厭世詩家と女性
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著者名:北村透谷 

 恋愛は人世の秘鑰(ひやく)なり、恋愛ありて後人世あり、恋愛を抽(ぬ)き去りたらむには人生何の色味かあらむ、然るに尤も多く人世を観じ、尤も多く人世の秘奥を究むるといふ詩人なる怪物の尤も多く恋愛に罪業を作るは、抑(そ)も如何(いか)なる理(ことわり)ぞ。古往今来詩家の恋愛に失する者、挙げて数ふ可からず、遂に女性をして嫁して詩家の妻となるを戒しむるに至らしめたり、詩家豈(あに)無情の動物ならむ、否、其濃情なる事、常人に幾倍する事著(いちじ)るし、然るに綢繆(ちうびう)終りを全うする者尠(すくな)きは何故ぞ。ギヨオテの鬼才を以て、後人をして彼の頭(かしら)は黄金(こがね)、彼の心は是れ鉛なりと言はしめしも、其恋愛に対する節操全からざりければなり。バイロンの嵩峻を以ても、彼(か)の貞淑寡言の良妻をして狂人と疑はしめ、去つて以太利(イタリー)に飄泊するに及んでは、妻ある者、女(むすめ)ある者をしてバイロンの出入を厳にせしめしが如き。或はシヱレイの合歓(がふくわん)未だ久しからざるに妻は去つて自ら殺し、郎も亦(ま)た天命を全うせざりしが如き。彼の高厳荘重なるミルトンまでも一度は此轍(このてつ)を履(ふま)んとし、嶢※(げうかく)[#「山+角」、63-上-15]豪逸なるカーライルさへ死後に遺筆を梓(し)するに至りて、合歓団欒(だんらん)ならざりし醜を発見せられぬ。其他マルロー、ベン・ジヨンソン以下を数へなば、誰か詩人の妻たるを怖れぬ者のあるべき。
 思想と恋愛とは仇讐なるか、安(いづく)んぞ知らむ、恋愛は思想を高潔ならしむる□母(じぼ)なるを。ヱマルソン言へる事あり、尤も冷淡なる哲学者と雖(いへども)、恋愛の猛勢に駆られて逍遙徘徊せし少壮なりし時の霊魂が負ふたる債(おひめ)を済(かへ)す事能はずと。恋愛は各人の胸裡(きようり)に一墨痕を印して、外(ほか)には見ゆ可からざるも、終生抹(まつ)する事能はざる者となすの奇跡なり。然れども恋愛は一見して卑陋(ひろう)暗黒なるが如くに其実性の卑陋暗黒なる者にあらず。恋愛を有せざる者は春来ぬ間(ま)の樹立(きだち)の如く、何となく物寂しき位地に立つ者なり、而して各人各個に人生の奥義の一端に入るを得るは、恋愛の時期を通過しての後なるべし。夫れ恋愛は透明にして美の真を貫ぬく、恋愛あらざる内は社会は一個の他人なるが如くに頓着あらず、恋愛ある後は物のあはれ、風物の光景、何となく仮を去つて実に就き、隣家より我家に移るが如く覚ゆるなれ。
 蓋(けだ)し人は生れながらにして理性を有し、希望を蓄へ、現在に甘んぜざる性質あるなり。社会の□縁(いんえん)に苦しめられず真直(まつすぐ)に伸びたる小児は、本来の想世界に生長し、実世界を知らざる者なり。然れども生活の一代に実世界と密接し、抱合せられざる者はなけむ、必ずや其想世界即ち無邪気の世界と実世界即ち浮世又は娑婆(しやば)と称する者と相争ひ、相睨(あひにら)む時期に達するを免れず。実世界は強大なる勢力なり、想世界は社界の不調子を知らざる中(うち)にこそ成立すべけれ、既に浮世の刺衝(ししよう)に当りたる上は、好(よ)しや苦戦搏闘するとても、遂には弓折れ箭(や)尽くるの非運を招くに至るこそ理の数なれ。此時、想世界の敗将気沮(はゞ)み心疲れて、何物をか得て満足を求めんとす、労力義務等は実世界の遊軍にして常に想世界を覗(うかゞ)ふ者、其他百般の事物彼に迫つて剣鎗相接爾(せつじ)す、彼を援くる者、彼を満足せしむる者、果して何物とかなす、曰く恋愛なり、美人を天の一方に思求し、輾転反側する者、実に此際に起るなり。生理上にて男性なるが故に女性を慕ひ、女性なるが故に男性を慕ふのみとするは、人間の価格を禽獣の位地に遷(うつ)す者なり。春心の勃発すると同時に恋愛を生ずると言ふは、古来、似非(えせ)小説家の人生を卑しみて己れの卑陋なる理想の中に縮少したる毒弊なり、恋愛豈(あに)単純なる思慕ならんや、想世界と実世界との争戦より想世界の敗将をして立籠らしむる牙城となるは、即ち恋愛なり。
 此恋愛あればこそ、理性ある人間は悉(こと/″\)く悩死せざるなれ、此恋愛あればこそ、実世界に乗入る慾望を惹起するなれ。コレリツヂが「ロメオ・ヱンド・ジユリヱツト」を評する中(うち)に、ロメオの恋愛を以て彼自身の意匠を恋愛せし者となし、第一の愛婦なる「ロザリン」は自身の意匠の仮物なりと論ぜるは、蓋し多くの、愛情を獣慾視して実性を見究めざる作家を誡しむるに足る可し。
 恋愛は剛愎なるバイロンを泣かせしと言ふ微妙なる音楽の境を越えて広がれり。恋愛は細微なる美術家と称(たゝ)へられたるギヨオテが企る事能はざる純潔なる宝玉なり。彼(か)の雄邁にして□優(せんいう)を兼ねたるダンテをして高天卑土に絶叫せしめたるも、其最大誘因は恋愛なり。彼の痛烈悲酸なる生涯を終りたるスウイフトも恋愛に数度の敗れを取りたればこそ、彼の如くにはなりけれ。嗚呼(あゝ)恋愛よ、汝は斯くも権勢ある者ながら、爾の哺養し、爾の切に需(もと)めらるゝ詩家の為に虐遇する所となる事多きは、如何に慨歎すべき事ならずや。
 女性を冷罵する事、東西厭世家の平(つね)なり。釈氏も力を籠めて女人を罵り、沙翁も往々女人に関して慊(あきた)らぬ語気を吐けり。我(わが)露伴子の「一口剣(いつこうけん)」を草するや、巧に阿蘭(おらん)を作りて作家の哲学思想を発揮し、更に「風流悟(ふうりうご)」に於て其解脱を説きたる所、余の尤も服する所なり。蓋し女性は感情的の動物なり、詩家も亦た男性中の女性と言ふ可き程に感情に富める者なり。深夜火器を弄(ろう)して閨中の人を愕(おどろ)かせしバイロン、必らずしも狂人たりしにあらざる可し、蓋し女性は或意味に於て甚(はなは)だ偏狭頑迷なる者なり、而(しか)して詩家も亦た、或点より観れば之に似たる所あるを免れず。蓋し女性は優美繊細なる者なり、而して詩家も亦た其思想に於ては優美繊細を常とする者なり、豪逸雄壮なる詩句を迸出する時に於ても、詩家は優美を旨とするものなるを以て、自(おのづか)ら女性に似たるところあるを免れず。其他生理学上に於て詳(つまびらか)に詩家の性情を検察すれば、神経質なるところ、執着なるところ等、類同の個条蓋し数ふるに遑(いとま)あらざる可し。是等の類同なる諸点あるが故に、同性相忌(い)むところよりして、詩家は遂に綢繆(ちうびう)を全うする事能はざる者なるか。夫れ或は然らむ、然れども余は別に説あり、請ふ識者に問はむ。
 合歓綢繆を全うせざるもの詩家の常ながら、特に厭世詩家に多きを見て思ふ所あり。抑(そもそ)も人間の生涯に思想なる者の発萌(はつばう)し来るより、善美を希(ねが)ふて醜悪を忌むは自然の理なり、而して世に熟せず、世の奥に貫かぬ心には、人世の不調子不都合を見初(みそ)むる時に、初理想の甚だ齟齬(そご)せるを感じ、実世界の風物何となく人をして惨惻(さんそく)たらしむ。智識と経験とが相敵視し、妄想と実想とが相争戦する少年の頃に、浮世を怪訝(くわいが)し、厭嫌(えんけん)するの情起り易きは至当の理なりと言ふ可し。人生(うまれ)ながらにして義務を知るものならず、人生れながらに徳義を知るものならず、義務も徳義も双対的の者にして、社界を透視したる後、「己れ」を明見したるの後に始めて知り得可き者にして、義務徳義を弁ぜざる純樸なる少年の思想が、始めて複雑解し難き社界の秘奥に接する時に、誰れか能(よ)く厭世思想を胎生せざるを得んや。誠信は以て厭世思想にかつ事を得べし、然れども誠信なる者は真(まこと)に難事にして、ポーロの如き大聖すら、嗚呼われ罪人(つみびと)なるかなと嘆じたる事ある程なれば、厭世の真相を知りたる人にしてこれに勝つほどの誠信あらん人は、凡俗ならざる可し。ポープの楽天主義の如きは蓋し所謂解脱したる楽天にして、其曾(か)つて唱ひし詞句に「凡(すべ)ての自然は妙術なれば汝の能く解する所ならじ、凡ての偶事は指呼に従ふものにして汝の関する所ならじ、凡ての不和は遂に調和なる事も汝が会(くわい)し得る所ならじ、一部に悪と思はるゝ所のものは全部に善、傲慢(がうまん)に訊(と)ふ勿(なか)れ、誤理(ごり)に惑はさるゝ勿れ、凡(およ)そ一真理の透明なるあらば其の如何なる者なるを問はず、必らず善なるを疑ふ勿れ。」と云ふ一節あり。蓋し斯の如きは人生の圧威を自力を以て排斥したりと思惟する者にして、抑も経験の結果なり。凡そ経験なきの思想には斯の如き解脱、思ひも寄らぬ事なり。
 偖(さ)て誠信の以て厭世に勝つところなく、経験の以て厭世を破るところなき純一なる理想を有(も)てる少壮者流の眼中には、実世界の現象悉(こと/″\)く仮偽なるが如くに見ゆ可きか、曰く否、中に一物の仮偽ならず見ゆる者あり、誠実忠信「死」も奪ふ可らずと見ゆる者あり、何ぞや、曰く恋愛なり、情は闘争すべき質を以て生れたる元素なれども、其恋愛の域に進む時は、全然平和調美の者となり、知らず知らず一女性の中に円満を画かしむ、情人相対する時は天地に強敵なく、不平も不融和も悉く其席を開きて、真美の天使をして代(かはつ)て坐せしむ。少(わか)き思想の実世界の蹂躙(じうりん)する所となる事多し、特に所謂詩家なる者の想像的脳膸の盛壮なる時に、実世界の攻撃に堪(た)へざるが如き観あるは、止むを得ざるの事実なり。況(いは)んや沈痛凄惻人生を穢土(ゑど)なりとのみ観ずる厭世家の境界に於てをや。曷(いづく)んぞ恋愛なる牙城に拠(よ)る事の多からざるを得んや、曷んぞ恋愛なる者を其実物よりも重大して見る事なきを得んや。恋愛は現在のみならずして、一分は希望に属する者なり、即ち身方(みかた)となり、慰労者となり、半身となるの希望を生ぜしむる者なり。夫れ厭世家は此世に属する者とし言はゞ名誉にもあれ、利得にもあれ、王者の玉冠にもあれ、鉄道王の富栄にもあれ、一の希望を置くところあらざるなり、故にこの世の希望と厭世家とは氷炭相容れざるの中なる可し。然るに恋愛なる一物のみは能く彼の厭世家の呻吟(しんぎん)する胸奥に忍び入る秘訣を有し、奇(く)しくも彼をして多少の希望を起さしむる者なり。情の性は沈静なるを得ざる者なり、其の一たび入るや人の心を攪乱するを以て常とす。況(ま)してや平生激昂しやすき厭世家の想像は、この誠実なる恋愛に遭ひて脆(もろ)くも咄嗟(とつさ)の間に、奇異なる魔力に打ち勝たれ、根もなき希望を醸(かも)し来り、全心を挙げて情の奴とするは見易き道理なり。
 恋愛は一たび我を犠牲にすると同時に我れなる「己れ」を写し出す明鏡なり。男女相愛して後始めて社界の真相を知る、細小なる昆虫も全く孤立して己が自由に働かず、人間の相集つて社界を為すや相倚托し、相抱擁するによりて、始めて社界なる者を建成し、維持する事を得るの理も、相愛なる第一階を登つて始めて之を知るを得るなれ。独り棲(す)む中は社界の一分子なる要素全く成立せず、双個相合して始めて社界の一分子となり、社界に対する己れをば明らかに見る事を得るなり。
 男女既に合して一となりたる暁には、空行く雲にも顔あるが如く、森に鳴く鳥の声にも悉く調子あるが如く、昨日(きのふ)といふ過去は幾十年を経たる昔日(むかし)の如く、今日(けふ)といふ現在は幾代(いくよ)にも亘る可(べき)実存の如くに感じ、今迄は縁遠かりし社界は急に間近に迫り来り、今迄は深く念頭に掛けざりし儀式も義務も急速に推(お)しかけ来り、俄然其境界を代へしめて、無形より有形に入らしめ、無頓着より細心に移らしめ、社界組織の網繩(まうじよう)に繋がれて不規則規則にはまり、換言すれば想世界より実世界の擒(とりこ)となり、想世界の不覊(ふき)を失ふて実世界の束縛となる、風流家の語を以て之を一言すれば婚姻は人を俗化し了する者なり。然れども俗化するは人をして正常の位地に立たしむる所以(ゆゑん)にして、上帝に対する義務も、人間に対する義務も、古(いにし)へ人(びと)が爛□たる花に譬(たと)へたる徳義も、人の正当なる地位に立つよりして始めて生ずる者なる可けれ、故に婚姻の人を俗化するは人を真面目ならしむる所以にして、妄想減じ、実想殖ゆるは、人生の正午期に入るの用意を怠らしめざる基ゐなる可けむ。
 厭世家が恋愛に対すること常人よりも激切なるの理由、前に既に述べたり。怪しきかな、恋愛の厭世家を眩(げん)せしむるの容易なるが如くに、婚姻は厭世家を失望せしむる事甚だ容易なり。そも/\厭世家なるものは社界の規律に遵(したが)ふこと能はざる者なり、社界を以て家となさゞる者なり、「世に愛せられず、世をも愛せざる者なり」(I love not the world, nor the world me.)繩墨の規矩(きく)に掣肘(せいちう)せらるゝこと能はざる者なり、「普通の快楽は以て快楽と認められざる者なり」(My pleasure is not that of the world, etc.)一言すれば彼等が穢土と罵るこの娑婆に於て、社界といふ組織を為す可き資格を欠ける者なり。故に多くの希望を以て、多くの想像を以て入りたる婚姻の結合は、彼等をして敵地に蹈入らしめたるが如きのみ。彼等が明鏡の裡(うち)に我が真影の写るを見て、益(ます/\)厭世の度を高うすべきも、婚姻の歓楽は彼等を誠信と楽天に導くには力足らぬなり。
 彼等は人世を厭離するの思想こそあれ、人世に覊束せられんことは思ひも寄らぬところなり。婚姻が彼等をして一層社界を嫌厭せしめ、一層義務に背かしめ、一層不満を多からしむる者、是を以てなり。かるが故に始(はじめ)に過重なる希望を以て入りたる婚姻は、後に比較的の失望を招かしめ、惨として夫婦相対するが如き事起るなり。
 女性は感情の動物なれば、愛するよりも、愛せらるゝが故に愛すること多きなり。愛を仕向けるよりも愛に酬ゆるこそ、其の正当の地位なれ。葛蘿(かつら)となりて幹に纏ひ□(まつ)はるが如く男性に倚るものなり、男性の一挙一動を以て喜憂となす者なり、男性の愛情の為に左右せらるゝ者なり。然るに不幸にして男性の素振に己れを嫌忌するの状(さま)あるを見ば、嫉妬も萌(きざ)すなり、廻り気も起るなり、恨み苦(にが)みも生ずるなり、男性の自(みづか)ら繰戻すにあらざれば、真誠の愛情或は外(そ)れて意外の事あるに至る可し。而して既に社界を厭へるもの、破壊的思想に充ちたるもの、世俗の義務及び徳義に重きを置かざるもの、即ち彼の厭世詩家に至りては、果して能く女性に対する調和を全うし得可きや。
 夫れ詩人は頑物なり、世路を濶歩することを好まずして、我が自ら造れる天地の中に逍遙する者なり。厭世主義を奉ずる者に至りては、其造れる天地の実世界と懸絶すること甚だ遠しと云ふ可く、婚姻によりて実世界に擒(きん)せられたるが為にわが理想の小天地は益(ます/\)狭窄なるが如きを覚えて、最初には理想の牙城として恋愛したる者が、後には忌はしき愛縛となりて我身を制抑するが如く感ずるなり。此に至つて釈氏をして惑哉肉眼吾今観之、従頭至足無一好也と罵り、又た、其内甚臭穢、外為厳飾容、加又含毒蟄劇如蛇与竜と叫び、更に又た、婦人非常友、如燈焔不停、彼則是常怨猶如画石文云々等の語を発せしめ、東洋の厭世教をして長く女性を冷遇するの積弊を起さしめたり。
 婚姻と死とは、僅(わづか)に邦語を談ずるを得るの稚児より墳墓に近づく迄、人間の常に口にする所なりとは、ヱマルソンの至言なり。読本を懐にして校堂に上(のぼ)るの小児が、他の少女に対して互に面を赧(あか)うすることも、仮名を便りに草紙読む幼な心に既に恋愛の何物なるかを想像することも、皆な是(これ)人生の順序にして、正当に恋愛するは正当に世を辞し去ると同一の大法なる可けれ。恋愛によりて人は理想の聚合を得、婚姻によりて想界より実界に擒せられ、死によりて実界と物質界とを脱離す。抑(そ)も恋愛の始めは自(みづか)らの意匠を愛する者にして、対手なる女性は仮物(かりもの)なれば、好しや其愛情益発達するとも遂には狂愛より静愛に移るの時期ある可し、此静愛なる者は厭世詩家に取りて一の重荷なるが如くになりて、合歓の情或は中折するに至(いたる)は、豈惜む可きあまりならずや。バイロンが英国を去る時の咏歌の中(うち)に、「誰れか情婦又は正妻のかこちごとや空涙(そらなみだ)を真事(まこと)とし受くる愚を学ばむ」と言出(いひだし)けむも、実に厭世家の心事を暴露せるものなる可し。同作家の「婦人に寄語す」と題する一篇を読まば、英国の如き両性の間柄厳格なる国に於てすら、斯の如き放言を吐きし詩家の胸奥を覗(うかゞ)ふに足る可けむ。
 嗚呼不幸なるは女性かな、厭世詩家の前に優美高妙を代表すると同時に、醜穢なる俗界の通弁となりて其嘲罵する所となり、其冷遇する所となり、終生涙を飲んで、寝ねての夢、覚めての夢に、郎を思ひ郎を恨んで、遂に其愁殺するところとなるぞうたてけれ、うたてけれ。「恋人の破綻(はたん)して相別れたるは、双方に永久の冬夜を賦与したるが如し」とバイロンは自白せり。
(明治二十五年二月)



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