悟浄出世
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著者名:中島敦 

寒蝉敗柳(かんせんはいりゅう)に鳴き大火西に向かいて流るる秋のはじめになりければ心細くも三蔵(さんぞう)は二人の弟子にいざなわれ嶮難(けんなん)を凌(しの)ぎ道を急ぎたもうに、たちまち前面に一条の大河あり。大波湧返(わきかえ)りて河の広さそのいくばくという限りを知らず。岸に上りて望み見るときかたわらに一つの石碑あり。上に流沙河(りゅうさが)の三字を篆字(てんじ)にて彫付け、表に四行の小楷字(かいじ)あり。

 八百流沙界(はちひゃくりゅうさのかい)
 三千弱水深(さんぜんじゃくすいふかし)
 鵞毛飄不起(がもうただよいうかばず)
 蘆花定底沈(ろかそこによどみてしずむ)
――西遊記――
       一

 そのころ流沙河(りゅうさが)の河底に栖(す)んでおった妖怪(ばけもの)の総数およそ一万三千、なかで、渠(かれ)ばかり心弱きはなかった。渠(かれ)に言わせると、自分は今までに九人の僧侶(そうりょ)を啖(く)った罰で、それら九人の骸顱(しゃれこうべ)が自分の頸(くび)の周囲(まわり)について離れないのだそうだが、他の妖怪(ばけもの)らには誰にもそんな骸顱(しゃれこうべ)は見えなかった。「見えない。それは□(おまえ)の気の迷いだ」と言うと、渠(かれ)は信じがたげな眼で、一同を見返し、さて、それから、なぜ自分はこうみんなと違うんだろうといったふうな悲しげな表情に沈むのである。他の妖怪(ばけもの)らは互いに言合うた。「渠(あいつ)は、僧侶(そうりょ)どころか、ろくに人間さえ咋(く)ったことはないだろう。誰もそれを見た者がないのだから。鮒(ふな)やざこを取って喰っているのなら見たこともあるが」と。また彼らは渠(かれ)に綽名(あだな)して、独言悟浄(どくげんごじょう)と呼んだ。渠(かれ)が常に、自己に不安を感じ、身を切刻む後悔に苛(さいな)まれ、心の中で反芻(はんすう)されるその哀(かな)しい自己苛責(かしゃく)が、つい独(ひと)り言となって洩(も)れるがゆえである。遠方から見ると小さな泡(あわ)が渠(かれ)の口から出ているにすぎないようなときでも、実は彼が微(かす)かな声で呟(つぶや)いているのである。「俺(おれ)はばかだ」とか、「どうして俺はこうなんだろう」とか、「もうだめだ。俺は」とか、ときとして「俺は堕天使(だてんし)だ」とか。
 当時は、妖怪に限らず、あらゆる生きものはすべて何かの生まれかわりと信じられておった。悟浄がかつて天上界(てんじょうかい)で霊霄殿(りょうしょうでん)の捲簾(けんれん)大将を勤めておったとは、この河底で誰言わぬ者もない。それゆえすこぶる懐疑的な悟浄自身も、ついにはそれを信じておるふりをせねばならなんだ。が、実をいえば、すべての妖怪(ばけもの)の中で渠(かれ)一人はひそかに、生まれかわりの説に疑いをもっておった。天上界で五百年前に捲簾大将をしておった者が今の俺になったのだとして、さて、その昔の捲簾大将と今のこの俺とが同じものだといっていいのだろうか? 第一、俺は昔の天上界のことを何一つ記憶してはおらぬ。その記憶以前の捲簾大将と俺と、どこが同じなのだ。身体(からだ)が同じなのだろうか? それとも魂が、だろうか? ところで、いったい、魂とはなんだ? こうした疑問を渠(かれ)が洩(も)らすと、妖怪(ばけもの)どもは「また、始まった」といって嗤(わら)うのである。あるものは嘲弄(ちょうろう)するように、あるものは憐愍(れんびん)の面持ちをもって「病気なんだよ。悪い病気のせいなんだよ」と言うた。

 事実、渠(かれ)は病気だった。
 いつのころから、また、何が因(もと)でこんな病気になったか、悟浄(ごじょう)はそのどちらをも知らぬ。ただ、気がついたらそのときはもう、このような厭(いと)わしいものが、周囲に重々しく立罩(たちこ)めておった。渠は何をするのもいやになり、見るもの聞くものがすべて渠の気を沈ませ、何事につけても自分が厭(いと)わしく、自分に信用がおけぬようになってしもうた。何日も何日も洞穴(ほらあな)に籠(こも)って、食を摂(と)らず、ギョロリと眼ばかり光らせて、渠は物思いに沈んだ。不意に立上がってその辺を歩き廻(まわ)り、何かブツブツ独り言をいいまた突然すわる。その動作の一つ一つを自分では意識しておらぬのである。どんな点がはっきりすれば、自分の不安が去るのか。それさえ渠には解(わか)らなんだ。ただ、今まで当然として受取ってきたすべてが、不可解な疑わしいものに見えてきた。今まで纏(まと)まった一つのことと思われたものが、バラバラに分解された姿で受取られ、その一つの部分部分について考えているうちに、全体の意味が解らなくなってくるといったふうだった。
 医者でもあり・占星師(せんせいし)でもあり・祈祷者(きとうしゃ)でもある・一人の老いたる魚怪が、あるとき悟浄を見てこう言うた。「やれ、いたわしや。因果(いんが)な病にかかったものじゃ。この病にかかったが最後、百人のうち九十九人までは惨(みじ)めな一生を送らねばなりませぬぞ。元来、我々の中にはなかった病気じゃが、我々が人間を咋(く)うようになってから、我々の間にもごくまれに、これに侵される者が出てきたのじゃ。この病に侵された者はな、すべての物事を素直に受取ることができぬ。何を見ても、何に出会うても『なぜ?』とすぐに考える。究極の・正真正銘(しょうしんしょうめい)の・神様だけがご存じの『なぜ?』を考えようとするのじゃ。そんなことを思うては生き物は生きていけぬものじゃ。そんなことは考えぬというのが、この世の生き物の間の約束ではないか。ことに始末に困るのは、この病人が『自分』というものに疑いをもつことじゃ。なぜ俺(おれ)は俺を俺と思うのか? 他(ほか)の者を俺と思うてもさしつかえなかろうに。俺とはいったいなんだ? こう考えはじめるのが、この病のいちばん悪い徴候(ちょうこう)じゃ。どうじゃ。当たりましたろうがの。お気の毒じゃが、この病には、薬もなければ、医者もない。自分で治(なお)すよりほかはないのじゃ。よほどの機縁に恵まれぬかぎり、まず、あんたの顔色のはれる時はありますまいて。」

       二

 文字の発明は疾(と)くに人間世界から伝わって、彼らの世界にも知られておったが、総じて彼らの間には文字を軽蔑(けいべつ)する習慣があった。生きておる智慧(ちえ)が、そんな文字などという死物で書留められるわけがない。(絵になら、まだしも画(か)けようが。)それは、煙をその形のままに手で執(と)らえようとするにも似た愚かさであると、一般に信じられておった。したがって、文字を解することは、かえって生命力衰退の徴候(しるし)として斥(しりぞ)けられた。悟浄が日ごろ憂鬱(ゆううつ)なのも、畢竟(ひっきょう)、渠(かれ)が文字を解するために違いないと、妖怪(ばけもの)どもの間では思われておった。
 文字は尚(とうと)ばれなかったが、しかし、思想が軽んじられておったわけではない。一万三千の怪物の中には哲学者も少なくはなかった。ただ、彼らの語彙(ごい)ははなはだ貧弱だったので、最もむずかしい大問題が、最も無邪気な言葉でもって考えられておった。彼らは流沙河(りゅうさが)の河底にそれぞれ考える店を張り、ために、この河底には一脈の哲学的憂鬱が漂うていたほどである。ある賢明な老魚は、美しい庭を買い、明るい窓の下で、永遠の悔いなき幸福について瞑想(めいそう)しておった。ある高貴な魚族は、美しい縞(しま)のある鮮緑の藻(も)の蔭(かげ)で、竪琴(たてごと)をかき鳴らしながら、宇宙の音楽的調和を讃(たた)えておった。醜く・鈍く・ばか正直な・それでいて、自分の愚かな苦悩を隠そうともしない悟浄(ごじょう)は、こうした知的な妖怪(ばけもの)どもの間で、いい嬲(なぶ)りものになった。一人の聡明(そうめい)そうな怪物が、悟浄に向かい、真面目(まじめ)くさって言うた。「真理とはなんぞや?」そして渠(かれ)の返辞をも待たず、嘲笑(ちょうしょう)を口辺に浮かべて大胯(おおまた)に歩み去った。また、一人の妖怪――これは※魚(ふぐ)[#「魚+台」、135-7]の精だったが――は、悟浄の病を聞いて、わざわざ訪(たず)ねて来た。悟浄の病因が「死への恐怖」にあると察して、これを哂(わら)おうがためにやって来たのである。「生ある間は死なし。死到(いた)れば、すでに我なし。また、何をか懼(おそ)れん。」というのがこの男の論法であった。悟浄はこの議論の正しさを素直に認めた。というのは、渠(かれ)自身けっして死を怖(おそ)れていたのではなかったし、渠の病因もそこにはなかったのだから。哂(わら)おうとしてやって来た※[#「魚+台」、135-12]魚の精は失望して帰って行った。

 妖怪(ばけもの)の世界にあっては、身体(からだ)と心とが、人間の世界におけるほどはっきりと分かれてはいなかったので、心の病はただちに烈(はげ)しい肉体の苦しみとなって悟浄を責めた。堪えがたくなった渠(かれ)は、ついに意を決した。「このうえは、いかに骨が折れようと、また、いかに行く先々で愚弄(ぐろう)され哂(わら)われようと、とにかく一応、この河の底に栖(す)むあらゆる賢人(けんじん)、あらゆる医者、あらゆる占星師(せんせいし)に親しく会って、自分に納得(なっとく)のいくまで、教えを乞(こ)おう」と。
 渠(かれ)は粗末な直綴(じきとつ)を纏(まと)うて、出発した。

 なぜ、妖怪(ばけもの)は妖怪であって、人間でないか? 彼らは、自己の属性の一つだけを、極度に、他との均衡(つりあい)を絶して、醜いまでに、非人間的なまでに、発達させた不具者だからである。あるものは極度に貪食(どんしょく)で、したがって口と腹がむやみに大きく、あるものは極度に淫蕩(いんとう)で、したがってそれに使用される器官が著しく発達し、あるものは極度に純潔で、したがって頭部を除くすべての部分がすっかり退化しきっていた。彼らはいずれも自己の性向、世界観に絶対に固執(こしゅう)していて、他との討論の結果、より高い結論に達するなどということを知らなかった。他人の考えの筋道を辿(たど)るにはあまりに自己の特徴が著しく伸長しすぎていたからである。それゆえ、流沙河(りゅうさが)の水底では、何百かの世界観や形而上(けいじじょう)学が、けっして他と融和することなく、あるものは穏やかな絶望の歓喜をもって、あるものは底抜けの明るさをもって、あるものは願望(ねがい)はあれど希望(のぞみ)なき溜息(ためいき)をもって、揺動(ゆれうご)く無数の藻草(もぐさ)のようにゆらゆらとたゆとうておった。

       三

 最初に悟浄(ごじょう)が訪ねたのは、黒卵道人(こくらんどうじん)とて、そのころ最も高名な幻術(げんじゅつ)の大家(たいか)であった。あまり深くない水底に累々(るいるい)と岩石を積重ねて洞窟(どうくつ)を作り、入口には斜月三星洞(しゃげつさんせいどう)の額が掛かっておった。庵主(あんじゅ)は、魚面人身(ぎょめんじんしん)、よく幻術を行のうて、存亡自在、冬、雷を起こし、夏、氷を造り、飛者(とり)を走らしめ、走者(けもの)を飛ばしめるという噂(うわさ)である。悟浄はこの道人に三(み)月仕えた。幻術などどうでもいいのだが、幻術を能(よ)くするくらいなら真人(しんじん)であろうし、真人なら宇宙の大道を会得(えとく)していて、渠(かれ)の病を癒(いや)すべき智慧(ちえ)をも知っていようと思われたからだ。しかし、悟浄は失望せぬわけにいかなかった。洞(ほら)の奥で巨鼇(きょごう)の背に座った黒卵道人(こくらんどうじん)も、それを取囲む数十の弟子たちも、口にすることといえば、すべて神変不可思議(しんぺんふかしぎ)の法術のことばかり。また、その術を用いて敵を欺(あざむ)こうの、どこそこの宝を手に入れようのという実用的な話ばかり。悟浄の求めるような無用の思索の相手をしてくれるものは誰一人としておらなんだ。結局、ばかにされ哂(わら)いものになった揚句(あげく)、悟浄は三星洞を追出された。

 次に悟浄が行ったのは、沙虹隠士(しゃこういんし)のところだった。これは、年を経た蝦(えび)の精で、すでに腰が弓のように曲がり、半ば河底の砂に埋もれて生きておった。悟浄はまた、三(み)月の間、この老隠士に侍して、身の廻(まわ)りの世話を焼きながら、その深奥(しんおう)な哲学に触れることができた。老いたる蝦の精は曲がった腰を悟浄にさすらせ、深刻な顔つきで次のように言うた。
「世はなべて空(むな)しい。この世に何か一つでも善(よ)きことがあるか。もしありとせば、それは、この世の終わりがいずれは来るであろうことだけじゃ。別にむずかしい理窟(りくつ)を考えるまでもない。我々の身の廻りを見るがよい。絶えざる変転、不安、懊悩(おうのう)、恐怖、幻滅、闘争、倦怠(けんたい)。まさに昏々昧々(こんこんまいまい)紛々若々(ふんぷんじゃくじゃく)として帰(き)するところを知らぬ。我々は現在という瞬間の上にだけ立って生きている。しかもその脚下の現在は、ただちに消えて過去となる。次の瞬間もまた次の瞬間もそのとおり。ちょうど崩れやすい砂の斜面に立つ旅人の足もとが一足ごとに崩れ去るようだ。我々はどこに安んじたらよいのだ。停(と)まろうとすれば倒れぬわけにいかぬゆえ、やむを得ず走り下り続けているのが我々の生じゃ。幸福だと? そんなものは空想の概念だけで、けっして、ある現実的な状態をいうものではない。果敢(はか)ない希望が、名前を得ただけのものじゃ。」
 悟浄の不安げな面持ちを見て、これを慰めるように隠士(いんし)は付加えた。
「だが、若い者よ。そう懼(おそ)れることはない。浪(なみ)にさらわれる者は溺(おぼ)れるが、浪に乗る者はこれを越えることができる。この有為転変(ういてんぺん)をのり超えて不壊不動(ふえふどう)の境地に到ることもできぬではない。古(いにしえ)の真人(しんじん)は、能(よ)く是非を超え善悪を超え、我を忘れ物を忘れ、不死不生(ふしふしょう)の域に達しておったのじゃ。が、昔から言われておるように、そういう境地が楽しいものだと思うたら、大間違い。苦しみもない代わりには、普通の生きものの有(も)つ楽しみもない。無味、無色。誠(まこと)に味気(あじけ)ないこと蝋(ろう)のごとく砂のごとしじゃ。」
 悟浄は控えめに口を挾(はさ)んだ。自分の聞きたいと望むのは、個人の幸福とか、不動心(ふどうしん)の確立とかいうことではなくて、自己、および世界の究極の意味についてである、と。隠士は目脂(めやに)の溜(たま)った眼をしょぼつかせながら答えた。
「自己だと? 世界だと? 自己を外(ほか)にして客観世界など、在ると思うのか。世界とはな、自己が時間と空間との間に投射した幻(まぼろし)じゃ。自己が死ねば世界は消滅しますわい。自己が死んでも世界が残るなどとは、俗も俗、はなはだしい謬見(びゅうけん)じゃ。世界が消えても、正体の判(わか)らぬ・この不思議な自己というやつこそ、依然として続くじゃろうよ。」
 悟浄が仕えてからちょうど九十日めの朝、数日間続いた猛烈な腹痛と下痢(げり)ののちに、この老隠者(いんじゃ)は、ついに斃(たお)れた。かかる醜い下痢と苦しい腹痛とを自分に与えるような客観世界を、自分の死によって抹殺(まっさつ)できることを喜びながら……。
 悟浄は懇(ねんご)ろにあとをとぶらい、涙とともに、また、新しい旅に上った。

 噂(うわさ)によれば、坐忘(ざぼう)先生は常に坐禅(ざぜん)を組んだまま眠り続け、五十日に一度目を覚(さ)まされるだけだという。そして、睡眠中の夢の世界を現実と信じ、たまに目覚めているときは、それを夢と思っておられるそうな。悟浄がこの先生をはるばる尋ね来たとき、やはり先生は睡(ねむ)っておられた。なにしろ流沙河(りゅうさが)で最も深い谷底で、上からの光もほとんど射(さ)して来ない有様ゆえ、悟浄も眼の慣れるまでは見定めにくかったが、やがて、薄暗い底の台の上に結跏趺坐(けっかふざ)したまま睡っている僧形(そうぎょう)がぼんやり目前に浮かび上がってきた。外からの音も聞こえず、魚類もまれにしか来ない所で、悟浄もしかたなしに、坐忘先生の前に坐(すわ)って眼を瞑(つぶ)ってみたら、何かジーンと耳が遠くなりそうな感じだった。
 悟浄が来てから四日めに先生は眼を開いた。すぐ目の前で悟浄があわてて立上がり、礼拝(らいはい)をするのを、見るでもなく見ぬでもなく、ただ二、三度瞬(まばた)きをした。しばらく無言の対坐(たいざ)を続けたのち悟浄は恐る恐る口をきいた。「先生。さっそくでぶしつけでございますが、一つお伺いいたします。いったい『我』とはなんでございましょうか?」「咄(とつ)! 秦時(しんじ)の※轢鑚(たくらくさん)[#「車+度」、139-16]!」という烈しい声とともに、悟浄の頭はたちまち一棒を喰(くら)った。渠(かれ)はよろめいたが、また座に直り、しばらくして、今度は十分に警戒しながら、先刻の問いを繰返した。今度は棒が下(お)りて来なかった。厚い唇(くちびる)を開き、顔も身体もどこも絶対に動かさずに、坐忘先生が、夢の中でのような言葉で答えた。「長く食を得ぬときに空腹を覚えるものが□(おまえ)じゃ。冬になって寒さを感ずるものが□じゃ。」さて、それで厚い唇(くちびる)を閉じ、しばらく悟浄(ごじょう)のほうを見ていたが、やがて眼を閉じた。そうして、五十日間それを開かなかった。悟浄は辛抱強(しんぼうづよ)く待った。五十日めにふたたび眼を覚ました坐忘先生は前に坐(すわ)っている悟浄を見て言った。「まだいたのか?」悟浄は謹(つつ)しんで五十日待った旨を答えた。「五十日?」と先生は、例の夢を見るようなトロリとした眼を悟浄に注いだが、じっとそのままひと時ほど黙っていた。やがて重い唇が開かれた。
「時の長さを計る尺度が、それを感じる者の実際の感じ以外にないことを知らぬ者は愚かじゃ。人間の世界には、時の長さを計る器械ができたそうじゃが、のちのち大きな誤解の種を蒔(ま)くことじゃろう。大椿(たいちん)の寿(じゅ)も、朝菌(ちょうきん)の夭(よう)も、長さに変わりはないのじゃ。時とはな、我々の頭の中の一つの装置(しかけ)じゃわい」
 そう言終わると、先生はまた眼を閉じた。五十日後でなければ、それがふたたび開かれることがないであろうことを知っていた悟浄は、睡れる先生に向かって恭々(うやうや)しく頭を下げてから、立去った。

「恐れよ。おののけ。しかして、神を信ぜよ。」
 と、流沙河(りゅうさが)の最も繁華な四つ辻(つじ)に立って、一人の若者が叫んでいた。
「我々の短い生涯(しょうがい)が、その前とあととに続く無限の大永劫(だいえいごう)の中に没入していることを思え。我々の住む狭い空間が、我々の知らぬ・また我々を知らぬ・無限の大広袤(だいこうぼう)の中に投込まれていることを思え。誰か、みずからの姿の微小さに、おののかずにいられるか。我々はみんな鉄鎖に繋(つな)がれた死刑囚だ。毎瞬間ごとにその中の幾人かずつが我々の面前で殺されていく。我々はなんの希望もなく、順番を待っているだけだ。時は迫っているぞ。その短い間を、自己欺瞞(ぎまん)と酩酊(めいてい)とに過ごそうとするのか? 呪(のろ)われた卑怯者(ひきょうもの)め! その間を汝(なんじ)の惨(みじ)めな理性を恃(たの)んで自惚(うぬぼ)れ返っているつもりか? 傲慢(ごうまん)な身の程(ほど)知らずめ! 噴嚏(くしゃみ)一つ、汝の貧しい理性と意志とをもってしては、左右できぬではないか。」
 白皙(はくせき)の青年は頬(ほお)を紅潮させ、声を嗄(か)らして叱咤(しった)した。その女性的な高貴な風姿のどこに、あのような激しさが潜んでいるのか。悟浄は驚きながら、その燃えるような美しい瞳(ひとみ)に見入った。渠(かれ)は青年の言葉から火のような聖(きよ)い矢が自分の魂に向かって放たれるのを感じた。
「我々の為(な)しうるのは、ただ神を愛し己(おのれ)を憎むことだけだ。部分は、みずからを、独立した本体だと自惚(うぬぼ)れてはならぬ。あくまで、全体の意志をもって己の意志とし、全体のためにのみ、自己を生きよ。神に合するものは一つの霊となるのだ」
 確かにこれは聖(きよ)く優(すぐ)れた魂の声だ、と悟浄は思い、しかし、それにもかかわらず、自分の今饑(う)えているものが、このような神の声でないことをも、また、感ぜずにはいられなかった。訓言(おしえ)は薬のようなもので、□瘧(おこり)を病む者の前に□腫(はれもの)の薬をすすめられてもしかたがない、と、そのようなことも思うた。

 その四つ辻(つじ)から程遠からぬ路傍(ろぼう)で、悟浄は醜い乞食(こじき)を見た。恐ろしい佝僂(せむし)で、高く盛上がった背骨に吊(つ)られて五臓(ごぞう)はすべて上に昇ってしまい、頭の頂は肩よりずっと低く落込んで、頤(おとがい)は臍(へそ)を隠すばかり。おまけに肩から背中にかけて一面に赤く爛(ただ)れた腫物(はれもの)が崩れている有様に、悟浄は思わず足を停(と)めて溜息(ためいき)を洩(も)らした。すると、蹲(うずくま)っているその乞食(こじき)は、頸(くび)が自由にならぬままに、赤く濁った眼玉(めだま)をじろりと上向け、一本しかない長い前歯を見せてニヤリとした。それから、上に吊上(つりあ)がった腕をブラブラさせ、悟浄の足もとまでよろめいて来ると、渠(かれ)を見上げて言った。
「僭越(せんえつ)じゃな、わしを憐(あわ)れみなさるとは。若いかたよ。わしを可哀想(かわいそう)なやつと思うのかな。どうやら、お前さんのほうがよほど可哀想に思えてならぬが。このような形にしたからとて、造物主をわしが怨んどるとでも思っていなさるのじゃろう。どうしてどうして。逆に造物主を讃(ほ)めとるくらいですわい、このような珍しい形にしてくれたと思うてな。これからも、どんなおもしろい恰好(かっこう)になるやら、思えば楽しみのようでもある。わしの左臂(ひじ)が鶏になったら、時を告げさせようし、右臂が弾(はじ)き弓になったら、それで□(ふくろう)でもとって炙(あぶ)り肉をこしらえようし、わしの尻(しり)が車輪になり、魂が馬にでもなれば、こりゃこのうえなしの乗物で、重宝(ちょうほう)じゃろう。どうじゃ。驚いたかな。わしの名はな、子輿(しよ)というてな、子祀(しし)、子犁(しれい)、子来(しらい)という三人の莫逆(ばくぎゃく)の友がありますじゃ。みんな女※(じょう)[#「人べん+禹」、142-16]氏の弟子での、ものの形を超えて不生不死(ふしょうふし)の境(きょう)に入ったれば、水にも濡(ぬ)れず火にも焼(や)けず、寝て夢見ず、覚めて憂(うれ)いなきものじゃ。この間も、四人で笑うて話したことがある。わしらは、無をもって首(かしら)とし、生をもって背とし、死をもって尻(しり)としとるわけじゃとな。アハハハ……。」
 気味の悪い笑い声にギョッとしながらも、悟浄は、この乞食こそあるいは真人(しんじん)というものかもしれんと思うた。この言葉が本物(ほんもの)だとすればたいしたものだ。しかし、この男の言葉や態度の中にどこか誇示的なものが感じられ、それが苦痛を忍んでむりに壮語しているのではないかと疑わせたし、それに、この男の醜さと膿(うみ)の臭(くさ)さとが悟浄に生理的な反撥(はんぱつ)を与えた。渠(かれ)はだいぶ心を惹(ひ)かれながらも、ここで乞食(こじき)に仕えることだけは思い止まった。ただ先刻の話の中にあった女※[#「人べん+禹」、144-7]氏とやらについて教えを乞(こ)いたく思うたので、そのことを洩(も)らした。
「ああ、師父(しふ)か。師父はな、これより北の方(かた)、二千八百里、この流沙河(りゅうさが)が赤水(せきすい)・墨水(ぼくすい)と落合うあたりに、庵(いおり)を結んでおられる。お前さんの道心(どうしん)さえ堅固なら、ずいぶんと、教訓(おしえ)も垂れてくだされよう。せっかく修業なさるがよい。わしからもよろしくと申上げてくだされい。」と、みじめな佝僂(せむし)は、尖(とが)った肩を精一杯いからせて横柄(おうへい)に言うた。

       四

 流沙河と墨水と赤水との落合う所を目指して、悟浄(ごじょう)は北へ旅をした。夜は葦間(あしま)に仮寝(かりね)の夢を結び、朝になれば、また、果(はて)知らぬ水底の砂原を北へ向かって歩み続けた。楽しげに銀鱗(ぎんりん)を翻(ひるが)えす魚族(いろくず)どもを見ては、何故(なにゆえ)に我一人かくは心怡(たの)しまぬぞと思い侘(わ)びつつ、渠(かれ)は毎日歩いた。途中でも、目ぼしい道人(どうじん)修験者(しゅげんしゃ)の類は、剰(あま)さずその門を叩(たた)くことにしていた。

 貪食(どんしょく)と強力とをもって聞こえる□髯鮎子(きゅうぜんねんし)を訪ねたとき、色あくまで黒く、逞(たくま)しげな、この鯰(なまず)の妖怪(ばけもの)は、長髯(ちょうぜん)をしごきながら「遠き慮(おもんばかり)のみすれば、必ず近き憂(うれ)いあり。達人(たつじん)は大観せぬものじゃ。」と教えた。「たとえばこの魚じゃ。」と、鮎子(ねんし)は眼前を泳ぎ過ぎる一尾の鯉(こい)を掴(つか)み取ったかと思うと、それをムシャムシャかじりながら、説くのである。「この魚だが、この魚が、なぜ、わしの眼の前を通り、しかして、わしの餌(え)とならねばならぬ因縁(いんねん)をもっているか、をつくづくと考えてみることは、いかにも仙哲(せんてつ)にふさわしき振舞いじゃが、鯉を捕える前に、そんなことをくどくどと考えておった日には、獲物は逃げて行くばっかりじゃ。まずすばやく鯉を捕え、これにむしゃぶりついてから、それを考えても遅うはない。鯉は何故(なにゆえ)に鯉なりや、鯉と鮒(ふな)との相異についての形而上(けいじじょう)学的考察、等々の、ばかばかしく高尚(こうしょう)な問題にひっかかって、いつも鯉を捕えそこなう男じゃろう、お前(まえ)は。おまえの物憂(ものう)げな眼(め)の光が、それをはっきり告げとるぞ。どうじゃ。」確かにそれに違いないと、悟浄は頭を垂れた。妖怪はそのときすでに鯉を平げてしまい、なお貪婪(どんらん)そうな眼つきを悟浄のうなだれた頸筋(くびすじ)に注(そそ)いでおったが、急に、その眼が光り、咽喉(のど)がゴクリと鳴った。ふと首を上げた悟浄は、咄嗟(とっさ)に、危険なものを感じて身を引いた。妖怪の刃のような鋭い爪(つめ)が、恐ろしい速さで悟浄の咽喉をかすめた。最初の一撃にしくじった妖怪の怒りに燃えた貪食(どんしょく)的な顔が大きく迫ってきた。悟浄は強く水を蹴(け)って、泥煙を立てるとともに、愴惶(そうこう)と洞穴を逃れ出た。苛刻(かこく)な現実精神をかの獰猛(どうもう)な妖怪から、身をもって学んだわけだ、と、悟浄は顫(ふる)えながら考えた。

 隣人愛の教説者として有名な無腸公子(むちょうこうし)の講筵(こうえん)に列したときは、説教半ばにしてこの聖僧が突然饑(う)えに駆られて、自分の実の子(もっとも彼は蟹(かに)の妖精(ようせい)ゆえ、一度に無数の子供を卵からかえすのだが)を二、三人、むしゃむしゃ喰(た)べてしまったのを見て、仰天(ぎょうてん)した。
 慈悲忍辱(じひにんにく)を説く聖者が、今、衆人環視の中で自分の子を捕えて食った。そして、食い終わってから、その事実をも忘れたるがごとくに、ふたたび慈悲の説を述べはじめた。忘れたのではなくて、先刻の飢えを充(み)たすための行為は、てんで彼の意識に上っていなかったに相違ない。ここにこそ俺(おれ)の学ぶべきところがあるのかもしれないぞ、と、悟浄(ごじょう)はへんな理窟(りくつ)をつけて考えた。俺の生活のどこに、ああした本能的な没我的な瞬間があるか。渠(かれ)は、貴(とうと)き訓(おしえ)を得たと思い、跪(ひざまず)いて拝んだ。いや、こんなふうにして、いちいち概念的な解釈をつけてみなければ気の済まないところに、俺の弱点があるのだ、と、渠は、もう一度思い直した。教訓を、罐詰(かんづめ)にしないで生(なま)のままに身につけること、そうだ、そうだ、と悟浄は今一遍、拝(はい)をしてから、うやうやしく立去った。

 蒲衣子(ほいし)の庵室(あんしつ)は、変わった道場である。僅(わず)か四、五人しか弟子はいないが、彼らはいずれも師の歩みに倣(なろ)うて、自然の秘鑰(ひやく)を探究する者どもであった。探求者というより、陶酔者と言ったほうがいいかもしれない。彼らの勤めるのは、ただ、自然を観(み)て、しみじみとその美しい調和の中に透過することである。
「まず感じることです。感覚を、最も美しく賢く洗煉(せんれん)することです。自然美の直接の感受から離れた思考などとは、灰色の夢ですよ。」と弟子の一人が言った。
「心を深く潜ませて自然をごらんなさい。雲、空、風、雪、うす碧(あお)い氷、紅藻(べにも)の揺れ、夜水中でこまかくきらめく珪藻(けいそう)類の光、鸚鵡貝(おうむがい)の螺旋(らせん)、紫水晶(むらさきすいしょう)の結晶、柘榴石(ざくろいし)の紅、螢石(ほたるいし)の青。なんと美しくそれらが自然の秘密を語っているように見えることでしょう。」彼の言うことは、まるで詩人の言葉のようだった。
「それだのに、自然の暗号文字を解くのも今一歩というところで、突然、幸福な予感は消去り、私どもは、またしても、美しいけれども冷たい自然の横顔を見なければならないのです。」と、また、別の弟子が続けた。「これも、まだ私どもの感覚の鍛錬が足りないからであり、心が深く潜んでいないからなのです。私どもはまだまだ努めなければなりません。やがては、師のいわれるように『観ることが愛することであり、愛することが創造(つく)ることである』ような瞬間をもつことができるでしょうから。」
 その間も、師の蒲衣子(ほいし)は一言も口をきかず、鮮緑の孔雀石(くじゃくいし)を一つ掌(てのひら)にのせて、深い歓(よろこ)びを湛(たた)えた穏やかな眼差(まなざし)で、じっとそれを見つめていた。
 悟浄は、この庵室に一(ひと)月ばかり滞在した。その間、渠(かれ)も彼らとともに自然詩人となって宇宙の調和を讃(たた)え、その最奥(さいおう)の生命に同化することを願うた。自分にとって場違いであるとは感じながらも、彼らの静かな幸福に惹(ひ)かれたためである。
 弟子の中に、一人、異常に美しい少年がいた。肌(はだ)は白魚のように透(す)きとおり、黒瞳(こくとう)は夢見るように大きく見開かれ、額にかかる捲毛(まきげ)は鳩(はと)の胸毛のように柔らかであった。心に少しの憂いがあるときは、月の前を横ぎる薄雲ほどの微(かす)かな陰翳(かげ)が美しい顔にかかり、歓(よろこ)びのあるときは静かに澄んだ瞳(ひとみ)の奥が夜の宝石のように輝いた。師も朋輩(ほうばい)もこの少年を愛した。素直で、純粋で、この少年の心は疑うことを知らないのである。ただあまりに美しく、あまりにかぼそく、まるで何か貴い気体ででもできているようで、それがみんなに不安なものを感じさせていた。少年は、ひまさえあれば、白い石の上に淡飴色(うすあめいろ)の蜂蜜(はちみつ)を垂らして、それでひるがおの花を画(か)いていた。
 悟浄(ごじょう)がこの庵室(あんしつ)を去る四、五日前のこと、少年は朝、庵(いおり)を出たっきりでもどって来なかった。彼といっしょに出ていった一人の弟子は不思議な報告をした。自分が油断をしているひまに、少年はひょいと水に溶けてしまったのだ、自分は確かにそれを見た、と。他の弟子たちはそんなばかなことがと笑ったが、師の蒲衣子(ほいし)はまじめにそれをうべなった。そうかもしれぬ、あの児(こ)ならそんなことも起こるかもしれぬ、あまりに純粋だったから、と。
 悟浄は、自分を取って喰(く)おうとした鯰(なまず)の妖怪(ばけもの)の逞(たくま)しさと、水に溶け去った少年の美しさとを、並べて考えながら、蒲衣子のもとを辞した。

 蒲衣子の次に、渠(かれ)は斑衣※婆(はんいけつば)[#「魚+厥」、148-15]の所へ行った。すでに五百余歳を経ている女怪(じょかい)だったが、肌(はだ)のしなやかさは少しも処女と異なるところがなく、婀娜(あだ)たるその姿態は能(よ)く鉄石(てっせき)の心をも蕩(とろ)かすといわれていた。肉の楽しみを極(きわ)めることをもって唯一の生活信条としていたこの老女怪は、後庭に房を連ねること数十、容姿端正(たんせい)な若者を集めて、この中に盈(み)たし、その楽しみに耽(ふ)けるにあたっては、親昵(しんじつ)をも屏(しりぞ)け、交遊をも絶ち、後庭に隠れて、昼をもって夜に継ぎ、三(み)月に一度しか外に顔を出さないのである。悟浄の訪ねたのはちょうどこの三月に一度のときに当たったので、幸いに老女怪を見ることができた。道を求める者と聞いて、※婆(けつば)[#「魚+厥」、149-3]は悟浄に説き聞かせた。ものうい憊(つか)れの翳(かげ)を、嬋娟(せんけん)たる容姿のどこかに見せながら。
「この道ですよ。この道ですよ。聖賢の教えも仙哲(せんてつ)の修業も、つまりはこうした無上法悦(むじょうほうえつ)の瞬間を持続させることにその目的があるのですよ。考えてもごらんなさい。この世に生を享(う)けるということは、実に、百千万億恒河沙(ごうがしゃ)劫無限(こうむげん)の時間の中でも誠(まこと)に遇(あ)いがたく、ありがたきことです。しかも一方、死は呆(あき)れるほど速やかに私たちの上に襲いかかってくるものです。遇いがたきの生をもって、及びやすきの死を待っている私たちとして、いったい、この道のほかに何を考えることができるでしょう。ああ、あの痺(しび)れるような歓喜! 常に新しいあの陶酔!」と女怪は酔ったように□妖淫靡(えんよういんび)な眼を細くして叫んだ。
「貴方(あなた)はお気の毒ながらたいへん醜いおかたゆえ、私のところに留(とど)まっていただこうとは思いませぬから、ほんとうのことを申しますが、実は、私の後房では毎年百人ずつの若い男が困憊(つかれ)のために死んでいきます。しかしね、断わっておきますが、その人たちはみんな喜んで、自分の一生に満足して死んでいくのですよ。誰一人、私のところへ留まったことを怨(うら)んで死んだ者はありませなんだ。今死ぬために、この楽しみがこれ以上続けられないことを悔やんだ者はありましたが。」
 悟浄の醜さを憐(あわ)れむような眼(め)つきをしながら、最後に※婆(けつば)[#「魚+厥」、149-18]はこうつけ加えた。
「徳とはね、楽しむことのできる能力のことですよ。」
 醜いがゆえに、毎年死んでいく百人の仲間に加わらないで済んだことを感謝しつつ、悟浄はなおも旅を続けた。

 賢人(けんじん)たちの説くところはあまりにもまちまちで、渠(かれ)はまったく何を信じていいやら解らなかった。
「我とはなんですか?」という渠の問いに対して、一人の賢者はこういった。「まず吼(ほ)えてみろ。ブウと鳴くようならお前は豚じゃ。ギャアと鳴くようなら鵝鳥(がちょう)じゃ」と。他の賢者はこう教えた。「自己とはなんぞやとむりに言い表わそうとさえしなければ、自己を知るのは比較的困難ではない」と。また、曰(いわ)く「眼は一切を見るが、みずからを見ることができない。我とは所詮(しょせん)、我の知る能(あた)わざるものだ」と。
 別の賢者は説いた、「我はいつも我だ。我の現在の意識の生ずる以前の・無限の時を通じて我といっていたものがあった。(それを誰も今は、記憶していないが)それがつまり今の我になったのだ。現在の我の意識が亡(ほろ)びたのちの無限の時を通じて、また、我というものがあるだろう。それを今、誰も予見することができず、またそのときになれば、現在の我の意識のことを全然忘れているに違いないが」と。
 次のように言った男もあった。「一つの継続した我とはなんだ? それは記憶の影の堆積(たいせき)だよ」と。この男はまた悟浄にこう教えてくれた。「記憶の喪失ということが、俺(おれ)たちの毎日していることの全部だ。忘れてしまっていることを忘れてしまっているゆえ、いろんなことが新しく感じられるんだが、実は、あれは、俺たちが何もかも徹底的に忘れちまうからのことなんだ。昨日のことどころか、一瞬間前のことをも、つまりそのときの知覚、そのときの感情をも何もかも次の瞬間には忘れちまってるんだ。それらの、ほんの僅(わず)か一部の、朧(おぼろ)げな複製があとに残るにすぎないんだ。だから、悟浄よ、現在の瞬間てやつは、なんと、たいしたものじゃないか」と。

 さて、五年に近い遍歴(へんれき)の間、同じ容態に違った処方をする多くの医者たちの間を往復するような愚かさを繰返したのち、悟浄(ごじょう)は結局自分が少しも賢くなっていないことを見いだした。賢くなるどころか、なにかしら自分がフワフワした(自分でないような)訳の分からないものに成り果てたような気がした。昔の自分は愚かではあっても、少なくとも今よりは、しっかりとした――それはほとんど肉体的な感じで、とにかく自分の重量を有(も)っていたように思う。それが今は、まるで重量のない・吹けば飛ぶようなものになってしまった。外(そと)からいろんな模様を塗り付けられはしたが、中味のまるでないものに。こいつは、いけないぞ、と悟浄は思った。思索による意味の探索以外に、もっと直接的な解答(こたえ)があるのではないか、という予感もした。こうした事柄に、計算の答えのような解答を求めようとした己(おのれ)の愚かさ。そういうことに気がつきだしたころ、行く手の水が赤黒く濁ってきて、渠(かれ)は目指す女※(じょう)[#「人べん+禹」、151-17]氏のもとに着いた。

 女※(じょう)[#「人べん+禹」、152-1]氏は一見きわめて平凡な仙人(せんにん)で、むしろ迂愚(うぐ)とさえ見えた。悟浄が来ても別に渠(かれ)を使うでもなく、教えるでもなかった。堅彊(けんきょう)は死の徒(と)、柔弱(にゅうじゃく)は生の徒なれば、「学ぼう。学ぼう」というコチコチの態度を忌まれたもののようである。ただ、ほんのときたま、別に誰に向かって言うのでもなく、何か呟(つぶや)いておられることがある。そういうとき、悟浄は急いで聞き耳を立てるのだが、声が低くてたいていは聞きとれない。三(み)月の間、渠はついになんの教えも聞くことができなかった。「賢者(けんじゃ)が他人について知るよりも、愚者(ぐしゃ)が己(おのれ)について知るほうが多いものゆえ、自分の病は自分で治さねばならぬ」というのが、女※[#「人べん+禹」、152-7]氏から聞きえた唯一の言葉だった。三(み)月めの終わりに、悟浄はもはやあきらめて、暇乞(いとまご)いに師のもとへ行った。するとそのとき、珍しくも女※[#「人べん+禹」、152-9]氏は縷々(るる)として悟浄に教えを垂れた。「目が三つないからとて悲しむことの愚かさについて」「爪(つめ)や髪の伸長をも意志によって左右しようとしなければ気が済まない者の不幸について」「酔うている者は車から墜(お)ちても傷つかないことについて」「しかし、一概に考えることが悪いとは言えないのであって、考えない者の幸福は、船酔いを知らぬ豚のようなものだが、ただ考えることについて考えることだけは禁物であるということについて」
 女※[#「人べん+禹」、152-14]氏は、自分のかつて識(し)っていた、ある神智を有する魔物のことを話した。その魔物は、上は星辰(せいしん)の運行から、下は微生物類の生死に至るまで、何一つ知らぬことなく、深甚微妙(しんじんみみょう)な計算によって、既往のあらゆる出来事を溯(さかのぼ)って知りうるとともに、将来起こるべきいかなる出来事をも推知しうるのであった。ところが、この魔物はたいへん不幸だった。というのは、この魔物があるときふと、「自分のすべて予見しうる全世界の出来事が、何故(なにゆえ)に(経過的ないかにしてではなく、根本的な何故に)そのごとく起こらねばならぬか」ということに想到し、その究極の理由が、彼の深甚微妙なる大計算をもってしてもついに探(さが)し出せないことを見いだしたからである。何故向日葵(ひまわり)は黄色いか。何故草は緑か。何故すべてがかく在(あ)るか。この疑問が、この神通力(じんずうりき)広大な魔物を苦しめ悩ませ、ついに惨(みじ)めな死にまで導いたのであった。
 女※(じょう)[#「人べん+禹」、153-5]氏はまた、別の妖精(ようせい)のことを話した。これはたいへん小さなみすぼらしい魔物だったが、常に、自分はある小さな鋭く光ったものを探しに生まれてきたのだと言っていた。その光るものとはどんなものか、誰にも解らなかったが、とにかく、小妖精(しょうようせい)は熱心にそれを求め、そのために生き、そのために死んでいったのだった。そしてとうとう、その小さな鋭く光ったものは見つからなかったけれど、その小妖精の一生はきわめて幸福なものだったと思われると女※[#「人べん+禹」、153-9]氏は語った。かく語りながら、しかし、これらの話のもつ意味については、なんの説明もなかった。ただ、最後に、師は次のようなことを言った。
「聖なる狂気を知る者は幸いじゃ。彼はみずからを殺すことによって、みずからを救うからじゃ。聖なる狂気を知らぬ者は禍(わざわ)いじゃ。彼は、みずからを殺しも生かしもせぬことによって、徐々に亡びるからじゃ。愛するとは、より高貴な理解のしかた。行なうとは、より明確な思索のしかたであると知れ。何事も意識の毒汁(どくじゅう)の中に浸さずにはいられぬ憐(あわ)れな悟浄よ。我々の運命を決定する大きな変化は、みんな我々の意識を伴わずに行なわれるのだぞ。考えてもみよ。お前が生まれたとき、お前はそれを意識しておったか?」
 悟浄(ごじょう)は謹しんで師に答えた。師の教えは、今ことに身にしみてよく理解される。実は、自分も永年の遍歴の間に、思索だけではますます泥沼(どろぬま)に陥るばかりであることを感じてきたのであるが、今の自分を突破って生まれ変わることができずに苦しんでいるのである、と。それを聞いて女※(じょう)[#「人べん+禹」、154-3]氏は言った。
「渓流が流れて来て断崖(だんがい)の近くまで来ると、一度渦巻(うずまき)をまき、さて、それから瀑布(ばくふ)となって落下する。悟浄よ。お前は今その渦巻の一歩手前で、ためらっているのだな。一歩渦巻にまき込まれてしまえば、那落(ならく)までは一息。その途中に思索や反省や低徊(ていかい)のひまはない。臆病(おくびょう)な悟浄よ。お前は渦巻(うずま)きつつ落ちて行く者どもを恐れと憐(あわ)れみとをもって眺(なが)めながら、自分も思い切って飛込もうか、どうしようかと躊躇(ちゅうちょ)しているのだな。遅かれ早かれ自分は谷底に落ちねばならぬとは十分に承知しているくせに。渦巻(うずまき)にまき込まれないからとて、けっして幸福ではないことも承知しているくせに。それでもまだお前は、傍観者の地位に恋々(れんれん)として離れられないのか。物凄(ものすご)い生の渦巻の中で喘(あえ)いでいる連中が、案外、はたで見るほど不幸ではない(少なくとも懐疑的な傍観者より何倍もしあわせだ)ということを、愚かな悟浄よ、お前は知らないのか。」
 師の教えのありがたさは骨髄(こつずい)に徹して感じられたが、それでもなおどこか釈然としないものを残したまま、悟浄は、師のもとを辞した。
 もはや誰にも道を聞くまいぞと、渠(かれ)は思うた。「誰も彼も、えらそうに見えたって、実は何一つ解(わか)ってやしないんだな」と悟浄は独言(ひとりごと)を言いながら帰途についた。「『お互いに解ってるふりをしようぜ。解ってやしないんだってことは、お互いに解り切ってるんだから』という約束のもとにみんな生きているらしいぞ。こういう約束がすでに在るのだとすれば、それをいまさら、解らない解らないと言って騒ぎ立てる俺は、なんという気の利(き)かない困りものだろう。まったく。」

       五

 のろまで愚図(ぐず)の悟浄(ごじょう)のことゆえ、翻然大悟(ほんぜんたいご)とか、大活現前(だいかつげんぜん)とかいった鮮(あざ)やかな芸当を見せることはできなかったが、徐々に、目に見えぬ変化が渠(かれ)の上に働いてきたようである。
 はじめ、それは賭(か)けをするような気持であった。一つの選択が許される場合、一つの途(みち)が永遠の泥濘(でいねい)であり、他の途が険(けわ)しくはあってもあるいは救われるかもしれぬのだとすれば、誰しもあとの途を選ぶにきまっている。それだのになぜ躊躇(ちゅうちょ)していたのか。そこで渠(かれ)ははじめて、自分の考え方の中にあった卑(いや)しい功利的なものに気づいた。嶮(けわ)しい途(みち)を選んで苦しみ抜いた揚句(あげく)に、さて結局救われないとなったら取返しのつかない損だ、という気持が知らず知らずの間に、自分の不決断に作用していたのだ。骨折り損を避けるために、骨はさして折れない代わりに決定的な損亡へしか導かない途に留まろうというのが、不精(ぶしょう)で愚かで卑しい俺(おれ)の気持だったのだ。女※(じょう)[#「人べん+禹」、155-15]氏のもとに滞在している間に、しかし、渠の気持も、しだいに一つの方向へ追詰められてきた。初めは追つめられたものが、しまいにはみずから進んで動き出すものに変わろうとしてきた。自分は今まで自己の幸福を求めてきたのではなく、世界の意味を尋ねてきたと自分では思っていたが、それはとんでもない間違いで、実は、そういう変わった形式のもとに、最も執念深く自己の幸福を探していたのだということが、悟浄に解(わか)りかけてきた。自分は、そんな世界の意味を云々(うんぬん)するほどたいした生きものでないことを、渠(かれ)は、卑下(ひげ)感をもってでなく、安らかな満足感をもって感じるようになった。そして、そんな生意気をいう前に、とにかく、自分でもまだ知らないでいるに違いない自己を試み展開してみようという勇気が出てきた。躊躇(ちゅうちょ)する前に試みよう。結果の成否は考えずに、ただ、試みるために全力を挙げて試みよう。決定的な失敗に帰(き)したっていいのだ。今までいつも、失敗への危惧(きぐ)から努力を抛棄(ほうき)していた渠が、骨折り損を厭(いと)わないところにまで昇華(しょうか)されてきたのである。

       六

 悟浄(ごじょう)の肉体はもはや疲れ切っていた。
 ある日、渠(かれ)は、とある道ばたにぶっ倒れ、そのまま深い睡(ねむ)りに落ちてしまった。まったく、何もかも忘れ果てた昏睡(こんすい)であった。渠は昏々(こんこん)として幾日か睡り続けた。空腹も忘れ、夢も見なかった。
 ふと、眼(め)を覚ましたとき、何か四辺(あたり)が、青白く明るいことに気がついた。夜であった。明るい月夜であった。大きな円(まる)い春の満月が水の上から射し込んできて、浅い川底を穏やかな白い明るさで満たしているのである。悟浄は、熟睡のあとのさっぱりした気持で起上がった。とたんに空腹に気づいた。渠はそのへんを泳いでいた魚類を五、六尾手掴(てづか)みにしてむしゃむしゃ頬張(ほおば)り、さて、腰に提(さ)げた瓢(ふくべ)の酒を喇叭(らっぱ)飲みにした。旨(うま)かった。ゴクリゴクリと渠は音を立てて飲んだ。瓢(ふくべ)の底まで飲み干してしまうと、いい気持で歩き出した。
 底の真砂(まさご)の一つ一つがはっきり見分けられるほど明るかった。水草に沿うて、絶えず小さな水泡(みなわ)の列が水銀球のように光り、揺れながら昇って行く。ときどき渠(かれ)の姿を見て逃出す小魚どもの腹が白く光っては青水藻(あおみどろ)の影に消える。悟浄はしだいに陶然としてきた。柄(がら)にもなく歌が唱(うた)いたくなり、すんでのことに、声を張上げるところだった。そのとき、ごく遠くの方で誰かの唱っているらしい声が耳にはいってきた。渠は立停(たちど)まって耳をすました。その声は水の外から来るようでもあり、水底のどこか遠くから来るようでもある。低いけれども澄透(すみとお)った声でほそぼそと聞こえてくるその歌に耳を傾ければ、

江国春風吹不起(こうこくのしゅんぷうふきたたず)
鷓鴣啼在深花裏(しゃこないてしんかのうちにあり)
三級浪高魚化竜(さんきゅうなみたこうしてうおりゅうにかす)
痴人(ちじん)猶※(なおくむ)[#「尸+斗」、158-13]夜塘水(やとうのみず)

 どうやら、そんな文句のようでもある。悟浄(ごじょう)はその場に腰を下ろして、なおもじっと聴入った。青白い月光に染まった透明な水の世界の中で、単調な歌声は、風に消えていく狩りの角笛の音(ね)のように、ほそぼそといつまでもひびいていた。
 寐(ね)たのでもなく、さりとて覚めていたのでもない。悟浄は、魂が甘く疼(うず)くような気持で茫然(ぼうぜん)と永い間そこに蹲(うずくま)っていた。そのうちに、渠(かれ)は奇妙な、夢とも幻ともつかない世界にはいって行った。水草も魚の影も卒然(そつぜん)と渠の視界から消え去り、急に、得(え)もいわれぬ蘭麝(らんじゃ)の匂(にお)いが漂うてきた。と思うと、見慣れぬ二人の人物がこちらへ進んで来るのを渠は見た。
 前なるは手に錫杖(しゃくじょう)をついた一癖(ひとくせ)ありげな偉丈夫(いじょうふ)。後ろなるは、頭に宝珠瓔珞(ほうじゅようらく)を纏(まと)い、頂に肉髻(にくけい)あり、妙相端厳(みょうそうたんげん)、仄(ほの)かに円光(えんこう)を負うておられるは、何さま尋常人(ただびと)ならずと見えた。さて前なるが近づいて言った。
「我は托塔(たくとう)天王の二太子、木叉恵岸(もくしゃえがん)。これにいますはすなわち、わが師父(しふ)、南海の観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)摩訶薩(まかさつ)じゃ。天竜(てんりゅう)・夜叉(やしゃ)・乾闥婆(けんだつば)より、阿脩羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩□羅伽(まごらか)・人・非人に至るまで等しく憫(あわ)れみを垂れさせたもうわが師父には、このたび、爾(なんじ)、悟浄が苦悩(くるしみ)をみそなわして、特にここに降(くだ)って得度(とくど)したもうのじゃ。ありがたく承るがよい。」
 覚えず頭(こうべ)を垂れた悟浄の耳に、美しい女性的な声――妙音(みょうおん)というか、梵音(ぼんおん)というか、海潮音(かいちょうおん)というか、――が響いてきた。
「悟浄(ごじょう)よ、諦(あきら)かに、わが言葉を聴いて、よくこれを思念せよ。身の程(ほど)知らずの悟浄よ。いまだ得ざるを得たりといいいまだ証(あかし)せざるを証せりと言うのをさえ、世尊(せそん)はこれを増上慢(ぞうじょうまん)とて難ぜられた。さすれば、証すべからざることを証せんと求めた爾(なんじ)のごときは、これを至極(しごく)の増上慢といわずしてなんといおうぞ。爾の求むるところは、阿羅漢(あらかん)も辟支仏(びゃくしぶつ)もいまだ求むる能(あた)わず、また求めんともせざるところじゃ。哀れな悟浄よ。いかにして爾の魂はかくもあさましき迷路に入ったぞ。正観を得れば浄業(じょうごう)たちどころに成るべきに、爾、心相羸劣(しんそうるいれつ)にして邪観(じゃかん)に陥り、今この三途無量(さんずむりょう)の苦悩に遭(あ)う。惟(おも)うに、爾(なんじ)は観想(かんそう)によって救わるべくもないがゆえに、これよりのちは、一切の思念を棄(す)て、ただただ身を働かすことによってみずからを救おうと心がけるがよい。時とは人の作用(はたらき)の謂(いい)じゃ。世界は、概観によるときは無意味のごとくなれども、その細部に直接働きかけるときはじめて無限の意味を有(も)つのじゃ。悟浄よ。まずふさわしき場所に身を置き、ふさわしき働きに身を打込め。身の程知らぬ『何故』は、向後(こうご)一切打捨てることじゃ。これをよそにして、爾の救いはないぞ。さて、今年の秋、この流沙河(りゅうさが)を東から西へと横切る三人の僧があろう。西方金蝉(きんせん)長老の転生(うまれかわり)、玄奘法師(げんじょうほうし)と、その二人の弟子どもじゃ。唐(とう)の太宗皇帝(たいそうこうてい)の綸命(りんめい)を受け、天竺国(てんじくこく)大雷音寺(だいらいおんじ)に大乗三蔵(だいじょうさんぞう)の真経(しんぎょう)をとらんとて赴(おもむ)くものじゃ。悟浄よ、爾(なんじ)も玄奘に従うて西方に赴(おもむ)け。これ爾にふさわしき位置(ところ)にして、また、爾にふさわしき勤めじゃ。途(みち)は苦しかろうが、よく、疑わずして、ただ努めよ。玄奘の弟子の一人に悟空(ごくう)なるものがある。無知無識にして、ただ、信じて疑わざるものじゃ。爾は特にこの者について学ぶところが多かろうぞ。」
 悟浄がふたたび頭をあげたとき、そこには何も見えなかった。渠(かれ)は茫然(ぼうぜん)と水底の月明の中に立ちつくした。妙な気持である。ぼんやりした頭の隅で、渠は次のようなことをとりとめもなく考えていた。
「……そういうことが起こりそうな者に、そういうことが起こり、そういうことが起こりそうなときに、そういうことが起こるんだな。半年前の俺(おれ)だったら、今のようなおかしな夢なんか見るはずはなかったんだがな。……今の夢の中の菩薩(ぼさつ)の言葉だって、考えてみりゃ、女※(じょう)[#「人べん+禹」、160-18]氏や□髯鮎子(きゅうぜんねんし)の言葉と、ちっとも違ってやしないんだが、今夜はひどく身にこたえるのは、どうも変だぞ。そりゃ俺だって、夢なんかが救済(すくい)になるとは思いはしないさ。しかし、なぜか知らないが、もしかすると、今の夢のお告げの唐僧(とうそう)とやらが、ほんとうにここを通るかもしれないというような気がしてしかたがない。そういうことが起こりそうなときには、そういうことが起こるものだというやつでな。……」
 渠はそう思って久しぶりに微笑した。

       七

 その年の秋、悟浄(ごじょう)は、はたして、大唐(だいとう)の玄奘法師(げんじょうほうし)に値遇(ちぐう)し奉り、その力で、水から出て人間となりかわることができた。そうして、勇敢にして天真爛漫(てんしんらんまん)な聖天大聖(せいてんたいせい)孫悟空(そんごくう)や、怠惰(たいだ)な楽天家、天蓬元帥(てんぽうげんすい)猪悟能(ちょごのう)とともに、新しい遍歴(へんれき)の途に上ることとなった。しかし、その途上でも、まだすっかりは昔の病の脱(ぬ)け切っていない悟浄は、依然として独り言の癖を止(や)めなかった。渠(かれ)は呟(つぶや)いた。
「どうもへんだな。どうも腑(ふ)に落ちない。分からないことを強(し)いて尋ねようとしなくなることが、結局、分かったということなのか? どうも曖昧(あいまい)だな! あまりみごとな脱皮(だっぴ)ではないな! フン、フン、どうも、うまく納得(なっとく)がいかぬ。とにかく、以前ほど、苦にならなくなったのだけは、ありがたいが……。」
――「わが西遊記」の中――



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