未来の地下戦車長
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著者名:海野十三 

   かわった手習(てなら)い


 岡部(おかべ)一郎という少年があった。
 彼は、今年十六歳であった。
 彼の家は、あまりゆたかな生活をしていなかった。それで彼は、或(ある)電灯会社につとめて、もっぱら電灯などの故障の修理を、仕事としている。なかなか一生けんめいに働く一郎であった。
 彼は、中学校へもあがれなかったが、技術は大好きであった。そのうち、電気工事人の試験をうけて、一人前の電気工になろうと思い会社の係長さんに、いつも勉強をみてもらっている。
 ところが、その一郎が、近頃、なにに感じたものか、毎朝起きると机に向って墨(すみ)をする。
 墨がすれると、こんどは、古い新聞紙を机の上にのべて、筆に、たっぷり墨の汁(しる)をふくませる。それから、筆を右手にもって、肘(ひじ)をうんと張り、新聞紙の面にぶっつける。
“未来の地下戦車長、岡部一郎”
 これだけで十二文字になる。
 この十二文字を、彼は、古新聞の両面が、まっくろになるまで、手習(てなら)いをするのである。
 一昨日(さくじつ)も、やった。昨日もやった。今日もやった。だから、明日も、やるであろう。
 書く文字は、いつも同じである。
“未来の地下戦車長、岡部一郎”
 毎朝、この文字を三十二へんぐらいも、習うのである。
 字が上手になるためのお習字かと思うと、そうばかりではない。いや、はっきりと一郎の気持をいうと、字のうまくなることは、第一の目的ではなく、第二以下の目的だ。第一の目的は、なにかというのに、それはもちろん、本当に、未来において地下戦車長になることだった。
 地下戦車長!
 地下戦車――なんて、そんなものが有るのであろうか。
 地下戦車とは、地面の下をもぐって走る戦車のことである。そんな戦車がある話を、だれも、きいたことがない。だが、一郎は、いうのである。
「そうでしょう。どこにもない戦車でしょう。だから僕は、地下戦車を作って、その戦車長になりたいんだ。ああ、地下戦車! そんなものがあれば、どんなにいいだろう。日本の国防力が、うんと強くなるにちがいない。だから僕は、きっと作りあげるのだ。地下戦車を!」
 岡部一郎は、そんな風に、いうのであった。
 それは、正(まさ)しく一郎のいうとおりであった。地下戦車とは、じつにすばらしい思いつきである。地下戦車が出来たら、そいつは、どんどん、地面の下を掘っていって、敵陣の真下に出るのであろう。そして、爆薬をそこに仕掛けるとか、或いは、めりめりと、敵の要塞(ようさい)のかべを破って、侵入する。さぞや敵は、胆(きも)をつぶすことであろう。たしかに、そいつは強力な兵器である。
 一郎の思いつきは、じつに、すばらしいのであるが、はたして、そんなものが出来るであろうか。こいつは、なかなかむつかしい問題である。
「そんなもの、出来やしないよ。だって、水の中や空気の中じゃないんだもの。地面を掘ってみても、すぐわかるけれど、土というものは、案外かたいものだよ」
 と、一郎の仲良しの松木亮二(まつきりょうじ)が、いったことである。
「そんなに、かんたんに、出来やしないよ。しかし、工夫すれば、きっと出来ると思うんだ。それに、地下戦車が日本にあれば、すてきじゃないか。どこの国にだって、負けないよ。僕は、なんとかして、地下戦車を作るんだ」
「だめだよ。そんなむずかしいものは……」
「いや、作るよ。作ってみせる。きっと作って、亮二君を、びっくりさせるよ。いいかい」
「だめだめ。出来やしないよ。そんな夢みたいなこと」
 亮二は、一郎のいうことを、とりあわなかった。
 いや、亮二でなくとも、大人でも、一郎のいうことを、とりあわなかったであろう。
「日本のため、僕は、どんなことがあっても、地下戦車を作ってみせるぞ」
 電灯会社の修理工の一郎は、だんぜん地下戦車を作りあげるつもりである。さればこそ、毎朝、“未来の地下戦車長、岡部一郎”と、大きな文字を書いて、自分をはげましているのであった。
 はたして、地下戦車は、一郎の手によって、出来上るだろうか。今のところ、少年修理工岡部一郎と地下戦車との間には、あまりに大きなへだたりがあるように見える。


   痛い瘤(こぶ)


 一郎は、それから後も、ずっと、“未来の地下戦車長”の手習(てなら)いをつづけていた。
 或日、彼は、会社の机に向って、そこに有り合わせた修理引受書(ひきうけしょ)用紙を裏がえしにして、ペンで“未来の地下戦車長”と、また書き始めたのであった。
「おや、岡部。お前、なかなか字がうまいじゃないか」
 とつぜん、うしろで、係長の小田(おだ)さんの声がした。
「いやだなあ、ひやかしちゃ……」
 と、一郎は、きまりが悪くなって、顔をあかくした。
「なんだい、この“未来の地下戦車長”というのは……」
 小田係長は、にこにこ笑いながら、うしろから一郎のあたまをおさえた。
「うわッ。いたい」
 と、一郎は、係長さんの手を払(はら)って、その場にとび上った。
「あれッ。どうした。どこがいたい」
「係長さん、ひどいや。僕の頭に、いたい瘤(こぶ)があるのに、それを上から、ぎゅッとおすんだもの」
「ははあ、瘤か。そんなところに瘤があるとは知らなかった。地下戦車長岡部一郎大将は、はやもう地下をもぐって、そして、そんなでかい瘤を、こしらえてしまったのかね」
 係長さんは、うまいことをいった。
 一郎は、こまってしまった。
 そこで彼は、未来において地下戦車長を志(こころざ)すわけを、係長に話をした。
「そうかい、これはおどろいた。君は、本気で、地下戦車を作るつもりなんだね」
「そうですとも」
「それで、なにか、やってみたのかね」
「え、やってみたとは……」
「なにか、模型でも、つくってみたのかね。それとも、本当に、穴を掘って、地下へもぐってみたのかね。頭に瘤をこしらえているところを見ると、さては、昨日あたり、もぐらもちの真似をやったことがあるね」
 係長さんは、しきりに、一郎の頭の瘤を、いい方へ考えてくれる。
 しかし、この瘤は、そんなことで出来たのではなかった。尤(もっと)もこの瘤は、昨日出来たことだけは、係長さんのことばどおりであったけれど。この瘤は、じつをいえば、昨日、停電した家へ、一郎がいって、ヒューズの取換(とりか)えをやったが、そのとき、うっかりして、鴨居(かもい)へ、頭を、いやというほどぶつけたため、出来た瘤であった。決して、名誉な瘤ではなかったのである。
「係長さん。僕は今のところ、こうやって、毎日手習いをしているのです。そして、神様に祈っているのです」
「なんだ、たった、それだけかい」
「ええ、今のところ、それだけです」
「それじゃ、しようがないねえ」
 係長さんは、はきだすようにいった。
「手習いしていちゃ、いけないのですか」
「いや、手習いは、わるくはないさ。しかし、われわれ技術者たるものはダネ、何か考えついたことがあったら、すぐ実物(じつぶつ)をつくってみることが必要だ。技術者は、すぐ技術を物にしてみせる。そこが技術者の技術者たるところでもあり、誇りでもある。――いや、むつかしい演説になっちまったなあ。くだいていえば、早く実物をつくりなさいということだ。考えているだけで、実物に手を出さないのでは、技術者じゃないよ。実物に手をだせば、机のうえでは気のつかなかった改良すべき点が見つかりもするのだ。おい、未来の地下戦車長どの。こいつは一つ、しっかり考え直して、出直すんだな。私は、たのしみにしているよ」
 そういって、係長さんは、一郎の頭に手をやろうとした。
「おっと、おっと――」
 一郎は、あわてて、体をかわした。
「あははは。これは、うっかりしていた。あははは」
「あははは」
 一郎も笑った。全く、厄介(やっかい)なところへ瘤が出来たものである。
 そのとき、向うから、一郎を呼ぶ声があった。
「おーい、岡部。通(とおり)のそば屋さんから、電話があったんだ」
「おそばなんか、だれも註文(ちゅうもん)しませんよ」
「註文じゃないよ。コンセントのところから火が出て、停電しちゃったとさ。早く来て、直してくれというんだ。ぐずぐずしていると、代用食(だいようしょく)を作るのがおそくなって、会社へも、おそばをもっていけないから、早く来て、直してくれだとさ。だから、お前、すぐ行ってくれ」
「へえ、ばかに、長いことばを使って、修理請求をしてきたものだね」
「それは、そのはずだよ」
「えっ」
「あたまが悪いなあ。電話をかけてきたのは、おそば屋さんだもの。おそばは、長いや。あははは」
「なあんだ。ふふふふ」
 仕事をしていた係の人々も、一度にふきだした。
「これこれ、笑い話は、後にして、岡部、自転車にのって、直(す)ぐ、おそば屋へいって来なさい。一分おくらせれば、それだけ、国家の損失なんだから……」
 係長さんも、にやにや笑いながら、一発痛いところを、一郎たちにくらわせた。


   戦車博物館


 その日の夕方、一郎は、家へ帰った。
 弟や妹が、総出で、お膳の仕度をしていた。やがて、母親が、お勝手から、大きな丼(どんぶり)にもりあげたおかずをもって、お膳(ぜん)のところへ来た。それから、まるで戦場のように急(いぞ)がしくて賑(にぎや)かな食事が、いつものように始まった。
 一郎たちの父親は、一昨年、病気で亡(な)くなった。だから、さびしい母親を、一郎をはじめ、四人の子供たちが、なぐさめ合い、元気をつけているのであった。
 食事が終ると、子供たちは、母親のお手伝いをして、跡片付(あとかたづ)けだ。みんなが働くから、どんどん片付いていく。
 その後は、みんなラジオの前に、あつまってくる。
 だが、一郎は、その夜にかぎって、ラジオの前に出て来なかった。彼は、玄関においてある自分の机の前に坐りこんで、前に一枚の紙をのべて、しきりに首をひねっている。
 紙の上は、まだ、まっ白だった。
「ええと、地下戦車というやつは、どんなところをねらって、こしらえればいいかなあ」
 彼は、ひとりごとをいった。それで分った。彼は、いよいよ地下戦車の設計にとりかかったのである。察するところ、昼間、係長の小田氏からいわれたこと――“神に祈るのもいいが、ただ祈るだけじゃ、だめだ。また、考えているだけじゃ、だめだ。技術者という者は、考えたことを、早く実物につくりあげて、腕をみがき、改良すべき点を発見して、更(さら)にいい実物をつくり上げるよう、心がけねばならぬ”――ということばが、深く一郎の心に、きざみつけられたものと見える。そこで、いよいよ実物設計にとりかかったわけである。
「どうも、見当がつかないなあ。どこを、ねらえばいいのかなあ」
 一郎は、すこし苦戦のていであった。
「とにかく、地面の下を、戦車が掘りながら、前進しなければならないんだから、つまりソノー……」
 つまりソノーで、困ってしまった。
 一郎は、気をかえて、本箱の間をさがしはじめた。
 やがて彼は、一冊の切抜帳を引張り出して、これを机の上に、ひろげた。この切抜帳には、ものものしい題名がついている。曰(いわ)く「岡部一郎戦車博物館第一号館」と!
 岡部一郎戦車博物館第一号館!
 いや、これは、他の人が読んだら、ふき出して笑うだろう。
 しかし一郎は大真面目であった。
 各頁(ページ)には、新聞や雑誌から切り抜いた世界各国の戦車の写真が、ぺたぺたと、はりつけてある。そしてその下には、その戦車の性能が一々くわしく記入されている。
(この戦車が、みんな実物だったら、大したもんだがなあ)
 一郎は、切抜帳をひろげるたびに、そう思うのであった。
 なにも実物であるには及ばない。たしかにこの切抜帳は、りっぱな戦車博物館である。第一号館は、もう頁(ページ)が残り僅(わず)かであった。
(やあ、もう陳列場所が、いくらもあいていないぞ。近いうち、第二号館の建築に、とりかからなくては……)
 一郎は、なかなか忙しい身の上だ。
 さて、「第一号館」を、いくども、ひっくりかえしてみたが、そこにある戦車は、いずれも地上を駆(か)ける戦車ばかりであった。こいつを、このまま、地下へはこび入れても、さっぱり前進させることができないことは、明白であった。
「はて、これだけ、りっぱな戦車がたくさんあっても、参考になるものは一つもないぞ」
 一郎は失望を禁ずることができなかった。
 全く、いやになってしまった。彼は、ごろんと、うしろにたおれて、ぼんやり考えこんでいたが、そのうち、ふと、誰かのいったことばを思い出した。
“欧米など、外国の工業に依存していたのでは、日本にりっぱな工業が起るわけがない。はじめは苦しいし困るかもしれないけれど、日本は日本で一本立ちのできる独得の工業をつくりあげる必要がある。それは一日も早く、とりかからなくてはならないことだ!”
 一郎は、むっくり起き上った。
「そうだ。真似をすることなら、猿まわしのお猿だって、うまくする。よし、自分で考えよう!」
「なにを、ひとりごとをいっているの、兄(にい)ちゃん」
 後で一番とし下の弟の二郎の声がした。
「二郎、だまっておいでよ」
「いやだい。兄ちゃん、いくよ。お面(めん)!」
 ぽかりと、一郎の頭に、新聞紙をまいてつくった代用品の竹刀(しない)が、ふりおろされた。
「ああッ、いたい!」
 一郎は、とび上った。なんとまあ、災難(さいなん)な頭の瘤だろう。ちょうど、頭のてっぺんにある。弟までに、その痛いところを殴(なぐ)りつけられて……。
 だが、一郎は、逃げ足の早い弟を、追おうともしなかった。じつにそのとき、彼は、神様のお声をきいたように思ったのである。
「そうだ。係長さんが、“おい岡部、その瘤は、もぐらもちの真似をして、こしらえた瘤なんだろう”といった。そうだそうだ。僕は、なにをおいても、自分が地下戦車になったつもりで、まず自分で穴を掘ってみよう。それがいい」
 彼は、えらいことを悟(さと)った!


   人間地下戦車


 次の日から、一郎の生活が一変した。
 彼は、朝早く起きると、例の手習いをすませ、その後で、この寒いのに、シャツとパンツとだけになって、庭におりた。
「さあ、僕は地下戦車だぞ。どこから、もぐるかなあ」
 彼の手には、シャベルが握られていた。
「さあ地下戦車前進!」
 彼は自分で、自分に号令をかけた。そして、えっさえっさと懸(か)け声(ごえ)をして、シャベルで、庭の土を掘りだした。
 弟の二郎が、その声をききつけて、とんできた。
「兄ちゃん。そこを掘ってどうするの。畑をこしらえて、お芋(いも)を植えるの」
「ちがうよ」
「じゃあ、ううッ、西瓜(すいか)を植えるの。玉蜀黍(とうもろこし)植えるの」
 二郎は、自分の大好きなものばかりを、かぞえあげる。
「ちがうよ、ちがうよ」
「じゃ、なにを植えるの。僕に教えてくれてもいいじゃないか。あ、分った。南京豆(なんきんまめ)だい。そうだよ、南京豆だい」
「ちがうちがうちがう。ああ、くるしい」
 一郎はふうふういって、泥だらけの手の甲(こう)で額(ひたい)を横なぐりに拭(ふ)いた。
「あ、兄ちゃんが顔を泥だらけにした。お母ちゃんに、いいつけてこようッと」
 二郎は、ぱたぱたと縁側(えんがわ)をはしっていった。一郎は、自分の掘った穴をみている。こんなにふうふういって、穴を掘ったのに、その穴は、やっと自分の頭が、入るくらいの大きさに過ぎなかった。
「この人間戦車は、性能が悪いなあ」一郎は、嘆息(たんそく)した。
 しかし、こんなことで、へたばっては、未来の地下戦車長もなにも、あったものではない。そう思った一郎は、再びシャベルを握ると、さらに大きな懸け声を出して、えっさえっさと、穴を掘っていった。
 ばたばたと、縁側(えんがわ)に、足音がした。
「まあ、一郎!」母親の、呆(あき)れたらしい声だった。
「ほらね、お母ちゃん。兄(にい)ちゃんの顔、あんなに、泥んこだよ」
「一郎、朝っぱらから、なにをしているのです」
「僕は今、……」いおうと思ったが、一郎は、そこで、あやうくことばを呑んだ。
(ああ、もうすこしで喋(しゃべ)るところだった。語るな、軍機(ぐんき)だ! たとえ、母親にだって)
「ちょっと、いえないの。国防上、秘密のことをやってやる[#「やってやる」はママ]んですからねえ」
「え、国防上秘密のこと?」
 母親は、聞きかえしていたが、やがて二郎の頭をなでて、
「二郎や。兄ちゃんは、防空壕(ぼうくうごう)を掘っているのだよ。出来たら、お前も入(い)れてお貰(もら)い」
 そういって、母親は安心して、奥に引込んでしまった。
(防空壕? ははあ、これが防空壕に見えるかなあ)
 防空壕をつくるにしても、一人では、たいへんである。シャベルをもつ一郎の両腕は、今にも抜けそうになってきた。しかし彼は頑張って、土と闘った。
 それでも二十分程かかって、やっと腰から下が入る位の穴が掘れた。
 彼は、疲れてしまって、自分の掘った穴に、腰をかけた。シャベルの先をみると、土とはげしく磨(す)り合(あ)ったために、鋼鉄が磨かれて、うつくしい銀色に、ぴかぴか光っていた。
 鉄と土との戦闘である――と、彼は、また一つ悟(さと)ったのであった。
 それから彼は、また頑張って、庭を掘りつづけた。ようやく、自分の体が入るだけの穴が出来たとき、また母親が顔を出した。
「一郎。もう三十分前だよ。会社へ出かけないと、遅くなりますよ」
「はい。もう、よします」
 人間地下戦車は、土を払って、立ち上った。
 さて、この調子では、いつになったら、本当の地下戦車が出来ることやら……。
 だが、この一見ばからしい土掘り作業こそ、後(のち)の輝かしい岡部地下戦車兵団出現の、そもそも第一頁(ページ)であったのである。だが、今ここでは岡部将軍も只の一少年工に過ぎなかった。


   蘭丸(らんまる)と数値(すうち)


「係長さん、僕は、けさ、人間地下戦車になって、活動を開始しましたよ」
 岡部一郎は、会社へいってからお昼の休みの時間に彼をかわいがってくれる係長の小田さんに此(この)報告をした。
「なんだって。その人間なんとかいうのは、なんだね」
 係長さんは、鼻の下の小さい髭(ひげ)をこすりながら、一郎の顔をみた。
「人間地下戦車ですよ」
「人間地下戦車? なんだい、それは……」
 係長さんは、目をぱちぱちして、鼻の下をやけにこすった。この係長さんは、わからないことがあると目をぱちぱち、鼻の下をやけにこするくせがある。そうやると、頭がよくなって、理解力が出てくるらしい。
 そこで一郎は、けさ、うちの庭で、シャベルをもって、土を掘ったことや、母や弟から、防空壕をつくっているのだと思われたことを話した。
「……人間地下戦車は、だめですね。ほんのぽっちりしか、穴が掘れないのですもの……」
 と、一郎が残念そうにいうと、係長さんは「ふーん、それはまあ、そうだろうな」とうなずき、
「だが、岡部。ほんのぽっちりしか掘れなくても、もしもこれを毎日つづけて一年三百六十五日つづけたとしたら、どうだろう。計算してみたまえ」
「計算? 計算するのですか」
「そうだ。技術者というものは、すぐ計算をやってみなければいけない。多分このくらいだろうと、かんだけで見当をつけるのは、よくないことだよ。技術者は、必ず数値のうえに立たなくちゃ」
 係長さんが、むつかしいことをいいだしたので、一郎少年は、わけがわからなくなった。
「数値のうえに立つとかいうのは、なんのことですか。石段の上でも、のぼるのですか」
「冗談じゃないよ。数値の上に立つというのが、わからないかね。岡部は森蘭丸(もりらんまる)という人を知っているかね」
「森蘭丸? 森蘭丸というのは、織田信長の家来(けらい)でしょう。そして、明智光秀が本能寺に夜討(ようち)をかけたとき、槍をもって奮戦し、そして、信長と一緒に討死(うちじに)した小姓(こしょう)かなんかのことでしょう」
「そうだ、よく知っているね。どこで、そんなことおぼえたのかね。ははあ分った。浪花節(なにわぶし)をきいて、おぼえたね」
「ちがいますよ。子供の絵本でみたんですよ」
「子供の絵本か。僕は浪花節で、おぼえたのだよ。あははは。――まあ、そんなことは、どうでもよい。その森蘭丸が、なかなか数値の上に立つ行(おこな)いがあったことを知っているか」
「知りませんねえ」
「じゃあ、話をしてやろう。信長が、或る日、小姓を集めていうには、お前たちの中で、もしも余の佩(は)いているこの脇差(わきざし)のつかに、幾本の紐(ひも)が巻いてあるか、その本数をあてたものには、褒美(ほうび)として、この脇差をつかわそう。さあ、誰でも早く申してみい。『はい』と答えて力丸(りきまる)ゥ……」
「係長さん、へんなこえを出さないでくださいよ。今、所長さんが、戸口から、じろっとこっちを睨(にら)んで通りましたよ」
「なあにかまやしないよ。別に悪いことをやっているんじゃない。これで三味線(しゃみせん)がはいると、わしゃ、なかなか浪花節をうまく語るんだがなあ」
「係長さん、どうぞ、その先をいってください」
「うむ、よしきた。『二十五本でございます』と、力丸(りきまる)はいった。『あはは、ちがうちがう、お前は落第だ。さあ、他の者!』こんどは坊丸(ぼうまる)が、『お殿さま、四十二本でござります』『ああそんな不吉の数じゃない。駄目駄目、さあ、お次』と、だんだん小姓たちに答えさせてみるが、一人として、これを当てるものがない。すると、残ったのが、森蘭丸、只一人じゃ。『蘭丸、お前はさっきから、黙っているが、あとはお前一人じゃ、早くこの脇差のつかをまいてある紐の本数をこたえろ』と信長の御催促(ごさいそく)があった。そのとき森蘭丸は、へへッと頭を下げ、『わたくしは、その答を仕(つかまつ)りません』という。信長、声をあららげ、『答えぬとは、無礼者。なぜに答えぬ。そちはこの脇差が欲しゅうないか』蘭丸つづいて平身低頭(へいしんていとう)いたし『おそれながら、申上げます。御脇差は、欲しゅうござれど、私はお答えいたしませぬ』『なぜじゃ、わけをいえ』『はい私は、その紐の本数を、存じ居(お)ります。実を申せば、お殿さま、厠(かわや)に入(い)らせられましたとき、私はお出を待つ間に、紐の本数を数え置きました。されば、私は存じ居(い)るがゆえに、お答えすることをば憚(はばか)ります』蘭丸は、仔細(しさい)を物語って、平伏(へいふく)した。――どうだ、聞いているかね」


   旅順戦(りょじゅんせん)の坑道(こうどう)


「ええ、聞いております。なかなか面白い浪花節的(なにわぶしてき)お話ですね」
「これからがいいところだ。よく聞いていなさい。――そこで信長公は、蘭丸の正直を非常にほめて、脇差を下し置かれた。実は信長公は、先ごろ厠(かわや)に入っていて、蘭丸が脇差の紐の本数を数えているのを隙間(すきま)から御覧になっていたのだ、そこで、わざとこういう質問を発して蘭丸の正直さをたしかめてごらんになったという話さ。どうだ、感心したか」
「感心しましたが、数値の上に立つというのは……」
「そこだよ。信長公は蘭丸が正直なのを褒(ほ)めて、脇差を下し置かれたと、浪花節ではいっているが、それは嘘だと思う」
「嘘ですか。では……」
「僕は、嘘じゃないかと[#「嘘じゃないかと」は底本では「嘘じゃないと」]思う。信長公は、こういって褒められた。『蘭丸、お前は数値の観念があって、感心な奴じゃ。何でも、物の数は、数えておぼえておけば、必ず役に立つ。大きくなって、軍勢を戦場に出してかけひきをするについても、まず必要なのは、作戦は常に数の上に立っていることじゃ。数を心得ないで、かんばかりで物事を決めるような非科学的なでたらめな奴は、頼母(たのも)しくない』と、信長公は蘭丸を褒められたのが真相じゃろうと、僕はそう思うんだ」
「なあんだ。係長さんが、そう思うのですか」
「いや、本当は、きっとそうだろうと思うのだ。信長公は、科学的なえらい大将だったからね。つまり、数というものを土台にして、物事を考えるという事が、たいへん大事なことなのさ」
「いや、面白いお話を、ありがとうございました」
 と、一郎は、おじぎをして、向うへ行こうとした。
 すると係長さんは、大声で、それを停め、
「おいおい、岡部。お前は話の途中で向うへいっては、いけないじゃないか」
「はあ、まだ話のつづきがあるのですか」
「続があるのですかじゃないよ。ほら、あのことはどうした、君の家の防空壕のことは……いや防空壕じゃない、人間地下戦車のことは……」
「ああ、そうでしたね。こいつは、しまった。係長さんのお話が、あまりに面白かったもので、話の本筋を忘れてしまったんです」
「つまり、いいかね、一日で掘った壕の長さを三百六十五倍すると、一年間に、どのくらいの壕が掘れるかという答えが出てくるだろう。さあ、計算してみたまえ」
 係長さんは、ちゃんと、話の本筋をおぼえていた。
「さあ、けさ、掘ってきたのは、ほんのわずかです」
「わずかでもいい。これを三百六十五倍するのだ」
「ええと、まだ穴になっていないのですけれど、あの調子で毎朝掘るとして、三日に、一メートル半位ですかね」
「じゃあ、一日につき半メートルだね。その三百六十五倍は?」
「半メートルの三百六十五倍ですから、百八十二メートル半ですね」
「そら、見たまえ、百八十二メートルもの穴といえば、相当長い穴じゃないか」
「そうですね。ちょっと長いですね」
「朝だけ、掘っても、一年には約二百メートルの穴が出来る。これを十人が掘れば、二千メートル。また二百メートルの穴でよいのなら、十人あれば、三十六七日で掘れる。明治三十七八年戦役(せんえき)のとき、旅順(りょじゅん)の戦(いくさ)において、敵の砲台を爆破するため、こうした坑道(こうどう)を掘ったことがあるそうだ」
「はあ、人間地下戦車は、そんな昔に、あったのですか」
「うむ。いくら、わが軍が、肉弾でもって、わーっと突撃していっても、敵のうち出す機関銃で、すっかりやられてしまって、敵の陣地も砲台も一向に抜けないのだ。仕方がないから、敵の陣地や砲台の下まで坑道を掘った。そして、ちょうどこの真下に、爆薬を仕かけてきて、導火線を長く引張り、そしてどかーんと爆発させたのだ。こいつが、なかなか効(き)き目(め)があって、それからというものは敵の陣地や砲台が、どんどん落ちるようになった。わが工兵隊のお手柄だ」
「はあ、なるほど。昔の兵隊さんは、えらいことをやったものですね」
「あまり効き目があるものだから、敵の方でも、この戦法を利用して、わが軍の方へ穴を掘ってきた。とんかちとんかちと、穴の中でつるはしをふるって土を掘っているのが、お互いに聞えることさえあった。早く気がついた方が、爆薬をしかけて、後方へ下がる、知らない方は土を掘りながら、爆死したものだ」
「ずいぶん、すごい話ですね。係長さん、これもやっぱり、浪花節でおぼえたのですか」
「ばかをいえ。そういつも浪花節ばかり聞いていたわけじゃない。これは、その戦争に出た、僕のお父(とう)さんから聞いた話だ」


   井戸掘り地質学


 係長さんから、数値の上に立った模範少年の森蘭丸の話を聞いたり、それからまた、旅順攻撃の、坑道掘りの話を聞いて、「未来の地下戦車隊長」を夢みる岡部一郎は、たいへん教えられるところがあった。全く、小田さんは、いい係長さんだ。
 一郎は、その日も夕方、家へ帰ると、一時間ばかり、シャベルを持って穴を掘った。その翌日も、朝起きると、シャベルを握った。こうして続けているうちに、穴は段々深くなり、地上から三メートル位も深く掘れた。
 或る日の夕方、一郎が、あいかわらず、人間地下戦車となって、汗みどろに土を掘っていると、
「一郎さん、此頃(このごろ)しきりに土地を掘っているようだが、井戸掘(いどほ)りかね」
 と、声をかけた者がある。
「ああ、お隣りの御隠居(ごいんきょ)さんですね。井戸ではないのですけれど……」
「じゃあ、防空壕かね。防空壕が出来たら、わしも入れてもらいますよ」
「防空壕でもないんだけれど……」
「じゃあ、何だね」
「さあ、ちょっといえないんですよ」
 軍機の秘密だ。母親にさえ、打ちあけてない秘密なのだから……。
「わかっているよ、一郎さん。防空壕だよ。防空壕が出来ても、わしを入(い)れまいとして、そういうんだろう。わかっていますよ」
「いえ、御隠居さん、決してそうじゃありませんよ」
「いや、わかっています。わしには何でもわかっているんだ。しかしね、一郎さん。土を掘るのもいいが、地質(ちしつ)のことを考えてみなくちゃ駄目だよ」
「地質ですって」
「今、掘っているのは、どういう土か、またその下には、どんな土があるかということを心得ていないと、穴は掘れないよ」
 御隠居さんは、中々物知らしい。
「じゃあ、教えてくださいよ」
「わしも、くわしいことは知らんが、お前さんが今掘っているその土は、赤土(あかつち)さ」
「赤土ぐらい知っていますよ」
「その赤土は、火山の灰だよ。大昔、多分富士山が爆発したとき、この辺に降って来た灰だろうという話だよ。大体、関東一円、この赤土があるようだ」
「はあ、そうですか。御隠居さんも、なかなか数値のうえに立っているようだな」
「え、なんだって」
 一郎は、口を滑(すべ)らせた。しかし、これは、説明しても、とても御隠居さんには分るまいと思って、だまっていた。すると御隠居さんは、
「赤土が二三十尺もあって、それを掘ると、下から、青くて固い地盤(じばん)が出て来るよ。まるで燧石(ひうちいし)のやわらかいやつみたいだ。こいつは掘るのに、なかなか手間がかかる。しかし、そこまで掘れば、大体いい水が出るね」
「水なんか、どうでもいいのですよ」
「いや、こいつを心得ていないと、とんだ失敗をする。わしが若いころ井戸掘りやっていたときには……」
 と、そこまでいったとき、御隠居さんは、自分の家の人に呼ばれたようである。(お爺(じい)さん、余計なことを言(いい)なさるものじゃありませんよ)(なあに、かまやしないよ、わしは、若いとき井戸掘りで渡世(とせい)していたんだから)(だって、あまり名誉な仕事でもないわ)(そんなことはない。第一、お前もわしが井戸掘り稼業(かぎょう)をしたればこそ、おまんまに事欠(ことか)かなかったんだし、それに井戸掘りがなけりゃ、誰も水が呑めやせん。水が呑めなければ、飯がのどへ通るかい)などと一郎の頭の上で、大分やかましい話がやりとりされていたが、やがて、御隠居さんの顔が、穴の上に現われて、
「おい、一郎さん。シャベルだけじゃ、穴は掘れないよ。うちに、つるはしがあるから、それをお使い」
「はい、すみません」
「そのうちに、わしも、腰の痛いのがなおったら、手伝うよ。昔とった杵(きね)づかだからねえ」
「いえ、もうたくさんです。御隠居さん」
 一郎は、一生けんめいに辞退した。老人間(ろうにんげん)の地下戦車なんて、どうひいき目に見ても、役に立たないであろう。それに、また腰が痛くなったり、リューマチが起ったりすると、今、いい合っていた口喧(くちやかま)しやの娘さんから、恨(うら)まれる。つるはしを借りただけで、応援の方は、ごめん蒙(こうむ)ることにしようと、一郎は思ったことである。


   土はこび少年隊


 つるはしは、すこぶる重かった。
(こんな重いものが、ふりまわせるかしら)と、始め隣りの御隠居さんから借りて来たときは心配した一郎だったけれど、そのつるはしをうまいことふりあげて、下(お)ろすときにはつるはしの重味で、さっとふり下ろすと、うまい具合につるはしは土の中にくい込むのだった。あまり力も要らない。なるほど、つるはしを皆が使うはずだと、一郎は感心した。つるはしを使い出してから、横穴は、どんどん先の方へあいていった。その代り、実に厄介(やっかい)なのは、土を地上へ上げることだった。むしろこの方に手間がとれた。といって、土をそのままにして置くと、いつの間にか、通路がふさがってしまって、外へ出られない。土を退(の)けることが、たいへんな仕事であることが、しみじみと感じられてきた。
 そこで一郎は、思い悩んで、ぼんやり考えこんでいると、弟の二郎が、遊び仲間の子供たちを沢山つれて、やってきた。
「ほらネ、防空壕だろう。うちの兄ちゃんが、ひとりで、こしらえているのだよ。どうだい、すげえだろう」
「二郎ちゃん。この防空壕には何人はいれるの」
「それは……それは、ずいぶんはいれるだろうよ」
「じゃあ、僕もいれておくれよ」
「だめだめ、信(しん)ちゃんなんか。信ちゃんは、ねぐるいの名人で、ひとの腹でも何でも、ぽんぽん蹴るというから、おれはいやだよ」
「そんなこと、うそだい。その代り、僕、二郎ちゃんの兄ちゃんの手伝いをするぜ。うんと働くぜ」
「でも、そんなこと、だめだい」
「おい、二郎」
 二郎が、後をふりかえった。
「なんだい、兄ちゃん」
「お前たちで、土をはこべよ。防空壕が出来たら、土をはこんだ人は、みんな中にはいってもいいということにするから。その代り、土をはこばない人は、ぜったいに、いれてやらないよ」
「そうかい。おい、みんな聞いたね。じゃあ、みんなで土をはこぼうや」
「あたいも、やるよ」
「僕もやる。うちのお母(かあ)ちゃんがいったよ。防空壕ならうちでつくってもいいからよく見ておいでとさ。僕ここで手伝って、家でもつくるよ」
 二郎の友だちの少年が、土はこびを手伝うこととなった。防空壕が出来るというので、一郎の母親も、これを叱(しか)らなかった。また、今手伝っておけば、いざ空襲(くうしゅう)というとき、その中に入れてくれるというので、土はこびに参加する少年が日ましに数をまして来たのであった。
 くすぐったいのは、一郎だった。
(はじめは人間地下戦車の訓練をやるつもりだったけれど、これはとうとう防空壕をつくることになったぞ。しかし防空壕は必ず作らなければならないものだし、それにこうしてみんなで土に慣れるということはいいことだ。とにかく自分は、まっ先に立ってやらなければならない)
 そう思って、一郎は、半分は地下戦車をつくる上において土になじむためと、あと半分は、これを利用して、防空壕をつくるためと両方に目標をおいて、相(あい)もかわらず、穴の奥へはいりこんで、土を掘っていった。
「ははあ、これが本ものの赤土だな。本当に赤いや」
 ぐさっと、シャベルを土の中に突き入れる。
「赤土は、きれいなものだ。おや、また、水が出てきたな。どうも、このへんに、地下水のみちがついているらしい。防空壕のほかに、井戸を掘ってもいいなあ」
 ぐさっと、またシャベルを土の中に突きこむ。土が、天井から、ぱらぱらと落ちる。蝋燭(ろうそく)の灯が、ゆらゆらと、消えそうに揺れる。
「もう、ずいぶん掘った。このうえは、ちょうど空地(あきち)になっているはずだ。見当をまちがって、鬼河原(おにがわら)さんの家の下を掘ると、ひどい目にあうぞ。いつだか、鬼河原さんの家令(かれい)とかいう人が、かんかんになって怒って来たからなあ、まあ、鬼河原さんの庭園はよけて掘ることにしよう」
 一郎はそう思いながら、つるはしをえいッとふるったが、そのとき天井の土がぱらぱらと大量に落ちて来たと思うと、ちょろちょろ音がして上から水が落ちて来た。はて、へんなことになったわい。


   人間地下戦車の行先


 地下壕(ちかごう)の天井(てんじょう)から、水は、ますますいきおいよく落ちてくる。
「地下水にしては、いきおいがはげしいぞ」
 と、岡部一郎は、けげんな顔で上の様子をうかがっていると、そのうちに壕の中が俄(にわ)かに明るくなった。
「おやおや、へんだな」
 と思っていると、足許(あしもと)が、はっきり見えるではないか。手提電灯(てさげでんとう)の光で見えるのではない。もっと白々(しらじら)と、はっきり見える。そのうちに、壁をつたわって、なにかしら、いやに赤いものが、ちょろちょろと流れおちてきた。
「おや、いやに赤いものが、流れてきたぞ。このあたりは赤土の層だというが、いくら赤土にしても、すこし赤すぎるようだが……」
 と、一郎は、ふしぎそうに、自分の足許へ流れて来たその赤いものを見ていると、それが、ぴんぴんと跳(は)ねだしたではないか。
「あれェ、赤土が、跳ねるなどということが、あるだろうか。赤土が、魚になったのかしら……」
 と、一郎は、まだ気がつかない。
「ほう、金魚のようだぞ。地下金魚――なんてものが棲(す)んでいるのだろうか」
 一郎は、また顔をあげて天井を見たが、そのとき、大きな音がして、天井の土が、どしゃりとくずれた。
「あっ!」
 と、一郎が、とびのくのと、天井に、ぽっかりと明るい窓があくのと、ほとんど同時であった。
「これは、へんだ。ひょっとすると……」
 と思っているうちに、その天窓(てんまど)が急にくらくなったかと思うと、大きな黒い材木のような怪物が落ちてきた。そして、一郎の足許で猛烈にあばれだしたから、さあ、たいへんであった。一郎の顔も服も、泥水をぶっかけられて、目もあけていられない。跳ねている怪物は、目の下半メートルもあろうという大鯉(おおごい)だった。
 天井から、奔流(ほんりゅう)する水は、ものすごく、まるで天竜川(てんりゅうがわ)のようであった。一郎の膝の下は、たちまち水の中につかってしまった。そうなると、もう、逃げだすことも出来なかった。逃げだす路は、天井にあった穴のほかはなかった。
 水は、いいあんばいに、腰のところでとまり、それ以上はふえなかったから、一郎は、かろうじて溺死人(できしにん)とならないですんだ。
 彼は、シャベルとつるはしとを力にして、ずるずるする斜面を、天窓の方へのぼっていった。そこには、もう一郎の身体のはいるだけの大きな穴があいていた。
「よっこらしょ、よっこらしょ」
 一郎は、斜面をのぼっていった。そしてついに、その天窓から、首を出してみた。
「うわッ」
 きゃーっという悲鳴が、彼の耳をうった。
「怪物だァーおい、逃げろ」
 という声も聞えた。
 だが一郎は、あまりに眩(まぶ)しくて、しばらくは何も見えなかった。なんだか、ひろびろとした世界へ出ているらしいことはわかったけれど……。
「こりゃ怪物、そこうごくな。そちに、あいたずねるが、貴公は人間の性(しょう)をもったる者か、それとも、河童(かっぱ)のたぐいであるか。正直に、返答をせよ」
 へんな言葉づかいの声が、岡部一郎の耳にきこえてきた。そのとき彼は、もう観念してしまった。ようやく事情が、はっきりしたのであった。地中を掘ってゆくうち、そういうことのないように気をつけていたつもりであったけれど、とうとうお隣りの鬼河原邸(おにがわらてい)の泉水(せんすい)をこわしてしまったのであった。すなわち今彼に向って「やあやあ汝(なんじ)は人間の性(しょう)か河童のたぐいか」とどなっているのは、鬼河原家の三太夫(さんだゆう)氏の声にちがいない。
「えらいことを、やってのけたぞ。三太夫さんがびっくりしているうちに早いところ逃げないとたいへんだ」
 一郎は、ふたたび、
「うわーッ」
 と、声をあげると、穴からとびだした。
 なにごとが起ったかと、泉水の方をこわごわみていたお邸(やしき)の連中は、泉水の中から、いきなり、泥まみれの小僧(こぞう)が、シャベルとつるはしとをもってとびだしたものだから、きもをつぶしてしまった。奥へ逃げこむ者、その場にへたばる者、わめきちらす者のある中を、一郎は、自分の家の庭に生えている大きい欅(けやき)の樹を見当にして、まっしぐらに走りだした。そして、お邸の垣根をこえて、自分の家の庭へ、とびこんだのであった。
 人間地下戦車事件の終幕だった。
 人間地下戦車が、お隣りの鬼河原邸の泉水(せんすい)をこわしてしまったので、岡部一郎は、たいへん叱られた。
 そのあげく、とうとうシャベルもつるはしも、一郎から取り上げられてしまったので、彼は、当分おとなしくしなければならなかった。しかし彼は決して、地下戦車をこしらえ地下戦車長になることを断念したわけではなかった。国防のために突進しようと決心した彼であった。誰に叱られようと、退却するようないくじなしの岡部一郎ではなかった。


   信越線


 さて、それから月日がながれた。そして、冬となった。
 会社の主任の小田さんが、急に新潟県へ出張することになった。
 それを聞いた一郎は、ぜひ小田さんについて行(ゆ)きたいとねがった。彼は、東京育ちであったから、新潟県というところを、見たくなったのである。
 それを聞いて、小田さんは、
「おい岡部、今ごろ新潟県へいっても、すこしも、おもしろいことはないよ。今は、雪ばかり降っているのだ。高田市などは、もう四、五メートルも雪が積っているという話だから、たいへんだよ」
 小田さんは、一郎をつれていって、風邪(かぜ)を引かせるといけないと思い、そういった。
「ぜひ僕は、いきたいんです。小田さん、僕は、雪がそんなに降ったところを見たことがないから、ぜひみせてください。それから僕は、もう一つ、ぜひみたいものがあるんです」
「もう一つみたいものって、なにかね」
「それはねえ、ラッセル車です」
「ラッセル車?」
「つまり、鉄道線路に積っている雪をのける機関車のことです。いつだか、雑誌でみたのですよ。雪の中を、そのラッセル車が、まるい大きな盤のようなものをまわして、雪を高くはねとばしていくのです。すばらしい光景が、写真になって出ていた」
「ああ、そうか。それなら、ロータリー式の除雪車(じょせつしゃ)のことだな。そんなものをみて、どうするのかね」
 と、主任の小田さんは、また目をくしゃくしゃさせ、そしてしきりに鼻の下をこすった。
「それは、いわなくても、わかっているじゃありませんか。僕、このロータリーとかいうのを見て、地下戦車をこしらえる参考にしたいのです。だから、ぜひつれていってください」
「ははあ、そうか。やっぱり、そうだったのか。よし、そういうわけなら、所長に頼んで、なんとかしてやろう」
 小田さんは、わかりの早い人である。そこで所長にうまく話こんでくれた。その結果、岡部一郎は、破格(はかく)の出張を命ぜられることとなった。
 生れてはじめての遠い旅行である。小田さんと待ちあわせて、上野駅を夜行でたった。汽車は、たいへん混んでいた。
「岡部、安心して、ねなさい。朝になって、いいときに、私が起してあげるから」
 小田さんは、一郎をねるようにすすめた。一郎は一時に気づかれが出て、まもなく、ぐっすりと寝込んだ。
 朝は、早く目がさめた。一郎を起してくれるはずの小田さんは、まだぐうぐうねむっていた。一郎は、起きるとすぐ、手帳を出して白い頁(ページ)をひろげた。そして万年筆を握って、何か書き出した。
「未来の地下戦車長、岡部一郎」
 筆墨(ひつぼく)はなくても、未来の地下戦車長、岡部一郎と書くことをお休みにすることはできない。
 そのうちに、小田さんが、目をさました
「おやおや、もう習字をやっているね。そのうちにやめるかと思ったがなかなかつづくね。全く感心だ」
 小田さんは感心をして、未来の地下戦車長のために、朝の弁当を買ってくれた。
 除雪車を見たのは、その日のお昼ごろであった。汽車は、雪のため、昨夜来(さくやらい)、やや速力がにぶってきたが、とうとう午前十時ごろには、雪の中に停ってしまった。そして、向うから除雪車が来るのを待つこととなった。
 二時間ぐらいたって、
「ああ、来た来た。ロータリーだ」
 と、人々がさわぎ出したので、一郎はまだぐうぐうねむっている小田さんをゆすぶり起して、外へ出た。線路の横の雪山のうえにのぼると、除雪車が黒煙(こくえん)をあげつつ、近づくのが見えた。ロータリーだ。ロータリーに当って、雪は、まるで爆布(ばくふ)[#「爆布」はママ]のようにうつくしく横へはねとばされる。壮観(そうかん)とは、このことであろう。中空(ちゅうくう)にかかる雪の爆布[#「爆布」はママ]は、だんだんと近づいてきた。こっちからは、車体はすこしも見えない。見えるのは、ただ雪と煙りとだけであった。
 除雪車が、そばまで来て停ったので一郎は、はじめて、除雪車の構造をよく見ることが出来た。ロータリーの歯車は、ぴかぴか光っていた。雪をはじめにかきこむ鋤(すき)は、ものすごく大きくて、前へ廂(ひさし)のように出ていた。一郎は、時間のたつのも忘れて、じっと見つめていた。


   掘出した扇風機


 新潟県から帰ってきて、一郎はすっかり考えこんでしまった。除雪車が、あんなに壮観なものとは考えていなかった。そして、つよい蒸気の力を借りて、たくさんの雪が、みるみる跳(は)ねとばされていくところなどをみていると、地下戦車も、かならず出来なければならないと感じた。
「地中を、あのロータリー除雪車のもっとしっかりしたようなもので、どんどん掘っていったら、きっとうまくいくかもしれない」
 一郎は、なんとかして、そういう機械をつくってみたくて仕方がなかった。
 しかし機械をつくるには、たくさんのお金が入用(いりよう)であった。機関車一台でも、一万円ちかくかかるのであった。一万円などという大金を、一郎がつくれるはずがなかった。だから、ざんねんながら、まにあわせに、模型(もけい)でもつくってみるほかないと思った。
 さて、模型をつくるにしても、なかなか費用がかかる。一郎のように、貧乏な家の子供は、お金のかかることなんか、出来ないのであった。といって、このまま指をくわえて引込(ひっこ)んでいるわけには、いかなかった。
 一郎は、いろいろと思いなやんだ。ひとつ会社をやめて、もっと儲(もう)かる仕事をはじめようかしら。
 彼は、発明王エジソンの少年時代のことを思い起こした。エジソンの家も、たいへん貧しかった。しかし少年エジソンは化学の実験がたいへんすきで、もっともっと、自分の思うように、それをたくさんやってみたくて仕方がなかった。そこでエジソン少年は、まず新聞売子になった。新聞を売って、それで儲(もう)けたお金で、たのしい実験につかう薬品を買うことにしたのであった。エジソンは、新聞を汽車の中や駅で売ったのであった。
 そのうち、エジソンは、自分で新聞を発行することを考えた。その方が、たくさん儲かるからであった。彼は、汽車の中の一室を、その新聞の発行所にあてた。彼の新聞は、よく売れた。それで、彼の思うような薬品が買えた。彼は汽車の中で、化学実験をつづけたのであった。くるしいけれども、たのしい日が、エジソンのうえにつづいた。或る日、汽車が揺(ゆ)れた拍子(ひょうし)に車内の薬品棚(やくひんだな)から、燐(りん)の壜がおちてこわれ、たちまち燐は空気中の酸素と化合をはじめ、ぼーっと燃えだした。火事だ。汽車の中に火事がはじまったのである。火事を出したおかげで、彼は新聞を発行することが出来なくなってしまった。――そんなことを、エジソンの伝記でよんだことがあった。
「よし、僕は、やるぞ!」
 エジソンのように、彼も自力(じりき)で働こうと思った。そしてもっと、たくさんのお金を儲け、そしてもっとたくさんの時間を、地下戦車の研究につかえるようにしたいと考えた。
 小田さんは、一郎の決心をきいて、いろいろと止めたけれど、彼の決心はつよかった。そして彼は、とうとう廃品回収屋さんを始めることとなった。一郎の母親をときふせることは、小田さんにたのんだ。
 かがやかしき(一郎にいわせると)新体制への発足(ほっそく)であった。
 廃品回収屋さんといえば、今は、りっぱな国策商売である。この物資不足の折柄(おりから)、むだにすてられようとする物や、使われもせず家の中にしまいこまれた物を、買いあつめる商売だ。
 こうして、これらの物を戦争につかう新しい物にかえるのである。立派な商売であった。とうとう一郎は、車を引いて、町へ出るようになった。
「廃品は、ありませんか。こわれて役にたたないものがあったら、売ってください」
 彼は、熱心に、家々をまわっていった。
 はじめは、つらかったけれど、慣れるに従って、これは面白い商売だと思うようになった。そして或る日、扇風機(せんぷうき)のこわれたのを買いあてたときには、彼は、とびあがらんばかりに、よろこんだ。
 なぜ、彼は、そのようによろこんだのであろうか。
「すてきだ! このこわれた扇風機をなおして、それから改造するんだ。翼(よく)を、ロータリー除雪車のようになおし、それから台に車をつけると、おもしろいものが出来るぞ。廃品回収屋さんは、儲かる上に、こんなものが手にはいるなんて、いい商売だな」


   扇風戦車失敗の巻


 一郎は、扇風機を改造して、ロータリー除雪車に似たものを作ろうと決心したのであった。
 故障の扇風機をしらべてみると、故障のところは、レバーの接触がよくないのだと分った。こんな故障なんか直すことは彼には、お茶の子さいさいである。
 ロータリーの翼(よく)は、新造しなくてはならないので、ちょっと材料に困った。しかしそれも、木の板に、空缶(あきかん)のブリキ板を貼り、そのうえに、こわれた金具(かなぐ)の中から、いいものをよって、取付けた。すべて、一郎が商売であつめてきたものの中から、自分に都合のよいものを、自分が使うのだから、こんな都合のいいことはない。
「この商売、ナカナカよろしい」
 一郎は、ひとりで、よろこんでいる。そして、何日もかかって、とうとうロータリー車の模型をつくり上げた。
「さあ、あとは、雪がふればいいのだ。雪よ早く降れ、早く降れ」
 と、一郎は、童(わらべ)のように、雪の降るのを祈っていると、それから一週間ほどたって、雪が降った。天も、一郎をはげますためか、うんと雪を降らせた。東京地方には、めずらしいといわれる積雪一メートル半!
「あら、うれしい。いよいよロータリー式地下戦車の模擬試験(もぎしけん)だ!」
 庭へ、例の扇風機を改造したロータリー車を置いた。そして、かねて買い込んでおいた夜店用(よみせよう)の防水電纜(ぼうすいコード)を、家の中から庭まで引張り、その端(はし)に、扇風機のプラグをさしこんだ。あとは、途中につけてあるスイッチをひねれば、このロータリー車は、雪を切るはずだった。
 一郎は、もううれしくてうれしくて、ひとりでに、自分の顔が笑いだすので困ってしまった。
「さあ、ロータリー式地下戦車、進めッ!」
 一郎は、そういって号令をかけると、スイッチを押した。すると、はたして、扇風機――ではないロータリー地下戦車は、まわりだした。雪は八方にとびちった。
「しめたしめた。これで、雪の中を前進すればいいんだ。機関車の代りに僕が押してみよう」
 一郎は、ぶんぶん廻っているロータリー車のうしろを手でもって、積りつもって堤のようになっている雪の横腹(よこっぱら)へ、
「進め、進め!」
 と、ロータリー車を押しつけた。
 ぱちぱちぱち、ぴちぴちぴち。
 ロータリー車は、そんな音をたてて、積った雪の中へ、まるまるとしたトンネルを掘るのであった。
「ああ、愉快だ。ああ、愉快だ」
 他人が見たら、一向おもしろくないことを、一郎は、愉快でしようがないという風に見えた。彼が、小一時間あまりも、それをつづけているうちに、どうしたわけか、ぷーんとへんな臭いがしてきたではないか。
「おやッ、へんな臭(にお)いだぞ。ゴム線が燃えるような臭いだ」
 そのとき、彼は、やっと気がついた。ロータリー車を手許へひきよせ電動機の上にさわってみると、
「あつッ」
 手がつけられないように熱い。そして、ぷーんと、ゴム臭(くさ)い臭(にお)いがし、白い煙が電動機の中から、すーっと昇っていることに、始めて気がついた。
「し、失敗(しま)った。電動機を焼いてしまった」
 と、叫んだが、もう後(あと)の祭(まつり)だった。
 電動機は、いつの間にか、まわらなくなっていた。どうして、こんなことになったのか。
 後で、一郎が考えたところによると、これは、電動機が、むりやりにひどい仕事をさせられたため、焼けてしまったのであった。このような小さい電動機に、雪をかかせるのは、むりであった。雪がやわらかいうちはいいが、雪が固くなると、とてもいけない。そのうちに、線と線との間に火花がとんで、全くまわらなくなったわけである。
 彼は、あとでまた扇風機になおすつもりだったが、この失敗のために電動機の捲線(けんせん)をすっかりやりなおさなければならないことになった。
 失敗は失敗だが、彼の地下戦車研究は、一段とすすんだのであった。
「どうも、あのロータリーは、まずいやり方だ。除雪車なら、雪を外へはねとばしただけでいいんだが、地下戦車となると削(けず)った土は、自分が掘った穴へすてるしかないんだから、もっと考え直さなくては、だめだ。、どうしたら、いいかしら」
 一郎は、失敗に屈(くっ)しないで、もう次の研究を考えていた。地下戦車は穴を掘るだけでなく、削(けず)った土をどこにやるか、その始末をよく考えておかないと、実用にならない。
 これは中々むつかしい研究問題である。一郎は、廃品回収の車をひきながら、それについていろいろと頭をしぼったが、どうもいい工夫がなくて困っていた。
 そのうちに、春になった。
 春にはなったが、地下戦車の問題は、一向すすまなかった。ところが或る朝のこと、彼は郊外を歩いているうちに、思いがけないおもしろいものを見つけた。
 お百姓のおじさんが、もぐらを捕(とら)えているのであった。畠をあらすもぐらが、なぜそんなに彼の注意をひいたか。


   岡部一郎ひるまず


 岡部一郎はなぜ、もぐらをとっているお百姓さんを見て、よろこんだのか。
 彼は、廃品回収車を、道ばたへおき放しにして、そのお百姓さんのところへ、のこのこと近づいた。
 お百姓さんは、一郎のすがたを見ると、手を左右にふっった。
「あれッ、そばへいっちゃ、いけないのかなあ」
 もぐらが、一郎にかみつくといけないと、お百姓さんは、しんぱいしているのであろうか。そんなことなら、何がこわくあるものかと、一郎は、かまわず、お百姓さんの方へ歩いていった。お百姓さんは、また手を左右にふった。
「あれッ。ぼくが来ちゃ、いけないんですかね」
「なに? 来ちゃいけないというわけじゃねえが、今日はなにもお払(はら)いものがないということさ」
 お百姓さんは、岡部一郎が、廃品回収屋の腕章(わんしょう)をつけているのを見て、てっきりお払いものはないかと、ききにきたのだと感ちがいしたのだ。
「ああ、そうですか。おじさん、ぼくは、屑やお払(はら)いものを、うかがいに来たわけじゃありませんよ」
「へえ、お払いをききに来たのじゃないのか。じゃあ、葱(ねぎ)でも、分けてくれというのかね」
「ちがいますよ。そのもぐらのことですよ」
 一郎は、お百姓さんの足許(あしもと)にころがっているもぐらを指した。
「このもぐらに、用があるのかね。ははあ、商売ぬけ目なしだ。もぐらの毛皮を売ってくれというのだろう」
「ああそうか。もぐらの毛皮は貴重な資源だな」
 と、一郎は、一つものおぼえをしたが、
「ねえ、おじさん。ぼくは、もぐらの毛皮よりも、もぐらが、どうして、土を掘るのか、それを知りたいのです。どうぞ、おしえてください」
 それをきいて、お百姓さんは、おどろいて目をまるくした。
「なんじゃ、もぐらが、どうやって、土を掘るか、知りたいというのか。なるほど、お前さんは、まだ子供だから、なんでもめずらしくて、そんなことが知りたいのだな」
「そうじゃありませんよ。ぼくは、今、地下戦車をこしらえようと思って、一生けんめいになっているんです。だから、土掘りの名人のもぐらのことを、ぜひ勉強して、出来れば、もぐら式の地下戦車をこしらえてみたいなあ」
 一郎のいうことは、一郎にはわかっているが、お百姓さんには、ちんぷんかんぷんだった。第一、地下戦車なんてものは何だか、さっぱり見当がつかない。ただ、この少年が、理科ずきと見え、たいへんねっしんに、もぐらの話をききたがっていることだけは、わかった。
「このもぐらというけだものはこんなかわいい顔をしているが、悪いやつじゃ」
 と、お百姓さんは、足で、もぐらの腹を、ぽんとけった。もぐらは、くるっと腹を上に出した。もぐらは、すこしもうごかない。
「このもぐらは、死んでいるの」
「うん、もぐらは、すぐ死ぬるよ。お陽さまにあたれば、すぐに死んでしまうのだよ。だから、昼間はじっと土の中に息をころしていて、夜になると、ごそごそうごきだして、作物をあらすわるい奴じゃ」
 お百姓さんは、もぐらの悪口ばかりをいった。しかしもぐらは、畑の害虫をたべるから、お百姓さんのためにもなっているのだ。

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