鳥影
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著者名:石川啄木 

   其一

      一

 小川靜子は、兄の信吾が歸省するというふので、二人の妹と下男の松藏を伴れて、好摩(かうま)の停車場まで迎ひに出た。もと/\鋤一つ入れたことのない荒蕪地の中に建てられた小さい三等驛だから、乘降の客と言つても日に二十人が關の山、それも大抵は近村の百姓や小商人許りなのだが、今日は姉妹の姿が人の目を牽(ひ)いて、夏草の香に埋もれた驛内も常になく艶(なま)めいてゐる。
 小川家といへば、郡でも相應な資産家として、また、當主の信之が郡會議員になつてゐる所から、主なる有志家の一人として名が通つてゐる。總領の信吾は、今年大學の英文科を三年に進んだ。何と思つてか知らぬが、この暑中休暇を東京で暮すと言つて來たのを、故家(うち)では、村で唯一人の大學生なる吾子の夏毎の歸省を、何よりの誇見(みえ)で樂みにもしてゐる、世間不知(しらず)の母が躍起になつて、自分の病氣や靜子の縁談を理由に、手酷く反對した。それで信吾は、格別の用があつたでもなかつたが、案外温(おとな)しく歸ることになつたのだ。
 午前十一時何分かに着く筈の下り列車が、定刻を三十分も過ぎてるのに、未だ着かない。姉妹を初め、三四人の乘客が皆もうプラットフォームに出てゐて、□(はる)か南の方の森の上に煙の見えるのを、今か今かと待つてゐる。二人の妹は、裾短かな、海老茶(えびちや)の袴、下髮(おさげ)に同じ朱鷺色(ときいろ)のリボンを結んで、譯もない事に笑ひ興じて、追ひつ追はれつする。それを羨まし氣(げ)に見ながら、同年輩の見窄(みすぼ)らしい裝(なり)をした、洗洒しの白手拭を冠つた小娘が、大時計の下に腰掛けてゐる、目のショボ/\した婆樣の膝に凭れてゐた。
 驛員が二三人、驛夫室の入口に倚(よ)つ懸(かゝ)つたり、蹲(しやが)んだりして、時々此方を見ながら、何か小聲に語り合つては、無遠慮に哄(どつ)と笑ふ。靜子はそれを避ける樣に、ズッと端の方の腰掛に腰を掛けた。銘仙矢絣の單衣に、白茶の繻珍の帶も配色がよく、生際の美しい髮を油氣なしのエス卷に結つて、幅廣の鼠のリボンを生温かい風が煽る。化粧(よそほ)つてはゐないが、七難隱す色白に、長い睫毛(まつげ)と恰好のよい鼻、よく整つた顏容(かほだち)で、二十二といふ齡(とし)よりは、誰が目にも二つか三つ若い。それでゐて、何處か恁(か)う落着いた、と言ふよりは寧ろ、沈んだ處のある女だ。
 六月下旬の日射(ひざし)がもう正午(ひる)に近い。山國の空は秋の如く澄んで、姫神山(ひめかみさん)の右の肩に、綿の樣な白雲が一團、彫出(ほりだ)された樣に浮んでゐる。燃ゆる樣な、好摩(かうま)が原の夏草の中を、驀地(まつしぐら)に走つた二條の鐵軌(レール)は、車の軋つた痕に激しく日光を反射して、それに疲れた眼が、□か彼方に快い蔭をつくつた、白樺の木立の中に、蕩々(とろ/\)と融けて行きさうだ。
 靜子は眼を細くして、恍然(うつとり)と兄の信吾の事を考へてゐた。去年の夏は、休暇がまだ二十日も餘つてる時に、信吾は急に言出して東京に發つた。それは靜子の學校仲間であつた平澤清子が、醫師の加藤と結婚する前日であつた。清子と信吾が、餘程以前から思ひ合つてゐた事は、靜子だけがよく知つてゐた。
 今度歸るまいとしたのも、或は其、己に背いた清子と再び逢ふまいとしたのではなからうかと、靜子は女心に考へてゐた。それにしても歸つて來るといふのは嬉しい、恁う思返して呉れたのは、細々と訴へてやつた自分の手紙を讀んだ爲だ、兄は自分を援けに歸るのだと許り思つてゐる。靜子は、今持上つてゐる縁談が、種々の事情から兩親始め祖父までが折角勸めるけれど、自分では奈何(どう)しても嫁(ゆ)く氣になれない、此心をよく諒察(くみと)つて、好く其間に斡旋してくれるのは、信吾の外にないと信じてゐるのだ。
『來た、來た。』と、背の低い驛夫が叫んだので、フォームは俄かに色めいた。も一人の髯面の驛夫は、中に人のゐない改札口へ行つて、『來ましたよウ。』と怒鳴つた。濃い煙が、眩しい野末の青葉の上に見える。

      二

 凄じい地響をさせて突進して來た列車が停ると、信吾は手づから二等室の扉(ドア)を排(あ)けて身輕に降り立つた。乘降の客や驛員が、慌しく四邊(あたり)を驅ける。汽笛が澄んだ空氣を振はして、汽車は直ぐ發(た)つた。
 荷札(チェッキ)扱ひにして來た、重さうな旅行鞄を、信吾が手傳つて、頭の禿げた松藏に背負してる間に、靜子は熟々(つく/″\)其容子を見てゐた。ネルの單衣に涼しさうな生絹(きぎぬ)の兵子帶、紺キャラコの夏足袋から、細い柾目の下駄まで、去年の信吾とは大分違つてゐる。中肉の、背は□乎(すらり)として高く、帽子には態(わざ)と徽章も附けてないから、打見には誰にも學生と思へない。何處か厭味のある、ニヤケた顏ではあるが、母が妹の靜子が聞いてさへ可笑い位自慢してるだけあつて、男には惜しい程肌理(きめ)が濃(こまか)く、色が白い。秀でた鼻の下には、短い髭を立ててゐた。それが怎(どう)やら老けて見える。老けて見えると同時に、妹の目からは、今迄の馴々しさが顏から消え失せた樣にも思はれる。輕い失望の影が靜子の心を掠めた。
『何を其□(そんな)に見てるんだ、靜さん?』
『ホホ、兄樣少し老(ふ)けたわね。』と靜子は莞爾(につこり)する。
『あゝ之か?』と短い髭を態(わざ)とらしく捻り上げて、『見落されるかと思つて心配して來たんだ。ハハハ。』
『ハハハ。』と松藏も聲を合せて、背の鞄を搖り上げた。
『怎(どう)だ、重いだらう?』
『何有(なあに)、大丈夫でごあんす。年は老つても、』と又搖り上げて、『さあ、松藏が先に立ちますべ。』
 連立つて停車場を出た。靜子は、際どくも清子の事を思浮べて、杖形(ステッキがた)の洋傘を突いた信吾の姿が、吾兄ながら立派に見える、高が田舍の開業醫づれの妻となつた彼の女が、今度この兄に逢つたなら、甚□(どんな)氣がするだらうなどと考へた。
 二町許りも構内の木柵に添うて行くと、信號柱(シグナル)の下で踏切になる。小川家へ行くには、此處から線路傳ひに南へ辿つて、松川の鐵橋を渡るのが一番の近道だ。二人の妹は、早く歸つて阿母さんに知らせると言つて、足並揃へてズン/\先に行く。松藏は大胯にその後に跟(つ)いた。
 信吾と靜子は、相並んで線路の兩側を歩いた。梅雨後(つゆあがり)の勢(いきほ)ひのよい青草が熱蒸(いき)れて、眞正面に照りつける日射が、深張の女傘の投影を、鮮かに地に印した。靜子は、この夏は賑やかに樂く暮せると思ふと、逢つたら先づ話して置かうと考へてゐたことも忘れて、もう怡(いそ)々した心地になつた。
『皆が折角待つてることよ。』
『然うか。實は此夏少し勉強しようと思つたんだがね。』
『勉強は家でだつて出來ない事なくつてよ。其□にお邪魔しないわ。』
『それも然うだが、子供が大勢ゐるからな。』
『だつて阿母さんが那□(あんな)に待つてますもの。』
『その阿母さんの病氣ツてな甚□(どんな)だい? タント惡いんぢやないだらう?』
『えゝ、其□に惡かアないんですけど……。』
『臥(ね)てゐるか?』
『臥たり起きたり。例(いつも)のリウマチに、胃が少し惡いんですつて。』
『胃の惡いのは喰ひ過ぎだ。朝から煙草許り喫(の)んでゐて、怠屈まぎれに種々(いろん)な物を間食するから惡いんだよ。』
『でもないでせうが、一體阿母さんは丈夫ぢやないのね。』
『若い時の應報(むくい)さ。』
『まあ!』と眼を大きく□(みは)つた。母のお柳(りう)は昔盛岡で名を賣つた藝妓であつたのを、父信之が學生時代に買馴染んで、其爲に退校にまでなり、家中反對するのも諾(き)かずに無理に落籍(ひか)さしたのだとは、まだ女學校にゐる頃叔母から聞かされて、譯もなく泣いた事があつた……が、今迄遂ぞ恁□(こんな)言葉を兄の口から聞いた事がない。靜子は、宛然(さながら)自分の祕密でも言ひ現された樣な氣がして、さつと面(おもて)を染めた。

      三

 信吾も少し言過ぎたと思つたかして直ぐに、
『だが何か服藥はしてるだらうね?』
『えゝ。……加藤さんが毎日來て診(み)て下さるのよ。』
『然うか。』と言つて、また態とらしく、『然うか、加藤といふ醫師があつたんだな。』
 靜子はチラリと兄の顏を見た。
『醫師が毎日來る樣ぢや、餘り輕いんでもないんだね?』
『然うぢやないのよ。加藤さんは交際家なんですもの。』
『フム、交際家か!』と短い髭を捻つて、
『其□風ぢや相應に繁昌(はや)つてるんだらう?』
『えゝ、宅の方へ□診に來る時は、大抵自轉車よ。でなけや馬に乘つて來るわ。』
『ほう、景氣をつけたもんだな。そして何か、もう子供が生れたのか?』
『……まだよ。』と低い聲で答へて目を落した。
『それぢや清子さんも暇があつて可いんだらう。』
『えゝ。』
『女は子供を有つと、もう最後だからな。』
 靜子は妙にトチッて、其儘口を噤(つぐ)んで了つた。人は長く別れてゐると、その別れてゐた月日の事は勘定に入れないで、お互ひにまだ別れなかつた時の事を基礎に想像する。靜子は、清子が加藤と結婚した事について、少からず兄に同情してゐる。今度歸つて來て、毎日來る加藤と顏を合せるのも、兄は甚□に不愉快な思ひをするだらう、などとまで狹い女心に心配もしてゐた。そして、何かしらそれに關した事を言出されるかと、宛然(さながら)自分の持つてゐる鋭い刄物に對手が手を出すのを、ハラ/\して見てゐる樣な氣がしてゐたが、信吾の言葉は、故意かは知れないが餘りに平氣だ、餘りに冷淡だ。今迄の心配は杞憂(きいう)に過ぎなかつた樣にも思ふ。又、兄は自ら僞つてるのだとも思ふ。そして、心の底の何處かでは、信吾がモウ清子の事を深く心にとめても居ないらしい口吻を、何となく不滿に感じられる。その素振を見て取つて、信吾は亦自分の心を妹に勝手に忖度されてる樣な氣がして、これも默つて了つた。
 二人は並んで歩いた。蒸す樣な草いきれと、乾いた線路の土砂の反射する日光とで、額は何時しか汗ばんだ。靜子の顏は、先刻(さつき)の怡々(いそ/\)した光が消えて、妙に眞面目に引緊(ひきしま)つてゐた。妹共はもう五六町も先方(さき)を歩いてゐる。十間許り前を行く松藏の後姿は、荷が重くて屈んでるから、大きい鞄に足がついた樣だ。
 稍あつてから信吾は、『あの問題は、一體奈何(どう)なつてるんだい?』と妹を見返つた。
『あの問題ツて、……松原の方?』と兄の顏を仰ぐ。
『あゝ。餘程切迫してるのかい?』
『さうぢや無いんですれど[#「ですれど」はママ]……。』
『手紙の樣子ぢや然う見えたんだが。』
『さうぢや無いんですけど。』と繰返して、『怎(どう)せ貴兄(あなた)の居る間に、何とか決(き)めなけやならない事よ。』
『然うか、それで未だ先方には何とも返事してないんだね?』
『えゝ。兄樣の歸つてらしやるのを待つてたんだわ。』
 信吾は少し言ひ淀んで、『昨日發(た)つ時にね、松原君が上野まで見送りに來て呉れたんだ……。』
 靜子は默つて兄の顏を見た。松原政治といふのは、近衞の騎兵中尉で、今は乘馬學校の生徒、靜子の縁談の對手なのだ。

      四

『發(た)つ四五日前にも、』と信吾は言葉を次いだ。『突然訪(や)つて來て大分夜更(よふけ)まで遊んで行つた。今度の問題に就いちや別段話もなかつたが、(俺も二十七ですからねえ。)なんて言つてゐたつけ。』
 靜子は默つて聞いてゐた。
『休暇で歸るのに見送りなんか爲(し)て貰はなくつても可いと言つたのに、態々俥でやつて來てね。麥酒(ビール)や水菓子なんか車窓(まど)ン中へ抛(はふ)り込んでくれた。皆樣に宜敷(よろしく)つて言つてたよ。』
『然(さ)うでしたか。』と氣の無さ相な返事である。
『皆樣にぢやない靜さんにだらうと、餘程言つてやらうかと思つたがね。』
『まあ!』
『ナニ唯思つた丈さ。まさか口に出しはしないよ。ハッハハ。』
 この松原中尉といふのは、小川家とは遠縁の親戚で、十里許りも隔つた某村の村長の次男である。兄弟三人皆軍籍に身を置いて、三男の狷介と云ふのが靜子の一歳下の弟の志郎と共に士官候補生になつてゐる。
 長男の浩一は、過る日露の役に第五聨隊に從つて、黒溝臺の惡戰に壯烈な戰死を遂げた。――これが靜子の悲哀である。靜子は、女學校を卒へた十七の秋、親の意に從つて、當時歩兵中尉であつた此浩一と婚約を結んだのであつた。
 それで翌年の二月に開戰になると、出征前に是非盃事をしようと小川家から言出した。これは浩一が、生きて歸らぬ覺悟だと言つて堅く斷つたが、靜子の父信之の計ひで、二月許りも青森へ行つて、浩一と同棲した。
 浩一の遺骨が來て盛んな葬式が營まれた時は、母のお柳の思惑(おもはく)で、靜子は會葬することも許されなかつた。だから、今でも表面では小川家の令孃に違ひないが、其實、モウ其時から未亡人になつてるのだ。
 その夏休暇(やすみ)で歸つた信吾は、さらでだに内氣の妹が、病後の如く色澤(つや)も失せて、力なく沈んでるのを見ては、心の底から同情せざるを得なかつた。そして慰めた。信吾も其頃は感情の荒んだ今とは別人のやうで、血の熱かい眞摯な二十二の若々しい青年であつたのだ。
 九月になつて上京する時は、自ら兩親を説いて靜子を携へて出たのであつた。兄妹(ふたり)は本郷眞砂町の素人屋に室を並べてゐて、信吾は高等學校へ、靜子は某の美術學校へ通つた。當時少尉の松原政治が、兄妹(ふたり)に接近し初めたのは、其後間もなくの事であつた。
『姉さん。』と或時政治が靜子を呼んだ。靜子はサッと顏を染めて俯向(うつむ)いた。すると、『僕は今迄一度も、貴女を姉さんと呼ぶ機會がなかつた。これからもモウ機會がないと思ふと、實に殘念です。』と眞面目になつて言つた事がある。靜子も其初め、亡き人の弟といふ懷しさが先に立つて、政治が日曜毎の訪問を喜ばぬでもなかつた。
 何日の間にかパッタリと足が止つた。其間に政治は同僚に捲込まれて酒に親む事を知つた。そして一昨年の秋中尉に昇進してからは、また時々訪ねて來た。然しモウ以前の單純な、素朴な政治ではなかつた。或時は微醺(びくん)を帶びて來て、些々(ちよい/\)擽る樣な事を言つた事もある。又或時は同じ中隊だといふ、生(なま)半可な文學談などをやる若い少尉を伴(つ)れて來て、態と其前で靜子と親しい樣に見せかけた。そして、靜子が次の間へ立つた時、『怎(どう)だ、仲々美(い)いだらう?』と低い聲で言つたのが襖越しに聞こえた。靜子は心に憤(いきどほ)つてゐた。
 昨年の春、母が産後の肥立が惡くて二月も患つた時、看護に歸つて來た儘靜子は再び東京に出なかつた。そして、此六月になつてから、突然政治から結婚の申込みを受けたのだ。
『それで、兄樣は奈何(どう)思つて?』と、靜子は、並んで歩いてゐる信吾の横顏を眤(じつ)と見つめた。

      五

『奈何つて言つた所で、問題は頗る簡單だ。』
『然う?』と靜子は兄の顏を覗く樣にする。
『簡單さ。本人が厭なら仕樣がないぢやないか。』
『そんなら可いけど……。』と莞爾(につこり)する。
『だがまあ、お父さんやお母さんの意見も聞いて見なくちやならないし、それに祖父さんだつて何か理窟を言ふだらうしね。』
『ですけど、私奈何(どう)したつて嫁(い)かないことよ。』
『そう頭つから我(が)を張つたつて仕方がないが、マア可いよ、僕に任して置けや心配する事は無い。お前の心はよく解つてるから。』
『眞箇(ほんと)?』
『ハハハ。まるで小兒(こども)みたいだ。』と信吾は無造作に笑ふ。
 靜子も聲を合せて笑つたが、『ま、嬉しい。』と言つて額の汗を拭く。顏が晴やかになつて、心持や聲も華やいだ。
『兄樣、アノ面白い事があつてよ。』
『何だ?』
『叔父さんが私に同情してるわ。』
『叔父さんて誰? 昌作さんか?』
『えゝ。』と言つて、さも可笑相(をかしさう)な目附をする。昌作といふのは父信之の末の弟、兄妹(ふたり)には叔父に違ひないが、齡は靜子よりも一つ下の二十一である。
『今度の事件にか?』
『然うよ。過日(こないだ)奧の縁側で、祖母(おばあ)さんと何か議論してるの。そして靜子々々つて何か私の事言つてる樣なんですからね、惡いと思つたけど私立つて聞いたことよ。そしたら、(結婚といふものは戀愛によつて初めて成立するもので、他から壓制的に結びつけようとするのは間違だ。)なんて、それあ眞面目よ。すると祖母さんが、(あああゝ然うだらうともさ。)が可笑(をか)しいぢやありませんか。壓制的なんて祖母さんに解るもんですかねえ。ホホホヽヽ。』
『そして奈何(どう)した。』
『奈何もしやしないけど、面白かつたわ。そして折角祖父さん許り攻撃してるのよ。舊時代の思想だの何のつてね……お父さんやお母さんの事は言へないもんだから。』
『フム、然うか。……それで奈何(どう)する氣なんだらう、今後。』
『南米に行きたいんですつて。』
『南米に? そんな事で學校も廢(よ)したんだな。』
『それ許りぢやないわ。今年卒業するのでしたのを落第したんですもの。』
『中學も卒業せずに南米に行つたつて奈何(どう)なるもんか。それに旅費だつて大分費(かゝ)る。』
『全體で二百圓あれア可(いゝ)んですつて。』
『何處から出す積りだらう。家ぢや出せまいし……。』
『出せないことは無いと思ふわ。』
『だつて餘り無謀な計畫だ。』
『……ですけど、お母さんも少し酷(ひど)いわね、昌作叔父さんに。私時々さう思ふ事があつてよ。』
『それや昌作さんが惡いんだ。そして今は何をしてるだらう? 唯遊んでるのか?』
『歌を作つてるのよ。新派の歌。』
『歌? 那□(あんな)格好してて歌作るの? ハハハ。』
『仲々得意よ。そして少し天狗になつてるけど、眞箇(ほんと)に巧いと思ふのもあるわ。』
『莫迦な。其□(そんな)事してるから駄目なんだ。少し英語でも勉強すれや可いのに。』
 この時、重い地響が背後(うしろ)に聞えた。二人は同時に振返つて見て、急がしく線路の外に出た。信吾の乘つて來た列車と川口驛で擦違つて來た、上りの貨物列車が、凄じい音を立てて、二人の間を飛ぶが如くに通つた。

   其二

      一

 人通りの少い青森街道を、盛岡から北へ五里、北上川に架けた船綱橋(ふなたばし)といふを渡つて六七町も行くと、若松の並木が途絶(とだ)えて見すぼらしい田舍町に入る。兩側百戸足らずの家並の、十が九までは古い茅葺勝(かやぶきがち)で、屋根の上には百合や萱草や桔梗が生えた、昔の道中記にある澁民(しぶたみ)の宿場の跡がこれで、村人はただ町と呼んでゐる。小さいながらも呉服屋、菓子屋、雜貨店、さては荒物屋、理髮店、豆腐屋まであつて、素朴な農民の需要は大抵此處で充される。町の中央(まんなか)の、四隣(あたり)不相應に嚴しく土塀を繞(めぐら)した酒造屋(さかや)と向ひ合つて、大きな茅葺の家に村役場の表札が出てゐる。
 役場の外に、郵便局、駐在所、登記所も近頃新しく置かれた。小學校は、町の南端れ近くにある。直徑尺五寸もある太い丸太の、頭を圓くして二本植ゑた、それが校門で、右と左、手頃の棒の先を尖らして、無造作に鋼線(はりがね)で繋いだ木柵は、疎(まば)らで、不規則で、歪んで、破れた鎧の袖を展(の)べた樣である。
 柵の中は、左程廣くもない運動場になつて、二階建の校舍が其奧に、愛宕山の鬱蒼(こんもり)した木立を背負つた樣にして立つてゐる。
 日射(ひざし)は午後四時に近い。西向の校舍は、後ろの木立の濃い緑と映り合つて殊更に明るく、授業は既に濟んだので、坦(たひら)かな運動場には人影もない、夏も初の鮮かな日光が溢れる樣に流れた。先刻(さつき)まで箒を持つて彷徨(さまよ)つてゐた、年老つた小使も何處かに行つて了つて、隅の方には隣家の鷄が三羽、柵を潜つて來てチョコ/\遊び□つてゐる。
 と、門から突當りの玄關が開(あ)いて、女教師の日向智惠子はパッと明るい中へ出て來た。其拍子に、玄關に隣つた職員室の窓から賑やかな笑聲が洩れた。
 クッキリとした、輪廓の正しい、引緊つた顏を眞正面に西日が照すと切(きれ)のよい眼を眩しさうにした。紺飛白(こんがすり)の單衣に長過ぎる程の紫の袴――それが一歩毎に日に燃えて、靜かな四邊の景色も活きる樣だ。齡は二十一二であらう。少し鳩胸(はとむね)の、肩に程よい圓みがあつて、歩き方がシッカリしてゐる。
 門を出て右へ曲ると、智惠子は些(ちつ)と學校を振返つて見て、『氣障(きざ)な男だ。』と心に言つた。故もない微笑がチラリと口元に漂ふ。
 家々の前の狹い淺い溝には、腐れた水がチョロ/\と流れて、縁に打込んだ杭が朽ちて白い菌が生えた。屋根が低くて廣く見える街路には、西並の家の影が疎(まばら)な鋸の齒の樣に落ちて、處々に馬を脱(はづ)した荷馬車が片寄せてある。鷄が幾群も、其下に出つ入りつ、零(こぼ)れた米を土埃の中に漁つてゐた。會つて頭を下げる小兒等に、智惠子は一々笑ひ乍ら會釋を返して行く。
 一人、煮絞めた樣な淺黄の手拭を冠つて、赤兒を背負つた十一二の女の兒が、とある家の軒下に立つて妹らしいのと遊んでゐたが、智惠子を見ると、鼻のひしやげた顏で卑しくニタ/\笑つて、垢だらけの首を傾(かし)げる。智惠子は側へ寄つて來た。
『先生(しえんせえ)!』
『お松、お前また此頃學校に來なくなつたね?』と、柔かな物言ひである。
『これ。』と背中の兒を搖(ゆすぶ)つて、相變らずニタ/\と笑つてる。子守をするので學校に出られぬといふのだらう。
『背負(おぶ)つてでも可(い)いからお出なさい。ね、子供の泣く時だけ外に出れば可いんだから。』
 お松はそれには答へないで、『先生(しえんせえ)ア今日お菓子喰つてらけな。皆してお茶飮んで……。』
『ホホヽヽ。』と智惠子は笑つた。『何處から見てゐたの?……今日はお客樣が被來(いらし)たから然(さ)うしたの。お前さんの家でもお客さんが行つたらお茶を出すんでせう?』
『出さねえ。』
 信吾は歸省の翌々日、村の小學校を訪問したのであつた。

      二

 智惠子の泊まつてゐる濱野といふ家は町でもズット北寄りの――と言つても學校からは五六町しかない――寺道の入口の小さい茅葺家がそれである。智惠子が此家の前まで來ると、洗晒しの筒袖を着た小造りの女が、十許りの女の兒を上り框(かまち)に腰掛けさせて髮を結つてやつて居た。
 それと見た智惠子は直ぐ笑顏になつて、溝板を渡りながら、
『只今。』
『先生、今日は少し遲う御座(ごあ)んしたなッす。』
『ハ。』
『小川の信吾さんが、學校にお出で御座(ごあ)んしたらう?』
『え、被來(いらしつ)てよ。』と言つた顏は心持赧かつた。『それに、今日は三十日ですから少し月末の調べ物があつて……。』と何やら辯疏(いひわけ)らしく言ひながら、下駄を脱いで、
『アノ、郵便は來なくて小母(をば)さん?』
『ハ、何にも……然う/\、先刻(さつき)靜子さんがお出でになつて、アノ、兄樣もお歸省(かへり)になつたから先生に遊びに被來(いらしつ)て下さる樣にツて。』
『然う? 今日ですか?』
『否(いゝえ)。』と笑を含んだ。『何日とも被仰(おつしや)らな御座(ごあ)んした。』
『然うでしたか。』と安心した樣に言つて、『祖母さんは今日は?』
『少し好い樣で御座(ごあ)んす。今よく眠つてあんすから。』
『夜になると何日でも惡くなる樣ね。』と言ひながら、直ぐ横の破れた襖を開けて中を覗いた。薄暗い取散らかした室の隅に、臥床が設けてあつて、汚れた布團の襟から、彼方向の小い白髮頭が見えてゐる。枕頭には、漆の剥げた盆に茶碗やら、藥瓶やら、流通の惡い空氣が、藥の香と古疊の香に濕つて、氣持惡くムッとした。
 智惠子は稍暫しその物憐れな室の中を見てゐたが、默つて襖を閉めて、自分の室に入つて行つた。
 上り口の板敷から、敷居を跨げば、大きく焚火の爐を切つた、田舍風の廣い臺所で、其爐の横の滑りの惡い板戸を明けると、六疊の座敷になつてゐる。隔ての煤けた障子一重で、隣りは老母の病室――疊を布いた所は此二室しかないのだ。
 東向に格子窓があつて、室の中は暗くはない。疊も此處は新しい。が、壁には古新聞が手際惡く貼られて、眞黒に煤けた屋根裏が見える、壁側に積重ねた布團には白い毛布が被(かゝ)つて、其に並んだ箪笥の上に、枕時計やら鏡臺やら、種々な手□りの物が整然と列べられた。
 脱いだ袴を疊んで、桃色メリンスの袴下を、同じ地の、大きく菊模樣を染めた腹合せの平生帶(ふだんおび)に換(か)へると、智惠子は窓の前の机に坐つて、襟を正して新約全書(バイブル)を開いた。――これは基督信者(クリスチャン)なる智惠子の自ら定めた日課の一つ、五時間の授業に相應に疲れた心の兎もすれば弛むのを、恁うして勵まさうとするのだ。
 展(ひら)かれたのは、モウ手癖のついてゐる例の馬太(マタイ)傳第二十七章である。智惠子は心を沈めて小聲に讀み出した。縛られた耶蘇(イエス)がピラトの前に引出されて罪に定められ、棘(いばら)の冕(かんむり)を冠せられ、其面に唾せられ、雨の樣な嘲笑を浴(あ)びて、遂にゴルゴダの刑場に、二人の盜人と相並んで死に就くまでの悲壯を盡した詩――『耶蘇(イエス)また大聲に呼はりて息絶えたり。』と第五十節迄讀んで來ると、智惠子は兩手を強く胸に組合せて、稍暫し默祷に耽つた。何時でも此章を讀むと、言ふに言はれぬ、深い/\心持になるのだ。
 軈て智惠子は、昨日來た友達の手紙に返事を書かうと思つて、墨を磨(す)り乍ら考へてゐると、不圖、今日初めて逢つた信吾の顏が心に浮んだ。……
 丁度此時、信吾は學校の門から出て來た。

      三

 長過ぎる程の紺絣の單衣に、輕やかな絹の兵子帶、丈高い體を少し反身(そりみ)に何やら勢ひづいて學校の門を出て來た信吾の背後(うしろ)から、
『信吾さん!』と四邊(あたり)憚からぬ澄んだ聲が響いて、色褪せた紫の袴を靡かせ乍ら、一人の女が急ぎ足に追驅けて來た。
『呀(おや)!』と振返つた信吾は笑顏を作つて、『貴女もモウ歸るんですか?』
『ハ、其邊まで御同伴(ごいつしよ)。』と馴々しく言ひ乍ら、羞(はにか)む色もなく男と並んで、『マア私の方が這□(こんな)に小さい!』
 矢張女教師の神山富江といつて、女にして背の低い方ではないが、信吾と並んでは肩先までしか無い。それは一つは、葡萄(えび)色の緒の、穿き減した低い日和下駄を穿いてる爲でもある。肉の緊つた青白い細面の、醜い顏ではないが、少し反齒(そつぱ)なのを隱さうとする樣に薄い脣を窄(すぼ)めてゐる。かと思へば、些細の事にも其齒を露出(むきだし)にして淡白(きさく)らしく笑ふ。よく物を言ふ眼が間斷なく働いて、解けば手に餘る程の髮は黒い。天賦か職業柄か、時には二十八といふ齡に似合はぬ若々しい擧動も見せる。一つには未だ子を持たぬ爲でもあらう。
 富江には夫がある。これも盛岡で學校教師をしてゐるが、人の噂では二度目の夫だとも言ふ。それが頗る妙で、富江が此村に來てからの三年の間、正月を除いては、農繁の休暇にも暑中の休暇にも、盛岡に歸らうとしない。それを怪んで訊ねると、
『何有(なあに)、私なんかモウお婆さんで、夫の側に喰附いてゐたい齡(とし)でもありません。』と笑つてゐる。對手によつては、女教師の口から言ふべきでない事まで平氣で言つて、恥づるでもなく冗談にして了ふ。
 村の人達は、富江を淡白な、さばけた、面白い女として心置なく待遇(あしら)つてゐる。殊にも小川の母――お柳にはお氣に入りで、よく其家にも出入する。其□事から、この町に唯一軒の小川家の親戚といふ、立花といふ家に半自炊の樣にして泊つてゐるのだ。服裝を飾るでもなく、本を讀むでもない。盛岡には一文も送らぬさうで、近所の内儀さんに融通してやる位の小金は何日でも持つてゐると言ふ。
 街路は八分通り蔭つて、高聲に笑ひ交してゆく二人の、肩から横顏を明々(あか/\)と照す傾いた日もモウ左程暑くない。
『だが何だ、神山さんは何日見ても若いですね。』と揶揄(からか)ふ樣に甘つたるく舌を使つて、信吾は笑ひながら女を見下した。
『奢(おご)りませんよ。』と言ふ富江の聲は訛(なま)つてゐる。『ホヽヽ、いくら髭を生やしたつて其□(そんな)年老(としと)つた口は利くもんぢやありませんよ。』
『呀(おや)、また髭を……。』
『寄つてらつしやい。』と富江は俄かに足を留めた。何時しか己が宿の前まで來たのだ。
『次にしませう。』
『何故? モウ虐(いぢ)めませんよ。』
『御馳走しますか?』
『しますとも……。』
と言つてる所へ、家の中から四十五六の汚らしい裝(なり)をした、内儀(かみ)さんが出て來て、信吾が先刻寄つて呉れた禮を諄々(くど/\)と述べて、夫もモウ歸る時分だから是非上れと言ふ。夫の金藏といふ此家の主人は、二十年も前から村役場の書記を勤めてゐるのだ。
 信吾がそれを斷つて歩き出すと、
『信吾さん、それぢや屹度押しかけて行きますよ。』
『あゝ被來(いらつしや)い、歌留多(かるた)なら何時でもお相手になつて上げるから。』
『此方から教へに行くんですよ。』と笑ひ乍ら、富江は薄暗い家の中へ入つて行つた。
 と、信吾は急に取濟した顏をして大胯に歩き出したが、加藤醫院の手前まで來ると、フト物忘れでもした樣に足を緩(ゆる)めた。

      四

 今しもその、五六軒彼方の加藤醫院へ、晩餐の準備の豆腐でも買つて來たらしい白い前掛の下女が急ぎ足に入つて行つた。
『何有(なあに)、たかが知れた田舍女ぢやないか!』と、信吾は足の緩んだも氣が附かずに、我と我が撓(ひる)む心を嘲つた。人妻となつた清子に顏を合せるのは、流石に快(こゝろよ)くない。快くないと思ふ心の起るのを、信吾は自分で不愉快なのだ。
 寄らなければ寄らなくても濟む、別に用があるのでもないのだ。が、狹い村内の交際は、それでは濟まない。殊には、さまでもない病氣に親切にも毎日□診に來てくれるから是非顏出しして來いと母にも言はれた。加之(のみならず)、今日は妹の靜子と二人で町に出て來たので、其妹は加藤の宅で兄を待合して一緒に歸ることにしてある。
『疚(やま)しい事があるんぢやなし……。』と信吾は自分を勵ました。『それに加藤は未だ□診から歸つてゐまい。』と考へると、『然(さ)うだ。玄關だけで挨拶を濟まして、靜子を伴れ出して歸らうか。』と、つい卑怯な考へも浮ぶ。
『清子は甚□(どんな)顏をするだらう?』といふ好奇心が起つた。と、
『私はあの、貴方の言葉一つで……。』と言つて眤と瞳を据ゑた清子の顏が目に浮んだ。――それは去年の七月の末加藤との縁談が切迫塞(せつぱつま)つて、清子がとある社(やしろ)の杜に信吾を呼び出した折のこと。――その眼には、「今迄この私は貴方の所有(もの)と許り思つてました。恁う思つたのは間違でせうか?」といふ、心を張りつめた美しい質問が涙と共に光つてゐた。二人の上に垂れた楓の枝が微風に搖れて、葉洩れの日影が清子の顏を明るくし又暗くしたことさへ、鮮かに思出される。
 稚い時からの戀の最後を、其時、二人は人知れず語つたのだ。……此追憶は、流石に信吾の心を輕くはしない。が、その時の事を考へると、『俺は強者だ。勝つたのだ。』といふ淺間しい自負心の滿足が、信吾の眼に荒(すさ)んだ輝きを添へる……。
 取濟ました顏をして、信吾は大胯に杖を醫院の玄關に運んだ。
 昔は町でも一二の濱野屋といふ旅籠屋であつた、表裏に二階を上げた大きい茅葺家に、思切つた修繕を加へて、玄關造にして硝子戸を立てた。その取つてつけた樣な不調和な玄關には、『加藤醫院』と鹿爪らしい楷書で書いた、まだ新しい招牌(かんばん)を掲げた。――開業醫の加藤はもと他村の者であるが、この村に醫者が一人も無いのを見込んで一昨年の秋、この古家を買つて移つて來た。生れ村では左程の信用もないさうだが、根が人好きのする男で、技術の巧拙より患者への親切が、先づ村人の氣に入つた。そして、村長の娘の清子と結婚してからは馬を買ひ自轉車を買ひ、田舍者の目を驚かす手術臺やら機械やらを置き飾つて、隣村二ヶ村の村醫までも兼ねた。
 信吾が落着いた聲で案内を乞ふと、小生意氣らしい十七八の書生が障子を開けた。其處は直ぐ藥局で、加藤の弟の代診をしてゐる愼次が、何やら薄紅い藥を計量器(メートルグラス)で計つてゐた。
『や、小川さんですか。』と計量器を持つた儘で、『さ何卒(どうぞ)お上り下さいまし。』と無理に擬(ま)ねた樣な訛言(なまり)を使つた。
 そして『姉樣(ねえさん)、姉樣。』と聲高く呼んで、『兄もモウ歸る時分ですから。』
『ハ、有難う。妹は參つてゐませんですか?』
 其處へ横合ひの襖が開いて清子が出て來た。信吾を見ると、『呀(あ)。』と抑へた樣な聲を出して、膝をついて、『ようこそ。』と言ふも口の中。信吾はそれに挨拶をし乍らも、頭を下げた清子の耳の、薔薇の如く紅きを見のがさなかつた。
『さ何卒(どうぞ)。靜さんも待つてらつしやいますから。』
『否(いや)、然(さ)うしては……。』と言はうとしたのを止して、信吾は下駄を脱いだ。處女らしい清子の擧動が、信吾の心に或る皮肉な好奇心を起さしめたのだ。

      五

 二十分許り經つて、信吾兄妹は加藤醫院を出た。
 一筋町を北へ、一町許り行くと、傾き合つた汚ならしい、家と家の間から、家路を左へ入る、路は此處から、水車場の前の小橋を渡つて、小高い廣い麥畑を過ぎて、阪を下りて、北上川に架けられた、鶴飼橋といふ吊橋を渡つて十町許りで大字川崎の小川家に行く。落ちかけた夏の日が、熟して割れた柘榴(ざくろ)色の光線を、青々とした麥畑の上に流して、眞正面に二人の顏を彩(いろど)つた。
 信吾は何氣ない顏をして歩き乍らも心では清子の事を考へてゐた。僅か二十分許りの間、座には靜子も居れば、加藤の母も愼次も交る/\挨拶に出た。信吾は極く物慣れた大人振つた口をきいた。清子は茶を薦め菓子を薦めつゝ唯淑(しとや)かに、口數は少なかつた。そして男の顏を眞正面には得見なかつた。
 唯一度、信吾は對手を「奧樣(おくさん)」と呼んで見た。清子は其時俯(うつむ)いて茶を注(つ)いでゐたが、返事はしなかつた。また顏も上げなかつた。信吾は女の心を讀んだ。
 清子の事を考へると言つても、別に過ぎ去つた戀を思出してゐるのではない。また豫期してゐた樣な不快を感じて來たのでもない。寧ろ、一種の滿足の情が信吾の心を輕くしてゐる。一口に言へば、信吾は自分が何處までも勝利者であると感じたので。清子の擧動がそれを證明した。そして信吾は、加藤に對して少しの不快な感を抱いてゐない、却つてそれに親しまう、親しんで而して繁く往來しよう、と考へた。
 加藤に親しみ、清子を見る機會を多くする、――否、清子に自分を見せる機會を多くする。此方が、清子を思つては居ないが、清子には何時までも此方を忘れさせたくない。それ許りでなく、猫が鼠を嬲(なぶ)る如く敗者の感情を弄ばうとする、荒んだ戀の驕慢(プライド)は、も一度清子をして自分の前に泣かせて見たい樣な希望さへも心の底に孕んだ。
『清子さんは些とも變らないでせう。』と何かの序に靜子が言つた。靜子は、今日の兄の應待振の如何にも大人びてゐたのに感じてゐた。そして、兄との戀を自ら捨てた女友(とも)が、今となつて何故(なぜ)那□(あんな)未練氣のある擧動をするだらう。否、清子は自ら恥ぢてゐるのだ、其爲に臆すのだ、と許り考へてゐた。
『些とも變らないね。』と信吾は短い髭を捻つた。『幸福に暮してると年は老らないよ。』
『さうね。』
 其話はそれ限(きり)になつた。
『今日隨分長く學校に被居(いらし)たわね。貴兄(あなた)智惠子さんに逢つたでせう?』
『智惠子? ウン日向さんか。逢つた。』
『何う思つて、兄樣は?』と笑を含む。
『美人だね。』と信吾も笑つた。
『顏許りぢやないわ。』と靜子は眞面目な眼をして、『それや好い方よ心も。私姉樣の樣に思つてるわ。』と言つて、熱心に智惠子の性格の美しく清い事、其一例として、濱野(智惠子の宿)の家族の生活が殆んど彼女の補助によつて續けられてゐる事などを話した。
 信吾は其話を、腹では眞面目に、表面はニヤ/\笑ひ乍ら聽いてゐた。
 二人が鶴飼橋へ差掛つた時、朱盆の樣な夏の日が岩手山の巓(みね)に落ちて、夕映の空が底もなく黄橙色(だい/\いろ)に霞んだ。と、丈高い、頭髮をモヂャ/\さした、眼鏡をかけた一人の青年が、反對の方から橋の上に現れた。靜子は、
『アラ昌作叔父さんだわ。』と兄に□く。
『オーイ。』と青年は遠くから呼んだ。
『迎ひに來た。家ぢや待つてるぞ。』
 言ふ間もなく踵を返して、今來た路を自暴(やけ)[#ルビの「やけ」は底本では「や」]に大胯で歸つて行く。信吾は其後姿を見送り乍ら、愍れむ樣な輕蔑した樣な笑ひを浮べた。靜子は心持眉を顰めて、『阿母さんも酷(ひど)いわね。迎ひなら昌作さんでなくたつて可いのに!』と獨語(ひとりごと)の樣に呟(つぶや)いた。

   其三

      一

 曉方(あけがた)からの雨は午(ひる)少し過ぎに霽(あが)つた。庭は飛石だけ先づ乾いて、子供等の散らかした草花が生々としてゐる。池には鯉が跳ねる。池の彼方が芝生の築山、築山の眞上に姿優しい姫神山が浮んで空には斷れ/″\の白雲が流れた。――それが開放(あけはな)した東向の縁側から見える。地上に發散する水蒸氣が風なき空氣に籠つて、少し蒸す樣な午後の三時頃。
『それで何で御座いますか、えゝ、お食事の方は? 矢張お進みになりませんですか?』と言ひ乍ら、加藤は少し腰を浮かして、靜子が薦める金盥の水で眞似許り手を洗ふ。今しもお柳の診察――と言つても毎日の事でホンの型許り――が濟んだところだ。
『ハア、怎うも。……それでゐて恁う、始終何か喰べて見たい樣な氣がしまして、一日口按排(あんばい)が惡う御座いましてね。』とお柳も披(はだか)つた襟を合せ、片寄せた煙草盆などを醫師の前に直したりする。
 痩せた、透徹るほど蒼白い、鼻筋の見事に通つた、險のある眼の心持吊つた――左褄とつた昔を忍ばせる細面の小造りだけに遙(ずうつ)と若く見えるが、四十を越した證(しるし)は額の小皺に爭はれない。
『胃の所爲(せゐ)ですな。』と頷いて、加藤は新しい手巾(ハンカチ)で手を拭き乍ら坐り直した。
『で何です、明日からタカヂヤスターゼの錠劑を差上げて置きますから、食後に五六粒宛召上つて御覽なさい。え? 然(さ)うです。今までの水藥と散劑の外にです。碎くと不味(まづ)う御座いますから、微温湯(ぬるまゆ)か何かで其儘お嚥みになる樣に。』と頤を突出して、喉佛を見せて嚥み下す時の樣子をする。
 見るからが人の好さ相な、丸顏に髭の赤い、デップリと肥つた、色澤(つや)の好い男で、襟の塞つた背廣の、腿(もゝ)の邊が張り裂けさうだ。
 茶を運んで來た靜子が出てゆくと、奧の襖が開いて、卷莨の袋を掴んだ信吾が入つて來た。
『や、これは。』と加藤は先づ挨拶する、信吾も坐つた。
『ようこそ。暑いところを毎日御足勞で……。』
『怎う致しまして。昨日は態々お立寄り下すつた相ですが、生憎と芋田の急病人へ行つてゐたものですから失禮致しました。今度町へ被來(いらし)たら是非何卒(どうか)。』
『ハ、有難う。これから時々お邪魔したいと思つてます。』と莨に火を點(つけ)る。
『何卒さう願ひたいんで。これで何ですからな、無論私などもお話相手には參りませんが、何しろ狹い村なんで。』
『で御座いますからね。』とお柳が引取つた。『これが(頤で信吾を指して)退屈をしまして、去年なんぞは貴方、まだ二十日も休暇が殘つてるのに無理無體に東京に歸つた樣な譯で御座いましてね。今年はまた私が這□(こんな)にブラ/\してゐて思ふ樣に世話もやけず、何彼と不自由をさせますもんですから、もう昨日あたりからポツ/\小言が始りましてね。ホヽヽ。』
『然(さ)うですか。』と加藤は快活に笑つた。
『それぢや今年は信吾さんに逃げられない樣に、成るべく早くお癒りにならなけや不可(いけ)ませんね。』
『えゝもうお蔭樣で、腰が大概良いもんですから、今日も恁うして朝から起きてゐますので。』
『何ですか、リウマチの方はもう癒つたんで?』と信吾は自分の話を避けた。
『左樣、根治とはまあ行き難い病氣ですが、……何卒。』と信吾の莨を一本取り乍ら、『撒里矢爾酸曹達(さるちるさんそうだ)が阿母(おつか)さんのお體に合ひました樣で……。』とお柳の病氣の話をする。
 開放した次の間では、靜子が茶棚から葉鐵(ぶりき)の鑵を取出して、麥煎餅か何か盆に盛つてゐたが、それを持つて彼方へ行かうとする。
『靜や、何處へ?』とお柳が此方から小聲に呼止めた。
『昌作(をぢ)さん許(とこ)へ。』と振返つた靜子は、立ち乍ら母の顏を見る。
『誰が來てるんだい?』と言ふ調子は低いながらに譴(たしな)める樣に鋭かつた。

      二

『山内樣よ。』と、靜子は温(おと)なしく答へて心持顏を曇らせる。
『然うかい。三尺さんかい!』とお柳は蔑(さげす)む色を見せたが、流石に客の前を憚つて、『ホホホヽ。』と笑つた。[#「。」は底本では「、」]
『昌作さんの背高(のつぽ)に山内さんの三尺ぢや釣合はないやね。』
『昌作さんにお客?』と信吾は母の顏を見る。其間に靜子は彼方の室へ行つた。
『然(さ)うだとさ。山内さんて、登記所のお雇さんでね、月給が六圓だとさ。何で御座いますね。』と加藤の顏を見て、『然う言つちや何ですけれど、那□(あんな)小さい人も滅多にありませんねえ、家ぢや子供らが、誰が教へたでもないのに三尺さんといふ綽名(あだな)をつけましてね。幾何(いくら)叱つても山内さんを見れや然う言ふもんですから困つて了ひますよ。ホホヽヽ。七月兒だつてのは眞箇(ほんと)で御座いませうかね?』
『ハッハヽヽ。怎うですか知りませんが、那□(あんな)に生れついちやお氣の毒なもんですね。顏だつても綺麗だし、話して見ても色ンな事を知つてますが……。』
『えゝえゝ。』とお柳は俄かに眞面目臭つた顏をして、
『それやもう山内さんなんぞは、體こそ那□(あんな)でも、兎に角一人で喰つて行くだけの事をしてらつしやるんだから立派なもので御座いますが、昌作叔父さんと來たらまあ怎うでせう! 町の人達も嘸小川の剩(あまさ)れ者だつて笑つてるだらうと思ひましてね。』
『其□(そんな)ことは御座いません……。』
と加藤が何やら言はうとするのを、お柳は打消す樣にして、
『學校は勝手に廢(や)めて來るし、あゝして毎日碌々(ごろ/\)してゐて何をする積りなんですか。私は這□(こんな)性質ですから諄々(つべこべ)言つて見ることも御座いますが、人の前ぢや眼許りパチパチさしてゐて、カラもう現時(いま)の青年(わかいもの)の樣ぢやありませんので。お宅にでも伺つた時は何とか忠告して遣つて下さいましよ。』
『ハハヽヽ。否、昌作さんにした所で何か屹度大きい御志望を有つて居られるんでせうて。それに何ですな、譬へ何を成さるにしても、あの御體格なら大丈夫で御座いますよ。……昌作さんも何ですが(と信吾を見て)失禮乍ら貴君も好い御體格ですな。五寸……六寸位はお有りでせうな? 何方がお高う御座います?』
 氣の無い樣な顏をして煙りを吹いてゐた信吾は、『さあ、何方ですか。』と、吐月峯(はいふき)に莨の吸殼を突込む。
『何方ももう背許り延びてカラ役に立ちませんので、……電信柱にでも賣らなけや一文にもなるまいと申してゐますんで。ホホヽヽヽ。』と、お柳は取つて附けた樣に高笑ひする。加藤も爲方なしに笑つた。
 十分許り經つて加藤は自轉車で歸つて行つた。信吾は玄關から直ぐ書齋の離室(はなれ)へ引返さうとすると
『信吾や、まあ可いぢやないか。』と言つて、お柳は先刻の座敷に戻る。
『お父樣は今日も役場ですか?』と、信吾は縁側に立つて空を眺めた。
『然(さ)うだとさ、何の用か知らないが……町へ出さへすれや何日でも昨晩の樣に醉つぱらつて來るんだよ。』と、我子の後姿を仰ぎ乍ら眉を顰める。
『爲方がない、交際だもの。』と投げる樣に言つて、敷居際に腰を下した。
『時にね。』とお柳は顏を和(やはら)げて、『昨晩の話だね。お父樣のお歸りで其儘になつたつけが、お前よく靜に言つてお呉れよ。』
『何です、松原の話?』
『然うさ。』と眼をマヂ/\する。
 信吾は霎時(しばらく)庭を眺めてゐたが、『まあ可いさ。休暇中に決めて了つたら可いでせう?』と言つて立上る。
『だけどもね……。』
『任(まか)して置きなさい。俺も少し考へて見るから。』と叱り附ける樣に言つて、まだ何か言ひたげな母の顏を上から見下した。そして我が室へは歸らずに、何を思つてか昌作の室の方へ行つた。

      三

 穢苦(むさくる)しい六疊室の、西向の障子がパッと明るく日を受けて、室一杯に莨の煙が蒸した。
 信吾が入つて來た時、昌作は、窓側の机の下に毛だらけの長い脛を投げ入れて、無態(ぶざま)に頬杖をついて熱心に喋(しやべ)つてゐた。
 山内謙三は、チョコナンと人形の樣に坐つて、時々死んだ樣に力のない咳(せき)をし乍ら、狡(ずる)さうな眼を輝かして温(おと)なしく聞いてゐる。萎(な)えた白絣の襟を堅く合せて、柄に合はぬ縮緬の大幅の兵子帶を、小さい體に幾□りも捲いた、狹い額には汗が滲んでゐる。
 二人共、この春徴兵檢査を受けたのだが、五尺足らずの山内は誰が目にも十七八にしか見えない。それでゐて何處か擧動が老人染みてもゐる。昌作の方は、背の高い割に肉が削(こ)けて、漆黒な髮を態とモヂャ/\長くしてるのと、度の弱い鐵縁の眼鏡を掛けてるのとで二十四五にも見える。
『……然(さ)うぢやないか、山内さん。俺はあの時、奈何(どう)してもバイロンを死なしたくなかつた。彼にして死なずんばだな。山内さん、甚□(どんな)偉(えら)い事をして呉れたか知れないぢやないか! それを考へると俺は、夜寢てゝもバイロンの顏が……』と景氣づいて喋(しやべ)つてゐた昌作は、信吾の顏を見ると神經的に太い眉毛を動かして、『實に偉い!』と俄かに言葉を遁がした。そして可厭(いや)な顏をして、口を噤んだ。
 信吾はニヤ/\笑ひ乍ら入つて來て、無造作に片膝を附く。と見ると山内は喰かけの麥煎餅の遣場に困つた樣に臆病らしくモヂ/\して、顏を赧めて頭を下げた。
『貴方は山内さんですね?』と信吾は鷹揚に見下す。
『ハ。』と又頭を下げて、其拍子に昌作の方をチラと偸視(ぬす)む。
『何です、昌作さん? 大分氣焔の樣だね。バイロンが怎(ど)うしたんです?』と信吾は矢張ニヤ/\して言ふ。
『怎うもしない。』と、昌作は不愉快な調子で答へた。
『怎うもしない? ハヽヽ。何ですか、貴方もバイロンの崇拜者で?』と山内を見る。
『ハ、否(いゝえ)。』と喉(のど)が塞(つま)つた樣に言つて、山内は其狡(ずる)さうな眼を一層狡さうに光らして、短かい髭を捻つてゐる信吾の顏をちらと見た。
『然(さ)うですか。だが何だね、バイロンは最(も)う古いんでさ。あんなのは今ぢや最う古典(クラシック)になつてるんで、彼國(むかう)でも第三流位にしきや思つてないんだ。感情が粗雜で稚氣があつて、獨(ひとり)で感激してると言つた樣な詩なんでさ。新時代の青年が那□(あんな)古いものを崇拜してちや爲樣が無いね。』
『眞理と美は常に新しい!』と、一度砂を潜(もぐ)つた樣にザラザラした聲を少し顫はして、昌作は倦怠相(けだるさう)に胡座(あぐら)をかく。
『ハッハヽヽ。』と、信吾は事も無げに笑つた。『だが何かね? 昌作さんはバイロンの詩を何(ど)れ/\讀んだの?』
 昌作の太い眉毛が、痙攣(ひきつ)ける樣にピリヽと動いた。山内は臆病らしく二人を見てゐる。
『讀まなくちや爲樣が無い!』と嘲る樣に對手の顏を見て、
『讀まなくちや崇拜もない。何處を崇拜するんです?』
と揶揄(からか)ふ樣な調子になる。
『信吾や。』と隣の室からお柳が呼んだ。『富江さんが來たよ。』
 昌作はジロリと其方を見た。そして信吾が山内に挨拶して出てゆくと、不快な冷笑を憚りもなく顏に出して、自暴(やけ)に麥煎餅を頬張つた。
 次の間にはお柳が不平相な顏をして立つてゐて、信吾の顏を見るや否や、『何だねえお前、那□(あんな)奴等の對手になつてさ! 九月になれや何處かの學校へ代用教員に遣るつて阿父樣が然(さ)う言つてるんだから、那□愚物(ばか)にや構はずにお置きよ。お前の方が愚物(ばか)になるぢやないか!』と、險のある眼を一層激しくして譴(たしな)める樣に言つた。
 彼方の室からは子供らの笑聲に交つて、富江の躁(はしや)いだ聲が響いた。

   其四

      一

 遠くから見ただけの人は、智惠子をツンと取濟した、愛相のない、大理石の像の樣に冷い女とも思ふ。が、一度近づいて見ては、その滑(なめら)かな美しい肌の下に、ぱつちりとした黒味勝の眼の底の、温かい心を感ぜずには居られぬ。
 同情の深い智惠子は、宿の子供――十歳になる梅ちやんと五歳の新坊――が、もう七月になつたのに垢染みた袷を着て暑がつてるのを、例(いつ)もの事ながら見るに見兼ねた。今日は幸ひ土曜日なので、授業が濟むと直ぐ歸つた。そして、歸途(かへり)に買つて來た――一圓某の安物ではあるが――白地の荒い染の反物を裁(た)つて、二人の單衣を仕立に掛つた。
 障子を開けた格子窓の、直ぐ下から青い田が續いた。其青田を貫いて、此家の横から入つた寺道が、二町許りを眞直に、寶徳寺の門に隱れる。寺を圍んで蓊鬱(こんもり)とした杉の木立の上には、姫神山が金字塔(ピラミット)の樣に見える。午後の日射は青田の稻のそよぎを生々照して、有るか無きかの初夏の風が心地よく窓に入る。壁一重の軒下を流れる小堰(こぜき)の水(みづ)に、蝦を掬ふ子供等の叫び、さては寺道を山や田に往き返りの男女の暢氣(のんき)の濁聲(にごりごゑ)が手にとる樣に聞える――智惠子は其聞苦しい訛にも耳慣れた。去年の秋轉任になつてから、もう十ヶ月を此村に過したので。
 隣室からは、床に就いて三月にもなる老女の、幽かな呻き聲が聞える。主婦(あるじ)のお利代は盥を門口に持出して、先刻(さつき)からパチャ/\と洗濯の音をさしてゐる。智惠子は白い布(きれ)を膝に披げて、餘念もなく針を動かしてゐた。
 子供の衣服(きもの)を縫ふ――といふ事が、端なくも智惠子をして亡き母を思出させた。智惠子は箪笥の上から、葡萄色天鵞絨の表紙の、厚い寫眞帖を取下して、机の上に展(ひら)いた。
 何處か俤の肖通(にかよ)つた四十許りの品の良い女の顏が寫されてゐる。智惠子はそれに懷し氣な眼を遣り乍ら針の目を運んだ。亡き母!……智惠子の身にも悲しき追憶はある。生れたのは盛岡だと言ふが、まだ物心附かぬうちから東京に育つた……父が長いこと農商務省に技手をしてゐたので……十五の春御茶の水女學校に入るまで、小學の課程は皆東京で受けた。智惠子が東京を懷しがるのは、必ずしも地方に育つた若い女の虚榮と同じではなかつた。十六の正月、父が俄かの病で死んだ。母と智惠子は住み慣れた都を去つて、盛岡に歸つた。――唯一人の兄が縣廳に奉職してゐたので。――浮世の悲哀といふものを、智惠子は其の時から知つた。間もなく母は病んだ。兄には善からぬ行ひがあつた。智惠子は學校にも行けなかつた。教會に足を入れ初めたのは其頃で。
 長患ひの末、母は翌年になつて遂に死んだ。程なく兄は或る藝妓を落籍(ひか)して夫婦になつた。智惠子は其賤き女を姉と呼ばねばならなかつた。遂に兄の意に逆つて洗禮を受けた。
 智惠子は堅くも自活の決心をした。そして、十八の歳に師範學校の女子部に入つて、去年の春首尾克く卒業したのである。兄は今青森の大林區署に勤めてゐる。
 父は嚴しい人で、母は優しい人であつた。その優しかつた母を思出す毎に智惠子は東京が戀しくてならぬ。住居は本郷の弓町であつた。四室か五室の廣からぬ家ではあつたが、……玄關の脇の四疊が智惠子の勉強部屋にされてゐた。衡門(かぶきもん)から筋向ひの家に、それは/\大きい楠が一株、雨も洩さぬ程繁つた枝を路の上に擴げてゐた。――靜子に訊けば、それが今猶殘つてゐると言ふ。
『那の邊の事を、怎(ど)う變つたか詳しく小川さんの兄樣に訊いて見ようか知ら!』とも考へてみた。そして、『訊いた所で仕方がない!』と思返した。
 と、門口に何やら聲高に喋る聲が聞えた。洗濯の音が止んだ。『六錢。』といふ言葉だけは智惠子の耳にも入つた。

      二

 すると、お利代の下駄を脱ぐ音がして、輕い跫音(あしおと)が次の間に入つた。
 何やら探す樣な氣勢(けはひ)がしてゐたが、鏗(がちや)りと銅貨の相觸れる響。――霎時(しばし)の間何の物音もしない、と老女の枕元の障子が靜かに開いて、窶(やつ)れたお利代が顏を出した。
『先生、何とも……。』と小聲に遠慮し乍ら入つて來て、『あの、これが來まして……。』と言ひにくさうに膝をつく。
『何です!』と言つて、見ると、それは厚い一封の手紙、(濱野お利代殿)と筆太に書かれて、不足税の印が捺してある。
『細かいのが御座んしたら、あの、一寸二錢だけ足りませんから……。』
『あ、然う?』と皆まで言はせず輕く答へて、智惠子はそれを出してやる。お利代は極り惡氣にして出て行つた。
 智惠子は不圖針の手を留めて、『子供の衣服(きもの)よりは、お錢で上げた方が好かつたか知ら!』と、考へた。そして直ぐに、『否(いゝや)、まだ有るもの!』と、今しも机の上に置いた財布に目を遣つた。幾何かの持越と先月分の俸給十三圓、その内から下宿料や紙筆油などの雜用の拂ひを濟まし、今日反物を買つて來て、まだ五圓許りは殘つてるのである。
 お利代は直ぐ引返して來て、櫛卷にした頭に小指を入れて掻き乍ら、
『眞箇(ほんたう)に何時も/\先生に許り御迷惑をかけて。』と言つて、潤みを有つた大きい眼を氣の毒相に瞬く。左の手にはまだ封も切らぬ手紙を持つてゐた。
『まあ其□(そんな)こと!』と事も無げに言つたが、智惠子は心の中で、此女にはもう一錢も無いのだと考へた。
『今夜あの衣服(きもの)を裁縫(こしら)へて了へば、明日幾何(いくら)か取れるので御座んすけれど……唯(たつた)四錢しか無かつたもんですから。』
『小母さん!』と智惠子は口早に壓附(おしつ)ける樣に言つた。そして優しい調子で、
『私小母さんの家の人よ。ぢやなくつて?』
 初めて聞いた言葉ではないが、お利代は大きい眼を瞠(みは)つて昵と智惠子の顏を見た。何と答へて可いか解らないのだ。
 母は早く死んだ。父は家産を倒して行方が知れぬ。先夫は良い人であつたが、梅といふ女兒(こども)を殘して之も行方知れず(今は凾館にゐるが)二度目の夫は日露の戰に從つて歸らずなつた。何か軍律に背いた事があつて、死刑にされたのだといふ。七十を越した祖母一人に子供二人、己が手一つの仕立物では細い煙も立て難くて、一昨年から女教師を泊めた。去年代つた智惠子にも居て貰ふことにした。この春祖母が病み附いてからは、それでも足らぬ。足らぬ所は何處から出る? 智惠子の懷から!
 言つて見れば赤の他人だ。が、智惠子の親切は肉身の姉妹も及ばぬとお利代は思つてゐる。美しくつて、優しくつて、確固(しつかり)した氣立、温かい情……かくまで自分に親しくしてくれる人が、またと此世にあらうかと、悲しきお利代は夜更けて生活の爲の裁縫をし乍らも、思はず智惠子の室に向いて手を合せる事がある。智惠子を有難いと思ふ心から、智惠子の信ずる神樣も有難いものに思つた。
『あの……小母さん。』と智惠子は稍躊躇(ためら)ひ乍ら、机の上の財布を取つて其中から紙幣を一枚、二枚、三枚……若しや輕蔑したと思はれはせぬかと、直ぐにも出しかねて右の手に握つたが、
『あの、小母さん、私小母さんの家の人よ。ね。だからあの毎日我儘許りしてるんですから惡く思はないで頂戴よ。ね。私小母さんを姉さんと思つてゐるんですから。』
『それはもう……』と言つて、お利代は目を落して疊に片手をついた。
『だからあの、惡く思はれる樣だと私却つて濟まないことよ。ね。これはホンのお小遣よ。祖母さんにも何か……』と言ひ乍ら握つたものを出すと、俯いたお利代の膝に龍鍾(はら/\)と霰の樣な涙が落ちる。と見ると智惠子はグッと胸が迫つた。
『小母さん!』と、出した其手で矢庭に疊に突いたお利代の手を握つて、『神よ!』と心に叫んだ。『願はくば御惠を垂れ給へ!』と瞑ぢた其眼の長い睫毛を傳つて、美しい露が溢れた。

      三

『あゝ。』といふ力無い欠伸が次の間から聞えて、『お利代、お利代。』と、嗄れた聲で呼び、老女が目を覺まして、寢返りでも爲たいのであらう。
 智惠子はハッとした樣に手を引いた。お利代は涙に濡れた顏を擧げて、『は、只今。』と答へたが、其顏に言ふ許りなき感謝の意を湛へて、『一寸』と智惠子に會釋して立つ。急がしく涙を拭つて、隔ての障子を開けた。
 其後姿を見送つた目を其處に置いて行つた手紙の上に[#「上に」は底本では「上を」]移して、智惠子は眤と呼吸を凝した。神から授つた義務を果した樣な滿足の情が胸に溢れた。そして、『私に出來るだけは是非して上げねばならぬ!』と自分に命ずる樣に心に誓つた。
『あゝゝ、よく寢た。もう夜が明けたのかい、お利代?』と老女(としより)の聲が聞える。
『ホホヽヽ、今午後の三時頃ですよ祖母さん。お氣分は?』
『些(ちつ)とも平生(ふだん)と變らないよ。
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