創作家の態度
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著者名:夏目漱石 

 演題は「創作家の態度」と云うのであります。態度と云うのは心の持ち方、物の観方(みかた)くらいに解釈しておいて下されば宜(よろ)しい。この、心の持ち方、物の観方で十人、十色さまざまの世界ができまたさまざまの世界観が成り立つのは申すまでもない。一例を上げて申すと、もし諸君が私に向って月の形はどんなだと聞かれれば、私はすぐに丸いと答える。諸君も定めし御異存はなかろうと思う。ところがこの間ある西洋人の書いたものを見たら、我々は普通月を半円形のものと解しているとあったのみか、なぜまんまるなものと思っていぬかと云う訳までが二三行つけ加えてあったんで、少し驚いたくらいであります。我々は教育の結果、習慣の結果、ある眼識で外界を観、ある態度で世相を眺め、そうしてそれが真(しん)の外界で、また真の世相と思っている。ところが何かの拍子(ひょうし)で全然種類の違った人――商人でも、政事家でもあるいは宗教家でも何でもよろしい。なるべく縁の遠い関係の薄い先生方に逢(あ)って、その人々の意見を聞いて見ると驚ろく事があります。それらの人の世界観に誤謬(ごびゅう)があるので驚くと云うよりも、世の中はこうも観られるものかと感心する方の驚ろき方であります。ちょうど前に述べた我々が月の恰好(かっこう)に対する考えの差と同じであります。こう云うと人間がばらばらになって、相互の心に統一がない、極(きわ)めて不安な心持になりますが、その代り、誰がどう見ても変らない立場におって、申し合せたように一致した態度に出る事もたくさんあるから、そう苦になるほどの混雑も起らないのであります。(少なくとも実際上)ジェームスと云う人が吾人の意識するところの現象は皆撰択(せんたく)を経(へ)たものだと云う事を論じているうちに、こんな例を挙(あ)げています。――撰択の議論はとにかく、その例がここの説明にはもっとも適切だと思いますから、ちょっと借用して弁じます。今ここに四角があるとする。するとこの四角を見る立場はいろいろである。横からも、竪(たて)からも、筋違(すじかい)からも、眼の位置と、角度を少し変えれば千差万別に見る事ができる。そうしてそのたびたびに四角の恰好が違う。けれども我々が四角に対する考は申し合せたように一致している。あらゆる見方、あらゆる恰好のうちで、たった一つ。――すなわち吾人の視線が四角形の面に直角に落ちる時に映じた形を正当な四角形だと心得ている。これを私の都合の好いように言い換えると、吾人は四角形を観る態度においてことごとく一致しているのであります。また別の例を申しますと彫刻などで云う foreshortening と云う事があります。誰でも心得ている事でありますが、人が手でも足でも前の方に出している姿勢を、こちらから眺めると、実際の手や足よりも短かく見えます。けれども本来はあれより長いものだと思って見ています。だから画心のない吾々(われわれ)が手や足を描こうとすると本来そのままの足や手を、方向のいかんにかかわらず、紙の上にあらわしたくなる。あらわして見るとどうも釣合がわるい。悪いけれども腹が承知をしないで妙な矛盾を感ずる。小供のかいた画を見るとこの心持ちが思い切って正直に出ています。これもこの際都合のいいように翻訳して云いますと、吾々が手や足の長さに対する態度はちゃんと申し合せたように一致していると云う事になります。
 してみると世界は観様(みよう)でいろいろに見られる。極端に云えば人々(にんにん)個々別々の世界を持っていると云っても差支(さしつかえ)ない。同時にその世界のある部分は誰が見ても一様である。始めから相談して、こう見ようじゃありませんかと、規約の束縛を冥々(めいめい)のうちに受けている。そこで人間の頭が複雑になればなるほど、観察される事物も複雑になって来る。複雑になるんではないが、単純なものを複雑な頭でいろいろに見るから、つまりは物自身が複雑に変化すると同様の結果に陥(おちい)るのであります。これを前の言葉に戻して云うと、世が進むに従って、複雑な世界と複雑な世界観ができて、そうして一方ではこの複雑なものが統一される区域も拡(ひろ)がって来るのであります。
 そこで創作家も一種の人間でありますから各々(めいめい)勝手な世界観を持って、勝手な世界を眺めているに違ない。しかしながらすでに創作家と云う名を受けて、官吏とか商人とか、法律家とかから区別される以上は、この名称は単に鈴木とか、山田とか云う空名と見る訳には行かない。内実においてそれ相当の特性があって他の職業と区別されているのかも知れない。だから、この人々の立場を研究して見たらば、多少の御参考になりはすまいかと思ってこの演題を掲げた訳であります。
 そこで、この問題を研究するの方法について述べますと、第一には歴史的の研究があります。これは創作家の世界観の纏(まとま)ってあらわれた著作そのものを比較して、その特性を綜合(そうごう)した上で、これに一種の名称(自然派とか浪漫派とか)を与えて、それから年代を追ってその発展を迹(あと)づけるのであります。いわゆる文学史であります。この間中からして、日本で大分自然派の論が盛になりましていろいろの雑誌にその説明などがたくさん出て、私なども大分利益を受けました。我々日本人が仏蘭西(フランス)の自然派はこう発達したの、独乙(ドイツ)の自然派は今こんな具合だのという事を承知したのは、全くこの歴史研究の御蔭(おかげ)で至極(しごく)結構な事と思います。
 ただこの種の研究について私の飽き足らないところを云うと、あるいは下のような弊がありはすまいかと思われます。
 (一)[#(一)は縦中横] 歴史の研究によって、自家を律せんとすると、相当の根拠(こんきょ)を見出す前に、現在すなわち新という事と、価値という事を同一視する傾(かたむき)が生じやすくはないかと思われます。すべての心的現象は過程であるからして、Bという現象は、Aという現象に次いで起るのはもちろんであります。したがってBの価値はBの性質のみによって定まらない、Bの前に起ったAと云う現象のために支配せられている事ももちろんであります。腹が減るという現象が心に起ればこそ飯(めし)が旨(うま)いという現象が次いで起るので、必ずしも料理が上等だから旨かったとばかりは断言できにくいのであります。そこで吾々はAと云う現象を心裡(しんり)に認めると、これに次いで起るべきBについては、その性質やら、強度やら、いろいろな条件について出来得る限りの撰択(せんたく)をする、またせねばならぬ訳であります。ちょうど車を引いて坂を下りかけたようなもので前の一歩は後の一歩を支配する。後の一歩は前の一歩の趨勢(すうせい)に応ずるような調子で出て行かなければ旨(うま)く行かない。人間の歴史はこう云う連鎖で結びつけられているのだから、けっして切り放して見てもその価値は分りません。仰山(ぎょうさん)に言うと一時間の意識はその人の生涯(しょうがい)の意識を包含していると云っても不条理ではありません。したがって人には現在が一番価値があるように思われる。一番意味があるごとく感ぜられる。現在がすべての標準として適当だと信じられる。だから明日(あした)になると何だ馬鹿馬鹿しい、どうして、あんな気になれたかと思う事がよくあります。昔(むか)し恋をした女を十年たって考えると、なぜまあ、あれほど逆上(のぼせ)られたものかなあと感心するが、当時はその逆上がもっともで、理の当然で、実に自然で、絶対に価値のある事としか思われなかったのであります。一国の歴史で申しても、一国内の文学だけの歴史で申してもこれと同様の因果(いんが)に束縛されているのはもちろんであります。現代の仏蘭西(フランス)人が革命当時の事を考えたら無茶だと思うかも知れず。また浪漫派の勝利を奏したエルナニ事件を想像しても、ああ熱中しないでもよかろうくらいには感ずるだろうと思います。がこれが因果であって見れば致し方がない。ただ気をつけてしかるべき事は、自分の心的状態がまだそんな廻り合せにならないのに、人の因果を身に引き受けて、やきもき焦(あせ)るのは、多少他(ひと)の疝気(せんき)を頭痛に病むの傾(かたむ)きがあるように思います。ところが歴史的研究だけを根本義として自己の立脚地を定めようとすると、わるくするとこの弊に陥り安いようであります。というものは現に研究している事が自分の歴史なら善(よ)かろうが人の歴史である。人はそれぞれ勝手な因を蒔(ま)いて果を得て、現在を標準として得意である。それを遠くから研究して、彼の現在が、こうだから自分の現在もそうしなければならないとなると、少し無理ができます。自己の傾向がそこへ向いていないのに、向いていると同様の仕事をしなければならなくなる。云わば御付合になる。酷評を加えると自分から出た行為動作もしくは立場でなくって、模傚(もこう)になる。物真似(ものまね)に帰着する。もとより我々は物真似が好きに出来上っているから、しても構わない。時と場合によると物真似をする方がその間の手数と手続と、煩瑣(はんさ)な過程を抜きにして、すぐさま結局だけを応用する事ができるから非常に調法で便利であります。現に電信、電話、汽車、汽船を始めとして、およそ我国に行われるいわゆる文明の利器というものはことごとく物真似から出来上ったものであります。至極(しごく)よろしい。人に餅(もち)を搗(つ)かして、自分が寝ながらにしてこれを平げるの観があって、すこぶる痛快であります。がこの現象をすぐ応用して、文学などにも持って行ける、また持って行かなければならないと結論しては、少し寸法が違ってるように思います。と云うものは理学工学その他の科学もしくはその応用は研究の年代を重ねるに従って、一定の方向に向って発達するもので、どの国民がやり出しても、同程度の頭で同程度の勉強をする以上は一日早くやれば早くやった方が勝になるような学問で、しかも一日後れたものは、必ず、一日早く進んだものの後(あと)を(一筋道である)通過しなければならない性質のものであります。歩く道が一筋で、さきが進んでいる以上は、こっちの到着点も明らかに分っているんだから、できるだけ早く甲(かぶと)を脱いで降参する方が得策であります。真似をすると云うと人聞(ひとぎき)が悪いが骨を折らないで、旨(うま)い汁を吸うほど結構な事はない。この点において私は模傚に至極(しごく)賛成である。しかし人間の内部の歴史になると、またその内部の歴史が外面にあらわれた現象になると、そう簡単には行きませんようです。風俗でも習慣でも、情操でも、西洋の歴史にあらわれたものだけが風俗と習慣と情操であって、外に風俗も習慣も情操もないとは申されない。また西洋人が自己の歴史で幾多の変遷を経て今日に至った最後の到着点が必ずしも標準にはならない。(彼らには標準であろうが)ことに文学に在(あ)ってはそうは参りません。多くの人は日本の文学を幼稚だと云います。情けない事に私もそう思っています。しかしながら、自国の文学が幼稚だと自白するのは、今日の西洋文学が標準だと云う意味とは違います。幼稚なる今日の日本文学が発達すれば必ず現代の露西亜(ロシア)文学にならねばならぬものだとは断言できないと信じます。または必ずユーゴーからバルザック、バルザックからゾラと云う順序を経て今日の仏蘭西(フランス)文学と一様な性質のものに発展しなければならないと云う理由も認められないのであります。幼稚な文学が発達するのは必ず一本道で、そうして落ちつく先は必ず一点であると云う事を理論的に証明しない以上は現代の西洋文学の傾向が、幼稚なる日本文学の傾向とならねばならんとは速断であります。またこの傾向が絶体に正しいとも論結はできにくいと思います。一本道の科学では新すなわち正と云う事が、ある程度において言われるかも知れませんが、発展の道が入り組んでいろいろ分れる以上はまた分れ得る以上は西洋人の新が必ずしも日本人に正しいとは申しようがない。しかしてその文学が一本道に発達しないものであると云う事は、理窟(りくつ)はさておいて、現に当代各国の文学――もっとも進歩している文学――を比較して見たら一番よく分るだろうと思います。近頃のように交通機関の備った時代ですら、露西亜文学は依然として露西亜風で、仏蘭西文学はやはり仏蘭西流で、独乙(ドイツ)、英吉利(イギリス)もまたそれぞれに独乙英吉利的な特長があるだろうと思います。したがって文学は汽車や電車と違って、現今の西洋の真似をしたって、さほど痛快な事はないと思います。それよりも自分の心的状態に相当して、自然と無理をしないで胸中に起って来る現象を表現する方がかえって、自分のものらしくって生命があるかも知れません。
 もっとも日本だって孤立して生存している国柄(くにがら)ではない。やっぱり西洋と御付合をして大分ばた臭(くさ)くなりつつある際だから、西洋の現代文学を研究して、その歴史的の由来を視て、ははあ西洋人は、今こんな立場で書いてるなくらいは心得ておかなくっちゃなりません。たとえ夢中に真似(まね)をするのが悪いと云っても、先方の立場その他を参考にするのはもちろん必要であります。文学は前(ぜん)申したような特色のものではありますが、その特色の中(うち)には一本調子に発達する科学の影響がたくさん流れ込んで来ますから、定数として動かすべからざるこの要素が、いかに科学の進歩に連れて文学の各局部を冒(おか)しているかを見るのは、科学思想の発達しない日本人が、いたずらに自己の傾向ばかりふり廻していては、分らないので、そう頑張(がんば)っていてはついには正宗の名刀で速射砲と立合をするような奇観を呈出するかも知れません。
 して見ると歴史的研究は前のような弊もあるが、けっして閑却すべからざるものでありますから、私の希望を云うと、歴史を研究するならばその研究の結果して、綜合的(そうごうてき)に現代精神とはこんなもので、この精神がないものはほとんど文学として通用しないものだと云う事を指摘して事実の上に証明したいのであります。私の現代精神と云うのは、今月もしくは先月新らしくできた作物そのものについて、この作物は現代精神をあらわしている云々というような論じ方ではありません。過去一二世紀に渡って、(もしくはもっと溯(さかのぼ)っても、よろしい)、人の心を動かした有名な傑作を通覧してその特性(一つでなくてもよろしい。また矛盾併立(へいりつ)していても差支(さしつかえ)ない)を見出して行く事であります。そうすると一年や十年の流行以上に比較的永久な創作の要素がざっと明暸(めいりょう)になるだろうと思います。少なくとも吾々の子もしくは孫時代までは変らない特性が出てくるだろうと思います。もし標準が必要とあるならば、これでこそ多少の標準ができるとも云い得るでしょう。こう云う手数をして現代精神を極めたからと云って、それより以前に出たものには現代精神がないと云う訳にはならない。たとえばダンテの神曲に見えるような考を持っている人は今の世にはたくさんない。また神曲の真似(まね)をした作物を出そうと云う男もありますまい。しかしあの神曲のうちから、現代精神を引き出せばいくらでも出て来るにきまっている。今の人の心に訴える箇所はすなわち現代精神であります。デカメロンそのままを春陽堂から出版したって読み手はないにきまっている。しかしあの中に現代精神すなわち種々な点において吾人を動かす自然派のような所はいくらでもあります。ずっと昔に溯(さかのぼ)ってホーマーはどうです。全体から云うとむしろ馬鹿気ている。誰もイリアッドが書いて見たいと云う人もあるまいが、そのイリアッドがやはり現代の人に読み得るところ、読んで面白いところ、読んで拍案の概があるところ、浪漫的(ロマンチック)なところ、が少なくはなかろうと思う。こう考えて見ると作物は時代の新旧ばかりで評をするよりも現代精神にリファーして評価すべき事となります。そうしてこの現代精神は実を云うと、読者がめいめい胸の中にもっている。ただ茫乎漠然(ぼうこばくぜん)たるある標準になって這入(はい)っているのだから、私の申出しはこの茫乎漠然たるものを歴史的の研究で、もっと明暸に、もっと一般に通用するものにしたいと云う動議にほかならんのであります。諸君の御存じのブランデスと云う人の書いた十九世紀文学の潮流という書物があります。読んで見るとなかなか面白い。独乙(ドイツ)の浪漫派だとか、英吉利(イギリス)の自然派だとか表題をつけて、その表題の下に、いくたりも人間の頭数を並べて論じてあります。これで面白いのでありますが、私が読んで妙に思ったのは、こう一題目の下に括(くく)られてしまっては括られた本人が押し込められたなり出る事ができないような気がした事です。英吉利の自然派はけっして独乙の浪漫派と一致する事は許さぬ。一点も共通なところがあってはならぬと云わぬばかりの書き方のように感じられました。無論ブランデスの評した作家はかくのごとく水と油のように区別のあったものかも知れない。しかしながら、こう書かれると自然派へ属するものは浪漫派を覗(のぞ)いちゃならない。浪漫派へ押し込めたものは自然派へ足を出しちゃ駄目だと、あたかも先天的にこんな区別のあるごとく感ぜられて、後世の筆を執(と)って文壇に立つものも截然(せつぜん)とどっちかに片づけなければならんかのごとき心持がしますからして、ちょっと誤解を生じやすくなります。さればといってこの二派が先天的に哲理上こう違うから微塵(みじん)も一致するものでないという理窟(りくつ)も書いてなし、また理論上文芸の流派は是非こう分化するものだとも教えてくれない。ただ著者が諸家の詩歌文章を説明する条(くだ)りを、そうですかそうですかと聞いているようなものでありました。しかしこれは少し困る。例(たと)えば学派を分けてあれは早稲田派だ、これは大学派だとしてすましているようなものであります。それほど判然たる区別があるかないか分らないが、よしあったにしても早稲田派と大学派は或る点において同じ説を吐いてはならないと圧(お)しつけるのみか、たとい実際は同じ説でも、なに違ってるよ。早稲田だもの、大学だものとただ名前だけできめてしまう弊が起りやすい。私の現代精神の綜合(そうごう)と云うのは、この弊を救うためで、一方ではこの窮窟な束縛を解くと同時に、名に叶(かの)うたる実を有する主義主張を並立せしめようとするためであります。
 けれども、こういう研究は私にはちょっと臆劫(おっくう)でなかなかできないから、歴史的に行くと自然現代の西洋作家を実価以上に買(か)い被(かぶ)る弊(へい)が起りやすいだろうと思います。そこで歴史的研究以外の立場から創作家の態度を御話する事にしました。
 (二)[#(二)は縦中横] もう一つ歴史的研究に対して非難したいのは、ちと哲学者じみますが、こう云う事であります。すべての歴史は与えられた事実であります。すでに事実である以上は人間の力でどうする事もできない。儼(げん)として存在しているから、この点において争うべからざる真であります。しかしながらこれが唯一(ゆいいつ)の真であるかと云うのが問題なのであります。言葉を改めて云うと人類発展の痕迹(こんせき)はみんな一筋道に伸びて来るものだろうかとの疑問であります。もしそうだと云う断定ができれば日本の歴史すなわち西洋の歴史、西洋の歴史すなわち希臘(ギリシャ)の歴史と云う事に帰着します。けれども多数の人は、これら各国の歴史を皆事実と首肯すると共に、ことごとく差違あるものと見傚(みな)すだろうと考えます。もっともこの各国の歴史から共通の径路を抽象して人類の発展の方向は必ず、こういう筋を通るものだとは云われましょう。しかしそれだからといって日本も、支那も、英吉利(イギリス)も、独乙(ドイツ)も、同じ現象を同じ順序に過去で繰(く)り返(かえ)しているとは参らんのであります。あまり雲を攫(つか)むような議論になりますから、もう少し小さな領分で例を引いて御話を致しますが、日本の絵画のある派は西洋へ渡って向うの画家にはなはだ珍重されているし、また日本からはわざわざ留学生を海外に出して西洋の画を稽古(けいこ)しています。そうして御互に敬服しあっています。両方で及ばないところがあるからでしょう。それは、どうでも善いが、日本の画を元のままで抛(なげう)っておいて、西洋の画を今の通打(う)ち遣(や)っておいたら、両方の歴史がいつか一度は、どこかで出逢(であ)う事があるでしょうか。日本にラファエルとかヴェラスケスのような人間が出て、西洋に歌麿(うたまろ)や北斎のごとき豪傑があらわれるでしょうか。ちと無理なようであります。それよりも適当な解釈は、西洋にラファエルやヴェラスケスが出たればこそ今日のような歴史が成立し、また歌麿や北斎が日本に生れたから、浮世絵の歴史がああ云う風になったと逆に論じて行く方がよくはないかと存じます。したがってラファエルが一人出なかったら、西洋の絵画史はそれだけ変化を受けるし、歌麿がいなかったら、風俗画の様子もよほど趣が異なっているでしょう。すると同じ絵の歴史でもラファエルが出ると出ないとで二通り出来上ります。(事実が一通り、想像が一通り)風俗画の方もその通り、歌麿のあるなしで事実の歴史以外にもう一つ想像史が成立する訳であります。ところでこのラファエルや歌麿は必ず出て来なければならない人間であろうか。神の思召(おぼしめし)だと云えばそれまでだが、もしそう云う御幣(ごへい)を担(かつ)がずに考えて見ると、三分の二は僥倖(ぎょうこう)で生れたと云っても差支(さしつかえ)ない。もしラファエルの母が、ラファエルの父の所へ嫁に行く代りにほかの男へ嫁(とつ)いだら、もうラファエルは生れっこない。ラファエルが小さい時腕でも挫(くじ)いたら、もう画工にはなれない。父母が坊主にでもしてしまったら、やはりあれだけの事業はできない。よしあれだけの事業をしても生涯人に知らせなかったらけっして後世には残らない。して見ると西洋の絵画史が今日の有様になっているのは、まことに危うい、綱渡りと同じような芸当をして来た結果と云わなければならないのでしょう。少しでも金合(かねあい)が狂えばすぐほかの歴史になってしまう。議論としてはまだ不充分かも知れませんが実際的には、前に云ったような意味から帰納して絵画の歴史は無数無限にある、西洋の絵画史はその一筋である、日本の風俗画の歴史も単にその一筋に過ぎないという事が云われるように思います。これは単に絵画だけを例に引いて御話をしたのでありますが、必ずしも絵画には限りますまい。文学でも同じ事でありましょう。同じ事であるとすると、与えられた西洋の文学史を唯一の真と認めて、万事これに訴えて決しようとするのは少し狭くなり過ぎるかも知れません。歴史だから事実には相違ない。しかし与えられない歴史はいく通りも頭の中で組み立てる事ができて、条件さえ具足すれば、いつでもこれを実現する事は可能だとまで主張しても差支ないくらいだと私は信じております。
 そこで西洋の文学史を唯一の真と認めてかかるのは誤っていると、私は申したいのでありますが、ただそれだけなら別にここに述べ立てる必要もない。いざとなると西洋の歴史に支配されるかも知れませんが、普通頭の中で判断すれば西洋の文学史と日本の文学史とは現に二筋であって、両方とも事実で両方とも真であるのは誰が見ても分りやすい事でありますから、その辺はどうでも構いません。また一般に申して西洋の方が進んでいるから万事手本にするんだと言う人があっても構いません。私も至極(しごく)御同感であります。ただ歴史の解釈を私のようにした上で、西洋を手本にしたら間違が少なかろうと思うのであります。そうしないと弊が出てくる。そうしてその弊に陥(おちい)って悟らずにいる事があります。
 たとえば十九世紀の前半に英国にスコットなる人があらわれて、たくさん小説をかきました。この人の作が一時期を画するような新現象であるために世人はこれをロマンチシズムの代表者と見傚(みな)しました。それで差し支ないのですけれども、一度こういう風に推(お)し立てられると、スコットは浪漫主義で浪漫主義はスコットであると云う風にアイデンチファイされるようになります。アイデンチファイされると、スコットの作に見(あら)われた要素はことごとく浪漫主義を構成するに必要でかつ充分(necessary and sufficient)なものと認められます。なるほどスコットの作中には中世主義もあります、冒険談もあります。種々な意味に解釈される浪漫主義の特色を含んでおりますが、困る事には多少の写実的分子も交っているのです。ところが写実主義というものは別に旗幟(きし)を翻(ひる)がえして浪漫派の向(むこう)を張ってるんだから、両々対立の勢のためにせっかくスコットのもっている写実的分子を引き抜いて写実派の中へ入れてやる事ができなくなってしまう。また写実派の中に散見し得る浪漫的分子を切り放して、浪漫派の中に入れる事も困難になってしまう。そこでこの名称のために誤まられて彼らの作品は精製した金や銀のように純粋な性質で自然に存在していると思うようになります。ところが実際は大概まざりものなのであります。だから本来を云うなら、ここに浪漫主義なら浪漫主義、自然主義なら自然主義の定義があって、何人の作物でも構わないからして、この定義に叶(かな)っただけを持って来てこの主義のうちへ打(ぶ)ち込むのが当然であろうと思われます。例えば白なら白と云う属性の概念があって、白墨、白紙、白旗、雪などという出来上ったもののうちから白と云う属性だけを引き抜いてこの概念の下に詰め込むのが至当でありましょう。しかるにただ色だけが白いからと云って、色の白いものは形や質や温度その他のいかんに関せずことごとく白のうちへ入れて、しかも外へ出る事を許さなかったら、統一のできるのは白という属性だけであるにも関せず、人はすべての点において統一されているかのごとく誤解を抱(いだ)くのであります。白いものは白で区別しても差(さ)し支(つかえ)ないから、これと同時に、形や質の点においても区別して、一個の具体を二重にも三重にも融通の利(き)くように取り扱わなくっては真相には達せられんはずであります。また一例を云うと、ここに一人の男がある。この人は学校へ出る。その時には教師の仲間へ入れて見なければなりません。筆を執(と)る。その時には著作家の群(むれ)に伍(ご)するものと認めるのが至当であります。家へ帰る。すると夫とも親ともして種類別をしなければならない。この人は一人であるけれどもこれほどの種類へ編入される資格があるのであります。作物もその通りであります。これを分解し、これを綜合(そうごう)して、同一物のある部分を各適当な主義に編入するのが穏当(おんとう)であります。そんな錯雑した作物がないと云うのは過去の歴史だけを眼中に置いた議論でこれから先に作物の性質が、どのくらいに複雑な性質をかねてくるかを窮(きわ)めない早計の議論かと思います。よし過去の作物だけについて検して見てもその作全体もしくはその人の作物総体をある一主義のもとに一括し得て妥当と認めらるるほどの単調なものばかりはないはずであります。しかるに歴史に束縛されるとこの分類が旨(うま)く行かない。なぜと云うと文学史で云う何々主義と云うのは理論から出たのでなくして、個人の作物から出たのであって、その作物の大体を鷲攫(わしづか)みにして、そうしてもっとも顕著に見える特性だけを目懸(めが)けて名を下したまでであります。元祖がすでにそうであるからして、継いで起るものの分類も、みんなこの格で何主義のもとに押し込められてしまう。厳正な類別でなくって、人別になってしまう。厳正な類別をやるには人を離れて、作をほごして、出来上ったものを取り崩(くず)してかからなければなりません。因襲の結果歴史的の研究はこの方法を吾人に教えないのであります。つまりは幾通りとなく成立し得べき歴史のうちで実際に発展した歴史だけに重きを置いて、しかもほとんど偶然に出現した人間の作そのものを全(まった)き成体で取り崩(くず)す事のできないものと見傚(みな)した上でその特色の著るしきものだけに何主義の名をもってする弊であります。だからこの際理論の方から這入(はい)れば成立し得るあらゆる歴史に通用する議論が立てられますし、またはユーゴーとか、バルザックとか云う名前で代表している作物を、一塊(ひとかたま)りの堅牢体で、塊まりとして取り扱うよりほかに手のつけられないものだと云う観念を脱する便宜もあり、また従来実際に発展した歴史から出て来た何々主義より以外には主義は存在し得べからざるものであるとの誤解もなくなるだろうと思います。
 (三)[#(三)は縦中横] もう一つ歴史的研究についての危険を一言単簡に述べておきたいと思います。主義を本位にして動かすべからざるものと見ますと、前(ぜん)申した通り作家(すなわち作物(さくぶつ))を取り崩してかからんと不都合が生ずるごとく、作家(すなわち作物)を本位として動かすべからざるものとすると、今度は主義の方にもって融通をつけなければなりますまい。融通をつけると云うと、一つの作物のうちには同時にいろいろな主義を含んでいる場合が多い、少なくとも含んでいる場合があり得るのですから、かような作物を批評したり分解したり説明したりする際には、一主義のもとに窮窟(きゅうくつ)に律し去る習慣を改めて、歴史的には矛盾するごとくに見傚されている主義でも構わないから、これを併立せしめて、いやしくもその作物のある部分を説明するに足る以上はこれを列挙して憚(はば)からんようにしなければ、やはり前段同様の不都合に陥る訳であります。しかし歴史的関係から作物はそれ自身に whole なものとして取り扱われておりますし、何主義と云う名はこの whole な作物を掩(おお)う名称として用いられておりますから、妙な現象が起って参ります。ここに甲の人があってAと云う作物を出す。するとこの作物にB主義と云う名がつく。(多くの場合においてはこう一言に纏(まと)められないにもかかわらず)次に乙なる人が出て来てA′[#「A′」は縦中横]と云う作物を公けにする。すると批評家がAとA′[#「A′」は縦中横]の類似の点を認めて、やはりB主義に入れてしまう。あるいは作家自身が自らB主義と名乗る場合もありましょう。どちらでも同じ事であります。第三に丙(へい)と云う男が出てA″[#「A″」は縦中横]を書く。A′[#「A′」は縦中横]とA″[#「A″」は縦中横]と似ているところからやはりB主義に纏められる。こう云う風にして、漸次(ぜんじ)にAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]まで行ったとすると、どんなものでありましょう。甲と乙とは別人であります。乙と丙とも別人であります。別人である以上はいくら真似(まね)を仕合ったところで全然同性質のものができる訳がない。いわんや各自が本来の傾向に従って、個性を発揮して懸(かか)った日には、どこかに異分子が混入して来る訳になります。しかもこの異分子もまたB主義の名に掩(おお)われてしだいしだいに流転(るてん)して行くうちには、B主義の意味が一歩ごとに摺(ず)れて、摺れるたびに定義が変化して、変化の極は空名に帰着するか、それでなければいたずらに紛々たる擾乱(じょうらん)を文壇に喚起する道具に過ぎなくなります。芭蕉(ばしょう)が死んでから弟子共が正風(しょうふう)の本家はおれだ我だと争った話があります。なるほど正風の旗を翻(ひるが)えすのは、天下を挟(はさ)んで事を成すようなもので当時にあって実利上大切であったかも知れませんがその争奪の渦中(かちゅう)から一歩退いて眺めたら全く無意味としか思われません。今私の申す弊は全く理知的の事で実利問題とは全く没交渉ではありますが、転々承継した主義を一徹に主張すると、少なくともその形迹(けいせき)だけは芭蕉以後の正風争いと同価値に終るようになりはせぬかと思われます。もっともこんな事は我々の日常よくある事で、友人と一時間も議論をしているといつの間にか出立地を忘れて、飛んでもない無関係の問題に火花を散らしながら毫(ごう)も気がつかない場合は珍しくないようです。AとA′[#「A′」は縦中横]とは似ている。だから双方共B主義でもまあよろしい。A′[#「A′」は縦中横]とA″[#「A″」は縦中横]とも似ている。だから双方共まあB主義でよろしい。降(くだ)ってAn−1[#「An−1」は縦中横、「n−1」は上付き小書き]とAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]とを比較するとやはり似ている。だから双方とも依然としてB主義で差支(さしつかえ)ないようなものの、最初のAと最終のAn[#「An」は縦中横、「n」は上付き小書き]を対照した時に始めて困る。何だかB主義では足りないような心持がします。スコットの浪漫趣味とモリスの浪漫趣味とは大分違うようです。モリスはチョーサーに似ていると云います。そのチョーサーは詩人ではあるが写実派と云う方が適当であります。すると浪漫主義を中世主義と解釈せぬ以上はスコットとモリスとを同じ浪漫派に入れるのが妙になって来ます。今度はモリスとゴーチェを比較する。誰が見ても同じ範疇(はんちゅう)では律せられそうもない。それでも双方共浪漫家で通用しています。ある人の説によると仏蘭西(フランス)の自然派は浪漫派を極端まで発展させたもので、けっして別途の径路をたどるものではないと申します。そうなると自然派は浪漫派の出店みたようなものになってしまいます。イブセンを捕(つら)まえて自然派だと云う人があります。どうもイブセンとモーパサンとはいっしょにならないように思われます。そうかと思うとイブセンを浪漫派だと申す人があります。しかしイブセンとユーゴーとはとうてい同じ畠(はたけ)のものじゃないようであります。要するに二三の主義をどこまでも押し通して、あらゆる作物をどっちかへ片づけようとする無理から起ったものじゃないかと考えられます。イブセンならイブセンを本位として、説明するには、在来の何々主義(しかもそのうちの一つ)で足りると思うのは、また足りなければならないと思い定めてかかるのは、やはり歴史的研究の弊を受けたものではなかろうかと愚考致します。それで少々出立地を変えて見たら、この窮屈を破ると同時にこの曖昧(あいまい)をも幾分か避けられるだろうと思います。
 (四)[#(四)は縦中横] もう一つ申して本題に入るつもりでありますが、これは純粋なる歴史的研究とは云えないかも知れません。今まで述べた三カ条はみな文学史に連続した発展があるものと認めて、旧を棄(す)てて漫(みだ)りに新を追う弊とか、偶然に出て来た人間の作のために何主義と云う名を冠して、作そのものを是非この主義を代表するように取り扱った結果、妥当を欠くにもかかわらずこれをあくまでも取り崩(くず)しがたき whole と見傚(みな)す弊や、あるいは漸移(ぜんい)の勢につれてこの主義の意義が変化を受けて混雑を来(きた)す弊を述べたのであります。ここに申す事は歴史に関係はありますが、歴史の発展とはさほど交渉はないように思われます。すなわち作物を区別するのに、ある時代の、ある個人の特性を本(もと)として成り立った某々主義をもってする代りに、古今東西に渉(わた)ってあてはまるように、作家も時代も離れて、作物の上にのみあらわれた特性をもってする事であります。すでに時代を離れ、作家を離れ、作物の上にのみあらわれた特性をもってすると云う以上は、作物の形式と題目とに因(よ)って分つよりほかに致し方がありません。まず形式からして作物を区別すると詩と散文とになります。これは誰でも知っている事で改めて云うほどの必要も認めません。詩と散文と区別したからと云って創作家の態度がちょっと髣髴(ほうふつ)しにくいのです。分けないよりましかも知れないが、分けたところで大した利益も出て来ないようです。次に問題からして作物の種類別をすると、まず出来事を書いたものを叙事詩(これは希臘(ギリシャ)の作を土台にして付けた名だから、我々は叙事文と云っても構いません)と名づけたり。自己の感情を咏(えい)じたものだから抒情詩(これも抒情文としてもよろしい)と申したり。性格を描いたり、人生を写したりするんで、小説とか戯曲とかの部類に編入したり。あるいは静物を模写するんで叙景文と号するような分類法であります。この分類になると多少細かになりますから、詩と散文の区別より幾分か創作家の態度を窺(うかが)う事ができて、ずいぶん重宝ではありますが、これとても与えられた作物を与えられたなりに取り扱うだけで、その特性を概括するにとどまってしまいやすいから、それより以上に溯(さかのぼ)って、もう少し奥から、こう云う立場で、こう変化すると小説ができる、こう変化すると抒情詩ができるとまでは漕(こ)ぎつけていないのが多い。そこまで漕ぎつけない以上は、頭から、結果と見られべき作物を棄(す)てて源因と認めべき或物の方から説明して、溯る代りに、流を下ってくる方が善い訳になります。つまり角(つの)があるから牛で、鱗(うろこ)があるから魚だと云う代りに、発生学から出立して、どんな具合に牛ができ、どんな具合に魚ができるかを究(きわ)めた方が、何だか事件が落着したような心持が致します。
 私が創作家の態度と題して、歴史の発展に論拠を置かず、また通俗の分類法なる叙事詩抒情詩等の区別を眼中に置かないで、単に心理現象から説明に取りかかろうと思うのはこれがためであります。
 それで創作家の態度と云うと、前申した通り創作家がいかなる立場から、どんな風に世の中を見るかと云う事に帰着します。だからこの態度を検するには二つのものの存在を仮定しなければなりません。一つは作家自身で、かりにこれを我(が)と名づけます。一つは作家の見る世界で、かりにこれを非我と名づけます。これは常識の許すところであるから、別に抗議の出よう訳がない。またこの際は常識以上に溯(さかのぼ)って研究する必要を認めませんから、これから出立するつもりでありますが、今申した我と云うものについて一言弁じて後の伏線を張っておきたいと思います。もっとも弁ずると申しても哲学者の云う“Transcendental I”だの、心理学者の論ずる Ego の感じだのというむずかしい事ではありません。ただ我と云うものは常に動いているもので(意識の流が)そうして続いているものだから、これを区別すると過去の我と現在の我とになる訳であります。もっともどこで過去が始まって、どこから現在になるんだと議論をし出すと際限がありません。古代の哲学者のように、空を飛んで行く矢へ指をさして今どこにいると人に示す事ができないから、必竟(ひっきょう)矢は動いていないんだなどという議論もやれないでもありません。そう、こだわって来ては際限がありませんが、十年前の自分と十年後の自分を比較して過去と現在に区別のできないものはありませんから、こう分けて差(さ)し支(つかえ)ないだろうと思います。そこで――現在の我が過去の我をふり返って見る事ができる。これは当然の事で記憶さえあれば誰でもできる。その時に、我が経験した内界の消息を他人の消息のごとくに観察する事ができる。事ができると云うのですから、必ずそうなると云うのでもなければ、またそう見なくてはならないと云うのでもありません。例(たと)えば私が今日ここで演説をする。その時の光景を家(うち)へ帰ってから寝ながら考えて見ると、私が演説をしたんじゃない、自分と同じ別人がしたように思う事もできる――できませんか。それじゃ、こういうなあどうでしょう。去年の暮に年が越されない苦しまぎれに、友人から金を借りた。借りる当時は痛切に借りたような気がしたが、今となってみると何だか自分が借りたような気がしない。――いけませんか。それじゃ私が小供の時に寝小便をした。それを今日考えてみると、その時の心持は幾分か記憶で思い出せるが、どうも髯(ひげ)をはやした今の自分がやったようには受取れない。これはあなた方も御同感だろうと思います。なお溯(さかのぼ)りますと――もうたくさんですか、しかしついでだから、もう一つ申しましょう。私はこの年になるが、いまだかつて生れたような心持がした事がない。しかし回顧して見るとたしかに某年某月の午(うま)の刻か、寅(とら)の時に、母の胎内から出産しているに違いない。違いないと申しながら、泣いた覚もなければ、浮世の臭(におい)もかいだ気がしません。親に聞くとたしかに泣いたと申します。が私から云わせると、冗談(じょうだん)云っちゃいけません。おおかたそりゃ人違いでしょうと云いたくなります。そこで我々内界の経験は、現在を去れば去るほど、あたかも他人の内界の経験であるかのごとき態度で観察ができるように思われます。こう云う意味から云うと、前に申した我のうちにも、非我と同様の趣で取り扱われ得る部分が出て参ります。すなわち過去の我は非我と同価値だから、非我の方へ分類しても差し支ないと云う結論になります。
 かように我と非我とを区別しておいて、それから我が非我に対する態度を検査してかかります。心理学者の説によりますと、我々の意識の内容を構成する一刻中の要素は雑然尨大(ぼうだい)なものでありまして、そのうちの一点が注意に伴(つ)れて明暸(めいりょう)になり得るのだと申します。これは時を離れて云う事であります。前に一刻中と云ったのは、まあ形容の語と思っていただけばよろしい。例えば私がこの演壇に立ってちょっと見廻わすと、千余人の顔が一度に眼に這入(はい)る。這入ったと云う感じはありますが、何となく同じ顔で、悪く云うと眼も鼻も揃(そろ)っていない人が並んでおいでになる。あながち私が度胸が据(すわ)らないで眼がちらちらするばかりではない。こう、漠然(ばくぜん)たるのが本来で、心理学者の保証するところであります。しかしこの際は不幸にして、別段私の注意を惹(ひ)くものがないから、ただ漠然たるのみで、別に明暸なるところがありません。もし演壇のすぐ前に美くしい衣装(いしょう)を着けた美くしい婦人でもおられたら、その周囲六尺ばかりは大いに明暸になるかも知れませんが、惜しい事においでにならんから、完全に私の心理状態を説明する訳に参りません。そこでこの漠然たる限界の広い内容を意識界と云って、そのうちで比較的明暸な点を焦点と申します。これは前(ぜん)申した通り時間の経過に重きを置かない simultaneous の場合でありますが、時間の経過上についても同様の事が申されます。しかしこれを説明するとくどくなりますから略します。また想像で心に思い浮べる事物もほぼ同様に見傚(みな)されるだろうと考えますから略します。それから前に申した例は単に分りやすいために視覚から受ける印象のみについて説明したものでありますから、実際は非常に区域の広いものと御承知を願います。
 まず我々の心を、幅のある長い河と見立ると、この幅全体が明らかなものではなくって、そのうちのある点のみが、顕著になって、そうしてこの顕著になった点が入れ代り立ち代り、長く流を沿うて下って行く訳であります。そうしてこの顕著な点を連(つら)ねたものが、我々の内部経験の主脳で、この経験の一部分が種々な形で作物にあらわれるのであるから、この焦点の取り具合と続き具合で、創作家の態度もきまる訳になります。一尺幅を一尺幅だけに取らないで、そのうちの一点のみに重きを置くとすると勢い取捨と云う事ができて参ります。そうしてこの取捨は我々の注意(故意もしくは自然の)に伴って決せられるのでありますから、この注意の向き案排(あんばい)もしくは向け具合がすなわち態度であると申しても差支(さしつかえ)なかろうと思います。(注意そのものの性質や発達はここには述べません)私が先年倫敦(ロンドン)におった時、この間亡(な)くなられた浅井先生と市中を歩いた事があります。その時浅井先生はどの町へ出ても、どの建物を見ても、あれは好い色だ、これは好い色だ、と、とうとう家へ帰るまで色尽しでおしまいになりました。さすが画伯だけあって、違ったものだ、先生は色で世界が出来上がってると考えてるんだなと大に悟りました。するとまた私の下宿に退職の軍人で八十ばかりになる老人がおりました。毎日同じ時間に同じ所を散歩をする器械のような男でしたが、この老人が外へ出るときっと杓子(しゃくし)を拾って来る。もっとも日本の飯杓子(めしじゃくし)のような大きなものではありません。小供の玩具(おもちゃ)にするブリッキ製の匙(さじ)であります。下宿の婆さんに聞いて見ると往来に落ちているんだと申します。しかし私が散歩したって、いまだかつて落ちていた事がありません。しかるに爺さんだけは不思議に拾って来る。そうして、これを叮嚀(ていねい)に室の中へ並べます。何でもよほどの数になっておりました。で私は感心しました。ほかの事に感心した訳でもありませんが、この爺さんの世界観が杓子から出来上ってるのに尠(すく)なからず感心したのであります。これはただに一例であります。詳(くわ)しく云うと講演の冒頭に述べたごとく十人十色で、いくらでも不思議な世界を任意に作っているようであります。中にもカントとかヘーゲルとかいう哲学者になるととうてい普通の人には解し得ない世界を建立(こんりゅう)されたかのごとく思われます。
 こう複雑に発展した世界を、出来上ったものとして、一々御紹介する事は、とてもできませんから、分りやすいため、極めて単純な経験で一般の人に共通なものを取って、経験者の態度がいかに分岐して行くかと云う事を御話して、その態度の変化がすなわち創作家の態度の変化にも応用ができるものだと云う意味を説明しようと思います。極(きわ)めて単純な所だけ、大体の点のみしか申されませんが、幾分か根本義の解釈にもなろうかと存じて、思い立った訳であります。
 まず吾人の経験でもっとも単純なものは sensation であります。近頃の心理学では、この字に一種限定的の意味を附して、ある単純なる全部経験の一方面をあらわす事になっておりますが、私は便宜(べんぎ)のため全部経験の意義に用います。ただ便宜のために用いるのですから、実際の衝突のない事は私の説明を御聞になれば御分りになるだろうと思います。それからある心理学者は sensation は分解の結果到着する単純な経験で、現実な吾人の経験はもっと複雑なところから始まっているじゃないかと云ってるようですが、それも構いません。ただ sensation が単純な経験をあらわせば、私の目的には宜(よろ)しいのであります。もし不都合なら、そんな字を借用しないでもよろしい。面倒な事を云わないで、例でもって御話をすれば、早く合点(がてん)が行かれますから、すぐさま例に取りかかります。
 時々酒問屋(さかどんや)の前などを御通りになると、目暗縞(めくらじま)の着物で唐桟(とうざん)の前垂(まえだれ)を三角に、小倉(こくら)の帯へ挟(はさ)んだ番頭さんが、菰被(こもかぶ)りの飲口(のみぐち)をゆるめて、樽(たる)の中からわずかばかりの酒を、もったいなそうに猪口(ちょく)に受けて舌の先へ持って行くところを御覧になる事があるでしょう。商売柄(しょうばいがら)だけに旨(うま)い事をするなと見ていると、酒の雫(しずく)が舌へ触(さわ)るか、触らないうちにぷっと吐(は)いてしまいます。そうして次の樽からまた同じように受けて、同じように舌の先へ落しては、次へ次へと移って行きます。けれども何遍同じ事を繰(く)り返(かえ)してもけっして飲まない。飲んだら好(よ)さそうなものですが、ことごとく吐き出してしまいます。そこで今度は同じ番頭が店から家(うち)へ帰って、神(かみ)さんと御取膳(おとりぜん)か何かで、晩酌をやる。すると今度は飲みますね。けっして吐き出しません。ことによると飲み足りないで、もう一本なんて、赤い手で徳久利(とくり)を握って、細君の眼の前へぶらつかせる事があるかも知れません。まずこの二た通りの酒の呑み方(もっとも一方は呑み方ではない、吐いてしまうから吐き方かも知れませんが)――吐き方なら吐き方でもよろしい。この呑み方と吐き方を比較して見ると面白い。研究と申すほどの大袈裟(おおげさ)な文字はいかがわしいが、説明のしようによると、なかなかえらく聞えるようにできますから御慰(おなぐさ)みになります。まず第一には、御店(おたな)で舐(な)めた酒と、長火鉢(ながひばち)の傍(わき)でぐびぐびやった酒とは、この番頭にとって同じ経験であります。もっとも焼酎(しょうちゅう)とベルモット、ビールと白酒(しろざけ)では同じ経験とも申されませんが、同種、同類、同価の酒を店で吐いて、家で飲んだとすれば、吐くと飲むとの相違があるだけで、舌の当りは同じ事だと見るのが順当だから、つまりこの男は同じ味覚の経験を繰り返した訳になります。ここまでは誰(だれ)が見ても同じ経験であります。それならどこまでも同じだろうかと云うと、違っています。店で試しに口へ当てて見るのは、この酒はどんな質(たち)で、どう口当りがして、売ればいくらくらいの相場で、舌触りがぴりりとして、後(あと)が淡泊(さっぱり)して、頭へぴんと答えて、灘(なだ)か、伊丹(いたみ)か、地酒(じざけ)か濁酒(どぶろく)かが分るため、言い換(かえ)れば酒の資格を鑑別するためであります。これが晩酌の方で見ると趣が違います。そりゃ時と場合によると、今日(きょう)の酒は大分善いね、一升九十銭くらいするねくらいの事は云いながら、舌をぴちゃぴちゃ鳴らすかも知れませんが、何も九十銭を研究している訳でも何でもありゃしないのです。だから九十銭が一円でもただ旨(うま)く飲めさえすりゃ結構なんです。こういう点から云うと、両方が変っています。酒の味を利用して酒の性質を知ろうというのが番頭の仕事で、酒の味を旨(うま)がって、口舌の満足を得るというのが晩酌の状態であります。双方とも同じ経験に違いない。ただその経験の処置が異なっています。言葉を換えて云うと同様の経験について、眼の付け所が違う、注意の向け方が違っている。最後にこの講演に大事な言葉を用いて申しますと、態度が違っております。(ここのところが少しヴントなどと違ってるかも知れません。ヴントのような専門の大家に対して異説を立てるのははなはだ恐縮ですが、私のは、こう行かないと説明になりませんから、こうしておきます。またこうしても、実際上差支(さしつかえ)ないと信じます)
 もう一歩進んで、この態度が違っていると云う事を説明しますと、番頭の方は酒の味を外へ抛(な)げ出す態度であります。すなわち自分の味覚をもって、自分以外のもの、(最前申した非我)の一部分を知る料に使うのであります。譬喩(ひゆ)で云うと、酒の味が舌の先から飛び出して、酒の中へ潜(ひそ)んで落ち着く方角に働くのであります。晩酌の方はこれが反対の方向に働いております。非我のうちに酒と云うものがあって、その酒が、ある因縁(いんねん)で、外から飛び込んで来て、我を冒(お)かした、もしくは我が冒されたと承知するのであります。詰(つづ)めて云うと、一は我から非我へ移る態度で、一は非我から我へ移る態度であります。一は非我が主、我が賓(ひん)という態度で、一は我が主、非我が賓と云う態度とも云えます。番頭から云うと酒の味自身が酒の属性になるのだから、これを属性的の経験とも云えましょう。晩酌から云うと酒の味が自己の幸不幸(あまり大袈裟(おおげさ)なら快不快)になるんだから感受的とでも云えましょう。洋語で云うと affective と申したら妥当だろうと思います。あるいは番頭の、自己にあらざる酒に重きを置く点から云えば客観的態度とも名づけられましょうし、晩酌の、自己に受くる刺激を、密切な自己の一部分と見傚(みな)す点から云えば、主観的とも申されましょう。または番頭の態度が非我を明らめようとする態度であるから、主知主義と云って善(よ)かろうと思いますし、晩酌の態度が、我に感ずる態度であるから、主感主義と云って善かろうと思います。(ここに云う両主義は便宜のため私が拵(こしら)えたのだから、かの心理学の一派を代表する主意説とは切り離して見ていただきたい)
 これでたいてい御分りになったろうと思いますが、なお念のために、もう少し複雑で時間の経過を含んでいる例を御話ししておきたいと考えます。かつて西洋の石版業の事を書いたものを見た事がありますが、その中に彼らの技巧は驚ろくべきものだとありました。なぜ驚ろくべきものかと申すと、彼らは原画を一目見るや否や、この色とこの色を、これだけの割合で、こう混ぜれば、この調子が出ると、すぐに呑(の)み込んでしまう。それからその通りにやる、はたしてその通りの調子が出る。まずこんな具合なんだそうです。ところが画工の方はどうかと云うと、まず腹の中で、ここへこんな調子を出して、面白味を付けようと思う。それから絵の具を交ぜる――もしイムプレショニストなら単純な色を並べて、すぐに画布へ塗り付ける。そうして思い通りの調子を出す。今この両人を比較して見ますと、ある手段に訴えて、目的(すなわち思い通りの色)に到着するのだから、そこまでは同じ事と見傚(みな)して差支(さしつかえ)ないのです。しかし両人が工夫の結果同じ色彩に到着しても、到着した時の態度は大に違うと云わなければなりません。画工の方はこの色彩を楽しむのであります。いい effect が出たと云って嬉(うれ)しがるのであります。この楽みを除いては、いろいろの工夫を積んでこの結果に達するまでの知識は無用なのであります。しかしこの知識をある意味において自得していないと、どうあってもこの結果が出せない。出せなければ楽しむ訳に参らんからやむをえずこの過程を冥々(めいめい)のうちにあるいは理論的に覚え込むのであります。しかるに、石版屋の方では、注文を受けて原画と同じような調子を出せば、それで万事が了するので、その結果が網膜(もうまく)を刺激しようが、連想を呼び起そうがいっこう構わんので、必竟(ひっきょう)ずるに彼の興味は色彩そのものに存するのであります。何と何と何がどんな割合に調合されてこの色彩が出来上ったんだなと見分けがつけばよろしいのであります。したがって彼の重んずるところは色彩から受ける楽(たのし)みよりも、いかにしてこの色彩を生じ得るかの知識もっと纏(まと)めて云えばこの色彩の知識にあると云っても無理ではありません。さてこの両人も出来上った色を経験すると云えば同じ経験をしたに違いない。ただ石版屋の方はこの経験を我から放出して、非我の属性たる色と認め、かつ属性として他の色と区別するに引き易(か)えて、画家は同一経験を、画面より我に向って反射し来(きた)ったる一種の刺激と見傚し、この色がいかに我を冒(おか)すかの点にのみ留意するのであります。だから石版屋の方を客観的態度で主知主義とし、画工の方を主観的態度で主感主義と名(なづ)けてよかろうと思います。
 まずこれで客観、主観、主知、主感の解釈ができましたが、これは極めて単純なる経験について云う事で、その経験は一の全(まった)き経験でありますから、この経験に対する注意の向け方、すなわち態度一つで、こう両面に分解はできますようなものの、この両極端の態度を取って、いずれへか片づけなければならないように人間が出来上っていると思うのは中庸(ちゅうよう)を失した議論であります。分りやすいためにこそ、こう截然(せつぜん)たる区別はつけましたが、こう明暸に離れる場合は、あらゆる場合の両端に各(おのおの)一つずつしかないと合点(がてん)しても間違ではなかろうと思います。その中間に横(よこたわ)っている多数の場合は皆この両面を兼ねているでしょう。もし兼ねているのが不都合ならば或る比例において入り交っていると云うが好いでしょう。
 そうすると私は、何だかいらざる駄弁を弄(ろう)した、独(ひと)りよがりの心理学者のようになります。それでは少々心細いから、もう少しこの両方面を研究して御話ししたいと思う。すなわちこの単純な経験において両面を区別しておく方が適当であると御納得(ごなっとく)の参るように、この両面が漸々(ぜんぜん)右と左へ分れて発展する結果ついには大変違ったものになりうると云う事を説明したいと思います。
 説明はなるべく単簡(たんかん)な方が宜(よ)ろしいから、ここに一つの物でも、人でもあるとする。この物か人は与えられたものとします。すると、以上の両態度でこれに対すると、これを叙述する方法が双方共にどう発展するかという問題であります。
 その前にちょっと御断わりをしておきますが、ここではAならAを与えてあると見て、その与えられたAをいかに叙述して行くかと云うのですから、叙述家にAを撰択する権利がない事になります。しかしながら前に我々の心を幅のある河に喩(たと)えた時、この川幅の一点だけが明暸(めいりょう)になるから、明暸になった一点だけが意識の焦点になって、他は皆茫々(ぼうぼう)の裡(うち)に通過してしまう。そうしてその焦点は注意のもっとも強い所にできる、そうして注意はすなわち態度であると申しました。だから心の態度は撰択淘汰(せんたくとうた)の権を有しております。ここにAを与えられたとするのは、心の態度にAを撰択する権利がないと云う意味ではありません。すでに撰択せられたるAについての話であります。
 本来ならば前に申した両態度がいかなる風に、いかなる性質の焦点を作るかを論じなければならんはずであります。しかしそうすると大変複雑な問題になりますし、また撰択の態度は、すなわち撰択されたものを叙述する態度と同じ事で、双方とも傾向に相違はないと考えます。前に云った色好きの浅井先生のような人に、エストミンスター・アベーが眼に着いたとすると、先生は自分の勝手でこの寺院を撰択した訳になりますが、さてこれを叙述する段になれば(腹の中で叙述しても、口で叙述しても、または筆で叙述しても)撰択した時の態度をもって細かに局部に向うだけの事であります。ただ叙述の際にある連想だとか、ある概念だとかある記号だとかアベー以外の材料をもって来て、アベーの色を説明するかも知れませんが、説明の道具に使われる材料もまた同じ態度で撰択(せんたく)したものでありますから、つまりは同じ事だろうと思います。(もっとも例外は出て来ます。態度が中途で代る事もあり得ます。しかしこれは些細(ささい)の事として御見逃しを願いたい)
 そこでAを与えられたものと見て、これを叙述する様子がだんだんに分れて遠ざかるところだけを御話しをしたい。Aそのものは何だか分らないのですが、これを叙述する方法は主知(客観)の態度に三つ、主感(主観)の態度に三つ、そうして両方を一つずつ結びつけて対(つい)にする事ができるかと思います。
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