬ、余りの事に余は呆れて猶も無言のまま睨んで居たが、お浦は忽ち椅子を攫(つか)み、悔し相に身を震わせて「エ、憎い、憎い、アノ女は取り殺しても足らぬ奴だ、道さん見てお出で成さい、アノ女が猶も貴方や叔父さんに附き纒うなら、私は屹(きっ)と殺して禍いの根を留めますから」と云った、何もアノ女が余や叔父に附き纒っては居ぬ、若し附き纒って居るとすれば余や叔父の方がアノ女に附き纒って居るのだ、併し余はお浦の怪美人を殺すと云う言葉が全く真剣と云う事は此の後面前(まのあた)り事実を見るまで信じ無かった、信じはせぬが併し余とお浦との間は是ぎりで絶えて仕舞った、余は勿論お浦は厭、お浦も厭で幸いと云う程だろう。

    第八回 古山お酉

 折角の晩餐が斯う殺風景に終ったは実に残念だ、けれど今更仕方がない、余は兎も角も怪美人と虎井夫人とに逢い充分謝せねばならぬと思い、お浦を捨て置いて怪美人――イヤ最早怪美人ではない単に松谷秀子だ――其の松谷秀子の居る室の前まで行った、何と云って謝した者か、事に由ればお浦を狂女だと言い做しても好い、あの今夜の振舞は狂女よりも甚しい、爾だ狂女とでも言わねば到底充分に謝する道はない、と斯う思って少し戸の外で考える間に、中浦から異様な声が聞こえた。確かに松谷秀子と虎井夫人とが争って居る。「イイエ、貴女が何と仰有っても嘘を吐いたり人を欺いたりする事は私には出来ません。正直過ぎて夫が為に失敗するなら失敗が本望です」と健気(けなげ)にも言い切るは怪美人だ、扨は虎井夫人から余り正直すぎるとか何故人を欺さぬとか叱られて、夫に反対して居ると見える、何と感心な言葉ではないか、正直過ぎて失敗するなら失敗が本望だとは全く聖人の心掛けだ、余は一段も二段も怪美人を見上げたよ、次には虎井夫人の声で「場合が場合ですもの少し位は嘘を吐かねば、其の様な馬鹿正直な事ばっかり言って何うします」怪美人「イエ何の様な場合でも同じ事です、若し私の馬鹿正直が悪ければ是で貴女と分れましょう、貴女は貴女で御自分の思う様にし、私は独りで自分の思う通りにします、初めから貴女と私とは目的が別ですもの」斯う争って居る仲へ、日頃から懇意な人ならば兎も角、今日初めて逢った許りの余には真逆に飛び込んで行く訳に行かぬ、さればとて探偵然と立ち聞きをして居るのも厭だから、謝するのは明朝にしようと思い直し余は自分の室へ帰った、多分は叔父も明朝を以て篤と謝する積りで居るのであろう。
 翌朝は少し早目に食堂へ行って見た、お浦も早や遣って来て居たが、勿論余とは口を利かぬ。何でも給仕に金でも与えて、怪美人の素性を聞き糺して居たらしい、何だか余の顔を見て邪魔物が来たと云う様な当惑の様子も見えたが給仕は更に構いなく「ハイお紺婆を殺した養女お夏というは牢の中で死にましたが、同じ年頃の古山お酉と云う中働きが矢張り時計の捲き方を知って居た相です」お浦は耳寄りの事を聞き得たりと云う様子に熱心になり「その古山お酉とは美しい女で有ったの」給仕「ハイ之は最う非常な美人で、イヤ私が此の家へ雇われぬ先の事ゆえ自分で見た訳ではありませんが人の話に拠ると背もすらりとして宛(まる)で令嬢の様で有ったので、村の若衆からも大騒ぎをせられ、其の中に一人情人が出来たそうです、爾してお紺の殺される一ヶ月ほど前に色男と共に駈落し、行方知れずに成って居たが、お紺の殺された後故郷□州(ウェールス)に居る事が分り其の色男と共に裁判所に引き出されてお調べを受けましたが、遠い□州に居て此の土地の人殺しは関係の出来る筈もなく、唯証人として調べられたのみで直ちに放免せられました、何でも其の後色男と共に外国へ移ったと云う事です。今頃は米国か濠洲(おうすとらりや)にでも居るのでしょう」お浦「随分其の女は貴婦人の真似でも出来る様な質だったの」給仕「ハイ不断貴夫人の様に着飾ると、田舎者などに感心せられるのを大層嬉しがって居たと云う事です」お浦「今居れば幾齢ぐらいだろう」給仕「お紺婆の殺された時、十九か二十歳だったと云いますから今は二十五六でしょうが、併し美人に年齢無しとか云いますから矢張り若く見えて居る事でしょう」
 お浦は是だけで満足したか、問うのを止めて余の傍へ来て、最と勝ち誇った様子で「今の話を何と聞きました」余「何とも聞きませんよ」お浦「道さん、貴方の尊(うやま)う貴婦人は立派な素性です事ねエ。中働きの癖に情夫を拵えて出奔して、爾して古山お酉と云う本名を隠し松谷秀子などと勿体らしい名を附けてサ」余「エ、貴女は怪美――イヤ松谷嬢を其のお酉とやらだとお思いですか」お浦「私が思うのでは有りません、今は其のお酉より外に時計の捲き方を知った者もないと云うでは有りませんか、爾して松谷令嬢、オホホ大変な令嬢です事、其の令嬢も昨夜叔父さんに問い詰められ、以前に幾度も幽霊塔へ上ったと白状したでは有りませんか、同じ人でなくて何ですか」若し此の疑いの通りとせば真に興の醒めた話で有る、成る程アノ義母殺しの輪田夏子の墓へ参詣した所を見ると或いは此の疑いが当るかも知れぬ、仲働きを勤めて居て主人の養女夏子とは懇意で有った為、昔の事を思い出して参詣したのか、斯う思えば一言も無いけれど、余は何故かアノ怪美人を仲働きなどの末とは思わぬ、何となく別人の様な気がする、全体余は至って直覚の明らかな生まれ附きで、今まで斯うだろうと感じた事は余り間違った例がない、此の松谷秀子を古山お酉とやら云う仲働きと別人だと思う感じも、決して間違う筈がない、と自分だけは斯う思う。
 併し別に争い様もないから、無言の儘で、何とかお浦の疑いを挫く工夫は有るまいかと、悔しがって居ると、丁度叔父朝夫が這入って来た、叔父は甚く落胆の様子で「ア、今朝篤と松谷秀子嬢に逢い、昨夜の詫びも云い更(あらた)めて時計の秘密を聞き度いと思い其の室を尋ねたら、虎井夫人と共に早朝に此の宿を立った相だ、爾して行く先も分らぬ」お浦は益々勝ち誇って「爾でしょうよ、昔の素性を知った人が多勢居る土地に、そう長居は出来ぬ筈です」と独語の様に云い、更に余に向って「道さん、夜逃げよりも朝逃げの方が、貴方のお目には貴婦人らしく見えましょうネエ」何方まで余を遣り込める積りだろう、併し余は相手にせず、食事の終るまで無言で有ったが、頓て叔父は余に向い「来た序でだから是より幽霊塔の中を見て来よう」と云い、共々に出かける事とは成ったが、本統に幽霊塔を昼の中に検査するのは是が初めてだ、検査の上で何の様な事を発見するかは烱眼な読者にも想像が届くまい。

    第九回 丸部家の咒文

 愈々幽霊塔の検査に行く事と為って、余は一番先に此の宿の店先まで出掛けた、叔父とお浦は未だ出て来ぬ、多分は叔父がお浦に向い、昨夜の小言を云って居るので有ろう、余の居る所で小言を云うのを余り気の毒だと思い、故と余を先へ出したらしい。
 余は待ちながら帳場に在る客帳を開いて見た、見ると松谷秀子と虎井夫人との名が余の直ぐ前へ記(つ)いて居る、即ち二人は余等より一日先に此の宿へ来た者だ、此の宿ではタッた二晩しか泊らなんだのだ、余は若しや此の客帳の字と昨夜の贋電報の字と同じ事では有るまいかと思い、能く能く鑑定して見たが全く違って居る、客帳のは余ほど綺麗な筆蹟で珍しい達筆と云っても好い、多分怪美人が自分で書いたので有ろう、仲々電報の頼信紙に在った様な悪筆では無い、余は猶帳場の者に少し鼻薬を遣り此の客帳は誰が記けたと問い、果して怪美人が記けたのだと聞いて、更に何か虎井夫人の書いた者は無いかと尋ねたが、生憎之は無い、若し有ったなら贋電報に関する余の疑いの当り外れが分っただろうに。
 夫から又怪美人は今朝何時頃に立ったかと問うた、帳場の返事では六時前に怪美人が一人で帳場へ来て二人の勘定を済ませ其のまま立ち去ったが七時頃に虎井夫人は怪しむ様子で降りて来て、既に怪美人が勘定まで済ませて立ったと聞き、驚いて二階へ行き例の狐猿と荷物とを携えて、□々(そこそこ)に其の後を追っ掛けて行ったという事だ、是で見ると昨夜余の漏れ聞いた争いの結果が到頭円満には纒らずに怪美人が虎井夫人を振り捨てて立ったのだろう、何の様な間柄かは知らぬけれど、余り気の合った同士とは思われぬ。
 其のうちに叔父もお浦も来て、共々に用意の馬車に乗り、間も無く幽霊塔には着いたが、別に異様な事もない、相変らず陰気な許りだ、塔の上は後として先ず下の室々から検(あらた)めたが、何しろ何代も続いた丸部家が、後から後からと建て足した者で座敷の数は仲々多く、其の癖座敷と座敷との関係などが余り旨く出来て居無くて、何の為だか訳が分らぬ室なども有るけれど叔父の気には充分入ったと見え、叔父「フム悉く雑作を仕直せば仲々面白い屋敷になる」と云い、愈々買い取る事にするとの意を洩した、下の検査は是だけにして今度は塔の上へ登ったが、検め検めて昨夕余が怪美人に逢った室迄行って見ると、昨夕は此の上に在る時計室へ上る道が分らなんだのに、今朝は壁の一方に在る秘密戸が開いて居て時計室が見えて居る、何うして此の秘密戸が開いたのかと敢て怪しむ迄もない、今朝六時に宿を立った怪美人が茲へ立ち寄り此の戸を開けて置いたので有ろう、怪美人が此の秘密戸の開閉の仕方を知って居る事は昨夕時計を捲いたので分って居る、此の戸の開け方を知らずに時計を捲く事は勿論出来ぬ筈だから。
 とは云え怪美人は何故に今朝故々此の塔へ来て此の秘密戸を開けたのだろう、余は何とやら余等に対する親切で故々此の戸を開けた儘で置いて呉れたのだと思う、爾すれば外にも猶室の中に何か怪美人の来た印が有るかも知れぬと思い、室の中を見廻すと、お紺婆の寝台の上に一輪の薔薇の花が落ちて居る、余よりも先にお浦が之を看て「オヤオヤ今朝か昨夜か此の寝台へ来た人が有ると見える此の花は未だ萎れて居ぬ」と云って取り上げた、全く余の思う通りだ、怪美人が今朝茲へ来たという事を余に知らせるのだ、余は親切の印ともいう可き此の花をお浦風情に我が物にされて成る者かと殆ど腕力盡で引奪(ひったくっ)たが、悲しい哉花よりも猶大切な者をお浦に取られて仕舞った、夫は花の下に伏せてあった一個の鍵である、お浦は花を余に取られて惜しみもせず、直ぐに又寝台に振り向き「ア、丁度花の下にこれ此の様な古い銅製の鍵が有ります」と云って、今時のよりは余ほど不細工に出来た鍵を取り上げた、扨は「怪美人が此の鍵を受け取れ」と余へ注意する為、鍵の上へ花を載せて目に附く様にして置いたのだ、余は此の鍵をも取り上げようと手を延べたのに、お浦「オット爾は了(いけ)ません、此の鍵は私が拾ったのだから、真の持主が現われるまで私が預ります、誰にも渡しません」と言い切り早や衣服の何所へか隠して仕舞った。
 爾して余と叔父とが上の時計室を検めて居る間に、其の鍵を方々の錠前へ試みたと見え忽ち声を上げ「オヤ茲に此の様な物が有ります」と叫ぶから行って見ると寝台の枕の方にある壁の戸棚を開けて居る、今の鍵は確かに此の戸棚に用うるのだ、戸棚の中には一冊の大きな本が有る、今度は余が此の本を取り出して見ると昔し昔しの厚い聖書だ、是ほど立派なのは図書館にも博物館にも多くはない、之を若し考古家に見せたら千金を抛っても書斎の飾り物にするだろう、何しろ珍しい書籍だから「是は丸部家の宝物の一つでしょうね」といゝつゝ表紙を開いて見ると、これは奇妙、表紙裏も総革で、金文字を打ち込んで有る、文字の中にも殊に目に附くは、最初に記した「咒語」の二字だ、思えば昨夜、怪美人がこの室に丸部家の咒文が有るといゝ余に暗誦せよと告げた、即ち此の咒語に違いない、咒語か、咒語か、何の様な事を書いて有る、文字は鮮(あざや)かで有るけれど、仲々難かしい、余は漸く読み下した。
明珠百斛 (めいしゆひやくこく)      王錫嘉福 (わうかふくをたまふ)
妖□偸奪 (えうこんたうだつ)       夜水竜哭 (やすゐりようこくす)
言探湖底 (こゝにこていをさぐり)     家珍還□ (かちんとくにかへる)
逆焔仍熾 (ぎやくえんなほさかんなり)   深蔵諸屋 (ふかくこれををくにざうす)
鐘鳴緑揺 (しようなりみどりうごく)    微光閃□ (びくわうせんよく)
載升載降 (すなはちのぼりすなはちくだる) 階廊迂曲 (かいらううきよく)
神秘攸在 (しんひのあるところ)      黙披図□ (もくしてとろくをひらけ)
 何の意味であろう、先ず読者にも考えて貰い度い。

    第十回 図□

 何にしても此の咒文は幽霊塔の秘密を読み込んで有るに違いない、この意味が分れば、幽霊塔の秘密も分るに違いない。
「明珠百斛(めいしゅひゃっこく)、王錫嘉福(おうしかふく)、妖□偸奪(ようこんとうだつ)、夜水竜哭(やすいりょうこく)、言探湖底(げんたんこてい)、家珍還□(かちんかんとく)、逆焔仍熾(ぎゃくえんじょうし)、深蔵諸屋(しんぞうしょおく)、鐘鳴緑揺(しょうめいりょくよう)、微光閃□(びこうせんよく)、載升載降(さいしょうさいこう)、階廊迂曲(かいろううきょく)、神秘攸在(しんぴしゅうざい)、黙披図□(もくひとろく)」
 昔の韻文で、今人の日常には使用せぬ文字も多いが、併し兼ねて余が聞き噛って居る幽霊塔の奇談と引き合せて考えれば、初めの方だけは薄々に斯う云う意味だろうかと推量は附く、平たく云えば「沢山な宝を(第一句)国王から恵まれた(第二句)怪しい悪僧が盗み去って(第三句)暗い水の中へ落した(第四句)いま水海の底を探して(第五句)我が家の宝が元の箱へ還った(第六句)今は物騒な世の中だから(第七句)人の知らぬ様に家の中へ隠して置く(第八句)」と、此の様な事でも有ろうか、併し此の次の四句は更に分らぬ、鐘が鳴るの、緑が動くの、微かな光が閃めくの、昇るの降るのとて、全体何の事だ、此の四句が能く分れば多分は其の宝の在る所へ行く路も分り、従って其の宝と云う物は全くあるかないか此の伝説が虚か誠かと云う事を見極める事も出来ようけれど、到底此の意味は分らぬから仕方がない、唯余に分らぬのみでなく恐らくは誰にも分らぬで有ろう、分らねばこそ今まで何百年も秘密と為って存して居るのだ、とは云え末二句には聊か頼もしい所がある「神秘の在る所、黙して図□を披け」と云うは「詳しい事は図面で見よ」と云う様な心ではあるまいか、爾とすれば其の図□とか云う図面を見れば、最(もっ)と能く分り相に思われる。
 此の様に考え回す所へ、叔父は時計室から降りて来て「何う見ても時計の捲き方は分らぬ、夜前の松谷秀子嬢に最一度逢って教えて貰うより外はない」と云ったが、頓て背後から此の咒語此の聖書を見、驚いて「ヤ、ヤ、是は大変な物が出て来た、此の聖書は昔から丸部家の家督を相続する者に伝えて来た宝の一だ、咒語は到底何の事だか分らぬけれど丸部家の当主たる者は誕生日毎に此の咒語を暗誦して其の意味を考えねばならぬと云う事に成って居たのだ、全体此の聖書は何所から出た」余「今此の戸棚に在りました」叔父「それは益々もって不思議だ、此の聖書は輪田お紺婆が此の塔を買い取るより数年前に紛失して、時の当主は大金を掛けて詮索したが到頭出ずに仕舞ったのだ、若しその時に此の戸棚に在ったなら直ぐに当主が見出す可き筈で有る、勿論此の戸棚などは空にして探したけれど出て来なんだ、何でも一旦紛失した物が時を経て茲へ返ったのだ、聖書が独りで返る筈はないから誰かが持って来て密っと入れたのだ」余は益々怪美人の言葉を思い合せ、彼の美人が余に此の咒語を解かせ度いとでも云う親切で此の聖書を茲へ入れたに違いないと思う、併し彼の美人が何うして此の聖書を持って居たかなど云う点は更に分らぬ、分らぬけれど分らぬ事だらけの怪美人のする事だから、何も是のみを怪しむにも及ばぬ訳サ。
 叔父は聖書の表紙などを検めて「表紙に塵などが溜って居ぬ所を見ると此の頃まで人手に掛って居た者だ、何うも己の推量が当って居る様だ」余「エ、貴方の推量とは」叔父「昔、此の書が紛失したと聞いた時、己は多分其の頃老女を勤めて居たお紺婆が盗んだのだと思った、アノ婆は非常な慾張りで有ったから、此の塔に宝物が隠れて有ると云う伝説を聞き、咒語さえ見れば其の宝の在る所が分る事と思い、先ず此の聖書を盗み、爾して其の後此の塔を買い取ったのだ」余「では此の聖書が何うして茲に在ります」叔父「多分はお紺の相棒が有ったのだろう、お紺自身は咒語を読む事などは出来ぬから其の相棒へ之を渡して研究でもさせたのだ、其の相棒が研究しても分らぬから終に絶望して聖書を茲へ返したのだろう」果して其の推量の通りならば、怪美人が其の相棒と云う事になる、余は何うも爾は思わぬ。アノ様な美しい女が其の様な悪事に加担する筈はない、若し加担したのならば此の聖書を余の手に這入る様に茲へ入れて置く筈はない、叔父とても若しアノ美人が此の聖書を茲へ置いた者と知れば、お紺の相棒などと云う疑いは起さぬに違いない、併し余は今、アノ美人の事を叔父に告げ、美人が此の聖書を持って来たらしいなどと知らせる事は出来ぬから、唯無言で聞いて居ると、智慧逞しいお浦は其の辺の事情を察したのか「爾です叔父さんの御推量の通りでしょう」と云い更に余にのみ聞える様に「是で益々アノ松谷秀子が、お紺の仲働き古山お酉だと云う事に成るでは有りませんか、何でもアノお酉が自分一人の力では行かぬから貴方をタラシ込んで相棒に引き込む為、薔薇の花も銅製の鍵も置いて行ったのです、あの女は叔父さんが此の屋敷を買う事を知り、叔父さんの家族の中に相棒がなくては了ぬと思って居ます、若し貴方を相棒にする事が出来ねば直接に叔父さんを欺し、後々此の家へ自由自在に入り込む道を開いて爾して宝を盗み取る積りです、叔父さんへ贋電報を掛けたのもあの女ですよ」
 余は此の疑いには賛成せぬけれど、爾でないと云えば八かましくなる故、無言(だまっ)て聞き流したが、其の間に叔父は咒語を繰返し「何でも図□という者がある筈だ図□は此の本の中へ秘して有ると兼ねて聞いて居たが」と云い、本の小口を下に向けて振って見た、すると中から一尺四方ほどの一枚の古い古い図面が出た、図面には「丸部家図□」と書いてある、是だ、是だ、是さえあれば何事も分るだろう。

    第十一回 チャリネの虎

 図□とは何の様な者だろう、余も叔父も首を差しのばして検めたが、全く幽霊塔の内部を写した図面であるが、悲しい事には写し掛けて中途で止めた者で、即ち出来上らぬ下画(したえ)と云うに過ぎぬ、是では何の役にも立ぬ、咒文を読んで分らぬ所は図□を見ても矢張り分らぬ、叔父の説では幽霊塔を立てた人が、先ず咒文を作って次に図□を作り始めたが、中途で自ら塔の中へ落ち、此の世へ出ずに死んだから、夫で図□だけは此の通り出来上らずに仕舞ったと云う事だ。
 併し叔父が此の塔を買おうと云うのは元々咒文や図□の為ではない。
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