潜航艇「鷹の城」
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著者名:小栗虫太郎 

    第一編 海底の惨劇


      一、海―武人の墓

 それは、夜暁(よあけ)までに幾ばくもない頃であった。
 すでに雨は止み、波頭も低まって、その轟きがいくぶん衰(おとろ)えたように思われたが、闇はその頃になるとひとしおの濃さを加えた。
 その深さは、ものの形体(かたち)運動(うごき)のいっさいを呑(の)み尽してしまって、その頃には、海から押し上がってくる、平原のような霧があるのだけれど、その流れにも、さだかな色とてなく、なにものをも映そうとはしない。
 ただ、その中をかい間ぐって、ときおり妙に冷(ひい)やりとした――まるで咽喉(のど)でも痛めそうな、苦ほろい鹹気(しおけ)が飛んでくるので、その方向から前方を海と感ずるのみであった。
 しかし、足もとの草原は、闇の中でほう茫(ぼう)と押し拡がっていて、やがては灰色をした砂丘となり、またその砂丘が、岩草の蔓(はびこ)っているあたりから険しく海に切り折れていて、その岩の壁は、烈しく照りつけられるせいか褐色に錆(さ)びついているのだ。
 しかし、そういった細景が、肉の眼にてんで映ろう道理はないのであるが、またそうかといって闇を見つめていても、妙に夜という漆闇(しつあん)の感じがないのである。というのは、そのおり天頂を振りあおぐと、色も形もない、透きとおった片雲(ひらぐも)のようなものが見出されるであろう。
 その光りは、夢の世界に漲っているそれに似て、色の褪せた、なんともいえぬ不思議な色合いであるが、はじめは天頂に落ちて、星を二つ三つ消したかと思うと、その輪形(わがた)は、いつか澄んだ碧(あお)みを加えて、やがては黄道を覆い、極から極に、天球を涯(はて)しなく拡がってゆくのだ。
 いまや、岬の一角ははっきりと闇から引き裂かれ、光りが徐々に変りつつあった。
 それまでは、重力のみをしんしんと感じ、境界も水平線もなかったこの世界にも、ようやく停滞が破られて、あの蒼白い薄明が、霧の流れを異様に息づかせはじめた。すると、黎明(れいめい)はその頃から脈づきはじめて、地景の上を、もやもやした微風がゆるぎだすと、窪地の霧は高く上(のぼ)り、さまざまな形に棚引きはじめるのだ。そして、その揺動の間に、チラホラ見え隠れして、底深い、淵のような黝(くろ)ずみが現われ出るのである。
 その、巨大な竜骨のような影が、豆州の南端――印南岬(いなみさき)なのであった。
 ところがそのおり、岬のはずれ――砂丘がまさに尽きなんとしているあたりで、ほの暗い影絵のようなものが蠢(うごめ)いていた。
 それは、明けきらない薄明のなかで、妖(あや)しい夢幻のように見えた。ときとして、幾筋かの霧に隔てられると、その塊がこまごま切りさかれて、その片々が、またいちいち妖怪めいた異形(いぎょう)なものに見えたりして、まこと、幻のなかの幻とでもいいたげな奇怪さであった。
 けれども、その不思議な単色画(モノクローム)は疑いもない人影であって、数えたところ十人余りの一団だった。
 そして、いまや潜航艇「鷹の城(ハビヒツブルク)」の艇長――故テオバルト・フォン・エッセン男の追憶が、その夫人ウルリーケの口から述べられようとしている。
 しかし、その情景からは、なんともいえぬ悲哀な感銘が眼を打ってくるのだった。海も丘も、極北の夏の夜を思わせるような、どんよりした蒼鉛一味に染め出されていて、その一団のみが黒くくっきりと浮び上がり、いずれも引き緊った、悲痛な顔をして押し黙っていた。
 そのおり、海は湧き立ち泡立って、その人たちにあらんかぎりの威嚇(いかく)を浴(あび)せた。荒(し)けあとの高い蜒(うね)りが、岬の鼻に打衝(ぶつ)かると、そこの稜角で真っ二つに截(た)ち切られ、ヒュッと喚声をあげる。そして、高い潮煙が障壁から躍り上がって、人も巌も、その真白な飛沫(しぶき)をかぶるのだった。
 風も六月の末とはいえ、払暁の湿った冷たさは、実際の寒気よりも烈しく身を刺した。しかも、岬の鼻に来てはすでに微風ではなく、髪も着衣(きもの)も、なにか陸地の方に引く力でもあるかのよう、バタバタ帆のようにたなびいているのだ。
 人たちは、いずれも両脚を張ってはいるが、ともすると泡立つ海、波濤の轟き、風の喊声(かんせい)に気怯(きお)じがしてきて、いつかはこの蒼暗たる海景画が、生気を啜(すす)りとってしまうのではないかと思われた。
 しかし、その一団は、はっきりと二つの異様な色彩によって区分されていた。
 と云うのは、まことに物奇(ものめずら)しい対象であるが、夫人と娘の朝枝以外の者は、七人の墺太利人(オーストリヤじん)と四人の盲人だったからである。
 そのうち七人の墺太利人は、いずれも四十を越えた人たちばかりで、なかには、指先の美しい音楽家らしいのもいた。また、髭(ひげ)の雄大な退職官吏風の者もいて、顳□(こめかみ)のあたりに、白い房を残した老人が二つ折れになっているかと思えば、また、逞(たくま)しい骨格を張った傷病兵らしいのが、全身を曲った片肢で支えているのもあって、服装の点も区々まちまちであった。
 しかし、誰しもの額や顳□(こめかみ)には、痛ましい憔悴の跡が粘着(ねば)りついていて、着衣にも労苦の皺(しわ)がたたまれ、風がその一団を吹き過ぎると、唇に追放者(エミグレ)らしい悲痛なはためきが残るのだった。
 また、盲人の一群は、七人の向う側に立ち並んでいて、そのぎごちない身体つきは、神秘と荒廃の群像のように見えた。
 もはや眼以外の部分も、生理的に光をうけつけなくなったものか、弱った盲目蛆(めくらうじ)のように肩と肩を擦(す)り合わせ、艶(つや)の褪(あ)せた白い手を互いに重ねて、絶えず力のない咳をしつづけていた。
 しかし、この奇異(ふしぎ)な一団を見れば、誰しも、一場の陰惨な劇(ドラマ)を、頭の中でまとめあげるのであろう。
 あの黒眼鏡を一つ一つに外していったなら、あるいはその中には、天地間の孤独をあきらめきった、白い凝乳のような眼があるかもしれないが、おそらくは、眼底が窺(うかが)えるほどに膿潰(のうかい)し去ったものか、もしくは蝦蟇(ひきがえる)のような、底に一片の執念を潜めたものもあるのではないかと思われた。
 が、いずれにもせよ、盲人の一団からは、故(ゆえ)しらぬ好奇心が唆(そそ)られてくる。そしていまにも、その悲愁な謎を解くものが訪れるのではないかと考えられた。
 その四人は朝枝を加えて、やや金字塔(ピラミッド)に近い形を作っていた。
 と云うのは、中央にいる諾威(ノルウェー)人の前砲手、ヨハン・アルムフェルト・ヴィデだけがずば抜けて高く、それから左右に、以前は一等運転士だった石割(いしわり)苗太郎(なえたろう)と朝枝、そして両端が、現在はウルリーケの夫――さきには室戸丸(むろとまる)の船長だった八住(やずみ)衡吉(こうきち)に、以前は事務長の犬射(いぬい)復六(またろく)となっているからだった。
 そのヴィデは、はや四十を越えた男であるが、丈は六尺余りもあって、がっしりとした骨格を張り、顔も秀でた眼鼻立ちをしていた。亜麻色の髪は柔らかに渦巻いて、鼻は鷹の嘴(くちばし)のように美しいが、絶えず顔を伏目に横へ捻じ向けていた。その沈鬱な態度は、盲人としての理性というよりも、むしろ底知れない、こころもち暗さをおびた品位であろう。
 ところが、ヴィデの頸(くび)から上には、生理的に消しがたい醜さが泛(うか)んでいた。頬には、刀傷や、異様な赤い筋などで、皺が無数にたたまれているばかりでなく、兎唇(みつくち)、瘰癧(るいれき)、その他いろいろ下等な潰瘍(かいよう)の跡が、頸(くび)から上をめまぐるしく埋めているのだった。
 それらは、疾病(しっぺい)放縦などの覆い尽せない痕跡なのであろうが、一方彼が常に、砲手として船に乗るまでは数学者だった――などというところをみると、そのかずかずの醜さは、とうてい彼の品位が受け入れるものとは思われなかった。
 むしろ、その奇異(ふしぎ)な対象から判断して、事実はその下に、美しい人知れない創(きず)があって、それを覆うている瘤(こぶ)というのが、あの忌わしい痕のように考えられもするので、もしそうだとすると、ヴィデには二つの影があらねばならなくなるのだった。
 それから、犬射復六は小肥りに肥った小男で、年配はほぼヴィデと同じくらいであるが、一方彼は詩才に長(た)け、広く海洋の詩人として知られている。
 柔和な双顎(ふたあご)の上は、何から何まで円みをおびていて、皮膚はテカテカ蝋色に光沢(つや)ばんでいる。また唇にはいつも微かな笑いが湛えられていて、全身になんともいえぬ高雅な感情が燃えているのだった。
 それに反して石割苗太郎は、神経的な、まるで狐みたいな顔を持っていた。
 彼は即座に感情を露(あら)わして、その皮膚の下に、筋肉の反応がありありと見えるくらいであるが、その様子はむしろ狂的で悲劇的で、絶えず彼は、自分の頓死を気づかっているのではないかと思われた。
 しかし、最後の八住衡吉となると、誰しもこれが、ウルリーケの夫であるかと疑うに相違ない。
 それは、世にも痛ましく、浅ましいかぎりであったからだ。衡吉ははや六十を越えて、その小さな身体と大きな耳、まるい鼻には、どこか脱俗的なところもあり、だいたいが人の良い堂守と思えば間違いはない。
 ところが、その髪を仔細に見ると、それも髭も玉蟲色に透いて見えて、どうやら染められているのに気がつくだろう。そうして、愚かしくも年を隠そうとしていることは、一方に二十いくつか違う、妻のウルリーケを見れば頷(うなず)かれるが、事実にも衡吉は、不覚なことに老いを忘れ、あの厭わしい情念の囚虜(とりこ)となっているのだった。
 その深い皺、褪せた歯齦(はぐき)を見ると、それに命を取る病気の兆候を見出したような気がして、年老いて情慾の衰えないことが、いかに醜悪なものであるか――如実に示されていた。
 そのせいか、大きな花環を抱いているそのすがたにも、どこか一風変った、感激とでも云いたいものがあって、おそらく思慮や才智も、充分具えているに違いないが、同時にまた、痴呆めいた狂的なものも閃(ひらめ)いているのだった。
 そうして、以前はその四人が、同じ室戸丸の高級船員だったことが明らかになれば、ぜひにも読者諸君は、それと失明との関係に、大きな鎖の輪を一つ結びつけてしまうに相違ない。
 そのおりウルリーケは、静かに列の間を、岬の鼻に向って歩んでいった。
 ウルリーケが立ち止まって、波頭の彼方を見やったとき、その顔には、影のような微笑が横切った。それはごく薄い、やっと見えるか見えないぐらいの、薄衣(ヴェール)のようなものだったが、しばし悲しい烙(やき)印の跡を、覆うているかのように見えた。
 ウルリーケは、見たところ三十がらみであるが、実際は四十に近かった。
 のみならず、その典型的な北欧型(スカンディナヴィアン・タイプ)といい、どうみても彼女は、氷の稜片で作り上げられたような女だった。生え際が抜け上がって眉弓が高く、その下の落ちくぼんだ底には、蒼(あお)い澄んだ泉のような瞳があった。
 両端が鋭く切れすぎた唇は、隙間なくきりりと締っていて、やや顎骨が尖っているところといい、全体としては、なにかしら冷たい――それが酷(むご)いほどの理性であるような印象をうけるけれども、また一面には、氷河のような清冽な美しさもあって、なにか心の中に、人知れぬ熾烈(しれつ)な、狂的な情熱でも秘めているような気もして、おりよくその願望が発現するときには、たちまちその氷の肉体からは、五彩の陽炎(かげろう)が放たれ、その刹那、清高な詩の雰囲気がふりまかれそうな観も否めないのだった。
 しかし、ウルリーケのすらっとした喪服姿が、おりからの潮風に煽られて、髪も裾も、たてがみのように靡(なび)いているところは、どうして、戦女(ワルキューレ)とでも云いたげな雄々(ゆゆ)しさであった。
 空は水平線の上に、幾筋かの土堤(どて)のような雲を並べ、そのあたりに、色が戯れるかのごとく変化していった。彼女はしばらく黙祷を凝(こ)らしていたが、やがて、波間に沈んだ声を投げた。
 その言葉はかずかずの謎を包んで神秘の影を投げ、しばらくはこの岬が、白い大きな妖しげな眼の凝視の下にあるかのようであった。
「いつかの日、私はテオバルト・フォン・エッセンという一人の男を知っておりました。その男は、墺太利(オーストリヤ)海軍の守護神、マリア・テレジヤ騎士団の精華と謳(うた)われたのですが、また海そのものでもあったのですわ。
 ああ貴方! あの日に、貴方という竪琴の絃(いと)が切れてからというものは……それからというもの……私は破壊され荒され尽して、ただ残滓(かす)と涙ばっかりになった空虚(うつろ)な身体を、いま何処で過ごしているとお思いになりまして。
 私は、貴方との永くもなかった生活を、この上もない栄誉(はえ)と信じておりますの。だって貴方は、怖(おそ)れを知らぬ武人――その方にこよなく愛されて、それに貴方は、墺太利全国民の偶像だったのですものね。
 ところが、あの日になって、貴方は急に海から招かれてしまったのです。
 というのも、貴方が絶えずお慨(なげ)きになっていたように、なるほど軍司令部の消極政策も、おそらく原因の一つだったにはちがいないでしょうが、もともといえば、貴方お一人のため――その一人の潜航艇戦術が伊太利(イタリー)海軍に手も足も出させなかったからです。
 ねえ、そうでございましたでしょう。あれまでは、トリエステの湾はおろか、アドリヤチックの海の何処にだっても、砲弾(たま)の殻一つ落ちなかったのではございませんか。その安逸が――いいえ蟄居(ちっきょ)とでも申しましょうか。それが、貴方に海の憬れを駆り立て、硝烟(しょうえん)の誘いに耐えきれなくさせて、秘かにUR(ウー・エル)―4号の改装を始めたのでしたわね」
 一九一五年五月、参戦と同時に、伊太利は海上封鎖を宣言した。
 もともと、両者の海軍力は、戦艦九対十四、装甲巡洋艦九対二の比率で、伊太利側が一倍半の優勢を持していたのである。そこへ、英仏地中海艦隊の援助によって、墺太利(オーストリヤ)沿岸封鎖が行われたのである。
 ポーラ鎮守府をはじめに、トリエスト、セベニコ、カッタロ、テオド、ザラ等の各軍港が、ほとんど抵抗もうけず、完全に封鎖されてしまった。そうして、海上貿易の遮断をうけるとともに、墺太利は、各艦隊の連絡策戦が不可能になってしまったのである。
 当時、伊太利側の策戦としては、まず、トリエスト、フューメのような無防禦港を破壊する。そうして精神的打撃を与えしかるのちに、海軍要塞を占拠して陸兵を上陸せしめようとしたのであった。それがために、敵艦隊の集中するカッタロ湾に主力を向け、まさにアルバニアのヴァロナを出港せんばかりの気配にあった。
 しかし、墺太利(オーストリヤ)側としてもなんとかして、ヴェネチア、ラヴェンナ、アンコナ、タラント等に、勢力を置いている敵の封鎖を打ち破らねばならなかった。そうして、もし巧みに封鎖を脱することができれば、ヴェネチア、アンコナの両港を襲撃できるばかりではなく、ブリンデッシ、バリーなど無防禦港も、砲火の危険に曝(さら)されねばならない。さらに、一段進捗(しんちょく)して、オトラント海峡の封鎖をみれば、もはや伊太利(イタリー)艦隊は完全な苦戦である。
 この二つの策戦は、当時万目の見るところだったのである。そうしていつかは、アドリアチック海の奥に、砲声を聴くであろう。トリエスト、ヴェネチアを結ぶ線上に砲火が散り、そこが両軍の死線となるであろう。と、戦機のせまる異常な圧迫感が、日々に刻々とたかまっていったのである。
 しかし、墺海軍は依然として、退嬰(たいえい)そのもののごとく自港の奥に潜んでいた。三隻単位を捨てて、五隻単位主義を採択したほどの墺海軍が、また何故に、損害の軽微な潜航艇戦にも出なかったのであろうか。それには、陸上トレンチノ線の、快勝が原因だったのである。
 伊太利陸軍は、参戦以来、主力をイゾンゾに注いで、大規模な攻撃を開始した。しかし、費やした肉弾と、砲弾の量にもかかわらず、わずかイゾンゾ河の下流で国境を越えたにすぎなかった。そこへ、対セルビアの戦闘が終結したのである。
 墺軍は、俄然そこで攻勢に転じた。まず、イゾンゾ方面に、兵力集結の偽装をおこない、そうして、伊軍の注意を、その方面に牽(ひ)きつけておいて、その間(かん)に、こっそり攻勢の準備を整えていた。
 露墺戦線よりの三個師団、イゾンゾ方面より四個師団、バルカン方面より三個師団、さらに、国内で編成した混成三個旅団を、それまでのケーブエス、ダンクル軍に合わせたのである。そして、オイゲン大公指揮の下に、伊軍陣地を突破して、ヴェネチア平原に進入しようと企てたのであった。
 四月二日払暁、ロヴェレット南方より、スガナ渓谷(けいこく)にいたる、トレンチノ全線の砲兵が、約二千門といわれる砲列の火蓋を切った……。それが伊墺戦線最大の殺戮(さつりく)なのであった。モリ南方高地からかけて、ズグナ・トルタ山、マッギオ山、カムポ山、アルメンテラ山を経て、コロー山にわたる伊軍第一陣地は、夕刻までに大半破壊されてしまった。
 その頃には、南方チロール地区隊、ギヴディカリー部隊を先頭に、歩兵が行動を開始した。ケーブエス軍は、一部をアディジェ河谷に、主力をアスチコ河谷に向けて、アルシェロ市を目標とした。また、ダンクル軍は、一部をスガナ河谷に、主力をチエッテ・コムニ高原に向け、これはアジアゴ市を目標とした。
 そして、猛烈な火砲戦に、算を乱し、潰走する伊軍を追うて、まもなく、その両市を占領することができた。
 が、墺太利(オーストリヤ)海軍にとると、この大勝禍いなるかなであった。おそらく、両国の勝敗が、陸戦で決せられるものと見込んだのであろう、いつのまにやら、燃えていた必戦の意気が消えてしまった。しかしその後は、戦線にも格別の変化がなく、ただ伊軍は、じりじりと墺軍を押し戻していった。
 それが、決戦派の首領、男爵フォン・エッセンには耐(たま)らなかったのである。彼は、機さえあれば怒号して、軍主脳部に潜航艇戦をせまったのであった。
 ――わが国は、かつて統一戦争の当時、伊太利(イタリー)軍を破ったことがあった。その後も、一八六六年にはクリストッツァの戦いで勝ち、海軍もまた、リッサ島の海戦と伊太利艦隊を破った! しかも、今次の大戦においても、どうであろうか。じつに、わが国は伊太利軍には一度も敗れたことはないのである。その歴史的信念を忘れ、決戦に怯気(おじけ)だった、軍主脳部こそは千叱(だ)の鞭(むち)をうけねばならぬ。
 この、マリア・テレジヤ騎士団の集会でおこなった演説を最後に、フォン・エッセンは二度と怒号しようとはしなかった。そして、秘かに、UR(ウー・エル)―4号の改装をはじめたのである。
 こうした経緯(いきさつ)が、言葉を待つまでもなく、七人の復辟(ふくへき)派には次々と泛(うか)んでいった。まるで、ウルリーケの一言が礫(つぶて)のように、追憶の、巻き拡がる波紋のようなものがあったのである。
「そうして、UR(ウー・エル)―4号の改装が終りますと、次に私を待っていたのが、悲しい船出でございました。私はあの前夜に慌(あわただ)しい別れを聴かせられたとき、その時は別離の悲しみよりか、かえって、あの美しい幻に魅せられてしまいましたわ。
 あの蒼い広々とした自由の海、その上で結ぶ武人の浪漫主義(ロマンチシズム)の夢――。まあ貴方は、艇(ふね)を三檣(しょう)の快走艇(ヨット)にお仕立てになって……、しかもそれには、『鷹の城(ハビヒツブルク)』という古風な名前をおつけになったではございませんか。
 ああそれは、王立(ロイヤル)カリンティアン快走艇(ヨット)倶楽部(くらぶ)員としての、面目だったのでしょうか。いいえいいえ、私はけっしてそうとは信じません。
 きっと貴方は、最後の悲劇を詩の光輪で飾りたかったに違いありませんわ。そして、しめやかな通夜を他目(よそめ)に見て――俺は、生活と夢を一致させるために死んだのだ――とおっしゃりたかったに相違ありませんわ。
 そうして、その翌朝一九一六年四月十一日に、その日新しく生れ変った潜航艇『鷹の城(ハビヒツブルク)』は、朝まだきの闇を潜(くぐ)り、トリエステをとうとう脱け出してしまったのでした。あの時すぐに始まった朝やけが、ちょうどこのようでございましたわねえ」
 その時、水平線がみるみる脹(ふく)れ上がって、美(うるわ)しい暁(あけぼの)の息吹が始まった。波は金色(こんじき)のうねりを立てて散光を彼女の顔に反射した。
 ウルリーケは爽やかな大気を大きく吸い込んだが、おそらく彼女の眼には、その燦(きらびや)かな光が錫色をした墓のように映じたことであろう。
「ところが、そのとき積み込んだ四つの魚雷からは、どうしたことか、功績(いさお)の証(あかし)が消え去ってしまったのです。
 その月の十九日タラント軍港を襲撃しての、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』号の撃沈も、年を越えた五月二十六日コマンドルスキイ沖の合衆国巡洋艦『提督(アドミラル)デイウェイ』との戦闘も、このとおり艇内日誌にはちゃんと記されておりますが、その公表には、どうしたことか時日も違い、各自自爆のように記されてあるのです。
 それがドナウ聯邦派の利用するところとなって、ハプスブルグ家の光栄(はえ)を、貴方一人の影で覆い、卑怯者、逃亡者、反逆者と、ありとあらゆる汚名を着せられて、今度は共和国を守る、心にもない楯に変えられてしまったのです。
 それにつれて、同じ運命が私にも巡ってまいりました。
 わけても、貴方の生存説が、どこからともなく伝わってまいりましたおりのこととて、私たちの家には毎夜のように石が投げられ、むろん貴方のお墓などは、夢にも及ばなくなったのです。
 ところへ、貴方が拿捕(だほ)された『室戸丸』の船長から――それが現在私の夫ではございますが、貴方の遺品(かたみ)を贈るという旨を申しでてまいりました。それがそもそも、いまの生活に入る原因となったのでしたけど、私の悲運は、いまなお十七年後の今日になっても尽きようとはいたしません。
 せっかく貴方の墓と思い、引き揚げた『鷹の城(ハビヒツブルグ)』も、ついには私たちの生計の糧(かて)として用いねばならなくなりました。
 私たちはこの上、安逸な生活を続けることが不可能になったのでございます。それで八住は、船底を改装して硝子(ガラス)張にしたのを、いよいよ海底の遊覧船に仕立てることにいたしました。
 そうして再び、貴方のお船『鷹の城(ハビヒツブルグ)』は動くことになりましたけど、私にとれば、貴方のお墓を作る機会が、これで永遠に失われてしまったことになります。
 ですけど、貴方の幻だけはかたく胸に抱きしめて――あの気高くも運命(さだめ)はかなき海賊(コルサール)、いいえ、男爵海軍少佐テオバルト・フォン・エッセンは、死にさえも打ち捷(か)って、このような熱い接吻で私の唇を燃やすではございませんか。
 貴方、そんな頸(うなじ)の上などは擽(くすぐ)っとうございますわ。ねえ、耳朶(たぶ)へ……貴方……」
 フォン・エッセン艇長とウルリーケとを結びつけた、かくもかたい愛着の絆を前にしては、現在の夫、八住衡吉などは、むろん影すらもないのだった。
 ウルリーケはこもごも湧き起る回想のために、しばらくむせび泣きしていたが、やがて歩を返し、つづいて艇長の最期を語るために、詩人の犬射復六が朝枝に連れ出された。
 ところが、この前事務長の口からして、艇長の最期にまつわる驚くべき事実が吐かれたのであった。

      二、「鷹の城(ハビヒツブルグ)」の怪奇

「私はこの際、フォン・エッセン艇長の最期を明らかにして、坊間流布されておりますところの、謬説を打破したいと考えます。
 私ども四人が当時乗り込んでおりました貨物船室戸丸は、そのおり露西亜(ロシア)政府の傭船となっておりましたので、『鷹の城(ハビヒツブルグ)』の襲撃をこうむることは、むしろ当然の仕儀であると云い得ましょう。一九一七年三月三十日、室戸丸は『鷹の城』のために、晩香波(バンクーバー)島を去る七〇浬(カイリ)の海上で拿捕(だほ)されました」
 こうして、犬射が語りだす遭難の情景を、作者は、便宜上船内日誌を借りることにする。
 本船は横浜解纜(かいらん)の際、以前捕鯨船の砲手であったヴィデを招き、同時に四吋(インチ)の砲を二門積み込んだのであった。それは、左右両舷に据えられた。しかも数箱の砲弾が甲板に積み上げられたのである。だが、どうしてだろう? 北太平洋には、いま氷山のほか何ものも怖(おそ)れるものはないではないか。
 じつに本船は、フォークランド沖の海戦で、撃ち洩らされた独艇を怖れたからである。独逸(ドイツ)スペイン艦隊の旗艦シャルンホルスト号には、二隻の艦載潜航艇があったのであるが、そのうち一つは傷つき、他の一隻は行衛(ゆくえ)知れずになってしまった。
 それ以来、濃霧(ガス)のような海魔のようなものが、北太平洋の北圏航路を覆い包んでしまったのである。
 ある船は、海面に潜望鏡(ペリスコープ)を見たといい、また、覗いてすぐに姿を消したという船もあった。しかし本船は、この一夜で航程を終ろうとしていた。それが、西経一三三度二分、北緯五十二度六分、女王(クイーン)シャーロット島(ランド)を遠望する海上であった。
 日が暮れると、同時に重い防水布を張り、電球は取り除かれて、通風口は内部(なか)から厚い紙で蓋をしてしまった。操舵室も海図室も同じように暗く、内部も外部(そと)も、闇夜のような船であった。
「ですが、奴らは、なかなかうまくやりますからね」
 六回も、独艇の追跡をうけたという手練のヴィデは、碧い眼をパチパチと瞬(またた)いていった。
「僕は、本船のまえは仏蘭西(フランス)船にいたんですが、あれに、こういう大砲(やつ)の一、二門もあったらなア。なにしろね、船に魚雷を喰わせやがって、悠々と現われてくるんです。おまけに、奴ら、桟敷にいるような気持で、見物しているじゃありませんか。
 ところが船は、右舷をしたに急速に傾斜してゆく。それから、全員が去っても、まだ私たちは船橋に止(とど)まっておりました。すると、そこへ近づいてきて、立ち去らなきゃ、殺すぞと嚇(おど)かすんです。いや間もなく、私だけは漁船に救けられましたがね」
 それからヴィデは、通風筒の蔭で莨(たばこ)に火を点(つ)けたが、なんと思ったか、遭難事の注意をこまごま聴かせはじめたのである。
「ところで、いざという時には、電光形(ジグザグ)の進路をとるんです。絶えず羅針盤(カムパス)で、四十五度の旋回をやる。そうすると、よしんば潜航艇が船影を認めたにしろ、魚雷を発射することが、非常に困難になってくるんです。
 ねえ、そうでしょう。最初目的の船の、進路と速度を正確に計算しなけりゃならぬ。それから、いよいよ発射する位置にむかって、潜行をはじめるのです。
 ところがねえ、さてという土壇場になってまた潜望鏡(ペリスコープ)をだすと、なにしろ、船のほうは電光形(ジグザグ)の進路をとっている。そこで、計算をはじめから、やり直さなけりゃならなくなるんです。
 それから端艇(ボート)は、上甲板の手縁(レール)とおなじ線におろしておいてください。いや、すぐ降ろせるように。それから、水樽とビスケットを……」
「だが、本船の危険は、もう去ったも同じじゃないか」
 八住船長は、ヴィデが警戒をはじめたのを、不審に思ったらしい。
「とにかく、夜明けまでには、晩香波(バンクーバー)へ着く。それに、本船には大砲があるのだ。ヴィデ君、君も、砲術にかけては、撰(よ)り抜きの名手じゃないか。ハハハハ、出たらグワンと一つ、御見舞申してもらいたいもんだな。なアに、君の腕なら、潜航艇も抹香鯨(スパーム・ホエール)も同じことさね」
「いやかえって、明日入港というような晩が危険なんです。船長、甲板で葉巻は止めていただきましょう」
 と、銜(くわ)えていた葉巻を、グイと引き抜いたとき、かたわらにいた、無電技師がアッと叫び声を立てた。
「おいヴィデ君、ありゃなんだ?」
 そうして一同は、高鳴る胸を押えて、凝視することしばしであった。
 飛沫(しぶき)のなかを、消えあるいは点いて……闇の海上をゆく微茫(びぼう)たる光があった。その頃は、小雨が太まってき長濤(うねり)がたかく、舳(へさき)は水に没して、両舷をしぶきが洗ってゆく。そうして、ヴィデは部署につき、無電技師は、電鍵(キイ)をけたたましく打ちはじめたのである。
「危険に瀕す。現在の位置において、救助を求む」
 その返電に、晩香波(バンクーバー)碇泊艦隊から、急派の旨を答えてきたが、しかし、時はすでに遅かった。
 ヴィデも、長濤(うねり)に阻まれて、照尺を決めることが出来ない。なにしろ、相手は一点の灯、こちらは、闇にうっすらと浮く巨館のような船体である。それが、悔んでも及ばぬところの室戸丸の不幸であった。
 煙筒は、真黒な煤煙(ばいえん)に混じえて、火焔を吐き出しはじめた。船体が、ビリビリ震動して、闇に迫る怪艇の眼から遁(のが)れようとした。
 高速力で、旋廻を試みながら、絶えず、花火のような火箭(ロケット)を打ち上げていた。しかし、波間の灯は、室戸丸から執拗に離れなかったのである。やがて、警砲が放たれ、右舷に近く水煙があがった。
「だめです、船長。なまじ□(あが)いたら、僕らは復讐されますぜ。発砲はやめます。敵艇の砲手の腕前は、驚くべきものですよ。断じて、盲目弾(めくらだま)ではない。最初の警砲は、本船の右舷近くに落ちたでしょう。それから、旋廻したにもかかわらず、二の弾は、船首の突梁(とつりょう)に命中したのです。船長、本船は翻弄されているんです」
 そう云って、ヴィデの蒼白な顔が、砲栓(ほうせん)から離れようとしたとき、三の弾が、今度は船尾旗桿に囂然(ごうぜん)と命中した。
「よろしい、抵抗を中止して、君の意見に従おう」
 と同時に、機関(エンジン)の音がやみ、石割一等運転手が舵機室から出てきた。彼はそれまで、あわよくば衝角を狙おうと、操舵していたのであったが、船長の決意は、全員の安危に白旗の信号を送ったのであった。
 ところが、その瞬間、四の弾が舷側を貫いて、機関室に命中した。そうして、進行を停止した船に、艇から、次の信号が送られたのであった。
「幹部船員四名、書類を持って艇に来たれ」
 かくて、八住船長以下、犬射事務長、ヴィデ砲手、石割一等運転手の四人が、全員に別れを告げ、船を離れ去ることになったのである。
 その直後に、全員が短艇(ボート)で、四散するさまも、また哀れであった。が、まもなく、室戸丸に最後の瞬間が訪れた……
 燃料や食料を、積み得るだけ艇に移したうえ、室戸丸は、五発の砲弾を喰いそのまま藻屑(もくず)と消えてしまったのである。
 室戸丸は、みるみる悲惨な傾斜をなしてゆき、半ば以上も海面に緑色(りょくしょく)の船腹が現われてきた。やがて、鈍い、遠雷のような響きがしたかと思うと、いきなり船首から真っ縦に水に突き刺った。そして、たかい、長濤(うねり)のような波紋が、艇をおどろしく揺(ゆす)りはじめたのである。
 しかし、艇内に収容されて、最初の駭(おどろ)きというのは、この船が独艇ではなく、墺太利(オーストリヤ)の潜航艇だということであった。
「驚いた。だが光栄至極にも、われわれはフォン・エッセンの指揮下にある、潜航艇に乗り込んでしまった。あの人は、墺太利(オーストリヤ)の、いや欧羅巴(ヨーロッパ)きっての名将なんだ。鬼神、海神といわれる――いつかウインに、記念像(デンクマル)を持つのは、この人以外にはないというからね」
 ヴィデがすぐ、こんなことを、一同の耳に囁(ささや)きはじめた。乗組員は二十名、艇(ふね)は、一九〇六年の刻印どおり旧型の沿岸艇だ。
 巡航潜水艇ではない。それにもかかわらず、七つの海を荒れまわる胆力には驚嘆のほかないのである。
 しかも、艇内の四人は、厚遇の限りを尽されていた。どこでも、自由に散歩ができるし、おりには、艦長とも戯(ざ)れ口を投げ合う。
 そして艇は、女王(クイーン)シャーロット島(ランド)を後に、北航をはじめたのであったが、まもなく艇首をカムチャツカに向けた。
 その間も、十三節(ノット)か十四節で、たいてい海面を進んで行った。事実水中に潜ったことは、数えるほどしかなかった。一度はかれこれ、五十尋(ひろ)近くも下ったことがあったが、その時は、駆逐艦に援護された、日本の商船隊を認めたときであった。
「艇長、貴方は、あの駆逐艦が怖いのですか」
 事務長の犬射は、ときおり独詩を書いて示すので、艇長とは打ち解け合った仲であった。
「いや、怖くもないがね。君も知ってのとおり、本艇には、あますところ魚雷が一本だけだ。で、なるべくは大物というわけでね」
 そう云って艇長は、蓄音器の把手(ハンドル)をまわし、「碧(あお)きドナウ」をかけた。三鞭酒(シャムパン)を抜く、機関室からは、兵員の合唱が洩れてくる。
 が、こうして語るその情景を、眼に、思い泛(うか)べてもらいたい。霧立ち罩(こ)めた夜、波たかく騒ぐ海、駆逐艦からは爆雷が投ぜられて、艇中の鋲(びょう)がふるえる。
 しかも、そのまっ暗な、水面下三百呎(フィート)のしたでは、シュトラウスのワルツが響き、三鞭酒(シャムパン)の栓がふっ飛んでいるのである。四人は、噛(か)みかけた維納腸詰(ウイン・ソーセージ)を嚥(の)み下すこともできず、しばらくは、奇異(ふしぎ)な、浪漫的(ロマンチック)な、悪夢のなかを彷徨(さまよ)っていた。

 以上の経過を、犬射は言葉すくなに語りおえたのであるが、すると、見えぬ眼を海上にぴたりと据え、そこを墓とする、武人の俤(おもかげ)を偲(しの)んでいるようであった。
 が、やがてその口は、怪奇に絶する、「鷹の城(ハビヒツブルグ)」の遭難にふれていた。
「そんなわけで、われわれが過した艇内の生活は、意外にも好運だったと云い得ましょう。そしてその翌日、合衆国巡洋艦『提督(アドミラル)デイウェイ』とコマンドルスキイ沖で遭遇するまでは、航路、まったくの無風帯でした。ところがその時、生れてはじめて海戦というものを目撃した――そのわれわれに、誰が、一週間後になって非運が訪れようと信じられたでしょうか。
 それは、忘れもしない六月二日の朝、濃霧(ガス)の霽(は)れ間に、日本国駆逐艦の艦影を望見したので、ともかく、衝角だけは免れようと、急速な潜水をはじめたのです。
 ところが、そうして潜(もぐ)って二、三十米(メートル)のあたりに、どうしたことか、ふいに艇体に激烈な衝撃(ショック)をうけました。それなり艇体を、四十五度も傾けたまま動けなくなってしまったのです。そのはずみに、機関室からは有毒のクローリン瓦斯(ガス)が発生して、艇長を除く以外の乗組員は、ことごとくその場で斃(たお)れてしまいました。
 そうして五人の生存者には、その時から悲惨な海底牢獄の生活が始まって、刻々と、死に向い暗黒にむかって歩みはじめたのです。
 しかし、万が一の希望を繋いでいたとはいえ、あの夢魔のように襲いかかってくる自殺したい衝動と、どんなに……闘うのが困難だったことか。ところが、その日の夜半、突然艇長の急死が吾々(われわれ)を驚かしたのです。
 艇長は士官室の寝台の上で、左手をダラリと垂れたまま、脈も失せ氷のように冷たくなって横たわっておりました。それは、明白な自然の死でした。誓ってそうであったことだけは、かたく断言いたします。
 なぜでしょうか……それにはまず、吾々は艇長に対し寸毫(すんごう)の敵意さえもなかったことが云われます。それに吾々は、万が一の幸運の際のことも考えねばなりません。そうなった時、なんで艇長の指図なくして吾々の手が、迷路のような装置を操り脱出できましょうや。
 ところが、続いて驚くべきことが起ったのです。それはその後、四時間ほど経つか経たぬかの間にあろうことか、艇長の死体が烟のように消え失せてしまったのです。
 もちろん蘇生して閉鎖扉を開けて機関室に入ったとすれば、吾々もともどもクローリン瓦斯(ガス)で斃(たお)れねばなりませんし……たとえ発射管から脱出するにしても、肝心の圧搾空気で操作するものが吾々無能の、四人をさておいて外に誰がありましょう。
 また、夜中の脱出は凍死の危険があり、すこぶる無謀であるのは自明の理であるし、現にその救命具も引揚げ後調べると、数が員数どおり揃っていたのです。
 ですから私たちは、ただただ怖ろしい現実に唖然となって、ことにああしたおりでも何かしら、悪夢のような不思議な力に握り竦(すく)められている気がいたしてなりませんでした。
 ああ艇長の死体を艇から引き出したのは、かねて伝説に聴く海魔(ボレアス)の仕業(しわざ)でしょうか、それともまた、文字どおりの奇蹟だったのでしょうか。
 いずれにしても、艇長の死と死体の消失が厳然たる事実であることは、その後に艇を引き揚げた、日本海軍の記録的に明記するところなのです」
 風はなぎ、暁は去って、朝靄(もや)も切れはじめた。犬射は、感慨ぶかげな口調を、明けきった海に投げつづける。
「艇内は、その前後に蓄電の量が尽きてしまい、吾々が何より心理的に懼(おそ)れていた、あの怖(おそ)ろしい暗黒が始まったのです。すると、それから二時間ばかりたつとがたりと艇体が揺れ、それなり何処へやら、動いて行くような気配が感ぜられました。
 そうしてわれわれは奇蹟的にも救われたのですが……もともと沈没の原因は、艇の舳を蟹網に突き入れたからで、もちろん引揚げと同時に、水面へ浮び出たことは云うまでもないのであります。
 ところが、その暗黒のさなかに、四人がとんでもない過失をおかしてしまったのです。
 と云うのは、寒さに耐えられず嚥(の)んだ酒精(アルコール)というのが木精(メチール)まじりだったのですから、せっかく引き揚げられたにもかかわらずあの暗黒を最後に、吾々は光の恵みから永遠に遠ざけられてしまったのでした。
 あの燃え上がるような歓喜は、艙蓋(ハッチ)が開かれると同時に、跡方もなく砕け散ってしまいました。もともと自分から招いた過失であるとはいえ、私たちは第二の人生を、光の褪せた晦冥(わだつみ)の中から踏み出さねばならなくなったのです。
 こうして『鷹の城(ハビヒツブルグ)』は泛(うか)び、同時に、吾々に関する部分だけは終りを告げるのですが、一方『鷹の城』自身は、それからもなおも数奇を極めた変転を繰り返してゆきました。と云うのは、引揚げ後内火艇に繋がれて航行の途中、今度は宗谷海峡で、引網の切断が因(もと)から沈没してしまったのです。
 そして、三度(みたび)水面に浮んだのは御承知のとおり、夫人の懇請で試みた、船長八住の引揚げ作業でした。
 しかし、上述した二回の椿事によって『鷹の城』の悪運が、すでに尽きたことは疑うべくもありません。
 ただ願わくば、過ぎし悪夢の回想が、のちの怖れを拭い、船長の新しい事業に幸あらんことを。そうして、故フォン・エッセン男爵の霊の上に、安らかな眠りあらんことを……」

      三、濃緑の海底へ

 艇長フォン・エッセン男の死体が消失した、しかも蒼海(あおうみ)の底で、密閉した装甲の中で――この千古の疑惑は、再び新しい魅力を具えて一同のうえにひろがった。
 朝風の和やかな気動が、復六の縮毛(ちぢれげ)をなぶるように揺すっていたが、彼は思案げに手を揉(も)み合せるのみで、再びあの微笑が頬に泛(うか)んではこなかった。
 そうして、犬射復六が座に戻ると、今度は一人の老人が、道者杖(しるべづえ)をついて向うの列から抜け出てきた。
 その老人は、もちろん追放された復辟(ふくへき)派の一人で、長い立派な髯に、黄色い大きな禿頭をした男だったが、その口からは、艇長死体の消失をさらに紛糾させ、百花千瓣(べん)の謎と化してしまうような事実が吐かれていった。
「儂(わし)は、王立(ロイヤル)カリンティアン快走艇(ヨット)倶楽部(くらぶ)員の一人として、かつてフォン・エッセン男爵に面接の栄を得たものでありますが、儂ですらも、これまではさまざまな浮説に惑わされ、艇長の死を容易に信ずることができなかったのでした。
 それが、今や雲散霧消したことは、なにより墺太利(オーストリヤ)海軍建設以来最初の英雄であるところの、フォン・エッセン閣下のため祝福さるべきであろうと信じます。
 けれども、『鷹の城(ハビヒツブルグ)』そのものは、きわめて初期の沿岸艇でありまして、おそらく艇長のような、鬼神に等しい魔力を具えた人物でない限りは、それによって、大洋を横行するなどは絶対不可能に違いないのです。だが儂は、あのおり『鷹の城』の脱出を耳にしたとき、ふと暗い迷信的な考えに圧せられました。
 と云うのは、元来あの艇は、ゲルマニア型として墺太利帝国最初の潜航艇だったのですが、その中膨れのした船体を御覧になって、これはキムブルガーの唇(ハプスブルグ家代々の唇の特徴)じゃ――と陛下(へいか)が愛(め)でられたほどに由緒あるもの――それが沿岸警備にもつかず、塗料の剥げた船体を軍港の片隅に曝(さ)らしていたのは何が故でしょうか。
 それは、シュテッヘ大尉の消失――そのトリエステ軍港の神秘が、そもそもの原因だったのです。
 一九一四年開戦瞬前に起って、さしも剛毅(ごうき)な海兵どもを慄(ふる)え上がらせたというその不思議な出来事は、いま耳にした艇長屍体の消失と、生死こそ異なれ、まったく軌道を一つにしているではありませんか。
 夫人は御承知でしょうが、シュテッヘ大尉は、フォン・エッセン閣下の莫逆(ばくぎゃく)の友でありまして、同じ快走艇(ヨット)倶楽部でも、シーワナカの支部に属しておりました。
 ところが、決闘の結果同僚の一人を傷つけて、査問されようとするところを、艇長がUR―4号の奥深くに匿(かく)したのです。
 ところが、ヴェネチア湾を潜航中不思議な事に、シュテッヘ大尉は忽然と消え失せてしまいました。
 その際は、傷ついた足首を一面に繃帯して、跛(びっこ)を引いていたそうですが、それもやはり、士官室の寝台から不意に姿が消えてしまったのです。それ以後UR―4号には、妙に妄想じみた空気が濃くなってきて、まさに不祥事続出という惨状だったのでした。
 そうすると、やれシュテッヘ大尉の姿を、目撃した――などという者も出てくる始末。しまいには全員が、転乗願いに連署するという事態にまでなったのですから、もはや当局としても捨ててはおけず、ついにUR―4号を鑑籍から除いてしまったのでした。
 UR―4号の悪霊(ベーゼルガイスト)――そのように、おぞましい迷信的な力はとうてい考えられないにしても、その二つの事件は、偶然にはけっして符合するものでないと考えております。
 儂(わし)はそれを、いかにも明白な、絶対的な事実として感じているのです。
 そして、もしやしたら、シュテッヘ大尉が、そのときもまだ不思議な生存を続けていて、友に最後の友情をはなむけたのではないか。つまり、艇長の遺骸を、海の武人らしく、母なる海底に送ったのではないか――というような、妄想めいた観念がおりふし泛(うか)び上がってきて、儂を夢の間にも揺すり苦しめるのでした」
 老人はそこで言葉をきり、吐息を悩ましげに洩らした。しかし、そのシュテッヘ大尉事件の怖ろしさは、艇長消失の可能性をも裏づけて、妙に血が凍り肉の硬ばるような空気をつくってしまった。
 続いて老人は、現在維納(ウイン)において艇長生存説を猛烈に煽り立てているところの、不可思議な囚人のことを口にした。
「しかし、一方共和国は、ハプスブルグ家の英雄を巧みに利用して、今や復辟運動は、それがためにまったく望みないものと化してしまったのです。
 と云うのは、かつて国民讃仰の的だったフォン・エッセン男を、忌むべき逃亡者としたばかりではなく、かたわら一つの人形を作って、それとなく艇長の生存説を流布しはじめたのでした。
 それが今日、維納(ウイン)の噂に高い鉄仮面で、フォールスタッフの道化面を冠った一人の男が、郊外ヘルマンスコーゲル丘のハプスブルグ望楼に幽閉されていると云うのです。
 そうなって、重大な国家的犯罪者らしいものと云えば、まず艇長をさておき外にはないのですから、その陋策がまんまと図星を射抜きました。そして、情けないことに墺太利(オーストリヤ)国民は、付和雷同の心理をうかうかと掴み上げられてしまったのです。
 で、聴くところによると、その男の幽閉は一九一八年から始まっていて、最初はグラーツの市街を、身体中に薔薇と蔦(つた)とを纏(まと)い、まるで痴呆か乞食としか思われぬ、異様な風体で徘徊(はいかい)していたというそうなのです。
 しかし、すでに海底深く埋もれているはずの艇長が、どうして、故国に姿を現わし得ましょうや。
 まさに左様、艇長フォン・エッセン男爵の墓は、東経一六〇度二分北緯五十二度六分――そこに、いまも眠りつづけているのです。
 そうして、ハプスブルグ家の王系は、彼の死とともに絶えたのですが、それを再び、栄光のうちに蘇(よみがえ)らせようとしても何事もなし得ず、今や戦史と系譜の覇者は、二つながらに埋もれゆこうとしているのです」
 老人の悲痛な言葉が最後で追憶が終り、夫人は海に花環を投げた。
 そして、一同は打ち連れ立って、岬を陸の方に歩みはじめたのであるが、艇長フォン・エッセンの死に対する疑惑は、いまやまったく錯綜たるものに化してしまった。
 一同は、奇怪な恐怖に駆られて、夢の中をさ迷い歩くような惑乱を感じていたのである。わけても、その得体の知れない蠢動(しゅんどう)のようなものは、四人の盲人に、はっきりと認められた。
 その四人は、一人として口を開くものがなく、互いに取り合った手が微かに顫(ふる)え、なにか感動の極限に達しているのではないかと思われた。彼らは明らかに、これから乗り込もうとする「鷹の城(ハビヒツブルグ)」に恐怖を感じているのだ。
 ところが、当の「鷹の城」は、その時岩壁を縫い、岬の尻の入江の中で、静かに揺れていた。
 それは水上噸(トン)数約四百噸ばかりの沿岸艇で、橙(オレンジ)色に染め変えられた美しい船体は、なにか彩色でもした烏賊(いか)の甲のように見えたが、潜望鏡と司令塔以外のものはいっさい取り払われて、船首に近い三吋(インチ)大仰角速射砲の跡には、小さな艙蓋(ハッチ)が一つ作られていた。
 しかし、そこは断崖の下で、そこへ行くには、岩を切り割った、二つの路を迂廻して行かねばならないのだが、朝枝と外人たちはそこで別れて、いよいよウルリーケと四人の盲人が「鷹の城」に乗り込むことになった。
 海底遊覧船「鷹の城(ハビヒツブルグ)」――。しかも、前途にあたって隠密の手があるのも知らず、ふたたび彼らは、回想を新たにしようと濃緑の海底深くに沈んで行くのだった。
 司令塔の艙蓋(ハッチ)から鉄梯子を下りると、そこには、クルップ式の潜望鏡と潜水操舵器があって、右手が機関室、左手は二つの区画に分れていて、手前のは、以前士官室だった底を硝子(ガラス)張りにした観覧室、またその奥は前(さき)の発射管室で、そこに艇長の遺品が並べられてあった。
 しかし前方の観覧室には、とうていこの世ならぬ異様な光が漲(みなぎ)っていた。
 それは、蒼味を帯びた透明な深さであるが、水面に蜒(うね)りが立つと、たぶんさまざまな屈折が影響するのであろうか、その光明には奇異(ふしぎ)な変化が起ってゆくのだった。
 一度は金色(こんじき)の飛沫(しぶき)が、室(へや)いっぱいに飛び散ったかと思うと、次の瞬間、それが濃緑の深みに落ち、その中に蜒(うね)りの影が陽炎(かげろう)のようにのたくって、その燦(きら)びやかさ美しさといったら、まず何にたとえようもないのである。
 けれども、その――三稜鏡(プリズム)の函(はこ)に入ったような光明の乱舞が、四人の盲人には、いっこう感知できないのも道理であるが、いつかの日艇長と死生を共にしたこの室(へや)の想い出は、塗料の匂いその他になにかと繰り出されて、それにシュテッヘ大尉の事件を耳にした今となっては、あの不思議な力の蠢動(しゅんどう)がしみじみと感ぜられ、はては襲いかかってくる恐怖を、どう制しようもなかったのであった。
 そして、それがつのりきった結果であろうか、四人の集めた額が離れると、八住は手さぐりに入口の壁際に行って、そこにある食器棚から、一つの鍵を取り出してきた。
 まもなく、その鍵は二つの扉(ドア)に当てがわれたが、すむと再び旧(もと)の場所に戻して、八住は発艇の合図をした。
 艇がしばらく進むうちに、潜航の電鈴が鳴り、検圧計に赤い電灯(あかり)が点いた。そして機械全体が呻吟したような唸(うな)りを立てると、同時に、足もとの水槽に入り込む水の音が、ガバガバと響いた。
 水深五米(メートル)、十米(メートル)――一瞬間泡がおさまると、そこはまさに月夜の美しさだった。
 キラキラ光る無数の水泡が、音符のように立ち上っていって、濃碧のどこかに動いている紅い映えが、しだいに薄れ黝(くろ)ずんでゆく。
 すると、間遠い魚の影が、ひらりと尾鰭(ひれ)を翻(ひるがえ)して、滑(す)べらかな鏡の上には、泡一筋だけが残り、それが花瓣のような優(しと)やかさで崩れゆくのだった。
 水中にも、地上と同じような匂いが、限りなく漂っていて、こんもりと茂った真昆布(まこんぶ)の葉は、すべて宝石(たま)のような輪蟲(りんちゅう)の滴を垂らし、吾々(われわれ)はその森の姿を、いちいち数え上げることができるのだ。
 そしてその中を、銀色に光るかますの群が、軍兵のような行列を作ったり、鯖が玉蟲色に輝いたりなどして、それが前方に薄れ消えるときに彼らは星を降り撒(ま)き、あるいは甘鯛(あまだい)が、えごのりの捲毛に戯れたりして、ときおり海草の葉がゆらめく陰影(かげり)の下には、大蝦(えび)のみごとな装甲などが見られるのであるが、その夢の蠱惑(こわく)は、しだいに水深が重なるとともに薄らいでいった。
 もはや三十米(メートル)近くになると、軟体動物の滑らかな皮膚が、何かの膀胱のように見えたり、海草は紫ばんだ脱腸を垂らし、緑の水苔で美しく装われている暗礁も、まるで、象皮腫か、皺ばんだ瘰癧(るいれき)のように思われるのであるが、そうして色がしだいに淡く、視野がようやく闇に鎖(とざ)されようとしたとき、ふと異様な物音を、ウルリーケは隣室に聴いたのである。
 と、すぐさま、合いの扉(ドア)を叩く犬射の声がした。
 が、生憎(あいにく)とそれは、機関の響きで妨げられたけれど、絶えずその物音は狂喚と入れ交じって、隣室からひっきりなしに響いてくるのだ。
 やがて、鎖(とざ)された扉が開かれると、その隙間から、硝子(ガラス)の上に横たわっている真黒な人影が見えた。
 が、次の瞬間、ウルリーケはハッと立ち竦(すく)んでしまったのである。
 そこには、彼女の夫八住衡吉が三人の盲人の間に打ち倒れていて、ほとばしり出る真紅の流れの糸を、縞鯛がもの奇(めず)らしげに追うているではないか。
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    第二編 三重の密室(みっしつ)


      一、アマリリスの奇蹟

「助(たす)からんね支倉(はぜくら)君、たぶん海精(シレエヌ)の魅惑かも知らんが、こりゃまったく耐(たま)らない事件だぜ。だって、考えて見給え。海、装甲、扉(ドア)――と、こりゃ三重の密室だ」
 法水(のりみず)麟太郎(りんたろう)と支倉検事が「鷹の城(ハビヒツブルグ)」を訪れたのは、かれこれ午(ひる)を廻って二時に近かったが、陽盛りのその頃は、漁具の鹹気(しおけ)がぷんぷん匂ってきて、巌(いわ)は錆色に照りつけられていた。
 ウルリーケとともに艙蓋(ハッチ)を下りるまでにはだいたいの聴取は終っていたが、何より海底という、あり得べくもない自然の舞台と謎の味が、彼をまったく困惑させてしまった。
 のみならず、それはかつていかなる事件においても現われたことのない、驚くべき特質を具えていたのである。
 と云うのは、現場(げんじょう)が扉(ドア)と鍵で閉(とざ)されていたにもかかわらず、艇内をくまなく探しても、八住を刺した凶器が発見されなかったのである。しかも周囲は厚い装甲で包まれ、その外側が海底であるとすれば、とりもなおさず、現場は三重の密室ではないか。
 ウルリーケはこまごま当時の情況を述べたが、それはすこぶる機宜(きぎ)を得た処置だった。
 彼女は、犬射復六の手で扉(ドア)が開かれると、すぐ前方の扉がまだ開かれていないのを確かめた。そうしてから、機関部員の手で、自分をはじめ三人の盲人にも身体検査を行い、なおかつ、その時刻が、五時三分であった事までも述べたが、ウルリーケはそれに言葉を添えて、
「それに、まだ訝(いぶか)しく思われる事がございまして。と申しますのは、まだ扉(ドア)が開かれないうちでしたけど、たしかにヴィデさんの声で、どうしてうろうろしているんだ。君たちは何を隠そうとしているのか――と妙に落着いたような、冷たい明瞭(はっき)りした声で云うのが、聴えたのでございます。
 ですから、あの室に入って夫の屍体を一瞥(いちべつ)すると同時に、私の眼は、まるで約束されたもののようにヴィデさんに向けられました。
 すると、あの方だけは、椅子の上で落着きすましていて、まるでその態度は、当然起るべきものが起ったとでも云いたいようで、とにかくヴィデさんだけには、夫の変死がなんの感動も与えなかったらしいのです。
 まったくあの方には、底知れない不思議なものがあるのですわ」
 とはいえウルリーケとて同じことで、夫の死に慟哭(どうこく)するようなそぶりは、微塵(みじん)も見られなかったのであるが、まもなく法水は、その理由を知ることができた。
 現場の扉(ドア)は、鉄板のみで作られた頑丈な二重扉(ドア)で、その外側には鍵孔(かぎあな)がなかった。というのは、万が一クローリン瓦斯(ガス)が発生した際を慮(おもんぱか)ったからで、むろん開閉は内側からされるようになっていた。
 そして、扉が開かれると、そこに漲(みなぎ)っている五彩の陽炎(かげろう)からは眩(くら)まんばかりの感覚をうけ、すでに彼には現場などという意識がなかった。
 そのせいか、眼前に横たわっている八住の死体を見ても、色電燈で照し出された惨虐人形芝居(グランギニョール)の舞台としか思われず、わけてもその染められた髪には、老女形(おやま)の口紅とでも云いたい感じがして、この多彩な場面をいっそうドギついたものに見せていた。
 ところがその時、死体とは反対の側に、一人の盲人が佇(たたず)んでいるのに気がついた。
 それは、詩人の犬射復六だったが、そのおり屍体に何を認めたのか、法水は振り向きざま犬射に訊ねた。
 と云うのは、なんともいえぬ薄気味悪い事だが、すでに死後十時間近く経過していて、傷口は厚い血栓で覆われているにもかかわらず、現在そこからは、ドス黒く死んだ血が滾々(こんこん)と流れ出ているのである。
 その瞬間、この室の空気は、寒々としたものになってしまった。
 犬射は美しい髪を揺すり上げて、割合平然と答えた。
「なに、私なら、今しがたここへ来たばかりなんですよ。艇員の方に手を引かれて――さあ五分も経ちましたかな。
 それに、用というのが、実は向うの室にありまして、御承知のとおり、乗り込むとすぐこの騒ぎだったものですから、てんで艇長の遺品(かたみ)には、手を触れる暇さえなかったのです。
 なに、私が死体を動かしたのではないかって。ああほんとうに、位置が変っているのですか……ほんとうに死体が……」
 と犬射の顔色はみるみる蒼白に変っていって、なにか心中の幻が、具象化されたのではないかと思われた。
 その流血は、ほんの一、二分前から始まったらしく、硝子(ガラス)の上を斜めの糸がすういと引いているにすぎなかった。けれども、死体の位置が異(ちが)ったという事は、以前の流血の跡に対照すると、そこに判然たるものが印されているのだった。
 最初仰向けだったものを俯向(うつむ)けたために、出血が着衣の裾を伝わって、身体なりに流れたからである。しかも傷口には、厚い血栓がこびりついていて、とうてい屍体の向きを変えたくらいで、破壊されるものではなかったし、また、気動一つ看過さないという盲人の感覚をくぐって、知られず、この室に侵入するという事も不可能に違いないのだった。
 してみると、死体を動かしたのは当の犬射復六か、それとも――となると、再びそこに「鷹の城(ハビヒツブルグ)」遭難の夜が想起されてくるのだ。
「慄(ぞ)っとするね。十時間もたった屍体から、血が流れるなんて……。だが法水君、結局犯人の意志が、あれに示されているのではないだろうかね」
 そう云って、検事が指差したところを見ると、その前後二様の流血で作(な)された形が、なんとなく卍(まんじ)に似ていて、そこに真紅の表章が表われているように思われたからである。
 この暗い神秘的な事件の蔭には、その潤色から云っても、迷信深い犯人の見栄を欠いてはならないのではないか。
 しかし、法水は無言のまま死体に眼を落した。
 八住衡吉は、肩章のついたダブダブの制服を着、暑さに釦(ボタン)を外していたが、顔にはほとんど表情がなかった。

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