三人の双生児
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著者名:海野十三 

     1


 あの一見奇妙に見える新聞広告を出したのは、なにを隠そう、この妾(わたし)なのである。
「尋(タズ)ネ人……サワ蟹(ガニ)ノ棲(ス)メル川沿イニ庭アリテ紫ノ立葵(タチアオイ)咲ク。其(ソ)ノ寮(リョウ)ノ太キ格子(コウシ)ヲ距(ヘダ)テテ訪ネ来ル手ハ、黄八丈(キハチジョウ)ノ着物ニ鹿(カ)ノ子(コ)絞(シボ)リノ広帯ヲ締メ、オ河童(カッパ)ニ三ツノ紅(アカ)キ『リボン』ヲ附ク、今ヨリ約十八年ノ昔ナリ。名乗リ出デヨ吾ガ双生児ノ同胞(ハラカラ)。(姓名在社××××)」
 これをお読みになればお分りのとおり、妾はいま血肉をわけたはらからを探しているのである。今より十八年の昔というから、それは妾の五六歳ごろのことである。といえば妾の本当の年齢が知れてしまって恥かしいことではあるが、まあ算術などしないで置いていただきたい。
 妾の尋ねるはらからについては、それ以前の記憶もなく、またその以後の記憶もない。まるで盲人が、永い人生を通じて只一回、それもほんの一瞬間だけ目があき、そのとき観たという光景がまざまざと脳裏(のうり)に灼(や)きついたとでも譬(たと)えたいのがこの場合、妾のはらからに対する記憶である。思うに、それより前は、はらからと一緒にいたこともあるのであろうが、当時妾は幼くて記憶を残すほどの力が発達していなかったのだろうし、それ以後は、妾とはらからとが何かの理由で別々のところに引き離されちまって記憶が絶えてしまったのであろう。とにかく川沿いの寮の光景は恰(あたか)も一枚の彩色写真を見るようにハッキリと妾の記憶に存している。
 なぜ妾がはらからを探すのかという詳しいことについては、おいおいとお話しなければならぬ機会が来ようと思うから、今はまあ云うことを控えて置こうと思う。
 ――とにかく当時は五歳か六歳だった。黄八丈の着物に鹿の子の帯を締め、そしてお河童頭には紅いリボンを三つも結んでいるというのがそのころの妾自身の身形(みなり)だった。妾の尋ねるはらからというのは、その頃寮の中に設(しつら)えられた座敷牢のような太い格子の内側で、毎日毎日温和(おとな)しく寝ていた幼童(ようどう)――といっても生きていれば今では妾と同じように成人している筈だ――のことだった。
「なぜ、あの幼童は、暗い座敷牢へ入れられていたのだろう?」
 今もそれをまことに訝(いぶか)しく思っている。どうしたわけで、あの年端(としは)もゆかぬはらからをいつも暗い座敷牢のなかに入れ置いたのであろう。成人した人間であれば、気が変になって乱暴するとかのような場合には、座敷牢に入れて置くのは仕方ないことだったけれど、あの場合はともかくも五つか六つかの幼童ではないか、乱暴をするといってもせいぜい障子(しょうじ)の桟(さん)を壊すぐらいのことしか出来る筈がない。それくらいのことのためにわざわざ頑丈な座敷牢を用意してあったことは、全く解きがたい謎である。
 イヤよく考えてみると、あの幼童は別に気が変になっていたようにも思われない。そのころ妾は四度か五度か、或いはもっとたびたびだったかも知れないが、その幼童の座敷牢へ遊びにいった憶えがあるのであるが、決して乱暴を働いているところを見たことがない。乱暴をするどころかその幼童はいつも大人しく寝床の中にじっと寝ていたのであった。ついぞ妾は一度も起きあがっているところを見たことがない。恐らく幼童は病身ででもあったのだろうと思う。一体病身の幼童を座敷牢へ監禁して置くような惨酷(ざんこく)きわまる親があるだろうかしら。考えれば考えるほど不思議なことではないか。
 親といったので、また一つ思いだしたけれど、妾がそのはらからの幼童のところへ遊びにいったときは、いつも必ず座敷牢の中に、妾の母がつきそっていた。母はやさしく、寝ている子供のために機嫌をとっていたようである。広告文にもちょっと書いておいたことだけれど、妾はそのころ髪をお河童にして、そこに紅いリボンを二つならず三つまでもカンカンに結びつけて悦(よろこ)んでいた。なぜそれをハッキリ憶えているかというと、座敷牢のなかの妾のはらからは、そのカンカンに結びつけた紅いリボンがたいへん気に入ったとみえて、或る日妾がツカツカと寮に入っていったとき丁度なにかのことで無理を云って附添いの母を困らしていたかの幼童は、涙のいっぱい溜った眼で妾のカンカンを見ると、突然ピタリと機嫌を直してしまったのだった。
 妾はその後もたびたび母に特別賞与の意味でお菓子を貰った上、その座敷牢へ連れてゆかれたように思うが、いつもそのカンカンに紅い三つのリボンを結んでゆくのがお決りだった。それにつけて、また不思議なことをもう一つ思い出すが、妾はそのとき得意になって暗い座敷牢の格子に駈けより、
「いいカンカンでしょ、ばア……」
 と顔と髪とをさし入れたのであったが、寝ているはらからはそのたびに味噌っ歯だらけの口を開けてキャッキャッと嬉しそうに笑うのであった。それはいいとして暫くするとそこで母はきっと妾によびかけて、ちょっと庭の方へ行って、立葵の花を一枝折ってきてくれと云いつけるのであった。それはいかにも唐突(とうとつ)な云いつけであった。そんなときはらからの顔はいかにも不満そうにキュウと唇を曲げて母の方を睨(にら)むようにするのであるが、母はそれを優しく慰め、それから妾の方を向いて声をはげまし、早く庭へ下りて用事を果すように厳然(げんぜん)と云いつけたのであった。
 妾はしぶしぶ云いつけられたとおり庭に下り、梅雨(つゆ)ちかい空の下に咲き乱れる立葵の一と枝をとっては、大急ぎでまた元の座敷牢へとび上っていった。
「いいカンカンでしょ、ばア……」
 妾は立葵を格子の中になげこむと、同じ言葉をくりかえしていうのであった。それを云わないと、母は妾を叱り必ず同じことを云わせられたものだった。幼童のはらからは再び妾のカンカンを見て、いかにも面白そうにゲラゲラと笑うのであった。そういうときに妾は奇妙な思いをしたことがあった。それは大口を明いて笑う幼童の歯並が、或るときは味噌ッ歯だらけで前が欠けていたと思うのに、或るときは大きい前歯が二本生え並んでいたことがあった。これは幼い妾にとっては奇妙なことというより外に仕様のないことだった。
 妾はそのほかにも、舌切雀の遊戯を踊ったりして寝ているはらからを悦ばせることをやったけれど、必ずその途中で母の命令が出て、妾は庭へ下りると立葵の花を折ってきたり、蜻蛉草(かたばみ)を摘んできたり、或いはまた大笹の新芽から出てきた幅の広い葉で笹舟を作ってもってきたりするのであった。しかしながら子供ごころにも気のついたことは、庭へ下りて持ってくるのが、立葵であっても蜻蛉草であっても、それからまた笹舟であっても、どれであろうと大した違いがないのだった。つまり妾のはらからにしても、またそれを云いつけた妾の母にしてもが、折角(せっかく)持ってきてやったものを殆んど見向きもしないで、ただ妾が、
「いいカンカンでしょ、ばア……」
 と同じことをやるのに対して、たいへん悦び合うのだった。だから妾はたびたび庭に下りさせられるのがすこし不満になった。あまり悦ばれもしないのに、そういちいち力を出して花や草を折ってくるのが莫迦(ばか)らしくなった。それで一度に草花を沢山とって懐中にねじこんで置き、母が庭へ下りて取ってこいと云いつけると、待っていましたとばかり、懐中からヒョイと草花を取出して格子の中に投げ入れたのだった。すると母は顔を赤くして、そんなずるいことをしてはいけない、すぐ庭に下りて新しいのを取ってくるようにと恐い顔をして云いつけるのであった。妾はまたしても無駄骨でしかないことを庭に降りて繰りかえさねばならなかった。その代り、母たちは妾の手折ってくる花や草が、たとえ破けていようが、汚れていようが、決して叱りはしなかった。とにかく妾は必ず庭に一度降りてきて、それからまた座敷に上ってきて、もう一度はじめから同じことをして、かの不幸なはらからを慰めることが必要であったのだ。だがなぜにそんな煩わしいことを繰返す必要があったのか、どうも妾の腑に落ちかねる。
 この紅いリボンのカンカンはよほど妾のはらからの気に入ったものらしく、或る日妾が何の気もつかずいつものような紅いカンカンを結んで座敷牢に近づくと、座敷牢に寝ていた幼童はさも待ちかねたという風に、いつになく頭を振っていまだ一度も見たことのないほど悦び騒いだ。妾は何ごとが起ったのだろうと訝しく思っていると、傍に附添っていた母が、
「ホラ珠(たま)ちゃん(妾の名、珠枝(たまえ)というのが本当だけれど)――このカンカンをみておやりよ……」
 と妾に云うので、それで始めて気がついてよくよく幼童の髪を見ると、向うでも髪に、妾と同じような紅いリボンを、数も同じく三つつけていたのであった。
「カンカン。……」
 と廻らない舌で叫び、あとはキャーッというような奇異な声をあげて、彼女――カンカンを結(ゆ)って喜ぶのだから、まさか「彼」ではあるまい、「彼女」にちがいあるまい――妾と同じカンカンをつけているというので、たいへんな悦びようであった。母はいつも彼女の背後に坐り、その頭の後方にある真黒な切布を覆った枕とも蒲団ともつかない塊の上に手をかけて、妾たちを見守っているのであったが、このカンカン競べのあったときは、どうしたものかその黒い切布をかぶったものがまるで自ら動きでもしたように捲かれてきた。そのとき妾はその黒布の下に、また別な紅いリボンがヒラヒラしているのを逸早(いちはや)く見てとったものだから、たちまち大変気色を悪くしてしまった。
「ずるいわずるいわ、あんたはあたいよりも沢山リボンを持っていて、隠したりなんかしているんですもの……」
 と妾は格子につかまって駄々をこねだした。母はその内側でなにかひそひそ優しく叱りつけている様子であったが、それは妾を叱りつけているわけではなかった。と云ってヘラヘラ笑いつづけている機嫌のよい幼童を叱っているのだとも、すこし違っているように思えた。母は暫くしてから格子の外の妾の方を向き、
「珠ちゃん、リボンの数は皆同じよ。ホラよくごらんなさい……」
 といった。そういわれてからよく見ると、妾のはらからの頭にはチャンとリボンが三つついていた。さっき四つか五つぐらいに見えたのは思いちがいだったんだわと思ったことであった。もちろんその日も、妾は次の順序として、庭に追いやられた。それから再び座敷へ上ってきてから、
「あんたも今日はいいカンカンしているわねエ、皆同じだわネ」
 と同じ祝詞(しゅくし)を呈して、再びはらからの大騒ぎをして悦ぶ様(さま)を見たのであった。
 格子のなかの妾のはらからについては、妾はそれ以外に多くを憶えていない。第一どうしても思いだせないのは、彼女の名前だった。母は格子の中に寝ている子供を指して、これはお前のはらからで、同じ年である。お前の方がお姉さまだから、温和しく可愛いがってあげるのですよといったのは憶えているのだが、どうしてもそのはらからの名前が思い出せない。ひょっとすると、母はそのはらからの名前を妾に云わなかったのかも知れない。
 妾がはらからについて記憶していることは大体右のような事だけである。その後のことについては全く知らない。その後のことは、座敷牢のはらからのことだけではなく、妾の母についても知るところがない。なぜなら妾はそれから間もなく、母と不幸なはらからとに別れてしまったからである。それは突然の別れであった。それについては、いずれ後に述べることになるが、とにかく思いがけない事件が、妾から母と妹――カンカンを結って喜んでいたはらからのことを、妹と呼んでいいだろう――とを奪ってしまったのだ。
 その後ある機会に、妾の母は死んでしまったことを知った。そして残るのは妾の妹(?)の消息だけなのであるが、いま妾の企てている探索がもし成功しないとすれば、あの川添いの家でカンカンを見せ合ったときが、実に母と妹とに対する最後の別れとなるのである。
 だが実を云えば、あの新聞広告は、妾のあのはらからの生死を確めることも目的ではあるけれども、妾としてはもっともっと重大な意味があることを一言申しあげて置かねばならない。それはいかなるわけかと云えば、最近妾は偶然の機会から船乗りだった亡父の残していった日記帳を発見し、その中に、実に何といったらいいか自分の一身上について、大きな謎に包まれた記載文を発見したのである。その文意は、気にしないでいるのにはあまりに奇々怪々に過ぎるのである。
 ――いまから二十三年前の二月十九日の父の日記帳には、次のようなことが書きつけてあった。
「二月十九日。――呪われてあれ、今日授(さず)かりたる三人の双生児!」


     2


 三人の双生児?
 二人の双生児なら、これはよく分るが、三人の双生児とはどうしたことであろうか。三とあるのは二の誤記ではあるまいかと思ったが、よく考えてみると、双生児が二人なら、別に改まって「二人の双生児」と断る必要はない筈である。三人だからこそ不思議なので、三人のと断ったものだと考えられる。二月十九日といえば、たしかに妾の誕生日なのである。これは妾の手文庫の中にあった妾の緒にチャント書いてあったから間違いはないと思う。すると二月十九日には妾の外にもう二人のはらからが誕生したことになる。
 もっとも父は「授かる」と記し、「家内が産んだ」とは書いてないので、疑えば疑えないこともないが、まず授かるといえば、父の子供として認める意志があったように取れるので、出産のあったものと見るのが無難だと思う。
 すると妾の母は、三人の双生児を生んだのであろうか。そしてそのうちの一人が、この妾なのである。残りの二人は何処にいるのであろうか。どうして三人で双生児なのであろうか。そういうことはあり得ることではない。二人ならば双生児だし、三人ならばどうしても三つ子といわなければならない。いくら三つ子が生れたからといって、父が三つ子を双生児と書き誤る筈はないと思う。そうなると、三人の双生児という有り得べからざる名称のうちに、何か異状の謎が語られていることになる。
 妾はいろいろと縁(み)よりを探してみた。だがそれがどうしてもハッキリ分らない。実は父が死んだときは、妾が十歳のときのことであるが、そのとき父についていた身内というのは妾一人だった。しかも生れ故郷を離れて、妾たちは放浪していたその旅先だった。
 前に妾が述べたように、妹とカンカン競べをやったのが最後となって、母と妹とに別れた話をしたが、両人が妾の前から見えなくなって間もなく、父は親類の赤沢さんの伯父さんと大喧嘩をやったことを憶えている。恐らくこの喧嘩は母と妹とが見えなくなった事件と関係のあることだろうとは思うが、詳しいことは知らない。
 と、間もなく妾は父に連れられて故郷を立ち、貨物船に妾ともども乗り組んだ。それから妾は父の死ぬまで四五年の海上生活を送ることになり、船の上で物心がついてきたのであった。
「お母アさま、どうしたの?」
 と、妾はよくこの質問を父にしたことだった。それを云うと、父は急に機嫌を悪くして噛んで吐きだすように云った。
「おッ母アはどこかへ逃げちまったよ。お前が可愛くはないのだろうテ」
「あの立葵の咲いていた分れ家のネ」
「ウン」
「あの中に、あたしの同胞(はらから)がいたわネ。あの子を連れて逃げちゃったのでしょ」
 すると父は首を大きく振って、
「イヤイヤそうじゃないよ。あの子は赤沢の伯父さんが、どっかへ連れていってしまったんだよ。おッ母アは、あの子も可愛くないのだろう」
「じゃお母ア様は、誰が可愛いの」
「そりゃ分らん……赤沢にでも聞いてみるのじゃナ」
 父は苦い顔をして応えた。
「ねえ、お父さま。もとのお家へ帰りましょうよ、ねえ」
「もとのお家? なぜそんなことを云うのだ」
 と、父は俄かに声を荒らげていうのであった。
「もとの土地へ帰っても、もうお家などは無いのじゃ。あんな面白くもないところへ帰ってどうするんか。この船の上がいいじゃないか。じっとして、どんな賑かな港へでもゆける」
 父は故郷を呪ってやまなかった。
「お父さま。あたしたちの故郷は、何というところなの」
「故郷のところかい。おお、お前は小さかったから、よく知らんのじゃなア。イヤ知らなけりゃ知らんでいる方がお前のためじゃ。そんなものは聞かんがいい、聞かんがいい」
 と云って、父は妾が何といって頼んでも、故郷の地名を教えなかった。だから妾は、幼い日の故郷の印象を脳裏(のうり)にかすかに刻んでいるだけで、あの夢幻的な舞台がこの日本国中のどこにあるのやら知らないのであった。
 いまにして思えば、あのとき何とかして故郷の方角でも父から訊(き)きだして置くのであったと、残念でたまらない。なぜなら、その後父は不図(ふと)心変りがして船を下り、妾を連れて諸所贅沢(ぜいたく)な流浪を始めたが、妾が十歳の秋に、この東京に滞在していたとき、とうとう卒中のために瞬間にコロリと死んでしまった。そしてとうとう妾は永久に故郷の所在を父の口から聞く術(すべ)を失ったのであった。それから後ずっとこの方、故郷はお伽噺(とぎばなし)の画の一頁のように、現実の感じから遠く距(へだた)ってしまったような気がする。
 幸いに父が持って歩いていたトランクの中に、相当多額の遺産を残して置いてくれた。それは主として宝石と黄金製品とであったが、父が海外で求めて溜めていたものであろう。その遺産故に妾を世話する人もあって、こうして東京の地に大きくなることが出来たのであった。いま妾は至極気楽に見える生活をしている。数年前には、話が出来て聟(むこ)をとったけれど、彼は二年ばかりして胸の病気で針金のように痩せて死んでしまった。それからこっち妾は気楽に見える若い有閑未亡人(ゆうかんマダム)の生活をつづけている。再縁の話も実は蒼蠅(うるさ)いほどあるのではあるが、妾は一も二もなくこれをお断りしている。結婚生活なんて、そんなに楽しいものではないからである。それにこの節は、結婚などということよりも、もっともっと気にかかることがあって、その方へすっかり精力を引よせられているので、男のことなんか考えている余裕がないのである。気にかかることというのは、もちろんこれまでにお話したとおり、生死不明の妾のはらからを探しあてることが出来るかどうかということである。そして、妾の名誉のためにも誇りのためにも三人の双生児の謎を解くことができるかどうかということである。
 あの新聞広告を出したその翌日から、妾の住んでいる渋谷羽沢(しぶやはざわ)の邸は俄かに賑かになった。それは新聞広告をみてから各種の訪問客が殖えたということである。それはきっと妾のことだろうといって、はらからを名乗ってくる人が毎日十二三人ある。併し随分平気で出鱈目(でたらめ)をやれる人があると見えて、やってくる人の殆んどは三十歳を越している。妾が本年二十三歳なのを考えれば、もっと早く気がつく筈だと思うが、妾の前で滔々(とうとう)として原籍や姉妹のことを喋ってしまって、大分経ってから気がついて急に逃げだすというのが多い。ただその中に三人だけ、妾の関心を持てる人が混っているのである。
 まず第一にお話しなければならないのは、速水春子(はやみずはるこ)という女流探偵のことである。彼女はあの新聞広告を見ると、早速(さっそく)妾のところへやって来た。妾はお手伝いさんのキヨに、一応その女流探偵の身形その他を訊きただした上で、客間に招じて逢ってみた。
 春子女史は、薄もので拵(こしら)えた真黒の被布に、下にはやはり黒っぽい単衣(ひとえ)の縞もの銘仙を着た小柄の人物で、すこし青白い面長の顔には、黒い縁の大きな眼鏡をかけて、ちょっとみたところ年齢のころは二十五六の、まずポインター種の猟犬が化けたような上品な婦人だった。妾は女探偵などというと、もっと身体の大きな体操の先生のような婦人を想像していたのであるが、速水春子女史はそれとは違った智恵そのもののような女性だった。しかし彼女の眼だけはギロリと大きくて、妾にとってはたいへん気味がわるかった。
「新聞で拝見しましたんでございますけれど……」
 と女史はさも慣れ切っているという風に話の口を切った。
「たいへん六(むつ)ヶ敷(し)そうなお探しものでいらっしゃいますのネ。あたくしにお委せ下されば、イエもう永年の経験でこつは弁(わきま)えて居りますから、すぐに貴女さまのご姉妹を探しだしてごらんに入れますわ。……ええと、それでまずその問題のお父上の日記帳というのを拝見しとうございますが……」
 妾は手文庫のなかから、父の日記帳をとりだした。それはポケット型というのであろう、たいへん小さな冊子で黒革の表紙もひどく端がすりきれて、その色も潮風にあたって黄いろく変色していた。それを開くと、中は罫(けい)なしの日附は自由に書きこめるという式の自由日記で、尖(さき)の丸い鉛筆を嘗(な)め嘗(な)め書きこんだらしい金釘流の文字がギッシリと各頁に詰まっていた。女流探偵はその中の或る日記を声を出してよみだした。
「ほう、こんなことが出ていますわ。――二月一日、『タラップ』ノ手摺ヲ修繕スル。相棒ガ不慣デナカナカ捗(ハカド)ラヌ。去年ノ今頃モ修繕シタコトガアッタッケガ、ソノトキハ赤沢常造ノ奴ガイタカラ、半日デ片付イタモノダ。彼奴ガ下船シテ故郷ニ引込ンダノハソノ直後ダッタ。モウ一年ニナルノニ、彼奴ハ故郷ニジットシテイテ、ドコニモ働キニ行コウトシナイ。ワシハオ勝ノコトガ心配デナラン。ト云ッテモ、オ勝ハモウスグオ産ヲスル。オ産ヲスルマデハ、イクラ物好キナ彼奴トテモ手ヲ出ス様ナコトガアルマイ。トハ云ウモノノ、女ヲ盗ムニハ姙婦ニ限ルトユウ話モアルカラ、安心ナラン――ほほう、亡くなった貴女さまのお父さまは、この赤沢常造という男を大分気にしていらっしゃるようですが、これはどんな関係の方でございましょうか」
「その赤沢というのは、伯父さんだと憶えています。一度父と大喧嘩をしたので、あたしは知っているのです」
「どんなことから大喧嘩なすったのでございましょう」
「さあそれは存じません」
「それは重大なことですね。……それから奥様のお生れ遊ばしたのは何日でございましょうか」
「その日記の最後の日附がそうなのです」
「ああそうでございますか。そうそう、この同じ二月十九日に、貴女さまはお生れ遊ばしたのでございますね」
 そういって春子女史は日記の頁の最後のところまでめくり、
「ああ、ありました。二月十九日、オオ呪ワレテアレ、今日授カッタ三人ノ双生児! これでございますネ。三人の双生児!」
 と、女流探偵は深刻な表情をして、三人の双生児! と口の中でくりかえした。
「いかがでございましょう。お心あたりがありまして」
 と訊(たず)ねると、女史は、
「これは現地について調べるのが一番早や道でございますわ。探偵が机の上で結論を手品のように取出してみせるのはあれは探偵小説の作りごとでございますわ。本当の探偵は一にも実践、二にも実践――これが大事なので、そこにあたくしたちの腕の奮(ふる)いどころがあるのですわ、奥さま」
「でもその現地というのが雲を掴むような話で第一何処だか見当がついていないのですよ」
「それは奥さま、調べるようにいたせば、分ることでございますわ」
 と女史は怯(ひる)む気色もせず云い放った。
「広告にお書きになりましたサワ蟹とか立葵とかは、日本全国どこにもございまして、これは手懸りになりません。でも奥さまは、もっと何か地方的な特色のあることを御存知の筈と存じますわ。お小さいとき、よくお気のつくものとしては物売りの声、お祭りなどの行事、その辺のごく狭い地区の名、幼(おさ)な馴染(なじみ)の名などでございますが、一つ思い出していただきましょうか」
 そこで妾は変な諮問(しもん)を受けることとなった。
「物売の声で、なにか憶えていらっしゃるものはございません?」
「さあ、――」
 と妾はこの意外な問いにすくなからず驚いた。そして長い間考えていたが、やっと一つ思い出すことが出来た。
「そうです、魚売りのおばさんの呼び声を思いだしましたわ。こうなんです――いなや鰈(かれい)や竹輪(ちくわ)はおいんなはらーンで、という」
「おいんなはらーンででございますか。たいへん結構なお手懸りでございますわ。ではもう一つ、お祭の名称など、いかがでございます」
「さあ、――明神さまのお祭りだとか、それから太い竹を輪切りにしてくれるサギッチョウなどというものがありました」
「ああ左義長(さぎちょう)のことですネ。それも結構です。それからこの辺の村の名とか町の名とか憶えていらっしゃいません」
「近所の地名ですか何ですか。アタケといっていましたわ」
「ああアタケ、安宅と書くのでしょう。ああ、それですっかり分りました」
 と、春子女史はいった。
「すると奥さまのお郷里(くに)は四国です。阿波の国は徳島というところに、安宅という小さな村があります。そこならサワ蟹だって、立葵だって沢山あります。ではあたくし、これから鳥度(ちょっと)行って調べて参ります。四五日の御猶予(ごゆうよ)を下さいませ」
 女史の探偵眼はたいへん明快であった。どうして、そんな明快な答が出たのか妾には合点がゆかなかったけれど、彼女は別に高ぶる様子もなく、妾の故郷だという四国の安宅村へ、三人の双生児の実相を確めるために発足するといって辞し去った。妾は狐に鼻をつままれたように、女史を見送ったが、後になって一切が判明するまではこの女流探偵の神通眼(じんつうがん)は単に出鱈目だと思っていたのであった。


     3


 新聞広告を見て妾を尋ねてきた人の中で、第二にお話しておかなければならないのは、安宅真一(あたかしんいち)という青年のことだった。その青年は、背が極(ご)く低くて子供ぽかった。身長五尺四寸に肥満性という女の妾と較べると、まるで十年も違う弟のように見えた。そして痩せている方ではなかったが、顔色は透きとおるように白く、捲くれたような小さい唇はほんのちょっぴり淡紅色に染まっているというだけであって、見るからに心臓に故障のあるのが知られた。顔だちも妾とは違ってメロンのようにまン丸かった。
 その安宅という青年が邸に来たとき、妾は彼があまりに年端(としは)もゆかない様子なのを見て、一体何の用で来たのか会ってみたくなった。それで客間に招じて応接してみると、やはり用というのは、自分こそは貴女の探している双生児の片割れであろうと思ってやって来たというのであった。
「嘘を仰有(おっしゃ)い。あんたは一体いくつなの。妾よりも五つ六つ下じゃないの」
 と妾は少年――でもないが、その安宅真一を頭から揶揄(からか)った。
「そんなことはないでしょう。僕、これでも二十三か四なんです」
「あら、妾が二十三なのを知ってて、わざとそんなことを仰有るのでしょう」
「いえいえ、そんなことはありません。本当に二十三か四なんです」
「二十三か四ですって、三か四かハッキリしないのは、一体どういうわけなの」
 安宅青年はそこで物悲しげに眉を顰(しか)めてから、
「実は僕は親なし子なんです。兄弟があるかどうかも分っていません。どうにかして小さいときのことを知りたいと思って気をつけていたところへ、あの新聞広告が眼についたのです。世の中には似たような人もあるものだナと思いました。とにかく伺ってみればもしや自分の幼いときのことが分る手懸りがありはしないかと思って、それでやって来たというわけです。僕は小さいときのことをすこしも憶えていません。記憶に残っている一番古いことは、たしか八九歳の頃です。そのころ僕は、お恥しいことですけれど、見世物に出ていました。鎮守さまのお祭のときなどには、古幟(ふるのぼり)をついだ天幕張りの小屋をかけ、貴重なる学術参考『世界に唯一人の海盤車娘(ひとでむすめ)の曲芸』というのを演じていました」
 そういって語る安宅の顔付には、その年頃の溌刺(はつらつ)たる青年とは思えず、どこか海底の小暗(こぐら)い軟泥(なんでい)に棲(す)んでいる棘皮(きょくひ)動物の精が不思議な身(み)の上咄(うえばなし)を訴えているという風に思われた。真一は言葉を続けて、
「僕を持っていたのは蛭間(ひるま)興行部の銀平という親分でしたが、僕は祭礼に集ってくる人たちから大人五銭、小人二銭の木戸をとった代償として、青いカーバイト灯の光の下に、海底と見せた土間の上でのたうちまわり、自分でもゾッとするような『海盤車娘』の踊りや、見せたくない素肌を曝(さら)したり、ときにはお景物(まけ)に濁酒(どぶろく)くさい村の若者に身体を触らせたりしていました。もちろん見物の衆は、僕のことを女だと思っていたのです。本当は僕は立派に男なんです。けれど生れつき血の気のないむっちりとした肉体や、それから親分の云いつけでワザと女の子のように伸ばしていた房々した頭髪などが、僕を娘に見せていたのでしょう」
「海盤車娘って、あんたの身体になにか異ったところでもあるんですか」
 と妾はゾクゾクしながら尋ねたのだった。
「それは異状があれば有るといえるのでしょう。でも結局は興行師の無理なこじつけでした。それで見物の衆はインチキ見世物を見せられたことになると思うのですが、実は僕の背の左側に楕円形の大きな瘢痕(きず)があるんです。そして僕がその瘢痕を動かそうとすると、その瘢痕は赤く膨(ふく)れて背中よりも五六分隆起して上下左右思うままにピクピクと動くのです。ですからどうかすると、むかし僕の背中には一本の腕が生えていたのを、その附け根から切断したために、跡が瘢痕になっているようにも見えるのでした。見世物になるときは、そこにゴム製の長い触手をつけ、それを本当の腕であるかのように動かすのでした。つまり僕は二本の脚と三本の腕とを持っているので、丁度(ちょうど)五本の腕の海盤車の化け物だというのです。いかがです。もしお望みでしたら、今此所でその気味の悪い瘢痕をごらんに入れてもようございます」
「まあ、ちょっと待ってちょうだい――」
 出されてはたいへんなので、思わず妾は悲鳴にちかい声をあげた。なんといういやらしい男があったものであろう。新聞広告を出したために、たいへんな人間がとびこんできたものであった。肩口のところで紅くなってムクムク膨れ出してくる第三本目の腕の痕など、ちょっと一と目見たい好奇心もおこるけれど、やはり恐ろしかった。白面(しらふ)でもって、そんないやらしいものを見られるものじゃありゃしない。これは随分変態的な男であると呆(あき)れるより外(ほか)なかった。でもどうしたというのであろう。呆れるという以上に、近頃刺戟に飢えているらしい我が身にとって何かしら、気にかかることでもあった。
「それであんたは妾の兄弟だと思っているの」
 と、妾は話頭を転じたのだった。
「さあ、それを確かめたくて伺ったのですけれど、とにかく僕は貴女がなにか関係のある人に思われてならないのです」
 聞けば聞くほど、興味の深い海盤車娘(ひとでむすめ)の物語ではあったけれど、妾はそれ以上聞いているのに耐えられなかった。それでもういい加減に、この変な男に帰ってもらいたくなった。それで妾は最後にハッキリと云ってやった。
「こうして話を伺っていると、あたしとあんたとは、たいへん身の上が似ているように思いますわよ。でも、あたしとしては、知りたいと思う一番大事なことが、いまのあんたの話では説明されてないように思うのよ。第一それはネ、あたしと双生児のその相手というのは、あんたみたいに男ではなくて、女だと信じているわ。つまりこうなのよ。あたしが小さいとき、その双生児の寝ている座敷牢のようなところへ行ったときに、その子は頭髪に赤いリボンをつけていたのをハッキリ憶えているのよ。赤いリボンをつけているんだから、きっとその子は女に違いないと思うわ」
「しかし僕は、長いこと女の子にされてしまって海盤車娘というやつをやっていました。女といえば女じゃありませんか」
「さあ、それは違うでしょう。あんたが女の子に化けたのは八九歳から後のことでしょう。興行師の手に渡ってから、都合のよい女の子にされちまったんじゃありませんか。あたしの憶えているのはずっと幼い五六歳のころのことです。その頃のあたしはちゃんと父母の手で育てられていたので、男の子を特別に女の子にして育てるというようなことはなかったと思うわ」
「そうでしょうかしら」
 と真一は物悲しげに唇を曲げた。
「それにサ、世間をみても双生児には男同志とか女同志とかが多いじゃないこと。そしてさっきからあんたの顔を見ているのだけれど、あんたとあたしとはまるで顔形も違っていれば、身体のつきも全然違っているように思うわ。ね、そうでしょう。どこもここも違っているでしょう。強いて似ているところを探すと、身体が痩せていないで肉がボタボタしていることと、それから月の輪のような眉毛と腫(は)れぼったい眼瞼とまアそんなものじゃないこと」
「それだけ似ていれば……」
「それくらいの相似なら、どんな他人同志だって似ているわよ。とにかくあんたは、あたしの探している双生児の一人じゃないと思うわ」
「そういわないで、僕を助けて下さい」
 と真一は両手で顔を蔽(おお)い、ワッと泣きだした。
「ぼ、僕はいま病気なんです。それで働けないのです。僕はもう三日も、碌(ろく)に食事をしないでいます。ますます身体は悪くなってきます。お願いですから、助けて下さい」
 こんなことになってしまって、妾はたいへん当惑(とうわく)した。これはなんとかして、早く帰ってもらわないといけないと思った。それには彼が居たたまれないように、もっと弱点をつくことにあると思った。
「あたしは、本当のはらからを見つけたくてあの広告を出したのよ。あんたは知らないでしょうけれど、あたしは双生児でも、三人一組なのよ。つまり三人の双生児であると、死んだ父が日記に書き残してあるわ。この点からいってもあんたの持ってきた話の中には三人の双生児という重大な謎を解くに足るものがすこしも入っていないじゃありませんか。だからたいへんお気の毒だけれど、あたしはあんたを兄とも弟とも認めることができないのよ。ネ、わかるでしょう」
 畳に身を伏せて、嗚咽(おえつ)していた真一は、このとき俄かに身体をブルブルと震わせ始めた。それは持病の発作が急に起ってきたものらしかった。彼は苦しげに胸元を掻きむしり、畳の上を転々として転がった。あまりに着物を引張るので、その垢じみた単衣はべりべり裂け始め、その下から爬虫類(はちゅうるい)のようにねっとりした光沢(こうたく)のある真白な膚(はだ)が剥(む)きだしになってきた。そして妾は、はからずもそこに遂に見るべからざるものを見てしまった。真一の背にある恐ろしき瘢痕(きず)!
「おおいやだ――」
 彼の話に勝(まさ)って、それはなんという気味の悪い瘢痕だったろう。それは確かに生きている動物のように蠢(うご)めいた。或いは事実そこに腕のような活溌なものが生えていたのかもしれない。そのとき不図(ふと)妾は、いままでに考えていなかったような恐ろしいことを考え出した。それは真一の瘢痕のあるところに、もう一つ別の人間の身体が癒着(ゆちゃく)していたのではなかろうか。いわゆるシャム兄弟と呼ばれるところの、二人の人間の一部が癒着し合って離れることができないという一種の畸形児のことである。つまり真一の場合は、もともと二人であったものが、瘢痕のところで切開されて別々の二体となったものではあるまいか。そうすると別にあったもう一つの人体はいまどこに居るのだろう。そう考えると、たいへん恐ろしいことだった。
「だが、それは真一の場合の恐怖であって、あたしの身の上の恐怖でないからいい!」
 と妾は口の中で云ってみた。前にも云ったように、真一と妾とでは、双生児らしく似かよったところがないと思う。双生児に二種あって、一卵性双生児と二卵性双生児とがある。前者はたいへんよく似た瓜二つの双生児が生れるし、後者はそれほど似ていない。似ていないといっても、普通の兄弟姉妹を並べてみたときのように、これははらからだと一見して分る程度にはよく似ているのだった。妾と真一の場合を比べてみると、もちろん一卵性双生児のように瓜二つではないことは云うまでもないが、また二卵性双生児といえるほども似ていない。ややどこかが似ていないでもないが、その程度はとても二卵性双生児などと認められるほどのものではない。だから結局妾と真一とは、それほどの仮定を考えてすら双生児らしいところがなかった。
「その上、もっとハッキリした否定証明がある!」
 妾はもう一つ否定証明を考えついた。それは六(むつ)ヶ敷(し)い医学的な証明でない。つまり仮りに真一にシャム兄弟的なもう一人の人間があって、それと妾とが同じ日に同じ母から分娩されたとしたら、これは常識からいっても所謂(いわゆる)三つ子である。つまり丁寧にいえば三人の三生児と呼ぶことが出来てもこれを三人の双生児とは呼ぶことはできないであろう。
 結局妾は疑心暗鬼から、たいへん入り組んだことまで考えたが、これは考えすぎてたいへん莫迦をみたようなものであった。まるで抜け裏のない露地を、ご丁寧に抜け路があるかしらと探しまわって草臥(くたびれ)もうけをしたようなものであった。ともかくこれで真一の場合は、妾に関係のないことがハッキリ証明できたように思うのであるけれど、それでいてなお、なんとなく気がかりなのはどうしたことであろうか。それは妾の身の上を離れて、真一が背中にもつあの瘢痕の怪奇性が妾を脅かすのであろうか?
 とにかくそんなことは忘れてしまって、妾は父が手帳の中に書きのこした「三人の双生児」という字句が持つ秘密を、別な方面から調べてみなければならない。それはもっともっと別の種類のことなのではなかろうか。「三人の双生児」のなかの一人は、どうしても妾の身上のことなんだからして、残る二人の人間という不合理に見える合理を解きあげて妾の重い負担を下ろすことにしたいものである。


     4


 四国の徳島へ出発した女流探偵速水春子女史は、越えて十日目に、たいへん緊張した顔付で妾の邸を訪れた。
「まあ、奥さま。どうか吃驚(びっくり)なさいますな。あたくしはとうとう、貴女さまのほんとのおはらからを探しあてて参りましたのでございますよ」
 妾は女史の言葉を、俄かに信ずる気持にはなれなかった。この六(むつ)ヶ敷(し)い同胞(はらから)さがしがそんなに簡単に解けようとは考えてはいなかったからである。
「ねえ、奥さま。お驚き遊ばしてはいけませんよ。詳しいことを申し上げるより前に、まずあたくしのお連れ申して来たお妹さま……とでも申しましょうか、それともお姉さまと申上げた方がよろしゅうございましょうか。とにかく同じ年の二月十九日に、御母堂に当ります西村勝子様がお産み遊ばしたお二方のうち、珠枝さま――つまり奥さま――ではない方のもう一方――その方のお名前を静枝さまと申上げますが、その静枝さまをお伴い申したのでございます。いま御案内申し上げますから、なによりもお会い下すって、よくよく御覧遊ばして下さいませ。あの、静枝さま。どうぞ、こちらへ」
 饒舌(じょうぜつ)女史は可愛げもない台詞(せりふ)をのべたててから、次の間の方へ声をかけた。
 襖(ふすま)の外では微(かすか)な返事があって、やがてやさしい衣摺(きぬず)れの音とともに、水々しい背の高い婦人が入って来た。妾はその婦人を一目みて、どんなに驚いたことであろうか。まことに吾れながらその顔形といい、躯つきといい、髪や衣服の趣味、さては化粧の癖に至るまでこんなにもよく似た婦人がいるものかと、暫くは呆然(ぼうぜん)と打ち見護っていたほどであった。これが話したいという第三の人物である。
「あら、お姉さまでいらっしゃるの。……まあお懐しッ。あたくし静枝ですわ。おお……」
 といって、その静枝嬢はバタバタと畳の上を飛んでくるなり、妾の胸にとりすがって、嬉し泣きにさめざめと泣くのであった。それはまるで新派劇の舞台にみるのとソックリ同じことで、いとど感激の場面が演ぜられたのだった。とり縋(すが)られた途端に妾もハッと胸ふさがり、湧きくる泪(なみだ)を塞(ふさ)ぎ止めることができなかった。
「おん二方さま。お芽出とう御祝詞を申上げます。あたくしも思わず貰い泣きをいたしました」
 と速水女史までもが、新派劇どおりに目を泣き腫らしたのだった。
「一体これはどういう事情だったんです」
 と妾はいつまでも鼻をかんでいる速水女史に尋ねた。
「いえもうそれは、たいへん混(こ)み入(い)った話になりますが、今日はちょっとかい摘(つま)んで申上げます」
 と饒舌女史が語りだした省略話をもう一つ省略して述べると、次のような事情であると分った。
 ――速水女史が徳島の安宅村というところへのりこんできいてみると、妾の母の勝子はもちろん死んでいて問題の幼童――つまり静枝のことを聞きだすべくもなかった。それから伯父の赤沢常造のところに静枝がいたということであるから、これを質(ただ)してみたが、自分のところに、その幼童をちょっと預かったことはあるが、間もなく母の勝子が連れだしたまま行方不明になってしまって、自分は知らないという。そこで村の故老などにいろいろ聞きあわした末、その幼童が静枝という名を名乗って、徳島市の演芸会社の社長の養女に貰われていたところをつきとめて、それで無理やりに東京へひっぱって来たのである。向うでも永く離したがらないので、四五日滞在したら、なるべく早く帰郷するようにと、養父の銀平氏から頼まれて来たというのであった。
 妾は気味のわるいほど実に自分によく似た静枝と、いろいろ故郷の話や、幼いときの話をした。彼女は妾の知っていることは残らず知っていて、すべてはよく符合した。妾を見習ってカンカンに赤い三つのリボンをかけたこともよく覚えているそうであるし、紫の立葵(たちあおい)のこと及びその色ちがいのもので赤や白のものがあることや、日本全国到る処に棲息(せいそく)するサワ蟹のこと、特にその鋏(はさみ)に大小の差があって鋏に糸をつけるとすぐそれが□(も)げることなどをスラスラ語った。
「静枝さん、あなたはどうしてあの座敷牢のようなところに入って暮していたんですの」
 と妾はかねて聞きたく思っていたことを聞いてみた。
「それはこうなのでございますわ。あたくしはどうしたものか、極く小さいときから夢遊病を患(わずら)っていたのでございます。それで夜中に起きてどこかへ行ってしまうようなことがあってはと、いつも座敷牢の中に入れられていたのでございますわ」
「でもいつでも貴女は寝てばかりいて、起きてたところを見たことがないわ。昼間から寝てばかりいたのは何故ですの」
「あれはこうなのでございます。あたくしは或る夜、夢遊して外に出たんですの。そして不幸にも崖から川の中へ落ちて足を挫(くじ)き、腕を折り、ひどい怪我をしたことがあるので、それで立ち上れなくて、いつも寝ていました」
「ああそうだったの。気の毒だったわネ。でも、脚を挫いているのなら夢遊でも外は歩けないのじゃない」
「いえそれはこうなんですの。夢遊病者は、たとえ足が悪くても、そのときは歩けるのですから不思議ですわ」
 静枝の答は一々明快だった。まだ聞きたいことが沢山あったがあまり尋ねては折角(せっかく)巡逢(めぐりあ)った同胞(はらから)のことを変に疑うようで悪いと思ったので、もう一つだけ重大なことを尋ねた。
「あの、『三人の双生児』とお父さまがお書き遺しになった言葉ね、あれはどういう意味でしょうね。あなたと妾とだけでは二人の双生児で、三人ではありませんものネ」
「ええあれはお父さまのユーモアであったんですわ。つまりお産の褥(しとね)の上には、お姉さまとあたくしとの二人の嬰児と、それからお産を済ませたばかりのお母アさまと、都合三人で枕を並べて寝ていたのを御覧になって三人の双生児とお書きになったんですわ」
「アラいやだ。そんなことだったの」
 妾は、このいままで重大視していた「三人の双生児」の謎が意外も意外、あまりにも明快にスラリと解けたので、滑稽(こっけい)でもあり、気ぬけもして、暫くは笑いが停まらなかった。実にそんなことであったのか。妾は今夜はこの新しく見つかった同胞のために、内輪ながら極めて盛大なお膳を用意するよう、召使に云いつけたのだった。そして妾はしばらくの間休息するために、自分の居間に入ったのであった。
 そこへチョロチョロと人の足音がして人目を憚(はばか)るようにして、速水女史が入ってきた。そこで妾は、手文庫から二百円の小切手をかいて、謝礼のため女史に贈った。女史はたいへん悦んだがすぐには部屋を出てゆかなかった。「アノ失礼でございますが、この前伺ったときとはちがいまして、お邸の中に変な男の人がいるようでございますが、あれはどうした仁(じん)でございましょう」速水女史は商売柄だけあって、目のつくのも速かった。その不審をうたれた男というのは安宅真一のことだった。彼は妾と始めて話をしたあの日、話半(なかば)に急病を起して座敷に倒れてしまった。妾は驚いて早速医者を呼んでみたところ、だいぶん衰弱しているから動かしてはいけないという診断であった。妾は迷惑なことだったけれど、そうかといって真一を戸外につきだしたため、門前で斃(たお)れてしまわれるようなことがあっては困るから、仕方なしに邸のうちに留めおいて、療養をさせることにした。それからこっち一週間あまり経ち、真一はずっと元気づいた。妾の見立てでは、この「海盤車娘(ひとでむすめ)」はどっちかというと空腹で参っていたといった方が当っていたように思う。この邸でも、男ぎれというものが全くないので、妾も不用心だと思っていたところであるし、かたがた真一を邸内にそのままブラブラさせて置いたのが、逸早(いちはや)く速水女史の眼に止ったというわけである。妾はそのいきさつを手短に女史に語って聞かせた。
「まあそうなんでございますか」
 と女史はいったがそこで一段と眉を顰(しか)めて、
「でもあの安宅さんとやらはどうも人相がよくございませんわ。お気をおつけ遊ばせ。これはあたくしの経験から申すことでございますよ」
 女史はそういい置いて、なお心配そうに妾の顔をふりかえりながら帰っていった。
 それから三日間というものは、妾の邸のなかは主賓(しゅひん)の静枝と、飛び入りの安宅真一とを加えてたいへん朗かな生活を送った。真一は別人のように元気に見えた。しかし彼の青白いねっとりした皮膚や、怪しい光のある眼つきなどは別に消散する様子もなく、どっちかといえば更に一層ピチピチした爬虫類(はちゅうるい)になったような気がするほどであった。
 それに引きかえ、実に妾はこの四五日なんとなく肩の凝(こ)りが鬱積(うっせき)したようで、唯に気持がわるくて仕方がなかった。考えてみるのに、それは静枝が来てからこっちの緩めようのない緊張のせいであろう。それから妾は静枝の対等の地位や静枝を帰すときに頒(わ)け与えたいと思う金のことでも気を使いすぎた。
 妾はこの肩の凝りをどうにかして早く取りのぞきたいと思った。どうすればそれは簡単にとることが出来るだろうか
 そうだ、いいことがある。
 妾はとても素晴らしい遊戯を思いついた。それはなによりも、妾の居間に真一を呼ぶことであった。
「なんか御用ですか」
 彼はイソイソと室に入ってきた。
「真ちゃん。貴方に少し命令したいことがあるのよ。きっと従うでしょう」
「命令ですって。……ええようござんすよ」
「いいのネ、きっとよ。――」
 と駄目を押して置いて、妾は秘めて置いた思惑をうちあけた。それはこの肩の凝りを癒すために今夜妾の室にきて妾だけにあの「海盤車娘」の舞踊を見せて貰いたいということだった。それを聞いた真一は、ちょっと愕きの色を見せたが、やがて、ニッコリ笑って肯(うなず)いた。どうやら彼は妾の胸の中にある全てのプログラムを知らぬ様だった。妾の全身は、急に滾々(こんこん)と精力の泉が湧きだしてきたように思えて肩の凝りも半分ぐらいははやどこかへ吹き飛んでしまった。
「ねえ奥さん」
 と真一はすこし改まった調子で妾に呼びかけた。
「あの静枝さんという女は、ありゃ本当は何なんです」
「オヤ早もう目をつけているの、ホホホホ」
 妾はそこで彼女が妾の探していた双生児の一人らしいこと、又速水女史の手で探しだされたことなどを詳しく話した。
「へえそうですか」
 と彼は軽蔑したような口調でいった。
「そりゃ奥さん、大出鱈目(おおでたらめ)ですよ」
「出鱈目だって」
「そうです、みんな嘘っ八ですよ。こうなれば皆申上げてしまいますがネ、あの女は暫く僕と同座していたことがあるのです。やっぱり銀平の一団でしたよ。お八重というのが本名で、表向きは蛇使いですよ」
「人違いじゃない? 速水さんの調べが済んでるのよ」
「いまに尻尾(しっぽ)を出すから見ていてごらんなさい。第一年齢が物を云いますよ。あの女は申年(さるどし)なんで、今年はやっと二十一です。奥さんは午(うま)の二十三でしょう。それでいて二人が双生児というのは変じゃありませんか。ま、御用心、御用心ですよ」
 そういって真一は立ち去った。妾は彼の話を俄かに信ずることは出来なかった。明日、速水女史に聞いてみよう。とにかく今日は考える力のない妾だったから。
 その夜を妾はどんなにか待ちかねた。今夜真一が妾の室で素晴しい海盤車娘の踊りを見せてくれることだろうと。
 その夜に入ると、幸にも静枝は外出の支度をして妾のところへ現れた。これから約束があるので速水女史のところへ行ってくるといって、そのまま出かけた。
 首尾は極上(ごくじょう)だった。自室の方はすっかり妾の手で準備が整った。そこで妾は決心をして、真一を呼びにいった。彼は呼ぶとすぐ部屋から現れた。そして子供っぽい顔を照れくさそうに赧(あか)く染めて、長い廊下を妾について来た。妾は海盤車娘踊の舞台を、いつも寝室にしている離れの寮に選んだのだった。
 そのとき、廊下にバタバタと跫音(あしおと)がして、お手伝いさんのキヨが飛ぶように走ってきた。
「あ、奥さま。お客様がお見えになりました」
「お客様? 誰なの」
 せっかく楽しみのところへ、お客様の御入来は迷惑だった。なるべく追いかえすことにしたいと思った。
「お若い紳士の方ですが、お名前を伺いましたところ、奥さまに逢えばわかると仰有(おっしゃ)るのです」
「名前を伺わなければ、あたしが困りますといって伺って来なさい」
「ハア、でございますが、その方……」
 といってキヨは目を円(まる)くしてみせながら、
「殿方でございますが、とってもお奥さまによく似ていらっしゃいますの。殿方と御婦人との違いがあるだけで、まるで引写しでございますわ」
 妾はギクリとした。自分にそんなによく似ている男の人て誰のことだろう。妾はちょっと気懸りになった。
「じゃあ真さん、先へ入って待っててちょうだい。しかし何を見ても出て来ちゃ駄目よ」
「ははア、なんですか。じゃお先へ入っていますよ」
 妾は部屋の鍵を明けると、真一を中へ押しやった。そして入口の扉を引くとそのまま廊下へ引返して、キヨの後を追った。キヨは先に立って御玄関へ出た。
「アラ、どうしたの」
 妾は御玄関でキョロキョロしているキヨの肩を叩いた。
「まあ変でございますわねえ。いままでここに立っていらっしゃいましたのですけれど、どこへお出でになったのか、姿が見えませんわ」
「まあ、いやーね」
 妾はすこし腹が立って、今夜は逢わないといえと云いつけて、すぐさま真一の待っている離れの間へ引返した。
「真さま、お待ち遠さま」
 重い扉をあけて、中へ入ったが、どうしたものか真一は返事をしなかった。狸寝入(たぬきねいり)かしらと一歩、室内に踏みこんだ妾はそこでハッと胸を衝(つ)かれたようになって棒立ちになった。
「まあ、――」
 当の真一は蒲団の側に長くなって斃れていた。顔色は紫色を呈して四肢はかなり冷えていた。心臓は鼓動の音が聞えず、もうすっかり絶命しているようであった。その枕もとに水を呑んだらしいコップが畳の上にゴロンと転がっていた。
 意外な、そして突然の、「海盤車娘」の死だった!
 自殺か、他殺? 他殺ならば一体誰が殺したのであろう?


     5


 妾は「海盤車娘(ひとでむすめ)」の真一がもう死に切っていると知ると、あまりのことに頭脳がボーッとしてしまった。さしあたり先ず何を考え何から手をつけてよいのやら、まるで考えが纏(まとま)らない。唯空しく真一の屍体を眺めているばかりだった。
 そのうちに少し気が落着いてきた妾は、
「医者だ! 早く医者を呼ばねばいけない!」
 ということに気がついた。そして立ち上った。医者ならばこの男を或いは助けられるかもしれない――と、始めは思ったものの、しかしもしもこの真一がこのまま生き返らなかったらどうなるのだろうと、それが俄かに気懸りになった。この男は妾の寝室で死んでいるのだ。ああ、そして――今この寝室の中には、他人に見せたくないものがいろいろ用意せられてあるのだった。そのようなものを若(も)し他人に発見されたらば、どんなことになるであろう。若い未亡人がそのような秘密の慰安を持っているのは無理ならぬことだと善意に解釈してくれる人ばかりならいいが、そんな人は十人に一人あるかなしであろう。悪くすれば、そんなことから妾の行状を誤解して、なにか妾が真一の死に関係があるようなことを云いだすかも知れない。そんなことがあっては大変である。妾は医者を呼ぶのをちょっと見合わせて、それより前に、この部屋を整頓することに決心した。
 妾は、そこらに転がっているものや、押入れの中にある怪しげなものなどを、大急ぎですっかりトランクにつめ、別室へ持ってゆく用意をした。でも真一の死体の方は、寝具にそのまま手をつけずに放置し、疑惑を蒙(こうむ)ることのないようにした。結局他人が見たとき、この離座敷は妾の寝室として用意したものではなく、真一の寝室として用意されてあったように信じさせねばならぬと思った。
 それから妾は部屋を飛びだした。そしてお手伝いさんのキヨの部屋へ行って、
「キヨ。大変なことになったから、ちょっと、来ておくれ……」
 というとキヨは縫物を抛(ほう)りだして、
「えッ、大変でございますって……。ま、何が大変なのでございますか……」
 妾は手短に、いま真一が離座敷で死んでいることを述べ、医者を迎えるまでに片づけておきたいものがあるからちょっと手をお貸しといってキヨを引張っていった。
「キヨ、いいかい。知れるとうるさいから此室(このへや)からトランクだのを搬(はこ)んだことは、誰にも云っちゃいけないよ。いいかい」
 と妾は念入りな注意をすることを忘れなかった。キヨは黙って頭を振って同意を示すだけでいつものようにハッキリと返事をしなかった。どうやら真一ののけぞった屍体(したい)を見てから、すっかり恐怖に囚われてしまったものらしい。
 丁度そのときのことであった。ジジーンと、突然玄関のベルが鳴った。折が折とて妾は胸を衝(つか)れたようにハッとし、持ちあげていた荷物をドスンと廊下へ落してしまった。
「呀(あ)ッ。キヨ、入れちゃあいけないよ。入れちゃあいけないよ……」
 誰だろう?
 警官だろうか。妾の胸は早鐘のように躍った。
 ジジーン。ベルは再びけたたましく鳴った――もうお仕舞(しま)いだと思った。
「もしもし西村さん。もうお寝み? あたくし速水なんですけれど」
 ああ、速水、――なるほど女探偵の速水春子女史の声に違いなかった。ああ、丁度いいところへ、いい人が来てくれたものである。妾は早速(さっそく)女史を家の中に招じ入れた。
「あら奥さま、すみませんです」
 といつになく上ずった調子で
「静枝さま、いらっしゃいますか、一緒に出かけるお約束だったんですが、お出にならぬのでお迎えに伺ったんですけれど……」
 と女史は云った。ああ、静枝はどうしたのだろう。女史を訪ねてゆくといったが、これは行き違いになったものらしい。
「まア皆さん、どうかなすったの。……お顔の色っちゃ無いですわ」
 突然女史はそういって妾とキヨの顔を見較べた。もういけない。もう隠して置くことは出来なかった。咄嗟(とっさ)に妾の決心は定まった。
「速水さん、ちょっと上って下さいな。実は大変なことが出来ちゃって……」
 と妾は速水女史の手を取るようにして上にあげた。そこで女史に、この突発事件について、差支えのない範囲の説明をして、善後策を相談した。
「これは厄介なことになりましたのネ」
 と女史は現場を検分しながら沈痛な面持をして云った。
「奥さんは、真一さんの死因が何であるとお思いなんでございますか」
 さあそれは妾の知ることではなかった。頓死かもしれないと思うが、同時に他殺でないと証明する材料もないのだ。それよりも妾には真一がここで死んでいることが迷惑千万であったのである。――妾は偽りなくその心境を語った。
「これは奥さまの想像していらっしゃるよりも面倒なことになると存じますわ。お世辞のないところ、奥さまの立場は非常に不利でございますわ。お分りでしょうけれど。ことにこの部屋から物を持ちだして証拠湮滅(しょうこいんめつ)を図ろうとなさっていますし(といって廊下のトランクのことを指し)その上に真一さんが横(よこた)わっている寝具は誰が見ても奥さまの寝具に違いありませんし、それからこの部屋に焚(た)きこめられた此のいやらしい挑発的な香気といい……」
「ああ、もうよして下さい」
 と妾は女史の言葉を遮(さえぎ)った。彼女は何もかも知っているのだ。この上妾は黙って聴いているにたえなかった。
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