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著者名:島崎藤村 

家(下巻)島崎藤村        一 橋本の正太は、叔父を訪ねようとして、両側に樹木の多い郊外の道路へ出た。 叔父の家は広い植木屋の地内で、金目垣(かなめがき)一つ隔てて、直(じか)にその道路へ接したような位置にある。垣根の側(わき)には、細い乾いた溝(みぞ)がある。人通りの少い、真空のように静かな初夏の昼過で、荷車の音もしなかった。垣根に近い窓のところからは、叔母のお雪が顔を出して、格子に取縋(とりすが)りながら屋外(そと)の方を眺(なが)めていた。 正太は窓の下に立った。丁度その家の前に、五歳(いつつ)ばかりに成る児(こ)が余念もなく遊んでいた。「叔母さん、菊(きい)ちゃんのお友達?」 心易(やす)い調子で、正太はそこに立ったままお雪に尋ねてみた。子供は、知らない大人に見られることを羞(は)じるという風であったが、馳出(かけだ)そうともしなかった。 短い着物に細帯を巻付けたこの娘の様子は、同じ年頃のお菊のことを思出させた。 お雪が夫と一緒に、三人の娘を引連れ、遠く山の上から都会の方へ移った時は、新しい家の楽みを想像して来たものであった。引越の混雑(ごたごた)の後で、三番目のお繁――まだ誕生を済ましたばかりのが亡くなった。丁度それから一年過ぎた。復(ま)た二番目のお菊が亡くなった。あのお菊が小さな下駄を穿(は)いて、好きな唱歌を歌って歩くような姿は、最早家の周囲(まわり)に見られなかった。 姉のお房とは違い、お菊の方は遊友達も少なかった。「菊ちゃん、お遊びなさいな」と言って、よく誘いに来たのはこの近所の娘である。 道路には日があたっていた。新緑の反射は人の頭脳(あたま)の内部(なか)までも入って来た。明るい光と、悲哀(かなしみ)とで、お雪はすこし逆上(のぼせ)るような眼付をした。「まあ、正太さん、お上んなすって下さい」 こう叔母に言われて、正太は垣根越しに家(うち)の内(なか)を覗(のぞ)いて見た。「叔父さんは?」「一寸(ちょっと)歩いて来るなんて、大屋さんの裏の方へ出て行きました」「じゃ、私も、お裏の方から廻って参りましょう」 正太はその足で、植木屋の庭の方へ叔父を見つけに行くことにした。 この地内には、叔父が借りて住むと同じ型の平屋(ひらや)がまだ外(ほか)にも二軒あって、その板屋根が庭の樹木を隔てて、高い草葺(くさぶき)の母屋(もや)と相対していた。植木屋の人達は新茶を造るに忙(せわ)しい時であった。縁日(えんにち)向(むけ)の花を仕立てる畠(はたけ)の尽きたところまで行くと、そこに木戸がある。その木戸の外に、茶畠、野菜畠などが続いている。畠の間の小径(こみち)のところで正太は叔父の三吉と一緒に成った。 新開地らしい光景(ありさま)は二人の眼前(めのまえ)に展(ひら)けていた。ところどころの樹木の間には、新しい家屋が光って見える。青々とした煙も立ち登りつつある。 三吉は眺め入って、「どうです、正太さん、一年ばかりの間に、随分この辺は変りましたろう」 と弟か友達にでも話すような調子で言って、茶畠の横手に養鶏所の出来たことなどまで正太に話し聞せた。 何となく正太は元気が無かった。彼の上京は、叔父が長い仕事を持って山を下りたよりも早かった。一頃は本所辺に小さな家を借りて、細君の豊世と一緒に仮の世帯(しょたい)を持ったが、間もなくそこも畳んで了(しま)い、細君は郷里(くに)へ帰し、それから単独(ひとり)に成って事業(しごと)の手蔓(てづる)を探した。彼の気質は普通の平坦(たいら)な道を歩かせなかった。乏しい旅費を懐(ふところ)にしながら、彼は遠く北海道から樺太(からふと)まで渡り、空(むな)しくコルサコフを引揚げて来て、青森の旅舎(やどや)で酷(ひど)く煩(わずら)ったこともあった。もとより資本あっての商法では無い。磐城炭(いわきたん)の売込を計劃したことも有ったし、南清(なんしん)地方へ出掛けようとして、会話の稽古までしてみたことも有った。未だ彼はこれという事業(しごと)に取付かなかった。唯(ただ)、焦心(あせ)った。 そればかりでは無い。叔父という叔父は、いずれも東京へ集って来ている。長いこと家に居なかった実叔父は壮健(たっしゃ)で帰って来ている。森彦叔父は山林事件の始末をつけて、更に別方面へ動こうとしている。三吉叔父も、漸(ようや)く山から持って来た仕事を纏(まと)めた。早く東京で家を持つように成ろう、この考えは正太の胸の中を往来していた。 動き光る若葉のかげで、三吉、正太の二人はしばらく時を移した。やがて庭の方へ引返して行った。荵(しのぶ)を仕立てる場所について、植木室(うえきむろ)の側を折れ曲ると、そこには盆栽棚が造り並べてある。香の無い、とは言え誘惑するように美しい弁(べん)の花が盛んに咲乱れている。植木屋の娘達は、いずれも素足に尻端折(しりはしょり)で、威勢よく井戸の水を汲(く)んでいるのもあれば、如露(じょうろ)で花に灑(そそ)いでいるのもあった。三吉は自分の子供に逢(あ)った。「房ちゃん」 と正太も見つけて呼んだ。 お房は、耳のあたりへ垂下(たれさが)る厚い髪の毛を煩(うる)さそうにして、うっとりとした眼付で二人の方を見た。何処(どこ)か気分のすぐれないこの子供の様子は、余計にその容貌(おもばせ)を娘らしく見せた。「叔父さん、まだ房ちゃんは全然(すっかり)快(よ)くなりませんかネ」「どうも、君、熱が出たり退(ひ)いたりして困る。二人ばかり医者にも診(み)て貰いましたがネ。大して悪くもなさそうですが、快くも成らない―なんでも医者の言うには腸から来ている熱なんだそうです。」 こんな話をしながら、二人はお房を連れて、庭づたいに井戸のある方へ廻った。「でも、房ちゃんは余程姉さんらしく成りましたネ」 と正太は木犀(もくせい)の樹の側を通る時に言った。 この木犀は可成(かなり)の古い幹で、細長い枝が四方へ延びていた。それを境に、疎(まばら)な竹の垣を繞(めぐ)らして、三吉の家の庭が形ばかりに区別してある。「お雪、房ちゃんに薬を服(の)ましたかい」 と三吉は庭から尋ねてみた。正太も縁側のところへ腰掛けた。「どういうものか、房ちゃんはあんな風なんですよ」とお雪はそこへ来て、娘の方を眺めながら言った。「すこし屋外(そと)へ遊びに出たかと思うと、直に帰って来て、ゴロゴロしてます。今も、父さん達のところへ行って見ていらっしゃいッて、私が無理に勧めて遣(や)ったんですよ」 長い労作の後で、三吉も疲れていた。不思議にも彼は休息することが出来なかった。唯(ただ)疲労に抵抗するような眼付をしながら、甥(おい)と一緒に庭へ向いた部屋へ上った。「正太さん、大屋さんから新茶を貰いました――一つ召上ってみて下さい」 こう言ってお雪が持運んで来た。三吉は、その若葉の香を嗅(か)ぐようなやつを、甥にも勧め、自分でも啜(すす)って、仕事の上の話を始めた。彼の話はある露西亜(ロシア)人のことに移って行った。その人のことを書いた本の中に、細君が酢乳(すぢち)というものを製(こしら)えて、著作で労(つか)れた夫に飲ませたというところが有った。それを言出した。「ああいう強壮な体格を具(そな)えた異人ですらもそうかナア、と思いましたよ。なにしろ、僕なぞは随分無理な道を通って来ましたからネ。仕事が済んで、いよいよそこへ筆を投出した時は――その心地(こころもち)は、君、何とも言えませんでした。部屋中ゴロゴロ転(ころ)がって歩きたいような気がしました」 正太は笑わずにいられなかった。 三吉は言葉を継いで、「自分の行けるところまで行ってみよう――それより外に僕は何事(なんに)も考えていなかったんですネ。一方へ向いては艱難(かんなん)とも戦わねばならずサ。それに子供は多いと来てましょう。ホラ、あのお繁の亡くなった時には、山から書籍(ほん)を詰めて持って来た茶箱を削(けず)り直して貰って、それを子供の棺にして、大屋さんと二人で寺まで持って行きました。そういう勢でしたサ。お繁が死んでくれて、反(かえ)って難有(ありがた)かったなんて、串談(じょうだん)半分にも僕はそんなことをお雪に話しましたよ……ところが君、今度は家のやつが鳥目などに成るサ……」「そうそう」と正太も思出したように、「あの時はエラかった。私も新宿まで鶏肉(とり)を買いに行ったことが有りました」「そんな思をして骨を折って、漸くまあ何か一つ為(し)た、と思ったらどうでしょう。復たお菊が亡くなった。僕は君、悲しいなんていうところを通越(とおりこ)して、呆気(あっけ)に取られて了(しま)いました――まるで暴風にでも、自分の子供を浚(さら)って持って行かれたような――」 思わず三吉はこんなことを言出した。この郊外へ引移ってから、彼の家では初めての男の児が生れていた。種夫(たねお)と言った。その乳呑児(ちのみご)を年若な下婢(おんな)に渡して置いて、やがてお雪も二人の話を聞きに来た。「どんなにか叔母さんも御力落しでしょう」と正太はお雪の方へ向いて、慰め顔に、「郷里(くに)の母からも、その事を手紙に書いて寄(よこ)しました」「菊ちゃんが死んじゃったんでは、真実(ほんと)にツマリません」とお雪が答える。「此頃(こないだ)は君、大変な婦人(おんな)が僕の家へ舞込んで来ました」と三吉が言ってみた。「――切下げ髪にして、黒い袴(はかま)を穿(は)いてネ。突然(いきなり)入って来たかと思うと、説教を始めました。恐しい権幕(けんまく)でお雪を責めて行きましたッけ」「大屋さんの御親類」とお雪も引取って、「その人が言うには、なんでも私の信心が足りないんですッて――ですから私の家には、こんなに不幸ばかり続くんですッて――この辺は、貴方(あなた)、それは信心深い処なんですよ」こう正太に話し聞かせた。 不安な眼付をしながら、三吉は家の中を眺め廻した。中の部屋の柱のところには、お房がリボンの箱などを取出して、遊びに紛れていた。三吉は思付いたように、お房の方へ立って行った。一寸(ちょっと)、子供の額へ手を宛(あ)ててみて、復た正太の前に戻った。 その時、表の格子戸の外へ来て、何かゴトゴト言わせているものが有った。「菊ちゃんのお友達が来た」 と言って、お雪は玄関の方へ行ってみた。しばらく彼女は上(あが)り端(はな)の障子のところから離れなかった。「オイ、菓子でもくれて遣りナ」 と夫に言われて、お雪は中の部屋にある仏壇の扉(と)を開けた。そして、新しい位牌(いはい)に供えてあった物を取出した。近所の子供が礼を言って、馳出(かけだ)して行った後でも、まだお雪は耳を澄まして、小さな下駄の音に聞入った。 女学生風の袴を着けた娘がそこへ帰って来た。お延(のぶ)と言って、郷里(くに)から修行に出て来た森彦の総領――三吉が二番目の兄の娘である。この娘は叔父の家から電車で学校へ通っていた。「兄さん、被入(いらっ)しゃい」 とお延は正太に挨拶(あいさつ)した。従兄妹(いとこ)同志の間ではあるが日頃正太のことを「兄さん、兄さん」と呼んでいた。 毎日のようにお雪は子供の墓の方へ出掛けるので――尤(もっと)も、寺も近かったから――その日もお延を連れて行くことにした。後に残った三吉と正太とは、互に足を投出したり、寝転んだりして話した。 その時まで、正太は父の達雄のことに就(つ)いて、何事(なんに)も話さなかった。遽(にわ)かに、彼は坐り直した。「まだ叔父さんにも御話しませんでしたが、漸く吾家(うち)の阿父(おやじ)の行衛(ゆくえ)も分りました」 こんなことを言出した。久しく居所(いどころ)さえも不明であった達雄のことを聞いて、三吉も身を起した。「先日、Uさんが神戸の方から出て来まして、私に逢いたいということですから――」と言って、正太は声を低くして、「その時Uさんの話にも、阿父も彼方(あちら)で教員してるそうです。まあ食うだけのことには困らん……それにしても、あんなに家を滅茶滅茶(めちゃめちゃ)にして出て行った位ですから、もうすこし阿父も何か為(す)るかと思いましたよ」「あの若い芸者はどうしましたろう――達雄さんが身受をして連れて行ったという少婦(おんな)が有るじゃありませんか」「あんなものは、最早疾(とっく)にどうか成って了いましたあね」「そうかナア」「で、叔父さん、Uさんが言うには、考えて見れば橋本さんも御気の毒ですし、ああして唯孤独(ひとり)で置いてもどうかと思うからして、せめて家族の人と手紙の遣取(やりとり)位はさせて進(あ)げたいものですッて」「では、何かネ、君は父親(おとっ)さんと通信(たより)を始める積りかネ」と三吉が尋ねた。「否(いいえ)」正太の眼は輝いた。「勿論(もちろん)――私が書くべき場合でもなし、阿父にしたところが書けもしなかろうと思います。そりゃあもう、阿父が店のものに対しては、面向(かおむけ)の出来ないようなことをして行きましたからネ。唯、母が可哀そうです……それを思うと、母だけには内証でも通信させて遣(や)りたい。Uさんが間に立ってくれるとも言いますから」 こういう甥の話は、三吉の心を木曾川(きそがわ)の音のする方へ連れて行った。旧(ふる)い橋本の家は、曾遊(そうゆう)の時のままで、未だ彼の眼にあった。「変れば変るものさネ。君の家の姉さんのことも、豊世さんのことも、君のことも――何事(なんに)も達雄さんは知るまいが。ホラ、僕が君の家へ遊びに行った時分は、達雄さんも非常に勤勉な人で、君のことなぞを酷(ひど)く心配していたものですがナア。あの広い表座敷で、君と僕と、よく種々(いろいろ)な話をしましたッけ。あの時分、君が言ったことを、僕はまだ覚えていますよ」「あの時分は、全然(まるで)私は夢中でした」と正太は打消すように笑って、「しかし、叔父さん、私の家を御覧なさい――不思議なことには、代々若い時に家を飛出していますよ。第一、祖父(おじい)さんがそうですし――阿父(おやじ)がそうです――」「へえ、君の父親さんの若い時も、やはり許諾(ゆるし)を得ないで修業に飛出した方かねえ」「私だってもそうでしょう――放縦な血が流れているんですネ」 と正太は言ってみたが、祖父の変死、父の行衛などに想(おも)い到った時は、妙に笑えなかった。 やがて庭にある木犀の若葉が輝き初めた。お雪は姪(めい)と連立って、急いで帰って来た。彼女の袂(たもと)の中には、娘の好きそうなものが入れてあった。買物のついでに、ある雑貨店から求めて来た毛糸だ。それをお房にくれた。「今し方まで菊ちゃんのお墓に居たものですから、こんなに遅くなりました――延ちゃんと二人でさんざん泣いて来ました」 こうお雪は夫に言って、いそいそと台所の方へ行って働いた。 正太がこの郊外へ訪ねて来る度(たび)に、いつも叔父は仕事々々でいそがしがっていて、その日のようにユックリ相手に成ったことはめずらしかった。夕飯の仕度(したく)が出来るまで、二人は表の方の小さな部屋へ行ってみた。畠から鍬(くわ)を舁(かつ)いで来た農夫、町から戻って来た植木屋の職人――そういう人達は、いずれも一日の労働を終って窓の外を通過ぎる。 三吉は窓のところに立って、ションボリと往来の方を眺めながら、「どうかすると、こういう夕方には寂しくて堪(た)えられないようなことが有るネ――それが、君、何の理由も無しに」「私の今日(こんにち)の境涯では猶更(なおさら)そうです――しかし、叔父さん、そういう感じのする時が、一番心は軟かですネ」 こう正太が答えた。次第に暮れかかって来た。その部屋の隅(すみ)には、薄暗い壁の上に、別に小窓が切ってあって、そこから空気を導くようになっている。青白い、疲れた光線は、人知れずその小障子のところへ映っていた。正太はそれを夢のように眺めた。 夕飯はお雪の手づくりのもので、客と主人とだけ先に済ました。未だ正太は言いたいことがあって、それを言い得ないでいるという風であったが、到頭三吉に向ってこう切出した。「実は――今日は叔父さんに御願いが有って参りました」 他事(ほか)でも無かった。すこし金を用立ててくれろというので有った。これまでもよく叔父のところへ、五円貸せ、十円貸せ、と言って来て、樺太(からふと)行の旅費まで心配させたものであった。「そんなに君は困るんですか」と三吉は正太の顔を見た。「郷里(くに)の方からでも、すこし兵糧(ひょうろう)を取寄せたら可いじゃ有りませんか」「そこです」と正太は切ないという容子(ようす)をして、「なるべく郷里へは言って遣りたくない……ああして、店は店で、若い者が堅めていてくれるんですからネ」 萎(しお)れた正太を見ると、何とかして三吉の方ではこの甥の銷沈(しょうちん)した意気を引立たせたく思った。彼はいくらかを正太の前に置いた。それがどういう遣(つか)い道の金であるとも、深く鑿(ほ)って聞かなかった。 やがて正太は自分の下宿を指して帰って行った。後で、お雪は台所の方を済まして出て来て、夫と一緒に釣洋燈(つりランプ)の前に立った。「正太さんは、未だ、何事(なんに)も為(な)すっていらッしゃらないんでしょうか」「どうも思わしい仕事が無さそうだ。石炭をやってみたいとか、何とか、来る度に話が変ってる。何卒(どうか)して早く手足を延ばすようにして遣りたいものだネ――あの人も、橋本の若旦那(わかだんな)として置けば、立派なものだが――」 こういう言葉を交換(とりかわ)して置いて、夫婦は同じようにお房の様子を見に行った。 お房の発熱は幾日となく続いた。庭に向いた部屋へ子供の寝床を敷いて、その枕頭(まくらもと)へお雪は薬の罎(びん)を運んだ。鞠(まり)だの、キシャゴだの、毛糸の巾着(きんちゃく)だの、それから娘の好きな人形なぞも、運んで行った。お房は静止(じっと)していなかった。臥(ね)たり起きたりした。 ある日、三吉は町から買物して、子供の方へ戻って来た。父の帰りと聞いて、お房は寝衣(ねまき)のまま、床の上に起直った。そして、家の周囲(まわり)に元気よく遊んでいる近所の娘達を羨(うらや)むような様子して、子供らしい眼付で父の方を見た。「房ちゃん、御土産(おみや)が有るぜ」 と三吉は美しい色のリボンをそこへ取出した。彼は、食のすすまない子供の為(ため)にと思って、ミルク・フッドなども買求めて来た。「へえ、こんな好いのをお父さんに買って頂いたの」 とお雪もそこへ来て言って、そのリボンを子供に結んでみせた。「房ちゃんは何か食べたかネ」と三吉は妻に尋ねた。「お昼飯(ひる)に、お粥(かゆ)をホンのぽっちり――牛乳は厭(いや)だって飲みませんし――真実(ほんと)に、何物(なんに)も食べたがらないのが一番心配です」「ねえ、房ちゃん、御医者様の言うことを聞いて、早く快(よ)く成ろうねえ。そうすると、父さんが房ちゃんに好く似合うような袴を買ってくれるよ」 こう父に言われて、お房は唯黙頭(うなず)いた。やがて復(ま)た横に成った。「ああ、父さんも疲れた」と三吉は子供の側へ身体(からだ)を投出すようにした。「菊ちゃんが居なくなって、急に家の内が寂しく成ったネ。ホラ、父さんが仕事をしてる時、机の前に二人並べて置いて、『父さんが好きか、母さんが好きか』と聞くと、房ちゃんは直に『父さん』と言うし――菊ちゃんの方は暫時(しばらく)考えていて、『父さんと母さんと両方』だトサ――あれで、菊ちゃんも、ナカナカ外交家だったネ」「何方(どっち)が外交家だか知れやしない」とお雪は軽く笑った。 病児を慰めようとして、三吉は種々なことを持出した。山に居る頃はお房もよく歌った兎(うさぎ)の歌のことや、それからあの山の上の家で、居睡(いねむり)してはよく叱られた下婢(おんな)が蛙(かわず)の話をしたことなぞを言出した。七年の長い田舎(いなか)生活の間、あの石垣の多い傾斜の方で、毎年のように旅の思をさせた蛙の声は、まだ三吉の耳にあった。それを子供に真似(まね)て聞かせた。「ヒョイヒョイヒョイヒョイヒョイ……グッグッ……グッグッ……」「いやあな父さん」 とお房は寝ながら父の方を見て言った。自然と出て来た微笑(えみ)は僅(わず)かにその口唇(くちびる)に上った。「房ちゃん、母さんが好い物を造(こしら)えて来ましたよ――すこし飲んでみておくれな」 とお雪は夫が買って来たミルク・フッドを茶碗(ちゃわん)に溶かして、匙(さじ)を添えて持って来た。子供は香ばしそうな飲料(のみもの)を一寸味(あじわ)ったばかりで、余(あと)は口を着けようともしなかった。その晩から、お房は一層激しい発熱の状態(ありさま)に陥った。何となくこの児の身体には異状が起って来た。「真実(ほんと)に、串談(じょうだん)じゃ無いぜ」 と三吉は物に襲われるような眼付をして、いかにしてもお房ばかりは救いたいということを妻に話した。不思議な恐怖は三吉の身体を通過ぎた。お雪も碌(ろく)に眠られなかった。 翌々日、お房は病院の方へ送られることに成った。病み震えている娘を抱起すようにして、母は汚(よご)れた寝衣を脱がせた。そして、山を下りる時に着せて連れて来たヨソイキの着物の筒袖(つつそで)へ、お房の手を通させた。「まあ、こんなに熱いんですよ」 とお雪が言うので、三吉はコワゴワ子供に触(さわ)ってみた。お房の身体は火のように熱かった。「病院へ行って御医者様に診(み)て頂くんだよ――シッカリしておいでよ」と三吉は娘を励ました。「母さん……前髪をとって頂戴(ちょうだい)な」 熱があっても、お房はこんなことを願って、リボンで髪を束ねて貰った。 頼んで置いた車が来た。先(ま)ずお雪が乗った。娘は、父に抱かれながら門の外へ出て、母の手に渡された。下婢(おんな)は乳呑児の種夫を連れて、これも車でその後に随(したが)った。「延、叔父さんもこれから行って見て来るからネ、お前に留守居を頼むよ」 こう三吉は姪に言い置いて、電車で病院の方へ廻ることにした。慌(あわただ)しそうに彼は家を出て行った。 留守には、親類の人達、近く郊外に住む友人などが、かわるがわる見舞に来た。「延ちゃん、お淋(さび)しいでしょうねえ」と庭伝いに来て言って、娘を慰める小学校の女教師もあった。子供の病が重いと聞いて、お雪は言うに及ばず、三吉まで病院を離れないように成ってからは、二番目の兄の森彦が泊りに来た。森彦は夕方に来て、朝自分の旅舎(やどや)へ帰った。 相変らず家の内はシンカンとしていた。道路(みち)を隔てて、向側の農家の方で鳴く鶏の声は、午後の空気に響き渡った。強い、充実した、肥(ふと)った体躯(からだ)に羽織袴を着け、紳士風の帽子を冠(かぶ)った人が、門の前に立った。この人が森彦だ――お延の父だ。その日は、お房が入院してから一週間余に成るので、森彦も病院へ見舞に寄って、例刻(いつも)よりは早く自分の娘の方へ来た。「阿父(おとっ)さん」 とお延は出て迎えた。 郷里(くに)を出て長いこと旅舎生活(やどやずまい)をする森彦の身には、こうして娘と一緒に成るのがめずらしくも有った。傍(そば)へ呼んで、病院の方の噂(うわさ)などをする娘の話振を聞いてみた。田舎から来てまだ間も無いお延が、都会の娘のように話せないのも無理はない、などと思った。「どうだね、お前の頭脳(あたま)の具合は――此頃(こないだ)もここの叔父さんが、どうも延は具合が悪いようだから、暫時(しばらく)学校を休ませてみるなんて言った――そんな勇気の無いこっちゃ、ダチカン」 思わず森彦は郷里(くに)の方の言葉を出した。そして、旧家の家長らしい威厳を帯びた調子で、博愛、忍耐、節倹などの人としての美徳であることを語り聞かせた。久しく森彦の傍に居なかったお延は、何となく父を憚(はばか)るという風で、唯黙って聞いていた。「や、菓子をくれるのを忘れた」 と森彦は思付いたように笑って、袂の内から紙の包を取出した。やがて、家の内を眺め廻しながら、「どうもここの家は空気の流通が好くない。此頃(こないだ)から俺はそう思っていた。それに、ここの叔父さんのようにああ煙草(たばこ)をポカポカ燻(ふか)したんじゃ……俺なぞは、毎晩休む時に、旅舎の二階を一度明けて、すっかり悪い空気を追出してから寝る。すこしでも煙草の煙が籠(こも)っていようものなら、もう俺は寝られんよ」 こうお延に話した。彼は娘から小刀を借りて、部屋々々の障子の上の部分をすこしずつ切り透(すか)した。「延――それじゃ俺はこれで帰るがねえ」「あれ、阿父さんは最早御帰りに成るかなし」「今日は叔父さんも一寸帰って来るそうだし――そうすれば俺は居なくても済む。丁度好い都合だった。これからもう一軒寄って行くところが有る。復た泊りに来ます」 家の方を案じて、三吉は夕方に病院から戻った。留守中、訪ねて来てくれた人達のことを姪から聞取った。「只今(ただいま)」 と三吉は縁側のところへ出て呼んだ。「オヤ、小泉さん、お帰りで御座いましたか」 庭を隔てて対(むか)い合っている裏の家からは、女教師の答える声が聞えた。 女教師は自分の家の格子戸をガタガタ言わせて出た。井戸の側(わき)から、竹の垣を廻って、庭伝いに三吉の居る方へやって来た。中学へ通う位の子息(むすこ)のある年配で、ハッキリハッキリと丁寧に物なぞも言う人である。「房子さんは奈何(いかが)でいらっしゃいますか。先日一寸(ちょっと)御見舞に伺いました時も、大層御悪いような御様子でしたが――真実(ほんと)に、私は御気の毒で、房子さんの苦しむところを見ていられませんでしたよ」 こう女教師は庭に立って、何処か国訛(くになまり)のある調子で言った。その時三吉は、簡単にお房の病気の経過を話して、到底助かる見込は無いらしいと歎息した。お延も縁側に出て、二人の話に耳を傾けた。「もし万一のことでも有りそうでしたら、病院から電報を打つ……医者がそう言ってくれるものですから、私もよく頼んで置いて、一寸用達(ようたし)にやって参りました」と三吉は附添(つけた)した。「まあ、貴方のところでは、どうしてこんなに御子さん達が……必(きっ)と御越に成る方角でも悪かったんでしょうッて、大屋さんの祖母(ばあ)さんがそう申しますんですよ。そんなことも御座いますまいけれど……でも、僅か一年ばかりの間に、皆さんが皆さん――どう考えましても私なぞには解りません」と言って、女教師は思いやるように、「あのまあ房子さんが、病院中へ響けるような声を御出しなすって、『母さん――母さん――』と呼んでいらッしゃいましたが、母さんの身に成ったらどんなで御座いましょう……そう申して、御噂(おうわさ)をしておりますんですよ」「一週間、ああして呼び続けに呼んでいました―最早あの声も弱って来ました」と三吉は答えた。 女教師が帰って行く頃は、植木屋の草屋根と暗い松の葉との間を通して、遠く黄に輝く空が映った。三吉は庭に出た。子供のことを案じながら、あちこちと歩いてみた。 夕飯の後、三吉は姪に向って、「延、叔父さんはこの一週間ばかり碌に眠らないんだからネ……今夜は叔父さんを休ませておくれ。お前も、頭脳(あたま)の具合が悪いようなら、早く御休み」 こう言って置いて、その晩は早く寝床に就(つ)いた。 何時(いつ)電報が掛って来るか知れないという心配は、容易に三吉を眠らせなかった。身体に附いて離れないような病院特別な匂いが、プーンと彼の鼻の先へ香(にお)って来た。その匂いは、何時の間にか、彼の心をお房の方へ連れて行った。電燈がある。寝台(ねだい)がある。子供の枕頭(まくらもと)へは黒い布(きれ)を掛けて、光の刺激を避けるようにしてある。その側には、妻が居る。附添の女が居る。種夫や下婢(おんな)も居る。白い制服を着た看護婦は病室を出たり入ったりしている。未だお房は、子供ながらに出せるだけの精力を出して、小さな頭脳(あたま)の内部(なか)が破壊(こわ)れ尽すまでは休(や)めないかのように叫んでいる――思い疲れているうちに、三吉は深いところへ陥入るように眠った。 翌日(あくるひ)は、午前に三吉が留守居をして、午後からお延が留守居をした。「叔母さん達のように、ああして子供の側に附いていられると可(い)いけれど――叔父さんは、お前、お金の心配もしなけりゃ成らん」 こんなことを言って出て行った三吉は、やがて用達から戻って来て、復(ま)た部屋に倒れた。何時の間にか、彼は死んだ人のように成った。「母さん――」 こういう呼声に気が付いて、三吉が我に返った頃は、遅かった。彼は夕飯後、しばらく姪と病院の方の噂をして、その晩も早く寝床に入ったが、自分で何時間ほど眠ったかということは知らなかった。次の部屋には、姪がよく寝入っている。身体を動かさずにいると、可恐(おそろ)しい子供の呼声が耳の底の方で聞える。「母さん、母さん、母さん――母さんちゃん――ちゃん――ちゃん――ちゃん」宛然(まるで)、気が狂(ちが)ったような声だ……それは三吉の耳について了(しま)って、何処に居ても頭脳(あたま)へ響けるように聞えた。 夢のように、門を叩(たた)く音がした。「小泉さん、電報!」 むっくと三吉は跳起(はねお)きた。表の戸を開けて、受取って見ると、病院から打って寄(よこ)したもので、「ミヤクハゲシ、スグコイ」とある。お延を起す為に、三吉は姪の寝ている方へ行った。この娘は一度「ハイ」と返事をして、復た寝て了った。「オイ、オイ、病院から電報が来たよ」「あれ、真実(ほんと)かなし」とお延は田舎訛(いなかなまり)で言って、床の上に起直った。「私は夢でも見たかと思った」「叔父さんは直に仕度をして出掛る。気の毒だが、お前、車屋まで行って来ておくれ」 と叔父に言われて、お延は眼を擦(こす)り擦り出て行った。 三吉が家の外に出て、車を待つ頃は、まだ電車は有るらしかった。稲荷祭(いなりまつり)の晩で、新宿の方の空は明るい。遠く犬の吠(ほ)える声も聞える。そのうちに車が来た。三吉は新宿まで乗って、それから電車で行くことにした。「延、お前は独(ひと)りで大丈夫かネ」 と三吉は留守を頼んで置いて出掛けた。お延は戸を閉めて入った。冷い寝床へ潜(もぐ)り込んでからも、種々なことを小さな胸に想像してみた時は、この娘もぶるぶる震えた。叔父が新宿あたりへ行き着いたかと思われる頃には、ポツポツ板屋根の上へ雨の来る音がした。 復た家の内は寂寞(せきばく)に返った。 車が門の前で停(とま)った。正太はそれから飛降りて、閉めてあった扉(と)を押した。「延ちゃん、皆な帰って来ましたよ」正太が入口の格子戸を開けて呼んだ。それを聞きつけて、お延は周章(あわ)てて出た。丁度森彦も来合せていて、そこへ顔を顕(あら)わした。「到頭房もいけなかったかい」「ええ、今朝……払暁(あけがた)に息を引取ったそうです……皆な、今、そこへ来ます」 森彦と正太とは、こう言合って、互に顔を見合せた。 間もなく三台の車が停った。お雪は乳呑児(ちのみご)を抱いて二週間目で自分の家へ帰って来た。下婢(おんな)も荷物と一緒に車を降りた。つづいて、三吉が一番年長(うえ)の兄の娘、お俊も、降りた。 三吉の車は一番後に成った。日の映(あた)った往来には、お房の遊友達が立留って、ささやき合ったり、眺(なが)めたりしていた。黒い幌(ほろ)を掛けて静かに引いて来た車は、その娘達の見ている前で停った。「叔父さん、手伝いましょうか」 と正太が車の側へ寄った。 お房は茶色の肩掛に包まれたまま、父の手に抱かれて来た。グタリとした子供の死体を、三吉は車から抱下(だきおろ)して、門の内へ運んだ。 仏壇のある中の部屋の隅には、人々が集って、お房の為に床を用意した。そこへ冷くなった子供を寝かした。顔は白い布で掩(おお)うた。「ホウ、こうして見ると、思いの外(ほか)大きなものだ……どうだネ、膝(ひざ)は曲げて遣(や)らなくても好かろうか」と森彦が注意した。「子供のことですから、このままで棺に納まりましょう」と正太を眺めた。「でも、すこし曲げて置いた方が好いかも知れません」 こう三吉は言ってみて、娘の膝を立てるようにさせた。氷のようなお房の足は最早自由に成らなかった。それを無理に折曲げた。お俊やお延は、水だの花だのを枕頭(まくらもと)へ運んだ。丁度、お雪が二番目の妹のお愛も、学校の寄宿舎から訪ねて来た。この娘は姉の傍へ寄って、一緒に成って泣いた。 午後には、裏の女教師が勝手口から上って、子供の死顔を見に来た。「真実(ほんと)に、何とも申上げようが御座いません……小泉さんは、まだそれでも男だから宜(よ)う御座んすが、こちらの叔母さんが可哀そうです」と女教師は言った。 お房が病んだ熱は、腸から来たもので無くて、実際は脳膜炎の為であった。それをお雪は女教師に話し聞かせた。白痴児(はくちじ)として生き残るよりは、あるいはこの方が勝(まし)かも知れない、と人々は言合った。 黄色く日中に燃(とぼ)る蝋燭(ろうそく)の火を眺めながら、三吉は窓に近い壁のところに倚凭(よりかか)っていた。「叔父さん、お疲れでしょう」と正太は三吉の前に立った。「なにしろ、君、初(はな)の一週間は助けたい助けたいで夜も碌(ろく)に眠らないでしょう。後の一週間は、子供の側に居るのもこれかぎりか、なんと思って復た起きてる……終(しまい)には、半分眠りながら看護をしていましたよ。すこし身体を横にしようものなら、直にもう死んだように成って了って……」「私なぞも、どうかすると豊世に子供でも有ったら、とそう思うことも有りますが、しかし叔父さんや叔母さんの苦むところを見ていますと、無い方が好いかとも思いますネ」「正太さん、煙草を持ちませんか。有るなら一本くれ給えな」 正太は袂(たもと)を探った。三吉は甥がくれた巻煙草に火を点(つ)けて、それをウマそうに燻(ふか)してみた。葬式の準備やら、弔辞(くやみ)を言いに来る人が有るやらで、家の内は混雑(ごたごた)した。三吉は器械のように起(た)ったり坐ったりした。 葬式の日は、親類一同、小さな棺の周囲(まわり)に集った。三吉が往時(むかし)書生をしていた家の直樹も来た。この子息(むすこ)は疾(とっく)に中学を卒業して、最早少壮(としわか)な会社員であった。 お俊も来た。「叔父さん、今日は吾家(うち)の阿父(おとっ)さんも伺う筈(はず)なんですが……伺いませんからッて、私が名代(みょうだい)に参りました」とお俊は三吉に向って、父の実が謹慎中の身の上であることを、それとなく言った。 その日は、お愛も長い紫の袴(はかま)を着けて来た。こうして東京に居る近い親類を見渡したところ、実を除いての年長者は、さしあたり森彦だ。森彦は、若い人達の発達に驚くという風で、今では学校の高等科に居るお俊や、優美な服装をしたお愛などに、自分の娘を見比べた。 正太は花を買い集めて来た。眠るようなお房の顔の周囲(まわり)はその花で飾られた。「お雪、房ちゃんの玩具(おもちゃ)は一緒に入れて遣ろうじゃないか」と三吉が言えば、「そうです、有ると反(かえ)って思出して不可(いけない)」と正太も言って、毬(まり)だの巾着(きんちゃく)だのを棺の隅々(すみずみ)へ入れた。「余程毛糸が気に入ったものと見えて、眼が見えなく成っても、未だ毛糸のことを言っていました」とお雪は、病院に居る間、子供に買ってくれた物を取出した。「それも入れて遣れ」 一切が葬られた。やがてお房は二人の妹の墓の方へ送られた。お雪は門の外へ出て、小さな棺の分らなくなるまでも見送った。「最早お房は居ない」こう思って、若葉の延びた金目垣(かなめがき)の側に立った時は、母らしい涙が流れて来た。お雪は家の内へ入って、泣いた。 山から持って来た三吉の仕事は意外な反響を世間に伝えた。彼の家では、急に客が殖(ふ)えた。訪ねて来る友達も多かった。しかし、主人(あるじ)は居るか居ないか分らないほどヒッソリとして、どうかすると表の門まで閉めたままにして置くことも有った。 三吉は最早、子供なぞはどうでも可いと言うことの出来ない人であった。多くの困難を排しても進もうとした努力が、どうしてこんな悲哀(かなしみ)の種に成るだろう、と彼の眼が言うように見えた。「彼処(あすこ)に子供が三人居るんだ」――この思想(かんがえ)に導かれて、幾度(いくたび)か彼の足は小さな墓の方へ向いた。家から墓地へ通う平坦(たいら)な道路(みち)の両側には、すでに新緑も深かった。到る処の郊外の日あたりに、彼は自分の心によく似た憂鬱(ゆううつ)な色を見つけた。しかし彼は、寺の周囲(まわり)を彷徨(さまよ)って来るだけで、三つ並んだ小さな墓を見るに堪(た)えなかった。それを無理にも行こうとすれば、頭脳(あたま)がカッと逆上(のぼ)せて、急に倒れかかりそうな激しい眩暈(めまい)を感じた。いつでも寺の前まで行きかけては、途中から引返した。「父さんは薄情だ。子供の墓へ御参りもしないで……」 とお雪はよくそれを言った。 寄ると触ると、家では子供の話が出た。何時の間にか三吉の心も、家のものの話の方へ行った。 お雪は姪(めい)をつかまえて、夫の傍で種夫に乳を呑ませながら、「繁ちゃんの亡くなった時は、まだ房ちゃんは何事(なんに)も知りませんでしたよ。でも、菊ちゃんの時には最早よく解っていましたッけ――あの時は皆な一緒に泣きましたもの」「なアし」とお延も思出したように、「あれを思うと、房ちゃんが眼に見えるようだ」「真実(ほんと)に、繁ちゃんの時は皆な夢中でしたよ――私が、『御覧なさいな、繁ちゃんはノノサンに成ったんじゃ有りませんか』と言えば、房ちゃんと菊ちゃんとも平気な顔して、『死んじゃったのよ、死んじゃったのよ』と言いながら、棺の周囲(まわり)を踊って歩きましたよ。そして、死んだ子供の側へ行って、噴飯(ふきだ)すんですもの」「まあ」「しかし、二人とも達者でいる時分には、よく繁ちゃんの御墓へ連れて行って、桑の実を摘(と)って遣(や)りましたッけ。繁ちゃんの桑の実だからッて教えて置いたもんですから、行くと――繁ちゃん桑の実頂戴(ちょうだい)ッて断るんですよ。そうしちゃあ、二人で頂くんです……あの御墓の後方(うしろ)にある桑の樹は、背が高いでしょう。だもんですから、母さん摘って下さいッて言っちゃあ……」「オイ、何か他の話にしようじゃないか」 と三吉が遮(さえぎ)った。子供の話が出ると、必(きっ)と終(しまい)には三吉がこう言出した。「種ちゃん」お延はアヤすように呼んだ。「この子は又、どうしてこんなに弱いんでしょう」とお雪は種夫の顔を熟視(みまも)りながら言った。 蹂躙(ふみにじ)られるような目付をして、三吉も種夫の方を見た。その時、夫婦は顔を見合せた。「ひょッとかすると、この児も?」この無言の恐怖が互の胸に伝わった。三人の娘達を見た目で弱い種夫を眺めると、十分な発育さえも気遣(きづか)われた。 急に日が強く映(あた)って来た。すこし湿った庭土は、熱い、黄ばんだ色を帯びた。木犀(もくせい)の葉影もハッキリと地にあった。三吉は帽子を手にして、そこいらを散歩して来ると言って、出て行った。「そう言えば、繁ちゃんの肉体(からだ)は最早腐って了ったんでしょうねえ」 とお雪は姪に言って、歎息(たんそく)した。彼女は乳呑児を抱きながら縁側のところへ出て眺めた。日光は輝いたり、薄れたりするような日であった。お延は庭へ下りた。菫(すみれ)の唱歌を歌い出した。それはお房やお菊が未だピンピンしている時分に、二人して家の周囲(まわり)をよく歌って歩いたものである。お雪は、死んだ娘の声を探すような眼付して、一緒に低い声で歌って見た。勝手口の方でも調子を合せる声が起った。 夕方に三吉はボンヤリ帰って来た。「何だか俺は気でも狂(ちが)いそうに成って来た。一寸磯辺(いそべ)まで行って来る」 こう家のものに話した。その晩、急に彼は旅行を思い立った。そして、そこそこに仕度を始めた。山にある友人の牧野からは休みに来い来いと言って寄(よこ)すが、その時は唯(ただ)一人で、世間を忘れるようなところへ行きたかった。翌朝(よくあさ)早く、彼は磯辺の温泉宿を指して発(た)って行った。「あれ、叔父さんは最早(もう)帰って御出(おいで)たそうな」 とお延は入口の庭に立って言った。 お雪が生家(さと)の方で老祖母(おばあさん)の死去したという報知(しらせ)は、旅にある三吉を驚かした。二三日しか彼は磯辺に逗留(とうりゅう)しなかった。電報を受取ると直ぐ急いで家の方へ引返して来た。「種ちゃん、父さんの御帰りだよ」とお雪も乳呑児を抱きながら、夫を迎えた。「よく、こんなに早く帰られましたネ、皆な貴方のことを心配しましたよ」「道理で、森彦さんからも見舞の電報を寄した。どうも変だと思った――俺は又、お前の方を案じていた」 ホッと溜息(ためいき)を吐(つ)いて三吉は老祖母の話に移った。 この老祖母の死は、今更のように名倉(なくら)の大きな家族のことを思わせた。別に竈(かまど)を持った孫娘だけでも二人ある。まだ修業中の孫から、多勢の曾孫(ひいまご)を加えたら、余程の人数に成る。お雪ばかりは、その中でも、遠く嫁(かたづ)いて来た方であるが、この葬式は是非とも見送りたかった。三吉は又、種夫に下婢(おんな)を附けて一緒に遣るつもりで帰って来た。「さあ、今度はお前が出掛ける番だ」と三吉が言った。「でも、俺の仕事が済んだ後で好かった……買う物があったら買ったら可(よ)かろう。何か土産(みやげ)も用意して行かんけりゃ成るまい」「土産なんか要(い)りません。一々持って行った日にゃ大変です」 お雪は妹だの、姪だのを数えてみた。 久し振で生家(さと)へ帰る妻の為にと思って、三吉は名倉の娘達の許(もと)へ何か荷物に成らない物を見立てようとした。旅費を用意したり、買物したりして、夫が町から戻って来る頃は、妻は旅仕度に忙しかった。 あわただしい中にも、種々なことがお雪の胸の中を往来した。長い年月の間、夫と艱難(かんなん)を共にした後で、彼女は自分の生家を見に行く人である。今まで殆んど出なかった家を出、遠く夫を離れて、両親や姉妹(きょうだい)やそれから友達などと一緒に成りに行く人である。光る帆、動揺する波、鴎(かもめ)の鳴声……可懐(なつか)しいものは故郷の海ばかりでは無かった。曾(かつ)て、彼女が心を許した勉(つとむ)――その人を自分の妹の夫としても見に行く人である。「叔母さん、御郷里(おくに)へ御帰り?……御取込のところですネ」 こう言って、翌朝(よくあさ)正太が訪ねて来た頃は、手荷物だの、子供の着物だのが、部屋中ごちゃごちゃ散乱(とりちら)してあった。「正太さん、御免なさいまし」とお雪は帯を締めながら挨拶(あいさつ)した。「どれ、子供をここへ連れて来て見ナ」 と三吉に言われて、下婢はそこに寝かしてあった種夫を抱いて来た。「余程気をつけて連れて行かないと、不可(いけない)ぜ」「よくああして温順(おとな)しく寝ていたものだ」と正太も言った。「まだ、君、毎日浣腸(かんちょう)してますよ。そうしなけりゃ通じが無い……玩具(おもちゃ)でも宛行(あてが)って置こうものなら、半日でも黙って寝ています。房ちゃん達から見ると、ずっとこの児は弱い」「これで御郷里(おくに)の方へでも連れていらしッたら、また壮健(じょうぶ)に成るかも知れません」「まあ、一夏も向(むこう)に居て来るんです」「真実(ほんと)に叔母さんも御苦労様――女の旅は容易じゃ有りませんネ」 お雪は二人の話を聞きながら、白足袋(しろたび)を穿(は)いた。「私が留守に成ったら、父さんも困るでしょうから、お俊ちゃんにでも来ていて頂くつもりです」と彼女は言った。そのうちに仕度が出来た。お雪は夫や正太と一緒に旅立の茶を飲んだ。「種ちゃんにも、一ぱい飲まして」 とお雪は懐(ふところ)をひろげて、暗い色の乳首を子供の口へ宛行(あてが)った。お延は車宿を指して走って行った。 甥(おい)に留守を頼んで置いて、一寸三吉は新宿の停車場(ステーション)まで妻子を送りに行った。帰って見ると、正太は用事ありげに叔父を待受けていた。「正太さん、君はまだ朝飯前じゃなかったんですか。僕は言うのを忘れた」「いえ、早く済まして来ました」「めずらしいネ」「私のような寝坊ですけれど、めずらしく早く起きました。下宿の膳(ぜん)に対(むか)って、つくづく今朝は考えました……なにしろ一年の余にも成るのに、未だこうしてブラブラしているんですからネ……」 正太は激昂(げっこう)するように笑った。暗い前途にいくらかの明りを見つけたと言出した。その時彼は叔父の思惑(おもわく)を憚(はばか)るという風であったが、やや躊躇(ちゅうちょ)した後で、自分の行くべき道は兜町(かぶとちょう)の方角より外に無い――尤(もっと)も、これは再三再四熟考した上のことで、いよいよ相場師として立とうと決心した、と言出した。 何か冒険談でも聞くように、しばらく三吉は正太の話に耳を傾けていたが、やがて甥の顔を眺めて、「しかし君、――実さんにせよ、森彦さんにせよ、皆な儲(もう)けようという人達でしょう。そういう人達が揃(そろ)っていても、容易に儲からない世の中じゃ有りませんか。兜町へ入ったからッて、必ず儲かるとは限りませんぜ」「実叔父さん達と、私とは、時代が違います」と正太は力を入れた。「まあ僕のような門外漢から見ると、商売なり何なりに重きを置いてサ、それから儲けて出るというのが、実際の順序かと思うネ。名倉の阿爺(おやじ)を見給え。あの人は事業をした。そして、儲けた。どうも君等のは儲けることばかり先に考えて掛ってるようだ……だから相場なんて方に思想(かんがえ)が向いて行くんじゃ有りませんか」「そこです。私は相場を事業として行(や)ります。一寸手を出してみて、直ぐまた止(や)めて了うなんて、そんな行き方をする位なら、初から私は関係しません……先(ま)ず店員にでも成って、それから出発するんです……私は兜町に骨を埋(うず)める覚悟です……」「それほどの決心があるなら、君の思うように行(や)って見るサ。僕は君、何でも行(や)りたか行れという流儀だ」「そう叔父さんに言って頂くと、私も難有(ありがた)い――森彦叔父さんなぞは何と言うか知らないが……」 森彦の方へ行けば森彦のように考え、三吉の許(ところ)へ来れば三吉のように考えるのが、正太の癖であった。丁度、この植木屋の地内に住む女教師の夫というは、兜町方面に明るい人である。で、正太は話を進めて叔父からその人に口を利(き)いて貰うように、こう頼んだ。 何となく不安な空気を残して置いて、甥は帰って行った。「正太さんも本気で行(や)る積りかナア」と三吉は言ってみて、とにかく甥のために、頼めるだけのことは頼もうと思った。その日の午後、三吉は庭伝いに女教師の家の横を廻って、沢山盆栽鉢(ばち)の置並べてあるところへ出た。植木屋の庭の一部は、やがて女教師の家の庭であった。子息(むすこ)の中学生は三脚椅子に腰掛けて、何かしきりと写生していた。 女教師の旦那(だんな)というは、官吏生活もしたことの有るらしい人で、今では兜町に隠れて、手堅くある店を勤めていた。三吉は一ぱい物の散乱(ちらか)してある縁側のところへ行って、この阿爺(おとっ)さんとも言いたい年配の人の前に立った。「アアそうですか。宜(よろ)しい。承知しました」と女教師の旦那は、心易(やす)い調子で、三吉から種々(いろいろ)聞取った後で言った。「橋本さんなら、私も御見掛申して知っています。御年齢(おとし)は何歳(いくつ)位かナ」「私より三つ年少(した)です」「むむ、未だ御若い。これから働き盛りというところだ。御気質はどんな方ですか――そこも伺って置きたい」「そうですナア。ああして今では浪人していますが、一体華美(はで)なことの好きな方です」「それでなくッちゃ不可(いけない)――相場師にでも成ろうという者は、人間が派手でなくちゃ駄目です。では、私の許(ところ)まで簡単な履歴書をよこして下さい。宜しい。一つ心当りを問合せてみましょう」 女教師の旦那は引受けてくれた。 甥のことを頼んで置いて、自分の家へ引返してから、三吉は不取敢(とりあえず)正太へ宛(あ)てて書いた。その時は姪のお延と二人ぎりであった。「叔母さん達も、最早余程(よっぽど)行ったわなアし」とお延は、叔父の傍へ来て、旅の人達の噂をした。「こんな機会でもなければ、叔母さんだって置いて行かれるもんじゃない――今度出掛けたのは、叔母さんの為にも好い」 こう三吉は姪に言い聞かせた。彼は、自分でも、何卒(どうか)して子を失った悲哀(かなしみ)を忘れたいと思った。        二 諸方の学校が夏休に成る頃、お俊は叔父の家を指して急いで来た。妹のお鶴も姉に随(つ)いて来た。叔父が家の向側には、農家の垣根(かきね)のところに、高く枝を垂れた百日紅(さるすべり)の樹があった。熱い、紅(あか)い、寂しい花は往来の方へ向って咲いていた。 お俊は妹と一緒に格子戸を開けて入った。「あら、お俊姉さま――」 とお延は飛立つように喜んで迎えた。お俊姉妹(きょうだい)と聞いて、三吉も奥の方から出て来た。「叔父さん。もっと早く御手伝いに伺う筈(はず)でしたが、つい学校の方がいそがしかったもんですから――」とお俊が言った。「延ちゃん一人で、さぞ御困りでしたろう」「真実(ほんと)に、鶴(つう)ちゃんもよく来て下すった」とお延は嬉しそうに。「今日は一緒に連れて参りました、学校が御休だもんですから」「へえ、鶴ちゃんの方は未だ有るのかい」と三吉が聞いた。「この娘(こ)の学校は御休が短いんです……あの、吾家(うち)の阿父(おとっ)さんからも叔父さんに宜しく……」「お俊姉さまが来て下すったんで、真実(ほんと)に私は嬉しい」とお延はそれを繰返し言った。 長い長い留守居の後で、お俊姉妹は漸(ようや)く父の実と一緒に成れたのである。この二人の娘は叔父達の力と、母お倉(くら)の遣繰(やりくり)とで、僅(わず)かに保護されて来たようなものであった。三吉がはじめて家を持つ時分は、まだお俊は小学校を卒業したばかりの年頃であった。それがこうして手伝いなぞに来るように成った。お俊は幾年振かで叔父の側に一夏を送りに来た。「鶴ちゃん、お裏の方へ行って見ていらっしゃい」とお俊が言った。「鶴ちゃんも大きく成ったネ」「あんなに着物が短く成っちゃって――もうズンズン成長(しとな)るんですもの」 お鶴はキマリ悪そうにして、笑いながら庭の方へ下りて行った。「俊、お前のとこの阿父(おとっ)さんは何してるかい」「まだ何事(なんに)もしていません……でも、朝なぞは、それは早いんですよ。今まで家のものにサンザン苦労させたから、今度は乃公(おれ)が勤めるんだなんて、阿父さんが暗いうちから起きてお釜(かま)の下を焚付(たきつ)けて下さるんです……習慣に成っちゃって、どうしても寝ていられないんですッて……阿母(おっか)さんが起出す時分には、御味噌汁(おみおつけ)までちゃんと出来てます……」「それを思うと気の毒でもあるナ」「阿母さん一人の時分には、家の内だってそう関(かま)わなかったんですけれど、阿父さんが帰っていらしッたら、何時の間にか綺麗(きれい)に片付いちまいました――妙なものねえ」 庭の方で笑い叫ぶ声がした。お鶴は滑(すべ)って転(ころ)んだ。お延は駈出(かけだ)して行った。お俊も笑いながら、妹の着物に附いた泥を落してやりに行った。 その晩、三吉の家では、めずらしく賑(にぎや)かな唱歌が起った。娘達は楽しい夏の夜を送る為に集った。暗い庭の方へ向いた部屋には、叔父が冷(すず)しい夜風の吹入るところを選んで、独(ひと)り横に成っていた。叔父は別に燈火(あかり)も要(い)らないと言うので、三人の姪(めい)の居るところだけ明るい。一つにして隅(すみ)の方に置いた洋燈(ランプ)の光は、お鶴が白い単衣(ひとえ)だの、お俊が薄紅い帯だのに映った。「鶴ちゃん、叔父さんに遊戯をしてお見せなさいよ」とお俊がすすめた。「何にしましょう……」とお鶴は考えて、「もしもし亀よにしましょうか」「浦島が好いわ」 旧(ふる)い小泉の家――その頽廃(たいはい)と零落との中から、若草のように成長した娘達は、叔父に聞かせようとして一緒に唱歌を歌い出した。お鶴は編み下げた髪のリボンを直して、短い着物の皺(しわ)を延しながら起立(たちあが)った。姉や従姉妹(いとこ)が歌う種々な唱歌につれて、この娘は部屋の内を踊って遊んだ。 三吉は縁側の方から眺(なが)めながら、「ウマい、ウマい――何か、御褒美(ごほうび)を出さんけりゃ成るまい」「鶴ちゃん、もう沢山よ」 と姉に言われても、妹は遊戯に夢中に成った。一つや二つでは聞入れなかった。 一晩泊ってお鶴は帰って行った。翌日から勝手の方では、若々しい笑声が絶えなかった。四五日降ったり晴れたりした後で、烈(はげ)しい朝日が射して来た。暑く成らないうちに、と思って、お俊は井戸端へ盥(たらい)を持出した。お延も手桶(ておけ)を提(さ)げて、竹の垣を廻った。長い袖(そで)をまくって、洗濯物を始めたお俊の側には、お延が立って井戸の水を汲(く)んだ。「ああ、今日は朝から身体(からだ)が菎蒻(こんにゃく)のように成っちゃった。牛蒡(ごぼう)のようにピンとして歩けん――」 こんなことをお延が言って、年長(としうえ)の従姉妹を笑わせた。お俊は釣瓶(つるべ)の水を分けて貰って復(ま)たジャブジャブ洗った。 庭には物を乾(ほ)す余地が可成(かなり)広くあった。やがてお俊は洗濯した着物を長い竿(さお)に通して、それを高く揚げた。「うれしい!」 思わず彼女は叫んだ。お延は立って眺めていた。「学校の先生が、夏休の間に考えていらッしゃいという問題を、ひょいと思出してよ」 こうお俊が話し聞かせて、お延と一緒に勝手口から上った。二人は意味もなく起って来る微笑(えみ)を交換(とりかわ)した。互に、濡(ぬ)れた、あらわな手を拭(ふ)いた。 空は青い海のように光った。イヤというほど照りつけて来た日光は、白い干物に反射して、家の内に満ち溢(あふ)れた。午後から、娘達は思い思いの場所を選んで足を投出したり、柱に倚凭(よりかか)ったりした。三吉は、南の窓に近く、ハンモックを釣った。そこへ蒸されるような体躯(からだ)を載せた。熱い地の息と、冷(すず)しい風とが妙に混り合って、窓を通して入って来る。単調な蝉(せみ)の歌は何時の間にか彼の耳を疲れさせた。 憂鬱(ゆううつ)な眼付をして、三吉が昼寝から覚(さ)めた時は、虻(あぶ)にでも刺されたらしい疼痛(いたみ)を覚えた。お俊は髪に塗る油を持って来て、それを叔父に勧めた。「延ちゃん――まあ、来て御覧なさいよ」とお俊が笑いながら呼んだ。「三吉叔父さんはこんなに白髪(しらが)が生(は)えてよ」 お延は勝手の方から手を振ってやって来た。「オイ、オイ」と三吉は自分の子供にでも戯(たわむ)れるように言った。「そうお前達のように馬鹿にしちゃ困るぜ……これでも叔父さんは金鵄(きんし)勲章の積りだ」「あんな負惜みを言って」とお延は訳も無しに笑った。「ねえ、延ちゃん、有れば仕方が無いわ」と言って、お俊は叔父の傍へ寄って、「叔父さん、ジッとしていらッしゃい――抜いて進(あ)げましょうネ。前の方はそんなでも無いけれど、鬢(びん)のところなぞは、一ぱい……こりゃ大変だ……容易に取尽せやしないわ」 お俊は叔父の髪に触れて、一本々々択(え)り分けた。凋落(ちょうらく)を思わせるような、白い、光ったやつが、どうかすると黒い毛と一緒に成って抜けて来た。「叔父さん、どうしてこんなに髪がこわれるんでしょう」 勝手の方から来たお俊は、叔父の傍へ寄って、親しげな調子で言った。この姪は三吉を頼りにするという風で、子が親に言うようなことまで話して聞かせようとした。「どうして夏はこんなに――」 と復たお俊は言って、うしろむきに身を斜にして見せた。彼女は、乾きくずれた束髪の根を掴(つか)んで、それを叔父に動かして見せたりなぞした。 庭の洗濯物も乾いた。二人の姪は屋外(そと)に出て着物や襦袢(じゅばん)を取込みながら、互に唱歌を歌った。この半分夢中で合唱しているような、何となく生気のある、浮々とした声は、叔父の心を誘った。三吉は縁側のところに立って、乾いた着物を畳んでいる娘達の無心な動作を眺めた。そして、お雪や正太(しょうた)の細君なぞに比べると、もっとずっと嫩(わか)い芽が、最早(もう)彼の周囲(まわり)に頭を持ち上げて来たことを、めずらしく思った。 蘇生(いきかえ)るような空気が軒へ通って来た。夕方から三吉は姪を集めて、遠く生家(さと)の方に居るお雪の噂(うわさ)を始めた。表の方の農家でも往来へ涼台(すずみだい)を持出して、夏の夜風を楽しむらしかった。ジャン拳(けん)で負けて氷を買いに行ったお延は、やがて戻って来た。お俊はコップだの、砂糖の壺(つぼ)だのを運んだ。「皆なに御馳走(ごちそう)するかナ」 と三吉は、赤い葡萄酒(ぶどうしゅ)の残りを捜出(さがしだ)して、それを砕いた氷にそそいだ。 お俊の娘らしい話は、手紙のことに移って行った。切手を故意に倒(さかさ)まに貼(は)るのは敵意をあらわすとか、すこし横に貼るのは恋を意味するとか、そんなことを言出す。敵意のあるものなら、手紙を遣取(やりとり)するのも少し変ではないか、こう叔父が混返(まぜかえ)したのが始まりで、お俊は負けずに言い争った。「叔父さんなんか、そういうことはよく知っていらッしゃるくせに」 と軽く笑って、それからお俊は彼女が学校生活を叔父に語り始めた。三吉は時々、手にしたコップを夜の燈火(あかり)に透かして見ながら、「そうかナア」という眼付をして、耳を傾けていた。「私は涅槃(ねはん)という言葉が大好よ」とお俊は冷そうに氷を噛(か)んで言った。「あら、いやだ」とお延はコップの中を掻廻(かきまわ)して、「それじゃ、お俊姉さまのことを、これから涅槃と……」「涅槃ッて、何だか音(おん)からして好いわ」 こんなことからお俊の話は解けて、よく学校の裏手にある墓地へ遊びに行くことを言出した。そこの古い石に腰掛け、落葉の焼けるにおいを嗅(か)ぎながら、読書するのが彼女の楽みであると言出した。「学校の先生が――小泉さん、貴方(あなた)は誰にも悪(にく)まれないが、そのかわり人に愛される性質(たち)で反(かえ)って不可(いけない)――貴方は余程シッカリしていないといけません、その為に苦労することが有るからッて……」 こう言いかけて、お俊は癖のように着物の襟(えり)を掻合せて、「叔父さんやなんかのことは、自分の身に近い人ですから解りませんがネ……私の知ってる人で、一人も心から敬服するという人は無いのよ。あの人はエライ人だとか、何だとか言われる人でも、私は直にその人の裏面(うら)を見ちゃってよ――妙に、私には解るの――解るように成って来るの」 お延は叔父と従姉妹の顔を見比べた。「私は二十五に成ったら、叔父さんに自分の通過(とおりこ)して来たことを話しましょう。よく小説にいろいろなことが書いてあるけれど、自分の一生を考えると、あんなことは何でも無いわ。私の遭遇(であ)って来たことは、小説よりも、もっともっと種々(いろいろ)なことが有る」「そんなら、今ここで承りましょう」と三吉は半分串談(じょうだん)のように。
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