破戒
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著者名:島崎藤村 

この書の世に出づるにいたりたるは、函館にある秦慶治氏、及び信濃にある神津猛氏のたまものなり。労作終るの日にあたりて、このものがたりを二人の恩人のまへにさゝぐ。


   第壱章

       (一)

 蓮華寺(れんげじ)では下宿を兼ねた。瀬川丑松(うしまつ)が急に転宿(やどがへ)を思ひ立つて、借りることにした部屋といふのは、其蔵裏(くり)つゞきにある二階の角のところ。寺は信州下水内郡(しもみのちごほり)飯山町二十何ヶ寺の一つ、真宗に附属する古刹(こせつ)で、丁度其二階の窓に倚凭(よりかゝ)つて眺めると、銀杏(いてふ)の大木を経(へだ)てゝ飯山の町の一部分も見える。さすが信州第一の仏教の地、古代を眼前(めのまへ)に見るやうな小都会、奇異な北国風の屋造(やづくり)、板葺の屋根、または冬期の雪除(ゆきよけ)として使用する特別の軒庇(のきびさし)から、ところ/″\に高く顕(あらは)れた寺院と樹木の梢まで――すべて旧めかしい町の光景(ありさま)が香の烟(けぶり)の中に包まれて見える。たゞ一際(ひときは)目立つて此窓から望まれるものと言へば、現に丑松が奉職して居る其小学校の白く塗つた建築物(たてもの)であつた。
 丑松が転宿(やどがへ)を思ひ立つたのは、実は甚だ不快に感ずることが今の下宿に起つたからで、尤(もつと)も賄(まかなひ)でも安くなければ、誰も斯様(こん)な部屋に満足するものは無からう。壁は壁紙で張りつめて、それが煤(すゝ)けて茶色になつて居た。粗造な床の間、紙表具の軸、外には古びた火鉢が置いてあるばかりで、何となく世離れた、静寂(しづか)な僧坊であつた。それがまた小学教師といふ丑松の今の境遇に映つて、妙に佗(わび)しい感想(かんじ)を起させもする。
 今の下宿には斯(か)ういふ事が起つた。半月程前、一人の男を供に連れて、下高井の地方から出て来た大日向(おほひなた)といふ大尽(だいじん)、飯山病院へ入院の為とあつて、暫時(しばらく)腰掛に泊つて居たことがある。入院は間もなくであつた。もとより内証はよし、病室は第一等、看護婦の肩に懸つて長い廊下を往つたり来たりするうちには、自然(おのづ)と豪奢(がうしや)が人の目にもついて、誰が嫉妬(しつと)で噂(うはさ)するともなく、『彼(あれ)は穢多(ゑた)だ』といふことになつた。忽ち多くの病室へ伝(つたは)つて、患者は総立(そうだち)。『放逐して了(しま)へ、今直ぐ、それが出来ないとあらば吾儕(われ/\)挙(こぞ)つて御免を蒙る』と腕捲(うでまく)りして院長を脅(おびやか)すといふ騒動。いかに金尽(かねづく)でも、この人種の偏執(へんしふ)には勝たれない。ある日の暮、籠に乗せられて、夕闇の空に紛れて病院を出た。籠は其儘(そのまゝ)もとの下宿へ舁(かつ)ぎ込まれて、院長は毎日のやうに来て診察する。さあ今度は下宿のものが承知しない。丁度丑松が一日の勤務(つとめ)を終つて、疲れて宿へ帰つた時は、一同『主婦(かみさん)を出せ』と喚(わめ)き立てるところ。『不浄だ、不浄だ』の罵詈(ばり)は無遠慮な客の口唇(くちびる)を衝(つ)いて出た。『不浄だとは何だ』と丑松は心に憤つて、蔭ながらあの大日向の不幸(ふしあはせ)を憐んだり、道理(いはれ)のないこの非人扱ひを慨(なげ)いたりして、穢多の種族の悲惨な運命を思ひつゞけた――丑松もまた穢多なのである。
 見たところ丑松は純粋な北部の信州人――佐久小県(さくちひさがた)あたりの岩石の間に成長した壮年(わかもの)の一人とは誰の目にも受取れる。正教員といふ格につけられて、学力優等の卒業生として、長野の師範校を出たのは丁度二十二の年齢(とし)の春。社会(よのなか)へ突出される、直に丑松はこの飯山へ来た。それから足掛三年目の今日、丑松はたゞ熱心な青年教師として、飯山の町の人に知られて居るのみで、実際穢多である、新平民であるといふことは、誰一人として知るものが無かつたのである。
『では、いつ引越していらつしやいますか。』
 と声をかけて、入つて来たのは蓮華寺の住職の匹偶(つれあひ)。年の頃五十前後。茶色小紋の羽織を着て、痩せた白い手に珠数(ずゝ)を持ち乍(なが)ら、丑松の前に立つた。土地の習慣(ならはし)から『奥様』と尊敬(あが)められて居る斯(こ)の有髪(うはつ)の尼は、昔者として多少教育もあり、都会(みやこ)の生活も万更(まんざら)知らないでも無いらしい口の利き振であつた。世話好きな性質を額にあらはして、微な声で口癖のやうに念仏して、対手(あひて)の返事を待つて居る様子。
 其時、丑松も考へた。明日(あす)にも、今夜にも、と言ひたい場合ではあるが、さて差当つて引越しするだけの金が無かつた。実際持合せは四十銭しかなかつた。四十銭で引越しの出来よう筈も無い。今の下宿の払ひもしなければならぬ。月給は明後日(あさつて)でなければ渡らないとすると、否(いや)でも応でも其迄待つより外はなかつた。
『斯うしませう、明後日の午後(ひるすぎ)といふことにしませう。』
『明後日?』と奥様は不思議さうに対手の顔を眺めた。
『明後日引越すのは其様(そんな)に可笑(をかし)いでせうか。』丑松の眼は急に輝いたのである。
『あれ――でも明後日は二十八日ぢやありませんか。別に可笑いといふことは御座(ござい)ませんがね、私はまた月が変つてから来(いら)つしやるかと思ひましてサ。』
『むゝ、これはおほきに左様(さう)でしたなあ。実は私も急に引越しを思ひ立つたものですから。』
 と何気なく言消して、丑松は故意(わざ)と話頭(はなし)を変へて了(しま)つた。下宿の出来事は烈しく胸の中を騒がせる。それを聞かれたり、話したりすることは、何となく心に恐しい。何か穢多に関したことになると、毎時(いつ)もそれを避けるやうにするのが是男の癖である。
『なむあみだぶ。』
 と口の中で唱へて、奥様は別に深く掘つて聞かうともしなかつた。

       (二)

 蓮華寺を出たのは五時であつた。学校の日課を終ると、直ぐ其足で出掛けたので、丑松はまだ勤務(つとめ)の儘の服装(みなり)で居る。白墨と塵埃(ほこり)とで汚れた着古しの洋服、書物やら手帳やらの風呂敷包を小脇に抱へて、それに下駄穿(げたばき)、腰弁当。多くの労働者が人中で感ずるやうな羞恥(はぢ)――そんな思を胸に浮べ乍ら、鷹匠(たかしやう)町の下宿の方へ帰つて行つた。町々の軒は秋雨あがりの後の夕日に輝いて、人々が濡れた道路に群つて居た。中には立ちとゞまつて丑松の通るところを眺めるもあり、何かひそひそ立話をして居るのもある。『彼処(あそこ)へ行くのは、ありやあ何だ――むゝ、教員か』と言つたやうな顔付をして、酷(はなはだ)しい軽蔑(けいべつ)の色を顕(あらは)して居るのもあつた。是が自分等の預つて居る生徒の父兄であるかと考へると、浅猿(あさま)しくもあり、腹立たしくもあり、遽(にはか)に不愉快になつてすたすた歩き初めた。
 本町の雑誌屋は近頃出来た店。其前には新着の書物を筆太に書いて、人目を引くやうに張出してあつた。かねて新聞の広告で見て、出版の日を楽みにして居た『懴悔録』――肩に猪子(ゐのこ)蓮太郎氏著、定価までも書添へた広告が目につく。立ちどまつて、其人の名を思出してさへ、丑松はもう胸の踊るやうな心地(こゝち)がしたのである。見れば二三の青年が店頭(みせさき)に立つて、何か新しい雑誌でも猟(あさ)つて居るらしい。丑松は色の褪(あ)せたズボンの袖嚢(かくし)の内へ手を突込んで、人知れず銀貨を鳴らして見ながら、幾度か其雑誌屋の前を往つたり来たりした。兎(と)に角(かく)、四十銭あれば本が手に入る。しかし其を今茲(こゝ)で買つて了へば、明日は一文無しで暮さなければならぬ。転宿(やどがへ)の用意もしなければならぬ。斯ういふ思想(かんがへ)に制せられて、一旦は往きかけて見たやうなものゝ、やがて、復(ま)た引返した。ぬつと暖簾(のれん)を潜つて入つて、手に取つて見ると――それはすこし臭気(にほひ)のするやうな、粗悪な洋紙に印刷した、黄色い表紙に『懴悔録』としてある本。貧しい人の手にも触れさせたいといふ趣意から、わざと質素な体裁を択(えら)んだのは、是書(このほん)の性質をよく表して居る。あゝ、多くの青年が読んで知るといふ今の世の中に、飽くことを知らない丑松のやうな年頃で、どうして読まず知らずに居ることが出来よう。智識は一種の饑渇(ひもじさ)である。到頭四十銭を取出して、欲(ほし)いと思ふ其本を買求めた。なけなしの金とはいひ乍(なが)ら、精神(こゝろ)の慾には替へられなかつたのである。
『懴悔録』を抱いて――買つて反つて丑松は気の衰頽(おとろへ)を感じ乍ら、下宿をさして帰つて行くと、不図(ふと)、途中で学校の仲間に出逢(であ)つた。一人は土屋銀之助と言つて、師範校時代からの同窓の友。一人は未(ま)だ極(ご)く年若な、此頃準教員に成つたばかりの男。散歩とは二人のぶら/\やつて来る様子でも知れた。
『瀬川君、大層遅いぢやないか。』
 と銀之助は洋杖(ステッキ)を鳴し乍ら近(ちかづ)いた。
 正直で、しかも友達思ひの銀之助は、直に丑松の顔色を見て取つた。深く澄んだ目付は以前の快活な色を失つて、言ふに言はれぬ不安の光を帯びて居たのである。『あゝ、必定(きつと)身体(からだ)の具合でも悪いのだらう』と銀之助は心に考へて、丑松から下宿を探しに行つた話を聞いた。
『下宿を? 君はよく下宿を取替へる人だねえ――此頃(こなひだ)あそこの家(うち)へ引越したばかりぢやないか。』
 と毒の無い調子で、さも心(しん)から出たやうに笑つた。其時丑松の持つて居る本が目についたので、銀之助は洋杖を小脇に挾んで、見せろといふ言葉と一緒に右の手を差出した。
『是かね。』と丑松は微笑(ほゝゑ)みながら出して見せる。
『むゝ、「懴悔録」か。』と準教員も銀之助の傍に倚添(よりそ)ひながら眺めた。
『相変らず君は猪子先生のものが好きだ。』斯う銀之助は言つて、黄色い本の表紙を眺めたり、一寸内部(なか)を開けて見たりして、『さう/\新聞の広告にもあつたツけ――へえ、斯様(こん)な本かい――斯様な質素な本かい。まあ君のは愛読を通り越して崇拝の方だ。はゝゝゝゝ、よく君の話には猪子先生が出るからねえ。嘸(さぞ)かしまた聞かせられることだらうなあ。』
『馬鹿言ひたまへ。』
 と丑松も笑つて其本を受取つた。
 夕靄(ゆふもや)の群は低く集つて来て、あそこでも、こゝでも、最早(もう)ちら/\灯(あかり)が点(つ)く。丑松は明後日あたり蓮華寺へ引越すといふ話をして、この友達と別れたが、やがて少許(すこし)行つて振返つて見ると、銀之助は往来の片隅に佇立(たゝず)んだ儘(まゝ)、熟(じつ)と是方(こちら)を見送つて居た。半町ばかり行つて復た振返つて見ると、未だ友達は同じところに佇立んで居るらしい。夕餐(ゆふげ)の煙は町の空を籠めて、悄然(しよんぼり)とした友達の姿も黄昏(たそが)れて見えたのである。

       (三)

 鷹匠町の下宿近く来た頃には、鉦(かね)の声が遠近(をちこち)の空に響き渡つた。寺々の宵の勤行(おつとめ)は始まつたのであらう。丁度下宿の前まで来ると、あたりを警(いまし)める人足の声も聞えて、提灯(ちやうちん)の光に宵闇の道を照し乍ら、一挺(ちやう)の籠が舁がれて出るところであつた。あゝ、大尽が忍んで出るのであらう、と丑松は憐んで、黙然(もくねん)として其処に突立つて見て居るうちに、いよ/\其とは附添の男で知れた。同じ宿に居たとは言ひ乍ら、つひぞ丑松は大日向を見かけたことが無い。唯附添の男ばかりは、よく薬の罎(びん)なぞを提げて、出たり入つたりするところを見かけたのである。その雲を突くやうな大男が、今、尻端折りで、主人を保護したり、人足を指図したりする甲斐々々しさ。穢多の中でも卑賤(いや)しい身分のものと見え、其処に立つて居る丑松を同じ種族(やから)とは夢にも知らないで、妙に人を憚(はゞか)るやうな様子して、一寸会釈(ゑしやく)し乍ら側を通りぬけた。門口に主婦(かみさん)、『御機嫌よう』の声も聞える。見れば下宿の内は何となく騒々しい。人々は激昂したり、憤慨したりして、いづれも聞えよがしに罵つて居る。
『難有(ありがた)うぞんじます――そんなら御気をつけなすつて。』
 とまた主婦は籠の側へ駈寄つて言つた。籠の内の人は何とも答へなかつた。丑松は黙つて立つた。見る/\舁(かつ)がれて出たのである。
『ざまあ見やがれ。』
 これが下宿の人々の最後に揚げた凱歌であつた。
 丑松がすこし蒼(あを)ざめた顔をして、下宿の軒を潜つて入つた時は、未だ人々が長い廊下に群(むらが)つて居た。いづれも感情を制(おさ)へきれないといふ風で、肩を怒らして歩くもあり、板の間を踏み鳴らすもあり、中には塩を掴んで庭に蒔散(まきち)らす弥次馬もある。主婦は燧石(ひうちいし)を取出して、清浄(きよめ)の火と言つて、かち/\音をさせて騒いだ。
 哀憐(あはれみ)、恐怖(おそれ)、千々の思は烈しく丑松の胸中を往来した。病院から追はれ、下宿から追はれ、其残酷な待遇(とりあつかひ)と恥辱(はづかしめ)とをうけて、黙つて舁がれて行く彼(あ)の大尽の運命を考へると、嘸(さぞ)籠の中の人は悲慨(なげき)の血涙(なんだ)に噎(むせ)んだであらう。大日向の運命は軈(やが)てすべての穢多の運命である。思へば他事(ひとごと)では無い。長野の師範校時代から、この飯山に奉職の身となつたまで、よくまあ自分は平気の平左で、普通の人と同じやうな量見で、危いとも恐しいとも思はずに通り越して来たものだ。斯(か)うなると胸に浮ぶは父のことである。父といふのは今、牧夫をして、烏帽子(ゑぼし)ヶ嶽(だけ)の麓(ふもと)に牛を飼つて、隠者のやうな寂しい生涯(しやうがい)を送つて居る。丑松はその西乃入(にしのいり)牧場を思出した。その牧場の番小屋を思出した。
『阿爺(おとつ)さん、阿爺さん。』
 と口の中で呼んで、自分の部屋をあちこち/\と歩いて見た。不図(ふと)父の言葉を思出した。
 はじめて丑松が親の膝下(しつか)を離れる時、父は一人息子の前途を深く案じるといふ風で、さま/″\な物語をして聞かせたのであつた。其時だ――一族の祖先のことも言ひ聞かせたのは。東海道の沿岸に住む多くの穢多の種族のやうに、朝鮮人、支那人、露西亜(ロシア)人、または名も知らない島々から漂着したり帰化したりした異邦人の末とは違ひ、その血統は古(むかし)の武士の落人(おちうど)から伝(つたは)つたもの、貧苦こそすれ、罪悪の為に穢れたやうな家族ではないと言ひ聞かせた。父はまた添付(つけた)して、世に出て身を立てる穢多の子の秘訣――唯一つの希望(のぞみ)、唯一つの方法(てだて)、それは身の素性を隠すより外に無い、『たとへいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅(めぐりあ)はうと決して其とは自白(うちあ)けるな、一旦の憤怒(いかり)悲哀(かなしみ)に是(この)戒(いましめ)を忘れたら、其時こそ社会(よのなか)から捨てられたものと思へ。』斯う父は教へたのである。
 一生の秘訣とは斯の通り簡単なものであつた。『隠せ。』――戒はこの一語(ひとこと)で尽きた。しかし其頃はまだ無我夢中、『阿爺(おやぢ)が何を言ふか』位に聞流して、唯もう勉強が出来るといふ嬉しさに家を飛出したのであつた。楽しい空想の時代は父の戒も忘れ勝ちに過ぎた。急に丑松は少年(こども)から大人に近(ちかづ)いたのである。急に自分のことが解つて来たのである。まあ、面白い隣の家から面白くない自分の家へ移つたやうに感ずるのである。今は自分から隠さうと思ふやうになつた。

       (四)

 あふのけさまに畳の上へ倒れて、暫時(しばらく)丑松は身動きもせずに考へて居たが、軈(やが)て疲労(つかれ)が出て眠(ね)て了(しま)つた。不図目が覚めて、部屋の内(なか)を見廻した時は、点(つ)けて置かなかつた筈の洋燈(ランプ)が寂しさうに照して、夕飯の膳も片隅に置いてある。自分は未だ洋服の儘(まゝ)。丑松の心地(こゝろもち)には一時間余も眠つたらしい。戸の外には時雨(しぐれ)の降りそゝぐ音もする。起き直つて、買つて来た本の黄色い表紙を眺め乍ら、膳を手前へ引寄せて食つた。飯櫃(おはち)の蓋を取つて、あつめ飯の臭気(にほひ)を嗅(か)いで見ると、丑松は最早(もう)嘆息して了つて、そこ/\にして膳を押遣(おしや)つたのである。『懴悔録』を披(ひろ)げて置いて、先づ残りの巻煙草(まきたばこ)に火を点けた。
 この本の著者――猪子蓮太郎の思想は、今の世の下層社会の『新しい苦痛』を表白(あらは)すと言はれて居る。人によると、彼男(あのをとこ)ほど自分を吹聴(ふいちやう)するものは無いと言つて、妙に毛嫌するやうな手合もある。成程(なるほど)、其筆にはいつも一種の神経質があつた。到底蓮太郎は自分を離れて説話(はなし)をすることの出来ない人であつた。しかし思想が剛健で、しかも観察の精緻(せいち)を兼ねて、人を吸引(ひきつ)ける力の壮(さか)んに溢(あふ)れて居るといふことは、一度其著述を読んだものゝ誰しも感ずる特色なのである。蓮太郎は貧民、労働者、または新平民等の生活状態を研究して、社会の下層を流れる清水に掘りあてる迄は倦(う)まず撓(たわ)まず努力(つと)めるばかりでなく、また其を読者の前に突着けて、右からも左からも説明(ときあか)して、呑込めないと思ふことは何度繰返しても、読者の腹(おなか)の中に置かなければ承知しないといふ遣方(やりかた)であつた。尤(もつと)も蓮太郎のは哲学とか経済とかの方面から左様(さう)いふ問題(ことがら)を取扱はないで、寧(むし)ろ心理の研究に基礎(どだい)を置いた。文章はたゞ岩石を並べたやうに思想を並べたもので、露骨(むきだし)なところに反つて人を動かす力があつたのである。
 しかし丑松が蓮太郎の書いたものを愛読するのは唯其丈(それだけ)の理由からでは無い。新しい思想家でもあり戦士でもある猪子蓮太郎といふ人物が穢多の中から産れたといふ事実は、丑松の心に深い感動を与へたので――まあ、丑松の積りでは、隠(ひそか)に先輩として慕つて居るのである。同じ人間であり乍ら、自分等ばかり其様(そんな)に軽蔑(けいべつ)される道理が無い、といふ烈しい意気込を持つやうになつたのも、実はこの先輩の感化であつた。斯ういふ訳から、蓮太郎の著述といへば必ず買つて読む。雑誌に名が出る、必ず目を通す。読めば読む程丑松はこの先輩に手を引かれて、新しい世界の方へ連れて行かれるやうな気がした。穢多としての悲しい自覚はいつの間にか其頭を擡(もちあ)げたのである。
 今度の新著述は、『我は穢多なり』といふ文句で始めてあつた。其中には同族の無智と零落とが活きた画のやうに描いてあつた。其中には多くの正直な男女(をとこをんな)が、たゞ穢多の生れといふばかりで、社会から捨てられて行く光景(ありさま)も写してあつた。其中には又、著者の煩悶の歴史、歓(うれ)し哀(かな)しい過去の追想(おもひで)、精神の自由を求めて、しかも其が得られないで、不調和な社会の為に苦(くるし)みぬいた懐疑(うたがひ)の昔語(むかしがたり)から、朝空を望むやうな新しい生涯に入る迄――熱心な男性(をとこ)の嗚咽(すゝりなき)が声を聞くやうに書きあらはしてあつた。
 新しい生涯――それが蓮太郎には偶然な身のつまづきから開けたのである。生れは信州高遠の人。古い穢多の宗族(いへがら)といふことは、丁度長野の師範校に心理学の講師として来て居た頃――丑松がまだ入学しない以前(まへ)――同じ南信の地方から出て来た二三の生徒の口から泄(も)れた。講師の中に賤民の子がある。是噂が全校へ播(ひろが)つた時は、一同驚愕(おどろき)と疑心(うたがひ)とで動揺した。ある人は蓮太郎の人物を、ある人はその容貌(ようばう)を、ある人はその学識を、いづれも穢多の生れとは思はれないと言つて、どうしても虚言(うそ)だと言張るのであつた。放逐、放逐、声は一部の教師仲間の嫉妬(しつと)から起つた。嗚呼、人種の偏執といふことが無いものなら、『キシネフ』で殺される猶太人(ユダヤじん)もなからうし、西洋で言囃(いひはや)す黄禍の説もなからう。無理が通れば道理が引込むといふ斯(この)世の中に、誰が穢多の子の放逐を不当だと言ふものがあらう。いよ/\蓮太郎が身の素性を自白して、多くの校友に別離(わかれ)を告げて行く時、この講師の為に同情(おもひやり)の涙(なんだ)を流すものは一人もなかつた。蓮太郎は師範校の門を出て、『学問の為の学問』を捨てたのである。
 この当時の光景(ありさま)は『懴悔録』の中に精(くは)しく記載してあつた。丑松は身につまされるかして、幾度(いくたび)か読みかけた本を閉ぢて、目を瞑(つぶ)つて、やがて其を読むのは苦しくなつて来た。同情(おもひやり)は妙なもので、反つて底意を汲ませないやうなことがある。それに蓮太郎の筆は、面白く読ませるといふよりも、考へさせる方だ。終(しまひ)には丑松も書いてあることを離れて了つて、自分の一生ばかり思ひつゞけ乍ら読んだ。
 今日まで丑松が平和な月日を送つて来たのは――主に少年時代からの境遇にある。そも/\は小諸の向町(むかひまち)(穢多町)の生れ。北佐久の高原に散布する新平民の種族の中でも、殊に四十戸ばかりの一族(いちまき)の『お頭(かしら)』と言はれる家柄であつた。獄卒(らうもり)と捕吏(とりて)とは、維新前まで、先祖代々の職務(つとめ)であつて、父はその監督の報酬(むくい)として、租税を免ぜられた上、別に俸米(ふち)をあてがはれた。それ程の男であるから、貧苦と零落との為め小県郡の方へ家を移した時にも、八歳の丑松を小学校へやることは忘れなかつた。丑松が根津村(ねづむら)の学校へ通ふやうになつてからは、もう普通(なみ)の児童(こども)で、誰もこの可憐な新入生を穢多の子と思ふものはなかつたのである。最後に父は姫子沢(ひめこざは)の谷間(たにあひ)に落着いて、叔父夫婦も一緒に移り住んだ。異(かは)つた土地で知るものは無し、強(し)ひて是方(こちら)から言ふ必要もなし、といつたやうな訳で、終(しまひ)には慣れて、少年の丑松は一番早く昔を忘れた。官費の教育を受ける為に長野へ出掛ける頃は、たゞ先祖の昔話としか考へて居なかつた位で。
 斯ういふ過去の記憶は今丑松の胸の中に復活(いきかへ)つた。七つ八つの頃まで、よく他の小供に調戯(からか)はれたり、石を投げられたりした、其恐怖(おそれ)の情はふたゝび起つて来た。朦朧(おぼろげ)ながらあの小諸の向町に居た頃のことを思出した。移住する前に死んだ母親のことなぞを思出した。『我は穢多なり』――あゝ、どんなに是一句が丑松の若い心を掻乱(かきみだ)したらう。『懴悔録』を読んで、反(かへ)つて丑松はせつない苦痛(くるしみ)を感ずるやうになつた。


   第弐章

       (一)

 毎月二十八日は月給の渡る日とあつて、学校では人々の顔付も殊(こと)に引立つて見えた。課業の終を告げる大鈴が鳴り渡ると、男女(をとこをんな)の教員はいづれも早々に書物を片付けて、受持々々の教室を出た。悪戯盛(いたづらざか)りの少年の群は、一時に溢れて、其騒しさ。弁当草履を振廻し、『ズック』の鞄を肩に掛けたり、風呂敷包を背負(しよ)つたりして、声を揚げ乍(なが)ら帰つて行つた。丑松もまた高等四年の一組を済まして、左右(みぎひだり)に馳せちがふ生徒の中を職員室へと急いだのである。
 校長は応接室に居た。斯(この)人は郡視学が変ると一緒にこの飯山へ転任して来たので、丑松や銀之助よりも後から入つた。学校の方から言ふと、二人は校長の小舅(こじうと)にあたる。其日は郡視学と二三の町会議員とが参校して、校長の案内で、各教場の授業を少許(すこし)づゝ観た。郡視学が校長に与へた注意といふは、職員の監督、日々(にち/\)の教案の整理、黒板机腰掛などの器具の修繕、又は学生の間に流行する『トラホオム』の衛生法等、主に児童教育の形式に関した件(こと)であつた。応接室へ帰つてから、一同雑談で持切つて、室内に籠る煙草(たばこ)の烟(けぶり)は丁度白い渦(うづ)のやう。茶でも出すと見えて、小使は出たり入つたりして居た。
 斯(この)校長に言はせると、教育は則ち規則であるのだ。郡視学の命令は上官の命令であるのだ。もと/\軍隊風に児童を薫陶(くんたう)したいと言ふのが斯人の主義で、日々(にち/\)の挙動も生活も凡(すべ)て其から割出してあつた。時計のやうに正確に――これが座右の銘でもあり、生徒に説いて聞かせる教訓でもあり、また職員一同を指揮(さしづ)する時の精神でもある。世間を知らない青年教育者の口癖に言ふやうなことは、無用な人生の装飾(かざり)としか思はなかつた。是主義で押通して来たのが遂に成功して――まあすくなくとも校長の心地(こゝろもち)だけには成功して、功績表彰の文字を彫刻した名誉の金牌(きんぱい)を授与されたのである。
 丁度その一生の記念が今応接室の机の上に置いてあつた。人々の視線は燦然(さんぜん)とした黄金の光輝(ひかり)に集つたのである。一人の町会議員は其金質を、一人は其重量(めかた)と直径(さしわたし)とを、一人は其見積りの代価を、いづれも心に商量したり感嘆したりして眺めた。十八金、直径(さしわたし)九分、重量(めかた)五匁、代価凡そ三十円――これが人々の終(しまひ)に一致した評価で、別に添へてある表彰文の中には、よく教育の施設をなしたと書いてあつた。県下教育の上に貢献するところ尠(すくな)からずと書いてあつた。『基金令第八条の趣旨に基き、金牌を授与し、之を表彰す』とも書いてあつた。
『実に今回のことは校長先生の御名誉ばかりぢや有ません、吾信州教育界の名誉です。』
 と髯(ひげ)の白い町会議員は改つて言つた。金縁眼鏡の議員は其尾に附いて、
『就きましては、有志の者が寄りまして御祝の印ばかりに粗酒を差上げたいと存じますが――いかゞでせう、今晩三浦屋迄御出(おいで)を願へませうか。郡視学さんも、何卒(どうか)まあ是非御同道を。』
『いや、左様(さう)いふ御心配に預りましては実に恐縮します。』と校長は倚子(いす)を離れて挨拶した。『今回のことは、教育者に取りましても此上もない名誉な次第で、非常に私も嬉敷(うれしく)思つては居るのですが――考へて見ますと、是ぞと言つて功績のあつた私ではなし、実は斯ういふ金牌なぞを頂戴して、反(かへ)つて身の不肖を恥づるやうな次第で。』
『校長先生、左様(さう)仰つて下すつては、使に来た私共が困ります。』
 と痩せぎすな議員が右から手を擦(も)み乍ら言つた。
『御辞退下さる程の御馳走は有ませんのですから。』
 と白髯(しらひげ)の議員は左から歎願した。
 校長の眼は得意と喜悦(よろこび)とで火のやうに輝いた。いかにも心中の感情を包みきれないといふ風で、胸を突出して見たり、肩を動(ゆす)つて見たりして、軈(やが)て郡視学の方へ向いて斯う尋ねた。
『どうですな、貴方(あなた)の御都合は。』
 と言はれて、郡視学は鷹揚(おうやう)な微笑(ほゝゑみ)を口元に湛(たゝ)へ乍ら、
『折角(せつかく)皆さんが彼様(あゝ)言つて下さる。御厚意を無にするのは反つて失礼でせう。』
『御尤(ごもつとも)です――いや、それではいづれ後刻御目に懸つて、御礼を申上げるといふことにしませう。何卒(どうか)皆さんへも宜敷(よろしく)仰つて下さい。』
 と校長は丁寧に挨拶した。
 実際、地方の事情に遠いものは斯校長の現在の位置を十分会得することが出来ないであらう。地方に入つて教育に従事するものゝ第一の要件は――外でもない、斯校長のやうな凡俗な心づかひだ。曾(かつ)て学校の窓で想像した種々(さま/″\)の高尚な事を左様(さう)いつ迄も考へて、俗悪な趣味を嫌(いと)ひ避けるやうでは、一日たりとも地方の学校の校長は勤まらない。有力者の家(うち)なぞに、悦(よろこ)びもあり哀(かなし)みもあれば、人と同じやうに言ひ入れて、振舞の座には神主坊主と同席に座(す)ゑられ、すこしは地酒の飲みやうも覚え、土地の言葉も可笑(をか)しくなく使用(つか)へる頃には、自然と学問を忘れて、無教育な人にも馴染(なじ)むものである。賢いと言はれる教育者は、いづれも町会議員なぞに結托して、位置の堅固を計るのが普通だ。
 帽子を執(と)つて帰つて行く人々の後に随いて、校長はそこ迄見送つて出た。軈(やが)て玄関で挨拶して別れる時、互に斯ういふ言葉を取替(とりかは)した。
『では、郡視学さんも御誘ひ下すつて、学校から直に御出を。』
『恐れ入りましたなあ。』

       (二)

『小使。』
 と呼ぶ校長の声は長い廊下に響き渡つた。
 生徒はもう帰つて了つた。教場の窓は皆な閉つて、運動場(うんどうば)に庭球(テニス)する人の影も見えない。急に周囲(そこいら)は森閑(しんかん)として、時々職員室に起る笑声の外には、寂(さみ)しい静かな風琴の調(しらべ)がとぎれ/\に二階から聞えて来る位のものであつた。
『へい、何ぞ御用で御座(ござい)ますか。』と小使は上草履を鳴らして駈寄る。
『あ、ちよと、気の毒だがねえ、もう一度役場へ行つて催促して来て呉れないか。金銭(おかね)を受取つたら直に持つて来て呉れ――皆さんも御待兼だ。』
 斯う命じて置いて、校長は応接室の戸を開けて入つた。見れば郡視学は巻煙草を燻(ふか)し乍ら、独りで新聞を読み耽(ふけ)つて居る。『失礼しました。』と声を掛けて、其側(そのわき)へ自分の椅子を擦寄せた。
『見たまへ、まあ斯(この)信濃毎日を。』と郡視学は馴々敷(なれ/\しく)、『君が金牌を授与されたといふことから、教育者の亀鑑だといふこと迄、委敷(くはしく)書いて有ますよ。表彰文は全部。それに、履歴までも。』
『いや、今度の受賞は大変な評判になつて了ひました。』と校長も喜ばしさうに、『何処へ行つても直に其話が出る。実に意外な人迄知つて居て、祝つて呉れるやうな訳で。』
『結構です。』
『これといふのも貴方(あなた)の御骨折から――』
『まあ其は言はずに置いて貰ひませう。』と郡視学は対手の言葉を遮(さへぎ)つた。『御互様のことですからな。はゝゝゝゝ。しかし吾党の中から受賞者を出したのは名誉さ。君の御喜悦(およろこび)も御察し申す。』
『勝野君も非常に喜んで呉れましてね。』
『甥(をひ)がですか、あゝ左様(さう)でしたらう。私の許(ところ)へも長い手紙をよこしましたよ。其を読んだ時は、彼男(あのをとこ)の喜ぶ顔付が目に見えるやうでした。実際、甥は貴方の為を思つて居るのですからな。』
 郡視学が甥と言つたのは、検定試験を受けて、合格して、此頃新しく赴任して来た正教員。勝野文平といふのが其男の名である。割合に新参の校長は文平を引立てゝ、自分の味方に附けようとしたので。尤(もつと)も席順から言へば、丑松は首座。生徒の人望は反つて校長の上にある程。銀之助とても師範出の若手。いかに校長が文平を贔顧(ひいき)だからと言つて、二人の位置を動かす訳にはいかない。文平は第三席に着けられて出たのであつた。
『それに引換へて瀬川君の冷淡なことは。』と校長は一段声を低くした。
『瀬川君?』と郡視学も眉をひそめる。
『まあ聞いて下さい。万更(まんざら)の他人が受賞したではなし、定めし瀬川君だつても私の為に喜んで居て呉れるだらう、と斯う貴方なぞは御考へでせう。ところが大違ひです。こりやあ、まあ、私が直接(ぢか)に聞いたことでは無いのですけれど――又、私に面と向つて、まさかに其様(そん)なことが言へもしますまいが――といふのは、教育者が金牌なぞを貰つて鬼の首でも取つたやうに思ふのは大間違だと。そりやあ成程(なるほど)人爵の一つでせう。瀬川君なぞに言はせたら価値(ねうち)の無いものでせう。然し金牌は表章(しるし)です。表章が何も難有(ありがた)くは無い。唯其意味に価値(ねうち)がある。はゝゝゝゝ、まあ左様(さう)ぢや有ますまいか。』
『どうしてまた瀬川君は其様(そん)な思想(かんがへ)を持つのだらう。』と郡視学は嘆息した。
『時代から言へば、あるひは吾儕(われ/\)の方が多少後(おく)れて居るかも知れません。しかし新しいものが必ずしも好いとは限りませんからねえ。』と言つて校長は嘲(あざけ)つたやうに笑つて、『なにしろ、瀬川君や土屋君が彼様(あゝ)して居たんぢや、万事私も遣りにくゝて困る。同志の者ばかり集つて、一致して教育事業をやるんででもなけりやあ、到底面白くはいきませんさ。勝野君が首座ででもあつて呉れると、私も大きに安心なんですけれど。』
『そんなに君が面白くないものなら、何とか其処には方法も有さうなものですがなあ。』と郡視学は意味ありげに相手の顔を眺めた。
『方法とは?』と校長も熱心に。
『他の学校へ移すとか、後釜(あとがま)へは――それ、君の気に入つた人を入れるとかサ。』
『そこです――同じ移すにしても、何か口実が無いと――余程そこは巧(うま)くやらないと――あれで瀬川君はなか/\生徒間に人望が有ますから。』
『さうさ、過失の無いものに向つて、出て行けとも言はれん。はゝゝゝゝ、余りまた細工をしたやうに思はれるのも厭だ。』と言つて郡視学は気を変へて、『まあ私の口から甥を褒めるでも有ませんが、貴方の為には必定(きつと)御役に立つだらうと思ひますよ。瀬川君に比べると、勝るとも劣ることは有るまいといふ積りだ。一体瀬川君は何処が好いんでせう。どうして彼様(あん)な教師に生徒が大騒ぎをするんだか――私なんかには薩張(さつぱり)解らん。他(ひと)の名誉に思ふことを冷笑するなんて、奈何(どう)いふことがそんならば瀬川君なぞには難有(ありがた)いんです。』
『先づ猪子蓮太郎あたりの思想でせうよ。』
『むゝ――あの穢多か。』と郡視学は顔を渋(しか)める。
『あゝ。』と校長も深く歎息した。『猪子のやうな男の書いたものが若いものに読まれるかと思へば恐しい。不健全、不健全――今日の新しい出版物は皆な青年の身をあやまる原因(もと)なんです。その為に畸形(かたは)の人間が出来て見たり、狂見(きちがひみ)たやうな男が飛出したりする。あゝ、あゝ、今の青年の思想ばかりは奈何(どう)しても吾儕(われ/\)に解りません。』

       (三)

 不図応接室の戸を叩(たゝ)く音がした。急に二人は口を噤(つぐ)んだ。復(ま)た叩く。『お入り』と声をかけて、校長は倚子(いす)を離れた。郡視学も振返つて、戸を開けに行く校長の後姿を眺め乍ら、誰、町会議員からの使ででもあるか、斯う考へて、入つて来る人の様子を見ると――思ひの外な一人の教師、つゞいてあらはれたのが丑松であつた。校長は思はず郡視学と顔を見合せたのである。
『校長先生、何か御用談中ぢや有ませんか。』
 と丑松は尋ねた。校長は一寸微笑(ほゝゑ)んで、
『いえ、なに、別に用談でも有ません――今二人で御噂をして居たところです。』
『実はこの風間さんですが、是非郡視学さんに御目に懸つて、直接に御願ひしたいことがあるさうですから。』
 斯(か)う言つて、丑松は一緒に来た同僚を薦(すゝ)めるやうにした。
 風間敬之進(けいのしん)は、時世の為に置去にされた、老朽な小学教員の一人。丑松や銀之助などの若手に比べると、阿爺(おやぢ)にしてもよい程の年頃である。黒木綿の紋付羽織、垢染(あかじ)みた着物、粗末な小倉の袴を着けて、兢々(おづ/\)郡視学の前に進んだ。下り坂の人は気の弱いもので、すこし郡視学に冷酷な態度(やうす)が顕(あらは)れると、もう妙に固くなつて思ふことを言ひかねる。
『何ですか、私に用事があると仰(おつしや)るのは。』斯う催促して、郡視学は威丈高(ゐたけだか)になつた。あまり敬之進が躊躇(ぐづ/\)して居るので、終(しまひ)には郡視学も気を苛(いら)つて、時計を出して見たり、靴を鳴らして見たりして、
『奈何(どう)いふ御話ですか。仰つて見て下さらなければ解りませんなあ。』
 もどかしく思ひ乍ら椅子を離れて立上るのであつた。敬之進は猶々(なほ/\)言ひかねるといふ様子で、
『実は――すこし御願ひしたい件(こと)が有まして。』
『ふむ。』
 復(ま)た室の内は寂(しん)として暫時(しばらく)声がなくなつた。首を垂れ乍ら少許(すこし)慄(ふる)へて居る敬之進を見ると、丑松は哀憐(あはれみ)の心を起さずに居られなかつた。郡視学は最早(もう)堪(こら)へかねるといふ風で、
『私は是で多忙(いそが)しい身体です。何か仰ることがあるなら、ずん/\仰つて下さい。』
 丑松は見るに見かねた。
『風間さん、其様(そんな)に遠慮しない方が可(いゝ)ぢや有ませんか。貴方は退職後のことを御相談して頂きたいといふんでしたらう。』斯う言つて、軈(やが)て郡視学の方へ向いて、『私から伺ひます。まあ、風間さんのやうに退職となつた場合には、恩給を受けさして頂く訳に参りませんものでせうか。』
『無論です、そんなことは。』と郡視学は冷かに言放つた。『小学校令の施行規則を出して御覧なさい。』
『そりやあ規則は規則ですけれど。』
『規則に無いことが出来るものですか。身体が衰弱して、職務を執るに堪へないから退職する――其を是方(こちら)で止める権利は有ません。然し、恩給を受けられるといふ人は、満十五ヶ年以上在職したものに限つた話です。風間さんのは十四ヶ年と六ヶ月にしかならない。』
『でも有ませうが、僅か半歳のことで教育者を一人御救ひ下さるとしたら。』
『其様(そん)なことを言つて見た日にやあ際涯(さいげん)が無い。何ぞと言ふと風間さんは直に家の事情、家の事情だ。誰だつて家の事情のないものはありやしません。まあ、恩給のことなぞは絶念(あきら)めて、折角(せつかく)御静養なさるが可(いゝ)でせう。』
 斯う撥付(はねつ)けられては最早(もう)取付く島が無いのであつた。丑松は気の毒さうに敬之進の横顔を熟視(みまも)つて、
『どうです風間さん、貴方からも御願ひして見ては。』
『いえ、只今の御話を伺へば――別に――私から御願する迄も有ません。御言葉に従つて、絶念(あきら)めるより外は無いと思ひます。』
 其時小使が重たさうな風呂敷包を提げて役場から帰つて来た。斯(こ)のしらせを機(しほ)に、郡視学は帽子を執つて、校長に送られて出た。

       (四)

 男女の教員は広い職員室に集つて居た。其日は土曜日で、月給取の身にとつては反つて翌(あす)の日曜よりも楽しく思はれたのである。茲(こゝ)に集る人々の多くは、日々(にち/\)の長い勤務(つとめ)と、多数の生徒の取扱とに疲(くたぶ)れて、さして教育の事業に興味を感ずるでもなかつた。中には児童を忌み嫌ふやうなものもあつた。三種講習を済まして、及第して、漸(やうや)く煙草のむことを覚えた程の年若な準教員なぞは、まだ前途(さき)が長いところからして楽しさうにも見えるけれど、既に老朽と言はれて髭ばかり厳(いかめ)しく生えた手合なぞは、述懐したり、物羨みしたりして、外目(よそめ)にも可傷(いたは)しく思ひやられる。一月の骨折の報酬(むくい)を酒に代へる為、今茲に待つて居るやうな連中もあるのであつた。
 丑松は敬之進と一緒に職員室へ行かうとして、廊下のところで小使に出逢つた。
『風間先生、笹屋の亭主が御目に懸りたいと言つて、先刻(さつき)から来て待つて居りやす。』
 不意を打たれて、敬之進はさも苦々しさうに笑つた。
『何? 笹屋の亭主?』
 笹屋とは飯山の町はづれにある飲食店、農夫の為に地酒を暖めるやうな家(うち)で、老朽な敬之進が浮世を忘れる隠れ家といふことは、疾(とく)に丑松も承知して居た。けふ月給の渡る日と聞いて、酒の貸の催促に来たか、とは敬之進の寂しい苦笑(にがわらひ)で知れる。『ちよツ、学校まで取りに来なくてもよささうなものだ。』と敬之進は独語(ひとりごと)のやうに言つた。『いゝから待たして置け。』と小使に言含めて、軈(やが)て二人して職員室へと急いだのである。
 十月下旬の日の光は玻璃窓(ガラスまど)から射入つて、煙草の烟(けぶり)に交る室内の空気を明く見せた。彼処(あそこ)の掲示板の下に一群(ひとむれ)、是処の時間表の側(わき)に一団(ひとかたまり)、いづれも口から泡を飛ばして言ひのゝしつて居る。丑松は室の入口に立つて眺めた。見れば郡視学の甥(をひ)といふ勝野文平、灰色の壁に倚凭(よりかゝ)つて、銀之助と二人並んで話して居る様子。新しい艶のある洋服を着て、襟飾(えりかざり)の好みも煩(うるさ)くなく、すべて適(ふさ)はしい風俗の中(うち)に、人を吸引(ひきつ)ける敏捷(すばしこ)いところがあつた。美しく撫付(なでつ)けた髪の色の黒さ。頬の若々しさ。それに是男の鋭い眼付は絶えず物を穿鑿(せんさく)するやうで、一時(いつとき)も静息(やす)んでは居られないかのやう。これを銀之助の五分刈頭、顔の色赤々として、血肥りして、形(なり)も振(ふり)も関はず腕捲(うでまく)りし乍ら、談(はな)したり笑つたりする肌合に比べたら、其二人の相違は奈何(どんな)であらう。物見高い女教師連の視線はいづれも文平の身に集つた。
 丑松は文平の瀟洒(こざつぱり)とした風采(なりふり)を見て、別に其を羨む気にもならなかつた。たゞ気懸りなのは、彼(あの)新教員が自分と同じ地方から来たといふことである。小諸(こもろ)辺の地理にも委敷(くはしい)様子から押して考へると、何時(いつ)何処で瀬川の家の話を聞かまいものでもなし、広いやうで狭い世間の悲しさ、あの『お頭』は今これ/\だと言ふ人でもあつた日には――無論今となつて其様(そん)なことを言ふものも有るまいが――まあ万々一――それこそ彼(あの)教員も聞捨てには為(し)まい。斯う丑松は猜疑深(うたがひぶか)く推量して、何となく油断がならないやうに思ふのであつた。不安な丑松の眼(まなこ)には種々(さま/″\)な心配の種が映つて来たのである。
 軈て校長は役場から来た金の調べを終つた。それ/″\分配するばかりになつたので、丑松は校長を助けて、人々の机の上に十月分の俸給を載せてやつた。
『土屋君、さあ御土産。』
 と銀之助の前にも、五十銭づゝ封じた銅貨を幾本か並べて、外に銀貨の包と紙幣(さつ)とを添へて出した。
『おや/\、銅貨を沢山呉れるねえ。』と銀之助は笑つて、『斯様(こんな)にあつては持上がりさうも無いぞ。はゝゝゝゝ。時に、瀬川君、けふは御引越が出来ますね。』
 丑松は笑つて答へなかつた。傍(そば)に居た文平は引取つて、
『どちらへか御引越ですか。』
『瀬川君は今夜から精進(しやうじん)料理さ。』
『はゝゝゝゝ。』
 と笑ひ葬つて、丑松は素早く自分の机の方へ行つて了つた。
 毎月のこととは言ひ乍ら、俸給を受取つた時の人々の顔付は又格別であつた。実に男女の教員の身にとつては、労働(はたら)いて得た収穫を眺めた時ほど愉快に感ずることは無いのである。ある人は紙の袋に封じた儘(まゝ)の銀貨を鳴らして見る、ある人は風呂敷に包んで重たさうに提げて見る、ある女教師は又、海老茶袴(えびちやばかま)の紐(ひも)の上から撫(な)でゝ、人知れず微笑んで見るのであつた。急に校長は椅子を離れて、用事ありげに立上つた。何事かと人々は聞耳を立てる。校長は一つ咳払ひして、さて器械的な改つた調子で、敬之進が退職の件(こと)を報告した。就いては来る十一月の三日、天長節の式の済んだ後(あと)、この老功な教育者の為に茶話会を開きたいと言出した。賛成の声は起る。敬之進はすつくと立つて、一礼して、軈(やが)て拍子の抜けたやうに元の席へ復(かへ)つた。
 一同帰り仕度を始めたのは間も無くであつた。男女の教員が敬之進を取囲(とりま)いて、いろ/\言ひ慰めて居る間に、ついと丑松は風呂敷包を提(ひつさ)げて出た。銀之助が友達を尋(さが)して歩いた時は、職員室から廊下、廊下から応接室、小使部屋、昇降口まで来て見ても、もう何処にも丑松の姿は見えなかつたのである。

       (五)

 丑松は大急ぎで下宿へ帰つた。月給を受取つて来て妙に気強いやうな心地(こゝろもち)にもなつた。昨日は湯にも入らず、煙草も買はず、早く蓮華寺へ、と思ひあせるばかりで、暗い一日(ひとひ)を過したのである。実際、懐中(ふところ)に一文の小使もなくて、笑ふといふ気には誰がならう。悉皆(すつかり)下宿の払ひを済まし、車さへ来れば直に出掛けられるばかりに用意して、さて巻煙草に火を点けた時は、言ふに言はれぬ愉快を感ずるのであつた。
 引越は成るべく目立たないやうに、といふ考へであつた。気掛りなは下宿の主婦(かみさん)の思惑(おもはく)で――まあ、この突然(だしぬけ)な転宿(やどがへ)を何と思つて見て居るだらう。何か彼(あの)放逐された大尽と自分との間には一種の関係があつて、それで面白くなくて引越すとでも思はれたら奈何(どう)しよう。あの愚痴な性質から、根彫葉刻(ねほりはほり)聞咎(きゝとが)めて、何故(なぜ)引越す、斯う聞かれたら何と返事をしたものであらう。そこがそれ、引越さなくても可(いゝ)ものを無理に引越すのであるから、何となく妙に気が咎(とが)める。下手なことを言出せば反つて藪蛇だ。『都合があるから引越す。』理由は其で沢山だ。斯う種々(いろ/\)に考へて、疑つたり恐れたりして見たが、多くの客を相手にする主婦の様子は左様(さう)心配した程でも無い。さうかうする中に、頼んで置いた車も来る。荷物と言へば、本箱、机、柳行李(やなぎがうり)、それに蒲団の包があるだけで、道具は一切一台の車で間に合つた。丑松は洋燈(ランプ)を手に持つて、主婦の声に送られて出た。
 斯うして車の後に随(つ)いて、とぼ/\と二三町も歩いて来たかと思はれる頃、今迄の下宿の方を一寸振返つて見た時は、思はずホツと深い溜息を吐(つ)いた。道路(みち)は悪し、車は遅し、丑松は静かに一生の変遷(うつりかはり)を考へて、自分で自分の運命を憐み乍ら歩いた。寂しいとも、悲しいとも、可笑(をか)しいとも、何ともかとも名の附けやうのない心地(こゝろもち)は烈しく胸の中を往来し始める。追憶(おもひで)の情は身に迫つて、無限の感慨を起させるのであつた。それは十一月の近(ちかづ)いたことを思はせるやうな蕭条(せうでう)とした日で、湿つた秋の空気が薄い烟(けぶり)のやうに町々を引包んで居る。路傍(みちばた)に黄ばんだ柳の葉はぱら/\と地に落ちた。
 途中で紙の旗を押立てた少年の一群(ひとむれ)に出遇つた。音楽隊の物真似、唱歌の勇しさ、笛太鼓も入乱れ、足拍子揃へて面白可笑しく歌つて来るのは何処の家(うち)の子か――あゝ尋常科の生徒だ。見れば其後に随いて、少年と一緒に歌ひ乍ら、人目も関はずやつて来る上機嫌の酔漢(さけよひ)がある。蹣跚(よろ/\)とした足元で直に退職の敬之進と知れた。
『瀬川君、一寸まあ見て呉れ給へ――是が我輩の音楽隊さ。』
 と指(ゆびさ)し乍ら熟柿(じゆくし)臭(くさ)い呼吸(いき)を吹いた。敬之進は何処かで飲んで来たものと見える。指された少年の群は一度にどつと声を揚げて、自分達の可傷(あはれ)な先生を笑つた。
『始めえ――』敬之進は戯れに指揮するやうな調子で言つた。『諸君。まあ聞き給へ。今日(こんにち)迄我輩は諸君の先生だつた。明日(あす)からは最早(もう)諸君の先生ぢや無い。そのかはり、諸君の音楽隊の指揮をしてやる。よしか。解つたかね。あはゝゝゝ。』と笑つたかと思ふと、熱い涙(なんだ)は其顔を伝つて流れ落ちた。
 無邪気な音楽隊は、一斉に歓呼を揚げて、足拍子揃へて通過ぎた。敬之進は何か思出したやうに、熟(じつ)と其少年の群を見送つて居たが、軈(やが)て心付いて歩き初めた。
『まあ、君と一緒に其処迄行かう。』と敬之進は身を慄(ふる)はせ乍ら、『時に瀬川君、まだ斯の通り日も暮れないのに、洋燈(ランプ)を持つて歩くとは奈何(どう)いふ訳だい。』
『私ですか。』と丑松は笑つて、『私は今引越をするところです。』
『あゝ引越か。それで君は何処へ引越すのかね。』
『蓮華寺へ。』
 蓮華寺と聞いて、急に敬之進は無言になつて了つた。暫時(しばらく)の間、二人は互に別々のことを考へ乍ら歩いた。
『あゝ。』と敬之進はまた始めた。『実に瀬川君なぞは羨ましいよ。だつて君、左様(さう)ぢやないか。君なぞは未だ若いんだもの。前途多望とは君等のことだ。何卒(どうか)して我輩も、もう一度君等のやうに若くなつて見たいなあ。あゝ、人間も我輩のやうに老込んで了つては駄目だねえ。』

       (六)

 車は遅かつた。丑松敬之進の二人は互に並んで話し/\随いて行つた。とある町へ差掛かつた頃、急に車夫は車を停めて、冷々(ひや/″\)とした空気を呼吸し乍(なが)ら、額に流れる汗を押拭つた。見れば町の空は灰色の水蒸気に包まれて了(しま)つて、僅に西の一方に黄な光が深く輝いて居る。いつもより早く日は暮れるらしい。遽(にはか)に道路(みち)も薄暗くなつた。まだ灯(あかり)を点(つ)ける時刻でもあるまいに、もう一軒点けた家(うち)さへある。其軒先には三浦屋の文字が明白(あり/\)と読まれるのであつた。
 盛な歓楽の声は二階に湧上つて、屋外(そと)に居る二人の心に一層の不愉快と寂寥(さびしさ)とを添へた。丁度人々は酒宴(さかもり)の最中。灯影(ほかげ)花やかに映つて歌舞の巷(ちまた)とは知れた。三味(しやみ)は幾挺かおもしろい音(ね)を合せて、障子に響いて媚(こ)びるやうに聞える。急に勇しい太鼓も入つた。時々唄に交つて叫ぶやうに聞えるは、囃方(はやしかた)の娘の声であらう。これも亦(また)、招(よ)ばれて行く妓(こ)と見え、箱屋一人連れ、褄(つま)高く取つて、いそ/\と二人の前を通過ぎた。
 客の笑声は手に取るやうに聞えた。其中には校長や郡視学の声も聞えた。人々は飲んだり食つたりして時の移るのも知らないやうな様子。
『瀬川君、大層陽気ぢやないか。』と敬之進は声を潜(ひそ)めて、『や、大一座(おほいちざ)だ。一体今宵(こんや)は何があるんだらう。』
『まだ風間さんには解らないんですか。』と丑松も聞耳を立て乍ら言つた。
『解らないさ。だつて我輩は何(なん)にも知らないんだもの。』
『ホラ、校長先生の御祝でさあね。』
『むゝ――むゝ――むゝ、左様(さう)ですかい。』
 一曲の唄が済んで、盛な拍手が起つた。また盃の交換(やりとり)が始つたらしい。若い女の声で、『姉さん、お銚子』などと呼び騒ぐのを聞捨てゝ、丑松敬之進の二人は三浦屋の側(わき)を横ぎつた。
 車は知らない中に前(さき)へ行つて了つた。次第に歌舞の巷を離れると、太鼓の音も遠く聞えなくなる。敬之進は嘆息したり、沈吟したりして、時々絶望した人のやうに唐突(だしぬけ)に大きな声を出して笑つた。『浮世(ふせい)夢のごとし』――それに勝手な節を付けて、低声に長く吟じた時は、聞いて居る丑松も沈んで了つて、妙に悲しいやうな、可痛(いたま)しいやうな心地(こゝろもち)になつた。
『吟声調(てう)を成さず――あゝ、あゝ、折角(せつかく)の酒も醒めて了つた。』
 と敬之進は嘆息して、獣の呻吟(うな)るやうな声を出し乍ら歩く。丑松も憐んで、軈て斯う尋ねて見た。
『風間さん、貴方は何処迄行くんですか。』
『我輩かね。我輩は君を送つて、蓮華寺の門前まで行くのさ。』
『門前迄?』
『何故(なぜ)我輩が門前迄送つて行くのか、其は君には解るまい。しかし其を今君に説明しようとも思はないのさ。御互ひに長く顔を見合せて居ても、斯うして親(ちか)しくするのは昨今だ。まあ、いつか一度、君とゆつくり話して見たいもんだねえ。』
 やがて蓮華寺の山門の前まで来ると、ぷいと敬之進は別れて行つて了つた。奥様は蔵裏(くり)の外まで出迎へて喜ぶ。車はもうとつくに。荷物は寺男の庄太が二階の部屋へ持運んで呉れた。台所で焼く魚のにほひは、蔵裏迄も通つて来て、香の煙に交つて、住慣(すみな)れない丑松の心に一種異様の感想(かんじ)を与へる。仏に物を供へる為か、本堂の方へ通ふ子坊主もあつた。二階の部屋も窓の障子も新しく張替へて、前に見たよりはずつと心地(こゝろもち)が好い。薬湯と言つて、大根の乾葉(ひば)を入れた風呂なども立てゝ呉れる。新しい膳に向つて、うまさうな味噌汁の香(にほひ)を嗅いで見た時は、第一この寂しげな精舎(しやうじや)の古壁の内に意外な家庭の温暖(あたゝかさ)を看付(みつ)けたのであつた。


   第参章

       (一)

 もとより銀之助は丑松の素性を知る筈がない。二人は長野の師範校に居る頃から、極く好く気性の合つた友達で、丑松が佐久小県(さくちひさがた)あたりの灰色の景色を説き出すと、銀之助は諏訪湖(すはこ)の畔(ほとり)の生れ故郷の物語を始める、丑松が好きな歴史の話をすれば、銀之助は植物採集の興味を、と言つたやうな風に、互ひに語り合つた寄宿舎の窓は二人の心を結びつけた。同窓の記憶はいつまでも若く青々として居る。銀之助は丑松のことを思ふ度に昔を思出して、何となく時の変遷(うつりかはり)を忍ばずには居られなかつた。同じ寄宿舎の食堂に同じ引割飯の香(にほひ)を嗅いだ其友達に思ひ比べると、実に丑松の様子の変つて来たことは。あの憂欝(いううつ)――丑松が以前の快活な性質を失つた証拠は、眼付で解る、歩き方で解る、談話(はなし)をする声でも解る。一体、何が原因(もと)で、あんなに深く沈んで行くのだらう。とんと銀之助には合点が行かない。『何かある――必ず何か訳がある。』斯う考へて、どうかして友達に忠告したいと思ふのであつた。
 丑松が蓮華寺へ引越した翌日(あくるひ)、丁度日曜、午後から銀之助は尋ねて行つた。途中で文平と一緒になつて、二人して苔蒸(こけむ)した石の階段を上ると、咲残る秋草の径(みち)の突当つたところに本堂、左は鐘楼、右が蔵裏であつた。六角形に出来た経堂の建築物(たてもの)もあつて、勾配のついた瓦屋根や、大陸風の柱や、白壁や、すべて過去の壮大と衰頽(すゐたい)とを語るかのやうに見える。黄ばんだ銀杏(いてふ)の樹の下に腰を曲(こゞ)め乍ら、余念もなく落葉を掃いて居たのは、寺男の庄太。『瀬川君は居りますか。』と言はれて、馬鹿丁寧な挨拶。やがて庄太は箒(はうき)をそこに打捨てゝ置いて、跣足(すあし)の儘(まゝ)で蔵裏の方へ見に行つた。
 急に丑松の声がした。あふむいて見ると、銀杏(いてふ)に近い二階の窓の障子を開けて、顔を差出して呼ぶのであつた。
『まあ、上りたまへ。』
 と復た呼んだ。

       (二)

 銀之助文平の二人は丑松に導かれて暗い楼梯(はしごだん)を上つて行つた。秋の日は銀杏の葉を通して、部屋の内へ射しこんで居たので、変色した壁紙、掛けてある軸、床の間に置並べた書物(ほん)と雑誌の類(たぐひ)まで、すべて黄に反射して見える。冷々(ひや/″\)とした空気は窓から入つて来て、斯の古い僧坊の内にも何となく涼爽(さはやか)な思を送るのであつた。机の上には例の『懴悔録』、読伏せて置いた其本に気がついたと見え、急に丑松は片隅へ押隠すやうにして、白い毛布を座蒲団がはりに出して薦(すゝ)めた。
『よく君は引越して歩く人さ。』と銀之助は身辺(あたり)を眺め廻し乍ら言つた。『一度瀬川君のやうに引越す癖が着くと、何度でも引越したくなるものと見える。まあ、部屋の具合なぞは、先の下宿の方が好ささうぢやないか。』
『何故(なぜ)御引越になつたんですか。』と文平も尋ねて見る。
『どうも彼処(あそこ)の家(うち)は喧(やかま)しくつて――』斯(か)う答へて丑松は平気を装はうとした。争はれないもので、困つたといふ気色(けしき)はもう顔に表れたのである。
『そりやあ寺の方が静は静だ。』と銀之助は一向頓着なく、『何ださうだねえ、先の下宿では穢多が逐出(おひだ)されたさうだねえ。』
『さう/\、左様(さう)いふ話ですなあ。』と文平も相槌(あひづち)を打つた。
『だから僕は斯う思つたのさ。』と銀之助は引取つて、『何か其様(そん)な一寸したつまらん事にでも感じて、それで彼(あの)下宿が嫌に成つたんぢやないかと。』
『どうして?』と丑松は問ひ反した。
『そこがそれ、君と僕と違ふところさ。』と銀之助は笑ひ乍ら、『実は此頃(こなひだ)或雑誌を読んだところが、其中に精神病患者のことが書いてあつた。斯うさ。或人が其男の住居(すまひ)の側(わき)に猫を捨てた。さあ、其猫の捨ててあつたのが気になつて、妻君にも相談しないで、其日の中にぷいと他へ引越して了つた。斯ういふ病的な頭脳(あたま)の人になると、捨てられた猫を見たのが移転(ひつこし)の動機になるなぞは珍しくも無い、といふ話があつたのさ。はゝゝゝゝ――僕は瀬川君を精神病患者だと言ふ訳では無いよ。しかし君の様子を見るのに、何処か身体の具合でも悪いやうだ。まあ、君は左様(さう)は思はないかね。だから穢多の逐出(おひだ)された話を聞くと、直に僕は彼(あ)の猫のことを思出したのさ。それで君が引越したくなつたのかと思つたのさ。』
『馬鹿なことを言ひたまへ。』と丑松は反返(そりかへ)つて笑つた。笑ふには笑つたが、然しそれは可笑(をかし)くて笑つたやうにも聞えなかつたのである。
『いや、戯言(じようだん)ぢやない。』と銀之助は丑松の顔を熟視(みまも)つた。『実際、君の顔色は好くない――診(み)て貰つては奈何(どう)かね。』
『僕は君、其様(そん)な病人ぢや無いよ。』と丑松は微笑(ほゝゑ)み乍ら答へた。
『しかし。』と銀之助は真面目(まじめ)になつて、『自分で知らないで居る病人はいくらも有る。君の身体は変調を来して居るに相違ない。夜寝られないなんて言ふところを見ても、どうしても生理的に異常がある――まあ僕は左様(さう)見た。』
『左様(さう)かねえ、左様見えるかねえ。』
『見えるともサ。
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