北原白秋氏の肖像
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著者名:木下杢太郎 

   ……願ふは極秘、かの奇(く)しき紅の夢……(「邪宗門」)

性慾の如くまつ青な太陽が金色(こんじき)の髪を散(ちら)して、
異教の寺の晩鐘の呻吟(うなり)のやうに高らかに、然(しか)しさびしく、
河の底へ……底へ……底へ……と沈む時に、
幻想の黒い帆前(ほまへ)は
滑つて行く……音もなく……
明るい灰色の硝子(がらす)の外で、
氏は倚(よ)れる窗(まど)の後(うしろ)で――。
されば其(その)光の顫音(トレモロ)は悲しく、
氏の銅色(どうしよく)の額(ひたひ)に反射した。――恰(さなが)ら
青の鶯(うぐひす)が落日(いりひ)の檣(ますと)の森で鳴くやうに……
雲の彼方(あなた)の蘆薈(ろくわい)花咲く故郷(ふるさと)へ、故郷(ふるさと)へ、ねえ、故郷(ふるさと)へ……。

氏は卓(たあぶる)の一角から罪色(つみいろ)紅(くれなゐ)の Cura□ao(きゆらさお) を取つて
薄玻璃(うすばり)の高脚杯(かうきやくはい)に垂(たら)した……重く……緩(ゆるや)かに……。
その懐しい錯心(でりいる)のやさしい呼吸(いき)づかひの中(うち)に、
赤、紺青、土耳古珠色(とるこだまいろ)、「黄なつぽい」Sentiment 色(さんちまんいろ)、
そのあまり日向(ひなた)つぽ過ぎる新しい(やや似合はない)
背広の文(あや)の音楽に首を埋(うづ)めて
(かの邪宗、その寺の門前に梟首(さらさ)れた怪僧の額(ひたひ)のやうに)
烈(はげ)しい異国趣味(えきぞちすむ)に飢ゑ爛(ただ)れた氏の表情は、
新(あらた)に南洋から帰つた商船の事務員の如く、
ひたすら卓上の罌粟(けし)の脣(くちびる)を見詰めて居(ゐ)る。

(かの黒い幻想の帆前(ほまへ)は力なく黙(もだ)したのに――。)
秋の日曜日の雑沓(ざつたふ)を恐るる象、
その如く濁つた瞳、瞳の中の青い花は、
日本(につぽん)の――厭(あ)いた、労(つか)れた
昼の三味(しやみ)、女の島田、音(ね)も低い曲節(めろぢい)から、
ああ、せめては中に雑(まじ)る合惚(かつぽれ)の進行曲(まるしゆ)から、
『空にまつ赤な雲の色、玻璃(はり)にまつ赤な酒の色』から、
河に面した厨(くりや)の葉牡丹(はぼたん)の腋臭(わきが)から、
日を受けたタンク蒸気の引いてゆく Cadence(かだんす) から、
はた其(その)かげの痛ましい□古聿(シヨコラア)の
とぎれとぎれの Strauss(しゆとらうす)、Gauguin(ごうぎやん) の曲調の
うち絶えつ、またも響く柔(やはらか)い薫(かをり)のうちから、
氏の厚い紫の脣は苺(いちご)の紅い霊魂を求めて居る。
瞳の青い羅曼底(ろまんちつく)は忘れた故郷(ふるさと)の香(か)を捜して居る。
日が暮れるまで……

日本の憂鬱(いううつ)な十月の夜(よる)の彼岸(あなた)に
寂しい三味線(しやみせん)がちんちんと鳴り出すまで、
なほも善主麿(ぜんすまろ)、おおらつしよの祈(いのり)をつづけながら……
無益(むやく)にも……

月の方(かた)に青ざめた帆前(ほまへ)の黒い幻想を眺めながら……




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