山雀
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著者名:薄田泣菫 

        一

 私の近くにアメリカ帰りの老紳士が住んでをります。その人が今年の春六甲山へ登つて、その帰りにあたりの松林で小鳥の巣を見つけました。巣にはやつと羽が生えかけたばかしの雛(ひな)が四羽をりました。雛は老紳士を見ると、口を一ぱいに開けて、ちいちいと鳴きました。
「可愛い奴だな。俺の顔を見ると、あんなにものを欲しがつてゐるよ」
 老紳士は何か持ち合せはないかしらと袂をさぐつてみましたが、あいにく巻煙草の箱しか見つかりませんでした。老紳士は大の煙草好きでしたが、小鳥であり、おまけに未成年者であるこの相手に、煙草をすすめるわけにもゆきませんので、もどかしさの思ひをしながらも、黙つて見てをりました。
「可愛い奴だ。何鳥かしら」老紳士は覗き込むやうにして雛の毛をあらためました。「山雀(やまがら)によく似てゐるな。山雀かい、お前たちは」
 巣の中の小鳥は、それを聞くと、一斉に頭をもちあげて、ちいちいと鳴きました。
「やつぱし山雀だ」
 さう思ふと同時に、その山雀にいろんな藝を仕込む面白さが老紳士の心を捉へました。親鳥が居合せないのを仕合せに、巣ぐるみ雛を懐中(ふところ)にねぢ込んで、逃げるやうにして山を下りてきました。そして道々、
「もうこんなに大きくなつたんだから、餌付(ゑづ)けさへうまくやつたら、きつと育つだらうて」
と言訳らしく、独りごとをいひました。
 小鳥は四羽のうち、三羽までは死にましたが、残つた一羽は餌づけもうまくいつて、無事に育ちました。だが、困つたことには、山雀だと思つて育てた小鳥が、だんだん大きくなるにつれて、毛いろから恰好までそつくり頬白(ほほじろ)に変つてきました。老紳士はそれを見ながら、毎日のやうに溜息をついてゐます。
「頬白だつていいぢやありませんか。山雀とは比べものにならない好い声で、
 一筆啓上仕りそろ……
と、鳴きますからね」
といつて、慰めますと、老紳士は浮かぬ顔をして、
「いくら好い声で鳴いたところで、頬白だつたら山雀のやうにこつちの思ひ通りに藝を仕込むわけにはゆきませんからね」
といつてゐます。老紳士は閑(ひま)にまかせて自分の好みを、小さな鳥の上に一つ残しておきたいらしく見えました。

        二

 山雀といへば、私の子供の頃よく顔を見知つてゐた、親類つづきの山崎老人のことを思ひ出します。山崎老人は負け嫌ひな、気性の激しい上に、時勢に対する適応性と才能とを欠いでゐたために、毎日毎日いらだたしさから、自分で自分の生活を腐蝕してゆくよりほかには仕方がなかつた人でした。都会でも、田舎でも、旧家が衰へ初める頃になると、変質的によくかうした主人を産み出すものです。
 老人の激しい気性は、自然村の人たちをその身辺から遠ざけました。老人は話相手のない所在なさといらだたしさとから遁れるために、毎日鉄砲をかついで、野山へ出かけました。そして見あたり次第に兎を撃ちました。狐を撃ちました。鼬(いたち)を撃ちました。鳶を撃ちました。烏を撃ちました。雀を撃ちました。一度などは、鯉をとるのだといつて、淵のなかにさへ撃ち込みました。
 ある時山崎老人は、いつものやうに鉄砲をかついで山の奥へ入つてゆきました。こんもりした谷の繁みで、老人は一人の若い男が小鳥の巣をさがしあててゐるのを見つけました。
「何の巣だい、それ」
 老人は近寄つて訊きました。鉄砲をさげた、眼のきよろきよろ光るこの老人を、胡散(うさん)さうに見返りながら、若い男はぶつきら棒にいひました。
「山雀の巣だよ」
「それを捕つてかへらうといふのかい」
「さうだよ」
「ならぬ、そんなこと」
「なぜ、できないんだ」若い男はむつとした顔をあげました。「俺らかう見えても、商売人だからな。ここいらの山からは、いつも荒鳥(あらとり)をひいて帰るんだよ」
「いよいよ怪(け)しからん奴だ。ここいらの山を誰のものだと思ふ。みんなわしのものだぞ」
 老人は口から出まかせのことを言つて、ちよつと威張つてみせました。
「よしんば山がお前さんのものだつて、巣くつてる鳥まで自分のものだとは言ふまい」
「いや、言ふとも。わしの山にゐる小鳥は、みんな俺のものだ。指一本差さしはせんぞ」
 老人は山の上に輝いてゐるおてんたう様をも、自分のものだと言ひかねまいほどの意気込みを見せました。
「そんなに威張つたつて、俺が見つけたものを俺が持つて帰るのに、何の遠慮がいるもんか」
 若い男はぶつぶつ言ひながら、小鳥の巣をそのまま持つてきた籠に移さうとしました。それを見た老人は黙つて二歩三歩後退(あとじさ)りをしました。
 小鳥を籠に移した商売人は、何気なく老人のはうを振り返りました。老人は後に立ちはだかつたまま、鉄砲の筒口をこちらに向けて、引金に指をかけてゐました。それを見ると、商売人はがたがた慄(ふる)へながら、べつたりそこに尻餅をついてしまひました。
 山雀はそのまま老人のふところに入りました。老人はそれを家に持つて帰つて、丹念に餌づけをしてゐましたが、無事に羽が出そろひますと、みんな籠から取り出して山へ逃がしてしまひました。
 それを惜しがつたある人が、
「山雀は仕込みさへしたら、いろんな藝をおぼえるのに……」
といひますと、老人はたつた一言、
「うるさい」
といつたきり、外(そ)つ方(ぱう)を向いたさうです。
〔大正15[#「15」は縦中横]年刊『太陽は草の香がする』〕



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