永日小品
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著者名:夏目漱石 

     元日

 雑煮(ぞうに)を食って、書斎に引き取ると、しばらくして三四人来た。いずれも若い男である。そのうちの一人がフロックを着ている。着なれないせいか、メルトンに対して妙に遠慮する傾(かたむ)きがある。あとのものは皆和服で、かつ不断着(ふだんぎ)のままだからとんと正月らしくない。この連中がフロックを眺めて、やあ――やあと一ツずつ云った。みんな驚いた証拠(しょうこ)である。自分も一番あとで、やあと云った。
 フロックは白い手巾(ハンケチ)を出して、用もない顔を拭(ふ)いた。そうして、しきりに屠蘇(とそ)を飲んだ。ほかの連中も大いに膳(ぜん)のものを突(つッ)ついている。ところへ虚子(きょし)が車で来た。これは黒い羽織に黒い紋付(もんつき)を着て、極(きわ)めて旧式にきまっている。あなたは黒紋付を持っていますが、やはり能(のう)をやるからその必要があるんでしょうと聞いたら、虚子が、ええそうですと答えた。そうして、一つ謡(うた)いませんかと云い出した。自分は謡ってもようござんすと応じた。
 それから二人して東北(とうぼく)と云うものを謡った。よほど以前に習っただけで、ほとんど復習と云う事をやらないから、ところどころはなはだ曖昧(あいまい)である。その上、我ながら覚束(おぼつか)ない声が出た。ようやく謡ってしまうと、聞いていた若い連中が、申し合せたように自分をまずいと云い出した。中にもフロックは、あなたの声はひょろひょろしていると云った。この連中は元来謡(うたい)のうの字も心得ないもの共である。だから虚子と自分の優劣はとても分らないだろうと思っていた。しかし、批評をされて見ると、素人(しろうと)でも理の当然なところだからやむをえない。馬鹿を云えという勇気も出なかった。
 すると虚子が近来鼓(つづみ)を習っているという話しを始めた。謡のうの字も知らない連中が、一つ打って御覧なさい、是非御聞かせなさいと所望(しょもう)している。虚子は自分に、じゃ、あなた謡って下さいと依頼した。これは囃(はやし)の何物たるを知らない自分にとっては、迷惑でもあったが、また斬新(ざんしん)という興味もあった。謡いましょうと引き受けた。虚子は車夫を走らして鼓を取り寄せた。鼓がくると、台所から七輪(しちりん)を持って来さして、かんかんいう炭火の上で鼓の皮を焙(あぶ)り始めた。みんな驚いて見ている。自分もこの猛烈な焙りかたには驚いた。大丈夫ですかと尋ねたら、ええ大丈夫ですと答えながら、指の先で張切った皮の上をかんと弾(はじ)いた。ちょっと好い音(ね)がした。もういいでしょうと、七輪からおろして、鼓の緒(お)を締(し)めにかかった。紋服(もんぷく)の男が、赤い緒をいじくっているところが何となく品(ひん)が好い。今度はみんな感心して見ている。
 虚子はやがて羽織を脱いだ。そうして鼓を抱(か)い込(こ)んだ。自分は少し待ってくれと頼んだ。第一彼がどこいらで鼓を打つか見当(けんとう)がつかないからちょっと打ち合せをしたい。虚子は、ここで掛声(かけごえ)をいくつかけて、ここで鼓をどう打つから、おやりなさいと懇(ねんごろ)に説明してくれた。自分にはとても呑(の)み込(こ)めない。けれども合点(がてん)の行くまで研究していれば、二三時間はかかる。やむをえず、好い加減に領承(りょうしょう)した。そこで羽衣(はごろも)の曲(くせ)を謡い出した。春霞(はるがすみ)たなびきにけりと半行ほど来るうちに、どうも出が好くなかったと後悔し始めた。はなはだ無勢力である。けれども途中から急に振るい出しては、総体の調子が崩(くず)れるから、萎靡因循(いびいんじゅん)のまま、少し押して行くと、虚子がやにわに大きな掛声をかけて、鼓(つづみ)をかんと一つ打った。
 自分は虚子がこう猛烈に来ようとは夢にも予期していなかった。元来が優美な悠長(ゆうちょう)なものとばかり考えていた掛声は、まるで真剣勝負のそれのように自分の鼓膜(こまく)を動かした。自分の謡(うたい)はこの掛声で二三度波を打った。それがようやく静まりかけた時に、虚子がまた腹いっぱいに横合から威嚇(おどか)した。自分の声は威嚇されるたびによろよろする。そうして小さくなる。しばらくすると聞いているものがくすくす笑い出した。自分も内心から馬鹿馬鹿しくなった。その時フロックが真先に立って、どっと吹き出した。自分も調子につれて、いっしょに吹き出した。
 それからさんざんな批評を受けた。中にもフロックのはもっとも皮肉であった。虚子は微笑しながら、仕方なしに自分の鼓(つづみ)に、自分の謡を合せて、めでたく謡(うた)い納(おさ)めた。やがて、まだ廻らなければならない所があると云って車に乗って帰って行った。あとからまたいろいろ若いものに冷かされた。細君までいっしょになって夫を貶(くさ)した末、高浜さんが鼓を御打ちなさる時、襦袢(じゅばん)の袖(そで)がぴらぴら見えたが、大変好い色だったと賞(ほ)めている。フロックはたちまち賛成した。自分は虚子の襦袢の袖の色も、袖の色のぴらぴらするところもけっして好いとは思わない。

     蛇

 木戸を開けて表へ出ると、大きな馬の足迹(あしあと)の中に雨がいっぱい湛(たま)っていた。土を踏むと泥の音が蹠裏(あしのうら)へ飛びついて来る。踵(かかと)を上げるのが痛いくらいに思われた。手桶(ておけ)を右の手に提(さ)げているので、足の抜(ぬ)き差(さし)に都合が悪い。際(きわ)どく踏(ふ)み応(こた)える時には、腰から上で調子を取るために、手に持ったものを放(ほう)り出(だ)したくなる。やがて手桶の尻をどっさと泥の底に据(す)えてしまった。危(あやう)く倒れるところを手桶の柄(え)に乗(の)し懸(かか)って向うを見ると、叔父さんは一間ばかり前にいた。蓑(みの)を着た肩の後(うしろ)から、三角に張った網の底がぶら下がっている。この時被(かぶ)った笠(かさ)が少し動いた。笠のなかからひどい路(みち)だと云ったように聞えた。蓑の影はやがて雨に吹かれた。
 石橋の上に立って下を見ると、黒い水が草の間から推(お)されて来る。不断(ふだん)は黒節(くろぶし)の上を三寸とは超(こ)えない底に、長い藻(も)が、うつらうつらと揺(うご)いて、見ても奇麗(きれい)な流れであるのに、今日は底から濁った。下から泥を吹き上げる、上から雨が叩(たた)く、真中を渦(うず)が重なり合って通る。しばらくこの渦を見守っていた叔父さんは、口の内で、
「獲(と)れる」と云った。
 二人は橋を渡って、すぐ左へ切れた。渦は青い田の中をうねうねと延びて行く。どこまで押して行くか分らない流れの迹(あと)を跟(つ)けて一町ほど来た。そうして広い田の中にたった二人淋(さび)しく立った。雨ばかり見える。叔父さんは笠の中から空を仰いだ。空は茶壺(ちゃつぼ)の葢(ふた)のように暗く封じられている。そのどこからか、隙間(すきま)なく雨が落ちる。立っていると、ざあっと云う音がする。これは身に着けた笠と蓑にあたる音である。それから四方の田にあたる音である。向うに見える貴王(きおう)の森(もり)にあたる音も遠くから交って来るらしい。
 森の上には、黒い雲が杉の梢(こずえ)に呼び寄せられて奥深く重なり合っている。それが自然(じねん)の重みでだらりと上の方から下(さが)って来る。雲の足は今杉の頭に絡(から)みついた。もう少しすると、森の中へ落ちそうだ。
 気がついて足元を見ると、渦(うず)は限(かぎり)なく水上(みなかみ)から流れて来る。貴王様の裏の池の水が、あの雲に襲われたものだろう。渦の形が急に勢(いきお)いづいたように見える。叔父さんはまた捲(ま)く渦を見守って、
「獲(と)れる」とさも何物をか取ったように云った。やがて蓑(みの)を着たまま水の中に下りた。勢いの凄(すさま)じい割には、さほど深くもない。立って腰まで浸(つか)るくらいである。叔父さんは河の真中に腰を据(す)えて、貴王の森を正面に、川上に向って、肩に担(かつ)いだ網をおろした。
 二人は雨の音の中にじっとして、まともに押して来る渦の恰好(かっこう)を眺めていた。魚がこの渦の下を、貴王の池から流されて通るに違いない。うまくかかれば大きなのが獲れると、一心に凄(すご)い水の色を見つめていた。水は固(もと)より濁っている。上皮(うわかわ)の動く具合だけで、どんなものが、水の底を流れるか全く分りかねる。それでも瞬(まばたき)もせずに、水際(みずぎわ)まで浸った叔父さんの手首の動くのを待っていた。けれどもそれがなかなかに動かない。
 雨脚(あまあし)はしだいに黒くなる。河の色はだんだん重くなる。渦の紋(もん)は劇(はげ)しく水上(みなかみ)から回(めぐ)って来る。この時どす黒い波が鋭く眼の前を通り過そうとする中に、ちらりと色の変った模様(もよう)が見えた。瞬(まばたき)を容(ゆる)さぬとっさの光を受けたその模様には長さの感じがあった。これは大きな鰻(うなぎ)だなと思った。
 途端(とたん)に流れに逆(さか)らって、網の柄(え)を握っていた叔父さんの右の手首が、蓑の下から肩の上まで弾(は)ね返(かえ)るように動いた。続いて長いものが叔父さんの手を離れた。それが暗い雨のふりしきる中に、重たい縄(なわ)のような曲線を描いて、向うの土手の上に落ちた。と思うと、草の中からむくりと鎌首(かまくび)を一尺ばかり持上げた。そうして持上げたまま屹(きっ)と二人を見た。
「覚えていろ」
 声はたしかに叔父さんの声であった。同時に鎌首(かまくび)は草の中に消えた。叔父さんは蒼(あお)い顔をして、蛇(へび)を投げた所を見ている。
「叔父さん、今、覚えていろと云ったのはあなたですか」
 叔父さんはようやくこっちを向いた。そうして低い声で、誰だかよく分らないと答えた。今でも叔父にこの話をするたびに、誰だかよく分らないと答えては妙な顔をする。

     泥棒

 寝ようと思って次の間へ出ると、炬燵(こたつ)の臭(におい)がぷんとした。厠(かわや)の帰りに、火が強過ぎるようだから、気をつけなくてはいけないと妻(さい)に注意して、自分の部屋へ引取った。もう十一時を過ぎている。床の中の夢は常のごとく安らかであった。寒い割に風も吹かず、半鐘(はんしょう)の音も耳に応(こた)えなかった。熟睡が時の世界を盛(も)り潰(つぶ)したように正体を失った。
 すると忽然(こつぜん)として、女の泣声で眼が覚(さ)めた。聞けばもよと云う下女の声である。この下女は驚いて狼狽(うろた)えるといつでも泣声を出す。この間家(うち)の赤ん坊を湯に入れた時、赤ん坊が湯気(ゆけ)に上(あが)って、引きつけたといって五分ばかり泣声を出した。自分がこの下女の異様な声を聞いたのは、それが始めてである。啜(すす)り上(あ)げるようにして早口に物を云う。訴えるような、口説(くど)くような、詫(わび)を入れるような、情人(じょうじん)の死を悲しむような――とうてい普通の驚愕(きょうがく)の場合に出る、鋭くって短い感投詞(かんとうし)の調子ではない。
 自分は今云う通りこの異様の声で、眼が覚めた。声はたしかに妻(さい)の寝ている、次の部屋から出る。同時に襖(ふすま)を洩(も)れて赤い火がさっと暗い書斎に射した。今開ける瞼(まぶた)の裏に、この光が届くや否や自分は火事だと合点(がってん)して飛び起きた。そうして、突然(いきなり)隔(へだ)ての唐紙(からかみ)をがらりと開けた。
 その時自分は顛覆返(ひっくりかえ)った炬燵(こたつ)を想像していた。焦(こ)げた蒲団(ふとん)を想像していた。漲(みな)ぎる煙と、燃える畳(たたみ)とを想像していた。ところが開けて見ると、洋灯(ランプ)は例のごとく点(とも)っている。妻と子供は常の通り寝ている。炬燵(こたつ)は宵(よい)の位地にちゃんとある。すべてが、寝る前に見た時と同じである。平和である。暖かである。ただ下女だけが泣いている。
 下女は妻の蒲団の裾(すそ)を抑(おさ)えるようにして早口に物を云う。妻は眼を覚まして、ぱちぱちさせるばかりで別に起きる様子もない。自分は何事が起ったのかほとんど判じかねて、敷居際(しきいぎわ)に突立(つった)ったまま、ぼんやり部屋の中を見回(みまわ)した。途端(とたん)に下女の泣声のうちに、泥棒という二字が出た。それが自分の耳に這入(はい)るや否や、すべてが解決されたように自分はたちまち妻の部屋を大股(おおまた)に横切って、次(つぎ)の間(ま)に飛び出しながら、何だ――と怒鳴(どな)りつけた。けれども飛び出した次の部屋は真暗である。続く台所の雨戸が一枚外(はず)れて、美しい月の光が部屋の入口まで射し込んでいる。自分は真夜中に人の住居(すまい)の奥を照らす月影を見て、おのずから寒いと感じた。素足(すあし)のまま板の間へ出て台所の流元(ながしもと)まで来て見ると、四辺(あたり)は寂(しん)としている。表を覗(のぞ)くと月ばかりである。自分は、戸口から一歩も外へ出る気にならなかった。
 引き返して、妻の所へ来て、泥棒は逃げた、安心しろ、何も窃(と)られやしない、と云った。妻はこの時ようやく起き上っていた。何も云わずに洋灯を持って暗い部屋まで出て来て、箪笥(たんす)の前に翳(かざ)した。観音開(かんのんびら)きが取(と)り外(はず)されている。抽斗(ひきだし)が明けたままになっている。妻は自分の顔を見て、やっぱり窃られたんですと云った。自分もようやく泥棒が窃った後で逃げたんだと気がついた。何だか急に馬鹿馬鹿しくなった。片方を見ると、泣いて起しに来た下女の蒲団が取ってある。その枕元にもう一つ箪笥がある。その箪笥の上にまた用箪笥が乗っている。暮の事なので医者の薬礼(やくれい)その他がこの内に這入っているのだそうだ。妻に調べさせるとこっちの方は元の通りだと云う。下女が泣いて縁側(えんがわ)の方から飛び出したので、泥棒もやむをえず仕事の中途で逃げたのかも知れない。
 そのうち、ほかの部屋に寝ていたものもみんな起きて来た。そうしてみんないろいろな事を云う。もう少し前に小用(こよう)に起きたのにとか、今夜は寝つかれないで、二時頃までは眼が冴(さ)えていたのにとか、ことごとく残念そうである。そのなかで、十(とお)になる長女は、泥棒が台所から這入(はい)ったのも、泥棒がみしみし縁側(えんがわ)を歩いたのも、すっかり知っていると云った。あらまあとお房(ふさ)さんが驚いている。お房さんは十八で、長女と同じ部屋に寝る親類の娘である。自分はまた床へ這入(はい)って寝た。
 明くる日はこの騒動で、例よりは少し遅く起きた。顔を洗って、朝食(あさめし)をやっていると、台所で下女が泥棒の足痕(あしあと)を見つけたとか、見つけないとか騒いでいる。面倒(めんどう)だから書斎へ引き取った。引き取って十分も経(た)ったかと思うと、玄関で頼むと云う声がした。勇ましい声である。台所の方へ通じないようだから、自分で取次に出て見たら、巡査が格子(こうし)の前に立っていた。泥棒が這入ったそうですねと笑っている。戸締(とじま)りは好くしてあったのですかと聞くから、いや、どうもあまり好くありませんと答えた。じゃ仕方がない、締(しま)りが悪いとどこからでも這入りますよ、一枚一枚雨戸へ釘(くぎ)を差さなくちゃいけませんと注意する。自分ははあはあと返事をしておいた。この巡査に遇(あ)ってから、悪いものは、泥棒じゃなくって、不取締(ふとりしまり)な主人であるような心持になった。
 巡査は台所へ廻った。そこで妻(さい)を捉(つら)まえて、紛失(ふんじつ)した物を手帳に書き付けている。繻珍(しゅちん)の丸帯が一本ですね、――丸帯と云うのは何ですか、丸帯と書いておけば解るですか、そう、それでは繻珍の丸帯が一本と、それから……
 下女がにやにや笑っている。この巡査は丸帯も腹合(はらあわ)せもいっこう知らない。すこぶる単簡(たんかん)な面白い巡査である。やがて紛失の目録を十点ばかり書き上げてその下に価格を記入して、すると〆(しめ)て百五十円になりますねと念を押して帰って行った。
 自分はこの時始めて、何を窃(と)られたかを明瞭(めいりょう)に知った。失(な)くなったものは十点、ことごとく帯である。昨夜(ゆうべ)這入ったのは帯泥棒であった。御正月を眼前に控(ひか)えた妻は異(い)な顔をしている。子供が三箇日(さんがにち)にも着物を着換える事ができないのだそうだ。仕方がない。
 昼過には刑事が来た。座敷へ上(あが)っていろいろ見ている。桶(おけ)の中に蝋燭(ろうそく)でも立てて仕事をしやしないかと云って、台所の小桶(こおけ)まで検(しら)べていた。まあ御茶でもおあがんなさいと云って、日当りの好い茶の間へ坐らせて話をした。
 泥棒はたいてい下谷、浅草辺(あたり)から電車でやって来て、明くる日の朝また電車で帰るのだそうだ。たいていは捉(つか)まらないものだそうだ。捉まえると刑事の方が損になるものだそうだ。泥棒を電車に乗せると電車賃が損になる。裁判に出ると、弁当代が損になる。機密費(きみつひ)は警視庁が半分取ってしまうのだそうだ。余りを各警察へ割りふるのだそうだ。牛込には刑事がたった三四人しかいないのだそうだ――警察の力ならたいていの事はできる者と信じていた自分は、はなはだ心細い気がした。話をして聞かせる刑事も心細い顔をしていた。
 出入(でいり)のものを呼んで戸締りを直そうと思ったら生憎(あやにく)、暮で用が立て込んでいて来られない。そのうちに夜になった。仕方がないから、元の通りにしておいて寝る。みんな気味が悪そうである。自分もけっして好い心持ではない。泥棒は各自勝手に取締(とりしま)るべきものであると警察から宣告されたと一般だからである。
 それでも昨日(きのう)の今日(きょう)だから、まあ大丈夫だろうと、気を楽に持って枕に就(つ)いた。するとまた夜中に妻(さい)から起された。さっきから、台所の方ががたがた云っている。気味がわるいから起きて見て下さいと云う。なるほどがたがたいう。妻はもう泥棒が這入(はい)ったような顔をしている。
 自分はそっと床を出た。忍び足に妻の部屋を横切って、隔(へだ)ての襖(ふすま)の傍(そば)までくると、次の間では下女が鼾(いびき)をかいている。自分はできるだけ静かに襖を開けた。そうして、真暗な部屋の中に一人立った。ごとりごとりと云う音がする。たしかに台所の入口である。暗いなかを影の動くように三歩(みあし)ほど音のする方へ近(ちかづ)くと、もう部屋の出口である。障子(しょうじ)が立っている。そとはすぐ板敷になる。自分は障子に身を寄せて、暗がりで耳を立てた。やがて、ごとりと云った。しばらくしてまたごとりと云った。自分はこの怪しい音を約四五遍聞いた。そうして、これは板敷の左にある、戸棚(とだな)の奥から出るに違ないという事をたしかめた。たちまち普通の歩調と、尋常の所作(しょさ)をして、妻の部屋へ帰って来た。鼠(ねずみ)が何か噛(かじ)っているんだ、安心しろと云うと、妻はそうですかとありがたそうな返事をした。それからは二人とも落ちついて寝てしまった。
 朝になってまた顔を洗って、茶の間へ来ると、妻が鼠の噛った鰹節(かつぶし)を、膳(ぜん)の前へ出して、昨夜(ゆうべ)のはこれですよと説明した。自分ははあなるほどと、一晩中無惨(むざん)にやられた鰹節を眺めていた。すると妻は、あなたついでに鼠を追って、鰹節(おかか)をしまって下されば好いのにと少し不平がましく云った。自分もそうすれば好かったとこの時始めて気がついた。

     柿

 喜(き)いちゃんと云う子がいる。滑(なめ)らかな皮膚(ひふ)と、鮮(あざや)かな眸(ひとみ)を持っているが、頬(ほお)の色は発育の好い世間の子供のように冴々(さえざえ)していない。ちょっと見ると一面に黄色い心持ちがする。御母(おっか)さんがあまり可愛(かわい)がり過ぎて表へ遊びに出さないせいだと、出入りの女髪結(おんなかみゆい)が評した事がある。御母さんは束髪の流行(はや)る今の世に、昔風の髷(まげ)を四日目四日目にきっと結(ゆ)う女で、自分の子を喜いちゃん喜いちゃんと、いつでも、ちゃん付(づけ)にして呼んでいる。このお母(っか)さんの上に、また切下(きりさげ)の御祖母(おばあ)さんがいて、その御祖母さんがまた喜いちゃん喜いちゃんと呼んでいる。喜いちゃん御琴(おこと)の御稽古(おけいこ)に行く時間ですよ。喜いちゃんむやみに表へ出て、そこいらの子供と遊んではいけませんなどと云っている。
 喜(き)いちゃんは、これがために滅多(めった)に表へ出て遊んだ事がない。もっとも近所はあまり上等でない。前に塩煎餅屋(しおせんべいや)がある。その隣に瓦師(かわらし)がある。少し先へ行くと下駄(げた)の歯入と、鋳(い)かけ錠前直(じょうまえなお)しがある。ところが喜いちゃんの家(うち)は銀行の御役人である。塀(へい)のなかに松が植えてある。冬になると植木屋が来て狭い庭に枯松葉(かれまつば)を一面に敷いて行く。
 喜いちゃんは仕方がないから、学校から帰って、退屈になると、裏へ出て遊んでいる。裏は御母(おっか)さんや、御祖母(おばあ)さんが張物(はりもの)をする所である。よしが洗濯をする所である。暮になると向鉢巻(むこうはちまき)の男が臼(うす)を担(かつ)いで来て、餅(もち)を搗(つ)く所である。それから漬菜(つけな)に塩を振って樽(たる)へ詰込む所である。
 喜いちゃんはここへ出て、御母さんや御祖母さんや、よしを相手にして遊んでいる。時には相手のいないのに、たった一人で出てくる事がある。その時は浅い生垣(いけがき)の間から、よく裏の長屋を覗(のぞ)き込む。
 長屋は五六軒ある。生垣の下が三四尺崖(がけ)になっているのだから、喜いちゃんが覗き込むと、ちょうど上から都合よく見下(みおろ)すようにできている。喜いちゃんは子供心に、こうして裏の長屋を見下すのが愉快なのである。造兵へ出る辰(たつ)さんが肌を抜いで酒を呑(の)んでいると、御酒を呑んでてよと御母さんに話す。大工の源坊(げんぼう)が手斧(ておの)を磨(と)いでいると、何か磨いでてよと御祖母さんに知らせる。そのほか喧嘩(けんか)をしててよ、焼芋(やきいも)を食べててよなどと、見下した通りを報告する。すると、よしが大きな声を出して笑う。御母さんも、御祖母さんも面白そうに笑う。喜いちゃんは、こうして笑って貰うのが一番得意なのである。
 喜いちゃんが裏を覗いていると、時々源坊の倅(せがれ)の与吉と顔を合わす事がある。そうして、三度に一度ぐらいは話をする。けれども喜いちゃんと与吉だから、話の合う訳がない。いつでも喧嘩(けんか)になってしまう。与吉がなんだ蒼(あお)ん膨(ぶく)れと下から云うと、喜いちゃんは上から、やあい鼻垂らし小僧、貧乏人、と軽侮(さげすむ)ように丸い顎(あご)をしゃくって見せる。一遍は与吉が怒って下から物干竿(ものほしざお)を突き出したので、喜いちゃんは驚いて家(うち)へ逃げ込んでしまった。その次には、喜いちゃんが、毛糸で奇麗(きれい)に縢(かが)った護謨毬(ゴムまり)を崖下(がけした)へ落したのを、与吉が拾ってなかなか渡さなかった。御返しよ、放(ほう)っておくれよ、よう、と精一杯にせっついたが与吉は毬を持ったまま、上を見て威張って突立(つった)っている。詫(あや)まれ、詫まったら返してやると云う。喜いちゃんは、誰が詫まるものか、泥棒と云ったまま、裁縫(しごと)をしている御母さんの傍(そば)へ来て泣き出した。御母さんはむきになって、表向(おもてむき)よしを取りにやると、与吉の御袋がどうも御気の毒さまと云ったぎりで毬はとうとう喜いちゃんの手に帰らなかった。
 それから三日経(た)って、喜いちゃんは大きな赤い柿(かき)を一つ持って、また裏へ出た。すると与吉が例の通り崖下へ寄って来た。喜いちゃんは生垣の間から赤い柿を出して、これ上げようかと云った。与吉は下から柿を睨(にら)めながら、なんでえ、なんでえ、そんなもの要(い)らねえやとじっと動かずにいる。要らないの、要らなきゃ、およしなさいと、喜いちゃんは、垣根から手を引っ込めた。すると与吉は、やっぱりなんでえ、なんでえ、擲(な)ぐるぞと云いながらなおと崖の下へ寄って来た。じゃ欲しいのと喜いちゃんはまた柿を出した。欲しいもんけえ、そんなものと与吉は大きな眼をして、見上げている。
 こんな問答を四五遍繰返(くりかえ)したあとで、喜いちゃんは、じゃ上げようと云いながら、手に持った柿をぱたりと崖の下に落した。与吉は周章(あわて)て、泥の着いた柿を拾った。そうして、拾うや否や、がぶりと横に食いついた。
 その時与吉の鼻の穴が震(ふる)えるように動いた。厚い唇(くちびる)が右の方に歪(ゆが)んだ。そうして、食いかいた柿の一片(いっぺん)をぺっと吐いた。そうして懸命の憎悪(ぞうお)を眸(ひとみ)の裏(うち)に萃(あつ)めて、渋(しぶ)いや、こんなものと云いながら、手に持った柿を、喜いちゃんに放(ほう)りつけた。柿は喜いちゃんの頭を通り越して裏の物置に当った。喜いちゃんは、やあい食辛抱(くいしんぼう)と云いながら、走(か)け出(だ)して家(うち)へ這入(はい)った。しばらくすると喜いちゃんの家で大きな笑声が聞えた。

     火鉢

 眼が覚(さ)めたら、昨夜(ゆうべ)抱(だ)いて寝た懐炉(かいろ)が腹の上で冷たくなっていた。硝子戸越(ガラスどごし)に、廂(ひさし)の外を眺めると、重い空が幅三尺ほど鉛(なまり)のように見えた。胃の痛みはだいぶ除(と)れたらしい。思い切って、床の上に起き上がると、予想よりも寒い。窓の下には昨日(きのう)の雪がそのままである。
 風呂場は氷でかちかち光っている。水道は凍(こお)り着(つ)いて、栓(せん)が利(き)かない。ようやくの事で温水摩擦(おんすいまさつ)を済まして、茶の間で紅茶を茶碗(ちゃわん)に移していると、二つになる男の子が例の通り泣き出した。この子は一昨日(おととい)も一日泣いていた。昨日も泣き続けに泣いた。妻(さい)にどうかしたのかと聞くと、どうもしたのじゃない、寒いからだと云う。仕方がない。なるほど泣き方がぐずぐずで痛くも苦しくもないようである。けれども泣くくらいだから、どこか不安な所があるのだろう。聞いていると、しまいにはこっちが不安になって来る。時によると小悪(こにく)らしくなる。大きな声で叱(しか)りつけたい事もあるが、何しろ、叱るにはあまり小さ過ぎると思って、つい我慢をする。一昨日も昨日もそうであったが、今日もまた一日そうなのかと思うと、朝から心持が好くない。胃が悪いのでこの頃は朝飯(あさめし)を食わぬ掟(おきて)にしてあるから、紅茶茶碗を持ったまま、書斎へ退(しりぞ)いた。
 火鉢(ひばち)に手を翳して、少し暖(あっ)たまっていると、子供は向うの方でまだ泣いている。そのうち掌(てのひら)だけは煙(けむ)が出るほど熱くなった。けれども、背中から肩へかけてはむやみに寒い。ことに足の先は冷え切って痛いくらいである。だから仕方なしにじっとしていた。少しでも手を動かすと、手がどこか冷たい所に触れる。それが刺(とげ)にでも触(さわ)ったほど神経に応(こた)える。首をぐるりと回してさえ、頸(くび)の付根が着物の襟(えり)にひやりと滑(すべ)るのが堪(た)えがたい感じである。自分は寒さの圧迫を四方から受けて、十畳の書斎の真中に竦(すく)んでいた。この書斎は板の間である。椅子を用いべきところを、絨□(じゅうたん)を敷いて、普通の畳(たたみ)のごとくに想像して坐っている。ところが敷物が狭いので、四方とも二尺がたは、つるつるした板の間が剥(む)き出(だ)しに光っている。じっとしてこの板の間を眺めて、竦(すく)んでいると、男の子がまだ泣いている。とても仕事をする勇気が出ない。
 ところへ妻(さい)がちょっと時計を拝借と這入(はい)って来て、また雪になりましたと云う。見ると、細(こま)かいのがいつの間にか、降り出した。風もない濁った空の途中から、静かに、急がずに、冷刻に、落ちて来る。
「おい、去年、子供の病気で、煖炉(ストーブ)を焚(た)いた時には炭代がいくら要(い)ったかな」
「あの時は月末(つきずえ)に廿八円払いました」
 自分は妻の答を聞いて、座敷(ざしき)煖炉を断念した。座敷煖炉は裏の物置に転(ころ)がっているのである。
「おい、もう少し子供を静かにできないかな」
 妻はやむをえないと云うような顔をした。そうして、云った。
「お政(まさ)さんが御腹(おなか)が痛いって、だいぶ苦しそうですから、林さんでも頼んで見て貰いましょうか」
 お政さんが二三日寝ている事は知っていたがそれほど悪いとは思わなかった。早く医者を呼んだらよかろうと、こっちから促(うなが)すように注意すると、妻はそうしましょうと答えて、時計を持ったまま出て行った。襖(ふすま)を閉(た)てるとき、どうもこの部屋の寒い事と云った。
 まだ、かじかんで仕事をする気にならない。実を云うと仕事は山ほどある。自分の原稿を一回分書かなければならない。ある未知の青年から頼まれた短篇小説を二三篇読んでおく義務がある。ある雑誌へ、ある人の作(さく)を手紙を付けて紹介する約束がある。この二三箇月中に読むはずで読めなかった書籍は机の横に堆(うずた)かく積んである。この一週間ほどは仕事をしようと思って机に向うと人が来る。そうして、皆何か相談を持ち込んでくる。その上に胃が痛む。その点から云うと今日は幸いである。けれども、どう考えても、寒くて億劫(おっくう)で、火鉢(ひばち)から手を離す事ができない。
 すると玄関に車を横付けにしたものがある。下女が来て長沢さんがおいでになりましたと云う。自分は火鉢の傍(そば)に竦んだまま、上眼遣(うわめづかい)をして、這入(はい)って来る長沢を見上げながら、寒くて動けないよと云った。長沢は懐中(ふところ)から手紙を出して、この十五日は旧の正月だから、是非都合してくれとか何とか云う手紙を読んだ。相変らず金の相談である。長沢は十二時過に帰った。けれども、まだ寒くてしようがない。いっそ湯にでも行って、元気をつけようと思って、手拭(てぬぐい)を提(さ)げて玄関へ出かかると、御免下(ごめんくだ)さいと云う吉田に出っ食わした。座敷へ上げて、いろいろ身の上話を聞いていると、吉田はほろほろ涙を流して泣き出した。そのうち奥の方では医者が来て何だかごたごたしている。吉田がようやく帰ると、子供がまた泣き出した。とうとう湯に行った。
 湯から上ったら始めて暖(あ)ったかになった。晴々(せいせい)して、家(うち)へ帰って書斎に這入ると、洋灯(ランプ)が点(つ)いて窓掛(まどかけ)が下りている。火鉢には新しい切炭(きりずみ)が活(い)けてある。自分は座布団(ざぶとん)の上にどっかりと坐った。すると、妻が奥から寒いでしょうと云って蕎麦湯(そばゆ)を持って来てくれた。お政さんの容体(ようだい)を聞くと、ことによると盲腸炎になるかも知れないんだそうですよと云う。自分は蕎麦湯を手に受けて、もし悪いようだったら、病院に入れてやるがいいと答えた。妻はそれがいいでしょうと茶の間へ引き取った。
 妻(さい)が出て行ったらあとが急に静かになった。全くの雪の夜(よ)である。泣く子は幸いに寝たらしい。熱い蕎麦湯(そばゆ)を啜(すす)りながら、あかるい洋灯(ランプ)の下で、継(つ)ぎ立ての切炭(きりずみ)のぱちぱち鳴る音に耳を傾けていると、赤い火気(かっき)が、囲われた灰の中で仄(ほのか)に揺れている。時々薄青い焔(ほのお)が炭の股(また)から出る。自分はこの火の色に、始めて一日の暖味(あたたかみ)を覚えた。そうしてしだいに白くなる灰の表を五分ほど見守っていた。

     下宿

 始めて下宿をしたのは北の高台である。赤煉瓦(あかれんが)の小じんまりした二階建が気に入ったので、割合に高い一週二磅(ポンド)の宿料(しゅくりょう)を払って、裏の部屋を一間(ひとま)借り受けた。その時表を専領(せんりょう)しているK氏は目下蘇格蘭(スコットランド)巡遊中で暫(しばら)くは帰らないのだと主婦の説明があった。
 主婦と云うのは、眼の凹(くぼ)んだ、鼻のしゃくれた、顎(あご)と頬の尖(とが)った。鋭い顔の女で、ちょっと見ると、年恰好(としかっこう)の判断ができないほど、女性を超越している。疳(かん)、僻(ひが)み、意地、利(き)かぬ気、疑惑、あらゆる弱点が、穏かな眼鼻をさんざんに弄(もてあそ)んだ結果、こう拗(ひ)ねくれた人相になったのではあるまいかと自分は考えた。
 主婦は北の国に似合わしからぬ黒い髪と黒い眸(ひとみ)をもっていた。けれども言語は普通の英吉利人(イギリスじん)と少しも違ったところがない。引き移った当日、階下(した)から茶の案内があったので、降りて行って見ると、家族は誰もいない。北向の小さい食堂に、自分は主婦とたった二人差向(さしむか)いに坐った。日の当った事のないように薄暗い部屋を見回すと、マントルピースの上に淋(さび)しい水仙が活(い)けてあった。主婦は自分に茶だの焼麺麭(トースト)を勧(すす)めながら、四方山(よもやま)の話をした。その時何かの拍子で、生れ故郷は英吉利ではない、仏蘭西(フランス)であるという事を打ち明けた。そうして黒い眼を動かして、後(うしろ)の硝子壜(ガラスびん)に挿(さ)してある水仙を顧(かえ)りみながら、英吉利は曇っていて、寒くていけないと云った。花でもこの通り奇麗(きれい)でないと教えたつもりなのだろう。
 自分は肚(はら)の中でこの水仙の乏(とぼ)しく咲いた模様と、この女のひすばった頬の中を流れている、色の褪(さ)めた血の瀝(したたり)とを比較して、遠い仏蘭西で見るべき暖かな夢を想像した。主婦の黒い髪や黒い眼の裏(うち)には、幾年(いくねん)の昔に消えた春の匂(におい)の空(むな)しき歴史があるのだろう。あなたは仏蘭西語を話しますかと聞いた。いいやと答えようとする舌先を遮(さえぎ)って、二三句続け様(ざま)に、滑(なめ)らかな南の方の言葉を使った。こういう骨の勝った咽喉(のど)から、どうして出るだろうと思うくらい美しいアクセントであった。
 その夕、晩餐(ばんさん)の時は、頭の禿(は)げた髯(ひげ)の白い老人が卓に着いた。これが私の親父(おやじ)ですと主婦から紹介されたので始めて主人は年寄であったんだと気がついた。この主人は妙な言葉遣(ことばづかい)をする。ちょっと聞いてもけっして英人ではない。なるほど親子して、海峡を渡って、倫敦(ロンドン)へ落ちついたものだなと合点(がてん)した。すると老人が私は独逸人(ドイツじん)であると、尋ねもせぬのに向うから名乗って出た。自分は少し見当(けんとう)が外(はず)れたので、そうですかと云ったきりであった。
 部屋へ帰って、書物を読んでいると、妙に下の親子が気に懸(かか)ってたまらない。あの爺さんは骨張った娘と較べてどこも似た所がない。顔中は腫(は)れ上(あが)ったように膨(ふく)れている真中に、ずんぐりした肉の多い鼻が寝転(ねころ)んで、細い眼が二つ着いている。南亜(なんあ)の大統領にクルーゲルと云うのがあった。あれによく似ている。すっきりと心持よくこっちの眸(ひとみ)に映る顔ではない。その上娘に対しての物の云い方が和気(わき)を欠いている。歯が利(き)かなくって、もごもごしているくせに何となく調子の荒いところが見える。娘も阿爺(おやじ)に対するときは、険相(けんそう)な顔がいとど険相になるように見える。どうしても普通の親子ではない。――自分はこう考えて寝た。
 翌日朝飯を食いに下りると、昨夕(ゆうべ)の親子のほかに、また一人家族が殖(ふ)えている。新しく食卓に連(つら)なった人は、血色の好い、愛嬌(あいきょう)のある、四十恰好(がっこう)の男である。自分は食堂の入口でこの男の顔を見た時、始めて、生気のある人間社会に住んでいるような心持ちがした。my brother(マイブラザー)と主婦がその男を自分に紹介した。やっぱり亭主では無かったのである。しかし兄弟とはどうしても受取れないくらい顔立(かおだち)が違っていた。
 その日は中食(ちゅうじき)を外でして、三時過ぎに帰って、自分の部屋へ這入(はい)ると間もなく、茶を飲みに来いと云って呼びにきた。今日も曇っている。薄暗い食堂の戸を開けると、主婦がたった一人煖炉(ストーブ)の横に茶器を控(ひか)えて坐(すわ)っていた。石炭を燃(もや)してくれたので、幾分か陽気な感じがした。燃えついたばかりの□(ほのお)に照らされた主婦の顔を見ると、うすく火熱(ほて)った上に、心持御白粉(おしろい)を塗(つ)けている。自分は部屋の入り口で化粧の淋(さび)しみと云う事を、しみじみと悟った。主婦は自分の印象を見抜いたような眼遣(めづか)いをした。自分が主婦から一家の事情を聞いたのはこの時である。
 主婦の母は、二十五年の昔、ある仏蘭西人(フランスじん)に嫁(とつ)いで、この娘を挙(あ)げた。幾年か連れ添った後(のち)夫は死んだ。母は娘の手を引いて、再び独逸人(ドイツじん)の許(もと)に嫁いだ。その独逸人が昨夜(ゆうべ)の老人である。今では倫敦(ロンドン)のウェスト・エンドで仕立屋の店を出して、毎日毎日そこへ通勤している。先妻の子も同じ店で働いているが、親子非常に仲が悪い。一(ひと)つ家(うち)にいても、口を利(き)いた事がない。息子(むすこ)は夜きっと遅く帰る。玄関で靴を脱いで足袋跣足(たびはだし)になって、爺(おやじ)に知れないように廊下を通って、自分の部屋へ這入って寝てしまう。母はよほど前に失(な)くなった。死ぬ時に自分の事をくれぐれも云いおいて死んだのだが、母の財産はみんな阿爺(おやじ)の手に渡って、一銭も自由にする事ができない。仕方がないから、こうして下宿をして小遣(こづかい)を拵(こしら)えるのである。アグニスは――
 主婦はそれより先を語らなかった。アグニスと云うのはここのうちに使われている十三四の女の子の名である。自分はその時今朝見た息子(むすこ)の顔と、アグニスとの間にどこか似たところがあるような気がした。あたかもアグニスは焼麺麭(トースト)を抱(かか)えて厨(くりや)から出て来た。
「アグニス、焼麺麭(トースト)を食べるかい」
 アグニスは黙って、一片(いっぺん)の焼麺麭を受けてまた厨の方へ退いた。
 一箇月の後(のち)自分はこの下宿を去った。

     過去の匂い

 自分がこの下宿を出る二週間ほど前に、K君は蘇格蘭(スコットランド)から帰って来た。その時自分は主婦によってK君に紹介された。二人の日本人が倫敦(ロンドン)の山の手の、とある小さな家に偶然落ち合って、しかも、まだ互に名乗(なの)り換(かわ)した事がないので、身分も、素性(すじょう)も、経歴も分らない外国婦人の力を藉(か)りて、どうか何分と頭を下げたのは、考えると今もって妙な気がする。その時この老令嬢は黒い服を着ていた。骨張って膏(あぶら)の脱けたような手を前へ出して、Kさん、これがNさんと云ったが、全く云い切らない先に、また一本の手を相手の方へ寄せて、Nさん、これがKさんと、公平に双方を等分に引き合せた。
 自分は老令嬢の態度が、いかにも、厳(おごそか)で、一種重要の気に充(み)ちた形式を具えているのに、尠(すくな)からず驚かされた。K君は自分の向(むこう)に立って、奇麗(きれい)な二重瞼(ふたえまぶち)の尻に皺(しわ)を寄せながら、微笑を洩(も)らしていた。自分は笑うと云わんよりはむしろ矛盾の淋(さび)しみを感じた。幽霊の媒妁(ばいしゃく)で、結婚の儀式を行ったら、こんな心持ではあるまいかと、立ちながら考えた。すべてこの老令嬢の黒い影の動く所は、生気を失って、たちまち古蹟に変化するように思われる。誤ってその肉に触れれば、触れた人の血が、そこだけ冷たくなるとしか想像できない。自分は戸の外に消えてゆく女の足音に半(なか)ば頭(こうべ)を回(めぐ)らした。
 老令嬢が出て行ったあとで、自分とK君はたちまち親しくなってしまった。K君の部屋は美くしい絨□(じゅうたん)が敷いてあって、白絹(しらぎぬ)の窓掛(まどかけ)が下がっていて、立派な安楽椅子とロッキング・チェアが備えつけてある上に、小さな寝室が別に附属している。何より嬉(うれ)しいのは断えず煖炉(ストーブ)に火を焚(た)いて、惜気(おしげ)もなく光った石炭を崩(くず)している事である。
 これから自分はK君の部屋で、K君と二人で茶を飲むことにした。昼はよく近所の料理店(りょうりや)へいっしょに出かけた。勘定(かんじょう)は必ずK君が払ってくれた。K君は何でも築港の調査に来ているとか云って、だいぶ金を持っていた。家(うち)にいると、海老茶(えびちゃ)の繻子(しゅす)に花鳥の刺繍(ぬいとり)のあるドレッシング・ガウンを着て、はなはだ愉快そうであった。これに反して自分は日本を出たままの着物がだいぶ汚(よご)れて、見共(みとも)ない始末であった。K君はあまりだと云って新調の費用を貸してくれた。
 二週間の間K君と自分とはいろいろな事を話した。K君が、今に慶応内閣(けいおうないかく)を作るんだと云った事がある。慶応年間に生れたものだけで内閣を作るから慶応内閣と云うんだそうである。自分に、君はいつの生れかと聞くから慶応三年だと答えたら、それじゃ、閣員の資格があると笑っていた。K君はたしか慶応二年か元年生れだと覚えている。自分はもう一年の事で、K君と共に枢機(すうき)に参する権利を失うところであった。
 こんな面白い話をしている間に、時々下の家族が噂(うわさ)に上(のぼ)る事があった。するとK君はいつでも眉(まゆ)をひそめて、首を振っていた。アグニスと云う小さい女が一番可愛想(かわいそう)だと云っていた。アグニスは朝になると石炭をK君の部屋に持って来る。昼過には茶とバタと麺麭(パン)を持って来る。だまって持って来て、だまって置いて帰る。いつ見ても蒼褪(あおざ)めた顔をして、大きな潤(うるおい)のある眼でちょっと挨拶(あいさつ)をするだけである。影のようにあらわれては影のように下りて行く。かつて足音のした試しがない。
 ある時自分は、不愉快だから、この家(うち)を出ようと思うとK君に告げた。K君は賛成して、自分はこうして調査のため方々飛び歩いている身体(からだ)だから、構わないが、君などは、もっとコンフォタブルな所へ落ち着いて勉強したらよかろうと云う注意をした。その時K君は地中海の向側(むこうがわ)へ渡るんだと云って、しきりに旅装をととのえていた。
 自分が下宿を出るとき、老令嬢は切(せつ)に思いとまるようにと頼んだ。下宿料は負ける、K君のいない間は、あの部屋を使っても構わないとまで云ったが、自分はとうとう南の方へ移ってしまった。同時にK君も遠くへ行ってしまった。
 二三箇月してから、突然K君の手紙に接した。旅から帰って来た。当分ここにいるから遊びに来いと書いてあった。すぐ行きたかったけれども、いろいろ都合があって、北の果(はて)まで推(お)しかける時間がなかった。一週間ほどして、イスリントンまで行く用事ができたのを幸いに、帰りにK君の所へ回って見た。
 表二階の窓から、例の羽二重(はぶたえ)の窓掛が引(ひ)き絞(しぼ)ったまま硝子(ガラス)に映っている。自分は暖かい煖炉(ストーブ)と、海老茶(えびちゃ)の繻子(しゅす)の刺繍(ぬいとり)と、安楽椅子と、快活なK君の旅行談を予想して、勇んで、門を入って、階段を駆(か)け上(あが)るように敲子(ノッカー)をとんとんと打った。戸の向側(むこうがわ)に足音がしないから、通じないのかと思って、再び敲子に手を掛けようとする途端(とたん)に、戸が自然(じねん)と開(あ)いた。自分は敷居から一歩なかへ足を踏み込んだ。そうして、詫(わ)びるように自分をじっと見上げているアグニスと顔を合わした。その時この三箇月ほど忘れていた、過去の下宿の匂が、狭い廊下の真中で、自分の嗅覚(きゅうかく)を、稲妻(いなずま)の閃(ひら)めくごとく、刺激した。その匂のうちには、黒い髪と黒い眼と、クルーゲルのような顔と、アグニスに似た息子(むすこ)と、息子の影のようなアグニスと、彼らの間に蟠(わだか)まる秘密を、一度にいっせいに含んでいた。自分はこの匂を嗅(か)いだ時、彼らの情意、動作、言語、顔色を、あざやかに暗い地獄の裏(うち)に認めた。自分は二階へ上がってK君に逢(あ)うに堪(た)えなかった。

     猫の墓

 早稲田へ移ってから、猫がだんだん瘠(や)せて来た。いっこうに小供と遊ぶ気色(けしき)がない。日が当ると縁側(えんがわ)に寝ている。前足を揃(そろ)えた上に、四角な顎(あご)を載せて、じっと庭の植込(うえこみ)を眺めたまま、いつまでも動く様子が見えない。小供がいくらその傍(そば)で騒いでも、知らぬ顔をしている。小供の方でも、初めから相手にしなくなった。この猫はとても遊び仲間にできないと云わんばかりに、旧友を他人扱いにしている。小供のみではない、下女はただ三度の食(めし)を、台所の隅(すみ)に置いてやるだけでそのほかには、ほとんど構いつけなかった。しかもその食はたいてい近所にいる大きな三毛猫が来て食ってしまった。猫は別に怒(おこ)る様子もなかった。喧嘩(けんか)をするところを見た試(ため)しもない。ただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなく余裕(ゆとり)がない。伸(の)んびり楽々と身を横に、日光を領(りょう)しているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。懶(ものう)さの度(ど)をある所まで通り越して、動かなければ淋(さび)しいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。その眼つきは、いつでも庭の植込を見ているが、彼(か)れはおそらく木の葉も、幹の形も意識していなかったのだろう。青味がかった黄色い瞳子(ひとみ)を、ぼんやり一(ひ)と所(ところ)に落ちつけているのみである。彼れが家(うち)の小供から存在を認められぬように、自分でも、世の中の存在を判然(はっきり)と認めていなかったらしい。
 それでも時々は用があると見えて、外へ出て行く事がある。するといつでも近所の三毛猫から追(おっ)かけられる。そうして、怖(こわ)いものだから、縁側を飛び上がって、立て切ってある障子(しょうじ)を突き破って、囲炉裏(いろり)の傍まで逃げ込んで来る。家のものが、彼れの存在に気がつくのはこの時だけである。彼れもこの時に限って、自分が生きている事実を、満足に自覚するのだろう。
 これが度(たび)重なるにつれて、猫の長い尻尾(しっぽ)の毛がだんだん抜けて来た。始めはところどころがぽくぽく穴のように落ち込んで見えたが、後(のち)には赤肌(あかはだ)に脱け広がって、見るも気の毒なほどにだらりと垂れていた。彼れは万事に疲れ果てた、体躯(からだ)を圧(お)し曲げて、しきりに痛い局部を舐(な)め出した。
 おい猫がどうかしたようだなと云うと、そうですね、やっぱり年を取ったせいでしょうと、妻(さい)は至極(しごく)冷淡である。自分もそのままにして放(ほう)っておいた。すると、しばらくしてから、今度は三度のものを時々吐くようになった。咽喉(のど)の所に大きな波をうたして、嚏(くしゃみ)とも、しゃくりともつかない苦しそうな音をさせる。苦しそうだけれども、やむをえないから、気がつくと表へ追い出す。でなければ畳(たたみ)の上でも、布団(ふとん)の上でも容赦(ようしゃ)なく汚す。来客の用意に拵(こしら)えた八反(はったん)の座布団(ざぶとん)は、おおかた彼れのために汚されてしまった。
「どうもしようがないな。腸胃(ちょうい)が悪いんだろう、宝丹(ほうたん)でも水に溶(と)いて飲ましてやれ」
 妻(さい)は何とも云わなかった。二三日してから、宝丹を飲ましたかと聞いたら、飲ましても駄目です、口を開(あ)きませんという答をした後(あと)で、魚の骨を食べさせると吐くんですと説明するから、じゃ食わせんが好いじゃないかと、少し嶮(けん)どんに叱りながら書見をしていた。
 猫は吐気(はきけ)がなくなりさえすれば、依然として、おとなしく寝ている。この頃では、じっと身を竦(すく)めるようにして、自分の身を支える縁側(えんがわ)だけが便(たより)であるという風に、いかにも切りつめた蹲踞(うずく)まり方をする。眼つきも少し変って来た。始めは近い視線に、遠くのものが映るごとく、悄然(しょうぜん)たるうちに、どこか落ちつきがあったが、それがしだいに怪しく動いて来た。けれども眼の色はだんだん沈んで行く。日が落ちて微(かす)かな稲妻(いなずま)があらわれるような気がした。けれども放(ほう)っておいた。妻も気にもかけなかったらしい。小供は無論猫のいる事さえ忘れている。
 ある晩、彼は小供の寝る夜具の裾(すそ)に腹這(はらばい)になっていたが、やがて、自分の捕(と)った魚を取り上げられる時に出すような唸声(うなりごえ)を挙(あ)げた。この時変だなと気がついたのは自分だけである。小供はよく寝ている。妻は針仕事に余念がなかった。しばらくすると猫がまた唸(うな)った。妻はようやく針の手をやめた。自分は、どうしたんだ、夜中に小供の頭でも噛(かじ)られちゃ大変だと云った。まさかと妻はまた襦袢(じゅばん)の袖(そで)を縫い出した。猫は折々唸っていた。
 明くる日は囲炉裏(いろり)の縁(ふち)に乗ったなり、一日唸っていた。茶を注(つ)いだり、薬缶(やかん)を取ったりするのが気味が悪いようであった。が、夜になると猫の事は自分も妻もまるで忘れてしまった。猫の死んだのは実にその晩である。朝になって、下女が裏の物置に薪(まき)を出しに行った時は、もう硬くなって、古い竈(へっつい)の上に倒れていた。
 妻はわざわざその死態(しにざま)を見に行った。それから今までの冷淡に引(ひ)き更(か)えて急に騒ぎ出した。出入(でいり)の車夫を頼んで、四角な墓標を買って来て、何か書いてやって下さいと云う。自分は表に猫の墓と書いて、裏にこの下に稲妻(いなずま)起る宵(よい)あらんと認(したた)めた。車夫はこのまま、埋(う)めても好いんですかと聞いている。まさか火葬にもできないじゃないかと下女が冷(ひや)かした。
 小供も急に猫を可愛(かわい)がり出した。墓標の左右に硝子(ガラス)の罎(びん)を二つ活(い)けて、萩(はぎ)の花をたくさん挿(さ)した。茶碗(ちゃわん)に水を汲(く)んで、墓の前に置いた。花も水も毎日取り替えられた。三日目の夕方に四つになる女の子が――自分はこの時書斎の窓から見ていた。――たった一人墓の前へ来て、しばらく白木の棒を見ていたが、やがて手に持った、おもちゃの杓子(しゃくし)をおろして、猫に供えた茶碗の水をしゃくって飲んだ。それも一度ではない。萩の花の落ちこぼれた水の瀝(したた)りは、静かな夕暮の中に、幾度(いくたび)か愛子(あいこ)の小さい咽喉(のど)を潤(うる)おした。
 猫の命日には、妻がきっと一切(ひとき)れの鮭(さけ)と、鰹節(かつぶし)をかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がない。ただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間の箪笥(たんす)の上へ載せておくようである。

     暖かい夢

 風が高い建物に当って、思うごとく真直(まっすぐ)に抜けられないので、急に稲妻(いなずま)に折れて、頭の上から、斜(はす)に舗石(しきいし)まで吹きおろして来る。自分は歩きながら被(かぶ)っていた山高帽(やまたかぼう)を右の手で抑(おさ)えた。前に客待の御者(ぎょしゃ)が一人いる。御者台(ぎょしゃだい)から、この有様を眺めていたと見えて、自分が帽子から手を離して、姿勢を正すや否や、人指指(ひとさしゆび)を竪(たて)に立てた。乗らないかと云う符徴(ふちょう)である。自分は乗らなかった。すると御者は右の手に拳骨(げんこつ)を固めて、烈(はげ)しく胸の辺(あたり)を打ち出した。二三間離れて聞いていても、とんとん音がする。倫敦(ロンドン)の御者はこうして、己(おの)れとわが手を暖めるのである。自分はふり返ってちょっとこの御者を見た。剥(は)げ懸(かか)った堅い帽子の下から、霜(しも)に侵(おか)された厚い髪の毛が食(は)み出(だ)している。毛布(ケット)を継(つ)ぎ合せたような粗(あら)い茶の外套(がいとう)の背中の右にその肱(ひじ)を張って、肩と平行になるまで怒(いか)らしつつ、とんとん胸を敲(たた)いている。まるで一種の器械の活動するようである。自分は再び歩き出した。
 道を行くものは皆追い越して行く。女でさえ後(おく)れてはいない。腰の後部(うしろ)でスカートを軽く撮(つま)んで、踵(かかと)の高い靴が曲(まが)るかと思うくらい烈(はげ)しく舗石を鳴らして急いで行く。よく見ると、どの顔もどの顔もせっぱつまっている。男は正面を見たなり、女は傍目(わきめ)も触らず、ひたすらにわが志(こころざ)す方(かた)へと一直線に走るだけである。その時の口は堅く結んでいる。眉(まゆ)は深く鎖(とざ)している。鼻は険(けわ)しく聳(そび)えていて、顔は奥行ばかり延びている。そうして、足は一文字に用のある方へ運んで行く。あたかも往来(おうらい)は歩くに堪(た)えん、戸外はいるに忍(しの)びん、一刻も早く屋根の下へ身を隠さなければ、生涯(しょうがい)の恥辱である、かのごとき態度である。
 自分はのそのそ歩きながら、何となくこの都にいづらい感じがした。上を見ると、大きな空は、いつの世からか、仕切られて、切岸(きりぎし)のごとく聳(そび)える左右の棟(むね)に余された細い帯だけが東から西へかけて長く渡っている。その帯の色は朝から鼠色(ねずみいろ)であるが、しだいしだいに鳶色(とびいろ)に変じて来た。建物は固(もと)より灰色である。それが暖かい日の光に倦(う)み果(は)てたように、遠慮なく両側を塞(ふさ)いでいる。広い土地を狭苦しい谷底の日影にして、高い太陽が届く事のできないように、二階の上に三階を重ねて、三階の上に四階を積んでしまった。小さい人はその底の一部分を、黒くなって、寒そうに往来(おうらい)する。自分はその黒く動くもののうちで、もっとも緩漫(かんまん)なる一分子である。谷へ挟(はさ)まって、出端(では)を失った風が、この底を掬(すく)うようにして通り抜ける。黒いものは網の目を洩(も)れた雑魚(ざこ)のごとく四方にぱっと散って行く。鈍(のろ)い自分もついにこの風に吹き散らされて、家のなかへ逃げ込んだ。
 長い廻廊をぐるぐる廻って、二つ三つ階子段(はしごだん)を上(のぼ)ると、弾力(ばね)じかけの大きな戸がある。身躯(からだ)の重みをちょっと寄せかけるや否や、音もなく、自然(じねん)と身は大きなガレリーの中に滑(すべ)り込んだ。眼の下は眩(まばゆ)いほど明かである。後(うしろ)をふり返ると、戸はいつの間にか締(しま)って、いる所は春のように暖かい。自分はしばらくの間、瞳(ひとみ)を慣(な)らすために、眼をぱちぱちさせた。そうして、左右を見た。左右には人がたくさんいる。けれども、みんな静かに落ちついている。そうして顔の筋肉が残らず緩(ゆる)んで見える。たくさんの人がこう肩を並べているのに、いくらたくさんいても、いっこう苦にならない。ことごとく互いと互いを和(やわら)げている。自分は上を見た。上は大穹窿(おおまるがた)の天井(てんじょう)で極彩色(ごくさいしき)の濃く眼に応(こた)える中に、鮮(あざや)かな金箔(きんぱく)が、胸を躍(おど)らすほどに、燦(さん)として輝いた。自分は前を見た。前は手欄(てすり)で尽きている。手欄の外には何(な)にもない。大きな穴である。自分は手欄の傍(そば)まで近寄って、短い首を伸(のば)して穴の中を覗(のぞ)いた。すると遥(はるか)の下は、絵にかいたような小さな人で埋(うま)っていた。その数の多い割に鮮(あざやか)に見えた事。人の海とはこの事である。白、黒、黄、青、紫、赤、あらゆる明かな色が、大海原(おおうなばら)に起る波紋(はもん)のごとく、簇然(そうぜん)として、遠くの底に、五色の鱗(うろこ)を并(なら)べたほど、小さくかつ奇麗(きれい)に、蠢(うごめ)いていた。
 その時この蠢くものが、ぱっと消えて、大きな天井から、遥かの谷底まで一度に暗くなった。今まで何千となくいならんでいたものは闇(やみ)の中に葬られたぎり、誰あって声を立てるものがない。あたかもこの大きな闇に、一人残らずその存在を打ち消されて、影も形もなくなったかのごとくに寂(しん)としている。と、思うと、遥かの底の、正面の一部分が四角に切り抜かれて、闇の中から浮き出したように、ぼうっといつの間(ま)にやら薄明るくなって来た。始めは、ただ闇の段取(だんどり)が違うだけの事と思っていると、それがしだいしだいに暗がりを離れてくる。たしかに柔(やわら)かな光を受けておるなと意識できるぐらいになった時、自分は霧(きり)のような光線の奥に、不透明な色を見出(みいだ)す事ができた。その色は黄と紫(むらさき)と藍(あい)であった。やがて、そのうちの黄と紫が動き出した。自分は両眼の視神経を疲れるまで緊張して、この動くものを瞬(またた)きもせず凝視(みつめ)ていた。靄(もや)は眼の底からたちまち晴れ渡った。遠くの向うに、明かな日光の暖かに照り輝(かがや)く海を控(ひか)えて、黄(き)な上衣(うわぎ)を着た美しい男と、紫の袖(そで)を長く牽(ひ)いた美しい女が、青草の上に、判然(はっきり)あらわれて来た。女が橄欖(かんらん)の樹(き)の下に据(す)えてある大理石の長椅子に腰をかけた時に、男は椅子の横手に立って、上から女を見下(みおろ)した。その時南から吹く温かい風に誘われて、閑和(のどか)な楽(がく)の音(ね)が、細く長く、遠くの波の上を渡って来た。
 穴の上も、穴の下も、一度にざわつき出した。彼らは闇の中に消えたのではなかった。闇の中で暖かな希臘(ギリシャ)を夢みていたのである。

     印象

 表へ出ると、広い通りが真直(まっすぐ)に家の前を貫(つらぬ)いている。試みにその中央に立って見廻して見たら、眼に入(い)る家はことごとく四階で、またことごとく同じ色であった。
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