うたかたの記
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著者名:森鴎外 

     上

 幾頭の獅子(しし)の挽(ひ)ける車の上に、勢(いきおい)よく突立ちたる、女神(にょしん)バワリアの像は、先王ルウドヰヒ第一世がこの凱旋門(がいせんもん)に据(す)ゑさせしなりといふ。その下(もと)よりルウドヰヒ町を左に折れたる処に、トリエント産の大理石にて築(きず)きおこしたるおほいへあり。これバワリアの首府に名高き見ものなる美術学校なり。校長ピロッチイが名は、をちこちに鳴りひびきて、独逸(ドイツ)の国々はいふもさらなり、新希臘(ギリシア)、伊太利(イタリア)、□馬(デンマーク)などよりも、ここに来(きた)りつどへる彫工(ちょうこう)、画工数を知らず。日課を畢(お)へて後(のち)は、学校の向ひなる、「カッフェエ・ミネルワ」といふ店に入りて、珈琲(カッフェー)のみ、酒くみかはしなどして、おもひおもひの戯(たわぶれ)す。こよひも瓦斯燈(ガスとう)の光、半ば開きたる窓に映じて、内には笑ひさざめく声聞ゆるをり、かどにきかかりたる二人あり。
 先に立ちたるは、かち色の髪(かみ)のそそけたるを厭(いと)はず、幅広き襟飾(えりかざり)斜(ななめ)に結びたるさま、誰(た)が目にも、ところの美術諸生(しょせい)と見ゆるなるべし。立(た)ち住(どま)りて、後(あと)なる色黒き小男に向ひ、「ここなり」といひて、戸口をあけつ。
 先づ二人が面(おもて)を撲(う)つはたばこの烟(けぶり)にて、遽(にわか)に入りたる目には、中(なか)なる人をも見わきがたし。日は暮れたれど暑き頃なるに、窓悉(ことごと)くあけ放(はな)ちはせで、かかる烟の中に居るも、習(ならい)となりたるなるべし。「エキステルならずや、いつの間にか帰りし。」「なほ死なでありつるよ。」など口々に呼ぶを聞けば、彼(かの)諸生はこの群(むれ)にて、馴染(なじみ)あるものならむ。その間、あたりなる客は珍らしげに、後につきて入来(いりきた)れる男を見つめたり。見つめらるる人は、座客(ざかく)のなめなるを厭ひてか、暫(しば)し眉根(まゆね)に皺(しわ)寄せたりしが、とばかり思ひかへししにや、僅(わずか)に笑(えみ)を帯びて、一座を見度(みわた)しぬ。
 この人は今着きし汽車にて、ドレスデンより来にければ、茶店(ちゃみせ)のさまの、かしことここと殊(こと)なるに目を注ぎぬ。大理石の円卓(まるづくえ)幾つかあるに、白布(しらぬの)掛けたるは、夕餉(ゆうげ)畢りし迹(あと)をまだ片附けざるならむ。裸なる卓に倚(よ)れる客の前に据ゑたる土やきの盃(さかずき)あり。盃は円筒形(えんとうがた)にて、燗徳利(かんどくり)四つ五つも併せたる大(おおい)さなるに、弓なりのとり手つけて、金蓋(かなふた)を蝶番(ちょうつがい)に作りて覆(おお)ひたり。客なき卓に珈琲碗(わん)置いたるを見れば、みな倒(さかしま)に伏せて、糸底(いとぞこ)の上に砂糖、幾塊(いくかたまり)か盛れる小皿載せたるもをかし。
 客はみなりも言葉もさまざまなれど、髪もけづらず、服も整(ととの)へぬは一様なり。されどあながち卑しくも見えぬは、さすが芸術世界に遊べるからにやあるらむ。中にも際立(きわだ)ちて賑(にぎわ)しきは中央なる大卓(おおづくえ)を占めたる一群(ひとむれ)なり。よそには男客のみなるに、独(ひとり)ここには少女(おとめ)あり。今エキステルに伴はれて来(こ)し人と目を合はせて、互に驚きたる如(ごと)し。
 来し人はこの群に珍らしき客なればにや。また少女の姿は、初めて逢(あ)ひし人を動かすに余(あまり)あらむ。前庇(まえびさし)広く飾なき帽(ぼう)を被(か)ぶりて、年は十七、八ばかりと見ゆる顔(かん)ばせ、ヱヌスの古彫像を欺(あざむ)けり。そのふるまひには自(おのずか)ら気高(けだか)き処ありて、かいなでの人と覚えず。エキステルが隣の卓なる一人の肩を拍(う)ちて、何事をか語(かたり)ゐたるを呼びて、「こなたには面白き話一つする人なし。この様子にては骨牌(カルタ)に遁(のが)れ球突(たまつき)に走るなど、忌(いま)はしき事を見むも知られず。おん連れの方と共に、こなたへ来たまはずや。」と笑みつつ勧(すす)むる、その声の清きに、いま来し客は耳傾(かたぶ)けつ。
「マリイの君のゐ玉ふ処へ、誰(たれ)か行かざらむ。人々も聞け、けふこの『ミネルワ』の仲間に入れむとて伴(ともな)ひたるは、巨勢(こせ)君とて、遠きやまとの画工なり。」とエキステルに紹介せられて、随来(したがいき)ぬる男の近寄りて会釈(えしゃく)するに、起(た)ちて名告(なの)りなどするは、外国人(とつくにびと)のみ。さらぬは坐したるままにて答ふれど、侮(あなど)りたるにもあらず、この仲間の癖(くせ)なるべし。
 エキステル、「わがドレスデンなる親族(みうち)訪(たず)ねにゆきしは人々も知りたり。巨勢君にはかしこなる画堂にて逢ひ、それより交(まじわり)を結びて、こたび巨勢君、ここなる美術学校に、しばし足を駐(とど)めむとて、旅立ち玉ふをり、われも倶(とも)にかへり路(じ)に上りぬ。」人々は巨勢に向ひて、はるばる来(き)ぬる人と相識(あいし)れるよろこびを陳(の)べ、さて、「大学にはおん国人(くにびと)も、をりをり見ゆれど、美術学校に来たまふは、君がはじめなり。けふ着きたまひしことなれば、『ピナコテエク』、また美術会の画堂なども、まだ見玉はじ。されどよそにて見たまひし処にて、南独逸(ドイツ)の画(え)を何とか見たまふ。こたび来たまひし君が目的は奈何(いかに)。」など口々に問ふ。マリイはおしとどめて、「しばししばし、かく口を揃(そろ)へて問はるる、巨勢君とやらむの迷惑、人々おもはずや。聞かむとならば、静まりてこそ。」といふを、「さても女主人(おみなあるじ)の厳しさよ、」と人々笑ふ。巨勢は調子こそ異様(ことざま)なれ、拙(つたな)からぬ独逸語にて語りいでぬ。
「わがミュンヘンに来(こ)しは、このたびを始(はじめ)とせず。六年(むとせ)前にここを過ぎて、索遜(ザクセン)にゆきぬ。そのをりは『ピナコテエク』に懸けたる画を見しのみにて、学校の人々などに、交を結ぶことを得ざりき。そは故郷を出でし時よりの目あてなるドレスデンの画堂へ往(ゆ)かむと、心のみ急がれしゆゑなり。されど再びここに来て、君らがまとゐに入ることとなりし、その因縁(いんねん)をば、早く当時に結びぬ。」
「大人気(おとなげ)なしといひけたで聞き玉へ。謝肉(しゃにく)[#「謝肉」の左に「カルネワル」とルビ、42-14]の祭、はつる日の事なりき。『ピナコテエク』の館(やかた)出でし時は、雪いま晴れて、街(ちまた)の中道(なかみち)なる並木の枝は、一(ひと)つ一(びと)つ薄き氷にてつつまれたるが、今点ぜし街燈に映じたり。いろいろの異様なる衣(ころも)を着て、白くまた黒き百眼(ひゃくまなこ)掛けたる人、群をなして往来(ゆきき)し、ここかしこなる窓には毛氈(もうせん)垂れて、物見としたり。カルルの辻(つじ)なる『カッフェエ・ロリアン』に入りて見れば、おもひおもひの仮装色を争ひ、中に雑(まじ)りし常の衣もはえある心地(ここち)す。みなこれ『コロッセウム』、『ヰクトリア』などいふ舞踏場のあくを待てるなるべし。」
 かく語る処へ、胸当(むねあて)につづけたる白前垂(まえだれ)掛けたる下女(はしため)、麦酒(ビール)の泡だてるを、ゆり越すばかり盛りたる例の大杯(おおさかずき)を、四つ五つづつ、とり手を寄せてもろ手に握りもち、「新しき樽(たる)よりとおもひて、遅(おそ)うなりぬ。許したまへ」とことわりて、前なる杯飲みほしたりし人々にわたすを、少女、「ここへ、ここへ」と呼びちかづけて、まだ杯持たぬ巨勢が前にも置かす。巨勢は一口飲みて語りつづけぬ。
「われも片隅なる一榻(いっとう)に腰掛けて、賑はしきさま打見るほどに、門(かど)の戸あけて入(い)りしは、きたなげなる十五ばかりの伊太利栗(イタリアぐり)うりにて、焼栗盛りたる紙筒(かみづつ)を、堆(うずたか)く積みし箱かいこみ、『マロオニイ、セニョレ。』(栗めせ、君)と呼ぶ声も勇ましき、後につきて入りしは、十二、三と見ゆる女(おみな)の子(こ)なりき。旧(ふる)びたる鷹匠頭巾(たかじょうずきん)[#「鷹匠頭巾」の左に「カプウチェ」とルビ、43-14]、ふかぶかと被(かぶ)り、凍(こご)えて赤うなりし両手さしのべて、浅き目籠(めご)の縁(ふち)を持ちたり。目籠には、常盤木(ときわぎ)の葉、敷き重ねて、その上に時ならぬ菫花(すみれ)の束を、愛らしく結びたるを載せたり。『ファイルヘン、ゲフェルリヒ』(すみれめせ)と、うなだれたる首(こうべ)を擡(もた)げもあへでいひし声の清さ、今に忘れず。この童(わらべ)と女の子と、道連れとは見えねば、童の入るを待ちて、これをしほに、女の子は来しならむとおもはれぬ。」
「この二人のさまの殊(こと)なるは、早くわが目を射(い)き。人を人ともおもはぬ、殆(ほとんど)憎げなる栗うり、やさしくいとほしげなるすみれうり、いづれも群(むれ)ゐる人の間を分けて、座敷の真中(まなか)、帳場(ちょうば)の前あたりまで来し頃、そこに休みゐたる大学々生らしき男の連れたる、英吉利種(イギリスだね)の大狗(おおいぬ)、いままで腹這(はらば)ひてゐたりしが、身を起して、背をくぼめ、四足(よつあし)を伸ばし、栗箱に鼻さし入れつ。それと見て、童の払ひのけむとするに、驚きたる狗、あとに附きて来し女の子に突当れば、『あなや、』とおびえて、手に持ちし目籠とり落したり。茎(くき)に錫紙(すずがみ)巻きたる、美しきすみれの花束、きらきらと光りて、よもに散りぼふを、好(よ)き物得つと彼(かの)狗、踏みにじりては、□(くわ)へて引きちぎりなどす。ゆかは暖炉(だんろ)の温(ぬく)まりにて解けたる、靴の雪にぬれたれば、あたりの人々、かれ笑ひ、これ罵(ののし)るひまに、落花狼藉(らっかろうぜき)、なごりなく泥土に委(ゆだ)ねたり。栗うりの童は、逸足(いちあし)出(いだ)して逃去り、学生らしき男は、欠(あく)びしつつ狗を叱(しっ)し、女の子は呆(あき)れて打守(うちまも)りたり。この菫花うりの忍びて泣かぬは、うきになれて涙の泉涸(か)れたりしか、さらずは驚き惑(まど)ひて、一日の生計(たつき)、これがために已(や)まむとまでは想到(おもいいた)らざりしか。しばしありて、女の子は砕(くだ)けのこりたる花束二つ三つ、力なげに拾はむとするとき、帳場にゐる女の知らせに、ここの主人(あるじ)出でぬ。赤がほにて、腹突きいだしたる男の、白き前垂したるなり。太き拳(こぶし)を腰にあてて、花売りの子を暫し睨(にら)み、『わが店にては、暖簾師(のれんし)[#「暖簾師」の左側に「ハウジイレル」とルビ、45-5]めいたるあきなひ、せさせぬが定(さだめ)なり。疾(と)くゆきね。』とわめきぬ。女の子は唯(ただ)言葉なく出でゆくを、満堂の百眼(ひゃくまなこ)、一滴(ひとしずく)の涙なく見送りぬ。」
「われは珈琲代の白銅貨を、帳場の石板の上に擲(な)げ、外套(がいとう)取りて出でて見しに、花売の子は、ひとりさめさめと泣きてゆくを、呼べども顧(かえり)みず。追付きて、『いかに、善(よ)き子、菫花のしろ取らせむ、』といふを聞きて、始めて仰見(あおぎみ)つ。そのおもての美しさ、濃き藍(あい)いろの目には、そこひ知らぬ憂(うれい)ありて、一たび顧みるときは人の腸(はらわた)を断たむとす。嚢中(のうちゅう)の『マルク』七つ八つありしを、から籠(かご)の木(こ)の葉(は)の上に置きて与へ、驚きて何ともいはぬひまに、立去りしが、その面(おもて)、その目、いつまでも目に付きて消えず。ドレスデンにゆきて、画堂の額(がく)うつすべき許(ゆるし)を得て、ヱヌス、レダ、マドンナ、へレナ、いづれの図に向ひても、不思議や、すみれ売のかほばせ霧の如(ごと)く、われと画額との間に立ちて障礙(しょうげ)をなしつ。かくては所詮(しょせん)、我業(わざ)の進まむこと覚束(おぼつか)なしと、旅店の二階に籠(こ)もりて、長椅子(ながいす)の覆革(おおいかわ)に穴あけむとせし頃もありしが、一朝(いっちょう)大勇猛心を奮(ふる)ひおこして、わがあらむ限(かぎり)の力をこめて、この花売の娘の姿を無窮(むきゅう)に伝へむと思ひたちぬ。さはあれどわが見し花うりの目、春潮を眺(なが)むる喜(よろこび)の色あるにあらず、暮雲を送る夢見心あるにあらず、伊太利(イタリア)古跡の間に立たせて、あたりに一群(ひとむれ)の白鳩(しろばと)飛ばせむこと、ふさはしからず。我空想はかの少女(おとめ)をラインの岸の巌根(いわね)にをらせて、手に一張(ひとはり)の琴を把(と)らせ、嗚咽(おえつ)の声を出(いだ)させむとおもひ定めにき。下(した)なる流にはわれ一葉(いちよう)の舟を泛(うか)べて、かなたへむきてもろ手高く挙げ、面(おもて)にかぎりなき愛を見せたり。舟のめぐりには数知られぬ、『ニックセン』、『ニュムフェン』などの形波間(なみま)より出でて揶揄(やゆ)す。けふこのミュンヘンの府(ふ)に来て、しばし美術学校の『アトリエ』借らむとするも、行李(こり)の中、唯この一画藁(いちがこう)、これをおん身ら師友の間に議(はか)りて、成しはてむと願ふのみ。」
 巨勢はわれ知らず話しいりて、かくいひ畢(おわ)りし時は、モンゴリア形(がた)の狭き目も光るばかりなりき。「いしくも語りけるかな、」と呼ぶもの二人三人(ふたりみたり)。エキステルは冷淡に笑ひて聞(きき)ゐたりしが、「汝たちもその図見にゆけ、一週がほどには巨勢君の『アトリエ』ととのふべきに」といひき。マリイは物語の半(なかば)より色をたがへて、目は巨勢が唇にのみ注ぎたりしが、手に持ちし杯(さかずき)さへ一たびは震ひたるやうなりき。巨勢は初(はじめ)このまとゐに入りし時、已(すで)に少女の我すみれうりに似たるに驚きしが、話に聞きほれて、こなたを見つめたるまなざし、あやまたずこれなりと思はれぬ。こも例の空想のしわざなりや否(いな)や。物語畢りしとき、少女は暫し巨勢を見やりて、「君はその後(のち)、再び花うりを見たまはざりしか、」と問ひぬ。巨勢は直(ただ)ちに答ふべき言葉を得ざるやうなりしが。「否。花売を見しその夕(ゆうべ)の汽車にてドレスデンを立ちぬ。されどなめなる言葉を咎(とが)め玉はずばきこえ侍(はべ)らむ。我すみれうりの子にもわが『ロオレライ』の画(え)にも、をりをりたがはず見えたまふはおん身なり。」
 この群は声高く笑ひぬ。少女、「さては画額ならぬ我姿と、君との間にも、その花うりの子立てりと覚えたり。我を誰とかおもひ玉ふ。」起ちあがりて、真面目(まじめ)なりとも戯(たわぶれ)なりとも、知られぬやうなる声にて。「われはその菫花(すみれ)うりなり。君が情(なさけ)の報(むくい)はかくこそ。」少女は卓越(たくご)しに伸びあがりて、俯(うつむ)きゐたる巨勢が頭(かしら)を、ひら手にて抑へ、その額(ぬか)に接吻(せっぷん)しつ。
 この騒ぎに少女が前なりし酒は覆(くつが)へりて、裳(もすそ)を浸(ひた)し、卓の上にこぼれたるは、蛇の如く這(は)ひて、人々の前へ流れよらむとす。巨勢は熱き手掌(たなぞこ)を、両耳の上におぼえ、驚く間もなく、またこれより熱き唇、額に触れたり。「我友に目を廻させたまふな。」とエキステル呼びぬ。人々は半ば椅子より立ちて「いみじき戯(たわぶれ)かな、」と一人がいへば、「われらは継子(ままこ)なるぞくやしき、」と外(ほか)の一人いひて笑ふを、よそなる卓よりも、皆興ありげにうち守(まも)りぬ。
 少女が側(そば)に坐したりし一人は、「われをもすさめ玉はむや、」といひて、右手(めて)さしのべて少女が腰をかき抱きつ。少女は「さても礼儀知らずの継子どもかな、汝らにふさはしき接吻のしかたこそあれ。」と叫び、ふりほどきて突立ち、美しき目よりは稲妻(いなずま)出づと思ふばかり、しばし一座を睨(にら)みつ。巨勢は唯呆(あき)れに呆れて見ゐたりしが、この時の少女が姿は、菫花うりにも似ず、「ロオレライ」にも似ず、さながら凱旋門上のバワリアなりと思はれぬ。
 少女は誰(た)が飲みほしけむ珈琲碗に添へたりし「コップ」を取りて、中なる水を口に銜(ふく)むと見えしが、唯一□(ひとふき)。「継子よ、継子よ、汝ら誰(たれ)か美術の継子ならざる。フィレンチェ派学ぶはミケランジェロ、ヰンチイが幽霊、和蘭(オランダ)派学ぶはルウベンス、ファン・ヂイクが幽霊、我国のアルブレヒト・ドュウレル学びたりとも、アルブレヒト・ドュウレルが幽霊ならぬは稀(まれ)ならむ。会堂に掛けたる『スツヂイ』二つ三つ、値段(ねだん)好く売れたる暁(あかつき)には、われらは七星われらは十傑、われらは十二使徒と擅(ほしいまま)に見たてしてのわれぼめ。かかるえり屑(くず)にミネルワの唇いかで触れむや。わが冷たき接吻にて、満足せよ。」とぞ叫びける。
 噴掛(ふきか)けし霧の下なるこの演説、巨勢は何事とも弁(わきま)へねど、時の絵画をいやしめたる、諷刺(ふうし)ならむとのみは推測(おしはか)りて、その面(おもて)を打仰ぐに、女神バワリアに似たりとおもひし威厳少しもくづれず、言畢(いいおわ)りて卓の上におきたりし手袋の酒に濡れたるを取りて、大股(おおまた)にあゆみて出でゆかむとす。
 皆すさまじげなる気色(けしき)して、「狂人」と一人いへば、「近きに報(むくい)せでは已(や)まじ」と外の一人いふを、戸口にて振りかへりて。「遺恨に思ふべき事かは、月影にすかして見よ、額に血の迹(あと)はとどめじ。吹きかけしは水なれば。」


     中

 あやしき少女(おとめ)の去りてより、ほどなく人々あらけぬ。帰(かえ)り路(じ)にエキステルに問へば、「美術学校にて雛形(モデル)となる少女の一人にて、『フロイライン』ハンスルといふものなり。見たまひし如く奇怪なる振舞(ふるまい)するゆゑ、狂女なりともいひ、また外の雛形娘と違ひて、人に肌見せねば、かたはにやといふもあり。その履歴知るものなけれど、教(おしえ)ありて気象よの常ならず、□(けが)れたる行(おこない)なければ、美術諸生の仲間には、喜びて友とするもの多し。善(よ)き首(こうべ)なることは見たまふ如し。」と答へぬ。巨勢(こせ)、「我画かくにもようあるべきものなり。『アトリエ』ととのはむ日には、来(こ)よと伝へたまへ。」エキステル、「心得たり。されど十三の花売娘にはあらず、裸体の研究、危(あやう)しとはおもはずや。」巨勢、「裸体の雛形せぬ人と君もいひしが。」エキステル、「現(げ)にいはれたり。されど男と接吻したるも、けふ始めて見き。」エキステルがこの言葉に、巨勢は赤うなりしが、街燈暗き「シルレル・モヌメント」のあたりなりしかば、友は見ざりけり。巨勢が「ホテル」の前にて、二人は袂(たもと)を分ちぬ。
 一週ほど後(のち)の事なりき。エキステルが周旋にて、美術学校の「アトリエ」一間(ひとま)を巨勢に借されぬ。南に廊下ありて、北面の壁は硝子(ガラス)の大窓(おおまど)に半(なかば)を占められ、隣の間とのへだてには唯帆木綿(ほもめん)の幌(とばり)あるのみ。頃はみな月半ばなれど、旅立ちし諸生多く、隣に人もあらず、業(わざ)妨ぐべき憂(うれい)なきを喜びぬ。巨勢は画額の架(だい)[#「架」の左に「スタッファージュ」とルビ、50-11]の前に立ちて、今入りし少女に「ロオレライ」の画を指さし示して、「君に聞かれしはこれなり。面白げに笑ひたはぶれ玉ふときは、さしもおもはれねど、をりをり君がおも影の、ここなる未成の人物にいとふさはしきときあり。」
 少女は高く笑ひて。「物忘(ものわすれ)したまふな。おん身が『ロオレライ』の本(もと)の雛形、すみれ売の子は我なりとは、先の夜も告げしものを。」かくいひしが俄(にわか)に色を正して。「おん身は我を信じたまはず、げにそれも無理ならず。世の人は皆我を狂女なりといへば、さおもひたまふならむ。」この声戯(たわぶれ)とは聞えず。
 巨勢は半信半疑したりしが、忍びかねて少女にいふ、「余りに久しくさいなみ玉ふな。今も我が額(ぬか)に燃ゆるは君が唇なり。はかなき戯とおもへば、しひて忘れむとせしこと、幾度(いくたび)か知らねど、迷(まよい)は遂に晴れず。あはれ君がまことの身の上、苦しからずは聞かせ玉へ。」
 窓(まど)の下(もと)なる小机に、いま行李(こり)より出したる旧(ふる)き絵入新聞、遣(つか)ひさしたる油(あぶら)ゑの具(ぐ)の錫筒(すずづつ)、粗末なる烟管(キセル)にまだ巻烟草(まきタバコ)の端(はし)の残れるなど載せたるその片端に、巨勢はつら杖(づえ)つきたり。少女は前なる籐(とう)の椅子(いす)に腰かけて、語りいでぬ。
「まづ何事よりか申さむ。この学校にて雛形の鑑札受くるときも、ハンスルといふ名にて通したれど、そは我真(まこと)の名にあらず。父はスタインバハとて、今の国王に愛(め)でられて、ひと時栄(さか)えし画工なりき。わが十二の時、王宮の冬園(ふゆその)[#「冬園」の左に「ヴィンテルガルテン」とルビ、51-12]に夜会ありて、二親みな招かれぬ。宴(うたげ)闌(たけなわ)なる頃、国王見えざりければ、人々驚きて、移植(うつしう)ゑし熱帯草木(そうもく)いやが上に茂れる、硝子(ガラス)屋根の下、そこかここかと捜しもとめつ。園(その)の片隅にはタンダルヂニスが刻(きざ)める、ファウストと少女との名高き石像あり。わが父のそのあたりに来たりし時、胸裂(さ)くるやうなる声して、『助けて、助けて』と叫ぶものあり。声をしるべに、黄金(こがね)の穹窿(まるてんじょう)おほひたる、『キオスク』(四阿屋(あずまや))の戸口に立寄れば、周囲に茂れる椶櫚(しゅろ)の葉に、瓦斯燈(ガスとう)の光支へられたるが、濃き五色にて画きし、窓硝子を洩(も)りてさしこみ、薄暗くあやしげなる影をなしたる裡(うち)に、一人の女の逃げむとすまふを、ひかへたるは王なり。その女のおもて見し時の、父が心はいかなりけむ。かれは我母なりき。父はあまりの事に、しばしたゆたひしが、『許したまへ、陛下(へいか)』と叫びて、王を推倒(おしたお)しつ。そのひまに母は走りのきしが、不意を打たれて倒れし王は、起き上りて父に組付きぬ。肥(こ)えふとりて多力なる国王に、父はいかでか敵し得べき、組敷かれて、側(かたわら)なりし如露(じょろ)にてしたたか打たれぬ。この事知りて諌(いさ)めし、内閣の秘書官チイグレルは、ノイシュワンスタインなる塔に押籠(おしこ)めらるるはずなりしが、救ふ人ありて助けられき。われはその夜家にありて、二親の帰るを待ちしに、下女(はしため)来て父母帰り玉ひぬといふ。喜びて出迎ふれば、父舁(か)かれて帰り、母は我を抱きて泣きぬ。」
 少女は暫(しば)らく黙しつ。けさより曇りたる空は、雨になりて、をりをり窓を打つ雫(しずく)、はらはらと音す。巨勢いふ。「王の狂人となりて、スタルンベルヒの湖に近き、ベルヒといふ城に遷(うつ)され玉ひしことは、きのふ新聞にて読みしが、さてはその頃よりかかる事ありしか。」
 少女は語を継(つ)ぎて。「王の繁華の地を嫌ひて、鄙(ひな)に住まひ、昼寝ねて夜起きたまふは、久しきほどの事なり。独逸(ドイツ)、仏蘭西(フランス)の戦(いくさ)ありし時、加特力(カトリック)派の国会に打勝ちて、普魯西(プロシヤ)方につきし、王が中年のいさをは、次第に暴政の噂(うわさ)に掩(おお)はれて、公けにこそ言ふものなけれ、陸軍大臣メルリンゲル、大蔵大臣リイデルなど、故なくして死刑に行はれむとしたるを、その筋にて秘めたるは、誰知らぬものなし。王の昼寝し玉ふときは、近衆(きんじゅう)みな却(しりぞ)けられしが、囈語(うわこと)にマリイといふこと、あまたたびいひたまふを聞きしもありといふ。我母の名もマリイといひき。望なき恋は、王の病を長ぜしにあらずや。母はかほばせ我に似たる処ありて、その美しさは宮の内にて類(たぐい)なかりきと聞きつ。」
「父は間もなく病みて死にき。交(まじわり)広く、もの惜(おし)みせず、世事には極めて疎(うと)かりければ、家に遺財つゆばかりもなし。それよりダハハウエル街の北のはてに、裏屋の二階明きたりしを借りて住みしが、そこに遷りてより、母も病みぬ。かかる時にうつろふものは、人の心の花なり。数知らぬ苦しき事は、わが穉(おさな)き心に、早く世の人を憎ましめき。明(あく)る年の一月、謝肉祭の頃なりき、家財衣類なども売尽して、日々の烟(けぶり)も立てかぬるやうになりしかば、貧しき子供の群に入りてわれも菫花(すみれ)売ることを覚えつ。母のみまかる前、三日四日のほどを安く送りしは、おん身の賜(たまもの)なりき。」
「母のなきがら片付けなどするとき、世話せしは、一階高くすまひたる裁縫師なり。あはれなる孤(みなしご)ひとり置くべきにあらずとて、迎取られしを喜びしこと、今おもひ出しても口惜(くや)しきほどなり。裁縫師には、娘二人ありて、いたく物ごのみして、みづから衒(てら)ふさまなるを見しが、迎取られてより伺(うかが)へば、夜に入りてしばしば客あり。酒など飲みて、はては笑ひ罵(ののし)り、また歌ひなどす。客は外国(とつくに)の人多く、おん国の学生なども見えしやうなりき。或る日主人(あるじ)われにも新しき衣(きぬ)着よといひしが、そのをりその男の我を見て笑ひし顔、何となく怖(おそ)ろしく、子供心にもうれしとはおもはざりき。午(ひる)すぎし頃、四十ばかりなる知らぬ人来て、スタルンベルヒの湖水へ往(ゆ)かむといふを、主人も倶(とも)に勧(すす)めき。父の世にありしきとき、伴はれてゆきし嬉しさ、なほ忘れざりしかば、しぶしぶ諾(うべな)ひつるを、「かくてこそ善(よ)き子なれ」とみな誉(ほ)めつ。連れなる男は、途(みち)にてやさしくのみ扱ひて、かしこにては『バワリア』といふ座敷船(ザロンダムフェル)に乗り、食堂にゆきて物食はせつ。酒もすすめぬれど、そは慣れぬものなれば、辞(いな)みて飲まざりき。ゼエスハウプトに船はてしとき、その人はまた小舟を借り、これに乗りて遊ばむといふ。暮れゆくそらに心細くなりしわれは、はやかへらむといへど、聴かずして漕出(こぎい)で、岸辺に添ひてゆくほどに、人げ遠き葦間(あしま)に来(きた)りしが、男は舟をそこに停(と)めつ。わが年はまだ十三にて、初(はじめ)は何事ともわきまへざりしが、後(のち)には男の顔色もかはりておそろしく、われにでもあらで、水に躍入(おどりい)りぬ。暫しありて我にかへりしときは、湖水の畔(ほとり)なる漁師(りょうし)の家にて、貧しげなる夫婦のものに、介抱せられてゐたりき。帰るべき家なしと言張りて、一日(ひとひ)二日(ふたひ)と過(すぐ)す中(うち)に、漁師夫婦の質朴なるに馴染(なじ)みて、不幸なる我身の上を打明けしに、あはれがりて娘として養ひぬ。ハンスルといふは、この漁師の名なり。」
「かくて漁師の娘とはなりぬれど、弱き身には舟の櫂(かじ)取ることもかなはず、レオニのあたりに、富める英吉利人(イギリスびと)の住めるに雇(やと)はれて、小間使(こまづかい)になりぬ。加特力教(カトリックきょう)信ずる養父母は、英吉利人に使はるるを嫌ひぬれど、わが物読むことなど覚えしは、彼(かの)家なりし雇女教師(やといじょきょうし)[#「雇女教師」の左に「グェルナント」とルビ、55-10]の恵(めぐみ)なり。女教師は四十余の処女(しょじょ)なりしが、家の娘のたかぶりたるよりは、我を愛すること深く、三年(みとせ)がほどに多くもあらぬ教師の蔵書、悉(ことごと)く読みき。ひがよみはさこそ多かりけめ。またふみの種類もまちまちなりき。クニッゲが交際法あれば、フムボルトが長生術あり。ギョオテ、シルレルの詩抄半ばじゆしてキョオニヒが通俗の文学史を繙(ひもと)き、あるはルウヴル、ドレスデンの画堂の写真絵、繰りひろげて、テエヌが美術論の訳書をあさりぬ。」
「去年(こぞ)英吉利人一族を率ゐて国に帰りし後は、然(しか)るべき家に奉公せばやとおもひしが、身元善(よ)からねば、ところの貴族などには使はれず。この学校の或る教師に、端(はし)なくも見出されて、雛形(モデル)勤めしが縁(えにし)になりて、遂に鑑札受くることとなりしが、われを名高きスタインバハが娘なりとは知る人なし。今は美術家の間に立ちまじりて、唯(ただ)面白くのみ日を暮せり。されどグスタアフ・フライタハはさすがそら言(ごと)いひしにあらず。美術家ほど世に行儀悪(あ)しきものなければ、独立(ひとりた)ちて交(まじわ)るには、しばしも油断すべからず。寄らず、障(さわ)らぬやうにせばやとおもひて、計(はか)らず見玉(みたま)ふ如き不思議の癖者(くせもの)になりぬ。をりをりは我身、みづからも狂人にはあらずやと疑ふばかりなり。これにはレオニにて読みしふみも、少(すこ)し祟(たたり)をなすかとおもへど、もし然(さ)らば世に博士と呼ばるる人は、そもそもいかなる狂人ならむ。われを狂人と罵る美術家ら、おのれらが狂人ならぬを憂へこそすべきなれ。英雄豪傑、名匠大家となるには、多少の狂気なくて□(かな)はぬことは、ゼネカが論をも、シエエクスピアが言(げん)をも待(ま)たず。見玉へ、我学問の博(ひろ)きを。狂人にして見まほしき人の、狂人ならぬを見る、その悲しさ。狂人にならでもよき国王は、狂人になりぬと聞く、それも悲し。悲しきことのみ多ければ、昼は蝉(せみ)と共に泣き、夜は蛙(かわず)と共に泣けど、あはれといふ人もなし。おん身のみは情(つれ)なくあざみ笑ひ玉はじとおもへば、心のゆくままに語るを咎(とが)め玉ふな。ああ、かういふも狂気か。」


     下

 定(さだめ)なき空に雨歇(や)みて、学校の庭の木立(こだち)のゆるげるのみ曇りし窓の硝子(ガラス)をとほして見ゆ。少女(おとめ)が話聞く間、巨勢(こせ)が胸には、さまざまの感情戦ひたり。或ときはむかし別れし妹に逢(あ)ひたる兄の心となり、或ときは廃園に僵(たお)れ伏(ふ)したるヱヌスの像に、独(ひとり)悩める彫工の心となり、或るときはまた艶女(えんにょ)に心動され、われは堕(お)ちじと戒むる沙門(しゃもん)の心ともなりしが、聞きをはりし時は、胸騒ぎ肉顫(ふる)ひて、われにもあらで、少女が前に跪(ひざまず)かむとしつ。少女はつと立ちて「この部屋の暑さよ。はや学校の門もささるる頃なるべきに、雨も晴れたり。おん身とならば、おそろしきこともなし。共にスタルンベルヒへ往(ゆ)き玉はずや。」と側(そば)なる帽(ぼう)取りて戴(いただ)きつ。そのさま巨勢が共に行くべきを、つゆ疑はずと覚(おぼ)し。巨勢は唯(ただ)母に引かるる穉子(おさなご)の如く従ひゆきぬ。
 門前にて馬車雇(やと)ひて走らするに、ほどなく停車場に来ぬ。けふは日曜なれど、天気悪(あ)しければにや、近郷(きんごう)よりかへる人も多からで、ここはいと静(しずか)なり。新聞の号外売る婦人あり。買ひて見れば、国王ベルヒの城に遷(うつ)りて、容体(ようだい)穏なれば、侍医グッデンも護衛を弛(ゆる)めさせきとなり。□車(きしゃ)中には湖水の畔(ほとり)にあつさ避くる人の、物買ひに府に出でし帰るさなるが多し。王の噂(うわさ)いと喧(かまびす)し。「まだホオヘンシュワンガウの城にゐたまひし時には似ず、心鎮(しず)まりたるやうなり。ベルヒに遷さるる途中、ゼエスハウプトにて水求めて飲みたまひしが、近きわたりなりし漁師(りょうし)らを見て、やさしく頷(うなず)きなどしたまひぬ。」と訛(だ)みたることばにて語るは、かひもの籠(かご)手にさげたる老女(おうな)なりき。
 車走ること一時間、スタルンベルヒに着きしは夕(ゆうべ)の五時なり。かちより往(ゆ)きてやうやう一日ほどの処なれど、はやアルペン山の近さを、唯何となく覚えて、このくもらはしき空の気色(けしき)にも、胸開きて息せらる。車のあちこちと廻来(まわりこ)し、丘陵の忽(たちまち)開けたる処に、ひろびろと見ゆるは湖水なり。停車場は西南の隅にありて、東岸なる林木、漁村はゆふ霧に包まれてほのかに認めらるれど、山に近き南の方は一望きはみなし。
 案内(あない)知りたる少女に引かれて、巨勢は右手(めて)なる石段をのぼりて見るに、ここは「バワリア」の庭(ホオフ)といふ「ホテル」の前にて、屋根なき所に石卓(いしづくえ)、椅子(いす)など並べたるが、けふは雨後なればしめじめと人げ少し。給仕する僕(しもべ)の黒き上衣(うわぎ)に、白の前掛したるが、何事をかつぶやきつつも、卓に倒しかけたる椅子を、引起して拭(ぬぐ)ひゐたり。ふと見れば片側の軒(のき)にそひて、つた蔓(かずら)からませたる架(たな)ありて、その下(もと)なる円卓(まるづくえ)を囲みたるひと群(むれ)の客あり。こはこの「ホテル」に宿りたる人々なるべし。男女打ちまじりたる中に、先の夜「ミネルワ」にて見し人ありしかば、巨勢は往きてものいはむとせしに、少女おしとどめて。「かしこなるは、君の近づきたまふべき群にあらず。われは年若き人と二人にて来たれど、愧(は)づべきはかなたにありて、こなたにあらず。彼はわれを知りたれば、見玉へ、久しく座にえ忍びあへで隠るべし。」とばかりありて、彼(かの)美術諸生は果して起(た)ちて「ホテル」に入りぬ。少女は僕を呼びちかづけて、座敷船はまだ出づべしやと問ふに、僕は飛行く雲を指さして、この覚束(おぼつか)なきそらあひなれば、最早(もはや)出(い)でざるべしといふ。さらば車にてレオニに行かばやとて言付けぬ。
 馬車来ぬれば、二人は乗りぬ。停車場の傍(かたえ)より、東の岸辺を奔(はし)らす。この時アルペンおろしさと吹来て、湖水のかたに霧立ちこめ、今出でし辺(ほとり)をふりかへり見るに、次第々々に鼠色(ねずみいろ)になりて、家の棟(むね)、木のいただきのみ一きは黒く見えたり。御者ふりかへりて、「雨なり。母衣(ほろ)掩(おお)ふべきか。」と問ふ。「否(いな)」と応(こた)へし少女は巨勢に向ひて。「ここちよのこの遊(あそび)や。むかし我命喪(うしな)はむとせしもこの湖の中なり。我命拾ひしもまたこの湖の中なり。さればいかでとおもふおん身に、真心(まごころ)打明けてきこえむもここにてこそと思へば、かくは誘(さそ)ひまつりぬ。『カッフェエ・ロリアン』にて恥かしき目にあひけるとき、救ひ玉はりし君をまた見むとおもふ心を命にて、幾歳(いくとせ)をか経にけむ。先の夜『ミネルワ』にておん身が物語聞きしときのうれしさ、日頃木のはしなどのやうにおもひし美術諸生の仲間なりければ、人あなづりして不敵の振舞(ふるまい)せしを、はしたなしとや見玉ひけむ。されど人生いくばくもあらず。うれしとおもふ一弾指(いちだんし)の間に、口張りあけて笑はずば、後にくやしくおもふ日あらむ。」かくいひつつ被(かぶ)りし帽を脱棄(ぬぎす)てて、こなたへふり向きたる顔は、大理石脈(だいりせきみゃく)に熱血跳(おど)る如くにて、風に吹かるる金髪は、首(こうべ)打振りて長く嘶(いば)ゆる駿馬(しゅんめ)の鬣(たてがみ)に似たりけり。「けふなり。けふなり。きのふありて何かせむ。あすも、あさても空(むな)しき名のみ、あだなる声のみ。」
 この時、二点三点、粒太(つぶふと)き雨は車上の二人が衣(きぬ)を打ちしが、瞬(またた)くひまに繁くなりて、湖上よりの横しぶき、あららかにおとづれ来て、紅(べに)を潮(さ)したる少女が片頬(かたほお)に打ちつくるを、さし覗(のぞ)く巨勢が心は、唯そらにのみやなりゆくらむ。少女は伸びあがりて、「御者、酒手(さかて)は取らすべし。疾(と)く駆(か)れ。一策(ひとむち)加へよ、今一策。」と叫びて、右手(めて)に巨勢が頸(うなじ)を抱(いだ)き、己(おの)れは項(うなじ)をそらせて仰視(あおぎみ)たり。巨勢は絮(わた)の如き少女が肩に、我頭(かしら)を持たせ、ただ夢のここちしてその姿を見たりしが、彼(かの)凱旋門(がいせんもん)上の女神バワリアまた胸に浮びぬ。
 国王の棲(す)めりといふベルヒ城の下(もと)に来(こ)し頃は、雨いよいよ劇(はげ)しくなりて、湖水のかたを見わたせば、吹寄する風一陣々、濃淡の竪縞(たてじま)おり出して、濃(こ)き処には雨白く、淡(あわ)き処には風黒し。御者は車を停めて、「しばしがほどなり。余りに濡(ぬ)れて客人(まろうど)も風や引き玉はむ。また旧(ふる)びたれどもこの車、いたく濡らさば、主人(あるじ)の嗔(いかり)に逢(あ)はむ。」といひて、手早く母衣打掩(うちおお)ひ、また一鞭(ひとむち)あてて急ぎぬ。
 雨なほをやみなくふりて、神おどろおどろしく鳴りはじめぬ。路(みち)は林の間に入りて、この国の夏の日はまだ高かるべき頃なるに、木下道(このしたみち)ほの暗うなりぬ。夏の日に蒸(む)されたりし草木の、雨に湿(うるお)ひたるかをり車の中に吹入るを、渇(かつ)したる人の水飲むやうに、二人は吸ひたり。鳴神(なるかみ)のおとの絶間(たえま)には、おそろしき天気に怯(おく)れたりとも見えぬ「ナハチガル」鳥の、玲瓏(れいろう)たる声振りたててしばなけるは、淋しき路を独(ひとり)ゆく人の、ことさらに歌うたふ類(たぐい)にや。この時マリイは諸手(もろて)を巨勢が項に組合せて、身のおもりを持たせかけたりしが、木蔭を洩(も)る稲妻に照らされたる顔、見合せて笑(えみ)を含みつ。あはれ二人は我を忘れ、わが乗れる車を忘れ、車の外なる世界をも忘れたりけむ。
 林を出でて、阪路(さかみち)を下るほどに、風村雲(むらくも)を払ひさりて、雨もまた歇(や)みぬ。湖の上なる霧は、重ねたる布を一重(ひとえ)、二重と剥(は)ぐ如く、束(つか)の間(ま)に晴れて、西岸なる人家も、また手にとるやうに見ゆ。唯ここかしこなる木下蔭を過(す)ぐるごとに、梢(こずえ)に残る露の風に払はれて落つるを見るのみ。
 レオニにて車を下りぬ。左に高く聳(そばだ)ちたるは、いはゆるロットマンが岡にて、「湖上第一勝」と題したる石碑(せきひ)の建てる処なり。右に伶人(れいじん)レオニが開きぬといふ、水に臨(のぞ)める酒店(さかみせ)あり。巨勢が腕(かいな)にもろ手からみて、縋(すが)るやうにして歩みし少女は、この店の前に来て岡の方をふりかへりて、「わが雇はれし英吉利人(イギリスびと)の住みしは、この半腹(はんぷく)の家なりき。老いたるハンスル夫婦が漁師小屋も、最早百歩がほどなり。われはおん身をかしこへ、伴はむとおもひて来(こ)しが、胸騒ぎて堪(た)へがたければ、この店にて憩(いこ)はばや。」巨勢は現(げ)にもとて、店に入りて夕餉(ゆうげ)誂(あつら)ふるに、「七時ならでは整はず、まだ三十分待ち給はではかなはじ、」といふ。ここは夏の間のみ客ある処にて、給仕する人もその年々に雇ふなれば、マリイを識(し)れるもなかりき。
 少女はつと立ちて、桟橋(さんばし)に繋(つな)ぎし舟を指さし、「舟漕(こ)ぐことを知り玉ふか。」巨勢、「ドレスデンにありし時、公園のカロラ池にて舟漕ぎしことあり、善くすといふにあらねど、君独(ひと)りわたさむほどの事、いかで做得(なしえ)ざらむ。」少女、「庭なる椅子(いす)は濡(ぬ)れたり。さればとて屋根の下は、あまりに暑し。しばし我を載せて漕ぎ玉へ。」
 巨勢はぬぎたる夏外套(なつがいとう)を少女に被(き)せて小舟(おぶね)に乗らせ、われは櫂(かい)取りて漕出(こぎい)でぬ。雨は歇みたれど、天なほ曇りたるに、暮色は早く岸のあなたに来ぬ。さきの風に揺られたるなごりにや、□敲(かじたた)くほどの波はなほありけり。岸に沿ひてベルヒの方(かた)へ漕ぎ戻すほどに、レオニの村落果つるあたりに来ぬ。岸辺の木立(こだち)絶えたる処に、真砂路(まさごじ)の次第に低くなりて、波打際(なみうちぎわ)に長椅子据(す)ゑたる見ゆ。蘆(あし)の一叢(ひとむら)舟に触れて、さわさわと声するをりから、岸辺に人の足音して、木の間を出づる姿あり。身の長(たけ)六尺に近く、黒き外套を着て、手にしぼめたる蝙蝠傘(こうもりがさ)を持ちたり。左手(ゆんで)に少し引きさがりて随(したが)ひたるは、鬚(ひげ)も髪も皆雪の如くなる翁(おきな)なりき。前なる人は俯(うつむ)きて歩み来(き)ぬれば、縁(ふち)広き帽に顔隠れて見えざりしが、今木(こ)の間(ま)を出でて湖水の方に向ひ、しばし立ちとどまりて、片手に帽をぬぎ持ちて、打ち仰ぎたるを見れば、長き黒髪を、後(うしろ)ざまにかきて広き額(ぬか)を露(あら)はし、面(おもて)の色灰のごとく蒼(あお)きに、窪(くぼ)みたる目の光は人を射たり。舟にては巨勢が外套を背に着て、蹲(うずく)まりゐたるマリイ、これも岸なる人を見ゐたりしが、この時俄(にわか)に驚きたる如く、「彼は王なり」と叫びて立ちあがりぬ。背なりし外套は落ちたり。帽はさきに脱ぎたるまま、酒店に置きて出でぬれば、乱れたるこがね色の髪は、白き夏衣(なつごろも)の肩にたをたをとかかりたり。岸に立ちたるは、実に侍医グッデンを引つれて、散歩に出でたる国王なりき。あやしき幻の形を見る如く、王は恍惚(こうこつ)として少女の姿を見てありしが、忽(たちまち)一声「マリイ」と叫び、持ちたる傘投棄てて、岸の浅瀬をわたり来ぬ。少女は「あ」と叫びつつ、そのまま気を喪(うしな)ひて、巨勢が扶(たす)くる手のまだ及ばぬ間(ま)に僵(たお)れしが、傾く舟の一揺りゆらるると共に、うつ伏(ぶせ)になりて水に墜(お)ちぬ。湖水はこの処にて、次第々々に深くなりて、勾配(こうばい)ゆるやかなりければ、舟の停(とど)まりしあたりも、水は五尺に足らざるべし。されど岸辺の砂は、やうやう粘土まじりの泥となりたるに、王の足は深く陥(おち)いりて、あがき自由ならず。その隙(ひま)に随(したが)ひたりし翁は、これも傘投捨てて追ひすがり、老いても力や衰へざりけむ、水を蹴(けり)て二足(ふたあし)三足(みあし)、王の領首(えりくび)むづと握りて引戻さむとす。こなたは引かれじとするほどに、外套は上衣と共に翁が手に残りぬ。翁はこれをかいやり棄てて、なほも王を引寄せむとするに、王はふりかへりて組付き、かれこれたがひに声だに立てず、暫し揉合(もみあ)ひたり。
 これ唯(ただ)一瞬間の事なりき。巨勢は少女が墜(お)つる時、僅(わずか)に裳(も)を握みしが、少女が蘆間隠れの杙(くい)に強く胸を打たれて、沈まむとするを、やうやうに引揚(ひきあ)げ、汀(みぎわ)の二人が争ふを跡に見て、もと来(こ)し方(かた)へ漕ぎ返しつ。巨勢は唯奈何(いか)にもして少女が命助けむと思ふのみにて、外(ほか)に及ぶに遑(いとま)あらざりしなり。レオニの酒店の前に来しが、ここへは寄らず、これより百歩がほどなりと聞きし、漁師夫婦が苫屋(とまや)をさして漕ぎゆくに、日もはや暮れて、岸には「アイヘン」、「エルレン」などの枝繁りあひ広ごりて、水は入江の形をなし、蘆にまじりたる水草に、白き花の咲きたるが、ゆふ闇(やみ)にほの見えたり。舟には解けたる髪の泥水にまみれしに、藻屑(もくず)かかりて僵(たお)れふしたる少女の姿、たれかあはれと見ざらむ。をりしも漕来る舟に驚きてか、蘆間を離れて、岸のかたへ高く飛びゆく螢(ほたる)あり。あはれ、こは少女が魂(たま)のぬけ出でたるにはあらずや。
 しばしありて、今まで木影(こかげ)に隠れたる苫屋の燈(ともしび)見えたり。近寄りて、「ハンスルが家はここなりや、」とおとなへば、傾きし簷端(のきば)の小窓開(あ)きて、白髪の老女(おうな)、舟をさしのぞきつ。「ことしも水の神の贄(にえ)求めつるよ。主人(あるじ)はベルヒの城へきのふより駆(か)りとられて、まだ帰らず。手当(てあて)して見むとおもひ玉はば、こなたへ。」と落付きたる声にていひて、窓の戸ささむとしたりしに、巨勢は声ふりたてて、「水に墜ちたるはマリイなり、そなたのマリイなり、」といふ。老女は聞きも畢(おわ)らず、窓の戸を開け放ちたるままにて、桟橋(さんばし)の畔(ほとり)に馳出(はせい)で、泣く泣く巨勢を扶(たす)けて、少女を抱きいれぬ。
 入りて見れば、半ば板敷にしたるひと間のみ。今火を点(とも)したりと見ゆる小「ランプ」竈(かまど)の上に微(かすか)なり。四方(よも)の壁にゑがきたる粗末なる耶蘇(ヤソ)一代記の彩色画は、煤(すす)に包まれておぼろげなり。藁火焚(わらびた)きなどして介抱しぬれど、少女は蘇(よみがえ)らず。巨勢は老女と屍(かばね)の傍(かたわら)に夜をとほして、消えて迹(あと)なきうたかたのうたてき世を喞(かこ)ちあかしつ。
 時は耶蘇暦千八百八十六年六月十三日の夕(ゆうべ)の七時、バワリア王ルウドヰヒ第二世は、湖水に溺(おぼ)れて□(そ)せられしに、年老いたる侍医グッデンこれを救はむとて、共に命を殞(おと)し、顔に王の爪痕(そうこん)を留(とど)めて死したりといふ、おそろしき知らせに、翌(あくる)十四日ミュンヘン府の騒動はおほかたならず。街の角々には黒縁(くろぶち)取りたる張紙(はりがみ)に、この訃音(ふいん)を書きたるありて、その下には人の山をなしたり。新聞号外には、王の屍見出だしつるをりの模様に、さまざまの臆説(おくせつ)附けて売るを、人々争ひて買ふ。点呼に応ずる兵卒の正服つけて、黒き毛植ゑたるバワリア□(かぶと)戴(いただ)ける、警察吏の馬に騎(の)り、または徒立(かちだち)にて馳(は)せちがひたるなど、雑沓(ざっとう)いはんかたなし。久しく民に面(おもて)を見せたまはざりし国王なれど、さすがにいたましがりて、憂(うれい)を含みたる顔も街に見ゆ。美術学校にもこの騒ぎにまぎれて、新(あらた)に入(いり)し巨勢がゆくへ知れぬを、心に掛くるものなかりしが、エキステル一人は友の上を気づかひゐたり。
 六月十五日の朝(あした)、王の柩(ひつぎ)のベルヒ城より、真夜中に府に遷(うつ)されしを迎へて帰りし、美術学校の生徒が「カッフェエ・ミネルワ」に引上げし時、エキステルはもしやと思ひて、巨勢が「アトリエ」に入りて見しに、彼はこの三日がほどに相貌(そうぼう)変りて、著(し)るく痩(や)せたる如く、「ロオレライ」の図の下に跪(ひざまず)きてぞゐたりける。
 国王の横死(おうし)の噂(うわさ)に掩(おお)はれて、レオニに近き漁師ハンスルが娘一人、おなじ時に溺れぬといふこと、問ふ人もなくて已(や)みぬ。




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