小熊秀雄全集-14
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著者名:小熊秀雄 

小熊秀雄全集-14童話集小熊秀雄●ルビは「(ルビ)」の形式で処理した。
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●収録作品
自画像/焼かれた魚/青い小父さんと魚/お嫁さんの自画像/たばこの好きな漁師/親不孝なイソクソキ/珠を失くした牛/お月さまと馬賊/三人の騎士/或る手品師の話/或る夫婦牛の話/トロちやんと爪切鋏/豚と青大将/白い鰈の話/緋牡丹姫/狼と樫の木/マナイタの化けた話/タマネギになつたお話/鶏のお婆さん

自画像
     (一)
 此所にトムさんと言ふ至つてお人好しの農夫がをりました、この村の人達は余りお[#「人」が脱落か?]好しの事をトムさんのやうだとよく言ひますが、全くトムさんはお人好しでした。随分よく働きます。それに無口で大力で正直で何ひとつも欠点がありませんでしたが、唯そのお人好しがあんまり過ぎるので困りました。
 トムさんは三人ものお嫁さんを貰ひましたが、ふしぎに二三日たつと三人ともみな逃げ帰つてしまつたのでした、それには色々のわけがあるのです。最初のお嫁さんを貰つた時でした。トムさんは大変お嫁さんを可愛がつて一粒の豆でも仲善く半分頒[#「頒」に「ママ」の注記]合つて食べる程でしたから、お嫁さんも大変満足して居たのでした。
 処が丁度、お嫁さんをもらつて三日目の真夜中頃ミシリ/\と屋根で音がしたと思ふと、天井の空窓から太い繩を下して三人の泥棒がトムさんの家へ忍びこんだのです。三人の泥棒はグウグウ高鼾で寝込んでゐるトムの枕元に立つて不意に枕を足で蹴飛ばしましたので、トムさんは吃驚(びつくり)して眼を覚しました、トムさんは自分の眼の前に背のヒョロ高い顔の真黒い鬚だらけの泥棒がによつきり突き立つてゐるので、トムさんは驚くまいことか、一時は腰を抜かさんばかりに吃驚(びつくり)しました。然しお人善しのトムさんはやがて泥棒に向つて「お前さん方は商売とはいゝ乍らこの真夜中に御苦労さまの事です、まあご一服唯今お茶を差しあげます、然し皆様私は昨夜戸締りもあんなにしつかりしてをいたのにどこから入つて来ました」かう尋ねました。

     (二)
 泥棒達はお互に眼を白黒させて居りましたが、その内の一人が「俺達はこの空窓から飛び込んだのさ」と答へました。トムさんは之を聞いて「それはあぶない所から這入つて来ましたね、一寸表戸をトントン叩いて下されば直ぐ開けるのでしたのに」と云ひました。泥棒達はまご/\して居て隣近所に騒がれては大変とトムさんの家の真ん中へ持つてきた一反風呂敷を各々ひろげまして棚の物やら何やら片つ端から入れはじめました。これをじつとみてゐたトムさんは何と思つたのか、自分も向う鉢巻をして泥棒達と一緒に自分の家の品物を「これもあげる」「あすこにも有る」と大汗でドンドン拠[#「拠」にママの注記]り出したのでトムさんのお嫁さん始め泥棒達何が何やら訳がわかりません。
 さて泥棒達は風呂敷に包めるだけ品物を包んでしまふとさつさと出て行かうと致しました。するとトムさん何と思つたのか泥棒を呼びとめて「お前さん達は案外欲の無い人達ばかりですね、まだ室の中にこんなに品物が残つてゐるではありませんか」といひました。
 すると泥棒達は振り向いて、
「君の親切は有難いが何分俺達は之以上もてないので残念だが、お前さんにお返ししてをくよ」といひました。トムさんは「それはいけない私があげようとする物をもつて行かぬといふ失礼な事が有るものですか……あゝよい事がある私の家の馬車を貸してあげませう」といひ、裏の馬小屋から馬車を引出して之に品物を全部積んで渡しました。然し泥棒達は馬を追ふ事を知りませんでしたから、トムさんは三人の泥棒を馬車に乗せ自分が馬を追つて場末にある泥棒の家まで送りとゞけました。その上馬車を呉れて来て了ひました。
 お嫁さんはトムさんの余りのお人善しにあきれはてゝ、早速実家へ逃帰つてしまひました。トムさんは家へ帰つてみてお嫁さんの逃げ帰つた事を知り大変に一時は悲観致しました。
 それから二年程たつて、又ある人の世話で二番目のお嫁さんを貰ひましたトムさんは、今度もまた一粒の豆を半分宛分け合つて食べる様に仲善くいたしましたので、お嫁さんも大変満足して居りました所が、丁度三日目の事トムさんは用事があつてあるお寺の近所を通りました、するとそこのお寺の椽の下の暗闇に十二、三人の乞食共が荒莚を敷いてごろごろ芋虫の様に寒さうに寝てをりました。

     (三)
 トムさんはこの前に不思議さうに突立つて居りましたが、やがて乞食に向つて「お前さん達はこの寒空にこんなお寺の椽の下に寝むらずに、何処かの宿へでも泊つたら良いではありませんか」といひました。すると乞食は之を聞いて「あなたも面白いことをいふ人だ、あつたかい布団へ寝たり泊つたりするお銭があれば乞食などしませんよ」と笑ひました。トムさんは「成程な」と同情しまして「それぢや私の家へお出でなさい、この椽の下にねるより余程ましですよ」といひましたので乞食達は大変喜んでトムさんの後へぞろぞろついて行きました。
 トムさんのお嫁さんは汚ならしい乞食が十二、三人もぞろ/\やつてきて、お座敷へ上りこんだので吃驚して其晩の内に実家へ逃げ帰りました。
 トムさんは之は失敗したと思ひ乞食達に向つて、お嫁さん[#「が」が脱落か?]逃帰つたわけを色々と話して、また元のお寺の椽の下へ帰つて下さいとお願ひしました。それをきいて乞食達は之は気の毒だと素直に出ていつて呉れました。
 トムさんは早速お嫁さんの実家へテク/\出掛けていつて「乞食たちを全部帰してしまひましたから、お嫁さんを是非家へ帰してください」と頼みましたがお嫁さんは、それつ切り帰りませんでした。トムさんは大変悲観して、それからはもうお嫁さんを貰ふまいと心で決めました。村の人たちもトムさんのお人善しには呆れてそれぎりお嫁さんの世話をしてくれませんでした。
 それに村の人達はトムさんが近頃野良へ出ても怠けてゐて少しも仕事をしないぞと噂をするやうになりました。
 それはトムさんが近頃色々空想をする事を覚えたからです。今日もトムさんは一鍬土を起してじつと鍬の柄に凭れポカンと口をあけて、空想にふけつて居りました、思い出しては一鍬土をたがやし、またぼんやりと案山子のやうに突立つて色々空想をいたしました。やがて羽音高くトムさんの頭の上の青空を一群の白鳥が南の湖の方へとんで行きました、トムさんは、「やあ綺麗な白鳥だな……あのたつたのが白鳥の王様だな、すらつと一際首の長いのが王妃さまだな、そのあとの一番色の白いのがお姫さまだな、あゝ、もう私の処へお嫁さんが来ないかしら、もしくるならあの白鳥のお姫さまでも我慢するがな、然し私の家は年中焚火ばかりしてゐるから、あの雪のやうに白い白鳥のお嫁さんのお衣裳が汚く煤けては可愛さうだな」こんな事を思つて居りますと、一羽の鳥が「トムさんの馬鹿」と怒鳴つてトムさんのつい鼻先へ白い糞をおとしたので吃驚(びつくり)してまた一鍬土をたがやしました。

     (四)
 トムさんは今度は森陰の白い王城を眺めました。
「ああ、私は一生の内たつた一度でも良いからあの様な王城に暮してみたいものだ、純金の王冠をかぶり、黄金づくりの太刀を佩き白い毛の馬に跨り、何千人の兵士を指揮してみたいものだなア、然しこの国の王様のやうに白い立派な長い髭が私にはないがよしよしその時には付髭を夜店で買つてきてやらう、それからお金蔵のお金を全部出して臣民に呉れてしまひ、自分は応接間に紫天鵞絨の安楽椅子に心持悠つたりと反身に腰掛け、一本十円五十銭の葉巻きをくゆらし臣民に一人宛逢つて手のちぎれる程堅い握手をしてやるぞ、それから臣民の頬ぺたをなめてやつたつてかまはないさ」
 こんな有様ですから一日かゝつてもやうやう一畦位より出来ませんでした。
 その晩は近年にない大暴風でした、トムさんの家の屋根は今にも飛ばされさうな激しさでした。トムさんは余りの物凄さに部屋の炉ばたの焚き火によつて小さくふるへて居りました。するとこの激しい暴風雨の中に、トムさんの家にはこの一、二年この方、猫の子一匹訪ねてきたことがないのに、トントンと表戸を叩くものがあるではありませんか、トムさんは大変不思議に思ひまして、兎に角表戸をそつと開きますとドッと吹き入る雨風と一緒に一人の若い女が室の中に転りこみました。
 トムさんは吃驚してよく/\見ますと、それは羽鳥の羽で出来た黒いマントを着た、それは/\美しい女でした。トムさんは眼玉をくるくるやりました。トムさんはその女の濡れた着物を干してやつたり色々親切に介抱をいたしました。そしてその女に今ごろこの暴風雨にこゝへきた事情をたづねました。女は南の国のお姫さんでした、たくさんの家来を連れて旅行をいたしましたが丁度この土地へ来かゝつた時暴風雨に襲はれて、家来とはちりぢりになつて了つたのです……と答へました。
 その翌日すつかり暴風雨が収まつたのですが、そのお姫さんはトムさんの家を去らうとは致しませんでした。その翌日もその翌日も何時まで経つても帰る風は見えませんでした。

     (五)
 トムさんは朝鍬を担いで野良に出掛けましたが、二時間もたゝぬうちに畑から帰つてきてしまひました。それはトムさんが畑へ働きにいつてもお留守居のお嫁さんが心配で心配で、もしや鼠にでもひかれはしないかと思ふと仕事などは手につきませんので飛ぶやうに家に帰つてくるのでした。
 お嫁さんは或る日、あまりその事を不思議に思ひましてその訳をトムさんに聞きました。
 トムさんはそのわけをお嫁さんに打明けました。お嫁さんは之を聞いて大変笑ひました。そしてしばらく考へて居りましたが、ふとよい事を思ひだしたと見えて、お嫁さんは鏡台を持出しました、そして鏡に自分の顔を映してその通り画きはじめました、お嫁さんはやがて自分の顔と寸分違はぬ自画像が出来上りますと、之を四尺位の竹の棒の先に張りつけて之をトムさんに手渡しました。
「さあ、これを持つて畑へいらつしやい、そして耕して行く一番向うの畦の端れにこの竹を立てゝ、その画を眺めながら耕してやつてごらんなさい。そしてその画のところまで耕していつたら、今度は反対の端に立てゝ耕すのです」と教へてくれました。
 トムさんは翌日、早速言はれた通り、お嫁さんの絵姿を向うの畦の端れに立てゝ、これを眺めつ、くらし、せつせと耕し始めました。
 成る程、この画を眺めてゐると本物のお嫁さんと少しも違はぬ程上手に描かれてあるので、本物のお嫁さんの顔と少しも違ひません。それに仕事の捗どることは驚く程で他の人が十日で耕す畑を三日で耕してしまひましたので、村の人達は「おやおや」と眼を円くいたしました。
 ある日トムさんは相変らず一生懸命お嫁さんの自画像をめがけてたがやしてをりますと、どつと強い風が吹いて来て、竹の先のお嫁さんの画を吹き飛ばしてしまひました。トムさんは周章てゝ画を拾はうと致しますと、画はひらひらと風に舞つて飛んでいくではありませんか、しまひに低く空を舞ひ上つて森の方へ飛んで行きます、トムさんは畑どころではありません。これは大変と尚更あわてゝ「お嫁さん……待てい」「お嫁さん……待つてくれい」
 と死に物狂ひにその後を追ひかけましたが、とうとう画は森陰にある国の王城[#「の」が脱落か?]厳めしい高壁を越えてその中に這入つてしまひました。トムさんはもうがつかりしてぽろ/\涙を流しながら家へすごすご帰りました。
 お嫁さんはトムさんの悲観した顔をみてその訳をたづねました、トムさんは眼から大きな涙をぽろ/\流して
「実はお前を吹き飛ばしてしまつたのだ、アーン、アーン」と泣きながら今までの事をくはしく話しました。
 お嫁さんはそれを聞いて笑ひながら「あんな画は何枚だつて描いてあげますから諦めて了ひなさい」となぐさめました。
 こゝに大変な事が持ち上りました。

     (六)
 お城の堀の中に這入つたお嫁さんの自画像を兵士が拾ひましてこれを王様に差上げました。
 王様はこの画を一眼御覧になつてあまりの美しさにお驚きになりました。わがまゝな王様はまだお妃がなかつたのですから、この画の女を国中を探して是非連れて参れと、一同の兵士に厳重に申しました。城中の兵士が総出で探したあげくこの画の女がトムさんのお嫁さんだとわかりました、王様はそこでトムさんに向つて、「余の妃に差出すやうに」と命令いたしました。そして万一命令をきかなければトムさんの首を切りかねない権幕なのでトムさんは青くなつて泣きだしました。
 トムさんは三日三晩といふものはおーん、おーんと泣きつゞけました。(欠1行)つたといふ話です。お嫁さんはこれを見て、
「さあ泣いてはいけません、私達に運が向いてゐるのです。私は之から王様の妃になります。然し心配してはいけません。私はあなたの永久のお嫁さんです。私が王様の御殿へいつてから近いうちにお城の大門が開れる日が御座います。その時に見物人の中にまぢつて、一番目立つた汚ないぼろぼろ服をきて一番先頭に立つて門の開かれるを待つてゐて下さい」
 とかういつてトムさんのお嫁さんは今日王様の家来に連れられていつてしまひました。
 昔からこの国では三年に一日だけ城門を全部押し開いて臣民に城の内部をみせることになつて居るのです。いつもその当日には遠い所からまで臣民がやつて来て、街中はお祭のやうな賑はひとなるのです。その日は王様を始め千といふ家来達がふさふさの赤い帽子を冠つたり、金の鎧を着たり色々盛装して門の中の床に腰を掛けるのです。臣民たちは門の中に入ることは出来ないので門のわきの処で立ちよつて中を見ることが出来るのでした。そして午後の六時になると重い鉄の扉がガラガラと閉ぢてしまふのでした。
 ところが果してトムさんのお嫁さんがお城にいつてから何月何日に城門ひらきだといふおフレが伝へられました。
 愈々当日になりますと、トムさんは乞食より尚汚いボロ/\の服をきて、顔には泥を塗り、杖をつき腰をかゞめてお嫁さんに言はれた通り見物人の一番前に出しやばつてお城の門のひらかれるのを待つてをりました。
 やがて時間がきて城門は大きな響きを立てゝガラ/\と開かれました。みると王様は今日を晴といふりつぱな金の冠にピカピカの着物をきて、ゆつたりと腰を掛けてゐます。そしてその傍にはトムさんの夢にも忘れることの出来ない可愛いゝトムさんのお嫁さんが、今ではもう王様のお妃となつて、全部白鳥の羽で出来た真白いキラ/\の上衣をきて座つてゐるではありませんか。トムさんは王様が憎らしくて、また一方では悲しいやら情ないやら嬉しいやらで涙を一杯ためてじつとお嫁さんをみつめてをりました。するとお嫁さんもトムさんの顔をみてにつこりと美しく笑ひました。
 王様はびつくりするほど喜びました。それはこのお妃が御殿にきてから一ぺんも笑つたことがないからでした。
「これ妃そなたは笑つたではないか、何を見て笑つた、さあ今一度笑つてみせてくれ」と妃に向つていひました。
 するとお嫁さんはトムさんを指して「王様あれを御覧下さい、あすこに大変滑稽な姿をした乞食が居るではありませんか、私はあの男を見て笑つたのです……もし王様があの男の着物をきてあの男の代りにあそこに立つたらさぞおかしい事で御座いませう」と申しあげました。
 王様は今一度妃の笑顔をみたいものですから、トムさんを御前に呼び出して王様のりつぱな着物をきせてお嫁さんの傍へ座らせ、ご自分はトムさんの着てゐたボロの服を(六字欠)城門の外の見物の中にお立ちになりました。
 しかし、いつまで立つてもお嫁さんはニッコリとも笑ひませんでした。王様は今か今かとお嫁さんの笑ふのを待つてをりました。しかし、お嫁さんは笑ひません。
 その内に午後六時になりましたので城門はガラ/\と閉ぢてしまひました。
 此処で王様はまんまと城外に追出されてトムさんは王様と早変りしてしまひました。城の兵士達も王様のわがまゝを憎んでをりましたから誰もみなかへつて喜びました。
 不思議なお嫁さんは実は白鳥のお姫さんでした。トムさんは何だか背中がくすぐつたいやうな、着なれない王様の衣裳を着て、自分の思つてゐた通りのお金蔵のお金を全部街の人々に分けてやつてしまひました。そして白鳥のお嫁さんと仲善く王宮に暮しました。何でも王様のトムさんは街の人々全部を御殿に招待して一人宛に握手をし頬ぺたをなめたといふ話です。(大正12年1月23日〜旭川新聞)

焼かれた魚(さかな)
 白い皿の上にのつた焼かれた秋刀魚(さんま)は、たまらなく海が恋しくなりました。
 あのひろびろと拡がつた水面に、たくさんの同類たちと、さまざまの愉快なあそびをしたことを思ひ出しました、いつか水底の海草のしげみに発見(みつけ)てをいた、それはきれいな紅色の珊瑚は、あの頃は小さかつたけれども、いまではかなり伸びてゐるだらう、それとも誰か他の魚に発見(みつ)けられてしまつたかもしれない、などと焼かれた秋刀魚は、なつかしい海の生活を思ひ出して、皿の上でさめざめと泣いて居りました。
 ことに秋刀魚にとつて忘れることの出来ないのは、なつかしい両親と仲の善かつた兄妹達のことでした、秋刀魚が水から漁師に釣りあげられて、その時一緒に釣られた秋刀魚達と石油箱にぎつしりとつめられたまゝ、長い長い汽車の旅行をやりました、そしてやつとの思ひでうすぐらい箱の中から、あかるい都会の魚屋の店先にならばされました。
 そこには海の生活と同じやうに、同じ仲間の秋刀魚や鯛や鰈(かれい)や鰊(にしん)や蛸(たこ)や、其他海でついぞ見かけたことのないやうな、珍らしい魚たちまで賑やかにならべられてゐましたので、この秋刀魚は少しも寂しいことはなかつたのでしたが、魚達は泳ぎ廻ることも、話しあふことも出来ず、みな白らちやけた瞳をして、人形のやうに、病気のやうに、じつと身動きの出来ない退屈な悲しい境遇にゐなければなりませんでした。
 それから幾日か経つて、この家(や)の奧さまに秋刀魚は買はれました、そしていま焼かれました。やがて会社から旦那さまが帰つて来るでせう、さうしたなら食べられてしまはなければなりません。
 焼かれた魚は、
『ああ、海が恋しくなつた、青い水が見たくなつた、白い帆前船(ほまへせん)をながめたい。』
 ときちがひのやうになつて皿の上で動かうとしましたが、体のまんなかに細い鉄の串がさしてありましたし、それに、焼かれた体が、妙に軽るくなつてゐて、なにほど尾鰭(おひれ)を動かさうとしても、すこしも動きませんでした。
 それで魚は皿の上であばれることを断念してしまひました。しかしどうかしていま一度あの広々とした海に行つて、なつかしい親兄妹に逢ひたいといふ気持でいつぱいでした。
『ミケちやんよ、なにをさうわたしの顔ばかり、じろじろながめてゐるの、海を恋しいわたしの心をすこしは察して下さいよ』
 と魚は、この家(や)の飼猫のミケちやんにむかつて、言ひました。
 それは猫がさき程から、横眼でしきりに、焼かれた秋刀魚をながめてばかりゐましたからです。
 飼猫のミケちやんは、
『実はあまり、秋刀魚さんが美味(おい)しさうなものだからですよ。』
 と猫はごろごろ咽喉(のど)を鳴らしながら、秋刀魚の傍に歩るいて来て、しきりに鼻をぴく/\させました。
 魚はいろいろ身上話をして、自分を海まで連れていつて貰ふわけにはいくまいかと、飼猫にむかつて相談をいたしました、猫はしばらく考へてゐましたが
『それぢや、私が海まで連れていつてあげませう、そのかはり何かお礼をいたゞかなければね。』
 と言ひました、そこで秋刀魚は、報酬として猫に一番美味しい頬の肉をやることを約束して、海まで連れていつて貰ふことにしました。
 焼かれた魚は、海へ帰れると思ふと、涙のでるほど嬉しく思ひました。
 そこで猫は焼いた魚を口に啣(くは)へて、奥様や女中さんの知らないまに、そつと裏口から脱けだしました、そしてどんどんと駈け出しました、ちやうど街端(はづ)れの橋の上まできましたときに猫は魚にむかつて
『秋刀魚さん、腹が減つてとても我慢ができない、これぢやああの遠い海まで行けさうもない。』
 と弱音を吐きだしました。魚は海へ行けなければ大変と思ひましたので
『それでは、約束のわたしの頬の肉をおあがりよ、そして元気をつけてください』
 と言ひました。
 猫は魚の頬の肉を喰べて了ふと、どん/\後もみずに逃げてしまひました。
 魚はたいへん橋の上で悲しみました、そして誰か親切なものが通つたなら、海まで連れて行つて貰はうと思ひましたが、さびしい街端(はづ)れの橋の上はなかなか通りませんでした、そしてその日は暮れてしまひました。
 翌朝(あくるあさ)幸ひ早起きの若い溝鼠(どぶねずみ)が通りましたので、魚はこのことを頼んで見ました。
 溝鼠は
『それはわけのない話だ、しかし道程(みちのり)もかなりあるし、私もまだ朝飯前だから』
 と言ひましたので、魚は自分の片側の肉を喰べさして、そのかはりに海まで運んで貰ふ約束をいたしました。
 溝鼠は魚の片側の肉を喰べてしまひました、それから魚の胴に長い尻尾を巻いて引きだしました、その日の夕方にひろい野原につきましたが、溝鼠は
『とても私の力では、あなたを海まで運べさうもありませんから。』
 と言つて、魚を野原に捨てて、どんどん逃げて行つてしまひました。
 魚はたいへん悲しみました。
 その翌朝(よくあさ)、いつぴきの痩せこけた野良犬が野原を通りましたので、魚は海まで運んでくださいと頼みました。
 野良犬は意地悪るさうに、じろりと魚をながめながら
『ふつかも喰べ物をたべない野良犬さまが、から身で歩るいても、ひよろひよろするのに、お前さんなどを遠い海までなど運べるものか、しかし相談によつては、運んでやつてもよいさ』
 と言ひました、魚はそれで溝鼠に喰べられて残つた片側の肉を、この野良犬にやつて、海まで運んで貰ふことにしました。
 野良犬は、秋刀魚の片側の肉を美味しさうに喰べ終へると、魚の頭のところを啣(くは)へて、どんどん海の方角へ馳け出しました。
 野良犬は足も細くて馳けることが、なかなか上手でしたから、路は思つたよりもはかどりました、しかし野良犬は、こんもりと茂つた杉の森まできたときに、魚を放りだして逃げてしまひました。
 秋刀魚はたいへん悲しみました。それに魚の頬の肉は猫にやり、両側の肉は溝鼠と野良犬にやつてしまつたので、肉がきれいに喰べられて魚の骸骨になつてゐましたので、こんどは何が通つても、お礼として肉を喰べさして海まで運んで貰ふことが出来なくなりました。その日は森のなかにねむりました、夜なかに雨が降つてまゐりました、骨ばかりになつた秋刀魚はしみじみとその冷たさが身にしみました。
 その翌日一羽の烏が通りましたので、魚は呼び止めました。
『烏さん、お願ひですからわたしを海まで連れて行つてくれませんか。』
 と頼みましたが、烏はあまりよい返事をいたしませんでした。
 それで魚は背筋のところに、すこし許り残つた肉をあげますからと言ひました。
『そればかりの肉ぢや駄目だよ』
 と烏は言ひましたので、
『わたしのだいじな眼玉をあげませう、もうこれだけより残つてゐないのですもの』
 と魚が悲しさうに言ひました、それで烏は魚の眼玉を嘴(くちばし)で突いてふたつ取りだしました。しかし魚の眼玉は、からからに乾からびてとても喰べられませんでしたが、烏は首飾りにでもしようと考へましたから、これを貰つてぽけつとにしまひこみました、それから背筋の肉やら、体ぢゆうの肉と云ふ肉を探して、きれいに喰べてしまひました。
 けれども皆が喰べた後ですから、烏にはいくらも肉のお礼をやることができませんでした。
 烏は魚の骨をたくましい手で掴んで、どんどんと海にむかつて空を飛びました。
 だいぶ来たと思ふころ、烏は不意に魚を掴んでゐた手を離して一目散に逃げてしまひました、幸ひ魚の落ちたところが柔らかい青草の丘の上でしたから怪我をしませんでしたが、魚はたいへん悲しみました。
『あゝ、海が恋しくなつた、青い水が見たくなつた。白い帆前船をながめたい』
 と、この丘の上で秋刀魚は口癖のやうに言ひました、ふと何心なく耳を傾けますと、この丘の下のあたりで、どうどうといふ岸をうつ波の音が聞えるではありませんか、なつかしいなつかしい波の音が、そして遠くのあたりからは賑やかな潮騒がだんだんと近くの方へひびいてきます。
 烏に眼玉をやつてしまつた魚は、盲目(めくら)になつてしまつたので、そのなつかしい波の音を聴くばかりで、青い水も白い帆前船もながめ見ることが出来ませんでした、そして海風のかんばしい匂ひにまぢつた海草の香などを嗅ぐと、秋刀魚はたまらなくなつて、この青草の丘の上でさめざめと泣き悲しみました。
 魚はまい日まい日丘の上で、海鳴りを聴く苦しい生活をしました。
 或る日のこと、魚のゐる近くにお城をもつてゐる蟻の王様の行列が、魚のつい近くを長々と通りましたので、魚は行列の最後の方の一匹の蟻の兵隊さんにむかつて、自分の身の上を話して海まで連れて行つて欲しいと頼んでみました。蟻の兵隊さんはこのことを王様に申し上げました、蟻の王様はたいへん秋刀魚の身の上に同情をしてくださいました。そして早速承知をして、家来の蟻に海まで運ぶやうに下知(げち)をいたしました。
 蟻は工兵やら、砲兵やら、輜重兵(しちやうへい)やら、何千となくやつてきて魚を運びだしました、烏や野良犬や溝鼠のやうに運ぶのに早くはありませんが、それでも親切で熱心に運んでくれましたから、幾日かのち、丘続きの崖のところまで運んでくれました。
 この崖の下はすぐまつ青な海になつてゐました、魚は海に帰れると思ふと嬉しさで涙がとめどなく流れました、親切な蟻の兵隊さんになんべんも厚くお礼を言つて、魚は崖の上から海に落ちました。
 魚はきちがひのやうに水のなかを泳ぎ廻りました。前はこんなことがなかつたのですが、ともすれば体が重たく水底に沈んでゆきさうになりますので、慌ててさかんに泳ぎ廻りました、それに水が冷めたく痛いほどで動くたびに水の塩が、ぴりぴりと激しく体にしみて苦しみました。
 その上すこしも眼が見えませんので、どこといふあてもなくさまよひ歩るきました。
 それから幾日かたつて、魚は岸にうちあげられました、そして白い砂がからだの上に、重たく沢山しだいにかさなり、やがて魚の骨は砂の中に埋(うづ)もれてしまひました。
 さいしよは魚は頭上に波の響きを聴くことができましたが、砂はだんだんと重なり、やがてそのなつかしい波の音も、聴くことができなくなりました。(大13・8愛国婦人)

青い小父さんと魚(うを)
 あたゝかい南の国の、きれいに水が澄んだ沼の、静かな岩かげの深みに、黄色い上着に黒い棒縞のチョッキを着た、小さな魚の一族が暮らしてゐました。
 なかでいちばん赤いズボンをはいたのが父親で、母親は赤い肩掛をしてゐました。
 娘たちは淡桃色(うすもゝもいろ)のひだ飾りのついた、それは大きなリボンを結んで居りました。
 いちばんの姉(あね)さんの魚は、たいへん活溌で、ことにダンスがそれは上手でした。
 夕暮れになつて、お日さまはだん/\と森陰に沈みかけます。そして、
『沼の愛らしい魚達よ、左様なら。』
 とはるかな夕焼けの空から、金色のあいさつを沼の水面に投げかけるころ。
 姉さんの魚はきまつて何時(いつ)も、水面に浮んでまゐりました。
 そしてこの金色(こんじき)のさゞ波にくるまつて、それは上手に踊るのでした。すると夕暮れの風は、急にはしやぎ出しますし、沼の周囲(まはり)の草木もさかんに拍手をいたします。
 この姉娘の一家はむろんのこと、沼中の魚がみな、水底で夕飯がすむと、水面にうかんできてこの娘さんの、上手なダンスをながめるのでした。
 姉娘は、きれいな金色の波にくるまつて、すい/\と水面に、できるだけたかく跳びあがりました。親達はまたたいへん姉娘の踊り上手をじまんにして居りました。
 いちばん末の妹娘の魚は内気な性分でしたから、あまりダンスなどを好みませんでした。それでたつたひとりぼつちに、水のつめたいゆるやかな水底の砂地に坐つて、水草で赤と青のショールをあんだり、細かな七色の石をあつめて首飾りをつくつたり、ときどき誰もゐない水面にうかんで、小さな声で歌を唄つたりして遊ぶことが好きでした。
 或る日妹娘が、いつものやうに、水面に小さな可愛らしい口を、ぽつかりと出して独唱をやつて居りますと、ふいに沼岸の草原にがさ/\と音がしました。
 それは妹娘のいまゝで一度も見たことのないやうな、奇妙なかたちのものでした。
 青いきら/\と光つた服(きもの)をきて、絶えずからだをゆすぶりながら歩るきます。その不思議なものは沼岸のところまでやつてきて、ぴんと頭をあげながらなれ/\しく、
『淡桃色(うすもゝいろ)のリボンをつけたお嬢さんよ、なんといふ、美しい声をおもちでせう。水の中にすんでゐる鶯のやうだ。』
 かう魚に言葉をかけました。
 魚はあまり不思議な姿をしてゐるものですから、
『貴方は、水の魚、それとも陸(をか)の魚、青い小父さんはなあに。』
 とたづねました。
『青い小父さんは、水の魚だよ、あまり退屈なものだから、かうして土の上を散歩をしてゐるのさ、』と青い小父さんは答へました。
 魚はびつくりしてしまひました。それは水に住む魚が、陸(をか)の上を散歩をするなどゝは、いまがいまゝで知らなかつたからです。
『水の魚が土の上を歩るかれるのかしら。』
 魚はあまり不審なものですから、つい独語(ひとりごと)のやうに言ひました。
『そりや、いくらでも土の上を歩るけるさ、水の中を歩るくやうな、楽なことはないがね、それでも柔らかい青草の寝床もあつたり、まつかな果物が実つてゐたり、小羊といつしよに広つぱにあそんだり、小鳥の家(うち)に招待されてごちそうに、なつたりしてゐると、少し位の疲れたのは忘れてしまふよ。』
 かう青い小父さんは話しました。
 それから陸の上の景色は、水の中の景色よりずつと美しいことから、花園にすむ蝶々のはなし、人間の街と馬に乗つた兵隊さんのはなし、楽器の巧みな昆虫達のはなし、その他さま/゛\のおもしろいことを、青い小父さんはゝなしてくださいました。
 魚はちよつと散歩をして見たいやうな気持になりました。
 青い小父さんは、最後に魚に散歩をして見よう。案内は私がしてあげませうと、盛んにすゝめました。
 青い小父さんは、自分が水の魚であるといふことを証明するために、水の中にはひつてさかんに泳ぎ廻りました、そのまた泳ぎ方が非常に上手で、どんなに姉さんが巧みに踊りながら泳いでも、とてもこの青い小父さんの足もとにも追(おひ)つかないほど、しなやかな体をして泳ぎました。
 妹の魚はふと青い小父さんの体のどこにも、魚のもつてゐる鰭のないことに気がつきました。
 妹娘は急に怖くなつたので、いつさんに自分の家に逃げ帰りました。
『あゝ怖かつた、わたしは魔法使の魚にあつたの。』
 かう言つて家に帰つた妹娘の魚は眼をまんまるにしながら、くはしく様子を物語りました。
『まあなんといふ不思議な魚なんだらうね。』
 母親の魚は言ひました。
『このとしになるが、ついぞ見たことのない魚だなあ……。』
 父親の魚はしきりに頭を傾けて考へました。姉娘はたいへんはしやいで、明日は沼の岸に行つて、是非この美しい青い小父さんに逢つて、お友達になつていたゞかなければならない、ことにダンスが上手だといふのなら、わたしと青い小父さんと、どちらが上手か踊りくらべて見なければならないと言ひました。妹は姉にむかつて、その青い魚はきつと悪魔か、魔法使にちがひないからとしきりにとめましたが、姉娘はきゝませんでした。
 その翌日、姉娘の魚は沼の岸に行つて、さかんに踊りながら、青い小父さんの来るのをまつて居りました。
『淡桃色(うすもゝいろ)のリボンをつけたお嬢さんよ、なんといふ踊りの巧みなことでせう。水の中にすんでゐる、蝶々のやうだ。』
 かう言つて沼岸のしげみから出てきましたのは、妹のいつた青い小父さんでした。
 姉娘の魚は、すつかりこの青い小父さんと仲善しになつてしまひました。姉娘はじつと青い小父さんのダンスを見て居りました。
 なんといふしなやかな体でせう。
 青い小父さんは、つまさきで立つて、空にむかつて棒のやうな体にしたり、からだをくる/\と石ころのやうに小さくして[#底本は「小さくて」]しまつたり、沼岸の柳の枝にからだを巻つけたり、それはさまざまな舞踊やら曲芸やらをやりました。
 しまひには姉娘の魚と手をとりあつて、水の上でダンスをやりました。
 青い小父さんの鱗(うろこ)は、それはこまかで、お日さまの光をうけてきら/\と青く輝きました。それから、かなり暫く青い小父さんと魚とは、きちがひの様になつて、水の上でダンスをやつてゐました。

 それから五六日も経つたけれども、姉娘は沼底の家に帰つてきませんでした。
 両親や兄妹たちはたいへん心配して沼の中を探しましたがみあたりません。妹娘の魚は魔法使の青い小父さんにきつと、姉さんは連れて行かれたに、ちがひないと信じました。
 それから五日程して、よく沼岸の砂地にあそびにくる、尻尾(しつぽ)の短い赤い小鳥が姉さんの居処をしらしてくれました。
『この沼から十間程はなれた、青い草の寝床によくねむつてゐましたよ。』
 赤い小鳥はいひました。
『まあ、あの子は何処へでもよく歩るき廻る子でね。』
 母親は姉娘の居処が知れましたのでうれしさうに小鳥にむかつて言ひました。
 それから五六日して、沼岸に赤い小鳥があそびにきましたので、
『あの子は、まだねむつてゐるでせうか。』
 父親はかう小鳥にむかつてたづねました。
『よくねむつてゐますよ、黄色い上着もなにもぬいでしまつて、まつ白い体をしてね。』
 小鳥はいひました。
『風邪をひいては困るのにね。』
 母親はちよつと心配さうな顔をして言ひました。
 それから五六日経つて、沼岸に赤い小鳥が来ましたので親達はまた、
『姉娘はまだねむつてゐるでせうか。』
 と質(たづ)ねました。赤い小鳥は、
『ずいぶんよくねむつてゐますよ。眼玉がとけて了ふほどね。』
 と答えました。
『まあ、なんといふ呑気(のんき)な、幸福な子だらうね。』
 黄色い魚の一家のものは、みな安心したといふ風に、沼の水底の家に帰つて行きました。しかし妹娘の魚だけは、なにかしら悲しい気持がこみあげてきましたので、さめ/゛\と沼岸にいつまでも泣いて居りました。

 いまでも姉娘の魚は青草の上にねむつてゐるといふことです。そして青い小父さんが、なんといふ名前の魚であるか、黄色い魚の一家はいまでも不思議に思つてゐるといふことです。(大14・1愛国婦人)

お嫁さんの自画像
 トムさんのことを村の人達は、馬鹿な詩人と、言つてをりました。
 トムさんは、無口で、大力で、正直で、それにたいへん働きました、たゞひとつ困つたことには、畠に出て仕事の最中に、いろいろなことを空想し、それからそれと空想し、しまひには、まとまりがつかなくなつて、べたりと地べたに坐り込んで、頭を抱へたきり動きません。村の人達は、これを見て『ああまた馬鹿な詩人が何か考へてゐるな。』と笑つて通りすぎます。
 トムさんは、いままでにお嫁さんを三人も貰ひましたが、トムさんがこんな具合に、畠に出て行つては、考へこんでばかりゐて、仕事が他の農夫の半分も、はかどらない始末に呆れ果て、みな逃げ帰つてしまひました。
 それでトムさんも、もうお嫁さんは貰ふまいと決心してゐました。
 村の人も、またトムさんのところへならお嫁さんにやらないと言ひました。
 或る日、トムさんが畠に出て、一鍬土を耕して、じつと鍬の柄に凭(もた)れ、ぽかんと口をあけて空想にふけりました。
 あの芋の種が、青い芽を出して、その芽が葉を出して、その葉がだんだん横にひろがつて、しまひには、村中の屋根も道路も、私の芋の葉に、くるまれてしまひ、その茎のいたるところから根がついて、果ては海も山も、世界中が、芋の葉のために、お日さまが見えなくなつてしまふ、そこで世界各国の王様が協議を開いて、かうだんだんと芋が繁つてくるといふのは、何処かに、すばらしく大きな芋の王様が住んでゐて、その親根(おやね)からかうたくさん殖えてくるにちがひない、さつそくその芋の王様を探しだせと、数百万の兵隊を繰り出す、しかし其の頃は地の底は、芋の根だらけで、まさかこのトムさんの畠に、芋の親根があるとは気づかない。
 世界の王様が困りはててゐるところに、トムさんは『私は芋の王様です。』と名乗りをあげる。そこで世界の王様は、『これは/\芋の王様、かう日増(ひまし)に芋の葉が繁つていつては、しまひには、私達の呼吸(いき)がつまつてしまひます、いつこくも早く、世界中の芋の葉を、枯らしていただきたい。』と頼みこむ、そこで私は家(うち)へ帰つて、畠の親芋を掘りだしてしまふ、すると世界中の芋の葉がみな赤く枯れてしまふ。わたしはこの功労によつて、世界の王となる、トムさんはこんな具合に、つぎからつぎと、いろいろな空想を描くのでした。
 そのときトムさんの頭の上の青空を一群の白鳥が、南の湖の方へとんで行きました。
 トムさんはこれをみつけて、『やあ綺麗な白鳥達だな……あの太つたのが白鳥の王様だな。すらつとひときは首の長いのが王妃さまだな、まんなかの一番色の白いのがお姫さまだな、あーあもう私のところには、お嫁さんが来ないかしら、もし来られるなら、あの白鳥のお姫さまでも我慢をするがなあ。然し私の家は年中焚火ばかりしてゐるから、あの雪のやうに白い、白鳥のお嫁さんのお衣装が、汚なく煤けては可哀さうだな。』こんなことを考へて居りますと一羽の鳥[#底本の「烏」を変更]が『トムさんの馬鹿。』と吐鳴(どな)つて、トムさんのつい鼻先へ石ころを、落したので吃驚(びつくり)して、思ひ出したやうに、またひと鍬土を耕しました。
 トムさんは今度は、森蔭の白い王城をながめました。
『私は一生のうちに、たつた一日で良いから、あの王城に暮らす身分になつて見たいものだ、純金の王冠をかむり黄金(こがね)づくりの太刀を佩(は)き、白い毛の馬に跨り、何千人もの兵士を指揮して見たいものだな、しかし私には、この国の王様のやうに、白い立派な長い髭がないぞ、よしよしその時は夜店で買つてきてやらう。』こんなありさまですから一日かかつても、やつと一畦(ひとうね)くらゐよりできませんでした。
 その夜近年にない大暴風で、トムさんの家の屋根は、いまにも吹き飛ばされさうな、激しさでした。
 トムさんはあまりの物凄さに、炉の焚火によつて、小さくふるへて居りました、するとこの激しい暴風雨の中にトントンと表戸を叩くものがありました、トムさんは不審に思ひながら、そつと戸を開きますと、雨風といつしよに一人の若い女が室(へや)の中に転げこみました。
 女は白い羽で出来た長いマントを着た、それは美しいひとでした、女は南の国のある王のお姫さまで、たくさんの家来をつれて旅行をいたしましたが、丁度この土地へきかかつた時、暴風雨に襲はれて、家来とちりぢりになつてしまつたのですと、トムさんに語りました。
 その翌日、すつかり暴風雨が収まつたのですが、お姫さまは出発しようとはしません、その翌日も、そのまた翌日も帰らうとはしません。
 或る日お姫さまはトムさんにむかつて『何卒、わたしを、あなたのお嫁さんにして下さい』
 と頼みました、トムさんは大喜びで早速承知をいたしました。
 村の人達は馬鹿な詩人の美しいお嫁さんを見て吃驚(びつくり)しました、しかし心のうちでは、あのお嫁さんも、三日経たぬ内に逃げだしてしまふわいと思ひました。
 お嫁さんはたいへんよく働きました。その手が柔らかくお上品にできて居りましたから、畑を耕したり、荒仕事ができません、そのかはり針仕事をしたりお料理をしたりすることが、たいへん上手でした、トムさんはまた、一粒の豆でも半分に分けて喰べるやうに、仲善くしましたので、お嫁さんも満足をいたしました。
 ところがトムさんが働きに出かけますが、ものの一時間も経たぬうちに、さつさと仕事を止(よ)して帰つてきてしまひます。
 それはもしも、トムさんの不在に、たいせつなお嫁さんが、鼠にひいてゆかれたり、犬にくはえてゆかれたりしては大変だと、心配になつて仕事が手につかないからです。
 トムさんは、このことをお嫁さんに話しますと、お嫁さんは、それではよいことをしてあげようと言つて、鏡をもつてきました。
 この鏡に自分の顔をうつして、これを見ながら一枚の紙に自分の顔を描きました。
 この自画像がまた、それは上手にかかれて、生きてゐるやうに見えました。一本の竹きれをもつてきて、この先をちよつと割つて、このお嫁さんの自画像をはさみました。
 トムさんは、お嫁さんに言はれたとほり、この竹の棒を、畠の畦の、いちばん向うの土に立て、こつちの方からこの画をながめながら、耕しはじめました。
 お嫁さんの自画像は、いつもにこにこ笑つてゐました。
 お嫁さんの自画像のところまで耕してくるとこんどはこの自画像を第二の畦の、反対の向うはじに立てて、こちらからせつせと耕してゆきます、ですからその仕事のはかどることと言つたらたいへんです。
 村の人はちかごろのトムさんの働きぶりに眼をまるくしてゐました。
 ある日大風がふいてきて、このお嫁さんの自画像を吹きとばしてしまひました。
 自画像は、ひらひらと風に舞ひあがつて、どこまでも飛んでゆきます。
 トムさんは、はんぶん泣きながら、『お嫁さん待つてくれ。やーい。』『お嫁さん。やーい。』と叫びながら、どこまでも追ひかけました。
 とうとうお嫁さんの自画像は、王城の塀(かべ)の中に落ちてしまひました。トムさんは泣く泣く家に帰りました、そしてその訳をお嫁さんに話しました、お嫁さんは『あんな絵はいくらでもかいてあげませう。』とトムさんをなだめました。
 お城の塀(かべ)の中に落ちた自画像は、兵士が拾つてこれを王様に差上げました。
 王様はこの画をひとめ御覧になつて、あまりの美しさにお驚きになりました。
 いたつてわがままな王様は、まだお妃(きさき)がありませんでしたから、この画(ゑ)の女を、是非探し出して連れて参れと、一同の兵士に厳重に命令いたしました。
 城中の兵士が総出で探したあげく、この画の主はトムさんのお嫁さんとわかりました。
 王様はトムさんに『余の妃に差出すやうに。』と命令いたしました。
 万一命令をきかなければ、トムさんの首を切りかねない権幕なので、トムさんは悲しくなつて泣き出しました。
 お嫁さんは『さあ泣いてはいけません、私達に運が向いてきたのです。私はこれから王様の妃になります、しかし心配をしてはいけません、私はあなたの永久のお嫁さんです。私が王様の御殿へいつてから、近いうちに、お城の門が開かれる日が御座います。その時に一番目立つた汚ないぼろぼろの服をきて、城門のまぢかに、見物にまぢつて、立つてゐてください。』かう云つてお嫁さんは、王様の家来に連れて行かれました。
 昔からこの国では、三年に一日だけ大きな城門を全部押しひらいて、臣民に城の内部をみせる習慣になつてゐるのです。
 その日は王様を始め何千といふ家来達が、ふさふさの赤い帽子をかむつたり、金の鎧を着たり、色々な盛装して[#「色々に盛装して」または「色々な盛装をして」と思われる]門の中の床几に、腰をかけるのです、人民たちは門の中には入ることが、出来ませんが、城門の傍(そば)まで立ちよつて中を見ることが出来るのでした、そして午後の五時になると、重い鉄の扉がガラガラと閉ぢてしまふのです。
 果してトムさんのお嫁さんの言つたやうに、城門開きの、おふれが人民に伝はりました。愈々当日になりますとトムさんは、乞食のやうな、汚ないボロ/\の服を着て、顔には泥を塗つて杖をつき、腰をかがめて、お嫁さんに言はれたとほり、見物人の一番前に出しやばつて、お城の門のひらかれるのを待つて居りました。
 やがて時間が来て、城門は大きな響きをたてゝ、がらがらと開かれました。
 みると王様は、けふを晴れと、りつぱな金の冠に、ぴか/\の着物を着飾つて、ゆつたりと床几に腰をかけてゐます。その傍にはトムさんの夢にも忘れることの出来ない可愛ゆいお嫁さんが、今ではりつぱなお妃となつてみな白鳥でできた、純白の上衣(うはぎ)をきて、坐つてゐるではありませんか。トムさんは悲しいやら、情ないやら、王様が憎らしいやらで、胸がいつぱいになり、涙をためた眼で、じつとお嫁さんをながめました。するとお嫁さんもトムさんの顔を見て、につこり美しく笑ひました。
 王様はたいへん喜びました。それはトムさんのお嫁さんが、妃になつてから、いちども笑つたことがないのに、いま笑つたのを見たからです。
『これ妃そなたはいま笑つたではないか、何を見て笑つたのか、さあいま一度笑つてみせて呉れ。』と言ひました。
 お妃はトムさんを指さして『王様あれを御覧なさい、なんといふ滑稽な姿の乞食でせう。もし王様があの男の着物をきて、あの男のかはりにあそこへお立ちになつたら、どんなにお可笑いことで御座いませう。』と申しました。
 王様はいま一度妃の笑顔をみたいばつかりに、トムさんを御前に呼び出して、王様のりつぱな着物を着せて、お妃の傍へ坐らせ、自分はトムさんの着てゐた、ボロボロの服をきて、杖を握つて、城門の外の、見物の中にお立ちになりました。
 しかしいつまでたつても、トムさんのお嫁さんのお妃は、すこしも笑ひませんでした。
 王様はお妃の笑ふのを、いまかいまかと待つてをりました。しかしお妃は笑ひません。
 そのうちに門を閉ぢる時刻の、午後五時がきて城門は閉ぢて了ひました。
 そこで王様はまんまと城外に追ひ出され、馬鹿な詩人のトムさんが、王様と早変りをしてしまひました、城の兵士たちも、王様のわがままを憎んでをりましたので、誰もみな喜んだくらゐです。
 不思議なお嫁さんは、いつかトムさんが空を仰いでながめた白鳥のお姫さまでした。(大14・4愛国婦人)

たばこの好きな漁師
    一
 南の暖かい国の海岸に、茂作(もさく)といふ若い漁師が住んでをりました。
 茂作はたいへん力が強く、乱暴者でそれに村でも有名な、なまけ者でありましたので、誰も村の人達は、対手(あひて)にいたしませんでした。村の人達は、茂作のことを、けむり[#「けむり」に傍点]の茂作と呼んでをりました。
 それは遠くの方から茂作をながめると、茂作がけむりに包まれてゐるやうに、見えるからでした。
 それほどに茂作は、煙草が大好物で朝から晩まで、一日中、ぷかり/\と煙草を吸つてをりました。
 村の人達が、夜になつて、それぞれ元気に艪拍子(ろびようし)をあはせて、えつさ/\と沖の方に烏賊(いか)つりにでかけました。
 茂作は、みなの者が夜釣りにでかけるのに、そのころには、早くから寝床の中にもぐりこんで家中を、もやのやうに、煙草の煙でとぢこめて、その煙のなかに、茂作は大あぐらを組んで、煙草を吸ふことに懸命でした。
 ときどき思ひ出したやうに、仲間の漁師達と烏賊釣りにでかけることがありました。そんなときは、茂作は烏賊を釣りあげるよりも、長いきせる[#「きせる」に傍点]に煙草をつめて、吸つてゐる方が多かつたものですから、他の漁師達の半分も烏賊を釣ることができませんでした。
 すると、こんなときには、茂作は自分のなまけてゐることを棚にあげて、漁の少ないことに腹をたてて、船をむかうの船に、わざと打ちつけてみたり水面を掻き廻したり、それはさんざんに、邪魔をいたしますので、誰ひとりとして村の人達は、茂作を憎まない者がありませんでした。
 茂作は、それほど怠け者で、あばれ者でありました。
 或る日、茂作は村の人達が漁にでかけてゐるのに、自分は家の中で、寝床から半身を乗り出して、いかにもなまけ者らしい顔をしながらおいしさうに長いきせる[#「きせる」に傍点]でのんきに煙草を吸つてをりました。
 すると不意に、茂作の家の屋根のあたりでそれは/\大きな声で、つづけさまに、二つ三つ嚏(くさめ)をするものがありました。
 茂作はあまりだしぬけでありましたのでびつくりいたしました。
『これは大変だ』
 かう言つて茂作は、むつくりと飛び起きて戸外にでてみました。それは茂作は、きつと風邪をひいた泥棒が、屋根の上に忍んでゐると思つたからでありました。
 しかし屋根の上には、嚏の主はをりませんでした。あたりをぐるぐると見廻しましたが、静かな寝しづまつた夜でありました。
 それは美しい月夜でありました。とほくの沖合には、ずらりと列をつくつた、烏賊釣舟の燈(ひ)が、ちやうど電気玉をならべたやうにみえ、そして、茂作の屋根の上のあたりの空には、きれいな金色の尾をひいた箒星(はうきぼし)がひとつ、きらきらと光つてをりました。
 茂作は、ぶつぶつと不平を言ひながら家の中にはひつて、またごろりと横になつて、煙草を吸ひました。
 すると翌晩また大きな声で、茂作の家のうへで、つづけさまに嚏をする者がありました。
 茂作は、自分の家の屋根を念入りにながめましたが、やはりその声の主の影も姿も見えません。
 そして前夜のやうに美しい月夜で、とほくの沖合には烏賊釣の燈がならびきれいな金色の尾をひいた箒星がひとつ、茂作の家の空に、きらきらと光つてゐるばかりでした。
 その翌晩も、翌晩も夜になると茂作の家の屋根のうへで、続けさまに、大きな大きな嚏がきこえましたがその声の主は見えませんでした。
『なんといふ不思議なことだ』
 茂作は少々うす気味が悪るくなつてきました。

    二
 しかし大胆な男でしたから、どうかしてこの不思議な嚏の主をみつけてやらうと考へましたので四日目の晩から屋根の上に布団をしいて、徹宵(よどほし)張り番をしながら寝ることにきめました。
 ちやうど七日目の夜のことでした。
 茂作が屋根の上の寝床でとろりと、まどろんだと思ふころ、ふいに頭の上で、つづけさまに嚏をする者がありました。けふこそはと待ち構へてゐた茂作は、ぱつと大きな眼をひらきました。
 とたんに茂作は、あやふく屋根の上から転げ落ちるほどにびつくりいたしました。
 茂作のつい頭の上に、白い雲にのつた美しい天女がうすもの[#「うすもの」に傍点]の袖を風にひるがへしながら、大きな大きな嚏をつづけさまにしてゐるではありませんか。
『これは、これは美しい箒星のお姫さま』
 茂作は思はず、雲の上の天女をみあげながら叫びました。
 それはその美しい天女がふさ/\とした金の毛の三間柄(げんえ)もあるやうな長い箒をもつてゐましたので、すぐに箒星のお姫さまと思つたのでありました。
 茂作の思つたやうに、天女は箒星であつたのです。
 箒星は、屋根の上の茂作の声に、びつくりして雲にのつて、たかく空にのぼりながら、
『わたしは、煙草の匂ひが嫌ひです。』
 かう言つて、雲の上でつづけさまに大きな嚏をいたしました。
 そして長い柄の金の箒を、上手に使ひながら夜の空を、きれいに掃き清めだんだんと、遠くの空に行つてしまひました。
 箒星の天女の美しさに、茂作はしばらくは、魂のぬけた人のやうに、ぼんやりと屋根のうへに立つてをりました。
 その翌晩、茂作は背中に大きな模様のある大漁祝に、村の人から貰つた、新しい浴衣(ゆかた)を着て屋根のうへにあがりました。
『箒星のお姫さま、どうぞ茂作のお嫁さんになつて下さい。』
 茂作は、大きな掌を空にささげながら、箒星の通るときかう言つて、お願ひをいたしました。すると箒星は
『わたしは、煙草の匂ひが嫌ひです』
 と言ひながら、つづけさまに大きな嚏をしながら、夜の空を掃き清め、だんだんと遠くの空に行つてしまひました。
 翌朝茂作は裏の竹林から、長さ二間ほどの太い竹を伐つてまゐりました。
 その竹の節をぬいて長いきせる[#「きせる」に傍点]をつくりました。
 茂作は箒星が自分のお嫁さんになつてくれなかつたので腹をたてたのでした。そして箒星を煙ぜめにして下界に落し金の箒をうばひとつて、その金の箒を古道具屋に売つてお金持にならうと思つたのでした。
 その夜茂作は、長い竹のきせる[#「きせる」に傍点]に、どつさりと刻煙草(きざみたばこ)をつめこんで、箒星のお姫さまの通るのをまち構へました。
 箒星の通りかかつたとき、茂作は用意の竹のきせる[#「きせる」に傍点]で一生懸命になつて、煙を空にふきかけました。
 箒星のお姫さまは、つづけさまに二三十も雲の上で嚏をいたしましたが、苦しまぎれに、自分の乗つてゐた白い雲の上から足を踏みはずして、あつと言ふまに海のまん中に、ざんぶとおちてしまひました。

    三
『しめたぞ、箒星が海に墜ちた。』
 茂作は、こをどりして喜びました。
 さつそく小舟にのつて、茂作は海へ乗りだしました。そして箒星のをちたと思ふあたりに錨(いかり)ををろして、すつ裸になつて、海の中にもぐりました。
 茂作は、深い海の底を、あつちこつちと泳ぎながら探し廻りましたが、金の箒はみつかりませんでした。
 みつからないのも道理です、箒星の天女だけは、まつさかさまに、海の中におちましたが、天女の手にもつてゐた金の箒は雲の上に残つてゐて、雲は箒をのせたまま、とほくの空に流れて行つてしまつたのでした。
 さうとも知らず茂作は、海の底を、血眼(ちまなこ)になりながら金の箒を探してをりますと、ふいにあつちこつちの海草のなかから、星のかたちをした赤い色の魚とも虫ともつかないものがたくさん現れてまゐりました。
 そして海の中の星のやうに、きらきらと光りながら、
『恨めしい茂作さん、わたしを天から墜(おと)したね。』
 かう言つて泣きながら、その星のやうなものは、茂作の背中にぴつたりと吸ひつきました。
 茂作はびつくりして水面にうかびあがり、船にのつて逃げ帰りました。
     *
 村の人達は、その夜いつものやうに艪拍子も賑やかに、沖の釣場にむかつて漕ぎだしました。
 かがり火を昼のやうにあかるく、船腹をづらりとならべて、鼻歌をうたひながら釣針を海に投げました。
 すると油のやうに静かな海の面(おもて)が、急にざわざわと、さわがしくなつてまゐりました。
 そして、それは数知れないほど、たくさんの、漁師達が、ついぞ見かけたことのないやうな、名もしれぬ不思議なものが、水面で星のやうにきらきらと光りました。
 そしてこの星のやうな形のものは、漁師の投げた烏賊釣針に、われさきに争つて喰ひついてあがりました。
『恨めしい茂作さん、わたしを天から落したね。』
 かう言つて、その星のやうなものは釣りあげられた船の板子の上で、身を悶えてころがりながら、さめざめと泣きました。
 漁師は吃驚(びつくり)して尻餅をつきました。
『わしは茂作ぢやない、茂作は陸(をか)にゐるよ』
『これは大変だ、人違ひだ、茂作ぢやない』
 と漁師達は、釣竿を海に投げすてて陸(をか)に逃げかへりました。
 そのことがあつてから、漁師達の釣針に喰ひつくものは、この星の形をした赤い気味の悪い海星(ひとで)ばかりとなつていつぴきの烏賊も釣れなくなりましたので、村はみるかげもなくさびれてしまひました。(大14・11愛国婦人)

親不孝なイソクソキ
 けだもの達も、鳥達も、大昔は、たつた一人の母親に、養はれて居りました。
 母親はたいへん皆を優しく、同じやうに可愛がつて居りました。
 ある日、小川の流れた野原に、たくさんの鳥達が集つて、さかんにお化粧をはじめました。烏はせつせと藁で、自分の体をこすつて、黒くつや/\と磨きますし、山鳩は小川の浅瀬で、しきりに体を洗つてゐました。
 其のほか鴨や、山鳥や、シギや、岩燕(いはつばめ)や、鴎や、あらゆる鳥達が、小川の岸に集つて、口の周囲(まはり)を染めたり、羽を洗つたり、白粉をつけたり、紅をつけたり、手をそめたり、熱心に化粧をしてゐるのですから、その賑やかなことといつたら、ちやうど海水浴場へ行つたやうな賑やかさでした。
 かうした騒ぎの最中に、一羽の鳶の子が、転げるやうに飛んできて
『みなさん。大変ですよ、母さんが急にお腹(なか)をやみだして、悪いんですよ』と告げました。
 鳥達は母親の危篤と聞いて吃驚(びつくり)して、あわてて川からあがるものや、化粧道具を片づけるものや、それはたいへな騒ぎとなりました。
 なかでもふだんから、いちばん親孝行な、アマム・エチカッポ(雀のこと)は、いま小さな壺をもつて、口をそめてゐた最中に、この知らせを聞いたものですから、
『わたしお化粧どこぢやないわ』と言つて墨のはひつた、いれものをぽんと後に投りました。
 そしてたいへん慌てながら、傍(わき)に化粧をしてゐた、おめかし屋のイソクソキ(啄木鳥(きつつき)のこと)にむかつて、
『さあ、母さんの病気です。いそいで参りませう』と言ひました、するとイソクソキは
『お腹の痛いくらいなら、大丈夫よ、わたしお化粧が、いますこしで終へるんですもの。』
 かう言つて動かうとはしませんでした。
 アマム・エチカッポは、イソクソキにはかまはずに、母親のところへ、どの鳥よりもまつさきに馳けつけましたが、親不孝なイソクソキは、どの鳥よりも、いちばん後(おく)れて来ました。
 皆の馳けつけた頃には、母親の腹痛は、だいぶよくなつて居りました。
 母親はアマム・エチカッポが、誰よりもまづ先に飛んできて呉れたので、たいへん喜びました。

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