飛鳥寺
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著者名:薄田泣菫 

 私が飛鳥の里に來たのは、秋も半ばを過ぎて、そこらの雜木林は金のやうに黄いろく光つてゐた。つい門先の地面を仕切つた、猫の額ほどの畑には、蕎麥の花が白くこぼれてゐた。纖細な、薄紅い鷽(うそ)の脛のやうな莖が裾をからげたままで、寒さうに立つてゐる。程近い飛鳥神社の木立は、まばらに透いて見え、背伸びをすると、耳無し山が寒さにかじけたやうに背を圓めて、つつ伏してゐるのがついそこに見られる。
 見窄(みすぼ)らしい安居院の屋根には、疫病やみのやうな鴉が一羽とまつて、をりをり頓狂な聲を出してそこらをきよろきよろ見まはしてゐる。お堂の入口には、野良猫の瘠せかじけたのがだらしなく身體を投げ出して、日向ぼつこをしてゐる。何處かでひゆうひゆうと口笛を吹くやうな渡鳥の聲が聞えてゐたが、それもいつの間にか默つてしまふと、四邊はひつそりしてそこらに散らばつた枯つ葉の寐返り一つ打つ音までが、はつきりと耳に響く……
 私は以前何かの基礎だつたらしい、平べつたい石に凭れて、じつとそこらを見まはした。飛鳥の宮や元興寺の跡だといつて、壞れかかつた鐘樓と掘立小屋のやうな御堂の他には、何一つ殘つてゐるのではない。荒廢もかうまでなると、惚れ惚れとむかしをなつかしがらせるやはらかい情調は枯れてしまつて、直ぐに人間と自然との窮極の運命を思はせようといふ、露骨な強迫が見えて來る。
 むかしここに榮えた人達が後に殘した藝術と信仰と、その後に出て來た破壞者の無遠慮な破壞の痕は、皆草に埋れてしまつて、人間の努力のどうせ無駄に過ぎない事を語つてゐる。ここに來て氣持のいいのは、美しいものと、それを滅ぼした人間のある力と、どつちも消えてすつかり跡方が無くならうとしてゐる事だ。名高い飛鳥の大佛といふのは、今安居院に殘つてゐる丈六の銅像の事で、お堂の構を少しも取り壞さないで、あれだけの大佛を入れたのは、世にも不思議な手練だと言ひ傳へられてゐる。實際その時代の知識で、萬が一にも出來ないと信じてゐた事を仕遂げたのは驚嘆すべき不思議で、人間の努力の極致を『可能』に一を加へたものだとすれば、安居院の狹苦しい御堂に丈六の佛を入れたのは、その極致の象徴として見る事が出來る。――が、それももうこんなに荒れてしまつて、むかしの努力の跡といつたら、何一つ見られなくなつてゐる。はかない人間の仕事は、かうした荒廢の前に立つては、睫毛一つ動かすにも足りないのだ。なんといふ嚴肅沈痛な姿であらう。これは自然のどん底に落ちついた大肯定であり、また大否定である。――私は怯えたやうな心を抱いて、じつと眼をつぶつた。
 ……私は今日まで途を歩かうといふには、どこやらの詩人のやうに、いつも美しい花の種子を隱しに入れて置いた。そして程よい土地だと思ふと、自分にも蒔いたり、他にも蒔かせたりした。かうして種子を蒔いた美しい花は、わからずやの群衆だの、ある權力を待つたものの荒つぽい爪先にかけられて、あるものはやはらかい莖を折られ、あるものは黄いろい蘂の粉が地べたに染みこむまで力強く蹂躙(ふみにじ)られた。私はそれを思ふと、いつも腹立たしさに息がつまるやうだ。
 しかし幸福な事には、私達の蒔いた花は、あの青淵にすがりついた蔓草のやうに、その莖に吾とわが運命を見透し得る眼が開いてゐる。この眼には今滅びかかつた自分の身をすら眺める事の出來る靜かな光がある。それに比べてこれを蹂躙らうといふ輩のみじめさといつたら――彼等の生活はちやうど巨大胃(メガロガストリ)のやうに、どんな物でも手當り次第に荒こなしをするだけで、自分の生命に吸ひとる分量といつたら、ほんの僅かしかない。彼等が滅亡の日に出會すと、ちやうどかうした巨大胃の病人が食斷ちしたやうに、少しの持堪(もちこた)へもなく死んでしまふ。――それを思ふと、かうした荒廢の姿に、私は言はうやうのない温かい氣持をもつ事が出來る……




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