黒死館殺人事件
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著者名:小栗虫太郎 

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  序篇 降矢木一族釈義
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 聖(セント)アレキセイ寺院の殺人事件に法水(のりみず)が解決を公表しなかったので、そろそろ迷宮入りの噂(うわさ)が立ちはじめた十日目のこと、その日から捜査関係の主脳部は、ラザレフ殺害者の追求を放棄しなければならなくなった。と云うのは、四百年の昔から纏綿(てんめん)としていて、臼杵耶蘇会神学林(うすきジェスイットセミナリオ)以来の神聖家族と云われる降矢木(ふりやぎ)の館に、突如真黒い風みたいな毒殺者の彷徨(ほうこう)が始まったからであった。その、通称黒死館と呼ばれる降矢木の館には、いつか必ずこういう不思議な恐怖が起らずにはいまいと噂されていた。勿論そういう臆測を生むについては、ボスフォラス以東にただ一つしかないと云われる降矢木家の建物が、明らかに重大な理由の一つとなっているのだった。その豪壮を極めたケルト・ルネサンス式の城館(シャトウ)を見慣れた今日でさえも、尖塔や櫓楼の量線からくる奇異(ふしぎ)な感覚――まるでマッケイの古めかしい地理本の插画でも見るような感じは、いつになっても変らないのである。けれども、明治十八年建設当初に、河鍋暁斎(かわなべぎょうさい)や落合芳幾(おちあいよしいく)をしてこの館の点睛(てんせい)に竜宮の乙姫を描かせたほどの綺(きら)びやかな眩惑は、その後星の移るとともに薄らいでしまった。今日では、建物も人も、そういう幼稚な空想の断片ではなくなっているのだ。ちょうど天然の変色が、荒れ寂(さ)びれた斑(まだら)を作りながら石面を蝕(むしば)んでゆくように、いつとはなく、この館を包みはじめた狭霧(さぎり)のようなものがあった。そうして、やがては館全体を朧気(おぼろげ)な秘密の塊としか見せなくなったのであるが、その妖気のようなものと云うのは、実を云うと、館の内部に積り重なっていった謎の数々にあったので、勿論あのプロヴァンス城壁を模したと云われる、周囲の壁廓ではなかったのだ。事実、建設以来三度にわたって、怪奇な死の連鎖を思わせる動機不明の変死事件があり、それに加えて、当主旗太郎(はたたろう)以外の家族の中に、門外不出の弦楽四重奏団(ストリング・カルテット)を形成している四人の異国人がいて、その人達が、揺籃の頃から四十年もの永い間、館から外へは一歩も出ずにいると云ったら……、そういう伝え聞きの尾に鰭(ひれ)が附いて、それが黒死館の本体の前で、鉛色をした蒸気の壁のように立ちはだかってしまうのだった。まったく、人も建物も腐朽しきっていて、それが大きな癌(がん)のような形で覗かれたのかもしれない。それであるからして、そういった史学上珍重すべき家系を、遺伝学の見地から見たとすれば、あるいは奇妙な形をした蕈(きのこ)のように見えもするだろうし、また、故人降矢木算哲(さんてつ)博士の神秘的な性格から推して、現在の異様な家族関係を考えると、今度は不気味な廃寺のようにも思われてくるのだった。勿論それ等のどの一つも、臆測が生んだ幻視にすぎないのであろうが、その中にただ一つだけ、今にも秘密の調和を破るものがありそうな、妙に不安定な空気のあることだけは確かだった。その悪疫のような空気は、明治三十五年に第二の変死事件が起った折から萌(きざ)しはじめたもので、それが、十月ほど前に算哲博士が奇怪な自殺を遂げてからというものは――後継者旗太郎が十七の年少なのと、また一つには支柱を失ったという観念も手伝ったのであろう――いっそう大きな亀裂になったかのように思われてきた。そして、もし人間の心の中に悪魔が住んでいるものだとしたら、その亀裂の中から、残った人達を犯罪の底に引き摺り込んででもゆきそうな――思いもつかぬ自壊作用が起りそうな怖れを、世の人達はしだいに濃く感じはじめてきた。けれども、予測に反して、降矢木一族の表面には沼気ほどの泡一つ立たなかったのだが、恐らくそれと云うのも、その瘴気(しょうき)のような空気が、未だ飽和点に達しなかったからであろうか。否、その時すでに水底では、静穏な水面とは反対に、暗黒の地下流に注ぐ大きな瀑布が始まっていたのだ。そして、その間に鬱積していったものが、突如凄じく吹きしく嵐と化して、聖家族の一人一人に血行を停めてゆこうとした。しかも、その事件には驚くべき深さと神秘とがあって、法水麟太郎(のりみずりんたろう)はそれがために、狡智きわまる犯人以外にも、すでに生存の世界から去っている人々とも闘わねばならなかったのである。ところで、事件の開幕に当って、筆者は法水の手許に集められている、黒死館についての驚くべき調査資料のことを記さねばならない。それは、中世楽器や福音書写本、それに古代時計に関する彼の偏奇な趣味が端緒となったものであるが、その――恐らく外部からは手を尽し得る限りと思われる集成には、検事が思わず嘆声を発し、唖然となったのも無理ではなかった。しかも、その痩身的な努力をみても、すでに法水自身が、水底の轟(とどろき)に耳を傾けていた一人だったことは、明らかであると思う。
 その日――一月二十八日の朝。生来あまり健康でない法水は、あの霙(みぞれ)の払暁に起った事件の疲労から、全然恢復(かいふく)するまでになっていなかった。それなので、訪れた支倉(はぜくら)検事から殺人という話を聴くと、ああまたか――という風な厭(いや)な顔をしたが、
「ところが法水君、それが降矢木家なんだよ。しかも、第一提琴(ヴァイオリン)奏者のグレーテ・ダンネベルグ夫人が毒殺されたのだ」と云った後の、検事の瞳に映った法水の顔には、にわかにまんざらでもなさそうな輝きが現われていた。しかし、法水はそう聴くと不意に立って書斎に入ったが、間もなく一抱えの書物を運んで来て、どかっと尻を据えた。
「ゆっくりしようよ支倉君、あの日本で一番不思議な一族に殺人事件が起ったのだとしたら、どうせ一、二時間は、予備智識に費(かか)るものと思わなけりゃならんよ。だいたい、いつぞやのケンネル殺人事件――あれでは、支那古代陶器が単なる装飾物にすぎなかった。ところが今度は、算哲博士が死蔵している、カロリング朝以来の工芸品だ。その中に、あるいはボルジアの壺がないとは云われまい。しかし、福音書の写本などは一見して判るものじゃないから……」と云って、「一四一四年聖(サン)ガル寺発掘記」の他二冊を脇に取り除け、綸子(りんず)と尚武革(しょうぶがわ)を斜めに貼り混ぜた美々しい装幀の一冊を突き出すと、
「紋章学□」と検事は呆れたように叫んだ。
「ウン、寺門義道(てらかどよしみち)の『紋章学秘録』さ。もう稀覯本(きこうぼん)になっているんだがね。ところで君は、こういう奇妙な紋章を今まで見たことがあるだろうか」と法水が指先で突いたのは、FRCOの四字を、二十八葉橄欖(かんらん)冠で包んである不思議な図案だった。
「これが、天正遣欧使の一人――千々石(ちぢわ)清左衛門直員(なおかず)から始まっている、降矢木家の紋章なんだよ。何故、豊後(ぶんご)王普蘭師司怙(フランシスコ)・休庵(シヴァン)(大友宗麟)の花押(かおう)を中にして、それを、フィレンツェ大公国の市表章旗の一部が包んでいるのだろう。とにかく下の註釈を読んで見給え」
 ――「クラウディオ・アクワヴィバ(耶蘇(ジェスイット)会会長)回想録」中の、ドン・ミカエル(千々石のこと)よりジェンナロ・コルバルタ(ヴェニスの玻璃(ガラス)工)に送れる文。(前略)その日バタリア僧院の神父ヴェレリオは余を聖餐式(エウカリスチヤ)に招きたれど、姿を現わさざれば不審に思いいたる折柄、扉を排して丈(たけ)高き騎士現われたり、見るに、バロッサ寺領騎士の印章を佩(つ)け、雷の如き眼を□(みは)りて云う。フランチェスコ大公妃ビアンカ・カペルロ殿は、ピサ・メディチ家において貴下の胤(たね)を秘かに生めり。その女児に黒奴(ムール)の乳母をつけ、刈込垣の外に待たせ置きたれば受け取られよ――と。余は、駭(おどろ)けるも心中覚えある事なれば、その旨(むね)を承じて騎士を去らしむ。それより悔改(コンチリサン)をなし、贖罪符(しょくざいふ)をうけて僧院を去れるも、帰途船中黒奴(ムール)はゴアにて死し、嬰児(えいじ)はすぐせと名付けて降矢木の家を創(おこ)しぬ。されど帰国後吾が心には妄想(もうぞう)散乱し、天主(デウス)、吾れを責むる誘惑(テンタサン)の障礙(しょうげ)を滅し給えりとも覚えず。(以下略)
「つまり、降矢木の血系が、カテリナ・ディ・メディチの隠し子と云われるビアンカ・カペルロから始まっていると云うことなんだが、その母子(おやこ)がそろって、怖ろしい惨虐性犯罪者ときている。カテリナは有名な近親殺害者で、おまけに聖(セント)バルテルミー斎日の虐殺を指導した発頭人なんだし、また娘の方は、毒のルクレチア・ボルジアから百年後に出現し、これは長剣の暗殺者と謳(うた)われたものだ。ところが、その十三世目になると、算哲という異様な人物が現われたのだよ」と法水は、さらにその本の末尾に挾んである、一葉の写真と外紙の切抜を取り出したが、検事は何度も時計を出し入れしながら、
「おかげで、天正遣欧使の事は大分明るくなったがね。しかし、四百年後に起った殺人事件と祖先の血との間に、いったいどういう関係があるのだね。なるほど不道徳という点では、史学も、法医学や遺伝学と共通してはいるが……」
「なるほど、とかく法律家は、詩に箇条を附けたがるからね」と法水は検事の皮肉に苦笑したが、「だが、例証がないこともないさ。シャルコーの随想の中には、ケルンで、兄が弟に祖先は悪竜を退治した聖ゲオルクだと戯談(じょうだん)を云ったばかりに、尼僧の蔭口をきいた下女をその弟が殺してしまった――という記録が載っている。また、フィリップ三世が巴里(パリー)中の癩患者を焚殺(ふんさつ)したという事蹟を聞いて、六代後の落魄したベルトランが、今度は花柳病者に同じ事をやろうとしたそうだ。それを、血系意識から起る帝王性妄想と、シャルコーが定義をつけているんだよ」と云って、眼で眼前のものを見よとばかりに、検事を促した。
 写真は、自殺記事に插入されたものらしい算哲博士で、胸衣(チョッキ)の一番下の釦(ぼたん)を隠すほどに長い白髯(はくぜん)を垂れ、魂の苦患(くげん)が心の底で燃え燻(くすぶ)っているかのような、憂鬱そうな顔付の老人であるが、検事の視線は、最初からもう一枚の外紙の方に奪われていた。それは、一八七二年六月四日発行の「マンチェスター郵報(クウリア)」紙で、日本医学生聖(セント)リューク療養所より追放さる――という標題の下に、ヨーク駐在員発の小記事にすぎなかった。が、内容には、思わず眼を瞠(みは)らしむるものがあった。
――ブラウンシュワイク普通医学校より受託の日本医学生降矢木鯉吉(算哲の前名)は、予(かね)てよりリチャード・バートン輩と交わりて注目を惹(ひ)ける折柄、エクセター教区監督を誹謗し、目下狂否の論争中なる、法術士ロナルド・クインシイと懇(ねんご)ろにせしため、本日原籍校に差し戻されたり。然(しか)るに、クインシイは不審にも巨額の金貨を所持し、それを追及されたる結果、彼の秘蔵に係わる、ブーレ手写のウイチグス呪法典、□ルデマール一世触療呪文集、希伯来(ヘブライ)語手写本猶太秘釈義(ユダヤカバラ)法(神秘数理術(ゲマトリア)としてノタリク、テムラの諸法を含む)、ヘンリー・クラムメルの神霊手書法(ニューマトグラフィー)、編者不明の拉典(ラテン)語手写本加勒底亜(カルデア)五芒星招妖術、並びに栄光の手(ハンド・オブ・グローリー)(絞首人の掌(てのひら)を酢漬けにして乾燥したもの)を、降矢木に譲り渡したる旨を告白せり。
 読み終った検事に、法水は亢奮(こうふん)した口調を投げた。
「すると、僕だけということになるね。これを手に入れたばかりに、算哲博士と古代呪法との因縁を知っているのは。いや、真実怖ろしい事なんだよ。もし、ウイチグス呪法書が黒死館のどこかに残されているとしたら、犯人の外に、もう一人僕等の敵がふえてしまうのだからね」
「そりゃまた何故だい。魔法本と降矢木にいったい何が?」
「ウイチグス呪法典はいわゆる技巧呪術(アート・マジック)で、今日の正確科学を、呪詛(じゅそ)と邪悪の衣で包んだものと云われているからだよ。元来ウイチグスという人は、亜剌比亜(アラブ)・希臘(ヘレニック)の科学を呼称したシルヴェスター二世十三使徒の一人なんだ。ところが、無謀にもその一派は羅馬(ローマ)教会に大啓蒙運動を起した。で、結局十二人は異端焚殺に逢ってしまったのだが、ウイチグスのみは秘かに遁(のが)れ、この大技巧呪術書を完成したと伝えられている。それが後年になって、ボッカネグロの築城術やヴォーバンの攻城法、また、デイやクロウサアの魔鏡術やカリオストロの煉金術、それに、ボッチゲルの磁器製造法からホーヘンハイムやグラハムの治療医学にまで素因をなしていると云われるのだから、驚くべきじゃないか。また、猶太秘釈義(ユダヤカバラ)法からは、四百二十の暗号がつくれると云うけれども、それ以外のものはいわゆる純正呪術であって、荒唐無稽もきわまった代物ばかりなんだ。だから支倉君、僕等が真実怖れていいのは、ウイチグス呪法典一つのみと云っていいのさ」
 はたして、この予測は後段に事実となって現われたけれども、その時はまだ、検事の神経に深く触れたものはなく、法水が着換えに隣室へ立ったあいだ次の一冊を取り上げ、折った個所のある頁を開いた。それは、明治十九年二月九日発行の東京新誌第四一三号で、「当世零保久礼博士(ちょぼくれはかせ)」と題した田島象二(酔多道士――「花柳事情」などの著者)の戯文だった。
 ――扨(さて)もこの度転沛逆手行(かんぽのかえり)、聞いてもくんねえ(と定句(きまりく)十数列の後に、次の漢文が插入されている)近来大山街道に見物客を引くは、神奈川県高座郡葭苅(よしがり)の在に、竜宮の如き西洋城廓出現せるがためなり。そは長崎の大分限(ぶげん)降矢木鯉吉の建造に係るものにして、いざその由来を説かん。先に鯉吉は、小島郷療養所において和蘭(オランダ)軍医メールデルホールトの指導をうけ、明治三年一家東京に移るや、渡独して、まずブラウンシュワイク普通医学校に学べり、その後伯林(ベルリン)大学に転じて、研鑽八ヶ年の後二つの学位をうけ、本年初頭帰朝の予定となりしも、それに先きだち、二年前英人技師クロード・ディグスビイを派遣して、既記の地に本邦未曾有(みぞう)とも云う大西洋建築を起工せり。と云うは一つに、彼地にて娶(めと)りし仏蘭西(フランス)ブザンソンの人、テレーズ・シニヨレに餞(はなむ)ける引手箱なりと云う。すなわち、地域はサヴルーズ谷を模し、本館はテレーズの生家トレヴィーユ荘の城館を写し、もって懐郷の念を絶たんがためなりとぞ。さるにしても、このほど帰国の船中蘭貢(ラングーン)において、テレーズが再帰熱にて死去したるは哀れとも云うべく、また、皮肉家大鳥文学博士がこの館を指し、中世堡楼の屋根までも剥いで黒死病(ペスト)死者を詰め込みしと伝えらるる、プロヴィンシア繞壁(ぎょうへき)模倣を種に、黒死館と嘲(あざけ)りしこそ可笑(おか)しと云うべし――。
 検事が読み終った時、法水は外出着に着換えて再び現われた。が、またも椅子深く腰を埋めて、折から執拗に鳴り続ける、電話の鈴(ベル)に眉を顰(ひそ)めた。
「あれはたぶん熊城(くましろ)の督促だろうがね。死体は逃げっこないのだから、まずゆっくりするとしてだ。そこで、その後に起った三つの変死事件と、いまだに解し難い謎とされている算哲博士の行状を、君に話すとしよう。帰国後の算哲博士は、日本の大学からも神経病学と薬理学とで二つの学位をうけたのだが、教授生活には入らず、黙々として隠遁的な独身生活を始めたものだ。ここで、僕等が何より注目しなければならないのは、博士がただの一日も黒死館に住まなかったと云うばかりか、明治二十三年には、わずか五年しか経たない館の内部に大改修を施したと云う事で、つまり、ディグスビイの設計を根本から修正してしまったのだ。そうして、自分は寛永寺裏に邸宅を構えて、黒死館には弟の伝次郎夫妻を住わせたのだが、その後の博士は、自殺するまでの四十余年をほとんど無風のうちに過したと云ってよかった。著述ですらが、「テュードル家黴毒(ばいどく)並びに犯罪に関する考察」一篇のみで、学界における存在と云ったら、まずその全部が、あの有名な八木沢医学博士との論争に尽きると云っても過言ではないだろう。それはこうなのだ。明治二十一年に頭蓋鱗様部及び顳□窩(せつじゅか)畸形者の犯罪素質遺伝説を八木沢博士が唱えると、それに算哲博士が駁説を挙げて、その後一年にわたる大論争を惹(ひ)き起したのだが、結局人間を栽培する実験遺伝学という極端な結論に行きついてしまって、その成行に片唾(かたず)を嚥(の)ませた矢先だった。不思議なことには、二人の間にまるで黙契でも成り立ったかのように、その対立が突如不自然きわまる消失を遂げてしまったのだよ。ところが、この論争とは聯関のないことだが、算哲博士のいない黒死館には、相次いで奇怪な変死事件が起ったのだ。最初は明治二十九年のことで、正妻の入院中愛妾の神鳥(かんどり)みさほを引き入れた最初の夜に、伝次郎はみさほのために紙切刀(かみきりがたな)で頸動脈を切断され、みさほもその現場で自殺を遂げてしまったのだ。それから、次は六年後の明治三十五年で、未亡人になった博士とは従妹(いとこ)に当る筆子夫人が、寵愛(ちょうあい)の嵐鯛十郎という上方役者のためにやはり絞殺されて、鯛十郎もその場去らずに縊死(いし)を遂げてしまった。そして、この二つの他殺事件にはいっこうに動機と目されるものがなく、いやかえって反対の見解のみが集まるという始末なので、やむなく、衝動性の犯罪として有耶無耶(うやむや)のうちに葬られてしまったのだよ。ところで、主人を失った黒死館では、一時算哲とは異母姪(いぼてつ)に当る津多子――君も知ってのとおり、現在では東京神恵病院長押鐘(おしがね)博士の夫人になってはいるが、かつては大正末期の新劇大女優さ――当時三歳にすぎなかったその人を主(あるじ)としているうちに、大正四年になると、思いがけなかった男の子が、算哲の愛妾岩間富枝に胎(みごも)ったのだ。それがすなわち、現在の当主旗太郎なんだよ。そうして、無風のうちに三十何年か過ぎた去年の三月に、三度動機不明の変死事件が起った。今度は算哲博士が自殺を遂げてしまったのだ」と云って、側(かたわら)の書類綴り(ファイルブック)を手繰り寄せ、著名な事件ごとに当局から送ってくる、検屍調書類の中から、博士の自殺に関する記録を探し出した。
「いいかね――」
 ――創(きず)は左第五第六肋骨間を貫き左心室に突入せる、正規の創形を有する短剣刺傷にして、算哲は室(へや)の中央にてその束(つか)を固く握り締め、扉を足に頭を奥の帷幕(たれまく)に向けて、仰臥の姿勢にて横たわれり。相貌には、やや悲痛味を帯ぶと思われる痴呆状の弛緩を呈し、現場は鎧扉を閉ざせる薄明の室にして、家人は物音を聴かずと云い、事物にも取り乱されたる形跡なし、尚(なお)、上述のもの以外には外傷はなく、しかも、同人が西洋婦人人形を抱きてその室に入りてより、僅々十分足らずのうちに起れる事実なりと云う。その人形と云うは、路易(ルイ)朝末期の格檣襞(トレリ)服をつけたる等身人形にして、帷幕の蔭にある寝台上にあり、用いたる自殺用短剣は、その護符刀ならんと推定さる。のみならず、算哲の身辺事情中には、全然動機の所在不明にして、天寿の終りに近き篤学者(とくがくしゃ)が、いかにしてかかる愚挙を演じたるものや、その点すこぶる判断に苦しむところと云うべし――。
「どうだね支倉君、第二回の変死事件から三十余年を隔てていても、死因の推定が明瞭であっても動因がない――という点は、明白に共通しているのだ。だから、そこに潜んでいる眼に見えないものが、今度ダンネベルグ夫人に現われたとは思えないかね」
「それは、ちと空論だろう」と検事はやり込めるような語気で、「二回目の事件で、前後の聯関が完全に中断されている。何とかいう上方役者は、降矢木以外の人間じゃないか」
「そうなるかね。どこまで君には手数が掛るんだろう」と法水は眼で大袈裟(おおげさ)な表情をしたが、「ところで支倉君、最近現われた探偵小説家に、小城魚太郎(こしろうおたろう)という変り種がいるんだが、その人の近著に『近世迷宮事件考察』と云うのがあって、その中で有名なキューダビイ壊崩録を論じている。ヴィクトリア朝末期に栄えたキューダビイの家も、ちょうど降矢木の三事件と同じ形で絶滅されてしまったのだ。その最初のものは、宮廷詩文正朗読師の主キューダビイが、出仕しようとした朝だった。当時不貞の噂(うわさ)が高かった妻のアンが、送り出しの接吻をしようとして腕を相手の肩に繞(めぐ)らすと、やにわに主は短剣を引き抜いて、背後の帷幕(とばり)に突き立てたのだ。ところが、紅(あけ)に染んで斃(たお)れたのは、長子のウォルターだったので、驚駭(きょうがい)した主は、返す一撃で自分の心臓を貫いてしまった。次はそれから七年後で、次男ケントの自殺だった。友人から右頬に盃(グラス)を投げられて決闘を挑まれたにもかかわらず、不関気(しらぬげ)な顔をしたと云うので、それが嘲笑の的となり、世評を恥じた結果だと云われている。しかし、同じ運命はその二年後にも、一人取り残された娘のジョージアにも廻(めぐ)ってきた。許娘者(いいなずけ)との初夜にどうしたことか、相手を罵(ののし)ったので、逆上されて新床の上で絞殺されてしまったのだ。それが、キューダビイの最期だったのだよ。ところが小城魚太郎は、とうてい運命説しか通用されまいと思われるその三事件に、科学的な系統を発見した。そして、こういう断定を下している。結論は、閃光的に顔面右半側に起る、グプラー痳痺[#「痳痺」はママ]の遺伝にすぎないという。すなわち主の長子刺殺は、妻の手が右頬に触れても感覚がないので、その手が背後の帷幕(とばり)の蔭にいる密夫に伸べられたのでないかと誤信した結果であって、そうなると、次男の自殺は論ずるまでもなく、娘もやはりグプラー痳痺[#「痳痺」はママ]のために、愛撫の不満を訴えたためではないかと推断しているのだ。勿論探偵作家にありがちな、得手勝手きわまる空想には違いない。けれども降矢木の三事件には、少なくとも聯鎖を暗示している。それに、小さな窓を切り拓いてくれたことだけは確かなんだよ。しかし遺伝学というのみの狭い領域だけじゃない。あの磅□(ほうはく)としたものの中には、必ず想像もつかぬ怖ろしいものがあるに違いないのだ」
「フム、相続者が殺されたというのなら、話になるがね。しかし、ダンネベルグじゃ……」といったん検事は小首を傾(かし)げたけれども、「ところで、今の調書にある人形と云うのは」と問い返した。
「それが、テレーズ夫人の記憶像(メモリー)さ。博士がコペツキイ一家(ボヘミアの名操人形(マリオネット)工)に作らせたとかいう等身の自働人形だそうだ。しかし、何より不可解なのは、四重奏団(カルテット)の四人なんだよ。算哲博士が乳呑児(ちのみご)のうちに海外から連れて来て、四十余年の間館から外の空気を、一度も吸わせたことがないと云うのだからね」
「ウン、少数の批評家だけが、年一回の演奏会で顔を見ると云うじゃないか」
「そうなんだ。きっと薄気味悪い蝋色の皮膚をしているだろう」と法水も眼を据えて、「しかし、何故に博士が、あの四人に奇怪な生活を送らせたのだろうか、また、四人がどうしてそれに黙従していたのだろう。ところがね、日本の内地ではただそれを不思議がるのみのことで、いっこう突込んだ調査をした者がなかったのだが、偶然四人の出生地から身分まで調べ上げた好事家(こうずか)を、僕は合衆国で発見したのだ。恐らくこれが、あの四人に関する唯一の資料と云ってもいいだろうと思うよ」そして取り上げたのは、一九〇一年二月号の「ハートフォード福音伝道者(エヴァンジェリスト)」誌で、それが卓上に残った最後だった。「読んでみよう。著者はファロウという人で、教会音楽の部にある記述なんだが」

 ――所もあろうに日本において、純中世風の神秘楽人が現存しつつあるということは、恐らく稀中の奇とも云うべきであろう[#「云うべきであろう」は底本では「云うべきであるう」]。音楽史を辿ってさえも、その昔シュヴェツィンゲンの城苑において、マンハイム選挙侯カアル・テオドルが、仮面をつけた六人の楽師を養成したという一事に尽きている。ここにおいて予は、その興味ある風説に心惹かれ、種々策を廻らして調査を試みた結果、ようやく四人の身分のみを知ることが出来た。すなわち、第一提琴(ヴァイオリン)奏者のグレーテ・ダンネベルグは、墺太利(オーストリー)チロル県マリエンベルグ村狩猟区監督ウルリッヒの三女。第二提琴奏者ガリバルダ・セレナは伊太利(イタリー)ブリンデッシ市鋳金家ガリカリニの六女。ヴィオラ奏者オリガ・クリヴォフは露西亜(ロシア)コウカサス州タガンツシースク村地主ムルゴチの四女。チェロ奏者オットカール・レヴェズは洪牙利(ハンガリー)コンタルツァ町医師ハドナックの二男。いずれも各地名門の出である。しかし、その楽団の所有者降矢木算哲博士が、はたしてカアル・テオドルの、豪奢なロココ趣味を学んだものであるかどうか、その点は全然不明であると云わねばならない。

 法水の降矢木家に関する資料は、これで尽きているのだが、その複雑きわまる内容は、かえって検事の頭脳を混乱せしむるのみの事であった。しかし、彼が恐怖の色を泛(うか)べ口誦(くちずさ)んだところの、ウイチグス呪法典という一語のみは、さながら夢の中で見る白い花のように、いつまでもジインと網膜の上にとどまっていた。また一方法水にも、彼の行手に当って、殺人史上空前ともいう異様な死体が横たわっていようとは、その時どうして予知することが出来たであろうか。
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  第一篇 死体と二つの扉を繞って
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    一、栄光の奇蹟[#「一、栄光の奇蹟」は底本では「一栄光の奇蹟」]

 私鉄T線も終点になると、そこはもう神奈川県になっている。そして、黒死館を展望する丘陵までの間は、樫(かし)の防風林や竹林が続いていて、とにかくそこまでは、他奇のない北相模(さがみ)の風物であるけれども、いったん丘の上に来てしまうと、俯瞰(ふかん)した風景が全然風趣を異にしてしまうのだ。ちょうどそれは、マクベスの所領クォーダーのあった――北部蘇古蘭(スコットランド)そっくりだと云えよう。そこには木も草もなく、そこまで来るうちには、海の潮風にも水分が尽きてしまって、湿り気のない土の表面が灰色に風化していて、それが岩塩のように見え、凸凹した緩斜の底に真黒な湖水(みずうみ)があろうと云う――それにさも似た荒涼たる風物が、擂鉢の底にある墻壁(しょうへき)まで続いている。その赭土褐砂(しゃどかっさ)の因をなしたというのは、建設当時移植したと云われる高緯度の植物が、またたく間に死滅してしまったからであった。けれども、正門までは手入れの行届いた自動車路が作られていて、破墻挺崩(はしょうていくず)しと云われる切り取り壁が出張った主楼の下には、薊(あざみ)と葡萄の葉文が鉄扉を作っていた。その日は前夜の凍雨の後をうけて、厚い層をなした雲が低く垂れ下り、それに、気圧の変調からでもあろうか、妙に人肌めいた生暖かさで、時折微(かす)かに電光(いなずま)が瞬き、口小言(くちこごと)のような雷鳴が鈍く懶気(ものうげ)に轟(とどろ)いてくる。そういう暗澹たる空模様の中で、黒死館の巨大な二層楼は――わけても中央にある礼拝堂の尖塔や左右の塔櫓が、一刷毛(はけ)刷いた薄墨色の中に塗抹(とまつ)されていて、全体が樹脂(やに)っぽい単色画(モノクローム)を作っていた。
 法水(のりみず)は正門際で車を停めて、そこから前庭の中を歩きはじめた。壁廓の背後には、薔薇(ばら)を絡ませた低い赤格子の塀があって、その後が幾何学的な構図で配置された、ル・ノートル式の花苑(かえん)になっていた。花苑を縦横に貫いている散歩路の所々には、列柱式の小亭や水神やサイキあるいは滑稽な動物の像が置かれてあって、赤煉瓦を斜(はす)かいに並べた中央の大路を、碧(みどり)色の釉瓦(くすりがわら)で縁取りしている所は、いわゆる矢筈敷(ヘリング・ボーン)と云うのであろう。そして、本館は水松(いちい)の刈込垣で繞(めぐ)らされ、壁廓の四周(まわり)には、様々の動物の形や頭文字を籬状(まがきがた)に刈り込んだ、□(つげ)や糸杉の象徴(トピアリー)樹が並んでいた。なお、刈込垣の前方には、パルナス群像の噴泉があって、法水が近づくと、突如奇妙な音響を発して水煙(すいえん)を上げはじめた。
「支倉(はぜくら)君、これは驚駭噴泉(ウォーター・サープライズ)と云うのだよ。あの音も、また弾丸(たま)のように水を浴びせるのも、みんな水圧を利用しているのだ」と法水は飛沫(しぶき)を避けながら、何気なしに云ったけれども、検事はこのバロック風の弄技物から、なんとなく薄気味悪い予感を覚えずにはいられなかった。
 それから法水は、刈込垣の前に立って本館を眺めはじめた。長い矩形に作られている本館の中央は、半円形に突出していて、左右に二条の張出間(アプス)があり、その部分の外壁だけは、薔薇色の小さな切石を膠泥(モルタル)で固め、九世紀風の粗朴な前羅馬様式(プレ・ロマネスク・スタイル)をなしていた。勿論その部分は礼拝堂に違いなかった。けれども、張出間(アプス)の窓には、薔薇形窓がアーチ形の格子の中に嵌(はま)っているのだし、中央の壁画にも、十二宮を描いた彩色硝子(ステインド・グラス)の円華(えんげ)窓のあるところを見ると、これ等様式の矛盾が、恐らく法水の興味を惹(ひ)いたことと思われた。しかし、それ以外の部分は、玄武岩の切石積で、窓は高さ十尺もあろうという二段鎧扉(よろいど)になっていた。玄関は礼拝堂の左手にあって、もしその打戸環のついた大扉(おおと)の際(そば)に私服さえ見なかったならば、恐らく法水の夢のような考証癖は、いつまでも醒めなかったに違いない。けれども、その間(あいだ)でも、検事が絶えず法水の神経をピリピリ感じていたと云うのは、鐘楼らしい中央の高塔から始めて、奇妙な形の屋窓や煙突が林立している辺りから、左右の塔櫓にかけて、急峻な屋根をひとわたり観察した後に、その視線を下げて、今度は壁面に向けた顔を何度となく顎(あご)を上下させ、そういう態度を数回にわたって繰り返したからであって、その様子がなんとなく、算数的に比較検討しているもののように思われたからだった。はたせるかな、この予測は的中した。最初から死体を見ぬにもかかわらず、はや法水は、この館の雰囲気を摸索(まさぐ)ってその中から結晶のようなものを摘出していったのであった。
 玄関の突当りが広間になっていて、そこに控えていた老人の召使(バトラー)が先に立ち、右手の大階段室に導いた。そこの床には、リラと暗紅色の七宝(しっぽう)模様が切嵌(モザイク)を作っていて、それと、天井に近い円廊を廻(めぐ)っている壁画との対照が、中間に無装飾の壁があるだけいっそう引き立って、まさに形容を絶した色彩を作っていた。馬蹄形に両肢を張った階段を上りきると、そこはいわゆる階段廊になっていて、そこから今来た上空に、もう一つ短い階段が伸び、階上に達している。階段廊の三方の壁には、壁面の遙か上方に、中央のガブリエル・マックス作「腑分図(ふわけず)」を挾んで、左手の壁にジェラール・ダビッドの「シサムネス皮剥死刑の図」、右手の壁面には、ド・トリーの「一七二〇年マルセーユの黒死病(ペスト)」が、掲げられてあった。いずれも、縦七尺幅十尺以上に拡大摸写した複製画であって、何故かかる陰惨なもののみを選んだのか、その意図がすこぶる疑問に思われるのだった。しかし、そこで法水の眼が素早く飛びついたというのは「腑分図」の前方に正面を張って並んでいる、二基の中世甲冑武者だった。いずれも手に旌旗(せいき)の旆棒(はたぼう)を握っていて、尖頭から垂れている二様の綴織(ツルネー)が、画面の上方で密着していた。その右手のものは、クェーカー宗徒の服装をした英蘭土(イングランド)地主が所領地図を拡げ、手に図面用の英町尺(エーカーざし)を持っている構図であって、左手のものには、羅馬(ローマ)教会の弥撒(ミサ)が描かれてあった。その二つとも、上流家庭にはありきたりな、富貴と信仰の表徴(シムボル)にすぎないのであるから、恐らく法水は看過すると思いのほか、かえって召使(バトラー)を招き寄せて訊ねた。
「この甲冑武者は、いつもここにあるのかね」
「どういたしまして、昨夜からでございます。七時前には階段の両裾に置いてありましたものが、八時過ぎにはここまで飛び上っておりました。いったい、誰がいたしましたものか?」
「そうだろう。モンテスパン侯爵夫人のクラーニイ荘を見れば判る。階段の両裾に置くのが定法だからね」と法水はアッサリ頷(うなず)いて、それから検事に、「支倉君、試しに持ち上げて見給え。どうだね、割合軽いだろう。勿論実用になるものじゃないさ。甲冑も、十六世紀以来のものは全然装飾物なんだよ。それも、路易(ルイ)朝に入ると肉彫の技巧が繊細になって、厚みが要求され、終いには、着ては歩けないほどの重さになってしまったものだ。だから、重量から考えると、無論ドナテルロ以前、さあ、マッサグリアかサンソヴィノ辺りの作品かな」
「オヤオヤ、君はいつファイロ・ヴァンスになったのだね。一口で云えるだろう――抱えて上れぬほどの重量ではないって」と検事は痛烈な皮肉を浴びせてから、「しかし、この甲冑武者が、階下にあってはならなかったのか。それとも、階上に必要だったのだろうか?」
「無論、ここに必要だったのさ。とにかく、三つの画を見給え。疫病・刑罰・解剖だろう。それに、犯人がもう一つ加えたものがある――それが、殺人なんだよ」
「冗談じゃない」検事が思わず眼を瞠(みは)ると、法水もやや亢奮を交えた声でこう云った。
「とりもなおさず、これが今度の降矢木事件の象徴(シムボル)という訳さ。犯人はこの大旆(たいはい)を掲げて、陰微のうちに殺戮(さつりく)を宣言している。あるいは、僕等に対する、挑戦の意志かもしれないよ。だいたい支倉君、二つの甲冑武者が、右のは右手に、左のは左手に旌旗の柄を握っているだろう。しかし、階段の裾にある時を考えると、右の方は左手に、左の方は右手に持って、構図から均斉を失わないのが定法じゃないか。そうすると、現在の形は、左右を入れ違えて置いたことになるだろう。つまり、左の方から云って、富貴の英町旗(エーカーばた)――信仰の弥撒旗(ミサばた)となっていたのが、逆になったのだから……そこに怖ろしい犯人の意志が現われてくるんだ」
「何が?」
「Mass(弥撒(ミサ))と acre(英町(エーカー))だよ。続けて読んで見給え。信仰と富貴が、Massacre(マッサカー)――虐殺に化けてしまうぜ」と法水は検事が唖然としたのを見て、「だが、恐らくそれだけの意味じゃあるまい。いずれこの甲冑武者の位置から、僕はもっと形に現われたものを発見(みつ)け出すつもりだよ」と云ってから、今度は召使(バトラー)に、「ところで、昨夜七時から八時までの間に、この甲冑武者について目撃したものはなかったかね」
「ございません。生憎(あいにく)とその一時間が、私どもの食事に当っておりますので」
 それから法水は、甲冑武者を一基一基解体して、その周囲は、画図と画図との間にある龕形(がんけい)の壁灯から、旌旗の蔭になっている、「腑分図」の上方までも調べたけれど、いっこうに得るところはなかった。画面のその部分も背景のはずれ近くで、様々の色の縞が雑然と配列しているにすぎなかった。それから、階段廊を離れて、上層の階段を上って行ったが、その時何を思いついたのか、法水は突然奇異(ふしぎ)な動作を始めた。彼は中途まで来たのを再び引き返して、もと来た大階段の頂辺(てっぺん)に立った。そして、衣嚢(かくし)から格子紙(セクション)の手帳を取り出して、階段の階数をかぞえ、それに何やら電光形(ジグザグ)めいた線を書き入れたらしい。さすがこれには、検事も引き返さずにはいられなかった。
「なあに、ちょっとした心理考察をやったまでの話さ」と階上の召使(バトラー)を憚(はばか)りながら、法水は小声で検事の問いに答えた。「いずれ、僕に確信がついたら話すことにするが、とにかく現在(いま)のところでは、それで解釈する材料が何一つないのだからね。単にこれだけのことしか云えないと思うよ。先刻(さっき)階段を上って来る時に、警察自動車らしいエンジンの爆音が玄関の方でしたじゃないか。するとその時、あの召使(バトラー)は、そのけたたましい音響に当然消されねばならない、ある微かな音を聴くことが出来たのだ。いいかね、支倉君、普通の状態ではとうてい聴くことの出来ない音をだよ」
 そういうはなはだしく矛盾した現象を、法水はいかにして知ることが出来たのだろうか? しかし、彼はそれに附け加えて、そうは云うものの、あの召使(バトラー)には毫末(ごうまつ)の嫌疑もない――といって、その姓名さえも聞こうとはしないのだから、当然結論の見当が茫漠となってしまって、この一事は、彼が提出した謎となって残されてしまった。
 階段を上りきった正面には、廊下を置いて、岩乗な防塞を施した一つの室(へや)があった。鉄柵扉の後方に数層の石段があって、その奥には、金庫扉(きんこと)らしい黒漆(こくしつ)がキラキラ光っている。しかし、その室が古代時計室だということを知ると、収蔵品の驚くべき価値を知る法水には、一見莫迦気(ばかげ)て見える蒐集家の神経を頷(うなず)くことが出来た。廊下はそこを基点に左右へ伸びていた。一劃ごとに扉が附いているので、その間は隧道(トンネル)のような暗さで、昼間でも龕(がん)の電燈が点(とも)っている。左右の壁面には、泥焼(テルラコッタ)の朱線が彩っているのみで、それが唯一の装飾だった。やがて、右手にとった突当りを左折し、それから、今来た廊下の向う側に出ると、法水の横手には短い拱廊(そでろうか)が現われ、その列柱の蔭に並んでいるのが、和式の具足類だった。拱廊の入口は、大階段室の円(まる)天井の下にある円廊に開かれていて、その突当りには、新しい廊下が見えた。入口の左右にある六弁形の壁燈を見やりながら、法水が拱廊の中に入ろうとした時、何を見たのか愕然(ぎょっ)としたように立ち止った。
「ここにもある」と云って、左側の据具足(すえぐそく)(鎧櫃(よろいびつ)の上に据えたもの)の一列のうちで、一番手前にあるものを指差した。その黒毛三枚鹿角立(つのだち)の兜(かぶと)を頂いた緋縅錣(ひおどししころ)[#ルビの「ひおどししころ」は底本では「ひおどしころ」]の鎧に、何の奇異(ふしぎ)があるのであろうか。検事はなかば呆れ顔に反問した。
「兜が取り換えられているんだ」と法水は事務的な口調で、「向う側にあるのは全部吊具足(つりぐそく)(宙吊りにしたもの)だが、二番目の鞣革(なめしがわ)胴の安鎧に載っているのは、錣(しころ)を見れば判るだろう。あれは、位置の高い若武者が冠る獅子噛台星前立脇細鍬(ししがみだいほしまえだてわきほそぐわ)という兜なんだ。また、こっちの方は、黒毛の鹿角立という猛悪なものが、優雅な緋縅(ひおどし)の上に載っている。ねえ支倉君、すべて不調和なものには、邪(よこし)まな意志が潜んでいるとか云うぜ」と云ってから召使(バトラー)にこの事を確かめると、さすがに驚嘆の色を泛(うか)べて、
「ハイ、さようでございます。昨夕までは仰言(おっしゃ)ったとおりでございましたが」と躊躇(ちゅうちょ)せずに答えた。
 それから、左右に幾つとなく並んでいる具足の間を通り抜けて、向うの廊下に出ると、そこは袋廊下の行き詰りになっていて、左は、本館の横手にある旋廻階段のテラスに出る扉。右へ数えて五つ目が現場の室(へや)だった。部厚な扉の両面には、古拙な野生的な構図で、耶蘇(イエス)が佝僂(せむし)を癒やしている聖画が浮彫になっていた。その一重の奥に、グレーテ・ダンネベルグが死体となって横たわっているのだった。
 扉が開くと、後向きになった二十三、四がらみの婦人を前に、捜査局長の熊城(くましろ)が苦りきって鉛筆の護謨(ゴム)を噛んでいた。二人の顔を見ると、遅着を咎(とが)めるように、眦(まなじり)を尖らせたが、
「法水君、仏様ならあの帷幕(とばり)の蔭だよ」といかにも無愛想に云い放って、その婦人に対する訊問も止めてしまった。しかし、法水の到着と同時に、早くも熊城が、自分の仕事を放棄してしまったのと云い、時折彼の表情の中に往来する、放心とでも云うような鈍い弛緩の影があるのを見ても、帷幕の蔭にある死体が、彼にどれほどの衝撃を与えたものか――さして想像に困難ではなかったのである。
 法水は、まずそこにいる婦人に注目を向けた。愛くるしい二重顎(あご)のついた丸顔で、たいして美人と云うほどではないが、円(つぶ)らな瞳と青磁に透いて見える眼隈と、それから張ち切れそうな小麦色の地肌とが、素晴らしく魅力的だった。葡萄色のアフタヌーンを着て、自分の方から故算哲博士の秘書紙谷伸子(かみたにのぶこ)と名乗って挨拶したが、その美しい声音(こわね)に引きかえ、顔は恐怖に充ち土器色に変っていた。彼女が出て行ってしまうと、法水は黙々と室内を歩きはじめた。その室(へや)は広々とした割合に薄暗く、おまけに調度が少ないので、ガランとして淋しかった。床の中央には、大魚の腹中にある約拿(ヨナ)を図案化したコプト織の敷物が敷かれ、その部分の床は、色大理石と櫨(はぜ)の木片を交互に組んだ車輪模様の切嵌(モザイク)。そこを挾んで、両辺の床から壁にかけ胡桃(くるみ)と樫(かし)の切組みになっていて、その所々に象眼を鏤(ちりば)められ、渋い中世風の色沢が放たれていた。そして、高い天井からは、木質も判らぬほどに時代の汚斑が黒く滲み出ていて、その辺から鬼気とでも云いたい陰惨な空気が、静かに澱(よど)み下ってくるのだった。扉口(とぐち)は今入ったのが一つしかなく、左手には、横庭に開いた二段鎧窓が二つ、右手の壁には、降矢木家の紋章を中央に刻み込んである大きな壁炉(かべろ)が、数十個の石材で畳み上げられてあった。正面には、黒い天鵞絨(びろうど)の帷幕(とばり)が鉛のように重く垂れ、なお扉から煖炉に寄った方の壁側には、三尺ほどの台上に、裸体の傴僂(せむし)と有名な立法者(スクライブ)(埃及(エジプト)彫像)の跏像(かぞう)とが背中合せをしていて、窓際寄りの一劃は高い衝立(ついたて)で仕切られ、その内側に、長椅子と二、三脚の椅子卓子(テーブル)が置かれてあった。隅の方へ行って人群から遠ざかると、古くさい黴(かび)の匂いがプーンと鼻孔を衝(つ)いてくる。煖炉棚(マントルピース)の上には埃が五分(ぶ)ほども積っていて、帷幕に触れると、咽(むせ)っぽい微粉が天鵞絨の織目から飛び出してきて、それが銀色に輝き、飛沫(しぶき)のように降り下ってくるのだった。一見して、この室(へや)が永年の間使われていないことが判った。やがて、法水は帷幕を掻き分けて内部を覗き込んだが、その瞬間あらゆる表情が静止してしまって、これも背後から、反射的に彼の肩を掴んだ検事の手があったのも知らず、またそれから波打つような顫動(せんどう)が伝わってくるのも感ぜずに、ひたすら耳が鳴り顔が火のように熾(ほて)って、彼の眼前にある驚くべきもの以外の世界が、すうっとどこかへ飛び去って行くかのように思われた。
 見よ! そこに横たわっているダンネベルグ夫人の死体からは、聖(きよ)らかな栄光が燦然(さんぜん)と放たれているのだ。ちょうど光の霧に包まれたように、表面から一寸(すん)ばかりの空間に、澄んだ青白い光が流れ、それが全身をしっくりと包んで、陰闇の中から朦朧(もうろう)と浮き出させている。その光には、冷たい清冽な敬虔な気品があって、また、それに暈(ぼっ)とした乳白(ミルク)色の濁りがあるところは、奥底知れない神性の啓示でもあろうか。醜い死面の陰影は、それがために端正な相に軟げられ、実に何とも云えない静穏なムードが、全身を覆うているのだ。その夢幻的な、荘厳なものの中からは、天使の吹く喇叭(らっぱ)の音が聴えてくるかもしれない。今にも、聖鐘の殷々(いんいん)たる響が轟きはじめ、その神々しい光が、今度は金線と化して放射されるのではないかと思われてくると、――ああ、ダンネベルグ夫人はその童貞を讃えられ、最後の恍惚(こうこつ)境において、聖女として迎えられたのであろうか――と、知らず知らず洩れ出てくる嘆声を、果てはどうすることも出来なくなってしまうのだった。しかし、同時にその光は、そこに立ち列(なら)んでいる、阿呆のような三つの顔も照していた。法水もようやく吾(われ)にかえって調査を始めたが、鎧窓を開くと、その光は薄らいでほとんど見えなかった。死体の全身はコチコチに硬直していて、すでに死後十時間は十分経過しているものと思われたが、さすが法水は動ぜずに、あくまで科学的批判を忘れなかった。彼は口腔内にも光があるのを確かめてから、死体を俯(うつ)向けて、背に現われている鮮紅色の屍斑を目がけ、グサリと小刀(ナイフ)の刃を入れた。そして、死体をやや斜めにすると、ドロリと重たげに流れ出した血液で、たちまち屍光に暈(ぼっ)と赤らんだ壁が作られ、それがまるで、割れた霧のように二つに隔てられてゆき、その隙間に、ノタリノタリと血が蜿(のた)くってゆく影が印(しる)されていった。検事も熊城も、とうていこの凄惨な光景を直視することは出来なかった。
「血液には光はない」と法水は死体から手を離すと、憮然(ぶぜん)として呟(つぶや)いた。「今のところでは、なんと云っても奇蹟と云うよりほかにないだろうね。外部から放たれているものでないことは、とうに明らかなんだし、燐の臭気はないし、ラジウム化合物なら皮膚に壊疽(えそ)が出来るし、着衣にもそんな跡はない。まさしく皮膚から放たれているんだ。そして、この光には熱も匂いもない。いわゆる冷光なんだよ」
「すると、これでも毒殺と云えるのか?」と検事が法水に云うのを、熊城が受けて、
「ウン、血の色や屍斑を見れば判るぜ。明白な青酸中毒なんだ。だが法水君、この奇妙な文身(いれずみ)のような創紋はどうして作られたのだろうか? これこそ、奇を嗜(たしな)み変異に耽溺(たんでき)する、君の領域じゃないか」と剛愎(ごうふく)な彼に似げない自嘲めいた笑(えみ)を洩らすのだった。
 実に、怪奇な栄光に続いて、法水を瞠目(どうもく)せしめた死体現象がもう一つあったのだ。ダンネベルグ夫人が横たわっている寝台は、帷幕(とばり)のすぐ内側にあって、それは、松毬形(まつかさがた)の頂花(たてばな)を頭飾にし、その柱の上に、レースの天蓋をつけた路易(ルイ)朝風の桃花木(マホガニー)作りだった。死体は、そのほとんど右はずれに俯臥(うつむけ)の姿勢で横たわり、右手は、背の方へ捻(ね)じ曲げたように甲を臀(しり)の上に置き、左手は寝台から垂れ下っていた。銀色の髪毛を無雑作に束ねて、黒い綾織の一重服を纏(まと)い、鼻先が上唇まで垂れ下って猶太(ユダヤ)式の人相をしているこの婦人は、顔をSの字なりに引ん歪め、実に滑稽な顔をして死んでいた。しかし不思議と云うのは、両側の顳□(こめかみ)に現われている、紋様状の切り創(きず)だった。それがちょうど文身(いれずみ)の型取りみたいに、細い尖鋭な針先でスウッと引いたような――表皮だけを巧妙にそいだ擦切創(さっせつそう)とでもいう浅い傷であって、両側ともほぼ直径一寸ほどの円形を作っていて、その円の周囲には、短い線条が百足(むかで)の足のような形で群生している。創口には、黄ばんだ血清が滲み出ているのみであるが、そういう更年期婦人の荒れ果てた皮膚に這いずっているものは、凄美などという感じよりかも、むしろ、乾燥(ひから)びた蟯蟲(ぎょうちゅう)の死体のようでもあり、また、不気味な鞭毛蟲が排泄する、長い糞便のようにも思われるのだった。そして、その生因が、はたして内部にあるのか外部にあるのか――その推定すら困難なほどに、難解をきわめたものだった。しかし、その凄惨な顕微鏡(ミクロ)模様から離れた法水の眼は、期せずして検事の視線と合した。そして、暗黙のうち、ある慄然(りつぜん)としたものを語り合わねばならなかった。なんとなれば、その創の形が、まさしく降矢木家の紋章の一部をつくっている、フィレンツェ市章の二十八葉橄欖冠にほかならないからであった。


    二、テレーズ吾(われ)を殺せり

「どう見ても、僕にはそうとしか思えない」と検事は何度も吃(ども)りながら、熊城(くましろ)に降矢木家の紋章を説明した後で、「何故犯人は、息の根を止めただけでは足らなかったのだろうね。どうしてこんな、得体の判らぬ所作(しぐさ)までもしなければならなかったのだろう?」
「ところがねえ支倉(はぜくら)君」と法水(のりみず)は始めて莨(たばこ)を口に銜(くわ)えた。「それよりも僕は、いま自分の発見に愕然(がくっ)としてしまったところさ。この死体は、彫り上げた数秒後に絶命しているのだよ。つまり、死後でもなく、また、服毒以前でもないのだがね」
「冗談じゃないぜ」と熊城は思わず呆れ顔になって、「これが即死でないのなら、一つ君の説明を承(うけたまわ)ろうじゃないか」といきり立つのを、法水は駄々児を諭すような調子で、
「ウン、この事件の犯人たるや、いかにも神速陰険で、兇悪きわまりない。しかし、僕の云う理由はすこぶる簡単なんだ。だいたい君が、強度の青酸(シヤン)中毒というものをあまり誇張して考えているからだよ。呼吸筋は恐らく瞬間に痳痺[#「痳痺」はママ]してしまうだろうが、心臓が全く停止してしまうまでには、少なくとも、それから二分足らずの時間はあると見て差支えない。ところが、皮膚の表面に現われる死体現象と云うのは、心臓の機能が衰えると同時に現われるものなんだがね」そこでちょっと言葉を切って、まじまじと相手を瞶(みつ)めていたが、「それが判れば、僕の説に恐らく異議はないと思うね。ところで、この創(きず)は巧妙に表皮のみを切り割っている。それは、血清だけが滲み出ているのを見ても、明白な事実なんだが、通例生体にされた場合だと、皮下に溢血(いっけつ)が起って創の両側が腫起してこなければならない――いかにも、この創口にはその歴然としたものがあるのだ。ところが、剥(そ)がれた割れ口を見ると、それに痂皮(かひ)が出来ていない。まるで透明な雁皮(がんぴ)としか思われないだろう。が、この方は明らかな死体現象なんだよ。しかしそうなると、その二つの現象が大変な矛盾をひき起してしまって、創がつけられた時の生理状態に、てんで説明がつかなくなってしまうだろう。だから、その結論の持って行き場は、爪や表皮がどういう時期に死んでしまうものか、考えればいい訳じゃないか」
 法水の精密な観察が、かえって創紋の謎を深めた感があったので、その新しい戦慄(せんりつ)のために、検事の声は全く均衡を失っていた。
「万事剖見を待つとしてだ。それにしても、屍光のような超自然現象を起しただけで飽き足らずに、その上降矢木の烙印(やきいん)を押すなんて……。僕には、この清浄な光がひどく淫虐的(ザディスティッシュ)に思えてきたよ」
「いや、犯人はけっして、見物人を慾(ほ)しがっちゃいないさ。君がいま感じたような、心理的な障害を要求しているんだ。どうして彼奴(あいつ)が、そんな病理的な個性なもんか。それに、まったくもって創造的だよ。だがそれをハイルブロンネルに云わせると、一番淫虐的で独創的なものを、小児(こども)だと云うがね」と法水は暗く微笑(ほほえ)んだが、「ところで熊城君、死体の発光は何時頃からだね」と事務的な質問を発した。
「最初は、卓子灯(スタンド)が点いていたので判らなくなったのだ。ところが、十時頃だったが、ひととおり死体の検案からこの一劃の調査が終ったので、鎧扉を閉じて卓子灯(スタンド)を消すと……」と熊城はグビッと唾(つば)を嚥(の)み込んで、「だから、家人は勿論のことだが、係官の中にも知らないものがあるという始末だよ。ところで、今まで聴取しておいた事実を、君の耳に入れておこう」と概略の顛末を語りはじめた。
「昨夜家内中である集会を催して、その席上でダンネベルグ夫人が卒倒した――それがちょうど九時だったのだ。それからこの室(へや)で介抱することになって、図書掛りの久我鎮子(くがしずこ)と給仕長の川那部易介(かわなべえきすけ)が徹宵附添っていたのだが、十二時頃被害者が食べた洋橙(オレンジ)の中に、青酸加里が仕込まれてあったのだよ。現に、口腔(くち)の中に残っている果肉の噛滓(かみかす)からも、多量の物が発見されているし、何より不思議な事には、それが、最初口に入れた一房にあったのだ。だから、犯人は偶然最初の一発で、的の黒星を射当てたと見るよりほかになかろうと思うね。他の果房(ふさ)はこのとおり残っていても、それには、薬物の痕跡がないのだよ」
「そうか、洋橙(オレンジ)に□」と法水は、天蓋の柱をかすかに揺ぶって呟(つぶや)いた。「そうすると、もう一つ謎がふえた訳だよ。犯人には、毒物の知識が皆無だという事になるぜ」
「ところが、使用人のうちには、これという不審な者はいない。久我鎮子も易介も、ダンネベルグ夫人が自分で果物皿の中から撰んだと云っている。それに、この室(へや)は十一時半頃に鍵を下してしまったのだし、硝子窓も鎧扉も菌(きのこ)のように錆(さび)がこびり付いていて、外部から侵入した形跡は勿論ないのだよ。しかし妙な事には、同じ皿の上にあった梨の方が、夫人にとると、はるかより以上の嗜好物だそうなんだ」
「なに、鍵が?」と検事は、それと創紋との間に起った矛盾に、愕然(がくぜん)とした様子だったけれども、法水は依然熊城から眼を離さず、突慳貪(つっけんどん)に云い放った。
「僕はけっして、そんな意味で云っていやしない。青酸に洋橙(オレンジ)という痴面(どうけめん)を被せているだけに、それだけ、犯人の素晴らしい素質が怖ろしくなってくるのだ。考えても見給え。あれほど際立った異臭や特異な苦味のある毒物を、驚くじゃないか、致死量の十何倍も用いている。しかも、その仮装迷彩(カムフラージュ)に使っているのが、そういう性能のきわめて乏しい洋橙(オレンジ)ときているんだ。ねえ、熊城君、それほど稚拙もはなはだしい手段が、どうしてこんな魔法のような効果を収めたのだろうか。何故(なぜ)ダンネベルグ夫人は、その洋橙(オレンジ)のみに手を伸ばしたのだろうか。つまり、その驚くべき撞着たるやが、毒殺者の誇りなんだ。まさに彼等にとれば、ロムバルジア巫女(ストリゲス)の出現以来、永生不滅の崇拝物(トーテム)なんだよ」
 熊城は呆気にとられたが、法水は思い返したように訊ねた。
「それから、絶命時刻は?」
「今朝八時の検屍で死後八時間と云うのだから、絶命時刻も、洋橙(オレンジ)を食べた刻限(じこく)とピッタリ符合している。発見は暁方の五時半で、それまで附添は二人ともに、変事を知らなかったのだし、また、十一時以後は誰もこの室(へや)に入った者がなかったと云うのだし、家族の動静もいっさい不明だ。で、その洋橙(オレンジ)が載っていた、果物皿と云うのがこれなんだがね」
 そう云って熊城は、寝台の下から銀製の大皿を取り出した。直径が二尺近い盞形(さかずきがた)をしたもので、外側には露西亜(ルッソ)ビザンチン特有の生硬な線で、アイ□ソウフスキーの匈奴(フン)族馴鹿(トナカイ)狩の浮彫が施されていた。皿の底には、空想化された一匹の爬蟲類が逆立(さかだち)していて、頭部と前肢(まえあし)が台になり、刺の生えた胴体がくの字なりに彎曲して、後肢(あとあし)と尾とで皿を支えている。そして、そのくの字の反対側には、半円形の把手(にぎり)が附いていた。その上にある梨と洋橙(オレンジ)は全部二つに截ち割られていて、鑑識検査の跡が残されているが、無論毒物は、それ等の中にはなかったものらしい。しかし、ダンネベルグ夫人を斃(たお)した一つには、際立った特徴が現われていた。それが、他にある洋橙(オレンジ)とは異なり、いわゆる橙(だいだい)色ではなくて、むしろ熔岩(ラヴァ)色とでもいいたいほどに赤味の強い、大粒のブラッド・オレンジだった。しかも、その赭(あか)黒く熟れ過ぎているところを見ると、まるでそれが、凝固しかかった血糊のように薄気味悪く思われるのであるが、その色は妙に神経を唆(そそ)るのみのことで、勿論推定の端緒(いとぐち)を引き出すものではなかった。そして、蔕(へた)のないところから推して、そこから泥状の青酸加里が注入されたものと推断された。
 法水は果物皿から眼を離して、室内を歩きはじめた。帷幕(とばり)で区劃(くぎ)られているその一劃は、前方の室といちじるしく趣を異にしていて、壁は一帯に灰色の膠泥(モルタル)で塗られ、床には同じ色で、無地の絨毯(じゅうたん)が敷かれてあって、窓は前室のよりもやや小さく、幾分上方に切られてあるので、内部ははるかに薄暗かった。灰色の壁と床、それに黒い帷幕(とばり)――と云えば、その昔ゴードゥン・クレイグ時代の舞台装置を想い出すけれども、そういう外見生動に乏しい基調色が、なおいっそうこの室を沈鬱なものにしていた。ここもやはり、前室と同様荒れるに任せていたらしく、歩くにつれて、壁の上方から層をなした埃が摺(ず)り落ちてくる。室内の調度は、寝台の側に大酒甕(さけがめ)形の立卓笥(キャビネット)があるのみで、その上には、芯の折れた鉛筆をつけたメモと、被害者が臥(ね)る時に取り外したらしい近視二十四度の鼈甲(べっこう)眼鏡、それに、描き絵の絹覆(シェード)をつけた卓子灯(スタンド)とが載っていた。近視鏡もその程度では、ただ輪廓がぼっとするのみのことで、事物の識別はほとんど明瞭につくはずであるから、それには一顧する価値もなかった。法水は、画廊の両壁を観賞してゆくような足取りで、ゆったり歩を運んでいたが、その背後から検事が声をかけた。
「やはり法水君、奇蹟は自然のあらゆる理法の彼方にあり――かね」

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