小熊秀雄全集-22
著者名:小熊秀雄
[目次]
星野博士(ほしのはかせ)
火星(くわせい)への通信(つうしん)
火星(くわせい)の運河(うんが)
火星(くわせい)に人間(にんげん)が住(す)んでゐるか
空中飛行(くうちうひかう)
火星(くわせい)の首都(みやこ)ミルチス・マヂョル市(し)
大歓迎会(だいくわんげいくわい)
腹痛(はらいた)
トマト騒動(さうどう)
火星(くわせい)の看護婦(かんごふ)さん
地球(ちきう)に向(むか)つて
テン太郎(たらう)の報告(はうこく)
人間(にんげん)のヒゲと猫(ねこ)のヒゲ
コオロギと蛙(かへる)
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星野博士(ほしのはかせ)
○
テン太郎や お昼(ひる)のおべんとうを 天文台(もんだい)のお父(とう)さんに とどけておくれ
ハイ 行つてきます
○
ニヤン子とピチクン 僕(ぼく)についてきたまへ
天文台をみせてくれる?
テン太郎さん ぼくもついてゆきますよ
○
さあ みんなでそろつて でかけやう
足(あし)なみ そろへて
一二 一二
○
ピチクン あんまり鼻(はな)をくつつけては いけないよ
だつて いい匂(にほ)ひがするんだもの
あら ほんとだ 匂ひだけかぐのは つらいわね
○
あれが天文台(もんだい)だ あそこでお父(とう)さんは 星の世界(せかい)の研究(けんきう)をなさつてゐるのだ
月や星を見る望遠鏡(ばうゑんきやう)は あのまあるい屋根(やね)の やうな所にあるのよ
ニヤン君(くん) よくしつてゐるね
○
小使さんがゐるかしら
きれいな建物(たてもの)ね
屋根(やね)の上で なんだかくるくる まはつてゐるね
○
小使さん お父(とう)さんの所へ おべんとうをもつてきました
わたしも おともしたんだわ
これは これは 星野(の)博士(はかせ)のぼつちやんですか 博士は研究室(けんきうしつ)の方です
○
ぢや ぼくたち 中に入つてもいゝですね
あゝ ええですとも その長いらうかを通つて 突(つ)きあたりの丸(まる)い建物です
○
あそこだな
あらまあ
ずゐぶん長いらうかだなあ
○
ここがね お父(とう)さんがゐらつしやる 火星研究室(くわせいけんきうしつ)だよ
火星といふのは 人間(げん)がすんでゐるといふ 星のことだわね
さうだよ
○
あら 向ふにつづいてる丸(まる)い円筒(ゑんとう)のやうな建物(たてもの)はなにかしら
あの建物は、火星へ飛(と)んでゆく、ロケットの格納庫(かくなふこ)なんだ
ちよつとのぞいてみたいわね
○
テン太郎さん ちよつと、まつて なんだか中の様子(やうす)がへんですよ
ほんとにへんだわ
さうかしら ぢや、ニヤンちやん調(しら)べてくれ給(たま)へ
○
あらまあ おどろいた 大変(へん)だわ
○
(ドタバタ ドタバタ)
なかで 何か起(おこ)つたの
早く 降(お)りてくれ、何があつたか、しらしてくれ
○
どうしたんだ ニャンちやん
研究室の中では、ヒゲの引(ひ)つ張(ぱ)り合ひよ
それぢや、喧嘩(けんくわ)を、してゐるの
○
さうなのよ テン太郎さんのお父(とう)さんと月野(の)博士(はかせ)とが
それは大変だ のぞいてみやう
それがいい
○
この窓(まど)からのぞいてみやう シーッしづかにしづかに
あらまあ
へんな喧嘩(けんくわ)だな
○
わしは、どうしても 火星(くわせい)には人間(げん)が をらんと思ひますのぢや
いや、ちがふ 火星には人間がをりますよ
○
これはけしからん わしのヒゲを引(ひ)つぱつて
わしのヒゲも あなたに引ッぱられてをりますのぢや
○
ヒゲがぬけてしまつても わしはわしの考(かんが)へを変(か)へません
わしは首がぬけても さう信(しん)じてをりますわい
○
これではいつまでたつてもケリがつかん 研究(けんきう)をつづけませう
さやう 研究がだいいちです 月野(の)さん、わしのヒゲを離(はな)して下さい
○
これは失礼(しつれい)
わしこそ 失礼しました
○
星野(の)さん あなたはたいへんヒゲが御自慢(ごじまん)のやうですな
あなたのこそ美事(みごと)ですよ わしが、ひつぱつて台(だい)なしにしましたわい どれ櫛(くし)をもつてをりますよ
○
これは恐縮(きようしゆく)の至(いた)りです
いや、どうも お互(たが)ひさまで
○
ヒゲを引(ひ)つぱつてゐるときは どうなるかと思ひましたよ
そつと降(を)りやう いや、おどろいてしまつた
ほんとに心配(しんぱい)したわ でも仲直(なかなほ)りしてよかつたわ
○
お父(とう)さん お昼(ひる)のお弁当(べんたう)をもつてきました
○
おお テン太郎か
おや ニャン子にピチも御苦労(くろう) 入り給(たま)へ
○
これは坊(ぼつ)ちやん やあ、いらつしやい いま貴方(あなた)のお父さんと床屋(とこや)ごつこをやつてゐましたわい
全(まつた)くその通り アハハ
ウフフ
ウフフ
ウフフ
○
けふのお弁当は何んぢや これはノリで包(つつ)んだおにぎりぢやなあ
何ぢや君たちは なにがそんなにおかしいのぢや
ウフフ クス クス
○
月野(の)さん ひとついかが
ほほう これはわしの大好物(かうぶつ)でして ひとつちやうだい致(いた)しませう
○
ええと これが火星(くわせい)だとしますと
○
火星の運河(うんが)の問題(もんだい)ですかな
左様(さやう) 望遠鏡(ばうゑんきやう)でみますと 河(かは)はみんなまつすぐに見えますね
○
火星人(じん)が造(つく)つたものだといふんですな
その通り 火星の運河は 洪水(こうずゐ)とか噴火(ふんくわ)とかの自然(しぜん)の力で出来たとは思へませんね
○
それはちがひますよ、あまり地球(ちきう)から遠いので 直線(ちよくせん)にみえるだけですよ
それは ちがひますな
○
現(げん)に写真(しやしん)にも まつすぐにうつりますからね
写真や望遠鏡は まだ完全(くわんぜん)ではありませんな
あら、また始(はじ)まりさうだぞ
いまにどつちかがヒゲをひッぱつてよ
これは天候(てんこう)険悪(けんあく)だぞ
○
星野さん あなたはどうも強情(ごうじやう)でよろしくない
貴方(あなた)こそ強情ですわい
あらあら
とうとう ヒゲををひつぱつたい
アハハ おかしい おかしい
○
あつ これはとんだ失敗(しつぱい)だ あなたのお父(とう)さんの大事なヒゲを 引(ひ)つぱつてしまつたわい
いや かまわんですよ ハハハ
アハハ ハハ ハ
○
いかがです 月野(の)さん おにぎりを半分(はんぶん)さしあげませう
これはどうも
おや また仲直(なかなほ)りだ
仲が良(よ)いんだか悪(わる)いんだか わからないなあ
○
ぼく達(たち)も おにぎりをたべたいなあ
さうだつたね これは気がつかなかつた さあ君たちもおあがり
火星(くわせい)の話も面(おも)白いけれど
おにぎりもうまいわね
その通りぢやアハハ
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火星(くわせい)への通信(つうしん)
○
坊(ぼつ)ちやん、わしが研究室(けんきうしつ)を案内(あんない)してあげやう
やあ、うれしいなあ
みせて もらはう
○
わたし 火星へ行つてみたくなつたわ
○
これは、わしが研究(けんきう)をうけもつてゐる機械(きかい)ですよ
大きなものだなあ
何んだらう
何んの機械だらう
○
いま機械の覆(をほ)ひをとりますから 離(はな)れて見てゐてごらん
アッ わかつた いつかお父(とう)さんが話してくれた 火星信号器(くわせいしんがうき)だ
○
さうです、この機械は 地球(ちきう)から火星へ信号するのです
すごいなあ
ずゐぶん光るわね
まるで鏡(かがみ)のやうだ
○
さうです これは鏡(かがみ)です ピッカリングといふ天文学者(もんがくしや)が考(かんが)へ出した 火星(くわせい)への信号(しんがふ)の仕方(しかた)です
これで火星へ 信号してゐるのかしら
○
いやこれは実験模型(じつけんもけい)です ほんとうに信号するときは 半哩(はんまいる)四方ほどの大きな鏡にするのです
半哩四方とは すごい大きな鏡を使ふんだな
○
ほをら あそこの山へ光線(くわうせん)を反射(はんしや)させましたよ
あら、山へ映(うつ)つてきれいだわ
やあ 光る光る
○
太陽(やう)の面(めん)の百万分(ひやくまんぶん)の一の大きさの鏡をつくると 丁度(ちやうど)半哩平(へい)方程(ほど)の鏡がいることになります
その大きな鏡に 太陽の光をうけさせて光らすと 火星の側(がは)から見ると第(だい)五等級(とうきふ)の星の光ほどに光つてみえる……
○
しかしいくら信号をしても 火星に智慧(ちゑ)のある生物(いきもの)がゐなければ 我(われ)々の信号を受取(うけと)ることができない
やあ あんなに遠くの方の森が照(て)らされて 明(あか)るくなつた
○
さあ こんどは鏡の反射を街(まち)の方へ移(うつ)してみやう
○
やあ いま光つた所は水道(すゐだう)タンクだ
○
でも火星(くわせい)に生物(いきもの)がゐなかつたら かういふ研究(けんきう)は無駄(むだ)になるわね
いやいや さうではない、学者(がくしや)の研究に無駄はない 研究さへして置(お)けば他(ほか)のことにも応用(おうよう)できる
○
おぢさん いろいろ見せていただいてありがたう
ほんとうに面(おも)白かつたわ
おぢさん ありがたう
また、天文台(もんだい)にやつて来給(たま)へ 他(ほか)のものを見せてあげやう
○
やあ 愉快(ゆくわい)愉快
火星に生物が住んでゐたら面白いなあ
わたしたちのやうな猫(ねこ)もゐるかしら
猫がゐるとすれば、当然(たうぜん)鼠(ねずみ)もゐるだらうな
○
火星に鼠がゐるとすれば 鼠トリも発明(はつめい)されてゐるだらうなあ
とつた鼠は交番(かうばん)にもつていつて 買(か)つてもらふだらうな
すると 火星には交番(かうばん)もあるといふことになるわね
○
あつ これは大変(へん)だ
やあ 急に目がくらくらしだした
どうしたのでせう わたし
○
さあ早く みんなどこかにかくれろ
やあ わかつた 月野(の)博士(はかせ)が火星信号器(くわせいしんがうき)でぼく達(たち)へ光ををくつてゐるんだ
なんて まぶしいんでせう
○
ハハハ みんなまぶしがつて逃(に)げ出したぞ
○
降参(かうさん)だ
わあ逃げろ 逃げろ
待(ま)つてちやうだい
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火星(くわせい)の運河(うんが)
○
ああ重(おも)い もうすこしだ エッチラエッチラ
やあ お父(とう)さんがお帰(かへ)りになつた
○
テン太郎 けふ お父(とう)さんは気嫌(きげん)が悪(わる)いんぢや
こりや いかん
まあ どうなさいました
○
どうもかうもない わしは月野(の)さんにヒゲをつかまれたんぢや
おや まあ
お父さんはいつも議論(ぎろん)をやつてゐるんだなあ
○
その通り しかし、わしも月野さんのヒゲをつかんでやつた
あなた ではまた火星(くわせい)のことか何かで
うん さうぢや
○
わしや腹(はら)が立つて かういふ風(ふう)にな うんとひつぱつてやつた
すると 月野もわしのヒゲにぶらさがつて うんとかうして引(ひ)つぱりおつた
○
(ブス ブスン)
あつ これは失敗(しつぱい)
まあ大体(たい) けふは天文台(もんだい)で かういふ風な大さわぎぢやつたんぢや!
まあ ご本が
これはおどろいた
○
ニャン君 ご主人(しゆじん)の おへやで仕事(しごと)だ 仕事だ 早くきて手伝(つだ)つておくれよ
ご用
いいわ 手伝つてあげるわ
○
大げさね ピチ君 白ハチ巻(まき)なんかして
そういふ君だつて頬(ほほ)かぶりなんかしておかしいよ
や、これ何んです お父(とう)さん
なんぢや
○
うむ、それぢや それが月野(の)博士(はかせ)との問題(もんだい)の種(たね)だつたのだ
それは火星(くわせい)の運河(うんが)を写生(しやせい)した絵(ゑ)ぢや
運河といふのは 堀割(ほりわ)りの大きなやうなのですね
○
さうぢや この運河を望遠鏡(ばうゑんきやう)で見ると この様(やう)に あまり きれいにまつすぐな線(せん)なんで
(火星(かせい)シヤセイヅ)
その運河は何か生物(いきもの)がほつて造(つく)つたのだといふんですね
○
さうぢやよ 火星に生(い)きものがゐて運河をつくつたといふ説(せつ)をたてる学者(がくしや)がゐる
お父(とう)さんは 火星には生物(いきもの)がゐないといふんですか
○
わしは居(ゐ)ないとはいはん しかし居るともいはん
お父さんはどつちなんです
○
どつちか分らん ただね あの運河の様(やう)なものは 人間(げん)なんかでなくともできると言(い)ふのぢや
火星に人間がゐると面(おも)白いんだがなア
○
テン太郎や 庭(には)へ出ておいで
何をするんですか
○
ピチ おまへ この紙をくわへて走れ わがはいがよしといふ所までだ よいか
○
馳(かけ)つこなら あたしだつて負(ま)けないわ
ニャン君(くん)になんか負けるもんか
○
フーフー どこまで走るんだらう
なあんだ いくぢがないのね
○
博士(はかせ)もつと走るんですか
止まれ よろしい 樹(き)の上にのぼれ
○
うわあ僕(ぼく)は犬だから 木のぼりは困(こま)つたなア
それぢや わたしが代(かは)つて登(のぼ)つてあげるわ
○
テン太郎サアン この辺(へん)でいいですか
てつぺんまで登れつて いつてゐるよ
○
もつとのぼるの 少しこわいわね
なあんだ僕をいくぢなしといつたくせに
○
ぢや、もつと登つたつていいわ ちよつと芸当(げいたう)だわね
おや 博士が大きな声(こゑ)で何か言(い)つてゐるよ
紙をこつちに見せてくれつてさ
○
さてテン太郎 いまニャン君がもつてゐる紙をよくごらん
何かがかいてありますね
○
おや
たくさん線(せん)が 引(ひ)いてあるやうですね
あれを火星(くわせい)の運河(うんが)だとして 一つ写生(しやせい)をしてごらん
○
よしきた、でもよく見えないんです
そんな弱虫(よわむし)をいつてはいかん お父(とう)さんは毎(まい)日天文台(もんだい)でもつと遠くを見てゐるんだ
○
これは難(むづ)かしい仕事(しごと)だなあ
お父さんなんかどうする 毎日地球(ちきう)と太陽(よう)との距離(きより)六千(せん)二百万哩(ひやくまんまいる)の向ふを見てゐるんだよ
○
火星(くわせい)が地球(ちきう)に一ばん近いときでも 年(とし)によつて違(ちが)ふが 三千(ぜん)五百万哩(ひやくまんまいる)もある
もの凄(すご)く遠くに 在(あ)るんだなあ
○
いやそれ所か、もつともつと遠くに離(はな)れてゐる星が 空には一ぱいあるのだ
○
もう我慢(がまん)できないわ 手がしびれて上からすべり落ちさうだわ
○
なんだ 智慧(ちゑ)がないなあ 君は足だつて使へるぢやないかあ
○
もう駄(だ)目よ 足(あし)もふるへてきたのよ
もう一段(だん)下の枝(えだ)に 下り給(たま)へ 叱(しか)られやしないよ
○
ああお尻(しり)が 痛(いた)くなつちやつた
困(こま)つたなあ ぢやもう一段下の枝へ
○
あたい つまらなくなつたわ
僕(ぼく)もたいくつだよ 下の枝まで降(お)りてき給(たま)へ
○
これなら楽(らく)だわ あんたキャラメルもつてゐたわね
さうだつた 一つあげやう
○
おや樹(き)の所に 何も見えなくなつたぞ
ほんとだ ニャン子たち 何うしたのだらう
○
あさうだ 望遠鏡(ばうゑんきやう)をもつてきて見てやらう
ああそれから お父(とう)さんが作(つく)つてやつた模型(もけい)のロケットもとつておいで
○
どれどれ
おやあ これは驚(おど)ろいた ふたりとも樹の下で眠(ねむ)つてゐるぞ
○
このロケットで驚ろかしてやれ
アハハ 驚ろくぞきつと
○
(ドカン!)
うわあ おどろいた
○
すつかり眠(ねむ)つちやつた
テン太郎さん ごめんなさいね
○
きみ達(たち)は、もつと火星(くわせい)の研究(けんきう)に熱心(ねつしん)にならなければいけないよ
だつてわたし ずゐぶん高い木のてつぺんに上つてこわかつたわ
まあよろしい
いや、どうも恐(おそ)れ入りました
○
ところでテン太郎 お前の写生(しやせい)した絵(ゑ)を見せてごらん
こんなにかけました
○
テン太郎 お前の描(か)いた絵はこれだ ところで
ほんとうの絵はこれだ
あらッ まるで違(ちが)つちまつた
ほんとに
おかしいわねえ
○
どうぢや目茶(めちや)くちやな点(てん)だつて ある距離(きより)から見ると そんなに真(まつ)すぐに見えるんぢや
ほんとうですね だから 星の運河(うんが)だつて真すぐに見えても 人間(げん)がつくつたとはいへませんね
その通りぢや お前は呑(の)みこみが早いぞ
○
月野(の)先生(せんせい)は なんとおつしやるんですか
月野博士(はかせ)はロウエル教授(けうじゆ)と同(おな)じ考(かんが)へで 火星(くわせい)は水が少(すく)ない そこで運河(うんが)へは火星人(じん)が大仕掛(じかけ)の給水(きふすゐ)ポンプで水をくばるといふのぢや
ほんとかしら
うそかしら
○
さあ 夕飯(ゆふはん)がすんだら 今晩(こんばん)はみんなにいいものを見せてあげるぞ
あ、さうだ けふはお父(とう)さんに幻燈写真(げんとうしやしん)を見せていただく約束(やくそく)だつた うれしいなあ
幻燈
まあうれしい 早く見たいわ
[#改ページ]
火星(くわせい)に人間(にんげん)が住(す)んでゐるか
○
これが 火星の運河(うんが)を想像(さうざう)して描(か)いた絵(ゑ)の幻燈だ
うわあ すごいなあ
この太い管(かん)はなんでせう
これが きつと 火星の運河のある所に茂(しげ)つてゐる植物(しよくぶつ)に水を送(おく)る管だ
○
運河(うんが)の長さはどれ位(くらゐ)あるんです
それが大変(へん)ぢや 何千哩(ぜんまいる)も続(つゞ)いてゐることになる
そして時々望遠鏡(ばうゑんきやう)で火星(くわせい)の運河が二本に見える 学者(がくしや)はこれを二重(ぢゆう)運河といつてゐるんぢや
○
それは、ほんとうに二重でせうか
それはわからん 反対者(はんたいしや)もある
これを主張(しゆちやう)する学者は火星にある運河の四分(ぶん)の一が、二重だといふのぢや
○
お父(とう)さん 火星の人間(げん)はどんな格好(かくかう)をしてゐるでせうね
それは分らんね 想像(さうざう)もつかん またどんな想像したつてかまはん
足(あし)や手が有(あ)るかも分(わか)らないね
だつてそんな立派(りつぱ)な運河をこしらへるんだもの 頭(あたま)や手はきつと有(あ)るわ
○
さうだ ニャン子のいふ通りだ とにかく何千哩(ぜんまいる)もの運河を造(つく)つてゐるとすれば 測量術(そくりやうじゆつ)だけは発達(はつたつ)してゐることになる
ソクリョウ術(じゆつ)つてどんなのかしら
ニャン君 きみ、まだしらないのかい
○
ほら よくそとで三本足(あし)をたてて 望遠鏡のやうなものをのぞいては地面(めん)や道なぞを量(はか)つてゐる人があるだらう
ああ 分(わか)つたわ
あれだよ 僕(ぼく)なんかちやんと知つてらあ
○
でもね人間の力でなくても 自然(しぜん)の力でも いまここに映(うつ)る位(ぐら)いのまつすぐな運河もできるのぢや ごらんあれを
やあ
満月(まんげつ)だわ
きれいなお月さんだ
○
あの月がいい証拠(しやうこ)だよ 火星(くわせい)を調(しら)べるには月がとてもいい参考(さんかう)になるんぢや
ぢや 月にも 火星の運河(うんが)のやうなものがありますか
あるよ しかも 真(ま)つすぐなのもある
○
さあ ごらん これが月の面をとつた写真(しやしん)だよ まん中の所に真つすぐな線(せん)があるだらう
ああ あつた あつた
ほんとだわ
あれはなんです お父(とう)さん
○
あれは火山(ざん)の裂(さ)け目だ 名前はアリアダウエス小流(せうりゆう)といつてゐる
あれは どの位(くらい)の長さですか
長さは百(ひやく)五十哩(まいる)ぢや
○
月には こんな運河のやうなものは沢山(たくさん)あるんですか
いや 月には十哩(まいる)以上(いじやう)のものはあまりない しかし火星の運河はみな大きいのぢや
○
さあ おそくなつてしまつた これで終(をは)りだ
みんな早くおやすみ またあしたね
ぢや お父さん おやすみ
おやすみなさい
おやすみなさい
○
さあ眠(ねむ)らう いい月だなあ
わたし火星(くわせい)の童謡(どうえう)ができたわ
ぢや うたつてごらん
○
火星に猫が居(ゐ)るならば ニヤンとはなかない[#「なかない」は底本では「なかな」]ワンとなく
やあ うまい うまい
ひどいなあ ぢや僕(ぼく)だつてできた
○
火星に犬が居(ゐ)るならば ワンとはなかないニヤンとなく
やあ うまい うまい
ひどいわ ひどいわ
○
わたしの歌(うた)のまねだわ まねだわ
あれッ 痛(いた)いッ 僕の顔(かほ)をひつかいた
あつ 喧嘩(けんくわ)をするんぢやないよ よしなつてば
○
さあ仲(なか)よく合唱(がつしやう)しやう
火星に猫(ねこ)がゐるならば
火星に猫(ねこ)がゐるならば
○
おやまあ なんてさわがしいんでせう
○
シッ お母(かあ)さんが来たぞ
大変(へん)だ
もぐれ もぐれ
[#改ページ]
空中飛行(くうちゆうひかう)
○
グー グー
グー グー
クー クー クー
おや みんなよく寝(ね)てゐるやうだわね
○
お母(かあ)さんが行つてしまつた みんなこんどはほんたうに眠(ねむ)らうね
クウ
○
テン太郎さん テン太郎さん テン太郎さん
クー
クー
クー
○
テン太郎さん
テン太郎さん 早く起(お)きてください 大変(へん)です 大変です
オヤ 何んだらう
グー グー
クー
○
おや ストーブの煙突(えんとつ)の穴(あな)から何か入(はい)つてきたわ
テン太郎さん
テン太郎さん
○
まあ たくさん出てきたわ
あなたは誰(だれ)
僕達(ぼくたち)は火星人(くわせいじん)です
早く テン太郎さんを起(おこ)して下さい
○
火星人…… まあ大変(へん)だわ それではすぐ起すわ
洪水(こうずゐ)がやつて来さうです
すぐ仕度(したく)をして逃(に)げださなければ大変です
○
テン太郎さん 早く起きて下さい 大変よ 大変よ
あつ おどろいた どうしたの
ムニャ ムニャ
こちらの 耳の長いかたも起きて下さい
○
やあ 一体全体(たいぜんたい)これは何だい ずゐぶん小さな人間(げん)だなあ
この人達(たち)は 火星の人たちです、さあ
クン クンクン 気持ちが悪(わる)いな
○
ごらんなさい もう洪水がやつて来ました
いつたい ここは どこなんだらう
テン太郎さん 早く逃げませうよ
ここが火星ですか おかしいなあ
○
あつ 窓(まど)の外(そと)はすばらしい街(まち)だ
まあ なんてきれいな所なんでせう
やあ驚(おどろ)いた りつぱだなあ
さあ早く仕度をして下さい
○
僕(ぼく)たちはどうして火星(くわせい)へやつて来たらう
わたしも わからないわ
僕もだ
さあ そんなことはどうでもいいのです 窓(まど)から早く
○
やあ高いなあ こんな所から飛(と)び降(お)りられないよ
わたし とても駄(だ)目よ こわいわ
○
僕たちを信(しん)用して下さい ほらかうして飛び降りるんです
○
あなた達(たち)は地球(きう)からの大切(せつ)なお客様(きやくさま)です 悪(わる)いことにはなりません
ぢや わたし体(からだ)が軽(かる)いから先に飛び降てみるわ
それでは僕だつて
僕も降りることにしやう
○
やあ 愉快(ゆくわい)愉快
体(からだ)がふわふわと飛んでるぞ 不思議(ふしぎ)だなあ
どうです 地球とはまるでちがふでせう
あらまあ 蝶(てふ)々のやうに飛べるわ
ほほ これは面(おも)白い 面白い
○
ごらんなさい あそこを いま火星人(くわせいじん)は洪水(こうづゐ)を避難(ひなん)してゐます
やあ 雲(くも)のやうに たくさん火星人がとんでゐる
あらまあ 鳥(とり)のやうに建物(たてもの)の屋根(やね)の上にとまつてゐるわ
○
さあ 僕(ぼく)たちがあなた達(たち)を安全(あんぜん)な所へ案内(あんない)しませう
洪水(こうづゐ)はいつまでもつづきますか
火星(くわせい)の洪水はきまつてあるのです
あれ あれ 水があんなにあふれて来たわ
運河(うんが)の岸(きし)が いまにもかくれさうに水がびたびたになつちまつてゐるぞ
○
うわあ! すごい建物(たてもの)だなあ
なんて高い建物でせう
これは地球(きう)ホテルといふ 火星一の高いビルデングです
○
このホテルは 地球からのお客様(きやくさま)を迎(むか)へるために、わざわざつくつたのです
すると僕達が 最初(さいしよ)のお客なんですね
地球からの第(だい)一着(ちやく)だすごいぞ
面(おも)白いわね
○
さあ こゝが貴方(あなた)たちの部屋(へや)です
まあ! きれいなベット
きれいな敷物(しきもの)
どこもこゝも縞模様(しまもやう)
○
とんだり はねたり おもしろい
さあ 下の露台(ろだい)にでてみませう
○
やあ、火星人(くわせいじん)の行列(ぎやうれつ)だ
みんな妙(めう)な格好(かつかう)をするわ
何か歌(うた)つてゐるよ
あれは あなた達(たち)を歓迎(くわんげい)してアイサツをしてゐるのです
[#改ページ]
火星(くわせい)の首都(みやこ)ミルチス・マヂョル市(し)
○
これから 市街(しがい)を御案内(ごあんない)いたしませう
ここの街(まち)は なんといふのです
火星の首都(みやこ)です ミルチス・マヂョル市といふのです
○
ごらんなさい この素晴(すば)[#ルビの「すば」は底本では「すばら」]らしい火星の運河(うんが)を
大きいなあ
なんて立派(りつぱ)なんでせう
この運河はまつすぐだい
○
この運河(うんが)はなんに使ふんですか
火星(くわせい)では一年に数回(すうくわい)大洪水(こうずゐ)があるのです、そのときに畑(はたけ)に水をやるんですよ
○
あの畑にはなにが植(う)へてあるんです
トマトですよ
それから何にがあるの
トマトよりありませんよ
おどろいた あの畑がみんなトマト
○
さうですよ 地球(きう)ではパンとか米(こめ)とかが常食(じやうしよく)でせう、火星の人間(げん)は トマトだけよりたべないんです
トマトだけしかたべないから 火星の人は大きくならないんだわ
きつとさうだよ
でも体(からだ)が小さくても 智慧(ちゑ)があるようだな
○
ふふふ 智慧は地球の人に負(ま)けませんよ、そら あの人たちをごらんなさい
おや?
頭(あたま)の大きな人と
頭の小さな人とがやつてきたね
○
火星人は 頭の大きい人はものを考(かんが)へてばかりゐるんです
頭の小さい人は?
小さい人は 働(はたら)いてばかりゐるんです
頭の大きい人の考へたことは
頭の小さい人がどんどん作りあげてしまふのです
○
やあ トマトの収獲(とりいれ)だ
ほら いま面(おも)白いことが始(はじ)まりますよ
あら トマトを運(はこ)び出したわ
○
火星(くわせい)では一日に二回(くわい) 食物(しよくもつ)を市民(しみん)に配(くば)ります
やあい みんな窓(まど)から首を出した
○
ほら、あゝして下から投(な)げるのですよ
やあ上手(じやうづ)だなあ
○
うけとるのもうまいわね
あんな高いテッペンまで上る
僕(ぼく)もトマトを喰(た)べたいなあ 好(す)きなんだけれどなあ……
○
ほら 合図(づ)をすると投(ほう)つてくれます
やあ投げてくれたぞ
上手にうけとれ
○
おいしい おいしい
舌(した)が落ちさうにうまいわ
火星のトマトはうまいぞ
○
向ふの建物(たてもの)が市役所(しやくしよ)
その左(ひだり)の曲(まが)つた建物は何んです
建物ではありません あれは火星の天体(たい)望遠鏡(ばうゑんきやう)です
えつ望遠鏡? すごいんだなあ
○
ぢや、あそこが火星(くわせい)の天文台(もんだい)ですか
さうです 行つてみませう
○
御紹介(ごせうかい)します こちらが火星天文台の所長(しよちやう)さんです
僕(ぼく) 星野(の)テン太郎です
わたし 星野ニャン子よ
僕は 星野ピチです
○
僕のお父(とう)さんは 地球(きう)の天文台で研究(けんきう)してゐます
これはこれは ようこそ 星野さんは私よく存(ぞん)じてをります
あれつ?
○
こないだは あなたのお父さんと月野博士(はかせ)と髯(ひげ)のひつぱりつこをやりましたね
あれつ? どうして知つてゐるんだらう
○
よく知つてゐますよ あははゝゝ
地球の出来事(ごと)は 火星からは、みんな見えるのですよ
おどろいたなあ………
○
なにも驚(おどろ)くことはありませんよ
みなさん、この天文台の設備(せつび)を注意(ちゆうい)して見て下さい
すごいなあ……
○
テン太郎さん あなたのお父さんは どんな望遠鏡(ばうゑんきやう)をお使ひになつてゐますか
いろいろあります 口径(さしわたし)六吋(インチ)のと 大きいのは二十四吋(インチ)のと
火星のは 地球のの千倍(ばい)も大きいのを使つてゐます
○
ぢや地球(きう)の出来事(ごと)は なんでもみえるんだなあ
さうですよ さあ一つ望遠鏡(ばうゑんきやう)をのぞかせてあげやうか
○
さあ テン太郎さん ごらんなさい
アッ? お父(とう)さんだ
わたしにも見せて
僕(ぼく)にも
○
あなたのお父さんが 何にかしきりに計算(けいさん)してゐるでせう
ほんとにさうだ
やあ 手帳(ちやう)の上の数字(すうじ)まで見える
○
お父さあーん 僕です テン太郎です
あははゝゝ 呼んだつて聞えませんよ
わたしにも見せて
○
さあ 望遠鏡の方向(かう)をかへて見ませう
あら なんだか見たことがあるやうなところだわ
どれどれ 僕にも見せて
○
あれつ わかつた! お豆屋(まめや)だ
ぢや 学校のそばにあるお豆屋かしら?
どれどれ 見せて
○
やつぱりさうだ やあ 子供(ども)が豆を買ひに来た おや、おぢさんが豆を三粒(つぶ)こぼした
○
おどろいた 何んでも見えるのね
どうもいろいろありがたうございました
地球へかへつたら 星野(の)博士(はかせ)や月野博士によろしく
さあ これから市長(しちやう)が貴方(あなた)たちの歓迎会(くわんげいくわい)をひらくそうです 行きませう
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大歓迎会(だいくわんげいくわい)
○
あれが ミルチス・マヂョル市庁(しちよう)の玄関(げんくわん)です
やあ…
りつぱですね
○
やあ ずゐぶん列(なら)んでゐるな
わたし なんだかはづかしいわ
なんだ弱虫(よわむし) 大丈夫(ぢやうぶ)だよ
○
テン太郎さん この人がミルチス・マヂョル市長(ちやう)です
これはこれは ようこそ ようこそ
○
さあ どうぞ ここへおかけ下さい
こんな正面(しやうめん)にですか
地球(きう)からのお客(きやく)さんです さあどうぞ
○
ニャンちやん すましてゐるなあ
あんただつて気取つてるわ
○
これより地球(きう)からはるばるおいでになつた お客(きやく)さんの歓迎会(くわんげいくわい)を開(ひら)きます
まづ最初(さいしよ) 地球のお客さんから 自己紹介(じこせうかい)をしていただきます
?
?
○
こまつたわ ジコショウカイつてなんだか わたし知らないわ
僕(ぼく)も知らないよ こまつたなあ
それはね 自分(じぶん)がどういふものだか 自分でいふことを 自己紹介といふんだよ 僕がするからまねをしたまへ
○
みなさん今日(こんにち)は 僕は地球の小学生で名前は星野(の)テン太郎 毎日学校へ行くのが仕事(しごと)です
ははあ学校 火星(くわせい)にはさういふものはありませんな
○
僕は 星野(の)ピチといひます 地球の犬であります 仕事は 泥棒(どろぼう)や怪(あや)しいものを追(お)ひ払(はら)ふことです
ははあ 犬、泥棒 怪しいもの火星にはさういふものは居(を)りませんな
○
わたくしは星野ニャン子と申(もう)します 地球の猫(ねこ)の女(をんな)の子であります 仕事は悪(わる)い鼠(ねずみ)を喰(た)べたり 追つたりいたします
猫,鼠 さういふものは火星にはをりませんな
○
これより音楽会(おんがくくわい) つづいておどりの大会(くわい)をひらきます
○
すてきねー
このすばらしい音楽(おんがく)はあのラッパのある自動音楽機(き)が ひとりで奏(や)つてゐるのです
愉快(ゆくわい)だなあ
○
あつ、これはへんだぞ
どうかしましたか
○
急にお腹(なか)が痛(いた)くなつてきた
それは大変(へん)!
あら わたしもお腹がチクチク痛くなつてきた
○
ウーン ウーン
痛い 痛い あいたつッ
僕(ぼく)もお腹が痛い
これは大変だ 病(びやう)気らしい
さつそく病院(ゐん)に送(おく)るやうに
○
お腹が痛い ウーム
痛い痛い
アーン アーン
早く 病院車(しや)を呼べ
みなさん せつかくですが歓迎会(くわんげいくわい)は中止(ちゆうし)にいたしまあーす
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腹痛(はらいた)
○
地球(きう)のお客(きやく)さんが病気になつたのだ
どうしたのだらう
やあ 病院車がやつてきた
(みなさん さわがないでくださあーい)
○
いたい いたい
ピチ あんまりあばれてはいけないよ
でも 痛(いた)いんだア
○
どうも 様子(やうす)がわからん
みなさん 手をかして下さい
病(びやう)人だから静(しづ)かにのせて下さい
○
それ! 病院(ゐん)までスピート
○
さあ 病院へ着(つ)きましたよ
○
さつそく 注射(ちゆうしや)を百(ひやつ)本ほどやらなければ
ウワア そんなに注射するんですか
○
ここがレントゲン室(しつ)です お腹(なか)の中を見てあげませう
お医者(ゐしや)さん 早くみてちようだいよ いたいんですもの
○
ははあん これは怪(あや)しい
お腹 どうかなつてゐますか
早く痛(いた)いのを治(なほ)して下さい
痛みはすぐとめてあげますよ
しかし これは治療(ちれう)が長引(び)きますな
○
さあ 病室(びやうしつ)に入るのです
これこれ 病室にベットを三つ用意(い)して
はい
困(こ)まつたことになつたねえ
○
しづかに寝(ね)[#ルビの「ね」は底本では「て」]てゐらつしやい
どのくらゐたつたら治(なほ)るんだらうなあ
痛みはすぐとめてあげますよ
やあ うれしい
○
ただいま市長(しちやう)からお見舞(まい)の花がとどきました
どうですみなさん 痛みはとまつたでせう
やあ 痛いのが治つたぞ
○
さあ 市長からの花束(たば)です
やあ ありがたう
火星(くわせい)の市長さんは親切(しんせつ)だわね
きれいな花だなあ
○
あれつ? 僕(ぼく)が花を握(にぎ)つたら燃(も)えだした
どうしたんでせう
これは大変(へん)だ
いや それほど熱(ねつ)が高いのです だからおとなしく寝(ね)てゐることです
○
テン太郎さん どうなんるんでせうね
なに すぐ治(なほ)るよ 火星(くわせい)の医学(ゐがく)は進歩(しんぽ)してゐるよ
○
これは驚(おどろ)いた 僕も、大変(へん)な高(かう)熱だ
あら? 手にふれるものがみんな燃えちまふわ
わあ みんなすごい熱だ
○
あの病(びやう)気はつまりペチャ クシャ
うむ、それでペチャ ペチャ
それだから ペチャクシャ
どうも大ぶ病気が重(おも)いのぢや
○
あれつ? なにを病人がさわいでゐるんだらう
(ドタン バタン)
○
やあ みなさんどうしました
だつて 手にさわるものみんな燃えるんだもの
いま火を消(け)してゐるんですよ
○
火が燃(も)え出したらテン太郎さん そこのボタンを押(お)して下さい
ボタン?
どれでせう
あゝ このボタンを押すんですか
○
(ザザアー ザアー ザアー)
○
あつ? びつくりした
天井(じやう)から大雨が降(ふ)つてきた
やあ これは面(おも)白い面白い
○
熱(ねつ)が大ぶありますから あまり手をふりまはさないやうに
みなさん 手を額(ひたい)の上にのせて寝(ね)てゐるのです
これは退屈(たいくつ)だなあ
あゝ 早く治(なほ)りたいわ…
○
さて、みなさん あなたたちは今日(けふ)なにを召(めし)上りました トマトをたべたでせう しかも種(たね)まで
ハイ 僕(ぼく)たちはたべました
○
それがいかんのです 種をたべたのが
地球(きう)では トマトは種までたべるんですよ
○
火星(くわせい)ではトマトの種(たね)はたべません 種は、ていねいに出して運河(うんが)に捨(す)てます
すると 大洪水(こうずゐ)のとき種は畑(はたけ)に自然(しぜん)にまかれる
それぢや 種をまかなくてもいいや
○
あなた方は トマトを種ごと呑(の)んだ だからトマトが お腹(なか)に生(は)へだしたのです
えつ? 僕(ぼく)たちの体(からだ)の中に?
トマトが生へだしたんですかあ?
ウワア! 困(こま)つた
○
困つたなあ
アーン アーンあたし 困つたわ
泣いたつて治(なほ)りはしないよ
いや心配(しんぱい)なく かならず治してあげませう
ぢや また見舞(ま)ひにまいります[#「まいります」は底本では「まいりま」]
[#改ページ]
トマト騒動(さうどう)
○
あゝ つまらないなあ
ピチちやん さう手をふりまはしちやだめよ
いやだ 退屈(たいくつ)だよ
○
わあ面(おも)白い 握(にぎ)つたものがみんな燃(も)えるよ
だめだつたら ピチちやんおよしよ およしつたらさ
うるさいなあ
○
みんな静(しづか)にゐなけりやあ治(なほ)らないよ
そう手をふりまはしちやだめだつたらさ
いくら言(い)つてもわからないのこのひと
あ痛(いた)! あれつ 引(ひ)つかいたな
○
あつ! ニャン君 大変(へん)だ
あら わたしのリボンが どうしやう
あッ!
○
困(こま)つちやつたなあ
アーン アーン
だれか早く消(け)してちようだい
さうだ早くあのボタンを押(お)さう
○
やあ これは涼(すず)しい
ごめんね ニャンちやん
アーン アーン だつて わたしこれきしリボンもつてないんですもの
○
ひどいわ ひどいわ リボンがない……
アーン アーン
ごめんね そのうちにどこからか拾(ひろ)つてきてあげるわよ
○
もし もし
あつ だれかきた
……
……
○
まあー みなさん どうしました 室(へや)の中が水だらけ
やあ病院(びやうゐん)の看護婦(かんごふ)さんだ
看護婦さん ピチちやんがわたしのリボン燃(も)やしてしまつたの
○
ボタンを押(お)して 水をとめて下さい
ホイキタ 合点(がつてん)だ
○
とき/″\喧嘩(けんくわ)するんですよ
だつて リボンをなくしちやつたんだもの
さあ 泣くんぢやないですよ かわりをあげませう
○
さあ わたしのリボンをあげませう
まあ うれしい!
やあ! 素的(すてき)だなア!
○
ではみなさん 喧嘩をしないで おやすみなさいよ
看護婦(かんごふ)さん リボンありがたう
看護婦さんおやすみ!
○
僕(ぼく)が[#「が」は底本では「か」] 君のリボン 焼(や)いたからもらつたんだよ
そんなことないわよ いぢわる[#「いぢわる」は底本では「いちわる」]
親切(しんせつ)な看護婦(かんごふ)さんだな
○
困(こま)つたなあ トマトがお腹(なか)に生(は)へる病(びやう)気なんて
わたし 地球(きう)へかへりたくなつてきたわ
駄目(だめ)だい 病気が治(なほ)らなければかへれないや
○
では あの地球からのお客(きやく)さんたちは 野外(やぐわい)病院(ゐん)の方へ移(うつ)しませう
なるべく患者(くわんじや)を驚(おど)ろかさないやうにね
準備(じゆんび)はできました
[#改ページ]
火星(くわせい)の看護婦(かんごふ)さん
○
あなた方(がた)はこれから野外病院の方へ移(うつ)ります
どうです 体(からだ)の具合(ぐあ)[#ルビの「ぐあ」は底本では「ぐあひ」]ひは
どうも熱(ねつ)が下りません
外(そと)の病院へ行くんですか
○
では トマトの葉(は)つぱで三人とも目かくしをしてくれ
はい かしこまりました
どうするんですか
心配(しんぱい)だわ
○
そんなに心配(しんぱい)しなくともいいですよ
でも、わたし気味(み)がわるいわ
あゝ 何んにも見えない
自動車を三台(だい)用意(い)
はい かしこまりました
○
用意ができました
では出発(しゆつぱつ)!
○
どの辺(へん)を走つてゐるのか さつぱりわからない
ここは運河(うんが)づたひに走つてゐるのです
○
野外病院(やぐわいびやうゐん)といふのはどんなところです
それはハイカラな病院ですよ
○
みんな離(はな)ればなれになつてしまつたわ
またすぐみんなと一緒(しよ)になりますからね
○
さあ みなさん病院(びやうゐん)に着(つ)きました
この辺(へん)一帯(たい)が病院です
だつて目かくしされてるから見えませんよ
クンクン 何にか良(よ)い匂(にほ)ひがする
トマトのやうな匂ひがする
○
さあ この入口から階段(かいだん)を下りませう
ころばないやうに
○
なんだか地面(めん)の下を歩いてゐるやうだ
さうなんです
わたし いやだわ
心(こころ)細いね
○
長いらうかだなあ
いやになつてしまふわ
もうすぐ地上(じやう)に出られます
○
さあみなさんもう着(つ)きました
葉(は)つぱの目かくし取つていいですか
まだ まだ
○
あなた この台(だい)の上に立つてゐてください ころばないやうに
やあ体(からだ)が上へあがるやうだ
(ぶるん ぶるん ぶるん)
○
お次(つぎ)ーあなた さあ、しつかり立つて
よし スイッチをいれてくれ給(たま)へ
○
(ぶるん ぶるん ぶるん)
やあ 天国(ごく)へゆくのか 地獄(ごく)へゆくのか わからない
○
さあ猫(ねこ)のお嬢(ぢよう)さん あがりますよ
あたし こわいわ
心配(しんぱい)しなくてもいいのです
○
(ぶるん ぶるん ぶるん)
あゝ こわいー
○
さあ 仕事(しごと)がすんだ 帰(か)[#ルビの「か」は底本では「かへ」]へらう
あの病(びやう)人たちは 地球(きう)の病人なんで骨(ほね)が折(を)れますね
どうも 火星(くわせい)の病人とは勝(かつ)手がちがひますね
○
わつ こんなところに出てきた
これはガラスの筒(つつ)の中だ
みんなはどうしたらう
○
あらまあ! みんな こんな容物(いれもの)に入れられちやつた
○
うわあ みんな ちりぢりばらばらになつてしまつた
テン太郎さーん 早く救(たす)けて下さい
僕(ぼく)だつて出られないんだよ
○
こりや いくらあばれても駄(だ)目だ くやしいなあ
よし! ここを出たらトマトたちめ みんな踏(ふ)みつけてやるから
わはあ 地球(きう)のお客(きやく)の喰(く)ひしん棒(ぼう)
種(たね)までたべたいやしん棒
ずゐぶん貴方(あなた)たちは意(い)地わるね さうのぞくもんぢやないわ
お腹(なか)にトマトが生(は)へるとさ
うわあ、これぢや手も足(あし)も出ないや とんだ野外病院(やぐわいびやうゐん)に入れられてしまつた
○
おや お医者(ゐしや)さんがやつてきた
どうです 火星(くわせい)の病院(びやうゐん)はなかなかいいでせう
ちつともよかないわ
早くこんなとこ出してよ
ははあ おとなしくしてゐませんな
○
お医者さん ひどいですよ こんなところに押(お)しこめて
いや さうではありません 地球(きう)にだつて温室(おんしつ)といふのがあるですよ
○
どれ診察(しんさつ)しませう
うわッ!
そう こわがらなくてもいいですよ
だいぶよろしいやうですな
○
こんどはアーンと舌(した)を出してごらん
アーン
○
いや なかなかりつぱな舌ですな
いや みごと、みごと
舌なんかどうでもいいや いつ治りますか
○
さやう 千年(ねん)ぐらひたつたら退院(たいゐん)ができるでせう
え! 千年?
ウワアー
アハハハ
○
さてこんどは猫(ねこ)のお嬢(ぢよう)さんいかがです
ずゐぶんひどいわ こんなところに入れて
ほほう 大立腹(りつぷく)ですな すぐ治(なほ)りますよ
○
あら まあ嬉(うれ)しい! 親切(しんせつ)な看護婦(かんごふ)さんだわ
ほう 猫(ねこ)のお嬢(ぢよう)さんはだいぶ君が気に入つてゐるやうだよ
ええ リボンをさしあげたのです
○
このガラスの筒(つつ)の中は 地球(きう)の温(おん)度と同(おな)じにしてあるのです
なるほど
さうすればトマトが 生えないですむんですか
その通り
○
ぢやみなさん おとなしくしてゐるんですよ
またきますからね
○
もう へたばつてしまつた
どこを見てもトマト畑(ばたけ)ばつかりつまらないわ
地球へかへりたくなつたなあ
○
なんとかしてこゝを出られないかなあ
わたしだつて帰(かへ)りたいわ
お父(とう)さんやお母(かあ)さんに 急にあひたくなつてきた
○
やあ テン太郎さんがメソメソ泣き出した
無理(むり)ないわ あたしだつて悲(かな)しくなつちまつたわ アーン アーン
みんな地球がこひしくなつたんだ
[#改ページ]
地球(ちきう)に向(むか)つて
○
やあ 嵐(あらし)だ! 嵐だ!
わつ! こわい! 稲光(いなびかり)が!
すごい暴風雨(ばうふうう)だ!
○
わア!
助けてえ!
みんな しつかりするんだよ
○
わあ ガラスの病院(びやうゐん)が倒(たふ)れさうだぞ
もしかするとわたしたち 出られるかもしれないわ
風よ吹け吹け ガラス病院を吹き倒してくれ
○
ワッショイ ワッショイ[#「ワッショイ」は底本では「ワッシイ」]
風さーん 頼(たの)みますよ
やつ? 病院が舞(ま)ひ上つた!
○
あれあれッ?
大変(へん)だ!
どうしやう?
○
あつ!
(ガチャン☆)
○
やあ 出られた
うれしーい
○
さあ みんな集まれ!
テン太郎さあーん
どうしませう
○
どうしませう テン太郎さん
何んとか考(かんが)へなければ…
あッ 向ふから
親切(しんせつ)な看護婦(かんごふ)さんが走つてきた
○
やあ 看護婦さん!
わたしたち ひどい目にあつたわ
さあ みなさん! 今のうちに早くこの火星(くわせい)からお逃(に)げなさい
○
またガラスの病院(びやうゐん)をかぶせられてしまふのはいやだい
すぐ天文台(もんだい)に行くのです 早く 早く! そしてロケットでお逃げなさい
○
看護婦(かんごふ)さん ありがたう
さあみんな続(つゞ)け!
早く! 早くしないと追(おつ)手がきます
○
なにをしてゐるのさ ピチクン トマトなんかむしつたりして のんきだわね
いや ロケットに食糧(しよくれう)を積(つ)みこまなければ!
抜(ぬ)けめがないな
○
走れ 走れ
地球(きう)行きのロケットは 格納庫(かくなふこ)の一ばん右はじです
ありがたう!
○
さうだ! わたし看護婦さんにリボンもらつたんだけれど お別(わか)れの記念(きねん)にあげるものないわ
ぢや これをあげりやいい
○
ほんとにいいことを思ひついてくれたわ
これあげるわ 服(ふく)のボタンだけれど
まあ! きれいだことありがたう ではさやうなら
○
さあ 天文台(もんだい)がすぐだよ
走れ 走れ!
○
さあ 着(つ)いたぞ!
これが格納庫(かくなふこ)だ
どこから入りませう
○
格納庫の天窓(まど)から入らう
よしつ!
それがいいわ
○
みんな 風に吹き飛(と)ばされないやうに気をつけるんだよ
○
みんな 気をつけるんだぞ
危(あぶな)い 危い
あッ! ここから入れるぞ
○
やあ ずゐぶんロケットがならべてあるな
うわあ! 驚(おど)ろいた 地球(きう)行きはどれだらう
あんまり沢山(たくさん)あるからわからないわ
○
格納庫(かくなふこ)の右端(はし)だと教(をし)へてくれたよ
これは金星(せい)行きのロケットだわ
あつたあつた! これだこれだ!
○
さあ、早くのりこまう
だつて広場(ひろば)にロケットを引き出さなければね
かまふものか このまゝ発射(はつしや)して屋根(やね)を突抜(つきぬ)いてしまふんだ
○
テン太郎さん あんたロケット操縦(さうじう)できて
僕(ぼく) 知らないや
ぢや 駄目(だめ)だ
○
大丈夫(ぢやうぶ)だよ そこらへんのボタンをみんな押(お)してみるんだよ
僕 ハンドルをみんな動かしてみる
それがいい それがいい
○
なんだらう ここに革帯(かはおび)がついてゐる
わかつた それで体(からだ)をしばるんだわ
○
しめた! 動きだした!
(ブルンブルン シュシュシュ)
○
(ヅドン)
すごいぞ!
わッ! ロケットが屋根(やね)を突(つ)きぬけた!
すごいぞ!
○
そこの丸窓(まるまど)からのぞいてごらん
あら! 看護婦(かんごふ)さんが見送(おく)つてゐるわ
看護婦さーん
○
さらば火星(くわせい)よ!
○
もうどの位(くらゐ)飛(と)んだかしら
出発(しゆつぱつ)してから一分(ぷん)五秒(べう)!
早さはどの位?
おゝ ものすごい! 一時間(じかん)七千(せん)キロメートルの早さだ□
○
どうしたの?
あれえ? 変(へん)だぞ 早く舵(かぢ)をさがしてくれ
舵はどれかしら
○
どうも見当(けんたう)がちがつた 地球(きう)ぢやない 月に向つて走つてゐるらしいんだ□
えッ! 月に向つて?
大変(へん)だわ どうしやう
○
やあ月だ□
○
これは大変(へん)□
月なんかに着(つ)いたら困(こま)つてしまふぞ
○
あッ これが舵(かぢ)らしいよ
早くロケットを 地球(きう)に向けなければ□
○
やあ どうやらこんどは地球に向つてゐるらしい
○
やれやれ やつと安心(あんしん)した
ほんとに心配(ぱい)してしまつた
○
おや? なんだか見たやうな街(まち)に着(つ)きさうだなあ……
○
あれあれ? 大変だ! 火星(くわせい)に舞(ま)ひもどつてきたわ
○
さあ困つた! どうしたんだらう
あゝ 汗(あせ)びつしよりだ
○
あれ? わかつた! ピチクン あんた変(へん)なボタンを踏(ふ)みつけてゐるわ
あッ! これはいけない
やあ 成功(せいこう)! 成功□
○
まつすぐに地球(きう)へ向つたらしい
○
ニャンちやん 右のハンドルをまはしてくれ
ピチクン そこのボタンをおしてみてくれ
やれ いそがしい
○
(ピピ ピピ ゲロンゲロン)
(ダダダダ)
(しゆしゆ)
ゲロン ゲロンだつてさ おかしい音だわね ホホ
○
おお 地球(きう)が近づいてきたぞ
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