手品師と蕃山
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著者名:薄田泣菫 

 手品といふものは、余り沢山見ると下らなくなるが、一つ二つ見るのは面白いものだ。むかし、備前少将光政が、旅稼ぎをする手品師の岡山の城下に来たのを召し出して、手品を見た事があつた。
 一体大名や華族などといふものは、家老や家扶たちの手で、始終上手な手品を見せつけられてゐるものなのだが、備前少将は案外眼の明るい大名だつたので、用人達もこの人の前では、
「二二が六。」
と手品の算盤珠(そろばんだま)を弾いて見せる訳にはいかなかつた。で、少将は一度手品といふものが見たくてまたらなかつたのだ。
 手品師は恐る恐る御前へ出た。夏蜜柑のやうな痘痕面(あばたづら)をした少将の後には、婦人のやうな熊沢蕃山や、津田左源太などが畏まつてゐたが、手品師の眼には顔の見さかひなどは少しもつかなかつた。多勢の顔が風呂敷包みのやうに一かたまりになつて動いた。
 手品師は小手調べに二つ三つ器用な手品を見せた。それから金魚釣といつて居合はせた小姓の懐中から、金魚を釣り出さうといふ自慢の芸に取りかかつた。
 小姓は気味を悪がつて、小さな襟を掻き合はせたりした。手品師はさつと釣針を投げて、勢よく小姓の襟先を掠めて、それを引き上げたが、釣針の先には何もかかつて居なかつた。
 手品師は慌てて、二度三度同じ事を繰り返したが、その都度手先が段々そそつかしくなるばかりで、金魚は少しも釣れなかつた。そして終ひには金魚の代りに小姓の前髪を釣り上げた。小姓は鮒のやうに泳ぐ手附をした。それを見て一座は声を揚げて笑つた。
 手品師は真赤になつて畳の上に這ひつくばつた。額からは油汗がたらたらと流れた。
「これまで一度だつて仕損じた事のない手品なのでござりますが、今日はまた散々の不首尾で、お詫びの申し上げやうもござりませぬ。」手品師は子供の手のひらでべそをかく蝉のやうな声を出した。「私めの考へまするには、このお屋敷には人並秀れた偉い御器量のお方が居(あ)らせられますので、それでどうも手品が段取よく運ばないかのやうに存じられまする。」
 備前少将はそれを聞くと、にやりと軽く笑つた。後の方では蕃山と左源太とが肚(はら)のなかで頷いたらしかつた。
 手品師め。手品には失敗したが、巧い事を言つたもので、少将と蕃山と左源太とは、各自(めいめい)肚のなかでは、「その偉い器量人は多分乃公(わし)だな。」と思つたらしかつた。この人達にだつて自惚(うぬぼれ)は相当にあつたものだ。金魚は釣れなかつたが、手品師は素晴しい物を三つ釣り上げてゐる。




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