青年
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著者名:森鴎外 

青年森鴎外     壱 小泉純一は芝日蔭町(しばひかげちょう)の宿屋を出て、東京方眼図を片手に人にうるさく問うて、新橋停留場(ていりゅうば)から上野行の電車に乗った。目まぐろしい須田町(すだちょう)の乗換も無事に済んだ。さて本郷三丁目で電車を降りて、追分(おいわけ)から高等学校に附いて右に曲がって、根津権現(ねづごんげん)の表坂上にある袖浦館(そでうらかん)という下宿屋の前に到着したのは、十月二十何日かの午前八時であった。 此処(ここ)は道が丁字路になっている。権現前から登って来る道が、自分の辿(たど)って来た道を鉛直に切る処(ところ)に袖浦館はある。木材にペンキを塗った、マッチの箱のような擬西洋造(まがいせいようづくり)である。入口(いりくち)の鴨居(かもい)の上に、木札が沢山並べて嵌(は)めてある。それに下宿人の姓名が書いてある。 純一は立ち留まって名前を読んで見た。自分の捜す大石狷太郎(けんたろう)という名は上から二三人目に書いてあるので、すぐに見附かった。赤い襷(たすき)を十文字に掛けて、上(あが)り口(くち)の板縁に雑巾(ぞうきん)を掛けている十五六の女中が雑巾の手を留めて、「どなたの所(ところ)へいらっしゃるの」と問うた。「大石さんにお目に掛りたいのだが」 田舎から出て来た純一は、小説で読み覚えた東京詞(ことば)を使うのである。丁度不慣(ふなれ)な外国語を使うように、一語一語考えて見て口に出すのである。そしてこの返事の無難に出来たのが、心中で嬉しかった。 雑巾を掴(つか)んで突っ立った、ませた、おちゃっぴいな小女(こおんな)の目に映じたのは、色の白い、卵から孵(かえ)ったばかりの雛(ひよこ)のような目をしている青年である。薩摩絣(さつまがすり)の袷(あわせ)に小倉(こくら)の袴(はかま)を穿(は)いて、同じ絣の袷羽織を着ている。被物(かぶりもの)は柔かい茶褐(ちゃかつ)の帽子で、足には紺足袋に薩摩下駄を引っ掛けている。当前(あたりまえ)の書生の風俗ではあるが、何から何まで新しい。これで昨夕(ゆうべ)始めて新橋に着いた田舎者とは誰にも見えない。小女は親しげに純一を見て、こう云った。「大石さんの所(とこ)へいらっしったの。あなた今時分いらっしったって駄目よ。あの方は十時にならなくっちゃあ起きていらっしゃらないのですもの。ですから、いつでも御飯は朝とお午(ひる)とが一しょになるの。お帰りが二時になったり、三時になったりして、それからお休みになると、一日寐(ね)ていらっしってよ」「それじゃあ、少し散歩をしてから、又来るよ」「ええ。それが好うございます」 純一は権現前の坂の方へ向いて歩き出した。二三歩すると袂(たもと)から方眼図の小さく折ったのを出して、見ながら歩くのである。自分の来た道では、官員らしい、洋服の男や、角帽の学生や、白い二本筋の帽を被った高等学校の生徒や、小学校へ出る子供や、女学生なんぞが、ぞろぞろと本郷の通(とおり)の方へ出るのに擦(す)れ違ったが、今坂の方へ曲って見ると、まるで往来(ゆきき)がない。右は高等学校の外囲(そとがこい)、左は角が出来たばかりの会堂で、その傍(そば)の小屋のような家から車夫が声を掛けて車を勧めた処を通り過ぎると、土塀や生垣(いけがき)を繞(めぐ)らした屋敷ばかりで、その間に綺麗(きれい)な道が、ひろびろと附いている。 広い道を歩くものが自分ひとりになると共に、この頃の朝の空気の、毛髪の根を緊縮させるような渋み味を感じた。そして今小女に聞いた大石の日常の生活を思った。国から態々(わざわざ)逢(あ)いに出て来た大石という男を、純一は頭の中で、朧気(おぼろげ)でない想像図にえがいているが、今聞いた話はこの図の輪廓(りんかく)を少しも傷(きずつ)けはしない。傷けないばかりではない、一層明確にしたように感ぜられる。大石というものに対する、純一が景仰(けいこう)と畏怖(いふ)との或る混合の感じが明確になったのである。 坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広いこの坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲して附いている。純一は坂の上で足を留めて向うを見た。 灰色の薄曇をしている空の下に、同じ灰色に見えて、しかも透き徹(とお)った空気に浸されて、向うの上野の山と自分の立っている向(むこ)うが岡(おか)との間の人家の群(むれ)が見える。ここで目に映ずるだけの人家でも、故郷の町程の大(おおき)さはあるように思われるのである。純一は暫(しばら)く眺めていて、深い呼吸をした。 坂を降りて左側の鳥居を這入(はい)る。花崗岩(みかげいし)を敷いてある道を根津神社の方へ行(ゆ)く。下駄の磬(けい)のように鳴るのが、好(い)い心持である。剥(は)げた木像の据えてある随身門(ずいじんもん)から内を、古風な瑞籬(たまがき)で囲んである。故郷の家で、お祖母様(ばあさま)のお部屋に、錦絵(にしきえ)の屏風(びょうぶ)があった。その絵に、どこの神社であったか知らぬが、こんな瑞垣(たまがき)があったと思う。社殿の縁には、ねんねこ絆纏(ばんてん)の中へ赤ん坊を負(おぶ)って、手拭(てぬぐい)の鉢巻をした小娘が腰を掛けて、寒そうに体を竦(すく)めている。純一は拝む気にもなれぬので、小さい門を左の方へ出ると、溝(みぞ)のような池があって、向うの小高い処には常磐木(ときわぎ)の間に葉の黄ばんだ木の雑(まじ)った木立がある。濁ってきたない池の水の、所々に泡の浮いているのを見ると、厭(いや)になったので、急いで裏門を出た。 藪下(やぶした)の狭い道に這入る。多くは格子戸の嵌まっている小さい家が、一列に並んでいる前に、売物の荷車が止めてあるので、体を横にして通る。右側は崩れ掛って住まわれなくなった古長屋に戸が締めてある。九尺二間(くしゃくにけん)というのがこれだなと思って通り過ぎる。その隣に冠木門(かぶきもん)のあるのを見ると、色川国士別邸と不恰好(ぶかっこう)な木札に書いて釘附(くぎづけ)にしてある。妙な姓名なので、新聞を読むうちに記憶していた、どこかの議員だったなと思って通る。そらから先きは余り綺麗でない別荘らしい家と植木屋のような家とが続いている。左側の丘陵のような処には、大分(だいぶ)大きい木が立っているのを、ひどく乱暴に刈り込んである。手入の悪い大きい屋敷の裏手だなと思って通り過ぎる。 爪先上(つまさきあ)がりの道を、平になる処まで登ると、又右側が崖(がけ)になっていて、上野の山までの間の人家の屋根が見える。ふいと左側の籠塀(かごべい)のある家を見ると、毛利某という門札が目に附く。純一は、おや、これが鴎村(おうそん)の家だなと思って、一寸(ちょっと)立って駒寄(こまよせ)の中を覗(のぞ)いて見た。 干からびた老人の癖に、みずみずしい青年の中にはいってまごついている人、そして愚痴と厭味とを言っている人、竿(さお)と紐尺(ひもじゃく)とを持って測地師が土地を測るような小説や脚本を書いている人の事だから、今時分は苦虫を咬(か)み潰(つぶ)したような顔をして起きて出て、台所で炭薪(すみまき)の小言でも言っているだろうと思って、純一は身顫(みぶるい)をして門前を立ち去った。 四辻(よつつじ)を右へ坂を降りると右も左も菊細工の小屋である。国の芝居の木戸番のように、高い台の上に胡坐(あぐら)をかいた、人買か巾着切りのような男が、どの小屋の前にもいて、手に手に絵番附のようなものを持っているのを、往来の人に押し附けるようにして、うるさく見物を勧める。まだ朝早いので、通る人が少い処へ、純一が通り掛かったのだから、道の両側から純一一人を的(あて)にして勧めるのである。外から見えるようにしてある人形を見ようと思っても、純一は足を留めて見ることが出来ない。そこで覚えず足を早めて通り抜けて、右手の広い町へ曲った。 時計を出して見れば、まだ八時三十分にしかならない。まだなかなか大石の目の醒(さ)める時刻にはならないので、好(い)い加減な横町を、上野の山の方へ曲った。狭い町の両側は穢(きた)ない長屋で、塩煎餅(しおせんべい)を焼いている店や、小さい荒物屋がある。物置にしてある小屋の開戸(ひらきど)が半分開(あ)いている為めに、身を横にして通らねばならない処さえある。勾配(こうばい)のない溝に、芥(ごみ)が落ちて水が淀(よど)んでいる。血色の悪い、瘠(や)せこけた子供がうろうろしているのを見ると、いたずらをする元気もないように思われる。純一は国なんぞにはこんな哀(あわれ)な所はないと思った。 曲りくねって行(ゆ)くうちに、小川(こがわ)に掛けた板橋を渡って、田圃(たんぼ)が半分町になり掛かって、掛流しの折のような新しい家の疎(まばら)に立っている辺(あたり)に出た。一軒の家の横側に、ペンキの大字で楽器製造所と書いてある。成程、こんな物のあるのも国と違う所だと、純一は驚いて見て通った。 ふいと墓地の横手を谷中(やなか)の方から降りる、田舎道のような坂の下に出た。灰色の雲のある処から、ない処へ日が廻(まわ)って、黄いろい、寂しい暖みのある光がさっと差して来た。坂を上って上野の一部を見ようか、それでは余り遅くなるかも知れないと、危ぶみながら佇立(ちょりゅう)している。 さっきから坂を降りて来るのが、純一が視野のはずれの方に映っていた、書生風の男がじき傍まで来たので、覚えず顔を見合せた。「小泉じゃあないか」 先方から声を掛けた。「瀬戸か。出し抜けに逢ったから、僕はびっくりした」「君より僕の方が余(よ)っ程(ぽど)驚かなくちゃあならないのだ。何時(いつ)出て来たい」「ゆうべ着いたのだ。やっぱり君は美術学校にいるのかね」「うむ。今学校から来たのだ。モデルが病気だと云って出て来ないから、駒込(こまごめ)の友達の処へでも行(い)こうと思って出掛けた処だ」「そんな自由な事が出来るのかね」「中学とは違うよ」 純一は一本参ったと思った。瀬戸速人(はやと)とはY市の中学で同級にいたのである。「どこがどんな処だか、分からないから為方(しかた)がない」 純一は厭味気(いやみけ)なしに折れて出た。瀬戸も実は受持教授が展覧会事務所に往(い)っていないのを幸(さいわい)に、腹が痛いとか何とか云って、ごまかして学校を出て来たのだから、今度は自分の方で気の毒なような心持になった。そして理想主義の看板のような、純一の黒く澄んだ瞳(ひとみ)で、自分の顔の表情を見られるのが頗(すこぶ)る不愉快であった。 この時十七八の、不断着で買物にでも行(い)くというような、廂髪(ひさしがみ)の一寸愛敬(あいきょう)のある娘が、袖が障るように二人の傍を通って、純一の顔を、気に入った心持を隠さずに現したような見方で見て行った。瀬戸はその娘の肉附の好(い)い体をじっと見て、慌てたように純一の顔に視線を移した。「君はどこへ行(い)くのだい」「路花(ろか)に逢おうと思って行った処が、十時でなけりゃあ起きないということだから、この辺(へん)をさっきからぶらぶらしている」「大石路花か。なんでもひどく無愛想な奴だということだ。やっぱり君は小説家志願でいるのだね」「どうなるか知れはしないよ」「君は財産家だから、なんでも好きな事を遣(や)るが好(い)いさ。紹介でもあるのかい」「うむ。君が東京へ出てから中学へ来た田中という先生があるのだ。校友会で心易くなって、僕の処へ遊びに来たのだ。その先生が大石の同窓だもんだから、紹介状を書いて貰った」「そんなら好かろう。随分話のしにくい男だというから、ふいと行ったって駄目だろうと思ったのだ。もうそろそろ十時になるだろう。そこいらまで一しょに行(い)こう」 二人は又狭い横町を抜けて、幅の広い寂しい通を横切って、純一の一度渡った、小川に掛けた生木(なまき)の橋を渡って、千駄木下(せんだぎした)の大通に出た。菊見に行くらしい車が、大分続いて藍染橋(あいそめばし)の方から来る。瀬戸が先へ立って、ペンキ塗の杙(くい)にゐで井病院と仮名違(かなちがい)に書いて立ててある、西側の横町へ這入るので、純一は附いて行(ゆ)く。瀬戸が思い出したように問うた。「どこにいるのだい」「まだ日蔭町の宿屋にいる」「それじゃあ居所が極(き)まったら知らせてくれ給えよ」 瀬戸は名刺を出して、動坂(どうざか)の下宿の番地を鉛筆で書いて渡した。「僕はここにいる。君は路花の処へ入門するのかね。盛んな事を遣って盛んな事を書いているというじゃないか」「君は読まないか」「小説はめったに読まないよ」 二人は藪下へ出た。瀬戸が立ち留まった。「僕はここで失敬するが、道は分かるかね」「ここはさっき通った処だ」「それじゃあ、いずれその内」「左様(さよう)なら」 瀬戸は団子坂(だんござか)の方へ、純一は根津権現の方へ、ここで袂を分かった。     弐 二階の八畳である。東に向いている、西洋風の硝子窓(ガラスまど)二つから、形紙を張った向側(むこうがわ)の壁まで一ぱいに日が差している。この袖浦館という下宿は、支那(しな)学生なんぞを目当にして建てたものらしい。この部屋は近頃まで印度(インド)学生が二人住まって、籐(とう)の長椅子の上にごろごろしていたのである。その時廉(やす)い羅氈(らせん)の敷いてあった床に、今は畳が敷いてあるが、南の窓の下には記念の長椅子が置いてある。 テエブルの足を切ったような大机が、東側の二つの窓の間の処に、少し壁から離して無造作に据えてある。何故(なぜ)窓の前に置かないのだと、友達がこの部屋の主人に問うたら、窓掛を引けば日が這入らない、引かなければ目(ま)ぶしいと云った。窓掛の白木綿で、主人が濡手(ぬれて)を拭いたのを、女中が見て亭主に告口をしたことがある。亭主が苦情を言いに来た処が、もう洗濯(せんだく)をしても好(い)い頃だと、あべこべに叱って恐れ入らせたそうだ。この部屋の主人は大石狷太郎である。 大石は今顔を洗って帰って来て、更紗(さらさ)の座布団の上に胡坐をかいて、小さい薬鑵(やかん)の湯気を立てている火鉢を引き寄せて、敷島(しきしま)を吹かしている。そこへ女中が膳を持って来る。その膳の汁椀(しるわん)の側(そば)に、名刺が一枚載せてある。大石はちょいと手に取って名前を読んで、黙って女中の顔を見た。女中はこう云った。「御飯を上がるのだと申しましたら、それでは待っていると仰(おっ)しゃって、下にいらっしゃいます」 大石は黙って頷(うなず)いて飯を食い始めた。食いながら座布団の傍(そば)にある東京新聞を拡げて、一面の小説を読む。これは自分が書いているのである。社に出ているうちに校正は自分でして置いて、これだけは毎朝一字残さずに読む。それが非常に早い。それからやはり自分の担当している附録にざっと目を通す。附録は文学欄で填(うず)めていて、記者は四五人の外(ほか)に出(い)でない。書くことは、第一流と云われる二三人の作の批評だけであって、その他の事には殆ど全く容喙(ようかい)しないことになっている。大石自身はその二三人の中(うち)の一人なのである。飯が済むと、女中は片手に膳、片手に土瓶を持って起(た)ちながら、こう云った。「お客様をお通し申しましょうか」「うむ、来ても好(い)い」 返事はしても、女中の方を見もしない。随分そっけなくして、笑談(じょうだん)一つ言わないのに、女中は飽くまで丁寧にしている。それは大石が外の客の倍も附届(つけとどけ)をするからである。窓掛一件の時亭主が閉口して引っ込んだのも、同じわけで、大石は下宿料をきちんと払う。時々は面倒だから来月分も取って置いてくれいなんぞと云うことさえある。袖浦館の上から下まで、大石の金力に刃向うものはない。それでいて、着物なんぞは随分質素にしている。今着ている銘撰(めいせん)の綿入と、締めている白縮緬(しろちりめん)のへこ帯とは、相応に新しくはあるが、寝る時もこのまま寝て、洋服に着換えない時には、このままでどこへでも出掛けるのである。 大石が東京新聞を見てしまって、傍に畳(かさ)ねて置いてある、外の新聞二三枚の文学欄だけを拾読(ひろいよみ)をする処へ、さっきの名刺の客が這入ってきた。二十二三の書生風の男である。縞(しま)の綿入に小倉袴を穿いて、羽織は着ていない。名刺には新思潮記者とあったが、実際この頃の真面目な記者には、こういう風なのが多いのである。「近藤時雄です」 鋭い目の窪(くぼ)んだ、鼻の尖(とが)った顔に、無造作な愛敬を湛(たた)えて、記者は名告(なの)った。「僕が大石です」 目を挙げて客の顔を見ただけで、新聞は手から置かない。用があるなら、早く言ってしまって帰れとでも云いそうな心持が見える。それでも、近藤の顔に初め見えていた微笑は消えない。主人が新聞を手から置くことを予期しないと見える。そしてあらゆる新聞雑誌に肖像の載せてある大石が、自分で名を名告ったのは、全く無用な事であって、その無用な事をしたのは、特に恩恵を施してくれたのだ位に思っているのかも知れない。「先生。何かお話は願われますまいか」「何の話ですか」 新聞がやっと手を離れた。「現代思想というようなお話が伺われると好(い)いのですが」「別に何も考えてはいません」「しかし先生のお作に出ている主人公や何ぞの心持ですな。あれをみんなが色々に論じていますが、先生はどう思っていらっしゃるか分らないのです。そういう事をお話なすって下さると我々青年は為合(しあわ)せなのですが。ほんの片端(かたはし)で宜(よろ)しいのです。手掛りを与えて下されば宜しいのです」 近藤は頻(しき)りに迫っている。女中が又名刺を持って来た。紹介状が添えてある。大石は紹介状の田中亮(あきら)という署名と、小泉純一持参と書いてある処とを見たきりで、封を切らずに下に置いて、女中に言った。「好(い)いからお通(とおり)なさいと云っておくれ」 近藤は肉薄した。「どうでしょう、先生、願われますまいか」 梯子(はしご)の下まで来て待っていた純一は、すぐに上がって来た。そして来客のあるのを見て、少し隔った処から大石に辞儀をして控えている。急いで歩いて来たので、少し赤みを帯びている顔から、曇のない黒い瞳が、珍らしい外の世界を覗いている。大石はこの瞳の光を自分の顔に注がれたとき、自分の顔の覚えず霽(はれ)やかになるのを感じた。そして熱心に自分の顔を見詰めている近藤にこう云った。「僕の書く人物に就いて言われるだけの事は、僕は小説で言っている。その外に何があるもんかね。僕はこの頃長い論文なんかは面倒だから読まないが、一体僕の書く人物がどうだと云っているかね」 始めて少し内容のあるような事を言った。それに批評家が何と云っていると云うことを、向うに話させれば、勢(いきおい)その通だとか、そうではないとか云わなくてはならなくなる。今来た少年の、無垢(むく)の自然をそのままのような目附を見て、ふいと※(たづな)が緩んだなと、大石は気が附いたが、既に遅かった。「批評家は大体こう云うのです。先生のお書になるものは真の告白だ。ああ云う告白をなさる厳粛な態度に服する。Aurelius Augustinus(オオレリアス オオガスチヌス)だとか、Jean Jaques Rousseau(ジャン ジャック ルソオ)だとか云うような、昔の人の取った態度のようだと云うのです」「難有(ありがた)いわけだね。僕は今の先生方の論文も面倒だから読まないが、昔の人の書いたものも面倒だから読まない。しかし聖Augustinus(オオガスチヌス)は若い時に乱行を遣って、基督(クリスト)教に這入ってから、態度を一変してしまって、fanatic(ファナチック)な坊さんになって懺悔(ざんげ)をしたのだそうだ。Rousseau(ルソオ)は妻と名の附かない女と一しょにいて、子が出来たところで、育て方に困って、孤児院へ入れたりなんぞしたことを懺悔したが、生れつき馬鹿に堅い男で、伊太利(イタリイ)の公使館にいた時、すばらしい別品(べっぴん)の処へ連れて行(い)かれたのに、顫え上ってどうもすることが出来なかったというじゃあないか。僕の書いている人物はだらしのない事を遣っている。地獄を買っている。あれがそんなにえらいと云うのかね」「ええ。それがえらいと云うのです。地獄はみんなが買います。地獄を買っていて、己(おれ)は地獄を買っていると自省する態度が、厳粛だと云うのです」「それじゃあ地獄を買わない奴は、厳粛な態度は取れないと云うのかね」「そりゃあ地獄も買うことの出来ないような偏屈な奴もありましょう。買っていても、矯飾して知らない振をしている奴もありましょう。そういう奴は内生活が貧弱です。そんな奴には芸術の趣味なんかは分かりません。小説なんぞは書けません。懺悔の為様がない。告白をする内容がない。厳粛な態度の取りようがないと云うのです」「ふん。それじゃあ偏屈でもなくって、矯飾もしないで、芸術の趣味の分かる、製作の出来る人間はいないと云うのかね」「そりゃあ、そんな神のようなものが有るとも無いとも、誰(たれ)も断言はしていません。しかし批評の対象は神のようなものではありません。人間です」「人間は皆地獄を買うのかね」「先生。僕を冷かしては行(い)けません」「冷かしなんぞはしない」大石は睫毛(まつげ)をも動かさずに、ゆったり胡坐をかいている。 帳場のぼんぼん時計が、前触(まえぶれ)に鍋(なべ)に物の焦げ附くような音をさせて、大業(おおぎょう)に打ち出した。留所(とめど)もなく打っている。十二時である。 近藤は気の附いたような様子をして云った。「お邪魔をいたしました。又伺います」「さようなら。こっちのお客が待たせてあるから、お見送りはしませんよ」「どう致しまして」近藤は席を立った。 大石は暫くじっと純一の顔を見ていて、気色(けしき)を柔げて詞を掛けた。「君ひどく待たせたねえ。飯前じゃないか」「まだ食べたくありません」「何時に朝飯を食ったのだい」「六時半です」「なんだ。君のような壮(さか)んな青年が六時半に朝飯を食って、午(ひる)が来たのに食べたくないということがあるものか。嘘(うそ)だろう」 語気が頗る鋭い。純一は一寸不意に出られてまごついたが、主人の顔を仰いでいる目は逸(そら)さなかった。純一の心の中(うち)では、こういう人の前で世間並の空辞儀(からじぎ)をしたのは悪かったと思う悔やら、その位な事をしたからと云って、行(い)きなり叱ってくれなくても好さそうなものだと思う不平やらが籠(こ)み合って、それでまごついたのである。「僕が悪うございました。食べたくないと云ったのは嘘です」「はははは。君は素直で好(い)い。ここの内の飯は旨(うま)くはないが、御馳走しよう。その代り一人で食うのだよ。僕はまだ朝飯から二時間立たないのだから」 誂(あつら)えた飯は直ぐに来た。純一が初(はじめ)に懲りて、遠慮なしに食うのを、大石は面白そうに見て、煙草を呑(の)んでいる。純一は食いながらこんな事を思うのである。大石という人は変っているだろうとは思ったが、随分勝手の違いようがひどい。さっきの客が帰った迹(あと)で、黙っていてくれれば、こっちから用事を言い出すのであった。飯を食わせる程なら、何の用事があって来たかと問うても好さそうなものだに黙っていられるから、言い出す機会がない。持って来た紹介状も、さっきから見れば、封が切らずにある。紹介状も見ず、用事も問わずに、知らない人に行きなり飯を食わせるというような事は、話にも聞いたことがない。ひどい勝手の違いようだと思っているのである。ところが、大石の考(かんがえ)は頗る単純である。純一が自分を崇拝している青年の一人(いちにん)だということは、顔の表情で知れている。田中が紹介状を書いたのを見ると、何処(どこ)から来たということも知れている。Y県出身の崇拝者。目前で大飯を食っている純一のattribute(アトリビュウト)はこれで尽きている。多言を須(もち)いないと思っているのである。 飯が済んで、女中が膳を持って降りた。その時大石はついと立って、戸棚から羽織を出して着ながらこう云った。「僕は今から新聞社に行くから、又遊びに来給え。夜は行(い)けないよ」 机の上の書類を取って懐(ふところ)に入れる。長押(なげし)から中折れの帽を取って被る。転瞬倏忽(てんしゅんしゅくこつ)の間に梯子段を降りるのである。純一は呆(あき)れて帽を攫(つか)んで後(あと)に続いた。     参 初めて大石を尋ねた翌日の事である。純一は居所を極めようと思って宿屋を出た。 袖浦館を見てから、下宿屋というものが厭になっているので、どこか静かな処(ところ)で小さい家を借りようと思うのである。前日には大石に袖浦館の前で別れて、上野へ行って文部省の展覧会を見て帰った。その時上野がなんとなく気に入ったので、きょうは新橋から真直に上野へ来た。 博物館の門に突き当って、根岸の方へ行(ゆ)こうか、きのう通った谷中の方へ行こうかと暫(しばら)く考えたが、大石を尋ねるに便利な処をと思っているので、足が自然に谷中の方へ向いた。美術学校の角を曲って、桜木町から天王寺の墓地へ出た。 今日も風のない好(い)い天気である。銀杏(いちょう)の落葉の散らばっている敷石を踏んで、大小種々な墓石に掘ってある、知らぬ人の名を読みながら、ぶらぶらと初音町(はつねちょう)に出た。 人通りの少い広々とした町に、生垣を結い繞(めぐ)らした小さい家の並んでいる処がある。その中の一軒の、自然木(しぜんぼく)の門柱(もんばしら)に取り附けた柴折戸(しおりど)に、貸家の札が張ってあるのが目に附いた。 純一がその門の前に立ち留まって、垣の内を覗いていると、隣の植木鉢を沢山入口(いりくち)に並べてある家から、白髪(しらが)の婆あさんが出て来て話をし掛けた。聞けば貸家になっている家は、この婆あさんの亭主で、植木屋をしていた爺いさんが、倅(せがれ)に娵(よめ)を取って家を譲るとき、新しく立てて這入(はい)った隠居所なのである。爺いさんは四年前に、倅が戦争に行っている留守に、七十幾つとかで亡くなった。それから貸家にして、油画をかく人に借(か)していたが、先月その人が京都へ越して行って、明家(あきや)になったというのである。画家は一人ものであった。食事は植木屋から運んだ。総てこの家から上がる銭は婆あさんのものになるので、若(も)し一人もののお客が附いたら、やはり前通りに食事の世話をしても好(い)いと云っている。 婆あさんの質樸(しつぼく)で、身綺麗(みぎれい)にしているのが、純一にはひどく気に入った。婆あさんの方でも、純一の大人しそうな、品の好(い)いのが、一目見て気に入ったので、「お友達があって、御一しょにお住まいになるなら、それでも宜しゅうございますが、出来ることならあなたのようなお方に、お一人で住まって戴(いただ)きたいのでございます」と云った。「まあ、とにかく御覧なすって下さい」と云って、婆あさんは柴折戸を開けた。純一は国のお祖母(ば)あ様の腰が曲って耳の遠いのを思い出して、こんな巌乗(がんじょう)な年寄もあるものかと思いながら、一しょに這入って見た。婆あさんは建ててから十年になると云うが、住み荒したと云うような処は少しもない。この家に手入をして綺麗にするのを、婆あさんは為事にしていると云っているが、いかにもそうらしく思われる。一番好(い)い部屋は四畳半で、飛石の曲り角に蹲(つくば)いの手水鉢(ちょうずばち)が据えてある。茶道口(ちゃどうぐち)のような西側の戸の外は、鏡のように拭き入れた廊下で、六畳の間に続けてある。それに勝手が附いている。 純一は、これまで、茶室というと陰気な、厭な感じが伴うように思っていた。国の家には、旧藩時代に殿様がお出(いで)になったという茶席がある。寒くなってからも蚊がいて、気の詰まるような処であった。それにこの家は茶掛かった拵(こしら)えでありながら、いかにも晴晴(はればれ)している。蹂口(にじりぐち)のような戸口が南向になっていて、東の窓の外は狭い庭を隔てて、直ぐに広い往来になっているからであろう。 話はいつ極まるともなく極まったという工合である。一巡(ひとまわり)して来て、蹂口に据えてある、大きい鞍馬石(くらまいし)の上に立ち留まって、純一が「午(ひる)から越して来ても好(い)いのですか」と云うと、蹲の傍(そば)の苔(こけ)にまじっている、小さい草を撮(つま)んで抜いていた婆あさんが、「宜しいどころじゃあございません、この通りいつでもお住まいになるように、毎日掃除をしていますから」と云った。 隣の植木屋との間は、低い竹垣になっていて、丁度純一の立っている向うの処に、花の散ってしまった萩(はぎ)がまん円(まる)に繁っている。その傍に二度咲のダアリアの赤に黄の雑(まじ)った花が十ばかり、高く首を擡(もた)げて咲いている。その花の上に青み掛かった日の光が一ぱいに差しているのを、純一が見るともなしに見ていると、萩の茂みを離れて、ダアリアの花の間へ、幅の広いクリイム色のリボンを掛けた束髪の娘の頭がひょいと出た。大きい目で純一をじいっと見ているので、純一もじいっと見ている。 婆あさんは純一の視線を辿(たど)って娘の首を見着けて、「おやおや」と云った。「お客さま」 答を待たない問の調子で娘は云って、にっこり笑った。そして萩の茂みに隠れてしまった。 純一は午後越して来る約束をして、忙がしそうにこの家の門を出た。植木屋の前を通るとき、ダアリアの咲いているあたりを見たが、四枚並べて敷いてある御蔭石(みかげいし)が、萩の植わっている処から右に折れ曲っていて、それより奥は見えなかった。     四 初音町に引き越してから、一週間目が天長節であった。 瀬戸の処へは、越した晩に葉書を出して、近い事だから直ぐにも来るかと思ったが、まだ来ない。大石の処へは、二度目に尋ねて行って、詩人になりたい、小説が書いて見たいと云う志願を話して見た。詩人は生れるもので、己(おれ)がなろうと企てたってなられるものではないなどと云って叱られはすまいかと、心中危ぶみながら打ち出して見たが、大石は好(い)いとも悪いとも云わない。稽古(けいこ)のしようもない。修行のしようもない。只書いて見るだけの事だ。文章なんぞというものは、擬古文でも書こうというには、稽古の必要もあろうが、そんな事は大石自身にも出来ない。自身の書いているものにも、仮名違(かなちがい)なんぞは沢山あるだろう。そんな事には頓着(とんじゃく)しないで遣(や)っている。要するに頭次第だと云った。それから、とにかく余り生産的な為事(しごと)ではないが、その方はどう思っているかと問われたので、純一が資産のある家の一人息子に生れて、パンの為めに働くには及ばない身の上だと話すと、大石は笑って、それでは生活難と闘わないでも済むから、一廉(ひとかど)の労力の節減は出来るが、その代り刺戟(しげき)を受けることが少いから、うっかりすると成功の道を踏みはずすだろうと云った。純一は何の掴(つか)まえ処もない話だと思って稍(や)や失望したが、帰ってから考えて見れば、大石の言ったより外に、別に何物かがあろうと思ったのが間違で、そんな物はありようがないのだと悟った。そしてなんとなく寂しいような、心細いような心持がした。一度は、家主(いえぬし)の植長(うえちょう)がどこからか買い集めて来てくれた家具の一つの唐机(とうづくえ)に向って、その書いて見るということに著手(ちゃくしゅ)しようとして見たが、頭次第だと云う頭が、どうも空虚で、何を書いて好(い)いか分らない。東京に出てからの感じも、何物かが有るようで無いようで、その有るようなものは雑然としていて、どこを押えて見ようという処がない。馬鹿らしくなって、一旦持った筆を置いた。 天長節の朝であった。目が醒(さ)めて見ると、四畳半の東窓の戸の隙(すき)から、オレンジ色の日が枕の処まで差し込んで、細かい塵(ちり)が活溌(かっぱつ)に跳(おど)っている。枕元に置いて寝た時計を取って見れば、六時である。 純一は国にいるとき、学校へ御真影を拝みに行ったことを思い出した。そしてふいと青山の練兵場(ば)へ行って見ようかと思ったが、すぐに又自分で自分を打ち消した。兵隊の沢山並んで歩くのを見たってつまらないと思ったのである。 そのうち婆あさんが朝飯を運んで来たので、純一が食べていると、「お婆あさん」と、優しい声で呼ぶのが聞えた。純一の目は婆あさんの目と一しょに、その声の方角を辿って、南側の戸口の処から外へ、ダアリアの花のあたりまで行くと、この家を借りた日に見た少女の頭が、同じ処に見えている。リボンはやはりクリイム色で容赦なく※(みひら)いた大きい目は、純一が宮島へ詣(まい)ったとき見た鹿の目を思い出させた。純一は先の日にちらと見たばかりで、その後この娘の事を一度も思い出さずにいたが、今又ふいとその顔を見て、いつの間にか余程親しくなっているような心持がした。意識の閾(しきい)の下を、この娘の影が往来していたのかも知れない。婆あさんはこう云った。「おや、いらっしゃいまし。安(やす)は団子坂まで買物に参りましたが、もう直(じき)に帰って参りましょう。まあ一寸(ちょっと)こちらへいらっしゃいまし」「往(い)っても好くって」「ええええ。あちらから廻っていらっしゃいまし」 少女の頭は萩の茂みの蔭に隠れた。婆あさんは純一に、少女が中沢という銀行頭取の娘で、近所の別荘にいるということ、娵の安がもと別荘で小間使をしていて娘と仲好(なかよし)だということを話した。 その隙(ひま)に植木屋の勝手の方へ廻ったお雪さんは、飛石伝いに離れの前に来た。中沢の娘はお雪さんというのである。 婆あさんが、「この方が今度越していらっしゃった小泉さんという方でございます」というと、お雪さんは黙ってお辞儀をして、純一の顔をじいっと見て立っている。着物も羽織もくすんだ色の銘撰(めいせん)であるが、長い袖の八口(やつくち)から緋縮緬(ひぢりめん)の襦袢(じゅばん)の袖が飜(こぼ)れ出ている。 飲み掛けた茶を下に置いて、これも黙ってお辞儀をした純一の顔は赤くなったが、お雪さんの方は却(かえ)って平気である。そして稍々(やや)身を反らせているかと思われる位に、真直に立っている。純一はそれを見て、何だか人に逼(せま)るような、戦(たたかい)を挑むような態度だと感じたのである。 純一は何とか云わなくてはならないと思ったが、どうも詞(ことば)が見付からなかった。そして茶碗を取り上げて、茶を一口に飲んだ。婆あさんが詞を挟んだ。「お嬢様は好く画を見にいらっしゃいましたが、小泉さんは御本をお読みなさるのですから、折々いらっしゃって御本のお話をお聞きなさいますと宜しゅうございます。御本のお話はお好きでございましょう」「ええ」 純一は、「僕は本は余り読みません」と云った。言って了(しま)うと自分で、まあ、何と云う馬鹿気た事を言ったものだろうと思った。そしてお雪さんの感情を害しはしなかったかと思って、気色(けしき)を伺った。しかしお雪さんは相変らず口元に微笑を湛(たた)えているのである。 その微笑が又純一には気になった。それはどうも自分を見下(みくだ)している微笑のように思われて、その見下されるのが自分の当然受くべき罰のように思われたからである。 純一はどうにかして名誉を恢復(かいふく)しなくてはならないような感じがした。そして余程勇気を振り起して云った。「どうです。少しお掛なすっては」「難有(ありがと)う」 右の草履が碾磑(ひきうす)の飛石を一つ踏んで、左の草履が麻の葉のような皴(しゅん)のある鞍馬の沓脱(くつぬぎ)に上がる。お雪さんの体がしなやかに一捩(ひとねじ)り捩られて、長い書生羽織に包まれた腰が蹂口に卸された。 諺(ことわざ)にもいう天長節日和の冬の日がぱっと差して来たので、お雪さんは目映(まぶ)しそうな顔をして、横に純一の方に向いた。純一が国にいるとき取り寄せた近代美術史に、ナナという題のマネエの画があって、大きな眉刷毛(まゆばけ)を持って、鏡の前に立って、一寸横に振り向いた娘がかいてあった。その稍や規則正し過ぎるかと思われるような、細面(ほそおもて)な顔に、お雪さんが好く似ていると思うのは、額を右から左へ斜(ななめ)に掠(かす)めている、小指の大きさ程ずつに固まった、柔かい前髪の為めもあろう。その前髪の下の大きい目が、日に目映しがっても、少しも純一には目映しがらない。「あなたお国からいらっしった方のようじゃあないわ」 純一は笑いながら顔を赤くした。そして顔の赤くなるのを意識して、ひどく忌々しがった。それに出し抜けに、美中に刺(し)ありともいうべき批評の詞を浴(あび)せ掛けるとは、怪(け)しからん事だと思った。 婆あさんはお鉢を持って、起(た)って行った。二人は暫く無言でいた。純一は急に空気が重くろしくなったように感じた。 垣の外を、毛皮の衿(えり)の附いた外套(がいとう)を着た客を載せた車が一つ、田端の方へ走って行った。 とうとう婆あさんが膳を下げに来るまで、純一は何の詞をも見出(みいだ)すことを得なかった。婆あさんは膳と土瓶とを両手に持って、二人の顔を見競(みくら)べて、「まあ、大相(たいそう)お静(しずか)でございますね」と云って、勝手へ行った。 蹲の向うの山茶花(さざんか)の枝から、雀が一羽飛び下りて、蹲の水を飲む。この不思議な雀が純一の結ぼれた舌を解(ほど)いた。「雀が水を飲んでいますね」「黙っていらっしゃいよ」 純一は起って閾際まで出た。雀はついと飛んで行った。お雪さんは純一の顔を仰いで見た。「あら、とうとう逃がしておしまいなすってね」「なに、僕が来なくたって逃げたのです」大分遠慮は無くなったが、下手な役者が台詞(せりふ)を言うような心持である。「そうじゃないわ」詞遣は急劇に親密の度を加えて来る。少し間を置いて、「わたし又来てよ」と云うかと思うと、大きい目の閃(ひらめき)を跡に残して、千代田草履は飛石の上をばたばたと踏んで去った。     五 純一は机の上にある仏蘭西(フランス)の雑誌を取り上げた。中学にいるときの外国語は英語であったが、聖公会の宣教師の所へ毎晩通って、仏語を学んだ。初(はじめ)は暁星(ぎょうせい)学校の教科書を読むのも辛かったが、一年程通っているうちに、ふいと楽に読めるようになった。そこで教師のベルタンさんに頼んで、巴里(パリイ)の書店に紹介して貰った。それからは書目を送ってくれるので、新刊書を直接に取寄せている。雑誌もその書店が取り次いで送ってくれるのである。 開けた処には、セガンチニの死ぬるところが書いてある。氷山を隣に持った小屋のような田舎屋である。ろくな煖炉(だんろ)もない。そこで画家は死に瀕(ひん)している。体のうちの臓器はもう運転を停(とど)めようとしているのに、画家は窓を開けさせて、氷の山の巓(いただき)に棚引く雲を眺めている。 純一は巻を掩(おお)うて考えた。芸術はこうしたものであろう。自分の画(え)がくべきアルプの山は現社会である。国にいたとき夢みていた大都会の渦巻は今自分を漂わせているのである。いや、漂わせているのなら好(い)い。漂わせていなくてはならないのに、自分は岸の蔦蘿(つたかずら)にかじり附いているのではあるまいか。正しい意味で生活していないのではあるまいか。セガンチニが一度も窓を開けず、戸の外へ出なかったら、どうだろう。そうしたら、山の上に住まっている甲斐(かい)はあるまい。 今東京で社会の表面に立っている人に、国の人は沢山ある。世はY県の世である。国を立つとき某元老に紹介して遣ろう、某大臣に紹介して遣ろうと云った人があったのを皆ことわった。それはそういう人達がどんなに偉大であろうが、どんなに権勢があろうが、そんな事は自分の目中(もくちゅう)に置いていなかったからである。それから又こんな事を思った。人の遭遇というものは、紹介状や何ぞで得られるものではない。紹介状や何ぞで得られたような遭遇は、別に或物が土台を造っていたのである。紹介状は偶然そこへ出くわしたのである。開(あ)いている扉があったら足を容(い)れよう。扉が閉じられていたら通り過ぎよう。こう思って、田中さんの紹介状一本の外は、皆貰わずに置いたのである。 自分は東京に来ているには違ない。しかしこんなにしていて、東京が分かるだろうか。こうしていては国の書斎にいるのも同じ事ではあるまいか。同じ事なら、まだ好(い)い。国で中学を済ませた時、高等学校の試験を受けに東京へ出て、今では大学にはいっているものもある。瀬戸のように美術学校にはいっているものもある。直ぐに社会に出て、職業を求めたものもある。自分が優等の成績を以て卒業しながら、仏蘭西語の研究を続けて、暫く国に留(とど)まっていたのは、自信があり抱負があっての事であった。学士や博士になることは余り希望しない。世間にこれぞと云って、為(し)て見たい職業もない。家には今のように支配人任せにしていても、一族が楽に暮らして行(ゆ)かれるだけの財産がある。そこで親類の異議のうるさいのを排して創作家になりたいと決心したのであった。 そう思い立ってから語学を教えて貰っている教師のベルタンさんに色々な事を問うて見たが、この人は巴里の空気を呼吸していた人の癖に、そんな方面の消息は少しも知らない。本業で読んでいる筈(はず)の新旧約全書でも、それを偉大なる文学として観察するという事はない。何かその中の話を問うて見るのに、啻(ただ)に文学として観(み)ていないばかりではない、楽(たのし)んで読んでいるという事さえないようである。只寺院の側から観た煩瑣(はんさ)な註釈を加えた大冊の書物を、深く究めようともせずに、貯蔵しているばかりである。そして日々の為事には、国から来た新聞を読む。新聞では列国の均勢とか、どこかで偶々(たまたま)起っている外交問題とかいうような事に気を着けている。そんなら何か秘密な政治上のミッションでも持っているかと云うに、そうでもないらしい。恐らくは、欧米人の謂(い)う珈琲卓(コオフィイづくえ)の政治家の一人(いちにん)なのであろう。その外には東洋へ立つ前に買って来たという医書を少し持っていて、それを読んで自分の体だけの治療をする。殊にこの人の褐色の長い髪に掩われている頭には、持病の頭痛があって、古びたタラアルのような黒い衣で包んでいる腰のあたりにも、厭(いや)な病気があるのを、いつも手前療治で繕っているらしい。そんな人柄なので少し話を文学や美術の事に向けようとすると、顧みて他を言うのである。ようようの思(おもい)でこの人に為て貰った事は巴里の書肆(しょし)へ紹介して貰っただけである。 こんな事を思っている内に、故郷の町はずれの、田圃(たんぼ)の中に、じめじめした処へ土を盛って、不恰好(ぶかっこう)に造ったペンキ塗の会堂が目に浮ぶ。聖公会と書いた、古びた木札の掛けてある、赤く塗った門を這入ると、瓦(かわら)で築き上げた花壇が二つある。その一つには百合(ゆり)が植えてある。今一つの方にはコスモスが植えてある。どちらも春から芽を出しながら、百合は秋の初、コスモスは秋の季(すえ)に覚束(おぼつか)なげな花が咲くまで、いじけたままに育つのである。中にもコスモスは、胡蘿蔔(にんじん)のような葉がちぢれて、瘠(や)せた幹がひょろひょろして立っているのである。 その奥の、搏風(はふ)だけゴチック賽(まがい)に造った、ペンキ塗のがらくた普請が会堂で、仏蘭西語を習いに行(ゆ)く、少数の青年の外には、いつまで立っても、この中へ這入って来る人はない。ベルタンさんは老いぼれた料理人兼小使を一人使って、がらんとした、稍(やや)大きい家に住んでいるのだから、どこも彼処(かしこ)も埃(ほこり)だらけで、白昼に鼠(ねずみ)が駈け廻っている。 ベルタンさんは長崎から買って来たという大きいデスクに、千八百五十何年などという年号の書いてある、クロオスの色の赤だか黒だか分からなくなった書物を、乱雑に積み上げて置いている。その側には食い掛けた腸詰や乾酪(かんらく)を載せた皿が、不精にも勝手へ下げずに、国から来たFigaro(フィガロ)の反古(ほご)を被(かぶ)せて置いてある。虎斑(とらふ)の猫が一匹積み上げた書物の上に飛び上がって、そこで香箱を作って、腸詰の※(におい)を嗅(か)いでいる。 その向うに、茶褐色の長い髪を、白い広い額から、背後(うしろ)へ掻(か)き上げて、例のタラアルまがいの黒い服を着て、お祖父(じい)さん椅子に、誰(たれ)やらに貰ったという、北海道の狐の皮を掛けて、ベルタンさんが据わっている。夏も冬も同じ事である。冬は部屋の隅の鉄砲煖炉に松真木(まつまき)が燻(くすぶ)っているだけである。 或日稽古の時間より三十分ばかり早く行ったので、ベルタンさんといろいろな話をした。その時教師がお前は何になる積りかと問うたので、正直にRomancier(ロマンシェエ)になると云った。ベルタンさんは二三度問い返して、妙な顔をして黙ってしまった。この人は小説家というものに就いては、これまで少しも考えて見た事がないので、何と云って好(い)いか分からなかったらしい。殆どわたくしは火星へ移住しますとでも云ったのと同じ位に呆れたらしい。 純一は読み掛けた雑誌も読まずにこんな回想に耽(ふけ)っていたが、ふと今朝婆あさんの起して置いてくれた火鉢の火が、真白い灰を被って小さくなってしまったのに気が附いて、慌てて炭をついで、頬を膨らせて頻(しき)りに吹き始めた。     六 天長節の日の午前はこんな風で立ってしまった。婆あさんの運んで来た昼食(ひるしょく)を食べた。そこへぶらりと瀬戸速人(はやと)が来た。 婆あさんが倅の長次郎に白(しら)げさせて持(も)て来た、小さい木札に、純一が名を書いて、門の柱に掛けさせて置いたので、瀬戸はすぐに尋ね当てて這入って来たのである。日当りの好(い)い小部屋で、向き合って据わって見ると、瀬戸の顔は大分故郷にいた時とは違っている。谷中の坂の下で逢ったときには、向うから声を掛けたのと顔の形よりは顔の表情を見たのとで、さ程には思わなかったが、瀬戸の昔油ぎっていた顔が、今は干からびて、目尻や口の周囲(まわり)に、何か言うと皺(しわ)が出来る。家主(いえぬし)の婆あさんなんぞは婆あさんでも最少(もすこ)し艶々(つやつや)しているように思われるのである。瀬戸はこう云った。「ひどくしゃれた内を見附けたもんだなあ」「そうかねえ」「そうかねえもないもんだ。一体君は人に無邪気な青年だと云われる癖に、食えない人だよ。田舎から飛び出して来て、大抵の人間ならまごついているんだが、誰(だれ)の所をでも一人で訪問する。家を一人で探して借りる。まるで百年も東京にいる人のようじゃないか」「君、東京は百年前にはなかったよ」「それだ。君のそう云う方面は馬鹿な奴には分からないのだ。君はずるいよ」 瀬戸は頻りにずるいよを振り廻して、純一の知己を以て自ら任じているという風である。それからこんな事を言った。今日の午後は暇なので、純一がどこか行きたい処でもあるなら、一しょに行っても好(い)い。上野の展覧会へ行っても好い。浅草公園へ散歩に行っても好い。今一つは自分の折々行く青年倶楽部(クラブ)のようなものがある。会員は多くは未来の文士というような連中で、それに美術家が二三人加わっている。極(ごく)真面目な会で、名家を頼んで話をして貰う事になっている。今日は拊石(ふせき)が来る。路花なんぞとは流派が違うが、なんにしろ大家の事だから、いつもより盛んだろうと思うというのである。 純一は画なんぞを見るには、分かっても分からなくても、人と一しょに見るのが嫌(きらい)である。浅草公園の昨今の様子は、ちょいちょい新聞に出る出来事から推し測って見ても、わざわざ往って見る気にはなられない。拊石という人は流行に遅れたようではあるが、とにかく小説家中で一番学問があるそうだ。どんな人か顔を見て置こうと思った。そこで倶楽部へ連れて行って貰うことにした。 二人は初音町を出て、上野の山をぶらぶら通り抜けた。博物館の前にも、展覧会の前にも、馬車が幾つも停めてある。精養軒の東照宮の方に近い入口の前には、立派な自動車が一台ある。瀬戸が云った。「汽車はタアナアがかいたので画になったが、まだ自動車の名画というものは聞かないね」「そうかねえ。文章にはもう大分あるようだが」「旨(うま)く書いた奴があるかね」「小説にも脚本にも沢山書いてあるのだが、只使ってあるというだけのようだ。旨く書いたのはやっぱりマアテルリンクの小品位のものだろう」「ふん。一体自動車というものは幾ら位するだろう」「五六千円から、少し好(い)いのは一万円以上だというじゃあないか」「それじゃあ、僕なんぞは一生画をかいても、自動車は買えそうもない」 瀬戸は火の消えた朝日を、人のぞろぞろ歩いている足元へ無遠慮に投げて、苦笑をした。笑うとひどく醜くなる顔である。 広小路に出た。国旗をぶっちがえにして立てた電車が幾台も来るが、皆満員である。瀬戸が無理に人を押し分けて乗るので、純一も為方なしに附いて乗った。 須田町で乗り換えて、錦町で降りた。横町へ曲って、赤煉瓦の神田区役所の向いの処に来ると、瀬戸が立ち留まった。 この辺には木造のけちな家ばかり並んでいる。その一軒の庇(ひさし)に、好く本屋の店先に立ててあるような、木の枠に紙を張り附けた看板が立て掛けてある。上の方へ横に羅馬(ロオマ)字でDIDASKALIA(ジダスカリア)と書いて、下には竪(たて)に十一月例会と書いてある。「ここだよ。二階へ上がるのだ」 瀬戸は下駄や半靴の乱雑に脱ぎ散らしてある中へ、薩摩下駄を跳ね飛ばして、正面の梯子(はしご)を登って行(い)く。純一は附いて上がりながら、店を横目で見ると、帳場の格子の背後(うしろ)には、二十(はたち)ばかりの色の蒼(あお)い五分刈頭の男がすわっていて、勝手に続いているらしい三尺の口に立っている赧顔(あからがお)の大女と話をしている。女は襷(たすき)がけで、裾をまくって、膝(ひざ)の少し下まである、鼠色になった褌(ふんどし)を出している。その女が「いらっしゃい」と大声で云って、一寸こっちを見ただけで、轡虫(くつわむし)の鳴くような声で、話をし続けているのである。 二階は広くてきたない。一方の壁の前に、卓(テエブル)と椅子とが置いてあって、卓の上には花瓶に南天が生けてあるが、いつ生けたものか葉がところどころ泣菫(きゅうきん)の所謂(いわゆる)乾反葉(ひそりば)になっている。その側に水を入れた瓶とコップとがある。 十四五人ばかりの客が、二つ三つの火鉢を中心にして、よごれた座布団の上にすわっている。間々にばら蒔(ま)いてある座布団は跡から来る客を待っているのである。 客は大抵紺飛白(こんがすり)の羽織に小倉袴(こくらばかま)という風で、それに学校の制服を着たのが交っている。中には大学や高等学校の服もある。 会話は大分盛んである。 丁度純一が上がって来たとき、上(あが)り口(くち)に近い一群(ひとむれ)の中で、誰(たれ)やらが声高(こわだか)にこう云うのが聞えた。「とにかく、君、ライフとアアトが別々になっている奴は駄目だよ」 純一は知れ切った事を、仰山らしく云っているものだと思いながら、瀬戸が人にでも引き合わせてくれるのかと、少し躊躇(ちゅうちょ)していたが、瀬戸は誰やら心安い間らしい人を見附けて、座敷のずっと奥の方へずんずん行って、その人と小声で忙(せわ)しそうに話し出したので、純一は上り口に近い群の片端に、座布団を引き寄せて寂しく据わった。 この群では、識(し)らない純一の来たのを、気にもしない様子で、会話を続けている。 話題に上っているのは、今夜演説に来る拊石である。老成らしい一人(いちにん)が云う。あれはとにかく芸術家として成功している。成功といっても一時世間を動かしたという側でいうのではない。文芸史上の意義でいうのである。それに学殖がある。短篇集なんぞの中には、西洋の事を書いて、西洋人が書いたとしきゃ思われないようなのがあると云う。そうすると、さっき声高に話していた男が、こう云う。学問や特別知識は何の価値もない。芸術家として成功しているとは、旨く人形を列(なら)べて、踊らせているような処を言うのではあるまいか。その成功が嫌(いや)だ。纏(まと)まっているのが嫌だ。人形を勝手に踊らせていて、エゴイストらしい自己が物蔭に隠れて、見物の面白がるのを冷笑しているように思われる。それをライフとアアトが別々になっているというのだと云う。こう云っている男は近眼目がねを掛けた痩男(やせおとこ)で、柄にない大きな声を出すのである。傍(そば)から遠慮げに喙(くちばし)を容れた男がある。「それでも教員を罷(や)めたのなんぞは、生活を芸術に一致させようとしたのではなかろうか」「分かるもんか」 目金(めがね)の男は一言で排斥した。 今まで黙っている一人の怜悧(れいり)らしい男が、遠慮げな男を顧みて、こう云った。「しかし教員を罷めただけでも、鴎村なんぞのように、役人をしているのに比べて見ると、余程芸術家らしいかも知れないね」 話題は拊石から鴎村に移った。 純一は拊石の物などは、多少興味を持って読んだことがあるが、鴎村の物では、アンデルセンの飜訳(ほんやく)だけを見て、こんなつまらない作を、よくも暇潰(ひまつぶ)しに訳したものだと思ったきり、この人に対して何の興味をも持っていないから、会話に耳を傾けないで、独りで勝手な事を思っていた。 会話はいよいよ栄(さか)えて、笑声(わらいごえ)が雑(まじ)って来る。「厭味だと云われるのが気になると見えて、自分で厭味だと書いて、その書いたのを厭味だと云われているなんぞは、随分みじめだね」と、怜悧らしい男が云って、外の人と一しょになって笑ったのだけが、偶然純一の耳に止まった。 純一はそれが耳に止まったので、それまで独(ひとり)で思っていた事の端緒を失って、ふいとこう思った。自分の世間から受けた評に就いてかれこれ云えば、馬鹿にせられるか、厭味と思われるかに極(き)まっている。そんな事を敢(あえ)てする人はおめでたいかも知れない。厭味なのかも知れない。それとも実際無頓着(むとんちゃく)に自己を客観(かくかん)しているのかも知れない。それを心理的に判断することは、性格を知らないでは出来ない筈だと思った。 瀬戸が座敷の奥の方から、「小泉君」と呼んだ。純一がその方を見ると、瀬戸はもう初めの所にはいない。隅の方に、子供の手習机を据えて、その上に書類を散らかしている男と、火鉢を隔てて、向き合っているのである。 席を起ってそこへ行って見れば、机の上には一円札やら小さい銀貨やらが、書類の側に置いてある。純一はそこで七十銭の会費を払った。「席料と弁当代だよ」瀬戸は純一にこう云って聞せながら、机を構えている男に、「今日は菓子は出ないのかい」と云った。 まだ返辞をしないうちに、例の赭顔の女中が大きい盆に一人前(ひとりまえ)ずつに包んだ餅菓子を山盛にして持って来て銘々に配り始めた。 配ってしまうと、大きい土瓶に番茶を入れたのを、所々に置いて行(ゆ)く。 純一が受け取った菓子を手に持ったまま、会計をしている人の机の傍にいると、「おい、瀬戸」と呼び掛けられて、瀬戸は忙がしそうに立って行った。呼んだのは、初め這入ったとき瀬戸が話をしていた男である。髪を長く伸(のば)した、色の蒼い男である。又何か小声で熱心に話し出した。 人が次第に殖えて来て、それが必ずこの机の傍に来るので、純一は元の席に帰った。余り上(あが)り口(ぐち)に近いので、自分の敷いていた座布団だけはまだ人に占領せられずにあったのである。そこで据わろうと思うと半分ばかり飲みさしてあった茶碗をひっくり返した。純一は少し慌てて、「これは失敬しました」と云って袂(たもと)からハンカチイフを出して拭いた。「畳が驚くでしょう」 こう云って茶碗の主は、純一が銀座のどこやらの店で、ふいと一番善いのをと云って買った、フランドルのバチストで拵(こしら)えたハンカチイフに目を注(つ)けている。この男は最初から柱に倚(よ)り掛かって、黙って人の話を聞きながら、折々純一の顔を見ていたのである。大学の制服の、襟にMの字の附いたのを着た、体格の立派な男である。 一寸(ちょっと)調子の変った返事なので、畳よりは純一の方が驚いて顔を見ていると、「君も画家ですか」と云った。「いえ。そうではありません。まだ田舎から出たばかりで、なんにも遣(や)っていないのです」 純一はこう云って、名刺を学生にわたした。学生は、「名刺があったかしらん」とつぶやきながら隠しを探って、小さい名刺を出して純一にくれた。大村荘之助としてある。大村はこう云った。「僕は医者になるのだが、文学好だもんだから、折々出掛けて来ますよ。君は外国語は何を遣っています」「フランスを少しばかり習いました」「何を読んでいます」「フロオベル、モオパッサン、それから、ブウルジェエ、ベルジックのマアテルリンクなんぞを些(すこし)ばかり読みました」「らくに読めますか」「ええ。マアテルリンクなんぞは、脚本は分りますが、論文はむつかしくて困ります」「どうむつかしいのです」「なんだか要点が掴(つか)まえにくいようで」「そうでしょう」 大村の顔を、微(かす)かな微笑が掠(かす)めて過ぎた。嘲(あざけり)の分子なんぞは少しも含まない、温い微笑である。感激し易い青年の心は、何故(なにゆえ)ともなくこの人を頼もしく思った。作品を読んで慕って来た大石に逢ったときは、その人が自分の想像に画(えが)いていた人と違ってはいないのに、どうも険しい巌(いわ)の前に立ったような心持がしてならなかった。大村という人は何をしている人だか知らない。医科の学生なら、独逸(ドイツ)は出来るだろう。それにフランスも出来るらしい。只これだけの推察が、咄嗟(とっさ)の間に出来たばかりであるのに、なんだか力になって貰われそうな気がする。ニイチェという人は、「己(おれ)は流(ながれ)の岸の欄干だ」と云ったそうだが、どうもこの大村が自分の手で掴えることの出来る欄干ではあるまいかと思われてならない。そして純一のこう思う心はその大きい瞳(ひとみ)を透(とお)して大村の心にも通じた。 この時梯子の下で、「諸君、平田先生が見えました」と呼ぶ声がした。平田というのは拊石の氏(うじ)なのである。     七 幹事らしい男に案内せられて、梯子を登って来る、拊石という人を、どんな人かと思って、純一は見ていた。 少し古びた黒の羅紗服(らしゃふく)を着ている。背丈は中位である。顔の色は蒼いが、アイロニイを帯びた快活な表情である。世間では鴎村と同じように、継子(ままこ)根性のねじくれた人物だと云っているが、どうもそうは見えない。少し赤み掛かった、たっぷりある八字髭(はちじひげ)が、油気なしに上向(うえむき)に捩(ね)じ上げてある。純一は、髭というものは白くなる前に、四十代で赤み掛かって来る、その頃でなくては、日本人では立派にはならないものだと思った。 拊石は上(あが)り口(ぐち)で大村を見て、「何か書けますか」と声を掛けた。「どうも持って行って見て戴くようなものは出来ません」「ちっと無遠慮に世間へ出して見給え。活字は自由になる世の中だ」「余り自由になり過ぎて困ります」「活字は自由でも、思想は自由でないからね」 緩(ゆるや)かな調子で、人に強い印象を与える詞附(ことばつき)である。
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