二、〇〇〇年戦争
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著者名:海野十三 

   発端(ほったん)

 そのころ、広い太青洋(たいせいよう)を挟んで、二つの国が向きあっていた。
 太青洋の西岸には、アカグマ国のイネ州が東北から西南にかけて、千百キロに余る長い海岸線を持ち、またその太青洋の東岸には、キンギン国が、これまた二千キロに近い海岸線をもっていた。
 キンギン国は、そこが本国であったが、アカグマ国のイネ州は、本国とはかなり距(へだ)たっていた。早くいえば、イネ州というのは、かつてイネ帝国といっていたものが、アカグマ国のために占拠せられて、イネ州と改められたものであった。
 太青洋は、二大国に挟まれ、今やしずかなる浪(なみ)をうかべて、平和な夢をむさぼっているように見える。そのころ、西暦は、ついに二、〇〇〇年となった。
 果して太青洋は、いつまでも、平和のうちに置かれているだろうか。そのころ、高度の物質文明は、人類をほとんど発狂点に近いまでに増長させていた。


   祝勝日

 桜の花は、もう散りつくした。
 それに代って、樹々の梢(こずえ)に、うつくしい若葉が萌(も)え出(い)で、高き香(か)を放ちはじめた。陽(ひ)の光が若葉を透(とお)して、あざやかな緑色の中空をつくる。
 イネ州は、いまや初夏をむかえんとしている。
 紺碧(こんぺき)の空に、真赤なアカグマ国の旗がひるがえっている鉄筋コンクリート建の、背はそう高くないけれど、思い思いの形をしたビルディングが、倉庫の中に、いろいろな形の函(はこ)を置き並べたように、立ち並んでいる。一般に、その形は、四角か、或は円筒を転がして半分地中に埋(うず)めたような恰好(かっこう)であった。そしてどの屋上にも、アカグマ国の国旗は、ひらひらとはためいていた。
 遠くで、楽の音(ね)がきこえる。
 その楽の音をききつけて、建物の間を、ぞろぞろと、うすぎたない身なりをした男女の群衆が通っていく。
「あっちだ、あっちだ。なにが始まったんだろうな、あの音楽は……」
「お前、ぼけちゃいけないね。じゃあ、こっちから聞くが、なぜお前はきょうこうしてぬけぬけと遊んでいられるんだい」
「そんなことを聞いて、おれを験(ため)そうというのだな」
 と、その男は、歯をむいたが、
「はははは、験したきゃ、験すがいい。おれは近頃ぼやけているにゃ、ちがいないよ。とにかく、明日は労働は休みだといわれたから、今日はこうして、ぶらぶらやっているわけけだ。理屈もなんにも考えない」
「無気力な奴(やつ)だ。無性者(ぶしょうもの)だ。お前はたしかに長生(ながいき)するだろうよ。全くあきれて物がいえないとは、お前のことだ」
「いい加減にしろ、ひとを小ばかにすることは……」
「だって、今日はイネ国滅亡の日だ。だからアカグマ国をあげての祝勝日だということぐらい、知らないわけでもあるまい」
「ああ、そうだったか。イネ国滅亡の日か。すると、われわれの脈搏(みゃくはく)にも、今日ばかりはなにかしら、人間くさい涙が、胸の底からこみあげてくるというわけだね」
「ふふん、国破れて山河あり、城春にして草木深しというわけだ。だが、そんなことをいつまでも胸の中においていると、また督働委員から、ひどい目にあうぜ。さあ、なにも考えないであの音楽のしているところへ、いってみよう」
「ああ、そうしよう。現在、われわれ旧イネ国の亡民には、人間味なんて、むしろ無い方が、生活しよいのだ。一匹の甲虫(かぶとむし)が、大きな岩に押し潰(つぶ)されりゃ、もうどうすることも出来ないのだからな、アカグマ国はその大きな岩でわれわれの祖国イネ国は、所詮(しょせん)甲虫にしか過ぎなかったんだ」
「もう、なんにもいうな。さあ、いこうぜ。皆も、あのとおり、街を急いでいらあ。こんなゆっくりした休日なんて、われわれのうえにもう二度と来るかどうか、わからないのだ」
「よせやい。なんにもいうなというお前が、その口の下から、愚痴(ぐち)をこぼしているじゃないか。身勝手な奴だ」
「ふん、その身勝手という奴が、イネ国を亡ぼしたようなものだ。ああ」
 二人は祝勝会場の前へと流れゆく群衆の中に、まぎれこんでしまった。
 このイネ州にうようよしている労働者は、いずれも、元イネ国の国民だった。アカグマ国がこの地を平定してから後、夥(おびただ)しい殺戮(さつりく)がつづいたが、その後には、婦女子と、そして男子は老人か、さもなければ、以前からアカグマ国に通じていた者だけが残った。そして彼等は悉(ことごと)く、働く資材となって、アカグマ国のために、日夜労働を強(し)いられているというわけだった。
 実は、今日は、イネ国滅亡の三十周年に当るのであった。滅亡の日の当時の生残(せいざん)イネ人の間に、その後生れ出でた子供たちは、大きいところでは、もう三十一歳になっている。しかし彼等は、イネ人の魂を全然失って、今はすっかりアカグマ国の労働奴隷の生活に甘んじているのであった。
 イネ国滅亡の日に、魂ある男子はもちろん、女子も共に祖国に殉(じゅん)じた。魂のない生残り者として生れた子等は、ついに永遠に、魂を持つ機会を与えられないのであろうか。


   大総督と女大使

 このイネ州の首都オハン市は、深い湾の奥にある人口五百万の都市だった。
 その湾から、太青洋を通ずるには、天嶮(てんけん)ともいうべき狭い二本の水道を経(へ)るのであった。東に向った水道を、紅(べに)水道といい、南に向った水道を黄水道という。
 今日、祝勝日にあてられたイネ州大総督のベル・ハウスからは、この二つの水道が、手にとるように見え、天気のいい日には、太青洋の青々とした海面さえ、はっきり望まれるのであった。
 ベル・ハウスは、人工で出来た大きな丘のうえに立った古城のような高層建築であった。
 その宏大(こうだい)な広間や、屋上や、廊下や、そしてバルコニーまでが、今日は生花とセルロイド紙とをもって、うつくしく飾られていた。そしてけばけばしく着飾ったアカグマ人がこれから始まるさまざまの余興の噂をしたり、間もなく開かれる大饗宴(だいきょうえん)の献立について語りあったり、ここばかりはまるで天国のような豪華さであった。
 祝典を、とどこおりなく終えたアカグマ最高行政官の大総督スターベア公爵は、幕僚委員と、招待しておいた各国使臣とに取り囲まれて、子供のように、はしゃいでいた。
 大総督は、あか茶けた太い髭(ひげ)を、左右にひねりのばしながら、
「いやあ、愉快このうえなしじゃ。このイネ州の統治も三十周年をむかえてごらんのとおり、まず完成の域に達した。わがアカグマ国は、従来は、寒い山岳地帯に、吹雪(ふぶき)と厚氷とを友として、小さくなっていたが、今や千二百キロに及ぶ暖かい海岸線を領し、それにつづく数百万平方キロの大洋を擁して歴史的な豪華な発展をとげた。われわれは、この新しき国の富に足をおき、更に国運の一大発展を期するものである。さあ、諸君、それを祝って、どうか祝杯をあげていただきたい!」
 そういって、スターベア大総督は、大きな水晶の杯を高くあげた。
「アカグマ国、万歳!」
「スターベア大総督、万歳!」
 喝采(かっさい)の声と音とは、大広間を、地震のようにゆすぶった。
 大総督は、満悦のていであった。
 彼は、常に似ず、誰彼の区別なく、しきりに愛嬌(あいきょう)をふりまいて、にこにこしていた。
 そのとき、大総督の前に、黒い金の網でつくった手袋をはめたしなやかな手が、つとのばされた。
「やあ、これはゴールド大使閣下」
 と、大総督は、大きなパンのような顔を一段とゆるめて、その黒い手袋の手を握った。
 ゴールド大使!
 それは、この太青洋を距(へだ)てて、東岸に大本国を有するキンギン連邦政府の女大使、ゴールド女史であった。
 ゴールド女史は、年齢わずかに二十九歳という若さでもって、キンギン国にとっては、最も深い意義を持つこのアカグマ国イネ州駐剳(ちゅうさつ)の特命全権大使として、首都オハン市にとどまっているのであった。
「ああ大総督閣下。今日の御招待を、心から、感謝します。そしてアカグマ国の大発展、とりわけこのイネ州の統治三十周年をお祝いいたします」
「いやあ、ありがとう。キンギン国の使臣から、そういっていただくのは、このうえもない喜びです。つつしんで、貴国の大統領閣下へよろしく仰有(おっしゃ)ってください」
 大使ゴールド女史は、スターベア大総督の挨拶(あいさつ)には、無関心である如く、
「さっきのお言葉のうちに、わがキンギン連邦の人民として、黙っていることができないものがございましたが、大総督閣下には、すでにお気付きでいらっしゃいましょうね」
 と、意外にも強硬な語気でもって、スターベアを突いた。
「えっ、なんですって。このわしが、善隣キンギン連邦の神経を刺戟(しげき)するようなことをいったと、仰有るのですか。その御推察はとんでもないことです」
「そうとばかりは、聞きのがせません。もし閣下が、妾(わたし)の位置においでだったら、やはり、同じ抗議を発しないでいられますまいと存じます」
「ほう、そうですか。そんなに大使閣下を刺戟する暴言をはいたとは、思いませんが……はてどんなことでしたかな」
 大総督は、本当にそれに気がつかないのか、それとも、わざと白(しら)ばくれているのか、どっちであろうか。
 ゴールド大使は、そこで一段と声をはげまして、
「では、こっちから申上げましょう。アカグマ国は、イネ州を統治すること三十年、千二百キロの暖かい海岸線を得、そしてそれにつづく数百万平方キロの大洋を擁するに至ったと、仰有ったではありませんか。それとも、それを否定なさいますか」
 女史は、語尾をヒステリー患者のそれの如く震(ふる)わせて、大総督につめよった。
 一座は、この予期しなかった抗議の一場面に、急に白け亘(わた)った。
「あっはっはっ」
 大総督は、はじめさっと顔色をあおざめたが、すでに彼の面上には、赤い血がうかんで来た。そして腹を抱えて、哄笑(こうしょう)したのだった。
「あっはっはっ。それはとんでもない誤解です。わが国と貴国とは太青洋を間に挟んだ世界の二大強国である。太青洋は、永遠に両国の緩衝(かんしょう)地帯である。太青洋のあるお蔭で、これら二大強国は、永遠に衝突を回避できるであろう。されば、両国にとって、太青洋の存在こそ、このうえない幸運なる宝物だと、いわなければならない。どうです、大使閣下、おわかりですか。わしが(太青洋を擁し云々(うんぬん))といったのは、そういう意味だったのです。わしは喋(しゃべ)るのが下手(へた)でしてな、どうか、お笑いください。あっはっはっはっ」


   怪しい花火

 キンギン連邦の女大使ゴールド女史の機嫌は、辛うじて、直ったようであった。
 それから祝宴は、順調に進んだ。
 共産主義から出発したアカグマ国は、途中でいつの間にか、帝国主義に豹変(ひょうへん)し、今では、昔のスローガンとはまるで反対なものを掲げ、ことにイネ州においては、行政官は極度の資本主義的趣味に浸(ひた)っているのであった。だから美酒あり、豪肴(ごうこう)あり、麗女あり、いやもう百年前の専制王室だったときのアカグマ国宮廷の生活も、まさかこれほどではなかったろうと思うくらい豪華を極めたものであった。
 そういう豪華版は、何の力によって招来したのかといえば、これすべて、一億に近いイネ州の人民の膏血(こうけつ)によって、もたらされたものであった。
 そのころ、舞台では、当日の大呼び物であるところのドラマ『イネ国の崩壊』が始まっていた。一万五千人にのぼる主客は、固唾(かたず)をのんで、その舞台面に見入っていた。
 イネ国の崩壊!
 イネの国民にとっては、忘れることのできない一篇の多恨なる血涙史であったが、アカグマ国人にとっては、それは輝かしき大勝利の絵巻物であって、幾度見ても、見飽きないドラマだった。
 舞台のうえでは、イネ国の首都トンキ市がアカグマ国の空軍と機械兵団のために、徹底的に空爆と殲滅(せんめつ)とをうけつつあるところが演ぜられている。硝煙をふんだんに使い、大道具は、本当にその一部を、舞台のうえで燃やすという派手な演出法により、観客を文字どおり煙にまいている。
 俳優は、アカグマ国の兵士をアカグマ国人の俳優が演じ、イネ国の兵士や国民をイネ国人の俳優が演じていた。だから、実戦さながらの闘争や惨虐(ざんぎゃく)が一万五千人の観衆の前に、くりひろげられていく。アカグマ国人は、舞台のうえへ、しきりと声援と喝采とを送って、
「イネ人を、みなごろしにしろ」
「アカグマ国、万々歳!」
 だのと、昂奮(こうふん)しきっていた。
 大総督スターベアだけは、長い髭(ひげ)に指をかけたまま、深い椅子(いす)の中にこっくりこっくり居眠りを始めていた。
 彼は、そうしながら、一つの夢を見ていた……。
 アカグマ国の本国にあるレッド宮殿において、ワシリンリン大帝から、彼は叱(しか)られているところを夢みていたのだ。
(けしからんじゃないか、スターベア。女大使ゴールドなんぞに、さかねじを喰うとは、なんだ。太青洋は、両国の共有物で、緩衝地帯などとは、けしからん約束手形だ。アカグマ国の今後の活動が制限されて、困るじゃないか!)
(へいへい、ワシリンリン大帝陛下。あれは口から出まかせでございまする。ああでも申しませぬと、折角の大祝典が、めちゃめちゃになってしまいますので巧言をもって、女大使めをうちとりましたようなわけでございまする。ごらんなされませ、あのように申しておきましたので女大使めは、わが国が太青洋を侵す意志がないとの秘密電話を、大統領にかけましたようでございます。その隙をうかがい、近いうちに、必ずキンギン国を、ばっさりと……)
(おいおい、そううまくいくかね。どうも貴様は、大言壮語するくせがあっていかん。おい、本当に、自信があるのか。おい、おい)
 そこで大総督は夢からさめた。
「もしもし、もしもし」
 誰かが、大総督の服をうしろから、しきりと、ひっぱっている。
 大総督は、びっくりして、うしろをふりかえった。
 すると、椅子の蔭に、蛙(かえる)のように、平(へい)つくばった男が一人!
「おお、秘密警察隊の司令官ハヤブサじゃないか。どうした、何か事件か」
「はい、一大事勃発(ぼっぱつ)で……」
「一大事とは、何事だ」
「第一岬要塞(ようさい)の南方洋上十キロのところにおいて、折からの闇夜(あんや)を利用してか怪しき花火をうちあげた者がございます」
「なんじゃ、闇夜? はて、もう日は暮れていたのか」
「直(すぐ)に、現場を空と海との両方より大捜査いたしてございまするが、何者も居りません、結局、残りましたのは、あの怪しい花火が、前後三回にわたってうちあげられ、附近を昼間のごとく明るく照らしたばかりにございます」
「ふーん。はてな……」
 と大総督は、椅子の蔭に平つくばる密偵司令官ハヤブサと、おどろきの眼と眼とを見合せた。


   トマト姫

 大総督スターベア公爵は、祝酒の酔いが、さめかかったのを感じた。
「おい、司令官ハヤブサ。本当に、のこるくまなく捜索してみたのかね。そして、猫の仔(こ)一匹見つからなかったのかね」
 司令官ハヤブサは、蒼白(そうはく)な顔色で、大総督の足許(あしもと)に、身体をこまかく震わせていたが、
「はい、そのとおりでございます。小官はあらゆる捜索機関に命令を下しまして、念入りに取調べさせたのでございますが話のとおり、全く猫の仔一匹どころか、鼠(ねずみ)一匹いないのでございます」
「ほほほほ、それはあたり前の話だわ」
 と、とつぜん、横合から、無遠慮に笑いごえをあげたものがあった。
「なにッ」
 大総督と司令官とが、こえのする方へふりかえったとき、そこには九つか十ぐらいの、かわいらしい下げ髪の女の子が立っていた。
「なんだ。誰かと思えば、トマト姫か」
 トマト姫は名のとおり、顔がまんまるで、そして頬(ほ)っぺたがトマトのように真赤な少女だった。そして金髪のうえに細い黄金の環(わ)でできた冠(かんむり)をのせているところは、全くお人形のように可愛(かわい)い姫君だった。これは大総督スターベア公爵の、たった一人のお嬢さまだった。
「だって、お父さま。海には、鴎(かもめ)だの、飛魚(とびうお)はいても、猫だの、鼠だのはいないでしょう。お父さまたちのお話は、ずいぶんおかしいのね」
「あっ、そうか」
 と、大総督は、くるしそうに顔をゆがめ、長い髭を左右にひっぱったが、
「おい、トマト姫。お前はいい子だから、あっちへいって、レビュウを見ていらっしゃい。お父さんは、今、ハヤブサ司令官と大事なご相談をしているときだから、あっちへいらっしゃい」
「いいのよ、お父さま。あたし、もう黙っているからいいでしょう。猫のお話が出ても、鼠のお話が出ても、なんともいいませんわ」
 トマト姫は、そういいながら、大総督の膝の間へ小さなお尻を入れ、絨毯(じゅうたん)のうえへ座りこんでしまった。
「どうも、困った奴じゃ」
 と、大総督はいったが、眼に入れても痛くないほど可愛がっているトマト姫のことだから、そのうえ叱りはしなかった。彼は、司令官の方をむいて、
「おい、ハヤブサ。お前も、ちと常識のある話をしてくれ。海の中に、猫だの鼠だのがいるような話をしては、娘に笑われるではないか」
 といえば、司令官は、眼を白黒して、
「いや、これはうっかりしておりました。何分にも、一刻も早くお知らせしなければならないと思い、それがため、つい周章(あわ)てましたようなわけで……」と弁解して「さて、閣下。今申した怪信号の事件について、閣下はいかなるお考えをお持ちでございましょうか」
 大総督は、しばらく眼を閉じて考えていたが、やがて、ぽんと膝をうち、司令官ハヤブサの耳に口をよせると、
「おい、それはキンギン国の仕業(しわざ)にちがいないと思うぞ。お前は、直(すぐ)に秘密警察隊を動員してキンギン国の大使ゴールド女史をはじめ、向うの要人の身辺を警戒しろ」
「はい。かしこまりました」
「わしは、すぐさま戦争大臣に命令を発して、問題の第一岬要塞の南方十キロの洋上を中心として、附近一帯を警備させるから」
「ははっ、それは結構でございます」
「わかったら、早く行け」
「はっ」
「ちょっとお待ち、ハヤブサ司令官」
 そういったのは、トマト姫だった。司令官は、立ち上りかけたところを、トマト姫によびとめられ、またその場に跼(かが)んだ。
「はい、なにごとでございますか、お姫さま」
「あのう、ゴールド大使の左の眼が、義眼だということを、あなたは知っているの」
 トマト姫は、とつぜん、意外なることをいいだした。
「えっ、それは初耳です。そうでございましたか、あのうつくしい女大使ゴールド女史の左の眼が義眼とは、今まですこしも気がつきませんでした。ははあ、女というものは油断が……」
 といいかけて、司令官は気がついたのか急に口に手をあて、
「いや、恐れ入りました」
「おい、司令官。早く行け」と、大総督はにがり切って怒鳴(どな)った。「お前は、役目柄そんなこと位を知らんでどうするのじゃ。いずれ後でゆっくり叱ってくれるわ」


   前衛部隊

 第一岬要塞の附近はあやめもわかぬ闇の中に沈んでいた。
 だが、大総督から、とつぜんの命令が下ったので、その闇の中にアカグマ国の軍隊が蟻(あり)の大群のように、真黒に集まってきた。いずれも、真黒な合金の鎧(よろい)で身体を包み、頭の上には、擬装のため、枯草や木の枝などをつけ、顔には防毒面をはめ、手には剣と機関銃と擲弾(てきだん)装置のついた奇妙な形の武器を持ち、ものすごい武装ぶりであった。
 またこの兵士たちは、戦車を小さくしたような靴を両足に履(は)いていた。これは、背嚢(はいのう)の中にあるガソリンタンクからガソリンを供給され、その戦車型の靴を動かすのであったが、最大時速は八十キロと称せられていた。スピードは、股(また)を開いたり、閉じたりするその加減によってどうでも自由になるのであった。このアカグマ国独特の歩兵部隊は、陸上では、世界において敵なしと誇っているものであった。そういうものすごい兵士たちが、続々と第一岬要塞附近に集まってきたのであった。
「おい、これは演習だろうか、それとも、いよいよ本当の戦闘だろうか」
「さあ、よくはわからないけれど、どうやら、本当の戦闘が始まるらしいぞ。衛生隊では、たくさんのガーゼを消毒薬液の中へ、どんどん放(ほう)りこんでいる」
「じゃあ、いよいよ本当の戦闘だな。しかし相手国は、どこだろうか」
「さあ、それがよく分らないんだ。イネ帝国の暴民たちが、蜂起(ほうき)したのではあるまいか」
「そうじゃあるまい。それにしては、われわれの用意があまりものものしすぎるよ。第一旧イネ帝国の暴民たちが、海上方面から攻めよせることはあるまい」
「さあ、それは保証のかぎりでない。旧イネ国の敗走兵が、南の方の小さい島々へ上陸して、再挙をはかっているという噂を聞いたことがあるぞ」
「それにしてもだ、この第一岬要塞を攻めるには、十万トン以上の主力艦かさもなければ、五百機以上の重編隊の爆撃機隊でなければ、てんで戦争にならないのだからね。旧イネ帝国の敗走兵どもに、そのような尨大(ぼうだい)な軍備が整いそうもないじゃないか」
「じゃあ、一体敵は、どこのどいつだろうかしらん」
「それは、おれの方で、たずねているのじゃないか」
 兵士たちは、とりどりの噂をしている。彼等は、まさか大総督が、太青洋を距(へだ)てたキンギン国を疑っているのだとは、想像もしていなかった。事実、今日まで両国の間には、別に問題になるような事件がなかったのである。
 カモシカ中尉は、若い将校であった。年齢は、わずか十八であったが、頭脳もよかったし、学科の点も、練兵の成績もよかったので、中尉に任ぜられていた。彼もいま一隊の歩兵を率いて、第一岬要塞の附近に陣取って、見えない敵を睨(にら)んでいた。
「おい、通信兵。まだ本営からの命令は来ないか」
 すると、中尉の傍(そば)についていた通信兵が、背中に負うた受信機を、重そうにゆすぶり直して、
「はい、まだ、何にも伝達がありません」と、答えた。
「どうも、遅いなあ。敵が何者であるぐらいのことは、早く示してもらわないと隊を指揮するのに困る」
 彼は、口をへの字に結んで、冷いトーチカのうえに、両腕をのせた。
 そのとき、どこからか、低い呻(うな)りをきいたように思った。
「隊長。本営からの命令です」
「なにッ、早くいえ!」
 そういう間にも、カモシカ中尉は、怪しい呻りが空中にだんだん大きくなるのを聞きのがさなかった。
「本営命令。敵はキンギン国なり。キンギン国の進攻命令をつたうる電波は、空中に次々に放送されつつあり。やがて海上に敵艦隊は姿を現わさん。敵の攻撃は第一岬要塞附近に集中せられ、強行上陸を企(くわだ)つるものと思わる。依(よ)って、わが軍は、全力をあげて守備を固くし、敵を撃退すべし」
 通信兵は、耳に入る本営からの命令を復唱した。そして、一方の手をつかって、巧みにそれを録音した。中尉からの命令があり次第、すぐにも全軍に、それを放送する準備のためであった。
「ふーむ、敵はキンギン国か、畜生!」
 と、カモシカ中尉は、鎧をぽんぽんと叩いて、怒りのこえをあげた。
「中尉どの。これを全軍に伝えますか」
「うむ。敵はキンギン国なり。わが軍は、全力をあげて、守備を固くし、敵を撃退すべし――というところだけを、放送せい」
「はい」
 そういっているうちに、例の怪しい呻りは、急に頭上にさし迫ってきた。
「あの呻りは?」
 と、カモシカ中尉が叫んだ。


   火の海

 とつぜん、眼がくらくらするような大閃光(だいせんこう)が起った。
 つづいて大地は、地震のごとく揺らいだ。どどどッと、つづけさまの大爆音だった。それまでは、闇の中に沈んでいた第一岬要塞の附近は、まるで白昼のように明るくなり、何十条ともしれない大火柱が、すさまじい音響をたててたてつづけに立ちのぼった。
「あっ、空襲だ!」
 カモシカ中尉は、塹壕(ざんごう)の中へ吹きとばされながら、ようやく事態を悟った。
 鎧を着ていなかったら、彼は、コンクリートの塹壕に叩きつけられ、早速(さっそく)死んだことだろう。
 暗い夜空から降ってきた爆弾の総量は、すくなくとも百四、五十トンはあったであろうと、中尉は生死の間にも沈着に見当をつけた。全く、ものすごい爆弾投下であった。
 爆撃は、たった四、五分で終了した。
 火柱も閃光も、ともに消え去ったが、あちらこちらから、濛々(もうもう)たる火煙が起った。重油やガソリンが燃えだしたのである。
 中尉が、塹壕の中で起き上ろうとしていたとき、上からするすると、すべり降りてきた者があった。
「ああ、カモシカ中尉どのですね」
 そういったのは、鎧に描いたマークで、それと知れる一等下士だった。彼は、隊中で一等元気な、そしてよく訓練せられた軍人であった。
「おお、モグラ下士か、どうした、お前は」
「はい、今、落ちてきたのはロケット爆弾だということを知りました。それで、そのことを本営へ報告しようと思うのですが、通信兵が見つかりません」
「通信兵なら、さっきまで、おれの傍にいたんだが……」
 と、燃えあがる火光をたよりに、あたりを見廻(みまわ)したが、通信兵の姿は、見えなかった。
「中尉どの、仕方がありませんから私が連絡所まで行ってまいります」
「よし、行ってこい」
 と、カモシカ中尉は、言下にいったが、
「おい、ちょっと待て、今のがロケット爆弾だということを、お前はどうして知ったのか」
「いや、それは、ちゃんとこの眼で、見たんです。あそこへいけば、まだ残っているはずですが、後の方になって、眼の前へどーんと一つ落ちてきた奴が、不発弾でしてね、トーチカの斜面を、ごろごろと転がりおちてきましたよ。それではっきり見たんです。なにしろ、あの奇妙な形ですから、ははあロケット爆弾だなと、すぐ気がつきました」
「ふん、じゃあ、たしかだな」
「たしかもたしかも、大たしかです。しかし、いくら敵の爆弾にしろ、不発弾があるなんて、みっともないですね」
「ばかをいえ。不発弾でなかったら、お前の生命(いのち)は、とっくの昔になくなっているわけじゃないか。不発弾であったのが、どのくらい倖(さいわい)だか、わかりゃしない」
「そういえば、そうですな。とにかく、この上に、まだ転がっていますから、なんならちょっとごらんなすって。私は、すぐ連絡所へ一走りいってまいります」
 そういって、モグラ軍曹は、そのまま匐(は)うようにして、塹壕の中を向うへいってしまった。
 その後で、カモシカ中尉は、よろよろと立ち上った。そして痛む脚を引き摺(ずり)ながら、塹壕の斜面についた階段を、くるしそうに登っていった。
 トーチカの真下のところには、味方の兵士の屍(しかばね)が、累々(るいるい)と転がっていた。よくまあ、こうも一遍にやられたものだと、感心させられた。そのあたりは、墓場そのものであった。生きている兵士などは、只の一人も見当らなかった。中尉自身が生命をとりとめたことは奇蹟としか思えない。
 中尉は、溜息(ためいき)をつきながら、屍のうえを匐っていった。モグラ下士のいったロケット爆弾を一眼見たいと思ったからであった。
 くの字形になったベトンの角を一つ曲ると、次の塹壕の突きあたりのところに、なるほどモグラ下士のいったロケット爆弾らしいものが、緑色の巨体を横たえていた。
「ははあ、あれだな」
 と、中尉が、その方に向って、また匐い出そうとしたとき、そのロケット爆弾が、ほんのすこしであったが、ごろんと動いたようであった。
「おやッ」
 中尉は、思わず足をとめて、その場にがばと伏せをした。
 なぜだろう。そのロケット爆弾が、動いたのは?
 すると、爆弾の胴中に、ぽこんと四角な穴が明いた。そして、その穴の中から、潜水服のようなものを着た怪人物が姿をあらわし、爆弾から立ち出でると、のっそりと戦友の屍を踏まえて、突っ立った。
 これを見たカモシカ中尉の愕(おどろ)きは、なににたとえたらいいか、とにかくびっくりして、心臓の鼓動が、ぴたりと停(とま)ってしまった。


   偵察

 緑色のロケット爆弾の巨体から、のっそりと立ち現われた怪人物は、一人ではなかった。
 カモシカ中尉とモグラ一等下士とのおどろきを尻目に、不発爆弾の中から出てくるは出てくるは、あとからあとへと立ち現われて、しまいには、かれこれ十四五人の頭数になった。いずれも、その全身が蛍(ほたる)のような光を放っていて、気味がわるくてならない。
 一等はじめに出てきた怪人が、どうやら、この一隊の怪物の隊長らしく、しきりに青く光る腕をうごかして、なにやら命令をつたえているらしい。が、なにを命令しているものやら、さっぱり分らない。その隊長らしい怪人だけは、胸のところの三本の光の縞(しま)が、ネオン灯のように、赤く光っていた。
 カモシカ中尉は、塹壕の斜面に、伏せをしたまま化石のようになっていたが、やっと気をとりなおし、やはり傍に伏せをしているモグラ一等下士を、防毒衣のうえから叩いて、(おい、こっちへ寄ってこい)
 と、合図をした。
 モグラ下士は、その合図を諒解(りょうかい)して、相手の怪人たちに知られないように、おそるおそる、中尉の方へ匐(は)っていった。
「なに、御用ですか、中尉どの」
 と、防毒面に装置されているマイクによって低い声でいった。
「おう、モグラ下士。もっと低い声で喋(しゃべ)れ。相手は、おれたちを死骸だと思っているんだぞ。生きていると知られりゃ、ことだ。なるべく小さい声でしろ」
 カモシカ中尉は、極度に、注意ぶかく、部下をたしなめた。
「は、はい」
「ふん、まだ声が大きいぞ」と、中尉は、下士の手をぎゅうと引張った。
「中尉どの。わしのマイクの調整釦(ちょうせいボタン)が、変になっていて、これ以上、小さい声が出ないのであります。もう喋るのを、よして、退却しましょうか」
「こら、にげちゃいかん。もっと、こっちへよれ」
 と、カモシカ中尉は、モグラ下士を、一層傍へひきよせ、
「おい、見たか、あれを」
「見ました。あの潜水夫の幽霊隊みたいな奴どものことでしょう」
「彼奴(きゃつ)らは、一体、何者じゃろうか」
「ゆ、幽霊じゃないのですかなあ。第一岬の沖合で、外国船がたくさん沈没していますが、その船員どもの幽的(ゆうてき)ではないでしょうか」
「ばかなことをいうな。彼奴らは、ちゃんとしっかりした足どりで歩いている。幽霊なら、もっと、ゆっくり歩くはずだ」
「そうです、そうです。自分もいつか、芝居で見ました」
「くだらんことをいうな。ところで、われわれが今見ている敵情を、至急司令部へ報告しなければならないが、附近に、通信兵はいないか」
「見えませんねえ。警笛を鳴らしてみましょうか」
「ばかな。そんなことをすれば、あの怪物どもに、すぐ感付かれてしまう。仕方がない、お前の携帯用無電機を使って、秘密電話を司令部へ打て」
「はあ、司令部へ打電しますか。救援隊は、どのくらい、こっちへ急派してもらえばいいでしょうか」
「救援部隊などを請求しろとは、おれはまだいわんぞ。要するにわれわれが今見ている敵情をなるべく詳しく、要領よく、至急司令部へ打電しろ」
「はあ。わかりました」
 そこで、モグラ下士は、腹匐(はらば)ったまま、背中にとりつけてある小さい無電機のスイッチを入れた。すると、彼の耳朶(みみたぶ)のうしろに貼りつけてある顕微検音器が、低くぶーんと呻りだして、秘密電波が、彼の無電機から流れだしたことを知らせた。
 モグラ下士は、指先をこまかく働かせながら、しきりに司令部を呼びつづけた。


   至急報告

“こっちは、軍団司令部だ”
 合言葉の交換がすむと、司令部の通信兵は、名乗りをあげた。
“おう、しめた。こっちは、カモシカ中尉どのからの速達報告だ”
“なに、速達?”
“いや、ちがった。至急報告だ。そっちは、たしかに軍団司令部にちがいないだろうね。お前のところは、敵のスパイ本部じゃないのか。商売上、Z軍団司令部らしい顔をして、返事をしているんだったら、後でわしは叱られて迷惑するから、今のうちに、スパイならスパイと、名乗ってくれ……”
“なんだと。下(さが)れ”
“なにィ。下れとは、何か”
 横で、全身をこわばらせて、怪物隊を凝視していたカモシカ中尉は、おどろいた。
「おいおい、モグラ下士。司令部は、まだ出ないのか。生死の境に、秘密無電を打って喧嘩(けんか)をしちゃいかんじゃないか」
「はい。そうでありましたナ。どうやら司令部の有名な怒り上戸(じょうご)のアカザル通信兵が出ているようです。司令部であることに、まちがいはないようです。なにしろ、こういう重大報告は、念には念を入れないと、いけませんからなあ」
「そうと決まったら、はやく打電しろ。ぐずぐずしていると、敵の怪物隊はこっちへ攻めてくるかもしれないぞ」
「はい、はい。――おや、司令部が引込んでしまった。どうも気の短い奴だ。あのアカザル通信兵という男は」
 モグラ下士は、また、きいきいと呼び出し信号を出した。
“おい、軍団司令部か。こっちへ挨拶もしないで、引込んじまっちゃ、困るじゃないか。手間どっているうちに、こっちが敵の砲弾で粉砕されちまや、貴重にして重大なる戦況報告が司令部へ届かないことになるじゃないか。そうなると、わが軍の損害は急激に――なに、早く本文を喋れというのか。さっきから、喋ろうと思うと、意地わるく、貴様の方で、邪魔をするんだ。いいか、さあ喋るぞ”
 とモグラ下士は、大きな咳(せき)ばらいをして、“挺進(せきていしん)Z百十八歩兵中隊報告! われは、本地点において――本地点というのは、一体どこなんだか、こっちには、よくわからないから、そっちで方向探知してくれ、いいか――右地点において、敵の怪物部隊に対峙(たいじ)して奮戦中なり。敵の怪物部隊の兵力は約一千十五名なり……”
 と、敵一千名だけ、さばを読んで、
“――その怪物は、いずれも、重圧潜水服を着装せるところより推定するにいずれも海軍部隊なるものの如きも、ここに不可解なることは、彼等怪物はロケット爆弾の中にひそみて飛来したものであって、その結果より見れば、恰(あたか)も空中に海がありて、そこより飛来したものと推定されるも、なぜ空中に海があるのか、わしにも分らない、中隊を率いるカモシカ中尉にも、おそらく分っちゃいないだろう……”
 カモシカ中尉は、おどろいて、また傍から、モグラ下士の横腹をついた。
「おい、報告に、議論は不用だ。見て明かな事実だけを、簡潔に打電するのだ。――怪物どもが、こっちの方を透かして見ているぞ。早く無電を切り上げないと、危険だ」
「はい、わかりました」
 モグラ下士は、また無電報告をはじめた。
“さっきの続きだ。いいかね。――敵はいずれも全身から蛍烏賊(ほたるいか)の如き青白き燐光(りんこう)を放つ。わしは幽霊かと見ちがえて、カモシカ中尉から叱られた。敵は、その怪奇なる身体をうごかしてカモシカ中尉と余(よ)モグラ一等下士の死守する陣地に向い、いま果敢なる突撃を試みようとしている。この報告は、恐らくわが陣地よりの最後の報告となるべく、われらの壮烈なる戦死は数分のちに実現せん。金鷲勲章(きんしゅうくんしょう)の価値ありと認定せらるるにおいては、戦死前に、電信をもってお知らせを乞(こ)う。スターベア大総督に、よろしくいってくれ。報告、おわり。どうだ、こっちの喋ったことは、分ったか”
“……”
 司令部の通信兵からは、何の応答もなかった。モグラ下士が、気がついてみると、いつの間にやら、背中の無電機から出しているはずの電波がとまっていた。
(無駄なお喋りをしていたんだな)
 と、気がついて、幾度(いくたび)もスイッチを入れ直してみたが、機械はもう役に立たなかった。いつの間にやら、故障になっていたのである。
「中尉どの。無電機が……」
 と、モグラ下士が、叫んだとき、その声を、おさえるようにカモシカ中尉が、彼の腕をつよくつかんだ。
「おい、あれを見ろ。第一要塞は、とくの昔に敵に、占領されていたんだ」
「えっ、占領されましたか」
「ああ、あれを見ろ。要塞の上に、敵の旗が、ひらひらと、はためいているぞ」
「どこです。闇夜に、要塞の上にたった旗が見えるのですか」
「見えるじゃないか。もっと、こっちへ寄ってみろ」
 カモシカ中尉にいわれて、モグラ下士がその方へ頭を寄せてみると、なるほど、おどろいたことに、要塞のうえに、旗が見える。しかも、その旗には骸骨(がいこつ)の印がついているのが、はっきり見えた。
「あっ、骸骨の旗! あれは、アカグマ軍には見当らない旗印ですね。一体どこの国の旗ですかねえ」
「さあ、おれにも分らない」
 と、中尉は、吐き出すようにいったが、
「だが、あの旗が、怪物隊のものであることは、はっきりわかるじゃないか」
「そうですかねえ。なぜですか、それは……」
「なぜって、あの旗も、蛍光を放っているじゃないか。怪物の身体も、あのとおり、蛍光を放っている。だから、あの旗は、あの怪物どもの旗だということが、すぐ諒解できるじゃないか」
「な、なるほど」
 そういっているとき、中尉は、おどろきの声をあげた。
「あっ、怪物どもが、こっちへ向って歩きだした。おれたちを見つけたのかもしれんわい、早く、おれたちは死骸の真似(まね)をするんだ」
 怪物隊は、何思ったかぞろぞろと、中尉の方へ歩いてくる。


   女大使の身辺

 第一岬要塞は、怪兵団のために占領せられてしまった!
 その飛報は、スターベア大総督を、椅子のうえから飛びあがらせるほどひどく愕(おどろ)かせた。
 大総督は、直ちにエレベーターを利用して、地下二〇〇米(メートル)の本営第〇号室に入った。
 そこは、ものすごいほど複雑な機械類にとり囲まれた密室だった。
 潜水艦の司令塔を、もっと複雑に、そして五、六十倍も拡大したような部屋であった。電源もあれば、通信機も揃(そろ)っているし、敵弾の防禦壁も完備していたし、地上及び地下における火器の照準や発射を司(つかさど)る操縦装置も、ここに集まっていた。通風機、食糧庫、弾薬庫も、その真下に、相当広い面積を占めていた。だから、万一、地上が悉(ことごと)く敵の手におちようとも、この地下本営一帯は、大要塞として独立し、侵入軍との間に、火の出るような攻防戦が出来ることは勿論(もちろん)、長期の籠城(ろうじょう)にも耐え、本国のレッド宮殿との連絡も取れ、ワシリンリン大帝とも電話で話ができるように構築されてあった。その昔のマジノ要塞にしても、ジークフリード要塞にしても、このアカグマ地下本営にくらべると、玩具(がんぐ)のようなものだった。
 スターベア大総督のかけている椅子の前には、映画館の飾窓(かざりまど)にスチール写真が縦横に三十枚も四十枚も貼りつけてあるように、さまざまな写真が貼り出してあった。
 いや、それは只(ただ)の写真ではなかった。どの写真も、しきりに動いていた。多くは風景のようなものがうつっていたが、部屋の中の写真もあった。いずれも皆、映画のように動いていた。
 映画ではない、テレビジョンである!
 地上と地下とを問わず、戦場と味方の陣営とを問わず、重要な地点において現在どんな事件が起っているかは、すべてこのテレビジョンによって明かにされていた。
 中には戦場を疾駆(しっく)する戦車の中から、外をうつしているのもあって、ときどき、スクリーンが、ぱっと赤くなって、何にも見えなくなることがあったが、それは、そのテレビジョン送影機を積んだ戦車が、敵の爆弾か砲弾にやっつけられて、テレビジョンの機械もろとも、粉砕してしまうためだった。
 赤外線を利用しているので、テレビジョンのスクリーンを通じて、夜の戦場が、昼間とまったく違わないほど明るく見えていた。
 そのテレビジョンは、同時に、無線電話装置も持っていて、スターベア大総督は、スクリーンの上の人物と話をすることも出来るのであった。
 いま大総督は、スクリーンにうつったZ軍司令官と、重大な会話をとりかわしている。
「なんじゃ、なんじゃ、なんじゃ」
 と大総督の機嫌は、はなはだ斜めであった。
「はあ、はあ、はあ」
 Z軍団司令官は、ただもう恐れ入っている。
「貴官を頼みにしていたばかりに、作戦計画は根柢(こんてい)から、ひっくりかえった。第一岬要塞が奪還できなければ、貴官は当然死刑だ。どうするつもりじゃ」
「はあ、もう一戦、やってみます。が、なにしろ、敵は何国の軍隊ともしれず、それに中々手剛(てごわ)いのであります」
「あの、骸骨の旗印からして、何国軍だか、見当がつかないのか」
「はあ、骸骨軍という軍隊は、いかなる軍事年鑑にも出ていませんので……」
「そりゃ分っとる。しかし、何かの節から、何処(どこ)の軍隊ぐらいの推定はつくであろうが……」
「はあ」
 と、スクリーンのうえのZ軍団司令官は、女のように、もじもじと身体をくねらせていたがやがて大決心をしたという顔付になって、
「大総督閣下。では、小官から一つのお願いをいたします」
「願い? 誰が今、貴官の願いなどを、聞いてやろうといったか」
「いえ、いえ。閣下のおたずねの件を、小官のお願いの形式によって、申し述べます。でないと、万一、間違った意見を述べましたため、銃殺にあいましては、小官は迷惑をいたしますので……」
「ふん、小心な奴じゃ。じゃあ、よろしい。貴官の希望するところを申し述べてみろ」
「はい、ありがとうございます」
 と、司令官は、うれしそうに、スクリーンの中から、ぴょこんとお辞儀(じぎ)をして、
「では、早速申上げます。小官のお願いの件は、こういうことでございます。どうか、閣下の御命令によりまして、キンギン国の女大使ゴールド女史の身辺を御探偵ねがいたいのであります」
「なに、ゴールド大使の身辺を探れというのか。それはまた、妙なことをいい出したものじゃ」
 と、大総督は、太い髭(ひげ)を左右へ引張って、首をふったが、
「よろしい、その願いは聞き届けた。早速しらべさせて貴官にも報告しよう。もう、下ってよろしい」
 スイッチは切られ、司令官の姿は、スクリーンから消えた。
 とたんに、別のスイッチが入れられ、秘密警察隊の司令官ハヤブサに、ゴールド大使の身辺調査の命令が与えられた。
「ああ閣下。ゴールド大使の身辺は、只今、隊員をして監視中でございます。なにしろ、この前のお叱りもありましたので、あれから直(す)ぐ、ゴールド大使に、わが腕利(うでき)きの憲兵をつけてこざいます」
「そうか、それは出来が悪くないぞ。では、すぐ報告ができるだろうな」
「はい、それは勿論、出来ます。では、直ちに、かの憲兵の持っている携帯テレビジョンからの電流を、閣下の方へ切りかえます」
「そうしてくれ。早くやるんだぞ」
「はあ」
 声の終るか終らないうちに、スターベア大総督の前の、別のスクリーンのうえに、キンギン国大使ゴールド女史の居間がうつりだした。
 女史は、只一人居間にいて、テーブルのうえで、なにか丸いものを、しきりにいじくりまわしている。
「おい、大使は、何をいじくりまわしているんだ」
 と、大総督が、スクリーンの中のハヤブサに訊(き)いた。
「えへへへ。女大使が手に持っていますのは、彼女の例の義眼でございますよ」
「なに、義眼? ああ、そうか。義眼を手に持って何をしているのかね」


   重大報告

 ここは、大洋を距(へだ)てたキンギン民主国であった。
「長官。では、幕僚会議の準備ができましたから、どうぞ」
「おお、そうか」
 戦争長官ラヂウム元帥(げんすい)は、自分の机のうえに足をあげて、動物漫画の本を読んでいたが、ここで、残念そうに、ぱたりと頁(ページ)を閉じた。
「一体、今は、何時かね」
「ちょうど、十三時でございます」
 声はするが、副官の姿は見えない。その声は、机の上においた水仙の花壜(かびん)の中から、聞えてくるのであった。花壜の高声器だ。
 十三時というと、午後一時のことであったが、ラヂウム元帥の自室はさんさんと白光があたって、春のような暖かさであった。
「うむ、あと一時間すると、わしは家内と食事をすることになっているから、それまでに、会議を片づけてしまわないと困るんだ。じゃあ、早く階上へやってくれ」
「はい、では会議のあります第十九階へ、移動いたします」
「うむ、早くやれ!」
 元帥は、椅子にふんぞりかえったまま、副官に対し、早く第十九階の会議室へやれと、いそがした。昔の人が、この会話をきいたら、元帥は気がちがっているのだと思うであろう。椅子に根の生(は)えたように腰を下ろしながら、早くやれといっても、やりようがないではないか。
 いや、そうでもない。やりようはたしかにあるのだった。なぜなればとつぜん元帥の机上にある電気時計のような形をした段数計の指針が、二十四のところから、二十三、二十二と、数のすくない方へうごきだした。
 階数が、だんだん減っていくのだ。ということは、元帥のいる部屋が、まるでエレベーターのように、上へのぼっていくのであった。もちろん、ここは地下建築なのであるから、上へいくほど、階数は減る。として、ついに第十九階へのぼった。
 すると、壁が、どしんと、下に落ちた。向うの部屋が、見とおしになった。
 向うの部屋は、まるで幅の広い階段に、人間の首を植たように、二十近い首が並んで、こっちを向いていた。そして、一せいに、目をぱちぱちとやった。それは、元帥に対する敬礼であったのだ。
「やあ」
 と、元帥は、ゆったりした言葉で、答礼をした。
「では、諸君。会議をはじめる」
 と、元帥は、開会を宣した。階段に生えたたくさんの首と会議をはじめるなんて、変な光景であった。
 そのたくさんの首は、いずれも薄眼(うすめ)をひらいて、元帥の言葉を、しずかに待ちうけているようであった。
 そのとき、突然、また例の副官の声が、聞えた。
「長官に申上げます。只今、第四参謀が盲腸炎で入院し、直ちに開腹手術をいたしますそうです」
「なに、第四参謀が……」
「そうであります。それで、第四参謀は会議を失礼したいと、申して参りましたがどういたしましょう」
「盲腸炎なら、仕方がない。会議から退いてよろしいが、彼に、よくいって置け、盲腸などは、子供のとき取って置くものじゃ。つけて置くから、折角の重要会議に役に立たんじゃないかといっておけ」
「はい。そう申します」
「第四参謀は、下ってよろしい」
 長官ラヂウム元帥が、そういうと、がたんという音がして階段に生えていた首の一つが、その場に前に倒れた。見るとその首は、本物の首ではなく、作り首だった。それは首からうえの作り物であった。そして、一種の電話機であったのだ。
 つまり首のその本人は、元帥の前にいないのである。遠くにいるのだった。ただ、彼を代表する電話機だけが、首の形をして、ラヂウム元帥の前に並んでいたのだ。昔は、会議をするときには、方々から参謀が参集したものである。今は、勝手な場所にいて、ただ、自分が背負っている携帯無電機のスイッチを入れると、今元帥の前の作り首が、むっくり起き上る。これが(はい、電話で、お話を聞いていますよ)という信号なのである。
 ラヂウム元帥は、そういう作り首に向って、会議を宣言したのだ。
「……只今、イネ州駐在のゴールド大使より、非常警報が届いた。アカグマ国の軍隊は、続々集結している。また予備兵たちへは、動員令が発せられたそうである。彼等は、はりきって、すでに発砲している。第一岬附近は、戦場のようだ。国軍はしきりに東方へ向って、移動を開始し、イネ州の東海岸には、艦隊が出発命令を待っているそうじゃ」
 元帥は、そういって、血の通っていない首の列に、ずーっと、目を走らせた。


   殺人電気

「元帥閣下。その情報は、もちろん、信ずべきでありましょうな」
 と、第七番の首が叫んだ。リウサン参謀の声だった。
「もちろん、信じて、さしつかえない。ゴールド大使は、優秀なる外交官であり、且(か)つスパイだ。彼女は、さっき、彼女の義眼に仕掛けてある精巧な小型無電機を用いて、こっちへ話しかけてきたが、間もなく、もう一度、諸君の前に、なにか報告をしてくる筈(はず)じゃ」
 ラヂウム元帥は、そこで言葉を切って、机の引出しをあけた。そして、箱の中から、チューインガムを引張り出すと、それを口の中に放りこんで、にちゃにちゃやりだした。
「長官、ゴールド大使からの電話です」
 副官の声だ。いよいよ、再び女史の小型無電機が、報告を伝えてくるらしい。
「よし、こっちへ線をつなげ」
 と、ラヂウム元帥は、命令した。
「はい、只今、つなぎます」
 副官の声が引込むと、入れ替りに、ゴールド大使の、鼻にかかったなまめかしい声が聞えてきた。
「ああ、もしもし。こっちは、ゴールド大使です。スターベア大総督は、ついに第一次から第十六次までの動員を完了しました。渡洋連合艦隊は、あと三時間たてば、軍港を離れるそうです……」
「一体、彼奴(きゃつ)らは、どこの国と戦うつもりなのですかね。本当に、われわれを対手(あいて)にするつもりですかね」
 と、ラヂウム元帥は、問いかえした。
「それは、もちろん、そうなのです。この無電は、秘密方式のものですから、なにをいっても大丈夫でしょうから、いいますが、この前もスターベア大総督は、太青洋の彼方(かなた)――といいますと、わが祖国、キンギン国のことなんですが、その太青洋の彼方に、別荘を作りたい。そして、一週間はこっちで暮し、次の一週間は、そっちで暮し、太青洋を、わが植民地の湖水として、眺めたいなどと、申して居りましたわよ」
「そうですか。そいつは、聞き捨てならぬ話ですわい。太青洋の伝統を無視して、湖水にするつもりだなんて、許しておけない暴言だ。よろしい。スターベアが、そういう気なら、戦争の責任は、悉(ことごと)く彼等にあるものというべきです。そういうことなら、こっちも遠慮なく、戦うことができて、勝手がよろしい」
 と、元帥は、憤慨して、
「さあ、それではゴールド大使。キンギン国内における軍隊の動きについて、貴下の集められた情勢を、われわれに詳しく話していただきたい」
「はい、では申上げましょう。まずわが密偵の一人は……」
 と、ゴールド女史は、長々しい報告を喋りはじめた。
 元帥は、チューインガムを、くちゃくちゃ噛(か)みつつ、女史の報告に耳を傾けていたが、それから間もなく、彼はどうしたものか、うんといって、両手で虚空をつかむと、その場に悶絶(もんぜつ)してしまった。
 不思議な死に様(よう)だった!
 元帥の心臓は、ぱたりと停(とま)り、身体は、どんどん冷えていった。
 その頃、この室内には、さらに奇怪なことが起った。それは、元帥が、さっきから目の前に睨んでいたたくさんの将軍や参謀たちの作り首が、まるでうしろから槌(つち)で殴(なぐ)りつけたように、階段の上で、ごとごとばたんばたんと、しきりに前に倒れ、そして転がるのであった。そして五分とたたない間に、只一つ、リウサン参謀の作り首だけが、きちんと立って、残っているだけで、他の作り首は、悉く倒れてしまったではないか。
 一体どうしたのであろう。
 警鈴(ベル)が、じゃんじゃん鳴りだしたのは、それから更に、五分ほど経(へ)て後のことだった。ゴールド女史のラジオがぷつんと切れた。
 暫らくして扉が、荒々しく開かれ、そこへ飛びこんで来たのは数人の陸軍将校だった。
「あっ、たいへん。長官が死んでしまわれた」
「おお、やっぱり。いけなかったか」
 将校たちは、顔色をかえて、老元帥の死体を取り巻いた。
「ひどいことをやりやがったな。かねて、こういう危険があるかもしれないと思い、余(よ)は、注意を願うよう、上申しておいたのに」
「私も、たびたび長官に、申上げたんですがなあ」
 そういって、舌打ちをしたのは、長官の副官だった。
「もう、とりかえしがつかない。このうえは、弔合戦(とむらいがっせん)あるばかりだ。ゴールド大使には、しばらく秘密にして置け」
 暗涙をのんで、そういったのは、中で一番肩章の立派なアルゴン大将だった。彼は、数分前新任されたばかりの戦争次官だった。
「やっぱり、あれにやられたんですかなあ」
 と、別の将校が、次官を見上げながら、いった。
「そうだ。あれに違いない。つまり、アカグマ国軍の電波隊が、ゴールド女史の秘密無電を利用し、女史の電波のうえに、恐るべき殺人電気を載せたのだ。それにちがいない。だから、女史からの無電をきいていた者は、長官をはじめとし、遠方で聞いていた幕僚の悉くが、その怪電気にあたって即死してしまったのだ」
「女史からの電波に、殺人電気を載せるなんて、アカグマ国の奴等(やつら)は、人か鬼かですねえ」
「人か鬼かといっても、今更(いまさら)仕方がない。敵となれば、已(や)むを得ないことだ。とにかく、今重態のリウサン参謀が、もし一命を助かれば、何もかも分るだろう」
 只(ただ)一人の生残者リウサン参謀の快癒(かいゆ)を待つまでもなく、怪電気は、太青洋の空を越えて、一瞬間に、ラヂウム元帥と、十数名の優秀なる幕僚たちを、殺害してしまったのである。アカグマ国側の奇襲は大成功をおさめ、それに反してキンギン国側は、大犠牲を払ったのである。


   快速潜水艦隊

 キンギン国では、ラヂウム元帥に代り、アルゴン大将が、戦争次官のままで、アカグマ国攻略軍を指揮することとなった。彼は、まだ白面の青年だった。
 このアルゴン大将は、どっちかといえば、幸運児でもあった。彼は、軍人であるうえに、科学者でもあった。彼は、当時大尉であったが、ロケットを試作し、大胆にもそれに乗り込むと月世界をめがけて地球を飛び出し、ついに、月のまわりを一周して、帰還したという大冒険の成功者だった。しかも彼は、独特の設計によって、その往復に五ヶ月を費したばかりであった。キンギン国の大統領は、彼アルゴン大尉を招き、その成功を絶讃(ぜっさん)すると共に一躍大将に昇任させた。「実力ある者は、どんな高い官職にものぼることが出来る。年齢や経歴などを問うものではない」というのが、キンギン国の歴代の大統領の信念であった。こうした例は、この国内にたいへん多く、そういういずれも若々しい能力者によって、この国の国防力や文化はこの二十年間に急速な発展を遂げ[#不自然な途切れと1行アキは、ママ]

 アルゴン大将は、月世界からの帰還後、しばらく空軍研究所長についていたが、ごく最近、戦争次官に新補されたのであった。とたんに、アカグマ国との間に捲き起ったこの大危機事件であった。彼は、たいへんなはりきり様で、大動員を下令するとともに、一夜のうちに、新しい作戦計画一千一号を書き上げてしまったのである。
 作戦計画一千一号!
 アルゴン大将は、即戦即決主義だった。彼は、これまでのいくつかの戦争において、いつも敗戦の原因となった漸進(ぜんしん)主義や打診主義を排し、全国軍の重攻撃兵器を一つに集めて、猛烈なる大攻撃にうって出る主義だった。戦争に勝つこと以外のことを考えてはならないと、彼は思っていた。いささかでも、敗れる恐れのある戦争は、決してしない主義だった。敵が十の力を出すときには、こっちは少くとも五十の力を向けて、絶対的に圧倒するのだ。そのために百の力を持っていながらも、後の機会のことを思って、九十の力を貯(たくわ)え、十の力を出すようなやり方を極端に排撃するのだ。百の力があるものなら、百の力のすべてを一度に用いるのであった。そして一度で、敵を再び立つことの出来ないほどに蹂躙(じゅうりん)してしまう。そうする方が、味方の損害は、極めて微々たる程度に喰い留ることが出来る。戦争を行って、しかも戦後に兵力のうえで依然として世界を睨みつけるためには、この戦法に勝るものはない。
 そのような信念の下に、アルゴン大将は、凡(およ)そ太青洋を進攻できる軍団と兵器との全部を動員し、それを集結させ、そしてアカグマ国のイネ州に向けることにした。
 大空には、飛行軍団を六箇(こ)、海上には、一千三百隻の艦艇を、更に水中には、キンギン国とっておきの快速潜水艦隊を配置し、一挙にアカグマ国をぶっ壊す作戦であった。文字どおり、空中、海上、海底の三方よりの立体戦であった。
「全軍、出動用意!」
 アルゴン大将は、官邸のマイクを通じ、すべての根拠地に対して、号令した。
 やがて、用意よしの返事が大将のところへきた。そこで大将は、
「全軍、進め!」
 と、出発を命じた。それこそ、キンギン国建国以来の歴史的な瞬間だった。なぜなれば、そのようなキンギン国の戦闘部隊の豪華さは、このときを境として、再び見られなかったからである。
 全軍は、直線的に、真西へ向けて、進発した。それは丁度(ちょうど)洋上に夕闇が下りたばかりの頃だった。太青洋踏破は、正二日半で完了する予定だった。

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