宇宙の迷子
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著者名:海野十三 

   ゆかいな時代


 このゆかいな探険(たんけん)は、千九百七十何年だかにはじめられた。いいですか。
 探険家はだれかというと、川上一郎君、すなわちポコちゃんと、山(やま)ノ井(い)万造(まんぞう)君、すなわち千(せん)ちゃんと、この二人の少年だった。
 川上君は、顔がまるく、ほっぺたがゴムまりのようにふくらみ、目がとてもちいさくて、鼻がとびだしているので、まめタヌキのように、とてもあいきょうのある顔の少年だ。タヌキはポンポコポンであるから、それをりゃくして川上君のことを友だちはポコちゃんとよんでいる。とてものんきな、にぎやかな子どもだ。
 山ノ井君のほうは、顔が丸くなく、上下にのびていて、頭は大きく、あごの先がとがっていて、どこかヘチマに似(に)ている。ヘチマ君とよばないで、ヘチマのチを千(せん)とよみ、千ちゃんとよばれているが、それは山ノ井君はなかなか勉強がよくでき、友だちにしんせつで、級長をしているくらいだから、ヘチマとはよばないのだった。
 この二人はたいへん仲がよくて、いつも二人つながってあるいていたり、あそんだり勉強したりしている。だからこの二人が組んで、探険に出かけるのはもっとものことだ。
 探険――などというと、むかしはたいへん大じかけな、お金のうんといる事業のようにいわれたものだ。そのくせ探険のもくてき地はアフリカの密林の中とか、北極とかで、みんなこのせまい地球の上にある場所にすぎなかった。いまはそうではなく、探険といえば、たいてい地球の外にとびだしていくのだ。年号が千九百七十年代にはいると、世界中の人々がこの宇宙探険熱にとりつかれ、われもわれもと探険に出かけるようになった。探険がかんたんにできるようになったわけは、もちろん原子力エンジンが完成したせいである。
 原子力エンジンは、小型のものでも、何億馬力の力をだす。その原料はすこしでよい。昔はガソリンや石炭をつかっていたが、あんなものはうんとたいても、いくらの力も出やしない。原子力エンジンが世の中に出るようになってから、ガソリンも石炭もただみたいにやすくなったが、それは原子力エンジンにくらべると、たいへん能率のわるいエネルギーの源(みなもと)だからである。
 さて、わがポコちゃんと千ちゃんをここへつれてきて二人の話をきくことにしよう。
「もう知れちまったのですか。早いねえ。ええそうです。ぼくとポコちゃんとの二人で、この夏やすみの二カ月間を利用して、ちょっと月の世界を探険してこようと思うんです」
 そういったのは、千ちゃんだった。
「ほんとうはぼくは火星までいってみたいんだけれどねえ。こんどは日数がたりないので、だめさ」
 ポコちゃんは、小さい目をしばたいてそういった。
「月の世界にこれまでいったことがあるんですか」
 と、きいてみた。
「いいや、こんどが、はじめてです」
「どんなものを目的に探険するのですか。貴重な鉱石かなんかをさがしにいくんでしょう」
「そうじゃないんです。ぼくは、月がなぜあんなに冷(ひ)えてしまったかということをしらべたいと思うんです」
 千ちゃんは、そういってから、かたわらのポコちゃんのほうをゆびさして、
「しかしポコちゃんは、ぼくとちがった、べつな目的で探険するといっています」
「ポコちゃんの探険目的はなんですか」
「ぼくはね、ちょっとたいへんなんだよ。月の世界へいって、生物をさがすんだよ」
 ポコちゃんは肩をそびやかした。
「生物をさがす? だって月には生物がいないんでしょう。月は冷えきっているし、空気も水もないから、生物がいきていられないわけですね」
「それがね、ぼくは問題だと思うんだ。ほんとうに生物がいないかどうか、じっさい月の世界へいってよく探してみないことには、はっきりしたことはいえない。それにね、ぼくは前から、月の世界には生物がいるにちがいないと推理をたてているんだ」
「へえ、ポコちゃんだけですね、月の世界には生物がいるなどと考えているのは……。もっとも大昔は、月の中にウサギがすんでいて、もちをついているという話があったが、あれは伝説にすぎないですね」
「ぼくはそのウサギのことをいっているのじゃない。もっとすごいやつがいやしないかと思う。それで、むこうへいったら、どんどん地面を掘りさげて、月の生物をさがしてみるつもりなのさ」
 ポコちゃんのきばつな話は、そのへんでやめてもらい、もう一つきいてみた。
「こんどの探検では大宇宙をとぶわけですが、航空中になんぎをするような所はありませんか」
「やっぱりいちばんくるしいのは、重力平衡圏(じゅうりょくへいこうけん)を通りぬけるときでしょうね。もしぼくたちの宇宙艇の力がたりなくなったり、エンジンが故障になると、宇宙艇は前へも後へも進むことができなくなり、永遠にその宇宙の墓場(はかば)につながれてしまうでしょう。ぼくはしんぱいしています」
「なあに、だいじょうぶさ。故障さえおこらなければ、すうすうと通っちまうさ。今からしんぱいしてもしかたがない。そこへいって、いっしょうけんめいやればうまくいくよ」
「だがね、ポコちゃん。重力平衡圏というものはもっとおそろしい場所だと思うよ。北極や南極の近くには、氷山が、ぶかぶか浮いていて、船に衝突してしずめてしまように、あの重力平衡圏には、おそろしくでっかい宇宙塵(うちゅうじん)がごろごろしていて、ぼくたちの宇宙艇がそれにぶつかろうものなら、たちまちこなごなになってしまうと思うよ。だからそのへんを宇宙の墓場といってみんなおそれているんだ」
「なあに、そこへ近づいたら、ぼくがうまく宇宙艇を操縦して宇宙の墓場を安全に通してあげるよ。千ちゃん、きみみたいに前からしんぱいばかりしていたら、ますますきみの顔が青くなってヘチ……いや、ごほん、ごほん」
「なんだって。ヘチがどうしたって。その下にもう一字くっつけたいんだろう」
「マあいいや。ごほん、ごほん」
「あっ、とうとういったな、こいつ……」


   カモシカ号出発


 二人ののりこんだ宇宙艇カモシカ号は、ついに地球をけって、大空へ向けてとびあがった。
 時刻(じこく)は午前五時十五分。場所は東京新星空港だ。
 すばらしいカモシカ号の雄姿(ゆうし)!
 流線型の頭をもった艇の主体。そのまんなかあたりから、長くうしろへむけてひろがっているこうもりのような翼(つばさ)が三枚。艇のぜんたいは螢光色(けいこうしょく)にぬられていて、目がさめるほどうつくしい。尾部(びぶ)からと、翼端(よくたん)からと、黄いろをおびたガスが、滝のようにふきだし、うしろにきれいな縞目(しまめ)の雲をひいている。そしてぐんぐん空高くまいあがっていく。
 そのカモシカ号の艇の内部をのぞいてみよう。
(テレビジョンじかけで、艇のもようは、たえず地上へ向けて放送されている)。
 艇のまるい頭部の中に、二つならんだ操縦席がある。右の席にはポコちゃんが、左の席には千ちゃんが腰をふかくうずめている。
 操縦席と計器盤と自動式操縦ボタンとが、鋼鉄製(こうてつせい)の大きなかごのようなものの中にとりつけられている。そのかごは、外側に二本の軸がとびだし、それがかごをとりまく大きいじょうぶな輪(わ)の軸受けあなへはいっている。その輪には、おなじような二本の軸がとびだし、かごの軸と九十度ちがった方角へでていて、それが外側にあるもう一つの大きなじょうぶな輪の軸受けあなへはいっている。そしていちばん外側の輪は、しっかりと艇のかべにとりつけられている。
 つまり、昔からあるらしん儀(ぎ)のとりつけかたとおなじである。そのとりつけかたをすると、船がどんなにかたむいても、らしん儀の表だけはちゃんと水平にたもたれるのだ。――カモシカ号の操縦者とともに、いつも重力の方向にじっとしていて、横にかたむいたり、さかさになったりしないようにたくみに設計されているのであった。
 だから宇宙艇カモシカ号がまっすぐに上昇しようと、水平方向にとぼうと、あるいはまた宙がえりをしようと、操縦席はいつも直立不動で、操縦席にいる人間は家の中でいすに腰をかけてじっとしているのと同じことであって、たいへんらくである。
 そのかわり宇宙艇の頭は、すきとおったあつい有機ガラスと、じょうぶな鋼鉄のわくとをくみあわせて、半球形(はんきゅうけい)になっていて、操縦席がどっちへむこうとも、いつでも艇の外が見られるようになっている。
 艇は、垂直(すいちょく)に上昇をつづけている。
 太陽の光りはあかるく円屋根(まるやね)の左の窓からさしこんでいる。
 高度は、今しがた七千メートルを高度計のめもりがしめした。
 下界(げかい)は、はばのひろい濃いみどり色のもうせんをしいたように見え、そのもうせんの両側にガラスのような色を見せているのは海にちがいない。まるで白い綿をちぎったような小さな雲のきれが、艇と下界のあいだに浮いて、じっと、うごかないように見える。
「千ちゃん、たいくつだね。下界のラジオでもかけようか」
「うん。どこか軽快な音楽をやっている局をつかまえてくれよ」
「ああ、さんせいだね」
 ポコちゃんが短波ラジオのダイヤルをぐるぐるまわしていると、アメリカのラジオ・シチーの明かるい放送がはいってきた。
 二人がそれにききいっているうちに、高度はどんどんあがっていく。そして空がだんだん暗さをます。
 やがて星がきらきらかがやきはじめる。
「ポコちゃん、いつのまにかほくたちは成層圏(せいそうけん)へたっしたよ。ほら、空が暗くなってまるで夕方になったようだ」
 千ちゃんが指をてんじょうの方へむけていう。が、ポコちゃん、へんじをしない。それもそのはず、ポコちゃんは音楽をききながらいい気もちになってねむってしまったのだ。
「おやおや、のんきな坊やだなあ」
 そういっているとき、へんなこえが頭の上にした。
「もしもしカモシカ号。もしもしカモシカ号……」
 あ、下界からの超短波の無線電話のよびだしだ。
「ああ、こちらはカモシカ号です。山ノ井万造です。あなたはどなたですか」
「おお、カモシカ号ですね。ぶじですか。みんなしんぱいしていたところです。こっちは東京放送局の中継室ですが……」
「ぼくたちは元気です。しんぱいはいらんです」
「でもね、さっきから――そうです、四十分ほど前からこっちへずっとカモシカ号からのテレビジョンがとまっているのです。だからカモシカ号は空中分解でもしたんじゃないかと、しんぱいしていたわけです。だから超短波の無電でちょっとよびだしをかけたんです」
「こっちからのテレビジョンがとまっていますって。それは知らなかった。そんなはずはないんですがね。念のためにちょっとしらべますから、待っていてください」
 千ちゃんはふしぎに思って、テレビジョンの空中線回路へ監視燈(かんしとう)をつっこんでみると、燈(あかり)がつかない。なるほど電流が通っていない。やっぱりそうだったんだ。故障の箇所(かしょ)はどこだろうかと、千ちゃんは座席から立ちあがってはしごで下へおり、テレビジョン装置をしらべてみた。しかしアイコノスコープも発振器(はっしんき)もどこもわるくなさそうである。しかしテレビジョン電流はさっぱり出ないのだ。
 いよいよこれはへんである。千ちゃんはふたたびはしごをのぼって操縦席へもどってきた。このうえは、いい気持のポコちゃんをねむりからさまして、二人して故障箇所を早くさがそうと考え、となりの席で、ていねいに、おじぎをしたようなかっこうでいねむっているポコちゃんの肩へ手をかけようとしたとき、故障の原因がたちまちはっきりわかってしまった。
「なあんだ。ポコちゃんが、自分のおでこで、テレビジョンのボタン・スイッチをおして“テレビ休止(きゅうし)”にしているじゃないか。困った坊やだ。おいポコちゃん、ポコちゃん。そうしていちゃこまるじゃないか」
 と、千ちゃんはポコちゃんの肩をもって、自動式操縦ボタンのパネル(盤)からひきはなした。しかしポコちゃんは、まだ目がさめないで、座席に深くおちこんだようなかっこうで、むにゃむにゃ、ぐうぐうぐう。
 千ちゃんはあきれながら“テレビ動作”のボタンをおす。するとテレビジョンはすぐさま働きだした。
「ああ、もしもしカモシカ号。そっちから送っているテレビジョンが受かるようになりました。ありがとう、ありがとう」
 下界の放送局のこえである。
「いや、どういたしまして。ぼくの顔が見えていますか」
「ああ、よく見えます。笑いましたね、いま。あなたは山ノ井君ですね」
「そうです、山ノ井です」
「もう一人の川上一郎君は健在(けんざい)ですか」
「はあ、健在です」
「では、川上君にちょっとテレビへ出てもらって、何かしゃべってもらってくれませんか」
「はいはい。しょうちしました」
 千ちゃんはそうこたえて、テレビジョンの送影口(そうえいぐち)をポコちゃんの方へむけて大うつしにして、
「おいおい、ポコちゃん。放送局のおじさんが、君になにかしゃべれってさ」
 と、肩をゆすぶって起しにかかる。
「……うん、むにゃむにゃむにゃ……。もうおイモはたくさんだよ。ナンキンマメがいい。あ、そのナンキンマメ、まってくれ。むにゃむにゃ……」
 と、ポコちゃんは、ねごとをいう。
「はははは、これはゆかいだ」
 と、放送局のアナウンサーは笑って、
「では、もう時間がきましたから、このへんでさよならします。次の連絡時間は十時かっきりということにねがいます。エヌ・エィチ・ケー」


   飛ぶ火の玉


 ポコちゃんがしぜんに、ねむりからさめたときには、艇の外はもうまっくらであった。
「あっ、あああーッ。いい気もちでねむった。――おやおや、もう日がくれたぞ。早いものだ。さっき朝だと思ったのに……」
 そういうポコちゃんの横の席では、千ちゃんがしきりに日記をつけている。
「あ、千ちゃんがいたよ」
 と、ポコちゃんはつまらないことを感心して、
「千ちゃん、今何時だい」
「今、十時三十分だ」
「十時三十分? 午後十時半かい」
「ちがうよ。午前十時三十分だよ」
「へんだね、それは……だって、外はまっくらで、星がきらきらかがやいているぜ。ま夜中の景色だよ、これは……」
「おい、しっかりしてくれ、ポコ君、いつまでねぼけているんだよ」
「ねぼけているって、このぼくがかい。ぼくがどうしてねぼけるもんか。千ちゃんこそねぼけているぞ。ぼくはねぼけてなぞいないから、たとえば、この高度計でもさ、はっきり読めるんだ。……おやおやおや」
 ポコちゃんは目をこすったり高度計のガラスぶたをなでたり。
「へえ、ほんとうかなあ、高度二万五千メートルだって……。すると成層圏のまん中あたりの高度だ……。そのあたりなら、大気がうすくて、水蒸気もないし、ごみもないから、太陽の光線が乱反射(らんはんしゃ)しない。それで昼間でも成層圏の中は暗い。ことに高度二万三千メートル以上となれば空は黒灰色(こくかいしょく)にみえるのである……と、“宇宙地理学”の教科書に書いてあったが、ははん、なるほどだ……」
 ねぼけていたとはいえ、もう夜中だ、などとばかなことをいったものだ。千ちゃんはそれに気がついたかなあ――と、ポコちゃんは、タヌキのやぶにらみという、みょうな目つきをして、となりの席の千ちゃんの方をうかがった。すると千ちゃんはまっすぐ顔をポコちゃんの方へ向けてにやにや笑っていた。
「あははは」
「わっはっはっはっ」
 二人は笑いあった。それぞれちがった笑いの原因によって笑った。
 カモシカ号の速度はかねて計算しておいたとおり、しだいにはやくなっていった。
 地上からいきなり早い速度で飛びだすことはきけんである。のっている人間は気がとおくなったり、ひどければ死ぬであろう。
 しかし地上を出るときは、わりあいゆっくりした速度でとびだし、それからだんだん速度をたかめていくと、のっている人間にはきけんをおよぼさないで、かなりたかい速度にすることができる。つまり人間のからだにこたえるのは、速度そのものではなく、速度のかわりかた――つまり加速度が、あるあたい以上になると、きけんをおこすのである。
 着陸のときにも同じことであるが、着陸の場合は、速度のへりかたが問題になる。
 なにしろカモシカ号としては、二カ月間に地球と月の間を往復し、そして月の世界を見物する日数も、この中にみこんでおかねばならないので、たいへん日がきゅうくつだ。したがって、地球と月の距離四千二百万キロメートルの往復を二十日ぐらいでやってしまいたい。そのためには、宇宙艇カモシカ号は、すくなくとも時速二十四五万キロメートルの、最大速度(トップ・スピード)をださねばならない。
 ガソリンのエンジンや、火薬利用のロケットを使ったのでは、今まではとてもこんなすごい速度はだせないが、原子力エンジンの完成された今日では、これだけの最大速度をだすことはよういである。人間が原子力を利用することができるようになったおかげで、それまでは、全く不可能とされていた、北氷洋とインド洋をつなぐ、大運河工事もできるようになり、また、土佐沖海底都(とさおきかいていと)のような大土木工事が成功し、それから地球外の宇宙旅行さえどんどんやれるようになったのだ。すばらしい原子力時代ではないか。じっさい二少年は、らくな気もちで、こうして宇宙を飛んでいるのだ。
 地上からはかった高度五万五千メートルあたりが、成層圏のおわりである。
 そこを通りこすと、大気はいよいようすくなって、地上の大気の四千分の一ぐらいとなる。もちろん艇の中では、たえず酸素をだす一方、空気をきれいにし、炭酸ガスをとっている。艇は気密室で、空気が外にもれないようにつくってあるが、このあたりまでくると、外の大気圧(たいきあつ)が低いからどこからともなく艇内の空気が外へぬけだす。だから艇中で酸素などをたえずおぎなってやらなければならない。
 ガンガンガーン。
 ガガーン、ガガガガン。
 とつぜん、どえらい音をたてて、艇がゆれた。
 音がしたのは、操縦席よりずっと後方にあたる艇の胴中へんと思われる。
「何だろう、千ちゃん」
 ポコちゃんは、小さい目をせいいっぱいひろげて、千ちゃんの腕をつかんだ。
「さあ、何だろう」
 千ちゃんにも、けんとうがつかない。
 が、音もしんどうもそのままおさまったし、計器盤を見わたしても、べつに異常はなさそうである。
 ガンガンガーン。
 ガガーン、ガガガガン。
 とつぜん、またもやひどい音がして、艇がきみわるくふるえた。
「あっ、また起った」
「へんだね、どうも」
「気もちがわるいね。きっとこのカモシカ号は空中分解するんだよ。ちと早すぎらあ」
「……」
 千ちゃんはポコちゃんにはこたえず、顔を前へつきだして、ガラス窓ごしに外をすかして見ていたが、このとき、さっと顔をかたくすると、
「ポコちゃん、あれを見ろ。外を見るんだ」
 とさけんで右手で外を指さしたが、その手をただちにパネルへもどして、操縦席にあかあかとついていた電燈を消した。
 たちまち二人のまわりはまっくら。
 千ちゃんはなぜ電燈を消したのだろうと思いながら、ポコちゃんは艇外へ目をやった。
 外は墨(すみ)をぼかしたようなまっくらな空。銀河が美しい。
 と、とつぜん、上の方からすぐ目の前におりてきた大きな赤い火の玉!
 みるみるうちにその火の玉は、まぶしいばかりにもえあがって下界の方へ。
 ガガガンの音はそのとき起った。
「何だろうね、今のは……」
 ポコちゃんは、青くなってさけんだ。
「いん石がもえながら飛んでいるんだ」
 くらやみの中に千ちゃんのこえがひびいた。


   危機脱出


「へえっ、あれが、いん石かい。すごいなあ」
 あまりものにおどろいたことのないポコちゃん川上少年も、艇外をひゅうひゅうととびかう鬼火のような、いん石群には、すっかりきもっ玉をうばわれた形であった。
 そのとき操縦当番の千ちゃん山ノ井少年は、ポコちゃんに答えようともせず、前のテレビジョンの映写幕面をにらみながら、汗をながして操縦かんをあやつっている。
「しかし、きれいなもんだなあ。両国(りょうごく)の川開(かわびらき)で大花火を見るよりはもっとすごいや。あっ、また一発、どすんとぶつかったな。いたい!」
 ポコちゃんは金属わくにいやというほど頭をぶっつけた。それっきり、かれはおしゃべりをやめた。それはしゃべっているさいちゅうにどすんときて、じぶんの舌をかみそうで、心配になったからだ。
 艇内はしばらくしずまりかえっていた。ただ聞えるのは、艇の後部ではたらいている原子力エンジンの爆発音の、にぶいひびきだけだった。
 そういう状態が十五分ほどつづいたあとで、山ノ井はスイッチを自動操縦の方へ切りかえて、操縦かんから手をはなした。そしてほっと大きな息をついて、となりの川上の方へ顔を向けた。
「ポコちゃん。ようやく流星群(りゅうせいぐん)を通りぬけたらしい。もう、だいじょうぶだろう」
「だいじょうぶかい。いん石があんな大きな火のかたまりだとは思わなかった。こわかったねえ」
「まったくこわかった。下界から空を見上げたところでは、流星なんか大したものに見えないけれど、今みたいにすぐそばを通られると、急行列車が五六本、一度にこちらへとんでくるような気がして、ひやっとしたよ」
 そういっている山ノ井のひたいから、汗のつぶがぼたぼたと流れおちた。
 原子力エンジンは、この宇宙艇で地球から月の世界をらくにおうふくさせてくれる。それがわかっていたから、二少年はカモシカ号に乗って地上をとびだしたわけである。しかしそれはかるはずみであったと、今になって気がついた。やはり本職の宇宙旅行案内人をやとっていっしょにこのカモシカ号に乗組んでもらうのがよかった。二少年のたのみの綱(つな)は、ある雑誌の増刊(ぞうかん)で、「月世界探検案内特別号」という本が一冊あるきりだった。
 その本によると――地上からの高度六十キロメートルから百三十キロメートルの間の空間において、いん石は空気とすれあって火をだしてとぶ、これすなわち流星である――と、かんたんに書いてあるだけだった。その流星の中には宇宙艇に命中して艇をこなごなにするような大きなものがあることや、それがとんで来たときにどうして艇を安全にすることができるか、などということはちっとも書いてなかった。
 だからここまで来たのはいいが、二少年はたいへん心ぼそくなってしまった。山ノ井の方はとくに心配をはじめた。
「やあ、あれは何だろう。大きな山が光ってみえるぜ、おい千ちゃん、あれを見な」
 川上が急に大きな声をだして、横の、のぞき窓に顔をおしつけて、わめきたてる。
 山ノ井は、はっとした。大きな山が光ってみえる。もしそれが大いん石であって、それに正面からぶつかられると、もうおしまいだ。かれは席からのびあがって、川上がのぞいているとなりに顔をおしつけて、外のようすをうかがった。
 うるしを流したようにまっ黒い大空。きらきらとダイヤモンドのように無数の星がきらめいている。ことに大銀河のうつくしさは、目もさめるようだ。その銀河が橋をかけているしたに、川上がさわぎたてる大きな光りの山があった。それは五色の光りのアルプスとでもいいたい。空中の博覧会の大イルミネーションだ。目をすえて見るとその五色の山脈はすこしずつ動いている。
「ああ、きれいだなあ」
 山ノ井は思わず嘆声(たんせい)をはなった。
「千ちゃん。きれいだなどと、見とれていていいのかい。あれは何だい。原子力のたつまきじゃあないのかい」
 原子力のたつまきなんて、そんなものがあるかどうか知らないが、川上はそういうものがあったらさぞおそろしかろうと思って、そういったのだ。
「ちがうよ、ポコちゃん。あれはオーロラだ。極光(きょっこう)ともいうあれだ。そして山形をしているから、あれは弧状(こじょう)オーロラだよ」
「オーロラ? ははあ、なるほどオーロラだ」
 川上は、本に出ていた三色版(ばん)写真のオーロラを思いだした。
「あそこがちょうど北極のま上にあたるんだ。地上からの高度はいくらだったかな」
 山ノ井が、れいの増刊のページをぺらぺらとくって、オーロラの説明の出ているところをだした。
「書いてある。――弧状オーロラは高度百二十キロないし百八十キロの空間に発生する。また幕状(まくじょう)オーロラは、さらに高き場所に発生し、その高度は三百キロないし四百キロである――とさ」
「ふうん。ぼくたちはとうとうオーロラの国まで来たんだね。ゆかいだねえ」

   しんぼうくらべ

 オーロラの国も、いつしか通りぬけて、宇宙旅行の沿道のながめは、いよいよ単調で、たいくつなものとなってきた。
 なぜなら、空はどこまでいっても、うるしをとかしたようにまっ黒で、その黒い幕のところどころに針でついたような穴があって、それがきらきらと光っている大小無数の星である――という風景が、いつまでたってもつづくのであった。なんのことはない、無限にながく夜がつづいているようなものだ。
 ただ、ふつうの夜には見られないものが二つあった。
 その一つは、まっくらな大空に、よくみがいた丸鏡(まるかがみ)のような太陽がしずかに動いていくことだ。それはふしぎなものだった。ぎらぎらとかがやいている太陽にはかわりがないんだが、しかしあたりはまっくらな夜の世界だ。なぜ太陽はあたりの空を明るくしないのであろうか。いきおいのおとろえた太陽。急に年をとったように見える太陽だった。
 しかしこれは、「月世界探険案内」に説明が出ていた。地上で仰ぐ太陽があたりの空をすっかり明るくしているのは、空中にあるちりや水蒸気の粒などが太陽の光線を乱反射させるためである。ところが空高くのぼれば、ちりはなくなるし、水蒸気はもちろんなくなり、太陽の光線は一直線にすすむだけで、何にもぶつかるものがない。だからもちろん乱反射は起らない。したがって、もえている太陽はぎらぎらかがやいても、あたりは明るくないのだという。
 いくら太陽がえらくても、ちりや水蒸気がなければ、空がまひるの明るさにかがやかないのだ。そうしてみると、ちりとか水蒸気は、大した魔術師だわい――とポコちゃんは感心してしまった。
「だけれど、なんというあわれなお日さまだろう」
 と、ポコちゃんは、窓の外に仰ぐ太陽にたいへん同情をした。
 もうひとつのかわった風景は、どんどん後へはなれていくわが地球が、とうとうすっかり球(たま)の形に見えるようになったことである。
 その地球の大きさを、どういいあらわしたらいいだろうか。大きな丸いテントを張って、それをすぐそばに建っているとうの窓から身をのりだして見たようだとでもいうか、家の二階までがすっぽりはいる大きな雪の玉をこしらえて、そのそばにしゃがんで見上げたようだというか、とにかく大きな球の形に見え、それが太陽の光をうけて明かるくかがやいて見えるのだった。
 海と陸との区別がつくことはつくが、それはあまりはっきりしない。陸の色は黄色っぽい緑であるし、海はうす青であった。しかしよく見ているとあそこが太平洋だな、こっちがアジアで、あっちがアメリカだなとわかった。この大きな球である地球が、きれぎれの雲につつまれているところは、なんだかおそろしい気がしたし、またその大きい地球が、ささえるものもないのに落ちもしないのが、ふしぎであり、あぶなっかしく思われて、山ノ井も、川上も、ながく地球を見ていることができなかった。
 二人が目ざす月の方は、こうしてかなり近づいたのにもかかわらず、海から出た満月ぐらいの大きさになっただけだった。月の世界につくには、まだなかなかである。
 こうして、しんぼうくらべのような日が、いく日もつづいた。
 地球からのラジオが、いちばんたのしいものであったが、それもだんだんと音がよわくなってきたし、局の数もへった。こっちのカモシカ号から地球へ送る無線通信もだんだんうまくいかなくなって、やがてモールス符号のほかは、地球へとどかなくなってしまった。それでも地球からは、かすかながらも無線電話がカモシカ号のアンテナにとどいた。しかしそれは、とくに大切な連絡のために使われるだけであって、一日のうちに五分ずつ、たった三回にすぎなかった。
 しかしその五分間の無線電話によって、カモシカ号のことが、内地でたいへん人気があることもわかってうれしかった。また、金星探険団のマロン博士一行の乗っているロケットが針路をあやまって大まわりをしたために、いまだに金星につかないで、金星のあとを追いかけて太陽のまわりをぐるぐるまわっているが、このちょうしではもう地球へもどれず、博士一行は宇宙で遭難し白骨(はっこつ)になるのではないか、と心配されている、といういやな報道もあった。
 このカモシカ号が、マロン博士一行みたいな運命におちいってはたいへんである。二少年は、たいくつの心をふるいおこして、一所けんめい艇のエンジンのちょうしをしらべ、そのほか艇が持っているいろいろな装置をしらべて、故障のおこらないようにつとめた。
 艇は気密室(きみつしつ)になっていた。気密室とは、空気がもれない部屋のことをいうのだ。もしこの気密がわるくなり、艇内の空気が外へもれはじめると、二少年は呼吸ができなくて死んでしまわなければならない。だから艇が気密になっているかどうかを、念入(ねんい)りにしらべる必要があった。
 いよいよ地球から遠くはなれて月に近くなった結果、重力がうんと減(へ)った。するとからだは軽(かる)くなるし、鉛筆などをほおりあげても、いつまでも上でふわふわしていて、なかなか下へおちてこないというわけで、まるで魔術師になったようでおもしろい。
 だが、机の上においた本が、いつの間にやら宙へうかんでいたり、たべようと思ってパイナップルのかんづめをあけると、たちまち中から輪切(わぎ)りになったパイナップルや、おつゆがとびだしてきて、宙をにげまわるなどと、いうこともあって、なかなかてこずる。本や、かんづめはまだいいが、エンジンのちょうしがくるったり、燃料が下からたつまきみたいになって操縦席までのぼってきたり、どの部屋もごったがえしの油だらけになる。これでは困るから、人工重力装置を働かせて、この艇内の尾部(びぶ)の方に向けて、万有引力と同じくらいの人工重力が物をひっぱるようにする。この人工重力装置が働いているあいだは、机の上の本も机の上からにげださないし、輪切りのパイナップルも、ふたのないかんの中におとなしくおさまっている。
 急行列車で地上を走ったり、飛行機で太平洋横断の旅行をするのとはちがい、宇宙旅行をするにはこのようにかってのちがったことがいくつもあって、たいへんやっかいであるが、そこがまた、たいへんおもしろいところでもある。


   宇宙の墓場(はかば)だ


「おいポコちゃん。いよいよきたぞ、宇宙の墓場へ。このへんは、もう宇宙の墓場なんだぜ」
 山ノ井は、となりの席でもう三時間もぐうぐうねむりつづけている川上を起した。
「うううーん。ああ、ねむいねむい。なんだ、もう食事の時間か」
「あきれた坊やだね。宇宙の墓場だよ」
「シチュウが袴(はかま)をはいたって。そいつはたべられないや、口の中でごわごわして……。ああ、ああっ。腹がへった」
 ポコちゃんは目がさめると、おなかがすいたとさわぎだすくせがあった。山ノ井の千ちゃんは、あきれてしまって、とちゅうからもうだまっていることにして、しきりに暗視(あんし)テレビジョンのちょうしをかえながら艇外へするどい注意力をあつめている。
 ああ、宇宙の墓場。
 そこは重力平衡圏(じゅうりょくへいこうけん)というのが、ほんとうであろう。つまり地球からの引力と月からの引力がちょうどつりあっていて、引力がまったくないように感ぜられる場所なのだ。そこは、もちろん地球と月の中間にある。そこから月までの距離を一とすると、そこから地球までの距離は九ぐらいになる。だから月にたいへん近い。
 この重力平衡圏は地球と月との間に、かべのように立っているのだ。しかしそれは平(たいら)なかべではなく、まがっている。
 そこへ流れこんだ物は、宙ぶらりんになってしまって、地球の方へも落ちなければ月の方へも落ちない。そしていつまでも宙ぶらりんの状態がつづく。だから宇宙の墓場といわれる。
 それに、大昔からこの重力平衡圏へ流れこんで、宙ぶらりんになっている物が少なくないのである。だからいよいよそれは宇宙の墓場らしく見えてくるのであった。山ノ井は、どんなものが宙ぶらりんになっているかと、目をさらのようにしてテレビの幕面(まくめん)をのぞいている。
 すると、一つだけ、見えた。
「なんだろう、あそこにある細長いものは……。いん石にしては長すぎるし、それにいやに形がいいし、へんだなあ」
 山ノ井がひとりごとをいったのを、川上のポコちゃんが聞きつけて、なんだ、なんだとそばへよってきた。
「へえっ、とうとう宇宙の墓場へやってきたのかい。それはたいへんだ」
 ポコちゃんは、小さい目を鉛筆のおしりのように丸くしておどろいた。
「えッ。そして何が見えるって。何が見えているんだろうと、いうのかい。きまっているよ、それはゆうれいだよ」
「なに、ゆうれい?」
「そうさ、ゆうれいにちがいないよ。だって墓場から出てくるのはゆうれいにきまっているじゃないか」
「あんなことをいっているよ。あんなゆうれいがあるものか。よく見てごらんよ」
 千ちゃんにいわれて、ポコちゃんがよく見ると、なるほどゆうれいにしてはどうも形がへんである。だいぶん近づいたので、よく見えるようになったが、胴のところに四角な窓がある。ポコちゃんは首をひねった。
「なるほど、四角な窓がついているゆうれいなんて、へんだね。……ああっ、そうか。おい千ちゃん、たいへんだよ。あれはだれかの宇宙艇だよ。遭難したらしいね。早く助けてやらなくては……」
 ほんとうだった。それは宇宙旅行中に遭難した宇宙艇にちがいなかった。近づくにしたがって、その宇宙艇の胴にかいてある「新コロンブス号――アルゼンチン」という艇の名前が読みとれた。
「ああ、新コロンブス号じゃないか。今から三年前にアルゼンチンの探険家ロゴス氏が乗ってとびだした新コロンブス号じゃないか」
「ああ、そうか。ふうん、すると三年前から、あのとおりお墓になってしまったんだよ。乗組員はどうしたろう。千ちゃん、すこしスピードをゆるめて、そばへいってやろうじゃないか」
「うん、そうしよう。しかしちょっと危険だぞ。うっかりするとこっちも墓場の仲間入りをするおそれがある」
 カモシカ号は、いくらか速度をゆるめ、新コロンブス号の方へ近づいていった。
 すると、望遠テレビで、しきりに焦点を新コロンブス号に合わせていた川上が、「あっ」とさけんで、あおくなった。
「どうした、ポコちゃん」
「た、たいへんだ。新コロンブス号はがい骨に占領されているよ。あの窓をよく見てごらんよ。どの窓にも、がい骨がすずなりになって、こっちを見ているよ」
「えっ、そうか。気持のわるいことだなあ」
 山ノ井も望遠テレビをのぞきこんだ。かれは首すじがぞっと寒くなるのをおぼえた。
 すずなりのがい骨! それはみんな乗組員のなきがらにちがいなかった。なんという気のどくなことであろう。宇宙探険の先駆者(せんくしゃ)のはらった、とおといぎせいである。
「敬礼をしよう」
「ロゴスさん、ばんざい」
 そのとき二人の少年は、ほとんど同時に、難破した新コロンブス号の一つの窓に何か字をしたためてある一枚の紙がはりついているのを発見した。そしてそのうしろに、りっぱな艇長の服をきているがい骨が立っていて、
「お前たち、早くこれを読めよ」といっているようであった。どうやらそれはロゴス氏のがい骨らしい。
 がい骨がまもっているその一枚の紙にはたしてどんなことが書いてあったろうか。


   がいこつの警告


 がいこつ艇長が、こっちを向いて、紙に書いたものを「ぜひ、これを読め」というように、こっちへ見せているのだ。
 山ノ井も川上も艇長服を着たがいこつには、びっくりして顔色をかえたが、わけのありそうながいこつ艇長のようすに、こわいのをがまんして、紙きれに書いてある文句をひろって読んだ。
 それは、つぎのような文章であった。
――ここは宇宙の墓場だ。けっして乗物のエンジンをとめるな。エンジンが動かなくなるとわが新コロンブス号と同じ運命になろう。それからもう一つ、時々ここをつきぬける、すい星があるから注意せよ。
新コロンブス号艇長ロゴス―― 山ノ井と川上とは顔を見あわせた。
「やっぱり探険家のロゴス先生だったね」
「そうだ。ロゴス先生は、がいこつになってもあとから来る者のために、とおとい警告をしていてくれる。えらい人だね」
 そういっているうちに、動いているこっちのカモシカ号は、どんどん新コロンブス号から、はなれていった。二人は、それをじっと見送りながら、宇宙探険の英雄の霊(れい)のために、いのった。
 しばらくは二人ともだまっていた。がいこつ艇長にめぐりあったことが、ひどく胸をいためたからだった。
 そのうちに川上が声をだした。
「ねえ、千ちゃん、いったいこの重力平衡圏というところは、どんなところだろうね。もちろん地球の方へ引く重力と、月の方へひっぱる重力とが、ちょうどつりあっていて、重力がないのと同じことだとはわかっているが……」
 ポコちゃんの川上は、小さい目をくりくり動かして、そういった。
「それだけわかっていれば、それでいいじゃないか」
「いや、しかし、それは、りくつがわかっているだけのことだ。じっさいぼくたちが、その重力平衡圏へ出てみたら、いったいどうなるんだろうねえ」
「さあ、それは……それはぼくたちのからだは、ふわりとちゅうに浮いたままで、下に落ちもせず、横に流されもせず、からだは鳥のように軽く感ずるのだと思うよ」
「へえっ、ふわりとちゅうに浮いたままで、下に落ちもせず、横に流されもせず、鳥のように身が軽くなるんだって。それはゆかいだな。千ちゃん、ちょっと、それをやってみようじゃないか」
「やってみるって、どうするの」
「だからさ、つまりこのカモシカ号から外へ出て、ちゅうに浮いてみたいのさ。ちゅうに浮いた感じは、どんなだろうね。ぼくは前から、そういうことをしてみたかったのさ。天国にいるつばさのはえた天使ね、あの天使なんか、いつもそうして暮しているんだから、ぼくはうらやましくてしかたがなかったんだ。ねえ千ちゃん、ちょっと外へ出てみようじゃないか」
 ポコちゃんは、ちゅうに浮いてみたくてたまらないらしい。しきりに千ちゃんにすすめる。
「いや、ぼくは出ないよ」
「ぼくは一度出てみる。では、ちょっとしっけい――」
「あっ、待った。ドアをあけて外へとび出してどうするのさ」
「どうするって、今いったじゃないか。ちょっと、ちゅうに浮いてみる……」
「だめ、だめ、そのままでは……。だいいち、外には空気はすこしもないぜ、そのままとび出せば、とたんに呼吸ができないから死んでしまうよ」
「あっ、そうだったね」
「それから、外は寒いし、気圧はゼロなんだから、そのままでは、からだは大きくふくれて、しかもこおってしまうよ。つまり全身(ぜんしん)しもやけになった氷人間になっちまうよ。もちろん、たちまち君は死んじまう」
「おどかしちゃ、いやだよ」
「だって、ほんとうなんだもの。だから外へ出るなら空気服を着て出ることだ。空気服を着ていれば、中に空気があるから呼吸はできるし、服は金属製のよろいのように強いから、圧力にも耐(た)えるし、また服の内がわは電熱であたためるようになっているから、からだが氷になる心配もない」
「ああ、それだ、空気服を着ることだ。そのことを早くいってくれればいいんだ。それをいわずに、ぼくをおどかすから、千ちゃんは、ひとがわるいよ」
 そこでポコちゃんは、千ちゃんに手つだってもらって、空気服を着、頭には大きな球型(きゅうけい)の空気帽をかぶり、すっかり身じたくをしてから、とうとう艇の外に出た。
 艇から外へ出る出入口は、このカモシカ号の胴(どう)のまん中あたり、それは小さい気密室が三つ、つづいていて、三つのドアがあった。いちいち、その小さい室へはいってはドアをしめ、だんだん外へ出ていくのであった。こうしないと、ドアをあけたとたんに、艇内の空気は、いっぺんに外へすいだされ、艇内は空気がなくなってしまう。それでは中にいる者は死んでしまうのだ。


   大事件


 ポコちゃんは、艇の外へ出たものの、しばらくは艇につかまって、手をはなそうとはしなかった。ここは重力平衡圏だとはいうものの、手をはなしたが最後、自分のからだは、すうっと下へ落ちていくのではないかと、やっぱり心配だったからである。
「おい、ポコちゃん、なにを考えているんだ」
 艇内からは、千ちゃんが無線電話でポコちゃんに話しかけた。無線電話器は、空気服のせなかに取りつけてあり、送話器と受話器の線は、服の内がわを通って、ポコちゃんの口と耳のところへいっている。
「いま、手をはなすところだ」
 ポコちゃんの声はすこしふるえている。
 カモシカ号の電燈が外を照らしているので、その光りのあたるところだけは、はっきり見える。
「千ちゃん、いよいよぼくは手をはなすよ。もし、ぼくのからだが、ついらくをはじめたら、すぐ助けてくれよね」
 日ごろのポコちゃんに似あわず、心ぼそいことをいう。さすがのポコちゃんも、自分の冒険がすぎたことを、いま後悔(こうかい)しているらしい。
「早くやれよ」
 千ちゃんは、艇内から、えんりょなくさいそくをする。
「では、はなすよ」
 ポコちゃんは、もうあきらめて、手をはなした。と、かれのからだは、カモシカ号の胴の上をつるつるとすべって、うしろの方へ……。
 それから翼(よく)と翼とのあいだをするりとすりぬけたと思ったとたんに、かれのからだは艇をはなれた。と、かれのからだは平均をうしなって、くるくると風車のようにまわり出した。
「うわっ、わわわわっ!」
 でんぐりかえること何十回か何百回か、わからない。目がくるくるまわる。頭のしんが、つうんと痛くなる。はき気がする。
 そんな大苦しみのすえに、ようやくからだの回転がゆるくなって、、ポコちゃんは人ごこちにもどった。――その時、自分のからだが、まぶしく照らされているのに気がついた。千ちゃんがカモシカ号から探照燈(たんしょうとう)をあびせかけていてくれるのだった。
 そのうちに、ポコちゃんのからだは、しずかにとまった。急にからだが軽くなった。やれありがたいと、ポコちゃんはうれしくなって、あたりを見まわした。
「ほ、ほんとうだ。ぼくのからだは、ちゅうに浮いている!」
 自分のからだをぐるっと見まわしたが、手足も胴も頭も、何にもふれていない。たしかに、空間に浮いているのだった。
 ポコちゃんは、そこで、からだをちじめたり、手足をのばしたり、いろいろやってみた。どんなことをしても、からだはじっと、ちゅうに浮いている。これで肩につばさがはえていたら天使そっくりである。ポコちゃんは、いい気になり、すきなことをくりかえして、はねまわる。
 カモシカ号は、ポコちゃんから千メートルばかりはなれたところを、ポコちゃんを中心として、ぐるぐると円をかいて、とびまわっていた。なにしろカモシカ号の最低速度は、このへんでも時速五十キロメートルで、かなり早い。
「ポコちゃん、すぐ艇へもどれ」
 とつぜん艇から無線電話が発せられた。
「どうしたの、すぐ艇へもどれなんて……」
「たいへんなんだ。むこうから、かなり大きなすい星が、こっちへ近づいて来る。早くこのへんから逃げださないと、すい星に衝突してしまうのだ。ポコちゃん、早く艇へ乗りうつれ」
「それは一大事だ」
 なるほど、らんらんと怪光(かいこう)をはなった大きな酒だるほどのものが、ぐんぐん近づいて来る。これを見てはのんき者のポコちゃんもあわてないではいられない。
 艇の中では千ちゃんも顔色をかえている。そして艇を操縦して、ポコちゃんの横手に持っていく。しかし艇は時速五十キロだから、ポコちゃんの前を猛烈(もうれつ)ないきおいでしゅっと通りすぎる。これではポコちゃんは艇の出入口につかまることができない。
 それだといって、ぐずぐずしていると、すい星にはねとばされてしまう。すい星はいよいよ近づいたと見え、小山ぐらいの大きさになった。
「おい千ちゃん。乗れやしないよ。こまったね」
「こまったね。よし、艇から長い綱(つな)をくりだすから、それにつかまるんだ」
 千ちゃんは頭のいいところを見せて、出入口から綱をくりだした。それが長い尾を引いてポコちゃんの前を走る。ポコちゃんは死にものぐるいで、この綱にとびついた。とびついたはいいが、とたんにポコちゃんは全身の骨がばらばらになるほどの強い反動を感じ、目が見えなくなった。でも網は手からはなさなかった。
 千ちゃんの方は一所けんめい、この綱を機械でまきとって、ポコちゃんのからだを艇内に、ひっぱりこんだ。
 三つの気密室を、息もたえだえに通りすぎて、二少年がもとの艇内へはいったときには、二人ともすっかり力を使いきって、その場にへたばったまま、起きあがれなかった。
 と、そのおりしも、ものすごい音が艇の後部に起った。百雷(ひゃくらい)が落ちたようなすごい音だ。とたんに電燈が消えた。めりめりと艇をひきさく音がする。
「やられたっ。すい星と衝突だ」
「千ちゃん、艇はこわれたらしいね」
 二少年を積んだまま、まっくらになったカモシカ号は、どこへともなく落ちていく。


   人の顔か花か


 二少年は、死にものぐるいの力をふるって、起きあがった。
「千ちゃん、千ちゃん」
「おい、ぼくは、だいじょうぶだ」
「ぼくもだいじょうぶ。早く操縦席へいってみよう」
 二人は手さぐりで艇内をはいはじめた。艇内の電燈は消えて、くらやみだが、ただ夜光塗料をぬってある計器の面や、通路の目じるしだけが、けい光色に、ぼうっと弱い光りを放っている。
「ああ、これはへんだね。呼吸が苦しくなった」
「ぼくもだ。ポコちゃん、艇がこわれて大穴があいたんだよ。そこから空気がどんどん外へもれていくんだ。弱ったね。呼吸ができなければ死んでしまう」
「じゃあ、ぼくは空気帽をぬぐんじゃなかった。ぬいだと思ったら、さっきのドカーンだ。だからどこへ空気帽がいったかわからない」
「しゃくだねえ。ここまで来ながら、呼吸ができなくて死ぬなんて……」
「ぼくがわるかった。重力平衡圏で、よけいなことをして遊んで、てまどったのがいけなかった。千ちゃん、ごめんね」
「そんなことは、あやまらなくてもいいよ。しかし月世界探険のとちゅうで死ぬなんて、ざんねんだ」
「もういいよ。死ぬ方のことは神さま仏さまへおまかせしておこう。それでぼくたちは、それまでのあいだに、できるだけ修理をやってみようじゃないか」
「だめだろう。あと五分生きているか、十分生きているか、もう長いことはないよ。あっ、くるしい」
「千ちゃん、しっかり、さあ、ぼくが引っぱってやる。とにかく操縦席までいってみよう」
 川上は山ノ井を抱きおこしながら一所けんめい操縦席の方へ通じる、ろうかをはっていった。しかしそれは、かめの子が、はうほどにのろのろしたものであった。艇内の気圧は、すごく低くなったらしい。が、生きているあいだの最後の力をふるったために、二十分ほどかかって、ようやく二少年は操縦席にのぼることができた。
 そこで二人は助けあって、スイッチをひねったり、レバーを引っぱったり、ペダルをふんだりして、ありとあらゆる応急処置をこころみた。その結果は……?
「だめだ、発電しない。原子力エンジンの方もとまっている。もう処置なしだ」
 山ノ井は、そういった。がっかりした声である。
「蓄電池(ちくでんち)の方は?」
「だめ、ぜんぜん電圧がない。……もうだめだ。死ぬのを待つばかりだ」
「そうかね。どうせ死ぬものなら、死ぬまでに後部へいって、どんなにこわれているか見てこよう。いかないか」
「もうだめだ。何をしてもだめだ。ぼくにはよくわかっている」
「ぼくはいってみる」
 めずらしく二少年の意見はわかれた。山ノ井はそのまま操縦席に、ポコちゃんの川上は、またそろそろとはって艇の後部へ。
 だが、どこまで不幸なのであろうか。そのとき、まひ性(せい)のエーテルガスがどこからか出て来て二人の肺臓(はいぞう)へはいっていった。それで、まもなく二人とも知覚(ちかく)をうしなって、動かなくなってしまった。
 カモシカ号は、どこへいく?
 二少年は、時間のたったのを知らなかったが、それから、やく二十四時間すぎた後(のち)、二人は前後して、われにかえった。気がついてみると、明かるい光りが窓からさしこんでいる。呼吸は、たいへん、らくであった。
「おやおや、これはどうしたんだろう」
 ポコちゃんの川上が、大きなあくびをしながら、立ちあがった。すると、その声に気がついたとみえ、千ちゃんの山ノ井が、操縦席の階段の下からむっくりとからだをおこした。
「ふしぎだ。重力の場へ、いつのまにかもどっている。エンジンはとまっているのに、重力があるとは、おかしい」
 足どりは二人ともふらふらであった。ふらふら同士が、ろうかのまん中でばったりあって、顔を見あわせた。
「千ちゃん、ぼくたちは、めいどへ来たんだ。しかし、じごくかな。ごくらくだろうか」
「まさかね。でも、わけがわからないや。死んでからも夢を見るのかな。あっ、ポコちゃん、外は明かるいよ。太陽の光りだ」
 山ノ井は窓を指さした。と、かれは、びっくりした。
「あ、窓から、だれかこっちをのぞいているじゃないか」
 すると川上が答えた。
「あれは人の顔じゃないよ。花だよ」
「花? 花だろうか。なぜ花が窓の外に見えるのだろう。おいポコちゃん、窓から外を見てみようや」
 二人は、息をはずませて、窓ガラスに顔をあてた。二人は、いったい何を見たであろうか。


   怪物の顔


 窓のむこうにあったものは何か。
 それは一言(ごん)でいうと、夢の国みたいな風景であった。人間の首の二倍もある大きなタンポポみたいな花がさいている。広い砂原が遠くまでつづき、その上に青い空がかがやいている。人かげは見えない。
「ふうん、いつのまにか着陸しているよ。どうしたというんだろうねえ、千ちゃん」
「ほんとだ、カモシカ号はもう飛行していないんだ。でもよくまあ、いのちにべつじょうがなくて着陸できたもんだね」
「千ちゃん、いったいここはどこの国だい」
「さあ、どこの国か、どこの星なんだか、けんとうがつかないね。ぜったいに地球ではない、といって月世界ともちがう……」
「いやだねえ、きみがわるいね」
「窓をあけて、よく外を見てみようや」
 山ノ井がうっかり窓をあけた。と、思いがけない大爆発が、二少年のうしろに起った。なぜそんな大爆発が起ったのか、考えるひまもない。二少年は気をうしなってしまった。
 それからどのくらいたったか、ポコちゃんの川上少年は、ふとわれにかえった。
(痛い、ああ痛い!)
 はげしい痛みが、少年をなぐりつける。と、かれの記憶がよみがえりはじめた。
(あっ、どうしたろう、カモシカ号は、爆発したようだったが……)
 そのうちに、かれはいま自分が横になって寝ているのに気がついて、びっくりした。
「おや、なぜぼくは寝ているんだろう……。おうい千ちゃん、どこにいるんだい」
 とさけびながら、目をあけようとしたが、あまりにまぶしくて目があききれなかった。
「しずかに……。しずかに……寝ていなさい。動いてはいけません」
 みょうにぼやけた声が、川上の耳にはいった。だれかが、かれのからだをおさえつけるのをふりきって上半身を起した。そのときかれは目をあけた。――そのときかれの見た異様な光景こそ、一生忘れられないものとなった。
「ああっ――」
「もしもし、あなた。こうふんしては、いけません」
「はなしてください。ぼくにさわらないでください――。ぼくは夢を見ているのかしら」
「しずかに寝ていなさい。あなたは、からだをこわしているのだ。しかし心配ありません。われわれがじゅうぶんに手当していますから」
「夢だ。夢だ。それでなければ、ぼくの目がどうかしてしまったんだ」
 川上が見たのは、きみょうな顔をした人間――いや、人間でないかも知れない――であった。頭がスイカのように大きくて、そしてひたいははげあがり、頭のてっぺんと両脇に、赤い毛がもじゃもじゃとはえていた。
 ひたいの下には大きな目があった。青いリンゴほどもある大きな目だ。それがぐるぐると、きみわるく動く。
 目から下は、顔が急にしなびたように小型になる。ラッキョウをさかさにしたというか、クリをさかさにしたというか、とにかく頭にくらべて小さい。口があるけれど赤んぼうの口のように小さい。鼻ときたら気をつけてよく見ないとわからないほど低くて、やせて小さい。耳は、よく見れば顔の両側についているが、それはすり切れたようで、耳たぶなんか見えない。ぺちゃんこになって顔の横についているだけだ。
 ――と、こう書いてくると、諸君は、おばけを思いだすかもしれないが、しかしほんとうはそんなものではない。これは、ずっと後にそう思ったことであるが、かれはどこかキューピーに似ているところがあり、子ども子どもしていた。ことに血色がよくて、さくら色で、すきとおるような肌をもっている、そしてつやのある海水着みたいなもので胴のあたりをつつみ、腕や足は、赤んぼうのそれのようにふとくみじかく、かわいく、色つやがよく、ぶよぶよしているように見えた。
 だが、わがポコちゃんにとっては、この相手はやはり、きみがわるかった。いくらかわいくても美しくても、あたりまえの人間とちがっているので気持がよくなかった。その大きな目玉にみすえられると、ポコちゃんの背すじが氷のようにつめたくなり、ぶるぶるとふるえてくるのだった。いったいこの怪物――といっておこう。だってどう見ても人間じゃないんだから――その怪物は何者であろうか。
「気をしずめなさい。起きてはよくない」
 その怪物は、ポコちゃんのからだをおさえつける。そのときであった。ポコちゃんは新しいおどろきにぶつかって、まっさおになった。それは、かれのからだをおさえつける怪物の腕が実に三本もあることを、このときになって発見したからである。
 三本腕の怪物――人間ではない!
「き、きみは何者ですか。に、人間じゃありませんね」
 ポコちゃんはもつれる舌をむりに動かしてたずねた。さて三本腕の怪物は何と答えるであろうか。


   ふしぎな国


 ポコちゃんは、まっさおな顔で、歯の根をがたがたいわせて、日ごろのちゃめ気(け)もどこへやら、おびえきっているが、あいての怪物は、さくら色のいい血色で、赤んぼうのように明かるい笑顔を見せて、しずかにポコちゃんのからだから手をはなした。
「ぼくのことを、きいているんですね」
 怪物は、自分の顔を指さした。その指は、怪物の第三の手についている指だったから、ポコちゃんは、また息がとまりそうになった。右の手を第一、左の手を第二とするなら、のこりの一本が第三の手である。その手は、怪物の首の後からはえている腕の先についていた。その腕は左右の腕とちがい、わりあいに細く長かった。そしてゴム管(くだ)みたいにぐにゃぐにゃしていた。そのような腕の先に、第三の手がついていた。そして手の指は六本あって、どれもみな同じくらいの長さであった。てのひらはずっとせまく、指は長すぎると思うほど長かった。そういう指で、怪物は自分の顔を指さしたのである。
 ポコちゃんは、返事をするにも声が出なかったから、そのかわりに大きくうなずいた。
「ぼくは、人間ですよ」
 怪物がそういった。
「いや、きみは人間ではない。そんなふしぎな形をした人間が住んでいるという話を聞いたこともないし、もちろん写真や画で見たこともない」
 ポコちゃんは勇気をふるって、異議(いぎ)を申したてた。
「くわしくいうと、ぼくはこの国の人間です」
 と怪物はおちついていった。
「川上君。あなたはこの国の人間ではなくて、地球の人間である。そうでしょうが……」
 この国の人間と、地球の人間だって? そして「川上」などと自分の名を知っているのはなぜだろう。ああ気持が悪い。たのみに思う千ちゃんは、いったいどこへいってしまったのか。
「もしもし、ぼくといっしょに宇宙艇に乗っていた者があったでしょう。千ちゃんというんですが、どこにいますか」
 このだだっぴろい部屋に、ふわりとした白綿の寝床(ねどこ)――というよりも、鳥の巣みたいな形の寝床に寝かされているのは自分ひとりであった。千ちゃんはどこへいったろう。どうしているのかしらん。
「わたくしは知らない」
 怪物はそう答えた。川上はいくども千ちゃんのことを説明して、そのゆくえをたずねたが、怪物は知らないとくりかえすばかりであった。
「わたくしは、きみの健康をりっぱなものにするために、きみについている植物学者のカロチという者だ。きみにつれがあったかどうか、知らない」
 カロチという名の植物学者だって――と、川上は目を見はっておどろいた。

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