赤耀館事件の真相
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著者名:海野十三 

「赤耀館(せきようかん)事件」と言えば、昨年起った泰山鳴動して鼠一匹といった風の、一見詰らない事件であった。赤耀館に関係ある人々の急死が何か犯罪の糸にあやつられているのではないかと言うので、其筋では二重にも三重にも事件の調査を行ったのであったが、いわゆる証拠不充分の理由をもって、事件は抛棄(ほうき)せられたのであった。東京の諸新聞は、赤耀館事件の第一報道に大きな活字を費したことを後悔しているようだったし、中でも某紙の如きは、近来警視庁が強い神経衰弱症にかかっている点を指摘し、この調子では今に警視庁は都下に起る毎日百人宛(ずつ)の死者の枕頭(ちんとう)に立って殺人審問をしなければ居られなくなるだろうなどと毒舌(どくぜつ)を奮(ふる)い、一杯担(かつ)がれた腹癒(はらい)せをした。
 しかし探偵小説に趣味を持っている私としては、諸新聞の記事を聚(あつ)め、又警視庁の調書も読ませて貰い、なるほど証拠不充分、乃至(ないし)は証拠絶無の事実を合点することが出来たのであったが、どうしたものか、事件の底に猶(なお)消化しきれない或るものが沈澱(ちんでん)しているような気がしてならなかった。このことは、その後、機会があるごとに、自分の左右に席を占める人達に話をしてみたが、誰も私ほどの興味を覚えている人はなかったようである。
 ところが昨日になって、私は突然、赤耀館主人と名乗る人からの招待状を受取った。その文面はすこぶる鄭重(ていちょう)を極めたもので、「遠路(えんろ)乍(なが)ら御足労を願い、赤耀館事件の真相につき御聴取を煩(わずら)わしたく云々」とあった。赤耀館事件の真相と呼び、圏点(けんてん)まで打ってあるところを見ると、矢張り私の想像したとおりに、今日まで発表された事件の内容以外に、隠されている奇怪な事実があるのに違いない。私は勿論、喜んで拝聴に出かける旨(むね)を返事した。
 赤耀館は東京の近郊N村の、鯨ヶ丘と呼ばれる丘の上に立っている古風な赤煉瓦の洋館である。私もはじめて赤耀館を車窓から仰いだのであるが、正直なはなし、余りいい感じがしなかった。あの事件の当時の新聞記事によると「赤耀館は、鯨の背にとびついた赤鬼の生首(なまくび)そのものだ」とか「秋の赤い夕陽が沈むころ、赤耀館の壁体は血を吸いこんだ壁蝨(だに)のように真中から膨(ふく)れて来る」とか言われている。秋十月の落日は、殊に赤(レッド)のスペクトルに富んでいるせいもあろうが、西に向いた赤耀館の半面を、赤煉瓦の色とは見うけ兼ねる赤さに染めあげていた。その毒々しい赤さは、唯、不思議な気味のわるい赤さというより外に説明のみちがないのである。
 赤耀館の主人、松木亮二郎(まつきりょうじろう)は、思いの外、上品な、そして柔和な三十過ぎの青年紳士に見えた。しきりに、漆黒の髪が額に垂れ下るのを、細い手でかき上げるのが、なんとはなしに美しかった。私が夢から醒(さ)めきらぬような顔付をしているとて、にやにや笑ったが、愛想(あいそ)よく食後の葉巻煙草などをすすめて呉れた。高い天井には古風なシャンデリアが点いていたが窓外にはまだ黄昏(たそがれ)の微光が漾(ただよ)っているせいか、なんとなく弱々しい暗さを持った大広間だった。段々と気持も落付き、この上強いて気になることを神経質に数えあげるならば、主人公の顔貌(かおだち)が能面でもあるかのように上品すぎることと、その胆汁(たんじゅう)が滲(し)みだしたような黄色い皮膚と、そして三十女の婦人病を思わせるような眼隈(めのくま)の黝(くろ)ずみぐらいなものであった。しかし軈(やが)てそれさえすこしも気にならなくなった。というのは、主人公の語り出した所謂(いわゆる)「赤耀館事件の真相」なるものが私の想像以上に複雑とも奇々怪々ともいうべきものであって、飢え渇いていた私の猟奇(りょうき)趣味は、時の経つのも忘れてその物語を聞き貪(むさぼ)ったことである。
 さて、赤耀館主人は語る――。

 赤耀館の顛末(てんまつ)は、新聞記事で、既によくご存知のことと思います。いや、貴方はあの事件について、最も興味と疑惑とを持っていらっしゃることも、実はちゃんと前から知っていたのです。貴方は警視庁の調書まで読まれたそうですが、薩張(さっぱ)り満足せられていないように見受けたと、尾形警部が言っていましたよ。尾形警部と言えば、赤耀館事件の取調主任であった人です。
 貴方の異常な熱心さと、私の傾きかけた健康状態とが、とうとう今夕の機会を作りあげて呉れました。もはや御察しのとおり、あの赤耀館事件には、発表されていない怪事実が二重にも三重にもひそんでいるのでして、それを本当に知っているのは、私一人に違いないのです。実を言えば、私自身すら、まだはっきりと知ることの出来ない事件の一部分があるのではないかと思うのですが、それは多分、此の種の魅惑(みわく)に満ちた事件が発散する香気のようなものに過ぎないのでしょう。兎(と)も角(かく)も、赤耀館事件につき最も多くの事実を知っている者は、私を除いて外に絶対にあり得ないのですから……。
 この赤耀館という洋館は、誰が建てたものであるか、年代はいつ頃だったのか、それは不思議にも薩張り判っていません。しかし何でも大変古い赤煉瓦を使った洋館であることと、設計者が仏蘭西(フランス)人らしいということは噂になっています。出来たのは多分明治の初年か、またはもう二三年も前だろうと思われますが、そのころこの周辺は今よりも更に更に草深いところであって、其の当時、どうして人間が住むことが出来たろうかと、寧(むし)ろ不思議にたえません。その赤耀館を私の祖父に当る松木龍之進が大警視時代にどうしたものか手に入れてしまったのです。それは今から五十年も前のことなのです。勿論、自分のものにはしたものの、この中に住もうなどとは思っていませんでした。私の父の龍太の時代になって、東京が郊外に膨脹をはじめ、電車もひけるようになってから、初めて松木家の全家族がここに移り住むことになったのです。
 しかしそれからというものは松木家には不思議な魔の手が伸びたらしく、母が死ぬ、父が続いて亡くなる、妹が死ぬといった風でした。父は一人児だったし、母の里にも誰も生きのこっては居なかったので、私達の一家は全く心細い限りでした。不思議なことに、先代の赤耀館主人であった私の亡兄丈太郎の妻、つまり私にとっては嫂(あによめ)にあたる綾子(あやこ)も、係累(けいるい)の少い一人娘だったのです。嫂には姪(めい)に当る梅田百合子というのが唯一の親族でした。この百合子は、実は私の妻になっているのです。
 父母と妹とが亡くなってから此方十年あまりと言うものは、私達一家は割合に呑気に、そして幸福に暮していました。兄が前に申した綾子と結婚すると、私は間もなく独逸(ドイツ)へ遊学にでかけました。兄はたった一人の同胞に別れるのが大変に辛いと申しました。しかし兄は、長い間のはげしい恋をしてやっと獲ることの出来たいわば恋女房と、これからは差向(さしむか)いで暮すわけなのですから私は唯もう兄の弱気を嗤(わら)って独逸へ出発いたしました。それは今から三年前の冬のことなのです。私はカールスルーエの高等工学院に旅装をとき機械工学の研究のため学校の中に起居していました。そこでは人に応接する面倒もなく、穴蔵の中で自由な研究時間を持つことが出来ました。故国からは、たまに兄や嫂からの手紙を受けとりましたが、文面の隅から隅まで、まるで薔薇(ばら)の花片を撒(ま)きちらしたように、桃色の幸福に充ちて居り、不吉な泪(なみだ)のあとなどはどんなに透(す)かしてみても発見することができなかったのでした。赤耀館の悪魔は、もう十年この方、姿を現わさない。悪魔は我が家の棟(むね)から永遠に北を指して去ったものとばかり思って、すっかり安心をしていました。
 それだのに、一昨年の春になって、悪魔は突然、我が家のうちに再び姿を現わしました。悪いことには、悪魔は十年の間、血に飢えていたせいか、その呪(のろ)いの被害もこれまでに見られないほど残虐を極めたものでした。いわゆる「赤耀館事件」なる有難くない醜名を世間に曝(さら)すことになったのです。そして一昨年の春、くわしく言えば六月十日に、折柄来訪して来た笛吹川画伯の頓死(とんし)事件を開幕劇として怪奇劇は今尚、この館に上演中なのです。
 笛吹川画伯は、その日、午後三時をすこし廻ったと思う頃、赤耀館の玄関にひょっくりその姿を現わしました。執事(しつじ)の勝見伍策というのが出迎えましたが、直ちに私の兄で、赤耀館の当主であった丈太郎に取次ぎましたが、兄は舌打(したう)ちをして顔の色さえ変えました。勝見に会見の諾否を伝えようと思っている間に、入口の扉を乱暴に開くと、笛吹川画伯がぬからぬ顔を真正面に向けて入って来ました。
「無断で入って来ちゃ困るじゃないか」と兄は唇をワナワナふるわせて呶鳴(どな)りました。
「馬鹿を言え、貴様から礼儀だの修身だのというものを聞こうとは思わんよ」と大口を開いて高らかに笑い、無遠慮に側(かたわ)らの安楽椅子を引きよせました。勝見は顔を曇らせて此の室を去りました。
 それから時々激しい声音が、厚い扉(ドア)をとおして廊下にまで、きこえたそうです。笛吹川画伯は兄と以前はほんとに仲のよい親友だったのです。識(し)り合ったのは、そんなに古くからではなかったようですが、どこか大変性分の合うところでも発見したものか、二人は兄弟以上の親しさを加えました。それが嫂――当時の綾子嬢が二人の間に挟(はさ)まると、今度は恐ろしいほどの敵同志になってしまったのです。その激しい愛慾の闘争は、かれこれ半年もうちつづいたようでした。どうした風の吹きまわしか、綾子嬢は兄の腕にしっかり抱かれてしまいました。失恋した笛吹川画伯の様子は珍無類でした。彼は泪を滾(こぼ)したり、無口の人となる代りに、大層快活になり、能弁家になりました。一間に閉じこもって破れて落ちる文殻(ふみがら)を綴り合わせているどころの話ではなく、彼は毎日のように顎髯(あごひげ)をしごき乍ら、赤耀館へ憎々しい姿を現わしました。彼は兄の前で、皮肉と呪いの言葉を無遠慮に吹きかけては喜んでいるらしい様子でした。兄には彼が、この上もなく恐ろしい人間に見えました。あれ以来というものは、快活を装う半面に於て、不思議な魅力を加えた彼の眼光と、切々と迫る物狂わしい彼の言葉とは、地獄を故郷に持っているらしい画伯の正体を見せつけられたような気がするのでした。そうかと言って、兄はほんの少しだって、彼の失恋に同情心なんか起し得なかったのです。それは兄の無情のためというよりも、笛吹川画伯の態度があまりに同情を受けない程度の憎々しさに満ちていたがためでしょう。
 赤耀館の大時計がにぶい音響をたてて、四時を報ずると、兄の居間にあたって突然奇妙な声がきこえ、それに続いて瀬戸物(せともの)のこわれるような鋭い音がしました。そして五分も経ったと思われるころ、執事を呼ぶベルの音が階下に鳴りひびいたのでした。
 執事の勝見は私室から飛び出すと、階上の兄の室を指して、駆け出しました。何故彼がもっと前に、二階へ駆け上っていなかったのか、一寸不思議でなりません。
 勝見が兄の部屋の扉(ドア)を開くと、直ぐ足許に、笛吹川画伯が仆(たお)れているではありませんか。兄は椅子の中にうずくまった儘(まま)、顔には血の気もありません。
「い……医者を呼びましょうか」と勝見は兄の救いを求めるかのように、叫びました。
「待て……」と言って兄がふりあげた右手に、細身の短刀がキラリと光ったものですから、勝見は「呀(あ)ッ……」と驚いて壁ぎわに身をよせました。
「だ、だ、旦那様が……」勝見は生唾(なまつば)をごくりと呑みこみました。
「ちがう。ちがうよ。奴は死んだか、どうだか、一寸調べてくれないか」
「た、短刀を、おしまい下さい。た、短刀を……」
「なに、短刀を……」兄はやっと気がついたものと見えて、自分の手に堅く握られた短刀を発見すると声をあげてそれを床の上になげ落しました。
 勝見は、恐る恐る笛吹川画伯の身体にふれて見ました。生温い体温を掌(てのひら)に感じて、いやな気持になりました。息は止っています。手首をとりあげて見ましたが、脈はありません。身体をひっくりかえしてみましたが、別に短刀で突いた傷のある様子もありません。くいしばった唇から、糸を引いたように赤い血が流れていました。両眼はつるし上って、気味のわるい白眼を剥(む)いていました。多分瞳孔(どうこう)も開いていたことだったでしょう。体温はすこし下って来たような気がします。
「駄目らしいようでございます。息も脈もないようでございます」
「脈も無い――大変なことになっちまった」
「医者を呼びましょうか」
「ウン、呼びにやって呉れ」兄は眼を閉じたまま、そう言いました。
「警察の方は、届けたもんでございましょうか」
「なに警察! 届けないといけないだろうか」
「兎も角も、医者が参った上での相談にいたしましょうか」
「そうしてくれ給え、その方がいい」
「短刀を、ひき出しの中へでも、おしまいになっては如何ですか」
「そうだ。そうだった。僕が奴をころしたんでないことは、お前も知っているだろう」
「私は信じます。短刀は、唯、手に遊ばしていただけと存じます」
「そんならお前は、僕に殺意があったと……。ウ、ウ……おれにも判らない」
 医者の来たのは五十分の後のことでした。早速カンフルを打ってみましたが、反応はありません。もうチアノーゼが薄く現われていましたし、身体もずんずん冷えて行くようでした。心臓麻痺(まひ)で死んだことは医者の口を借りるまでもありません。
 医者の厚意で、警察の検視もこれに引続き至極簡単にすみました。唯、笛吹川画伯の臨終を見ていたものは、兄だけだったというので、一寸した訊問が尾形警部の手で行われました。
「貴方の外(ほか)に画伯の臨終を見た人はありませんか」
「私と対談中に倒れたのでして、外にはないようです」
「どんな風に倒れましたか」
「すこし興奮した様子で、安楽椅子から立ち上りましたが、ウンと言うなり床の上に倒れたのです。その時、卓(テーブル)を倒したものですから、その上に載っている茶碗などが壊れてしまいました」
「対談中、だれかこの部屋に入って来たものはありませんか」
「執事の勝見が案内して来たのと、姪の百合子がお茶などを運んで来たきりでした」
「貴方が中座されたようなことはありませんか。又は画伯のことでもいいのですが」
「私は中座しなかったように思います。画伯も中座しなかったろうと思いますが、よく気をつけていませんでした」
「よく気をつけていなかったとは、どういう意味ですか」
「一寸しらべものをやっていたので、注意力が及ばなかったかも知れないというのです」
「対談中、お仕事をなさっていたのですナ」
「まア、そうです」
「お話はどんな種類のことですか」
「そ、それは、まア早く言えば僕等の新婚生活をひやかしていたのです」
「ハア、なるほどそうですか。奥様はどちらにいらっしゃいますか」
「一寸おひるから友達のところへ出掛けましたがネ、もう帰って来る頃でしょう」
「いや、どうもお手数をかけました」
 尾形警部は、執事と百合子とを呼び出して兄と笛吹川画伯対談の様子を一寸訊問すると帰って行きました。彼等はつまらぬ係(かかわ)り合(あい)になってはと思ったものか申し合わせたように兄と笛吹川画伯との争論を耳にしたことは言いませんでした。警部が帰ると入れちがいに嫂が入って来ましたが、思いがけなくこの事件のことを聞いたものと見えて、真蒼(まっさお)な顔をしていました。
「あなた、笛吹川さんが此処へいらしって、頓死なすったんですって? 本当ですか」
「嘘にも本当にも、先生あすこに眠っているよ」と隣室の寝台を指しました。
「眠っている! 死んだのではないのですか」
「いや死んだのです。心臓麻痺だとサ」
「心臓麻痺だと言いましたか。笛吹川さんは何時此処へいらしって」
「三時過ぎだったよ、どうして」
「ハア――なんでもないのよ」
 笛吹川画伯頓死事件は、こうして片付きました。夜に入ると匆々(そうそう)、画伯の屍体は、寝台車に移し、赤耀館からは四里も先にある、隅田村の画伯の辺居へ送りとどけることにしました。ついて行ったのは、執事の勝見と、手伝いの伴造との二人だけでした。執事は笛吹川画伯の世話で、赤耀館に勤めるようになった関係上、それからまた、画伯に縁者のないため死後の後始末をして来るため、このところ数日の暇を貰って行ったのです。
 赤耀館では其夜も更けて一時とも覚しき頃、今夜は帰って来ないと思われた手伝いの伴造がひょっくり裏門から入って来ました。翌朝になって其の報告をするとて、兄夫妻の前に出て来た伴造は、昨夜の様子をこんな風に語りました。
「笛吹川さんのお家は、迚(とて)も淋しいところでがす。あたりは三方、大きな蒲(がま)の生えている沼でしてナ、その一方には、崩れかかったような家が三軒ばかり並んでいるのでさア。笛吹川さんのお家は一番奥にありまして、これは門もついて居り、古いけれど一寸垢(あか)ぬけのした家です。
 あの方は画かきだとばかり思っていましたが、中々勉強もなさると見えて、どの壁も本棚でギュウギュウ言っているんです。お通夜(つや)に来た、ご近所の三人の人たちも、こんなに本のある家は、見たこともない。上野の図書館とかにでも、真逆(まさか)、この倍と本があるわけじゃなかろう、と言っていましたよ。こんな勉強をなさる方が亡くなったのは、全く惜しいものだ、これはきっと勉強がすぎたんだろう、ずいぶん夜も遅くまで御勉強のようでしたからな、と其の人達は言ってましたよ、へえ。
 今夜は是非、お通夜をしましょう、という話でしたが、勝見さんが、わしにもう九時だから、けえれ、けえれと言うのです。わしも通夜するだと言いましたけンどな、勝見さんはそいじゃお邸が不用心だからどうしても帰って呉れと言うのでがす。じゃ帰ることにしようと、尻を持上げましたがナ、今度は勝見さんが近所の人に、引取って呉れ引取って呉れと言ってましたよ。勝見さんは、あんな淋しい処で、死人と一緒に居て怖がらないんですぜ、わしなら、真平御免でがす」
 伴造から勇気を推奨せられた執事の勝見は五日経って、十五日に邸へかえって来ました。すこしやつれた様子だったが、元気はよかったのです。いつもよりハキハキと用事を勤めているように見えましたが、兄の眼には、勝見の態度が、反って変に白々しく映(うつ)ったのでした。自分が短刀を持っていたのを殺意ありと解した勝見は、それ以来、自分を敬遠しているのに違いあるまいと思われたのです。勿論勝見は其の夜のことを再び口にしなかったし、兄も言い出しはしなかった。兄は勝見に暇を出したくはあったが、例のことを喋(しゃべ)られるのを恐れて、絶対に馘首が出来ない。それでますます、勝見が悩しき存在となって来たのでありました。
 ところが、兄は更に勝見に対するこだわりを深くしなければならないことになったのです。いや、そればかりではなく、彼の恋女房である綾子をさえ、真面(まとも)に見ることができなくなったのです。それは、勝見が笛吹川画伯の埋葬を済ませて帰って来てから、一週間ほどのちの出来事でした。兄が綾子の室へ用事があって扉(ドア)の把手(ハンドル)に手をかけたとき、何事にも気が付かないような熱心さで、綾子と勝見が言い合っているのを聞いてしまったのです。
「笛吹川さんは、ほんとうに死んだの」
「本当でございます。お疑いならば日暮里の火葬場へお尋ね下さい。それから画伯の骨を埋めた今戸の瑞光寺へお聞き合わせ下さい。しかし何故、奥様はそんなことをおっしゃるのです」
「わたしには、あの人が死んだように思われないの。あの通りエネルギッシュな笛吹川さんが、そう簡単に死ぬもんですか。ことに心臓麻痺で頓死なんて、可笑(おか)しいわね」
「可笑しくても仕方がありません。画伯はもう骨になっています。それでも死んでいないとおっしゃるのですか」
「あんたの言うようなら、死んだのに違いないでしょう。しかしわたしの直感を正直に言ってしまえば、笛吹川さんは、死んでいないか、さもなければ、誰かに殺されたのに違いない。――あんたは何か知っているのでしょう」
「はい、私は二三のことを存じて居ります」
「言ってごらんなさい、なにもかも」
「では申しあげます。先ず第一に、笛吹川画伯の亡くなった時刻に、奥様は何処にいらっしゃいましたか?」
「まア、お前は……。何を失礼なことを考えているんです。わたしは、どこにいようと、余計なお世話です」
「失礼だとあれば、私は追窮(ついきゅう)はいたしますまい。しかし万一、捜査課の警部たちがひきかえして来て、奥様にこの質問をいたしたものと仮定しますと、唯失礼だと許(ばか)りで追払うことは出来ますまい。不幸にもあの時刻に於ける奥様の現場不在証明(アリバイ)は不可能でいらっしゃいましょう」
「……」
「第二には、旦那様のご存じないところの、笛吹川画伯と奥様との御交渉でございます。これも失礼と存じますので、内容は申しあげません。第三に……」
 そのとき兄は、大きな咳払(せきばらい)と共に、重い扉を押して室内に入って来ました。勝見は白々しく敬礼を捧げましたが、再び嫂の方に向い、
「では麻雀(マージャン)競技会にいらっしゃるお客様は、八十名と考えましてお仕度をいたしましょう。会場は階下の大広間を当てることにいたしましょう。卓(テーブル)の方は、早速、聯盟の事務所と打合せまして、ハイ、もう外に伺(うかが)い落したことはございませんか。では……」
 勝見はすこしも臆(わるび)れる様子もなく、扉をあけて去りました。兄夫婦の間には、しばらく白々しい沈黙が過ぎて行きました。
「あなた、このごろ勝見の様子が、どこか変じゃありませんこと?」
「笛吹川が亡くなったので、気を落しているのだろう」
「そうでしょうか。勝見が独りでいるところを横から見ていますと、何かに憑(つ)かれているようなんですよ。話をして見ても、言語のはっきりしている割合に、どことなく陰険(いんけん)なんです。それに勝見はこんな顔をしていたかしらと思うこともあるのです。あの眼。このごろの勝見の眼は、死人の腐肉を喰べた人間の眼ですよ」
「そりゃ、よくないね。君は神経衰弱にかかっているようだよ。養生しなくちゃ……」
「神経衰弱なんでしょうか?……でも気味が悪いんですもの。わたしもあの男に喰べられてしまうかも知れないわ」
「馬鹿なことを言っちゃいけない。だからこれからは、麻雀競技会を時々開いて大勢の人に来て貰うのさ。今に、親類のように親しくなる人が三人や四人は出来るよ」
「勝見に暇をやることはいけなくって?」
「ウム。いけないこともないが、時期がある。つまらないことを喋られてもいやだからな」
「私はもうこの館(うち)が、いやになったわ」
 兄は毎日を家の中に居て、別にすることなく暮していました。言わば、典型的な有閑階級に属する人間でした。そういう種類の人間は必ず何か趣味を持っているものなのですが、兄の場合には強いて挙げるならば三つの趣味とも娯楽ともつかないものを持っていました。
 その一つは、麻雀でした。彼はこの勝負事に一時かなり熱中したことがありました。多分最初は、麻雀という時間のかかる競技が、彼のように多くの閑を持つ人間を、無聊(ぶりょう)から救ってくれたからでありましょう。しかし段々と競技をすすめて見ると、一か八かの勝敗から、その日、その月の彼の運命が勝負の中に織りこまれて来るのを、喜ぶようになったらしいのです。
 あとの二つは、園芸と、物理学の実験とでありました。園芸の方は、半分は他人委せであったのにひきかえて、物理実験の方は一から十まで彼自身が手を下してやりました。それも人に煩わされることが多いというので、最近には、別に小さい物理実験室を、赤耀館から小一町も距(へだた)ったところに建てて、時には一日中も其の中に立籠(たてこも)っていることがありました。彼の実験は、勿論、博士論文を作ろうとするわけでもなく、普通の物理実験教材に散見する程度のもので、無線電信の時報信号を受けたり、毎日の温度や湿気や気圧の変化を調べたり、又好んで分析光学に関するものをやっていました。分光器の調整を壊されたり、X線発生装置の管球に罅(ひび)をこしらえられるのを嫌って、掃除人は勿論のこと、嫂さえなかなか入れず、いつもは、たった一つしかない表の入口に、複雑な錠前をかけて置くことにして居りました。
 兄にとっては、実験に倦(あ)きると、花壇に出て、美しい花を摘み、夕餐(ゆうはん)がすむと、嫂と百合子と、執事の勝見を相手に麻雀を闘わすのが、もっとも彼の動的な生活様式で、あとは唯もう、赤耀館の中で瞑想に耽(ふけ)っているという風でした。
 さて赤耀館を明るくするための麻雀競技会が六月の二十九日の夕刻から開かれました。八十名に近い若い麻雀闘士(マージャニスト)が、鯨ヶ丘の上に威勢よく昇って来ました。麻雀聯盟の委員長である賀茂子爵の鶴のような痩身の隣りには、最高の段位を持つ文士樋口謙氏の丸まっちい胡桃(くるみ)のような姿を見かけました。五月藻作氏と連れ立った断髪の五月あやめ女史や、女学校の三年生で三段の腕を持つ籌賀(ちゅうが)明子さんなどの婦人客が一座の中に牡丹(ぼたん)の花のように咲いていました。あちこちで起る笑声が、高い天井にまで響き上り、シャンデリアの光も、今宵はいつもより明るさを増していたようです。兄夫婦はこの上ない上々機嫌で、満悦の言葉を誰彼に浴びせかけていました。この陽気さに赤耀館の悪魔は今夜、どこかの隅へ追放されなければなりませんでした。
 競技が始ると一座はしんとして来ました。折々「チー」や「ポン」の懸声があちこちに起り、またガチャガチャと牌(パイ)をかきまわす異国情調的な音が聴えて来ました。どうしても来ない客が二人ほどあったために兄夫婦はあとにのこっていなければなりませんでしたが、賀茂子爵のアドヴァイスにより、夫妻の卓(テーブル)には姪の百合子と執事の勝見とが入って競技をはじめることになりました。
 二荘目(そうめ)の東風戦(トンフォン)に、少女麻雀闘士の明子さんが、九連宝燈(チューレンポートン)という大役を作りあげたので、その卓の近所からはわッと喚声が湧き上りましたが、それを最高潮として、一座はだんだん気味のわるい静寂に襲われて来ました。兄夫妻の卓では、勝見がしきりに大当りをやっていましたが兄と嫂との方は一向にふるわず、二回戦の終りに兄は四千点以上も負けてしまいました。嫂は嫂で、何をぼんやりしていたものか満貫をふりこみました。百合子は、大して上手な方ではなかったが、兄夫妻の当らないためにか、すこし宛勝っていた様子でした。
 第二回目の戦が終ったのが午後九時すこし前でした。皆はほっとした顔付で静かに煙草をくゆらしたり、貼(は)り出された得点表の前に雑談を交えたりしていました。いよいよ最後の第三回戦は九時五分過ぎから、始められるのです。手伝いに来ていたボーイが、冷たいレモナーデのコップを配りました。それは興奮を癒(いや)すための、まことに爽(さわ)やかな飲料でもあり、蒸し暑くなって来た気温を和げるための清涼剤でもありました。
「やあ、とうとう降って来た。凄い大粒だ」
 窓近くにいた誰かが喚(わめ)くのをきっかけに、窓外の闇をすかして、銀幕を張ったような大雨が沛然(はいぜん)と降り下りました。硝子戸をバタバタと締める音がやかましく聴えます。その騒ぎの中に時計は九時を五分過ぎ、十分過ぎ、もうかれこれ十五分を廻りましたが、一向試合開始のベルが鳴る様子がありません。
「どうしたんです。主人公は?」賀茂子爵が苛々(いらいら)した風で、奇声を張り上げました。
「どう遊ばしたのでしょうか。私も先程から不思議に思っていたのでございますが……。少々御待ち遊ばして。お室を探して参りましょう」
 執事の勝見が不安の面持で、急いで探しに行きました。しかし兄の姿は階上の私室にもなく、廊下にも発見することが出来ませんでした。階段の下で、これも兄を探しているらしい百合子と出会いましたが、彼女は、
「勝見さん、兄さんは屹度(きっと)実験室よ、行ってみて下さい」
「承知しました。――奥様は?」
「姉さんはあちらよ。姉さんがそう言ったわ、銚子無線の時報(タイム・シグナル)を聞きに行ったんでしょうって……」
 勝見は本館を離れて屋外の闇に走り出ました。雨は今の大降りをケロリと忘れたように小やみになっていましたが、赤耀館の真上には、墨を流したような黒雲が渦を捲きつつ垂れ下っていました。
 勝見が気でも変になったような大声を挙げ、競技会のある大広間に飛びこんで来たのは、それからものの五分と経たないうちでした。
「主人が実験室に卒倒して居ります。どなたか、手をお貸し下さい。早く、早く……」
 こう叫ぶと彼は身体を飜(ひるがえ)して駆け出しました。一同は呀ッと声を合せて叫びましたが、勝見の後を追って戸外の闇の中に犇(ひしめ)きながら、実験室のある方向へ走って行きました。雨はもうすっかり上っていたようです。
 実験室の建物は、四角な身体を、黒々と闇のなかに浮ばせていました。正面に長方形の扉が開きっぱなしとなり、黄色い室内の照明が、戸外にまで流れていました。それが黒猫の瞳(ひとみ)ででもあるかのように気味のわるい明るさを持っていました。
 一同は雪崩(なだれ)を打って実験室の中へ飛び込んだものですから、またたく間に室の中は泥足で蹂躙(じゅうりん)せられてしまいました。兄は、自記式(オートグラフィック)の気温計や、気圧計や、湿度計がかけてある壁の際に、うつぶせになって仆れていました。勝見と賀茂子爵とが兄の身体を卓子(テーブル)の上に移しました。そのとき卓子の上に、コップが一つ置かれていましたが、その底には僅かにレモナーデの液体が残っていたそうです。嫂は物も得言(えい)わず、ただうちふるえて兄の身体をゆすぶっていましたが、百合子が「姉さん、しっかりして頂戴」と後から囁(ささや)きますと、そのままとうとう百合子の腕の中に気を失ってしまいました。それで騒ぎは益々大きくなって行ったのです。一座の中には、医学博士やドクトルも居たので、両人には割合に手早く手当が加えられました。嫂は、まもなく蘇生(そせい)して、元の身体に回復しましたが、兄の方は遂に息を吹きかえしませんでした。その死因は、たしかなこととて判らないのですが、心臓麻痺らしいという見立てでありました。死因に疑いを挟んだ医学者も居たのでしょうが、その場のことですから口を緘(かん)して語らなかったのでしょう。こんな風にして、兄はとうとう赤耀館の悪魔の手に懸ってしまったのです。
 麻雀競技会は勿論中止となり、参会者はこの不吉な会場からそれぞれ引上げようとした時、ドヤドヤと一隊の警官や刑事が大広間に入って来たので、一座は俄かに緊張の空気に圧(お)されて息ぐるしくなりました。この前、笛吹川画伯のとき検屍にやって来た尾形警部の姿が、警官隊の先頭に見えましたが、警部は興奮をやっと怺(こら)えているらしく病人のような顔に見えました。
「皆さん、まことにお気の毒に存じますが、一通り本件の取調べがすみますまで、この室から一歩も外へお出にならぬように……。これは警視庁からの命令でございます」
 警部が開口一番、いきなり厳然たる申渡しをいたしましたので、一座は不安とも不快ともつかぬ気分に蔽われてしまいました。中には、赤耀館にフラフラ迷い込んで来たことを一代の失敗のように愚痴(ぐち)るひともありましたし、又、医師は心臓麻痺で頓死したというからには普通の病死であるものを、なぜ犯罪事件らしい取扱いをし、我々の迷惑をも顧みず、この夜更けに留め置くのかと、不平を並べる人もありました。兄を診察した医学者たちは、警部の後に随(したが)って、大広間を出て行きました。実験室へ一行は入ってゆきましたが、泥田のように多勢の人々によって踏み荒された室内の有様を一目見た警部は、とうとう怺えかねたものと見えて「しようがないなア、チェッ」と舌打ちをしたことです。
 実験室で早速訊問が開始せられました。嫂、百合子、勝見やボーイ、女中をはじめ、看護をした医学者たちを通して知ることの出来た事実は、極く僅かなものでした。それを綜合してみると、兄は九時の無線時報信号を聴取するために、その時刻にこの室を訪れたこと、しかし連(つ)れがあったか、又は無かったかは不明なること、レモナーデのコップは兄が持って来たのか又は他の人が持って来たのか不明であるが、兎も角も卓子の上にのっていたこと、但しボーイは兄にレモナーデを手渡しした覚えのないこと。兄の死は急死であり、時刻は九時から九時十五分までの間であること、凡(およ)そこればかりの貧弱な材料でした。
 医学者に対しては、病死と変死との孰(いず)れであるかという質問が発せられましたが、その答えはどれも不決定的なものであり、解剖を待つより外に死因を決定する手段はあるまいとのことでした。警部は早速屍体解剖の手続をとるよう部下の警官に命じました。
 兄の死の前後の様子も調べあげられました。が、実験室に行ったことを嫂が知っていたのは、それが兄の毎日の習慣だったからであるということでした。嫂の外には、その習慣を知っている者はありません。その時間に何処にいたかという質問が、関係者一同に発せられました。嫂は、一寸自分の室へ休憩に行ったと言いました。百合子は大広間へのレモナーデの準備をお手伝いさんたちとしていたと言いました。勝見は廊下に立ってボーイを指揮したり、賀茂子爵のお相手をしていた。これは子爵やボーイに聞いて貰えば直ぐにわかることだ、と陳述いたしました。ボーイは、勝見の指揮を受けたことを覚えていましたが、勝見がいつも廊下に立っていたかどうかは知らないということでした。百合子と一緒に働いていたお手伝いさんは、百合子が別に勝手元を離れたことはなかったようだと証言しました。しかし嫂が私室へ入るのを見たという雇人は、不幸にして見当りませんでした。何しろ混雑の折柄のことですから、皆の行動の立証方法の甚だ曖昧(あいまい)であったのも已(や)むを得なかったことでしょう。
 次に警部の一行は、室内捜査を開始いたしましたが、尾形警部は、ここで再び、いまいましそうに舌打ちをいたしました。というのは兄の死後、多数の人達がワッと押しかけて来たため、参考になるようなことが全く判らないのです。警部は、犯罪捜査に当る者の直感から、またつい先頃の笛吹川画伯の頓死事件と本件とを照し合わせた結果、兄の死は充分、他殺であると疑っていいと思っている様子でありました。室の中を、あちこちと探しまわっていた警部の顔は、だんだんと曇って来ました。とうとう彼は室の真中に棒立ちとなって呻(うめ)くようにこんなことを呟(つぶや)いたのでありました。
「この室に残された記録から、犯人を探し出すことは絶望である。コップの上に印された指紋をとろうと思えば、まるで団扇を重ねたように沢山の人々の指紋だらけで識別もなにも出来たもんじゃない。この泥足の跡も結構だが、これでは銀座街頭で足跡を研究する方がまだ容易かも知れない。犯行時間に確実なる現場不在証明(アリバイ)をなし得る人間は九十名近い人達の中で二十名とあるまい」
「この証拠湮滅(しょうこいんめつ)は、あまりに立派すぎる。偶然にしてあまりに不幸な出来事だし、若し故意(こい)だとするとその犯人は鬼神のような奴だと言わなければならない。他殺の証拠を見付けることは困難だ。結局病死とするのが一番平凡で簡単な解決だ。しかし自分は到底(とうてい)それで満足できないのだ。この上は屍体解剖の結果を待つより外はあるまい」
 尾形警部は大広間に帰って来ました。無駄とは思いながらも、八十名の参会者を片っ端から訊問して行ったのです。その結果は予期の通りで別にこれぞと思う発見もなく、それかと言って事件に関係のないことを保証することも躊躇(ちゅうちょ)されたのです。警部は我が身を、フィラデルフィア迷路の中に彷徨(ほうこう)しながら精神錯乱した男に較(くら)べて、脳髄のしびれて来るのを感じたことでありました。
 兄の屍体は法医学教室で解剖に附せられました。其の結果を受けとった尾形警部は、力もなにも抜けてしまって、机の上に顔を伏せました。報告書には次のような意味のことが書いてあったのです。
「自然死か毒死かの判別は不幸にして明瞭でない。毒死を立証する反応は明瞭に出て来ない。それかと言って自然死であるとも言うことが出来ない。たとえば微量の青酸中毒による死の如き、これである。今日の科学はこの程度の鑑別をするだけに進行していないことを遺憾とする」
 最後の望みの綱も切れてしまったので、警部の無念を包んだまま、兄の急死事件も抛棄せられました。独逸に居た私は、嫂からの急電により、この変事を知りましたが、即刻帰朝の決心をし、その旨を嫂に向けて返電いたしました。しかし、如何に早く帰国したいと言って、西伯利亜(シベリア)鉄道を利用することも、米国まわりにすることも、私の健康が許されそうもなかったので、矢張り四十日を費して欧州航路を逆にとることにしました。このことは電報の中に書いて置いたのです。
 一方、兄の急死によって陰鬱(いんうつ)さを増した赤耀館では、雇人が続々と暇を願い出ました。嫂も百合子も、盛んに慰留しましたが、彼等はどうしても止(とど)まろうとは申しません。勝見は嫂や百合子と雇人たちの間に立って苦しんでいましたが、遂に彼自身すら、暇を願い出るようなことになりました。
「勝見さんも止したいというの。皆の真似(まね)をしなくてもいいでしょう」と百合子が皮肉めいた口を利きました。
「決してそう言うわけではありません。唯私の健康状態が許しませんので……」
「あんたが居なくなっちゃうと、今度は、姉さんの健康状態がわるくなってよ」
「どういたしまして。お姉様のようにお美しい方のところへは、幾人でも忠実な男がやって参ります」
「まあ、勝見さん。お上手なのねえ――。そしてあんたは、何処がお悪いの?」
「一寸申上げ兼ねる健康状態でございます。いずれ其の内には判ってしまいましょうが、私の口から申し上げることはお許し下さい」
「百合子ちゃん。仕方がないのよ、帰しておやりなさい」嫂は沈黙を破って突然こんなことを言いました。
「そーお」百合子が不平らしく黙ってしまうと、勝見はしずかに頭を下げ、別れの挨拶をして出て行きました。
「赤耀館の悪魔は出て行った。ホホホホ」嫂がヒステリカルに高い声をあげて笑いました。
「でも魅力のある悪魔なんでしょう。姉さん、あたし、なにもかも知っててよ」
「出て行ったんだから、何も言うことはないでしょう。百合ちゃん。あの人は悪魔でも、あれからこっち外(ほか)に相談する男のひともないんですもの」
「姉さんは、水臭(みずくさ)いひと」なにか外のことを考えているらしく、百合子が言いました。
 勝見が此の家を去ってからのち、嫂は果してすこしずつ、不健康になって行ったようです。ときには、ひどい発作(ほっさ)を起して、流石(さすが)の百合子も介抱に困(こう)じ果ててしまうことさえ稀(まれ)ではありませんでした。そうしたときに、嫂の感情を和(やわら)げる唯一つのものは、寄港地や船から打って寄こす、簡単な私の電文であったそうです。
 其の年は不思議な気象状態で、七月の半を過ぎても、夏らしい暑さは来ず、途上の行人はいつまでもネルやセルの重い単衣(ひとえ)に肌をつつんで居りました。それは七月三十日のことです。嫂(あによめ)はいつになく機嫌がよく、朝からそわそわと衣裳を出して眺めたり帯上げをあれやこれやと選りわけたりしていましたが、気に入ったのが見付かったのか、着物を着換えると、行先も言わず、ただ東京まで行って来るからと百合子に言いのこした儘、外出いたしました。ところが嫂は、その夜遅くなっても帰って来る様子がなく、眠りやらぬ百合子は遂に次の日の暁が、東の窓から明るく差し込んで来るのを迎えました。今日こそおひる頃までには帰って来るであろうと、眠さも忘れ唯不安な気持一杯で待ち尽しましたが、これも亦(また)空しい期待に終りました。それから夕陽が赫々(かくかく)と赤耀館の西側の壁体に照り映えるころを迎えましたが、窓から街道を見下していても、鯨ヶ丘を指して帰って来る嫂の姿は発見されなかったのです。やがて恐怖に充ちた夜が来ました。百合子はお手伝いさん達を駆りあつめて自分の室に共に寝をとらせましたが、どうしても寝つかれません。ちょろちょろと眠ると何だか真黒な魔物に乗りかかられた夢を見て呻(うな)されたり、その毎にべとべとになった寝衣を着換えたりいたしました。深夜の沈黙は死のように静かでありましたが、時々赤耀館のどこかの室で、トーントーンという鈍い物音がきこえ、其の度に胸がわくわくするのを覚えました。
 嫂の変死の報せが赤耀館に到着したのは、その次の日の早朝であったのです。百合子は呆然(ぼうぜん)としてしまって、どうしたものやら途方に暮れてしまいました。
 使いの警官の話では、嫂らしい人が、築地の某ホテルの一室に死んでいるから、早く見に来て呉れということでした。百合子は事情をうちあけた上、これではとても自分では処理がつかないから、元此の家に勤めていた勝見伍策を警察の手で呼びよせて呉れるように、彼が残して置いた郷里の所書を示して頼みました。そして警官の案内で、その築地の某ホテルへ、すすまぬ足を運んで行ったのです。
 築地の川べりに近く、真黄色な色にぬられた九階だての塔のような建物がありますが、それがそのホテルなのです。入って行きますと、見知り越しの尾形警部が、いまにも仆れそうな青い顔をして、百合子を迎えましたが、すぐ現場へ案内して呉れました。それはバスルーム付きの十六畳もあろうと思われる大きな贅(ぜい)を尽した部屋でした。室の一隅には、大型のベッドが二台並んでいます。その一方に死んでいるのが、紛(まご)う方(かた)なき嫂の綾子なのでした。
「一体どうしたのでございましょう?」百合子は縋(すが)りつかんばかりにして尾形警部に尋ねかけたのでした。
「さあ、どうしたものですか」と警部もすこし顔を和げてこれに答えました。「今度は一つ徹底的な捜査をしたいと思っています。幸(さいわい)に事件は私に委されましたし、現場もこの通りあまり荒されていませんので、きっと何か判ることと思います。その前に是非とも貴女にお伺いしたいことがあるのですが……」
 と百合子を別室に導き、嫂の近情や、家を出た前後の模様などを訊(たず)ねました。
 赤耀館は厳重な家宅捜査をうけ、ことに嫂の室は壁紙まで引きはがすほどの徹底さを以て探査をすすめられた結果、数束の嫂へあてた手紙が悉(ことごと)く其の筋へ押収せられました。中でも尾形警部が、特に注意して読んだものは、兄丈太郎から貰ったものの外に、笛吹川画伯、勝見伍策、それから私からの手紙でありました。
 嫂の屍体は、入念に法医学教室で解剖に付せられましたが、消化器と循環器との系統のものは、どんな微細な点までも、剖検(ぼうけん)されたのです。
「お嬢さん、今度はすこし手応(てごた)えがあったようですよ」と尾形警部が、心持ち顔を明るくしながら言ったことです。「お姉様の死は、疑いもなく青酸中毒から来ているのです」
「青酸中毒でございますって? では姉は殺されたので御座いますか、それとも自殺でございましょうか」百合子は身を震(ふる)わせながら警部の言葉を待ちました。
「他殺か自殺か、それは未だ残された問題なのです。ですが解剖の結果、青酸中毒の反応が充分出て来たことと、青酸加里を包んであったらしいカプセルの一部が胃の中に発見せられました。それからお姉様の枕頭にはレモナーデのコップがあったのです。覚えていらっしゃいますか、お兄様の死体の側にもレモナーデのあったことを。それから、これは一寸お嬢様には申し上げ悪(にく)いことなのですが、お姉様のおやすみになった寝台には何者か男性がいたことが確認されました。しかしホテルの方では、お姉様はたしかに人をお待ちのようでしたが、その人は遂に来なかったらしいと申しています。恐らく、男はその旅館の中に、知らぬ顔をして泊っていたのでしょう。しかし自殺か他殺かは、前にも申した通りわかっては居りません。只今は、極力、お姉様と一夜を共にした男を捜査中でございます」
「では、兄も青酸で死んだのでございましょうか」
「恐らくそうであろうと思います。この方も改めて調べて見たいと思うのですが、その前に是非お訪ねしたいのは、勝見伍策とお姉様の関係について、御存知の事実をお話し下さいませんか。いや、もう大体の見当は、お姉様の室にあった手紙から判っているのですが……」それは警部の嘘であった。
 百合子は、すっかりその手に乗せられて、嫂が兄の死後、勝見にたよっていたこと、又勝見が深夜に嫂の室を訪ねるのを見たことなどをうちあけてしまいした。警部は満悦そうに頷(うなず)き乍ら、
「お兄様の御生前には、そうしたことをお気付きでありませんでしたか」
「疑えば疑えないでもありませんが、よくは存知(ぞんじ)ません。唯、兄と姉とが、勝見のことで変に皮肉な言葉のやりとりをしているのを一二度、耳にしたことがございました」
「いや、よく判りました。おっつけ勝見を呼び出しますから、一層事実がわかることでしょう」
 尾形警部は、その上で、笛吹川画伯や兄や私について、詳細をきわめた質問をしたそうです。百合子は、これから力になって貰いたいと思う勝見に、香(かんば)しくない疑惑のあるのを情けないことに思いました。この上は、もはや、印度(インド)洋あたりを航海している筈の私の帰朝の一日も早いことを祈らずにはいられなかったのです。しかし彼女は始めて私に会うわけなのですから、私という男がどんな人間であるかも判りかね、幾分の不安を伴うのでありました。
 尾形警部は勝見の引致が大変手間どれるのに苛々していました。警部は、勝見を兄夫妻殺しの犯人と睨(にら)んでいたのでした。ホテルで嫂と一夜を明かしたものは、勝見であるに違いはないのです。勝見を訊問することにより笛吹川画伯の頓死に溯(さかのぼ)り、赤耀館事件の一切が明白になると考えて、夜の目も睡られぬほどに興奮していました。
 ところが予定よりも数日おくれて、勝見を迎えにやった腕ききの刑事が、狐につままれたような顔をして尾形警部の前にぼんやり立ちました。
「どうしたんだ、勝見はどうしたんだ?」尾形警部は気の短かそうな声を張りあげたのでした。
「どうもおかしなことになりました。私は早速(さっそく)、彼奴の郷里である岡山県のS村に行きましたが、彼奴の居所がさっぱりわからないのです。村の人達にきいてやっと知れたことは、勝見は病気のため村を去ったそうです」
「病気? そしてどこへ行ったのか?」
「村人の話では、肉腫(にくしゅ)が出来ていたそうで、実に気の毒なことだと言っています。行先は村役場できくことが出来ましたが、K県の管轄になっている孤島であります。療養所が設けられてあるところだそうです。私は思い切ってその島を尋ね、勝見に会って来ましたが、気の毒なものです。しかし勝見の写真で見覚えのある面影があった上に、赤耀館のことも何から何までよく知っていましたから、勿論勝見に違いありません。そんなわけで彼奴をひっぱって来ることは、絶対に不可能なんです。それにひっぱって来たって駄目なことが判りました。というのは、綾子夫人が死んだ七月三十日には、彼奴は療養所の中から一歩も外へは出なかったことが判明したのです。御覧なさい、ここに療養所長の証明書があります」
 尾形警部は沈痛な面持で、療養所長の証明書を一瞥(いちべつ)しました。大きな四角い字で次のような字句が記されてあったのです。

        証明書
勝見伍策明治三十一年九月九日生 右ハ本療養所患者ニシテ七月三十日ハ其ノ病室ニ在リテ正規ノ療養ニ尽シタルコトヲ証明ス

「そんなことがあり得るだろうか。この勝見の現場不在証明(アリバイ)は、この証明書から最早絶対に疑うことが出来ない。しかも綾子夫人は七月三十日にあのような死に方をしている。夫人を殺したのはどんな男だ? それは全く手懸りがなくなった。夫人の毒死が判り、一夜を明した男のあるのも判っているのにも係(かか)わらず、この事件は又、遂に結論を『自殺』へ持って行かねばならないのか。自分の直感は、この平凡な結論を嘲笑(ちょうしょう)する。その男が流しの殺人犯人だとも考えられない。鳴呼(ああ)、自分の頭脳は全く馬鹿になってしまった」
 尾形警部は、刑事の居るのもうち忘れて、机の上に顔を伏せると声をあげて泣き始めました。翌日から警部は病気と称して引籠(ひきこも)ってしまったのです。それで嫂の死は、自殺であると見做(みな)して一先ず事件の幕は閉じられてしまったのです。
 百合子は赤耀館にさびしい不安に充ちた生活をしていました。彼女は、ここを立ち去る力もなく、ただ八月の月半ばまでには帰って来るであろうところの私を待ち佗(わ)びていたのです。その待ちに待たれた私は、八月の月半ばは愚かなこと、九月の声をきくようになっても、赤耀館に姿を見せませんでした。ただ、門司から「帰国はしたが、用事が出来たため赤耀館へ帰るのはすこし遅れる」という簡単な電文が百合子の許に届いたばかりでありました。
 十月の声を聞くと、満天下の秋は音信(おとず)れて、膚寒い風が吹き初めました。赤耀館の庭のあちこちにある楓の樹も、だんだん真赤に紅葉をして参りました。百合子は突然、二人の訪問客を受けて近頃にない驚きを覚えました。その内の一人は、永らく休職していた筈の尾形警部であったのです。
「お嬢様、今日は私の友人を連れて伺いましたよ。赤星五郎という、実は私立探偵なのです。例の事件について深い興味を持っている人で、今日は改めて赤耀館や、実験室を拝見させて頂こうと思って参上しました。赤星君、こちらが百合子さんと仰有るお嬢様です」
 百合子が紹介を受けた赤星探偵は、まだ年の頃は、三十になるかならぬかの若さでした。後に長く垂れ下った芸術家のような頭髪(かみ)と、鋭い眼光を隠すためだろうと思われる真黒な眼鏡とが、真先に印象されたのでありました。百合子は、尾形警部ともあろうものが、私立探偵などを引張って来たことを、可怪(おか)しく思いながら、家の一間一間を、案内して歩きました。赤星探偵は、ただフンフンと聴問しているばかりで、あまり機敏らしい様子もありません。しかし三人が兄の死んでいた実験室に入って行ったとき、百合子は初めて、赤星探偵の凡人でないのを了解することが出来ました。
「尾形さん。貴方は、大変な事実を見落していなさるよ」赤星探偵は椅子に腰を下したまま、すこし緊張に顔を赤らめてそう言ったことです。
「赤星君、君は何かを発見したかネ」
「発見したとも。犯行も、犯人も、まるで活動写真を見るように、はっきりと出ているじゃないか」
「冗談はよしてくれ、まさかそんな馬鹿なことが……」
「では兄は誰かに殺されたのでございますか?」百合子は、たまりかねて、こう質問しました。
「勿論、殺されたに違いありません」と赤星探偵は黒い眼鏡をキラリと光らせ乍ら、静かに言ったのです。「犯人を見出す見当はついたのです。そうですな、もう三十分もすれば、すっかり説明をしてあげます。尾形さん、もう十分もたてば、例の通り打合せて置いたから、この室へ電気が通ずるだろう。そうすると、あの配電盤の真白い大理石の上に、赤い電球が点くから、あなたはそれを注意していて下さい。その前に私は計算をしなければならないので、一寸失敬するよ」
 こう言って赤星探偵は懐中から広い洋紙と、細長い計算尺と、それから掌に入りそうな算盤(そろばん)とを出して卓子(テーブル)の上に並べました。それから、つと立ち上ると、兄の死んでいた場所の近くに、壁にとりつけられてあった自記式(オートグラフィック)の気温計、湿度計、気圧計の中を開いて、白い紙が部厚にまかれたものをとり出しました。その巻紙の上には、時々刻々の気温、湿度、気圧が、紫色の曲線で以て認められてあったのです。尾形警部は意外な面持で声をかけました。
「そりゃ君、犯罪となにか関係があるのかネ?」
「判りきったことを聞くじゃないか。犯人も自分の画像がこんな無神経な器械の中に、自記(セルフレコード)されていようとは思っていなかったろう」
「どこにか写真仕掛けでもあって、犯人の顔がうつっているのかい」
「じゃないんだ。ほら見給え、この紫の曲線を。こいつを飜訳して見ると、犯人の画像が、ありありと出て来ようという寸法さ。しばらく質問を遠慮して呉れ給え」
 赤星探偵は、紫の曲線を睨みながら、計算尺を左右に滑らせたり、紙の上に数字を書きとめたり、算盤をパチパチとはじいたりしていました。そうかと思うと、急に立上って入口の方へとんで行き、捲尺を伸して入口の寸法をとったり、空気ぬきの小窓の大きさを調べたりするのでありました。尾形警部はこれをうち眺め、唯もう目をパチパチするばかりで、探偵から言いつかった配電盤の上を注意することさえ忘れているようでした。
「どうしたんです、尾形さん。パイロットの赤ランプが点いているじゃありませんか、さあこれから、すこし面倒な実験をやります。尾形さんは、私の言ったように、外に居て、私達の持って来たX線の装置を壁に添い、静かに動かして呉れ給え。此の室は暗室にして、私が独り居ましょう。お嬢様は外へ出ていらっしゃってもよろしいし、おいやでなければ此室に居て下さい。なにか面白いものをお目にかけられるかもしれないのです」
「私はこの室に居とうございますわ」
「そりゃ勇しいことですな。ですが、私の許しを得ないで無暗に動き廻ると、X線を浴びて石女(うまずめ)になるかも知れませんよ。はっはっ」
「まア」
 赤星探偵は時間を打ちあわせ、尾形警部を外に出しました。いつの間にこの建物の外に搬(はこ)んで来たものか、そこには一台の移動式X線装置が置かれてありましたが、警部は時計を見つつ、心得顔にスイッチを抑え、抵抗器の把手(ハンドル)を左右へまわすのでした。ジージーと放電の音響がきこえ、X線は実験室の壁をとおして内部へ入ってゆくようでした。暗室の内では、鉛(なまり)の前垂(まえだれ)をしめた赤星探偵が、大きな石盤のような形をした蛍光板(けいこうばん)を目の高さにさしあげ、壁とすれすれにそれを上下に動かしています。探偵の夜光時計が二分を刻むごとに、彼は一歩ずつ左へ体をうつし、前と同じような恰好(かっこう)で蛍光板をのぞきこむのでありました。時には手をのばして蛍光板と壁との間にさし入れ、鉛筆でなにやら壁の上に印をつけているようでした。二十分もすると実験は一(ひ)と先(ま)ず終了しました。黒い毛繻子(けじゅす)のカーテンを、サッと開きますと、明るい光線がパッとさしこんで来たので、百合子は頭がくらくらしたので両眼を閉じました。やがて静かに眼を開いてみますと、壁の上に鉛筆で黒々といたずら書きのしてあるのに気がつきました。それは下手(へた)なデッサンを見るように、首から上のない人間の形のように見えました。
「赤星さん、それはなんでございますの?」といぶかしそうに百合子が訊ねかけたとき、表から尾形警部が入って来ました。
「どうだね、うまく出たかしら」
 赤星探偵が黙って指した方を見た警部は、
「フーム」
 と首をかしげて何か考えているようでしたが、
「こりゃ君、婦人じゃないか。それも、綾子夫人の身体と同じ位の大きさだ」
「お嬢様、亡くなった奥様の洋服を一着、借して頂きとう存じます」
 と赤星探偵が言いました。
 本館からとり寄せた綾子夫人の洋服を、この壁の上にしるし出された人型(ひとがた)の上に重ねてみますと、正しくピタリと大きさが合うではありませんか。肩胛骨(けんこうこつ)や臀部(でんぶ)のあたりは特によく一致していました。
「お嬢さん、不思議なことを御覧になったでしょう。私達の試みは今のところ、半分は成功し、半分は失敗に終りました。成功の方の半分を、尾形さんと共にきいていただきたいと思います。――私は尾形さんに事件の内容を伺ってから、これは実に恐ろしい殺人鬼の仕業(しわざ)であることを知りました。尾形さんも、そうは思っていられるものの、証拠が見付からないのでとうとう休職まですることになったのです。私は犯人があまりに用意周到なる注意を払っているのに驚きました。しかしそれは犯行を否定するような結論を導き得たのにも係わらず、皮肉にも反(かえ)って犯行のあった疑いを深く抱かせるようになりました。
 先ず、私がこの室にはいってから発見した事実が二つあります。
 それは、失礼ながら、尾形さんに不足している専門知識から初めて見出すことの出来るものなのでした。その第一は、この室の壁にかけられた自記式(オートグラフィック)の寒暖計、湿度計、及び気圧計の中にのこされてある犯行当時の記録なのです。今、六月二十九日の午後九時前後に於ける此の室の温度と湿度と気圧の記録をぬき出して一枚の紙の上に書き並べてみますと、こんな具合になりました。(と、別紙のような曲線図を示す)九時前後に於て三曲線は特異な変化を表わしているではありませんか。私共にとって幸いなことには、当夜、東京附近は急激なる気象の変化をうけたものですから、室内と室外の気象状態にすくなからぬ懸隔(けんかく)ができたため、実に著(いちじる)しい曲線の変化が起ったのです。この曲線の左の方を見ますと、横軸に記された通り、午後八時五十五分、五十六分、五十七分の附近では、湿度と気温はぐんぐん昇っているのに反し、気圧はだんだん下っています。しかしこれ等の変化はまことに円滑(スムース)に動いています。然(しか)るに八時五十八分になって、三曲線が折れたような変化をしています。湿度のごときは急に昇り、温度も著しく上を向き、気圧は急降しています。
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