それから
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著者名:夏目漱石 

       一の一

 誰(だれ)か慌(あは)たゞしく門前(もんぜん)を馳(か)けて行く足音(あしおと)がした時、代助(だいすけ)の頭(あたま)の中(なか)には、大きな俎下駄(まないたげた)が空(くう)から、ぶら下(さが)つてゐた。けれども、その俎(まないた)下駄は、足音(あしおと)の遠退(とほの)くに従つて、すうと頭(あたま)から抜(ぬ)け出(だ)して消えて仕舞つた。さうして眼(め)が覚めた。
 枕元(まくらもと)を見ると、八重の椿(つばき)が一輪(いちりん)畳(たゝみ)の上に落ちてゐる。代助(だいすけ)は昨夕(ゆふべ)床(とこ)の中(なか)で慥かに此花の落ちる音(おと)を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬(ごむまり)を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更(ふ)けて、四隣(あたり)が静かな所為(せゐ)かとも思つたが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋(あばら)のはづれに正(たゞ)しく中(あた)る血(ち)の音(おと)を確(たし)かめながら眠(ねむり)に就いた。
 ぼんやりして、少時(しばらく)、赤ん坊の頭(あたま)程もある大きな花の色を見詰めてゐた彼は、急に思ひ出した様に、寐ながら胸の上に手を当(あ)てゝ、又心臓の鼓動を検し始めた。寐ながら胸の脈(みやく)を聴(き)いて見るのは彼の近来の癖になつてゐる。動悸は相変らず落ち付いて確(たしか)に打つてゐた。彼は胸に手を当(あ)てた儘、此鼓動の下に、温(あたた)かい紅(くれなゐ)の血潮の緩く流れる様(さま)を想像して見た。是が命(いのち)であると考へた。自分は今流れる命(いのち)を掌(てのひら)で抑へてゐるんだと考へた。それから、此掌(てのひら)に応(こた)へる、時計の針に似た響(ひゞき)は、自分を死(し)に誘(いざな)ふ警鐘の様なものであると考へた。此警鐘を聞くことなしに生(い)きてゐられたなら、――血を盛(も)る袋(ふくろ)が、時(とき)を盛(も)る袋(ふくろ)の用を兼ねなかつたなら、如何(いか)に自分は気楽だらう。如何に自分は絶対に生(せい)を味はひ得るだらう。けれども――代助(だいすけ)は覚えず悚(ぞつ)とした。彼は血潮(ちしほ)によつて打たるゝ掛念のない、静かな心臓を想像するに堪へぬ程に、生(い)きたがる男である。彼は時々(とき/″\)寐(ね)ながら、左の乳(ちゝ)の下(した)に手を置いて、もし、此所(こゝ)を鉄槌(かなづち)で一つ撲(どや)されたならと思ふ事がある。彼は健全に生きてゐながら、此生きてゐるといふ大丈夫な事実を、殆んど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さへある。
 彼は心臓から手を放して、枕元の新聞を取り上げた。夜具の中(なか)から両手を出(だ)して、大きく左右に開(ひら)くと、左側(ひだりがは)に男が女を斬(き)つてゐる絵があつた。彼はすぐ外(ほか)の頁(ページ)へ眼(め)を移した。其所(そこ)には学校騒動が大きな活字で出てゐる。代助は、しばらく、それを読んでゐたが、やがて、惓怠(だる)さうな手から、はたりと新聞を夜具の上(うへ)に落した。夫から烟草を一本吹(ふ)かしながら、五寸許り布団を摺(ず)り出して、畳の上の椿(つばき)を取つて、引つ繰(く)り返(かへ)して、鼻の先へ持(も)つて来(き)た。口(くち)と口髭(くちひげ)と鼻の大部分が全く隠(かく)れた。烟りは椿(つばき)の瓣(はなびら)と蕊(ずい)に絡(から)まつて漂(たゞよ)ふ程濃く出た。それを白(しろ)い敷布(しきふ)の上(うへ)に置くと、立ち上(あ)がつて風呂場(ふろば)へ行つた。
 其所(そこ)で叮嚀(ていねい)に歯(は)を磨(みが)いた。彼(かれ)は歯並(はならび)の好(い)いのを常に嬉しく思つてゐる。肌(はだ)を脱(ぬ)いで綺麗(きれい)に胸(むね)と脊(せ)を摩擦(まさつ)した。彼(かれ)の皮膚(ひふ)には濃(こまや)かな一種の光沢(つや)がある。香油を塗(ぬ)り込んだあとを、よく拭き取(と)つた様に、肩(かた)を揺(うご)かしたり、腕(うで)を上(あ)げたりする度(たび)に、局所(きよくしよ)の脂肪(しぼう)が薄(うす)く漲(みなぎ)つて見える。かれは夫(それ)にも満足である。次に黒い髪(かみ)を分(わ)けた。油(あぶら)を塗(つ)けないでも面白い程自由になる。髭(ひげ)も髪(かみ)同様に細(ほそ)く且つ初々(うい/\)しく、口(くち)の上(うへ)を品よく蔽ふてゐる。代助(だいすけ)は其ふつくらした頬(ほゝ)を、両手で両三度撫でながら、鏡の前(まへ)にわが顔(かほ)を映(うつ)してゐた。丸で女(をんな)が御白粉(おしろい)を付(つ)ける時の手付(てつき)と一般であつた。実際彼は必要があれば、御白粉(おしろい)さへ付(つ)けかねぬ程に、肉体に誇(ほこり)を置く人である。彼の尤も嫌ふのは羅漢の様な骨骼と相好(さうごう)で、鏡に向ふたんびに、あんな顔に生(うま)れなくつて、まあ可(よ)かつたと思ふ位である。其代り人から御洒落(おしやれ)と云はれても、何の苦痛も感じ得ない。それ程彼は旧時代の日本を乗り超えてゐる。

       一の二

 約(やく)三十分の後(のち)彼は食卓に就いた。熱(あつ)い紅茶を啜(すゝ)りながら焼麺麭(やきぱん)に牛酪(バタ)を付けてゐると、門野(かどの)と云ふ書生が座敷から新聞を畳んで持つて来た。四つ折りにしたのを座布団の傍(わき)へ置きながら、
「先生、大変な事が始まりましたな」と仰山な声で話しかけた。此書生は代助を捕(つら)まへては、先生先生と敬語を使ふ。代助も、はじめ一二度は苦笑して抗議を申し込んだが、えへゝゝ、だつて先生と、すぐ先生にして仕舞ふので、已を得ず其儘にして置いたのが、いつか習慣になつて、今では、此男に限(かぎ)つて、平気に先生として通(とほ)してゐる。実際書生が代助の様な主人を呼ぶには、先生以外に別段適当な名称がないと云ふことを、書生を置いて見て、代助も始めて悟つたのである。
「学校騒動の事ぢやないか」と代助は落付いた顔をして麺麭(ぱん)を食(く)つて居た。
「だつて痛快ぢやありませんか」
「校長排斥がですか」
「えゝ、到底辞職もんでせう」と嬉(うれ)しがつてゐる。
「校長が辞職でもすれば、君は何か儲かる事(こと)でもあるんですか」
「冗談云つちや不可(いけ)ません。さう損得(そんとく)づくで、痛快がられやしません」
 代助は矢つ張り麺麭(ぱん)を食(く)つてゐた。
「君、あれは本当に校長が悪(にく)らしくつて排斥するのか、他(ほか)に損得(そんとく)問題があつて排斥するのか知つてますか」と云ひながら鉄瓶の湯を紅茶々碗の中(なか)へ注(さ)した。
「知りませんな。何(なん)ですか、先生は御存じなんですか」
「僕も知らないさ。知らないけれども、今の人間が、得(とく)にならないと思つて、あんな騒動をやるもんかね。ありや方便だよ、君」
「へえ、左様(そん)なもんですかな」と門野(かどの)は稍真面目(まじめ)な顔をした。代助はそれぎり黙(だま)つて仕舞つた。門野(かどの)は是より以上通じない男である。是より以上は、いくら行つても、へえ左様(そん)なもんですかなで押し通して澄(す)ましてゐる。此方(こちら)の云ふことが応(こた)へるのだか、応へないのだか丸で要領を得ない。代助は、其所(そこ)が漠然として、刺激が要(い)らなくつて好(い)いと思つて書生に使つてゐるのである。其代り、学校へも行かず、勉強もせず、一日(いつにち)ごろ/\してゐる。君、ちつと、外国語でも研究しちやどうだなどゝ云ふ事がある。すると門野(かどの)は何時(いつ)でも、左様(さう)でせうか、とか、左様(そん)なもんでせうか、とか答(こた)へる丈である。決して為(し)ませうといふ事は口(くち)にしない。又かう、怠惰(なまけ)ものでは、さう判然(はつきり)した答(こたへ)が出来ないのである。代助の方でも、門野(かどの)を教育しに生(うま)れて来(き)た訳でもないから、好加減(いゝかげん)にして放(ほう)つて置く。幸(さいは)ひ頭(あたま)と違(ちが)つて、身体(からだ)の方は善く動(うご)くので、代助はそこを大いに重宝がつてゐる。代助ばかりではない、従来からゐる婆さんも門野(かどの)の御蔭で此頃は大変助かる様になつた。その原因で婆さんと門野(かどの)とは頗る仲(なか)が好(い)い。主人の留守などには、よく二人(ふたり)で話をする。
「先生は一体(いつたい)何(なに)を為(す)る気なんだらうね。小母(おば)さん」
「あの位(くらゐ)になつて入らつしやれば、何(なん)でも出来(でき)ますよ。心配するがものはない」
「心配はせんがね。何(なに)か為(し)たら好(よ)ささうなもんだと思ふんだが」
「まあ奥様でも御貰ひになつてから、緩つくり、御役でも御探(おさが)しなさる御積りなんでせうよ」
「いゝ積(つも)りだなあ。僕も、あんな風に一日(いちんち)本(ほん)を読んだり、音楽を聞きに行つたりして暮(くら)して居たいな」
「御前(おまへ)さんが?」
「本(ほん)は読まんでも好(い)いがね。あゝ云ふ具合に遊んで居たいね」
「夫(それ)はみんな、前世(ぜんせ)からの約束だから仕方がない」
「左様(そん)なものかな」
 まづ斯う云ふ調子である。門野(かどの)が代助の所へ引き移る二週間(かん)前には、此若い独身の主人と、此食客(ゐさうらふ)との間に下の様な会話があつた。

       一の三

「君は何方(どつか)の学校へ行つてるんですか」
「もとは行きましたがな。今は廃(や)めちまいました」
「もと、何処(どこ)へ行つたんです」
「何処(どこ)つて方々(ほう/″\)行きました。然しどうも厭(あ)きつぽいもんだから」
「ぢき厭(いや)になるんですか」
「まあ、左様(さう)ですな」
「で、大(たい)して勉強する考もないんですか」
「えゝ、一寸(ちよつと)有りませんな。それに近頃家(うち)の都合が、あんまり好(よ)くないもんですから」
「家(うち)の婆(ばあ)さんは、あなたの御母(おつか)さんを知つてるんだつてね」
「えゝ、もと、直(ぢき)近所に居たもんですから」
「御母(おつか)さんは矢っ張り……」
「矢っ張りつまらない内職をしてゐるんですが、どうも近頃(ちかごろ)は不景気で、余(あん)まり好(よ)くない様です」
「好(よ)くない様ですつて、君、一所(いつしよ)に居るんぢやないですか」
「一所(いつしよ)に居ることは居ますが、つい面倒だから聞(き)いた事(こと)もありません。何でも能(よ)くこぼしてる様です」
「兄(にい)さんは」
「兄(あに)は郵便局の方へ出てゐます」
「家(うち)は夫(それ)丈ですか」
「まだ弟がゐます。是は銀行の――まあ小使(こづかひ)に少し毛の生えた位な所なんでせう」
「すると遊(あす)んでるのは、君許りぢやないか」
「まあ、左様(そん)なもんですな」
「それで、家(うち)にゐるときは、何をしてゐるんです」
「まあ、大抵寐(ね)てゐますな。でなければ散歩でも為(し)ますかな」
「外(ほか)のものが、みんな稼(かせ)いでるのに、君許り寐てゐるのは苦痛ぢやないですか」
「いえ、左様(さう)でもありませんな」
「家庭が余(よ)つ程円満なんですか」
「別段喧嘩もしませんがな。妙なもんで」
「だつて、御母(おつか)さんや兄(にい)さんから云つたら、一日(いちにち)も早く君に独立して貰(もら)ひたいでせうがね」
「左様(さう)かも知れませんな」
「君は余つ程気楽な性分(しやうぶん)と見える。それが本当の所なんですか」
「えゝ、別に嘘(うそ)を吐(つ)く料簡もありませんな」
「ぢや全くの呑気(のんき)屋なんだね」
「えゝ、まあ呑気(のんき)屋つて云ふもんでせうか」
「兄(にい)さんは何歳(いくつ)になるんです」
「斯(か)うつと、取つて六(ろく)になりますか」
「すると、もう細君でも貰はなくちやならないでせう。兄(にい)さんの細君が出来ても、矢っ張り今の様にしてゐる積ですか」
「其時に為(な)つて見なくつちや、自分でも見当が付きませんが、何(なに)しろ、どうか為(な)るだらうと思つてます」
「其外(そのほか)に親類はないんですか」
「叔母(おば)が一人(ひとり)ありますがな。こいつは今、浜(はま)で運漕業をやつてます」
「叔母(おば)さんが?」
「叔母(おば)が遣(や)つてる訳でもないんでせうが、まあ叔父(おぢ)ですな」
「其所(そこ)へでも頼(たの)んで使つて貰(もら)つちや、どうです。運漕業なら大分人(ひと)が要(い)るでせう」
「根が怠惰(なまけ)もんですからな。大方断わるだらうと思つてるんです」
「さう自任してゐちや困る。実は君の御母(おつか)さんが、家(うち)の婆さんに頼んで、君を僕の宅(うち)へ置いて呉れまいかといふ相談があるんですよ」
「えゝ、何だかそんな事を云つてました」
「君自身は、一体どう云ふ気なんです」
「えゝ、成るべく怠(なま)けない様にして……」
「家(うち)へ来(く)る方が好(い)いんですか」
「まあ、左様(さう)ですな」
「然し寐て散歩する丈ぢや困る」
「そりや大丈夫です。身体(からだ)の方は達者ですから。風呂でも何でも汲みます」
「風呂は水道があるから汲まないでも可(い)い」
「ぢや、掃除でもしませう」
 門野(かどの)は斯う云ふ条件で代助の書生になつたのである。

       一の四

 代助はやがて食事を済まして、烟草を吹(ふ)かし出した。今迄茶箪笥(だんす)の陰(かげ)に、ぽつねんと膝(ひざ)を抱(かゝ)へて柱に倚(よ)り懸(かゝ)つてゐた門野(かどの)は、もう好(い)い時分だと思つて、又主人に質問を掛(か)けた。
「先生、今朝(けさ)は心臓の具合はどうですか」
 此間(このあひだ)から代助の癖を知つてゐるので、幾分か茶化した調子である。
「今日(けふ)はまだ大丈夫だ」
「何だか明日(あした)にも危(あや)しくなりさうですな。どうも先生見た様に身体(からだ)を気にしちや、――仕舞には本当の病気に取(と)つ付(つ)かれるかも知れませんよ」
「もう病気ですよ」
 門野(かどの)は只(たゞ)へえゝと云つた限(ぎり)、代助の光沢(つや)の好(い)い顔色(かほいろ)や肉(にく)の豊(ゆた)かな肩のあたりを羽織の上から眺めてゐる。代助はこんな場合になると何時(いつ)でも此青年を気の毒に思ふ。代助から見ると、此青年の頭(あたま)は、牛(うし)の脳味噌(のうみそ)で一杯詰つてゐるとしか考へられないのである。話(はなし)をすると、平民の通(とほ)る大通りを半町位しか付(つ)いて来(こ)ない。たまに横町へでも曲(まが)ると、すぐ迷児(まいご)になつて仕舞ふ。論理の地盤を竪(たて)に切り下げた坑道などへは、てんから足も踏み込めない。彼(かれ)の神経系に至つては猶更粗末である。恰も荒縄(あらなは)で組み立てられたるかの感が起る。代助は此青年の生活状態を観察して、彼は必竟何の為(ため)に呼吸を敢てして存在するかを怪しむ事さへある。それでゐて彼は平気にのらくらしてゐる。しかも此(この)のらくらを以て、暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、中々得意に振舞(ふるまひ)たがる。其上頑強一点張りの肉体を笠(かさ)に着(き)て、却つて主人の神経的な局所へ肉薄して来(く)る。自分の神経は、自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払ふ租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵的に貴族となつた報(むくひ)に受る不文の刑罰である。是等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に為(な)れた。否、ある時は是等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さへある。門野(かどの)にはそんな事は丸で分らない。
「門野(かどの)さん、郵便は来(き)て居(ゐ)なかつたかね」
「郵便ですか。斯(か)うつと。来(き)てゐました。端書(はがき)と封書が。机の上に置きました。持つて来(き)ますか」
「いや、僕が彼方(あつち)へ行つても可(い)い」
 歯切(はぎ)れのわるい返事なので、門野(かどの)はもう立つて仕舞つた。さうして端書(はがき)と郵便を持つて来た。端書は、今日二時東京着、たゞちに表面へ投宿、取敢へず御報、明日(あす)午前会(あ)ひたし、と薄墨(うすずみ)の走(はし)り書(がき)の簡単極るもので、表に裏神保町の宿屋(やどや)の名(な)と平岡常(ひらをかつね)次郎といふ差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ加減で書いてある。
「もう来(き)たのか、昨日(きのふ)着(つ)いたんだな」と独(ひと)り言(ごと)の様に云ひながら、封書の方を取り上(あ)げると、是は親爺(おやぢ)の手蹟(て)である。二三日前帰つて来(き)た。急ぐ用事でもないが、色々話しがあるから、此手紙が着(つ)いたら来てくれろと書(か)いて、あとには京都の花がまだ早かつたの、急行列車が一杯で窮屈だつた抔といふ閑文字が数行列ねてある。代助は封書を巻きながら、妙な顔をして、両方見較べてゐた。
「君、電話を掛けて呉れませんか。家(うち)へ」
「はあ、御宅(おたく)へ。何(なん)て掛(か)けます」
「今日(けふ)は約束があつて、待(ま)ち合(あは)せる人があるから上(あ)がれないつて。明日(あした)か明後日(あさつて)屹度伺ひますからつて」
「はあ。何方(どなた)に」
「親爺(おやぢ)が旅行から帰つて来(き)て、話があるから一寸(ちよつと)来(こ)いつて云ふんだが、――何(なに)親爺(おやぢ)を呼(よ)び出さないでも可(い)いから、誰(だれ)にでも左様(さう)云つて呉(く)れ給へ」
「はあ」
 門野(かどの)は無雑作に出(で)て行つた。代助は茶の間(ま)から、座敷を通(とほ)つて書斎へ帰つた。見ると、奇麗に掃除(さうじ)が出来てゐる。落椿(おちつばき)も何所(どこ)かへ掃(は)き出されて仕舞つた。代助は花瓶(くわへい)の右手(みぎて)にある組(く)み重(かさ)ねの書棚(しよだな)の前(まへ)へ行つて、上(うへ)に載せた重い写真帖を取り上(あ)げて、立(た)ちながら、金(きん)の留金(とめがね)を外(はづ)して、一枚二枚と繰(く)り始めたが、中頃迄来(き)てぴたりと手(て)を留(と)めた。其所(そこ)には廿歳(はたち)位の女の半身(はんしん)がある。代助は眼(め)を俯せて凝(じつ)と女の顔を見詰めてゐた。

       二の一

 着物(きもの)でも着換(きか)へて、此方(こつち)から平岡(ひらをか)の宿(やど)を訪(たづ)ね様かと思つてゐる所へ、折よく先方(むかふ)から遣(や)つて来(き)た。車(くるま)をがら/\と門前迄乗り付けて、此所(こゝ)だ/\と梶(かぢ)棒を下(おろ)さした声は慥(たし)かに三年前分(わか)れた時そつくりである。玄関で、取次(とりつぎ)の婆さんを捕(つら)まへて、宿(やど)へ蟇口(がまぐち)を忘れて来(き)たから、一寸(ちよつと)二十銭借してくれと云つた所などは、どうしても学校時代の平岡を思ひ出さずにはゐられない。代助は玄関迄馳(か)け出して行つて、手を執(と)らぬ許りに旧友を座敷へ上(あ)げた。
「何(ど)うした。まあ緩(ゆつ)くりするが好(い)い」
「おや、椅子(いす)だね」と云ひながら平岡は安楽椅子(いす)へ、どさりと身体(からだ)を投(な)げ掛(か)けた。十五貫目以上もあらうと云ふわが肉(にく)に、三文の価値(ねうち)を置いてゐない様な扱(あつ)かひ方(かた)に見えた。それから椅子(いす)の脊(せ)に坊主頭(ぼうずあたま)を靠(も)たして、一寸(ちよつと)部屋の中(うち)を見廻しながら、
「中々(なか/\)、好(い)い家(うち)だね。思つたより好(い)い」と賞(ほ)めた。代助は黙(だま)つて巻莨入(まきたばこいれ)の蓋(ふた)を開(あ)けた。
「それから、以後(いご)何(ど)うだい」
「何(ど)うの、斯(か)うのつて、――まあ色々(いろ/\)話すがね」
「もとは、よく手紙が来(き)たから、様子が分(わか)つたが、近頃ぢや些(ちつ)とも寄(よこ)さないもんだから」
「いや何所(どこ)も彼所(かしこ)も御無沙汰で」と平岡は突然(とつぜん)眼鏡(めがね)を外(はづ)して、脊広の胸から皺だらけの手帛(ハンケチ)を出して、眼(め)をぱち/\させながら拭(ふ)き始めた。学校時代からの近眼である。代助は凝(じつ)と其様子を眺めてゐた。
「僕より君はどうだい」と云ひながら、細(ほそ)い蔓(つる)を耳(みゝ)の後(うしろ)へ絡(から)みつけに、両手で持つて行つた。
「僕は相変らずだよ」
「相変らずが一番好(い)いな。あんまり相変るものだから」
 そこで平岡(ひらをか)は八(はち)の字(じ)を寄(よ)せて、庭の模様を眺め出(だ)したが、不意に語調を更(か)へて、
「やあ、桜(さくら)がある。今漸やく咲き掛けた所だね。余程気候が違ふ」と云つた。話の具合が何だか故(もと)の様にしんみりしない。代助も少し気の抜(ぬ)けた風に、
「向ふは大分暖(あつた)かいだらう」と序(ついで)同然の挨拶をした。すると、今度は寧ろ法外(ぐわい)に熱(ねつ)した具合で、
「うん、大分暖かい」と力の這入つた返事があつた。恰も自己の存在を急に意識して、はつと思つた調子である。代助は又平岡の顔を眺めた。平岡は巻莨(まきたばこ)に火を点(つ)けた。其時婆さんが漸く急須(きうす)に茶を注(い)れて持つて出た。今しがた鉄瓶に水(みづ)を射(さ)して仕舞つたので、煮立(にたて)るのに暇(ひま)が入つて、つい遅(おそ)くなつて済(す)みませんと言訳をしながら、洋卓(テーブル)の上(うへ)へ盆(ぼん)を載せた。二人(ふたり)は婆(ばあ)さんの喋舌(しやべつ)てる間(あひだ)、紫檀の盆(ぼん)を見(み)て黙(だま)つてゐた。婆さんは相手にされないので、独(ひと)りで愛想笑ひをして座敷を出(で)た。
「ありや何(なん)だい」
「婆(ばあ)さんさ。雇(やと)つたんだ。飯(めし)を食(く)はなくつちやならないから」
「御世辞が好(い)いね」
 代助は赤い唇(くちびる)の両端(はし)を、少し弓(ゆみ)なりに下(した)の方へ彎(ま)げて蔑(さげす)む様に笑つた。
「今迄斯んな所へ奉公した事がないんだから仕方がない」
「君の家(うち)から誰(だれ)か連(つ)れて呉れば好(い)いのに。大勢(おほぜい)ゐるだらう」
「みんな若(わか)いの許りでね」と代助は真面目(まじめ)に答へた。平岡は此時始めて声を出して笑つた。
「若(わか)けりや猶結構ぢやないか」
「兎に角家(うち)の奴(やつ)は好(よ)くないよ」
「あの婆(ばあ)さんの外(ほか)に誰(だれ)かゐるのかい」
「書生が一人(ひとり)ゐる」
 門野(かどの)は何時(いつ)の間(ま)にか帰つて、台所(だいどころ)の方で婆さんと話(はなし)をしてゐた。
「それ限(ぎ)りかい」
「それ限(ぎ)りだ。何故(なぜ)」
「細君はまだ貰(もら)はないのかい」
 代助は心持赤い顔をしたが、すぐ尋常一般の極めて平凡な調子になつた。
「妻(さい)を貰つたら、君の所へ通知位(ぐらゐ)する筈ぢやないか。夫(それ)よりか君の」と云ひかけて、ぴたりと已めた。

       二の二

 代助と平岡とは中学時代からの知り合で、殊に学校を卒業して後(のち)、一年間といふものは、殆んど兄弟の様に親しく往来した。其時分は互に凡てを打ち明けて、互に力(ちから)に為(な)り合(あ)ふ様なことを云ふのが、互に娯楽の尤もなるものであつた。この娯楽が変じて実行となつた事も少なくないので、彼等は双互の為めに口(くち)にした凡ての言葉には、娯楽どころか、常に一種の犠牲を含んでゐると確信してゐた。さうして其犠牲を即座に払へば、娯楽の性質が、忽然苦痛に変ずるものであると云ふ陳腐な事実にさへ気が付かずにゐた。一年の後平岡は結婚した。同時に、自分の勤(つと)めてゐる銀行の、京坂地方のある支店詰になつた。代助は、出立(しつたつ)の当時、新夫婦を新橋の停車場に送つて、愉快さうに、直(ぢき)帰つて来給(きたま)へと平岡の手を握つた。平岡は、仕方がない、当分辛抱するさと打遣る様に云つたが、其眼鏡(めがね)の裏には得意の色が羨ましい位動いた。それを見た時、代助は急に此友達を憎らしく思つた。家(うち)へ帰つて、一日(いちにち)部屋に這入つたなり考へ込んでゐた。嫂(あによめ)を連れて音楽会へ行く筈(はづ)の所を断わつて、大いに嫂(あによめ)に気を揉ました位である。
 平岡からは断えず音信(たより)があつた。安着の端書(はがき)、向ふで世帯を持つた報知、それが済むと、支店勤務の模様、自己将来の希望、色々あつた。手紙の来(く)るたびに、代助は何時(いつ)も丁寧な返事を出した。不思議な事に、代助が返事を書(か)くときは、何時(いつ)でも一種の不安に襲はれる。たまには我慢するのが厭(いや)になつて、途中で返事を已めて仕舞ふ事がある。たゞ平岡の方から、自分の過去の行為に対して、幾分か感謝の意を表して来(く)る場合に限つて、安々(やす/\)と筆が動いて、比較的なだらかな返事が書けた。
 そのうち段々手紙の遣(や)り取りが疎遠になつて、月に二遍が、一遍になり、一遍が又二(ふた)月、三(み)月に跨がる様に間(あひだ)を置(お)いて来(く)ると、今度は手紙を書(か)かない方が、却つて不安になつて、何の意味もないのに、只この感じを駆逐する為(ため)に封筒の糊(のり)を湿(しめ)す事があつた。それが半年ばかり続くうちに、代助の頭(あたま)も胸(むね)も段々組織が変つて来(く)る様に感ぜられて来(き)た。此変化に伴(ともな)つて、平岡へは手紙を書(か)いても書(か)かなくつても、丸で苦痛を覚えない様になつて仕舞つた。現(げん)に代助が一戸を構へて以来、約一年余と云ふものは、此春(このはる)年賀状の交換のとき、序を以て、今の住所を知らした丈である。
 それでも、ある事情があつて、平岡の事は丸で忘れる訳には行かなかつた。時々(とき/″\)思ひ出(だ)す。さうして今頃は何(ど)うして暮(くら)してゐるだらうと、色々に想像して見る事がある。然したゞ思ひ出す丈で、別段問ひ合せたり聞き合せたりする程に、気を揉む勇気も必要もなく、今日迄過(すご)して来(き)た所へ、二週間前に突然平岡からの書信が届いたのである。其手紙には近々当地を引き上(あ)げて、御地へまかり越す積りである。但し本店からの命令で、栄転の意味を含んだ他動的の進退と思つてくれては困る。少し考があつて、急に職業替をする気になつたから、着京の上は何分(なにぶん)宜しく頼(たの)むとあつた。此何分宜しく頼(たの)むの頼(たの)むは本当の意味の頼(たの)むか、又は単に辞令上の頼(たの)むか不明だけれども、平岡の一身上に急劇な変化のあつたのは争ふべからざる事実である。代助は其時はつと思つた。
 それで、逢(あ)ふや否や此変動の一部始終を聞かうと待設けて居たのだが、不幸にして話が外(そ)れて容易に其所(そこ)へ戻(もど)つて来(こ)ない。折を見て此方(こつち)から持ち掛けると、まあ緩(ゆ)つくり話すとか何とか云つて、中々(なか/\)埒(らち)を開(あ)けない。代助は仕方(しかた)なしに、仕舞に、
「久(ひさ)し振(ぶ)りだから、其所(そこ)いらで飯(めし)でも食はう」と云ひ出した。平岡は、それでも、まだ、何(いづ)れ緩(ゆつ)くりを繰返したがるのを、無理に引張つて、近所の西洋料理へ上(あが)つた。

       二の三

 両人(ふたり)は其所(そこ)で大分(だいぶ)飲(の)んだ。飲(の)む事(こと)と食(く)ふ事は昔(むかし)の通りだねと言(い)つたのが始(はじま)りで、硬(こわ)い舌(した)が段々(だんだん)弛(ゆる)んで来(き)た。代助は面白さうに、二三日前(まへ)自分の観(み)に行つた、ニコライの復活祭の話をした。御祭(おまつり)が夜(よ)の十二時を相図に、世の中の寐鎮(ねしづ)まる頃を見計(みはから)つて始(はじま)る。参詣(さんけい)人が長い廊下を廻(まは)つて本堂へ帰つて来(く)ると、何時(いつ)の間(ま)にか幾千本(いくせんぼん)の蝋燭が一度(いちど)に点(つ)いてゐる。法衣(ころも)を着(き)た坊主が行列して向ふを通るときに、黒(くろ)い影(かげ)が、無地(むぢ)の壁(かべ)へ非常に大きく映(うつ)る。――平岡は頬杖を突(つ)いて、眼鏡(めがね)の奥の二重瞼(ふたへまぶち)を赤くしながら聞いてゐた。代助はそれから夜の二時頃広(ひろ)い御成(おなり)街道を通(とほ)つて、深夜(しんや)の鉄軌(レール)が、暗(くら)い中(なか)を真直(まつすぐ)に渡(わた)つてゐる上(うへ)を、たつた一人(ひとり)上野(うへの)の森(もり)迄来(き)て、さうして電燈に照らされた花(はな)の中(なか)に這入(はい)つた。
「人気(ひとけ)のない夜桜(よざくら)は好(い)いもんだよ」と云つた。平岡は黙(だま)つて盃(さかづき)を干(ほ)したが、一寸(ちよつと)気の毒さうに口元(くちもと)を動(うご)かして、
「好(い)いだらう、僕はまだ見た事がないが。――然し、そんな真似(まね)が出来(でき)る間(あひだ)はまだ気楽なんだよ。世の中(なか)へ出(で)ると、中々(なか/\)それ所(どころ)ぢやない」と暗に相手の無経験を上から見た様な事を云つた。代助には其調子よりも其返事の内容が不合理に感ぜられた。彼は生活上世渡りの経験よりも、復活祭当夜の経験の方が、人生に於て有意義なものと考へてゐる。其所(そこ)でこんな答をした。
「僕は所謂処世上の経験程愚なものはないと思つてゐる。苦痛がある丈ぢやないか」
 平岡は酔つた眼(め)を心持大きくした。
「大分(だいぶ)考へが違(ちが)つて来(き)た様だね。――けれども其苦痛が後(あと)から薬(くすり)になるんだつて、もとは君の持説ぢやなかつたか」
「そりや不見識な青年が、流俗の諺(ことわざ)に降参して、好加減な事を云つてゐた時分の持説だ。もう、とつくに撤回しちまつた」
「だつて、君だつて、もう大抵世の中(なか)へ出(で)なくつちやなるまい。其時それぢや困るよ」
「世の中(なか)へは昔(むかし)から出(で)てゐるさ。ことに君と分(わか)れてから、大変世の中が広(ひろ)くなつた様な気がする。たゞ君の出(で)てゐる世(よ)の中(なか)とは種類が違(ちが)ふ丈だ」
「そんな事を云つて威張つたつて、今に降参する丈だよ」
「無論食ふに困る様になれば、何時(いつ)でも降参するさ。然し今日に不自由のないものが、何を苦しんで劣等な経験を嘗(な)めるものか。印度人が外套を着て、冬の来た時の用心をすると同じ事だもの」
 平岡の眉の間(あひだ)に、一寸(ちよつと)不快の色が閃(ひら)めいた。赤い眼(め)を据ゑてぷか/\烟草(たばこ)を吹かしてゐる。代助は、ちと云ひ過ぎたと思つて、少(すこ)し調子を穏(おだ)やかにした。――
「僕の知つたものに、丸で音楽の解(わか)らないものがある。学校の教師をして、一軒ぢや飯(めし)が食(く)へないもんだから、三軒も四軒も懸け持をやつてゐるが、そりや気の毒なもんで、下読(したよみ)をするのと、教場へ出(で)て器械的に口(くち)を動(うご)かしてゐるより外に全く暇(ひま)がない。たまの日曜抔は骨休めとか号して一日ぐう/\寐てゐる。だから何所(どこ)に音楽会があらうと、どんな名人が外国から来(き)やうと聞(きゝ)に行く機会がない。つまり楽(がく)といふ一種の美くしい世界には丸で足を踏み込まないで死んで仕舞はなくつちやならない。僕から云はせると、是程憐れな無経験はないと思ふ。麺麭(ぱん)に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭(ぱん)を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくつちや人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊っちやんだと考へてるらしいが、僕の住んでゐる贅沢な世界では、君よりずつと年長者の積りだ」
 平岡は巻莨(まきたばこ)の灰を、皿(さら)の上(うへ)にはたきながら、沈(しづ)んだ暗(くら)い調子で、
「うん、何時(いつ)迄もさう云ふ世界に住んでゐられゝば結構さ」と云つた。其重(おも)い言葉の足(あし)が、富(とみ)に対する一種の呪咀を引(ひ)き摺(ず)つてゐる様に聴(きこ)えた。

       二の四

 両人(ふたり)は酔(よ)つて、戸外(おもて)へ出(で)た。酒(さけ)の勢で変な議論をしたものだから、肝心の一身上の話はまだ少しも発展せずにゐる。
「少(すこ)し歩(ある)かないか」と代助が誘(さそ)つた。平岡も口(くち)程忙(いそ)がしくはないと見えて、生返事(なまへんじ)をしながら、一所に歩(ほ)を運(はこ)んで来(き)た。通(とほり)を曲(まが)つて横町へ出(で)て、成る可(べ)く、話(はなし)の為好(しい)い閑(しづか)な場所を撰んで行くうちに、何時(いつ)か緒口(いとくち)が付(つ)いて、思ふあたりへ談柄(だんぺい)が落ちた。
 平岡の云ふ所によると、赴任の当時彼は事務見習のため、地方の経済状況取調のため、大分忙がしく働らいて見た。出来得るならば、学理的に実地の応用を研究しやうと思つた位であつたが、地位が夫程高くないので、已を得ず、自分の計画は計画として未来の試験用に頭(あたま)の中(なか)に入れて置いた。尤も始めのうちは色々支店長に建策した事もあるが、支店長は冷然として、何時(いつ)も取り合はなかつた。六(む)※[#小書き濁点付き平仮名つ、25-10]かしい理窟抔を持ち出すと甚だ御機嫌が悪(わる)い。青二才に何が分るものかと云ふ様な風をする。其癖自分は実際何も分(わか)つて居ないらしい。平岡から見ると、其相手にしない所が、相手にするに足らないからではなくつて、寧ろ相手にするのが怖(こわ)いからの様に思はれた。其所(そこ)に平岡の癪はあつた。衝突しかけた事(こと)も一度(いちど)や二度(にど)ではない。
 けれども、時日(じじつ)を経過するに従つて、肝癪が何時(いつ)となく薄らいできて、次第に自分の頭(あたま)が、周囲の空気と融和する様になつた。又成るべくは、融和する様に力(つと)めた。それにつれて、支店長の自分に対する態度も段々変つて来(き)た。時々(とき/″\)は向ふから相談をかける事さへある。すると学校を出(で)たての平岡でないから、先方(むかふ)に解(わか)らない、且つ都合のわるいことは成るべく云はない様にして置く。
「無暗に御世辞を使つたり、胡麻を摺(す)るのとは違ふが」と平岡はわざ/\断つた。代助は真面目(まじめ)な顔をして、「そりや無論さうだらう」と答へた。
 支店長は平岡の未来(みらい)の事に就て、色々(いろ/\)心配してくれた。近いうちに本店に帰る番に中(あた)つてゐるから、其時(そのとき)は一所に来(き)給へ抔(など)と冗談半分に約束迄した。其頃(そのころ)は事務(じむ)にも慣(な)れるし、信用も厚くなるし、交際も殖えるし、勉強をする暇(ひま)が自然となくなつて、又勉強が却つて実務の妨(さまたげ)をする様に感ぜられて来(き)た。
 支店長が、自分に万事を打ち明ける如く、自分は自分の部下の関(せき)といふ男を信任して、色々と相談相手にして居つた。所(ところ)が此男がある芸妓と関係(かゝりあ)つて、何時(いつ)の間(ま)にか会計に穴を明(あ)けた。それが曝露(ばくろ)したので、本人は無論解雇しなければならないが、ある事情からして、放(ほう)つて置くと、支店長に迄多少の煩(わづらひ)が及んで来(き)さうだつたから、其所(そこ)で自分が責を引いて辞職を申し出(で)た。
 平岡の語る所は、ざつと斯うであるが、代助には彼が支店長から因果を含められて、所決を促がされた様にも聞えた。それは平岡の話しの末に「会社員なんてものは、上(うへ)になればなる程旨(うま)い事が出来(でき)るものでね。実は関(せき)なんて、あれつ許(ばかり)の金を使ひ込んで、すぐ免職になるのは気の毒な位なものさ」といふ句があつたのから推したのである。
「ぢや支店長は一番旨(うま)い事をしてゐる訳だね」と代助が聞いた。
「或はそんなものかも知れない」と平岡は言葉を濁(にご)して仕舞つた。
「それで其男の使ひ込んだ金(かね)は何(ど)うした」
「千(せん)に足(た)らない金(かね)だつたから、僕が出して置(お)いた」
「よく有(あ)つたね。君も大分旨(うま)い事をしたと見える」
 平岡(ひらをか)は苦(にが)い顔をして、ぢろりと代助を見た。
「旨(うま)い事(こと)をしたと仮定しても、皆(みんな)使つて仕舞つてゐる。生活(くらし)にさへ足りない位だ。其金は借(か)りたんだよ」
「さうか」と代助は落ち付き払つて受けた。代助は何(ど)んな時でも平生の調子を失はない男である。さうして其調子には低(ひく)く明(あき)らかなうちに一種の丸味(まるみ)が出てゐる。
「支店長から借(か)りて埋(う)めて置いた」
「何故(なぜ)支店長がぢかに其関(せき)とか何とか云ふ男に貸して遣(や)らないのかな」
 平岡(ひらをか)は何とも答へなかつた。代助も押しては聞かなかつた。二人(ふたり)は無言の儘しばらくの間(あひだ)並(なら)んで歩(ある)いて行つた。

       二の五

 代助は平岡(ひらをか)が語(かた)つたより外(ほか)に、まだ何(なに)かあるに違(ちがひ)ないと鑑定した。けれども彼はもう一歩進んで飽迄其真相を研究する程の権利を有(も)つてゐないことを自覚してゐる。又そんな好奇心を引き起すには、実際あまり都会化し過ぎてゐた。二十世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのに既に nil(ニル) admirari(アドミラリ) の域に達して仕舞つた。彼の思想は、人間の暗黒面に出逢つて喫驚(びつくり)する程の山出(やまだし)ではなかつた。彼(かれ)の神経は斯様に陳腐な秘密を嗅(か)いで嬉しがる様に退屈を感じてはゐなかつた。否、是より幾倍か快よい刺激でさへ、感受するを甘んぜざる位、一面から云へば、困憊してゐた。
 代助は平岡のそれとは殆んど縁故のない自家特有の世界の中(なか)で、もう是程に進化――進化の裏面を見ると、何時(いつ)でも退化であるのは、古今を通じて悲しむべき現象だが――してゐたのである。それを平岡は全く知らない。代助をもつて、依然として旧態を改めざる三年前の初心(うぶ)と見てゐるらしい。かう云ふ御坊つちやんに、洗(あら)ひ浚(ざら)ひ自分の弱点を打(う)ち明(あ)けては、徒(いたづ)らに馬糞(まぐそ)を投(な)げて、御嬢さまを驚ろかせると同結果に陥いり易い。余計な事をして愛想(あいそ)を尽(つ)かされるよりは黙(だま)つてゐる方が安全だ。――代助には平岡の腹が斯(か)う取(と)れた。それで平岡が自分に返事もせずに無言(むごん)で歩(ある)いて行くのが、何となく馬鹿らしく見えた。平岡が代助を小供視(こどもし)する程度に於て、あるひは其(そ)れ以上の程度に於て、代助は平岡を小供視(こどもし)し始(はじ)めたのである。けれども両人(ふたり)が十五六間過(す)ぎて、又話(はなし)を遣(や)り出した時は、どちらにも、そんな痕迹は更(さら)になかつた。最初に口(くち)を切つたのは代助であつた。
「それで、是(これ)から先(さき)何(ど)うする積(つもり)かね」
「さあ」
「矢っ張り今迄の経験もあるんだから、同じ職業が可(い)いかも知れないね」
「さあ。事情次第だが。実は緩(ゆつ)くり君に相談して見様と思つてゐたんだが。何(ど)うだらう、君(きみ)の兄(にい)さんの会社の方に口(くち)はあるまいか」
「うん、頼(たの)んで見様、二三日内(うち)に家(うち)へ行く用があるから。然し何(ど)うかな」
「もし、実業の方が駄目なら、どつか新聞へでも這入らうかと思ふ」
「夫(それ)も好(い)いだらう」
 両人(ふたり)は又電車の通る通(とほり)へ出(で)た。平岡は向ふから来(き)た電車の軒(のき)を見てゐたが、突然是に乗つて帰ると云ひ出(だ)した。代助はさうかと答へた儘、留(と)めもしない、と云つて直(すぐ)分れもしなかつた。赤い棒の立つてゐる停留所迄歩(ある)いて来(き)た。そこで、
「三千代(みちよ)さんは何(ど)うした」と聞(き)いた。
「難有う、まあ相変らずだ。君に宜(よろ)しく云つてゐた。実は今日(けふ)連(つ)れて来(き)やうと思つたんだけれども、何だか汽車に揺(ゆ)れたんで頭(あたま)が悪(わる)いといふから宿(やど)屋へ置いて来(き)た」
 電車が二人(ふたり)の前で留(と)まつた。平岡は二三歩早足(はやあし)に行きかけたが、代助から注意されて已めた。彼(かれ)の乗るべき車はまだ着(つ)かなかつたのである。
「子供は惜(お)しい事をしたね」
「うん。可哀想な事をした。其節は又御叮嚀に難有う。どうせ死ぬ位なら生れない方が好(よ)かつた」
「其後(ご)は何(ど)うだい。まだ後(あと)は出来ないか」
「うん、未(ま)だにも何にも、もう駄目(だめ)だらう。身体(からだ)があんまり好(よ)くないものだからね」
「こんなに動く時は小供のない方が却つて便利で可(い)いかも知れない」
「夫(それ)もさうさ。一層(いつそ)君の様に一人身(ひとりみ)なら、猶の事、気楽で可(い)いかも知れない」
「一人身(ひとりみ)になるさ」
「冗談云つてら――夫よりか、妻(さい)が頻りに、君はもう奥さんを持つたらうか、未(ま)だだらうかつて気にしてゐたぜ」
 所へ電車が来(き)た。

       三の一

 代助(だいすけ)の父(ちゝ)は長井得(ながゐとく)といつて、御維新のとき、戦争に出(で)た経験のある位な老人であるが、今でも至極達者に生きてゐる。役人を已(や)めてから、実業界に這入つて、何(なに)か彼(かに)かしてゐるうちに、自然と金が貯(たま)つて、此十四五年来は大分(だいぶん)の財産家になつた。
 誠吾(せいご)と云ふ兄(あに)がある。学校を卒業してすぐ、父(ちゝ)の関係してゐる会社へ出(で)たので、今では其所(そこ)で重要な地位を占める様になつた。梅子といふ夫人に、二人(ふたり)の子供(こども)が出来た。兄は誠太郎と云つて十五になる。妹は縫(ぬひ)といつて三つ違である。
 誠吾(せいご)の外に姉がまだ一人(ひとり)あるが、是はある外交官に嫁いで、今は夫(おつと)と共に西洋にゐる。誠吾(せいご)と此姉の間にもう一人(ひとり)、それから此姉と代助の間にも、まだ一人(ひとり)兄弟があつたけれども、それは二人(ふたり)とも早く死んで仕舞つた。母も死んで仕舞つた。
 代助の一家(いつけ)は是丈の人数(にんず)から出来上(できあが)つてゐる。そのうちで外(そと)へ出(で)てゐるものは、西洋に行つた姉と、近頃(ちかごろ)一戸を構へた代助ばかりだから、本家(ほんけ)には大小合せて四人(よつたり)残る訳になる。
 代助は月に一度(いちど)は必ず本家(ほんけ)へ金(かね)を貰ひに行く。代助は親(おや)の金(かね)とも、兄(あに)の金ともつかぬものを使(つか)つて生きてゐる。月(つき)に一度の外(ほか)にも、退屈になれば出掛けて行く。さうして子供に調戯(からか)つたり、書生と五目並(ごもくならべ)をしたり、嫂(あによめ)と芝居の評をしたりして帰つて来(く)る。
 代助は此嫂(あによめ)を好(す)いてゐる。此嫂(あによめ)は、天保調と明治の現代調を、容赦なく継(つ)ぎ合(あは)せた様な一種の人物である。わざ/\仏蘭西(ふらんす)にゐる義妹(いもうと)に注文して、六づかしい名のつく、頗る高価な織物(おりもの)を取寄せて、それを四五人で裁(た)つて、帯に仕立てゝ着(き)て見たり何(なに)かする。後(あと)で、それは日本から輸出したものだと云ふ事が分つて大笑ひになつた。三越陳列所へ行つて、それを調べて来たものは代助である。夫(それ)から西洋の音楽が好(す)きで、よく代助に誘ひ出されて聞(きゝ)に行く。さうかと思ふと易断(うらなひ)に非常な興味を有(も)つてゐる。石龍子(せきりうし)と尾島某(おじまなにがし)を大いに崇拝する。代助も二三度御相伴(しようばん)に、俥(くるま)で易者(えきしや)の許(もと)迄食付(くつつ)いて行つた事がある。
 誠太郎と云ふ子は近頃ベースボールに熱中してゐる。代助が行つて時々(とき/″\)球(たま)を投(な)げてやる事がある。彼は妙な希望を持つた子供である。毎年(まいとし)夏(なつ)の初めに、多くの焼芋(やきいも)屋が俄然として氷水(こほりみづ)屋に変化するとき、第一番に馳けつけて、汗も出ないのに、氷菓(アイスクリーム)を食(く)ふものは誠太郎である。氷菓(アイスクリーム)がないときには、氷水(こほりみづ)で我慢する。さうして得意になつて帰つて来(く)る。近頃では、もし相撲の常設館が出来たら、一番先(さき)へ這入つて見たいと云つてゐる。叔父(おぢ)さん誰(だれ)か相撲を知りませんかと代助に聞いた事がある。
 縫(ぬひ)といふ娘(むすめ)は、何か云ふと、好(よ)くつてよ、知らないわと答へる。さうして日に何遍となくリボンを掛け易へる。近頃は□イオリンの稽古に行く。帰つて来(く)ると、鋸(のこぎり)の目立(めた)ての様な声を出して御浚ひをする。たゞし人が見てゐると決して遣(や)らない。室(へや)を締(し)め切(き)つて、きい/\云はせるのだから、親(おや)は可なり上手だと思つてゐる。代助丈が時々(とき/″\)そつと戸を明(あ)けるので、好(よ)くつてよ、知らないわと叱(しか)られる。
 兄(あに)は大抵不在勝(がち)である。ことに忙(いそ)がしい時になると、家(うち)で食(く)ふのは朝食(あさめし)位なもので、あとは、何(ど)うして暮(くら)してゐるのか、二人(ふたり)の子供には全く分(わか)らない。同程度に於て代助にも分らない。是は分(わか)らない方が好(この)ましいので、必要のない限(かぎ)りは、兄(あに)の日々の戸外(こぐわい)生活に就て決して研究しないのである。
 代助は二人(ふたり)の子供に大変人望がある。嫂(あによめ)にも可(か)なりある。兄(あに)には、あるんだか、ないんだか分(わか)らない。会(たま)に兄(あに)と弟(おとゝ)が顔を合せると、たゞ浮世(うきよ)話をする。双方とも普通の顔で、大いに平気で遣(や)つてゐる。陳腐に慣(な)れ抜(ぬ)いた様子である。

       三の二

 代助の尤(もつと)も応(こた)へるのは親爺(おやぢ)である。好(い)い年(とし)をして、若(わか)い妾(めかけ)を持(も)つてゐるが、それは構(かま)はない。代助から云(い)ふと寧ろ賛成な位なもので、彼(かれ)は妾(めかけ)を置く余裕のないものに限(かぎ)つて、蓄妾(ちくしよう)の攻撃をするんだと考へてゐる。親爺(おやぢ)は又大分(だいぶ)の八釜(やかま)し屋(や)である。小供のうちは心魂(しんこん)に徹(てつ)して困却した事がある。しかし成人(せいじん)の今日(こんにち)では、それにも別段辟易する必要を認(みと)めない。たゞ応(こた)へるのは、自分の青年時代と、代助の現今とを混同して、両方共大(たい)した変りはないと信じてゐる事である。それだから、自分の昔し世に処(しよ)した時の心掛(こゝろが)けでもつて、代助も遣(や)らなくつては、嘘(うそ)だといふ論理になる。尤も代助の方では、何(なに)が嘘(うそ)ですかと聞き返した事がない。だから決して喧嘩にはならない。代助は小供の頃非常な肝癪持で、十八九の時分親爺(おやぢ)と組打をした事が一二返ある位だが、成長して学校を卒業して、しばらくすると、此肝癪がぱたりと已(や)んで仕舞つた。それから以後ついぞ怒(おこ)つた試(ため)しがない。親爺(おやぢ)はこれを自分の薫育の効果と信じてひそかに誇(ほこ)つてゐる。
 実際を云ふと親爺(おやぢ)の所謂薫育は、此父子の間(あひだ)に纏綿する暖(あたゝ)かい情味を次第に冷却せしめた丈である。少なくとも代助はさう思つてゐる。所が親爺(おやぢ)の腹のなかでは、それが全く反対(あべこべ)に解釈されて仕舞つた。何(なに)をしやうと血肉(けつにく)の親子(おやこ)である。子が親(おや)に対する天賦の情合(あひ)が、子を取扱ふ方法の如何に因つて変る筈(はづ)がない。教育の為(た)め、少しの無理はしやうとも、其結果は決して骨肉の恩愛に影響を及ぼすものではない。儒教の感化を受けた親爺(おやぢ)は、固く斯う信じてゐた。自分が代助に存在を与へたといふ単純な事実が、あらゆる不快苦痛に対して、永久愛情の保証になると考へた親爺(おやぢ)は、その信念をもつて、ぐん/\押して行つた。さうして自分に冷淡な一個の息子(むすこ)を作り上(あ)げた。尤も代助の卒業前後からは其待遇法も大分変つて来(き)て、ある点から云へば、驚ろく程寛大になつた所もある。然しそれは代助が生(うま)れ落ちるや否や、此親爺(おやぢ)が代助に向つて作つたプログラムの一部分の遂行に過ぎないので、代助の心意の変移を見抜いた適宜の処置ではなかつたのである。自分の教育が代助に及ぼした悪結果に至つては、今に至つて全く気が付かずにゐる。
 親爺(おやぢ)は戦争に出(で)たのを頗る自慢にする。稍(やゝ)もすると、御前(まへ)抔はまだ戦争をした事がないから、度胸が据(すわ)らなくつて不可(いか)んと一概にけなして仕舞ふ。恰も度胸が人間(にんげん)至上な能力であるかの如き言草(いひぐさ)である。代助はこれを聞(き)かせられるたんびに厭(いや)な心持がする。胆力は命(いのち)の遣(や)り取(と)りの劇(はげ)しい、親爺(おやぢ)の若い頃の様な野蛮時代にあつてこそ、生存に必要な資格かも知れないが、文明の今日から云へば、古風な弓術撃剣の類(たぐひ)と大差はない道具と、代助は心得てゐる。否、胆力とは両立し得ないで、しかも胆力以上に難有がつて然るべき能力が沢山ある様に考へられる。御父(おとう)さんから又胆力の講釈を聞いた。御父(おとう)さんの様に云ふと、世の中(なか)で石地蔵が一番偉(えら)いことになつて仕舞ふ様だねと云つて、嫂(あによめ)と笑つた事がある。
 斯う云ふ代助は無論臆病である。又臆病で恥づかしいといふ気は心(しん)から起らない。ある場合には臆病を以て自任したくなる位である。子供の時、親爺(おやぢ)の使嗾で、夜中(よなか)にわざ/\青山(あをやま)の墓地迄出掛けた事がある。気味のわるいのを我慢して一時間も居たら、たまらなくなつて、蒼青な顔をして家(うち)へ帰つて来(き)た。其折は自分でも残念に思つた。あくる朝(あさ)親爺(おやぢ)に笑はれたときは、親爺(おやぢ)が憎(にく)らしかつた。親爺(おやぢ)の云ふ所によると、彼(かれ)と同時代の少年は、胆力修養の為(た)め、夜半(やはん)に結束(けつそく)して、たつた一人(ひとり)、御城(しろ)の北(きた)一里にある剣(つるぎ)が峰(みね)の天頂(てつぺん)迄登(のぼ)つて、其所(そこ)の辻堂で夜明(よあかし)をして、日の出(で)を拝(おが)んで帰(かへ)つてくる習慣であつたさうだ。今の若いものとは心得方(かた)からして違ふと親爺が批評した。
 斯んな事を真面目(まじめ)に口(くち)にした、又今でも口(くち)にしかねまじき親爺(おやぢ)は気の毒なものだと、代助は考へる。彼は地震が嫌(きらひ)である。瞬間の動揺でも胸(むね)に波(なみ)が打(う)つ。あるときは書斎で凝(じつ)と坐(すは)つてゐて、何かの拍子に、あゝ地震が遠くから寄せて来(く)るなと感ずる事がある。すると、尻の下に敷(し)いてゐる坐蒲団も、畳(たゝみ)も、乃至床(ゆか)板も明らかに震(ふる)へる様に思はれる。彼(かれ)はこれが自分の本来だと信じてゐる。親爺(おやぢ)の如きは、神経未熟(みじゆく)の野人か、然らずんば己(おの)れを偽(いつ)はる愚者としか代助には受け取れないのである。

       三の三

 代助は今(いま)此(この)親爺(おやぢ)と対坐してゐる。廂(ひさし)の長い小(ちい)さな部屋なので、居(ゐ)ながら庭(には)を見ると、廂(ひさし)の先(さき)で庭(には)が仕切(しき)られた様な感がある。少(すく)なくとも空(そら)は広(ひろ)く見えない。其代り静(しづ)かで、落ち付いて、尻(しり)の据(すわ)り具合が好(い)い。
 親爺(おやぢ)は刻(きざ)み烟草(たばこ)を吹(ふ)かすので、手(て)のある長い烟草盆を前へ引き付けて、時々(とき/″\)灰吹(はいふき)をぽん/\と叩(たゝ)く。それが静かな庭(には)へ響いて好(い)い音(おと)がする。代助の方は金(きん)の吸口(すひくち)を四五本手烙(てあぶり)の中(なか)へ並(なら)べた。もう鼻(はな)から烟(けむ)を出すのが厭(いや)になつたので、腕組(うでぐみ)をして親爺(おやぢ)の顔(かほ)を眺(なが)めてゐる。其顔(かほ)には年(とし)の割に肉(にく)が多い。それでゐて頬(ほゝ)は痩(こ)けてゐる。濃(こ)い眉(まゆ)の下(した)に眼(め)の皮(かは)が弛(たる)んで見える。髭(ひげ)は真白(まつしろ)と云はんよりは、寧ろ黄色(きいろ)である。さうして、話(はなし)をするときに相手(あいて)の膝頭(ひざがしら)と顔(かほ)とを半々(はん/\)に見較べる癖(くせ)がある。其時の眼(め)の動(うご)かし方(かた)で、白眼(しろめ)が一寸(ちよつと)ちらついて、相手(あいて)に妙な心持(もち)をさせる。
 老人(ろうじん)は今(いま)斯んな事を云つてゐる。――
「さう人間(にんげん)は自分丈を考へるべきではない。世の中(なか)もある。国家もある。少しは人(ひと)の為(ため)に何(なに)かしなくつては心持のわるいものだ。御前だつて、さう、ぶら/\してゐて心持の好(い)い筈はなからう。そりや、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んで居て面白い理由がない。学んだものは、実地に応用して始めて趣味が出(で)るものだからな」
「左様(さう)です」と代助は答へてゐる。親爺(おやぢ)から説法されるたんびに、代助は返答に窮するから好加減な事を云ふ習慣になつてゐる。代助に云はせると、親爺(おやぢ)の考は、万事中途半端(ちうとはんぱ)に、或物(あるもの)を独り勝手に断定してから出立するんだから、毫も根本的の意義を有してゐない。しかのみならず、今利他本位でやつてるかと思ふと、何時(いつ)の間(ま)にか利己本位に変つてゐる。言葉丈は滾々として、勿体らしく出るが、要するに端倪すべからざる空談(くうだん)である。それを基礎から打ち崩して懸(か)かるのは大変な難事業だし、又必竟出来ない相談だから、始めより成るべく触(さは)らない様にしてゐる。所が親爺(おやぢ)の方では代助を以て無論自己の太陽系に属すべきものと心得てゐるので、自己は飽までも代助の軌道を支配する権利があると信じて押して来(く)る。そこで代助も已を得ず親爺(おやぢ)といふ老太陽の周囲を、行儀よく廻転する様に見せてゐる。
「それは実業が厭(いや)なら厭(いや)で好(い)い。何も金(かね)を儲ける丈が日本の為(ため)になるとも限るまいから。金(かね)は取(と)らんでも構(かま)はない。金(かね)の為(ため)に兎や角云ふとなると、御前も心持がわるからう。金(かね)は今迄通り己(おれ)が補助して遣(や)る。おれも、もう何時(いつ)死(し)ぬか分(わか)らないし、死(し)にや金(かね)を持つて行く訳にも行(い)かないし。月々(つき/″\)御前の生計(くらし)位どうでもしてやる。だから奮発して何か為(す)るが好(い)い。国民の義務としてするが好(い)い。もう三十だらう」
「左様(さう)です」
「三十になつて遊民として、のらくらしてゐるのは、如何にも不体裁だな」
 代助は決してのらくらして居(ゐ)るとは思はない。たゞ職業の為(ため)に汚(けが)されない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考へてゐる丈である。親爺(おやぢ)が斯んな事を云ふたびに、実は気の毒になる。親爺(おやぢ)の幼稚な頭脳には、かく有意義に月日(つきひ)を利用しつゝある結果が、自己の思想情操の上に、結晶して吹き出(だ)してゐるのが、全く映(うつ)らないのである。仕方がないから、真面目(まじめ)な顔をして、
「えゝ、困ります」と答へた。老人(ろうじん)は頭(あたま)から代助を小僧視してゐる上(うへ)に、其返事が何時(いつ)でも幼気(おさなげ)を失はない、簡単な、世帯離(しよたいばな)れをした文句だものだから、馬鹿(ばか)にするうちにも、どうも坊ちやんは成人しても仕様がない、困つたものだと云ふ気になる。さうかと思ふと、代助の口調が如何にも平気で、冷静で、はにかまず、もぢ付(つ)かず尋常極まつてゐるので、此奴(こいつ)は手の付け様がないといふ気にもなる。

       三の四

「身体(からだ)は丈夫だね」
「二三年このかた風邪(かぜ)を引(ひ)いた事(こと)もありません」
「頭(あたま)も悪(わる)い方ぢやないだらう。学校の成蹟も可(か)なりだつたんぢやないか」
「まあ左様(さう)です」
「夫(それ)で遊(あそ)んでゐるのは勿体ない。あの何とか云つたね、そら御前(おまへ)の所へ善(よ)く話しに来(き)た男があるだらう。己(おれ)も一二度逢つたことがある」
「平岡ですか」
「さう平岡。あの人なぞは、あまり出来の可(い)い方ぢやなかつたさうだが、卒業すると、すぐ何処(どこ)かへ行つたぢやないか」
「其代り失敗(しくじつ)て、もう帰(かへ)つて来(き)ました」
 老人は苦笑を禁じ得なかつた。
「どうして」と聞いた。
「詰(つま)り食(く)ふ為(ため)に働(はた)らくからでせう」
 老人には此意味が善(よ)く解(わか)らなかつた。

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