国民と思想
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著者名:北村透谷 

     (1)[#「(1)」は縦中横] 思想上の三勢力

 一国民の心性上の活動を支配する者三あり、曰く過去の勢力、曰く創造的勢力、曰く交通の勢力。
 今日の我国民が思想上に於ける地位を詳(つまび)らかにせんとせば、少なくとも右の三勢力に訴へ、而して後明らかに、其関係を察せざる可からず。
「過去」は無言なれども、能(よ)く「現在」の上に号令の権を握れり。歴史は意味なきペーヂの堆積にあらず、幾百世の国民は其が上に心血を印して去れり、骨は朽つべし、肉は爛(くさ)るべし、然れども人間の心血が捺印(なついん)したる跡は、之を抹すべからず。秋果熟すれば即ち落つ、落つるは偶然にして偶然にあらず、春日光暖かにして、百花妍(けん)を競ふ、之も亦偶然にあらず、自然は意味なきに似て大なる意味を有せり、一国民の消長窮通を言ふ時に於て、吾人は深く此理を感ぜずんばあらず。引力によりて相(あひ)繋纏(けいてん)する物質の力、自由を以て独自卓犖(たくらく)たる精神の力、この二者が相率ひ、相争ひ、相呼び、相結びて、幾千幾百年の間、一の因より一の果に、一の果より他の因に、転々化し来りたる跡、豈(あ)に一朝一夕に動かし去るべけんや。
 然れ共「過去」は常に死に行く者なり。而して「現在」は恒(つね)に生き来るものなり。「過去」は運命之を抱きて幽暗なる無明に投じ、「現在」は暫らく紅顔の少年となりて、希望の袂(たもと)に縋(すが)る。一は死(しに)て、一は生く、この生々死々の際、一国民は時代の車に乗りて不尽不絶の長途を輪転す。
 何(いづ)れの時代にも、思想の競争あり。「過去」は現在と戦ひ、古代は近世と争ふ、老いたる者は古(いにしへ)を慕ひ、少(わか)きものは今を喜ぶ。思想の世界は限りなき四本柱なり。梅ヶ谷も爰(こゝ)にて其運命を終りたり、境川(さかひがは)も爰にて其運命を定めたり、凡(およ)そ爰に登り来るもの、必らず又た爰を去らざる可からず。この世界には永久の桂冠あると共に、永久の義罰あり。この世界には曾(か)つて沈静あることなく、時として運動を示さゞるなく、日として代謝を告げざるはなし。主観的に之を見る時は、此の世界は一種の自動機関なり、自ら死し、自ら生き、而して別に自ら其の永久の運命を支配しつゝあるものなり。
 一国民に心性上の活動あるは、自由党あるが故にあらず、改進党あるが故にあらず、彼等は劇塲に演技する優人なれども、別に書冊の裡に隠れて、彼等の為に台帳を制する作者あるなり。偉大なる国民には必らず偉大なる思想あり。偉大なる思想は一投手、一挙足の間に発生すべきにあらず、寧(いづく)んぞ知らん、一国民の耐久的修養の力なるものを俟(ま)つにあらざれば、蓊欝(をううつ)たる大樹の如き思想は到底期すべからざるを。
 過去の勢力は之を軽んずべからず、然れども徒(いたづ)らに過去の勢力に頑迷して、乾枯(かんこ)せる歴史の槁木(かれき)に夢酔するは豈に国民として、有為の好徴とすべけんや。創造的勢力は、何れの時代にありても之を欠く可からず。国民の生気は、その創造的勢力によつて卜(ぼく)するを得べし。尤も多く保守的なるとき、尤も多く固形的なる時、国民は自然に墳墓を眺めて進みつゝあるなり。創造的勢力は、潮水を動かして、前進せしむるもの、之なくては思想豈に円滑の流動あらんや、之なくては国民豈に、進歩的生気あらんや。
 創造的勢力と馬を駢(なら)べて、相馳駆(ちく)するものあり、之を交通の勢力とす。今や、思想に対する世界は日一日より狭くなり行かんとす、東より西に動く潮あり、西より東に流るゝ潮あり、潮水は天為なり、人功を以て之を支へんとするは、癡人(ちじん)の夢に類するものなり。東西南北は、思想の側(サイズ)のみ、思想の城郭にあらざるなり、思想の最極は円環なり。叨(みだ)りに東洋の思想に執着するも愚なり、叨りに西洋思想に心酔するも癡なり、奔流急湍(きふたん)に舟を行(や)るは難し、然れども舟師は能く富士川を下りて、船客の心を安うす、富士川を下るは難し、然れどもその尤も難きは、東西の二大潮が狂湧猛瀉して相撞突(たうとつ)するの際にあり。此際に於て、能く過去の勢力を無みせず、創造的勢力と、交通の勢力とを鉄鞭の下に駆使するものあらば、吾人は之を国民が尤も感謝すべき国民的大思想家なりと言はんと欲す。

     (2)[#「(2)」は縦中横] 今の思想界に於ける創造的勢力

 つら/\今の思想界を見廻せば、創造的勢力は未だ其の弦(つる)を張つて箭(や)を交ふに至らず、却(かへ)つて過去の勢力と、外来の勢力とが、勢を較して、陣前馬頻(しき)りに嘶(いなゝ)くの声を聞く、戦士の意気甚だ昂揚して、而して民衆は就く所を失へるが如き観なきにあらず。
 見よ、詩歌の思想界を嘲(あざけ)るものは、その余りに狭陋(けふろう)にして硬骨なきを笑ふにあらずや。見よ、政治を談ずるものは、空しく論議的の虚影を追随して停まるところを知らざるにあらずや。見よ、デモクラシーは宿昔(しゆくせき)の長夢を攪破せんとのみ悶(もが)き、アリストクラシーは急潮の進前を妨歇せんとのみ噪(さわ)ぐにあらずや。斯の如き事たる素(もと)より今の思想界の必当の運命たるべしと雖(いへども)、心あるもの陰に前途の濃雲を憂ふるは、又た是非もなき事共かな。今の思想界は実に斯の如し、徒らに人間の手を以て造化の力を奪はんとする勿(なか)れ、進むべき潮水は遠慮なく進むべし、退くべき潮水は顧眄(こべん)なく退くべし、直ちに馳せ、直ちに奔(はし)り、早晩大に相撞着することあるを期すべし、知らずや斯かる撞着の真中より、新たに生気悖々(ぼつ/\)たる創造的勢力の醸生し来るべき理あるを。

     (3)[#「(3)」は縦中横] 姉と妹

 某の村に某の家あり、三千年の系図ありと誇称す。この家近き頃までは、全村の旧家として勢威赫々(かく/\)として犯すべからざるものありて存せり。然れども是れ山間の一小村にして、四囲層巒(そうらん)を以て繞(めぐ)らし、自然に他村と相隔絶したるの致せしのみ。今を距(さ)ること三十年、一度び他村との交通を開きてより、忽(たちま)ち衰廃して前日の強盛は夢の如く、泡の如く、再び回(か)へすべからざるものとなりぬ。この家に二個の娘子あり、姉は幼なきより隣村の某家に養はれて、人と成るまで家に帰らず、渠(かれ)の養はれし家は、宝貨充実、生を理する事一々其機に投ぜざるなし、之を以て彼の芳紀正に熟するや、豊頬秀眉、一目人を幻するの態あり、或時人に伴はれて其の実家に帰り、その妹を見しに、風姿は聊(いさゝか)も毀損(きそん)するところなけれど、自(おのづ)から痩弱にして顔色も光沢を欠けり。姉は頻りに己れの美貌を以て妹に誇負するところあらんとす、妹即ち曰く、爾(なんぢ)は躰健かに美形なりと雖、他家に寓して人となれり、我は躰弱く形又た醜くしと雖、祖先の家を守りて暫らくも爰を離れず、誇るべきところ我にあり、何ぞ爾の下にあらんやと。
 姉の頭にはデモクラシー(共和制)と云へる銀簪(ぎんしん)燦然(さんぜん)たり、インヂビヂユアリズム(個人制)といへる花釵(くわさい)きらめけり、クリスチアン・モラリチーも亦た飾られたり、真に之れ絶世の美人なり。而して妹の頭には祖先の血によりて成りたる毛髪の外、何の有るなし。妹の形は悄然たり、姉の面は矯妖(けうえう)たり。妹の未然は悲観的なり。姉の将来は希望的なり。姉を娶(めと)らんか、妹を招かんか。国民よ少しく省みよ、爾の中に爾の生気あらば、爾の中に爾の希望あらば、爾の中に爾の精神あらば、安(いづ)くんぞ此の婚嫁によつて爾の大事を決せんとするを要せむ。この二娘子の一を娶らざるべからずと信ずる勿(なか)れ。止むなくんば多妻主義となりて、この二娘を合せ娶れよ、汝はこの婚嫁によりて爾の精神を失迷せしむべからず、然り、爾に大なる元気(Genius)の存するあり、一夫一妻となるも、一夫多妻となるも、爾の元気に於て若し欠損するなければ、爾は希望ある国民なり。

     (4)[#「(4)」は縦中横] 国民の一致的活動

 凡(およ)そ一国民として欠く可からざるものは、其の一致的活動なり。活動、われは之を心性の上に於て云ふ、政事的活動の如きは我が関(あづか)り知る所にあらざればなり。凡そ心性の活動あらずして、外部の活動あるはあらず、思想先づ動きて動作生ず、ルーソーあり、ボルテールあり、而して後に仏国の革命あり。国民の鞏固(きようこ)なる勢力は、必らず一致したる心性の活動の上に宿るものなり。此点より観察すれば、国民の生命を証するものは、実に其制度に於て、能く国民を一致せしむる舞台あると否とに存せり。何を以て、国民に心性上の結合を与へん。如何なる主義を以て、此の目的に適(かな)ひたるものとせん。如何なる信条を以て、此の目的に合ひたるものとせん。吾人は多言を須(もち)ひずして知る、尤も多く並等(びやうどう)を教ふるもの、尤も多く最多数の幸福を図るもの、尤も多くヒユーマニチーを発育するもの、尤も多く人間の運命を示すもの、即ち、此目的に適合する事尤も多き者なるを。斯の如く余はインヂビジユアリズムの信者なり、デモクラシーの敬愛者なり。然れども、

     (5)[#「(5)」は縦中横] 国民の元気

 国民の元気は一朝一夕に於て転移すべきものにあらず。其の源泉は隠れて深山幽谷の中に有り、之を索(もと)むれば更に深く地層の下にあり、砥(と)の如き山、之を穿(うが)つ可からず、安(いづ)くんぞ国民の元気を攫取(くわくしゆ)して之を転移することを得んや。思想あり、思想の思想あり、而して又た思想の思想を支配しつべきものあり、一国民は必らず国民を成すべき丈の精神を有すべきなり、之に加ふるに藪医術を以てし、之を率ゆるに軽業師の理論を以てするとも、国民は頑として之に従ふべからざるなり。渠(かれ)を囲める自然は、渠に与ふるに天然の性情を以てし、渠に賦するに、特異の性格を以てす、是等の性情、是等の性格は、幾千年の間その国民の活動の泉源たりしなり、その国民の精神の満足たりしなり。国民も亦た一個の活人間なり、その中に意志(ウイル)あり、その中に自由(リバーチー)を求むるの念あり、国家てふ制限の中に在て其の意志の独立を保つべき傾向を有せずんば非ず。以太利(イタリー)は如何に斧鉞(ふゑつ)を加へて盛衰興亡の運命を悟らしむるも、其の以太利たるは依然として同じ、独逸(ドイツ)も亦た斯の如し、仏蘭西(フランス)も亦た斯の如し。国民の元気の存する処に其の予定の運命あり。死すべきか、生くべきか、嗚呼(あゝ)一国民も亦た無常の風を免れじ、達士世を観ずる時、宜(よろ)しく先づ命運の帰するところを鑑(かんが)むべし、若し我が国民にして、果して秋天霜満ちて樹葉、黄落の暁にありとせんか、須(すべか)らく男児の如く運命を迎ふべし、然り、須らく男児の如く死すべし、国民も亦た其の天職あるなり、其の威厳あるなり、其の死後の名あるなり、其の生前の気節あるなり。之を破らず、之を折らず、而して能く生存競争の国際的関係を、全うし得るの道ありや否や。
 デモクラシー(共和制)を以て、我国民に適用し、根本の改革をなさんとするが如きは、極めて雄壮なる思想上の大事業なり、吾人は其の成功と不成功を論(あげつ)らはず、唯だ世人が如何に冷淡に此の題目を看過するかを怪訝(くわいが)しつゝあるものなり。吾人は寧ろ進歩的思想に与(くみ)するものなり、然りと雖、進歩も自然の順序を履(ふ)まざる可からず、進歩は転化と異なれり、若し進歩の一語の裡に極めて危険なる分子を含めることを知らば、世の思想家たる者、何ぞ相戒めて、如何に真正の進歩を得べきやを講究せざる。国民のヂニアスは、退守と共に退かず、進歩と共に進まず、その根本の生命と共に、深く且つ牢(かた)き基礎を有せり、進歩も若し此れに協(かな)はざるものならば進歩にあらず、退守も若し此れに合(あは)ざるものならば退守にあらず。

     (6)[#「(6)」は縦中横] 地平線的思想

 政事の論議に従事し、一代の時流を矯正して、民心の帰向を明らかにする思想家、素より偏見僻説(へきせつ)を頑守し、衆を以て天下を脅かす的(てき)の所謂(いはゆる)政事家なるものに比較すべきにあらず。然れども其の説くところ概(おほむ)ね卑近にして、俚耳(りじ)に入り易きの故を以て、人之を俗物と称す。吾人は、斯の如き俗物の感化が、今の米国を造り、今の所謂文明国なるものを造るに於て大なる力ありし事を信ずる者なり。凡そ適切なる感化を民衆に施こして、少歳月の中に大なる改革を成就すること、多くは謂ふ所の俗物なるものゝ力にあり、マコーレーも或意味に於ては俗物なり、ヱモルソンも或意味に於ては俗物なり、彼等は実に俗物なりしが故にグレートなりしなり。教養(カルチユーア)は素(も)と自然を尊びて、真朴を主とするものなり、古より大人君子の成せしところ、蓋(けだ)し之に過ぐるなきなり、平坦なる真理は遂に天下に勝つべし、此意味に於て吾人は所謂俗物なるものを崇拝するの心あり。然れども、爰に記憶せざるべからざることあり。世間幾多の平坦なる真理を唱ふるものゝ中には、平坦を名として濫(みだ)りに他の平坦ならざるものを罵り、自から謂(おも)へらく、平坦なるものにあらざれば真理にあらずと。斯の如きは即ち真理を見るの眼にあらずして、平坦を見るの眼なり。
 思想界には地平線的思想と称すべき者あり、常に人世(アース)の境域にのみ心を注(あつ)め、社界を改良すと曰ひ、国家の福利を増すと曰ひ、民衆の意向を率ゆと曰ひ、極(きはめ)て尨雑(ばうざつ)なる目的と希望の中に働らきつゝあり。国民は尤も多く此種の思想家を要す、凡そ此種の思想家なき所には何の活動もなく、何の生命もなし、然れども記憶せよ、国民は此種の思想家のみを以て甘んずべきにあらざるを。真正のカルチユーアを国民に与ふるが為には、地平線的思想の外に、更に一物の要すべきあり。

     (7)[#「(7)」は縦中横] 高蹈的思想

 吾人は之を高蹈的思想と呼ぶ、数週前に民友先生が言はれし高蹈派といふ文字と、其意味を同うするや否やを知らず。吾人は実に地平線的思想の重んずべきを知ると雖、所謂高蹈的思想なるものゝ一日も国民に欠くべからざるを信ずるものなり。ヒユーマニチーを人間に伝ふるは、独り地平線的思想の任にあらず、道徳は到底固形の善悪論にあらざれば、プラトーの真善美も、ミルトンの虚想も、人間をして正当に人間たる位地に進ましむるに、浩大(かうだい)なる裨益(ひえき)あることを信ずるなり。ヒユーマニチーは社会的義務の為めにのみ存するにあらず、人間の性質(キヤラクター)は倫理道徳の拘束によりてのみ建設すべきものにあらず、純美を尋ね、純理を探る、世の詩人たり、学者たる者、優に地平線的思想家の預り知らざる所に於て、人類の大目的を成就しつゝあるにあらずや。

     (8)[#「(8)」は縦中横] 何をか国民的思想と謂ふ

 必ずしも国民といふ題目を以て詩歌の材とするを、国民的思想といふにあらざるなり。マルセーユの歌に対して製(つく)りたる独逸(ドイツ)祖国歌は非常の賞賛を得て、一篇の短歌能く末代の名を存せしと聞く。然れども是れ賞賛のみ、喝采のみ、一の国民の私に表せし同情のみ、未だ以て真正の詩歌界に於ける月桂冠とは云ふべからざるなり。吾人は「早稲田文学」と共に、少くとも国民大の思想を得んことを希望すること切なりと雖、世の詩歌の題目を無理遣りに国民的問題に限らんとする輩に向ひては、聊か不同意を唱へざる可からず。「国民之友」曾(か)つて之を新題目として詩人に勧めし事あるを記憶す、寔(まこと)に格好なる新題目なり、彼の記者の常に斯般(しはん)の事に烱眼(けいがん)なるは吾人の私(ひそか)に畏敬する所なれど、世には大早計にも之を以て詩人の唯一の題目なる可しと心得て、叨(みだ)りに所謂高蹈的思想なるものを攻撃せんとする傾きあるは、豈(あ)に歎息すべき至りならずや。詩人は一国民の私有にあらず、人類全躰の宝匣(ほうかふ)なり、彼をして一国民の為に歌はしめんとするの余りに、彼が全世界の為に齎(もた)らし来りたる使命を傷(やぶ)らしめんとするは、吾人其の是なるを知らず。
 然りと雖、詩人も亦た故国に対する妙高の観念なきにあらず、邦国の区劃は彼に於て左(さ)までの事にはあるまじきが、その天賦の気稟(きひん)に於て、少くともその国民を代表する所なき能はず。之を以てバイロンは如何にその故国を罵るとも、英国の一民たるに於ては終始変るところなく、深く之を其の著作の上に印せり。之を以てレッシングは仏国の思想がライン河を渉(わた)りて、縦(ほしいまゝ)に其の郷国の思想を横領するを悪(にく)みて、大に国民の夢を醒したり。斯く詩人も亦た其の郷土の愛国者たるは、抜くべからざる天稟の存するあればなるべし。
 詩人豈に国民の為にのみ産(うま)れんや、詩人豈に所謂国民的なる狭少なる偏見の中にのみ限られんや、然れども事実に於て、詩人も亦た愛国家なり、詩人も亦た国民の中に生くるものなり。拿翁(なをう)の侵略に遭ひて国亡び、家破れんとするに当りて、従容として、拿翁の玉座に近づき、彼をして言ふ可からざる敬畏の念を抱かしめたるギヨーテが、戦陣に臨みて雑兵の一人となり、尸(しかばね)を原頭に暴(さ)らさゞるの故を以て、国民的ならずと罵るものあらば、吾人は其の愚を笑はずんばあらざるなり。

     (9)[#「(9)」は縦中横] 創造的勢力の淵源

 吾人は再び曰ふ、今日の思想界に欠乏するところは創造的勢力なりと。模倣、卑しき模倣、之れ国民の、尤も悲しむべき徴候なり、我は英国文学を唱道すと宣言し、我は独逸文学を唱道すと宣言し、我は仏国文学を唱道すと宣言す、その外に又た、我は英国思想を守ると曰ひ、我は米国思想を伝ふと曰ひ、我は何、我は何と、各々便利の思想に拠(よ)つて、国民を率ゐんとす。而して又た、少しく禅道を謂ふものあらば、即ち固陋(ころう)なりと罵り、少しく元禄文学を道(い)ふものあらば、即ち苟且(かりそめ)の復古的傾向なりと曰ふ。嗚呼不幸なるは今の国民かな。彼等は洋上を渡り来りたる思想にあらざれば、一顧の価なしと信ずるの止むべからざるものあるか。彼等は摸傚(もかう)の渦巻に投げられて、何時まで斯くてあらんとする。今日の思想界、達士を俟(ま)つこと久し、何ぞ奮然として起り、十九世紀の世界に立つて恥づるなき創造的勢力を、此の国民の上に打ち建てざる。復古、爾も亦た頼むべからず。消化、爾も亦た頼むべからず。誰か能く剛強なる東洋趣味の上に、真珠の如き西洋的思想を調和し得るものぞ、出でよ詩人、出でよ真に国民大なる思想家。外来の勢力と、過去の勢力とは、今日に於て既に多きに過ぐるを見るなり。欠くところのものは創造的勢力。
(明治二十六年七月)



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