あそび
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著者名:森鴎外 

 木村は官吏である。
 ある日いつもの通りに、午前六時に目を醒(さ)ました。夏の初めである。もう外は明るくなっているが、女中が遠慮してこの間(ま)だけは雨戸を開けずに置く。蚊□(かや)の外に小さく燃えているランプの光で、独寝(ひとりね)の閨(ねや)が寂しく見えている。
 器械的に手が枕(まくら)の側(そば)を探る。それは時計を捜すのである。逓信省で車掌に買って渡す時計だとかで、頗(すこぶ)る大きいニッケル時計なのである。針はいつもの通り、きちんと六時を指している。
「おい。戸を開けんか。」
 女中が手を拭(ふ)き拭き出て来て、雨戸を繰り開ける。外は相変らず、灰色の空から細かい雨が降っている。暑くはないが、じめじめとした空気が顔に当る。
 女中は湯帷子(ゆかた)に襷(たすき)を肉に食い入るように掛けて、戸を一枚一枚戸袋に繰り入れている。額には汗がにじんで、それに乱れた髪の毛がこびり附いている。
「ははあ、きょうも運動すると暑くなる日だな」と思う。木村の借家から電車の停留場まで七八町ある。それを歩いて行くと、涼しいと思って門口を出ても、行き着くまでに汗になる。その事を思ったのである。
 縁側に出て顔を洗いながら、今朝急いで課長に出すはずの書類のあることを思い出す。しかし課長の出るのは八時三十分頃だから、八時までに役所へ行けば好いと思う。
 そして頗る愉快げな、晴々とした顔をして、陰気な灰色の空を眺めている。木村を知らないものが見たら、何が面白くてあんな顔をしているかと怪むことだろう。
 顔を洗いに出ている間に、女中が手早く蚊□を畳(たた)んで床を上げている。そこを通り抜けて、唐紙を開けると、居間である。
 机が二つ九十度の角を形づくるように据えて、その前に座布団が鋪(し)いてある。そこへ据わって、マッチを擦って、朝日を一本飲む。
 木村は為事(しごと)をするのに、差当りしなくてはならない事と、暇のある度にする事とを別けている。一つの机の上を綺麗に空虚にして置いて、その上へその折々の急ぐ為事を持って行く。そしてその急ぐ為事が片付くと、すぐに今一つの机の上に載せてある物をそのあとへ持ち出す。この載せてある物はいつも多い。堆(うずたか)く積んである。それは緩急によって畳(かさ)ねて、比較的急ぐものを上にして置くのである。
 木村は座布団の側にある日出(ひので)新聞を取り上げて、空虚にしてある机の上に広げて、七面の処を開ける。文芸欄のある処である。
 朝日の灰の翻(こぼ)れるのを、机の向うへ吹き落しながら読む。顔はやはり晴々としている。
 唐紙のあっちからは、はたきと箒(ほうき)との音が劇(はげ)しく聞える。女中が急いで寝間を掃除しているのである。はたきの音が殊に劇しいので、木村は度々小言を言ったが、一日位(くらい)直っても、また元の通りになる。はたきに附けてある紙ではたかずに、柄の先きではたくのである。木村はこれを「本能的掃除」と名づけた。鳩(はと)の卵を抱いているとき、卵と白墨の角を□(おと)したのと取り換えて置くと、やはりその白墨を抱いている。目的は余所(よそ)になって、手段だけが実行せられる。塵(ちり)を取るためとは思わずに、はたくためにはたくのである。
 尤(もっと)もこの女中は、本能的掃除をしても、「舌の戦(そよ)ぎ」をしても、活溌で間に合うので、木村は満足している。舌の戦ぎというのは、ロオマンチック時代のある小説家の云った事で、女中が主人の出た迹(あと)で、近所をしゃべり廻るのを謂(い)うのである。
 木村は何か読んでしまって、一寸(ちょっと)顔を蹙(しか)めた。大抵いつも新聞を置くときは、極(ごく) apathique(アパチック) な表情をするか、そうでなければ、顔を蹙めるのである。書いてあるのは毒にも薬にもならないような事であるか、そうでなければ、木村が不公平だと感ずるような事であるからである。そんなら読まなくても好さそうなものであるが、やはり読む。読んで気のない顔をしたり、一寸顔を蹙めたりして、すぐにまた晴々とした顔に戻るのである。
 木村は文学者である。
 役所では人の手間取のような、精神のないような、附けたりのような為事をしていて、もう頭が禿(は)げ掛かっても、まだ一向幅が利かないのだが、文学者としては多少人に知られている。ろくな物も書いていないのに、人に知られている。啻(ただ)に知られているばかりではない。一旦(いったん)人に知られてから、役の方が地方勤めになったり何かして、死んだもののようにせられて、頭が禿げ掛かった後に東京へ戻されて、文学者として復活している。手数の掛かった履歴である。
 木村が文芸欄を読んで不公平を感ずるのが、自利的であって、毀(そし)られれば腹を立て、褒められれば喜ぶのだと云ったら、それは冤罪(えんざい)だろう。我が事、人の事と言わず、くだらない物が讃(ほ)めてあったり、面白い物がけなしてあったりするのを見て、不公平を感ずるのである。勿論(もちろん)自分が引合に出されている時には、一層切実に感ずるには違ない。
 ルウズウェルトは「不公平と見たら、戦え」と世界中を説法して歩いている。木村はなぜ戦わないだろうか。実は木村も前半生では盛んに戦ったのである。しかしその頃から役人をしているので、議論をすれば著作が出来なかった。復活してからは、下手ながらに著作をしているので、議論なんぞは出来ないのである。
 その日の文芸欄にはこんな事が書いてあった。
「文芸には情調というものがある。情調は situation(シチュアシヨン) の上に成り立つ。しかし ind□finissable(アンデフィニッサアブル) なものである。木村の関係している雑誌に出ている作品には、どれにも情調がない。木村自己のものにも情調がないようである。」
 約(つづ)めて言えばこれだけである。そして反対に情調のある文芸というものが例で示してあったが、それが一々木村の感服しているものでなかった。中には木村が、立派な作者があんな物を書かなければ好(い)いにと思ったものなんぞが挙げてあった。
 一体書いてある事が、木村には善くは分からない。シチュアシヨンの上に成り立つ情調なんぞと云う詞(ことば)を読んでも、何物をもはっきり考えることが出来ない。木村は随分哲学の本も、芸術を論じた本も読んでいるが、こんな詞を読んでは、何物をもはっきり考えることが出来ない。いかにも文芸には、アンデフィニッサアブルだとも云えば云われそうな、面白い処があるだろう。それは考えられる。しかしシチュアシヨンとはなんだろう。昔からドラアムやなんぞで、人物を時と所とに配り附けた上に出来るものを言うではないか。ヘルマン・バアルが旧い文芸の覗(ねら)い処としている、急劇で、豊富で、変化のある行為の緊張なんというものと、差別はないではないか。そんなものの上に限って成り立つというのが、木村には分からないのである。
 木村はさ程自信の強い男でもないが、その分からないのを、自分の頭の悪いせいだとは思わなかった。実は反対に記者のために頗(すこぶ)る気の毒な、失敬な事を考えた。情調のある作品として挙げてある例を見て、一層失敬な事を考えた。
 木村の蹙めた顔はすぐに晴々としてしまった。そして一人者のなんでも整頓(せいとん)する癖で、新聞を丁寧に畳んで、居間の縁側の隅に出して置いた。こうして置けば、女中がランプの掃除に使って、余って不用になると、屑屋(くずや)に売るのである。
 これは長々とは書いたが、実際二三分間の出来事である。朝日を一本飲む間の出来事である。
 朝日の吸殻(すいがら)を、灰皿に代用している石決明貝(あわびがい)に棄てると同時に、木村は何やら思い附いたという風で、独笑(ひとりわらい)をして、側の机に十冊ばかり積み上げてある manuscrits(マニュスクリイ) らしいものを一抱きに抱いて、それを用箪笥(ようだんす)の上に運んだ。
 それは日出新聞社から頼まれている応募脚本であった。
 日出新聞社が懸賞で脚本を募ったとき、木村は選者になった。木村は息も衝(つ)けない程用事を持っている。応募脚本を読んでいる時間はない。そんな時間を拵(こしら)えるとすれば、それは烟草休(たばこやすみ)の暇をそれに使う外はない。
 烟草休には誰(たれ)も不愉快な事をしたくはない。応募脚本なんぞには、面白いと思って読むようなものは、十読んで一つもあるかないかである。
 それを読もうと受け合ったのは、頼まれて不精々々(ふしょうぶしょう)に受け合ったのである。
 木村は日出新聞の三面で、度々悪口を書かれている。いつでも「木村先生一派の風俗壊乱」という詞が使ってある。中にも西洋の誰やらの脚本をある劇場で興行するのに、木村の訳本を使った時にこのお極(きま)りの悪口が書いてあった。それがどんな脚本かと云うと、censure(サンシュウル) の可笑(おか)しい程厳しいウィインやベルリンで、書籍としての発行を許しているばかりではない、舞台での興行を平気でさせている、頗る甘い脚本であった。
 しかしそれは三面記者の書いた事である。木村は新聞社の事情には※(くら)[#「目+(「薨」の「死」に代えて「目」)」、121‐8]いが、新聞社の芸術上の意見が三面にまで行き渡っていないのを怪みはしない。
 今読んだのはそれとは違う。文芸欄に、縦令(たとい)個人の署名はしてあっても、何のことわりがきもなしに載せてある説は、政治上の社説と同じようなもので、社の芸術観が出ているものと見て好(よ)かろう。そこで木村の書くものにも情調がない、木村の選択に与(あずか)っている雑誌の作品にも情調がないと云うのは、木村に文芸が分からないと云うのである。文芸の分からないものに、なんで脚本を選ばせるのだろう。情調のない脚本が当選したら、どうするだろう。そんな事をして、応募した作者に済むか。作者にも済むまいが、こっちへも済むまいと、木村は思った。
 木村は悪い意味でジレッタントだと云われているだけに、そんな目に逢(あ)って、面白くもない物を読まないでも、生活していられる。兎(と)に角(かく)この一山(ひとやま)を退治ることは当分御免を蒙(こうむ)りたいと思って、用箪笥の上へ移したのである。
 書いたら長くなったが、これは一秒時間の事である。
 隣の間では、本能的掃除の音が歇(や)んで、唐紙が開いた。膳(ぜん)が出た。
 木村は根芋の這入(はい)っている味噌汁(みそしる)で朝飯を食った。
 食ってしまって、茶を一杯飲むと、背中に汗がにじむ。やはり夏は夏だと、木村は思った。
 木村は洋服に着換えて、封を切らない朝日を一つ隠しに入れて玄関に出た。そこには弁当と蝙蝠傘(こうもりがさ)とが置いてある。沓(くつ)も磨いてある。
 木村は傘をさして、てくてく出掛けた。停留場までの道は狭い町家続きで、通る時に主人の挨拶(あいさつ)をする店は大抵極まっている。そこは気を附けて通るのである。近所には木村に好意を表していて、挨拶などをするものと、冷澹(れいたん)で知らない顔をしているものとがある。敵対の感じを持っているものはないらしい。
 そこで木村はその挨拶をする人は、どんな心持でいるだろうかと推察して見る。先ず小説なぞを書くものは変人だとは確かに思っている。変人と思うと同時に、気の毒な人だと感じて、prot□g□(プロテジェエ) にしてくれるという風である。それが挨拶をする表情に見えている。木村はそれを厭(いや)がりもしないが、無論難有(ありがた)くも思っていない。
 丁度近所の人の態度と同じで、木村という男は社交上にも余り敵を持ってはいない。やはり少し馬鹿(ばか)にする気味で、好意を表していてくれる人と、冷澹に構わずに置いてくれる人とがあるばかりである。
 それに文壇では折々退治られる。
 木村はただ人が構わずに置いてくれれば好いと思う。構わずにというが、著作だけはさせて貰いたい。それを見当違に罵倒(ばとう)したりなんかせずに置いてくれれば好いと思うのである。そして少数の人がどこかで読んで、自分と同じような感じをしてくれるものがあったら、為合(しあわ)せだと、心のずっと奥の方で思っているのである。
 停留場までの道を半分程歩いて来たとき、横町から小川という男が出た。同じ役所に勤めているので、三度に一度位は道連(みちづれ)になる。
「けさは少し早いと思って出たら、君に逢った」と、小川は云って、傘を傾けて、並んで歩き出した。
「そうかね。」
「いつも君の方が先きへ出ているじゃあないか。何か考え込んで歩いていたね。大作の趣向を立てていたのだろう。」
 木村はこう云う事を聞く度に、くすぐられるような心持がする。それでも例の晴々とした顔をして黙っている。
「こないだ太陽を見たら、君の役所での秩序的生活と芸術的生活とは矛盾していて、到底調和が出来ないと云ってあったっけ。あれを見たかね。」
「見た。風俗を壊乱する芸術と官吏服務規則とは調和の出来ようがないと云うのだろう。」
「なるほど、風俗壊乱というような字があったね。僕はそうは取らなかった。芸術と官吏というだけに解したのだ。政治なんぞは先ず現状のままでは一時の物で、芸術は永遠の物だ。政治は一国の物で、芸術は人類の物だ。」小川は省内での饒舌家(じょうぜつか)で、木村はいつもうるさく思っているが、そんな素振(そぶり)はしないように努めている。先方は持病の起ったように、調子附いて来た。「しかし、君、ルウズウェルトの方々で遣(や)っている演説を読んでいるだろうね。あの先生が口で言っているように行けば、政治も一時だけの物ではない。一国ばかりの物ではない。あれを一層高尚にすれば、政治が大芸術になるねえ。君なんぞの理想と一致するだろうと思うが、どうかねえ。」
 木村は馬鹿々々しいと思って、一寸(ちょっと)顔を蹙(しか)めたくなったのをこらえている。
 そのうち停留場に来た。場末の常で、朝出て晩に帰れば、丁度満員の車にばかり乗るようになるのである。二人は赤い柱の下に、傘を並べて立っていて、車を二台も遣り過して、やっとの事で乗った。
 二人共弔皮(つりかわ)にぶら下がった。小川はまだしゃべり足りないらしい。
「君。僕の芸術観はどうだね。」
「僕はそんな事は考えない。」不精々々に木村が答えた。
「どう思って遣っているのだね。」
「どうも思わない。作りたいとき作る。まあ、食いたいとき食うようなものだろう。」
「本能かね。」
「本能じゃあない。」
「なぜ。」
「意識して遣っている。」
「ふん」と云って、小川は変な顔をして、なんと思ったか、それきり電車を降りるまで黙っていた。
 小川に分かれて、木村は自分の部屋の前へ行って、帽子掛に帽子を掛けて、傘を立てて置いた。まだ帽子は二つ三つしか掛かっていなかった。
 戸は開け放して、竹簾(たけすだれ)が垂れてある。お為着(しき)せの白服を着た給仕の側を通って、自分の机の処へ行く。先きへ出ているものも、まだ為事(しごと)には掛からずに、扇などを使っている。「お早う」位を交換するのもある。黙って頤(あご)で会釈するのもある。どの顔も蒼(あお)ざめた、元気のない顔である。それもそのはずである。一月に一度位ずつ病気をしないものはない。それをしないのは木村だけである。
 木村は「非常持出」と書いた札の張ってある、煤色(すすいろ)によごれた戸棚から、しめっぽい書類を出して来て、机の上へ二山に積んだ。低い方の山は、其日々々に処理して行くもので、その一番上に舌を出したように、赤札の張ってある一綴(ひとつづり)の書類がある。これが今朝課長に出さなくてはならない、急ぎの事件である。高い方の山は、相間(あいま)々々にぽつぽつ遣れば好い為事である。当り前の分担事務の外に、字句の訂正を要するために、余所(よそ)の局からも、木村の処へ来る書類がある。そんなのも急ぎでないのはこの中に這入っている。
 書類を持ち出して置いて、椅子(いす)に掛けて、木村は例の車掌の時計を出して見た。まだ八時までに十分ある。課長の出勤するまでには四十分あるのである。
 木村は高い山の一番上の書類を広げて、読んで見ては、小さい紙切れに糊板(のりいた)の上の糊を附けて張って、それに何やら書き入れている。紙切れは幾枚かを紙撚(こより)で繋(つな)いで、机の横側に掛けてあるのである。役所ではこれを附箋と云っている。
 木村はゆっくり構えて、絶えずこつこつと為事をしている。その間顔は始終晴々としている。こういう時の木村の心持は一寸説明しにくい。この男は何をするにも子供の遊んでいるような気になってしている。同じ「遊び」にも面白いのもあれば、詰まらないのもある。こんな為事はその詰まらない遊びのように思っている分である。役所の為事は笑談(じょうだん)ではない。政府の大機関の一小歯輪となって、自分も廻転しているのだということは、はっきり自覚している。自覚していて、それを遣っている心持が遊びのようなのである。顔の晴々としているのは、この心持が現れているのである。
 為事が一つ片附くと、朝日を一本飲む。こんな時は木村の空想も悪戯(いたずら)をし出す事がある。分業というものも、貧乏籤(くじ)を引いたもののためには、随分詰まらない事になるものだなどとも思う。しかし不平は感じない。そんならと云って、これが自分の運だと諦(あきら)めているという fataliste(ファタリスト) らしい思想を持っているのでもない。どうかすると、こんな事は罷(や)めたらどうだろうなどとも思う。それから罷めた先きを考えて見る。今の身の上で、ランプの下で著作をするように、朝から晩まで著作をすることになったとして見る。この男は著作をするときも、子供が好きな遊びをするような心持になっている。それは苦しい処がないという意味ではない。どんな sport(スポオト) をしたって、障礙(しょうがい)を凌(しの)ぐことはある。また芸術が笑談でないことを知らないのでもない。自分が手に持っている道具も、真の鉅匠(きょしょう)大家の手に渡れば、世界を動かす作品をも造り出すものだとは自覚している。自覚していながら、遊びの心持になっているのである。ガンベッタの兵が、あるとき突撃をし掛けて鋒(ほこ)が鈍った。ガンベッタが喇叭(らっぱ)を吹けと云った。そしたら進撃の譜(ふ)は吹かないで、r□veil(レウエイユ) の譜を吹いた。イタリア人は生死の境に立っていても、遊びの心持がある。兎に角木村のためには何をするのも遊びである。そこで同じ遊びなら、好きな、面白い遊びの方が、詰まらない遊びより好いには違いない。しかしそれも朝から晩までしていたら、単調になって厭(あ)きるだろう。今の詰まらない為事にも、この単調を破るだけの功能はあるのである。
 この為事を罷めたあとで、著作生活の単調を破るにはどうしよう。それは社交もある。旅もある。しかしそれには金がいる。人の魚を釣るのを見ているような態度で、交際社会に臨みたくはない。ゴルキイのような vagabondage(ワガボンダアジュ) をして愉快を感じるには、ロシア人のような遺伝でもなくては駄目(だめ)らしい。やはりけちな役人の方が好いかも知れないと思って見る。そしてそう思うのが、別に絶望のような苦しい感じを伴うわけでもないのである。
 ある時は空想がいよいよ放縦になって、戦争なんぞの夢も見る。喇叭は進撃の譜を奏する。高く□(かか)げた旗を望んで駈歩をするのは、さぞ爽快(そうかい)だろうと思って見る。木村は病気というものをしたことがないが、小男で痩(や)せているので、徴兵に取られなかった。それで戦争に行ったことはない。しかし人の話に、壮烈な進撃とは云っても、実は土嚢(どのう)を翳(かざ)して匍匐(ほふく)して行くこともあると聞いているのを思い出す。そして多少の興味を殺(そ)がれる。自分だってその境に身を置いたら、土嚢を翳して匍匐することは辞せない。しかし壮烈だとか、爽快だとかいう想像は薄らぐ。それから縦(たと)い戦争に行くことが出来ても、輜重(しちょう)に編入せられて、運搬をさせられるかも知れないと思って見る。自分だって車の前に立たせられたら、挽(ひ)きもしよう。後に立たせられたら、推(お)しもしよう。しかし壮烈や爽快とは一層縁遠くなると思うのである。
 ある時は航海の夢も見る。屋の如き浪を凌(しの)いで、大洋を渡ったら、愉快だろう。地極の氷の上に国旗を立てるのも、愉快だろうと思って見る。しかしそれにもやはり分業があって、蒸汽機関の火を焚(た)かせられるかも知れないと思うと、enthousiasme(アンツウジアスム) の夢が醒めてしまう。
 木村は為事が一つ片附いたので、その一括の書類を机の向うに押し遣って、高い山からまた一括の書類を卸した。初のは半紙の罫紙(けいし)であったが、こん度のは紫板(むらさきばん)の西洋紙である。手の平にべたりと食っ附く。丁度物干竿(ものほしざお)と一しょに蛞蝓(なめくじ)を掴(つか)んだような心持である。
 この時までに五六人の同僚が次第に出て来て、いつか机が皆塞(ふさ)がっていた。八時の鐸(たく)が鳴って暫くすると、課長が出た。
 木村は課長がまだ腰を掛けないうちに、赤札の附いた書類を持って行って、少し隔たった処に立って、課長のゆっくり書類を portefeuille(ポルトフョイユ) から出して、硯箱(すずりばこ)の蓋(ふた)を取って、墨を磨(す)るのを見ている。墨を磨ってしまって、偶然のようにこっちへ向く。木村よりは三つ四つ歳の少い法学博士で、目附鼻附の緊(し)まった、余地の少い、敏捷(びんしょう)らしい顔に、金縁の目金を掛けている。
「昨日お命じの事件を」と云いさして、書類を出す。課長は受け取って、ざっと読んで見て、「これで好い」と云った。
 木村は重荷を卸したような心持をして、自分の席に帰った。一度出して通過しない書類は、なかなか二度目位で滞りなく通過するものではない。三度も四度も直させられる。そのうちには向うでも種々に考えて見るので、最初云った事とは多少違って来る。とうとう手が附けられなくなってしまう。それで一度で通過するのを喜ぶのである。
 席に帰って見ると、茶が来ている。八時に出勤したとき一杯と、午後勤務のあるときは三時頃に一杯とは、黙っていても、給仕が持って来てくれる。色が附いているだけで、味のない茶である。飲んでしまうと、茶碗の底に滓(かす)が沢山淀(よど)んでいる。木村は茶を飲んでしまうと、相変らずゆっくり構えて、絶間なくこつこつと為事(しごと)をする。低い方の山の書類の処理は、折々帳簿を出して照らし合せて見ることがあるばかりで、ぐんぐんはかが行く。三件も四件も烟草休なしに済ましてしまうことがある。済んだのは、検印をして、給仕に持たせて、それぞれ廻す先へ廻す。書類中には直ぐに課長の処へ持って行くのもある。
 その間には新しい書類が廻って来る。赤札のは直ぐに取り扱う。その外はどの山かの下へ入れる。電報は大抵赤札と同じようにするのである。
 為事をしているうちに、急に暑くなったので、ふいと向うの窓を見ると、朝から灰色の空の見えていた処に、紫掛かった暗色の雲がまろがって居る。
 同僚の顔を見れば、皆ひどく疲れた容貌(ようぼう)をしている。大抵下顎(したあご)が弛(ゆる)んで垂れて、顔が心持長くなっているのである。室内の湿った空気が濃くなって、頭を圧(お)すように感ぜられる。今のように特別に暑くなった時でなくても、執務時間がやや進んでから、便所に行った帰りに、廊下から這入ると、悪い烟草の匂(におい)と汗の香とで噎(む)せるような心持がする。それでも冬になって、煖炉(だんろ)を焚(た)いて、戸を締め切っている時よりは、夏のこの頃が迥(はる)かにましである。
 木村は同僚の顔を見て、一寸顔を蹙(しか)めたが、すぐにまた晴々とした顔になって、為事に掛かった。
 暫くすると雷が鳴って、大降りになった。雨が窓にぶっ附かって、恐ろしい音をさせる。部屋中のものが、皆為事を置いて、窓の方を見る。木村の右隣の山田と云う男が云った。
「むしむしすると思ったら、とうとう夕立が来ましたな。」
「そうですね」と云って、晴々とした不断の顔を右へ向けた。
 山田はその顔を見て、急に思い附いたらしい様子で、小声になって云った。
「君はぐんぐん為事を捗(はかど)らせるが、どうもはたで見ていると、笑談にしているようでならない。」
「そんな事はないよ」と、木村は恬然(てんぜん)として答えた。
 木村が人にこんな事を言われるのは何遍だか知れない。この男の表情、言語、挙動は人にこういう詞(ことば)を催促していると云っても好い。役所でも先代の課長は不真面目(ふまじめ)な男だと云って、ひどく嫌った。文壇では批評家が真剣でないと云って、けなしている。一度妻を持って、不幸にして別れたが、平生何かの機会で衝突する度に、「あなたはわたしを茶かしてばかしいらっしゃる」と云うのが、その細君の非難の主なるものであった。
 木村の心持には真剣も木刀もないのであるが、あらゆる為事に対する「遊び」の心持が、ノラでない細君にも、人形にせられ、おもちゃにせられる不愉快を感じさせたのであろう。
 木村のためには、この遊びの心持は「与えられたる事実」である。木村と往来しているある青年文士は、「どうも先生には現代人の大事な性質が闕(か)けています、それは nervosit□(ネルウォジテエ) です」と云った。しかし木村は格別それを不幸にも感じていないらしい。
 夕方のあとはまた小降になって余り涼しくもならない。
 十一時半頃になると、遠い処に住まっているものだけが、弁当を食いに食堂へ立つ。木村は号砲(ドン)が鳴るまでは為事をしていて、それから一人で弁当を食うことにしている。
 二三人の同僚が食堂へ立ったとき、電話のベルが鳴った。給仕が往って暫く聞いていたが、「少々お待下さい」と云って置いて、木村の処へ来た。
「日出新聞社のものですが、一寸電話口へお出(いで)下さいと申すことです。」
 木村が電話口に出た。
「もしもし。木村ですが、なんの御用ですか。」
「木村先生ですか。お呼立て申して済みません。あの応募脚本ですが、いつ頃御覧済になりましょうか。」
「そうですなあ。此頃忙しくて、まだ急には見られませんよ。」
「さようですか。」なんと云おうかと、暫く考えているらしい。「いずれまた伺います。何分宜しく。」
「さようなら。」
「さようなら。」
 微笑の影が木村の顔を掠(かす)めて過ぎた。そしてあの用箪笥の上から、当分脚本は降りないのだと、心の中で思った。昔の木村なら、「あれはもう見ない事にしました」なんぞと云って、電話で喧嘩(けんか)を買ったのである。今は大分おとなしくなっているが、彼れの微笑の中には多少の Bosheit(ボオスハイト) がある。しかしこんな、けちな悪意では、ニイチェ主義の現代人にもなられまい。
 号砲(ドン)が鳴った。皆が時計を出して巻く。木村も例の車掌の時計を出して巻く。同僚はもうとっくに書類を片附けていて、どやどや退出する。木村は給仕とただ二人になって、ゆっくり書類を戸棚にしまって、食堂へ行って、ゆっくり弁当を食って、それから汗臭い満員の電車に乗った。
(明治四十三年八月)



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