旧主人
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著者名:島崎藤村 

旧主人島崎藤村    一 今でこそ私もこんなに肥ってはおりますものの、その時分は瘠(やせ)ぎすな小作りな女でした。ですから、隣の大工さんの御世話で小諸(こもろ)へ奉公に出ました時は、人様が十七に見て下さいました。私の生れましたのは柏木(かしわぎ)村――はい、小諸まで一里と申しているのです。 柏木界隈(かいわい)の女は佐久(さく)の岡の上に生活(くらし)を営(た)てて、荒い陽気を相手にするのですから、どうでも男を助けて一生烈(はげ)しい労働(はたらき)を為(し)なければなりません。さあ、その烈しい労働を為(す)るからでも有ましょう、私の叔母でも、母親(おふくろ)でも、強健(つよ)い捷敏(はしこ)い気象です。私は十三の歳(とし)から母親に随(つ)いて田野(のら)へ出ました。同じ年恰好(かっこう)の娘は未だ鼻を垂して縄飛(なわとび)をして遊ぶ時分に、私はもう世の中の歓(うれ)しいも哀(かな)しいも解り始めましたのです。吾家(うち)では子供も殖(ふえ)る、小商売(こあきない)には手を焼く、父親(おやじ)は遊蕩(のらくら)で宛(あて)にもなりませんし、何程(なんぼ)男勝(まさ)りでも母親の腕一つでは遣切(やりき)れませんから、否(いや)でも応でも私は口を預けることになりました。その頃下女の給金は衣裳(いしょう)此方(こちら)持(もち)の年に十八円位が頂上(とまり)です。然し、私は奥様のお古か何かで着せて頂いて、その外は相応な晴衣の御宛行(あてがい)という約束(きめ)に願って出ました。 金銭(おかね)で頂いたら、復(ま)た父親に呑まれはすまいか、という心配が母親の腹にありましたのです。 出るにつけても、母親は独(ひとり)で気を揉(もん)で、「旦那(だんな)様というものは奥様次第でどうにでもなる、と言っては済まないが」から、「御奉公は奥様の御機嫌(きげん)を取るのが第一だ」まで、縷々(さんざん)寝物語に聞かされました。忘れもしない。母親に連れられて家(うち)を出たのは三月の二日でした――山家(やまが)ではこの日を山替(でがわり)としてあるのです。微(すこ)し風が吹いて土塵(つちぼこり)の起(た)つ日でしたから、乾燥(はしゃ)いだ砂交りの灰色な土を踏(ふん)で、小諸をさして出掛けました。母親は新しい手拭(てぬぐい)を冠(かぶ)って麻裏穿(あさうらばき)。私は萌黄(もえぎ)の地木綿の風呂敷包を提(さ)げて随いて参りましたのです。こうして親子連で歩くということが、何故かこの日に限って恥しいような悲しいような気がしました。浅々と青く萌初(もえそ)めた麦畠(むぎばたけ)の側を通りますと、丁度その畠の土と同じ顔色の農夫(ひゃくしょう)が鍬(くわ)を休めて、私共を仰山らしく眺(なが)めるのでした。北国街道は小諸へ入る広い一筋道。其処(そこ)まで来れば楽なものです。昔の宿場風の休茶屋には旅商人(たびあきんど)の群が居りました。「唐松(からまつ)」という名高い並木は伐(きり)倒される最中で、大木の横倒(よこたおし)になる音や、高い枝の裂ける響や、人足の騒ぐ声は戦闘(いくさ)のよう。私共は親子連の順礼と後(あと)になり前(さき)になりして、松葉の香を履(ふん)で通りました。 小諸の荒町から赤坂を下りて行きますと、右手に当って宏壮(おおき)な鼠色の建築物(たてもの)は小学校です。その中の一棟(むね)は建増(たてまし)の最中で、高い足場の内には塔の形が見えるのでした。その構外(かまえそと)の石垣に添(つい)て突当りました処が袋町(ふくろまち)です。それはだらだら下りの坂になった町で、浅間の方から流れて来る河の支流(わかれ)が浅く町中を通っております。この支流(ながれ)を前に控えて、土塀(どべい)から柿の枝の垂下っている家が、私共の尋ねて参りました荒井様でした。見付(みつき)は小諸風の門構でも、内へ入れば新しい格子作(こうしづくり)で、二階建の閑静な御住居(すまい)でした。 丁度、旦那様の御留守、母親(おふくろ)は奥様にばかり御目に懸(かか)ったのです。奥様は未だ御若くって、大(おおき)な丸髷(まるまげ)に結って、桃色の髪飾(てがら)を掛た御方でした。物腰のしおらしい、背のすらりとした、黒目勝の、粧(つく)れば粧るほど見勝(みまさ)りのしそうな御容貌(かおだち)。地の御生(おうまれ)でないということは美しい御言葉で知れました。奥様の白い手に見比べると、母親のは骨太な上に日に焼けて、男の手かと思われる位。「奥様、これは御恥しい品(もの)でごわすが、ほんの御印ばかりに」と母親は手土産(てみやげ)を出して、炉辺(ろばた)に置きました。「あれ、そんな心配をしておくれだと……それじゃ反(かえっ)て御気毒ですねえ」「否(いいえ)、どう致しやして。家で造(こしら)えやした味噌漬(みそづけ)で、召上られるような品(もの)じゃごわせんが」「それは何よりなものを――まあ、御茶一つお上り」「もう何卒(どうぞ)御構いなすって下さいますな」「よくまあ、それでも早く来てくれましたねえ。あの、何ですか。名は何と言いますの」「はい、お定と申しやす。実(まこと)に不調法者でごわして。何卒(どうか)まあ何分宜(よろ)しく御願申しやす」 私はつんつるてんの綿入に紺足袋穿(こんたびばき)という体裁(しこう)で、奥様に見られるのが何より気恥しゅう御座(ござい)ました。御傍へ添(よ)れば心持の好い香水が顔へ匂いかかる位、見るものも聞くものも私には新しく思われたのです。御奉公の御約束も纏(まとま)りました。母親は華麗(はで)な御暮(おくらし)や美しい御言葉の裡(なか)に私を独(ひとり)残して置いて、柏木へ帰って了(しま)いました。 御本宅は丸茂(まるも)という暖簾(のれん)を懸(かけ)た塩問屋、これは旦那様の御兄様(おあにいさま)で、私の上りました御家は新宅と申しました。御本宅は大勢様、奉公人も十人の上遣(つか)っておりましたが、新宅は旦那様に奥様、奉公人といえば爺(じい)さんが一人と、其処へ私が参りましたから、合せて四人暮。御本宅は旧気質(むかしかたぎ)の土地風。新宅は又た東京風。家の構造(つくり)を見比べても解るのです。旦那様は小諸へ東京を植えるという開けた思想(かんがえ)を御持ちなすった御方で、御服装(おみなり)も、御言葉も、旧弊は一切御廃し。それを御本家では平素(しじゅう)憎悪(にく)んでいるということでした。 まあ、聞いて下さい。世には妙な容貌(かおだち)の人もあればあるもので、泣いている時ですら見たところは笑っているとしか思われないものがあります。旦那様のが丁度それで、眼の周囲(まわり)の筋の縮んだ工合から口元と頬(ほお)の間に深い皺(しわ)のある御様子は、全く旦那様の御顔を見ると笑が刻んであるようでした。さ、その御顔です。一時(いっとき)も油断をなさらない真面目(まじめ)な精神(こころ)の旦那様が、こうした御顔でいらっしゃるということは、不思議なようでした。然し、それが旦那様の御人(おひと)の好(いい)という証拠で、御天性(おうまれつき)の普通(なみ)の人とは違ったところでしょう。一体、寒い国の殿方には遅鈍(ぐずぐず)した無精な癖があるものですけれど、旦那様にはそれがありません。克(よく)もああ身体(からだ)が動くと思われる位に、勤勉(まめ)な働好(はたらきずき)な御方でした。 小諸で新しい事業(しごと)とか相談とか言えば、誰は差置ても先(ま)ず荒井様という声が懸る。小諸に旦那様ほどの役者はないと言いました位です。 私が上りました頃の御夫婦仲というものは、外目(よそめ)にも羨(うらや)ましいほどの御睦(むつま)じさ。旦那様は朝早く御散歩をなさるか、御二階で御調物(しらべもの)をなさるかで、朝飯前には小原の牝牛(うし)の乳を召上る。九時には帽子を冠って、前垂掛で銀行へ御出掛(おでまし)になる。御休暇(おやすみ)の日には御客様を下座敷へ通して、御談話(おはなし)でした。尋ねて来る御客様は町会議員、大地主、商家(たな)の旦那、新聞屋、いずれも土地の御歴々です。御晩食(おゆはん)の後は奥様と御対座(おさしむかい)、それは一日のうちでも一番楽しい時で、笑いさざめく御声が御部屋から泄(も)れて、耳を嬲(なぶ)るように炉辺までも聞える位でした。その時は珈琲(コーヒー)か茶を上げました。 思えば結構尽(けっこうづくめ)の御暮です。私は洋燈(ランプ)の下で雑巾(ぞうきん)を刺し初めると、柏木のことが眼前(めのまえ)に浮いて来て、毎晩癖のようになりました。吾等(こちとら)の賤(いや)しい生涯(くちすぎ)では、農事(しごと)が多忙(いそが)しくなると朝も暗いうちに起きて、燈火(あかり)を点(つ)けて朝食(あさめし)を済ます。東の空が白々となれば田野(のら)へ出て、一日働くと女の身体は綿のようです。ある時、私は母親(おふくろ)と一緒に疲れきって、草の上に転んでいると、急に白雨(ゆうだち)が落ちて来た、二人とも起上る力がないのです。汗臭い身体を雨に打たれながら倒れたままで寝ていたことも有ました。その時に後で烈(ひど)い熱病を煩(わずら)って死ぬ程の苦(くるしみ)をいたしました。農家の女の労苦(つらさ)はどれ程でしょう――麦刈――田の草取、それから思えば荒井様の御奉公は楽すぎて、毎日遊んで暮すようなものでした。野獣(けもの)のように土だらけな足をして谷間(たにあい)を馳歩(かけある)いた私が、結構な畳の上では居睡(いねむり)も出ました位です。 何一つ御不足ということが旦那様と奥様の間(なか)には有ません。唯御似合なさらないのは御年です。ある日のこと、下座敷へ御客様が集りました。旦那様は細(こまか)い活版刷の紙を披(ひろ)げて御覧なさる、皆さんが無遠慮な方ばかりです。「こりゃ甚(ひど)い、まるで読めない」と旦那様はその紙を投出しました。「成程、御若い方の読むんで、吾儕(われわれ)の相手になるものじゃありません。ここの処なざあ、細い線(すじ)のようです」 と言いながら、一人の御客様は袂(たもと)から銀縁の大きな眼鏡を取出しました。玉の塵(ほこり)を襦袢(じゅばん)の袖口(そでぐち)で拭いて、釣針(つりばり)のように尖(とが)った鼻の上に載せて見て、「これなら私にも、明瞭(はっきり)とはいきませんけれど……どうかこうか見えます」「へえ、一寸(ちょっと)その眼鏡を拝借」と他の御客様が笑いながら受取て、「成程、むむ、これなら明瞭します」 旦那様も笑って反(そ)りかえりました。やがて、瞬(めばたき)をしたり、眼を摩(こす)って見たりして、眼鏡を借りようとはなさいません。「まあ、眼鏡はもう二三年懸けない積(つもり)です。懸けた方が目の為には好(いい)と言いますけれど」「ですから、私なざア何か読む時だけ懸けるんです」と眼鏡を出した方は仔細(しさい)らしく。「驚きましたねえ」とその隣の方が引取って、「こんなに能(よ)く見えるのかなア。ハハハハ、こりゃ眼鏡を一つ奢(おご)るかな」 終(しまい)には旦那様も釣込れて、「拝借」と手を御出しなさいました。 一人の御客様が笑いながら渡しますと、旦那様も面白そうに鼻の上へ載せて、活版刷の紙を遠く離したり近く寄せたりして御覧でした。「懸けた工合は……どうですな」と渡した方が旦那様の御顔を覘(のぞ)くようにして尋ねる。「や、こりゃ能く見える。これを懸ければすっかり読めます」「ハハハハハ、酷(ひど)いものですなア」「ハハハハハ」 と旦那様も手を拍(う)って大笑い、一人の御客様は目から涙を流しながら、腹を抱(かか)えて笑いました。終(しまい)には皆さんが泣くような声を御出しなさると、尖った鼻の御客様は頭を擁(かか)えて、御座敷から逃出しましたのです。 私も旦那様がこれ程であろうとは思いませんでした。人程見かけに帰(よ)らない者はありません。これから気を注(つ)けて視(み)ると、黒髪(かみ)も人知れず染め、鏡を朝晩に眺(なが)め、御召物の縞(しま)も華美(はで)なのを撰(よ)り、忌言葉(いみことば)は聞いたばかりで厭(いや)な御顔をなさいました。殊(こと)に寝起の時の御顔色は、毎(いつ)も微(すこ)し青ざめて、老衰(おいおとろ)えた御様子が明白(ありあり)と解りました。智慧(ちえ)の深そうな目の御色も時によると朦朧(どんより)潤みを帯(も)って、疲れ沈んで、物を凝視(みつめ)る力も無いという風に変ることが有ました。私は又た旦那様の顎(あご)から美しく白く並んだ御歯が脱出(はずれ)るのを見かけました。旦那様は花やかに若く彩(いろど)った年寄の役者なのです。住慣れて見れば、それも可笑(おか)しいとは思いません。御二人の御年違も寧(いっ)そ御似合なされて、かれこれと世間から言われるのが悲しいと懐(おも)う様になりましたのです。 奥様は御器量を望まれて、それで東京から御縁組(おかたづき)に成ったと申す位、御湯上りなどの御美しさと言ったら、女の私ですら恍惚(ほれぼれ)となって了う程でした。旦那様が熟(じっ)と奥様の横顔を御眺めなさるときは、もう何もかも忘れて御了いなすって、芝居好が贔負(ひいき)役者に見惚(みとれ)るような目付をなさいます。聞けばこの奥様の前に、永いこと連添った御方も有たとやら、無理やりの御離縁も畢竟(つまり)は今の奥様故(ゆえ)で、それから御本宅と新宅の交情(なか)が自然氷のように成ったということでした。 譬(たと)えて申しましょうなら、御本宅や御親類は蜂(はち)の巣です。其処へ旦那様が石を投げたのですから、奉公人の私まで痛い噂(うわ)さに刺されました。 しかし、山家が何程(どれほど)恐しい昔気質(かたぎ)なもので、すこし毛色の変った他所者(よそもの)と見れば頭から熱湯(にえゆ)を浴せかけるということは、全く奥様も御存(ごぞんじ)ない。そこが奥様は都育(みやこそだち)です。御親類の御女中方は、いずれも質素(じみ)な御方ばかりですから、就中(わけても)奥様御一人が目立ちました。奥様は朝に粧(つく)り、晩に磨(みが)き、透き通るような御顔色の白過ぎて少許(すこし)蒼(あお)く見えるのを、頬の辺へはほんのり紅を点(さ)して、身の丈(たけ)にあまる程の黒髪は相生(あいおい)町のおせんさんに結わせ、剃刀(かみそり)は岡源の母親(おふくろ)に触(あて)させ、御召物の見立は大利(だいり)の番頭、仕立は馬場裏の良助さん――華麗(はで)の穿鑿(せんさく)を仕尽したものです。田舎(いなか)の女程物見高いものは有ません。奥様が花やかな御風俗(おみなり)で御通りになる時は、土壁の窓から眺め、障子の穴から覗き、目と目を見合せて冷(いや)な笑いかたを為るのです。そんなことは奥様も御存(ごぞんじ)なしで、御慈悲に拝ませて遣(や)るという風をなさりながら町を御歩行(おあるき)なさいました。たまたま途中(みち)で御親類の御女中方に御逢なさることが有ても、高い御挨拶(あいさつ)をなさいました。奥様の目から見ると、この山家の女は松井川の谷の水車――毎日同じことをして廻っている、とまあ映るのです。たとえ男が長い冬の日を遊暮しても、女は克(よ)く働くという田舎の状態(ありさま)を見て、てんで笑って御了いなさる。全く、奥様は小諸の女を御存(ごぞんじ)ないのです。これを御本家始(はじめ)御親類の御女中に言わせると折角花車(きゃしゃ)な当世の流行を捨(すて)て、娘にまで手織縞で得心させている中へ、奥様という他所者が舞込で来たのは、開けて贅沢(ぜいたく)な東京の生活(くらし)を一断片(ひときれ)提げて持って来たようなもの、としか思われないのでした。ですから、骨肉(しんみ)の旦那様よりか、他人の奥様に憎悪(にくしみ)が多く掛る。町々の女の目は褒(ほめ)るにつけ、譏(そし)るにつけ、奥様の身一つに向いていましたのです。 春も深くなっての夕方には、御二人で手を引いて、遅咲の桜の蔭から飛騨(ひだ)の遠山の雪を眺め眺め静に御散歩をなさることもありました。さあ、旧弊な御親類の御女中方は、御夫婦一緒に御花見すらしたことが無いのですから、こんな東京風――夢にも見たことの無い、睦(むつ)まじそうに手を引き連れて屋外(うちのそと)を御歩きなさる御様子を初めて見て、驚いて了いました。得たり賢しと、悋気(りんき)深い手合がつまらんことを言い触して歩きます。私は奥様の御噂さを聞くと、口惜(くや)しいと思うことばかりでした。 春雨あがりの暖い日に、私は井戸端で水汲(みずくみ)をしておりますと、おつぎさん――矢張(やはり)柏木の者で、小諸へ奉公に来ておりますのが通りかかりました。「おつぎさん、どちらへ」 と声を掛ると、おつぎさんは酸漿(ほおずき)を鳴しながら、小肥(ぶと)りな身体を一寸揺(ゆす)って、「これ」と袖に隠した酒の罎(びん)を出して見せる。「お使かね」「ああ」「御苦労さま」「なあ、お定さん、お前許(まいんとこ)の奥様(おくさん)は……あの御盲目(おめくら)さんだって言うが、真実(ほんとう)かい」「まあ、おつぎさんの言うこと」「ホホホホホホホホホ、だって評判だよ。こないだの夕方、ホラお富婆さんなあ、あの人が三の門の前に立ってると、お前許(まいんとこ)の旦那様と奥様が懐古園の方から手を引かれて降りて来たと言うよ。私(おら)嫌(いや)だ。お盲目(めくら)さんででも無くて、手を引かれて歩くという者があるもんかね」「馬鹿をお言いよ」 と私は水を掛る真似(まね)をしました。おつぎさんはお尻を叩(たた)いて笑いながら、「好(いい)御主人を持って御仕合(おしあわせ)」 と言捨て逃げる拍子に、泥濘(ぬかるみ)ヘ足を突込む、容易に下駄の歯が抜けない様子。「それ見たか」と私は指差をして、思うさま笑ってやりました。故(わざ)と、「どうも実(まこと)に御気毒様」 井戸端に遊んでいた鶩(あひる)が四羽ばかり口嘴(くちばし)を揃(そろ)えて、私の方へ「ぐわアぐわア」と鳴いて来ました。忌々しいものです。私は柄杓(ひしゃく)で水を浴せ掛ると、鶩は恰(さ)も噂好(うわさずき)なお婆さん振(ぶっ)て、泥の中を蹣跚(よろよろ)しながら鳴いて逃げて行きました。    二 台所の戸に白い李(すもも)の花の匂うも僅(わずか)の間です。山家の春は短いもので、鮨(すし)よ田楽(でんがく)よ、やれそれと摺鉢(すりばち)を鳴しているうちに、若布売(わかめうり)の女の群が参るようになります。越後訛(えちごなまり)で、「若布はようござんすかねえ」と呼んで来る声を聞くと、もう春蚕(はるこ)で忙しい時になるのでした。 御承知の通、小諸は養蚕地(どこ)ですから、寺の坊さんまでが衣の袖を捲(まく)りまして、仏壇のかげに桑の葉じょきじょき、まあこれをやらない家は無いのです。奥様は御慣れなさらないことでもあり、御嫌いでもあり、蚕の臭(におい)を嗅(か)げば胸が悪くなると仰(おっしゃ)る位でした。御本家の御女中方が灰色の麻袋を首に掛けて、桑の嫩芽(しんめ)を摘みに御出(おいで)なさる時も、奥様は長火鉢に倚(もた)れて、東京の新狂言の御噂さをなさいました。 もともと旦那様は奥様に御執心で、御二人で楽(たのし)い御暮をなさりたいという外に、別に御望は無いのですから、唯もう嬉しいという御顔を見たり、御声を聞たりするのが何よりの御楽み――こうもしたら御喜びなさるか、ああもしたら御機嫌が、と気を御揉(も)みなさいました。それは奥様を呼捨にもなさらないで、「綾さん、綾さん」と、さん付になさるのでも知れます。旦那様がこれですから、奥様は家庭(おうち)を温泉の宿のような気で、働くという昼があるでなければ、休むという夜があるでもなし、毎日好いた事して暮しました。「お定、きょうは幾日(いくにち)だっけねえ」と、日も御存(ごぞんじ)ないことがある。たまたま壁の暦を見て、時の経つのに驚きました位。夢の間に軒の花菖蒲(はなしょうぶ)も枯れ、その年の八せんとなれば甲子(きのえね)までも降続けて、川の水も赤く濁り、台所の雨も寂しく、味噌も黴(か)びました。祗園(ぎおん)の祭には青簾(あおすだれ)を懸けては下(はず)し、土用の丑(うし)の鰻(うなぎ)も盆の勘定となって、地獄の釜の蓋(ふた)の開くかと思えば、直(じき)に仏の花も捨て、それに赤痢の流行で芝居の太鼓も廻りません。奥様は外(そと)の御歓楽(おたのしみ)をなさりたいにも、小諸は倹約(しまつ)な質素(じみ)な処で、お茶の先生は上田へ引越し、謡曲(うたい)の師匠は飴(あめ)菓子を売て歩き、見るものも聞くものも鮮(すくな)いのですから、唯かぎりある御家(おうち)の内の御歓楽ばかり。思えば飽きもなさる筈(はず)です。終(しまい)には絹手※(ハンケチ)も鼻を拭(か)んで捨て、香水は惜気もなく御紅閨(おねま)に振掛け、気に入らぬ髪は結立(ゆいたて)を掻乱(かきこわ)して二度も三度も結わせ、夜食好みをなさるようになって、糠味噌(ぬかみそ)の新漬に花鰹(はながつお)をかけさせ、茶漬を召上った後で、「もっと何か甘(おい)しい物はないか」と仰るのでした。新酔月の料理も二口三口召上って見て、犬にくれました。女の歓楽(たのしみ)ほど短いものはありません。奥様はその歓楽にすら疲れて、飽々となさいました。「毎日、毎日、同じ事をするのかなア」 というのは、柱に倚(もた)れての御独語(おひとりごと)でした。浮気な歓楽が奥様への置土産は、たったこの一語(ひとこと)です。 次第に奥様は短気(きみじか)にも御成なさいました。旦那様は物事が精密(こまか)過(すぎ)て、何事にもこの御気象が随(つ)いて廻るのですから、奥様はもう煩(うるさ)いという御顔色をなさるのでした。「これは乃公(おれ)の病気だから止(や)められない」と、能(よ)く御自分でも承知していらっしゃるのです。殊(こと)に、奥様が癇癪(かんしゃく)を起した時なぞは、「ちょッ、貴方(あなた)のように濃厚(しつこ)い方はありゃしない」と言って、ぷいと立って行って御了いなさることも有ました。奥様の癇癪の起きた日は直(すぐ)に知れます。毎(いつ)でも御顔色が病人のようになって、鼻の先が光りまして、眉(まゆ)の間が茶色に見えます。後の首筋を蒼くして、無暗(むやみ)に御部屋の雑巾掛や御掃除をさせて、物を仰るにも御声が咽喉(のど)へ乾(ひから)びついたようになります。そうなると、旦那様と御取膳(おとりぜん)で御飯を召上る時でも、口を御利(き)きなさらないことがありました。 旦那様は五黄(ごおう)の金(かね)、その年の運気は吉、それに引換え奥様は八方塞(はっぽうふさがり)、唯じっとして運勢の開けるのを待てと、菓子屋の隣の悟道先生が占いました。全く、奥様の為には廻合(まわりあわせ)も好くない年と見えて、何かの前兆(しらせ)のように悪(いや)な夢ばかり御覧なさるのでした。女程心細いものは有ません。それを又た苦になさるのが病人のようでした。結構尽(けっこうづくめ)の御身体は弱々しくなり、心(しん)は労(つか)れ、風邪(かぜ)も引き易くなって、朝は欠(あくび)ばかりなさいました。「女というものは、つまらないものだ」と仰って、深い歎息に埋(うずま)って、花も嗅いで御捨てなさいました。旦那様は奥様の御機嫌を取るようになすって、御小使帳が投遣(なげや)りでも、御出迎に出たり出なかったりでも、何時まで朝寝をなさろうとも、それで御小言も仰らず。御家に奥様が居て下さるのは――籠(かご)に鶯(うぐいす)の居るように思召(おぼしめ)して、私でさえ御気毒に思う時でも御腹立もなさらないのでした。旦那様は銀行から御帰りになると、時々両手を組合せて、御庭の夏を眺めながら憂愁(ものおもい)に沈んでおいでなさることもあり、又、日によっては直に御二階へ御上りになって、御飯の時より外(ほか)には下りておいでなさらないこともありました。奥様が御気色(ごきしょく)の悪い日には旦那様は密(そっ)と御部屋へ行って、恐々(おずおず)御傍へ寄りながら、「綾さん、どっか悪いのかい。こんな畳の上に寝転んでいて、風でも引いちゃ不可(いけな)いじゃないか。そうしていないで、診(み)て貰(もら)ってはどうだね」と御聞きなさる。「いいえ、関(かま)わずに置いて下さい」というのが奥様の御返事でした。 変れば変るものです。奥様は御独(おひとり)で縁側に出て、籠の中の鳥のように東京の空を御眺めなさることもあり、長い御手紙を書きながら啜泣(すすりなき)をなさることも有ました。時によると、御寝衣(おねまき)のまま、冷々(ひやひや)した山の上の夜気に打れながら、遅くまで御庭の内を御歩きなさることも有ました。 秋のはじめから、奥様は虫歯の御煩(おわずらい)で時々酷(ひど)い御苦痛(おくるしみ)をなさいましたのです。烈(はげ)しくなると私を御離しなさらないで、切ないような目付をなさりながら、私の背(せなか)に御頭(おつむり)を押しつけておいでなさる。耳から頬へかけて腫起(はれあが)りまして、御顔色は蒼ざめ、額もすこし黄ばんでまいります。これには旦那様も大弱りで、御自分の額を撫(な)でたり、大きな手を揉んで見たりして、御介抱をなさいましたのです。 と申したような訳で、よく歯医者が黒い鞄(かばん)を提げてやって参りました。 歯医者というのは、桜井さんと言って、年はまだ若いが、腕はなかなか有ました。私が勝手口の木戸を開けて、河ばたの石の上に蹲跼(しゃが)みながら、かちゃかちゃと鍋(なべ)を洗っていると、この人が坂の下の方から能く上って参りました。慣々(なれなれ)しく私の傍(そば)へ来て、鍋の浸(つ)けてある水中(みずのなか)を覗いて見たり、土塀から垂下っていた柿の枝振(えだぶり)を眺めたり、その葉裏から秋の光を見上げたりして、何でもない主家(うち)の周囲(まわり)を、さも面白そうに歩くのが癖でした。この人は東京の生ですから、新しい格子作を見る度(たび)に、都を想起(おもいだ)すと言っておりました。一体、東京から来る医者を見ると、いずれも役者のように風俗(みなり)を作っておりますが、さて男振(おとこぶり)の好(いい)という人も有ません。然し、この歯医者ばかりは、私も風采(ようす)が好と思いましたのです。 この人が来る時は、よく私に物を携(も)って来てくれました。この人が帰って去(い)った後で、爺さんは必(きっ)と白銅を一つ握っておりました。 或日、旦那様は銀行の御用で御泊掛(おとまりがけ)に上田まで御出ましでした。その晩は戸も早く閉めました。私も、さっさと台所を片付けたいと思い、鍋は伏せ、皿小鉢は仕舞い、物置の炭をかんかん割って出し、猫の足跡もそそくさと掃(ふ)いて、上草履(うわぞうり)を脱ぎまして、奥様の御部屋へ参りました。まだ宵の口から、奥様は御横におなりなすって、寝ながら小説本を御覧なさるところでした。誰を憚(はばか)るでもない気散じな御様子。あらわな御胸の白い乳房もすこし見えて、左の手はだらりと畳の上に垂れ、右の足は膝頭から折曲げ、投げだした左の足の長い親指の反(そ)ったまで、しどけない御姿は花やかな洋燈(ランプ)の夜の光に映りまして、昼よりは反(かえっ)て御美しく思われました。「奥様、御足(おみあし)でも撫(さす)りましょうか」 と私は御傍へ倚添(よりそ)いました。「ああ、もうお済かい」と奥様は起直って、懐(ふところ)を掻合(かきあわ)せながら、「お前、按摩(あんま)さんをしてくれるとお言いなの。今日はね、肩のところが痛くて痛くて――それじゃ、一つ揉んで見ておくれな」「あれ、御寝(およ)っていらしったら、どうでございます」「なに、起きましょうよ」 私はよく母親(おふくろ)の肩を揉せられましたから、その時奥様のうしろへ廻りまして、柔(やわらか)な御肩に触ると、急に母親を想出しました。母親の労働(はたら)く身体から思えば、奥様を揉む位は、もう造作もないのでした。「お世辞でも何んでもないが、お定はなかなか指に力があるのねえ。お前のように能くしておくれだと、真実(ほんとう)に私ゃ嬉しい。旦那様も、日常(しょっちゅう)褒(ほ)めていらっしゃるんだよ」 それから奥様は私の器量までも御褒め下さいました。奥様が私を御褒め下さるのは、いつも謎(なぞ)です、――御器量自慢でいらっしゃるのですから。その時も私の方から、御褒め申せば、もう何よりの御機嫌で、羽翅(はがい)を張(ひろ)げるように肩を高くなすって、御喜悦(およろこび)は鼻の先にも下唇にも明白(ありあり)と見透(みえす)きましたのです。「ねえ、お定、お前は吾家(うち)へ来る御客様のうちで、誰様(どなた)が一番(いい)とお思いだえ」「そうで御座ますねえ……まあ、奥様から仰(おっしゃ)って見て下さい」「否(いいえ)、お前からお言いよ」「私なぞは誰様が好か解りませんもの」「あれ、そうお前のように笑ってばかりいちゃ仕様がない」「それじゃ笑わずに申しますよ。ええ、と、銀行の吉田さん」「いやよ、あんな老爺染(じじいじみ)た人は――戯(ふざ)けないでさ。真実(ほんとう)に言って御覧」 私はそれから、種々(いろいろ)なお方を数えて申しました。島屋の若旦那、越後屋の御総領、三浦屋の御次男、荒町の亀惣(かめそう)様、本町の藤勘様――いずれ優劣(おとりまさり)のない当世の殿方ですけれど、成程奥様の御話を伺って見れば、たとえ男が好くて持物等の嗜(たしなみ)も深く、何をさせても小器用なと褒められる程の方でも、物事に迷易くて毎(いつ)も愚痴ばかりでは頼甲斐(たのみがい)のない様にも有(あり)、世智賢(せちがしこ)くて痒(かゆ)いところまで手の届く方は又た女を馬鹿にしたようで此方の欠点(あら)まで見透されるかと恐しくもあるし、気前が面白ければ銭遣(ぜにづかい)が荒く、凝性(こりしょう)なれば悟過ぎ、優しければ遠慮が深し、この方ならばと思うような御人(おひと)は弱々しくて、さて難の無い御方というのは、見当らないのでした。「そんなら、奥様、あの桜井さんは」「そうお前のように、私にばかり言わせて……お前も少許(ちったあ)言わなくちゃ狡猾(ずる)いよ。あの方をお前はどう思うの」「桜井さんで御座いますか。実(ほんと)に歯医者なぞをさして置くのは惜しいッて、人が申すんで御座いますよ」「ホホホホホ、それじゃ何に御成(おなん)なされば好と言うの」「あの、官員様にでも……」「ホホホホホ」「あれ、女であの方を褒めない者は御座ません。奥様、貴方(あなた)も桜井さん贔負(びいき)じゃ御座ませんか」 奥様は目を細くなさいました。何とも物は仰いませんでしたけれど、御顔を見ているうちに、美しい朱唇(くちびる)が曲(ゆが)んで来て、終(しまい)に微笑(にっこりわらい)になって了いました。 洋燈(ランプ)の側にうとうとしていた猫が、急に耳を振って、物音に驚いたように馳出(かけだ)したので、奥様も私も殿方の御噂さを休(や)めて聞耳を立てていますと、須叟(やがて)猫は御部屋へ帰って来て、前脚(あし)を延しながら一つ伸(のび)をして、撓垂(しなだれ)るように奥様の御膝へ乗りました。御子様がないのですから、奥様も恰(さ)も懐しそうに抱〆(だきしめ)て、白い頬をその柔い毛に摺付(すりつけ)て、美しい夢でも眼の前を通るような溶々(とけどけ)とした目付をなさいました。 つい側に針箱が有ました。奥様はそれを引寄せて、引出のなかから目も覚めるような美しい半襟(えり)を取出して、「こないだから、これをお前に上げよう上げようと思っていたんだよ」 と仰りながら私に掴(つか)ませました。夜のことですから、紫縮緬(ちりめん)が小豆(あずき)色に見えました。私は目を円くして、頂いてよいやら、悪いやらで、さんざん御断りもして見たのです。「あれ、お前のようにお言(いい)だと、私が困るじゃないか。そんなに言う程の物じゃないんだよ。お前がよく勤めておくれだから、寸(ほん)の私の志と思っておくれ。……いいからさ、それは仕舞ってお置き」 奥様はまだ何か言いたそうにして、それを言得ないで、深い歎息(ためいき)を御吐(おつ)きなさるばかりでした。危い絶壁(がけ)の上に立って、谷底でも御覧なさるような目付をなさりながら、左右を見廻して震えました。「お前だから話すがねえ」までは出ましても、二の句が口籠(ごも)って、切れて了います。「今夜私がお前に話すことは、決して誰にも話さないという約束をしておくれ。それを聞かないうちは――然しお前に限ってそんな軽卒(かるはずみ)なことはあるまいけれど」 幾度も念を押して、まだ仰り悪(にく)いという風でしたが、さて話そうとなると、急に御顔が耳の根元までも紅くなりました。 遂々(とうとう)奥様は御声をちいさくなすって、打開けた御話を私になさいました。その時、私は始めて歯医者とのこれまでの関係を聞きましたのです。私は手を堅く握〆られて、妙に顔が熱(ほて)りました。他(ひと)から内証を打開(うちあ)けられた時ほど、是方(こっち)の弱身になることはありません。思いつめた御心から掻口説(かきくど)かれて見れば、終(しまい)には私もあわれになりまして、染々(しみじみ)御身上(おみのうえ)を思遣りながら言慰(いいなぐさ)めて見ました。奥様は私の言葉を御聞きなさると、もう子供のように御泣きなさるのでした。 拠(よんどころ)なく、私も引受けて、歯医者に逢わせる御約束をしましたら、漸(やっ)と、その時、火のように熱い御手が私から離れたようにこころづきました。 その晩は、私も仮(ほん)の出来心で、――若い内に有勝(ありがち)な量見から。 然し、悪戯(いたずら)が悪戯でなくなって、事実(ほんとう)も事実(ほんとう)も恐しい事実になって行くのを見ては、さすがに私も震えました。私は後暗いと、恐しいとで、噂さを嗅附(かぎつ)ける犬のようになって、御人の好い旦那様にまで吠(ほ)えました。 或時は自分で責められるような自分の心を慰めて見たこともありましたのです。全く道ならぬ奥様の恋とは言いながら、思の外のあわれも有ましたので。人の知らない暗涙(なみだ)は夜の御床に流れても、それを御話しなさるという女の御友達は有ませんので。ですから、私は独り考えて、思い慰めました。 さ、それです。 奥様は暖い国に植えられて、軟(やわらか)な風に吹かれて咲くという花なので。この荒い土地に移されても根深く蔓(はびこ)る雑草(くさ)では有ません。こうした御慣れなさらない山家住(やまがずまい)のことですから、さて暮して見れば、都で聞いた田舎生活(いなかぐらし)の静和(しずかさ)と来て視(み)た寂寥(さびしさ)苦痛(つらさ)とは何程(どれほど)の相違(ちがい)でしょう。旦那様は又た、奥様を籠の鳥のように御眺めなさる気で、奥様の独り焦(じれ)る御心が解りませんのでした。何時(いつ)、羽根を切られた鳥の心が籠に入れて楽しむという飼主に解りましょう。何程、世間の奥様が連添う殿方に解りましょう。――女の運はこれです。御縁とは言いながら、遠く御里を離れての旅の者も同じ御身上(おみのうえ)で、真実(ほんと)に同情(おもいやり)のあるものは一人も無い。こればかりでも、女は死にます。奥様の不幸(ふしあわせ)な。歓楽(たのしみ)の香(におい)は、もう嗅いで御覧なさりたくも無いのでした。奥様は歎(な)き疲(くたぶ)れて、乾いた草のように萎(しお)れて了いました。思えば御無理も御座ません――活(い)き返るような恋の雨が、そこへ清(すず)しく降りそそいで来たのですから。 丁度、秋草のさかりで、歯医者の通う路(みち)は美しゅうございました。    三 十月の二十日は銀行に十五年の大祝というのが有ました。旦那様に取ては一生のうちに忘れられない日で、彼処(あそこ)でも荒井様、是処(ここ)でも荒井様、旦那様の御評判は光岳寺の鐘のように町々へ響渡りました。長いお功労(ほねおり)を賛(ほ)めはやす声ばかりで。 その朝は、私も早く起きて朝飯の用意をしました。台所の戸の開捨てた間から、秋の光がさしこんで、流許(ながしもと)の手桶(ておけ)や亜鉛盥(ばけつ)が輝(ひか)って見える。青い煙は煤(すす)けた窓から壁の外へ漏れる。私は鼻を啜(すす)りながら、焚落(たきおと)しの火を十能に取って炉へ運びましても、奥様は未だ御目覚が無い。熱湯(にえゆ)で雑巾を絞(しぼ)りまして、御二階を済ましても、まだ御起きなさらない。その内に、炉に掛けた鍋は沸々と煮起(にた)って、蓋の間から湯気が出るようになる。うまそうな汁の香が炉辺(ろばた)に満ち溢(あふ)れました。 八時を打っても、未だ奥様は御寐(おやすみ)です。旦那様は炉辺で汁の香を嗅いで、憶出(おもいだ)したように少許(すこし)萎れておいでなさいました。やがて、御独で御膳を引寄せて、朝飯を召上ると、もう銀行からは御使でした。そそくさと御仕度をなすって、黒七子(くろななこ)の御羽織は剣菱(けんびし)の五つ紋、それに茶苧(ちゃう)の御袴(おはかま)で、隆(りゅう)として御出掛になりました。私は鍋を掛けたり、下したりしていると、漸(ようよ)う九時過になって、奥様は楊枝を銜(くわ)えながら台所へ御見えなさいました、――恐しい夢から覚めたような目付をなすって。もう味噌汁(おみおつけ)も煮詰って了ったのです。 その日は御祝の印といって、旦那様の御思召(おぼしめし)から、門に立つものには白米と金銭(おかね)を施しました。 一体、旦那様は乞食が大嫌いな御方で、「乞食を為(す)る位なら死んでしまえ」と叱※(しかりとば)す位ですから、こんなことは珍しいのです。その日は朝から哀な声が門前に聞えました。それを又た聞伝えて、掴取(つかみどり)のないと思った世の中に、これはうまい話と、親子連で瞽者(ごぜ)の真似(まね)、かみさんが「片輪でござい」裏長屋に住む人までが慾には恥も外聞も忘れて来ました。七十にもなりそうな婆さんまでが、※跛(ちんば)ひきひき前垂に白米を入れて貰いまして、門を出ると直ぐ人並に歩いたには、呆(あき)れました。 昼過に、旦那様は紫袱紗(ふくさ)を小脇に抱(かか)えながら、一寸帰っておいでなさいました。私は鶏に餌をくれて、奥様の御部屋の方へ行って見ますと、御二人で御話の御様子。何の気無しに唐紙の傍に立って、御部屋を覗きながら聞耳を立てました。旦那様は御羽織を脱捨てて、額の汗を御拭(ふ)きなさるところ。「ねえ、綾さん、こういう時にはそんな顔をしていないで、もうすこし快くしてくれなくちゃ張合がないじゃないか。それに、今日は御祝だもの、奉公人だって遊ばせてやるがいいやね」「ですから、いくらでも遊んでおいでッて言ったんです」「それ、そう言われるから誰だって出られないやね、――まあ、そうじゃないか。綾さんはこの節奉公人ばかし責めるようなことを言うが、そんなに為(し)たって不可(いけない)。お定にしろ、あの爺さんにしろ、高が人に遣(つか)われてるものだ」「誰も責めやしません」「責めないって、そう聞えらア」「私が何時責めるようなことを言いました」「お前の調子が責めてるじゃないか」「調子は私の持前です」「お前が御父さんに言う時の調子と、今のとは違うように聞えるぜ」「誰が親と奉公人と一緒にして物を言うような、そんな人があるものですか。こんなところで親の恥まで曝(さら)さなくってもようござんす」「奇異(きたい)なことを言うね」「ああ、奉公人まで引合に出して、親の恥を曝されるのかなア」「解らない人だ。そんな訳で親を担出(かつぎだ)したんじゃ無し、――奉公人は親位に思っていなくて、使われると思うのかい。……然し、そんな事はどうでもいい。まあ、今日は一つ綾さんに喜んで貰(もら)おう」 と御機嫌を直しながら、旦那様は紫袱紗を解(ほど)いて桐の小箱の蓋を取りました。白絹に包(くる)んだのを大事そうに取除(とりの)けて、畳の上に置いたは目も覚めるような黄金(きん)の御盃。折畳んであった奉書を披(ひろ)げて見せて、「今日の御祝に、これは銀行から私へくれたのだ。まあ、私に取っては名誉な記念だ。そら、盃の中に名前が彫ってあるだろう。御覧よ、この奉書には種々(いろいろ)文句が書いてある」「拝見しました」「もっと能(よ)く見ておくれ。そんな冷淡な挨拶(あいさつ)があるものか。折角こうして、お前に見せようと思って持って来たものを……何とか、一言位」「ですから拝見しましたと言ってるじゃ有ませんか」 旦那様は口を噤(つぐ)んで了いました。御互に物を仰らないのは、仰るよりも猶(なお)か冷い心地(こころもち)がしましたのです。旦那様は少許(すこし)震えて、穴の開く程奥様の御顔を熟視(みつめ)ますと、奥様は口唇(くちびる)に微(かすか)な嘲笑(さげすみわらい)を見(みせ)て、他の事を考えておいでなさるようでした。やがて、旦那様は御盃を取上げて、熟々(つくづく)眺めながら歎息(ためいき)を吐(つ)いて、「そう女というものは男の事業(しごと)に冷淡なものかな。今までは、もうすこし同情(おもいやり)が有るものかと思っていた」「どうせ私なぞに貴方がたの成さる事は解りません」「無論さ。何も解って貰おうとは言やしない。同情が無いと言ったんだ。男の事業が解る位なら、そんな挨拶の出来よう筈(はず)もない。まあ、私の言うことを能く聞いてくれ。自慢をするじゃアないが、今日(こんにち)小諸の商業は私の指先一つでどうにでも、動かせる。不景気だ、不景気だ、こう口癖のように言いながらも、小諸の商人が懐中(ふところうち)の楽なのは、私が銀行に巌張(がんば)っているからだ。町会の事業でも、計画でも、皆私の意見を基にしてやっている。小諸が盛んになるも、衰えるも、私の遣方(やりかた)一つにあるのだ。その私が事業(しごと)の記念だと言って、爰(ここ)へこうして並べて、お前に見て喜んで貰おうとしているのに……アハハハハハハ」 と、旦那様は熱い涙を手に持った黄金の御盃へ落しました。 やがて、御盃や御羽織を掻浚(かきさら)うようになすって、旦那様は御部屋から御座敷の方へいらっしゃる。御様子がどうも尋常(ただ)ではないと、私も御後から随いて行って見ました。もうもう堪(こら)えきれないという御様子で、突然(いきなり)、奉書を鷲掴(わしづか)みにして、寸断々々(ずたずた)に引裂いて了いました。啜泣(すすりなき)の涙は男らしい御顔を流れましたのです。御一人で小諸を負(しょ)って御立ちなさる程の旦那様でも、奥様の心一つを御自由に成さることは出来ません。微々(ちいさ)な小諸の銀行を信州一と言われる位に盛大(おおき)くなすった程の御腕前は有ながら、奥様の為には一生の光栄(ほまれ)も塵埃(ごみくた)同様に捨てて御了いなすって、人の賛(ほ)めるのも羨(うら)やむのも悦(うれ)しいとは思召さないのでした。これが他の殿方ででもあったら、奥様の御髪(おぐし)を掻廻(つかみまわ)して、黒縮緬(ちりめん)の御羽織も裂けるかと思う位に、打擲(ぶちたたき)もなさりかねない場合でしょう。並勝(なみすぐ)れて御人の好い旦那様ですから、どんな烈(はげ)しい御腹立の時でも、面と向っては他(ひと)にそれを言得ないのでした。旦那様は御自分の髪の毛を掻毟(かきむし)って、畳を蹴(け)って御出掛(おでまし)になりました。ぴしゃんと唐紙を御閉めなすった音には、思わず私もひょろひょろとなりましたのです。 私は御部屋へ取って返して、泣き伏した奥様をいろいろと言慰(いいなだ)めて見ましたが、御返事もなさいません。すこし遠慮して、勝手へ来て見れば、又たどうも気掛(きがかり)になって、御二人のことばかりが案じられました。 黄昏(ゆうがた)に、私は水汲をして手桶を提げながら門のところまで参りますと、四十恰好(かっこう)の女が格子前(こうしさき)に立っておりました。姿を視れば巡礼です。赤い頭巾(ずきん)を冠せた乳呑児を負いまして、鼠色の脚絆(きゃはん)に草鞋穿(わらじばき)、それは旅疲(たびやつれ)のしたあわれな様子。奥様は泣腫(はら)した御顔を御出しなすって、きょうの御祝の御余(おあまり)の白米や金銭(おかね)をこの女に施しておやりなさるところでした。奥様が巡礼を御覧なさる目付には言うに言われぬ愁(うれい)が籠っておりましたのです。「私にその歌を、もう一度聞かしておくれ」 と奥様が優しく御尋ねなさると、巡礼は可笑(おかし)な土地訛(なまり)で、「歌でござりますか、ハイそうでござりますか」 寂しそうに笑って、やがて、鈴を振鳴して一節(ひとふし)唄いましたのは、こうでした。  ちちははのめぐみもふかきこかはでら  ほとけのちかきたのもしのみや 日に焼けた醜(まず)い顔の女では有りましたが、調子の女らしい、節の凄婉(あわれ)な、凄婉なというよりは悲傷(いたま)しい、それを清(すず)しい哀(かな)しい声で歌いましたのです。世間を見るに、美(い)い声が醜(まず)い口唇(くちびる)から出るのは稀(めずら)しくも有ません。然し、この女のようなのも鮮(すくな)いと思いました。一節歌われると、もう私は泣きたいような心地(こころもち)になって、胸が込上げて来ました。やがて女は蒼(あおざ)めた顔を仰(あ)げて、  ふるさとやはるばるここにきみゐでら  はなのみやこもちかくなるらん「故郷や」の「や」には力を入れました。清(すず)しい声を鈴に合せて、息を吸入れて、「はるばるここに」と長く引いた時は女の口唇も震えましたようです。「花の都も」と歌いすすむと、見る見る涙が女の頬を伝いまして、落魄(おちぶれ)た袖にかかりました。奥様は熟々(つくづく)聞惚(ほ)れて、顔に手を当てておいでなさいました――まあ、どんな御心地(おこころもち)がその時奥様の御胸の中を往たり来たりしたものか、私には量りかねましたのです。歌が済みますと、奥様は馴々(なれなれ)しく、「今のは何という歌なんですね」「なんでござります。はァ、御詠歌(えいか)と申しまして、それ芝居なぞでも能くやりますわなア――お鶴が西国巡礼に……」「お前さんは何処(どこ)ですね」「伊勢でござります」「まあ、遠方ですねえ」「わしらの方は皆こうして流しますでござります。御詠歌は西国三十三番の札所(ふだしょ)々々を読みましてなア」「どっちの方から来たんですね」「越後路(えちごじ)から長野の方へ出まして、諸方を廻って参りました。これから御寒くなりますで、暖い方へ参りますでござりますわい」 その時、爺さんが恍(とぼ)けた顔を出して、「あんな乞食の歌を聞いて何にする」 と聞えよがしに笑いました。「これはこれはどうも難有(ありがと)うござります。どうも奥様、御蔭様で助かりますでござります」 巡礼は泣き出した児を動揺(ゆすぶ)って、暮方の秋の空を眺(なが)め眺め行きました。 爺さんは奥様を笑いましたけれど、私はそうは思いませんので。熟々(しみじみ)奥様があの巡礼の口唇を見つめて美(い)い声に聞惚れた御様子から、根彫葉刻(ねほりはほり)御尋ねなすった御話の前後(あとさき)を考えれば、あんな落魄(おちぶれ)た女をすら、まだしもと御羨(うらや)みなさる程に御思召すのでした。この同じ屋根の下に旦那様と御二人で御暮しなさるのは、それほど苦(つら)いと御思召すのでした。御器量から、御身分から――さぞ、あの巡礼の目には申分のない奥様と見えましたろう。奥様の目には、又た、世間という鎖に繋(つな)がれて否(いや)でも応でも引摺(ひきずら)れて、その日その日を夢のように御暮しなさるというよりか、見る影もない巡礼なぞの身の上の方が反(かえ)って自由なように御思いなさるのでした。 御祝の宴(さかもり)がありましたから、旦那様の御帰は遅くなりました。外で旦那様が鼻の高かった日も、内では又た寂しい悲しい日でした。旦那様は酒臭い呼吸(いき)を奥様の御顔に吹きかけて置いて、直ぐ御二階の畳の上に倒れて御了いなすったのです。 その夜から御床も別々に敷(の)べました。    四 手桶(ておけ)を提げて井戸に通う路は、柿の落葉で埋まった日もあり、霜溶(しもどけ)のぐちゃぐちゃで下駄の鼻緒を切らした日もあり、夷講(えびすこう)の朝は初雪を踏んで通いました。奥様から頂いて穿(は)いた古足袋(たび)の爪先も冷くなって、鼻の息も白く見えるようになれば、北向の日蔭は雪も溶けずに凍る程のお寒さ。 十二月の十日のこと、珍しい御客様を乗せた一輌(だい)の人力車(くるま)が門の前で停りました。それは奥様の父親(おとう)様が東京から尋ねていらしったのです。思いがけないのですから、奥様は敷居に御躓(おつまず)きなさる程でした。旦那様も早く銀行から御帰りになる、御二人とも御客様の御待遇(おもてなし)やら東京の御話やらに紛れて、久振で楽しそうな御笑声(わらいごえ)が奥から聞えました。奥様の御喜悦(よろこび)は、まあ何程(どんな)で御座ましたろう、――その晩は大した御馳走でした。 御客様は金銭上(おかね)の御相談が主で、御来遊(おいで)になりましたような御様子。御着(つき)になって四日目のこと、旦那様と御一緒に長野へ御出掛になりました。奥様は御留守居です。私は洋傘(こうもり)と御履物を揃(そろ)えまして、御部屋へ参って見ると、未だ御仕度の最中。御客様は気短(きぜわしな)い御方で、角帯の間から時計を出して御覧なすったり、あちこちと御部屋の内を御歩きなすったりして、待遠しいという風でした。その時、私は御客様と奥様と見比べて、思当ることが有ましたのです。御客様は丸い腮(あご)を撫(な)で廻しながら、「婆さんもね、早く孫の顔を見たいなんて、日常(しょっちゅう)その噂(うわ)さばかりさ。どうだね、……未だそんな模様は無いのかい」 奥様は俯(うつむ)いて、御顔を紅らめて、御返事をなさいません。やがて懐しそうに、「御父(おとっ)さん、羽織を着更(か)えていらッしゃいよ」「なに、これで結構。こりゃお前上等だもの」「それでもあんまりひどい」「この羽織は十五年からになりますがね、いいものは丈夫ですな」 御客様は袖(そで)口を指で押えて、羽翅(はがい)のように展(ひろ)げて見せました。遽(にわか)に思直して、「こうっと。面倒だけれど――それじゃ一つ着更えるか」 と御自分の御包を解(ほど)いて、その中から節糸紬(ふしいとつむぎ)の御羽織を抜いて、無造作に袖を通して御覧なさいました。「あれ、其方(そっち)のになさいよ」「これかね。どうして、お前、此方の着物を着た時の羽織さ。ね、――この羽織で結構」「でも何だかそれじゃ好笑(おかし)いわ。それを御着なさる位なら、まだ今までの方が好(いい)のですもの」 御客様は茶の平打(ひらうち)の紐(ひも)を結んで、火鉢の前にべたりと坐って御覧なさいました。急に、ついと立ってまたその御羽織を脱ぎ捨てながら、「それじゃ、これだ――もともとだ。アハハハハハハ」 奥様がそれを引寄せて、御畳みなさるところを、御客様は銜煙管(くわえぎせる)で眺入って、もとの御包に御納(おしま)いなさるまで、熟(じっ)と視ていらっしゃいました。思いついたように、「ハハハハ、婆さん紋付なんか入れてよこした」 こういう罪もない御話を睦(むつ)まじそうになすっていらっしゃるところへ、旦那様も御用を片付けて、御二階から下りておいでなさいました。見る見る旦那様の下唇には嫉(ねたまし)いという御色が顕(あらわ)れました。御客様は急(せ)き立てて、「さあ、出掛けましょう。もう三十分で汽車が出ますよ」 御二人とも厚い外套(がいとう)を召して御出掛になりました。爺さんも御荷物を提げて、停車場まで随いて参りました。後で、取散かった物を片付けますと、御部屋の内は煙草の烟(けむり)ですこし噎(む)せる位。がらりと障子を開けて、御客様の蒲団(ふとん)や、掻巻(かいまき)や、男臭い御寝衣(ねまき)などを縁へ乾しました。 御独(おひとり)になると、奥様は総桐の箪笥(たんす)から御自分の御召物を出して、畳直したり、入直したり、又た取出したりして御眺めなさる――それは鏡に映る御自分の御姿に見惚(みとれ)ると同じような御様子をなさるのでした。全く御召物は奥様の御身の内と言ってもよいのですから。私も御側へ寄添いまして見せて頂きました。どれを拝見しても目うつりのする衣類(もの)ばかり。就中(わけても)、私の気に入りましたのは長襦袢です。それは薄葡萄(ぶどう)の浜縮緬(ちりめん)、こぼれ梅の裾(すそ)模様、※(ふき)は緋縮緬(ひぢりめん)を一分程にとって、本紅(ほんこう)の裏を附けたのでした。奥様はそれを御膝の上に乗せて、何の気なしに御婚礼の晩御召しなすったということを、私に話して聞かせました。不図(ふと)、御自分の御言葉に注意(こころづ)いて、今更のように萎返(しおれかえ)って、それを熟視(みつめ)たまま身動きもなさいません。死(しん)だ銀色の衣魚(しみ)が一つその袖から落ちました。御顔に匂いかかる樟脳(しょうのう)の香を御嗅ぎなさると、急に楽しい追憶(おもいで)が御胸の中を往たり来たりするという御様子で、私が御側に居ることすら忘れて御了いなすったようでした。「ああああ着物も何も要らなくなっちゃった」 と仰(おっしゃ)りながら、その長襦袢を御抱きなすったまま、さんざん思いやって、涙は絶間(とめど)もなく美しい御顔を流れました。 その日は珍しく暖で、冬至近いとも思われません位。これは山の上に往々(たびたび)あることで、こういう陽気は雪になる前兆(しらせ)です。昼過となれば、灰色の低い雲が空一面に垂下る、家(うち)の内は薄暗くなる、そのうちにちらちら落ちて参りました。日は短し、暗さは暗し、いつ暮れるともなく燈火(あかり)を点(つけ)るようになりましたのです。爺さんも何処(どっか)へ行って飲んで来たものと見え、部屋へ入って寝込んで了いました。台所が済むと、私は奥様の御徒然(おさむしさ)が思われて、御側を離れないようにしました。時々雪の中を通る荷車の音が寂しく聞える位、四方(そこいら)は※(ひっそり)として、沈まり返って、戸の外で雪の積るのが思いやられるのでした。御一緒に胡燵(おこた)にあたりながら、奥様は例の小説本、私は古足袋のそそくい、長野の御噂さやら歯医者の御話やら移り移って盗賊の噂さになりますと、奥様は急に寂しがって、「どうしたろう、爺さんは」「もう最前(とっく)に寝て了いました」「おや、そう、早いことねえ。お前戸じまりをよくしておくれ。泥棒が流行(はや)るッて言うよ」 と、二人で恐(こわ)がっておりますと、誰か来て戸を叩(たた)く音が聞えました。「はてな、今時分」と、ついと私は立って参りまして、表の戸を明けて見れば――一面の闇(やみ)。仄白(ほのじろ)い夜の雪ばかりで誰の影も見えません。暫(しばら)く佇立(たたず)んでおりましたが、「晴れたな」と口の中で言って、二歩(あし)三歩(あし)外へ履出(ふみだ)して見ると、ぱらぱら冷いのが襟首(えりくび)のところへ被(かか)る。「あれ、降ってるのか」と私は軒下へ退(の)いて、思わず髪を撫(な)でました。暗くはあるが、低い霧のように灰色に見えるのは、微(こまか)い雪の降るのでした。往来の向(むこう)で道を照して行く人の小提灯(ぢょうちん)が、積った雪に映りまして、その光が花やかに明く見えるばかり。 私は戸を閉めて暫時(しばらく)庭に立っていますと、外からコトコトと戸を叩く音がする。下駄の雪を落す音が聞える。一旦閉めた戸を復(ま)た開けて、「誰方(どなた)」と声を掛けて見ました。誰かと思えば――美しい曲者(くせもの)。「奥様、桜井さんがいらっしゃいましたよ」 と、早速申上(もうしあげ)に参りましたら、奥様は不意を打たれて、耳の根元から襟首までも真紅(まっか)になさいました。物の蔭に逃隠れまして、急には御見えにもなりませんのです。この雪ですから、歯医者の外套は少許(すこし)払った位で落ちません。それを脱げば着物の裾は濡(ぬ)れておりました。いつもの様に御履物を隠して、奥様の御部屋へ御案内をしますと、男はがたがたと震えておりましたのです。 先ず濡れたものを脱がせて、奥様は男に御自分の裾の長い御召物を出して着せました。それは本紅(ほんこう)の胴裏を附けた変縞(かわりじま)の糸織で、八つ口の開いた女物に袖を通させて、折込んだ広襟を後から直してやれば、優形(やさがた)な色白の歯医者には似合って見えました。奥様は左からも右からも眺めて、恍惚(うっとり)とした目付をなさりながら、「お定、よく御覧よ。まあ、それでも御似合なさること。まるで桜井さんは女のように御見えなさるんだもの」 と仰って、私の手を握りしめるのです。 私は歯医者から美しい帯上(おびあげ)を頂きました。 奥様の御差図(さしず)で、葡萄酒を胡燵(おこた)の側に運びまして、玻璃盞(コップ)がわりには京焼の茶呑茶椀(ぢゃわん)を上げました。静な上に暖で、それは欺(だま)されたような、夢心地のする陽気。年の内とは言いながら梅も咲(さき)鶯も鳴くかと思われる程。猫まで浮れて出て行きました。私は次の間に退(さが)って、春の夜の夢のような恋の御物語に聞惚れて、唐紙の隙間(すきま)から覗(のぞ)きますと、花やかな洋燈(ランプ)の光に映る奥様の夜の御顔は、その晩位御美しく見えたことは有ませんでした。奥様があの艶(つや)を帯(も)った目を細くなすって葡萄酒を召上るさまも、歯医者が例の細い白い手を振って楽しそうに笑うさまも、よく見えました。御物語も深くなるにつけ、昨日の御心配も、明日の御煩悶(わずらい)も、すっかり忘れて御了いなすって、御二人の口唇(くちびる)には香油(においあぶら)を塗りましたよう、それからそれへと御話が滑(はず)みました。歯医者は桜色の顔を胡燵(おこた)に擦(こす)りつけて、「奥さん」「あれ復(ま)た。後生ですから『奥さん』だけは廃(よ)して頂戴よ」 こころやすだてから出たこの御言葉は、言うに言われぬほど男の心を嬉しがらせたようでした。男は一寸舌なめずりをして、酒に乾いた口唇を動かしながら、「酔った。酔った。何故こんなに酔ったか解らない」「だっても御酒(ごしゅ)を召上ったんでしょう」奥様は笑いました。「少ばかりいただいて、手までこんなに紅くなるとは」 と出して見せる。「でも、御覧なさいな、私の顔を」 と奥様は頬(ほお)に掌を押当てて御覧なさいました。「貴方はちっとも紅く御成(おなん)なさらない。紅くならないで蒼(あお)くなるのは、御酒が強いんだって言いますよ。――貴方はきっと御強いんだ」「よう御座んす。沢山(たんと)仰い」と奥様はすこし甘えて、「ですがねえ、桜井さん、私は何程(どんなに)酔いたいと思っても、苦しいばかりで酔いませんのですもの」 男は奥様の御言葉に打たれて、黙って奥様の美しい目元を熟視(みつめ)ました。奥様は障子に映る男の影法師を暫く眺めていらっしゃるかと思うと、急に御自分の後を振返って、物を探る手付で宙を掴(つか)んで御覧なさいました。恐怖(おそれ)は御顔へ顕れました。やがて、すこし震えて男の傍へ倚添(よりそ)いながら、「何時までもこうして二人で居られますまいかねえ。噫(ああ)、居られるものなら好けれど」 と沈(しめ)る。男は歎息(ためいき)を吐(つ)くばかりでした。奥様も萎れて、「私はもう御目にかかれるか、かかれないか、知れないと思いますわ。
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