白蟻
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著者名:小栗虫太郎 

白蟻小栗虫太郎 序(はしがき) かようなことを、作者として、口にすべきではないであろうが、自分が書いた幾つかのなかでも、やはり好きなものと、嫌いなものとの別が、あるのは否まれぬと思う。わけても、この「白蟻」は、巧拙はともかく、私としては、愛惜措(お)く能わざる一つなのである。私は、こうした形式の小説を、まず、何よりも先に書きたかったのである。私小説(イヒ・ローマン)――それを一人の女の、脳髄の中にもみ込んでしまったことは、ちょっと気取らせてもらうと、かねがね夢みていた、野心の一つだったとも云えるだろう。 のみならず、この一篇で、私は独逸歌謡曲(ドイツ・リード)特有の、あの親しみ深い低音に触れ得たことと思う。それゆえ私が、どんなにか、探偵小説的な詭計(からくり)を作り、またどんなにか、怒号したにしても、あの音色(ねいろ)だけは、けっして殺害されることはないと信じている。ただ惜しむらくは、音域が余りに高かったようにも思われるし、終末近くになって、結尾の反響が、呟くがごとく聴えてくる――といったような見事な和声法は、作者自身動悸(どうき)を感じながら、ついになし得なかったのである。 私は、この一篇を、着想といい譜本に意識しながら、書き続けたものだが、前半は昨年の十二月十六日に完成し、後半には、それから十日余りも費やさねばならなかった。それゆえ読者諸君は、女主人公滝人の絶望には、真黒な三十二音符を……、また、力と挑戦の吐露には、急流のような、三連音符を想像して頂きたいと思う。 なお、本篇の上梓について、江戸川・甲賀・水谷の三氏から、推薦文を頂いたことと、松野さんが、貧弱な内容を覆うべく、あまりに豪華な装幀をもってせられたことに、感謝しておきたいと思う。一九三五年四月世田ケ谷の寓居にて著者 序、騎西一家の流刑地 秩父(ちちぶ)町から志賀坂峠を越えて、上州神ヶ原の宿(しゅく)に出ると、街を貫いて、埃(ほこり)っぽい赤土(あかつち)道が流れている。それが、二子(ふたご)山麓の、万場(ばんば)を発している十石街道(こくかいどう)であって、その道は、しばの間をくねりくねり蜿々(えんえん)と高原を這いのぼっていく。そして、やがては十石峠を分水嶺に、上信(じょうしん)の国境を越えてゆくのだ。ところが、その峠をくだり切ったところは、右手の緩斜(かんしゃ)から前方にかけ、広大な地峡をなしていて、そこは見渡すかぎりの荒蕪(こうぶ)地だったが、その辺をよく注意してみると、峠の裾寄りのところに、わずかそれと見える一条の小径(こみち)が岐(わか)れていた。 その小径は、毛莨(きんぽうげ)や釣鐘草(つりがねそう)や簪草(かんざしぐさ)などのひ弱い夏花や、鋭い棘のある淫羊※(いかりそう)、空木(うつぎ)などの丈(たけ)低い草木で覆われていて、その入口でさえも、密生している叢(くさむら)のような暗さだった。したがって、どこをどう透し見ても、土の表面は容易に発見されず、たとい見えても、そこは濃い黝(くろず)んだ緑色をしていて、その湿った土が、熱気と地いきれとでもって湧き立ち、ドロリとした、液のような感じを眼に流し入れてくる。けれども、そのように見える土の流れは、ものの三尺と行かぬまに、はや波のような下生えのなかに没し去ってしまう。が、その前方――半里四方にも及ぶなだらかな緩斜は、それはまたとない、草木だけの世界だった。そこからは、熟(う)れいきれ切った、まったく堪(たま)らない生気が発散していて、その瘴気(しょうき)のようなものが、草原の上層一帯を覆いつくし、そこを匂いの幕のように鎖していた。しかし、ここになによりまして奇異(ふしぎ)なのは、そこ一帯の風物から、なんとも云えぬ異様な色彩が眼を打ってくることだった。それが、あの真夏の飽和――燃えさかるような緑でないことは明らかであるが、さりとてまた、雑色でも混淆(こんこう)でもなく、一種病的な色彩と云うのほかになかった。かえって、それは、心を冷たく打ち挫(ひし)ぎ、まるで枯れ尽した菅(すげ)か、荒壁を思わす朽樹(くちき)の肌でも見るかのような、妙にうら淋(さび)れた――まったく見ていると、その暗い情感が、ひしと心にのしかかってくるのだった。 云うまでもなく、それには原因があって、この地峡も、過去においてはなんべんか興亡を繰返し、いくつかの血腥(ちなまぐさ)い記録を持っていたからであり、また一つには、そこを弾左谿(だんざだに)と呼ぶ地名の出所でもあった。天文六年八月に、対岸の小法師岳(こぼうしだけ)に砦(とりで)を築いていた淵上(ふちがみ)武士の頭領西東蔵人尚海(さいとうくらんどしゃうかい)が、かねてより人質酬(ひとじちむく)いが因(もと)で反目しあっていた、日貴弾左衛門珍政(へきだんざえもんちんせい)のために攻め滅ぼされ、そのとき家中の老若婦女子をはじめに、町家の者どもまで加えた千人にもおよぶ人数が、この緩斜に引きだされて斬首(ざんしゅ)にされてしまった。そして弾左衛門は、その屍(しかばね)を数段に積みかさね、地下ふかく埋めたのだった。ところが、その後明暦三年になると、この地峡に地辷(じすべ)りが起って、とうにそのときは土化してしまっている屍の層が露(む)き出しにされた。そうすると、腐朽しきった屍のなかに根を張りはじめたせいか、そこに生える草木には、異常な生長が現われてきて、やがてはその烈しい生気が、旧(ふる)い地峡の死気を貪(むさぼ)りつくしてしまったのである。そうして、いまでも、その巨人化と密生とは昔日(せきじつ)に異らなかった。相変らず、その薄気味悪い肥土を啜(すす)りとっていて、たかく懸け垂れている一本の幹があれば、それには、別の茎がなん本となく纏(まと)わり抱きあい、その空隙(あいだ)をまた、葉や巻髭が、隙間なく層をなして重なりあっているのだが、そうしているうちには、吸盤(きゅうばん)が触れあい茎棘が刺しかわされてしまうので、その形相(ぎょうそう)すさまじい噛みあいの歯音は、やがて音のない夢幻となって、いつか知らず色のなかに滲(にじ)み出てくるのだった。 わけても、鬼猪殃々(おにやえもぐら)のような武装の固い兇暴な植物は、ひ弱い他の草木の滴(しずく)までも啜りとってしまうので、自然茎の節々が、しだいに瘤(こぶ)か腫物(はれもの)のように張り膨らんできて、妙に寄生的にも見える、薄気味悪い変容をところどころ見せたりして、すくすくと巨人のような生長をしているのだった。したがって、鬼猪殃々(おにやえもぐら)は妙に中毒的な、ドス黒く灰ばんだ、まるで病んだような色をしていた。しかも、長くひょろひょろした頸(くび)を空高くに差し伸べていて、それがまた、上層で絡(から)みあい撚(よ)りあっているので、自然柵とも格檣(かくしょう)ともつかぬ、櫓(やぐら)のようなものが出来てしまい、それがこの広大な地域を、砦のように固めているのだった。その小暗い下蔭には、ひ弱い草木どもが、数知れずいぎたなく打ち倒されている。おまけに、澱(よど)みきった新鮮でない熱気に蒸したてられるので、花粉は腐り、葉や幹は朽ち液化していって、当然そこから発酵してくるものには、小動物や昆虫などの、糞汁の臭いも入り混って、一種堪えがたい毒気となって襲ってくるのだった。それは、ちょっと臭素に似た匂いであって、それには人間でさえも、咽喉(いんこう)を害し睡眠を妨げられるばかりでなく、しだいに視力さえも薄れてくるのだから、自然そうした瘴気(しょうき)に抵抗力の強い大型な黄金(こがね)虫ややすで[#「やすで」に傍点]やむかで[#「むかで」に傍点]、あるいは、好んで不健康な湿地ばかりを好む猛悪な爬虫以外のものは、いっさいおしなべてその区域では生存を拒まれているのだった。 まことに、そこ一帯の高原は、原野というものの精気と荒廃の気とが、一つの鬼形(きぎょう)を凝(こ)りなしていて、世にもまさしく奇異(ふしぎ)な一つに相違なかった。しかし、その情景をかくも執拗(しつよう)に記し続ける作者の意図というのは、けっして、いつもながらの饒舌(じょうぜつ)癖からばかり発しているのではない。作者はこの一篇の主題にたいして、本文に入らぬまえ、一つの転換変容(メタモルフォーズ)をかかげておきたいのである。と云うのは、もし人間と物質との同一化がおこなわれるものとして、人間がまず草木に、その欲望と情熱とを托したとしよう。そうすれば、当然草木の呻吟(しんぎん)と揺動とは、その人のものとなって、ついに、人は草木である――という結論に達してしまうのではないだろうか。さらに、その原野の標章と云えば、すぐさま、糧(かて)にしている刑屍体の腐肉が想いだされるけれども、そのために草木の髄のなかでは、なにか細胞を異にしている、異様な個体が成長しているのではないかとも考えられてくる。そして、一度憶えた甘味の舌触りが、おそらくあの烈しい生気と化していて、その靡(なび)くところは、たといどのような生物でも圧し竦(すく)められねばならないとすると、現在緩斜の底に棲(す)む騎西(きさい)一家の悲運と敗惨とは、たしかに、人と植物の立場が転倒しているからであろう。いや、ただ単に、その人達を喚起するばかりではなかった。わけても、その原野の正確な擬人化というのが、鬼猪殃々(おにやえもぐら)の奇態をきわめた生活のなかにあったのである。 あの鬼草は、逞(たくま)しい意欲に充ち満ちていて、それはさすがに、草原の王者と云うに適(ふさ)わしいばかりでなく、その力もまた衰えを知らず、いっかな飽(あ)くことのない、兇暴一途(いちず)なものであった。が、ここに不思議なことと云うのは、それに意志の力が高まり欲求が漲(みなぎ)ってくると、かえって、貌(かたち)のうえでは、変容が現われてゆくのである。そして不断に物懶(ものう)いガサガサした音を発していて、その皮には、幾条かの思案げな皺(しわ)が刻まれてゆき、しだいに呻(うめ)き悩みながら、あの鬼草は奇形化されてしまうのであった。 明らかに、それは一種の病的変化であろう。また、そのような植物妖異の世界が、この世のどこにあり得ようと思われるだろうが、しかし、騎西滝人(たきと)の心理に影像をつくってみれば、その二つがピタリと頂鏡像のように符合してしまうのである。まったく、その照応の神秘には、頭脳が分析する余裕などはとうていなく、ただただ怖れとも駭(おどろ)きともつかぬ異様な情緒を覚えるばかりであった。けれども、それがこの一篇では、けっして白蟻の歯音を形象化しているのではない。たしかに、一つの特異な色彩とは云えるけれども、しかし土台の底深くに潜んでいて蜂窩(はちす)のように蝕(むしば)み歩き、やがては思いもつかぬ、自壊作用を起させようとするあの悪虫の力は、おそらく真昼よりも黄昏(たそがれ)――色彩よりも、色合い(ニュアンス)の怖ろしさではないだろうか。 しかし、作者はここで筆を換えて、騎西一家とこの地峡に関する概述的な記述を急ぎ、この序篇を終りたいと思うのである。事実、晩春から仲秋にかけては、その原野の奥が孤島に等しかった。その期間中には、一つしかない小径が隙間なく塞がれてしまうので、交通などは真実思いもよらず、ただただ見渡すかぎりを、陰々たる焔(ほのお)が包んでしまうのだ。しかし、もう一段眺望を高めると、その沈んだ色彩の周縁(ぐるり)が、コロナのような輝きを帯びていて、そこから視野のあらんかぎりを、明るい緑が涯もなく押し拡がってゆく。地峡は、草原の前方あたりで、小法師岳の裾を馬蹄形(かなぐつがた)に迂廻してゆき、やがては南佐久の高原中に消えてしまうのであるが、その小法師岳は数段の樹相をなしていて、中腹近くには鬱蒼(うっそう)と生い繁った樅(もみ)林があり、また樹立のあいだには小沼があって、キラキラ光る面が絶(き)れ切れに点綴されているのだ。そして、そこから一段下がったまったくの底には黒い扁平(ひらた)い、積木をいくつも重ねたようにみえる建物があった。 それは、一山支配(ひとやましなべ)当時の遺物で、郷土館であったが、中央に高い望楼のある母屋を置いて、小さな五つあまりの棟がそれを取りかこみ、さらにその一画を白壁の土塀が繞(めぐ)っていた。だがもし、その情景を、烈々たる陽盛りのもとに眺めたとすれば、水面から揺らぎあがってくる眩いばかりの晃耀(くわうえう)[#底本のまま]が、その一団の建物を陽炎(かげろう)のように包んでしまい、まったくそこには、遠近高低の測度が失われて、土も草も静かな水のように見える。また建物はその上で揺るぎ動いている、美しい船体としか思われなくなってしまうのだった。そうして、現在そこには、騎西一家が棲んでいる――と云うよりも、代々馬霊(ばれい)教をもって鳴るこの南信の名族にとれば、むしろ悲惨をきわめた流刑地と云うのほかにはなかったのである。 ところで、騎西一家を説明するためには、ぜひにも馬霊教の縁起を記さなければならない。その発端を、文政十一年十月に発していて、当時は騎西家の二十七代――それまで代を重ねての、一族婚が災したのであろうか、その怖ろしい果実が、当主熊次郎に至り始めて結ばれた。それが、今日の神経病学で云う、いわゆる幻覚性偏執症だったが、偶然にもその月、彼の幻覚が現実と符合してしまった。そして、夢中云うところの場所を掘ってみると、はたしてそこには、馬の屍体が埋められてあった。と云うのが、一種の透視的な驚異を帯びてきて、それから村里から村里の間を伝わり、やがて江戸までも席捲(せっけん)してしまったというのが、そもそもの始まりである。その事は「馬死霊祓(ばしれいはらい)柱之珂玲(はしらのあかれいの)祝詞(のりと)」の首文とまでなっていて、『淵上村神野毛(ふちがみむらかみのげに)馬埋有上(うまうずめありて)爾雨之夜々(あめのよよ)陰火之立昇依而(いんかのたちのぼるによって)文政十一年十一月十四日騎西熊次郎依願祭之(ねがいによってこれをまつる)』という以上の一文によっても明らかであるが、さらにその祝詞(のりと)は、馬の死霊に神格までもつけて、五瀬霊神と呼ぶ、異様な顕神に化してしまったのである。 しかし、その布教の本体はと云えば、いつもながら、淫祠(いんし)邪教にはつきものの催眠宗教であって、わけても、当局の指弾をうけた点というのが、一つあった。それは、信者の催眠中、癩(らい)に似た感覚を暗示する事で、それがために、白羽の矢を立てられた信者は、身も世もあらぬ恐怖に駆られるが、そこが、教主くらの悪狡(わるがしこ)いつけ目だった。彼女は得たりとばかりに、不可解しごくな因果(いんが)論を説き出して、なおそれに附け加え、霊神より離れぬ限りは永劫(えいごう)発病の懼(おそ)れなし――と宣言するのである。けれども、もともと根も葉もない病いのこととて、どう間違っても発病の憂(うれ)いはないのであるから、当然そういった統計が信者の狂信を煽り立てて、馬霊教の声望はいやが上にも高められていった。ところが、その矢先、当局の弾圧が下ったのである。そして、ついに二年前の昭和×年六月九日に、当時復活した所払(ところはら)いを、いの一番に適用されたので、やもなく騎西一家は東京を捨て、生地の弾左谿(だんざだに)に帰還しなければならなくなってしまった。 その夜、板橋を始めにして、とりとめがたい物の響が、中仙道(なかせんどう)の宿(しゅく)々を駭(おどろ)かしながら伝わっていった。その響は雷鳴のようでもあり、行進の足踏みのようにも思えたけれど、この真黒な一団が眼前に現われたとき、不意に狂わしげな旋律をもった神楽(かぐら)歌が唱い出され、それがもの恐ろしくも鳴り渡っていった。老い皺ばった教主のくらを先頭にして、長男の十四郎、その側(かたわら)に、妙な籠(かご)のようなものを背負った妻の滝人、次男である白痴の喜惣(きそう)、妹娘の時江――と以上の五人を中心に取り囲み、さらにその周囲(ぐるり)を、真黒な密集が蠢(うごめ)いていたのである。その千にも余(あま)る跣足(はだし)の信者どもは、口を真黒に開いていて、互いの頸(くび)に腕をかけ、肩と肩とを組み、熱意に燃えて変貌したような顔をしていたが、その不思議な行進には佩剣(はいけん)の響も伴っていて、一角が崩されると、その人達はなおいっそう激昂して蒼白くなるが、やがてそうしているうちに、最初は一つだった集団が、幾つにも、水銀の玉のように分れてゆくのだった。しかし、信者の群は、なおも闇の中から、むくむく湧き出してくるのだったけれども、それが深谷(ふかや)あたりになると、大半が切り崩されてしまい、すでに神ヶ原では、五人の周囲に人影もなかった。 かくして、一種の悲壮美が、怪教馬霊教の終焉(しゅうえん)を飾ったのだったが、その五人の一族は、それぞれに特異な宿命を背負っていた。そればかりでなく、とうに四年前――滝人が稚市(ちごいち)を生み落して以来というものは、一族の誰もかもが、己れの血に怖ろしい疑惑を抱くようになってきて、やがては肉も骨も溶け去ってしまうだろうと――まったく聴いてさえも慄然(ぞっ)とするような、ある悪疫の懼(おそ)れを抱くようになってしまった。そうして、そのしぶとい相克が、地峡のいいしれぬ荒廃と寂寥(せきりょう)の気に触れたとすれば、当然いつかは、狂気とも衝動ともなりそうな、妙に底からひたぶりに揺り上げるようなものが溜ってきた。事実騎西一家は、最初滝人が背負ってきた、籠の中の生物のために打ち挫(ひし)がれ、続いてその残骸を、最後の一滴までも弾左谿が呑(の)み尽してしまったのである。 さて、騎西家の人達は、そのようにして文明から截(た)ち切られ、それから二年余りも、今日まで隠遁(いんとん)を破ろうとはしなかった。が、そうしているうちに、この地峡の中も、しだいにいわゆる別世界と化していって、いつとなく、奇怪な生活が営まれるようになった。ところが、その異常さというのがまた、眼に見えて、こうと指摘できるようなところにはなかったのである。現に、この谿間(たにま)に移ってからというものは、騎西家の人達は見違えるほど野性的になってしまって、体躯(からだ)のいろいろな角が、ずんぐりと節くれ立ってきて、皮膚の色にも、すでに払い了せぬ土の香りが滲み込んでいた。わけても、男達の逞(たくま)しさには、その頸筋を見ただけで、もう侵しがたい山の気に触れた心持がしてくる。それほど、その二人の男には密林の形容が具わってきて、朴訥(ぼくとつ)な信心深い杣人(そまびと)のような偉観が、すでに動かしがたいものとなってしまった。 したがって、異常とか病的傾向とかいうような――それらしいものは、そこに何ひとつ見出されないのが当然である。が、そうかと云って、その人達の異様な鈍さを見るにつけても、またそこには、何か不思議な干渉が、行われているのではないかとも考えられてくるのだ。事実、人間の精神生活を朽ちさせたり、官能の世界までも、蝕(むしば)み喰(くら)い尽そうとする力の怖ろしさは、けっして悪臭を慕ったり、自分自ら植つけた、病根に酔いしれるといった――あの伊達(だて)姿にはないのである。いやむしろ、そのような反抗や感性などを、根こそぎ奪われてしまっている世界があるとすれば、かえってその力に、真実の闇があるのではないだろうか。それはまさに、人間退化の極みである。あるいは、孤島の中にもあらうし[#底本のまま]、極地に近い辺土にも――そこに棲む人達さえあれば、必ず捉(とら)まえて[#底本のまま]しまうであろう。けれども、そういった、いつ尽きるか判らない孤独でさえも、人間の身内の中で意欲の力が燃えさかり、生存の前途に、つねになんらかの、希望が残っているうちだけはさほどでないけれども、やがて、そういったものが薄らぎ消えてくると、そろそろ自然の触手が伸べられてきて、しだいに人間と取って代ってしまう。そこで、自然は俳優となり、人間は背景にすぎなくなって、ついに、動かない荘厳そのものが人間になってしまうと、たとえば虹を見ても、その眼醒めるような生々した感情がかえって自然の中から微笑(ほほえ)まれてくるのである。しかし、そのような世界は、事実あり得べくもないと思われるであろうが、また、この広大な地上を考えると、どこかに存在していないとも限らないのである。現に、騎西家の人達は、その奇異(ふしぎ)な掟(おきて)の因虜(とりこ)となって、いっかな涯しない、孤独と懶惰(らんだ)の中で朽ちゆかう[#底本のまま]としていたのであった。 そこで、その人達の生活の中で、いかに自然の力が正確に刻まれているかを云えば……。前夜の睡眠中に捲かれておいた弾条(ぜんまい)が、毎朝一分も違わぬ時刻に――目醒めると動き出して、何時には、貫木(たるき)の下から仏間の入口にかけて二回往復し、それから四分ほど過ぎると、土間の右から数えて五番目の踏板から下に降りて、そこの土の窪みだけを踏み、揚戸(あげど)を開きにゆくといった具合に……。日夜かっきりと、同じ時刻に同じ動作が反覆されてゆくのであるから、いつとなく頭の中の曲柄(クランク)や連動機(ギヤ)が仕事を止めてしまって、今では、大きな惰性で動いているとしか思えないのである。まったく、その人達の生理の中には、すでに動かしえない毒素の層が出来てしまって、最初のうちこそ、何かの驚きや拍子外れのものや、またそうなっても、自分だけはけっして驚かされまいとする――一種の韜晦味(とうかいみ)などを求めていたけれども、しだいにそういった期待が望み薄くなるにつれて、もう今日この頃では、まったく異様なものに変形されてしまった。 しかし、そうなると、時折ふと眼が醒めたように、神経が鋭くなる時期が訪れてくる。そのときになると、あの荒涼とした物の輝き一つない倦怠(けだるさ)の中から、妙に音のような、なんとなく鎖が引摺られてゆくのに似た、響が聞えてきて、しかも、それが今にも、皮質をぐるぐる捲き付けて、動けなくでもしてしまいそうな、なにかしら一つの、怖ろしい節奏(リトムス)があるように思われるのだった。それが、彼らを戦(おのの)かせ、狂気に近い怖れを与えて、ひたすらその攻撃に、捉えられまいと努めるようになった。そこで、日常の談話の中でも、口にする文章の句切りを測ってみたり、同じ歩むにしても、それに花文字や傾斜体文字(イタリック)でも感じているのではないかと思われるような、一足一足、鶏卵の中を歩むような足取りをしたりなどして、ひたすら無慈悲な単調の中からあがき抜けようとしていた。そうして、それに縋(すが)りついて、無理にも一つの偏執を作らなかったならば、なんら考え事もない、仕事もなく眼も使わない日々の生活には、あの滅入ってくるような、音のない節奏(リトムス)の世界を、身辺から遠ざける工夫とてほかになかったのである。 けれども、そうしているかたわら、彼らの情緒からも感情からも、しだいと固有の動きが失せてきて、終いには気象の変化や風物の形容などに、規則正しく動かされるようになってしまった。わけても、そういう傾向が、妹娘の時江に著しかった。彼女は、自然を玩具(ジュウジュウ)の世界にして、その幻の中でのみ生きている女だった。それで、空気が暖かすぎても冷たすぎても、濃すぎても薄すぎても、病気になり……、たとえば黄昏時だが、始めのリラ色から紅に移ってゆく際に、夕陽のコロナに煽られている、周囲(ぐるり)の団子雲を見ていると、いつとなく(私は揺する、感じる、私は揺する)の、甘い詩の橙(オレンジ)が思い出されてきて、心に明るい燦爛(プントハイト)が輝くのだ。けれども、やがて暗い黄に移り、雲が魚のような形で、南の方に棚引き出すと、時江はその方角から、ふと遣瀬(やるせ)ない郷愁を感じて、心が暗く沈んでしまうのだった。また朽樹の洞(ほら)の蛞蝓(なめくじ)を見ては、はっと顔を染めるような性欲感を覚えたり、時としては、一面にしばが生えた円い丘に陽の当る具合によっては、その複雑な陰影が、彼女の眼に幻影の市街を現わすことなどもあるが、わけても樹の葉の形には、むしろ病的と云えるほどに、鋭敏な感覚をもっていた。しかし、松風草の葉ようなものは、ちょうど心臓を逆さにして、またその二股になった所が、指みたいな形で左右に分れている。ところが、それを見ると、時江はハッと顔色を変えて、激しい呼吸を始め、その場に立ち竦(すく)んでしまうのであるが、それには、どんなに固く眼を瞑(つむ)り、頭の中にもみ込んでしまおうとしても、結局その悪夢のような恐怖だけは、どうにも払いようがなくなってしまうのだった。と云うのは、それが稚市(ちごいち)の形であって、それには歴然とした、奇形癩の瘢痕(はんこん)がとどめられていたからである。 長男の十四郎と滝人との間に生れた稚市は、ちょうど数え年で五つになるが、その子は生れながらに眼を外けさせるような、醜悪なものを具えていた。しかも、分娩と同時に死に標本だけのものならともかく、現在生きているのだから、一目見ただけで、全身に粟粒のような鳥肌が立ってくる。しかし、顔は極めて美しく、とうてい現在の十四郎が、父であると思われぬほどだが、奇態な事は、大きな才槌(さいづち)頭が顔のほうにつれて盛上ってゆき、額にかけて、そこが庇髪(ひさしがみ)のようなお凸(でこ)になっていた。おまけに、金仏(かなぶつ)光りに禿(はげ)上っていて、細長い虫のような皺が、二つ三つ這っているのだが、後頭部(うしろ)のわずかな部分だけには、嫋々(なよなよ)とした、生毛(うぶげ)みたいなものが残されている。事実まったく、その対照にはたまらぬ薄気味悪さがあって、ちょっと薄汚れた因果絵でも見るかのような、何か酷(むご)たらしい罪業でも、底の底に動いているのではないかという気がするのだった。なお、皮膚の色にも、遠眼だと、瘢痕か結節としか見えない鉛色の斑点が、無数に浮上っているのだけれども、稚市(ちごいち)のもつ最大の妖気は、むしろ四肢の指先にあった。すでに、眼がそこに及んでしまうと、それまでの妖怪めいた夢幻的なものが、いっせいに掻き消えてしまって、まるで内臓の分泌を、その滓(かす)までも絞り抜いてでもしまいそうな、おそらく現実の醜さとして、それが極端であろうと思われるものがそこにあった。稚市の両手は、ちょうど孫の手といった形で、左右ともに、二つ目の関節から上が欠け落ちていて、拇(おや)指などは、むしろ肉瘤といったほうが適わしいくらいである。それから下肢になると、右足は拇指だけを残して、他の四本ともペッタリ潰(つぶ)れたような形になっていて、そこは、肉色の繃帯をまんべんなく捲きつけたように見えるが、左足はより以上醜怪(グロテスク)だった。と云うのは、これも拇指だけがズバ抜けて大きいのだが、わけても気味悪いことには、先へ行くにつれて、耳のような形に曲りはじめ、しかもその端が、外輪(そとわ)に反(そ)り返っているのだ。また、他の四本も、中指にはほとんど痕跡さえもなく、残りの三本も萎えしなびていて、そこには椎実(しいのみ)が三つ――いやさらに、それを細長くしたようなものが、固まっているにすぎない。したがって、全体の形が、何かの冠(かんむり)か、片輪鰭(びれ)みたいに思われるのである。そして、四肢のどこにも、その部分だけがいやに銅光りをしていて、妙に汚いながらも触りたくなるような、襞(ひだ)や段だらに覆われていた。のみならず、この奇怪な変形児は、まったくの唖(おし)であるばかりか、知能の点でも、母の識別がつかないというのだから、おそらくは生物としては、この上もなく下等な存在であろう。事実稚市には、わずかに見、喰うだけの、意識しか与えられていなかったのである。 したがって稚市(ちごいち)が、この世で始めの呼吸(いき)を吐くと、その息吹と同時に、一家の心臓が掴み上げられてしまったのだ。云うまでもなく、その原因は四肢(てあし)の変形にあって、しかも形は、疑うべくもない癩潰瘍(らいかいよう)だった。現に仏医ショアベーの名著『暖国の疾病』を操ってみれば判るとおりで、それにある奇形癩の標本を、いちいち稚市(ちごいち)と対照してゆけば、やがて幾つか、符合したものが見出されるに相違ない。おまけに、両脚がガニ股のまま強直していて、この変形児は、てっきり置燈籠()とでも云えば、似つかわしげな形で這(は)い歩いているのだった。だが、そうなると稚市の誕生には、またちょっと、因果噺(ばなし)めいた臆測がされてきて、あるいは、根もない恐怖に虐(しいた)げられていた、信徒達の酬いではあるまいかとも考えられてくる。が、そうしているうちに、その迷信めいた考えを払うに足(た)るものが、古い文書の中から発見された。それは、くらの夫――すなわち先代の近四郎が、草津在(ざい)の癩村に祈祷(きとう)のため赴いたという事実である。するとそれからは、たとえそれが、遺伝性であろうと伝染性であろうと、また胎中発病が、あり得ようがあり得まいが、もうそんな病理論などは、物の数ではなくなってしまって、はや騎西家の人達は、自分達の身体に腐爛の臭いを気にするようになってきた。そして明け暮れ[#底本では「明れ暮れ」と誤植]、己れの手足ばかりを眺めながら、惨(いた)ましい絶望の中で生き続けていたのである。 ところが、こうした中にも、恐怖にはいささかも染まらないばかりでなく、むしろそれを嘲り返している、不思議な一人があった。それが、十四郎の妻の滝人である。彼女は、一種奇蹟的な力強さでもって、あの悪病の兆(きざし)にもめげず、絶えず去勢しようと狙ってくる、自然力とも壮烈に闘っていて、いぜん害われぬ理性の力を保ちつづけていた。それには、何か異常な原因がなくてはならぬであろう。事実滝人には、一つの大きな疑惑があって、それには、彼女が一生を賭(と)してまでもと思い、片時(かたとき)も忘れ去ることのない、ひたむきな偏執が注がれていた。そして、絶えずその神秘の中に分けて入ってゆくような蠢惑(こわく)を感じていて、その一片でも征服するごとに、いつも勝ち誇ったような、気持になるのが常であった。しかし、その疑惑の渦が、しだいと拡がるにつれて、やがては、悪病も孤独も――寂寥も何もかも、この地峡におけるいっさいのものが、妙に不安定な、一つの空気を作り上げてしまうのだった。 一、二つの変貌と人瘤 八月十六日――その日は、早朝からこの地峡の上層を、真白な薄雲が一面に覆うているので、空気は少しも微(ゆる)がう[#底本のまま]とはせず、それは肢体に浸み渡らんばかりの蒸し暑さだった。それでも正午頃になると、八ヶ岳の裾の方から雲が割れてきて、弾左谿(だんざだに)の上空にはところどころ碧(あお)空が覗かれたが、まもなく、さうして[#底本のまま]片方に寄り重なった雲には、しだいに薄気味悪い墨色が加わってきた。そして、その一団の密雲は、ちょうど渓谷の対岸辺りを縁にして、除々と西北の方角に動きはじめたのであったが、そのうち、いやにぬくもりを含んだ風が、峰から吹き下りて来たかと思うと、やがて轟々(ごうごう)たる反響が、広い地峡の中を揺ぶりはじめた。しかしその雲も、小法師岳寄りの側になると、よほど薄らいでいて、時折太い雨脚が一つ二つ見えるという程度だったけれども、葉末の中ははや黄昏(たそがれ)ていて、その暗がりのなかで絶えず黄ばんだ光りが瞬(またた)いていた。その頃、騎西家の頭上にある沼の畔で、不安げに、雲の行脚を眺めている一人の女があった。それは、見ようによっては三十近くにも見えるだろうが、だいたいに塊量といった感じがなく、どこからどこまで妙にギスギス棘立っていて、そのくせなんとなく、熱情的な感じがする女だった。そして、薄汚ない篠輪絣(ささのわがすり)の単衣(ひとえ)に、縞目も見えなくなった軽山袴(かるさんばかま)をはいていて、服装だけは、いかにも地臭(エルトゲルフ)そのものであろうが、それに引きかえ顔立ちには、全然それとはそぐわない、透き徹った理智的な、むしろ冷酷ではないかと思われるような峻烈なものがあって、その二つが異様な対照をなしていた。十四郎の妻の滝人(たきと)は、こうして一時間もまえから、沼の水際(みぎわ)を放れなかったのである。 けれども、その顔が漠然とした、仮面のように見えるのは、なぜであろうか。もちろんそれには、あの耐えられない憂鬱や、多産のせいもあるとは云え、たかが三十を二つ越えたばかりの肉体が、なぜにそう見る影もなく害(そこな)われているのであろうか。顔からも四肢の艶(つや)からも、張りや脂肪の層がすでに薄らぎ消えていて、はや果敢(はか)ない、朽ち葉のような匂いが立ちのぼっているのだった。しかし、眼には眦(まなじり)が鋭く切れて、それには絶えず、同じことのみ眺め考えているからであろうか、瞳のなかが泉のように澄み切っていた。事実、彼女の心のなかには、あのふしだらな単調な生活にも破壊されず、けっして倦(う)むこともなく、絶えず一つの思念を、凝視してゆく活力があった。それが、滝人の蒼ざめた顔のなかで、不断の欲望を燃えさからせ、絶えず閃(ひらめ)いては、あの不思議な神経を動かしていった。そのためかしら、滝人の顔には、しだいと図抜けて、眼だけが大きくなっていった。そして肉体の衰えにつれて、鼻端がいよいよ尖り出し唇が薄らいでくると、その毛虫のような逞(たくま)しい眉と俟(ま)って、たださえ険相な顔が、よりいっそう物凄く見えるのだった。そのように、滝人には一つの狂的な憑着(ひょうちゃく)があって、その一事は、すでに五年越しの疑惑になっていた。けれども、そのために、時折危険な感動を覚えるということが、かえって今となっては、滝人の生を肯定している唯一のものになってしまった。事実、彼女はそれによって、ただ一人かけ離れた不思議な生き方をしているのだった。そして、疑惑のどこかに、わずかな陰影でもあれば、絶えずそれを捉えようとあがいていたのであるが、そのうちいつとなく、気持の上に均衡が失われてきて、今では、もう動かしがたい、心理的な病的な性質が具わってしまった。さて、滝人の心中に渦巻き狂っているというその疑惑は、そもそも何事であろうか――それを述べるに先立って、一言、彼女と夫十四郎との関係を記しておきたいと思う。 その二人は、同じながら晩婚であって、滝人は二十六まで処女で過し、また十四郎は、土木工学の秀才として三十を五つも過ぎるまで洗馬隧道(せんばとんねる)の掘鑿(くっさく)に追われていた。そして、滝人の実家が馬霊教の信者であることが、そもそもの最初だった。それから、繁(はげし)い往来(ゆきき)が始まって、そうしているうちにいつしか二人は、互いに相手の理智と聰明さに惹(ひ)かれてしまったのである。しかし、初めのうちは隧道ぎわの官舎に住み、そのうちこそ、二人だけの世界を持っていたのだったが、ちょうど結婚後一年ばかり過ぎた頃に、思いがけない落盤の惨事が、二人を深淵に突き落してしまった。ところが十四郎は、運よく救い出された三人のうちの一人だったけれども、それを転機にして、運命の神は死にまさる苦悩で、彼女を弄(もてあそ)びはじめた。と云うのは、落盤に鎖された真暗な隧道の中で、十四郎は恐怖のために変貌を来たしてしまい、あまつさえ、その六日にわたる暗黒生活によって、その後の彼には、性格の上にも不思議な転換が現われてきた。そうして滝人は、これが十四郎であると差し示されたにもかかわらず、どうして顔も性格も、以前とは似てもつかぬ、醜い男を夫と信じられたであろうか。 なるほど、持ち物はまさしくそうだし、かつまた身長から骨格までほとんど等しいのであったが、十四郎はまったく過去の記憶を喪(うしな)っていて、あの明敏な青年技師は、一介の農夫にも劣る愚昧(ぐまい)な存在になってしまった。その上、それまでは邪教と罵(ののし)っていた、母の馬霊教に専心するようになったのだが、彼の変換した人格は、おもにその影響を滝人のほうにもたらせていた。と云うのは、だいいち十四郎の気性が、粗暴になってきて、血腥(ちなまぐさ)い狩猟などに耽(ふけ)り、燔祭(はんさい)の生き餌までも、手ずから屠(ほふ)ると云ったように、いちじるしい嗜血(しけつ)癖が現われてきた事だった。またもう一つは、ひどく淫事を嗜(たしな)むようになったという事で、彼女は夜を重ねるごとに、自分の矜恃(ほこり)が凋(しぼ)んでゆくのを、眺めるよりほかになかった。あの動物的な、掠奪(ひった)くるような要求には――それに慣れるまで、彼女は幾度か死を決したことだったろう。そして、その翌年、惨事常事妊(みご)もっていた稚市(ちごいち)を生み落した以後は、毎年ごとに流産や死産が続いていて、彼女の肉体はやがて衰えの果てを知ることができないようになってしまった。しかし、滝人にとると、そうして魔法のような風に乗り、訪れてきた男が、第一自分の夫であるかどうかというよりも、まずそれを決める、尺準がないのに困惑してしまった。 変貌、人格の変換――そうした事は、仮説上まさしくあり得るだろうが、一方には、それをまた根底から否定してしまうような事実を、直後に知ってしまったのだった。そうして疑惑と苦悩の渦は、いぜん五年後の今日になっても、波紋を変えなかった。滝人もまた、それに狂的な偏執を持つようになって、おそらくこれが、永遠に解けぬ謎であろうとも、どうして脳裡から、離れ去る機(おり)があろうとは思われなかった。それから滝人の生活は、夢うつつなどというよりも、おそらく悪夢という地獄味の中で――ことに味の最も熾烈(しれつ)なものだったに相違ない。たぶん彼女には、現実も幻も、その差別がつかなかったであろう。そして五年にもわたって、夫とも他人ともつかぬ、異様な男と同棲を続けてきたことは、事実苦悩とも何ともつかない――それ世上、人間の世界には限度があるまいと思われるほど、痛ましい経験だったことであろう。しかし、より以上怖ろしさを覚えるのは、滝人のあくことのない執着だった。それが一方において、強烈な精神力を築き上げてしまい、彼女には自分の外界がどう変ってゆこうが、そんな事にはてんで頓着がなく、ひたすらその、執念一途にのみ生き続けていたのである。それゆえ、五年前の救護所における彼女と、今しも沼の面を、無心に眺めつづけている滝人との差を求めたとすれば、わずかに肉体の衰えをそうと云えるのみであろう。その間は、日ごと同じような循環論が繰り返されていって、あの痛々しげな喘(あえ)ぎが、いかにかすれゆくとも、彼女の生が終るまでは、どうして断たれることがあろうと思われた。その時、雷の嫌いな滝人は、しばらく顔を上げて空を眺めていたが、ようやく雲の行脚に安堵(あんど)したものか、やおら立ち上がって、畔近い槲の木立ちの中に入って行った。そこには、樹疫のためか、皮が剥がれて、瘤々した赤い肌が露われている老樹が立ち並んでいた。滝人は、それを一つ一つ数えながら、奥深く入って行ったが、やがて人間のように、四肢(てあし)をはだけた古木の前に立つと、彼女は眼の光りを消し、それを微笑に変らせていった。そして、唇からは、夢幻的な恍(うっ)とりとしたような韻(いん)が繰り出された。「こんなふうに貴方(あなた)の前に立っただけで、もう私は、なんとも云えぬ不思議な気持になってしまいます。貴方は、私が雷が嫌いなのをご承知でいらっしゃいましょう。いいえ、ご存知でなくても、私はそうに決めてしまいますわ。そして、いつもそんな時には、額から瞼の上にかけて、重い幕のようなものに包まれてしまって、膝は鉛のように気懶(けだる)くなり、ホラこんな具合に、眼の中から脈搏(みゃくはく)の音が聴えてくるのです。そうしますと、眼に映っている事物の線がなんだかビクビク引っつれだしてきたような気持がしてきて、貴方のお顔にどうやら似ていると思われるこの瘤の模様が、時には微笑(ほほえみ)だしたように思ったりなどして、私も、ともどもそれにつれて笑い出そうといたしますのですが、またそのような時は、急に恥かしくなってきて、こんなふうに真っ赤になってしまうのでございますよ。ああ貴方は、けっして遠い処に、お暮しになっているのではございません。私が永い間流し続けてきた涙は、いつか知らず、このような奇体な修練を覚えさせてくれたのです。貴方の本当のお顔を、この幹の中ではじめて見た時には、今度はまるで性質のちがった涙が、私の心をうまく掻き雑(ま)ぜてくれました。私はどうしても、そうせずにはいられなかったのです。この三重の奇態な生活が、結局無駄とは知りながらも、そう知れば知るほど、その夢幻が何にも換えられなくなってまいります。ねえ貴方、あの男は、いったい本当の貴方なのでしょうか。それとも、私がそれではないかと疑ぐっている、鵜飼邦太郎(うがいくにたろう)なのでしょうか。もし、その差別(けじめ)をクッキリとつけることが出来れば、もう木の瘤(こぶ)の貴方のところへは、私、二度とはまいりますまいが……」 その槲(かしわ)の木は、片側の根際まで剥ぎ取られていて、露出した肌が、なんとなく不気味な生々しい赤色で、それが腐り爛(ただ)れた四肢の肉のように見えた。そして、その中央辺に、奇妙な瘤が五つ六つあって、その一帯が、てっきり人の顔でも連想させるような、異様な起伏を現わしていた。けれども、その樹の前に立ち塞がって、人瘤に優しく呼びかけている女というのが、もしも花の冠でもつけた、オフィリヤでもあるのなら、この情景はさしずめ銅版画の夢でもあろう。しかし、滝人の眼は、吐いてゆく言葉の優しさとは異り、異様な鋭さをみせていて、その中には一つの貫かずには措(お)かない、はげしい意欲の力が燃えていた。彼女は、額の後毛(おくれげ)を無造作にはね上げて、幹に突っ張った、片手の肩口から覗き込むようにして、なおも話しかけるのを止めようとはしなかった。「あの時、同じ救い出された三人のうちで、たしか弓削(ゆげ)とかいう、工手の方がおりましたわね。その方が、私にこういう事実を教えてくれました。なんでも、最後の七日目の日だったとかいうそうですが、その時まで生き残っていたのが、貴方はじめ技手の鵜飼、それから二人の工手だったそうでございましたわね。そして、最初の落盤が、水脈を塞いでしまったために水がなく、もうその時は水筒の水も尽きていて、あの暗黒の中では、何より烈しい渇きが、貴方がたを苦しめていたのでした。それに、あの辺は温泉地帯なので、その地熱の猛烈なことと云ったら、一方凍死を助けてくれたとは云い条、そのために、一刻も水がなくては過せなかったのではございませんでしたか。それで、貴方はもう矢も盾(たて)もたまらなくなって、洞(ほら)の壁に滴水(したたりみず)のある所を捜しに出かけたのでしたわね。そして、とうとうその場所を見付けたのでしたが、その滴水というのが、間歇泉の枝脈なのですから、一時は吹き出しても、それは間もなくやんでしまって、再び地熱のためからからに干上がってしまうのです。ところが、その水の出口に唇を当てているうちに、あの湿った柔かい土の中に、貴方のお顔は、ずるずると入り込んでいったのです。ああ私は、自分ながらこの奇異(ふしぎ)な感情を、なんといい表わしたらよいものでしょうか……。だって、人もあろうに貴方に向かって、現在ご自分がお出逢いなった経験を、お聴かせしなければならないのですものね。いいえ、貴方はもう、この世にはお出でにならないのかもしれませんわ。きっとそれでなければ、楽しい想い出まで、何もかもお忘れになった、あの阿呆のような方になってしまって……」 そこで滝人は再び口を噤(つぐ)んで、視線を力なく下に落した。その時、雷雲の中心が、対岸の斑鳩山(いかるがさん)の真上に迫っていて、この小暗い樹立の中には、黄斑(きわだ)を打(ぶ)ちまけたような光が明滅を始めた。すると、黄金虫や団子蜂などが一団と化して、兇暴な唸り声を立て、この樹林の中に侵入してきた。そして、その――重く引き摺るような音響に彼女は、以前遠くから聴いた落盤の響を連想した。「ねえ、そうではございませんか。私は、あの怖ろしい疑惑を解くために、どれほど酷(むご)い鞭を、神経にくれたことだったか。まったく、私の精神力が、今にも尽きそうでいて、そのくせまだ衰えないのですけれど、それがどうしてどうして、私には不思議に思われてなりませんわ。けれども、それをし了せるためには、たとえどのような影一つでも、一応は捉えて、吟味しなければならないのです。貴方が、救い出されて救護所に運び込まれた時には、一体どんな顔で隧道(とんねる)を出たとお思いになりまして。その時、医者はこう申しましたわ。貴方は二度目の落盤の時、その恐怖のために笑い筋が引っつれてしまったので、あの大きな筋の異常で鼻は曲り、眼窪が、押し上げられた肉に埋もれてしまったそうなのです。いいえ、まったくその顔といったら、まず能にある悪尉(あくじょう)ならば、その輪廓がまだまだ人並ですが、さあなんと云おうか、さしずめ古い伎楽面の中でも探したなら、あのこの上ない醜さに、滑稽をかねたものがあると思いますわ。しかし、そうして貴方の変貌に思わず我を失ってしまったのですが、ふとかたわらを見ますと、技手の鵜飼さんの屍体の上にも、それはそれは、奇蹟に等しいものが現われていたのです。いいえ、それが鵜飼の屍体だと云われるまでは、どうしても私の眼がそれを信じ――いえいえ、この方こそと思いながら、その顔の上に、ぴったり凍りついたまま、離れることが出来なくなっておりました。まあなんと、その顔が同じ変貌によるとは云え……。ああ、一つの場所で二つの変貌――だなどと、そのような奇態が符号が、この人の世にあり得るのでございましょうか。それはともかくして、その鵜飼の顔というのが、じつに貴方そっくりだったでございませんか。そうして、その二つを見比べているうちに、私の頭の中には、それまであった水がすっかり使い尽されてしまって、ただあの怖ろしい疑惑だけが、空虚な皮質にがんがんと響いてくるのでした。まったく、今でさえそうですけど、現在の十四郎というのが、そのじつ鵜飼邦太郎であって……。あの、四肢(てあし)が半分ほどの所からなく、岩片で腹を裂かれて、腸が露出している無残な死体のほうが、真実の貴方だったのではなかったか。そうなれば、誰しもそう信ずるのが、自然ではございませんかしら。それに、その事実を貼(は)り合わせたように裏書する言葉が、貴方のお口からも吐かれたのです。そのとき貴方は、鵜飼の隣りで横向きに臥しておいでになり、眼の前にいるのが私とも知らずに、絶えず眼覆(めかく)しを除(はず)してくれと、子供のようにせがまれておりました。私も、大分刻限が経っていたことですから、たいした障りにもなるまいと思って、その結び目をやんわりと弛めてあげました。そして、幾分上のほうにずらせたとき、いきなり貴方は、両手を眩(まぶ)しそうに眼に当てておしまいになったのです。けれども、その時なんという言葉が、口を衝(つ)いて出たことでしょう。いいえ、けっしてそれは、眼の前にある、鵜飼の無残な腸綿(ひゃくひろ)ではないのです。貴方は、高代という女の名をおっしゃいました。高代――ああ私は、何度でも貴方がお飽(あ)きになるまで繰り返しますわ」といきなり滝人は、引っ痙(つ)れたような笑みを泛(うか)べ、眼の中に、暗い疲れたような色を漂わした。すると、全身にビリビリした神経的なものが現われてきて、それから、瘤(こぶ)の表面をいとしげに擦(こす)りはじめた。「ですから、当然私には、その夜から、貴方が病院をお出になる日が、またとなく怖ろしく思われてきたのです。なぜなら、どうしてそれまでに、真実貴方であるか、鵜飼邦太郎であるか分らない男に、抱かれる夜のことなど、想い泛(うか)べたことがあったでしょうか。いいえ、そればかりか、その後まもなく私は、高代という言葉を突き究めることができました。それが駭(おどろ)いたことには、鵜飼の二度目の妻で、前身は、四つ島の仲居だった女の名なのです。そこでようやく、この疑題の終点に辿りついたような、気がしたのでしたけれども、またそこには、着衣とか所持品とかいう要点もあって、たとえば、その二人の身長が、どんなにか符合しようと、また他にも、一致するような特徴が、あろうがどうだろうが、結局結論となると、変貌という――都合のいい解答一つで片づけられてしまうのでした。ああ、あの確証を得たいばかりに、毎夜私は、どんなにか空々しく、あの男の身長を摸索(まさぐ)っていたことでしょう」 滝人は上気したような顔になって、知らず知らず吐く息の数が殖えていった。彼女は唇を絶えず濡(しめ)し、眼を異様に瞬(しばた)たいて、その高まりゆく情熱から逃れようとしたが、無駄だった。やがて、柔かい苔の上に身体を横たえたが、過ぎ去った日の美しい回想やら、現実の苦悶やらが雑多と入り乱れて、滝人はさまざまな形に身悶えを始めた。「あの閨(ねや)の背(たけ)比べ――恥ずかしがりやの私には、これまで貴方のお身体を、しみじみ記憶に残す機会がございませんでした。お互いに、いらぬ潔癖さがつき纏(まと)っていて、私達はまったく不鍛練でございましたわね。(以下四七一字削除)しかし、その中でただ一つ、はっきりと頭の中に残っておりますのは、あの背比べなのでございます。つまり、薦骨(こしぼね)の突起と突起を合わせてみると、双方の肩先や踝(くるぶし)にどのくらいの隔たりが出来るか……。(以下一八六字削除)それが、以前の貴方の場合とぴったり合ってしまうので、なおさら昏迷(こんめい)の度が深められてまいるわけなのです。なにしろ、片方は死に、一方は過去の記憶を失っているという始末ですから、どうせどっちつかずの循環論になってしまって、結局はその二人の幻像が、ああでもないこうでもないと、物狂わしげな叫び声を上げながら、私の頭の中を駈け廻るにすぎませんでした。ああほんとうに、あの仮面を見ていると、頭の中が徐々(だんだん)と乱れてきて、不思議な幻影があちこち飛び廻るようになってしまいます。ですけど、どのみちこの運命悲劇を、自分の力でどうすることも出来ないとすれば、結局相手を殺すか、私が死ぬかの二つの道しかないわけでございます。でも、それには、ぜひにも理由を決定しなければなりません。ところが、それが出来ないのでございます。あの決定(けじめ)がつかないまでは、どうして、影のようなものに、刃(やいば)が立てられましょうか。そうしますと、一方ではあの執着が、私の手を遮ってしまうので、結局宿命の、行くがままに任せて――。死児を生み、半児の血塊(ちだま)を絶えず泣かしつづけて――。ああほんとうに、あの鬼猪殃々(おにやえもぐら)の原から、生温(なまぬる)い風が裾に入りますと、それが憶い出されて、慄然(ぞっ)とするような顫(ふる)えを覚えるのでございます。ねえ貴方、それを露西亜(ロシア)的宿命論というそうではございませんか。帝政露西亜の兵士達は、疲れ切ってしまうと、最後には雪の中に身を横たえてしまって、もう何事もうけつけず、反応もなければ反抗もせず……」 そこまで、云いつづけているうちに、頭上にある栴檀(せんだん)の梢から、白い花弁(はなびら)が、その雪[#「その雪」に傍点]のように舞い落ち、滝人の身体はよほど埋まっていた。すると、それに気づいたのが、恐ろしい刺激ででもあったかのごとく、彼女はいきなり弾(はじ)かれたように立ち上がった。「だいたい、隠されたものというのは、それが表に現われる日が来るまで、どうあっても、隠されていなければならないといいます。けれども、もうそんな日が来るのを、こっちから便々と待ってはいられなくなりました。そうして終(つい)に、私も決心の臍(ほぞ)を固めて、どのみちどっちに傾いたところで、陰惨この上ない闇黒世界であるに相違ないのですから、私の一身を処置するためには、どうしてもあの二つの変貌と、高代という名の本体を、突き究(きわ)めねばならぬと思いました。それから、辛い夜の数を一つ一つ加えながら、いつ尽きるか涯しないことを知りながらも、あの永い苦悩と懐疑の旅に上っていったのでした」 雷鳴のたびごとに、対岸の峰に注ぐ、夕立の音が高まり、強い突風が樹林のここかしこに起って、大樹を傾け梢を薙(な)ぎ倒しているが、そのややしばし後になると、小法師岳の木々が、異様に反響して余波に応えていた。そして、その間は、天地がひっそりと静まり返って、再びあの耐えがたい湿度が訪れてくる。そのいいようのない蒸し暑さの中で、滝人は、とうてい人間の記録とは思われないような、一連のものを語りはじめた。「それには、女学校を出たのみの私の知識だけでは、とうてい突破し切れまいと思われたほど、さまざまな困難がございました。しかし、とうとうそれにもめげず、おそらく異常心理については、ありとあらゆる著述を猟り尽しました。その結果、二つの仮説を纏め上げることができたのです。その一つは、いうまでもないことですが、……ひとまず、貴方の変貌についてはさて置くとして、鵜飼邦太郎の変貌には、なにか他から加えられた力があるのではないかと思われたのです。それで、私は、ちょうどぴったりとくる一つの例を、エーベルハルトの大戦に関する類例集の中から、拾い上げることができました。それは、皮紐の合わない小型の瓦斯(ガス)マスクを、大男がつけたとして、その男が突撃の際にでも仆(たお)されたとします。すると、瞬間顔の筋肉が、その窮屈な形なりに硬直してしまうというのです。以前にも小城魚太郎(こしろうおたろう)は、探偵小説『後光(ごこう)殺人事件』の中で、精神の激動中に死を発した場合、瞬間強直を起すという理論を扱いました。けれども私は、それとは全然異った経路で、あるいはそれが真因ではないかと考えるようになりました。と云うのはほかでもございません。貴方が洞壁の滴り水を啜(すす)ったことは、前にも申しました。ところが、その際に出来た面形(めんがた)が、あるいはその後、温泉の噴出が止むと同時に干上がってしまったのではないかと思われたのです。そして、工手の弓削の話によりますと、それからしばらく後になって、今度はその場所を貴方から聴き、鵜飼邦太郎が手さぐりながら出掛けて行ったそうではありませんか。なんでも、そのとき弓削は、鵜飼が「あったにはあったが、水の口が判らない」と云いますと、それに貴方は「もっと奥へ口をつけて」と教えたのを聴いたというそうですが、その瞬間、第二の落盤が起ったのです。そして、貴方はその場で気を失い、鵜飼邦太郎は、先に作られた面形に顔を埋めたまま、その場を去らず、強直したのではないかと思われました。つまり貴方の変貌には、純粋の心理的な原因があるにしても、鵜飼の場合をそうだとすることは、とうてい神業とするより外にないでしょう。たしかにあの男は、貴方の面形の中に、ぴったりと顔を埋めているうち、突然の駭(おどろ)きが、そのままの形で硬ばらせてしまったに相違ありません。だいいちあの、いかにも捏(で)っちあげたような不自然な形が、一方変貌という理論を、力づけていたのではないでしょうか」 それには、凄烈を極めた頭脳の火花が散るように思われたが、そこに達するまでの艱苦(かんく)には、さぞかし涙ぐましいものがあったであろう。滝人も、追想やら勝ち誇った気持やら苦悩の想い出などで、ひどく複雑な表情を泛(うか)べて黙っていたが、やがて口を次いだ。「しかし、その次になって、貴方の口から吐かれた高代という言葉になると、とうていこのほうは、実相に近い仮説を組みあげることはできませんでした。私が執心に執心をかさねて、やっとのことで掴みあげたというこの一つでさえも、一端は言葉となって進行してはゆきますが、すぐに前後を乱してバラバラになってしまうのです。それで、私がわずかに拾い上げたというのも、たったこの一つだけなのでございます。というのはたしか、サイディスの『複重性人格(マルティブル・パーソナリティ)』には、一番明確なものが挙げられていたように思われますけど、大体が、盲目から解放された瞬間の情景なのです。ここにもし、先天的な白内障患者や、あるいは永いこと、真暗な密室の中にでも鎖じ込められていた人達があったとして、それがやっとのことで、暗黒から解放されるようになったと仮定しましょう。すると、そうして最初の光明に接した際に、いったいどんなものが眼に飛びついてくるとお思いですか。それは、線でも角でもなくて、ただ輪廓が茫(ぼう)っとしている、色と光りだけの塊(かたま)りに過ぎないのです。よく私どもの幼い頃には、眩影景(暗い中を歩かせられて、不意に明るみに出ると、前述したような理論で、何でもないものが恐ろしいものに見える、一種の心理見世物)などいう心理見世物が、きまって、お化(ばけ)博覧会などの催し物には含まれていたものです。つまり、それによく似た現象が、あのとき眼に映った、鵜飼の屍体の中に、あったのではございませんでしたろうか。それでなくても、俗に腸綿(ひゃくひろ)踊りなどと申すものがございます。それは、今も申した心理見世物の一種なのですが、遠見では人の顔か花のように見えるものが、近寄って見ると、侍が切腹していたり、凄惨な殺し場であったりして、つまり、腸綿(はらわた)の形を適当に作って、それに色彩を加えるという、いわゆる錯覚物(だましもの)の一種なのです。そうしてみると、腸綿(ひゃくひろ)がとぐろまいている情態ほど、種々雑多な連想を引き出してくるものは外になかろうと思われます。すると、あの時の鵜飼はどうだったでしょうか。腹腔(はら)が岩片に潰されてしまって、その無残な裂け口から、幾重にも輪をなした腸綿(はらわた)が、ドロリと気味悪い薄紫色をして覗いておりましたわね。ああそうそう、あのブヨブヨした堤灯(ちょうちん)形の段だらだけは、貴方にはご存知がないはずです。ですけど、私の眼にさえも、それは異様なものに映じておりました。多分それというのも、胆汁や腹腔内の出血などが、泥さえも交え、ドロドロにかきまざっていたせいもあるでしょうが、ちょうどその色雑多な液の中で、腸綿のとぐろがブワブワ浮んでいるように見えたのです。ですから、輪廓が判らずに、ただ色と光りしか眼に映らなかったとすれば、あるいは――私はこう考えるのです。そのどこか一部分に、ひょっとしたら、高代という字の形をしたものが現われていたのではなかったか――と。それなり高代という言葉を、あの十四郎は一度も口にしたことはございません。それになお考えてみますと、まだまだ仮説とするには、至って不分明なのでございます。まして、反対の観点からみて、潜在意識といってしまえば、それまででもあって、まったく結論とするには、心細い輪廓しか映っておりませんので、せっかくそこまで漕ぎ付けたにもかかわらず、再び眼醒めかかった意識が、すうっと遠退(の)いて行くような気がしてしまいました。そして、それから五年の間というものは、絶えずその二つの否定と肯定とが絡(から)み合っていて、現在私が十四郎と呼んでいる男というのが、いったいそのどっちなのであろうか――聴いてさえも物狂わしくなるような疑惑が、時には薄らぎ消え、ある時はまた、真実に近い姿に見えたりなどして、結局見透しのつかない雲層の中に埋(うず)もれてしまうのが常でした。
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